Friday, June 30, 2023

シアトルの夏 神はときには荒れ狂う嵐のごとく

 "You and I, all those who can gather here and all the members of the spirit group will break through the inequality created by selfish materialistic thoughts, and instead let the grace of the Great Spirit spread to all children, and prevent illness and slums. , a firm determination to rid the earth of unhealthy things, poverty, and all other things that bind the soul and body of man, for they are all wrong. We have to make them aware of their sexuality and what they should do as human beings before they leave this earth.”

白樺の木立:イラスト無料


数年前に愛する妻に先立たれ、その妻が死後も生き続けている証拠を求めてきた英国の下院議員が、ある日の交霊会に招かれてシルバーバーチと長時間にわたる意義ある対話をもつことができた。

その議員は動物への虐待行為を中止させる運動に大きな貢献をしている人で、シルバーバーチから引き続き頑張るようにとの励ましを受けて、魂の高まりを覚えながら会場をあとにしたのだった。

まずシルバーバーチから語りかけた。

「地上世界は、洞察力に富む一部の人を除けば、大きな悲しみの体験をさせられる前に霊的真理の必要性を知る人がほとんどいませんね」

「でも、その洞察力はどうすれば得られるのでしょうか」

「もとより容易なことではありません。たとえば、こうした霊言や自動書記などの手段によって通信霊が自分はかくかくしかじかの霊であると述べた場合、それだけで直観的にその通りか否かを得心できるようでなければいけません。あなたもそう努力なさって来られました。もちろん、わたしたちとしては物質界の人間が要求する証拠性の基準に合わせる必要があることは認めます。が、それにも限界がありますから、これまであなたがなさってきたように、与えられたものを真剣な批判的態度で判断し検討しなければいけません。偏見を混じえずに心の扉を開き、理不尽な懐疑的態度さえ取らなければ、わたしたちとの連絡はラクになります」

「私が欲しくてならないのは、この地上を去った人たちが今も間違いなく生き続けていて、地上の人間とつながりをもち、現実に影響を及ぼしていることを立証してくれるものです。それを得るにはどうしたらいいのでしょうか」

「そのためには、わたしが使用しているこの霊媒よりも立派で、あなたの求めているような万全の証拠が提供できる波長に感応する霊媒を見出すしかないでしょう。ただし、そういう証拠を求めているのはあなたの魂ではありません。頭の中でそう思ってあがいていらっしゃるだけです」(※)

――この一節には大切なことが含まれている。人間側からすれば、その霊が地上で誰であったかを立証する具体的な証拠くらい簡単に出せそうに思えるが、実際には具体的なことになるほど地上臭が強くなり、それだけ波長が低くなるので、それが受けられる霊媒は程度が低いことになる。ということは低級霊が感応しやすいという危険性があり、うまくハメられやすいことにもなる。“感激の対面”をして親子が抱き合って涙を流すその裏側では、イタズラ霊がしてやったりと、ほくそえんでいることが多い。シルバーバーチはそのことを露骨に言わず、いかにもシルバーバーチらしく、ちょっぴり皮肉も込めて述べている。

最後の一文はさらに大切なことを教えている。人間は大ざっぱに言えば肉体と精神と霊とで構成されているが、成長するにつれて意識の中枢が肉体から精神へ、そして霊へと移っていく。理屈ばかりこねている人間は精神的段階に留まっている証拠であり、まだ真の自我には目覚めていない。その段階を抜け出ると直観(直感ではない)で理解するようになる。理屈や証拠を超えて真相を洞察してしまう――わかるのである。霊的能力というとすぐに霊視や霊聴を思いうかべる人が多いが、最高の霊的能力はその直観力である。

「では、その魂がもっと意識できるようになるにはどうしたらよいのでしょうか」

「それは霊的開発の問題です。より精妙な波長が意識できるように、霊的次元にチャンネルを合わせる方法を会得することです」

「チャンネルを合わせるにはどうしたらよろしいのでしょうか」

「地上世界が活気にあふれている時にこちらの世界は静まり返っていることがあり、そちらが静まり返っている時にこちらでは活気にあふれていることがあるものです。ですから、精神活動を止めて静寂の世界へ入り、受身になってみられることです。じっと待っていると魂が活動を開始するのがわかるようになります」

「特殊な考えが浮かんだ時、それが自分の考えなのか霊界から送られてきたものかを見分けるにはどうしたらよいでしょうか」

「そうしたことはすべて、精神をいかにコントロールするかに係わる問題です。精神があてどもなくフラフラしている状態から、意識的にきちんと支配下において、完全な静寂の中で高度な波長がキャッチできるようになることです。直観がひらめくのはそういう時です。波長が高く、速く、そして微妙だからです。地上的な思念はのろくて、不活発で、重々しく感じられます」

「地上で最高といえるほどの魂にも同じことが言えるのでしょうか」

「言えます。すべての魂に当てはまります。よくお考えください。人間は本質的に二重の要素をそなえているのです。動物時代の本能の名残りと神の分霊とがあって、それがあなたの存在の中で常に葛藤しており、そして、そのいずれかを選ぶ自由意志を持つあなたがいるわけです。そこに進化の要素があるのです。あなたとしてはなるべく動物性を抑え、潜在する神性を発揮する方向で努力しないといけません。

神、わたしのいう大霊は、人間をはじめとしてあらゆる生命形態に内在しております。すべてが神であり、神がすべてなのです。ある人にとって神は優しいそよ風のごとく感じられ、またある人にとっては、ときに荒れ狂う嵐のごとく感じられるものです。すべては各自の発達程度の問題です。

あなたの場合も魂の内奥の神性がうごめき、奥さんの死という悲しみの体験が触媒となって一段とその顕現の度合を増しつつあります。他界後の奥さんのことを求め続けられているのもそのためです。今夜こうしてこの交霊会に出席されたのもそのためです。これからのちも真理を求め続けられることでしょう。なぜなら、今やあなたは霊的真理への正道を歩んでいらっしゃるからです」

「ということは、発達の第一歩は願望を抱くことから始まるとおっしゃるのでしょうか」

「そうです。まず謙虚に、真摯に、そして敬虔な気持ちで知ろうとすることから始まり、今度は、そうして得た知識を自分の信念の確立のためだけでなく、他人のために役立てようという決意が出てこないといけません。

あなたはその願望をお持ちであり、これまでそう努力なさってこられました。そして、あなたが気力を無くしかけ、闘う意欲を失いかけ、いっそのこと第一線から引退して美術でも楽しむ生活を始めようかと思われた時などに、背後霊が懸命にあなたを鼓舞してまいりました。が、結局はあなたの魂の奥の神性がじっとしておれず、霊界からのインスピレーションにも鼓舞されて、恵まれない人たちのための闘いを続ける決意を新たにしてこられたのです」

このあとシルバーバーチはその下院議員の背後霊団について述べてから、さらに言葉を継いで――

「背後霊団のことを申し上げたのは、あなたもこちらの世界からの愛の保護下にあることを知っていただきたかったからです。人のためと思って努力している人々はみな霊界からの愛とエネルギーに取り囲まれていることを自覚し、仕事においてどれほど励まされ、勇気づけられ、感動させられ、そして支援されているかを知れば、いっそうの熱誠と情熱と集中力とをもって闘いに挑んでくださることと思うのです。人のために為された努力が無駄に終わったことは一度もありません。たとえ本来味方であるべきだった者から誤解され曲解され嘲笑され、あるいはこの人だけはと思って信頼していた人から裏切られることがあっても、あなたの奉仕の仕事は生き続けます」

「そのためのアドバイスをいただけたらと思うのですが……

「あなたには細かいアドバイスはいりません。あなたはご自分で自覚しておられる以上に大きな仕事をなさっておられます。すでに立派に人のために役立つことをなさっている方から“私に何かお役に立つことがあるでしょうか”と聞かれると、わたしの心はうれしさでいっぱいになります。なぜなら、それは立派に人のためになることをしていながら、さらに大きな貢献をしたいと思っておられることの証拠だからです。

これまで同様に弱き者、無力なものを助け、力が不足している人に力を貸し、暗闇にいる人に光明をもたらし、足の不自由な人、あるいは何かの苦しみを抱えている人に救いの手を差しのべてあげてください。残虐行為――とくに魂がおびえるような残酷な行為、つまり人類の最大の友であるべき動物への虐待行為を止めさせるために闘ってください」

そう述べたあとシルバーバーチは、指導霊として霊界から地上での人間活動に影響力を行使することの難しさを次のように説明した。

「指導霊は自分の意図するところを物質界に感応させねばなりません。それが容易なことではないのです。なぜかと言いますと、ご存知のとおり物質界から放散されている波長は、およそ感心できる性質のものではないからです。現在の地上界は、光のあるべきところに闇があり、知識のあるべきところに無知があり、叡智のあるべきところに無分別があり、豊かさのあるべきところに欠乏があり、幸福のあるべきところに悲劇があり、優しさのあるべきところに残酷があり、愛があるべきところに憎しみがあります。霊がその威力を届けるための通路である霊的能力者はいたって少数です。しかし、その数は着実に増えつつあり、潮流はわれわれに有利な方向へ進みつつあります。

ところで、あなたの魂が目を覚ましたのは悲しい体験のお蔭だったのですよ」

「あの悲劇もある目的のためにもたらされたとおっしゃるのでしょうか」

「大きな悟りは大きな悲しみから生まれるものです。人生は“埋め合わせ”の原理によって営まれています。日陰のあとには日向があり、嵐になれば避難所が用意されます。光と闇、嵐と晴天、風と静寂――こうしたものはすべて大霊の配剤なのです。大霊は生命活動の全側面に宿っております。闇があるから光の有り難さがわかるのです。争いがあるから平和の有り難さがわかるのです。人生は比較対照の中で営まれています。魂は辛い体験、試練、苦難のるつぼの中で真の自我に目覚め、純化され、強化されて、より大きな人生の目的と意義を理解する素地が培われるのです」

「では、苦難は霊性の開発に必要なことを気づかせるために意図的にもたらされることがあるということでしょうか」

「そうです。魂がその深奥にあるもの、最高のものを発揮するには、さまざまな体験を必要とするからです。魂は永遠の存在であり、それまでの思念の一つ一つの結果、口にした言葉の一つ一つの結果、行為一つ一つの結果をたずさえており、結局今のあなたはあなた自身がこしらえた――一秒ごとに、一分ごとに、一時間ごとに、一日ごとに、一週間ごとに、一カ月ごとに、一年ごとに築いてきたことになるのです。自我の成長は自分で達成するのです。そして、行う行為の総決算があなたの現在の進化の程度を決めるのです。自分以外の誰にもそれはできないのです」

「意図的行為と無意識の反射的行為とは別のものでしょうか」

「反射的に行われたからといって、そこに因果律が働く余裕がなかったということはありません。その行為そのものが、因果律の存在を厳然と示しています。あなたの行為は現在のあなたという人格全体から生み出されるのです」

「その現在の人格は各自がこの地上で行ってきた行為の総決算だとおっしゃるのでしょうか」

「その通りです。これまでに行ってきたことの結果が今のあなたであり、今のあなたが行うことが未来のあなたをこしらえるのです。因果律は一瞬の途切れもなく、しかも完璧に働いています。完全にでき上がっていますから誤るということがありません。人間界では国家が定めた法律をごまかすことができますが、大自然の摂理をごまかすことはできません。なぜなら、魂にはそれまでの行為の結果が永久的に刻み込まれており、その有りのままの姿があなたであり、それと違うものに見せかけようとしても通用しません」

「間違ったことをした時は必ずそれに気づくものでしょうか」

「そうとは限りません。良心の声が聞こえない人がいますし、心がかたくなになっている人がいますし、魂が悪想念に取り巻かれて大霊の生命力の通路が塞がれている人がいます。人間は必ずしも自分の間違いに気づいているとはかぎりません。もし気づいているのなら、地上に戦争は起きないでしょうし、残酷な行為も見られないでしょうし、飢餓に苦しむ人もいないはずです。これほど多くの病気はないでしょうし、一方に飢えている人がいるというのに食べ放題のぜいたくをするということもしないはずです」

「それを改めるにはどうすればよいのでしょうか」

「あなたやわたし、ここに集える者と霊団の者全員が利己的な物質中心思想が生み出す不平等を撃破して、代わって大霊の恩寵をすべての子等に行きわたらせ、病気やスラム街、不健全なものや貧困、そのほか人間の魂と身体とを拘束するものすべてを何としてもこの地上から駆逐しようと固く決意することです。それらはみな間違ったことだからです。各自に内在する神性を自覚させ、人間として為すべきことは何であるかを、この地上を去る前に自覚させてあげないといけないのです」

ゲストの下院議員は多くのスピリチュアリストと同じように、動物愛護運動に深く係わっていた人である。そこで本章の締めくくりとして、かつてシルバーバーチが改革運動に係わった人々への霊界からの働きかけについて語ったものを紹介しておこう。

「わたしが説いていることは、過去のあらゆる時代に人類のために精励したすべての改革者、すべての聖人、すべての予言者、理想主義に燃えたすべての人々の先見の明がとらえた気高い崇高な考えと、まったく同じものです。

彼らはその霊格の高さゆえに霊眼をもって地上生活のあるべき本来の姿を垣間みることができ、その美しい未来像が、逆境と闘争の中にあって心の支えとなってきたのでした。彼らには、いつの日かきっと実現される霊的計画がわかっていたのです。そこで同胞である物質界の子等にとって、今のうちに少しでも霊性を高めることになる仕事に貢献したのです。奉仕です。

彼らは、皮肉にも、その奉仕的精神から正しい人の道を説いてあげた当の相手からけなされ、抵抗にあい、嘲笑の的とされましたが、彼らの仕事は立派に生き続けました。それは今日世界中の無数の国において、この交霊会のようなささやかな集いの場において行われていることが引き継がれていくのと同じです。それにたずさわった人々は次々と忘れ去られていくでしょうけど……

大霊の強大な勢力が今ふたたび地球という物質の世界へ向けられているのです。地上のいかなる勢力をもってしても、その強大な潮流を遮ることはできません。

地上の人間は流血によって問題が解決するかに考えるようですが、かつて流血によって問題が解決されたためしはありません。無益であり、何の解決にもなっていません。

人間はなぜ神から授かった理性が使えないのでしょうか。なぜ唯一の解決法が一人でも多くの敵を殺すことだと考えるのでしょうか。いちばん多くの敵を殺した者が英雄とされる――地上というところは不思議な世界です」

祈り

ああ、真白き大霊よ。

わたしたちはあなたを永遠の生命のあらゆる現象の背後に働く無限の法則として説き明かさんとしております。古き時代にはあなたは歪められた眼鏡を通して見られておりました。嫉妬に狂う神、腹を立てる神、好戦的な神と思われたこともございました。

しかし、わたしたちは無限なる霊、あらゆる生命現象を通じて息づき、あらゆる自然法則の働きとしてご自身をお示しになっている存在として説き明かさんとしております。無限の叡智と理解力、愛と真理の大霊――弱き者、悩める者、挫折せる者を鼓舞することに精励する人々の生きざまを通じて顕現している大いなる霊として説くのでございます。

ああ、大霊よ。

あなたはたった一冊の書物の中にいらっしゃるのではありません。たった一つの教会チャーチ、たった一つの寺院モスク、たった一つの神殿テンプル、たった一つの礼拝堂シナゴーグの中にいらっしゃるのでもありません。物質界の子等の有限なる理解力によって規定することも制約することも圧縮することもできない、広大無辺の霊でいらっしゃいます。

とは申せ、あなたは断じて子等とは無縁の遠き存在ではございません。まさに子等の内奥にましますのです。あなたの分霊わけみたまとしてでございます。その分霊を通じてあなたはご自身を顕現なさらんとしておられるのでございます。子等の奉仕的生活を通じてあなたのご意志が発揮され、あなたの摂理が理解され、かくしてあなたの造化の大業の目的と同胞とのつながり、そしてあなたとのつながりについて子等が理解を深めるのでございます。

その理解の深まりとともに地上世界に新たなる光明、新たなる希望がもたらされます。平和が行きわたり、闘争がなくなります。利己主義が消え、悲しみが喜びに置き換えられ、生きるための必需品に事欠いていた人たちが真実の地上天国に生きることになるのでございます。

それがわたしたちが説き明かさんとしている大霊でございます。そのあなたの摂理を子等に教えんとしているのでございます。それを理解することによってこそ子等は俯仰ふぎょう天地にじない生き方ができるのでございます。自らの力で束縛を解き放すことができるのでこざいます。奴隷のごとき卑屈な生き方を止め、膝を折ってあなたに媚びへつらうことなく、あなたからの生得の遺産を主張する――すなわちあなたのご意志を日常生活の中で発揮していく権利を堂々と主張できるのでございます。

Wednesday, June 28, 2023

シアトルの夏 真理はすべて素晴らしいのです 

  All truths are wonderful

 シルバーバーチの霊訓―  スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ

白樺林イラスト/無料イラスト/フリー素材なら「イラストAC」


“ハンネン・スワッファー・ホームサークル”の名称のもとに発足したシルバーバーチの交霊会は、当初は毎週一回の割で開かれていたが、霊媒のバーバネルの体力の衰えを考慮して、後半は月一回となり、晩年は不定期となった。

いずれにしてもバーバネルは心霊週刊紙《サイキックニューズ》の編集主幹として時間ギリギリまで仕事をしたあと愛車で自宅へ帰り、そのまま交霊会が行われる応接室へ駆け込むのが常だった。そこにはすでに当日の出席者が集まって談笑している。レギュラーのほかに必ず二、三人の招待客がいるので、その人たちと簡単な挨拶を交わしたあと、バーバネルはいつもと同じ長椅子に腰かけ、用意されている水を一杯飲みほしてから瞑目する。やがていびきのような息づかいになるとともに形相が変わってきて、ようやくシルバーバーチが語りはじめる。

こうした形での催し――厳かさもなければ派手さもない、平凡なアパートの一室での集いがほぼ五十年も続いたのである。すぐ近くの通りでは仕事を終えた人たちが車やバスやタクシーで帰りを急いでいる。その人たちにとっては、まさかすぐ近くのアパートの一室で霊界と地上界とが人類史上まれにみる生々しい現実味をもって交わっているとは、想像も及ばないことだった。そうした背景を念頭においてシルバーバーチが語る。


「皆さんから見れば確かにここは小さな一室にすぎません。しかし、わたしたちにとっては壮大な神殿なのです。壁という壁はぜんぶ取り払われております。あるのはただ眩(まばゆ)いばかりの光輝です。イルミネーションです。その中で何千もの霊が、それぞれに果たすべき使命をもって集結しております(※)。教える者もいれば教わる者もいます」


※――ハンネン・スワッファー・ホームサークルでは常時十人前後のメンバーしかいなかったが、それは人間界だけの話であって見えざる世界ではいつも数千人の霊が列席していて、シルバーバーチの話を聞いていた。その中には地縛の状態からやっと抜け出たばかりの霊の集団が高級霊に引率されて来ていたり、他の霊団の者が交霊会というものを勉強するために見学に来ていることもあった。そうしたことを念頭においてお読みいただきたい。

さらに言う。


「その内訳はあらゆる民族、あらゆる国家にまたがり、しかも現代の人も過去の時代の人もいます。東洋ならびに西洋の予言者、霊覚者、聖人・賢人、地位の高かった人・低かった人、ギリシャ・ローマ・シリア・カルデア・ペルシャ・バビロニアの思想家たち、それに比較的近世のイタリア・フランス・ドイツの思想家も混じっております。みんなで意見を出し合い、それを総合して皆さんにとって最も有益なものに仕上げるのです。

それとて霊界の舞台裏で行われていることのホンの一部にすぎません。皆さんのお一人お一人に霊団がついております。その中には顔見知りの者もいますし、地上的意識では感知できなくても、何かの時にふと意識する霊的意識でもって存在を感知している者も控えているのです」

さて、その日の交霊会の開会直後に心霊治療が話題となり、シルバーバーチがその本質について語ったところ、列席者の一人が「素晴らしい真理ですね」と述べた。するとシルバーバーチが――


「真理はすべて素晴らしいのです。つまらないのは間違った知識です。なのに間違っていると知りながら、その方が慣れ親しんでいるからという理由でそれに固執し、素晴らしい真理の方は馴染めないという理由で求めようとしない人がとても多いのです。

そういう人たちは、強くなれるはずなのに弱いままでいたいのです。新しい光を求めるよりも暗いところで、間違った知識の上に築いた信仰を揺さぶられないでいた方がいいのです。

求道者の道は容易ではありません。真理というものは簡単に手に入るものではないからです。価値あるもの、高い評価を受けるものほど軽々しくは手に入らず、迷いと懐疑心の中をくぐり抜け、しかも誠実・崇敬・飽くなき真理探求心をモットーとして努力した末に、ようやく手にすることができるものなのです。

魂の受け入れ準備がすべてに優先するということです。魂がその真理を理解できる段階まで成長した時にはじめて、その真理の方からやってくるのであり、それまでは得たいと思っても得られないということです。受け入れるだけの態勢ができ上がっていないからです。豚に真珠とはそのことを言っているのです」

このあと列席者の一人が、最近バイブルを修正しようとする試みがなされている話を持ち出したところ――


「何ごともやってみることです。既得権力に対抗する側のすることであれば、何であれ激励してあげることです。その新しい改革の精神をいたるところに浸透させるのです。

何ごとも目の眩(くら)むような一瞬の閃光の中で達成されることを期待してはなりません。あの手この手と試みていくほかはありません。まさに“点滴、石をも穿(うが)つ”ようにです。

わたしたちの仕事の大きさは次元が違うのです。無知な人が口をあんぐりと開けて驚き、目をまんまるにして感心するような現象を起こそうとしているのではありません。大観衆を集めて一気に信じさせようともしません。

利己主義、私利私欲といった人生の暗部に属する勢力との絶え間ない闘いこそ、わたしたちの仕事です。偏見・迷信・間違い・嫉妬・貪欲・強欲――わたしたちはこうしたものと闘っているのです。

そこで、地上にあってそうした目的を推進してくれる人――受容力に富む心の持ち主、受容力に富む精神の持ち主、受容力に富む魂の持ち主を通して働きかけているのです。当初は困難の連続でした。反抗勢力は途方もなく大きく、障害はとても克服困難かに思えました。が、背後に控える大霊の力と、数こそ少なくても忠実にして勇気ある協力者の活躍をもってすれば絶対に挫折はないとの信念でひたすら頑張り通しました。

今日の皆さんには、これまでの百年近い艱難辛苦の実りをご覧になることができます。しかし、それとても、これから成就されていくものに較べれば、物の数ではありません。もはや形勢が逆転しているからです。わたしたちは勝利へ向けて進撃しており、その勢いを止めることのできる者は地上には存在しません。

一見したところ穏やかではあっても、しかしあくまでも力強く、わたしたちは勝利へ向けて前進しているところです。光が闇を征服し、知識が無知を負かし、喜びが悲しみと取って代わり、そして真理が勝利者となるのです」

さらに、明らかに世界中のスピリチュアリストを念頭に置いてこう述べた。


「この真理普及の仕事にたずさわっておられる方に常に忘れないでいただきたいのは、背後に控える勢力は、皆さんが人のためと思って努力なさるのと同じように皆さんのためを思って働いているということです。

皆さんの目から目隠しを取り除いてその勢力を目のあたりにさせてあげることができたらと、どれほどわたしは願っていることでしょう。わたしが見ている通りにみなさんがご覧になれたらと、どれほど願っていることでしょう。そうすれば、絶望など絶対になくなることでしょう。暗い陰など、皆さんの存在のどこにも居座る場所はなくなるはずです。辺りを包んでくれている勢力の強大さを認識されるからです」

続いて霊界におけるインスピレーションの伝達方法に触れて「こちらの組織ははしご状に上へ上へと伸びているのです」と述べてから、こう続けた。


「一つ一つの段がみな連なっているのです。ですから、物質界のいちばん低い段階にいる者でも霊界の最高界とつながっているのです。

旧約聖書に出てくる“ヤコブのはしご”は空想の作り話ではなく、永遠の実在の象徴なのです。いかなる魂でもそのはしごを一段一段と上がって行くことができるのです。地上から天界へとつながっており、大霊の力で支えられているのです」

この日の交霊会ではシルバーバーチは珍しく個人的な悩みごとを取り上げて語り合うことが多かった。その中で次のような勇気づけの言葉を述べた。


「前途を影がよぎった時は、それはあくまでも影であって実在ではないことを思い起こしてください。雲が太陽を遮った時は、それはあくまでも雲にすぎないことを思い起こすのです。試練と困難に取り囲まれた時は、それは通りすがりの小鳥がホンの少しのあいだ立ち寄っただけで、そのうち飛び去って行くものと思えばよろしい。

皆さんが手にした霊的知識は物質界のいかなる宝にも勝る貴重なものです。わたしたちは金や銀、ダイヤモンドや貴金属はお持ちしません。それよりも霊の貴重品、この世で最高の宝をお持ちします。それを大切にしなさい。(象眼細工にたとえれば)愛をはめ込み台として、その上に霊的真理という宝石を散りばめるのです。そしてそれは大霊が細心の心づかいと神々しい情愛をもって授けてくださった賜物であることを認識してください。

常に上を向いて生きなさい。俯いてはいけません。皆さんに存在を与え自らの霊性のエッセンスを吹き込まれた、巨大にして壮厳な大霊の力が日々あなた方を鼓舞し支援してくれます。

迷いがちな心を大霊の心に合わせ、荒れがちな魂を鎮めて大霊の魂に合わせ、精神を無尽蔵の大霊の貯蔵庫から出る叡智で満たしなさい。そして弱き者、挫折せる者、窮状にあえぐ者のために刻苦する人は必ずや大霊の愛のマントに包まれていることを実感なさることです。

迷わず進みなさい。身につけられた知識の中で確信をもって着実に歩みなさい。せっかくの霊的知識を賢明に、そして上手にお使いなさい。そして大霊の道具としての義務を忘れないようにしてください。“忠良なる僕よ、よくぞ任務を果たされた!”(マタイ伝)との祝福の言葉を賜るよう、お互い、それぞれの道で励みましょう。皆さんに大霊の祝福のあらんことを!」

そのあとシルバーバーチは出席者全員に向かってこう述べた。


「皆さんは死んだあともずっと生き続けるのです。その時までは、本当の意味での“生きる”とはどういうことなのか、何ものにも拘束されずに生命の実感を味わうというのはどういうことなのか、肉体に閉じ込められた今の魂では理解できない“自由”の味を満喫するというのはどういうことかはお解りにならないでしょう。

一度もカゴの外に出たことのない鳥に、囲いのない広々した森の中で、枝から枝へと飛び渡れるということがどういうものかが解るでしょうか」

「ではなぜ、魂は肉体に閉じ込められたのでしょうか」と列席者の一人が尋ねた。


「種子が暗い土の中に埋められ、そこから勢いよく成長するための養分を摂取するのと同じです。人間の生命の種子も霊的生命を勢いよく成長させるための体験を得るために、肉体という暗い身体に閉じ込められるのです。

人生体験も大きな生命機構の中の一環なのです。およそ有り難いとは思えない体験――悲しみ、辛い思い、嘆き、失望、苦しみ、痛み――こうしたものは魂にとっては貴重なのです。

しかし、それを体験している最中(さなか)にはそうは思えません。こちらに来て地上生活を振り返り、部分的にではなく全体として眺めた時にはじめて、人生の価値が鮮明に理解できるのです。逆境の中にあってこそ性格が鍛えられるのです。悲哀を体験してこそ魂が強化されるのです。

わたしたちは人生を物質の目ではなく霊的生命の知識に照らして眺めます。その次元では完全な公正が行われるようになっているからです。ですから、賢明な人とは、すべての体験を魂の成長にとって有益となるように受け止める人、試練にしりごみせず、誘惑に負けることなく、困難に正面から立ち向かう人です。そういう心構えの中においてこそ人格が成長し強化されるからです。何でもない簡単な真理なのです。あまりに単純すぎるために地上の“知識人”から小バカにされてしまうのです」

話題が変わって、サークルのメンバーが比較的若い人たちによって構成されている事実について、シルバーバーチがこう説明した。


「前途にまだまだ永い物的生活が残っているうちに霊的真理の素晴らしさを知ることができていらっしゃることを、わたしは大変結構なことと喜んでいる次第です」

「大変な光栄と受け止めております」とメンバーの一人が言うと、


「大変な責任として受け止めないといけませんよ。知識には必ず責任という代価が伴うのです。つまり皆さんは物質界で最大の光栄――霊的知識を人のために役立てることができるという光栄に浴していらっしゃるのです。物質界で大事にされているもの全てが無に帰したあと、お互いのために尽くし合った行為のみが永遠に消えることのない進化をもたらしてくれるのです。

わたしたちはあくまでも“人のため”という宗教を説きます。教義や儀式やドグマは、人のために何かしなくてはという思いを育(はぐく)むものでないかぎり、価値は認めません。祭礼や行事は大切ではありません。大切なのは霊性、すなわち内部に存在する大霊を発揮する行為です」

「宗教をどう定義されますか」と別のメンバーが尋ねる。


「わたしにとってはたった一つしかありません。大霊の子に奉仕することによって大霊に奉仕することです」

話題が心霊現象の話になり、その中でシルバーバーチが心霊実験会における物質化現象では霊媒と列席者からだけでなく、実験室内に置かれているあらゆるものが材料として使用されていることを述べると、メンバーの一人が――

「それは、それらの材料から必要な成分を抽出するということでしょうか」


「そうです。カーペット、カーテン、書物、あるいは家具でも利用します。わたしたちは物的身体をもっておりませんから、まわりにある物質を利用せざるを得ないわけです。その成分は(主として霊媒と出席者とから取りますが)ある程度はその部屋にあるものから少しずつ取ります。取りすぎるとバラバラに分解してしまいます」

「物質化現象が行われた部屋のカーテンがすぐに朽ちてしまうことがあるのは、そのためでしょうか」


「そうです。それが原因です。十分用心はしているつもりですが……」

物質化霊の衣装に色をつけるために部屋中の素材から色素だけを抽き取ることもあるという話をしてから――


「わたしたちが行っていることをもっとお知りになれば、世の中には無用のものは一つもないことに気づかれるはずです。ですが、最大のエネルギー源は皆さん方お一人お一人です。皆さんが最大の素材です」

キリスト教を信じている人の中には、霊が交霊会に出てきてしゃべるということは“霊を無理やりひっぱり出して嫌々ながらしゃべらせる”ことだから“霊にとって迷惑”であると考えている人が多いという話が持ち出されると――


「わたしにとって、この霊媒の身体を借りて皆さんと話を交わすことがどれほど楽しいことであるか――それは皆さんにはとても理解していただけないほどです。皆さんと共にいるということは、わたしにとって格別のことではありませんが、こうして面と向かって皆さんとお話ができるというのは、大変楽しいことなのです。

どうぞ、このわたしが常にお側にいて皆さんのお役に立つ用意をしていることを忘れないでください。わたしは皆さんのお友だちなのです。多分わたしの姿はご覧になれないでしょうけど、むしろわたしの方から力になってあげたいと願っている側用人(サーバント)くらいにお考えください。何かご用がありましたら、いつでもお呼びください。どうぞ、この死者に迷惑をお掛けください!」

女性メンバーの一人が最近親戚の人に起きた出来事について話し、そういうことを起こす霊は善霊でしょうか邪霊でしょうかと尋ねた。すると――


「あなたの頭の中から低級な影響――あなたは邪悪な影響とおっしゃりたいのでしょうけど――そういうものが自分につきまとうという観念を拭い去ってください。あなたは大霊とその摂理の保護のもとに生活しそして行動していらっしゃるのです。

あなたの心の中に邪(よこしま)なものがなければ、あなたには善なるものしか近づきません。善のバイブレーションが支配するところには善なるものしか住めないのです。大霊の使者以外のものがあなたの存在の中へ入り込むことはありません。あなたは何一つ恐れを抱く必要はありません。あなたを包み込んでいる力、あなたを支え、導き、そして鼓舞せんとしている力は、ほかならぬ宇宙の大霊から発せられているのです。

その力はあらゆる試練と困難の中にあってあなたの支えとなってくれます。嵐を晴天に変え、絶望の暗黒から叡智の光明へと導いてくれます。あなたは着実に進歩の正道を歩んでおられます。恐れを抱く必要はどこにもありません。

地上世界で大切と思われているものの中には使い捨てのような価値しかないものが沢山あります。真に大切なのは魂の成長にかかわることです。霊的資質が発達して内奥の神性が開発されるごとに、魂の悟りが深まるのです。単なる知識の収集では大して価値はありません。もしもそれを他人のために使わないでいると、一種の利己主義ともなりかねません。

うわべだけで物事の価値判断をしてはなりません。わたしたちと皆さんとの根本的な違いは、皆さんが外面から判断なさるのに対して、わたしたちは霊の目でもって動機と目的を見抜いてしまう点です。その方が結果そのものよりも大切だからです。変転きわまりないうわべの現象の背後にある、永遠の実在を見抜くように努めないといけません。

階級・肩書き・職業・肌の色――こんなものが大霊を前にして何の意味がありましょう。真に誇れるもの、真の気高さは魂にかかわるもの、霊にかかわるもの、精神にかかわるものです。それこそが永遠の実在なのです。

イエスも同じことを説いています。“神の王国は自分の中にある”(ルカ伝)“地上の宝を貯えてはいけない――虫に食われず錆びつかず盗人も盗み出せない宝を貯えよ”(マタイ伝)。

わたしたちも同じ真理を説いているのです。真理は真理であり、永遠の原理は決して変わることはないからです。

物質の中に閉じ込められている皆さんにとって霊的実在を原理とした物の考え方をするのが難しいものであることは、わたしもよく知っております。しかし、そういう考え方をお教えするのが、わたしたちがこうして地上へもどってきたそもそもの目的なのです。皆さんが人生を正しい視野、正しい焦点でとらえてくださるように導くことです。

忘れないでいただきたいのは、地上生活は永遠の生命活動の中のホンの一かけらにすぎないということです。ただの影を実在と思い違いをなさらないようにしてください」

それから最後の忠告として、こうして霊界から届けられる教訓はサークルのメンバーにとってはすでに当り前のことのようになっていても、他の人々――人生に疲れた人、心を病んでいる人、迷いと疑念に嘖(さいな)まれている人たちにとっては「心地よい、さわやかな新風であり、まとわりついたクモの糸を吹き払い、精神を鼓舞される思いがするものです」と述べて、こう締めくくった。


「魂が霊的真理の光の有り難さを味わえるようになるまでには、時として大きな迷いと疑念、悲哀と倦怠と幻滅を体験しなければならないことがあるのです。

わたしたちの仕事は順調に広がりつつあります。そのことだけは確信をもって断言できます。わたしがいつも楽観的な態度を強調し勝利は間違いないことを申し上げるのはそのためです」

祈り


ああ、真白き大霊よ。

あなたの無限性を物質に閉じ込められている子等にどう説明すればよろしいのでしょうか。言語を超越しておられるあなた、いかなる尺度をもってしても計ることのできないあなた、その叡智は地上のいかなる智者の叡智をも超越し、その愛はかつて地上で示されたすべての愛をも凌ぐ無限なる存在にあらせられるあなたを、わたしはどう説き明かせばよろしいのでしょうか。

全生命の大源におわしますあなた、あらゆる存在を通してその霊性を顕現しておられるあなた、物質の世界と霊の世界の区別なく、生きとし生けるものすべてに見出すことのできるあなたを、わたしはいかに表現すればよろしいのでしょうか。

わたしは全大宇宙とそこに顕現せるものすべて――あらゆる活動の中に顕現している生命の律動(リズム)に目を向けさせます。昇っては沈みゆく太陽、夜空にきらめく星座、心地よく屋根をうつ雨音、ささやくような小川のせせらぎ、のどかな蜜蜂の羽音、風に揺れる可憐な花々、そして轟く雷鳴と闇を切り裂く稲妻に目を向けさせます。

かくして生命のあらゆる現象に向けさせたあと、わたしはそれがあなたとあなたの摂理の表現であることを確信をもって明言いたします。何となれば、あなたは摂理そのものにあらせられる――永遠にして不変の摂理として顕現されているからでございます。

その顕現の中でも、物質の世界よりも高度な次元に属するわたしたちは、その次元すなわち霊の世界において知れわたっている不変の因果律を教えるべく、こうして地上へもどってまいります。わたしたちはあなたを有るがままの存在として啓示し、物質に対する霊の優位性を立証し、あなたとわたしたち子等との霊的な絆を教え、物質の子等もあなたの一部であり、あなたの霊性がすべての子等に宿り常に表現を求めている事実を理解させたいと願っております。

ああ、真白き大霊よ。

わたしたちはあなたの叡智のお蔭をもって、内奥のより高き自我を呼び覚まして生命の大源たるあなたとの調和をもとめることをお許しくだされたことに感謝の意を表します。神性を帯びたあなたの遺産を求めそして我がものとし、魂の内奥に潜む実在を見出しているところでございます。

願わくばこの光の神殿(交霊会)において、これまで久しく忘れ去られながらも、あなたを求めた数少ない霊覚者にのみ明かされてきた霊的摂理のいくつかを立証することができますように。

ここに、人の役に立ち愛の摂理を立証することをのみ求める、あなたの僕インディアンの祈りを捧げます。



Tuesday, June 27, 2023

シアトルの夏  シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ

Amazon.co.jp: スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ―シルバーバーチの霊訓 : トニー・オーツセン, 近藤千雄: 本



編者まえがき


「人間が食べるものや着るものを得るために動物を殺すのは間違いでしょうか」

「霊媒は菜食にすべきなのでしょうか」

「今の世界にとって必要な最も緊急な改革は何でしょうか」

「新しい魂はひっきりなしに生まれてきているのでしょうか」

「微生物にも意識があるのでしょうか」

「指導霊(ガイド)というのは特別に付けられるものなのでしょうか」

次から次へと出されるこうした質問に、ハンネン・スワッファー・ホームサークルの指導霊であるシルバーバーチは喜んで耳を傾け、それをもとにして大きく話題をふくらませていく。そこには他に類を見ない絶妙のうまみがある。

そのシルバーバーチが入神霊媒モーリス・バーバネルの口を借りて語る叡智の言葉を聞くために、ここ半世紀の間には実に大勢の人が訪れている。各界の著名人も少なくなかったが、大半は真理を求めて霊的巡礼の旅をつづける、ごく平凡な人たちだった。

シルバーバーチがいらだちを見せたり、不満を口にしたり、面倒がったり、怒りを見せたりしたことは、ただの一度もない。その叡智にあふれた言葉、世界中から尊敬と崇拝の念すら受けた流麗な言葉を聞くために週一回――晩年は月一回――その交霊会に出席した人の人間性を個人的に品定めする言葉も一切もらしたことはなかった。

本書に収めた資料の大半は、ここしばらく入手が困難だったものである。断片的にはこれまでの霊言集に出ているものも無きにしもあらずであるが、大半は交霊会が始まった初期の頃にサイキックニューズ紙に掲載されたものを切り抜いて大切に保存してくださっていた当時のメンバーの方たち(の家族)から提供していただいたもので、それに私が念入りに目を通して構成した。

こうした珠玉の教えを読み、咀しゃくして、中身の濃いものに仕上げるという作業は、実に愛と忠誠心なくしてはできない仕事である。永いあいだ忘れられ、そろそろ黄ばみかけてきた切り抜きに新しい生命を吹き込むことができるとは、何と素晴らしいことであろう。それも詰まるところは、シルバーバーチの哲学は決して古びることも、色あせることも、また、その言葉が光沢を失うことも有りえないとの確信があればこそなのである。

かつての交霊会のメンバーの大半はすでにこの地上を去り、実りの彼岸に到達しておられる。それゆえ本書は、そうした先輩たち、見えざる彼岸とこの世との掛け橋を、苦労しつつも喜んで築いてくださった人たちに捧げるものである。

「古くさいおとぎ話はぜんぶ捨て去りなさい。愚かしい迷信を破棄しなさい。偏見のくさりを解き放しなさい。そうしたものがあなたの視野をぼかし、精神を束縛するのです。心にゆとりを持ちなさい。謙虚になりなさい。そして叡智の泉から送られる神の啓示をいつでも受け入れられる用意をしておきなさい。わたしの言葉をお読みくださる方に申し上げます――“行きて汝もそのごとくせよ”と」(ルカ伝)。

かく述べるシルバーバーチのメッセージは、かつてと同様、今の時代にも通用する。いや、今この世にいるわれわれが人生の旅を終えて本来の住処(すみか)である輝かしき霊の世界へ戻ったあとも、末永く愛読されつづけることであろう。

トニー・オーツセン

Monday, June 26, 2023

シアトルの夏 霊とは何か 

 what is a spirit

白樺」のアイデア 26 件 | 白樺, 風景 イラスト, テキスタイル デザイン

 

〔霊魂とは何か。科学者は霊魂の存在を認めないし、正統派を主張するキリスト教会はそれについて何も知らない。シルバーバーチは、霊魂とは大霊の分霊であると明言し、私たち人間と大霊は、その分霊によって常に結ばれていると言う。〕


――人間の物的身体は何によってコントロールされているのでしょうか。また、それはどこに位置しているのでしょうか。


私はそれがどこにあるのか知りませんし、見つけ出すこともできません。科学者たちは、肉体を解剖すれば隅に隠れている霊魂を見つけることができると思っています。

あるいは霊魂は血管の中を流れていたり、どこかの臓器に隠れていると考えています。しかし霊魂は、肉体のどの部分にも存在してはいません。


――でも霊魂は、肉体の内部にあるのではないでしょうか。


霊魂は、内部にあるとか外部にあるとか言えるようなものではありません。霊魂はすべての場に充満しています。霊魂とは意識のことであり、肉体によって制約されるものではありません。

それは無限の広がりを持つと同時に、進化の頂点にまで至ることができます。そして一瞬のうちに地上をめぐることができるものなのです。

あなた方が霊的身体で遠い所に赴くとき、霊魂はどこにあるのでしょうか。こう言うと、あなた方は地上の距離感覚で想像するでしょうが、私たちにはそうした感覚はありません。霊魂によって制限される空間はないのです。


――「魂(ソウル)」と「霊(スピリット)」の違いは何でしょうか。


私は、それらをどう呼ぶかにはこだわりません。あなた方の辞書は私がつくったわけではありません。

私の言う魂とは、内在する大霊のことです。霊とは、魂が顕現するための身体です。しかし他の人は、私とは違う意味でそれらの言葉を用いています。(シルバーバーチ自身も逆の使い方をしていることがある。シルバーバーチはここで「分霊」を「魂」と表現し、「霊体」を「霊」と表現している――訳注)


――顕現するための身体という表現はともかく、霊(スピリット)とは何なのでしょうか。


霊とは、あなた方の言う神、すなわち大霊の一部であり、媒体を通して自己を顕現しつつ、より高みを目指してどこまでも向上していくものです。

霊は、媒体を通して顕現することで初めて知ることができるものであり、顕現していない霊について知ることは不可能です。


訳注――「霊」という言葉には、いろいろな意味がある。例えば、人間の本質である「分霊」を「霊」と言う一方、死後の人間(他界者)のことを広く「霊」と呼んでいる。日本人は圧倒的にこの使い方が多い。また意味不明のまま「霊魂」という言葉を用いることもある。

ここでは質問者が、人間の霊的要素についての認識が乏しいところから質問しているため、シルバーバーチの答えも、それに合わせようとして矛盾が生じている。

質問者と、それに答えるシルバーバーチとの間に用語の使用の点で混乱が見られ、錯綜した質疑応答となっている。

さらに編者のオースティンが魂(霊魂)という言葉を用いて解説しており、いっそう理解しづらい内容となっている。

シルバーバーチ

Sunday, June 25, 2023

シアトルの初夏「スピリティズムによる福音」



本書には、スピリティズムの教義にもとづいたキリストの道徳的原理の解説、並びに、日常生活でのさまざまな場面におけるその応用が著されている。

揺るがぬ信仰とは、人類のどの時代においても道理と真正面から立ち向かうことのできるものでなくてはならない。
 

────アラン・カルデック

 序 章 

Ⅰ、 本書の目的
福音書に記された内容は五つの部分に分類することができます。
1、キリストの生涯における出来事。  2、奇跡。 3、預言。 4、教会の教義を確立させるために用いられた言葉。 5、道徳的な教え。

 最初の四つの部分は議論の対象となってきましたが、最後の一つに関して異議を唱える者は誰もいません。この神聖なる法の前には、不信心さえも屈するのです。

道徳的な教えは、すべての宗教が交わるところであり、この法の旗のもとには、信仰の対象がどのように違っていようとも、万人が宿ることができます。

教義の違いが引き起こす、様々な宗教的論争の対象にはなり得ないものなのです。もし、これについて議論しようとするならば、その宗派は、自らに対する非難に出遭うことになるでしょう。また、そのような宗派はほとんどの場合、一人一人の改革を強いる道徳的な部分よりも、神秘的な部分に執着しているものです。

 キリストの道徳的な教えとは、人類の個人的・社会的生活のあらゆる状況における行動の規則であり、最も厳格な正義によって築かれた、全ての社会関係の原則となるものです。

幸福を手に入れるために何よりも間違いのない道であり、ベールに覆い隠された未来の生活の一端を垣間見せてくれるものなのです。本書を発刊する極めて重要な目的はこの部分にあります。

 誰もが福音の道徳に感心し、その崇高さと必要性を唱えます。多くの人が、他人が言ったことを信じたり、格言と化した教えの言葉を用いたりしていますが、その深い意味を知る者は非常に少なく、そこから結果を引き出すことが出来る人は更に少ないといえます。

それはほとんどの場合、読み方が難しくて、多くの人が福音を理解できないからです。これでは、意味を理解することなく祈りを唱えるのと同じで、全く無益なことになってしまいます。福音の朗読が、義務感から強要されて行われるものになってしまっていることは否めません。

 福音を理解できない原因の一つとしてあげられるのが、装飾的な表現や意図的に神秘性を加えられた言葉の多用です。方々に散らばった道徳の規律は、物語の間に入り混じっているために見失われてしまい、全体を一つとして理解し、朗読の対象となるものと、熟考の対象となるものとに区別することができなくなってしまうのです。

 これまでにも、福音の道徳に関するさまざまな専門書が確かに書かれてはいます。しかし、その現代的で文学的なスタイルは、素朴な簡潔さを失ったことで本来の魅力と威厳を薄れさせ、中には、最も際立った教えを、格言的な表現に簡略化してしまったものさえあります。

簡略化された教えは気の利いた格言に過ぎず、その教えが伝えられた時の状況や場面の説明が伴っていないために関心が奪われてしまっているのです。

 こうした不具合を避けるために、本書では信仰する宗教が何であるかに関わらず、全世界共通の道徳の法として構成することのできる条項を集めました。

引用については、その考えを発展させるために有効な箇所は残し、テーマに関連しない部分だけを除外しました。また、筋の分割に関しても、サシ―(sacy)による翻訳に正確に従いました。(→和訳注1)。

しかしながら、教えを年代順に追うことが不可能なこと、また、そうすることによって得られる実質的な利点がないことから、相応する性格に従って系統的に分類し、一つ一つの教えがつながっていくよう、出来る限り努めました。章の番号と節の番号を付したことにより、必要に応じて一般的な分類で調べることもできます。

 しかし、これは本書の物理的な特徴であり、二次的な目的でしかありません。最も肝心なことは、曖昧な部分をきちんと解説し、生活のあらゆる条件にあてはまることを考えながら、教えを充分に展開させて、皆の手の届くところにおくことです。

本書では、私たちを見守ってくれている善霊たちの助けを借りながら、そうすることを試みました。

 福音書や聖書など、一般的な聖典には不明瞭な部分が多く、中には本当の意味を理解するための鍵が見当たらないために、道理にかなっていないのではないかと誤解を受けるようなものもあります。スピリティズムにはこのような鍵が完全な形で存在しています。

教義を真剣に研究した者たちを納得させたように、後になれば、その鍵がどれほど役立つものかを知ることが出来るでしょう。スピリティズムは、太古より人類のあらゆる時代、そしてすべての場所に存在してきました。文献、信仰、記念碑等、あらゆるものの中にその形跡を見つけることができます。

曖昧さを解く鍵と長い歴史の中で育まれた英知が、未来へ向けて新しい地平線を拓くと共に、過去の謎に明るい光を投じるのです。

 各々の戒律について、補足として幾つかの指導を選択して加えてありますが、それは様々な国でさまざまな霊媒を通して霊たちが伝えたものです。つまり一箇所だけから得られたものではないということです。従って特定の個人やそれを伝えた者たちの影響を受けているというものではありません。

このさまざまなところから得られたという事実は、霊たちが国や人種を超えて同じ教えを伝えていること、また、そうした教えによってどんな特権を受けた者もいないのだということを証明するものでもあります。(→備考1)

 本書はすべての者のためにあります。本書からすべての者が、キリストの道徳に則して行動する方法を知ることができます。その方法とはスピリティストにとっては特に関係の深いものです。人間と不可視の世界との関係が今後も永遠に成り立っていくお蔭で、霊たちが全ての国々に教えてくれた福音の法は、もはや死語ではなくなるのです。

なぜなら、一人一人がそれを理解することによって指導霊たちの忠告に従い、継続してそれらを実践することを強いられることになるからです。霊たちによってもたらされるこうした指導はまさしく天の声であり、人類の謎を解き明かし、福音の実践へと導いてくれるものなのです。
●備考1
 それぞれのテーマに関して本書の中で引用されたもの以外にも、他の町や他のスピリティスト・センターにおいて多くの通信が受けられていたことが勿論考えられます。しかし、無意味な繰り返しによって単調になることを防ぐ必要があったため、また、基調と形式において本書の計画に最も適当なものに選択を絞らねばならなかったため、本書に記すことのできないものについては今後の出版のために取っておくことにしました。

 霊媒たちに関しては、彼らの名前を記すことは避けました。なぜなら、名前を記すことは自尊心を満足させることでしかなく、彼らはそのようなことにはまったく価値を見出さないからです。本当に真剣な霊媒は、霊たちと通信するという自分の役割が、単に受動的なものであり、自分の価値を高めるものではないということをよく理解しています。この知性的な仕事に自分は機械的に協力したに過ぎず、おごってしまうことが愚かであることを知っているのです。



 Ⅱ、スピリティズムの教義の権威  霊たちによる教えの普遍的管理

 もし、スピリティズムの教義が、全く人間だけの考えによって成り立ったものであったとしたら、この教義を実際に思いついた人を啓発すること以外に、なんの保証もすることはできなかったでしょう。この世における唯一絶対の真理を手に入れようと考えることは誰にもできません。

 また、もし霊たちが、啓示をたった一人の人間にだけもたらしていたとすれば、その啓示がどこから来たのかを誰にも保証することはできないでしょう。なぜなら、霊たちから教えを受けたと主張する者一人だけの言葉を、私たちは信じなければならないからです。

その教えを、いやしくも私たちがこの上なく誠実に受け止めたとしても、その者ができることは、せいぜい自分の周囲にいる人々を納得させることくらいでしょう。一つの宗派を設立することが出来たとしても、世界中の人々を集結させることはできません。

 神は新しい啓示がもっとも早く正当な方法によって人類に届くことを望んだため、地球の端から端まで啓示が運ばれて行くよう霊たちに託し、霊たちはあらゆる場所で啓示を残しました。

特定の人間だけにその言葉を聞く特権を与えるようなことはありませんでした。啓示を受けるものが一人であれば騙されたり、間違えたりします。しかし何百万もの人々が同じことを見たり聞いたりした時には、そうではありません。

さらに言うならば、一人の人間を消すことはできても、すべての人を消すことはできないのです。そして、本を焼却することはできても、霊たちを燃やすことはできません。

たとえすべての本を焼却したとしても、教義の源は無尽蔵であり続けます。それは教義の源が地上にあるのではなく、どのような場所にも表れる霊たちの中にあるからで、誰もがそこに胸の渇きを癒すことが出来るのです。

 あとは教義を普及させる人々がいればよいのです。霊たちは、常にすべての人々に対して働きかけているのですが、そうした霊たちの存在にすべての人が気づくわけではありません。そのため、霊たちは無数の霊媒の力を借りて教義の布教を行っているのであり、世界中のさまざまな場所から教えを示してくれているのです。

 もし、ただ一人の紹介者しか存在しなかったとしたら、その通訳の内容がどんなによいものであっても、スピリティズムはこれほどまでに知られることにはならなかったでしょう。その通訳者がどんな階級に属していようとも、多くの人々から警戒され、すべての国々で受け入れられることはなかったと思われます。

 霊たちは、地球上のあらゆる場所で、すべての国の人々や宗派、すべての政党に対して通信してくれるので、誰もがそれを受け入れることができます。スピリティズムには国境がありません。又既存の宗教の一部をなすものでもありません。誰もが他界した家族や友人から指導を受けることができるのですから社会階級を問うこともありません。

そうでなければ、スピリティズムが人類すべてを兄弟愛へと導くことができないからです。中立的な立場を維持しなければ、不和を鎮めるどころか勢いづけることになってしまいます。スピリティズムの力と、その大変速い普及の理由は、こうした遍在性ある霊たちが普及させているということにあります。

 たった一人の人間の言葉でしかなければ、出版という力を借りたとしても、すべての人々に知れわたるまでには何世紀もかかることでしょう。それを、幾千もの声が地球上のあらゆる場所で、最も無知な者から最も博学なものまで、誰もがそれを受け継ぐことができるように、同じ原理を同時に宣伝してくれるのです。

これは、今日まで生まれたいずれの教義も享受したことがなかった有利な点です。したがってスピリティズムが真理であるならば、人間に嫌われたり、道徳的な革命が起こったり、あるいは地球が物理的に崩壊したりすることがあったとしても、その影響が霊たちのもとまで及ぶことはないのですから、恐れることは無いのです。

 このような特別な立場にあることからスピリティズムに与えられた有利な点は、こればかりではありません。スピリティズムには、人々の野心や、霊同士の矛盾から生じるどんな意見の違いからも攻撃されることはないという保証があります。

意見の相違がおこることが障害となることは間違いありませんが、善と悪とは隣合わせですから、その障害自体が、その障害を取り除く薬を持ち合わせているのです。

 霊たちは、自分たちの能力には差異があって、真理のすべてを手にすることはとてもできないということを自覚しています。ある種の謎については、限られた霊にしか知ることが許されておらず、一人一人の霊の知識は、各々の浄化の程度に応じているのです。

 平凡な霊たちは、多くの人間が知る以上のことを知ることはありません。しかし中には、人間同様、自分の知らぬことを知っていると思い込んで、うぬぼれたり知ったかぶりをする者がいるのです。

自分の考えが真実であると思い込む者もいます。また、自分たちが描く理想郷を真の理想郷だと信じ込ませようと、自分たちよりも高級な分類に属する霊の名前を平然と名のって、人を騙そうとする霊がいることも知られています。

結局のところ、現世的な偏見や考えを捨て去っているのは、物質的な観念から完全に脱却し、より高級な分類に属する霊たちだけなのです。

 ですから、啓示を得たとしても、それが道徳的な教えの範疇からはずれたものである場合はすべて、その啓示が個人的な性格を持った不確実なものであると疑う必要があります。このような啓示は一人の霊の個人的な意見として捉えるべきであり、それを絶対的な真実として軽率に広めては、慎重さに欠けることになります。

 その啓示が確実なものかどうかを証明するための第一の分析方法は、霊から伝えられたすべてのことを、もれなく理性によって分析することです。良心や厳格な理論、すでに得られている肯定的な事実に矛盾する理論は、それがどんなに表敬に値する名前によって署名されていたとしても、すべて否定されるべきです。

しかしながらこの分析方法は、自分自身に対して絶対的な自信を持っていない限り、行うのが難しいと言えます。実際、知識が欠けていたり、自尊心の強い傾向にある人が多かったりすることから、多くの場合、この分析方法だけでは不十分でしょう。では、他にどんな方法があるのでしょうか?

大勢の人々の見解を求め、それを自分の意見の指針とすればよいのです。これは、霊たちが私たちに与えてくれている方法でもあるのです。

 霊たちは、さまざまな場所で複数の人間に、同じ教えを示します。霊たちからの教えが一致していることが、最良の真偽の証明になるのです。しかし、それがある決められた条件下で示されたものであることが大切です。例えば、ある疑わしき事項について、一人の霊媒がさまざまな霊に対して尋ねるというのでは、証明する力が弱くなります。

なぜなら、その霊媒が憑依のもとにある場合、もしくは人を騙す霊と結びついている場合、その霊が同じことを様々な名前を用いて述べるに違いないからです。

また、一つの集会所でさまざまな霊媒を通じて得られた教えが一致したとしても、やはり、霊媒たちが同じ影響下にある可能性があるため、それが確実な啓示であることを十分に証明することにはなりません。

 霊たちの教えの唯一の保証が存在します。お互いに知らない多数の霊媒たちを通じ、さまざまな場所で霊たちによって自発的に伝えられた啓示が一致していることです。


 これは、二次的な関心事に関する通信についてではなく、教義の原理に関した通信についてそうであるということに注意してください。経験によりある新しい原理が述べられる時、それは自発的にさまざまな場所で、同時に、その形式や真意までも同じ方法で伝えられるということが判っています。

ですから、もしある霊が、風変わりな方法で自分の意見を全面に出して真実を除外するようであれば、その意見は広まることなく、あらゆる場所において伝えられる確実な真理の教えの前に、必ずや崩されることになるでしょう。そのような事例は、これまでにも沢山あります。

スピリティズムの始まりにおいて、可視の世界と不可視の世界との関係を支配する法が知られる以前には、こうした不一致を排除する方法が、部分的に現れた、霊現象に対する個々の独自の説明を崩していったのです。

 教理の原理を確立する際に、私たちはこうした不一致を排除する方法に頼りました。霊たちの教えの一致です。私たちの考え方の一致ではありません。真実は私たちが作り上げたものではないのです。

ですから、「信じてください。なぜなら私たちが信じなさいと言っているのですから」などと、私たちが至上の真実の裁定者であるかのように主張することは決してありません。

私たちの意見は個人的な意見にしか過ぎず、それが真実であるにせよ偽りであるにせよ、他の考え方と比べて絶対に確実であるとも考えていません。私たちがそのことを真実としているのは、単にある原理が教えられたからではなく、一致した容認を受けたからなのです。
℘23
 地上のあらゆる場所に、霊たちからの通信を受ける、千に近い敬虔なスピリティズムの集会所があり、それぞれの受けた啓示が一致することで、どんな原理を確立しているかを観察する条件が、私たちには備わっています。この観察が、今日まで私たちを導いてきたのです。

そしてまた今後も、スピリティズムが新たに開拓しなければならない分野へと導いてくれるでしょう。

なぜなら、フランス国内を始め、諸外国からきた通信を注意深く観察すると、それぞれの啓示には共通した特別なメッセージが込められており、スピリティズムが新しい方向に進もうと、前へ向かって大きく踏み出す時が来たことを示唆しているからです。

 これらの啓示は、隠された言葉によってなされることが多いため、それらを受けた人たちにもしばしば見逃されてきました。また、自分たちだけが啓示を得られるのだと、勘違いしてしまう人もいました。

霊たちから送られる啓示は、一つ一つを個別に受け取ったというだけでは、私たちにとってどんな価値も持ち得ません。それらの通信内容が一致していることで初めて、重要性を持つことになるのです。

各々が同じ意味の通信を受けていたことは、後に公開されて知ることになります。こうした全体的な動きについて、どう扱うかの判断を助けてくれている私たちの指導霊たちに助力を受けながら、私たちは観察・研究したのです。

 こうして世界的に証明されることは、スピリティズムの未来永劫の普遍性を保証し、それに矛盾する全ての理論を打ち消すことになります。それを実現することができるようになった時こそ、スピリティズムは、真実の基準となり得るのです。

「霊の書」「霊媒の書」に著された教義が継承され続けてきたのは、人々がこれらの本に書かれたことを証明する啓示を、あらゆる場所で霊たちより直接受けたからです。万一、霊たちがこれらの本の内容と矛盾することを世界各地に出没して伝えていたとしたら、他の空想的な概念の全てが被ったように、これらの書物はとうに支持されなくなっていたことでしょう。

そうなるといくら出版社が本を出したところで無駄な努力です。しかしながら、そもそも『霊の書』『霊媒の書』は、出版社から助けを得ることができませんでした。

それでも道を閉ざされることなく、速い速度で広まって行きました。そこには霊たちの助力があったのであり、彼らが充分な意思をもって普及させたことにより、人間の悪意をも圧倒したのです。いかなる思想も、霊たちから発せられたものであれ、人間から発せられたものであれ、あらゆる対決の試練に耐え抜くことが、誰にも反対できない力の存在を示すことになるのです。

 
 仮に、本書に対抗する内容の本を書くことに喜びを感ずる霊がいたとしましょう。そして敵意をもって、スピリティズムの教義の信用を失わせようと、偽の通信を引きおこしたとします。

しかし他のすべての霊が、その霊と反対のことを言っていたとすれば、その霊が書いた書物が本書に一体どんな影響を及ぼすことができるでしょうか。どんな考え方であれ、自分の名を名乗って掲げるのであれば、このように多くの霊たちとの合意を得ようとしないことには、それが存続するための保証を得ることはできません。

たった一人の唱える主義主張とみなが唱えるものとの間には、一瞬から永遠までの距離があります。何百万もの友好的な声が届き、それが宇宙のすみずみから家庭の中にまで聞こえわたる時、それを汚し、その価値を失わせようとする論議に何ができるというのでしょうか。

この理論については、何もできないということをすでに実証済みです。スピリティズムを倒そうと意図して、これまでに書かれた無数の出版物はどうなったでしょうか。そのうち一冊でも、スピリティズムの歩みを遅らせることができたのでしょうか。

現在に至るまで、そのようなことが重要な問題として議論されたことはありません。いずれの書物も、それぞれが勝手な考えを伝えたのに過ぎず、霊たちが伝える真の啓示に従ったものではなかったのです。

 一致の原則は、スピリティズムが特定の個人の都合のいいように変更を加えられたり、利益目的の宗派に変えられたりしないように保証するものでもあります。根本的な神意を曲げようとする者は、成功することはないでしょう。なぜなら、霊たちの教えは普遍的なものであり、霊たちは、真実から遠ざけようとするいかなる変更をも地に倒そうとするからです。

 こうしたことのすべてから根本的な真実が導かれます。すでに確立され公認されている考えに対抗しようとする者は、確かに、ごく限られた場所で一時的に動揺をもたらすことが出来るかもしれません。しかしその時においても、また、未来においても、全体を支配することは決してできないのです。

 また、霊たちによって与えられた指導であっても、それがまだ教義によって解説されていないことに触れており、孤立して存在しているうちは、それが法をなすものでないのだということを強調しておきます。ゆえに、結局のところそうした指導は、今後解明されることが必要なものと言う制限つきで、受け入れられなければなりません。

 これらの指導を公表するか否かについては、この上なく慎重に吟味する必要があります。そしてそれを公表してもよいと判断された時には、必ず、それが正確な啓示であるという確認を事前に取ったうえで、まだ一致による容認を受けていない、個人的な意見に過ぎないものとして公開することが大切です。

軽率であるとか、浅はかな信心だと非難されたくなければ、ある主義主張を絶対的な真実であると公開する前に、その確認が取れるのを待つことです。

 人智を超越した英知によって、優秀な霊たちは啓示を行います。教義の大きな問題については、知性がより高い水準の真実を理解することができるようになるに従って、またその状況がその新しい考えを送信するにふさわしくなった時、徐々に伝達していきます。

このような計画があったので、最初から一度にすべてのことを伝えなかったのです。今日においてもいまだすべてを伝えられてはおらず、だからと言って、機が熟していないうちから啓示を求めたところで、与えられるものではないのです。神が其々の事柄に対して割り当てた時間を早めようとすることは、無駄なことです。

なぜなら、時間を早めようとしたとき、本当に真剣な霊たちはそれに同調することを拒むからです。軽率な霊は、真実に囚われることなく、全てのことに返事をします。そのために、機の熟していないあらゆる質問には、いつも矛盾した答えが返ってくるのです。

 この原則は、個人的な理論によってもたらされたものではありません。霊たちがおかれている状況から必然的にもたらされたものなのです。ある一人の霊があることをある場所で言う一方で、何百万もの別の霊がその反対のことをどこかで言うのであれば、押し量られる真実とは、たった一人、もしくはほぼ一人とみられる者が持つその考えの中にあるはずはありません。

誰か一人が、その他すべての者に反対されながら、理に適っていると主張しようとすることは、人間の間で理屈に合わないと同様に、霊たちの間でも理屈に合いません。

本当に思慮深い霊たちは、ある問題に関して十分に理解しているという自信がない限り、自分が絶対に正しいと主張して、その問題を解決することは決してありません。彼らは、自分の個人的な観点からその問題を扱っていることを宣伝し、その確認を待つことを勧めます。

 その考えがどんなに美しく、正しく、偉大であったとしても、啓示を受けたばかりの時は、あらゆる意見を集約することが不可能です。従って、複数の意見が衝突するのは避けられないことです。

しかし、複数の意見を衝突させることは、真実をより際立たせるためには必要なことであり、偽りの考えがすぐに取り除かれるためにも、早くからおきた方が良いことなのです。

ですからスピリティストはこれに関して恐れを抱く必要は全くありません。孤立したあらゆる思い上がった考えは、普遍性を持つ偉大で強力な基準の前に、自ら淘汰されることになるのです。

 ある一人の意見に他人が集まるのではなく、異口同音に発せられる霊たちの声に集まるのです。それは一人の人や、私たちや、スピリティズムの正当性を確立させることになる別の誰かでもありません。または誰であれ、一人の霊が強要しに来るのでもありません。

それは神の指示により、地球のあらゆる場所において通信する霊たちの教えの普遍性に集まるのです。それがスピリティズムの教義の根本的な性格であり、その力であり、権威です。神はその法が揺るがぬ基礎の上に君臨することを望み、そのために一人のはかない頭をその基礎としなかったのです。

 派閥や妬み深い競争相手、宗派、国家さえも存在しない、それほど強力な審判の前には、あらゆる反対意見も、野心も、個人的な優位性に立ったうぬぼれも崩壊してしまいます。私たちが自分自身の考えによって至上の法を変更しようとすれば、自らを破滅させることになってしまうのです。

神のみが論争すべき問題を決定し、異論者には閉口させ、道理にかなう者にはその正当性を与えるのです。こうした天からの威厳あるあらゆる声の前に、一人の人間や霊の意見に何ができるというのでしょうか。一つの意見、それは海の中に落ちて消滅する一滴の水や、嵐によって打ち消される子供の声よりも小さなものなのです。

 普遍的な意見こそが最高の審判であり、それは最後の時に発せられることになるのです。普遍的な意見はあらゆる個人的な意見によって形成されています。もしそのうちの一つが真実であれば、秤にはその相対的な重量しか示されないことになります。それが偽りであれば、その他の意見に対して勝ることはありません。

この広大な集合の中に全ての個人的な偏った考えが消えて行くことになり、人類の自尊心(→和訳注2)はここでも生き延びることが出来ないのです。

 神の意志のもとに働く霊たちの動きはすでに出来上がっているのです。今世紀は、その働きが輝くことにより、不確実な部分を明らかにすることなしに終わることは無いでしょう。すでに土地は十分に耕されているため、今からその時までは使命を受けた力強い声が、人類を一つの旗のもとに集めることになります。

それが実現するまでの間、二つの相対する主義の間をさ迷う人には、一般的な考えがどちらの方向に向かって形成されて行くのかを観察することができるでしょう。その方向を正しく示すのは、さまざまな場所において通信する霊たちの大半が発言することであり、それが、二つの主義の内のどちらが生き残るかを示す確かなしるしとなります。


Thursday, June 22, 2023

 シアトルの初夏 霊的知識の普及を祝して──

Celebrating the spread of spiritual knowledge—

Amazon.com: インペレーターの霊訓―続『霊訓』: 9784806311867: ספרים

  スピリチュアリズムの意義について──
 

 「スピリチュアリズムは霊界の存在と霊との交信の可能性という二つの事実以外にも実に多くのことを教えている。

間違いなく言えることとして私が付け加えたいのは、人間の運命の決定者は自分自身であり、自分の性格も自分が形成し、将来の住処(死後に落着く環境)を地上で築きつつあるということである。

道徳的向上心を鼓舞するものとしてこれほど素晴らしいものは無いし、それをスピリチュアリズムほど強烈に所有している宗教思想を私は他に知らない。

 人間は地上生活で築いた人間性そのままをたずさえて死後の生活を開始すること、他界した肉親・友人・知人は今なお自分を愛し、見守ってくれていること、罪悪も過ちも必ず自分で償わねばならないこと、いかに都合のよい教義をでっちあげても無罪放免とはならないこと──以上のことを立証し、さらにまた多くのことを立証して行けば、スピリチュアリズムは現代に対して計り知れない宗教的影響力の根源を秘めていることになる」

 日常生活の大切さについて──
 

 「人間は日常生活での行為と習慣によって刻一刻と魂を築いている。それが霊的本性であり、現段階でこそ幼稚で不完全であるが、永遠に不滅であり、未来永劫に進化する可能性を秘めている。

それが真実の自分であり、永遠の存在である。死後の状態の責任はすべて、根源的に、そして何よりもまず、自分自身にある。自分の運命の決定者は自分であり、自分が自分の将来の開拓者であり、自分の人生の最後の裁き人も自分である。

 こうした教えが説教壇から聞かされることが少なすぎる。が、その重要性は実に遠大である。これを知ることは全ての人間にとって極めて重要である。道徳と宗教の全分野において、その影響力は計り知れないものがある」 
 

 霊的知識の普及を祝して──
 

 「霊界からの霊的真理普及のための働きかけがいよいよ頻繁となってきたことは慶賀に堪えない。このことは見えざる指導者たちが、思いもよらないさまざまな方面で、通信を地上へ送るための通路を求めているとの確信を与えてくれる。

真理のすべてが一人の霊媒のみを通じてもたらされることはあり得ない。無数の側面を持つ真理がたった一個の精神で理解できるわけがない。そうしたさまざまなチャンネルを通じてもたらされる真理になるべく多く耳を傾ける者が一ばん多くを得ることになる。もうすべてを知り尽くしたと思う者が実は一ばん真理を学んでいない。

 〝真理の太陽〟の光が千々に砕けてわれわれの周囲に輝いている。

それを拾い集めて一つの理想的体系を整えるべき機が熟している。今ほとんど世界各地であらゆる観点から、その体系づくりのための作業が進行中である。

 私がこの思想の将来に希望を託し、かつ信頼を抱いているのは、これからの宗教は今さかんに心霊学者やスピリチュアリストによって立証されつつある科学的知識の上に基盤を置くべきであり、いずれは科学と宗教とが手をつなぐことになると信じるからにほかならないのである」

 (注──原典にはこのほかに各種のテーマについてのモーゼスの意見が掲載されているが、そのすべてが、当然のことながら、インペレーターその他による通信の内容と同じなので割愛することにした。

モーゼス

Wednesday, June 21, 2023

シアトルの初夏 霊こそ実在である。物質はその霊の数ある現象形態の一つに過ぎない。

Spirit is real. Matter is only one of the manifestations of the Spirit.
 
 
 霊と物質について── 「霊こそ実在である。物質はその霊の数ある現象形態の一つに過ぎない。人間は霊というものを極めて実体の乏しい、蒸気のような無形の存在と考えている。〝モヤ〟がそれを一番よく象徴していよう。が、霊は実態も形状もある実在なのである。従って霊界は実在の世界であり、実態があり、それが物質の内側にも外側にも存在している。その霊の形態もさまざまであり、蒸気のような無形のものから密度の高いものまである。

 霊界は地球全体にくまなく広がっており、全存在に生命を吹き込み、動物、植物、野菜に至るまで存在を与えている。人間が実体があるかに思っているのも、その霊という実在の影にすぎない。霊とは生命であり、実在であり、永遠不滅の根源的要素なのである。

 この霊が人間に宿っているように、すべての物質に宿って生命を賦与している。天体をそれぞれの位置を保たせ軌道上を回転させているエネルギーもすべて霊的なものである。光といい、熱といい、磁気といい、電気というも、たった一つの霊的エネルギーの外皮にすぎない。そのすべてに霊が内在しているのである。物的成分そのものには形態を整える力はない。物質の根源的特質の一つは惰性(みずからは活動しないという性質)である。石切り場の大理石の中から人間の形態をした彫像がひとりで転がり出て来ることはあるまい。

 まず霊による働きかけがあって物質が動くのである。法則というものも、このエネルギーの表現にすぎない。宇宙のいずこを見ても、大は天空を回転する天体から小はシダの植物に至るまで、霊の存在のあかしでないものは無い。それがすべてを動かしており、霊妙な化学的過程によって露、雨、空気、光等々から甘美な分泌液と芳香とを放散させ、かくして自然界を美しく飾っている──それを人間は慣れきっていて不思議と思わぬだけである。

 〝自然〟とは何か、どういう仕組みになっているのか、人間は何も知らずにいる。人間は勝手なものを想像し、それを〝自然〟と呼び、一定の作用をいくつか発見してそれを〝定理〟と呼び、それで事足りれとしている。が、裏を返せば、それは人間の無知の証明に他ならない。

 自然とは霊であり、自然法則も霊的である。あらゆる物的形体は──植物も動物も鉱物も──霊を宿す仮面である。人間も本来が霊であり、霊的なものが肉体を支えているのである。激しい新陳代謝をくり返す細胞の固まりも、霊によって組成を保ち活力を与えられている。霊が引っ込めば腐敗の一途をたどり、他の組成へと変わって行く。霊こそ人間であり、逆の言い方をすれば、人間は霊であるからこそ自然界の全創造物に君臨できるのである。人間は他の創造物が所有していない霊的資質を賦与されているが故に、もっとも進化しているのである」

──すべてが一丸となって秩序ある発達過程をたどりつつあるように思えます。    
 
「無論である! 地球上の物質は、最も単純な組織である結晶から人間に至るまでの、無数の段階をたどっている。岩石や土から植物が成育する。つまり植物的生命が鉱物と入れ代わる。それに感性が加わり神経組織が与えられて、別の高等な有機的生命が生まれ、植虫類(イソギンチャク・サンゴ類)から人間へと進化してきた。一段また一段と進化し、その創造活動の頂点が人間である。人間は神性を宿しているが故に、程度において質においても、他の創造物とは異なる存在である」


 「霊体こそ真の個体である。地上という一時期を、刻々と変化する物的原子をまとって生活するが、それが不要となった時にも霊体のアイデンティティは絶対に不変である。

 われわれの目には霊体は鮮明で何のごまかしも利かない。われわれの視野も行動も地上に存在する物体によって妨げられることはない。人間にとって固いと思えるものも、われわれにとってはスケスケである。地上という一時期を霊体がまとう物的原子は個的存在の本質的要素ではない。地上期間においてすら永続性はなく刻一刻と変化しているが、人間にはそれが知覚出来ない。われわれの視覚は別である。地上的存在特有の物的原子は何の障害にもならない。われわれに見えるのは霊体である」

──霊体は肉体から分離して別個の生活を送ることがあるのでしょうか。たとえば睡眠中などに・・・・・・

 「それはある。霊体は独立した存在である。そして肉体が滅びると異なった環境条件のもとで生活することになる。一般的に言えば、肉体の睡眠中は霊体も休息しているが、眠るということはしない。その間の体験を肉体に戻った時に回想しようとして、それがうまく行かなくて混乱したものが夢である。霊には霊体でみたものすべてが回想できず、精神に印象づけられたものが五感による印象(潜在意識)とごっちゃになり、そこに辻褄のあわない夢が出来上がる。

 その夢の中には霊界での体験を正確に思い出しているものもあるし、予告や警告である場合もある。肉体に宿っている間は霊感が鈍るので、守護霊が睡眠中を利用して警告を与えることがあるのである。霊体に語りかけておいて、それが肉体に戻った時に(潜在意識の中の)他の印象と混同せぬよう保護し、その記憶を鮮明に保つ。こうした場合は正確に思い出せるし、実際によくあることである。が、普通はおぼろげにしか思い出さないものである。

 珍しいケースとして、霊体が特殊な才能を与えられ、高級界へ案内されて本来の住処を見せてもらったり、使命を知らされたりすることがある。深遠な叡智を吸飲して地上へ持ち帰ることもある」  

(注)──この項で述べていることは三次元の脳を焦点とした意識と、時空を超越したいわゆる異次元世界での霊的意識との関連性に言及した重大なもので、死後存続の事実の得心は煎じ詰めればその関連性の理解に尽きると言ってよい。コペルニクスが地動説を思いついたきっかけは自分の位置を頭の中で太陽へ持って行き、そこから地球を眺めたことにあるという。死後存続も自分を霊の世界へ持って行き、人間は本来が霊的存在であって、それが一時的に物的原子をまとっているにすぎないと考えれば、あっさりと片付く。

オリバーロッジの『幻の壁』の中に次のような一節がある。〝われわれはよく肉体の死後も生き続けるのだろうかという疑問を抱く。(中略)私に言わせればこうした疑問は実に本末を転倒した思考から出る疑問に過ぎない。と言うのは、こうして物質をまとってこの世にいること自体が驚異なのである。これは実に特殊な現象というべきである。私はよく、死は冒険であるが楽しく待ち望むべき冒険である、と言ってきた。そうに違いないのであるが、実は真に冒険というべきはこの地上生活の方なのである。地上世界というのは実に奇妙で珍しい現象である。こうして肉体をまとって地上へ出てきたこと自体が奇跡なのだ。失敗する者が幾らでもいるのである〟

 インペレーターは幽体離脱という用語を用いていないが、それは当時まだ心霊学がそこまで発達していなかったということである。末尾で〝珍しいケースとして〟と述べているが、将来はこれが人類にとって〝ごく当たり前のこと〟となる時代が来るに違いない。


 

Tuesday, June 20, 2023

シアトルの初夏 青年牧師との論争

 Controversy with a Young Pastor

夏、リゾート、旅行、自然、山並み、空、木、風景、休日、夏休み、白樺、湖、高原、ホテル、避暑地、湖畔 - イラスト作品紹介 | イラスト &写真のストックフォトwaha(ワーハ)
シルバーバーチの教え(新版・下)
21章 青年牧師との論争
 
 
〔ある時、キリスト教メソジスト派の年次総会がウェストミンスター寺院のセントラルホールで開かれ、報告や活発な討論がなされた。その合間に牧師たちの会話の中で、スピリチュアリズムのことがしきりにささやかれた。

そこに参加していてスピリチュアリズムに関心を抱いた一人の青年牧師が、ハンネン・スワッファーのもとを訪れ「交霊会というものに一度出席させてもらえませんか」と頼んだ。知的な風貌の好青年で、人徳を備えていることが一目で分かる。が、スピリチュアリズムに対する予備知識としては、コナン・ドイルの『The New Revelation』を読んだだけだと言う。

スワッファーは次のように述べた。

「明晩の交霊会にご出席ください。その会ではシルバーバーチと名乗る霊が、入神した霊媒の口を借りてしゃべります。その霊と存分に議論なさるがよろしい。納得のいかないところがあれば反論し、分からないところは遠慮なく質問なさることです。その代わりあとで他所(よそ)へ行って、十分に議論をさせてもらえなかった、などと不平を言わないでいただきたい。聞きたいことは何でも質問なさってけっこうです。その会の記録はいずれ活字になって発行されるでしょうが、お名前は出さないことにしましょう。そうすればケンカになる気遣いも要らないでしょう。もっとも、あなたの方からケンカを売るなら別ですが……」

翌日、約束通りその牧師が訪れた。そして、いつものようにシルバーバーチの祈りの言葉で交霊会が始まった。〕


訳注――その日の招待客についてはシルバーバーチは知っているが、霊媒のバーバネルは知らない、というよりは、意図的に知らせないことにしていた。予備知識があるとその想念が霊言の邪魔になることがあることを経験で知っていたからである。

バーバネルはグラス一杯の水を飲んでからメガネを外し、瞑目する。やがていびきのような息づかいとなり、容貌が変化して、例の肖像画で見るインディアンに似てくる。何やらもぐもぐと独り言をつぶやいた後、「用意ができました。始めてよろしいでしょうか」と言うと、列席者たちが口々に「ようこそお出でくださいました」と言う。そしてインボケーションという、会の成功を祈る言葉で開会となる。


「大霊のインスピレーションが皆さん方すべてに宿り、大霊の御心(みこころ)に応えることができますように。皆さん方一人ひとりが、大霊の一部であることを感じ取ることができますように。そして、どこへ行くときも大霊の御心を携え、接するすべての人々にそれを身をもって示すことができるように祈ります。」

以下は、その牧師とシルバーバーチとの議論である。まず、シルバーバーチの方から牧師にこう語りかけた。


「この霊媒(バーバネル)には、あなた方の言う“聖霊の力”がみなぎっています。その力がこうして語らせてくれるのです。私はあなた方の言う“復活した霊”の一人です。」

青年牧師との議論は、次の質問から始まった。

牧師「死後の世界とは、どういうところですか。」


「あなた方の世界と実によく似ています。ただし、こちらは結果の世界で、そちらは原因の世界です。」


訳注――宇宙の創造過程から言えば霊界が原因の世界で地上は結果の世界であるが、ここではシルバーバーチは因果律の観点から述べており、地上で蒔いた種は死後に刈り取るという意味。

牧師「死に際して恐怖感はありましたか。」


「いいえ、ありません。私たちインディアンは霊感が発達していて、死が恐ろしいものではないことを知っていました。あなたが属しておられる宗派の創始者ウェスレーも同じです。あの方も霊の力に動かされておりました。そのことはご存じですね?」


訳注――メソジスト派というのはジョン・ウェスレーという牧師が主唱し、弟のチャールズとともに一七九五年に国教会から独立して創立したキリスト教の一派で、ニュー・メソッド、つまり新しい方式を提唱したことから「メソジスト」という名称がある。ウェスレーの屋敷では不思議な霊現象がひんぱんに起きたことが有名で、「霊の力に動かされていた」というのは霊感が鋭かったという意味である。

なお、シルバーバーチは霊界の霊媒であるインディアンの立場に立って「私」とか「私たち」という言い方をしているが、本来のシルバーバーチは三千年前に地上生活を送ったことがあるということ以外、地上時代の氏名も国籍も民族も分かっていない。そういうことにこだわるのは人間の悪趣味として、六十年間、ついに明かさなかった。

牧師「はい、知っています。」


「しかし、現在の聖職者は霊の力に動かされてはおりません。すべては大霊の導きの中にあり、途切れることのない鎖で大霊とつながっています。あなた方の世界で最も低い人間も、高級界の天使とつながっています。どんなに悪い人間も、あなた方の言う神、すなわち大霊と結ばれているのです。」

牧師「死後の世界でも互いに認識し合えるのでしょうか。」


「地上ではどのようにして認識し合いますか。」

牧師「目です。目で見ます。」


「でも、あなたは肉体の目で見ているのではありません。心で見ているのです。」

牧師「はい、私は私の心で見ています。それは霊の一部だと思います。」


「私も霊で見ています。私にはあなたの霊も見えるし肉体も見えます。しかし肉体は影にすぎません。光源は霊です。」

牧師「地上での最大の罪は何でしょうか。」


「数多くの罪がありますが、最大の罪は神への反逆です。」

ここでメンバーの一人が、「それについて具体的に教えてあげてください」と言う。するとシルバーバーチは、「神の存在を知りながら、神の意思に背く生き方をすることです。それが最大の罪です」と付け加えた。

さらに別のメンバーが、「キリスト教ではそれを“聖霊に対する罪”と呼んでいます」と言うと、「例の本(バイブル)ではそう呼んでいますが、要するに霊に対する罪です」とシルバーバーチが答えた。

牧師「改訳聖書をどう思われますか。欽定訳聖書と比べて、どちらがよいと思われますか。」


「言葉はどうでもよろしい。いいですか、大切なのはあなたの行いです。大霊の真理は、バイブルだけでなく他のいろいろな本に示されています。どこであろうと、誰であろうと、大霊のために奉仕しようとする人の心には真理があるのです。それこそが最高のバイブル(神の教え)なのです。」

牧師「改心しないまま他界した人はどうなりますか。」


「改心とはどういう意味ですか。もっと分かりやすい言葉で言ってください。」

牧師「ある人は悪い行いをしたまま他界し、ある人は正しい生き方をしようと改心してから他界しました。この場合、両者には死後の世界でどのような違いが生じるのでしょうか。」


「あなた方の本(バイブル)から引用しましょう。蒔いた種は自分で刈り取るのです。これは変えることができません。あなたは、今のあなたをそのまま携えてこちらへまいります。自分で思っているようなあなたではなく、人に見てもらいたいと思っているあなたでもない、内部のあなた、真実のあなただけがこちらへまいります。あなたもこちらの世界へお出でになれば、本当の自分について分かるようになります。」

そう述べてからシルバーバーチは、「この人には心眼がありますね」とスワッファーに言った。スワッファーが「霊能があるという意味ですか」と聞くと、「そうです。なぜ連れてきたのですか」と尋ねた。「いえ、彼の方から訪ねてきたのです」と答えると、「この方は着実に導かれています。少しずつ光明が示されることは間違いありません」と述べた。

それから牧師に向かって「インディアンがあなた方のバイブルのことをよく知っていて驚かれたでしょう?」と言うと、牧師は「本当によくご存じです」と答えた。するとメンバーの一人が、「三千年前に地上を去った方ですよ」と口添えした。牧師はすかさず年代を計算して「ダビデをご存じでしたか」と尋ねた。ダビデは紀元前一千年頃のイスラエルの王である。シルバーバーチが答えた。


「私は白人ではありません。レッド・インディアンです。米国北西部の山の中で暮らしていました。あなた方がおっしゃる野蛮人です。しかし、私はこれまで西洋人の世界に、三千年前の我々インディアンよりもはるかに多くの野蛮で残忍な行為と、無知とを見てきました。物質的な豊かさにおいて自分たちよりも劣る民族に対して今なお白人が行っている残虐行為は、神に対する最大の罪の一つと言えます。」


訳注――シルバーバーチがインディアンを霊界の霊媒として使用したことには、インディアンが霊的能力において発達しているからという理由とは別に、この一節に如実に表れているように、白人至上主義の思想と白人文化の愚かさを知らしめる意図が隠されている。

牧師「そちらへ行った人々は、どのようなことを感じるのでしょうか。強い後悔の念を抱くようなこともあるのでしょうか。」


「いちばん残念に思うのは、やるべきことをやらないで終わったことです。あなたもこちらへお出でになれば分かります。きちんと成し遂げたこと、やるべきだったのに怠ったこと、そうしたことがすべて分かります。逃してしまったチャンスがいくつもあったことを知って後悔するのです。」

牧師「キリストヘの信仰をどう思われますか。神はそれを良しとなさるでしょうか。キリストへの信仰は、キリストの行いに倣(なら)うことだと思うのですが……」


「“主よ、主よ”と口にすることが信仰ではありません。大切なことは実際の行為であり、それがすべてです。何を語るか、何を信じるかは問題ではありません。もし、あなたが何ひとつ信仰というものを持っていなくても、落ち込んでいる人を励まし、飢えている人にパンを与え、暗闇の中にいる人の心に光を灯してあげるなら、神の御心に適う行いをしたことになるのです。」

ここで出席者の一人が「イエスは神の一部なのでしょうか」と尋ねると、シルバーバーチは次のように答えた。


「イエスは地上に降誕した偉大な指導者でした。しかし当時の民衆はイエスの教えに耳を傾けず、十字架にかけてしまいました。それどころか、今なお十字架にかけ続けています。すべての人間に神の分霊(神性)が宿っていますが、イエスは他の人々よりも、はるかに多くの神性を発揮しました。」

牧師「キリストが地上で最高の人物であったことは全世界が認めるところです。それほどの人物が嘘を言うはずはありません。キリストは言いました――“私と父とは一つである。私を見た者は父を見たのである”と。この言葉は、キリストがすなわち神であることを述べたものではないでしょうか。」


「もう一度、バイブルを読み返してごらんなさい。“父は私よりも偉大である”と言っているでしょう。」

牧師「はい、言っています。」


「またイエスは、“天にまします我らが父に祈れ”と言っていないでしょうか。“私に祈れ”とは言っておりません。父に祈れと言ったイエス自身が、天にまします我らが父であるはずはないでしょう。“父に祈れ”と言ったのであって、“私に祈れ”とは言っておりません。」

牧師「キリストは“あなた方の神”と“私の神”という言い方をしています。“私たちの神”とは決して言っていません。ご自身を他の人間と同列には置いていません。」

それを聞いてシルバーバーチは、次のように繰り返した。


「イエスは、“あなた方の神と私”とは言っておりません。“あなた方は私よりも大きな仕事をするでしょう”と言っております。

あなた方クリスチャンは、バイブルを読む際に何もかも神学的教義に合わせるような解釈をしますが、それをやめないといけません。霊に照らして解釈しなくてはいけません。霊こそが、宇宙のすべての謎を解くカギなのです。イエスが譬え話を用いたのは、そのためです。」

牧師は、「神は地上世界を愛するがゆえに唯一の息子を授けた」という聖書の言葉を引用して、イエスが神の子であるとするキリスト教の教義を弁護しようとした。

するとシルバーバーチは、「イエスはそんなことは決して言っておりません。イエスの死後何年も経ってから、例のニケーア会議でそれがバイブルに書き加えられたのです」と述べた。

牧師「ニケーア会議?」

「西暦三二五年に開かれております」と、シルバーバーチは即座に答えた。

牧師「でも、私が今引用した言葉は、それ以前からある“ヨハネ福音書”に書かれています。」


「どうしてそれが分かりますか。」

牧師「歴史書にそう書いてありますが……」

「どの歴史書ですか」と、シルバーバーチは重ねて尋ねた。

牧師「はっきりとは言えません。」


「ご存じのはずはありません。バイブルというものが書かれるその元になった書物は、いったいどこにあると思いますか。」

牧師「“ヨハネ福音書”それ自体が原典です。」


「いいえ、それよりもっと前の話です。」

牧師「バイブルは西暦九十年に完成しました。」

「バイブルの原典となったものは、今どこにあると思いますか」と、シルバーバーチは迫った。

牧師は、「いろいろな文書があります」と言って、例として一つを挙げた。


「それらは原典の写しです。原典はどこにありますか。」

牧師がこれに答えられずにいると、シルバーバーチは次のように続けた。


「バイブルの原典は、ご存じのバチカン宮殿に仕まい込まれたまま一度も外に出されたことはありません。あなた方がバイブルと呼んでいるものは、その原典のコピーのコピーの、そのまたコピーにすぎません。そのうえ、原典にないことまでいろいろと書き加えられています。

初期のキリスト教徒は、イエスがすぐに再臨すると信じていました。そのためイエスの地上生活の詳細について、誰も記録しませんでした。ところが、いつになっても再臨しないため、ついに締めて記憶をたどりながら書き記すことになったのです。“イエス曰(いわ)く……”と書いてあっても、実際にイエスがそう言ったかどうかは分かりません。」

牧師「でも、四つの福音書にはその基礎となった、いわゆる“Q資料(イエス語録)”の証拠が見られることは事実ではないでしょうか。主な出来事は、その四つの福音書に述べられていると思うのですが……」


「私は、そうした出来事がまったくなかったと言っているのではありません。ただ、バイブルの記述のすべてが、本当にイエスの言葉とは限らないと言っているのです。バイブルの中には、イエスが生まれる前から存在した書物からの引用がずいぶん入っていることを忘れてはなりません。」

牧師「記録に残っていない口伝(くでん)のイエス語録が出版されようとしていますが、どう思われますか。」


「イエスの関心事は、自分がどんなことを言ったかというようなことではなく、地上のすべての人間が神の御心を実践することです。人間はあまりにも教え(聖書の言葉)に関心を寄せ、行いを疎(おろそ)かにしています。“福音書”なるものの説教の場には、大霊の真理に飢えた人たちが集まっています。そうした人々にとって重要なことは、単なるイエスの言葉ではなく、その教えに基づくあなたの生き方です。あなた自身の生き方を、手本として示すことです。

地上世界は教えでは救われません。いくら長い教えを説いても、それだけでは救われません。大霊の子供たちが、親なる大霊の御心を鎧(よろい)として、暗黒と弾圧の勢力に戦いを挑むことです。魂を束縛するすべてのものに立ち向かうことによって初めて、地上世界は救われるのです。それが、記録に残されていないイエスの言葉よりも大切なことなのです。」

牧師「この世には、なぜ多くの苦しみがあるのでしょうか。」


「大霊の摂理は、苦しみを通してしか悟ることはできません。苦しみという厳しい試練を経て初めて、あなた方の世界を支配している大霊の摂理を理解することができるのです。」

牧師「苦しみがない人が大勢いるようですが……」


「あなたは神に仕える身です。大切なのは“霊”に関わることであって、“肉体”に関わることではないことを理解しなければなりません。霊の苦しみの方が肉体の苦痛よりも耐えがたいものです。」

メンバーの一人が「現行の制度は不公平であるように思います」と言うと、シルバーバーチは次のように答えた。


「地上人生で起きるすべてのことは、いつの日か必ず帳尻が合うようになっています。いつかは自分で天秤(てんびん)を手にして、バランスを調節する日がまいります。あなた方は、自分が蒔いた種を自分で刈り取るという自然法則から逃れることはできません。軽い罰で済んでいる人がいるかにお考えのようですが、そういうことはありません。あなたは魂を見抜くことができないために、そう思うのです。

私が認めているのは大霊の法則だけです。人間の法律は認めていません。人間がつくった法律はいつかは改めなければなりませんが、大霊の法則には決してその必要はありません。地上に苦難がなければ、人間は正していくべきものへ注意を向けることができません。すべての苦しみや痛みや邪悪は、大霊の分霊であるあなた方人間が、いかにしてそれを克服していくかを学ぶためにあるのです。

もしも苦難を乗り越えるための努力を怠っているとしたら、あなた方を地上に誕生させた大霊の意図を理解していないことになります。宇宙の始まりから終わりまで、すべてを法則によって支配している大霊に従わずに、誰が文句を言うことができるでしょう。」

牧師が「霊の世界ではどんなことをなさっているのですか」と尋ねると、シルバーバーチはそれには答えず、「あなたはこの世でどんなことをしていますか」と問いかけた。すると牧師は「それは、その、いろいろな本を読んだり……、それによく説教もします」と口ごもって答えた。それに対してシルバーバーチは、「私もよく本を読みます。それに今は、こうして重要な説教をしています」と言った。

牧師「私は英国中を回らなくてはなりません。」


「私は霊の世界を回らなくてはなりません。私は、霊的な準備が何もなされないままこちらへ送り込まれてきた人間がいる暗黒界へも下りていかなければなりません。それにはずいぶん手間がかかります。あなたに自覚していただきたいのは、あなたはとても重要な立場に立っていらっしゃるということです。神に仕える身でありながら、本来の責務を果たしていない人たちがいます。彼らは教会の壇上から、まったく意味のない長たらしい説教をしています。

しかしあなたが、自らを神に委ね、神の貯蔵庫からインスピレーションを受けるために魂の扉を開くなら、あなたの魂は古(いにしえ)の預言者たちを鼓舞したのと同じ霊力によって満たされます。あなたはその仕事を通して、人生に落胆し、地上の片隅で疲れ果てている人々の心を明るく照らす光をもたらすことができるのです。」

牧師「そうであるなら嬉しいのですが……」


「いいえ、そうであるならではなくて、事実そうなのです。私はこちらの世界で、後悔している多くの牧師に会っています。彼らは地上人生を振り返り、自分が霊のメッセージを説いてこなかったこと、バイブルの言葉や教義だけにこだわって実践を疎かにしてきたことを後悔しているのです。彼らは、できればもう一度地上へ戻りたいと望んでいます。私は彼らに、地上にいるあなたのような人たちの心をいかにして鼓舞するかを示しています。そうした人たちに働きかけることによって、大霊の新しい真理が再び地上にもたらされるようになるからです。

あなたは、今まさに崩れつつある世界に身を置いていることを自覚しなければなりません。新しい秩序による世界、真の意味での天国が到来する時代の幕開けを見ているのです。その誕生には、痛みと苦しみと涙がともなうことでしょう。しかし最後には、大霊を中心とした世界が築かれるようになります。あなた方一人ひとりが、その新しい世界を招来する手助けができるのです。なぜならすべての人間は大霊の分霊であり、大霊の仕事の一翼を担うことができるからです。」

青年牧師にとって初めての交霊会も終わりに近づき、シルバーバーチはその場を去る(霊媒から離れる)前に次のように述べた。


「私は、あなたが説教をする教会へ一緒にまいります。あなたは、ご自分が本当に良い説教をしたとき、これが霊の力だと自覚なさるでしょう。」

牧師「私はこれまでも、大いなる霊力を授かるように祈ってまいりました。」

「あなたの祈りは、きっと叶えられるでしょう」とシルバーバーチは答えた。

以上で一回目の議論が終わり、改めて二回目の議論の機会がもうけられた。その内容を紹介する。

「地上の人間にとって、聖別された完璧な生活を送ることは可能でしょうか。すべての人間を愛することは可能なのでしょうか」――これが二回目の交霊会で、牧師が最初にした質問だった。


「いいえ、それは不可能なことです。しかし、そのように努力することはできます。すべての努力は、あなたの人間性を形成するうえで、とても重要です。決して怒ることもなく、敵意を持つこともなく、かんしゃくを起こすこともないなら、あなたはもはや人間ではないことになります。人間は霊的に成長することを目的として地上に生まれてくるのです。成長また成長と、どこまでも成長の連続です。それは地上だけでなく、こちらへ来てからも同じです。」

牧師「イエスは“天の父が完全であるようにあなた方も完全であれ”と言っておりますが、これはどう解釈すべきでしょうか。」


「完全であるように努力しなさい、と言っているのです。それが地上で目指すべき理想であり、内部に宿る神性を発揮する生き方なのです。」

牧師「今引用した言葉はマタイ伝第五章の最後の一節です。イエスは普遍的な愛について述べたあとで、その一節を述べています。またイエスは“ある者は隣人(身近な人)を愛し、ある者は友人を愛するが、あなた方は完全であれ。神の子なればなり”とも言っております。神は全人類を愛してくださるのだから、私たちもすべての人間を愛すべきであるということなのですが、イエスが人間に実行不可能なことを命じると思われますか。」

この質問に、シルバーバーチは驚いたように答えた。


「あなたは全世界の人間をイエスのような人物になさりたいのですね。お聞きしますが、イエスは、地上で完璧な人生を送ったと思いますか。」

牧師「はい、完璧な人生を送ったと思います。」


「一度も腹を立てたことはなかったとお考えですか。」

牧師「当時行われていたことには、うんざりしていたと思います。」


「一度も腹を立てたことはなかったと考えておられるのですか。」

牧師「腹を立てるのは悪いことである、という意味で怒ったことはないと思います。」


「そんなことを聞いているのではありません。私は、イエスが腹を立てたことは絶対になかったのか、と聞いているのです。イエスが腹を立てたことは正当だったかどうかを聞いているのではありません。あなた方(クリスチャン)は、何でも正当化なさるんですから……」

ここでメンバーの一人が、イエスが両替商人を教会堂から追い出したときの話を持ち出した。するとシルバーバーチが続けた。


「私が言いたかったのはそのことです。あのときイエスは、教会堂という神聖な場所を汚す人間に本当に腹を立てたのです。ムチを持って彼らを追い払ったのです。それは怒りそのものでした。私は、イエスの怒りが良いとか悪いとか言っているのではありません。イエスは怒ったのです。怒りは人間の激情です。私が言いたいのは、イエスも人間的性質(要素)を持っていたということです。あなた方がイエスを人間の模範として仰ぐとき、イエスもまた一人の人間であった――ただ普通の人間よりも大霊の意図をはるかに多く体現した人間だった、と考えなければなりません。分かりましたか。」

牧師「はい、分かりました。」


「私は、あなたのためを思って言っているのです。誰の手も届かないような高い所に祭り上げたら、イエスが喜ぶと思うのは間違いです。イエスもやはり我々と同じ人の子だったと見る方が、よほど喜ばれるはずです。自分だけが超然とした位(くらい)につくようなことは、望んではおられません。人類と共にあることを願っておられるのです。イエスは人間としての生き方の手本を示しているのであり、それは誰にでも実行できることなのです。イエスをそんなに高いところへ祭り上げてしまったなら、誰も付いていくことはできません。それではイエスの地上人生は無駄になってしまいます。」

話題が変わって――

牧師「人間には自由意志があるのでしょうか。」


「はい、あります。自由意志は大霊の摂理です。」

牧師「時として人間は、抑えようのない衝動によって行動することがあるとは思われませんか。そう強いられているのでしょうか。それともやはり自由意志で行っているのでしょうか。」


「あなたはどう思われますか。」

牧師「私は、人間はあくまでも自由意志を持った行為者だと考えます。」


「すべての人間に自由意志が与えられています。ただしそれは、大霊が定めた摂理の範囲内で行使しなければなりません。摂理は大霊の愛から造られたものであり、子供たちのすべてを平等に支配しています。それを変えることは誰にもできません。あなた方は、摂理の範囲内において自由であるということです。」

牧師「もし私たちが自由であるなら、罪は恐ろしいものです。悪いと知りつつ犯すことになりますから、強いられる場合よりも恐ろしいことに思えます。」


「私に言えることは、いかなる過ちも必ず正さなくてはならないということです。もし地上で正さなかったなら、こちらへ来てから正さなくてはなりません。」

牧師「道に外れたことをしがちな傾向を、先天的に強く持った人がいるとは思われませんか。善を行いやすい人間と、そうでない人間とがいます。」


「それは、とても難しい質問です。なぜなら、それぞれの人間に自由意志があるからです。あなた方は悪いことをするとき、内心ではそのことに気づいているものです。自分の良心を無視するか否かは、それまでに培ってきた人間性によります。罪は、それがもたらす害悪の程度に応じて重くも軽くもなります。」

これを聞いて牧師がすかさず反論した。

牧師「それは罪が精神的なものであるという事実と矛盾しませんか。単に結果との関連においてのみ軽重が問われるとしたら、心の中の罪は問われないことになります。」


「罪は罪です。身体で犯す罪、心で犯す罪、霊的に犯す罪、すべてが罪です。あなたは先ほど、人間は衝動的に罪を犯すことがあるかと問われましたが、その衝動はどこからくると思いますか。」

牧師「思念からです。」


「思念はどこからきますか。」

少し躊躇(ちゅうちょ)してから、「善なる思念は神からきます」と牧師が答えた。


「では、悪なる思念はどこからきますか。」

牧師「分かりません。」


訳注――キリスト教では交霊会に出現する霊は皆、悪魔の手先であると決めつけているので、本来ならこの牧師も「悪魔からきます」と答えるところであるが、二度の体験ですでにそうでないことに気づいているので「分かりません」という返答になった。シルバーバーチは、キリスト教の最大の欠陥である善神と悪神の二元論の矛盾を厳しい語調で突いている。


「大霊は、すべてのものに宿っています。間違ったことにも正しいことにも宿っています。太陽の光にも嵐にも、美しいものにも醜いものにも宿っています。空にも海にも雷鳴にも稲妻にも宿っているのです。美しいものや善なるものだけでなく、罪や悪にも宿っているのです。

あなたは、大霊は限定できるようなものではないことをご存じでしょうか。全宇宙が大霊の創造物であり、あらゆる所にその霊が行きわたっているのです。どのようなものであれ、その一部を切り取って“これは大霊のものではない”と言うことはできません。太陽の光は神の恵みであって、作物を台なしにする雨は悪魔の仕業とは言えないのです。神は、すべてのものに宿っています。

あなた方は、思念を受け取ったり送ったりする道具のようなものです。しかし、どのような思念を受け取るかは、あなたの人間性と霊性によります。もしあなたが、あなたの言う“完全な人生”を歩んでいるなら、あなたは完全な思念だけを受け取ることになるでしょう。しかし、あなたも人間である以上、魂と精神の能力に応じてさまざまな思念を受け取っています。私の言っていることがお分かりですか。」

牧師「おっしゃる通りだと思います。では、悪事を行い善行を怠ってきた人間が、死に際になって自分の非を悟り、“信ぜよ、さらば救われん”の一句を受け入れ、キリストを信じると公言して安らぎを得ようとするのをどう思われますか。キリスト教の“回心の教義”をどう思われますか。」

シルバーバーチは即座に答えた。


「あなたもよくご存じの一節を、聖書の中から引用しましょう。“たとえ全世界をもうけても、自分の命を損したら何の得になろうか”“まず神の国と神の義とを求めよ。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう”――これは、あなた方がよくご存じの言葉ですが、果たしてその意味を理解していらっしゃるでしょうか。それが真実であること、その言葉通りになること、それが神の摂理であることを理解していらっしゃいますか。“神は侮(あなど)られるような方ではない。人は自分の蒔いたものを刈り取ることになる”――これもよくご存じでしょう。

神の摂理は絶対にごまかせません。生涯、自分を人のために役立てるチャンスを無視してきた人間が、死に際の回心でたちまち立派な霊になれると思いますか。霊体にまで染み込んでいる悪行(罪)のすべてを、一瞬にしてかき消すことができると思いますか。大霊の目から見たとき、人生を大霊と人々のために送ってきた人間と、霊的義務を怠ってきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。“すみませんでした”の一言ですべての過ちが赦(ゆる)されるとしたら、神の摂理は公正と言えるでしょうか。いかがですか。」

牧師「私は、神はキリストを心の避難所にしたのだと思います。イエスは言いました……」

ここでシルバーバーチが遮(さえぎ)って言った。


「私はあなたの率直な意見をお聞きしているのです。聖書の言葉を引用しないで、率直に答えてください。イエスが何と言ったか、私には分かっています。あなた自身はどう思っているのですか。」

牧師「公正ではないと思います。しかし、そこに神の偉大なる愛があると思うのです。」


「この通りを行くと、人間の法律を管理している建物があります。もしその法律によって、生涯を善行に励んできた人間と罪を犯し続けてきた人間とが平等に扱われたなら、あなたはその法律を公正だと思いますか。」

牧師「私は、生涯まっすぐな道を歩み、すべての人を愛し、正直に生き、死ぬまでキリストを信じ続けた人のことなど言ってはいません。私は……」

ここでシルバーバーチが再び遮って言った。


「“自分が蒔いた種は、自分で刈り取る”――あなた方は、この摂理から逃れることはできません。神の摂理をごまかすことはできないのです。」

牧師「では、悪行のかぎりを尽くした人間が今まさに死にかけているとしたら、罪を償わなければならないことを、その人間にどう説いてやればよいのでしょうか。」


「もしもその人が真の人間、つまり幾ばくかでも神の心を宿しているなら、それまでの過ちを正したいという気持ちになるはずです。ですから、その人にこう伝えてください。“自分の犯した過ちの報いから逃れたいという思いがあるなら、あなたは真の人間ではありません。ただの臆病者です”と。」

牧師「しかし、罪を告白するという勇気ある行為は、誰にでもできるというものではないと思いませんか。」


「それは正しい方向への第一歩にすぎません。告白したことで罪が拭われるものではありません。その人は自由意志で、善ではなく悪をなす道を選んだのです。悪行が招いた結果から逃れることはできません。間違いは正さなければなりません。告白によって罪を消し去ることができると思うのは、自分に対するごまかしにすぎないのです。蒔いた種は自分で刈り取らなければなりません。それが神の摂理なのです。」

牧師「しかし、イエスは言っておられます――“重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなた方を休ませてあげよう”と。」


「もしその人が“文字は人を殺し、霊は人を生かす”という言葉を知っていたなら、あなた方(聖職者)が聖書の言葉を引用して、これは文字通りに受け入れなければならないと説くことはできません。聖書の中には、あなた方が今日、実行していないことがいくらでもあるからです。私の言っていることがお分かりでしょう。」

牧師「イエスは“善い羊飼いは羊のために命を捨てる”と言いました。私は常に“赦し”の教えを説いています。キリストの赦しを受け入れ、キリストの力が自分の人生を支配していることを暗黙のうちに認めるなら、その人生は神に大きな愛を捧げることになると思うのです。」

ここでシルバーバーチは話を本題に戻した。


「神は人間に“理性”という神性の一部を植え付けられました。私はあなた方に、その理性を使ってほしいのです。大きな過ちを犯し、それを神妙に告白することで心の安らぎは得られるかもしれませんが、“罪を犯した”という事実は変えられません。神の摂理に照らしてその歪(ゆが)みを正すまでは、罪はそのまま残っています。それが大霊の摂理なのです。イエスが語ったという言葉をいくらバイブルから引用しても、摂理を変えることは絶対にできません。

前にも言いましたが、バイブルの中にある言葉のすべてがイエスによって語られたものではなく、その多くは後世の人間が書き加えたものです。“イエスがこう語った”と言っても、あなた方がそう思っているだけのことです。私があなた方に知ってほしいのは、イエスをあの偉大な人物へと導いたのと同じ霊、同じインスピレーション、同じ大霊の力が、今も働いているということです。もしあなた方が、大霊からもたらされるものを受け入れようと心を開くなら、それらを自分のものにすることができるのです。

あなた方は大霊の一部です。大霊の愛と力のすべて、深遠なる叡智と知識と真理のすべてが、あなた方を待っているのです。神を求めて二千年前まで遡(さかのぼ)る必要はありません。神は今、ここにおられるのです。イエスの時代における神と同じ神が、同じ力を持って今、ここに存在しておられるのです。

大霊の真理と霊力の通路となるべき道具(霊媒・霊能者)は、ほとんどいません。あなた方キリスト教徒はなぜ、二千年前のたった一人の人間に頼るのですか。神に仕えるあなた方はなぜ、イエスと同じインスピレーションを受けることができないのでしょうか。なぜ、イエスの言葉に戻ろうとされるのですか。」

牧師「私は、私の中にいるキリストの御業(みわざ)について説いています。インスピレーションを得ることは可能だと信じています。」


「あなた方はなぜ、全知全能の神を、イエスという一人の人間と一冊の書物に閉じ込めようとするのですか。大霊のすべてを、一人の人間、あるいは一冊の書物で表現できると考えているのですか。私はクリスチャンではありません。私は、イエスよりもはるか昔に地上に生を享けた者です。その私は、神の平安に包まれるという恩恵に浴することは許されなかったということでしょうか。

あなたは、神のすべてを一冊の書物のわずかなページで表現できると思いますか。その一冊の書物が完成したときを最後に、神は子供たちにインスピレーションを授けることをやめたと考えるのですか。バイブルの最後のページをめくったとき、神の霊力が終わったとでも言うのでしょうか。」

牧師「そうであって欲しくないと思っています。私は時おり、何かに鼓舞されるのを感じることがあります。」


「あなたもいつか、天におられる父のもとに帰り、今地上で磨きつつあるあなたに相応しい場所に住むことになります。神に仕えるあなたに分かっていただきたいのは、被造物のすべてに宿る神を、制約することはできないということです。悪徳の塊(かたまり)のような犯罪者であっても、地上で聖人と仰がれる人間と同じように神と結ばれているのです。

あなた方一人ひとりに大霊が宿っています。もしあなたが、内在する大霊を顕現させようとして心を開くなら、大霊はあなたを通じて霊力と啓示をもたらすことでしょう。それによってあなたのもとを訪れる人々の心に、大霊の光と安らぎが与えられることになるでしょう。」

牧師「今日まで残っている唯一のカレンダーがキリスト暦(西暦)であるという事実をどう思われますか。」


「誰がそんなことを言ったのでしょう。あなたは、ユダヤ民族のカレンダーについて聞いたことはないでしょうか。多くの国ではいまだに、その国の宗教の発生とともにできたカレンダーを使用しています。

私はイエスを軽んじるつもりはありません。今、イエスがなさっている仕事について知っていますし、ご自身は神として崇められることを望んでおられないことも知っています。イエスの人生の価値は、人間が模範とすべきその生き方にあります。イエスという一人の人間を崇拝することをやめないかぎり、キリスト教は神のインスピレーションに恵まれることはないでしょう。」

牧師「いつ、キリストの誕生日を西洋暦の始まりと決めたのか分からないのです。ご存じでしょうか。」


「そんなことよりも、私の話を聞いてください。数日前のことですが、このサークルのメンバーの一人が(イングランド)北部の町へ行き、大勢の神の子供たちとともに過ごしました。高い身分の人たちではありません。とても厳しい肉体労働で生計を立てている人たちです。彼らは炭鉱労働者で、仕事が終わるとわずかばかりの賃金をもらいます。彼らは、キリスト教文明の恥辱(ちじょく)ともいうべき貧民収容施設に住んでいます。

同じ町には、あなた方が“神の館”と呼んでいる大聖堂があります。それは高くそびえていますから、太陽が照ると貧しい人々が住む家はその影に入ってしまいます。大聖堂がなかったときよりも、ずっと暗くなってしまいます。これでよいと思われますか。」

牧師「私はそのダーラムにいたことがあります。」


「知っています。だからこそ、この話をしているのです。」

牧師「あのような施設で暮らさなければならない人たちのことを、とても気の毒に思っています。」


「そうした状況を、イエスが喜ばれると思いますか。あのような施設に住み、辛い労働を強いられ、わずかな賃金しか得られない人々がいる一方で、お金にまったく不自由しない人々がいるのです。それなのにイエスは、カレンダーのことなどに関わっていられると思いますか。あのような生活を余儀なくさせられている人が大勢いるというのに、どうでもいいカレンダーのことや大聖堂のための資金やバイブルのことに関わっていられるとでも思われますか。イエスの名を使用し続け、キリスト教国と呼ばれているこの国に、そんな恥ずべき事態の発生を許しているキリスト教というものを、あなた方クリスチャンはいったいどのように考えているのでしょうか。

先ほど教典のことで(改訳版と欽定訳版のどちらがよいかと)質問されましたが、宗教にはそんなことよりも、もっと重要な務めがあるはずです。神はその恩寵(おんちょう)を、すべての子らに分け与えたいと望んでおられることが分かりませんか。世界には飢えに苦しむ人がいる一方、彼らが生きていくために必要なものを捨てている人たちもいます。クリスチャンがこうしたことをしているのに、あなたはキリスト教を語ることができますか。

私は、あなたが想像なさる以上にイエスと親密な関係にあります。私はイエスが涙を流しておられるのを見たことがあります。多くのクリスチャンや聖職者たちが、教会の陰で進行している恥ずべき事態に目をつぶっているのをご覧になるからです。その日の糧にすら事欠く神の子が大勢いるというのに、神の館として建てた教会を宝石やステンドグラスで飾り、自慢しているのを見て、あなたはどうして満足することができるのでしょう。

一日の糧も十分に得られない人々のほとんどは、わずかな賃金を手にするために一日中働き続け、時には夜を徹して働いています。それなのに、疲れた身体を横たえるまともな場所もないのです。

あなたを非難しているのではありません。私はあなたを大きな愛で包んでいます。お役に立つなら、どんなことでもしてあげたいと思っています。私は霊界の人間です。あなたのように、間違いを改め、正しいことのために立ち上ってくれる人と語り合うチャンスは非常に少ないのです。

あなたに理解していただきたいのは、バイブルの言葉を云々するよりも、もっと大切なことがあるということです。“主よ、主よ”と叫ぶ者が敬虔(けいけん)なのではなく、神の意思を実践する者こそが敬虔なのです。それをイエスは二千年前に教えています。それなのにあなた方はなぜ、神の意思を実践することがいちばん大切であることを、人々に説けないのでしょうか。大切なのは何を信じるかではなく、何を為すかです。

戦争、不正行為、飢餓、貧困、失業――こうしたことを黙認しているかぎり、キリスト教は失敗であり、イエスを模範としていないことになります。

あなたは(メソジスト派の)総会から抜け出てこられました。過去一年間、メソジスト教会の三派が合同で行事を進めてきましたが、神の摂理に反している汚点を拭うために協力しないかぎり、そんなことをしても無意味です。私は率直に申し上げておきます。誤解されては困るからです。」

牧師「数年前に私たちは派閥を超えて慈善事業を行い、その収益金を失業者のために役立てました。大したことはできませんが、信者の数の割にはよくやっていると思われませんか。」


「私は、あなたが心がけの立派な方であることを認めています。そうでなかったら、こうしてあなたと再び語り合うために、地上へ戻ってくるようなことはいたしません。私は、あなたが奉仕(サービス)のための良き道具になれることを見抜いています。あなたの教会を訪れる人の数は、ほんのわずかです。イエスは社会の隅々まで足を運べと言わなかったでしょうか。人が来るのを待っているようではいけません。あなたの方から出向くようでなくてはいけません。

あなたはご自分の教会を光明の中心とし、魂だけでなく、飢えた肉体にも糧を与えてあげないといけません。叡智の言葉だけでなく、パンと日常の必需品を与えてあげなさい。魂と肉体の両方を養ってあげないといけません。霊を救うと同時に、その霊が働くための肉体も救ってあげるのです。教会が力を合わせてそのための努力をしないかぎり、肉体の糧を得られない人々は死んでしまいます。」

そう述べてから、シルバーバーチは青年牧師のために祈りを捧げた。


「あなたがどこにいても、何をしていても、大霊の力と愛が支えとなりますように……。人々への奉仕を願うあなたの心が、常に大霊からのインスピレーションを受けられるように祈ります。

願わくば、大霊があなたにさらなる奉仕のための力を吹き込み、それによって光と安らぎと幸せに満ちた場を築き、訪れる人々がそこにこそ大霊が働いていることを理解するようになることを祈ります。

大霊があなたを祝福し、あなたを支え、常に大霊の道に尽力することができますように。大霊の目的と力と計画についての理解を深めるために、いっそう学びを得られるように祈ります。

あなたに大霊の祝福のあらんことを……」