Wednesday, May 31, 2023

シアトルの春  人類全体のための予定表というものがあります。

 There is a timetable for all of humanity.

夏の白樺林のベクトル図 - イラストレーションのベクターアート素材や画像を多数ご用意 - イラストレーション, カバノキ, スケッチ - iStock

 ──本日はお招きいただいて大へん光栄に存じております。私はあなたの霊訓を二十年間も愛読いたしております。本日こうして出席できるのも、あなたの霊的知識のお陰です。苦しい時はいつも霊言集を開いております。

 そこで私は今その霊的知識を集大成したいと考えております。テープも書物もかなりの数になりました。それを若い世代のために人生の指針として教えていくためのグループを組織したいと考えているのですが・・・・・・


 人類全体のための予定表というものがあります。私の世界の高級な神霊によって考え出されたものです。その目的は、受け入れる用意の出来た地上の人間を霊的に、精神的に、そして身体的に真に自由にしてあげることです。国家単位の計画があり、個人単位の計画があります。少しずつ着実に運ばれており、決して先を急ぎません。

 われわれ全部を包み込んだその崇高な計画に参加しておられる以上、あなたもせっかちな行動は許されません。関わっている問題があまりに多くて、先走りするわけにはいかないのです。私たちが提供するのは、まず証拠です。それから各自が自らの霊的新生を成就するための知識です。

私たちがあなたに代わって救ってあげるわけにはまいりません。自分で自分を救うのです。その手段をどう活用するかは、その人の自由に任されております。

 あなたが霊的存在であるということは、あなたも内部に無限なる宇宙の大霊すなわち神の一部を宿しているということであり、同時に、霊的武器(能力)と霊力を宿しているということです。

それを進化しながら発揮していくことができるのです。私たちの仕事はこうした霊的真理を一度に一つずつ、受け入れる準備の整った魂に教えていくことです。この点を特に強調しておきます。それが偽らざる事実だからです。

 諺にも〝馬を水辺まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない〟というのがあります。イエスはこれを豚と真珠という、きつい譬えで表現しました。(豚に真珠を投げ与える勿れーマタイ)。

 受け入れるにはその準備が出来ていなければならないということです。あなたも暗い影の谷間を通り抜けるまでは、真理を受け入れる用意は出来ておりませんでした。その間の体験が、こうした基本的な永遠の霊的真理を理解しはじめる端緒となる決定的な手段ないし触媒となったのです。
 
 今ではあなたが他の人々を救ってあげる立場になられましたが、あなたの厚意が受け入れられなくても落胆してはいけません。その人はまだそれを受け入れる用意が出来ていなかったということです。そういう時は、私がいつも申し上げているように、掛けがいのないチャンスを失った人として、密かに涙を流しておあげなさい。

 あなたにとってここぞという時に素晴らしい道が示されたように、これからも大切な時には必ず指示がいただけます。人生の視野の基盤を提供してくれる霊的知識を土台として信念を持つと同時に、あなたの背後には、真理普及のためのチャンスさえ提供してくれればいつでも援助に駆けつけてくれる高級霊の大軍が控えているという事実を忘れてはなりません。

 恐れるものは何一つありません。あなたには人のために自分を役立てることができるという喜びがあります。それが何より大切です。その機会を与えられることに感謝しなくてはいけません。

明日のことを案じてはいけません。困難には遭遇することでしょう。が、それは太陽を一時的にさえぎる雲のようなものです。太陽は少しのあいだ見えなくなりますが、常に存在しているのです。その太陽がもたらしてくれる力と光の存在を片時も忘れてはなりません。

シルバーバーチ

Tuesday, May 30, 2023

シアトルの春 Benediction あなたの子等が自分自身の中にあなたを見出し、

your children see you in themselves,

◇白樺の向こう(イメージ)◇ - ≪おさんぽスケッチ≫にじいろアトリエ.水彩&色鉛筆イラスト スケッチ


  いつもながら私は、ささやかなる勤めを可能ならしめる温かき愛を得て、宇宙の大霊に深い感謝の念を覚えつつ、この場を後にいたします。

この仕事を開始した当初、私どもは多難な条件のもとでなんとか推進するために強烈なる祈念と真剣なる誓願をもって臨みました。

今その努力が実りつつあることを私どもはこの上なくうれしく思います。

私たちすべての者に存在をお与えくださり、神性とその属性のすべてを宿らせ給いし神よ、どうかこののちも、私どものためにでなく真理のために、そしてその真理をぜひとも必要としている人々のために、より一層の成功を得させ給わんことを。

世界各地で行われておりますこの会と同じ交霊会において、そこがあなたの愛を知る機縁(よすが)となるべく、どうかあなたの霊の御力をこの幾層倍にも顕現なされたく、お祈り申し上げます。

あなたの子等が自分自身の中にあなたを見出し、それを生活の中にて発現せんと決意に燃え、怖れも悲劇も争いもなく、あなたの豊かな恵みを享受できる世の中において、お互いがお互いのために努力し助け合い平和と調和と一致協力のもとに生きつつ、あなたの御心を体現していくことになるよう、切にお祈り申し上げます。

シルバーバーチ


シアトルの春 皆さんも無限の可能性を秘めていらっしゃるのです。が、

You too have limitless potential. but,

オレンジのユリと白樺の丘のイラスト [194103513] - イメージマート

 

 あなたには果たしきれないほど沢山の仕事が用意されております。ただ、前にも一度申し上げたことで、改めてここで繰り返させていただきたいことがあります。皆さん方のように霊的知識を手にした方でもうっかりすると忘れがちなことですが、私たち霊界の者はあくまでも私たちにとって都合のよいタイミングで私たちの方法でしか仕事ができないということです。

 言いかえれば、あなた方の都合に合わせてあなた方の方法でするわけにはいかないということです。地上へ働きかけるには、極めて微妙で繊細な影響力、この上なく複雑な取り扱いを必要とするバイブレーションを行使しなくてはならないからです。

 ところが人間は何かとせっかちであるために、往々にしてその性急さが、本来ならもっと楽に叶えられるはずの条件を阻害して、結局は実現を遅らせることになります。

私たちから要請したいのは受容性に富み、確信に満ち、冷静でのどかな精神、それに、とにかく自分にとって一番良いものがもたらされるのだ──ただしその機が熟した時に、ということを一点の疑念もなく洞察できる能力です。

 それにしがみつくのです。あせってはなりません。地上世界の一ばん困った点は、何かにつけてせっかちであることです。

 私たちが皆さんを目覚めさせるまでにどれだけの時を費やしたかご存じでしょうか。霊に関わることは〝早く片付ける〟ということが不可能なのです。無限なる叡智が案出した摂理に従わねばならないのです。

 もう一度繰り返します。真理は何度繰り返し述べてもよいでしょう。私たちは私たちのやり方で私たちのタイミングで事を運びます。あなた方の都合に合わせて行うわけにはいかないのです。

 霊的にみてどうなることが自分にとって一ばん良いかは、人間自身には正しく判断できません。人間の祈りを聞いておりますと、その願いどおりにしてあげたら霊的にはとんでもないことになると思われるものがよく見られます。

そこで私たちの判断に基づいて皆さんにとって一ばん良い形で援助します。指導してあげます。けっして裏切りません。見放しません。見捨てるようなことはいたしません。

 霊の威力についてはこれまで数々の証拠をお見せしてきました。私たちと歩みを共にしてこられた方には、霊力がどれだけのことを為しうるかをよくご存じのはずです。

(訳者注──『霊訓』 のインペレーター霊団と同じように、シルバーバーチ霊団も高等な思想を説く前に霊の威力を見せつけるための手段として、物理的心霊現象を演出して見せている。これはスピリチュアリズム思想の歴史的な発展全体についても言えることで、最初は目に見える現象的なものが盛んに行われ、それが次第に精神的なものへ移行し、そして現在では思想的教訓が主流となっている)
 
 私たちは地上世界のための仕事を請け負っております。数からすれば決して多いとは言えませんが、この仕事のために私たちを派遣したのは上層界の霊団なのです。その高級神霊は幾億と知れぬ人間に慈愛に満ちた影響力を行き亘らせるために、私たちを通じて霊力を行使し続ける任に当たっております。

 地上には暗黒と疑念と当惑と絶望の中で生きている魂が多すぎます。私たちはそういう人たちに手を差し伸べねばならないのです。神の愛の存在を教えてあげなければならないのです。精神的に生まれ変わって豊かな生きがいある人生を送る、その原動力となる霊力の存在を知らしめなくてはならないのです。
 しかし私たちは着実に困難を突破し、新たな地点に橋頭保を築きつつあります。これ迄に成就し得た成果をよろこび、皆さんの援助があればこれからもそれ以上のことが為し得ることを知ってください。

 霊的知識をたずさえた者に楽な仕事はありません。知識が増えれば増えるほど、ますます困難に遭遇するものと覚悟してください。こんなことを言うから私は人気が出ないのでしょうね。

 しかし、内在する霊的資質を顕現せしめるためには、幾つかの困難を覚悟し、それを挑戦目標として歓迎し克服して行かねばならないのです。もしも霊的知識を授かった者が安易な仕事しか授からないとしたら、それは神の公正を愚弄することになります。

ですから、いかなる困難に出会っても絶望してはなりません。自分の内部にも背後にも、それを克服するだけの力が存在することを確信して、それを一つの挑戦として迎え撃つのです。

 われわれが従事している仕事は実に重大な意義があります。数こそ少数派ですが、背後に控える力は絶大です。それが地上へ顕現するにつれて神の計画に組み込まれた役割を果たしてまいります。現時点でそれがどれほどの成果を上げているかは、皆さんにはお分かりになれません。

地上にはそれを計量する道具がないのです。しかし、魂が感動を覚え、精神が開かれていく人が着実に増えつつあります。

 地上の先輩の一人が〝子供は無限の可能性の宝庫である〟と述べています。皆さんも無限の可能性を秘めていらっしゃるのです。が、地上では普通そのほんの一かけらしか発揮させていません。

もしも高級界との波長が合い、霊力をふんだんに受けることができれば、思いも寄らなかったことが成就されるのですが・・・・・・

 私は霊的知識に照らして楽観的な福音を説いております。霊的な知識を携えた者には悲観的になる根拠はどこにも見当たりません。人生の出来事には一つ一つ目的があります。幸運、偶然、奇跡といったもので動いているのではありません。改正も廃止もない永遠不変の摂理によって動いているのです。

 神は完全です。その神の無限の叡智と愛を超えるものは、この宇宙には存在しません。その叡智と愛をあなたも頂けるのです。すべてではありません。受け入れ能力が増すにつれて、それだけ多くの叡智と愛を頂くことができ、それだけ生活が豊かで、雄大で、高潔なものとなってまいります。

 私がお届けするのは永遠の実在を基本とした崇高な真理です。神は決して裏切りません。大自然の摂理はこれからも作用を止めることはありません。いかなる危機が迫りつつあっても、いかなる問題に遭遇しても、あなたの内部にそれを克服する力が秘められていることを忘れてはなりません。

同時に、それ以上の強力な力が背後に控えているのです。それを呼び寄せることもできるのです。

 困難に悩まされた時は───それは人間としては避けがたい宿命です───地上の喧騒から身を引いて瞑想の世界へ入ることです。そこで霊的意識を広げ、あたりに漂う光輝を存分に吸い込むのです。

 私は何一つ新しいことは申し上げておりません。真理には真新しいものはないのです。その表現の仕方がいろいろあるだけです。


──決断に迷った時は導きを求めるべきでしょうか。それともあくまで自分の意志で判断すべきでしょうか。私たちは時として大きな決断を迫られることがあります。そんな時に思い切って突進すべきか、自然に道が開けるのを待つべきかで迷うのです。とても難しいことがあります。

 閉め切られたドアを忙しく叩いてはいけません。自然に開くのを待つのです。宇宙全体だけでなく一人一人の人間にも、きちんとした計画(プラン)があります。そのプランが実行に移されて行くのです。

 ここにおいでの皆さんには何度も申し上げていることですが、私達はそのプランのもとに、私たちのやり方で私たちのタイミングで事を運ぶしかないのです。人間側の都合に合わせるわけにはいかないのです。

 その理由の一つは、人間には自分にとってどうなるのが一ばん良いかが判断できないからです。物質的に、精神的に、そして霊的にあなたに何が一番望ましいかを判断するには、私たちの方が有利な立場にあります。

 待つのです。きっとドアは開かれます。これまでも幾度となく開かれてきております。

シルバーバーチ

Monday, May 29, 2023

シアトルの春 霊力というのは必要な条件さえ整えば地上に奇跡と思えるようなことを起こしてみせるものです。

Spiritual power is something that can cause miracles on earth if the necessary conditions are met.

白樺の木の背景 の写真素材・画像素材. Image 59586860.

 

 「私は、こうした形で私にできる仕事の限界をもとより承知しておりますが、同時に自分の力強さと豊富さに自信をもっております。自分が偉いと思っているというのではありません。私自身はいつも謙虚な気持ちです。

本当の意味で謙虚なのです。というのは、私自身はただの道具に過ぎない───私をこの地上に派遣した神界のスピリット、すべてのエネルギーとインスピレーションを授けてくれる高級霊の道具にすぎないからです。が、私はその援助のすべてを得て思う存分に仕事をさせてもらえる。その意味で私は自信に満ちているのと言っているのです。

 私一人ではまったく取るに足らぬ存在です。が、そのつまらぬ存在もこうして霊団をバックにすると自信をもって語ることができます。霊団が指図することを安心して語っていればよいのです。

威力と威厳にあふれたスピリットの集団なのです。進化の道程をはるかに高く昇った光り輝く存在です。人間全体の進化の指導に当たっている、真の意味での霊格の高いスピリットなのです。

 私自身はまだまだ未熟で、けっして地上の平凡人からも遠くかけ離れた存在ではありません。私にはあなた方の悩みがよく分ります。私はこの仕事を通じて地上生活を永いあいだ味わってまいりました。

あなた方 (レギラーメンバー)お一人お一人と深くつながった生活を送り、抱えておられる悩みや苦しみに深く関わってきました。が、振り返ってみれば、何一つ克服できなかったものがないことも分かります。

 霊力というのは必要な条件さえ整えば地上に奇跡と思えるようなことを起こしてみせるものです。私たちは地上の存在ではありません。霊の世界の住民です。地上の仕事をするにはあなた方にその手段を提供していただかねばなりません。

あなた方は私たちの手であり、私たちのからだです。あなた方が道具を提供する───そして私たちが仕事をする、ということです。

 私には出しゃばったことは許されません。ここまではしゃべってよいが、そこから先はしゃべってはいけないといったことや、それは今は言ってはいけないとか、今こそ語れといった指示を受けます。私たちの仕事にはきちんとしたパターンがあり、そのパターンを崩してはいけないことになっているのです。

いけないという意味は、そのパターンで行こうという約束ができているということです。私より勝れた叡智を具えたスピリットによって定められた一定のワクがあり、それを勝手に越えてはならないのです。

 そのスピリットたちが地上経綸の全責任をあずかっているのです。そのスピリットの集団をあなた方がどう呼ぼうとかまいません。とにかく地上経綸の仕事において最終的な責任を負っている神庁の存在です。私は時おり開かれる会議でその神庁の方々とお会いできることを無上の光栄に思っております。

その会議で私がこれまでの成果を報告します。するとその方たちから、ここまではうまく行っているが、この点がいけない。だから次はこうしなさい、といった指図を受けるのです。

 実はその神庁の上には別の神庁が存在し、さらにその上にも別の神庁が存在し、それらが連綿として無限の奥までつながっているのです。神界というのはあなた方人間が想像するよりはるかに広く深く組織された世界です。が、地上の仕事を実行するとなると、われわれのようなこうした小さな組織が必要となるのです。

 私たちはひたすら人類の向上の手助けをしてあげたいと願っております。私たちも含めて、これまでの人類が犯してきた過ちを二度と繰り返さないために、正しい霊的真理をお教えする目的でやってまいりました。

そこから正しい叡智を学び取り、内部に秘めた神性を開発するための一助としてほしい。そうすれば地上生活がより自由でより豊かになり、同時に私たちの世界も地上から送られてくる無知で何の備えもできていない、厄介な未熟霊に悩まされることもなくなる───そう思って努力してまいりました。

 私はいつも言うのです。私たちの仕事に協力してくれる人は理性と判断力と自由意志とを放棄しないでいただきたいと。私たちの仕事は協調を主眼としているのです。決して独裁者的な態度は取りたくありません。人間をロボットのようには扱いたくないのです。

死の淵を隔てていても友愛の精神で結ばれたいのです。その友愛精神のもとに霊的知識の普及に協力し合い、何も知らずに迷い続ける人々の心とからだと魂に自由をもたらしてあげたいと願っているのです。

 語りかける霊がいかなる高級霊であっても、いかに偉大な霊であっても、その語る内容に反撥を感じ理性が納得しない時は、かまわず拒絶なさるがよろしい。人間には自由意志が与えられており、自分の責任において自由な選択が許されています。

私たちがあなた方に代わって生きてあげるわけにはまいりません。援助はいたしましょう。指導もいたしましょう。心の支えにもなってあげましょう。が、あなた方が為すべきことまで私たちが肩がわりしてあげるわけには行かないのです。

 スピリットの中にはみずからの意志で地上救済の仕事を買って出る者がいます。またそうした仕事に携われる段階まで霊格が発達した者が神庁から申しつけられることもあります。私がその一人でした。私はみずから買って出た口ではないのです。しかし、依頼された時は快く引き受けました。

 引き受けた当初、地上の状態はまさにお先真っ暗という感じでした。困難が山積しておりました。が、それも今では大部分が取り除かれました。まだまだ困難は残っておりますが、取り除かれたものに較べれば物の数ではありません。

 私たちの願いは、あなた方に生き甲斐ある人生を送ってもらいたい。持てる知能と技能と才能とを存分に発揮させてあげたい。そうすることが地上に生をうけた真の目的を成就することにつながり、死とともに始まる次の段階の生活に備えることにもなる───そう願っているのです。

 私は理性を物事の判断基準として最優先させています。私を永いあいだご存知の方なら、私が常に理性を最高の権威ある裁定者としてきていると申し上げても、これまでの私の言説と少しも矛盾しないことを認めてくださると信じます。

 こちらでは霊性がすべてを決します。霊的自我こそすべてを律する実在なのです。そこでは仮面(マスク)も見せかけも逃げ口上もごまかしも利きません。すべてが知れてしまうのです。

  私に対する感謝は無用です。感謝は神に捧げるべきものです。私どもはその神の僕(しもべ)にすぎません。神の仕事を推進しているだけです。喜びと楽しみをもってこの仕事に携わってまいりました。もしも私の語ったことがあなた方の何かの力となったとすれば、それは私が神の摂理を語っているからにほかなりません。

 あなた方は、ついぞ、私の姿をご覧になりませんでした。この霊媒の口を使って語る声でしか私をご存知ないわけです。が、信じてください。私も物事を感じ、知り、そして愛することのできる能力を具えた、実在の人間です。

こちらの世界こそ実在の世界であり、地上は実在の世界ではないのです。そのことは地上という惑星を離れるまでは理解できないことかも知れません。

 では最後に皆さんと共に、こうして死の淵を隔てた二つの世界の者が幾多の障害を乗り越えて、霊と霊、心と心で一体に結ばれる機会を得たことに対し、神に感謝の祈りを捧げましょう。


 神よ、かたじけなくもあなたは私たちに御力の証を授け給い、私たちが睦み合い求め合って魂に宿れる御力を発揮することを得さしめ給いました。あなたを求めて数知れぬ御子らが無数の曲りくねった道をさ迷っております。

幸いにも御心を知り得た私どもは、切望する御子らにそれを知らしめんと努力いたしております。願わくはその志を良しとされ、限りなき御手の存在を知らしめ給い、温かき御胸こそ魂の憩の場なることを知らしめ給わんことを。

 では、神の御恵みの多からんことを」

シルバーバーチ

               
   
 

Saturday, May 27, 2023

シアトルの春 インピレーターの霊訓


インペレーターの霊訓―続『霊訓』 | W.S. モーゼス, 千雄, 近藤 |本 | 通販 | AmazonAmazon | Spirit Teachings | Moses, William Stainton | Literary


 訳者まえがき

 本書は英米をはじめとする西洋各国で〝スピリチュアリズムのバイブル〟と呼ばれて百年以上もロングセラーを続けている『霊訓』の続篇である。
 正篇は昭和十二年に浅野和三郎の抄訳によって本邦に紹介され、このたび(六十年)潮文社からその復刻版が発行されている。それとほぼ時を同じくして私による完訳版が国書刊行会から出ている。

 『霊訓』の第一の特徴はキリスト教の牧師だったステイントン・モーゼスと、紀元前に地上生活を体験したという身元不明の霊との熾烈な論争という形で霊的真理が説かれていることである。主としてキリスト教の教義がその論争のテーマとなっているために、読者の側にキリスト教に関する基礎的知識が要求される点が、本書を西洋人にくらべて東洋人にどこか取っつきにくくしている事実は否めない。しかし、キリスト教を熱烈に信仰し、自らもそれを説き聞かせる職にあるモーゼス(のちに辞職して教師となる)の手がひとりでに動いて綴った文章(自動書記通信)が自分の信仰と真っ向から対立する内容であり、そのことに悩み、苦しみ、それに反論し、かくして〝目に見えざる存在〟との論争をえんえん十年間も続けながらまったく正常な人格者であり続けたという事実が、この五感の世界以外に知的で理性的で愛を知る存在が実在していることを何よりも雄弁に物語っているといえよう。

 その熾烈な論争──一時は霊側の総引き上げという形での決裂寸前にまで至ったほどの遠慮容赦のない激論を闘わせながら、モーゼスの側はあくまでも真摯な真理探究心を、霊側は真実の光明へ導かんとする温かい愛を最後まで失っていないところが、本書が稀有の価値を与えていると私は考えている。

 私はこれを一日数時間、ほぼ三百日をかけて完訳したのであるが、その間、訳者としての立場を忘れて思わず情的にその内容に巻き込まれ、感涙の流れるに任せざるを得なかったことが何度あったか知れない。今でも心が落ち着きを失いかけた時は必ず繙(ひもと)くことにしているが、その度に勇気百倍、生きる意欲を鼓舞される『シルバーバーチの霊訓』『ベールの彼方の生活』と並んでこれを私が〝英国の三大霊訓〟の一つに数えるのはそのためである。

 さて、この続編はモーゼスの死後、恩師である医師のスピーア博士 S・T・Speerの夫人が、博士宅で催された交霊会(自動書記は自宅の書斎で、交霊会は博士宅で行われた。博士一家との縁については巻末「解説」を参照されたい)の筆記録の中から、ぜひとも公表すべきであると思われるものを選んで心霊紙 Light に掲載し、それにモーゼス自身が同じ心霊誌に発表していた記事の中から参考になるものを精選して、それといっしょに一冊にまとめたものである。

 本書の特徴は、正篇が自動書記通信だけで構成されているのに対して、霊言現象による通信が紹介されていることである。霊言と自動書記の違いは、霊言が霊媒の発声器官を使用し自動書記が霊媒の腕を使用するという形の上から言えばそれだけのことであるが、表向きは単純のようで裏面の原理はそれぞれに何種類もあって複雑である。


 そもそも霊界通信なるものの入手方法は右の霊言と自動書記の外にもう一つ、幽体離脱によって霊界を探検したり指導霊からじかに教わったものを持ち帰って綴る、あるいは語る、という方法がある。これはいわば霊界旅行記であるが、霊言や自動書記に於いて霊が行っている役割を自分が行う──いうなれば一人二役をするだけのことで、原理的には右の二つと同じである。

 この場合でも本人の目には見えなくても大勢の背後霊が陰から指導し援助し、又危険から守ってくれている。この道の第一人者ともいうべき A・J・デービスは自分は霊の力を一切借りずに全部一人でやっているようなことを述べているが、これはただ自分でそう思っていただけで、実際には陰から指導と援助と保護を受けていたのである。本書の中でも通信霊の一人が、それには例外はないと断言している。

 このことは地上と霊界との関係に限ったことではなく、霊界に於ける上層界と下層界との関係においても同じである。『ベールの彼方の生活』の通信霊アーネルが部下とともに暗黒界を探検し、その間ずっと自分達だけでやっていたと思っていたのが、帰還して見ると、悉く上層界からの指示と加護を受けていたことを知る、という経緯が述べられている。

 その点『私の霊界紀行』(潮文社)のスカルソープ氏は自分の行動はすべて背後霊団によって準備され案内され守られていると述べていて、デービスと対照的に実に謙虚である。見かけのスケールは小さいが、霊的には非常に高い、あるいは深いことを述べていて、信頼度は抜群であると私は見ている。

 他に有名な人としてはスェーデンボルグが挙げられるが、実際に見たものを無意識のうちに潜在的な観念によって歪曲している部分が多すぎて、私はあまり、というより、ほとんど価値を見出せずにいる。とくに初心者には妙な先入観念を植えつけられる危険性さえある。

 この霊能において肝要なのは、異次元の世界で見たものをどこまで生のまま三次元の言語で表現できるかであって、その純度が価値を決定づける。そこに背後霊団の援助と霊能者本人の霊格の高さが要求されるわけである。なおこの体外遊離現象はモーゼスも体験していて、わずかではあるが第三部で紹介されている。

 次に霊言現象の原理であるが、これには四種類ある。
(一)直接談話現象──これはエクトプラズムという特殊な物質によって人間の発声器官と同じものをこしらえ、それを霊が自分の霊的身体の口を当てがってしゃべる現象である。空中から聞こえる場合は肉眼に見えないほど稀薄な物質でこしらえてある場合で、メガホンから聞こえる場合は、そのメガホンの中に発声器官がこしらえてある。

(二)霊媒の発声器官を使用する場合──ふつう霊言現象というのはこれを指す場合が多い。この場合は霊媒の潜在意識(精神機能)の中の言語中枢を使用するので、霊媒自身の考えによって影響されないだけの訓練が要請される。モーリス・バーバネルを通じて五十年にわたって霊言を送って来たシルバーバーチ霊は、その為の訓練をバーバネルが母体に宿った瞬間から開始したという。

(三)リモコン式に操る場合──シルバーバーチのように霊媒の身体を占領するのではなく、遠距離から霊波によって操る。原理的にはテレビのリモコンやオモチャのラジコンと同じである。霊視するとその霊波が一本の光の棒となって霊媒とつながっているのが見られる。

(四)太陽神経叢を使用する場合──みぞおちの部分にある神経叢が心霊中枢の一つとなっていて、そこから声が出てくる人がいる。また、なぜかこの霊能を持つ人がほとんど決まって米国のナイヤガラ瀑布の近辺の出身か、そこで修業した人であるという事実も興味深い。

 次に自動書記現象の原理であるが、これには大きく分けて三種類、細かく分けると四種類ある。

(一)ハンドライティング──霊が霊媒の腕と手を使用する場合で、これはさらに二種類に分けることが出来る。
 ①霊媒の腕を直接使用する場合、ふつう自動書記と言えばこれをさす。モーゼスの場合もこれである。
 ②リモコン式に操る場合、霊言の場合と同じで、霊波によって霊媒の言語中枢と筆記機能とを操作する。

(二)ダイレクト・ライティング(直接書記)──紙と鉛筆を用意しておくと、いきなり文章が綴られる。
ストレートライテングもこの部類に入る。多量のエネルギーを必要とするので、長文のものは困難で、簡単なメッセージ程度のものが多い。

(三)インスピレーショナル・ラィテング(霊感書記)──霊感で思想波をキャッチすると自動的に手が動いて書く。原理的にはふだんわれわれが考えながら書くのと同じで、ただその考えがインスピレーション式に送られてくるというだけの違いである。オーエンの『ベールの彼方の生活』がこの方式によって綴られている。

 さて、本書の第一部は最高指導霊のインペレーターをはじめとして、他に数人の霊による霊言が集められている。そのインペレーターの言葉に、「私はいま皆さんからはるか彼方にいます」とあることから、その時はリモコン式にメッセージを送っていたことが推察される。それでもインペレーターが語る時は交霊会の部屋に厳かさと力強さが漲ったという。そのインペレーターが冒頭で紹介している霊団の組織と役割分担についての説明は非常に興味ぶかい。

 第二部は、自動書記による通信で正篇に盛られていないものの中から、スピーア夫人が是非ともと思うものを選び出したもので、正篇を補足する形になっている。
 注目すべきこととしては、ここで初めて〝再生〟の問題が取り上げられていることで、多くは語っていないがインペレーターがそれを肯定する立場から含蓄のあることを述べている。私の推察では、この再生問題はインペレーター霊団の役目の中に予定されておらず、いずれ、ほぼ半世紀後にシルバーバーチ霊団が再生説を基本概念とした霊的進化論を説くことになっているという、全体の予定表が出来ていたのであろう。

 第三部はモーゼス自身をテーマとして、先ず他界後、心霊誌ライトに載った追悼の言葉、続いて交霊会で起きた珍しい物理現象、さらに、入神中の体外遊離体験、そして最後に、生前モーゼスがライト誌に投稿した記事の中から興味深いもの、参考になるものを抜粋して紹介している。

 モーゼスの人となり、及びスピリチュアリズムに関する見解を知る上でそれが非常に参考になるが、私はそれをさらに補足する目的で、ナンドー・フォドーの《心霊科学百科事典》から<ステイントン・モーゼス>の項目を全訳して巻末に紹介した。その内容がそのまま『霊訓』ならびに霊媒としてのモーゼスの解説となっているからである。インペレーターを初めとする背後霊団の地上時代の身元についての調査資料も一般の読者の方には興味ぶかいテーマであろう。

 なお第一部の構成者(編者はスピーア夫人であるが本書の構成者は別人である。名前は公表されていないが、多分当時のサイキック・ニューズ社のスタッフの一人であろう)が〝はじめに〟の中で述べているように、本書に収録されたものは断片的に抄出したものであって内容に連続性がない。そこでその〝断片〟の合間に正篇から抜粋を挿入して、理解を深める上で参考となるように私なりの配慮をした。時には長文に及ぶものもあるが、読者はいちいち正篇を繙く手間が省けるであろう。

 また場合によっては内容の重大性に鑑みて、『シルバーバーチの霊訓』や『ベールの彼方の生活』からも抜粋して紹介してある。要するに私は本書を英国のいわゆる〝三大霊訓〟のダイジェスト版のようなものに仕上げたつもりである。

 今後ますます霊的なものが輩出することが予想される日本に於いて、その真偽の判断の拠り所として、こうした時代の荒波にもまれながら生き延びてきた、真の意味での聖典(バイブル)と言えるものをぜひとも座右に置いておく必要があると考えるのである。

 初めに紹介した霊言現象および自動書記現象による霊からのメッセージの入手方法の原理と合わせて、霊についての正しい常識と知恵を身に付けていただくことになれば幸いである。

 最後にひとこと、翻訳の文体について述べておきたい。この『霊訓』の原文は正続ともに古めかしい文体で書かれており、それは霊言の場合でも同じである。そこで国書刊行会からの完訳版ではなるべくそれを訳文に反映させるように工夫したために古い堅苦しい文体となったが、本書では霊言が主体となっていることも考慮して、思い切って現代文で表現してみた。インペレーター独特の重厚味が欠ける憾みがなきにしもあらずであるが、広く現代の読者に読んでいただくためにはこの方が親しみやすくて良いと判断した次第である。
  一九八七年六月
                                        近藤千雄
 


Friday, May 26, 2023

シアトルの春 モーゼスの霊訓 解説(訳者)

The Spirit Teachings
モーゼスの「霊訓」〈下〉 (TEN BOOKS) | W.S. モーゼス, 千雄, 近藤 |本 | 通販 | Amazon

本書は形の上ではモーゼスという霊媒的素質をもつキリスト教信者を通して、目に見えぬ知的存在が全ての人間の辿る死後の道程を啓示し、モーゼスが幼少時より教え込まれ、絶対と信じ、かつ人に説いて来た思想的信仰を根底から改めさせ、真実の霊的真理を理解させんとする働きかけに対し、モーゼスがあくまで人間的立場から遠慮容赦のない反論を試みつつも、ついに得心していく過程をモーゼス自身がまとめて公表したものである。


モーゼス自身が再三断わっているように、本書に収められたのはほぼ十年間にわたって送られて来た厖大な量の通信のほんの一部である。主としてインペレーターと名のる最高指揮霊が右に述べたモーゼスの霊的革新の目的にそって啓示した通信を採録してあるが、記録全体の割合から言うとプライベートなこと、些細なこと、他愛ないことの方が圧倒的に多いようである。が、それはモーゼスの意向に従って公表されていない。実際問題としては些細なこと、プライベートなことのほうがむしろ科学的ないし論理的なものよりも人間の心に訴えるという点においては重要な価値をもつことがあり、その意味では残念なことではあるが、もともと霊団の意図がそこになかったことを考えれば、それもやむを得なかったと言わざるを得ない。

通読されて実感されたことであろうが、モーゼスにとってその十年間の顕幽にまたがる論争は、モーゼスの名誉と人生の全てを賭けた正に真剣勝負そのものであった。全ての見栄と打算を排した赤裸々な真理探求心のほとばしりをそこに見ることが出来る。それだけに、自分に働きかける目に見えざる存在が地上時代にいかなる人物であろうと、何と説こうと、己の理性が得心し求道心が満足するだけでは頑として承服しなかった。その点は今の日本に見られるような、背後霊に立派そうな霊がいると言われただけで有頂天になったり、何やら急に立派な人間になったかのように錯覚する浅薄な心霊愛好家とは次元が異なる。ほゞ三十年後の同じくキリスト教の牧師オーエンが名著『ベールの彼方の生活』Life Beyond the Veil by R.V.Owenを出すまでに二十五年の歳月をかけた事実と相通じるものがあろう。

なおこの『霊訓』には『続霊訓』More Spirit Teachingsという百ページばかりの続編がある。これはモーゼス自身の編纂によるものではなく、モーゼスの死後、モーゼスのこの道での恩師であったスピーア博士夫人が、博士邸で定期的に催されていた交霊会での霊言と自動書記による通信の記録の中から“是非とも公表されるべきである”と判断したものをまとめたものである。背後霊団の意図と霊的真理の中枢においては何ら変わりなく、その意味で目新しいものは見当たらないとも言えるが、第一部の霊言集と(第二部は自動書記通信)第三部のモーゼスの人物像に関するものには参考になるものが少なくない。その紹介も兼ねて、このあとの解説には主としてこの『続霊訓』(潮文社刊)を参考にさせて頂くことにする。
●霊団の構成について


『続霊訓』の冒頭でインペレーターが霊言でこう述べている。

「神の使徒たる余は四十九名より成る霊団の頭(かしら)であり、監督と統率の任にあり、他の全ての霊は余の指導と指令によりて仕事に当たる。

余は全知全能なる神の意志を成就せんが為に第七界より参った。使命完遂の暁には二度と地上に戻れぬ至福の境涯へと向上して行くであろう。が、それはこの霊媒が地上での用を終えた後となるであろう。そしてこの霊媒は死後において地上より更に広き使命を与えられるであろう。

余の下に余の代理であり副官であるレクターがいる。彼は余の不在の折に余に代わって指揮し、とりわけ物理的心霊現象に携わる霊団の統率に当たる。

レクターを補佐する三番目に高き霊がドクター・ザ・ティーチャーである。彼は霊媒の思想を指導し、言葉を感化し、ペンを操る。このドクターの統率下に、あとで紹介するところの、知恵と知識を担当する一団が控えている。

次に控えるのが地上の悪影響を避け、あるいは和らげ、危険なるものを追い払い、苦痛を軽減し、よき雰囲気を作ることを任務とせる二人の霊である。この二人にとりて抗し切れぬものはない。が、内向的罪悪への堕落は如何ともし難い。そこで霊界の悪の勢力――霊媒の心変わりを画策し聖なる使命を忘れさせんとする低級霊の誘惑より保護することを役目とする二人の霊が付いている。余の直属のこの四人を入れた七人で第一の小霊団(サークル)を構成する。われらの霊団は七人ずつのサークルより成り、各々一人の指揮官が六人を統率している。

第一のサークルは守護と啓発を担当する霊――霊団全体を統率し指揮することを任務とする霊より成る。

次のサークルは愛の霊のサークルである。すなわち神への愛である崇敬、同胞への愛である慈悲、そのほか優しさ、朗らかさ、哀れみ、情け、友情、愛情、こうした類のもの全てを配慮する。

次のサークル――これも同じく一人が六人を主宰している――は叡智を司る霊の集団である。直感、感識、反省、印象、推理、等々を担当する。直感的判断力を観察事実からの論理的判断力を指導する。叡智を吹き込み、且つ判断を誤らせんとする影響を排除する。

次のサークルは知識――人間についての知識、物事についての知識、人生についての知識――を授け、注意と比較判断、不測の事態の警告等を担当する。また霊媒の辿る困難きわまる地上生活を指導し、有益なる実際的知識を身につけさせ、直感的知恵を完成せしめる。これはドクターの指揮のもとに行なわれる。

その次に来るのが芸術、科学、文学、教養、詩歌、絵画、音楽、言語等を指揮するグループである。彼らは崇高にして知的な思念を吹き込み、上品さと優雅さとに溢れる言葉に触れさせる。美しきもの、芸術的なもの、洗練され教養溢れるものへ心を向けさせ、性格に詩的潤いを与え、気品あるものにする。

次の七人は愉快さとウィットとユーモアと愛想の良さ、それに楽しい会話を担当する。これが霊媒の性格に軽快なタッチを添える。すなわち社交上大切な生気溢るる明るさであり、これが日々の重々しき苦労より気分を開放する。愛想良き心優しき魅力ある霊たちである。

最後の霊団は物理的心霊現象を担当する霊たちである。高等なる霊的真理を広める上で是非必要とみた現象を演出する。指揮官代理であるレクターの保護監督のもとに、彼ら自身の厚生を兼ねてこの仕事に携わっている。霊媒ならびにわれら背後霊団との接触を通じて厚生への道を歩むのである。それぞれに原因は異なるが、いずれも地縛霊の類に属し、心霊現象の演出の仕事を通して浄化と向上の道を歩みつつある者たちである。

いずれのグループに属する霊も教えることによりて自ら学び、体験を与えることによりて自ら体験し、向上せしめることによりて自ら向上せんとしている。これは愛より発せられた仕事である。それはわれらの徳になると同時に、この霊媒の徳ともなり、そしてこの霊媒を通じて人類への福音をもたらすことになるのである。」

以上がインペレーター自身の霊言による霊団の説明であるが、「ステイントン・モーゼスの背後霊団」The Controls of Stainton Moses by A.W.Trethewyによると、この最高指揮官であるインペレーターの上に更にプリセプターと名のる総監督が控え、これが地球全体の経綸に当たる言わば地球の守護神の命令を直接受け取り、それがインペレーターに伝えられる、という仕組みになっていたようである。
●霊団の身元について


本文でもインペレーターが繰り返し述べているように、霊の地上時代の身元を詮索することは単なる好奇心の満足にはなっても、それによって『霊訓』の信頼性が些かも増すものではないし、減じるものでもない。第一、地上の記録自体が信頼が置けないのである。が、しかし、一応興味の対象であることには違いないので、主な霊の地上時代の名前を紹介しておくと――

インペレーターは紀元前五世紀のユダヤの預言者で旧約聖書の“マラキ書”の編纂者マラキMalachi、レクターは初期キリスト教時代のローマの司教だった聖ヒポリタスHippolytus、ドクターは紀元二世紀頃のギリシャの哲学者アテノドラスAthenogoras、プルーデンスは“新プラトン主義哲学”の創始者プロティノスPlotinus、その他、本書に登場していない人物で歴史上に名のある人物としてプラトン、アリストテレス、セネカ、アルガザリ等の名が見られる。

ここに参考までに訳者の個人的見解を述べさせて頂くと、スピリチュアリズムの発展に伴って守護霊、指導霊、支配霊等のいわゆる背後霊の存在が認識されてきたことは意義深いことであり、背後霊のほうも、自分たちの存在を認識してくれるのと無視されるのとでは霊的指導において大いに差がある、と言うのが一致した意見であるが、そのことと、その背後霊の地上時代の名声とか地位とかを詮索することは全く別問題である。地位が高かったとか名声が高かったということは必ずしも霊格の高さを示すものではない。そのことは現在の地上の現実を見れば容易に納得のいくことである。シルバーバーチやマイヤースの通信を見ると、偉大な霊ほど名声とか地位、権力といった“俗世的”なものとは縁のない道を選んで再生するという。従ってその生涯は至って平凡であり、その死も身内の者を除いて殆ど顧みられないことが多い。そうした人物が死後誰かの守護霊として、あるいは指導霊として働いた時、その身元をとやかく詮索して何になろう。満足のいく結果が得られる筈がないのである。しかも霊は死後急速に向上し変化していくという事実も忘れてはならない。インペレーターの霊言に次のようなところがある。

「地上へ降りて来る高級霊は一種の影響力であり、言わば放射性エネルギーである。そなたらが人間的存在として想像するものとは異なり、高級霊界からの放射物の如きものである。高等な霊信の非個人性に注目されたい。この霊媒との関わりをもった当初、彼はしつこくわれらの身元の証明を求めた。が、実はわれらを通して数多くの影響力が届けられている。死後首尾よく二段階三段階と上りたる霊は、そなたらのいう個体性を失い、形体なき影響力となり行く。余はそなたらの世界に戻れるぎりぎりの境涯まで辿り着いた。が、距離には関係なく影響力を行使することが出来る。余は今、そなたらより遙か彼方に居る。」

西洋においても日本においても霊能者は軽々しく背後霊や前世のことを口にしすぎる傾向があるが、その正確さの問題もさることながら、そのこと自体が本人にとって害こそあっても何ら益のないことであることを強く主張しておきたい。辿ればすべて神に行き着くのである。その途中の階梯において高いだの低いだのと詮索して何になろう。霊的指導者の猛省を促したい。
●スピリチュアリズムにおける『霊訓』の価値


スピリチュアリズムSpiritualismというのは用語だけを分析すれば主義・主張を意味することになるが、本来は人為的教義を意味するものではなく、地上では名称なしには存在が示されないからやむを得ずそう銘打っているまでで、“発明”ではなく“発見”――目に見えぬ内的世界と霊的法則の発見である。

そのきっかけが一八四八年の米国における心霊現象であったことは周知の通りである。インペレーターの霊言に次のような個所がある。

「今夜は大勢の霊が活発に動いている。本日が記念すべき日であるからに他ならぬ。そなたらが“近代スピリチュアリズム”と呼ぶところのものが勃興した当初、高級霊界より強力なる影響力が地球へ差し向けられ、霊媒現象が開発された。かくして地球的雰囲気に縛りつけられた多くの霊を地球圏より解放し、新たなる生活へ蘇らしめるための懸け橋が設けられた。このことを記念してわれらはこの日を祝うのである。スピリチュアリズム――われらはこれをむしろ“霊界からの声”と呼びたいところであるが、これは真理に飢えし魂の叫びに応えて授けられるものである。」

この霊言からも判る通り、スピリチュアリズムは本来は霊界からの新たな啓示を地上人類にもたらす運動であり、その目的のために霊媒が養成され、霊的存在の威力の証としてさまざまな心霊現象が演出されたのであった。新たな啓示とは突き詰めれば人間の死後存続の事実と、その生活場としての霊界の存在と、その顕と幽とに跨る因果律の存在の三つに要約されよう。ところが現実にはスピリチュアリズムヘの一般の関心の多くは霊の存在の物的証拠に過ぎないところの“現象面”に注がれ、肝心の霊的教訓が等閑(なおざり)にされている。インペレーターは続けてこう語っている。

「スピリチュアリズムには徐々に募りつつある致命的悪弊が存在する。現象のみの詮索から由来する言わば一種の心霊的唯物主義である。人間は物理現象の威力のみに興味を抱き、その背後のさまざまな霊的存在を理解しようとせぬ。物質は付帯的要件に過ぎず、実在はあくまで霊なのである。世界の全ての宗教は来るべき死後の世界への信仰に拠り所を求めている。が、地球を取り巻く唯物的雰囲気に影響され、霊的真理が視覚的現象の下敷きとなり、息も絶えだえとなっている。もしもこのまま現象のみの満足にて終わるとすれば、初めよりこの問題に関わらぬ方が良かったかも知れぬ。が、しかし、一方にはそうした現象的段階を首尾よく卒業し、高き霊的真理を希求する者もまた多い。彼らにとりて心霊現象は霊的真理への導入に過ぎなかったのである。」

要するにスピリチュアリズムの究極の目的はこの『霊訓』に象徴される霊的真理の普及にあるのである。インペレーターも述べている通り、こうした霊的啓示を地上へ送り届ける霊団は古来いくつも結成され、その時代に必要とするものを霊覚者を通して送って来た。そして今なお世界各地で送られて来ている。『霊訓』はあくまでそのうちの一つに過ぎない。そして霊媒のモーゼスがキリスト教の牧師(三十歳の時に病を得て辞職)であったこと、その時期がスピリチュアリズムの勃興期に当たったという事情から来る特殊性を見落としてはならないであろう。つまり、その内容を煎じつめれば、キリスト教的ドグマの誤謬を指摘し、それに代わる真正なる霊的意義を説くことに集中され、その他の一般の人間にとっての関心事、たとえば再生――生まれ変り――の問題等については、少なくとも本書に採録されたものの中には見当たらないし、『続霊訓』の中で言及しているものも概念的なことを述べているだけで、深入りすることを避けんとする意図が窺える。インペレーターは自動書記通信でこう述べている。

「霊魂の再生の問題はよくよく進化せる高級霊にして初めて論ずることの出来る問題である。最高神ご臨席のもとに神庁において行なわれる神々の協議の中身については、神庁の下層の者にすら知り得ぬ。正直に申して、人間にとりて深入りせぬ方がよい秘密もあるのである。その一つが霊の究極の運命である。神庁において神議(かむはか)りに議られしのちに一個の霊が再び地上へ肉体に宿りて生まれるべきと判断されるか、それとも否と判断されるかは誰にも判らぬ。誰も知り得ぬのである。守護霊さえ知り得ぬのである。全ては佳きに計らわれるであろう。

すでに述べた如く、地上にて広く喧伝されている形での再生は真実ではない。また偉大なる霊が崇高なる使命と目的とを携えて地上に戻り、人間と共に生活を送ることは事実である。他にもわれらなりの判断に基づきて広言を避けている一面もある。未だその機が熟しておらぬからである。霊ならば全ての神秘に通じていると思ってはならぬ。そう広言する霊はみずから己の虚偽性の証拠を提供していることに他ならぬ。」
●シルバーバーチの霊訓との比較


インペレーター霊団がモーゼスを通じて活動を開始したのは一八七〇年代初期からであるが、それからほぼ半世紀後の一九二〇年代には、霊言霊媒モーリス・バーバネルを通じてシルバーバーチ霊団が活動を開始している。そして一九八一年にバーバネルが他界するまでのほぼ半世紀にわたって厖大な量の霊言を残し、『シルバーバーチ霊言集』全十六巻となって出版されている。

訳者はこれを全て翻訳して上梓しているが、その内容は基本的にはモーゼスの『霊訓』と完全に符節を合している。強いて異なる点を挙げるならば、インペレーターが控え目に肯定した再生の事実を思い切り前面に押し出し、これを魂の向上進化のために必要不可欠の要素として説いている点である。察するにモーゼスの『霊訓』その他によっていわゆる“夾雑物”が取り除かれ、人類が神の神秘にもう一歩踏み込める段階に来たことを意味するのであろう。

このことに関連して興味深いのは、キリスト教の根本教理を論駁するインペレーター霊団の霊媒がキリスト教会のかつての牧師であり、再生を根本教理として説くシルバーバーチ霊団の霊媒が再生説を嫌悪する人物であったことである。訳者個人としてはそこに霊界の意図的配慮があったものと推察している。
●モーゼスの経歴と人物像


ウィリアム・ステイントン・モーゼスは一八三九年に小学校の校長を父として生まれた。小学生時代に時おり俗にいう夢遊病的行動をしている。一度は真夜中に起きて階下の居間へ行き、そこで前の晩にまとまらなかった問題についての作文を書き、再びベッドに戻ったことがあったが、その間ずっと無意識のままであった。書かれた作文はその種のものとしては第一級であったという。しかし幼少時代に異常能力を見せた話はそれだけである。

オックスフォード大学を卒業後、国教会(アングリカン)の牧師としてマン島に赴任している。二十四歳の若さであったが、教区民からは非常な尊敬と敬愛を受けた。とくに当地で天然痘が猛威をふるった時の勇気ある献身的行為は末永く語り継がれている。

一八六九年三十歳時に重病を患いS・T・スピーア博士の世話になったことが、生涯にわたるスピーア家との縁の始まりであると同時に、スピリチュアリズムとの宿命の出会いでもあった。博士の奥さんが大変なスピリチュアリストだったのである。翌年病気回復と共に再びドーセット州で牧師の職についたが病気が再発し、ついに辞職して以後二度と聖職に戻ることはなかった。そして翌年ロンドンの小学校の教師を任命され、一八八九年に病気で辞職するまで教鞭をとった。

その間の一八七一年から一八八二年のほぼ十年間がこの『霊訓』を生み出した重大な時期である。モーゼス自身にとっては死に物狂いで真理を追求した時期であり、スピリチュアリズムにとっては大いなる霊的遺産を手にした時期であったと言える。

最後に『続霊訓』の第三部に載っているモーゼスの人物評を紹介しておく。いずれもモーゼスの死に際して贈られた言葉である。まずスピーア夫人はこう語っている。

「自然を愛する心と、気心の合った仲間との旅行好きの性格、そして落着いたユーモア精神が、地名や事物、人物、加えてあらゆる種類の文献に関する厖大な知識と相まって、氏を魅力ある人間に造り上げていました。

二年前の病さえなければ『霊訓』をもう一冊編纂して出版し、同時に絶版となっている氏の著作が再版されていたことでしょう。健康でさえあったら、いずれ成就されていた仕事です。霊界の人となった今、氏は、あとに残された同志たちが氏が先鞭をつけた仕事を引き継いで行ってくれることを切望しているに相違ありません。」

次は心霊誌『ライト』に載った記事。

「氏は生まれついての貴族であった。謙虚さの中にも常に物静かな威厳があった。これは氏が手にした霊的教訓と決して無縁ではなかった。氏ほどの文学的才能と、生涯を捧げた霊的教訓と、稀有の霊的才能は、氏を倣慢不遜にし苛立(いらだ)ちを生み嫌悪感を覚えさせても決しておかしくないところである。しかし、氏にとってそれは無縁であった。モーゼス氏は常に同情心に満ち、優しく、適度の同調性を具えていた。」

スピーア博士の子息でモーゼスが七年もの間家庭教師をしたチャールトン・スピーア氏は、氏の人間性の深さと暖かさ、性格の優しさ、真摯な同情心、そして今こそ自己を犠牲にすべきとみた時の徹底した没我的献身ぶりを称えてから、こう結んでいる。

「真理普及ヘの献身的態度はいくら称賛しても称賛しきれない。氏はまさに燃える炎であり、輝く光であった。恐らくこれほどの人物は二度と現われないであろう。」
●あとがき


訳者としてお断わりと謝意を述べなければならないことがある。

まず、この度の翻訳に当たり、聖書関係の人名及び訳語については、研究社の『新英和大辞典』、小学館の『ランダムハウス英和大辞典』、それに各種の日本語訳聖書を参照したが、辞典ごとによる違い、プロテスタントとカトリックとの違い、ラテン語読みと英語読みの違い等があり、その選択に迷ったものは近くのプロテスタント系の教会で司牧されている方の助言を得た。またイエス語録の訳についても教えを乞うたが、いずれの場合も最終的には私なりの判断で訳した。それ故、全責任は訳者の私にある。

本書の内容に鑑みて、その牧師の氏名を公表できないのが残念であるが、快く助言を下さったことに陰ながら深く謝意を表したい。

本書は“スピリチュアリズムのバイブル”と呼ばれて今なお世界各地に熱烈な愛読者をもっている。日本にも浅野和三郎氏の抄訳がある。それを読んでぜひ全訳を読みたいと思われた方も多いことであろう。実は訳者自身その一人であった。訳者はその後、原典でその全編と続編を読み、こんどは、それを全訳したいとの希望を抱き続けてきた。それがこの度、国書刊行会から『世界心霊宝典』の一冊として上梓されることになり、この私が訳すことになった。永くスピリチュアリズムに親しんできた者としてこの事をこの上ない光栄と思い、まる一年、この翻訳に体力と知力の全てを投入してきた。

今こうして上梓するに当たり、その名誉をよろこぶ気持ちと同時に、こうした訳し方でよかっただろうかという一抹の不安と不満を禁じ得ない。もっと平易な現代語に訳すことも出来たであろう。訳者も当初それを試みてはみた。が、原典のもつあの荘重な雰囲気を出すには現代語では無理と判断し、結果的にこうした形に落着いた。この最大の要因は、この霊界通信が単なる霊的知識の伝授ではなく、霊媒のモーゼスと指導霊インペレーターとの壮絶とも言うべき知的並びに人間的葛藤の物語であり、そこに両者の個性がむき出しになっている点にある。そこにこそ本霊界通信の、他に類を見ない最大の魅力があり、その生々しさを表現するには文体を操るしかないと判断したのである。

その出来不出来は読者の批判を仰ぐこととして、訳者としては、いつの日か別のスピリチュアリストが別の形での訳を試みられることを期待しつつ、今はただ、お粗末ながらもこうした歴史に残る霊的啓示の書が日本でも出版されることになったことを素直によろこび、一人でも多くの方がこの“泉”によって魂の渇きを潤して下さることを祈るのみである。

なお、『霊訓』初版は一八八三年に刊行された。翻訳に当たっては一九四九年版を使用した。

一九八五年七月

近藤 千雄