Monday, March 17, 2025

シアトルの弥生 病気とカルマ(宿業) ───エドワーズ夫妻を迎えて───

Illness and Karma - Welcoming Mr. and Mrs. Edwards



Silver Birch Speaks
Edited by Sylvia Barbanell




心霊治療家として世界的に知られているハリー・エドワーズ氏が夫人とともに招かれた。まずエドワーズ氏が次のような謙虚な質問をした。

 「私がいつも関心を抱いているのは私たち治療家に何が治せるかではなくて、どうしても治せずにいる病気のことです。どうすればより多くの病を治し、どうすればそちらの世界の人との協力関係を深めることができるでしょうか」

 「私たちは偉大にして遠大な目的に向かって協力し合っております。その目的とは薄幸の人々、虚弱な人々、苦痛にあえぐ人々、寄るべなき人々、悲嘆に首をうなだれ胸を塞がれる思いをしている人々に少しでも援助の手を差しのべてあげることです。霊の力は人間を媒体として注ぎこむ機を窺っております。

その機を見つけると、病気の場合であれば治癒力を見せつけることによって、人間の協力さえ得られれば見えざる世界の威力と光明とをもたらすことができることを示します。

 霊の力はすなわち生命力です。生命があるのは霊があるからこそです。霊は生命であり、生命は霊です。この荘厳にして途徹もなく広大な宇宙を創造した力も、あなた方を生かしめ、これから後もずっと生かしめていく力と同じものです。

又、あなた方が愛し合い、物を思い、心を遣い、判断し、反省し、決断し、勘案し、熟考し、霊感を受け、人間的情感の絶頂からドン底までの全てを体験させる力、それは霊の力なのです。

 あなた方の一人一人が神であり、神はあなた方一人一人であると言えます。程度の差があるだけで、その本質、実質においては同じです。人間は言わばミクロの神です。

その神の力が病人を癒すのです。その力を分析してお見せすることはできません。何で出来ているかを説明することもできません。私に言えることは、それが無限の形態をとって顕現している───なぜなら生命は無限だから、ということだけです。

 霊媒現象の全てに共通した問題は、その霊的エネルギーのコントロールです。どのエネルギーがどれだけ発現できるかはその時の条件一つに掛かっています。言いかえれば、その霊媒の有する資質と、それをより大きく効果的にするための修行をどこまで心掛けるかに掛っています。

私たちの側においても常に新しいエネルギー、新しい放射線、新しい可能性を徐々に導入しては実験(ため)しております。

 ですが、そうしたものも霊媒の身体的、精神的、霊的適性によって規制を受けます。受容力が大きければ、それだけ多くのものが導入されます。小さければ、それだけ制限されることになります。

 霊力そのものは自然法則によるもの以外には何一つ制約はありません。自然法則の枠組みから離れて働くことだけはできないのです。が、その枠組みというのが途方もなく広範囲に亘っており、これまで地上の霊媒を通じて顕現されてきたものよりはるかに多くのものが、いまだに顕現されずに残されております。

 私が指摘しておきたいのは、多くの真面目で信心深い人々が神の力がバイブルに記録されている古い時代にその全てが顕現され尽くしたと思い込んでいるのは間違いだということです。

啓示もそれ以来ずっと進歩し続けております。現代の霊媒を通して顕現されている霊力の方が過去の時代のものに較べてはるかに偉大です。

 さてあなた(エドワーズ氏)は豊かな恩恵に浴しておられるお一人です。あなたのすぐ身の回りで働いている霊の姿をご覧になる視力があればよいのにと思われてなりません。

背後霊の存在に確信を抱き、あなたを導く霊力に不動の信頼を置いておられますが、その背後霊が誰でありどんな人物であるかをご覧になれたら、もっともっと自信を持たれることでしょう。

(エドワーズ氏の背後霊団の中心的指導霊は十九世紀の英国の外科医で消毒殺菌法の完成者J・リスターとフランスの化学者で狂犬病予防接種法の発見者L・パスツールであると言われる。なおエドワーズは一九七六年に他界している───訳者)

 私のような古い霊が確信をもって言えるのは、あなたの地上生活は今日の絶頂期を迎えるべく、ずっと導かれてきているということです。意図された通りのものを今まさに成就されつつあります。今まさにその目的に辿り着かれました。背後霊団があなたの協力を得て初めて成就できる仕事に携わっていることを喜ぶべきです。

 以上の私の話に納得がいかれましたか」

 「よくわかります。ただ、そうなると二つの疑問が生じます。一つは、背後霊団はもう少し私たち治療家を効果的に改良できないものかということです。例えば両足とも不自由な子供がいるとします。

一方の足は良くなったのに、もう一方の足は良くならないことがあります。どこに問題があるのでしょうか。私は治療家の側に問題があるに違いないと思うのです。なぜなら、一方の足が治せれば当然もう一方も治せなければならないからです」

 「治療家が望む通りの結果、あるいは治療霊団がその時に目標としたとおりの成果が得られるとは限りません。霊媒(治療家)を通して得られる限られた治療エネルギーでもって最大限の治療効果をあげなければなりません。一つの治療に全部のエネルギーを集中すれば一気に効果を上げられるかも知れません。が、次の治療のためのエネルギーを溜めるのに長い時間を要することになります。

 一つ一つが実験だと私は言っているのです。治療霊団も前もってこれはこうなるという保証はできません。効果が出ることはわかっても、どこまで治るかはわかりません。

前もって知ることのできない要素がいくつもあるからです。それは治療活動を制約することになるかも知れません。ですが、それまで少しも治らなかったものに治る兆しが見えるだけでも喜ぶべきことです。

 それは立派な貢献と言えます。それだけでもあなたは堂々と背後霊団に向かって〝さあ、この私を使って下さい。みなさんを信じています。あなた方の言う通りに致します〟と公言する資格があります。もちろんあなたのもとに連れて来られた患者が魔法のように即座に治ればこんなにうれしいことはありません。が、それは有り得ないことです。

 問題がいろいろとあるのです。この仕事も言わば開拓者的(パイオニア)な分野に属します。あなたに協力している霊団は一つ一つの症状の変化を知った上で、さらにテクニックを改良し効果を上げるために他の要素を導入しようと急がしく立ち働いております。治療に当たるたびに症状が改善されているのを観察されているはずです」

 「おっしゃる通りです」

 「協力関係が密接であるほど、多くの霊力が伝達されるのが道理なのですが、それを制約する要素としてもう一つの問題が絡んできます。

論議の多い問題に踏み込むことになるのは百も承知ですが、それが事実であるからには黙って見過ごすわけには行きませんので敢えて申し上げますが、どうしても避けられない要素の一つに患者のカルマ(宿業)の問題があります。当人の霊的成長の度合いによって決められる精神と身体の関係です。お分かりでしょうか」

 「どうぞその先をお話し下さい」

 「そうおっしゃると思っていました。これは実に重大な問題であり、あなたにとっても意外に思われることも含まれております。心霊治療の仕事の大切な要素は身体を治すことではなくて魂の琴線に触れさせることです。魂を目覚めさせ、身体への支配力を大きくさせ、生きる目的を自覚させ、霊的存在としての本来の自我を表現させることに成功すれば、これは治療家として最大の貢献をしたことになります。

 そのことの方が身体を治すことより大切です。それが治療家としてのあなたの努力として、永遠に残る要素です。人間は精神と肉体と魂とが一体となったものです。これに、その三者が互いに絡み合って生じる要素もあります。その影響を無視してはいけません。

 病気というのはその大半は主として精神と肉体と魂との間の連絡が正しく行われていないことに起因しています。正しく行われていれば、つまり完全な一体関係にあれば完全な健康と安定性と落ち着きと機敏性を具えています。もっとも、そういう人物は地上では滅多にお目にかかれません。

 さて、あなたのもとを訪れる患者はその人なりの霊的成長段階にあります。人生という梯子の一つの段の上に立っているわけです。それがどの段であるかが、その人に注がれる治癒力の分量を決します。それが私のいうカルマ的負債です。

 (その負債が余りに大きくて)あなたにも手の施しようのない人がいます。肉体を犠牲にする、つまり死ぬこと以外に返済の方法がない人もいます。もう一度チャンスが与えられる人もいます。そんな人があなたとの縁で完治するということになる場合もあります。精神的要素のために治らない人もいます。そんな場合は一時的に快方に向かっても、また別な症状となってぶり返すでしょう」

 「ということは、カルマ的負債の方がその人に注がれる治癒力より大きいのだと思います」

 「おっしゃる通りです。私はぜひその点を強調したいのです。それが当人に賦課された税金であり、自分で綴っている物語(ストーリー)であり、その筋書きは他の何ものによっても書き変えることはできないということです。初めに私は全ては法則のワクの中に存在すると申し上げました。

何ごともそれを前提として働きます。人間のいう奇跡は生じません。自然法則の停止も変更も廃止もありません。全てが原因と結果から成り立っております。そこに自由への制約があります。

もしも因果関係がキャンセルできるとしたら、神の公正が崩れます。治療家にできることは魂を解放し、精神に自由を与えてあげることです。その結果が自然に身体に現われます」
                   
 「それがカルマ的負債を返済する手助けをしてあげることになるのでしょうか」

 「そのとおりです。私が心霊治療家はその患者の魂の琴線に触れ、自我に目覚めさせ、生きる目的を自覚させることが一ばん重要な役目であると申し上げる理由はそこにあります」

 「私たち治療家が例外なく体験することですが、心の奥底からのよろこび、高揚、崇高な情感、崇高な理念が湧き出るのを感じることがあります。あなたがおっしゃるのはその時のことだと思います」

 「天と地とが融合した極限の瞬間───あっという間の一瞬でありながら全ての障壁が取り除かれたとき、人間は自分本来の霊性を自覚します。全ての束縛を押し破り、霊の本来の感覚であるところの法悦(エクスタシー)の状態に達するのです」


 ここでエドワーズ氏が再びカルマ的負債の問題を持ち出すと、シルバーバーチはスピリチュアリズムの本来の大きな使命にまで敷衍してこう述べた。

 「あなたも私も、そしてこれに携わる人のすべてがそれぞれに役割分担を担っているスピリチュアリズムの全目的は、人類の魂を呼び醒まして一人でも多くの人間に本当の自分に気づかせること、自分とは一体なにか、誰なのかを知ることによって、ふだんの日常生活の中において霊の本性と属性を発揮することができるように導いてあげることです。

 それによって地上生活のすべてが姿を一変し、利己主義という名の雑草の生い繁る荒野から理想の花咲くパラダイスへと変わることでしょう。

われわれは今それを目標として努力しているのであり、まずまずの成功を収めつつあります。光明を見出す人、真の自我に目覚める人、物的な居眠りの生活から目覚める人───こうした人は人間本来の道を見出し、確信と知識とを携えて巡礼の旅に出る魂であると言えましょう」

 この言葉に感動したエドワーズ氏が「これだけお教えいただけば十分です。治るということ自体は重要ではないということですね」と述べると、

 「私たちスピリットが人間の苦しみに無関心であるという意味ではありません。病を抱えた人々の悲劇や苦痛や侘しさに無頓着でいるわけではありません。が、そうした問題の究極の原因に手をつければ、精神と身体と霊との間の不調和に終止符を打つことができ、そうなれば地上生活が必要としている光輝がふんだんに注がれるのです。

神の子が享受すべく意図されている本来のもの───気高かさ、崇高さ、威厳、豊かさ、光輝、美しさを見出すことでしょう。

 こうした生活の末に死を迎えれば、来世に備えるための地上生活の大役を果たした肉体を何の苦痛もなく脱ぎ捨てて、らくに霊界への門を潜り抜けることができます」


 このあとエドワーズ氏の奥さんの方を向いてこう述べた。

 「これまでに成就されたことを奥さんも大いによろこんでください。今この場に集まっている霊界の(エドワーズ氏の)治療霊団の方が、奥さんの果たされた犠牲的な役割に対して抱いている感謝の気持ちをぜひ私の口から伝えて欲しいと頼んでおられますよ」

 これを聞いて奥さんが「自分はこんなことでよいのだろうかと時に迷ったこともありました」と述べると、シルバーバーチはさらにこう述べた。

 「私は、私よりはるかに奥さんを知り尽くしているスピリットから頼まれて申し上げているだけです。霊団の人たちはあなたの心、あなたの精神、あなたの魂を知りつくし、さらにあなたが捧げられた忠誠心と愛の強さもよく知っております。

 その人たちが言っているのです───ご主人の使命達成を可能にした蔭からのあなたの助力に対する感謝の気持ちをぜひ伝えてほしいと。一方が脚光を浴びる立場にあれば他方はその蔭にいなければなりません。蔭の存在なくしては脚光を浴びる人もいないでしょう。

 私たちの目から見れば、人のために為された貢献は、黙って人知れず為されたものであろうと大勢の観衆を前にして華々しく為されたものであろうと、その評価にはいささかの違いもありません」



 
  十三章 質問に答える

─── 生前スピリチュアリズムを否定し、生涯を合理主義者で通したH・G・ウェルズ(※)のような人はそちらでどんな気持ちを抱いたのでしょうか。
(※世界的に知られた英国の文明評論家で、主著に「世界文化史体系」「生命の科学」等がある。 一八六六年~一九四六年───訳者)

 「ウェルズは不幸にして強烈な知性がかえって禍した偉大な魂です。もしこうした偉大な知性が童子のような無邪気さと一体となれば大変な人種が地上に誕生するのですが・・・

 こうした人は生涯かけて築いてきた人生哲学をそっくり捨て去らないといけないのですが、それが彼らにはどうしても得心がいかないのです。彼らにしてみれば、あれだけ論理的に且つ科学的に論証したのだから、その思想と合致しない宇宙の方がどうかしているに相違ないとまで考えるのです。そんな次第ですから、色々と修正していかねばならないことがあり、長い長い議論が続きます」

 その議論の相手となって説得に当たったのがチャールズ・ブラッドローとトーマス・ペインだったという。(二人とも地上時代は自由思想家として人権擁護の為に貢献した人物である―訳者)

 それを聞いてスワッハーが「ペインは偉大な人物でした」と言うと、すかさずシルバーバーチが「でした、ではありません。今でも偉大な人物です」と訂正してこう述べた。

 「彼は地上での評価よりはるかに偉大な人物です。時代を抜きんでた巨人です。霊的な巨人です。先見の明によって次々と問題を解決していった生まれながらの霊格者でした。人類は本来自由であるべきで、決して束縛されてはならないとの認識をもった偉大な宗教的人物でした。真の意味で〝宗教的〟な人物でした」

 「ルーズベルト(米大統領)はペインのことを〝卑劣な不信心者〟とけなしていますが・・・」
(ペインは米国の独立直前には米国へ移住し、フランス革命の最中にはフランスに移住しているので、そのことに言及しているものと推察される───訳者)

 「そのことなら私も知っております。が、ルーズベルトがどれほどペインの努力の恩恵を受けていたか、それが私と同じ程度に理解できれば、ペインの偉大さが分かることでしょう。事実を目の前にすると地上の評価などいっぺんに変わってしまいます」

 そう述べてからウェルズも今では地上でスピリチュアリズムに耳を貸さずに偏見を抱いていたことを後悔していますとシルバーバーチが述べると、スワッハーが、

 「でも、それでもなおずっと自分の思う道を突き進んだのでしょう」と言った。すると

 「おっしゃる通りですが、死というものが大きな覚醒の端緒となっていることを知らなくてはいけません。霊的な大変動を体験すると、それまで疎かにされてきた面が強調されて、成就した立派な面を見過ごしがちなものです」

 「人間は立派になればなるほど自分をつまらない存在のように思いがちになるところに問題があるようですね」

 「霊界での生活が始まった当初はどうしてもそうなります。それがバランスの回復と修正の過程なのです。時が経てば次第に本来の平衝を取り戻して、地上生活の価値を論理的にそして正確に認識するようになります。こちらへ来ると、あらゆる見せかけが剥げ落ちて、意識的生活では多分初めて自我が素っ裸にされた生活を体験します。

これは大変なショックです。そして徐(おもむろ)にこう考え始めます───一体自分のやってきたことのどこが間違っていたのだろう。何が疎かにされてきたのだろうか、と。

 そうした反省の中ではとかく自分の良い面、功績、価値を忘れて欠点ばかりが意識されます。その段階 ─── これは霊界の磁気作用に反応し始めた時に生ずるものですが(※)─── いったんその段階を過ぎると、自分本来の姿が見え始めます。

それが人によっては屈辱的なショックであったり、うれしい驚きであったりします。人知れず地道に、その人なりのささやかな形で善行に励んできた人が、霊界では、地上で自分が尊敬していた有名人よりもはるかに高い評価を受けていたというケースはたくさんあります。有名にも二通りあります」

(※地上的波長の磁気作用から脱することで、言いかえれば地縛霊的状態を脱すること。俗に〝成仏する〟というのはその程度のことで、そこから真の霊界生活が始まる───訳者)
 
 「ウェルズも他界した時は大歓迎を受けたことでしょう」

 「受けました。それだけのことはしていましたから、彼は知識によって世の人を啓発しました。多くの人に真実を教え、無知の中で暮らしていた数知れぬ人々の目を開かせました」

 次は十五年間もさる有名な政治家から自動書記通信を受け続けているという人の質問である。その通信霊が今なお生前の氏名を明かさないことについてこう意見を述べた。


─── 身元を明かさないということは読者を遠ざける要因になると思うのですが・・・・

 「さあ、それはどうでしょうか。これは霊界通信において長いこと問題にされていることですが、私たちの世界の誰かが自分が身につけた知識を伝えてあなた方の世界を少しでも明るくしようと一念発起したとします。その際その霊が地上で有名だった人だと、身元を明かすことを躊躇するものです。

少なくとも当分の間は明したがりません。それはその人が通信を送ろうとするそもそもの目的とは関係ないことであって、そんなことで混乱を生じさせたくないからです。

 私が聞いているところでは、その著述の目的は一連の証拠性のある通信─── 地上時代の身元を証すという意味での証拠ですが───を提供することではなく、自動書記という、普通の地上の書き方とは全く違う形でインスピレーションの本質、その極致、その深奥を伝えることにあるとのことです。

もしも初期の段階で証拠に次ぐ証拠の提供に手間取っていたら、恐らく、いや間違いなく、肝心の通信の伝達に支障を来していたことでしょう。あなたご自身もそれが本当に名のっている通りの人物だろうかと疑っていたかもしれません。」

 そういう事態にならずに通信の内容に集中できたのは、大切なのは内容であって通信者ではないとの信念があったからです。

霊界通信はその内容によって価値が決まります。身元の証拠を提供するということと、霊的知識を提供することとはまったく別の範疇に属することであることを忘れてはなりません。前者は疑り深い人間を得心させる必要からすることであり、後者は魂に受け入れる用意の出来た人に訴えるのが目的です。

 霊的真理というものは、それを受け入れる用意のある人にしか理解されないことを銘記しなければなりません。叡知は魂がそれを理解できる段階に到達するまでは受け入れられません。

霊界からの働き掛けには二つの目的があります。一つは五感が得心する形で霊的実在を確信させること。もう一つは、これも同じく重要なことですが、その霊的知識の意義を日常生活に反映させていくこと、つまり人間が霊的遺産と霊的宿命とをもった霊的実在であり、神に似せて創造されているからにはその霊も精神と身体の成長に必要なものを要求する権利、絶対に奪うべからざる権利があることを理解させることです。

 あらゆる不正、あらゆる不公平、あらゆる悪弊と利己主義、暗闇を助長し光明を妨げるもの全て、無知に安住し新しい知識を忌避することによって既得権を保持せんとする者のすべてに対して、敢然(かんぜん)と立ち向かわなくてはなりません。なぜなら人間は自由の中に生きるべきだからです。霊と精神と身体が自由でなければならないからです」


─── 特別の証拠を提供してくれるのは他界したばかりの霊が多いようです。大体において古い霊よりもその点では熱心です。

 「そうです。とくに戦死した元気な若者にそういう傾向があります。そうさせるのはもちろん地上からの愛念です。それを何よりも強く感じるのです。それが彼らを地上へ引きつけ、彼らの方にも引き付けられたい気持ちがあります。つまり愛のあるところに彼らがいるのです。

その愛の強さが、遠い昔に他界してすでに地上の出来ごとへの関心が薄れ地上と結びつける絆のいくつかを失ってしまった古い霊よりも、彼らに地上との接触を可能にするのです」

─── 私たちは睡眠中に幽界を訪れるそうですが、その間すでに他界した縁故者や知人はそのことを知っているのでしょうか。

 「もちろん知っております。同じ意識のレベルでお会いになっておられます」


─── スピリチュアリズムの普及のために活躍しておられる人がとかく物的生活面で苦労が多いのはなぜでしょうか。

 「真理のために身を捧げる者は徹底的に試練を味わう必要があるからです。霊の大軍に所属する者はいかなる困難にも耐え、いかなる障害にも対処し、あらゆる問題を征服するだけの強さを身につけなければなりません。

 はじめて遭遇した困難であっさりと参ってしまうような人間が霊の道具として役に立つでしょうか。最大の貢献をする道具は浄化の炎で鍛えあげなければなりません。それによって鋼鉄(はがね)の強さが身につきます。一見ただの挫折のように思えても、実際はみな計画された試練なのです。

人を導こうとする者が安逸の生活をむさぼり、試練もなくストレスもなく嵐も困難も体験しないでいては、その後に待ち受ける大事業に耐えうる性格も霊力も身につかないでしょう」

─── 偶発事故で死ぬことは絶対にないとする説を認め(ここでシルバーバーチが遮って〝いえ、私はそんな説を認めませんよ〟と言う)みんな法則によって死んで行くのであれば、死刑の執行人もその法則の実行者にすぎないことになり、死刑制度への反対も意味がないことにならないでしょうか。

 「実は死ぬべき時機が熟さないうちに他界する人が多すぎるところに不幸があるのです。他界する人間がみな十分な準備を整えて来てくれれば、私たちがこうして地上まで戻ってきて苦労することはないのです。誰もが知っておくべき基本的な霊的真理をこうして説かねばならないのは、

魂が地上で為すべき準備が充分に整わないうちに送られてくる人間が余りに多すぎるからです。今おっしゃった説は間違っております。死ぬべき時機が来ないうちに死ぬ人が多すぎるのです。確かに法則はあります。全てが法則の枠の中で行われていることは確かです。しかしそれは事故が起きる日時まで前もって定められているという意味ではありません」


─── 戦争犯罪人はそちらへ行ってからどのような扱いを受けるのでしょうか。

 「誰であろうと、それぞれの事情に応じて自然法則が働きます。法則の働きは完璧です。原因に対して数学的正確さをもって結果が生じます。その因果関係を髪の毛一本ほども変えることはできません。刈り取らされるものは自分がタネを蒔いたものばかりです。

その魂には地上生活の結果が消そうにも消せないほど深く刻み込まれております。摂理に反したことをした者はそれ相当の結果が魂に刻まれます。その一つ一つについて然るべき償いを終えるまでは向上は許されません」


─── ハルマゲドン(※)が急速に近づきつつあるという予言は本当でしょうか。(※もとは聖書に善と悪との最後の大決戦場として出ているだけであるが、それが予言では地球の壊滅的な動乱に発展している──訳者)

 「いいえ、そういう考えは真実ではありません。注意していただきたいのは、聖書の編纂に当たった人たちは大なり小なり心霊能力をもっていて、そのインスピレーションを象徴(シンボル)の形で受け取っていたということです。

 そもそも霊的なものは霊的に理解するのが鉄則です。象徴的に述べられているものをそのまま真実として読み取ってはいけません。霊界から地上への印象づけは絵画的な翻案によって行います。それをどう解釈するかは人間側の問題です。

いわゆるハルマゲドン───地球全土が破壊され、そこへイエスが生身をもって出現して地上の王となるというのは真実ではありません。全ての生命は進化の途上にあります。物質界に終末はありません。これ以後もずっと改善と成長と進化を続けます。それとともに人類も改善され成長し進化していきます。生命の世界に始まりも終りもありません」


─── 各自に守護霊がついているということですが、もしそうならば戦争のさなかにおいて守られる人と守られない人とがいるのはなぜでしょうか。

 「その時点でのもろもろの事情によって支配されているからです。各自に守護霊がいることは事実ですが、ではその事実を本当に自覚している人が何人いるでしょうか。自覚がなければ、無意識の心霊能力を持ち合わせていない限り守護霊は働きかけることはできません。

霊の地上への働きかけはそれに必要な条件を人間の方が用意するかしないかに掛かっています。

霊の世界と連絡の取れる条件を用意してくれれば、身近な関係にある霊が働きかけることができます。よく聞かされる不思議な体験、奇跡的救出の話はみなそれなりの条件が整った時のことです。条件を提供するのは人間の方です。人間の方から手を差しのべてくれなければ、私たちは人間界に働きかけることができないのです」





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