Tuesday, March 29, 2022

シアトルの春 賢い人間は ...... A wise man

 


人生は日向と日陰、静寂と嵐というふうに二面性から成り立っています。 
一本調子にはできておりません。 
幸せと喜びの生活にも時には悲しい出来事が生じます。 
その極端な差異を味わってこそ性格が伸びるのです。 
かくして悲しみからも、人生の嵐からも、苦痛からも教訓を学び取ることができます。 
その必要性が理解できない人は神に不平を言いますが、日陰の生活を味わってこそ日向の生活の有り難さがわかるのです。

魂は比較対照の中にあってこそ本当の意味で生きることを始めます。 
もしもあなたの体験が良いこと、楽しいこと、美しいことばかりだったら、その人生は空虚なものとなることでしょう。 
そこには深みというものが無いからです。

賢い人間は自分を待ちうける体験のすべてが大霊へ近づく無限の道において手引きとなる叡智を教えてくれるとの覚悟で一日一日を迎えます」

シルバーバーチ 


Life consists of two sides: the sun and the shade, the silence and the storm. It is not in a single tone. Sometimes sad events occur in a life of happiness and joy. Only by experiencing the extreme difference will your personality grow. Thus, lessons can be learned from sadness, from the storms of life, and from pain. People who do not understand the necessity complain to God, but only by enjoying the shaded life can we appreciate the life of the sun.

The soul begins to live in the true sense only in comparison. If your experience is good, fun, and beautiful, your life will be empty. Because there is no depth there.

A wise man welcomes day by day with the determination that all the experiences that await him will teach us wisdom to guide us on the endless path to the Spirit. "

Silver Birch 


Wednesday, March 23, 2022

シアトルの春 真なる神の法の原理を思いださせ、     reminding us of the principles of true God's law,




救い主キリスト   軽いくびき  
一、苦しむ者、重荷を負っていると思う者は、みな私のところへ来なさい。私があなたたちの苦しみを和らげてあげます。私のくびきを負い、私が心優しく、へりくだっているのだということを学びなさい。そうすれば、あなたたちの魂は休まることができるでしょう。なぜなら、私のくびきは負いやすく、私の荷は軽いからです。(マタイ 第十一章 28-30)


二、キリストが人類に教えてくれた通り、貧困、落胆、肉体的苦痛、愛する者の死など、全ての苦しみの慰めは、未来を確信し、神の正義を信じることによって受けることができます。

反対に、この人生の向こう側には何も期待せず、あるいはそれに疑問を持っている者の苦しみは、そうした者の上に重くのしかかってくることになり、その苦しさを和らげる望みは一切なくなってしまいます。このことが「疲れた者は私のところへ来なさい。私が疲れを和らげてあげます」とイエスに言わせたのでした。

 しかし、イエスは、イエスの救援と苦しむ者が幸せを約束されるための条件を決めています。その条件とは、イエスが教えてくれた神の法そのものです。イエスのくびきとはこの法を守ることです。しかし、そのくびきは軽く、その法はやさしいのです。なぜなら、その法は愛と慈善の実践を義務とする法だからです。 
約束された救い主  
三、もしあなたたちが私を愛するなら、あなたたちは私の戒めを守るべきです。私は父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の救い主をあなたたちにお与えになります。その救い主が何時までもあなたたちとともにおられるためにです。その方は真実の霊です。

世はその方を受け入れることができません。世はその方を見ようともせず、知ろうともしないからです。しかし、あなたたちはその方を知っています。その方はあなたたちとともにおり、あなたたちの内におられるからです。(ヨハネ 第十四章 15,17)

 しかし、救い主、すなわち、父が私の名によってお遣しになる聖霊は、あなたたちにすべてのことを教え、また、私があなたたちに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネ 第十四章 26) 


四、イエスはもう一人の救い主の出現を約束しています。それは、当時の世界がまだ知ることのできなかった真実の霊です。世界はそのことを理解するにはまだ未熟であったのです。神はすべてのことを教え、キリストが述べたことを思いださせるため、真実の霊を送るのです。

真実の霊が、後になってすべてを教えるために現れるということは、イエスはすべてを教えることができなかったことになります。キリストが述べたことを思いださせるために出現するということは、イエスの教えが忘れ去られてしまったか、あるいは間違って理解されてしまったからです。

 スピリティズムは決められた時代にキリストの約束を守るために現れました。真実の霊がその確立を指導しています。彼は人間に法を守ることを呼び掛けています。キリストがたとえ話でしか話さなかったことを理解できるよう、全てを教えてくれています。

キリストは「聞く耳を持つ者が聞きなさい」と言いました。スピリティズムは目や耳を開くために現れました。なぜなら、スピリティズムは偶像や装飾を通じて話すのではないからです。

意図的にベールで覆われた神秘の謎を解き明かしてくれ、地上で見放された者や苦しむ者すべてに、すべての苦しみには正当なる理由と有益な目的があることを示すことによって、最高の慰安をもたらしてくれるのです。

 キリストは「苦しむ者は幸いです。その人は慰められるからです」といいました。しかし、なぜ苦しまなければいけないかを知らされずに、どうして苦しむことにより幸せになることが出来るでしょうか。スピリティズムは、その理由が過去の人生と、人類が過去の償いを行う場所としての地球自体の行方の中に存在するということを明らかにしています。

また苦しみの目的とは、療法となる有益な手段となり、未来の人生における幸せを得るための浄化の手段となることであると示しています。人間は自分が苦しむに値することを理解し、苦しみを正当であると認めることができるようになります。

その苦しみが自分の進歩を助けることを知っているので、報酬を約束された労働に取り掛かる者のように、不満をこぼすことなく苦しみを受け入れることが出来るのです。スピリティズムは、未来に対する揺らぐことの無い確信を人間に与え、それによってその魂からは疑いの余地さえ失われてしまいます。

人間に物事を高い視点から見下すことを教えてくれ、地上での盛衰の重要性など、スピリティズムの示す光輝く広い地平線の彼方に消え去ってしまうのです。そして未来に待つ幸せへの希望は、道を最後まで歩み続けるための忍耐、甘受の気持ち、勇気を人間に与えてくれるのです。

 このように、人間がどこから来て、どこへ向かい、そしてなぜ地球上に生まれたのか教え、真なる神の法の原理を思いださせ、信仰と希望による慰安を与えてくれることによって、スピリティズムはイエスが約束した救い主を現実のものとしてくれるのです。



Christ the Savior
Light neck
1. Anyone who suffers or thinks that he is burdened should come to me. I will relieve your suffering. Take my yoke and learn that I am kind and humble. Then your soul will be able to rest. Because my yoke is easy to bear and my load is light. (Matthew Chapter 11 28-30)




2. As Christ taught mankind, the comfort of all suffering, such as poverty, discouragement, physical suffering, and the death of a loved one, can be received by convincing the future and believing in God's justice. ..


On the contrary, the suffering of those who do not expect or have any doubts about the other side of this life will weigh heavily on them, and there is no hope of relieving them. I will. This made Jesus say, "If you are tired, come to me. I will relieve your tiredness."


However, Jesus has set the conditions for the relief of Jesus and the promise of happiness for those who suffer. The condition is the very law of God that Jesus taught. The yoke of Jesus is to keep this law. However, the yoke is light and the law is easy. Because the law requires the practice of love and charity.




Promised savior
Third, if you love me, you should keep my commandments. I ask my father. Then the Father will give you another Savior. For the Savior will be with you forever. That person is the true spirit.


The world cannot accept that person. The world doesn't look at him or know him. But you know that person. Because he is with you and is within you. (John 14th chapter 15, 17)


But the Savior, the Holy Spirit that the Father sends in my name, teaches you everything and reminds you of everything I have told you. (John 14th Chapter 26)




Fourth, Jesus promises the appearance of another Savior. It is a true spirit that the world at that time did not yet know. The world was still immature to understand that. God sends the true spirit to teach everything and remind us of what Christ said.


The fact that the true spirit later appears to teach everything means that Jesus could not teach everything. Appearing to remind us of what Christ said is because the teachings of Jesus have been forgotten or misunderstood.


Spiritism emerged to keep the promise of Christ at a fixed time. The true spirit guides its establishment. He calls on humans to keep the law. It teaches us everything so that we can understand that Christ spoke only in parables.


Christ said, "Listen to those who have ears to hear." Spiritism emerged to open the eyes and ears. Because spiritism does not speak through idols or decorations.


The best by unraveling the mysterious veiled mystery and showing to all those abandoned and suffering on earth that all suffering has a good reason and a beneficial purpose. It brings the comfort of.


Christ said, "Blessed are those who suffer, because they are comforted." But how can you be happy by suffering without being informed of why you have to suffer? Spiritism reveals that the reason lies in the past life and in the whereabouts of the Earth itself as a place for humanity to make past atonements.


It also shows that the purpose of suffering is to be a useful means of therapy and a means of purification for happiness in future life. Humans will be able to understand that they deserve suffering and justify suffering.


Knowing that suffering helps one's progress, one can accept it without complaining, like those who work on a promised labor. Spiritism gives humans an unwavering conviction of the future, thereby losing even doubt from his soul.


It teaches humans to look down on things from a high point of view, and disappears beyond the wide, shining horizon of spiritism, such as the importance of ups and downs on earth. And the hope of happiness in the future gives humans the patience, the feeling of acceptance, and the courage to continue on the road to the end.


In this way, spiritism is by teaching where humans came from, where they went, and why they were born on earth, reminding us of the principles of true God's law, and giving us the comfort of faith and hope. It makes the Savior that Jesus promised a reality.

Tuesday, March 22, 2022

シアトルの春 言語を超越しておられるあなた、     You who transcend language

 



祈り

ああ、真白き大霊よ。

あなたの無限性を物質に閉じ込められている子等にどう説明すればよろしいのでしょうか。言語を超越しておられるあなた、いかなる尺度をもってしても計ることのできないあなた、その叡智は地上のいかなる智者の叡智をも超越し、その愛はかつて地上で示されたすべての愛をも凌ぐ無限なる存在にあらせられるあなたを、わたしはどう説き明かせばよろしいのでしょうか。

全生命の大源におわしますあなた、あらゆる存在を通してその霊性を顕現しておられるあなた、物質の世界と霊の世界の区別なく、生きとし生けるものすべてに見出すことのできるあなたを、わたしはいかに表現すればよろしいのでしょうか。

わたしは全大宇宙とそこに顕現せるものすべて――あらゆる活動の中に顕現している生命の律動(リズム)に目を向けさせます。昇っては沈みゆく太陽、夜空にきらめく星座、心地よく屋根をうつ雨音、ささやくような小川のせせらぎ、のどかな蜜蜂の羽音、風に揺れる可憐な花々、そして轟く雷鳴と闇を切り裂く稲妻に目を向けさせます。

かくして生命のあらゆる現象に向けさせたあと、わたしはそれがあなたとあなたの摂理の表現であることを確信をもって明言いたします。何となれば、あなたは摂理そのものにあらせられる――永遠にして不変の摂理として顕現されているからでございます。

その顕現の中でも、物質の世界よりも高度な次元に属するわたしたちは、その次元すなわち霊の世界において知れわたっている不変の因果律を教えるべく、こうして地上へもどってまいります。わたしたちはあなたを有るがままの存在として啓示し、物質に対する霊の優位性を立証し、あなたとわたしたち子等との霊的な絆を教え、物質の子等もあなたの一部であり、あなたの霊性がすべての子等に宿り常に表現を求めている事実を理解させたいと願っております。

ああ、真白き大霊よ。

わたしたちはあなたの叡智のお蔭をもって、内奥のより高き自我を呼び覚まして生命の大源たるあなたとの調和をもとめることをお許しくだされたことに感謝の意を表します。神性を帯びたあなたの遺産を求めそして我がものとし、魂の内奥に潜む実在を見出しているところでございます。

願わくばこの光の神殿(交霊会)において、これまで久しく忘れ去られながらも、あなたを求めた数少ない霊覚者にのみ明かされてきた霊的摂理のいくつかを立証することができますように。

ここに、人の役に立ち愛の摂理を立証することをのみ求める、あなたの僕の祈りを捧げます。


Oh, a pure white spirit.

How should you explain your infinity to the children who are trapped in matter? You who transcend language, you who cannot be measured by any measure, that wisdom transcends the wisdom of any wise man on earth, and that love surpasses all the love that was once shown on earth. How should I explain you to be infinite?

I am the source of all life, you who manifest your spirituality through all beings, and you who can be found in all living things, without distinction between the physical world and the spiritual world. How should I express it?

I turn my attention to the whole universe and everything that can be manifested in it-the rhythm of life that is manifested in every activity. Ascending and setting sun, constellations shimmering in the night sky, the sound of rain falling on the roof comfortably, the whispering babbling of a stream, the sound of idyllic bees, the lovely flowers swaying in the wind, and the thunder and lightning that cuts through the darkness. I will turn it.

Thus, after directing it to every phenomenon of life, I confidently state that it is an expression of you and your providence. After all, you are exposed to providence itself-because it is manifested as an eternal and immutable providence.

In that manifestation, we, who belong to a higher dimension than the physical world, will thus return to earth to teach the invariant causality known in that dimension, the spiritual world. We reveal you as you are, prove your spiritual superiority over material, teach you the spiritual bond between you and our children, and the children of matter are also part of you. , I want you to understand the fact that your spirituality dwells in every child and always seeks expression.

Oh, a pure white spirit.

We thank you for allowing us, thanks to your wisdom, to awaken the higher ego in the inner part and seek harmony with you, the great source of life. We are seeking and owning your divine heritage and discovering the reality hidden within your soul.

Hopefully in this Temple of Light (Séance), we can prove some of the spiritual providence that has long been forgotten but has been revealed only to the few spiritualists who have sought you.

Here is the prayer of your servant , who only seeks to prove the usefulness of man and the set of love.

Saturday, March 19, 2022

シアトルの春 「スピリティズムによる福音」アラン・カルデック著 The Gospel According to Spiritism-by Allan Kardec





 ソクラテスとプラトンの教義の要約    

Ⅰ、人間とは肉体を持って生まれる魂である。肉体を持って生まれる以前はその本質的なもの、真理、善、美の考えに属していた。そこから肉体を得て分離するが、その過去を覚えているために、そこへ戻ろうとする欲求に大なり小なり苦しめられる。

知性的な根本と物質的な根本との区別と、その独立性を、これ以上明確に表現することは出来ません。さらに魂が存在するという教えについても同様です。

人間は、熱望するもう一方の世界に対する曖昧な直感──つまり死の後に、肉体の滅亡を超えて存在し続けることや、肉体を受けて生まれるために霊界から出てくること、そして再び同じ世界へ戻っていくこと──を抱き続けています。そして最終的には堕落した天使の教義にたどり着きます。

 
Ⅱ 魂は、肉体を使ってある目的を達成しようとすると動揺する。移りゆくものに執着するために、酔ったようなめまいを起こす。

一方で、自らの本質を見つめる時には純粋で永遠、不死なるものに向かうが、魂の性質がそうであるために出来る限り長くそこに繋がれようとする。すると、普遍的なものと結びつくために、道に迷わなくなる。その魂の状態を英知と言う。

 このように物事を地上においてしか考えることの出来ない人間は錯覚を起こしているのであって、物事を正確に観賞するには高い所から、つまり霊的な視点から見なければなりません。

ゆえに本当の英知を有する者は肉体と魂とを分離させ、霊の眼によって物事を見なければならないのです。それはスピリティズムが教えることと同様です(→第二章 五)。


Ⅲ、私たちの肉体と魂がこの堕落の中に存在するうちは、私たちの望む真実を手に入れることはできない。私たちには肉体の面倒を見る必要があるため、そこから幾千もの障害が生じてくる。

それに加え、肉体は欲望や、貪欲、恐れ、数知れぬ妄想や、つまらぬことによって私たちを満たし、そのために、肉体を持っている間に、分別を持つことは、ほんの一瞬の間でさえ不可能となる。

しかし、魂が肉体に結びついている間、私たちは何も純粋な形で物事を知ることが出来ないのであれば、選択は二つに一つである。つまり真実を決して知ることができないか、死後それを知ることになるかのいずれである。

肉体の狂気から解放されれば、同様に解放された人々と会話をし、私たちは物事の本質を自ら知ることになるのだ。こうした理由によって真なる哲学者は死の準備をするのであり、彼らにとって死は決して恐怖ではないのである。

 肉体の器官によって弱められた魂の能力が、死後になって広がるのだ、という基本的な考え方がここにはあります。しかしそれはすでに浄化された魂に起こることであり、不浄の魂に同様なことが起きることはありません。(→『天国と地獄』第一部 第二章、第二部 第一章)。


Ⅳ、不純な魂は、その状態に置いて抑圧された状態にあり、不可視で非物質的であることによって、可視の世界に引きずられて行くことになる。すると人々は、遺跡や墓石の周りで不気味な亡霊をみると、それらが肉体を後にしながら、いまだに完全に浄化されていないために、物質的な姿をひきずっているもので、それが人間の目に見えるのだと間違えてしまう。


実際には、それらは善なる魂ではなく、悪しき魂であり、こうした場所にさ迷うことを余儀なくされ、自分と共に生前の罰を引きずりながら、その物質的な姿に伴う欲求が再び別の肉体に反映されるまでさ迷い続けるのである。そして疑いもなく、最初の人生において有していた習慣を再び身に付け、それがその魂の執着となる。

 再生(リインカーネイション)(→和訳注3)の原則ばかりか、スピリティリズムにおいて霊との通信によって見られるような、肉体の枷のもとにある魂の状態までもがここに明確に表現されています。さらに、肉体への再生は魂の不浄の結果であり、浄化された魂は再生することから免れているとされています。

まったく同じことを、スピリティズムは述べていないでしょうか。付け加えるのであれば、霊界において善い決意を持った魂は、再生する際に、すでに有する知識とより少ない欠点、より多くの美徳や直感的な考えを、その前の人生の時より多く持ち合わせているのです。こうすることによって、一回ごとの人生は知性的、道徳的な進歩をもたらすことになるのです(→『天国と地獄』第二部 例)。


Ⅴ、私たちの死後、生きている間任務にあった妖精(ダイモン、デビル)は、ハデス(地獄)へ行かなければならない者をすべて集めて連れて行き、そこでは審判が下される。魂たちは、ハデスにおいて必要な時間を過ごすと、複数回にわたる長い人生に再び導かれる。

 これは守護霊、もしくは保護霊の教義と、霊界におけるある程度の時間の感覚を置いた、連続的な再生の教義に外なりません。


Ⅵ、ダイモンは地上と天を分ける空間に存在する。その空間とは、すべてを自分自身に統合する偉大なる絆である。神が人間に直接通信をすることは決してなく、それはダイモンを介して行われ、ゼウス(神々)は彼らと取り決めを行い、起きている間も寝ている間もそれに従事する。

 ダイモンと言う言葉はディーモン(悪魔)の語源となっていますが、昔は現代のように悪者と考えられてはいませんでした。悪意のある者だけではなく、一般的な霊を指し、その中にはゼウス(神々)と呼ばれる優秀な霊たちも、人間と直接通信する劣った霊、つまりいわゆるディーモン(悪魔)も含まれていたのです。スピリティズムでも霊たちが宇宙空間に住んでいると言います。

神は純粋な霊たちを介してのみ人類と通信し、それらの霊たちは神の意志を伝えることを任されるのです。起きている間も寝ている間も霊たちは人間と通信します。ダイモンと言う言葉の箇所に霊と言う言葉を置き換えれば、スピリティズムの教義がそこにあることが判ります。天使という言葉に置き換えると、そこにキリストを読み取ることができます。


Ⅶ、(ソクラテスやプラトンの考えにもとづく)哲学者たちの不断の関心事は、魂に対して最も多くの注意を払うことであり、一時しか続くことの無い現在の人生には多くの関心を持たず、永遠を視野に置くことである。魂は永遠なのであるから、永遠を見据えて生きる方が賢明ではないか。


Summary of Socrates and Plato's doctrine


I, human beings are souls born with a physical body. Before being born with a physical body, it belonged to the essential things, the idea of ​​truth, goodness, and beauty. He gets a body from it and separates, but because he remembers its past, he suffers more or less from the desire to return to it.


The distinction between the intellectual and the material roots and their independence cannot be expressed more clearly. The same is true for the teaching that there is a soul.


Humans have a vague intuition for the other world they aspire to-that is, after death, to continue to exist beyond the destruction of the physical body, to emerge from the spirit world to be born with the physical body, and to be born again in the same world. I continue to embrace going back to. Eventually, we arrive at the doctrine of the fallen angel.


It was
Ⅱ The soul is upset when trying to achieve a certain purpose using the body. Causes dizziness like drunkenness to be obsessed with changing things.


On the other hand, when looking at one's essence, one tends to be pure, eternal, and immortal, but because of the nature of the soul, he tries to stay there for as long as possible. Then you won't get lost in order to connect with something universal. The state of the soul is called wisdom.


In this way, human beings who can only think about things on the ground are creating an illusion, and in order to appreciate things accurately, they must be viewed from a high place, that is, from a spiritual point of view.


Therefore, those who have true wisdom must separate the body from the soul and see things with the eyes of the spirit. It is the same as what spiritism teaches (→ Chapter 2, 5).


III. While our bodies and souls are in this fall, we cannot get the truth we want. We need to take care of our bodies, which leads to thousands of obstacles.


On top of that, the body fills us with desires, greed, fear, countless delusions, and boring, so having sensibleness while having the body is even for a brief moment. It becomes impossible.


But if we can't know anything in pure form while the soul is tied to the body, then the choice is one in two. In other words, either you can never know the truth, or you will know it after death.

Once we are free from physical madness, we will have a conversation with those who are also free and we will know the essence of things ourselves. For this reason, true philosophers prepare for death, and death is by no means a horror to them.




IV, the impure soul is in a state of oppression in that state, and by being invisible and immaterial, it is dragged into the visible world. People then see eerie ghosts around ruins and tombstones, which, while leaving their bodies, are dragging their material appearance because they have not yet been completely purified. I mistakenly think that it is visible.




In reality, they are not good souls, but bad souls, forced to wander in these places, dragging the punishment of life with themselves, and the desires of their material form again into another body. It keeps getting lost until it is reflected. And without a doubt, he regains the habits he had in his first life, which becomes his soul attachment.




Not only the principle of regeneration (reincarnation) (→ Japanese translation Note 3), but also the state of the soul under the physical shackles, as seen by communication with the spirit in spiritual rhythm, is clearly expressed here. It has been. In addition, physical regeneration is the result of soul uncleanness, and purified souls are said to be spared from regeneration.




Doesn't spiritism say exactly the same thing? In addition, a soul with a good determination in the spirit world has more knowledge, less shortcomings, more virtues and intuitive thoughts in rebirth than in the previous life. It is. By doing this, each life will bring about intellectual and moral progress (→ Heaven and Hell, Part 2 Example).







V. After our death, the fairies (Dimon, Devil) who were on duty during their lifetime gather and take everyone who has to go to Hades (hell), where they are judged. After spending the necessary time in Hades, the souls are re-guided to multiple long lives.




This is nothing but the doctrine of the guardian spirit, or the guardian spirit, and the doctrine of continuous regeneration with a sense of time in the spirit world.






VI, Dimon exists in the space that separates the earth from the heavens. The space is a great bond that unites everything into itself. God never communicates directly with humans, it is done through Dimon, and Zeus (the gods) makes arrangements with them and engages them both awake and sleeping.




The word Dimon is the etymology of Demon (devil), but in the past it was not considered a bad guy like it is today. Not only malicious ones, but also general spirits, including excellent spirits called Zeus (gods) and inferior spirits that communicate directly with humans, so-called Daemon (devils). It was. Even in spiritism, it is said that spirits live in outer space.




God communicates with mankind only through pure spirits, who are tasked with communicating His will. The spirits communicate with humans while they are awake and sleeping. If you replace the word demon with the word spirit, you can see that the doctrine of spiritism is there. If you replace it with the word angel, you can read Christ there.




VII, The constant concern of philosophers (based on the ideas of Socrates and Plato) is to pay the most attention to the soul, and to the present life, which only lasts for a while. Do not have it, but keep in mind eternity. Since the soul is eternal, isn't it wise to live with an eye on eternity?

 

Thursday, March 17, 2022

シアトルの春 シルバー・バーチ最後の啓示  あとがきに代えて Silver Birch Last Revelation Instead of Postscript

 



シルバー・バーチ最後の啓示  あとがきに代えて

                                           近藤千雄


 近代の歴史を振り返ってみると、二十世紀は近代的戦争の世紀だったと言っても過言ではないであろう。第一次および第二次世界大戦をはじめ、日清・日露・ベトナム戦争、最近では超近代兵器による中東の湾岸戦争が記憶に新しい。

 シルバーバーチの霊媒モーリス・バーバネルは一九〇二年の生まれで、第一次・第二次の世界大戦の中を生き抜いて、一九八一年に七十九歳で他界している。まさに戦乱の二十世紀を生き抜いてきたわけであるが、その大半の六十年間をシルバーバーチの霊媒として仕えたのみならず、〝ツーワールズ〟(※)と〝サイキック・ニューズ〟の二紙の主筆として健筆を揮った。

バーバネルがよく自慢したことの一つは、第二次世界大戦の最中も一週としてその二紙を休刊しなかったことであるが、それ以上に私が頭が下がる思いがするのは、シルバーバーチの交霊会(正式の名をハンネン・スワッファー・ホームサークルといった) も週一回のペースを崩さなかったことである。

 ※───当初は週刊紙として発刊し、のちに月刊誌になり、さらに数年前にヘッドクォーター出版社に買い取られた。が、最近その編集長にバーバネルの子分のトニー・オーツセンがおさまったのも奇縁である。

 これは、バーバネルの執念に頭が下がるという意味ばかりではない。支配霊のシルバーバーチが戦乱による波動の乱れで通信不能の寸前まで至りながら、ついに諦めなかったこともその背景にある。われわれ人間には想像できないことであるが、霊的通信網が一本また一本と切断され、霊団の者が 「もうダメです、引き上げましょう」 と進言しても、 「こういう時こそわれわれの援助が必要なのだから」 と、シルバーバーチは叱咤激励したと言う。



   大きかったスワッファーの存在

 さて、そのシルバーバーチとバーバネルのコンビによる仕事が一九二〇年のある日突如として始まったことは、大方のシルバーバーチファンはすでにご存知と思う。

最初のころはバーバネル自身もそれがどういうメカニズムになっていて何の目的で行なわれるかも分からず、嫌々ながら入神させられるまま行ない、聞く者も、奥さんのシルビアをはじめ三、四人の知人だけだった。もちろん記録など残してはいない。そこへ決定的な意味をもつハンネン・スワッファーの登場となる。

 スワッファーは当時すでに英国ジャーナリズム界に君臨する大物で、しかもバリアンティンと言う直接談話霊媒による交霊会(〝デニス・ブラッドレー・ホームサークル〟といった)に出席した時に大先輩のノースクリッフ卿の出現によって決定的な死後存続の証拠を手にし、 『ノースクリッフの帰還』 という著書でそれを公表して大センセーションを巻き起こしていた(一九二四年)。

 そのスワッファーがうわさを聞いてバーバネルの交霊会に出席し、シルバーバーチの霊言の質の高さに感嘆した。そして、それを是非とも〝サイキック・ニューズ〟か〝ツ―ワールズ〟に掲載するよう進言した。が、バーバネルは自分がその二紙の主筆であり社長でもあることを理由に、それを断った。

 が、出席するたびにシルバーバーチという霊の霊格の高さを感じ取る一方のスワッファーは、バーバネルにしつこく公表を迫った。二人は親しい友人でもあったので時には口論となることもあったらしいが、ついに (推定で一九三五年頃から) 霊媒がバーバネルであることを伏せるという条件のもとに連載がはじまり、それを、まとめた最初の霊言集が『シルバーバーチの教え』 のタイトルで一九三八年に出版された。

 が、その時点でも、序文を書いたスワッファーも〝霊媒がひやかし半分のつもりで交霊会に初めて出席した時は十八歳の無神論者だった〟と述べるにとどめ、バーバネルの名は公表されなかった。が、それがいつまでも隠し通せるわけはない。

 「いったい霊媒は誰なのか」 という問い合わせの多さに圧倒されて、ついに一九五九年になって〝シルバーバーチの霊媒は誰か───実はこの私である〟という見出しでバーバネル自身が公表したのだった。




Silver Birch Last Revelation Instead of Postscript

Kazuo Kondo

Looking back on the history of modern times, it would be no exaggeration to say that the 20th century was the century of modern warfare. The First and Second World Wars, the Russo-Japanese War, the Russo-Japanese War, and the Vietnam War, and recently the Gulf War in the Middle East with ultra-modern weapons are new to our memory.

Maurice Barbanell, the medium of Silver Birch, was born in 1902, survived the First and Second World Wars, and died in 1981 at the age of 79. He has survived the twentieth century of war, but he not only served as a medium for Silver Birch for most of the sixty years, but also "Two Worlds" (*) and "Psychic News". He used a good brush as the chief editor of paper.

One of Barbanel's favorite things was that he didn't suspend the two newspapers for a week during World War II, but what makes me even more sick is Silver. Birch's séance (formally known as Hannen Swaffer Home Circle) also kept pace once a week.

* ─── Initially published as a weekly newspaper, later became a monthly magazine, and was bought by a headquarter publisher a few years ago. However, it is strange that Tony Otzsen, a child of Barbanel, has recently subsided as the editor-in-chief.




This doesn't just mean that I'm sick of Barbanel's obsession. The background is that Silver Birch, the ghost of the ruler, did not give up at last, even though he was on the verge of being unable to communicate due to the disturbance of the waves caused by the war. It is unimaginable for us humans, but even if the spiritual communication network is cut off one by one and the members of the spirit group advise, "It's no good, let's pull it up", "This is the time we are. I need help from you. "Silver Birch said he encouraged him.

Existence of a large swaffer

By the way, most Silver Birch fans already know that the work by the combination of Silver Birch and Barbanel suddenly started one day in 1920.

At the beginning, Barbanel himself did not know what kind of mechanism it was and what purpose it was done, and he was reluctantly made to enter the god, and only three or four acquaintances including his wife Sylvia heard it. rice field. Of course, I haven't kept any records. Hannen Swaffer, who has a decisive meaning, will appear there.

Swaffer was already a big figure in the British journalism world at that time, and was decisive due to the appearance of his senior Sir Northcliffe when he attended a séance (such as "Dennis Bradley Home Circle") by a direct discourse medium called Variantin. Having obtained evidence of his survival after death, he published it in his book "The Return of the North Cliff", which caused a great sensation (1924).

The Swaffer heard the rumor and attended the Barbanel séance and was impressed by the high quality of Silver Birch's spiritual words. And he advised him to publish it in "Psychic News" or "Two Worlds" by all means. But Barbanel turned it down because he was the chief editor and president of the two papers.

However, every time he attended, Swaffer, who felt the height of the spiritual spirit of Silver Birch, urged Barbanel to make a persistent announcement. Since they were also close friends, it seems that they sometimes had a quarrel, but finally (estimated from around 1935), the serialization began under the condition that the medium was Barbanel. , The first collection of spiritual words was published in 1938 under the title of "Teaching of Silver Birch".

However, even at that time, Swaffer, who wrote the preface, only stated that he was an eighteen-year-old atheist when he first attended the séance with the intention that the medium was half-hearted, and the name of Barbanel was not announced. .. However, it cannot be hidden forever.

Overwhelmed by the number of inquiries about "Who is the medium?", In 1959, Barbanel himself announced under the heading "Who is the medium of Silver Birch?" I did.

Tuesday, March 15, 2022

シアトルの春 心霊治療家四〇名との質疑応答      Q & A with 40 psychic healers

   



心霊治療家四〇名との質疑応答

 英国の心霊治療家連盟の会員は今や六千名を数えるに至っている(平成六年現在)。これから紹介するのは、その連盟の代表四〇名がシルバーバーチと交わした徹底した質疑応答の録音からの抜粋である。

 その規模の大きさもさることながら、心霊治療について出された事細かな質問に対して、例によってシルバーバーチが懇切ていねいに答えていて、しかもそれが地上の人間の生き方についての忠言ともなっていて、シルバーバーチの霊言集を締めくくるのに相応しい内容になっている。

 まず質疑応答に入るに先立ってシルバーバーチが心霊治療の原理について一般的な講話を行なっている。 (一部割愛。これまで繰り返し述べられていることであると同時に、そのあとの質疑応答の中で何度も出てくることだからである)

 「心霊治療の目的はきわめて単純です。魂を目覚めさせること、これに尽きます。身体の症状が消えても魂が霊的なものに目覚めなかったら、その治療は失敗したことになります。反対に病気そのものは治っていなくとも、魂が目覚めて霊的なものに関心を抱くようになれば、その治療は成功したことになります。

 私たちの側からすれば、霊の資質と霊力は、大霊の子が例外なく宿している神性を自覚させるために使用すべきものであり、その結果として地上降誕の目的の認識が芽生えるのです。それこそが霊媒現象と呼ばれているさまざまな現象の背後に託された目的なのです。

 ですから、病人が良くならなかったからといって残念がることはありません。残念に思うべきなのは、その病人があなた方との出会いによって霊的実在に目覚めるまでに至らなかった場合です。それが心霊治療の究極の目的なのですから。

 私たち霊団も、各国に築かれた橋頭堡を強化して、霊力が受け入れる用意のできた人々に順当に届けられるようにと、結束を固めております。

その目的は、今のべた究極の目的、すなわち地上の人間が自分とは本質的には何なのか、何をしにこの地上にいるかについての理解を植えつけ、それを地上で実践するにはどうあらねばならないかを自覚させることです。

 一言でいえば、物質界の人間も霊的宿命を背負った霊的存在だということを悟らせることです。

 心霊治療の能力も、霊体に潜在する無限の資質の一つです。霊眼で見るクレアボイアンス、霊耳で聞くクレアオーディエンスと同じです。心霊治療家になるためにはその霊力の始源とコンタクトしなくてはなりません」


───その霊力がそちら側で創造される過程を教えていただけませんか。つまり病人の特殊な条件に合わせて操作する、その方法です。

 「これは説明の難しい問題です。非物質的なエネルギーを表現する用語が見当たらないのです。霊力とは生命力であり、生命の素材そのものであることを理解して下さい。活力そのものです。無限に存在します。柔軟な性質をしており、どんな形態にも変化します。変換も組み替えも自由自在です。

 それを扱う、知識と経験と理解の豊富な者が、こちらで待機しております。そちらの化学者や科学者に相当します。その者たちが、この霊力を各種の病気に合わせて特性をもたせる技術の開発に、いつも取り組んでおります。

そのチャンネルとなる治療家を通して、病気のタイプに合わせて〝調剤〟する実験も行なっております。以上のような説明しか私にはできません。最終的には治療家のもとを訪れる患者によって一つひとつ異なるプロセスがあると思ってください。

その際、患者のオーラが診断の大きな参考になります。それが精神的状態と霊的状態を物語ってくれるので、それをもとにして、今のべた治癒エネルギーの調剤が行なわれます」

シルバーバーチ




Q & A with 40 psychic healers

The number of members of the British Federation of Spirit Healers has now reached 6,000 (as of 1994). The following is an excerpt from a thorough Q & A recording with Silver Birch by 40 representatives of the federation.

In addition to its size, Silver Birch answers the detailed questions asked about psychic healing in a polite manner as usual, and it also serves as advice on the way of life of human beings on earth, Silver. The content is suitable for closing the birch spiritual collection.

Before entering the question and answer session, Silver Birch gave a general lecture on the principle of psychic healing. (Partially omitted. This is because it has been repeatedly stated so far, and at the same time, it appears many times in the subsequent questions and answers.)

"The purpose of psychic healing is quite simple. It's all about awakening the soul. If the physical symptoms disappear but the soul doesn't awaken to the spiritual, the treatment has failed. Opposition Even if the illness itself is not cured, if the soul awakens and becomes interested in spiritual things, the treatment is successful.

From our point of view, spiritual qualities and spiritual powers should be used to make the Divinity that the Son of the Great Spirit resides in without exception, resulting in a recognition of the purpose of the earthly birth. It is. That is the purpose entrusted to the background of various phenomena called spirit medium phenomena.

Therefore, there is no regret that the sick person did not improve. Unfortunately, the sick person does not awaken to a spiritual reality by meeting you. That is the ultimate purpose of psychic healing.

We, the ghost group, are also strengthening the bridgeheads built in each country and are solidifying our unity so that the spiritual power can be properly delivered to those who are ready to accept it.

The purpose is to instill an understanding of what the ultimate purpose of the present is, that is, what human beings on earth are essentially and what they are on this earth, and to put it into practice on earth. It's about making you aware of what you have to do.

In a word, it is to realize that human beings in the material world are also spiritual beings who carry spiritual destiny.

The ability of psychic healing is also one of the infinite qualities latent in the spirit body. It is the same as the Clairvoyance seen with the ghost eye and the Clair Audience heard with the ghost ear. To be a psychic healer, you must be in contact with the source of that spiritual power. "

─── Could you tell us the process by which that spiritual power is created on that side? In other words, it is a method of operating according to the special conditions of the sick person.

"This is a difficult problem to explain. I can't find a term to describe immaterial energy. Understand that spiritual power is vitality, the material of life itself. Vitality itself. Infinitely. It exists. It has a flexible nature and can be transformed into any form. It can be freely converted and rearranged.

A person with abundant knowledge, experience and understanding who handles it is waiting here. It corresponds to that chemist or scientist. They are constantly working on the development of technology that makes this spiritual power unique to various illnesses.

Through the therapist who is the channel, we are also conducting experiments to "dispens" according to the type of illness. Only the above explanation can be given to me. Ultimately, think of each patient as having a different process when visiting the therapist.

At that time, the patient's aura is a great reference for diagnosis. It tells the spiritual state and the spiritual state, and based on that, the current healing energy is dispensed. "

Silver birch

Monday, March 14, 2022

シアトルの春 霊的に、そして精神的に親和性のある者同士の間には、倦怠感は生じません。 Isn't it boring if you are all at the same level?





───人間はなぜ霊と精神と肉体という構成になっているのでしょうか。

 「それは、地球という特殊な体験を提供してくれる世界で精神的に霊的に成長するには、そういう表現手段が必要だからです。

精神は、霊すなわち本当のあなたが、脳という物的器官を通して自我を表現するための媒体です。脳は、地上界の物的現象を認知する五感をそなえた物的組織の中枢です。

 地上界は、実にさまざまな考えや性格をもった人間が入り混じって同じ平面上で生活している、特殊な世界です。その千変万化の生活模様の中からいろいろと学ぶ機会が得られるわけです。

 こちらの世界はその点が異なるのです。こちらへ来て落着く先は、あなたと同じ程度の霊性をそなえた者ばかりが集まっている境涯です。当然、発達とか成長というものが地上界とはまったく異なります。

 こちらへ来ると、まず地上界の避けがたい穢れを払い落す事から始め、霊の純金を出すことに努力します。どれほど純金があるかによって落着く先が自動的に決まります。そしてそれに磨きがかけられることによって、霊的により高い境涯へと参ります。

その辺がこちらとそちらとの違いです。霊と精神が肉体に宿って同一平面上で生活するところに地上界の意義があるのです」


───ということは、こちらとそちらとでは進化の仕組みが異なるということですか。

 「その通りです。進化の原則は一定不変で、一瞬の途切れもなく働いております。が、その顕現の仕方が霊的なレベルの違いによって異なるということです。

さきほども言いましたように、地上界ではさまざまなバリエーションの文化、考え方、性格の人間が同一平面上に存在し、互いに影響を受け合っております。無数といってよいほどのバラエティに富んだ人間と接触する機会があるわけです。こちらではそれはありません」


───同じレベルの者ばかりでは退屈しませんか。

 「とんでもありません。霊的成長度が同じで親和性のある者との交流であり、個性と能力はさまざまですから、少しも退屈はしません。

地上で退屈するというのは、親和性のない者と同じ場所に閉じ込められた場合に生じるもので、たしかにうんざりするでしょう。霊的に、そして精神的に親和性のある者同士の間には、倦怠感は生じません。

 こちらの世界で互いに愛し合い、同じレベルの霊性を身につけた者どうしは、人間の言語では表現できないほどの生きる喜びを味わいます。退屈するどころか、説明のしようのない喜悦を覚えます」



─── Does that mean that the mechanism of  Spiritual growth is different between here and there?

"That's right. The principle of  Spiritual growth is constant and works without interruption for a moment. However, the way it manifests differs depending on the spiritual level.

As I said earlier, in the earthly world, people with various cultures, ways of thinking, and personalities exist on the same plane and are influenced by each other. There are countless opportunities to come into contact with a wide variety of human beings. It's not here. "

─── Isn't it boring if you are all at the same level?

"It's ridiculous. It's an exchange with people who have the same spiritual growth and affinity, and because they have various personalities and abilities, I'm not bored at all.

Boredom on the ground happens when you're trapped in the same place as someone you don't have an affinity for, and you'll certainly get bored. There is no fatigue between those who have a spiritual and spiritual affinity.

Those who love each other in this world and have the same level of spirituality will enjoy the joy of living that cannot be expressed in human language. Far from being bored, I feel unexplained joy. "

Wednesday, March 9, 2022

シアトルの 春 ベールの彼方の生活  the life beyond the vail





愛と叡智   

 私たちの日常生活とあなた方の日常生活とを比較して見られれば、結局はどちらも学校で勉強しているようなものであること、実に大きな学校でたくさんのクラスがあり、大勢の先生がおられること、しかし教育方針は一貫しており、単純なことから複雑なことへと進むようになっていること、そして複雑ということは混乱を意味するのではなく、

宇宙の創造主たる神を知れば知るほどその知る喜びによって一層神への敬虔なる忠誠心を抱くように全てがうまく出来上っていることを悟るようになります。

 そこで今日も従来からのテーマを取り上げて、こちらの世界で私たちが日頃どんなことをして過ごしているのか、神の愛がどのように私たちを包み、謙虚さと愛を身につけるにつれて事物がますます明快に理解されていくかを明らかにしてみましょう。


 こちらの事情で大切なことの一つに叡智と愛のバランスが取れていないといけないことが挙げられます。両者は実は別個のものではなく、一つの大きな原理の二つの側面を表わしているのです。

言わば樹木と葉との関係と同じで、愛が働き叡智が呼吸しておれば健全な果実が実ります。解りやすく説明するために、私たちが自分自身のこと、および私たちが指導することを許された人々の世話をする中でどういう具合にその愛と叡智を摂り入れて行くか、一つの具体例をあげてみましょう。


 つい先頃のことですが、私たちは一つの課題を与えられ、そのことで私たち五人で遠く離れたところにある地域(コロニー)を訪れることになりました。目的は神の愛の存在について疑念を抱き、あるいは当惑している地上の人間に対して取るべき最良の手段を教わることでした。

と言うのも、そうしたケースを扱う上でしばしば私たちの経験不足が障害となっていましたし、又あなたも御存知の通り地上にはそういう人が多いのです。

 そこにあるカレッジの校長先生は地上では才能豊かな政治家だった方ですが、その才能が地上ではあまり発揮されず、こちらへ来て初めて存分に発揮できるようになり、結局地球だけが鍛錬の成果が発揮される場でないことを身を持って理解されたわけです。

 訪問の目的を述べますと、その高い役職にも拘わらず、少しも偉(えらぶ)らず、極めて丁重で親切に応対されました。あなた達なら多分天使と呼びたくなるだろうと思われるほど高貴な方で、もしもそのお姿で地上に降りたら人間はその輝きに圧倒されることでしょう。

容姿もお顔も本当に美しい方で、それを形容する言葉としては、さしずめ〝燦然たる光輝に燃え立つような〟というところでしょう。親身な態度で私たちの話に耳を傾けられ、時折静かな口調で〝それで?〟と言って話を促され、私たちはついその方の霊格の高さも忘れて、恐れも遠慮もなく話しました。するとこうおっしゃいました。

 「生徒の皆さん──ここにいる間は生徒ということにしましよう──お話は興味深く拝聴いたしました。と同時に、そういうお仕事によくある問題でもあります。さて、そうした問題を私が今あっさりと解決してあげれば、皆さんは心も軽くお仕事に戻ることが出来るでしょう。が、イザ仕事に携わってみると又アレコレと問題が生じます。

なぜか。それは、一ばん心に銘記しておくべきことというものは体験してみなければ解らない細々(こまごま)したことばかりだからです。それがいかに大切であるかは体験してみてはじめて解るということです。では私についてお出でなさい。大事なことをこれからお教えしましょう。」


 私たちは先生の後について敷地内を歩いて行きました。庭では庭師が花や果実の木の剪定などの仕事に専念しておりました。小道を右に左に曲がりながら各種の植え込みの中を通り抜けました。小鳥や可愛い動物がそこここに姿を見せます。やがて小川に出ました。そしてすぐ側にエジプト寺院のミニチュアのような石の東屋があり、私たちはその中に案内されました。

天井は色とりどりの花で出来た棚になっており、その下の一つのベンチに腰掛けると、先生も私たちのベンチと直角に置いてあるベンチに腰を下ろされました。


 床を見ると何やら図面のようなものが刻み込まれております。先生はそれを指さしてこうおっしゃいました。

 「さて、これが今私があなた方を案内して回った建物と敷地の図面です。この印のところが今いる場所です。ご覧の通り最初に皆さんとお会いした門からここまで相当の距離があります。

皆さんはおしゃべりに夢中でどこをどう通ったかは一切気にとめられなかった。そこでこれから今来た道を逆戻りしてみるのも良い勉強になりますし、まんざら面白くないこともないでしょう。無事にお帰りになってお会いしたら、先ほどお聞きしたあなた方の問題についてアドバイスいたしましょう。」



 そうおっしゃって校長先生は立ち去られました。私たちは互いに顔を見合わせ、先生が迷路のような道を連れて回られた目的に気づかなかったそのうかつさを互いに感じて、どっと笑い出しました。それから図面を何度も何度も調べました。直線と三角と四角と円がごちゃごちゃになっている感じで、始めはほとんど判りませんでした。

 が、そのうち徐々に判りはじめました。それはそのコロニーの地図で、東屋はその中心、ほぼ中央に位置しております。が入口が記されておりません。しかもそれに通じる小道が四本あって、どの道を辿ればよいかが判りません。

しかし私はこれは大した問題でないと判断しました。と言うのは四本ともコロニーの外郭へつながっており、その間に何本もの小道が交叉していたからです。その判断に到達するまでのすったもんだは省きましょう。時間が掛かりますから。

 とにかく私の頭に一つの案が浮かび、参考までに提案してみたところ皆んなそれはなかなか良い考えだと言い、これで謎が解けそうだと喜びました。と言って別に驚くほどのことではないのです。どの方向でも良いから、とにかく外へ出て一ばん直線的な道を進んでみるというだけの話です。

言い方がまずいようですね。要するに東屋からどちらの方角でも良いから一ばん真っ直ぐな道を取るということです。そうすると必ず外郭へ出る。その外郭は完全な円形をしているから、それに沿って行けば遅かれ早かれ門まで来ることになるわけです。

 いよいよ出発しました。道中は結構長くて楽しいものでした。そして冒険的要素が無いわけではありませんでした。と言うのも、そのコロニーはそれはそれは広いもので、丘あり谷あり森あり小川ありで、それがまた実に美しいので、よほど目的をしっかり意識していないと、道が二つに岐れたところに来るとつい方向を誤りそうになるのでした。

 しかし、必ずしも最短で直線的な道を選んだわけではないと私は思うのですが、私はついに外郭に辿り着きました。ついでに言うと、その外郭は芝生の生い茂った幅の広い地帯になっていて、全体は見えなくても、その境界の様子からして円形になっていることはすぐに判ります。

そこで左に折れ、そのまま行くと間違いなく円形をしていて無限軌道のように続いておりました。どんどん歩いて行くうちに、ついに最初に校長先生にお会いした門のところまで来ました。

 先生は、よく頑張りました、と言って迎えて下さり、その足で建物の前でテラスに上がり、それまでの冒険談──私が書いたものより遥かに多くの体験──をお聞かせしました。先生は前と同じように熱心に耳を傾けて下さり「なるほど。結構立派にやり遂げられました。目的を達成し、ここまで帰って来られたのですから。ではお約束通り、あなた方の学ばれた教訓を私から述べさせていただきましょう」と言って次のような話をされました。

 「まず第一に、行きたいと思う方向を確認すること。次に近道と思える道ではなく一ばん確実と思える道を選ぶこと。その道が一ばん早いとは限りません。限りなく広がると思えたこのコロニーの境界領域までまずやってくる。その境界線から振り返ると、それまで通り抜けて来た土地の広さと限界の見当がつく。要はそれまでの着実さと忍耐です。望むゴールは必ず、達成されるものです。

 「又、その限られた地域とその先に広がる地域との境界領域に立って見渡すと、曲がりくねった道や谷や小森が沢山あって、あまり遠くまで見通せなくても全体としては完全に釣合が取れている──要するに完全な円形になっており、内部は一見すると迷路でごった混ぜの観を呈していても、より大きい、あるいはより広い観点から見ると、全体として完全な統一体で、実質は単純に出来ていることが判るはずです。小道を通っている時は迷うでしょうけど。

 それに、その外郭を曲線に沿って行くと限られた範囲しか目に入らなかったでしょう。それでも、その形からきっと求める場所つまり門に辿り着けると判断し、その理性的判断に基づいた確信のもとに安心して辿って来られた。そして今こうして辿り着き、少なくとも概略においてあなた方の知的推理が正しかったことを証明なさったわけです。

 さてこの問題は掘り下げればまだまだ深いものがありますが、私はここであなた方をこの土地にいて私を援助してくれている仲間たちにお預けしようと思います。その人たちがこの建物や環境をさらにご案内し、お望みならもっと広い地域まで案内してくれるでしょう。面白いものがたくさんあるのです。

その方たちと私が述べた教訓について語り合われるとよろしい。少し後でもう一度お会いしますので、その時に話したいことや尋ねたいことがあればおっしゃって下さい。」


 そうおっしゃって私たちにひとまず別れを告げられると、代わって建物の中から楽しそうな一団が出て来て私たちを中へ招き入れました。まだまだ続けたいけど、あなたにはまだお勤めが残っているから今日はこの辺でやめにしましょう。少しの間とはいえ、こうして交信のために降りて来るのは楽しいことです。あなたをはじめ皆さんに神の祝福を。母とその霊団より。



Love and wisdom

If you compare our daily life with yours, it's like studying at school, there are so many classes in a really big school, and a lot of teachers. But the educational policy is consistent, moving from simple to complex, and complexity does not mean confusion.

The more you know God, the Creator of the universe, the more you realize that the joy of knowing is that everything is done well so that you have more pious loyalty to God.

So today, we will continue to take up traditional themes, what we are doing in this world on a daily basis, how God's love surrounds us, and as we acquire humility and love. Let's clarify whether it will be understood more and more clearly.

One of the important things in this situation is that wisdom and love must be balanced. The two are not really separate, but represent two aspects of one major principle.

So to speak, it is the same as the relationship between trees and leaves, and if love works and wisdom breathes, healthy fruits will be produced. To explain in an easy-to-understand manner, one concrete example of how we take in that love and wisdom as we take care of ourselves and the people we are allowed to teach. Let me give you an example.

Just recently, we were given one task, which led us five of us to visit an area (colony) far away. The purpose was to teach the best steps to be taken against humans on earth who are skeptical or embarrassed about the existence of God's love.

After all, our lack of experience was often an obstacle in dealing with such cases, and as you know, there are many such people on earth.

The principal of the college there was a talented politician on the ground, but his talent was not fully demonstrated on the ground, and it was not until he came here that he was able to fully demonstrate it, and in the end, only the earth was trained. I realized that it was not a place where the results of the above could be demonstrated.

The purpose of his visit was that, despite his high position, he was treated with great politeness and kindness, without any great selection. You are noble enough to call you an angel, and if you land on the ground in that form, you will be overwhelmed by its brilliance.

He has a really beautiful appearance and face, and the word to describe it is "Sashizume", which is like burning with a brilliant brilliance. He listened to us in a friendly manner, and was sometimes urged to speak in a quiet tone, saying "So?", And we just forgot about his spirituality, fear and refrain. I talked without. Then you said:

"Students-let's say I'm a student while I'm here-I listened to the story with great interest. At the same time, it's a common problem in that kind of work. If you solve it, you will be able to return to work lightly, but if you try to get involved in Isa work, you will have problems again.

why. The reason is that the most important thing to keep in mind is that you have to experience it to understand the details. It is only after experiencing it that you can understand how important it is. Come on out about me. Let me tell you something important. "

We walked around the premises after the teacher. In the garden, the gardener was devoted to work such as pruning flowers and fruit trees. I went through various plantings while turning left and right along the path. Birds and cute animals appear here and there. Eventually I went to a stream. And right next to it was a miniature stone eastern house of an Egyptian temple, in which we were guided.

The ceiling is a shelf made of colorful flowers, and when I sat down on one of the benches below it, the teacher also sat down on a bench that was at right angles to our bench.

When you look at the floor, something like a drawing is engraved. The teacher pointed to it and said:

"Well, this is a drawing of the building and site that I have guided you around now. This mark is where you are now. As you can see, there is a considerable distance from the gate where I first met you.

Everyone was so absorbed in chatting that they didn't care where and how they went. Therefore, it will be a good study to go back the way you have come, and it will not be uninteresting. When you're back home and meet, I'll give you some advice on your problem you just heard. "

That's right, the principal has left. We looked at each other and burst into laughter, feeling each other's illness that the teacher didn't realize the purpose of being taken along the maze-like path. Then I looked up the drawings over and over again. At first, I could hardly understand it because the straight lines, triangles, squares, and circles were messed up.

However, it gradually began to be understood. It is a map of the colony, and the eastern house is located in the center, almost in the center. However, the entrance is not marked. Moreover, there are four paths leading to it, and I don't know which path to follow. 
But I decided this wasn't a big deal. This is because all four were connected to the outer shell of the colony, and many paths crossed between them. Let's omit the mess until we reach that decision. It will take time.

Anyway, one idea came to my mind, and when I proposed it for reference, everyone said that it was a good idea, and I was delighted that this would solve the mystery. That's not surprising. It doesn't matter which direction you go, it's just a matter of going outside and following the straightest path.

It sounds like it's awkward to say. In short, it doesn't matter which direction you take from Azumaya, so take the straightest path. Then you will definitely go out to the outer shell. Its outer shell is a perfect circle, so if you follow it, you will sooner or later reach the gate.

It's finally time to leave. The journey was quite long and fun. And it wasn't without adventurous elements. After all, the colony is wide, with hills, valleys, forests, streams, and it's so beautiful that if you're not very conscious of your purpose, the road splits into two. When I came to, I was about to go wrong.

However, I don't think I chose the shortest and straightest path, but I finally arrived at the outer hull. By the way, it is easy to see that the outer hull is a wide area overgrown with lawn, and even if you cannot see the whole, it is circular from the appearance of the boundary.

Then I turned left, and when I went as it was, it definitely had a circular shape and continued like an endless track. As I walked steadily, I finally came to the gate where I first met the principal.

The teacher welcomed me saying that he did his best, and with his feet he went up to the terrace in front of the building and told me about his adventures-much more experiences than I wrote. Did. The teacher listened as enthusiastically as before, saying, "I see. I've done quite well. I've achieved my goal and I've come back here. As promised, your studies. Let me share with you the lessons learned. "

"First of all, check the direction you want to go. Next, choose the path that seems to be the most reliable, not the path that seems to be the shortcut. The path is not always the fastest. It seems to expand infinitely. You'll come to the border area of ​​the colony first. Looking back from that border, you'll have an idea of ​​the size and limits of the land you've passed through. The point is steadyness and patience. The goal you want is always achieved. It is a thing.

"Also, if you stand in the boundary area between the limited area and the area beyond it, there are many winding roads, valleys and small forests, and even if you can not see too far, it is perfectly balanced as a whole. In short, it is a perfect circle, and although the interior looks like a maze and a mixture, when viewed from a larger or broader perspective, it is a complete unity as a whole. So you can see that it's actually simple, though you'll get lost when you're on the path.

Besides, if you went along the curve, you would have seen only a limited range. Even so, I decided that I could reach the place I wanted, that is, the gate, from that shape, and I was able to follow it with confidence based on that rational judgment. And now that we have arrived, we have proved that your intellectual reasoning was correct, at least in outline.

Well, this problem is still deep if you dig deeper, but I will leave you here to the friends who are in this land and are helping me. They will guide you further to this building and environment, and if you wish, to a larger area. There are many interesting things.

I hope you can discuss the lessons I have given with them. We will meet again in a little while, so please tell us what you would like to talk about or ask at that time. "

When you said so and said goodbye to us for the time being, a group of people who seemed to have fun came out of the building and invited us inside. I want to continue, but you still have work to do, so let's stop here today. It's fun to come down for communication in this way, albeit for a short time. Blessing God to you and everyone. From her mother and her ghost group.

Sunday, March 6, 2022

シアトルの春 スピリチャリズムによる福音ーカデラック Gospel by Spiritualism-Cadel





スピリティズム 


スピリティズムは霊界の存在とその様相、及びその物質界との関わりを、否定できない方法で証明することによって人類に示す新しい科学です。 
スピリティズムの中では、霊を超自然のものとして示すのではなく、自然界で絶え間なく働く生きた力の一つとして捉え、今日においても理解の不足から驚異と空想の産物として軽視されている様々な霊現象の根源としています。


キリストはこうした関係について、多くの場面において言及しましたが、彼の述べたことの多くは理解されなかったり、誤って解釈されたりしてしまいました。スピリティズムは、すべてをより容易に解説するための鍵なのです。 
旧約聖書の法はモーゼによって具現化されました。新約聖書の法はキリストによって具現化されました。スピリティズムは神の法の第三の啓示ですが、どんな個人にも具現化されていません。 
なぜならそれは、人間によって与えられた教えではなく、霊たちによって与えられた教えの結果であるからで、それは無数の媒介者の協力によって地上のあらゆる場所に伝えられた天の声なのです。

別の言い方をすれば、それが集合的な存在であるということができ、それは霊界の存在者の集合によって形成され、その個々が人類に対して光の捧げものをもたらし、霊界を知らしめ、人類を待ち受ける運命を教えてくれているのです。

キリストが「法を破りに来たのではなく、成就するために来たのです」と言うように、スピリティズムも「キリストの法を破るために来たのではなく実行するために来たのです」と言うことができます。

キリストが教えたことに反する教えは一つもなく、それをさらに発展させ、補足し、例え話の形でしか述べられていなかったことを、誰にとっても明解な言葉によって解説しています。予言されたときにキリストが宣言したことを遂げる為に、そして未来の出来事に対する準備をするためにやって来たのです。

したがって、スピリティズムはキリストの業であり、その宣言のとおり、世を更生し、地上における神の国を準備するための指揮を取っているのです。




Spiritism
Fifth, spiritism is a new science that shows humankind by proving the existence and aspect of the spirit world and its relationship with the material world in an undeniable way. In spiritism, the spirits are not shown as supernatural, but as one of the living forces that work constantly in the natural world, and even today, various spirits are neglected as products of wonder and fantasy due to lack of understanding. It is the root of the phenomenon.


Christ referred to these relationships on many occasions, but many of his statements were not understood or misinterpreted. Spiritism is the key to explaining everything more easily.


the Old Testament law was embodied by Moses. The New Testament law was embodied by Christ. Spiritism is the third revelation of God's law, but it is not embodied in any individual. Because it is the result of the teachings given by the spirits, not the teachings given by humans, it is the voice of heaven transmitted everywhere on earth with the help of countless intermediaries.

In other words, it can be said to be a collective being, which is formed by a set of beings of the spirit world, each of which brings a tribute of light to humanity and informs the spirit world. It teaches us the fate of waiting for humankind.
just as Christ says, "I did not come to break the law, but to fulfill it," so did spiritism, "I did not come to break the law of Christ, but to do it." It is. "

There is no teaching that goes against what Christ taught, and it is further developed, supplemented, and explained in clear words to everyone, which was stated only in the form of parables. He came to accomplish what Christ had proclaimed when he was prophesied, and to prepare for future events.

Therefore, spiritism is the work of Christ, and as its proclamation, it is commanding to rehabilitate the world and prepare the kingdom of God on earth.

Thursday, March 3, 2022

シアトルの春 既成宗教のどこが間違っているか ─キリスト教を中心に  What is wrong with established religions ─ Focusing on Christianity



既成宗教のどこが間違っているか ─キリスト教を中心に

  〝今もしナザレのイエスが地上へ戻ってきて自分の名のもとに説かれている教えを聞いたら、いったい何のことだか理解できないでしょう。その多くはイエスが説いたものではないからです。後世の聖職者たちがでっち上げたものだからです〟


 これは聖公会(アングリカン)の牧師が初めて交霊会へ出席した時にシルバーバーチが語った言葉である。以下その二人の問答を皮切りに、既成宗教のそもそもの間違いはどこにあるのかを総合的に検証してみよう。まず牧師から質問する───


───あなたの霊訓によってずいぶん教えられております。私は牧師ですが、ドグマと組織化された宗教というものに幻滅を感じております。でも私はキリスト教にもある種の良さを見出しております。そこで、果たして教会内に留まって改革の仕事をすべきか、それとも教会を脱退して外部から仕事をすべきかで迷っております。

 話を教会そのものの起源から始めましょう。他の宗教の教会に相当するもの、つまり寺院、教会堂、礼拝堂と同じく、キリスト教の教会も、その昔、霊力が地上に降りたということがその起源となっております。

それには聖書にいう〝しるしと驚異〟もしくは〝奇跡〟と呼ばれるものが伴っております。霊力というものはその時代の古びた信仰、間違った教義やドグマへの挑戦という形で届けられました。

それが霊的起源であるとの証拠は、病人を癒やすこと、迷える者に導きの光を授けること、物質は殻であり霊こそ実在であるという基本的原理を教えるということで示されたのでした。しかし残念ながら歴史をご覧になれば分かるように、そうした霊力のほとばしりも、ほんの短い期間しか続きませんでした。

 そうした中で神学者というのが次第に勢力を持ち始め、勝手な教義をでっち上げ、それが純粋な霊性を具えていた啓示と置き代えられていきました。不毛の人間的産物が神の声を押しのけてしまったのです。

その後も〝しるしと驚異〟あるいは〝奇跡〟と信じられるものを伴った霊力のほとばしりがあり、それがまたもや人間的産物によって置き代えられるということが何度となく繰り返されました。

 そうしたことばかりしている教会をイエスは〝白塗りの墓〟と表現しました。霊力がすっかり抜き取られているからです。繰り返される作業によって築きあげられた壁の余りの頑強さに、崇高なる霊の力も突き通すことが出来ないのです。そのことをまず率直に申し上げねばなりません。

 さて、あなたがいちばん良い例ですが、それまで信じてきた伝統的な信仰と真っ向から対立する霊的真理に真実性を自覚し始めた時に問題が生じます。

板ばさみの状態の中でどう身を処すべきかということになるのですが、あなたに限って言えば、現在の立場に留まって、その世界の中であなたに耳を傾ける人を啓発していきなさいと申し上げます。スピリチュアリズムという用語を用いる必要はありません。

これは単なるラベルにすぎません。私たちはラベルには拘りません。私たちの関心は魂を解放すること、大霊の意図される生き方を可能にしてくれる自由を与えてあげることです。

 地上世界の問題の大半が物質中心の考え方に起因しております。物的欲望は地上界を毒する悪性のガンです。これは是非とも人生の基盤が霊であり物質ではないという知識、理解、悟りによって駆逐しないといけません。

 それなら教会内でもできるはずです。導きを求めてあなたのもとを訪れる人に教えてあげることができます。あなたの今の実力をもってすれば、真の自我を見出す手引きをしてあげられる立場にいらっしゃいます。人間はいつかは必ず自己革新の過程を経なければならないものです。

自分を救うのは自分でしかないのです。誰も救ってはくれないのです。その手引きをしてあげる方法は教会においても見出せることにお気づきになられます。

 教会を去ってしまえば霊媒その他、スピリチュアリズム関係の人たちとの接触に限られてしまいます。ということは、スピリチュアリズムの啓蒙活動の側からいえば、同志が一人増えただけということになります。

その点キリスト教界に留まっていれば、伝導の使命を帯びた正式の牧師として、あなたの教会に精神的指導を求めてくる人々に手を差し伸べてあげることができます。

 ナザレのイエスは今なおわれわれのこうした仕事の背後の中心的指導者として活躍しておられます。その他にもかつて地上であなたと同じように牧師の聖衣をまとっていた人が大勢参加しております。

他界後に身に付けた知識と霊力とをたずさえて、地上の人類に幅広く援助の手を差し伸べるための道具を求めております。使命感は死とともに終わるものではないのです。

 神は人間に〝疑う心〟を植えつけております。真実性を確かめるための批判的精神です。正直な批判は少しも悪いものではありません。真実を知りたいがために疑ってかかる人を私たちは大いに歓迎します。ですが、口先だけの議論や用語の詮索ばかりする人はご免こうむります。

 私はいつでもどこでも援助します。悲しみや苦しみが触媒となって霊性が目覚め始めた魂を見つけ次第援助します。受け入れる用意ができたからです。


 その牧師には夫人の他にもう一人、学校で宗教教育を担当している女性が同伴していた。その女性が尋ねる───

───私はあなたの霊言集を読み続けております。その中のどこかであなたは、人格神は人間が発明したもの以外には存在しないとおっしゃっています。〝大霊とは法則です〟と述べておられるのですが、別のところでは〝未来永劫にわたって神の愛と愛の神が存在します。

皆さんが愛念を表現するごとに神がみずからを顕現なさるお手伝いをしているのです〟とも述べておられます。これらの表現や他のもろもろの言い回しを拝見しておりますと、私にはあなたは神を人格を具えた存在であるかに表現しておられる印象を受けるのですが、その辺を明確にしていただけないでしょうか。


 分かりました。でも、これはとても難しい問題です。なぜならば、無限なる存在を有限なる言語で定義することは事実上不可能なことだからです。大霊は人間が考えるような意味での人物的存在ではありません。人間を大きく拡大したような存在ではありません。男性でもなく女性でもありません。

 大霊は宇宙最高の力、無限の知性、愛、慈悲、叡智、要するにありとあらゆる霊的資質の原理の総合的化身です。が、その概念をお伝えしようとすれば、どうしても人間の言語を使用せざるを得ません。もしも私が大霊のことを中性名詞で〝それ〟と呼んだら、男性名詞で〝彼〟と呼ぶよりもさらに厄介な問題が生じます。

 物的世界は、他のすべての世界と同じく、絶対不変の摂理によって支配されております。その摂理は無限の過去から存在していましたし、これからも無窮の未来まで存在し続けます。予期しなかった事情が生じて改めざるを得なくなることはありません。

これまでの摂理では間に合わない新たな事態が生じるということも絶対にありません。その作用は完ぺきであり、停止することも、無効になることもありません。無限の知性によって考案されたものだからです。

 生命の存在するところには必ず摂理が働いております。原因には必ず結果が生じます。タネ蒔きには刈り取りが付随します。その因果関係に干渉して、生じるべき結果を変えてしまうような力をもつ存在はありません。

地上世界のどこで何が起きようと、それも摂理のもとに生じています。突発事故も偶然の出来事もありません。大自然の摂理はありとあらゆるものを包摂しております。

 こうした事実は、その背後に崇高なる知性が存在してそれが摂理を生み出し、万物の全側面と全活動を維持・管理していることの証ではないでしょうか。同時に又、その全摂理を通じて愛が支配し、従って完全なる公正が行きわたっているに違いないことを暗示してはいないでしょうか。

悪いことをすればそれ相当の罰が与えられるように、善いことをすればそれ相当の報いがもたらされます。

 死の床での牧師による最後の儀式も、自然の摂理の働きを変えることはできません。いくら誠心誠意の祈りであっても、それだけで摂理が変えられるものではありません。いかなる教義を忠実に受け入れても、摂理を変えることはできません。

なぜならば摂理は完全な公正が行きわたるように働かねばならないからです。あなたの行為が招いた結果を代わりに背負ってあげられる人はいません。

あなたのすること考えることの一つ一つにあなた自身が責任を取らねばなりません。聖人と罪人とが同じ霊格を具えるようなことはあり得ません。霊格をごまかしたり偽ったりすることはできません。そこに神の意志があり、神とはそういうものなのです。

 あなたは〝人間性〟を問題にされましたが、神はあらゆる人間に内在しているという意味では人間性があると言えます。が、神は摂理であるという意味においては非人間的存在です。ましてや、自分を信じる者は可愛がり、信じない者には意地悪くするような、そんな恨み深い神さまではありません。

 摂理によって原因と結果とがきちんと定められております。神はあなたの中に存在するのです。受胎の瞬間から神性の種子が植え付けられているのです。それに芽を出させ、花を開かせ、豊かな実りをもたらすためのチャンスは、日常生活の中でいくらでも用意されております。


───すべてが神がふところの中で行われている、という言い方は正しいでしょうか。

 結構です。神はあらゆる場所に存在します。神のいない場所というものは存在しません。


───新約聖書の中(マタイ9・17)でイエスは、古い皮袋に新しいぶどう酒は入れられないと述べております。これとあなたが説いておられることとはどう結びつけたらよろしいでしょうか。

 古い皮袋に新しいぶどう酒を入れることは出来ません。古いぶどう酒を新しい皮袋に入れるのです。霊力というものを人間が勝手にこしらえた信仰に合わせて働かせることはできません。霊的真理を自分の信仰の型にはめ込むことはできません。

いかなる信仰も、いかなる教義も、いかなる名句も、自分がこれは真実ではあり得ないと確信したものは、いかに古くから伝えられているものであっても、即座に拒絶なさらないといけません。

 イエスはよく寓話を用いました。が、言わんとしていることはきわめて明瞭です。もしもあなたが霊力の存在を自覚していらっしゃるのなら、もしも霊的真理を確信していらっしゃるのなら、それと食い違う教説は一切説いてはなりません。ただそれだけのことです。

 例えば、先ほど大霊についての質問がありましたが、大霊とは、どこかで説かれているような三位一体などというものではありません。大霊はすべてであり、いずこにでも存在します。宇宙の全生命を包摂しております。

もしも神とは三つの部分に分けられるものと信じているとしたら、その信仰は間違いです。それに、そう信じたからといって一体どうなるというのでしょう。神とは一にして三、三にして一であると信じたら、何か霊的に救われることでもあるのでしょうか。


───(最初に質問した牧師) 私には何のことだか、わけが分かりませんでした。

 私にも分かりません。あなたはあなたに啓示された真理に忠誠を尽くすことです。信じられる筈もないものを信じようとするのは、あなたの知性の信用に関かわります。また、あなたの魂の成長にとってもプラスになりません。

        ※          ※

 別の日の交霊会に同じく〝国教会の不満分子〟の一人が夫人とともに招待され〝妻とともに生涯忘れ難い夕べ〟を体験した。まずシルバーバーチが歓迎の言葉を述べる───

 あなたが私の説く真理のいくつかをご存知であることはよく承知しております。あなたなりの厳しい自己批判と精神的苦悶の末に、過去の教条と教説に背を向けられ、これこそ人生に光明をもたらしてくれると信じる霊的真理を手にされました。

 本当を言えばあなたと同じ立場にある他の聖職者たちも、あなたと同じように霊の力とその崇高な真理を手にしてほしいのですが、それが思うに任せないのが残念です。本来ならばその霊力の守衛であり、大霊の大使であり特使であるべき人たちが石の壁を張り巡らして、霊力も真理も突き通せなくしてしまっている光景は、見るも悲しいことです。

 当然の結果として教会は冷たく荒涼として、生命力に欠けた不毛の場と化しております。生気あふれる霊力の顕現がそこにないからです。その点あなたは、悲痛な思いを経た上でのことではありましたが、真理の道を見出されたことを喜ぶべきです。

自分をそこまで導いてくれた光明の存在を知ることになりました。それはこれからも引き続き光輝溢れる光を放ち、あなたの辿るべき道を照らしてくれることでしょう。


───私どもは大霊があなたのような高級界の霊を通して語りかけてくださっていると理解しておりますが、人間の歴史を通じて、かつて大霊が霊を経ないで直接語りかけたことがあるのでしょうか。

 大霊は個的存在ではありません。大霊は個性が神格化されたものではありません。大霊は個性を超越した存在です。摂理・愛・叡智・真理の粋(エッセンス)です。巨大な宇宙で休みなく作用している無限の知性です。

 それは数かぎりない自然現象の中に見ることができます。その子等が英雄的行為、滅私の行為、滅私の行為、慈悲の行為を通じて、自分より恵まれない人のために尽くす時の、その愛の表現の中にも見ることが出来ます。

 又、病の人を癒し、喪中の人を慰め、意気消沈した人を元気づけてあげる時の霊力の流れの中にも見ることができます。
 一個の男性あるいは女性として出現することはできません。個々の人間に宿る神性の発現という形で、部分的に顕現されることはありうるわけです。


───私たちから大霊に直接語りかけることはできるのでしょうか。もしできるとしたら、それは私達自身に内在する神性のことでしょうか。

 あなたは大霊であり、大霊はあなたなのです。その違いは種類でも本質でもなく顕現の度合いに過ぎません。大霊は完全の極致です。あなたはそれに向っての努力を限りなく続けるわけです。したがって大霊は内部と外部の双方に存在するわけです。

あなたが愛・寛容心・慈悲・哀れみ・仁といった神性を発揮すれば、その時あなたは大霊と通じ合っていることになります。なぜなら、あなたを通じて大霊が表現されているからです。

 一方、大霊には無数のメッセンジャー、無数のチャンネルがあります。神意を行きわたらせることを任務とした高級神霊の一大組織が張りめぐらされております。ですから、もしもあなたが大霊に向かって語りかければ、黙って念じるだけでも、精神統一でも、あるいは声に出して祈ることによってでも、

あなたの意志が大霊に届けられます。声に出すということは良いことです。念じるだけではとかく乱れやすい思念を明確にまとめ、具象化することになるからです。

 しかし声に出す出さないに関係なく、衷心からの切望は大霊に知られると同時に、神意の行政を司る任にある高級霊に届きます。


───あなたは霊界でイエスにお会いになったことがありますか。

 あります。何度もお会いしております。このことはこのサークルの皆さんにはすでにお話してあります。定期的にクリスマス(冬至)とイースター(夏至)の二度、この地上から引き上げて、そのイエスが主催される大集会に参列する際に拝謁しております。

今イエスは二千年前にご自身が身をもって示しながら、その信奉者をもって任ずる人々によって台無しにされてしまった霊的真理の普及に携わっておられます。

 その働きによって、二千年前にイエスを通じて顕現したのと同じ霊力による現象(心霊現象及び病気治療)を伴って、その霊的真理が地上に蘇りつつあります。

イエスにとって、又その輩下の神霊にとって、地上の宗教界の指導的立場にある者が基本的な真理について救いようのないほど無知である様子を見ることほど嘆かわしい思いをさせられるものはありません。

 あなたは光明を見出されました。そのことを大いに喜ぶべきです。そして、ここまであなたを導き、間違いない道標を提供してくれた霊力と同じものが、これからも引き続き導いてくれることを信じて下さい。これまでも決してラクな道ではありませんでしたが、使命を担った者にラクな道はないのです。

 もしも使命を担った者が降りかかる困難を克服できないとしたら、地上の寄生虫的営利第一主義に対抗して霊界から挑んでいるこの霊的大戦の将校としては失格であることになります。

 皆さんの心に温もりと愛とをもたらしてくれた真理、そして又、失ったと思っていたのが再び見つかり、さらにここまで導いてくれた愛を、神に感謝しなくてはなりません。

 喜んでください。皆さんはバイブル(マタイ6・19)に言う 〝虫が食いサビがつく〟 ことのない宝を手にされたのです。清澄で光輝に溢れ、永遠に曇ることがなく、決してあなた方の手から離れることはありません。なぜなら、苦難の末に手にされたものだからです。

        ※            ※
             
 米国から訪れた二人の聖職者───うち一人はキャノン(功績のあった牧師に贈られる名誉称号)───に対してシルバーバーチが次の様な歓迎の言葉を述べた───

 お二人は立派なお仕事をなさっておられます。容易なことではありませんが、今日の米国を広く支配している暗黒を霊の光によって駆逐し、黄金の仔牛(富の象徴)に代わって霊的真理を崇拝の対象とするように導くことが是非とも必要です。

 なぜ必要か。それは、無数の魂がいずこへ向かうべきかも分からずに絶望の淵をさ迷っているからです。
 言いにくいことを敢えて言わせていただきますが、残念ながら今の米国には、そうした危機的状態にある人たちの力となり霊的・精神的・物的自由をもたらしてあげられる牧師は何百人、たぶん何千人もいないのではないでしょうか。

 お二人は今その仕事にたずさわっておられるわけです。もともと霊的真理の啓示の場として建立された教会が、人間のこしらえた障害物(教義・教典)のために霊力の働かない場所となってしまっているのは悲しいことです。

 又、もともと霊的問題の指導者、教師、人間の模範であるべき牧師が肝心の霊的基本真理について何一つ知らず、あまつさえ今の時代でも手にすることのできる神のインスピレーションよりも人間の勝手な産物である教義の方を後生大事にしているのも情けないことです。

 こんな手厳しいことを私は決して非難するつもりで申し上げているのではありません。あるがままの事実を申し上げ、それが残念なことであることを指摘しているまでです。

 しかし、霊的光明はそうした障害を突破して、今や地上に根づいております。これ以後もますます増えていく人間的チャンネル(霊媒・霊能者・心霊治療家)を通じて霊力が流入し続けることでしょう。神の証人は今の時代にも大勢いること、全ての人間が神の恩恵に浴することが出来ることを立証していくことでしょう。

 そのためには先ず日常生活を、それを受けるにふさわしいものに整えなければならないことも思い知らされていくことでしょう。困難、死別、病苦を体験して初めて、魂にその素地ができあがるのです。

 神学上の教義やドグマの解釈について討論し合うことに生き甲斐を覚える様な人種を相手に、あなたの貴重な時間を浪費してはいけません。何の価値もないことですし、霊性をひとかけらたりとも伸ばすことには成りません。不毛で無意味です。

 そういう人たちよりも、すでに受ける用意のできた人との出会いを待つことです。そして、そういう人をいつでも受け入れてあげられる準備をしておくことです。いつでもどこでも、真理を説く用意をしておくことが大切です。

その上で、もしも拒絶されたら、せっかくのチャンスを目の前にしながらそれを手にすることの出来なかった人を気の毒に思ってあげるがよろしい。

 神の摂理は完ぺきですから、地上の人間が一人の例外もなく、生涯に一度は必ず真の自分を見出すチャンスに巡り会えるように配慮されております。魂が揺さぶられて神性の火花が炎と燃え上がり、内在する霊の豊かさ、威厳、美しさ、壮大さ、高貴さ、崇高さをいくらでも発揮することができます。

そのチャンスはすべての人に訪れます。そういう人のうちのたった一人でもあなたが手助けをしてあげることになれば、それは掛けがえのない価値をもつことになります。

 霊界には地上の様々な状態───動乱・混とん・暴力・破壊・強欲・大欲・嫉妬、要するに人類全体にはびこっている物的優先の産物の処理に深く関わっている高級霊団が存在します。宇宙の大経綸組織の一部を担っている霊団です。

 人間が真の自我に目覚め、自分とは何なのか、なぜこの地上に存在しているのか、この地上を天国のような住処にする上で人間は何をなしうるのかを自覚するには、先ずそうした物欲優先の産物を根絶しなければなりません。

全ての人間が霊的光明のもとで生きるようになれば、必ずや地上天国が実現するように意図されているのです。

 お二人はそれを実現するという壮大な目的のために貢献する、測り知れない光栄に浴しておられます。そこまで導かれてきたわけです。どんなに辛い思いをしている時でも、どんなにうんざりする思いをさせられている時でも、決して孤独ではないということを忘れてはなりません。

霊の光が常にあなた方の足元を照らし、霊の愛がいついかなる時もあなた方を包み込んでおります。

 何度も申し上げていることですが、人のために役立つことをすることは気高いことです。同胞のために尽くすことによって、共通の親である大霊の役に立つということほど気高い貢献はありません。これに勝る宗教はありません。

 形式を守り教義に盲従するというだけの宗教では何の価値もありません。真の宗教とはみずから世に出て、少しでも住み良い環境にするような行為を心掛けることです。

 自分を取り囲む事情が険しくなってきた時───暗黒が低く垂れこめ、稲光が走り、雷鳴が轟きはじめた時は、心を静かにして、これまで自分を導いてきた力はきっとこれからも導き続けて、次に進むべき道を示してくれるはずだという確信をもつことです。

 力強く前進なさい。最善を尽くすことです。それ以上のものは人間に求められていません。しくじった時は立ち直ればよろしい。しくじるということは立ち直れることを意味します。皆さんは不完全な世の中の不完全な存在である以上、必ず失敗を犯します。完全へ向けての巡礼の旅は永遠に続くのです。これまでに啓示された真理に感謝しなくてはいけません。

                     ※           ※

  別の日の交霊会でサークルのメンバーが質問した───

───こうした霊的真理に目覚めた宗教界の指導者は、それまでに抱いてきた宗教観を棄てるべきでしょうか。

 各人各個の責任ということが絶対的原理の一つです。各自が自分の行為に責任を持つということです。真理をごまかすことはできません。理解の芽生えとともに良心の声が次にとるべき行為を指示します。

その指示を素直に受け止め、なるほどと納得がいったら、何をおいてもその指示に従わなければなりません。それが原理です。その原理を無視している人たちを個人的に私が非難することは控えたいと思います。私がそのようなことをするのは適当ではないからです。


───非難するのは間違いですが、とるべき態度を説くのは許されるのでないでしょうか。

 あなた方のなすべきことは、いつどこにおいても真理を説くということです。人との出会いがそれを目的としている(背後霊によって導かれている)場合があります。

あなたも、あなたにとって最も必要な時にそうした出会いによって救われたのです。そこに摂理の働きがあり、真理はそういう形で広められていくものなのです。

 それからあとのことは、もうあなたの責任ではありません。地上の人間は一人一人がみな異なった進化と発達の段階を歩んでいるのです。すべての者にアピールするたった一つの真理というものは無いのです。したがって、こと霊的な問題に関するかぎり〝集団回心〟ということは有り得ないのです。

 〝風は思いのままに吹く〟(ヨハネ3・8)と申します。霊力はそれを受け入れてくれるところへ浸透していきます。パン種が絶え間なく働いているのです。各自が各自の成長と進化の段階に応じてその真理の意味するところを理解し、そしてそこから次の段階へと進むほかありません。

 大切なのは真理がその人の自我に居場所を見出すということです。前にも申した通り、霊的なつながりは、いったん出来あがったら二度と切れることはありません。それをこしらえることが、霊力が地上へ顕現していくためのチャンネル、つまり通路をこしらえることになるのです。

 自分が理解した限りの真理───あなた方はもとより私自身もまだそのすべてを理解したわけではありません───に照らして行動する以外に生きる道はありません。それ以上のこともそれ以下のことも求められることはありません。何度も申しておりますように、自分としてのベストを尽くすことです。

それ以上のことができるわけがありませんし、又それ以下のことをすべきではありません。

 あなた方が真理を広め、間違いと迷信と無知とを駆逐するために行う努力の一つ一つに、霊界からの祝福と援助があります。私たちがこうして地上世界へ戻ってきた目的もそこにあります。

 それにつけても情けなく思うのは、本来ならば霊的な問題について最も多く知っていなければならないはずの聖職者が、一番無知であることです。

現在の地上世界の既成宗教のすべてが委縮し、霊的啓示の根源からあまりに遠ざかりすぎて、それを最初に受け止めた霊覚者の教えと、その後継者たちによって歪められた教説との間の見分けがほとんどつけられなくなっている現実は、大いに反省すべきであると思います。

 私のような者がこうして地上へ戻ってきて、霊的な教訓、霊的な哲理、霊的な倫理を説き、宗教がその基盤とすべき真実の原理を述べるよう要請されることになったのも、地上の既成宗教がその本来の機能を失い、道を求めて訪れる人に真の導きを与えることができなくなってしまったことが大きな理由の一つなのです。

 そもそもそうした宗教の誕生の基盤となったのが霊力であったのに、選りによってその宗教が作り上げた建造物の中がいちばん霊力がお留守になっているというのは、何とも皮肉なことです。

しかも、その組織のリーダーたちは、他の面(社会奉仕等のこと。第三巻六章参照───訳者)では殊勝な心掛けの人たちかも知れませんが、肝心の霊力に対する受容力に欠け、それを見る目も聞く耳も語る口も持ち合わせなくなっております。

その無知ゆえに今の時代でも聖霊の働きかけがあることを認めようとしません。歴史に語られている大きな事象を起こしたのと同じ霊力が今日でも働きかけているのです。

 その点あなた方は光栄にもその強大な霊力の保管者であり頒布者でいらっしゃいます。為政者の無知と盲目ゆえに危機に陥り、今なおその危機から脱しきれずにいる地上世界のために大切な貢献をしていらっしゃいます。

 あなた方のように真理に目覚めた方は世界中に大勢いますが、そういう人のなすべきことは、自分が受けた影響力をさらに他の人々へ広げていくことです。それによってさらに大勢の人が自分とはいったい誰なのか、何者なのか、なぜこの地上に存在しているのかを知り、その目的を成就するには何をなすべきかを理解していくことでしょう。

 悲しいことですが今の地上世界には、まるで暗い土中に住むモグラのように、人生について、生きる力の始原について、その目的について何一つ理解せず、生命の持つ物的・精神的・霊的な喜びを味わうすべを知らない人が無数に存在します。


───(招待された科学者) 科学者としてのこれまでの人生は悩みの連続でした。その第一は神の概念で、スピリチュアリズムを知ってからは、あなたが 〝大霊〟 と呼んでおられるものを信じておりますが、それまではキリスト教の神の概念が受け入れられなくて私なりの概念を抱いておりました。

それは、神とは広い意味での大自然の法則と同一視できる存在であり、キリスト教で説かれているような個体性をもつ存在ではないということです。いかがでしょうか。


 まず、真実からほど遠いキリスト教の概念から始めてみましょう。ここですぐ問題となるのは、有限の言語では無限なるものは表現できないということです。ゴット、神、あるいは私のいう大霊は永遠の存在であり、初めもなく終わりもなく、無窮の過去から存在し、これからも永遠に存在し続けます。

霊ないし生命力も同じように永遠の存在であり、初めもなく終わりもありません。かくして神、生命、霊、こうしたものは常時存在しているもので、時間的にいつから発生したという性質のものではないということです。

 限りある存在であるあなた方人間には全体を把握するということは不可能ですから、宇宙の背後の壮大な力は、限られた形でしか想像できないことになります。

 今あなたは神を大自然の法則と同一視しているとおっしゃいました。しかし神は大自然の法則よりもっと大きい存在です。なぜなら、その法則を支配しているのが神だからです。神とはその自然法則と同時にそれが作動する仕組みをもこしらえた無限なる知性です。

 残念ながら地上の大部分の人間にとって、神はどうしても人間に似た存在とならざるを得ません。個的形態を具えていない存在というものが想像できないのです。しかし神は、あなた方が想像するような個的存在ではありません。あなた方が存在するような人物的存在ではありません。

 神とは非人間的存在でありながら同時に人間性のすべてを表現する存在です。これはあなた方には理解できないでしょう。神はすべての生命の中に宿っています。その生命が人間という形で個別性をもつことによって、神は森羅万象を支配する法則としてだけでなく、個性をもつ存在として顕現したことになります。

 ですから、神を一個の存在としてではなく、無限の知性と叡智と真理を具えた実在そのもの、人間に想像しうるかぎりの神性の総合的統一体と考えて下さい。それは男性でもなく女性でもなく、しかも男性でもあり女性でもあり、個性というものを超越しながら同時にあらゆる個性の中に内在しているものです。

 神は万物の内側にも外側にも存在しています。神から離れては誰一人存在出来ません。神から切り離されるということがありえないのです。あなたの中にも存在しますし、雨にも太陽にも花にも野菜にも動物にも、その他いかに小さいものでも、存在を有するかぎりはすべてのものに宿っているのです。

 私が大霊と呼んでいるこの神の概念を伝えるのは至難のわざです。あらゆるものを支配し、あらゆるものから離れず、存在するものすべてに内在している崇高な力です。


───(もう一人のゲスト)神が完全な叡智と知性と愛を具えた普遍的な霊であり、全生命を支配し、しかも人間を自分に似せて創造したのであれば、なぜ人間は不完全なのでしょうか。

 それはミクロとマクロの問題です。人間は神の完全性の要素をミクロの状態で内臓しております。人間はそれを発現させ完成させなくてはならないのです。それは無限の時間を要する過程です。

 別に難しい問題ではありません。人間的精神と霊と身体とが完成された状態で創造されたわけではありません。が、内部に神性という完全性の火花が宿されております。その火花を大きな炎と燃え上がらせるために、人生を自然の摂理に順応させるのが人間の務めなのです。

 地上の人間が厄介なのは、自分で勝手な神を想像することです。人間的存在として想像する場合でも、女性ではなく男性として想像します。男性である方が女性であるより勝れているかに信じているわけです。

 神は人間を霊的にご自分に似せて創造されたのです。生命は霊であり霊は生命です。霊的に似せて創造された以上、あなたは永遠に神とつながっており、神性を共有しているのです。

ということは必然的に人間は霊的大家族の一員であることになります。同じ神性が宿っているからです。ですから人間は霊的に神に似ているのであり、姿が似ているというのではありません。

 地上世界を一気に変革することはできません。人々を変えるのも容易ではありません。が、自分を変えることは今すぐからでも始められます。いつどこにいても人のためを心掛けるのです。

力になってあげるのです。自分が教わったものを分けてあげるのです。もしもそれが受け入れられれば喜び、拒否されればその人の思う道を行かせてあげればよろしい。あなたが導いてあげるべき人が次々とあなたのもとに案内してこられるのです。

 神は、愛と知性をもってこしらえその霊力によって活力を与えている地上世界から分離して存在することはできません。


───神は地上世界の人間にはほとほと手を焼いておられることでしょう。

 それは今に始まった話ではありません。太古からずっとそうです。しかし、我慢の大切さを説いている私たちは、それをみずから実行しなければなりません。もしも皆さんに対する愛がなければ、わざわざこれほど暗い世界へ戻ってくるようなことはいたしません。

 同時に又、地上に救いの手を差し伸べるべき時期が到来したからこそでもあります。つまり私たちの援助を受け入れる準備ができた人がいるということです。ただ悲しいかな、魂が目を覚まし真の活動を開始するようになるまでには、霊的な絶望の淵を体験しなければならないことがよくあるものです。

 霊の光は、これからも媒体のあるところならどこでも照らし続けます。場所によってはほのかな明かり程度に過ぎないこともあります。が、神性を帯びたものであるからには完全に消えてしまうようなことは絶対にありません。

自然の摂理はあなた方の地球だけでなく、あるいは銀河系宇宙だけでなく、全大宇宙を支配し経綸しております。神はその無限の叡智をもって全大宇宙のすみずみまで配剤してくださっています。心配してはいけません。心配は何の役にも立ちません。そして、少しも事態を改善することにはなりません。


───イエスは何回も再生を繰り返しながら進化した一個の人間だったのでしょうか、それとも地球の創造以前から存在していたのでしょうか。

 私に言えることは、イエスを通して発現した霊力は、今日の地上のすべての人間を通して発現している霊力と本質的においてまったく同じものだということだけです。程度の差、霊的進化の違いはあっても、霊の本質において何の違いもありません。

霊はすべて同じです。それが永い年月に多くの個的存在を通してさまざまな形で再生を繰り返すことは有りうることです。


───祈りの効用について説明してください。

 知識の領域を少しでも広めようとする努力、病める人を一人でも多く治してあげたいと思う心、死別の悲しみに暮れる人をもっと慰めてあげたいと思う気持ち、人生に疲れた人があなたという灯台を見つけられるように一層の輝きを増したいという願い───いずれも私たちがたずさわっている仕事なのですが───こうした真摯な祈りが何の反応もなく見過ごされることは絶対にありません。

 あなたは一人ぼっちではないのです。大軍の一員なのです。われわれの背後、見えざる次元には、多分あなたには想像もできないほど進化した霊の大集団が控えているのです。あなたも、私も、そして私達と志を同じくする者は、いつでもその援助を授かることができるのです。

 唯一の制約条件は、それを受け入れ吸収する能力です。霊的資質を培うほど、それだけ多くの美しさと輝きと壮大さと高潔さと光沢を身につけることになります。それが魂を刺戟して、地上への誕生とともに賜わった遺産である内部の神性をますます発現したいと願う気持ちにさせるのです。

 うなだれてはいけません。教会や礼拝堂や寺院よりも、あなたの方がはるかに大きな仕事ができるのです。皆さんは霊力を発揮することができます。そういう建造物にはそれができません。逆に霊の出口を閉じ、外へ出られなくしている不毛の神学の方を後生大事にしております。

───(サークルのメンバー)祈りの対象は自然の摂理であるべきでしょうか。

 いえ、対象は内にも外にも存在する大霊であるべきです。その大いなる霊力とのより緊密な関係を築くべく、先ほど述べたような真摯な願望と精神統一を通して努力すべきです。より多くの啓示、より多くの知識、より多くの叡智、より深い理解を求めての祈りであるべきです。

そうした祈りは必ずや聞き届けられます。なぜなら、それを祈願するというその事実が、内部の神性の発現を促しているからです。

───あることで霊界からの働きかけがあったことを確信することがあるのですが、こちらから別に祈ったわけではありません。どうやってわれわれの必要性に気づいてくれるのでしょうか。

 真摯な祈りは必ずその標的を見出します。皆さんが心から祈る時───〝祈る〟 のであって何かを〝欲しがる〟 のではありません───その祈りの念は必ず聞き届けられます。霊視能力をお持ちの方であれば、皆さんの周囲に何らかの絆、親近感、及び特殊な分野での共通の奉仕的精神をもつ霊がいつも待機しているのが分かります。祈りの念がその霊をいっそう身近なものにするのです。

 磁気力にも似た吸引力の法則が働くのです。祈ることによって霊がそれに応えて働きかける懸け橋ができあがるのです。私がいつも取り越し苦労はお止めなさいと申し上げるのはそのためです。心配の念はその人の周囲の物的ならびに霊的雰囲気を乱し、私たちによる援助が届けにくくなるのです。


───霊の方では人間が神のお助けを祈るまで待つのでしょうか。それとも祈る祈らないに関係なく、放っておくべき時は放っておき、援助すべき時は援助するのでしょうか。

 大自然の摂理の働きは完ぺきですから、その機構の中にあって誰一人、何一つ忘れ去られることは有りえないのです。すべての存在を包摂するように完全な摂理が行きわたっているのです。何一つ、誰一人その外にはみ出ているものはありません。

あなたが神に見落とされるということは有りえないのです。どこにいても神の管理下にあり、すべてを包摂する自然の摂理の活動範囲の中にあります。

 ということは、あなたに必要なものはすべて知れているということです。祈ることによって受ける援助は、その時点までに到達した精神的ならびに霊的発達段階に応じたものとなります。

 ただ祈り方についてこちらから注文させていただくとすれば、黙禱よりも声に出した方が、その人が本当に目指しているものは何かが明確になるという利点があります。


───祈るどころではなくて絶望のドン底に沈んでいるような人はどうなるのでしょうか。神なんかいるものかと思っている場合は援助は届けられないのでしょうか。

 人間が神なんかいるものかと思ったからとて、別にどうということはありません。それが神を困らせることはありません。


───そういう人にも救いの手は差しのべられるのでしょうか。いろいろな事情から祈ることができない人、あるいは神が信じられない人がいるとします。そしてその人が今苦しい境遇にあり、救いの手を必要としています。こういう場合はどうなりますか。

 援助を受ける能力は神の存在を信じる信じないには関係ありません。その段階での精神的ならびに霊的発達程度によります。それが受け入れるものの中味を決定します。それが最もふさわしいということです。それも原因と結果の関係であり、自然のきまりです。


───聖書には多くの真理が語られているのでしょうか。

 神の真理と人間の作り話の混ぜ物です。


───宗教心をもった人に死後の生命の話を持ち出すと、すぐに聖書から〝死者と語ってはならない〟という文章を引用します。このことをどう思われますか。

 二つの要素が重なっております。聖書は永い間に随分いじくりまわされてきました。誤訳があり、脱落があり、それに元来がコピーのコピーのその又コピーであるということです。誰一人として、原典を持ち出して 〝これが聖書の始まりです〟 と言える人はいません。(第五巻一八四頁参照)

 聖書の中には〝この言葉は本物です〟 といえるものは一つもありません。聖書に述べられていることが神の許可を得たものであるという証拠はどこにもないのです。

身の毛もよだつような話があります。特に旧約聖書がそうです。ペテン、極悪非道、殺人、暴力等、誰が考えてもおよそ神の啓示とは思えない話がたくさんあります。

 旧約聖書がもし本当のことを述べているとすると、神(ゴット)、私のいう大霊は、地上の悪の権化のような暴君でもしそうにない振舞いをすることがあることになります。ですから、聖書に述べられているからといって、それだけで正しいということにはならないのです。

もしも正しいと主張するなら、一点の疑問の余地もないまでそれを証明しないといけません。

 聖書を絶対とする信仰家に申し上げたいのは、もしも本当に死者と語ってはならないというのであれば、ではなぜイエスと三人の弟子が山頂で行った交霊の場に、モーゼとエリヤが出現して語りかけたかということです。モーゼとエリヤはとっくの昔に死んでいるのです。

そのうちのモーゼが 〝死者と語るべからず〟 と述べたというのですが、そのモーゼ自身が死者であり、それが地上に戻ってきて語っているではありませんか。これは信仰厚き方には困ったことであるに相違ありません。


───(質問者が変わる)妻と私の間に子供ができた場合、宗教問題についてその子にどう教えたらよろしいでしょうか。特に私の場合はキリスト教信仰に全面的には納得していませんし、スピリチュアリズムの真実性を理解しております。

 思っていらっしゃるほど難しい問題ではありません。親としてのあなたの責任は、その子が自然な成長をとげるようにしてあげることです。幼少期は精神が柔軟なために、教え込まれたものは思慮分別なしに吸収してしまいます。そういう時期に間違ったことを教えないように、正しい宗教的知識の中で個性を発揮させることが大切です。

 ご承知のように、幼少期に受け入れたものは潜在意識の中に固着し蓄積して、その後の真理の受け入れの障害となります。私たちが人間に真理を教え込もうとする際に一ばん困るのは、幼少期に受けた間違った教育が無意識のうちに抵抗させる働きをすることです。すっかり根づいてしまっているために、それを排除するのに大変な時間が掛かります。

 また時折あるのが一種のカタルシス的反応です。つまり、成人してから、それまでに蓄積したものを良いものも悪いものも一切投げ棄てて、世の中の全てのものへの反抗することに快感を覚えるようになります。

 親としてのあなたの責任は、子供の心に間違った教えを植え付けないようにすることです。どうか子供にはすべての宗教の基本となっている真理、共通した真理を教え、大きくなって神学的教義を教えられても魅力を感じず、単純・素朴な真理を求めるようになる、そういう素地をこしらえてあげて下さい。


───すでに何らかの宗教を教え込まれて育っている人がいます。その教えがもし新しいものの理解を妨げている時は、それをぶち壊すべきでしょうか。

 それは難しいでしょう。不幸なことに、そういう人はすでに子供時代にいわゆる洗脳をされています。これこそ宗教的であると信じられている概念を───実はそうではなく、ただの神学上の概念にすぎないのですが───疑うことを知らない、従って全く無抵抗の柔軟な精神に植えつけられております。

その柔軟な精神が、成人していくにつれて固くなっていきます。やがてその概念はただの概念として所有されている状態から、逆にその人間をがんじがらめに縛り付けるようになります。

 だから厄介なのです。といって、その人が後生大事にしているものをいきなりぶち壊すようなことはしてはなりません。それ以外にもいろんな宗教的概念があることを教えてあげることです。

宗教の起源について読むべき本が沢山あります。キリスト教徒も、ユダヤ教徒も、仏教徒も、あるいはイスラム教徒も、生まれる国が違っていたら別の宗教の信徒になっていた可能性があることを教えてあげることです。

 地上には数えきれないほどの宗教があります。しかし神は一つ、大霊は一つなのです。その神はクリスチャンでもなければユダヤ教徒でもありません。スピリチュアリストでもありません。

 真の意味で宗教的であるということは、同胞に対してだけでなく動物に対しても思いやりの心を持つことです。他の存在を思いやる心が無いようでは霊性を欠くことになります。

 霊能者や心霊治療家が人生の辛酸をなめさせられることが多いその理由の一つは、自ら苦しんで初めて他人への思いやりの心が芽生えるからです。神の道具としての道が常に酷しく、ラクをさせてもらえないのは、そこに理由があります。


───政治をあずかる人も同じですね。

 でも神の道具の方が酷しいでしょう。為政者というのは、たとえば他国へ戦争を仕掛けておいて、実際に前線で戦うのは一等兵、二等兵ばかりです。物質偏重思想との戦いにおいても、その最前線で酷しい目にあっているのは為政者ではなくて神の道具なのです。

 他人へは哀れみをもって接し、信仰が間違っているからといってそれをぶち壊すのではなく、ほかにもいろいろな信仰があることを教えてあげることです。ハンマーを振り回すのではなく、ほかにも素晴らしい教えがあることをそれとなく気付かせる手段を考えて下さい。

 魂に受け入れる用意ができていれば、それが効を奏するでしょう。用意ができていなければ、残念ながらその人は霊的にも精神的にも地上では暗闇の中を歩む運命であり、霊界へ来てからも当分は同じ状態が続くことになります。


───世界の宗教を統一しようとする運動をどう思われますか。

 そうやってまた混乱に混乱を重ねていくのです。一体それがそんなに大事なことなのでしょうか。当事者は自分たちのことを大そう重要な人物であると考えているのかも知れませんが、霊の力も光も発揮されないただの建造物では、イエスの言った通り、それは〝白塗りの墓〟でしかありません。

 私は、儀式や教義が違うからというだけで共通の場が持てずにいる人たちのことは、あまり構う必要はないと思います。霊は常に一体化の方向へ働きます。仲違いをさせているのは人間の勝手な思想です。霊は、チャンスさえ与えられれば、その統合的意志を働かせるものです。

 本来ならば一つの大きな流れであるべきはずのそうした宗教を誕生させた、そもそもの起源が霊力であったことは歴史的事実です。が、それが何世紀も前から支流に分かれてしまいました。もう、そのまま好きな方向へ進むに任せておけばよろしい。

 私たちは霊力そのものに全幅の信頼を置き、それを唯一の拠り所としております。それが善意の人々を鼓舞し、授かっている才能を駆使して同胞の為に役立たせるように導きます。又、人類に自己革新の道を教えることによって、各自が自分のみならず地上世界そのものを救っていくことになるでしょう。

 霊力は建造物を通して流れるのではありません。一般の大衆が、無限の叡智を具えた神から授かった才能を発揮することによって流入するのです。真の魂の自由をもたらし、本当の生き方を教えてくれるのは、その才能の活用以外にはありません。


──(質問者代わる)あなたのおっしゃる 〝宗教的寛容〟 とはどういうものでしょうか。と申しますのは、私は 〝シルバーバーチの訓え〟 といっても基本的には他の宗教で説かれているものと同じだと信じます。が、それすら独断的で非寛容的であると見なされる可能性があるのではないかと思うのです。たとえば宇宙は自然法則によって支配されていて、それは完全であり、不可変である、といったことです。


 私はそれまで一度たりとも不可謬性(絶対に間違ったことを言わないこと)を主張したことはございません。私もあなた方と同じく一個の人間的存在です。ただ、あなた方の理性に訴えるべき真理を説いているだけです。私はこうだと申し上げても、その裏にはそれを拒否したら罰が当たりますという含みはみじんもありません。

 これが私が真理だと信じているものです。ということしか言えません。それを皆さんに検討していただくために提供しているだけです。仮にそれを押し付けて何が何でも受け入れさせようとしても、私たちにはその手立てがないのです。

 いかなる霊媒であろうと、その霊媒を通して語られたことにあなたの理性が反感を覚えたら、それには構わぬがよろしい。神はあなた方に理性と良識というものを与えておられます。それを使用すべきです。ドグマというのは理性的判断なしに受け入れるべきもののことです。

 私は、霊的な教えは知性でもって厳しく是非を判断すべきであると申し上げております。その厳しい詮索に耐えられるものは受け入れられるがよろしい。耐えられなければ拒否なさるがよろしい。それ以外に何か良い方法があるでしょうか。ご利益でしょうか、それとも罰でしょうか。

 それはいけません。私たちは愛と良識によって共通の場で交われることを確認することによって、皆さんの協力を得なければなりません。


                 ※           ※

 同じ問題について別の交霊会で───

 皆さんとともにたずさわっている仕事の大変な重大性を見過ごさないようにしてください。永年にわたって幾億と知れぬ人々の心を束縛と隷属の状態に置いてきた迷信を駆逐しなければなりません。

人間は本来ならば肉体と精神と霊の調和がもたらす、のびのびとした喜びの中で生活すべきなのです。霊的真理を知ることによって本当に自分とは誰なのか、何なのか、いずこへ向かいつつあるのかを理解し、心の豊かさを味わうことができるはずなのです。それが、その迷信のためにほとんど不可能な状態になっているのです。

 その仕事は、当然、皆さんに辛酸をなめさせることになります。しかし困難はクスリなのです。私たち霊団の者も、こうして地上との接触が得られるようになるまでには大変な苦労がありました。

 世界各地でそうした努力が為され、そして成功しております。今では世界中に霊の光が灯されております。霊力が届けられていない国はもはや一国もありません。

霊力の道具は往々にして隠密裏に仕事をしなければならないことがあります。が、仕事は着実に運ばれてまいります。その真実性に否定の余地がないからです。

 そういう次第で、困難というのは霊の真の資質、神から授かった才能を発揮させるための挑戦として歓迎なさることです。皆さんの内部には地上最大の力が潜在的に宿っているのです。

いかなるハンディキャップも、いかなる障害も、いかなる困難も、その潜在力で克服できないものはありません。

もしもそれまでに開発したものでは敵わないほどのものであれば、祈ることによって、さらに強力な援助を要請することができます。

             ※           ※

 宗教の教義の問題が取りあげられ、それがただの人間的産物であり人間性の霊的向上にとって何の益もないのに、そのツケは結局霊界へ回されてくる事実を指摘して───

 地上の大半の人間が生命とは目に見え手に触れるものにあると考えております。その当然の結果として、人生には深い目的などはないと信じています。

 それに加えて不幸なことに、肝心の霊的・精神的指導者たるべき人たちが、これ又、霊的実在について無知なのです。その証しを見たことも聞いたこともなく、したがって人に説くこともできないのです。今日では宗教とは教義のことであると思われており、それが後生大事にされているために、肝心の霊力の働く余地がないのです。

 教義というのは人間の考えによって作りあげられたものです。霊力は大霊から発せられますから、神性を帯びております。ですから本来は霊力による啓示の方が教義に優先されるべきなのです。

 現代の地上世界には義務教育を行う国が沢山あります。子供たちは一つの目的つまり学校を出たあとの社会生活に適応できるような教育を実施するためのカリキュラムの中で学習するために学校へ通います。

それを首尾よく学んだ子は、大人になって必ず直面する問題を、ある程度の理解をもって迎えることができます。きちんと学ばなかった子は卒業後の人生に備えができていません。

 あなたの地上生活は霊の幼稚園のようなものと思えばよろしい、真の自我である霊が私たちの世界つまり霊界での生活に備えるために、この地上で学習をするのです。

 しかし現実には、あまりに多くの人間が何の備えもなくやってまいります。そのため、こちらで改めて教育しなければなりません。地上でも、学校へ行かなかった大人に基本から教え直すのは難しいものですが、こちらへ来た人間に基本的な霊的教育をするのは、それよりはるかに困難となります。

 死後にも生活があり、そこでは地上生活の言動の一つ一つについて責任を問われるということを知れば、それからの人生観は一変するに違いありません。いえ、一変すべきなのです。

 聖書には〝大地とそこに満つるものは主のものなり〟(コリント①10・26)という言葉があります。一度手にしたら、霊的知識はいくら人にあげても減ることはありませんが、地上の富は、人にあげればそれだけ減ります。そこに霊的財産と物的財産の違いがあります。

 物的財産はいくら貯めても、それを永久に所持することはできません。地上に生きている間だけの管理人であり預かり人であるに過ぎません。失うことがあります。盗まれることがあります。価値が下がることがあります。色褪せてきます。美しさを失います。いずれにしても、何時までも自分のものではあり得ないのです。

 それに引き換え霊的財産は、いったん手にしたら永遠に失うことはありません。

             ※   ※

  〝真理〟は必ずしもすべての人に受け入れられるものではないことを説いて───

 真理は魂の方にそれを受け入れる用意ができるまでは真理として受け入れられることができません。これは真理のあらゆる側面について言えることです。真理とは無限性をもつものですから、その全体を理解するには永遠の時を要します。それがまた無限の過程なのです。

 受け入れる用意のできていない人に真理を押しつけることはできません。そこには必ず混乱・論争・討論・議論といったものが生じます。が、それにもそれなりの意義があります。

その混乱の中から、受け入れる用意のある人にとっての真理が出てきます。その用意というのは霊的進化の程度、発達段階によって決まります。それは各自が自分で決めていくというのが宿命です。

 もしも私がある人たちにとっての真理を説き、それを聞いてあなたが 〝私には信じられません〟 と正直におっしゃっても、私は少しも不愉快には思いません。あなたへの愛の気持ちはそれによっていささかも減りません。

なぜなら、あなたはこの地上においてあなたなりの理性、あなたなりの良識を使い、納得しないものは拒絶することで自己開発するようになっているという理解が私にあるからです。

 その最終的な裁定者として私が敬意を表しているところの理性によってあなたの賛同を得ることができなければ、それは私が役に立たなかったことを意味します。


───私もこうした霊的真理を説きたいと思いながら、今、同じ問題に逢着しているように思います。難しさを痛感しております。教会で説くにしてもサークルで説くにしても、これが真理なのだ、これ以外にはないのだと信じて話します。その際、これが自分の信じていることであると述べて、後は(押しつけがましいことは)何も言わない方がよろしいのでしょうか。

 そうです。後は各自の判断に任せることです。


───拒絶されても構わずにおくということですね。

 真理というものは拒絶されたからといって少しも損なわれるものではありません。そういう人は受け入れる用意ができていないのです。ですから、待ってあげるのです。そして霊性の火花を煽ってみる程度に留めるのです。それ以上のことはできないのです。それで何の反応もなければ、その人のことを気の毒に思ってあげないといけません。


───スピリチュアリズムの組織には事務的なことや物的な問題が多すぎるのはなぜでしょうか。その種のことは(霊的知識のない)事務員を雇うことで処理できることなのですが、肝心の霊的指導者はどうやって探せばよいのでしょうか。霊的な飢餓というものもあることを痛感しております。

 聖書の言葉をご存知ですか。よくご存知のはずの言葉を引用してみましょう。〝まず神の国とその義を求めよ。しからば他のものもすべて添えて与えられん〟(マタイ6・33)これはどういう意味だと思われますか。


───まず第一に霊的なものを求めなければいけないことだと思います。たぶん私たちは方向を間違えているのだと思います。

 霊が王様で物質は従者です。霊は物質に先んじるものです。霊的に正しければ物的な面もおのずと整います。要はどちらを優先させるかの問題です。お金が不足したからといって大義が台無しになることはありません。霊性が発揮されるにはまずお金がなくてはいけない、という発想から金儲けを優先させても、事はそうは運びません。

 私たちは物的エネルギーを操りながら皆さんのもとへやってまいります。私たちのバイブレーションは速くてデリケートなので、この遅鈍で緩慢なエネルギーを操る要領を会得しなければなりません。このサークルの方なら、必要とあらば私たちが物質を操ることができることをご存知です。

(訳者注──シルバーバーチの交霊会でも初期の頃は〝霊の威力〟を見せるために物理的心霊現象を演出していた。とくにテーブルを動かす程度のことは末期に至るまでひんぱんに行っていた。)

 もう一つ聖書の言葉を引用しましょう。〝大地とそこに満つるものは主のものなり〟───物的なものは一つとしてあなたのものではないということです。本当の意味で自分のものとすることはできないのです。

たとえ手に入れてもあなたのものではありません。あなたは地上生活中はただの財産管理人に過ぎません。すべては大霊のものなのです。

 心から人のためという気持ちになれば、必要なものはそのうち必ず揃うものです。霊的なものを優先した仕事をする人は必ず私たちが援助の手を差し伸べていることを知ってくださるはずです。

自然の摂理として、誰一人見落とされるようなことも忘れ去られることもないようになっているのです。その神の力を信じて、その意志が働く通路を神に提供してあげて下さい。


───随分簡単なことのようにおっしゃいますが・・・・・・

 事実、簡単なのです。地上にはややこしく考えるのがお上手で、分かったような分からないような結論を出されるご仁が多すぎます。そこで、幼な子のごとき素直さで持って問題の核心に一直線に突き進む態度が要請されることになるのです。〝幼な子のごとくあらずんば・・・・〟(マタイ18・3)というわけです。

 私たち霊界の者は人のために役立つことをしている人の努力を無駄に終わらせたことは一度もありません。必要なものは必ず手に入ります。それは私たちがこれまでに数知れず試されてきていることです。霊的なものも物的な物も、必要なものは必ず手に入れてさしあげます。

あなた方はあなた方の役割を果たしておればよろしい。私たちは私たちの役割を果たします。

(訳者注───ここでいう〝私たち霊界の者〟とは各自の背後霊のことと考えればよい。つまり守護霊を中心として、同じ霊系や地上的縁でつながった霊の集まりがあって、その霊たちが本人の地上での天命を全うさせるために、いろいろと世話を焼いてくれている。

そのことだけを考えると万事がうまく行ってもよさそうに思えるが、地上界と霊界との関係には二つの絶対条件があり、それが事を厄介にしている。一つは自由意志の要素であり、もう一つは波長の原理である。

 守護霊といえども本人がどうしてもやりたいと思うことを止めさせることはできないし、やりたくないと思うことを無理やりやらせることもできない。守護霊も摂理を無視したことは許されないのである。

 もう一つのは波長の原理というのは、先ほどのシルバーバーチの〝心から人のためにという気持ちになれば必要なものはそのうち必ず揃うものです〟という言葉に暗示されている。そこには〝正しい心掛け〟というものが要請されているわけである。それが波長を整える作用をするのである。

シルバーバーチが〝心配の念を抱いてはいけません〟と口を酸っぱくして言っているのも同じ原理を言っている。

 そのこととは別に、シルバーバーチが言及していないことで私から注意を促しておきたいことがある。それは、金銭上の問題は高級霊ほどニガ手なので、守護霊は直接には関与せずに配下の霊、それもどちらかというと地上臭の抜け切っていない霊に任せるということで、その意味でもわれわれは霊のことを高級・低級のみで安直に区別してはならない。それぞれに得手不得手があり、それぞれに〝役に立つこと〟をしているのであるから。

 もとよりこうしたことは原則として守護霊の管理下で行われていることであるから、その通りに行っていれば問題はないが、本人の方が欲の皮が突っ張り見栄や慢心が出はじめたら、波長の原理でもはや守護霊の管理下から離れ、同じ波長をもつ低級霊、それも邪心をもった悪霊に操られることになる。

 必要以上の金が儲かったり、思わぬ大金が転がり込んだり、預金が面白いほど増え始めたら危険と思わねばならない。それは言わば欲望の肥満体になることであり、魂は活力を失い、霊的病いが出始める。悪霊の思うツボにはまったのである。

 シルバーバーチが〝人のために役立つ〟という心掛けを説く裏にはそういう意味合いも含まれていると理解されたい)


───たしかに私はあなたから大きな援助と叡智のお言葉をいただいて感謝いたしております。

 あなたには霊視能力があります。願わくはその能力がもう少し広がって、神の計画の推進に当たっている神庁の組織、高級神霊の働きの一端をかい間見ることがお出来になればよろしいのですが・・・そうすれば一瞬たりともうろたえたり、ひとかけらの心配の念を宿すことがなくなるはずです。

それを私はこの目で見ているのです。そして、これまでの実際の成果を逐一知っているのです。

 私はここで満身の力を込めて断言いたします。真理普及という大義に身を捧げておられる皆さん方は、宇宙最大の力、生命力そのものの援助にあずかることができるのです。それはもはや義務ともいうべきものと心得るべきです。

 すなわち、それを賢明に、有意義に使うのです。あなたの生活の範囲内で触れ合う人たちの全てに導きの手を差しのべるのです。もしもその手が拒絶されれば、それはそれでよろしい。その人の思う道を進ませてあげればよろしい。

その辺の判断はあなた方自身の叡智の光と良識に照らしてなさるがよろしい。動機がすべてを決します。動機が正しければ、いかなる事態が生じようと最後は必ず勝利します。

 人生には二つの大切な要素があります。一つは知識であり、もう一つは信仰(信念)です。知識の裏付けのない信仰は〝折れた葦〟(マタイ12・20その他)のようなもので、いざという時に頼りになりません。が、知識に信仰を上のせする───これが最高の組み合わせです。
 
 あなたは人生とその意義についての理解をもたらしてくれた知識はすでにお持ちです。が、それとて、これから先あなたが入手していくべき知識に比べれば、ほんのひとかけらに過ぎません。そこでその不足を補うための信仰というものが必要となります。

 しかしそれも、あくまで事実に即した知識を根拠とした信仰です。軽々しい信仰、理不尽な信仰、知性を侮辱する様な信仰ではなく、事実を根拠とした信仰、つまり、かくかくしかじかの事実がある以上はそう信じてもよいはずだという論拠をもった信仰です。それはあなたにとって大切なものです。

 本日お集まりの方の中には、このことを耳にタコが出来るほど聞いておられる方がいらっしゃいます。さぞかしうんざりされることでしょうが、でもやはり真実です。平凡な真理は、たとえ何度繰り返しても真理です。くり返すことによって真実性が減じることはありません。

 私から申し上げたいのは、皆さんは有限の世界で生活する有限の存在だということです。無限の知識から手にすることのできる分量は、皆さんが霊的・精神的に到達した発達段階によって制限されます。

これまでに受け入れられた知識はしっかりと吟味したうえで真実であると確信されたものです。その知識の上に、まだ掲示されずにいるものに対する信仰心(信念)を築くのです。それは理不尽なものではありません。立証可能な事実を土台としています。

 地上の人間の態度をみていてどうも理屈に合わないと思うことの一つは、物的な惰眠から目覚めるまでにはさんざん時間が掛かっているのに、いったん目覚めると、今度は急にせっかちになることです。どんどん事が運ぶことを期待するのですが、そうはまいりません。

霊的な進歩は着実でないといけません。近道というものはないのです。一歩一歩をしっかりと足固めしながら進まないといけません。一歩進むごとに次に進むべき方角が開けます。

 これまでに啓示していただいたものを基盤にして,ひとまずそれに甘んじるのです。そしてもしも疑問が生じたら───きっと生じるものです、あるいはもしも疑念が湧いたら───必ず湧くものです、

そしてもしも困難が厄介な頭をもたげはじめたら、慌てず我慢するのです。霊の力は物質に勝ることを忘れないことです。霊界から働きかけやすい条件さえ提供してくれれば、いかなる障害も、いかなる困難も、いかなるハンディキャップも、霊の力で克服できないものはありません。

 そもそも教会というものが存在するようになったのは、霊力がさまざまな形で顕現したからです。奇跡と思われた現象も、霊力によって演出されていたのです。が、今日の教会にはそれが見られません。かつて〝聖地〟と呼ばれたところも、今は霊的砂漠となり、オアシス一つ見当たらない不毛の土地となっております。

 しかし神の摂理は少しも変わっておりません。そこが 〝聖い処〟 とされたのは霊力が崇高な形で顕現したことによって神聖視されたからです。それと同じ霊力が今あなたを通して顕現し、大きな恩恵をもたらしつつあるのです。

 私はそれぞれの宗教界において真面目に勤しんでいる人たちを非難しようとは思いません。が、その人たちは、苦しんでいる世の中の人のために役立つことは何もしておりません。教義は無味乾燥です。ドグマは不毛です。視野は旧態依然としており、新しい流れがどんどん通り過ぎていきつつあることに気づきません。

 われわれは地上の多くの場所で悪性のガンを生み出している貪欲、強欲、私利私欲が一掃された新しい世界の到来を告げる使者なのです。

あらゆる宗教的行為の中の最高の行為として〝人のために自分を役立てること〟 を掲げ、互いに扶助し合い、寛容(ユル)し合い、人間と動物の区別なしにすべてに哀れみの心をもつべきであると説きます。本当にその気になれば地上天国は叶えられるのです。

 それが今私達が皆さんに協力のもとにたずさわっている仕事です。俗世の悩みに襲われ、暗闇に閉ざされて気が滅入り、疲れ果てあるいは塞ぎ込みそうになった時は、霊的知識を手にした皆さんは、このまま野放しにしたら地上を破滅状態に陥れかねない物質第一主義の風潮に挑む、戦いの中の戦いに選ばれた霊の大軍の一員であることを思い出して、奮い立たないといけません。

 いつまでも絶望感に浸っていてはいけません。私たちは決して見殺しにはしません。援助を届ける通路さえあれば、奇特な心掛けを無為に終わせることは致しません。必要とあらば、いかなる援助でも致します。このインフレの時代にも皆さんに不足の思いをさせないように配慮しております。

 われわれは大事な仕事に携わっているのです。すでに何度も申し上げていることですが、大義に身を捧げることは気高いことであることを今こそ肝に銘ずべきです。人間の気高さは人の為に役立つことをすることから生まれるのです。

 地上の人間は自己改善によってみずからを救済するようにならないといけません。また地上生活ならではの恩恵のすべてが味わえるようになるのは、協調と互助という霊的原理を実行するしかないことを理解しなければなりません。物的恩恵だけのことを言っているのではありません。精神的ならびに霊的恩恵も味わえます。

 人間は精神的にも身体的にも霊的にも自由であらねばなりません。私たちはいかなる形であっても〝隷属〟というものを許しません。人間はみずからの束縛状態をみずからの力で解かないといけません。

そのためには先ず自分を生かしめている力が地上世界の他のすべての存在、生きとし生けるものすべてを生かしめている霊力と同じであることを、しっかりと認識しないといけません。霊力がそれらすべてを取り巻き、すべてを一体とさせ、その存在の究極の責任者である宇宙の大霊すなわち神の前において一つにしているのです。

 私たちが生命の実在について霊的な実感をもたらしてあげるために行っている仕事の背景には、そうした事実があるのです。その目的はそうたやすくは達成されません。

なぜなら、こうした教訓は困難・危機・病気・死別等を体験して初めて学べるものだからです。絶望の底に叩き落とすような苦悩でありながら、実は真実の自我を見出すための手段なのです。

 ですから、皆さんには是非ともやっていただかねばならない役目があります。が、それにはたっぷりと時間を掛けないといけません。われわれの背後には宇宙最大の力、大霊の霊力が控えております。後退させられることはあります。潮は満ちるだけではありません。

必ず引きます。それと同じです。が、霊力の働きが止まってしまうことはありません。常に働きかけております。

 生命のあるものには霊があります。停滞と不活発はわれわれの敵です。なぜなら、そういう条件下では霊力は流入しないからです。あなた方は私たちに通路を提供し、その通路を通って霊力が流入するのです。私たちが欲しいのは献身的な協力者です。操り人形ではなく、私たちが協力するように私たちに協力してくれる、自発的参加者です。

 奉仕は霊の通貨です。宗教とは自分を役立てる行為であり、またそうであるべきです。そうでなかったら宗教は何の意義もありません。


 ───(若い女性のゲスト)あなたのおっしゃる通り私たちは生命を唯一の生命力すなわち神から受けていますから、みんなして愛と奉仕を目的とすれば、すべてがうまく収まると思うのです。そこでお聞きするのですが、平均的な一般人もこうした深い霊的な教えを理解する必要があると思われますか。

一般の人には私たちが同じ神から生命力を受けているという一つの事実を理解させ、それを生活の基盤として、さらに大霊についてより多く知るように持って行けば、スピリチュアリズムだのキリスト教だのという形で理解するよりも、非常に多くの人が理解できるのではないかと思うのです。

 おっしゃることは本質的には結構な事ですし、異議を唱える人は誰一人いないでしょう。ですが、人間は一人ひとり成長と開発と発達と進化の程度が異なるものです。ある人にとってすぐに受け入れられることが、別の人からは拒絶されることもあります。もしも全員が画一的なレベルにあるのであれば画一的なメッセージで済むでしょうけど・・・・・・

 たとえば、ある人に大霊とは愛と叡智の極致であると説いて、それがすんなりと受け入れられても、神の存在を頭から信じない人は即座に否定するでしょう。ですから、メッセージを与える場合は、内容をその人の受容力に応じたものにしないといけません。

 あなたが説くことの単純な素朴さがアピールする人もいるでしょうし、しない人もいるでしょう。人によっては世の中の不公平、さまざまな矛盾、一見無実と思える人の受難、利己的な人間がうまく罰を免れている現実を指摘して、それは一体どうなるのだと言うかもしれません。そこであなたは、延々と骨の折れる議論に巻き込まれてしまいます。

 そういうタイプの人には霊的実在の動かし難い証拠、たとえば〝不治〟の宣告を受けた病気が治った人の例を持ち出すにかぎります。そうすれば常識的な言葉では説明できなくても、実際に慈悲または愛の働きを見せた非物質的エネルギーの存在だけは認めざるを得ないでしょう。

 もう一つ大切なことがあります。知識と叡智と真理は無限に存在しますから、人間が手にすることのできる分量にも限界はないということです。

うわべだけを見るかぎりでは普遍的な愛のテーマは単純に思えるかも知れませんが、その内側はとても複雑です。その複雑な裏側の理解の必要性を痛感するようになるのは、それだけの理解力が具わってからのことです。


───言い替えれば、あらゆる学派や宗派はそれなりの存在価値があるということですね。それぞれが、ある一定水準(レベル)に達した者に何かを与えるようになっている───他の者には満足できない宗教でもその人には満足できるということなのでしょう。

 無限なる霊は無限の表現形態を取ります。生命全体が段階的になっているのです。あなたは休みなく進化しつつあります。一段上がるごとに、その上にもう一段あることを知ります。山頂を一つ克服してみたら、その向こうにもっと高い山頂が見えてくる、と言ってもよいでしょう。

 人類は異なる成長段階にある者で構成されています。したがって、すべての者にアピールする一つの教えというものは提供できないのです。相手がどの程度のものを受け入れる用意ができているかを見きわめる必要があります。あなたの説く思想がそれである人もいるでしょう。

別の論拠を持ち出してそれを論ぱくする人がいるかもしれません。そういう人には五感に訴えるもの───何か常識を超えたもので、根源は霊的でも顕現の仕方が物質的なものを持ち出さないといけません(奇跡的な病気治療などー訳者)

 しかし、いかなる能力を駆使するにせよ、要はその人に成長の機会を与えることになれば、それが一ばん大切なことです。


シルバーバーチ




Chapter 11−4 What is wrong with established religions ─ Focusing on Christianity

"Now if Jesus of Nazareth returns to the earth and hears the teachings in his name, he will not understand what it is, because many of them are not what Jesus preached. Because it was made up by posterity priests.


This is the word Silver Birch said when the Anglican minister attended the séance for the first time. Starting with the questions and answers of those two people, let's comprehensively examine where the mistakes of established religions are. First of all, the pastor asks a question ───


Silver Birch

Tuesday, March 1, 2022

シアトルの春 幾世紀もの永きにわたって大霊はあまりにも誤解され、小さく見く びられ、制約されてまいりました。the Great White Spirit have been so misunderstood, underestimated,

 

 

 これより霊的世界に属する摂理の一端を啓示させていただくに当たり、その成功を宇宙の大霊にお祈りいたします。 大霊について、また大霊と宇宙間の全生命現象及びそこに住まう大霊の子等とのつながりについて、より明確な理解を得さしめることができますよう、お祈りいたします。

 幾世紀もの永きにわたって大霊はあまりにも誤解され、小さく見くびられ、制約されてまいりました。そこで私どもは完全なる法則の働きとしての大霊の真の姿を啓示せんとしているところでございます。

 大霊はすべての生命現象の背後に存在するものでございます。宇宙間に存在するものはすべて大霊の活力と栄養を得ているからこそ存在できているのでございます。

 進化のあらゆる段階にある創造物がその摂理に絶対的に従っております。雄大なるものも慎ましきものも、強きものも弱きものも、小鳥も花も、木も風も、海も山も、丘も谷も、晴天の日も雨の日も、嵐も稲妻も、およそ大霊の表現でないものは無いのでございます。

 私どもはすべてが大霊の霊的イメージに似せて創造されていること、その存在を通して大霊の神性が表現されていること、動き呼吸し生きていられるのは大霊が内部に宿っているからであり、また大霊の内部に存在しているからであることを啓示せんといたしております。

 その親と子の関係に割って入れる者は誰一人いません。なぜなら、無限なるその貯蔵庫に納められている全インスピレーション、全真理、全叡智、全摂理、全知識は、子等が向上心と謙虚さと奉仕的精神を持ってその道具となることを望みさえすれば、誰にでも手にすることができるものだからです。

 また私どもは人間の魂の中に例外なく潜在している偉大さ、誤解によって閉じ込められ、使用されることを待ち望んでいる強大な力、日常生活の中で身体を通して勢いよく顕現して霊的高揚を覚えさせる力をお見せしたく思っております。

すべての子等が充実した生活、美にあふれた生活、地上に生を受けた目的を得心した生活を送り、望みさえすれば得られる地上ならではの豊かさと愉しさと利点を手にして欲しく思うのでございます。

 要するに私どもは大霊を子等に近づけ、また子等を大霊に近づけ、立ちはだかる障害を克服し制約と限界を無くして、子等が大霊の存在を知り仕事の中でその御心を顕現して行けるようにしてあげることを目的としているのでございます。


 ここに、ひたすらに人のために役立つことをのみ願うあなたの僕の祈りを捧げます。


In revealing a part of the providence that belongs to the spiritual world, I pray for the success of the Great spirit of the universe.


I pray that you will be able to gain a clearer understanding of the spirit, the whole life phenomenon between the spirit and the universe, and the connection with the children of the spirit who live there.


For centuries, the Great White Spirit have been so misunderstood, underestimated, and constrained. Therefore, we are trying to reveal the true image of the spirit as the work of the perfect law.


The spirit is behind all life phenomena. Everything that exists in the universe can exist because it has the vitality and nutrition of the spirit.


Creations at every stage of evolution absolutely follow that providence. Majestic and modest, strong and weak, birds and flowers, trees and winds, seas and mountains, hills and valleys, sunny days and rainy days, storms and lightning. There is nothing that is not an expression of the spirit.


We are all created to resemble the spiritual image of the ghost, the divinity of the ghost is expressed through its existence, and it is the ghost that can move, breathe and live inside. I am trying to reveal that it is because I am and because it exists inside the Spirit.


No one can break into the relationship between the parent and the child. Because all the inspiration, all the truth, all the wisdom, all the providence, all the knowledge contained in the infinite storehouse even hopes that the child will become its tool with aspirations, humility and a spirit of service. Because it is something that anyone can get.


We are also spiritually manifested through the body in our daily lives, the greatness that is latent in the human soul without exception, the mighty power that is trapped by misunderstandings and awaits its use. I would like to show you the power to make you feel uplifted.


I want all children to live a fulfilling life, a life full of beauty, a life that is conscious of the purpose of being born on the earth, and to have the richness, enjoyment and advantages unique to the earth that can be obtained if only desired. It is.


In short, we bring the ghost closer to the ghost, and the child closer to the ghost, overcome the obstacles that stand in the way, eliminate the restrictions and limits, and let the children know the existence of the ghost and know their will in their work. The purpose is to make it manifest and go.