Thursday, July 3, 2025

シアトルの夏 二人の〝ドリス〟

Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen

シルバー・バーチ最後の啓示  
スピリチュアルな言葉が教える〝生きる〟ことの喜び



現在(一九九〇年)英国でもっとも目立った活躍をしている女性霊媒に、二人の〝ドリス〟がいる。一人はドリス・ストーク、もう一人はドリス・コリンズである。その二人がそれぞれの夫君を伴って出席した時の、シルバーバーチとの対話の様子を紹介しよう。

 最初に紹介するのはストーク女史で、夫君で心霊治療家でもあるジョン・ストーク氏を伴って出席した。シルバーバーチは例によって歓迎の言葉を述べた。

 「私の霊団の者はお二人を新参者とは思っておりません。悩みごとをかかえて訪れる人に霊的自由、精神的自由、そして肉体的自由を与える仕事において私たちに協力して下さっている仲間、同僚とみております。

 こうして、日々、霊の道具として働いておられる方をお迎えするのは、私の大きな喜びです。とくに多くの霊媒の方たちが、私との対話を楽しみにお出でになることを知って、私も満ちたりた気分になります。

と言いますのも、皆さんは進化の高い界層からの高級霊の指導のもとに仕事をなさりながらも、その霊たちが地上での仕事のために本来の波動を下げており、〝自分〟を出すことを嫌うために、その代表としてこの私に質問を用意して来られるのでしょう。

 ご注意申し上げたいのは、私も皆さんと同じく一個の人間的存在であること、宇宙の全知識、全真理を手にしたわけではないということです。皆さんのご存知ない高い界層での生命活動の体験と、宇宙の摂理の働きについて幾ばくかの知識を身につけてきましたので、それを聞く耳をもつ地上の人々にもおすそ分けしようと思っているまでのことです。

 どの霊能者、どの霊媒も拒みません。どなたも、こちらの情報源を通してそれぞれの使命について知らされ、なぜ今こうして地上に来ているかについて直観的に悟っておられることでしょうが、

私が申し上げることはそうしたものといささかも矛盾しないどころか、改めてそれを確認し、さらに、いかなる障害や困難に遭遇しても挫けることなく、さらに邁進するよう元気づけてあげることができます。

 霊的能力者が施すサービスはきわめて特殊なもので、天賦の才能をもつ者のみの特権といってよいでしょう。そういう人たちがたどる人生には、似通った過酷なパターンがあります。

必ず人生のドン底を味わい、もはや物質の世界には頼りにすべきものが無いと諦めた土壇場で、崇高な霊的真理との出会いがあります。

 魂の琴線に響く感動を味わう、その触媒となる体験を得るのがこの段階です。魂に内在する神性の火花に点火され、霊的意識が芽生え、霊界との間にリンクが出来ます。

そのリンクは一度できると二度と切れることがないばかりか、霊力がその量を増しながら、そのリンクを通して流れ込みます。私が言わんとしていることがお分かりでしょうか」

二人が声を揃えて、「分かりますとも」と言うと、シルバーバーチが続ける。

 「そういうパターンをたどる以外に方法はないのです。天賦の才能を授かっている人は、自分を含めたあらゆる存在の源が物的なものではなく霊的なものにあるという真理に目覚めるには、絶体絶命の窮地の体験を味わうことになっているのです。

 霊媒能力は特権であると同じに、大きな責任があることも意味します。生命力そのものを委託されているからです。

その能力のおかげで、病気の人々を癒やし、霊の世界からのメッセージを届けるばかりでなく、あなた方のもとを訪れる人々の魂を目覚めさせ、本当の意味で生きるということ───暗闇の中でなく真理の光の中で生きること───を教えてあげることができます。お分かりでしょうか」

ドリス・ストーク 「分かりますとも。霊媒としてまだ未熟だったころから、私はあなたの教えを座右の書として読み、あなたを尊敬してまいりました。いろいろと教えていただいております」

 「そのようにおっしゃっていただくと、いささか当惑させられます。さきほども申しました通り、私もあなたと同じ人間的存在にすぎないからです。が、私が少しでも皆さんのお役に立っているとすれば、それは私にとっての最大の報酬をいただいたようなものです。

私も、物的カルマから超脱した高遠の世界の神霊のマウスピースとして、地上の皆さんに必要なメッセージをお届けするという仕事を、何よりの特権と心得ております。

仕事中に手応えを感じ、たった一人の魂にでも霊的真理が根づいたことを知った時、地球浄化の大事業が着々と進捗していることを知ってうれしく思います。

 今この部屋にいる私たち一同、および霊界で同じ仕事にたずさわっている同志たちも、みなこの崇高な計画の一翼を担っているのです。

その目的とするところは、地上の人間に本来の生き方を教え、肉体と精神を存分に発揮すると同時に、本来の自我である霊性をよりいっそう顕現させるよう導くことです。

 かくして得られた人生の目的についての悟りは、本当はエデンの園であるべきでありながら今や身の毛もよだつ恐ろしい唯物病に冒されている地球を救済するための手段でもあるのです。

 お二人には、ご自分が貢献しているその成果を推し量ることはできませんが、大変な貢献をなさっておられます。それは本当は教会が行なうべきものです。が、イエスがいみじくも述べておりますように、キリスト教会は霊的真理の宝庫であるどころか、

人間生活の問題や大きな可能性とは無縁の、空虚で陳腐で時代おくれの独善的な教義を説くしか能のない、〝白塗りの墓〟(※)と化しております。



 ※───ユダヤ教の律法学者やパリサイ人を〝偽善者〟と決めつけて白塗りの墓になぞらえたのであるが、ここでは霊性がカケラも見られなくなった、ただの建造物の意味に使用している。

 このように霊力は、大主教や主教や法王、司祭や牧師などを通してではなく、あなたのような、ごく普通の人間でありながら崇高な愛や叡知や霊力をあずかることのできる人を通して地上へ顕現されるように計画されているのです。

 悲しみの涙にくれている、たった一人の人間の涙を拭ってあげることができれば、あるいは不治の宣告を受けた人をたった一人でも治してあげることができたら、あるいは出口の見えない迷路にはまった人に光明への道を教えてあげることができたら、それだけであなたの全人生が価値があったことになります。

 私たちの仕事も同じです。受け入れる用意のできた人に霊力による援助を授けることです。そういう人はいろんな逆境の中であなたのもとを訪れます。

愛する人を失った悲しみを抱えて、あるいは人生に絶望して、あるいは不治の病に冒された身体で、あるいは悩みを抱え生きる意義を見失って等々、その動機はさまざまです。が、どの人も既成の宗教や科学や哲学や医学では解決策を見出すことができなかったのです。

あなた方は崇高な使命を担った者として、日常生活においてさまざまな困難に遭遇しますが、決して挫けてはいけません。何の面倒も生じないバラ色の人生など、およそ私たちにはお約束できません。

お約束できるのは、霊的な意味において使命の成就に勤しんでいれば、霊的に報われるということです。その段階に至ってはじめて、地上という物質界に降誕した意義があったことになるのです」

ストーク女史 「一か月前に他界したばかりの人が私(の入神現象)を通じて地上に残した奥さんへ通信を送ってきたのですが、その話の中で霊界での朝と昼と夜の生活ぶりを語っています。霊界でも地上と同じ〝一日〟の生活があるのでしょうか」

 「こちらへ来てまだ霊的バイブレーションに順応していないうちは、地上時代と同じパターンの生活を営みます。低級界、いわゆる幽界は、いろいろな点で地上とそっくりです。これは、新参者にショックを与えないようにとの神の配慮なのです。いきなり環境が変わると順応が難しいからです。

 そこで、今おっしゃった方のように、こちらへ来てからも引き続き朝と昼と晩の生活を営む者がいることになります。そういうものという固定観念を抱いているために、そうなるのです。こちらは思念が実在となる世界です。

意識の変化が生じないかぎり、その状態が続きます。それとは別に、地上に残した愛する者の面倒を見たくて、より高い世界への向上を望まない者もいます。

こちらにも庭があり、家があり、湖があり、海があります。それぞれに実体があります。実在なのです。フワフワとした、形態のない世界ではありません。住民はやはり人間的存在です。ただ、物的身体がないというだけです。霊界の自然環境は芸術的な美しさにあふれ、とても言語では表現できません。

 家屋に住まうということは自然なことです。こちらでも家の中での生活がありますが、こちらの家は、地上時代にその人が培った霊性が反映して自然にこしらえられているという点が、地上と違います(※)。その家に庭があるのも自然なことですが、

庭木の手入れは、しなければならないと思えば、すればよろしいし、特に手入れをしなくても、その人の霊性に応じて手入れがなされます。そのように霊の世界の仕組みができているのです。だからこそ新参者もショックを受けずに霊的環境に適応していくのです。

 ※───死後に住まう家がこの地上生活中に着々とこしらえられているという話は、他の霊界通信でもよく出てくる。信じられないのであるが、シルバーバーチまでもがこうもはっきりと述べているとなると、信じざるを得ない。

地上では豪邸に住んでいても、その生活に霊性が欠けていれば、霊界では貧弱な家に住むことになるらしい。俗にいう「徳積み」が、霊的には生活環境となって具現化すると考えればよいのであろうか。その辺の原理を説いた通信は見当たらない。

 霊の世界は進化の階梯を上昇しながら、上下の界が互いに融合し合っているのでして、平面上の地理によって区分けされているのではありません。

霊性が開発され、魂が向上するにつれて、より高い界層へと適応するようになり、自動的にその界に所属するようになります。こうしたことは完ぺきな摂理の完ぺきな働きの結果です。何一つとして偶然の産物は存在しません。

 霊性に歪みがあれば、霊界の病院へ行って然るべき治療を受けることになります。霊界の孤児、つまり両親がまだ地上にいる子供の場合は〝養母〟にあたる霊が付き添います。

地上的縁のある霊の場合もありますが、霊的な親和性の関係で付く場合もあります。その他、ありとあらゆる事情にそれなりの備えが用意されています。大自然の摂理は何一つ、誰一人として見落とすことはありません」

ここでシルバーバーチは話題を変えて、かつてストーク女史が〝支配霊信仰〟の話題をだした時のことに言及して、改めてこう述べた。

「これはとかく地上の人間が陥る過ちの一つでして、残念に思います。指導霊とか支配霊というのはどの霊媒にも付いています。が、そういう資格を与えられた霊は、自分が崇拝の対象とされることは間違いであることを、よく承知しております。(※)。

崇拝の対象は大霊以外にはありません。愛と叡知と摂理の権化です。私が皆さんからの感謝の言葉を有難いと思いつつもお受けしないのは、そういう理由からです。

本来の崇拝の念は大霊へ向けられるべきであり、そこに親と子の関係にも似た、より深い融和が生まれます。その対象から外れて自分へ向けられるようになることは、支配霊として許されないことなのです」

※───これはスピリチュアリズムという大事業の計画のもとに選ばれた指導霊や支配霊 (この用語の区別にとくにこだわる必要はない)について言えることである。霊的知識や教養のない霊能者の背後には崇拝の対象とされる───いわゆる〝神や仏に祭り上げられる〟───のを得意に思う者がいて、歴史上や神話上の立派な名前を騙るようになる。その波動を受けて霊能者の方もそう思い込むようになる。

 この種の霊および霊能者はもともと大事業の計画の中に組み込まれていなかったとみて差しつかえない。シルバーバーチの霊言の陰にかくれて存在が薄くなっている高級な霊言集に 「ラマダーンの叡智」とか「ブラック・クラウドは語る」というのがある。

ラマダーンもブラック・クラウドもシルバーバーチが〝同志〟と呼んでいる高級霊であるが、やはり最後まで自分の地上時代の身元を明かさず、本当に通信を送っているのは自分よりはるかに上層界の〝光輝く存在〟であって、自分はそのマウスピースにすぎないと、シルバーバーチと同じことを言っている。

 ドリス・ストーク女史は霊能養成会を開いているが、ある日の交霊界にその会員十二人が揃って出席してシルバーバーチと対話を交えている。その時の質疑応答を紹介しておこう。

───指導霊はどのようにして決まるのでしょうか。(ここでは守護霊も含めた背後霊全体の意味で訊ねている)

「宇宙には斥力(反発力)があるように引力(親和力)もあります。親和性のある者どうしが自動的に引き合い、引かれ合うという法則です。

愛は、霊力と同じく、宇宙で最も強力なエネルギーの一つです。バイブルにも、愛は摂理の成就である、とあります。摂理として顕現している大霊は、愛と叡知の権化だからです。

 時として地上での前世の縁で指導霊になる場合もあります。どうしても片づけなければならない事が地上にあって、そのために再生することになった場合、霊的自我はあらかじめそのことを承知しております。そして同じ霊系の高級霊の指導のもとに段取りを整えます。

 指導霊としての責務を引き受けた霊は、それまでに身につけた霊的資質の多くを犠牲にして(波動を下げて)、この魅力のない世界───と言っては失礼ですが───の圏内へと降りて来ます。

それは、危険と犠牲を強いられる仕事ですが、それを敢えて引き受けることができるということは、その霊の進化の水準の高さの証明でもあるのです。

 その犠牲的献身によって地上の人々の人生に光明をもたらし、生きる目的を見出させ、使命を成就させることになるのです。ここに愛の摂理の実践の典型があります」

―――私が向けている関心の一つに動物への福祉問題があります。が、英国でも動物実験が多いことを残念に思っております。何かよい改善方法はないものでしょうか。

 「これは私にとってきわめてお答えしにくい問題の一つです。簡単に〝こうしなさい〟と申し上げたいところですが、それができません。

なぜかというと、地上生活の目的の一つは霊的意識の覚醒です。それが成就されれば、大局からの物の見方ができるようになります。優先すべきものを優先させることができるようになるということです。合わせるべき焦点が正確になるということです。

 残念ながら現段階の人類の大半は、霊性の発達の欠如から、自分がもともと霊であり、それと同じものが動物にも宿っていることが理解できません。たしかに人類は機能的には動物に優ります。

が、本質的には同じ霊的存在なのですから、自分より進化の低い階梯にある動物を慈しみ保護してやるべきなのに、自分たちの病気治療の研究のために、無抵抗の動物を材料として、残酷な実験をくり返しております。が、これは間違いです。

 こうした邪悪な、悪魔的ともいえる動物実験を止めさせるためにも、時間は掛かりますが、まず霊的知識の普及が必要です。

そして、人類全体が、今行なわれていることが間違いであることに気づく段階にまで意識が向上する必要があります。短期的に見れば、それまでは、一時的に今まで以上に動物実験が盛んになることもあるでしょう。

 皆さんとしては、何とかして生きた動物に苦痛を与える方法以外の方法へ転換させるように、不断の努力をすることです。決してあきらめてはいけません。霊的な旗印を鮮明に維持しつづけることです。点滴、岩をもうがつ、と言います。最後まで頑張ってください」

───霊性開発につとめているのですが、一歩進んだかと思うと二歩後退しているように思えます。こういうものなのでしょうか。背後霊や私の母親は私に絶望しないかと心配なのですが・・・・・・

 「二歩後退しているというのは、どうして分かるのでしょうか」

───努力すれば努力するほど、人に与える印象がスピリチュアルでなくなっていくように思えるのです。

 「霊的な褒賞はそう簡単に得られるものではありません。もしも簡単に得られるものであれば、あえて得るほどの価値はないことになります。この道は石ころだらけの、進みにくい悪路の連続です。霊的摂理の関係上どうしてもそうならざるを得ないのです。

 考えてもごらんなさい。もしあなたが困難と悲哀と苦悶の体験をしなかったら、そういう逆境の中にいる人があなたのもとを訪れた時、あなたはどう対処なさるのでしょうか。

空は晴れわたり、太陽がさんさんと降りそそぎ、何の苦労もない毎日を送っているようでは、魂は目を覚ましません。困苦と難渋の中でこそ魂は目を覚ますのです。

 魂の奥に隠された黄金は、たたき砕かれてはじめてその光輝を発揮することになるのです。ダイヤモンドは最初からあの美しい姿で飾られているのではありません。もとは土塊と埃の中に埋もれていたのです。それが掘り起こされ、砕かれ、磨き上げられて、ようやくあの輝きを見せるのです。

 霊性も同じです。しごかれ、試されてはじめて発揮されるのです。鋼鉄と同じです。それ以外に方法はないのです。苦難を体験してはじめて霊の光輝と崇高性が発揮されるのです。

 ですから、困難を魂への挑戦課題として歓迎するのです。それが地上人生の目的なのです。もしも気楽で呑ん気な生活を送っていたら、内部に宿る素晴らしい霊性に気づかないまま生涯を終えることになります」

───私は精神統一の修行を何年も続けておりますが、どうすればいちばん良いのでしょうか。

 「今までどおり修行なさることです」

───これからもずっとですか。

 「そうです。完ぺきの域に達するには永遠の時を要します。もちろん地上生活では不可能ですし、こちらへお出でになっても、やはり不可能です。完全なのは大霊のみです」

───大霊と一体になるのは可能なのでしょうか。

 「本質的には人間は大霊と一体です。霊性においてつながっているという意味です。ですから、心配・不安・悩みといった低級感情を消し、大霊の計らいに絶対的な確信と信念を抱き、世俗の喧噪から遁れて魂の奥に入り、平安と静寂の中に休らい、不屈の精神に燃えることです。

精神を統一するにはいろいろな方法があります。いずれにしても、決して容易ではありません。が、修行の努力は必ず報われます」

───ある人のために苦心さんたんして、全身全霊を傾けたあげくに、お礼どころか、ひどいしっぺ返しを受けることがあります。

 「霊的能力を授かった人の責任は、いつでも手を差しのべる用意をしておくことです。あなたが力になってあげることの出来る人が連れてこられます。あなたの方から探してまわることはありません。

あなたから発せられる霊的な光輝によって、そういう人が引きつけられるのです。その時こそあなたが人のために役立つことができるチャンスです。

 あなたが精いっぱいの努力によって、かりに成果をあげることができなくても、それはあなたが悪いのではありません。その人がまだ霊的な用意が十分でなかったということです。そんな時、せっかくのチャンスが実らなかったことに、ひそかに涙を流してあげて、またいつか、チャンスが巡ってくることを祈ってあげることです」

───霊界の住民は誰でも地上の者と通信できるものでしょうか。また、みんな通信したがっているのでしょうか。通信には特別の練習がいるのでしょうか。

 「霊界から地上界へと通信を送るのは、そう簡単なものではありません。さまざまな障壁があります。が、それらを克服して通信を送ってくるのは、愛の絆があるからにほかなりません。愛もなく、地上界へ何の魅力を感じない人もいます。

地上を去ったことを喜んでいるのです。さらには、死んだことに気づかず、いつまでも地上圏をうろついている者もいます。

 地上人類への愛念を抱く霊───それは必ずしも地上的血縁のある者とはかぎりません───は、ありとあらゆる手段を尽くして地上界と接触しようと努力します。

そして通信を送るテクニックを身につけます。地上界と霊界とでは存在の次元が異なります。同じ霊的存在ではあっても、地上の人間は肉体という物質にくるまれた霊です。

そこに通信の難しさが生じます。こうして私が通信しているのを、あたかも受話器を取ってダイヤルを回すだけの電話のように想像してもらっては困ります。電話ですら不通になったり混線したりします。

 霊界通信にも困難はつきものです。が、愛・友情・親和性・血縁関係、それに相互の関心のあるところには、通信を可能にするための、ありとあらゆる努力が為されます」

───私は今だに自分のことがよく分かりません。私のために働いてくれている何ものかがいることは分かるのですが、まだ自分の指導霊ないし支配霊が誰なのか分かりません。

 「光を見出すのは闇の中にあってこそです。喜びを見出すのは悲しみを味わってこそです。健康の有り難さが分かるのは、痛みを味わってこそです。あなたはご自分についてこれから見出していかれます。本当の自我はちゃんとあるのです。ずっと存在しているのです。

 あせってはいけません。地上の人間の悪い点は、せっかちだということです。霊的成長はインスタントに身につくものではありません。私たちも、あなた方が長い眠りから覚めるのを根気よく待っているのです。

何十年も掛かるかも知れません。ところが、ようやく覚めると、いきなり〝何をぼやぼやしているのです!早くやらなくては!〟と言い出します。

 大霊は急ぎません。すべてが計画どおりに着実に進化するように、摂理を配剤しておられるのです。

 そのうちあなたの真の姿が明らかにされる日が来ます。あなたは今、梯子のいちばん下の段に足を置いたばかりです。これから昇りはじめるのです。いくつもの段を昇らねばなりません。が、昇るにつれて、ご自分について、そしてご自分の無限の可能性について悟るようになります」

───この世を去ったあとたどる七つの界層についてご説明ねがえませんか。一界一界どういう過程をたどるのか、また各界がどういう仕事をするのか、大ざっぱで結構ですが・・・・・・

 「まず最初にお断りしますが、私はその〝七つの界〟とやらを知りません。第一から第七まで番号のついた界というものを私は知りません。私が知っているのは、たった一つの界があって、それが無限の階梯をなしているということです。

霊性が高まれば、自動的に次の境涯へと進化しています。そういう過程が永遠に続くのです。なぜなら完全は永遠の時を要するからです。

 どういう仕事をするか、ですか。それはその人によりけりです。もしも授かっていた本能を地上で発揮できなかった人は、こちらへ来て発揮するよう努めます。地上でやりたくても出来なかったものが、こちらで出来ます。

たとえば、子供が大好きなのに子宝に恵まれなかった人は、こちらで多くの霊的孤児 (幼くして親より先に他界した子供)の面倒を見ることになります。

 心霊治療家だった人は、こちらの病院でその能力を発揮することができます。音楽の才能のある人は、地上で経済上の理由から音楽会などに行けなかった人たちのために演奏会を開くこともできます」

───私はどのスピリチュアリスト教会にも所属していないのですが・・・・・・

 「それが何か不都合でも生じましたか」

───私はどうということはありません。多分あなたにも・・・・・・

 「私もどうということはありませんよ」

───どういうわけか私は教会に所属する気になれないのです。何かが私を躊躇させるのです。何なのでしょうか。

 「人間には自由意志と責任があるというのが、私たちの基本的理念です。自分の意志を自由に表現する機能を大霊から授かっています。糸であやつられる人形ではないということです。自由意思があるということです。もちろん、ある一定範囲内でのことです。

つまり、あなたが到達した進化の程度に応じて行使できる範囲がきまるのです。

 もしもあなたが気に入らないと思えば、拒否なさればよいのです。あなたにはもっと別の進むべき道があるのかも知れません。霊界のほうから強制することはありません。援助を求めている人にだけ援助します。ただし、あなたが選択なさることについての責任は、すべてあなたにあることにもなります」

ストーク女史 「この方はご自分ではそうは思っていらっしゃらないでしょうけど、人間的にはスピリチュアリストをもって任じている人よりもっとスピリチュアリスト的な方です」

 「打ち明け話をしましょう。私自身もスピリチュアリストだとは思っておりません。私は肩書には関心がないのです。どうでもいいことです。こちらの世界では何の意味もありません。

大切なのは人のために役立つことをし、可能なかぎり最高の理想へ向かって生きることです。皆さんの名前だってずいぶんいい加減なものです。私が関心をもっているのは、霊的自我と、それをどのように発揮しようとしているかです」

───私はスピリチュアリズムが大好きなのですが、時折怖くなることがあります。なぜだか自分でも分からないのですが・・・・・・

 「恐怖心というのは〝未知〟であることから生まれるものです。分かってしまえば恐怖心は消えます。ですから、なるべく多くの知識を手に入れることです。多く知ることにより、それが光となってあなたの全存在を照らし、恐怖心を追い払います」

ストーク女史 「私から質問があります。私は養成会を指導しているのですが、私自身は正式のトレーニングを受けていないものですから、やり方が伝統的ではありません。

体験に基づいて私の思うままを教えるしかありません。これまでのやり方でよろしいのでしょうか、それとも私自身がもっと正式なトレーニングを受けるべきでしょうか」

 「大霊が無限であるということは、大霊に近づく道も無数にあるということを意味します。たった一本の道というものはありません。またどこかの一個の団体の専売特許でもありません。

私たちは〝今はやりの〟とか〝伝統的な〟といった方法にはこだわりません。むしろ非伝統的であることに誇りを覚えるくらいです。伝統的ということは古くさいということを意味し、進歩がないということの証明でもあります。


 たとえばチャクラ(※)について説くことは必ずしも必要とは考えません。肝心なことは、特別な人(霊能者)に賦与されている霊的能力を発現させることです。誠実さを動機とし、人のためにということをモットーとしておれば、道を誤ることはありません。

※───チャクラというのは〝車輪〟を意味するサンスクリット語で、肉体と幽体の接着剤的役割をしている〝ダブル〟にある七つの皿状の凹んだ渦巻きのことである。これが回転することによって生命力を出し入れしている。これが霊的能力にも大きく関わっていて、ヨガではこの開発を奨励する。

シルバーバーチがあまり勧めないのは、とかく超能力にこだわって霊性の開発をおろそかにする傾向があるからで、私は、人体の構造と内臓器官の生理を知ることが治療家にとって不可欠であるように、霊能開発を本格的にこころざすには、こうした霊的生理について知ることが不可欠であると考えている。

 ご自分でこうだと思うことを実践なさることです。間違っていれば、すぐに気づきます。大霊は各自に判断のモニター装置を植え込んでくださっています。道から外れかけていると、すぐに警告を発してくれます。目的さえ誠実であれば、必ず良い結果が得られます。

 私は、こうして養成会の皆さんと語り合う機会を得たことを大変うれしく思うと同時に、これが皆さんにとって何らかの力になることを望んでおります。また、皆さんからお寄せくださる愛と感謝と情愛に深く感謝の意を表現したいと思います。

私の語ったことが皆さん方の存在の中に宿り、人生とその目的について、以前より少しでも深く理解する上で力になっていることを知ることは、私にとって途切れることのない感謝の源泉です」

ストーク女史「養成会を代表して私から、本日こうしてあなたとの語り合いの機会を設けてくださったことに厚くお礼申し上げます。この日をどれだけ心待ちにしていたことでしょう。きっと生涯忘れ得ない夜となるものと信じます。

これからは、あなたの霊言集を読むたびに〝ああ、自分はこの方と直接語り合ったのだ〟と、今日のことを思い出して、その光栄をしみじみと思い出すことでしょう。皆の者に成り代って私から改めてお礼申し上げます」

「そのお言葉は有り難く頂戴いたしますが、いつも申し上げておりますように、私はいかなる礼も頂きません。指導霊や支配霊を崇拝の対象とする傾向に対して、私は断固として異議を唱えます。崇拝の対象は大霊以外にはあってはならないのです。

 私は地上の年数にして皆さんよりはるかに長く生きてきたというだけのことです。その間に為し遂げたことの結果として、地上の言語では説明のできない光明と美にあふれた境涯に到達することができました。

 すでに何度も申し上げた通り、そういう境涯にいる同輩の多くに、地球浄化の大事業への参加の要請があったのです。それには、これまでたどってきた道のりを逆戻りしなければなりません。が、

私は喜んでお引き受けして、それまでに蓄積した体験から得た知恵、知り得た大自然の摂理の働き、宇宙の大霊についての理解と崇敬の念、およびその大霊から届けられる恵みのすべてを皆さんにもお分けすることにしたのです。

 もちろん、霊的に受け入れの用意ができた人にお分けするということです。ここにお集まりの皆さんにはその用意がおありです。

私たちは協調の体勢で地上を浄化し、より美しい、生き甲斐のある生活の場とするための大事業計画の一端を担うことができた皆さんは、この上ない光栄に浴されておられます。私も光栄です。

 地球浄化の一環として私たちがたずさわっているのは、物欲第一主義の打破です。

これは言わば地球のガンです。利己主義・どん欲・強欲・暴力───これらはみな物欲第一主義の副産物です。これらを無くし、地上の子らが精神的にも霊的にも豊かさを享受して、互いに協調し合える世界を築くことが目的です。

 今、私たちはそういう仕事にたずさわっているのです。これは大規模な戦です。皆さんの中には将校として参加すべく武装している最中の方もいます。小競り合い程度の問題で絶え間なく葛藤させられているのは、その大規模な戦に備えて、将校としての資質を試されているのです。

 ですから、迷わず突き進んでください。常に最善のものを求めてください。そうした努力が大霊へ近づかせ、創造の大源から放たれる愛に浸らせることになるのです。大霊の祝福のあらんことを」



 次にドリス・コリンズ女史が夫君フィリップ・コリンズ氏と霊視能力者のマージョリ・オズボーン女史とともに出席した時の様子を紹介しよう。まずシルバーバーチが歓迎の挨拶のあとコリンズ女史にこう述べた。

 「あなたは背後で絶え間なく援助している高級霊団の存在には先刻お気づきのはずです。これから申し上げることが、その霊団から告げられていることを補足ないし確認することになれば幸いです。

 といっても、私がこの霊媒(バーバネル)を通して申し上げていることは、私の霊団から授かったものをくり返しているに過ぎません。が、首尾よく伝えることができれば、それだけ多くの霊的真理が地上に届けられたことになります。

 覚悟はできておられると思いますが、天賦の霊的才能を授かって生まれてきた人のたどる道は、平坦なものではありません。ロートスの実(※)を食べて安楽な道を歩みたい者は、この道にたずさわらないほうがよろしい」

 ※───ギリシャ神話で、これを食べると浮き世の苦しみを忘れるという。

コリンズ女史「覚悟はできております」

 「私は実はそのウラを申し上げたくて酷なことを申し上げたのです。大霊の大事業に霊界から参加し、地上人類に本来の生き方を教えることに献身している霊たちは、あなたのような方を通して仕事をするのです。あなたのような才能を身につけた方を通して働く以外に方法はないのです。

 地上の指導者であるべき人たち───聖職者・科学者・思想家───が何もできずにいるとき、あなた方は悲しみに暮れている人、病気に苦しんでいる人、悩みを抱えている人、生きる目的を見失った人に解答を授けることができます。

崇高な霊力のチャンネルとして、そういう人々の霊性に働きかけて、本来の機能を取り戻させることができます。それは霊能者にしかできない仕事です。大霊の子らに奉仕することによって大霊に奉仕するという特権を授かっているということです。

 自己の存在価値をあらしめる仕事にたずさわるということは、詮ずるところ犠牲を強いられるということです。なぜならば、それには莫大な霊力が投入されるからです。霊力は無尽蔵です。が、それが地上に顕現されるチャンスが少なすぎます。

そこであなたのような方に犠牲を強いることになるのです。が、犠牲が大きければ大きいほど、それだけ多くの霊性が発揮されます。神の道具としてよりいっそう磨きがかかり、以前にはできなかったことが可能になります。

 と言って、決してラクな道ではありません。が、もともと霊の褒賞は刻苦することによってのみ得られるのです。葛藤の末に得られるものです。遭遇する困難、それに、物分かりの悪い連中によって持ち出される、あらずもがなの障害も克服しなければなりません。

そうした困難や障害との葛藤があなたの霊性を磨き、洗練し、背後霊団との調和を促進し、豊かな霊力の受容力を高めてくれるのです。私の申していることがお分かりでしょうか」

コリンズ女史「分かりますとも、シルバーバーチさん。よく分かります」

 「私からのメッセージが元気づけの言葉となって、あなたがこのまま勇敢に突き進まれ、最善を尽くされ、いつどこにいても人のために役立つことをなさっておれば、私は私なりに存在価値を発揮したことになり、あなたも同様に存在価値を発揮されていることになるのです」

 そう述べてから夫君のフィリップのほうを向いて、

 「以上の私の話をお聞きになりましたか」

フィリップ「拝借しました。一言もらさず・・・・・・」

コリンズ夫人「私の使命の大きさは先刻承知しております。そういう使命を授かったこと、そして(フィリップという)よきパートナーを用意してくださったことを、神に感謝いたしております。これからも力のかぎりを尽くす所存です」

 「あなたに要請されているのはそれだけです。最善を尽くすということです。本日ここに集まった方たちは、私たち霊団も含めて、神の大いなる計画の一翼を担っております。

私が永遠の創造過程と呼んでいるものを促進するために、こうして集められたのです。人類の進化に寄与できることは何と素晴らしいことでしょうか。

 私たちは地上人類の本来の姿、すなわち物的身体を通して自我を表現している霊的存在であることを教えてあげることができます。その生活の中で最優先すべきものを優先し、霊的原理に基づいた生き方をしていれば、かつて経験したことのない生きる喜びを見出すことになります。

 地上人類の最大の問題点は、大霊よりも黄金の子牛(金銭)を崇拝の対象としている者が多すぎることです。欲の皮がつっ張れば霊性はしぼみます。

霊性が第一であることを一人でも多くの人に説かないといけません。地上のいかなる財産も、この世かぎりのものです。来世まで持って行くことはできません。

 知識が無知と取って代るにつれて、光が闇をかき消し、真理が広まるにつれて迷信が退却せざるを得なくなります。私たちと同じくあなたも、物欲第一主義の戦場で霊的解放のために闘うという栄誉を担われた方です。霊は必ずや物質をしのぎます。

霊的叡知が行きわたれば、すべてが収まるべきところに収まります。すべての人類が自分自身の(肉体と霊と精神の)調和のみならず、同胞との調和の中で暮らすようになります。

 そうなれば病気もなくなります。残念ながら今の地上には病気が多すぎます。さらに、霊的に全人類が一つであるという理解が広まれば、みっともない利己主義の産物も出なくなるでしょう」

 そう述べたあと、子供へのお説教みたいなことを述べて申し訳ないと詫びてから、コリンズ女史の背後には素晴らしい霊団が控えているので、憶することなく突き進むようにとの励ましの言葉を述べ、さらに、ご主人のフィリップに向かってこう述べた。

 「あなたは奥さんの片腕として、言うなれば〝人間の砦〟となるべく連れてこられたのです。これからも精いっぱいのことをしてあげてください。これまでも決してラクな道ではありませんでしたが、埋め合わせの法則は間違いなく働きます。低く落ちれば、それだけ高く上がることができます。

 失敗しても、すぐに気を取り直して、また始めるのです。個人であろうとグループであろうと、本当のあなた、神性を秘めた永遠の霊的自我に危害を与えるような出来ごとを生み出せる者は、この物質界にはいません。

いついかなる時も泰然自若とした態度を保持することです。なるほど大事業のために選ばれた人は違うと思わせる、冷静で自信に満ちた雰囲気を常に発散してください」

 続いて霊視家のマージョリ・オズボーン女史に向かって、

 「コリンズご夫妻に申し上げたことは、あなたにも当てはまるとは思われませんか」

 と問いかけると、

オズボーン「そっくりそのままと言ってもよいと思います」

 「何とかして話をあなたのことにもつなげようとしたのですが、どうやらうまく行ったようですね。霊的大事業の道具として派遣された者にラクな道は有ろうはずがありません。もしラクであれば、授けられた才能が発揮されないのです。

ラクで呑ん気な生活をしていれば、内部の神性は顕現しないのです。困難・障害・難題・悪条件の中でこそ霊性に磨きがかけられるのです。

 ダイヤモンドがあの無垢の輝きを見せるようになるまでには、何工程もの破砕と研磨とを経ているのです。それなしには秘められた美しさが出てこないのです。

 霊力に優る力はこの地上には存在しません。万事休す、と思われた絶体絶命の窮地からでも救い出すことのできる力をそなえております。もしもその力について疑念が湧いた時は───人間である以上それはやむを得ないことです───かつてあなたが真っ暗闇の中に閉じ込められた時に、ひとすじの光明、霊の黄金の光が射し込み、進むべき道が示され、人間的愛とともに神の愛の存在に気づかされた時のことを思い出して下さい」

 オズボーン「おっしゃる通りでした」

 「道に迷ったがゆえに本当の自分を見出すことができたのです。霊的に二度と迷われることはありません」

オズボーン「本当に有り難いことです」

 「私は、本日ここにお集まりのどなたよりも長い生活を体験してまいりました。その私が今もって感動を禁じ得ないのは、神の摂理の完ぺきさであり、叡知の無限さです。誰一人として見落とされることもなく、またその監視から逃れることもできません。

 霊的能力を授かっている者は、それを発揮させねばなりません。それがその人に課せられたサービスです。いかなることが起きようと、その能力を授かったがゆえの特権を行使することによって、自己実現に努めなくてはなりません。

それ一つに専心していれば、他のことはすべて落着くところに落着きます。

 取り越し苦労は何の役にも立ちません。霊性をむしばむ大敵です。不屈の精神・沈着・自信・決意───こうしたものは悟りを開いた魂の属性です。これまで導かれてきたのです。これからも導かれます。

疑念が湧いた時は、その思いをそこで押し止め、精神を静めて、魂の奥に引っ込むのです。本当の自我である霊性が道を教えてくれます。

 この地球浄化のための戦いにおいて、将校たる者はうろたえることがあってはなりません。持ち場を死守しないといけません。弱気になってはいけません」









シアトルの夏 ムーア夫妻とテスター夫妻への賛辞

Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen
シルバー・バーチ最後の啓示  
スピリチュアルな言葉が教える〝生きる〟ことの喜び



まえがき

 シルバーバーチの霊言も本書が最後かと思うと、ちょっぴり寂しい気持と、よくぞここまで倦まずに訳してきたものだと、自分で自分に感心する気持とが交錯する。

 私がシルバーバーチと出会ったのは大学二年生の時で、「心霊と人生」という月刊誌を出していた心霊科学研究会の事務所(世田谷)を訪ねた時に、私が英文科生であることを知っていた主筆の脇長生氏が英文のサイキック・ニューズ紙を私に手渡して、何でもいいからこの中から適当なものを選んで訳してくれないかとおっしゃった。



それを大事に持ち帰って下宿で開いた時にまっ先に私の目に飛び込んできたのが、有名なインディアンの肖像画だった。

 聡明さと威厳を兼ねそなえたその顔を見た時に何かしら親しみのようなものを覚えたのを思い出す。が、その肖像画を取り囲むように印刷された霊言は、当時の私の英語力では読むことすら覚束なくて、魅力を感じながらも訳すのはあきらめた。 

そして、ヒマラヤの奥地で見かけたという白い巨人、いわゆる雪男の話を訳し、それが翌月の「心霊と人生」に掲載されて、天にも昇るうれしさを覚えたものだった。

 その記事を、恩師の間部詮敦氏が三重県の自宅でお読みになって私の翻訳力に目を付け、「心霊時報」という、英米の翻訳記事ばかりで構成した、ガリ版刷りの月刊誌を出す話を私に持ちかけられた。これを私は若者の特権の〝怖いもの知らず〟で、二つ返事で引き受けてしまった。

 間部先生は慶応大学のご出身で英語を読む力をお持ちで、当時、米国最大の心霊週刊紙サイキック・オブザーバーを購読しておられた。(当時は日本の全国版の朝刊よりもページが多かったが、現在は凋落して思想的にもスピリチュアリズムから離れ、かつての面影はない)

 私はさっそく新たにサイキック・ニューズとスピリチュアル・ヒーラー(月刊誌・ハリー・エドワーズが主筆)を購読する手続きをしたり、翻訳・転載の許可を得る手紙を書いたりといった、私にとって初体験の仕事が重なり、他方では翻訳もしなければならず、過労と睡眠不足のために目を傷め、失明寸前にまで行きながら、かろうじて助かった。が、この仕事のお陰で私の翻訳力は飛躍的に伸びたように思う。

 その「心霊時報」の巻頭言や余白にシルバーバーチの霊言を断片的に使用した。

それが私がシルバーバーチを訳すようになった最初である。(「心霊時報」は四〇冊まで出した時点で先生の健康上の理由で中止となった。その四〇冊の現物は日本心霊科学協会に寄贈してある)

 以上は一九六〇年前後の話で、それから二〇年ばかり経った一九八〇年に日本心霊科学協会から月刊誌「心霊研究」への連載記事を要請され、その瞬間に脳裏に浮かんだのがシルバーバーチだった。それは「シルバーバーチは語る」と題して連載され、その後潮文社から「古代霊は語る」と改題して出版された。

これは、その時点までに英国で出版された霊言集のエキスを私が一冊にまとめたものであるが、その後読者からの要望にお応えして、全十一冊の全訳(総集編を入れて全十二巻) が出版された。

 「心霊研究」に連載されたのは一九八〇年の秋からであるが、そのころから私は無性にバーバネルに会いたくなり、その年の暮に出発して新年早々(四日)にロンドンの社長室で面会した。

そして帰国する前にもう一度挨拶に訪れたが、それがバーバネルとの今生での最後の面会となった。その年の七月にバーバネルが心臓発作で他界したのである。

 年末から年始にかけてはどちら側にとっても都合が悪いので、翌年の夏休みにしようかと考えた。が、ただただ気持ちが急くので、冬休みを選んだのであるが、それが正解だった。夏休みにしていたら今生では会えなかったわけである。あの世では会えることは間違いないが・・・・・・。

 今から思うと、それから始まるシルバーバーチ霊言集の全訳という大仕事は、もともと霊界側で計画されていて、霊媒のバーバネルに直接面会することが、互いの霊団にとって何らかの意味があったのであろう。

サイキック・ニューズのスタッフの一人が「あなたの背後霊団にこんどの英国訪問を急かせた霊がいますね」と言っていたのが、今となっては印象的である。

 バーバネルの死期が迫っていることを察知したからという見方もできるが、それだけでなくて、直接会うことによって互いの霊団の間での打ち合わせを緊密にするためだったのではないかと考えたりしている。その後の私の出版事情を振り返ってみると、そのことを強く感じるのである。

 まず潮文社からの全十二巻が完結すると間もなくコスモ・テン・パブリケーション(太陽出版)という、当時設立したばかりの出版社から、ぜひシルバーバーチをという要請があり、トニー・オーツセン編集の〝愛〟の三部作(「愛の摂理」「愛の力」「愛の絆」)が出され(注1)、それが終ると、

こんどはハート出版から要請があって、やはりトニー・オーツセンのその後の二冊(日本語版では三冊)の翻訳を約束した。

 一冊目は「シルバーバーチ不滅の真理」、二冊目は 「シルバーバーチ新たなる啓示」、 そして本書となる(注2)。たぶんこれが最後の一冊となるであろう。

 その後原書は出ていないし、これから出るという話も聞かない。カセットを出すという話をサイキック・プレスの社長カール・ダンカンから直接電話で聞いているが、一年以上たってもまだ実現していない。財政的によほど苦しいのであろう(注3)。

 そんな中で、最近日本で、出版とは別の形での新しい動きが出ている 。

 一つは、シルバーバーチの愛読者が、目の不自由な方たちのために、ご自分の朗読をカセットテープに吹き込んでおられることである。

 妙なもので、「勝手に吹き込んだことをお許しください」という手紙とともにカセットが送られてきたその日に、目の不自由な女性から電話があり「シルバーバーチの霊言というのがあるそうですが、テープに吹き込んだものは出ていないのでしょうか」という問い合わせがあった。

 もちろんさっそく送ってあげた。そして三、四日後に涙ながらの感謝の電話をいただいた。しかもその方は、それから二、三か月後に目が見えるようになっているのである!

 その後も二、三の有志の方から、霊言をカセットに吹き込んでいる旨の連絡をいただいている。こうしたことが端的に教えているように、シルバーバーチ霊団は間違いなく今も活動を続けているのである。

 なお本書は、後半になるにつれて、オーツセンが、最後の一冊ということで〝少しでも多く〟と考えた結果であろうか、無雑作に詰め込みすぎた嫌いがあり、そのまま訳すには躊躇せざるを得ない箇所が多くなっている。そこで私は、全体を私なりに編集し直して、章数も五から八に増やして、焦点を細かくしぼった。

 最近、私の訳を参考にしながら原書で読んでおられる方が増えている様子なので、念のためにお断りしておく次第である。

注1 現在は「心の道場」より『シルバーバーチの霊訓』シリーズとして自費出版にて復刻。

注2 それぞれ、現在は『シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ』、『シルバーバーチの新たなる啓示』として新装版がハート出版より刊行されている。

注3 その後カセットは発売された。現在はCD版となり『CDブック・シルバーバーチは語る』としてハート出版から発売されている。












一章 ムーア夫妻とテスター夫妻への賛辞

 ムーア夫妻と言う名前を見て、ああ、あの二人かと思われた方は、よほどのシルバーバーチフアンであろう 。

夫のバーノン・ムーア氏はかつてメソジスト派の牧師として教会で司牧していたが、シルバーバーチの霊言との出会いで魂の目を覚まされ、いさぎよく牧師の職を辞して、スピリチュアリズムの普及に尽くすようになった。

 妻のフランシス・ムーア女史はハンネン・スワッファーが司会者となって本格的なホーム・サークルを結成し、霊言が記録に残されるようになった当初からの速記者で、その仕事はバーバネルが他界する一九八一年まで続いた。

 そのムーア夫妻がドーセット州に移転した時、バーバネルが訪れてそこで交霊会を催し、シルバーバーチが出現して献納(*)の言葉を述べた。それは同時に、夫妻への賛辞でもあった。

※開所式などで行われる儀式で、神聖な場所として神に捧げる───これを〝聖別する〟という───ことを目的とする。除幕式もこの部類に入るとみてよいであろう。

 「本日は、こうしてお二人の新居をお訪ねして、霊界からの私の愛と挨拶の言葉をお届けすることになって、本当にうれしく思います。私の使命の遂行の上で私と身近かな関係のある方々と話を交わし、これまでに積み重ねてきた知識と叡知と愛と情を分かち合うことができたのは、私にとって大きな喜びです。

 お二人の新居でお二人と身近かな関係にある方々に祝福の言葉を述べるようにとの要請を受けた時、私はそれを大変名誉なことと受け止め、こころよく承諾しました。

 〝家〟というのは、それを構築している物質のみで出来あがっているのではないことを、まず銘記していただきたいと思います。本当の意味の〝家〟とは、一定の位置を持つ〝場所〟であると同時に、そこに住まう者の精神が調和して、より高い生命の界層からの影響力を受けられる状態でないといけません。

 そういう状態であってはじめて、その家に〝霊の宮〟ができたことになります。顕と幽の二つの世界を隔てる障壁が取り除かれ、邪魔物が排除され、両者が一体となります。

もとより、あなた方の目には見えず耳にも聞こえませんが、そこには、全ての束縛(物的カルマ)から解放された、光り輝く存在が常に存在して、地上からの要請に応じております。

 お二人のお家もまさにその一つです。この家でこの私に献納の言葉を述べることを要請なさったということは、ここに集われる方にとって、この家が聖別された神聖な場所であることを心に掛けていただきたいということでしょう。

たしかに、ここは霊と物質とが接する場であり、私どもの世界から派遣された者が訪れて、あなた方を通して、闇の中にいる人々に光を見出させてあげるための仕事をする場所です。

 一般の家とは異なるということです。もちろんお二人にも人間としての日常生活があります。が、それだけではなく、霊力が顕現する場でもあるということです。霊の灯台として、道に迷い疲れ果てた旅人に光を照らしてあげ、憩いの場、休らいの場を与えてあげることです。

彼らは霊的に生き返り、自分がこの世で為すべきことを鮮明に理解して、再び人生の荒波へと乗り出して行きます。これを本当の意味での献身というのです。

 お二人が今後とも霊による援助を実感され、この家においてお二人が使命を完了するように常に背後から守護し導いていることを知っていただきたいと思います。

 お二人に対する私からの感謝の気持はお分かりいただけるものと信じます。これまで忠実に果たしてこられた使命への献身ぶりに、私はいつも感謝しております。お二人の存在が私たち霊団の使命の達成に掛けがえのない力となっております。

 何度も申し上げてきたことですが、お二人の努力がどれほどの貢献をしているか、あなた方ご自身にはお分かりにならないと思います。

私たちの使命は、こうしてお届けする霊界からの真理の言葉によって地上の人々が本当の自我の存在に気づき、霊的に目覚めるように導くことです。その結果として、地上人生の本来の生き方に立ち戻ります。これはとても大切なことです。

 時には冗談も言い、笑いころげることはあっても、そうした中にあってもなお、私たちが霊的な使命を帯びた大霊の使者であり、達成すべき理想へ向かって刻苦しなければならない立場にあることを忘れてはなりません。

 地上の同志と私たち霊団の者との協調のおかげで、ずいぶん多くの人々に光明をもたらすことができました。これからさらに多くの人々の力になってあげることができることを思うと、やり甲斐を覚えます。

お二人も快活な心と曇りのない精神をもって前進してください。恐れることはありません。盤石不動の真理の上に築き上げた霊的知識をお持ちなのですから。

 これまでにあなた方に啓示され、あなた方の行動と思考の堅固な基盤となっているものを書き改めないといけなくなるような事態は、絶対に生じません。

そういう絶対的な知識を手にされているお二人は、本当に恵まれた方です。その知識を縁あってあなた方のもとに来られる人々に分けてあげてください。

 こうした知識は、弁証法的論理や激論によって受け入れを迫るような性質のものではありません。タネを蒔くということだけを心掛けておればよろしい。幸いにしてそのタネが芽を出せば、その成功を喜ぶのです。私たちも協力しています。これからも協力し続けます。堂々と胸を張って生きてください。

霊力に対抗して人間がいかなる論法を用いても、そんなもので霊力の存在が否定できるものではありません。

 私のことを目に見えざる家族の一員と思って下さい。できるだけ多く、あなた方の日常生活を共にさせていただきたいと思っております。私から提供するのは愛と霊力です。それこそ最高の贈りものです。宇宙の大霊の永遠不滅の恩寵の一部だからです」
℘20
 シルバーバーチの交霊会の生みの親ともいうべき、ハンネン・スワッファーが一九六二年に他界してからは、交霊会は再びバーバネルの家の応接間で行われるようになった。

 ある日の交霊界にテスター夫妻が招かれた。M・H・テスターといえば、心霊治療家としてスピリチュアリズム関係の人の間ではその名を知らぬ人はいないほどよく知られているが、それまでの道のりは大変だった。

長く苦しい闘病生活のあと、テッド・フリッカーという治療家に奇跡的に救われ、そのフリッカーから「あなたも治療ができますよ」と言われ、モーリス・バーバネルを紹介された。

 さっそくバーバネルを訪ねてスピリチュアリズムを知り、さらにシルバーバーチの交霊会にも招かれて教えを受けた。

 その最初の交霊会はテスター夫妻のために用意されたようなもので、テスター氏も思いのたけを披瀝して、教えを請うた。シルバーバーチはその一つ一つにていねいに答えてから、それまでのテスター氏の人生は治療家になるために用意されたもので「あなたは人の病気を治すために生まれてきたのですよ」と言った。

 それから何年になるだろうか。久し振りで訪れた夫妻にシルバーバーチはこう述べて歓迎の意を表した。

 「思い出しますよ、あなたが初めてこの会へ来られた時のこと、そしてその後も何度か出席されて、いろいろと質問されたことを。

難問や苦悶を抱えておられることがよく分かりましたが、私はそのつど〝いずれ解決します〟と申し上げましたが、霊の力は決して見捨てないことが、今こうして振り返ってみるとお分かりと思います。

無限なる英知をそなえた大霊が授けてくださった才能を正しく使っているかぎり、霊力はこれからもあなた方を援助しつづけます。

 私たちはパートナーシップ(連携)を大切にします。私の霊団には居眠りをしているパートナーは一人もいません。みんな活気にあふれ、一体となって働いております。あなた方がたどってこられた道を振り返ってごらんなさい。あの逆境の体験の中で光明を見出されたのです(※)。霊的な虹をごらんになったのです。

あの虹は、あの絶望的な苦境をも霊力はあっさりと切り開いてあげたのだから、これからもいかなる困難も必ずや解決してみせるとの霊団側からの約束のしるしと思って下さい。あなたは立派に使命を果たしておられます。これは、そう簡単にできることではありません」

 ※───その体験をまとめたのが 『私は霊力の証を見た』で、潮文社から拙訳が出ている。〝三大霊訓〟に次いで訳者がぜひ読んでもらいたい一冊である)



テスター 「私が今かかえている問題は、コミュニケーション(語り合い)とは違った意味でのコミュニオン(触れ合い)のことです。治療家としてこのコミュニオンが大切だと思うのですが、私にはそれが実感として感じとれなくて、暗中模索の状態です。

私の治療の仕方は今まで通りでよろしいでしょうか。もし他に試みるべき手段またはテクニックがあれば、教えていただきたいのですが・・・・・・」

 「これはとても大切な問題です。霊が物質と関わり合うには無限といってよい段階があります。その中で、コミュニオンはコミュニケーションに優ります。

 コミュニオンというのは意識の高まり、ないしは深まりがもたらす魂の触れ合いのことで、霊視とか霊聴といった伝達手段によるコミュニケーションよりも実感があります。

 あなたの治療体験を振り返ってごらんになれば、何もしなくても自然に分かるようになってきたことにお気づきのはずです。その証拠に、患者にいちいちどこがお悪いのですかなどと尋ねる必要を感じないまま治療に入っているケースが多いはずです。

 さらには、病気そのものの状態だけでなく、その原因まで直観的に分かってしまうことがあるはずです。それだけ進歩なさったわけです。私の意見としては、霊視や霊聴よりはコミュニオンの能力を発達させるほうが大切だと思います」

テスター 「よく分かります」

 「これはスピリチュアルな手段の最たるもので、そうなることが望ましいのです。といって、私は他の能力がだめだと言っているのではありません。霊的な触れ合いが得られるようになった時は、霊界の相当高い界層にまで入り込んでおります。

 いずれにしても、これまでなかなか立派におやりになってますよ。何も問題はないと思いますが・・・・・・」

テスター 「時には、まったく良くならない人がいて・・・・・・」

「もちろんいますよ。霊的にまだ良くなる段階まで来ていない人なのです」

テスター 「私は私なりの観点から、これでいいのだと勝手に考えて治療に当たっています。ただ、患者の人間性に問題がある場合に・・・・・・・・・・」

 と言いかけたところ、シルバーバーチが遮って、

「言いにくいことですが、あえて言わせていただくと、それはあなたの人間性に問題があることの証明でもあるのですよ(※)。あなたが初めてこの交霊会にお出でになった時、私が、あなたは人の病気を治すために生まれてきたのですよ、と申し上げたら、あなたは、患者に来てもらうにはどうすればよいのでしょうか、とお尋ねになりました。

私は、心配いりません、患者はそのうちやってまいります。多くて困るほどになるでしょう、とお答えしました。今も、競馬でいうと、いい位置につけていらっしゃるんじゃないでしょうか」

※──患者の人間性は治療家の人間性の証であるという考えもシルバーバーチ一流の高度な哲学で、私の師の間部詮敦氏も、どんなに不快な思いをさせられる患者でも、自分の心の鏡として、絶対に拒絶なさらなかった。

間部先生はシルバーバーチのことは何もご存知なかったが、私が師事した期間に見聞きした先生の言動には、不思議にシルバーバーチの思想と相通じるものがあった。とても地味なご性格だったが、スピリチュアリズムの潮流にのって生まれた大霊格者のお一人であったと、今しみじみとその偉大さに敬意を抱いているところである。

 続いてシルバーバーチは夫妻に向かって、

 「私はお二人のお家によくお邪魔しておりますが、お二人ともどうぞこの交霊会にいつでもいらしてください。私は今後もお二人の家をお邪魔して、生活ぶりを体験させていただき、私にできる範囲で援助し、お仕事に邪魔が入らないように配慮いたしましょう。声がしないからといって私がいないと思わないでください。

 あなた(テスター氏)にはまだまだやっていただかねばならない仕事が山ほどあります。それに比べれば、これまでになさったことは微々たるものです。ということは、これからも新たな悟りへの窓が開かれていく可能性があるということです。

そのことを喜ばないといけません。もちろんあなたにとっては辛い試練を意味するものであることは、私もよく承知しております。が、そうした中にあってあなたの魂の安らぎが次第に深まっていくのを見て、私はうれしく思っております。霊的真理にしがみつくことです。強大な霊力は決して見捨てません」

テスター「こうして時折この交霊会で信念を再確認できることは有り難いことです」

「その通りです。神の意志を機能させるためには道具がいります。チャンネルになってくれる人間です。そういう人の協力を得なくてはなりません。命令はしません。あくまでも協調です。協調によって神の意志を成就していくのです。

 難しい問題があり、悩みがあり、時にはうっとうしい気分になることがあっても、あなたは神の豊かな恩寵を受けられた方です。予定された道を歩んでおられます。使命を立派に果たしておられます。人のために役立っておられるということです。それさえ心掛けておられれば、あとは時が至ればすべて落着くべきところに落着きます。

 一かけらたりとも心配の念を宿してはなりません。まったく無用のことです。心配の念は敵です。魂をむしばむ敵です。絶対に侵入を許してはなりません。

これまでに啓示された真理に全幅の信頼を置き、それを基盤とした信念に燃えることです。あなたにはスピリチュアリズムという知識があります。それを基盤とするのです。つまり理性に裏づけされた確信、信じるに足る根拠を持った信念に燃えることです。あとのことは万事うまく行きます。真一文字に進んでください。あなたはあなたなりにベストを尽くしておればよろしい」

テスター 「遠隔治療のことですが、私はこれまで私なりのやり方でやってきて、時たま良くなったとの手紙を貰う程度で、果たしてどこまで効いているのか実感がなかったのですが、今までどおりでいいのでしょうか。改善するとすればどういう点でしょうか」

「今までどおりで結構です。遠隔とはいえ、直接手を触れて治療するのと同じ効果があります。理由は簡単です。あなたに治療を申し込むことによって患者との間にリンク(つながり)ができ、それが霊力の通う通路となります。その通路として霊に使われる以外に、あなたには何もできません。

 つまりあなたは、通信機のような役割を果たすだけです。霊の触媒となるといってもよいでしょう。霊医が合成する治癒エネルギーがあなたという人格を通して患者に届けられるわけです。

効果を上げるためには、あなたの受容力を高めるしかありません。受容力が高まれば、霊団との一体化が深まります。これには時間と努力を要します。

 これまでの経過を振り返ってごらんなさい。霊団との一体化が今までになく深まってきていることにお気づきになるはずです。いかがですか」

テスター 「かつては想像もできなかったほど深まっております」

「それとともに〝悟り〟も深まります。すると今度は〝明察力〟が芽生えてきます。治療家の仕事は手で触れてみることのできないもの、計量器で計ることのできないエネルギーを扱う仕事です。

ですから、察知する能力がいります。そのエネルギーの潜在力は無限ですから、その中から患者に適合した最高のものを調合する必要が生じます。

 霊側から治療家に要求するのは、最善を尽くすということだけです。霊側も最善を尽くし、お互いの協調の中で、医学に見放された人々を救ってあげるのです。

もしもそれで何の反応もないとしても、それは治療家の責任ではありません。患者の責任です。霊的にまだ治るべき段階に至っていなかったということです。こうしたことはみな霊的法則の働きによって自動的に決まることなのです」

テスター 「そのことは理解しております」

「治療を依頼してきた人を片っ端から治すということは、不可能であると同時に、望ましいことでもありません。患者は受けるべき量の援助しか受けません。

その計算は一分一厘の狂いもありません。霊的に計算されるからです。迷わず突き進んでください。あなたの歩んでおられる道は間違っておりません」

テスター 「私のもとを訪れる患者の方も私の自己実現に貢献しているとのだという考えは正しいでしょうか」

「その通りです。一方通行ではないということです。あなたは患者を救い、患者はあなたを援助しているのです。それはちょうど、私がこの交霊会に来て地上の皆さんの一助として働きながら、私は皆さんからの援助を受けているのと同じです。これは協調の法則の一環でして、宇宙はこの協調によって進化しているのです。調和・協調・善意を通して働くのです。

 病気が首尾よく治った時は、それはそれとして素直に喜ぶがよろしい。が、奇跡的な治癒の体験を通して患者の霊的意識が目覚めることになれば、さらに大きな喜びの源泉となります。そのほうが肉体の病気が治るということ以上に大切なことだからです」

テスター 「そういうケースが多くなっています」

「それだけ大霊と協調した仕事をなさっているということですよ。神の力がその目的成就のために、あなたを通路としているのです。伝統的とか正統派をもって任じている教会が行なっていることより、あなたの方がはるかに大切なことをなさっておられます。教会には霊力の顕現の場がないからです。

 これからも神の道具として、いつでもご自分を役立てて下さい。最善を尽くしてください。あなたには奇跡的な体験がおありです。霊団が、サービスにはサービスをもって返すことをよくご存知です。何一つ迷うことはありません」

Tuesday, July 1, 2025

シアトルの夏 さまざまな質問に答える 

Teachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編)
近藤千雄(訳)



〔この章でシルバーバーチは、自殺、安楽死、産児制限、動物虐待などに関する見解を述べている。〕

自殺の問題

〔自殺についてのシルバーバーチの考えは、はっきりしている。地上人生を自ら終わらせることは、完全に摂理に反することである。自殺に対するシルバーバーチの説明によって、次のような質問をした女性は自殺を思いとどまることができた。〕


――愛する人に先立たれた者が、自ら命を絶つことは許されるでしょうか。


いいえ、許されません。摂理の働きは完璧ですから、あなたはそれに忠実に従って生きなければなりません。摂理は大霊によって、すなわち完全なる愛によって統制されています。大霊はすべてのものに存在すると同時に、すべてのものを通して顕現しています。大霊によって統制されている摂理の働きを妨げる権利を有する者はいません。もしあなたが、摂理に反して自ら命を絶つとするなら、その行為に対する代償を払わなければなりません。

例えば、熟さないうちにもぎ取ったリンゴは美味しくないように、あなたの霊に準備ができていないうちに霊界へ行ったなら、長い調整期間の中でその代償を払わなければなりません。愛する人々とも会えなくなります。自殺によって、あなたと周囲の人々との間に隔たりができてしまうからです。


〔この質疑応答は翌週の《サイキック・ニューズ》紙に掲載され、それを読んだ当の女性から次のような礼状が届いた。〕

「司会をされた方がシルバーバーチ霊にお礼を言ってくださったかどうか存じませんが、早々にこのような明解な答えをいただいたことに対して、どうか“あとに遺された者”からの感謝の気持ちをお伝え願えませんでしょうか。正直に言って、回答を読んだときは暗たんたる気持ちになりましたが、今ではお言葉に従って、霊界からお呼びがかかるまで力の限り生き抜く覚悟を決めております。」


訳注――カール・ウィックランドの『迷える霊との対話』(ハート出版)の中に、十年前に自殺をした女性が出現して語っている例が紹介されている。その中で、本当は十年後のその日に死すべき運命にあったものを、摂理に反した死に方をしたために、その日まで苦しみ続けたと述べている。
安楽死は許されるか


〔安楽死についてはスピリチュアリズムの内部でも賛否両論がある。回復の見込みがないと診断された患者を苦痛から解放するために、医者がその命を断つことは許されるはずだという意見と、スピリチュアル・ヒーリング(霊的治療)によって奇跡的に回復する例がある以上、安楽死は認めるべきではないという意見がある。常に「生命は神聖なものである」と主張するシルバーバーチに、安楽死の是非を尋ねてみた。〕


――回復の見込みがない患者を安楽死させる権利を医者に与えるべきだ、という意見がありますが、どう思われますか。


まず申し上げておきたいのは、すべての生命は大霊のものだということです。肉体が衰えて霊がその肉体から解放される時がくれば、人間は自然の摂理に従って死を迎えます。


――医学的処置によって延命することは正しいと思われますか。


間違ってはいません。


――たとえそれによって苦しみを長引かせることになってもでしょうか。


そうです。ただし、忘れてはならないことが一つあります。それは魂が解放される時がくれば、人は必ず死を迎えるということです。地上のいかなる手段をもってしても、摂理を変えることはできません。


――不治の病に苦しんでいる人を安楽死させることは、その患者に霊界または来世(次の地上生活)で、さらなる苦痛をもたらすことになるのでしょうか。


いいえ、そういうことはありません。しかし安楽死は、準備のできていない霊にショックを与え、影響を及ぼすことになります。それによって不要だったはずの調整を、いろいろとしなければならなくなります。


――人間には寿命を引き延ばす力が備わっているのでしょうか。


延命のために努力することは間違ってはいません。しかし、霊が地上を去る時がくれば、あなた方はそれ以上何もできません。


――それでは、延命のための努力は無駄に終わるということでしょうか。


はい、そうです。あなたがおっしゃる医学的処置によって寿命を少しばかり引き延ばすことができたとしても、結局みんな死んでいくではありませんか。


――でも、患者は少しの間であっても生き続けることができます。


患者が反応すればのことです。酸素を与えるという方法もありますが、それにも限界があります。魂が霊界へ行く準備が整えば、あなた方になす術(すべ)はありません。


――死期が決まっていて、魂に準備が整った時に霊界へ行くことになっているのなら、人間の寿命はなぜ、時代とともに少しずつ延びているのでしょうか。


地上人類は進化しているからです。物的なことは霊的なことによって決まるのであって、物的なことが霊的なことを決めるのではありません。
産児制限(避妊)は是か非か


〔シルバーバーチは、人工妊娠中絶に対して断固として反対の立場を主張している。ところで妊娠自体を避けようとするのは、正しいことだろうか。シルバーバーチの産児制限に関する意見を聞いてみよう。〕


――産児制限について、霊界ではどのように考えているのでしょうか。


人間には自由意志と、善と悪を区別する判断力(良心)が与えられています。この問題も最後は“動機は何か”に帰着します。なぜ産児制限をするのか、じっくり考えてみることです。大切なのは動機です。それ以外にはありません。


――生命の誕生を制限するのは摂理に反することなのでしょうか。


霊が地上に誕生することが予定されている場合には、避妊をしない夫婦を通して生まれてきます。摂理は絶対です。夫婦の進化にとって子供を持つことが不可欠な体験であるなら、おのずと新しい生命の誕生を望むようになり、それが妨げられることはありません。


――そうすると、私のもとに子供が生まれてくることが予定されているときには、「子供が欲しい」と思うようになるということでしょうか。


そうです。あなたは、新しい生命の誕生がもたらす影響を必要とする進化の段階に達したということです。


――それは、高い次元での進化ということでしょうか。


いいえ、進化の次元の高い低いの問題ではありません。性的快楽だけを求めて避妊をする人と、そうでない人を明確に区別しなければなりません。私が賛成しないのは、利己的な動機からの避妊です。


――生まれてくる子供にとって好ましくないという考えからの避妊については、どうでしょうか。


それが動機ということではないでしょうか。すべてのことに動機が問われます。摂理をごまかすことはできません。行為の一つひとつ、思念の一つひとつ、願望の一つひとつが、あなたの魂のオーラに刻み込まれます。霊界の人々には、あなたのすべてがはっきりと分かるのです。あなたの魂は、彼らの前では丸裸です。あなたが地上で抱いた動機のすべてが、霊界人には知られているのです。


――女性が妊娠したあと、霊はどの時点で胎児に宿るのでしょうか。


納得できない方も多いと思いますが、精子と卵子とが結合してミニチュアの形で個体(媒体)ができ上がったときから、その霊にとっての地上生活が始まります。


――精神障害者の場合には、地上生活が無駄になってしまいます。その障害によって何も学ぶことができないからです。障害が遺伝的なものである場合には断種(不妊手術)ということも考えられますが、霊界側ではそれをどう見ているのでしょうか。


私はもとより、宇宙のいかなる存在も、生命の摂理を変えることはできません。一個の魂に物質界へ誕生する準備が整えば、かならず誕生します。あなた方は「なぜ?」と尋ねるでしょう。そこで私は「再生」を説くのです。そこに理由があるからです。
動物ヘの虐待行為


〔摂理を犯しておいて“知らなかった”では済まされない。人間や動物に無用な苦痛を与えることは摂理に反しており、どのような言い訳をしても、その代償はいずれ払うことになる。以下は動物虐待についての質疑応答である。〕


――無力の動物に対してひどい苦痛を与えるような実験がますます増えていますが、どう思われますか。これを中止させようと運動している人々もいますが、彼らは霊界から援助を受けているのでしょうか。


人のためになる仕事をしようと努力するときには、必ず霊界からの働きかけがあります。彼らを鼓舞し、霊力を与え、その仕事を援助します。動機は何であれ、大霊によって生み出された動物に苦痛を与えることは間違っています。とは言え、動物実験に携わっている人の中には、摂理に対する無知からそれをしている人がたくさんいることを忘れてはなりません。「人類のため」という動機からの行為なのですが、摂理に反していることには変わりありません。


――でも、あなたは動機がいちばん大切であると何度もおっしゃっています。人類のためと思ってしていることでも、摂理に反した罰を受けるのでしょうか。


たしかに動機は間違ってはいないかもしれませんが、摂理は変えられません。動物に苦痛を与えていることを知りながら実験を続けるのは、責任を自覚しているということです。「人類のため」という動機はよいのですが、動物に苦痛を与えているのは事実です。そうした点を総合的に考慮したうえで判断が下されます。いずれにせよ、私としては苦痛を与えるということには賛成できません。


――動物は人類を助けるために地上に生まれてくるのでしょうか。


はい、その通りです。同時に人類も動物を助けるために存在しているのです。


――人類のためというのが、動物を創造した唯一の目的ではないと思うのですが……。


そうです。動物を創造した目的の中に「人類のため」ということも含まれているという意味です。


――動物の生体解剖は動機が正しければ許されると思いますか。


いいえ、許されません。残酷な行為がどうして正当化できるでしょうか。苦痛を与え、悶(もだ)え苦しませておいて、どうして正義と言えるでしょうか。それは、私たちの教えとはまったく相容れません。無抵抗の動物を実験台にすることは間違いです。


――動物を実験材料とした研究からはガンの治療法は発見できないという考えに、同意されますか。


地上では、摂理に反した生活によって引き起こされた病気に対する治療法を考え出すことはできません。すべての病気に対する治療法は、いずれ発見されるでしょうが、それは動物実験からは見つけ出すことはできません。


〔シルバーバーチは、いかなる生命も神聖なものであることを繰り返し説いている。ある日の交霊会で狩猟が話題となり、メンバーの一人が質問した。〕


――キツネ狩りは間違っているのでしょうか。


すべての生命は大霊のものです。いかなる形にせよ生命を奪うことは許されません。


――でも、ウチのニワトリを二十羽も食い殺したのですが……。


もし私が、そのキツネに銃を与えて、二十羽もニワトリを食べたあなたを撃ち殺せと命令したらどうなりますか。大霊は地上のすべての子供たちに、十分な食べ物を用意してくださっています。人間が飢えに苦しむのはキツネが悪いのではなくて、人間自身の考えが間違っているからです。

地上人類がもっと進化すれば、すべての野蛮な欲望は消滅することでしょう。あなたがキツネやニワトリをつくることができるなら、それらの生命を奪い去ることも許されるでしょう。あなたがキツネやニワトリを殺すことが正しいと言うなら、同胞を殺してもいいということになります。しかし、生命は人間のものではありません。大霊のものです。生命を奪う者は、いつかはその責任を取らなければなりません。


――オーストラリアではウサギの異常繁殖が脅威となっていますが、これについてはどうでしょうか。


人間は本来そこにあるべきではないものを勝手に持ってきて、それがもたらす悪い結果に文句を言います。それは私の(地上時代の)国にやって来た白人ついても言えます。白人は、自分たちにとっては良いものであっても、インディアンにとっては良くないものを持ち込みました。

戦争も白人がもたらしました。また火酒(かしゅ)(ウィスキー・ジンなどアルコール分の強い酒――訳注)やその他、インディアンに不幸をもたらす多くのものを持ち込みました。白人がやってきて、人を撃ち殺すことは正義であるかのように吹聴するまで、インディアンは銃で人を撃ち殺すことなど知らなかったのです。

そのうちあなた方は、宇宙のあらゆる生命体――動物も小鳥も魚も花も――が大霊の計画の一部を担っていることを理解するようになるでしょう。大霊の創造物として存在していることを認識するようになるでしょう。


〔シルバーバーチは、スピリチュアリズムには三つの重要な内容があることを述べている。その一つは心霊能力、一つはサービス(奉仕・利他愛の実践)、そしてもう一つは霊による導きである。〕
霊媒能力・心霊能力について


〔霊媒能力には二つの側面がある。霊的世界に対する感受性と、それを他人のために役立てるという責任である。シルバーバーチは、霊媒能力を持った交霊会の参加者に、次のように語った。〕


あなたはこのサークルに参加することによって、大霊のサービス(愛)を受け入れることになりました。あなたは霊媒能力を持っています。どうかそれを人のために活用してください。大霊が子供たちに与えた霊力は、他のすべての人々のために活用されなければなりません。もし、あなたがその霊力を間違って用いるなら、大霊に背くことになります。それは大霊に至る道を閉ざし、あなたの人生を狂わせることになります。霊力を小さなビンの中に閉じ込めておくことはできません。霊力を閉じ込めようとするなら、ビンは破裂してしまいます。

あなたは、自分の持っている霊力を摂理にそって正しく用いなければなりません。摂理は大霊によって造られたもので、それを私がつくり変えることはできません。大霊の摂理は、すべての子供たちが幸せになるためにもうけられたものです。ところが人間は、自分たちは親(大霊)よりも優れていると自惚(うぬぼ)れて摂理に背くようになったために、地上にはさまざまな問題が発生するようになったのです。


〔世間の人々から非難され、落胆している女性霊媒に対して、シルバーバーチは次のように語った。〕


あなたは、非常に強力で優れた指導霊の導きを受けています。もし、あなたが指導霊に対して完璧な信頼と信念を持つなら、すべてがうまくいくようになります。あなたは大霊の道具ですが、自由意志も持っています。人間は皆、大霊から自由意志を与えられているのです。どうか、あなたが手助けできる多くの人々がいることを忘れないでください。あなたを通して素晴らしい霊力が活用されることになるのです。その霊力の働きを信じてください。霊力は、あなたの前途に立ちはだかるあらゆる障害物を取り除いてくれます。

あなたはとても感受性が豊かな方です。あなたは霊媒としてさまざまな悩みを抱えていますが、それはすべて大霊の摂理にそって発生しているのです。私は、今あなたが味わっている苦痛を、あなたに代わって背負ってあげたいと思っています。そうした私の思いを察してください。

大霊の子供たちが食べる物に不自由し、飢えに苦しむ姿を見て、私たちが平気でいられると思いますか。人々が病気で苦しむ姿を見て、安穏としていられると思いますか。戦争によって肉体から無理やり魂が引き裂かれていく様子を見て、じっとしていられると思いますか。地上世界の悲劇に目をつぶっていることはできません。私たちは、地上世界を立て直すためには唯一、この方法(サービス・利他愛の実践)しかないことを知っています。

私たち霊界の者が、地上世界の問題を取り除くことはできません。地上人自身の努力によって、新しい世界を誕生させなければなりません。霊的世界に対する感受性の鋭い人間(霊媒・霊能者)は、地上世界の悲しみをより強く感じ、心を痛めるという犠牲を払うことになります。

どうか、物質的なものではなく、霊的なものに目を向けてください。そうすれば、あなたは大霊の光に包まれ、いずれ朽ちていく肉体の奥にある不滅の霊を傷つけるものは何もないことを悟るようになるでしょう。あなたを取り巻く環境は、あなたの身体に何らかの影響を及ぼすかもしれませんが、それが大霊の賜物(たまもの)である霊を傷つけるようなことにはなりません。

もしあなたが、物質的なものに過度の関心を持たないようにするなら、物質よりはるかに繊細な霊に対する感受性を高めることができるようになります。目に見える物質的なものではなく、目に見えない霊的なもの、大霊と永遠なるものに信頼をおいてください。

私は、これまで自分の霊媒(バーバネル)が苦しむ姿を見てきました。以前にも彼の苦しみについてお話ししたことがありましたが、それを見て私が涙を流してきたことをあなたはご存じでしょうか。私は、彼の重荷のすべてを代わって背負ってあげたいと思いました。しかし私は、人間は苦しみを通して魂が浄化されることになるという大霊の摂理を知っています。

あなたはとても感受性が豊かな方ですから、それに見合った苦悩を味わうことになります。最強の霊力と大霊の完璧な愛が常にあなたとともにあり、それがあなたを通して他の人々に流れていくようになるということを、忘れないでください。霊界の者たちは、あなたに最高の叡智による助言を与え、進むべき道を示し、その霊力によって支えます。私たちは常に、地上世界の嵐と困難からあなたを守り、安らぎの場へと導きます。

あなたは、今の立場に留まっているべきです。霊力は活用されなければなりません。霊力を閉じ込めてしまってはいけません。

あなたは光と影が存在する物質界に生きています。あなたの住んでいる世界は、私たちの世界とは違います。あなたは影の中にいるときは光を忘れ、光の中にいるときは影を忘れてしまいます。雪が降ると寒すぎると言い、太陽が照ると暑すぎると言います。

下を向くのではなく、どうか常に太陽を見上げてください。地上人生において悲しみや喜びの体験を積むまでは、あなたは真の霊媒(高級霊の道具としての霊媒)になることはできません。自分が暗闇の中にいると感じたときには、それは影にすぎず、いずれ消え去るものであることを思い出してください。太陽の光は、あなたの内部に存在する霊の宝を再び輝かせることになるでしょう。
サービス(奉仕・利他愛の実践)の摂理について


〔高級霊たちは常に、サービス(奉仕)の重要性を強調する。サービスによって個人の霊的進化が促され、同時に新しい世界の夜明けがもたらされると言う。高級霊たちはサービスの必要性を説くだけでなく、自ら率先してサービスを実践している。ここでは、シルバーバーチがサービスについて述べた箇所を抜粋して紹介する。繰り返しサービスの重要性を訴えるシルバーバーチの言葉は、それを実践しようとする者にとって大きな励ましとなるであろう。〕


■私たちは、あなた方にサービス(奉仕)をするためにここへやって来ました。もし私たちが一人の人間の魂を引き上げることができたら、もし傷ついた身体を癒し、落ち込んだ魂に勇気を与えることができたら、もし新しい希望と信頼をもたらし、悲しみの涙が流れているところに微笑みをもたらすことができたら、そのとき私たちは大霊に奉仕したことになります。そして地上の道具(同志)を与えられ、彼らを通して傷ついた大霊の子供たちに奉仕できることに感謝を捧げます。


■皆さんは時に、奉仕することにうんざりしてしまうことがあるかもしれません。奉仕の喜びが感じられず、疲れきってしまうことがあるかもしれません。私たち霊界の者は、自分たちへの賞賛は一切求めません。私たちは、摂理の働きを通して大霊に奉仕しようと努めています。そして皆さんに、摂理を活用すれば地上に調和と健康と幸福がもたらされるようになることをお教えしようとしているのです。


■私は、できるかぎりあなた方に奉仕したいと思っています。わずかではあっても光をもたらし、皆さんが人生についての真の教訓を学ぶことができるように手助けしようと努めています。霊的知識によってあなた方の魂は強化され、大霊から託された使命を達成することができるようになります。


■私たちは、ひたすら奉仕に励んでいます。どのような呼びかけにも、どのような要請にも、お応えします。私たちは、あなた方の役に立つことだけを願ってここにいるのです。口先だけでそう言っているのではありません。私たちが奉仕に努めているのは、それを通してのみ大霊を顕現させることができるからです。


■神学者たちは、不可解な神学理論や教義をつくり出してきました。そしてそれが、人類に懐疑と当惑と混乱をもたらすことになりました。宗教のエッセンス(本質)は“サービス(利他愛の実践)”という一つの言葉で表現されます。


■自己を忘れてひたすらサービス(利他愛の実践)に励む人は、大霊を顕現させています。“サービス”――それは現在の地上世界が、最も必要としているものです。それゆえ私たち霊界の者は、地上人にサービスの重要性を訴え、自らサービスの実践に励んできたのです。あらゆる霧と暗闇、懐疑と恐れ、悲しみと争い、苦しみと痛みの背後には、サービスを通しての霊的成長という永遠の目的があることを忘れてはなりません。


■皆さんは、大霊の意思を地上で実現するための“大霊の僕(しもべ)”です。その務めを果たす中で、多くの人々の人生に新しい希望をもたらし、同時に皆さん自身もさらなる幸福を手にすることになるのです。あなた方は、強大な霊力が地上に降りる手助けをしています。大霊の摂理が働くための援助をしています。地上世界の悲しみと不幸を一掃するための奉仕に携わっているのです。


■あなた方の背後にあるのは、全生命の始原である大霊の力であり、それは宇宙で最強の力です。あなた方は、その大霊の力が地上界に顕現するための手助けをすることができるのです。他人の魂を引き上げてあげること、励ましの言葉をかけてあげること、霊的であれ物質的であれ奉仕をすることが大切なのです。心から喜んで奉仕に専念することで、あなた方は真の大霊の道具となれるのです。


■大霊の子供たちに奉仕しないで、どうして大霊に奉仕することができるでしょうか。地上世界は表面的な言葉や肩書きやラベルにとらわれ過ぎています。私が重要視するのはサービス(奉仕・利他愛の実践)だけですが、地上では政治や経済や社会を論じる学問が大切にされています。しかし、それらは単なる知識にすぎません。あなた方が人々のための奉仕に励むなら、それが「真の宗教」なのです。


■地上世界での身分の高い低いは重要なことではありません。もしあなた方が、たった一個の魂であっても引き上げることができるなら、暗闇の中にいる人に光を届けることができるなら、無知の牢獄の中にいる人を解放することができるなら、あなた方は大霊に奉仕していることになります。飢えている人に食べ物を与え、のどが渇いている人に水を与え、そして戦争ではなく平和をもたらすことができるなら、あなた方はまさしく大霊に仕えていることになるのです。
霊界からの指導の実際


〔地上へメッセージ(霊的真理)を伝えることが何より重要であるとするシルバーバーチは、自分自身のことについてはほとんど語っていない。しかし地上人類のために大きな犠牲を払って働いている他の指導霊たちについては、時おり述べている。その中からいくつか拾ってみた。〕


――指導霊は、すべての国で、さまざまな分野に働きかけているのでしょうか。


はい、そうです。しかし、試行錯誤の中で何とか継続しているというのが実情です。その原因は、せっかく目星をつけた道具(霊能者)がどこまでこちらの期待に応えてくれるかは、前もって判断できないからです。最後の段階で堕落して使いものにならず、何十年にもわたる努力が水の泡となることがあります。今この時も、物質界の至るところで、こちらからの反応に応えてくれる人間を見いだし、霊界からの影響力を及ぼそうと働きかけている霊が大勢いるのです。


――指導霊たちは、人類の進歩に関わる運動(スピリチュアリズム)に働きかけているのでしょうか。


物質界の進歩のために役立つ仕事をしている人々には、それに拍車をかけて発展させようとする霊団が援助します。善を志向する努力が、無駄になることは決してありません。人類を向上させたいと願っている人、人類への奉仕を切望する人、大霊の子供たちの苦しみを取り除くために戦っている人の背後には常に多くの霊が待機しているのです。


――政治体制の異なる国々、例えば民主主義国家と、独裁主義国家の背後で働いている指導霊たちの関係はどうなっているのでしょうか。


あなた方は、本来は言葉を“道具”として使用すべきところを、逆に言葉の“奴隷”になっています。私たち指導霊の全員が、大霊の摂理をすべての子供たちに教えようとしています。どこにいようと、誰であろうと、大霊の摂理はその子供たちを通して働くからです。霊的成長のレベルがそれぞれ異なっているため、私たちの働きかけが必ずうまくいくとは限りません。手こずることもあります。しかし私たちは、選んだ道具を用いて最善を尽くすしかありません。その際、道具となる人間のラベルは問題ではありません。私たちは、どれだけ役に立つかということだけを考えて働きかけているのです。


――指導霊から積極的な働きかけを受けている人が、それに気づかないということがあるでしょうか。


大いにあります。その事実を知っている方が、知らないままでいるよりも協力関係を強化することができます。


――指導霊の存在を知ることによって、もっと霊力を受けやすくなるのでしょうか。


指導霊の存在を知っていれば、その人間と霊との関係はより親密になります。知らずにいるよりは知っている方が好ましいのです。光が得られるというのに、暗闇にいたいと思う人がいるでしょうか。飲み物があるというのに、どうして渇きを我慢する必要があるのでしょうか。


――指導霊は、決まった霊媒以外の指導をしないのはなぜでしょうか。


そうした質問を聞くと、私たちがこの交霊会を催すために、いかに複雑な方法や手段を駆使しているかが理解されていないことが分かります。私が、この霊媒(バーバネル)を通して使命を果たすために何十年にもわたって準備してきたことを、皆さんはよくご存じのはずです。誰かの要望に応えて、別の霊媒を長い期間をかけてもう一度、養成するようなことはいたしません。


訳注――この回答は、シルバーバーチはなぜよその交霊会に出ないのかとか、どこそこの交霊会にシルバーバーチが出たというのは本当か、といった風評を念頭において述べている。


――霊媒の中にはサイキック能力を十分に発揮できずに、うつ病や精神のトラブルで苦しんでいる人がいるのはなぜでしょうか。


霊体と肉体が不調和状態に陥ったことが原因です。
インスピレーションについて


〔インスピレーションの存在はよく知られているが、その一方で最も信憑性の低い霊媒現象と見なされていることも事実である。人間は死後、思念の伝達を用いて仕事を続けることになる。また、インスピレーションとして自分の思念を地上人の意識に印象づけることができる。そうした霊からのインスピレーションを受け取った地上人によって、多くの仕事がなされてきた。以下は、インスピレーションに関するシルバーバーチのコメントである。〕


「奉仕をしたい」との思いを持って霊界に来た者は、思念の力を用いて地上世界に影響力をもたらす方法を学ぶようになります。地上人類を向上させたいと願う霊たちの強い思念が、地上界に多くの恩恵をもたらすことになります。私たちは、地上人のために奉仕をしたいと考える新参霊たちに、真理普及の戦いに役立つように意識集中の方法を教えます。彼らは肉体的な感覚はすでに失っていますが、その存在自体が地上人にとって助けとなるのです。こうして彼らは私たちと一緒に、あなた方を援助する仕事に携わることになるのです。
質疑応答


――例えば新聞記者などある種の能力を身につけた人間は、すでに他界している、かつて地上で同じ仕事に携わっていた霊から、援助や導きを受けるようになるのでしょうか。


はい、なります。地上世界でもこちらの世界でも、いったん身に付けた能力が失われるようなことはありません。地上世界で発揮していた才能は、霊界に入ってからも進歩していきます。そしてさらに向上すると、自分と同じ才能を持った地上の道具を見つけたいと思うようになります。地上で同じ能力を発揮している人間に働きかけることによって、自分の才能をよりいっそう進化させたいと望むようになるのです。

地上人は、霊界からのインスピレーションを無意識のうちに受け取ることもあれば、意識的に受け取ることもあります。霊的感受性が強い人間は、霊界から送られてくる思念をインスピレーションとして受け取り、それを意識の中に強く印象づけることになります。


――インスピレーションは、集合的存在(類魂)から送られてくるのでしょうか。それとも一人の霊から送られてくるのでしょうか。


両方のケースがあります。


――偉大な詩人や画家などは、霊界からのインスピレーションによって作品をつくり上げていると言われますが、それが事実であるなら、地上人のアイディアにはオリジナリティーがあると言えるでしょうか。


私は、(宇宙の)始まりについても終わりについても何も知りません。大霊は生命であり、生命は大霊です。あらゆる生命の種子が、大霊によって蒔かれています。宇宙に存在している万物は、私の知るかぎり、過去にも常に存在し、そしてこれからも存在し続けます。あなた方は大霊の一部であり、その肉体の奥に大霊の分霊が埋め込まれています。あなた方は大霊のミニチュアであり、それぞれの魂の進化に応じて大霊が有するすべての力にアクセスすることができるようになります。

人間は自らの力で何ひとつ創造することはできませんが、大霊が創造し与えてくれたものに働きかけたり、形づくったり、積み上げたり、向きを変えたり、改良したり、美しくしたり、結びつけたりして、自分たちが住んでいる地球とそれを取り巻く宇宙をより良い所にすることができます。大霊は、子供である人間にあらゆる素材と道具を準備してくださいました。人間はそれらを用いてさまざまなものをつくり上げることができますが、素材を創造することはできません。
催眠術のメカニズムと危険性


――催眠術は研究の対象に値するものでしょうか。


催眠術師が善意の人で、自分の能力を人のために役立てたいという願望から発しているのであれば、よいことです。しかし催眠術というのは、魂の隠れた能力のほんの表面を軽く叩いている程度のものにすぎません。


――催眠術師が接触するもの(潜在能力)とは何なのでしょうか。


自己を超えたもの、つまり内在する大霊と同じものです。私は、これまで何度もあなた方に対して、自分の内部に存在している力を自覚しそれを発揮するなら、克服できない困難はないと申し上げてきました。“隠れた能力”とは、その力のことです。高いバイブレーションに自分を調和させること、より良い奉仕の人生を送ること、そして霊的向上をすることによって、その力を発揮することができるのです。あなた方は、世俗的になればなるほど、より低いバイブレーションに反応するようになります。反対に自己犠牲の思いが高まれば高まるほど、より高いバイブレーションに反応するようになり、内部の大霊(神性)が発揮されることになるのです。


――その内部の神性というのは、理性的な思考と行動をする自我意識が独立したものでしょうか。


いいえ、違います。今のあなたは物的身体を通して発現している精神(意識)によって支配されています。地上で生活している間は、そうなっているのです。それが催眠状態になると違ってきます。催眠術師は言わば看守のようなもので、牢のカギを開けて囚人を解放することができます。催眠術師が善意からそれ(催眠術)を行うのであれば、潜在している神性を刺激することになり、良いことをしたと言えるでしょう。しかし催眠術は、内部の獣性を刺激することもあるのです。いずれにしても、あなた方が地上で発揮している意識は、死後に発揮することになる大きな意識のほんの一部にすぎないことを知っておいてください。


――そういうことを聞かされると、いささか不満を感じてしまいます。


そうでしょう。しかし、不満に思うのはけっこうなことです。自惚れから生じる自己満足は進歩の妨げとなります。


――催眠術は霊媒能力を発達させるための手段になるでしょうか。また、あなたはそれを奨めますか。


それは、これまでも言ってきたことですが、いったん霊媒に指導霊が付くと、地上の催眠術師の出番はなくなります。霊媒が指導霊の霊力を受けるようになると、催眠術による影響力は及ばなくなります。霊媒能力の開発は交霊会から始めて、徐々に霊力の影響を受けていく方がよいと思います。


――催眠術を霊能力開発の近道とは考えておられないわけですね。


そうです。霊能力開発に“近道”はありません。これは魂とその能力に関わることです。地上人の霊的能力が今日の段階まで発達するのに何百万年もかかっています。これまで地上世界に不幸が絶えなかったのは、霊的な側面を無視してきたからです。霊に関わることは、慎重な養成と、ゆっくりとした成長が必要とされます。
シルバーバーチ、思想家“トマス・ペイン”を賞賛する


〔“昨日の悪者は、今日のヒーロー”――一九三七年、シルバーバーチはかの有名な思想家(社会改革者)トマス・ペインの生誕二百年にあたってこの言葉を引用し、次のように述べた。〕


本日は、かつて霊力に満たされて、抑圧され虐(しいた)げられていた人々の立場を向上させるために戦った一人の偉大な人間に賛辞を捧げる日です。彼は生前、社会から理解されることはありませんでした。彼は、悲惨な環境の中で力を失い、落胆している人々を引き上げるために苦闘しました。あらゆる不正と戦い、人間が本来、享受すべき恩恵について人々に教えようとしました。

当時の上流階級の人々は、彼(トマス・ペイン)を敵視しました。しかし彼は、霊力に突き動かされていたため、さまざまな困難に勝利しました。彼は人々から軽蔑され、拒絶され、迫害されましたが、その仕事は今も生き続けています。

どうか、そうした彼の生き方から教訓を学んでください。今、皆さんがしていることは、彼の仕事とつながっています。皆さんも人々から妨害され、敵意や反感を受けていますが、今皆さんが伝えようとしている真理は、当時、彼が人々に教えようとしていた真理と同じものなのです。あなた方もペインと同じように、霊的な、そして物質的な自由を獲得するための戦いにおいて、最大の味方であるはずの人間から反対されるようになるかもしれません。しかしあなた方の仕事は、今後も生き続けます。なぜならその仕事には、「大霊の認証」というシールが貼られているからです。

その神聖な仕事を進めるためには、善意を持った地上の人間が必要です。私たちは、現在の地上界のリーダーには期待していません。私たちは、階級や民族、人種や宗教を問題にしてはおりません。携わっている仕事が真の奉仕であるかどうか、人々の魂を引き上げ手助けをするものであるかどうかだけを見ているのです。

今日は、霊力に鼓舞されていた一人の社会改革者に、あなた方と私たちの世界から賛辞を捧げ、重要な教訓を学ぶ時です。地上人は、彼の仕事を単なる過去のものと考えていますが、私たちは、奉仕に対して情熱を抱いていた彼の魂を評価しています。彼は私たちの世界へ来てからも、奉仕を続けています。今も、大勢の大霊の子供たちの生活を改善するために全力で戦い続けているのです。

地上世界は奇妙な所です。昨日の悪者が、今日のヒーローになります。そして今日のヒーローが、しばしば明日の悪者になります。今の時代において軽蔑されている人間は、やがて訪れる時代には賞賛されることになるでしょう。

宗教家を自認する人間の視野は、何と狭いことでしょうか。彼らは、自分たちの宗教のまわりに教義の分厚い壁を築き上げています。そして自分たちの教義に同意し、壁に囲まれた狭い世界(教会)にやって来る人間以外は皆、拒絶します。彼らは、「壁の外には無神論者がおり、壁の内側には神によって選ばれた宗教的な人間がいる」と言います。

しかし、本当に宗教的な人間とは、人々を向上させるために戦い、悪を正し、障壁を打ち砕き、無知を追放し、飢えを駆逐し、スラムを根絶しなければならないと考える人のことです。そうした人こそが、真に宗教的な人間なのです。人類への奉仕(サービス)のために人生を捧げることだけが、宗教的な生き方と言えるからです。

私は今日まで、皆さんが知っておくべき霊的真理をシンプルな言葉で説いてきました。霊的真理に新たに付け加えるものは何もありません。今、地上人に必要とされているのは、霊性を発揮して、霊力をもっと容易に受け入れられるようにすることです。現在の地上人類は、あまりにも霊力を否定しています。


訳注――トマス・ペインは、英国生まれの思想家・著作家で、一七七四年に渡米。一七七六年に『コモン・センス』を著して、アメリカ独立の気運を高めた。フランス革命を擁護した『人間の権利』も、よく知られている。
霊とは何か


〔霊魂とは何か。科学者は霊魂の存在を認めないし、正統派を主張するキリスト教会はそれについて何も知らない。シルバーバーチは、霊魂とは大霊の分霊であると明言し、私たち人間と大霊は、その分霊によって常に結ばれていると言う。〕


――人間の物的身体は何によってコントロールされているのでしょうか。また、それはどこに位置しているのでしょうか。


私はそれがどこにあるのか知りませんし、見つけ出すこともできません。科学者たちは、肉体を解剖すれば隅に隠れている霊魂を見つけることができると思っています。あるいは霊魂は血管の中を流れていたり、どこかの臓器に隠れていると考えています。しかし霊魂は、肉体のどの部分にも存在してはいません。


――でも霊魂は、肉体の内部にあるのではないでしょうか。


霊魂は、内部にあるとか外部にあるとか言えるようなものではありません。霊魂はすべての場に充満しています。霊魂とは意識のことであり、肉体によって制約されるものではありません。それは無限の広がりを持つと同時に、進化の頂点にまで至ることができます。そして一瞬のうちに地上をめぐることができるものなのです。あなた方が霊的身体で遠い所に赴くとき、霊魂はどこにあるのでしょうか。こう言うと、あなた方は地上の距離感覚で想像するでしょうが、私たちにはそうした感覚はありません。霊魂によって制限される空間はないのです。


――「魂(ソウル)」と「霊(スピリット)」の違いは何でしょうか。


私は、それらをどう呼ぶかにはこだわりません。あなた方の辞書は私がつくったわけではありません。私の言う魂とは、内在する大霊のことです。霊とは、魂が顕現するための身体です。しかし他の人は、私とは違う意味でそれらの言葉を用いています。(シルバーバーチ自身も逆の使い方をしていることがある。シルバーバーチはここで「分霊」を「魂」と表現し、「霊体」を「霊」と表現している――訳注)


――顕現するための身体という表現はともかく、霊(スピリット)とは何なのでしょうか。


霊とは、あなた方の言う神、すなわち大霊の一部であり、媒体を通して自己を顕現しつつ、より高みを目指してどこまでも向上していくものです。霊は、媒体を通して顕現することで初めて知ることができるものであり、顕現していない霊について知ることは不可能です。


訳注――「霊」という言葉には、いろいろな意味がある。例えば、人間の本質である「分霊」を「霊」と言う一方、死後の人間(他界者)のことを広く「霊」と呼んでいる。日本人は圧倒的にこの使い方が多い。また意味不明のまま「霊魂」という言葉を用いることもある。

ここでは質問者が、人間の霊的要素についての認識が乏しいところから質問しているため、シルバーバーチの答えも、それに合わせようとして矛盾が生じている。質問者と、それに答えるシルバーバーチとの間に用語の使用の点で混乱が見られ、錯綜した質疑応答となっている。さらに編者のオースティンが魂(霊魂)という言葉を用いて解説しており、いっそう理解しづらい内容となっている。


――良心(コンシャンス)とは何でしょうか。


良心は魂の一部であり、正しいことと間違ったことを区別します。良心はハカリのようなもので、あなた方はそれによって善と悪を判断することができるのです。良心とは、魂の指針なのです。


訳注――別のところでシルバーバーチは次のように述べている――「地上においても霊界においても、道徳的・精神的・霊的問題に関連してある決断を迫られる事態に直面したとき、正常な人間であれば“良心”が進むべき道について的確な指示を与えるというのが私の考えです。大霊によって植えつけられた霊性の一部である良心が瞬間的に前面に出て、進むべきコースを指示します。問題はその指示が出たあとから、それとは別の側面が出しゃばり始めることです。偏見がそれであり、欲望がそれです。良心の命令を気に食わなく思う人間性がアレコレと理屈を言い始め、何か他に良い解決策があるはずだと言い訳をして、しばしばそれを正当化してしまいます。しかし、いかに知らぬふりをしてみても、良心の声が最初に最も正しい道を指示しています。」
オーラとは


――オーラとは何ですか。


オーラは、身体が発するバイブレーションによって構成されています。一口にオーラと言っても多くの種類がありますが、地上世界で知られているのは肉体のオーラと霊体のオーラです。すべてのものがオーラを放射しており、意識のない物体でさえオーラを放っています。人間のオーラは身体が発するバイブレーションによって成り立っており、身体の状態を反映しています。オーラが見え、その意味を読み取れる霊能者は、オーラを放射している人の秘密のすべてが分かります。健康状態も分かりますし、魂と精神の状態や魂の進化の程度も分かります。オーラは開かれた本のように、さまざまな情報を示しています。

オーラには、あなたがこれまでに言ったこと、思ったこと、行ったことのすべてが刻み込まれています。それを読み取れる人には、上辺(うわべ)のあなたではなくて、本当のあなたが分かるのです。この意味でオーラは、永遠の判事と言えます。


――あなたの説明には、霊体のオーラも含まれているわけですね。


はい、そうです。肉体のオーラには、健康状態とか気質とか習性など、肉体に関連した情報が示されています。肉体の状態によってオーラの色彩は、さまざまに変化します。
幽霊とは


――修道院の回廊を、かつてそこで生活していた修道僧が歩き回っていたという幽霊話をよく耳にしますが、その正体は何でしょうか。


幽霊の出没は霊の仕業によるものもありますが、今おっしゃったようなケースは、地上に残されているエーテル質の像(幽質の外皮)が、強い思念を受けて一人歩きをしているものです。しかし一般に「幽霊が出た!」と騒がれる場合は、いわゆる地縛霊の仕業です。


訳注――マイヤースの『永遠の大道』の一節に〈遺像〉または〈殻〉という項目があって、幽霊話について次のように説明している。

「遺像というのは地上の旅人が死とともに捨てる殻のことで、マントに譬えられないこともない。その遺像を再び活性化するのは(地上時代の)憎しみや感情である。背後にその種の怨念や観念があって、それがその遺像と結びつくからこそ意味もなく動き回るのである。つまり宇宙の遠い彼方に、地上時代に惨い死に方をした者、殉教した敬虔な修道士や修道女などの霊がいて、ふと当時のことを思い出したときなどに、その強烈な念が遺像に感応して一時的に生気を与えるというわけである。

その“ふと思い出す”のは、活発な霊的生活の中で一呼吸入れて休息しているときなどである。過去世の因縁の糸がたぐり寄せられて古い情景が浮かぶのであるが、あくまでも“ふと思い出す”程度のことであって、その当時の無念の思いはすっかり消えている。が、その一片の思念が地上に残した殻を動かし、かつての建物や土地をノソノソと歩かせるということが、現実に起こり得るのである。」
時間は実在するか


――時間は実在するのでしょうか。それとも人間がつくり出したものでしょうか。


時間は、人間がつくり出したものではありません。時間にはいくつもの次元があります。時計で計る時間は人間がつくったものですが、時間そのものは実在します。空間も実在します。ただ、あなた方の視点は限られているため、計測する時間と空間は正確ではありません。あなた方が他の視点からの知識を持つようになれば、その見方はより真実に近づきます。
精神障害と魂の進化の関係


――身体的障害のために、肉体が霊的自我の欲求とは正反対の行動を取ることがありますか。


はい、あります。精神障害者の場合がそうです。しかし、この場合は魂の進化に影響を及ぼすことはありません。物質界での表現が阻害されるだけです。魂の進化と、地上的制約の中での魂の表現は別であることを考慮しないといけません。
憑依の原因


――邪悪な地上人生を送った者が、死後にもまったく良心の呵責を感じないということはあるのでしょうか。


よくあります。何百年、時には何千年もの間、良心呵責を感じないままいることがあります。


――そうした霊が地上の人間に取り憑くということがありますか。


もし、両者の間に親和性(因縁)があれば、それは起こります。憑依現象というと一方的に霊の側に責任があると考えがちですが、実際は地上の人間に原因があることを知らないといけません。憑依されるような条件を用意しているのは人間の方なのです。調和のとれた生活、正しい心がけと奉仕の精神にあふれた生活、我を張らず、欲張らず、独りよがりにならない生活を心がけていれば、憑依現象は絶対に起きません。
植物に意識はあるか


――花などの植物にも意識があるのでしょうか。


ありますが、あなた方が考えているような意識とは違います。植物は、地上ではまだ知られていない種類のバイブレーションに反応する感覚を備えています。そうしたバイブレーションを偶然発見して、花や野菜などの植物を上手に育てることができる人がたくさんいます。


訳注――そうした発見から霊的次元にまで踏み込んでいる人としては「フラワー・レメディ」のエドワード・バッチ博士が筆頭であろう。花々の特殊な癒しの成分を霊感でキャッチし、その抽出に成功している。それがシルバーバーチ霊の出現時期と重なることも意義があるように思える。バッチ博士の思想の根幹を次の一文から読み取っていただきたい。(要約)

「現代医学の失敗の主な原因は、原因ではなく結果にばかり目を向けてきた点です。何世紀もの間、病気の本質が物質主義という仮面で隠され、病気の根源と闘わなかったために、その荒廃がどんどん広がっていきました。現在の物質主義的な方法では、病気を治したり根絶させたりすることはできません。病気の根源にあるものは物質ではないからです。

病気は本質的に魂と意思が争った結果ですから、霊的な面と精神的な面の努力なしでは、根絶されることは決してありません。身体だけにどれほど努力を重ねてみても、表面的に癒すことしかできません。原因がそこに存在しているわけですから、また違った形でぶり返してきて、その存在を見せつけます。

病気はたいへん残酷ですが、反面、恩恵を得るところや役に立つところがあります。病気が正しく解釈されれば、それによって自分自身の重大な欠点を知ることができます。的確に治療をすればその欠点をも取り除くことになり、前にもまして健康で素晴らしい人間になることができます。苦しむことによって他の方法では知ることのできなかった改めるべき点が分かり、それを治すことができます。そうしていかなければ、決して原因を根絶することはできません。」

(『バッチ博士の遺産』バッチフラワー友の会刊)
神智学の間違いについて


――神智学では、人間は死ぬと神聖なる根源的なもの(Divine Principle)が肉体とアストラル体とメンタル体から抜け出ると言います。そしてそれが抜け出たあとの肉体やアストラル体やメンタル体は、空っぽの貝殻のようになって地上の大気中をうろつくことになると教えています。神智学では、地上の霊媒を通しての通信はこうした貝殻のようなものからもたらされるとし、死者の人格を真似た自然霊によって発生する現象であると説明しています。これについて、あなたはどのように答えますか。(神智学の創始者であるブラヴァッキーは、こうした論法でスピリチュアリズムの霊界通信を否定しようとした――訳注)


人間の肉体から大霊の一部(分霊)が分離し退くと、肉体の役目は終了し、分解して大地に戻ることになります。肉体から離れた分霊は霊界に入りますが、霊界では進化にともなって次の段階に進んでいくようになります。大霊の分霊がアストラル体(幽体)から抜け出ると、アストラル体の役目はそこで終わり、幽質素に分解されます。
占星術は当てになるか


――占星術というのは当てになるのでしょうか。


宇宙のあらゆる存在物は振動しており、すべてのバイブレーションは外部へ向けて絶え間なく放射物を放っています。その放射物は、宇宙間に何らかの影響を及ぼしています。そうしたバイブレーションの背後には大霊の法則がありますから、それを知ることは少しは役に立つでしょう。


――霊界から送られてくるメッセージと、占星術による予言との間には共通するものがありますが、何か関係があるのでしょうか。


真理の顕現の仕方は無限です。真理とは大霊のことだからです。しかし真理は人間を通して顕現するものであるため、人間の進化の程度によって顕現の仕方が異なります。真理というものは、純真な気持ちでなければ修得できません。長たらしい言葉や目新しい言葉で解説しなくてはならないものは真理ではありません。言葉を飾ることは、しばしば無知を隠すための仮面になります。
シルバーバーチの祈り


〔シルバーバーチの霊言集が祈りの言葉を欠いていては、完全なものとは言えないであろう。毎週金曜日の夜に開かれる交霊会は、まずインボケーション(会の成功を願う祈り)で始まり、ベネディクション(励ましの言葉)で閉会となる。ここではその典型的なものを紹介しておく。〕
インボケーション


願わくば、本日もこの交霊会において、霊的世界に属する摂理の働きについて明らかにすることができますように……。大霊について、大霊とあらゆる生命現象との関係について、また宇宙に存在するすべての大霊の子供たちとの関係についての理解を、より明確にすることができるように祈ります。

あなたは幾世紀もの間、誤解され、曲解され、限りある存在とされてきました。そこで今、私たちは、あなたを完璧な摂理として説き明かそうとしております。あなたは、生命のあらゆる顕現をつかさどっておられます。宇宙に存在するすべてのものは、あなたの霊力の働きかけがあればこそ、維持されているのでございます。あらゆる創造物が、あなたの摂理に賛辞を捧げております。最も力を持つ者も力なき者も、強者も弱者も、小鳥も花も樹木も、風も海も山も丘も、日光も雨も嵐も稲妻も、一つの例外もなく、すべてに生命の大霊であるあなたが顕現しておられます。

私たちは、あらゆる存在があなたのイメージの中で創造されていることを示そうと努めております。あなたは、すべての被造物を通して顕現しておられます。あなたが内在すればこそ万物は動き、呼吸し、生きているのであり、すべてがあなたの中に存在しているのでございます。

いかなるものも、あなたとあなたの子供たちとの間を引き裂く力は持っておりません。なぜなら、すべてのインスピレーション、すべての真理、すべての叡智、すべての啓示、すべての知識が蓄えられている無限の貯蔵庫は、大霊の子供たち一人ひとりに開かれているからでございます。向上心と謙虚さと奉仕精神にあふれ、強大な霊力(霊団)の道具になることを願う子供たちは、その貯蔵庫を自由に活用することができるのです。

私たちは、すべての人間の魂に秘められた潜在能力を明かそうとしております。私たちは、地上の子供たちが、無知から閉じ込めてしまっている潜在能力に気づき、物質の障壁を突き破って霊的高みを目指す日々の努力の中で、その能力を自由に発揮できるようになるのを待っているのです。

私たちは、あなたのすべての子供たちが地上に生を享けた目的を理解し、満ち足りた素晴らしい人生を送ることができるように願っております。それによって子供たちは、あなたが用意してくださった豊かさと美しさと喜びを自由に求め、自分のものにしていくことができるのでございます。

私たちは、あなたが子供たちに近づき、子供たちがあなたに近づくことができるように、立ちはだかる障害を取り除き、あらゆる制約と束縛を払いのけようと努めております。地上の子供たちが、親なるあなたの存在を知り、奉仕に励む中であなたを顕現していくことができるように働きかけているところでございます。

ここに、あなたの僕インディアンの祈りを捧げます。
ベネディクション


皆さんはこれまで、私たち霊団の者の姿を見たり、直接声を聞いたりしたことはありませんが、とても身近な存在であることを知っていただきたいと思います。

私たちは皆さんのすぐ傍(そば)におります。私たちと皆さんとの間には、愛の絆があるからです。愛があればこそ、私たちは皆さんのために奉仕しています。援助を必要としている人々――身体的に弱っている人、生きる気力を失っている人、挫折している人、人生の意義を見失っている人、これまでの宗教では満足を得られず、真理を渇望している人、魂は自由を求めながらも、教義と信条に縛られ、それに対抗する他の宗派との狭間(はざま)で息も絶え絶えになっている人――そうした人々のために、皆さんを通して献身しているのです。

私たちが説く教えは、大霊の無限の真理であり、何ものにも制約されることはありません。真理はすべての人々のためのものであり、それを独り占めできる人間はいません。大霊の真理は、全人類を愛で包もうとするものなのです。

願わくば、皆さんが自分を取り巻いている強大な霊力、絶え間なく地上界に注がれている偉大な愛、皆さんを通して顕現しようとしているインスピレーション、明らかにされることを待ち望んでいる真理、地上を明るく照らそうとしている叡智の存在に気づくことができるように祈ります。

そして奉仕の仕事を通して宇宙の強大な霊力を理解し、すべての存在の背後に控えている偉大なる力である大霊と一体となることができますように。大霊の摂理に調和し、大霊の叡智に満たされて働くことができますように。皆さんが大霊の僕である私たち霊団の道具となり、全人類のために奉仕されることを祈ります。

大霊の祝福のあらんことを……

Sunday, June 29, 2025

シアトルの夏 22章 シルバーバーチ、子供と語る

Teachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編)
近藤千雄(訳)






〔本章では、今まで見たことのないシルバーバーチの意外な一面を紹介しよう。読者にとってこれまでのシルバーバーチは、教えを説く霊、慰めと励ましを与えてくれる霊、そして人工のドグマに対して容赦のない批判を浴びせる霊といった印象が強いであろう。だがこの章では、シルバーバーチは二人の子供に対して優しさと素朴さを持って語りかけている。交霊会はまず、開会の祈り(インボケーション)から始まった。例の大審議会が催されるクリスマスも間近い頃のことであった。〕


「あゝ、大霊よ。どうか私たちが幼子のような素直な心であなたに近づき、霊的真理を学ぶことができますように。その霊的真理は、愛と叡智にあふれた親なるあなたを信頼する者にのみ啓示されるものでございます。あなたが完全なる愛と叡智と優しさの方であることを知り、何ひとつ恐れることなく近づくことができますように……」

そう祈ってから、八歳になる姉のルースと、六歳になる弟のポールを左右の膝の上(もちろん見た目にはバーバネルの膝の上)に座らせて、二人の顔に自分の顔をすり寄せながら、こう語った。


「今日は二人のために本物の妖精を何人か連れてきました。今夜は二人が寝ている間ずっと、その妖精たちが見守ることになっています。今夜はあなた方にもその姿が見えるようにしてあげましょう。絵本に描かれている妖精ではありません。妖精の国からやって来た本物の妖精です。今夜は大人たち(サークルのメンバー)とは話をしないことにします。この部屋には二人以外は誰もいないことにして会を進めるつもりです。私はよく二人と遊ぶために、そばに来ているのですよ。ウィグワムまで持って……」

ポール「ウィグワムって何ですか。」


「テントのことです。私がインディアンとして地上で生活していたときには、ウィグワムの中で暮らしていました。」

ルース「シルバーバーチさんはきれいな声をしていますね。とてもはっきり聞こえます。」


「これは私自身の声で、この霊媒の声ではありませんよ。特別に(声帯を)つくっているのです。」

ルース「霊界ではどのようにして話をするのですか。」


「こちらでは話すということはしません。お互いが思ったことを翼に乗せて送るのです。それは、あっという間に空間を飛んでいきます。返事も同じようにして届けられますから、言葉は要らないのです。心の中に美しい絵を描いて、それを瞬時に送ることもできます。こちらにはあなたが住んでいる世界より、もっと多くの美しいものがあります。樹木や花や鳥、小川もあります。美しい絵が欲しいと思うだけで、すぐにそれをつくることもできます。必要なものは何でもつくれるのです。」

続いてルースは、普通だったら苦しみながら死んでいくはずだった隣の人が、シルバーバーチとその霊団のお蔭で安らかに息を引き取った話を持ち出した。そして霊界でも面倒をみてあげてほしいと頼み、あとに遺された二人の子供のことも大霊が世話をしてくれたら嬉しいと言った。するとシルバーバーチは、亡くなった人のことはすでに面倒をみており、二人の子供についてもちゃんと世話をします、と答えた。

ポール「(亡くなった)あの人は、シルバーバーチさんのような立派な霊になれるでしょうか。」


「はい、なれますよ。けれど、時間がかかります。二、三百年くらいでしょうか。」

ルース「ずいぶんかかるんですね。」


「そんなに長く感じますか。慣れれば長く感じなくなりますよ。」

ルース「シルバーバーチさんは生まれて何年になりますか。」


「そろそろ三千年になります。でも、まだまだ若いですよ。」

ルース「三千年では若いとは言えないですね。死んだらみんな霊になるのですか。」


「人間は皆、大きな霊に成長しつつある小さな霊なのです。」

ポール「でも、僕たちはシルバーバーチさんと同じではないでしょう?」


「私もあなた方も皆、大霊の子供であるという点では同じです。それぞれが大霊の小さな一部なのです。その一人ひとりがつながっていますから、私たちは一つの霊的家族ということになります。」

ポール「そうすると、神というのはすごく大きいでしょうね?」


「この広い世界と同じくらい大きいですよ。目には見えませんが……」

ポール「神が大霊をつくったのですか。」


「そうではありません。神というのは大霊のことです。大霊は、いつどこにでも存在しています。」

ルース「大霊は、この地球を訪れることもあるのですか。」


「ありますとも。赤ちゃんが生まれるたびに訪れています。大霊はご自分の一部を、その赤ちゃんに宿すのです。」

続けて子供たちが「霊の存在を信じてよかった」と言うと、シルバーバーチは「二人はとても幸せです。死んでこちらの世界へ来た人たちに守られているのですから」と答えた。

ルース「そちらの世界は地球よりも広いのですか。」


「ええ、広いですとも。ずっと、ずっと広くて、しかも、そちらにないものがたくさんあります。美しい色、素晴らしい音楽、大きな樹木、花、鳥、動物、何でもあります。」

ポール「動物もいるのですか。」


「いますとも。でも怖くはありませんよ。」

ポール「シルバーバーチさんは、地上にいたときのように動物を殺したりしないでしょう?」


「どんな生き物も決して殺したりなんかしません。」

ポール「お腹(なか)はすかないのですか。」


「はい、お腹はすきません。私たちのまわりには生命のエネルギーがあふれていて、疲れを感じたらそれを吸い込めばいいのです。ポールくんは夜、ベッドの横に立って深呼吸をしますね。そのときポールくんは生命のエネルギーも吸い込んでいるのです。」

このあと二人は、自分たちは霊界での生活を思い出せないけれど、それは今回が初めての地上生活だからではないかとの考えを口にした。それからルースが尋ねた。

ルース「人間は何回くらい生まれ変わるのですか。」


「ネコと同じくらいですよ。ネコは九回生まれ変わると言われているのを知っているでしょう?」

ポール「ネコはそのあと何か他のものに生まれ変わるのですか。」


「いいえ、ネコはネコのままです。ですが、もっときれいなネコになります。ポールくんのような人間の子供も、霊界での生活が長くなるほどきれいになっていきます。霊界というところは、醜さも、残酷さも、暗闇も、恐怖もない世界です。いつも太陽の光に包まれている世界なのです。」

この言葉にポールは当惑し、「雨がまったく降らないなら、地上だったら生き物はみんな死んでしまう」と言った。するとシルバーバーチが答えた。


「地球は小さな世界で、生命の出発点にすぎません。他にも大霊の子供たちが生活している星はたくさんあります。」

これを聞いてルースが「サイキック・ニューズ紙には『すべての世界は一つ』と書いてあります」と言い、八歳にしては博学なところを見せて大人たちを驚かせた。


「その通りです。宇宙には数えきれないほどの世界があり、そこには大勢の子供たちが住んでいます。皆、大霊の子供です。すべての子供たちに大霊が宿っているのです。」

ルース「こんなに話をして、シルバーバーチさんは疲れませんか。」


「いいえ、私はもっと話ができますよ。」

ルース「私にも霊の目があるなら、いつからその目が見えるようになるのでしょうか。」


「あなたには、霊の目もありますし、霊の耳も、霊の手も指も足もあります。あなた方は肉体だけでなく、霊の身体も持っています。本当は今でも、霊の目で見ることができるのです。ただ、肉体を持っている間は、霊の目で見たものを覚えていることはできません。でも少しずつ、見たり触れたりしたものを覚えていることができるようになります。」

ルース「私の霊の目は大きくなっていきますか。」


「そういうことではありません。霊の目の大きさは変わりませんが、ずっと遠くまで見ることができます。」

ポール「地球の果てまで見えるのですか。」


「望遠鏡みたいなものです。遠くにあるものが、すぐ近くに見えるのです。」

ポールが急に話題を変えて、「また戦争が起きるのですか」と尋ねた。


「小さい戦争は、いつもどこかで起きています。でも、ポールくんはそんなことを心配する必要はありません。平和のことだけを考え、その思いをポールくんの小さな胸の中から広い世界へと送り出すのです。そうすれば、世界中の人々がその思いに触れて平和への願いをふくらませるようになり、戦争を遠ざけるための力になるのです。」

ルース「シルバーバーチさんとちゃんと会えるようになるのはいつですか。」


「もう少し時間がかかります。今でもよく会っているのですが、覚えていないだけです。二人が寝入ると、私はあなた方の霊の手を取って霊界へ連れていくことがあります。あなた方はベッドで眠っている肉体を離れて、私と一緒に霊界で素敵な冒険をします。しかし肉体に戻ると、そのことを忘れてしまうのです。“変な夢を見た”と思うだけです。」

ルース「私はどこへ行っていたのか覚えていません。」

ポール「僕はまったく夢を見ないときがあります。」


「本当は夢を見ているのですが、思い出せないのです。」

ルース「シルバーバーチさんも霊界へ帰ると、地上の体験を忘れてしまうのですか。」


「忘れることもあります。あなた方も霊界での生活が長くなると、地上のことを思い出すのが難しくなります。」

ポールが突然、話題を変えて尋ねた。

ポール「人間はなぜ動物を殺すのか分かりません。」


「それは、動物を殺すのは悪いことだということが、まだ分からないからです。」

ルース「殺して食べるために動物を飼っている人もいます。」


「あなた方は、動物を食べないような生活をしてください。」

ポール「動物を殺して食べるのは残酷です。」


「どんな生き物でも殺すことは間違いです。決して殺してはいけません。」

ルース「霊界というのは素敵なところなのでしょうね。」


「それはそれは素敵なところです。醜さや暗さや惨めさが、まったくない世界です。美しいもの、輝くようなものばかりです。」

ここでルースが改めてシルバーバーチの声が素敵だと言うと、ポールも相づちを打って、ちょっと珍しい声だと言った。そして二人が、みんな声が違うのはいいことで、もし同じだったら面白くない、などと語り合っていると、シルバーバーチが割って入って、「みんな違うようでいて、大霊の子供という点では同じです。ただ、小さな身体に大きな霊を宿している人もいれば、大きな身体に小さな霊を宿している人もいます」と言った。

それを聞いて、すかさずポールが尋ねた。

ポール「霊界にも小人がいますか。」


「地上で小人だった人も、霊界では普通の大きさになります。」

ルース「指導霊というのは皆、シルバーバーチさんと同じような人ばかりですか。」

するとシルバーバーチが二人に「少し離れた所から見ていなさい」と言った。二人が離れた所でシルバーバーチの顔(入神状態のバーバネルの顔)を見ていると、その顔がしだいに変形して、それまでとは全く違う容貌になった。面長で、あごが尖った顔になっていた。その間、ルースの目にはバーバネルの顔が輝いているのが見えた。

その現象が終わると、二人は再びシルバーバーチの膝に座った。そしてポールは恥ずかしそうにシルバーバーチに頬をすり寄せ、「私はあなたが大好きです」と言った。するとシルバーバーチはしみじみと、「大霊というのは、今のポールくんと私との間にあるような愛に満ちた方なのです」と言った。ルースが、「私は一生、霊がいることを信じていたいと思います」と言うと、シルバーバーチは「きっと信じ続けることができるでしょう」と答えた。

ここでポールが、最初に話題にのぼった妖精について尋ねた。

ポール「今日、シルバーバーチさんが連れてきた妖精はみんな同じ色をしているのですか。」


「いいえ、緑色をした妖精もいれば、黄色や青色の妖精もいます。二人が見たこともない色の妖精もいますよ。今夜ベッドに入ってから、妖精が見えるかどうか試してごらんなさい。今夜は二人が寝ている間、ずっと一緒にいてくれます。あなた方を見守るように言ってありますから……」

そう言ってから、シルバーバーチは続けた。


「お別れする前に言っておきたいことがあります。もうすぐ私はこの地球を離れて、クリスマスの時に高級霊界で開かれる大きな集会に出席します。そこには世界中で私と同じような仕事をしている指導霊が大勢集まります。そして子供たちが大好きな、あの“イエス”と呼ばれている方から、一人ひとりお言葉を賜るのです。」

そこまで語ったときポールが尋ねた。

ポール「天国というのは空の高い所にあるのですか。」


「いいえ、そうではありません。天国はポールくんのまわりにあるのです。ただし、望遠鏡や肉眼では見えません。」

そう答えてからシルバーバーチは先ほどの話に戻り、次のように続けた。


「私はクリスマスの直前に地球を離れ、イエスさまにお会いします。そのとき私はイエスさまに、地球にはルースという女の子とポールという男の子がいることを告げ、二人の愛の心を伝えるつもりです。霊媒を地上に残して集会に出席した指導霊たちは、一段と霊格の高い霊たちから仕事の進展状況についての報告を受け、助言をいただきます。そうして私たちは、新たな計画とさらなる叡智、そして大きな愛と信念を携えて、それぞれの仕事を続けるために地上へ戻ってまいります。」

そこでポールが「叡智って何ですか」と尋ねると、シルバーバーチはその質問を予期していたかのように、「それはポールくんが知っているようなことです」と答えた。

偉大なる霊と二人の幼い子供との、自由で親密で微笑ましい対話に大人たちが聞き入っているうちに、その日の交霊会も終わりが近づいてきた。そこでシルバーバーチが二人の子供の頭に手を置いて、閉会の祈り(ベネディクション)を述べた。


「愛と叡智と美と真実なる大霊の名において、子供たちを祝福いたします。願わくば、今、純真さゆえに天国にいるこの子供たちが、人生の最後までその心を失うことがないように祈ります。二人を包んでいる霊力にこれからも素直に反応し、大霊の良き道具となることができますように……」

これを聞いてルースが尋ねた。

ルース「天国は、どこにあるのですか。」


「天国は、人間が幸せな気持ちでいるときに、その人の心の中にあるのです。」

ルース「悲しんでいるときは、心の中に天国はないのですね。」


「悲しむ必要なんかないでしょう。あなた方が望むなら、いつでも天国にいることができるのです。私はいつも二人の傍(そば)にいて、力になってあげます。もし悲しくなったら、私を呼びなさい。すぐに来てあなた方の涙を拭き、笑顔を取り戻させてあげましょう。」

ルース「シルバーバーチさんは、本当に優しい方ですね。」

このルースの言葉に、シルバーバーチからの返事はなかった。すでに霊媒の身体を離れていたからである。

シアトルの夏 21章 青年牧師との論争

Teachings of Silver Birch

A.W.オースチン(編)近藤千雄(訳)




〔ある時、キリスト教メソジスト派の年次総会がウェストミンスター寺院のセントラルホールで開かれ、報告や活発な討論がなされた。その合間に牧師たちの会話の中で、スピリチュアリズムのことがしきりにささやかれた。

そこに参加していてスピリチュアリズムに関心を抱いた一人の青年牧師が、ハンネン・スワッファーのもとを訪れ「交霊会というものに一度出席させてもらえませんか」と頼んだ。知的な風貌の好青年で、人徳を備えていることが一目で分かる。が、スピリチュアリズムに対する予備知識としては、コナン・ドイルの『The New Revelation』を読んだだけだと言う。

スワッファーは次のように述べた。

「明晩の交霊会にご出席ください。その会ではシルバーバーチと名乗る霊が、入神した霊媒の口を借りてしゃべります。その霊と存分に議論なさるがよろしい。納得のいかないところがあれば反論し、分からないところは遠慮なく質問なさることです。その代わりあとで他所(よそ)へ行って、十分に議論をさせてもらえなかった、などと不平を言わないでいただきたい。聞きたいことは何でも質問なさってけっこうです。その会の記録はいずれ活字になって発行されるでしょうが、お名前は出さないことにしましょう。そうすればケンカになる気遣いも要らないでしょう。もっとも、あなたの方からケンカを売るなら別ですが……」

翌日、約束通りその牧師が訪れた。そして、いつものようにシルバーバーチの祈りの言葉で交霊会が始まった。〕


訳注――その日の招待客についてはシルバーバーチは知っているが、霊媒のバーバネルは知らない、というよりは、意図的に知らせないことにしていた。予備知識があるとその想念が霊言の邪魔になることがあることを経験で知っていたからである。

バーバネルはグラス一杯の水を飲んでからメガネを外し、瞑目する。やがていびきのような息づかいとなり、容貌が変化して、例の肖像画で見るインディアンに似てくる。何やらもぐもぐと独り言をつぶやいた後、「用意ができました。始めてよろしいでしょうか」と言うと、列席者たちが口々に「ようこそお出でくださいました」と言う。そしてインボケーションという、会の成功を祈る言葉で開会となる。


「大霊のインスピレーションが皆さん方すべてに宿り、大霊の御心(みこころ)に応えることができますように。皆さん方一人ひとりが、大霊の一部であることを感じ取ることができますように。そして、どこへ行くときも大霊の御心を携え、接するすべての人々にそれを身をもって示すことができるように祈ります。」

以下は、その牧師とシルバーバーチとの議論である。まず、シルバーバーチの方から牧師にこう語りかけた。


「この霊媒(バーバネル)には、あなた方の言う“聖霊の力”がみなぎっています。その力がこうして語らせてくれるのです。私はあなた方の言う“復活した霊”の一人です。」

青年牧師との議論は、次の質問から始まった。

牧師「死後の世界とは、どういうところですか。」


「あなた方の世界と実によく似ています。ただし、こちらは結果の世界で、そちらは原因の世界です。」


訳注――宇宙の創造過程から言えば霊界が原因の世界で地上は結果の世界であるが、ここではシルバーバーチは因果律の観点から述べており、地上で蒔いた種は死後に刈り取るという意味。

牧師「死に際して恐怖感はありましたか。」


「いいえ、ありません。私たちインディアンは霊感が発達していて、死が恐ろしいものではないことを知っていました。あなたが属しておられる宗派の創始者ウェスレーも同じです。あの方も霊の力に動かされておりました。そのことはご存じですね?」


訳注――メソジスト派というのはジョン・ウェスレーという牧師が主唱し、弟のチャールズとともに一七九五年に国教会から独立して創立したキリスト教の一派で、ニュー・メソッド、つまり新しい方式を提唱したことから「メソジスト」という名称がある。ウェスレーの屋敷では不思議な霊現象がひんぱんに起きたことが有名で、「霊の力に動かされていた」というのは霊感が鋭かったという意味である。

なお、シルバーバーチは霊界の霊媒であるインディアンの立場に立って「私」とか「私たち」という言い方をしているが、本来のシルバーバーチは三千年前に地上生活を送ったことがあるということ以外、地上時代の氏名も国籍も民族も分かっていない。そういうことにこだわるのは人間の悪趣味として、六十年間、ついに明かさなかった。

牧師「はい、知っています。」


「しかし、現在の聖職者は霊の力に動かされてはおりません。すべては大霊の導きの中にあり、途切れることのない鎖で大霊とつながっています。あなた方の世界で最も低い人間も、高級界の天使とつながっています。どんなに悪い人間も、あなた方の言う神、すなわち大霊と結ばれているのです。」

牧師「死後の世界でも互いに認識し合えるのでしょうか。」


「地上ではどのようにして認識し合いますか。」

牧師「目です。目で見ます。」


「でも、あなたは肉体の目で見ているのではありません。心で見ているのです。」

牧師「はい、私は私の心で見ています。それは霊の一部だと思います。」


「私も霊で見ています。私にはあなたの霊も見えるし肉体も見えます。しかし肉体は影にすぎません。光源は霊です。」

牧師「地上での最大の罪は何でしょうか。」


「数多くの罪がありますが、最大の罪は神への反逆です。」

ここでメンバーの一人が、「それについて具体的に教えてあげてください」と言う。するとシルバーバーチは、「神の存在を知りながら、神の意思に背く生き方をすることです。それが最大の罪です」と付け加えた。

さらに別のメンバーが、「キリスト教ではそれを“聖霊に対する罪”と呼んでいます」と言うと、「例の本(バイブル)ではそう呼んでいますが、要するに霊に対する罪です」とシルバーバーチが答えた。

牧師「改訳聖書をどう思われますか。欽定訳聖書と比べて、どちらがよいと思われますか。」


「言葉はどうでもよろしい。いいですか、大切なのはあなたの行いです。大霊の真理は、バイブルだけでなく他のいろいろな本に示されています。どこであろうと、誰であろうと、大霊のために奉仕しようとする人の心には真理があるのです。それこそが最高のバイブル(神の教え)なのです。」

牧師「改心しないまま他界した人はどうなりますか。」


「改心とはどういう意味ですか。もっと分かりやすい言葉で言ってください。」

牧師「ある人は悪い行いをしたまま他界し、ある人は正しい生き方をしようと改心してから他界しました。この場合、両者には死後の世界でどのような違いが生じるのでしょうか。」


「あなた方の本(バイブル)から引用しましょう。蒔いた種は自分で刈り取るのです。これは変えることができません。あなたは、今のあなたをそのまま携えてこちらへまいります。自分で思っているようなあなたではなく、人に見てもらいたいと思っているあなたでもない、内部のあなた、真実のあなただけがこちらへまいります。あなたもこちらの世界へお出でになれば、本当の自分について分かるようになります。」

そう述べてからシルバーバーチは、「この人には心眼がありますね」とスワッファーに言った。スワッファーが「霊能があるという意味ですか」と聞くと、「そうです。なぜ連れてきたのですか」と尋ねた。「いえ、彼の方から訪ねてきたのです」と答えると、「この方は着実に導かれています。少しずつ光明が示されることは間違いありません」と述べた。

それから牧師に向かって「インディアンがあなた方のバイブルのことをよく知っていて驚かれたでしょう?」と言うと、牧師は「本当によくご存じです」と答えた。するとメンバーの一人が、「三千年前に地上を去った方ですよ」と口添えした。牧師はすかさず年代を計算して「ダビデをご存じでしたか」と尋ねた。ダビデは紀元前一千年頃のイスラエルの王である。シルバーバーチが答えた。


「私は白人ではありません。レッド・インディアンです。米国北西部の山の中で暮らしていました。あなた方がおっしゃる野蛮人です。しかし、私はこれまで西洋人の世界に、三千年前の我々インディアンよりもはるかに多くの野蛮で残忍な行為と、無知とを見てきました。物質的な豊かさにおいて自分たちよりも劣る民族に対して今なお白人が行っている残虐行為は、神に対する最大の罪の一つと言えます。」


訳注――シルバーバーチがインディアンを霊界の霊媒として使用したことには、インディアンが霊的能力において発達しているからという理由とは別に、この一節に如実に表れているように、白人至上主義の思想と白人文化の愚かさを知らしめる意図が隠されている。

牧師「そちらへ行った人々は、どのようなことを感じるのでしょうか。強い後悔の念を抱くようなこともあるのでしょうか。」


「いちばん残念に思うのは、やるべきことをやらないで終わったことです。あなたもこちらへお出でになれば分かります。きちんと成し遂げたこと、やるべきだったのに怠ったこと、そうしたことがすべて分かります。逃してしまったチャンスがいくつもあったことを知って後悔するのです。」

牧師「キリストヘの信仰をどう思われますか。神はそれを良しとなさるでしょうか。キリストへの信仰は、キリストの行いに倣(なら)うことだと思うのですが……」


「“主よ、主よ”と口にすることが信仰ではありません。大切なことは実際の行為であり、それがすべてです。何を語るか、何を信じるかは問題ではありません。もし、あなたが何ひとつ信仰というものを持っていなくても、落ち込んでいる人を励まし、飢えている人にパンを与え、暗闇の中にいる人の心に光を灯してあげるなら、神の御心に適う行いをしたことになるのです。」

ここで出席者の一人が「イエスは神の一部なのでしょうか」と尋ねると、シルバーバーチは次のように答えた。


「イエスは地上に降誕した偉大な指導者でした。しかし当時の民衆はイエスの教えに耳を傾けず、十字架にかけてしまいました。それどころか、今なお十字架にかけ続けています。すべての人間に神の分霊(神性)が宿っていますが、イエスは他の人々よりも、はるかに多くの神性を発揮しました。」

牧師「キリストが地上で最高の人物であったことは全世界が認めるところです。それほどの人物が嘘を言うはずはありません。キリストは言いました――“私と父とは一つである。私を見た者は父を見たのである”と。この言葉は、キリストがすなわち神であることを述べたものではないでしょうか。」


「もう一度、バイブルを読み返してごらんなさい。“父は私よりも偉大である”と言っているでしょう。」

牧師「はい、言っています。」


「またイエスは、“天にまします我らが父に祈れ”と言っていないでしょうか。“私に祈れ”とは言っておりません。父に祈れと言ったイエス自身が、天にまします我らが父であるはずはないでしょう。“父に祈れ”と言ったのであって、“私に祈れ”とは言っておりません。」

牧師「キリストは“あなた方の神”と“私の神”という言い方をしています。“私たちの神”とは決して言っていません。ご自身を他の人間と同列には置いていません。」

それを聞いてシルバーバーチは、次のように繰り返した。


「イエスは、“あなた方の神と私”とは言っておりません。“あなた方は私よりも大きな仕事をするでしょう”と言っております。

あなた方クリスチャンは、バイブルを読む際に何もかも神学的教義に合わせるような解釈をしますが、それをやめないといけません。霊に照らして解釈しなくてはいけません。霊こそが、宇宙のすべての謎を解くカギなのです。イエスが譬え話を用いたのは、そのためです。」

牧師は、「神は地上世界を愛するがゆえに唯一の息子を授けた」という聖書の言葉を引用して、イエスが神の子であるとするキリスト教の教義を弁護しようとした。

するとシルバーバーチは、「イエスはそんなことは決して言っておりません。イエスの死後何年も経ってから、例のニケーア会議でそれがバイブルに書き加えられたのです」と述べた。

牧師「ニケーア会議?」

「西暦三二五年に開かれております」と、シルバーバーチは即座に答えた。

牧師「でも、私が今引用した言葉は、それ以前からある“ヨハネ福音書”に書かれています。」


「どうしてそれが分かりますか。」

牧師「歴史書にそう書いてありますが……」

「どの歴史書ですか」と、シルバーバーチは重ねて尋ねた。

牧師「はっきりとは言えません。」


「ご存じのはずはありません。バイブルというものが書かれるその元になった書物は、いったいどこにあると思いますか。」

牧師「“ヨハネ福音書”それ自体が原典です。」


「いいえ、それよりもっと前の話です。」

牧師「バイブルは西暦九十年に完成しました。」

「バイブルの原典となったものは、今どこにあると思いますか」と、シルバーバーチは迫った。

牧師は、「いろいろな文書があります」と言って、例として一つを挙げた。


「それらは原典の写しです。原典はどこにありますか。」

牧師がこれに答えられずにいると、シルバーバーチは次のように続けた。


「バイブルの原典は、ご存じのバチカン宮殿に仕まい込まれたまま一度も外に出されたことはありません。あなた方がバイブルと呼んでいるものは、その原典のコピーのコピーの、そのまたコピーにすぎません。そのうえ、原典にないことまでいろいろと書き加えられています。

初期のキリスト教徒は、イエスがすぐに再臨すると信じていました。そのためイエスの地上生活の詳細について、誰も記録しませんでした。ところが、いつになっても再臨しないため、ついに諦めて記憶をたどりながら書き記すことになったのです。“イエス曰(いわ)く……”と書いてあっても、実際にイエスがそう言ったかどうかは分かりません。」

牧師「でも、四つの福音書にはその基礎となった、いわゆる“Q資料(イエス語録)”の証拠が見られることは事実ではないでしょうか。主な出来事は、その四つの福音書に述べられていると思うのですが……」


「私は、そうした出来事がまったくなかったと言っているのではありません。ただ、バイブルの記述のすべてが、本当にイエスの言葉とは限らないと言っているのです。バイブルの中には、イエスが生まれる前から存在した書物からの引用がずいぶん入っていることを忘れてはなりません。」

牧師「記録に残っていない口伝(くでん)のイエス語録が出版されようとしていますが、どう思われますか。」


「イエスの関心事は、自分がどんなことを言ったかというようなことではなく、地上のすべての人間が神の御心を実践することです。人間はあまりにも教え(聖書の言葉)に関心を寄せ、行いを疎(おろそ)かにしています。“福音書”なるものの説教の場には、大霊の真理に飢えた人たちが集まっています。そうした人々にとって重要なことは、単なるイエスの言葉ではなく、その教えに基づくあなたの生き方です。あなた自身の生き方を、手本として示すことです。

地上世界は教えでは救われません。いくら長い教えを説いても、それだけでは救われません。大霊の子供たちが、親なる大霊の御心を鎧(よろい)として、暗黒と弾圧の勢力に戦いを挑むことです。魂を束縛するすべてのものに立ち向かうことによって初めて、地上世界は救われるのです。それが、記録に残されていないイエスの言葉よりも大切なことなのです。」

牧師「この世には、なぜ多くの苦しみがあるのでしょうか。」


「大霊の摂理は、苦しみを通してしか悟ることはできません。苦しみという厳しい試練を経て初めて、あなた方の世界を支配している大霊の摂理を理解することができるのです。」

牧師「苦しみがない人が大勢いるようですが……」


「あなたは神に仕える身です。大切なのは“霊”に関わることであって、“肉体”に関わることではないことを理解しなければなりません。霊の苦しみの方が肉体の苦痛よりも耐えがたいものです。」

メンバーの一人が「現行の制度は不公平であるように思います」と言うと、シルバーバーチは次のように答えた。


「地上人生で起きるすべてのことは、いつの日か必ず帳尻が合うようになっています。いつかは自分で天秤(てんびん)を手にして、バランスを調節する日がまいります。あなた方は、自分が蒔いた種を自分で刈り取るという自然法則から逃れることはできません。軽い罰で済んでいる人がいるかにお考えのようですが、そういうことはありません。あなたは魂を見抜くことができないために、そう思うのです。

私が認めているのは大霊の法則だけです。人間の法律は認めていません。人間がつくった法律はいつかは改めなければなりませんが、大霊の法則には決してその必要はありません。地上に苦難がなければ、人間は正していくべきものへ注意を向けることができません。すべての苦しみや痛みや邪悪は、大霊の分霊であるあなた方人間が、いかにしてそれを克服していくかを学ぶためにあるのです。

もしも苦難を乗り越えるための努力を怠っているとしたら、あなた方を地上に誕生させた大霊の意図を理解していないことになります。宇宙の始まりから終わりまで、すべてを法則によって支配している大霊に従わずに、誰が文句を言うことができるでしょう。」

牧師が「霊の世界ではどんなことをなさっているのですか」と尋ねると、シルバーバーチはそれには答えず、「あなたはこの世でどんなことをしていますか」と問いかけた。すると牧師は「それは、その、いろいろな本を読んだり……、それによく説教もします」と口ごもって答えた。それに対してシルバーバーチは、「私もよく本を読みます。それに今は、こうして重要な説教をしています」と言った。

牧師「私は英国中を回らなくてはなりません。」


「私は霊の世界を回らなくてはなりません。私は、霊的な準備が何もなされないままこちらへ送り込まれてきた人間がいる暗黒界へも下りていかなければなりません。それにはずいぶん手間がかかります。あなたに自覚していただきたいのは、あなたはとても重要な立場に立っていらっしゃるということです。神に仕える身でありながら、本来の責務を果たしていない人たちがいます。彼らは教会の壇上から、まったく意味のない長たらしい説教をしています。

しかしあなたが、自らを神に委ね、神の貯蔵庫からインスピレーションを受けるために魂の扉を開くなら、あなたの魂は古(いにしえ)の預言者たちを鼓舞したのと同じ霊力によって満たされます。あなたはその仕事を通して、人生に落胆し、地上の片隅で疲れ果てている人々の心を明るく照らす光をもたらすことができるのです。」

牧師「そうであるなら嬉しいのですが……」


「いいえ、そうであるならではなくて、事実そうなのです。私はこちらの世界で、後悔している多くの牧師に会っています。彼らは地上人生を振り返り、自分が霊のメッセージを説いてこなかったこと、バイブルの言葉や教義だけにこだわって実践を疎かにしてきたことを後悔しているのです。彼らは、できればもう一度地上へ戻りたいと望んでいます。私は彼らに、地上にいるあなたのような人たちの心をいかにして鼓舞するかを示しています。そうした人たちに働きかけることによって、大霊の新しい真理が再び地上にもたらされるようになるからです。

あなたは、今まさに崩れつつある世界に身を置いていることを自覚しなければなりません。新しい秩序による世界、真の意味での天国が到来する時代の幕開けを見ているのです。その誕生には、痛みと苦しみと涙がともなうことでしょう。しかし最後には、大霊を中心とした世界が築かれるようになります。あなた方一人ひとりが、その新しい世界を招来する手助けができるのです。なぜならすべての人間は大霊の分霊であり、大霊の仕事の一翼を担うことができるからです。」

青年牧師にとって初めての交霊会も終わりに近づき、シルバーバーチはその場を去る(霊媒から離れる)前に次のように述べた。


「私は、あなたが説教をする教会へ一緒にまいります。あなたは、ご自分が本当に良い説教をしたとき、これが霊の力だと自覚なさるでしょう。」

牧師「私はこれまでも、大いなる霊力を授かるように祈ってまいりました。」

「あなたの祈りは、きっと叶えられるでしょう」とシルバーバーチは答えた。

以上で一回目の議論が終わり、改めて二回目の議論の機会がもうけられた。その内容を紹介する。

「地上の人間にとって、聖別された完璧な生活を送ることは可能でしょうか。すべての人間を愛することは可能なのでしょうか」――これが二回目の交霊会で、牧師が最初にした質問だった。


「いいえ、それは不可能なことです。しかし、そのように努力することはできます。すべての努力は、あなたの人間性を形成するうえで、とても重要です。決して怒ることもなく、敵意を持つこともなく、かんしゃくを起こすこともないなら、あなたはもはや人間ではないことになります。人間は霊的に成長することを目的として地上に生まれてくるのです。成長また成長と、どこまでも成長の連続です。それは地上だけでなく、こちらへ来てからも同じです。」

牧師「イエスは“天の父が完全であるようにあなた方も完全であれ”と言っておりますが、これはどう解釈すべきでしょうか。」


「完全であるように努力しなさい、と言っているのです。それが地上で目指すべき理想であり、内部に宿る神性を発揮する生き方なのです。」

牧師「今引用した言葉はマタイ伝第五章の最後の一節です。イエスは普遍的な愛について述べたあとで、その一節を述べています。またイエスは“ある者は隣人(身近な人)を愛し、ある者は友人を愛するが、あなた方は完全であれ。神の子なればなり”とも言っております。神は全人類を愛してくださるのだから、私たちもすべての人間を愛すべきであるということなのですが、イエスが人間に実行不可能なことを命じると思われますか。」

この質問に、シルバーバーチは驚いたように答えた。


「あなたは全世界の人間をイエスのような人物になさりたいのですね。お聞きしますが、イエスは、地上で完璧な人生を送ったと思いますか。」

牧師「はい、完璧な人生を送ったと思います。」


「一度も腹を立てたことはなかったとお考えですか。」

牧師「当時行われていたことには、うんざりしていたと思います。」


「一度も腹を立てたことはなかったと考えておられるのですか。」

牧師「腹を立てるのは悪いことである、という意味で怒ったことはないと思います。」


「そんなことを聞いているのではありません。私は、イエスが腹を立てたことは絶対になかったのか、と聞いているのです。イエスが腹を立てたことは正当だったかどうかを聞いているのではありません。あなた方(クリスチャン)は、何でも正当化なさるんですから……」

ここでメンバーの一人が、イエスが両替商人を教会堂から追い出したときの話を持ち出した。するとシルバーバーチが続けた。


「私が言いたかったのはそのことです。あのときイエスは、教会堂という神聖な場所を汚す人間に本当に腹を立てたのです。ムチを持って彼らを追い払ったのです。それは怒りそのものでした。私は、イエスの怒りが良いとか悪いとか言っているのではありません。イエスは怒ったのです。怒りは人間の激情です。私が言いたいのは、イエスも人間的性質(要素)を持っていたということです。あなた方がイエスを人間の模範として仰ぐとき、イエスもまた一人の人間であった――ただ普通の人間よりも大霊の意図をはるかに多く体現した人間だった、と考えなければなりません。分かりましたか。」

牧師「はい、分かりました。」


「私は、あなたのためを思って言っているのです。誰の手も届かないような高い所に祭り上げたら、イエスが喜ぶと思うのは間違いです。イエスもやはり我々と同じ人の子だったと見る方が、よほど喜ばれるはずです。自分だけが超然とした位(くらい)につくようなことは、望んではおられません。人類と共にあることを願っておられるのです。イエスは人間としての生き方の手本を示しているのであり、それは誰にでも実行できることなのです。イエスをそんなに高いところへ祭り上げてしまったなら、誰も付いていくことはできません。それではイエスの地上人生は無駄になってしまいます。」

話題が変わって――

牧師「人間には自由意志があるのでしょうか。」


「はい、あります。自由意志は大霊の摂理です。」

牧師「時として人間は、抑えようのない衝動によって行動することがあるとは思われませんか。そう強いられているのでしょうか。それともやはり自由意志で行っているのでしょうか。」


「あなたはどう思われますか。」

牧師「私は、人間はあくまでも自由意志を持った行為者だと考えます。」


「すべての人間に自由意志が与えられています。ただしそれは、大霊が定めた摂理の範囲内で行使しなければなりません。摂理は大霊の愛から造られたものであり、子供たちのすべてを平等に支配しています。それを変えることは誰にもできません。あなた方は、摂理の範囲内において自由であるということです。」

牧師「もし私たちが自由であるなら、罪は恐ろしいものです。悪いと知りつつ犯すことになりますから、強いられる場合よりも恐ろしいことに思えます。」


「私に言えることは、いかなる過ちも必ず正さなくてはならないということです。もし地上で正さなかったなら、こちらへ来てから正さなくてはなりません。」

牧師「道に外れたことをしがちな傾向を、先天的に強く持った人がいるとは思われませんか。善を行いやすい人間と、そうでない人間とがいます。」


「それは、とても難しい質問です。なぜなら、それぞれの人間に自由意志があるからです。あなた方は悪いことをするとき、内心ではそのことに気づいているものです。自分の良心を無視するか否かは、それまでに培ってきた人間性によります。罪は、それがもたらす害悪の程度に応じて重くも軽くもなります。」

これを聞いて牧師がすかさず反論した。

牧師「それは罪が精神的なものであるという事実と矛盾しませんか。単に結果との関連においてのみ軽重が問われるとしたら、心の中の罪は問われないことになります。」


「罪は罪です。身体で犯す罪、心で犯す罪、霊的に犯す罪、すべてが罪です。あなたは先ほど、人間は衝動的に罪を犯すことがあるかと問われましたが、その衝動はどこからくると思いますか。」

牧師「思念からです。」


「思念はどこからきますか。」

少し躊躇(ちゅうちょ)してから、「善なる思念は神からきます」と牧師が答えた。


「では、悪なる思念はどこからきますか。」

牧師「分かりません。」


訳注――キリスト教では交霊会に出現する霊は皆、悪魔の手先であると決めつけているので、本来ならこの牧師も「悪魔からきます」と答えるところであるが、二度の体験ですでにそうでないことに気づいているので「分かりません」という返答になった。シルバーバーチは、キリスト教の最大の欠陥である善神と悪神の二元論の矛盾を厳しい語調で突いている。


「大霊は、すべてのものに宿っています。間違ったことにも正しいことにも宿っています。太陽の光にも嵐にも、美しいものにも醜いものにも宿っています。空にも海にも雷鳴にも稲妻にも宿っているのです。美しいものや善なるものだけでなく、罪や悪にも宿っているのです。

あなたは、大霊は限定できるようなものではないことをご存じでしょうか。全宇宙が大霊の創造物であり、あらゆる所にその霊が行きわたっているのです。どのようなものであれ、その一部を切り取って“これは大霊のものではない”と言うことはできません。太陽の光は神の恵みであって、作物を台なしにする雨は悪魔の仕業とは言えないのです。神は、すべてのものに宿っています。

あなた方は、思念を受け取ったり送ったりする道具のようなものです。しかし、どのような思念を受け取るかは、あなたの人間性と霊性によります。もしあなたが、あなたの言う“完全な人生”を歩んでいるなら、あなたは完全な思念だけを受け取ることになるでしょう。しかし、あなたも人間である以上、魂と精神の能力に応じてさまざまな思念を受け取っています。私の言っていることがお分かりですか。」

牧師「おっしゃる通りだと思います。では、悪事を行い善行を怠ってきた人間が、死に際になって自分の非を悟り、“信ぜよ、さらば救われん”の一句を受け入れ、キリストを信じると公言して安らぎを得ようとするのをどう思われますか。キリスト教の“回心の教義”をどう思われますか。」

シルバーバーチは即座に答えた。


「あなたもよくご存じの一節を、聖書の中から引用しましょう。“たとえ全世界をもうけても、自分の命を損したら何の得になろうか”“まず神の国と神の義とを求めよ。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう”――これは、あなた方がよくご存じの言葉ですが、果たしてその意味を理解していらっしゃるでしょうか。それが真実であること、その言葉通りになること、それが神の摂理であることを理解していらっしゃいますか。“神は侮(あなど)られるような方ではない。人は自分の蒔いたものを刈り取ることになる”――これもよくご存じでしょう。

神の摂理は絶対にごまかせません。生涯、自分を人のために役立てるチャンスを無視してきた人間が、死に際の回心でたちまち立派な霊になれると思いますか。霊体にまで染み込んでいる悪行(罪)のすべてを、一瞬にしてかき消すことができると思いますか。大霊の目から見たとき、人生を大霊と人々のために送ってきた人間と、霊的義務を怠ってきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。“すみませんでした”の一言ですべての過ちが赦(ゆる)されるとしたら、神の摂理は公正と言えるでしょうか。いかがですか。」

牧師「私は、神はキリストを心の避難所にしたのだと思います。イエスは言いました……」

ここでシルバーバーチが遮(さえぎ)って言った。


「私はあなたの率直な意見をお聞きしているのです。聖書の言葉を引用しないで、率直に答えてください。イエスが何と言ったか、私には分かっています。あなた自身はどう思っているのですか。」

牧師「公正ではないと思います。しかし、そこに神の偉大なる愛があると思うのです。」


「この通りを行くと、人間の法律を管理している建物があります。もしその法律によって、生涯を善行に励んできた人間と罪を犯し続けてきた人間とが平等に扱われたなら、あなたはその法律を公正だと思いますか。」

牧師「私は、生涯まっすぐな道を歩み、すべての人を愛し、正直に生き、死ぬまでキリストを信じ続けた人のことなど言ってはいません。私は……」

ここでシルバーバーチが再び遮って言った。


「“自分が蒔いた種は、自分で刈り取る”――あなた方は、この摂理から逃れることはできません。神の摂理をごまかすことはできないのです。」

牧師「では、悪行のかぎりを尽くした人間が今まさに死にかけているとしたら、罪を償わなければならないことを、その人間にどう説いてやればよいのでしょうか。」


「もしもその人が真の人間、つまり幾ばくかでも神の心を宿しているなら、それまでの過ちを正したいという気持ちになるはずです。ですから、その人にこう伝えてください。“自分の犯した過ちの報いから逃れたいという思いがあるなら、あなたは真の人間ではありません。ただの臆病者です”と。」

牧師「しかし、罪を告白するという勇気ある行為は、誰にでもできるというものではないと思いませんか。」


「それは正しい方向への第一歩にすぎません。告白したことで罪が拭われるものではありません。その人は自由意志で、善ではなく悪をなす道を選んだのです。悪行が招いた結果から逃れることはできません。間違いは正さなければなりません。告白によって罪を消し去ることができると思うのは、自分に対するごまかしにすぎないのです。蒔いた種は自分で刈り取らなければなりません。それが神の摂理なのです。」

牧師「しかし、イエスは言っておられます――“重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなた方を休ませてあげよう”と。」


「もしその人が“文字は人を殺し、霊は人を生かす”という言葉を知っていたなら、あなた方(聖職者)が聖書の言葉を引用して、これは文字通りに受け入れなければならないと説くことはできません。聖書の中には、あなた方が今日、実行していないことがいくらでもあるからです。私の言っていることがお分かりでしょう。」

牧師「イエスは“善い羊飼いは羊のために命を捨てる”と言いました。私は常に“赦し”の教えを説いています。キリストの赦しを受け入れ、キリストの力が自分の人生を支配していることを暗黙のうちに認めるなら、その人生は神に大きな愛を捧げることになると思うのです。」

ここでシルバーバーチは話を本題に戻した。


「神は人間に“理性”という神性の一部を植え付けられました。私はあなた方に、その理性を使ってほしいのです。大きな過ちを犯し、それを神妙に告白することで心の安らぎは得られるかもしれませんが、“罪を犯した”という事実は変えられません。神の摂理に照らしてその歪(ゆが)みを正すまでは、罪はそのまま残っています。それが大霊の摂理なのです。イエスが語ったという言葉をいくらバイブルから引用しても、摂理を変えることは絶対にできません。

前にも言いましたが、バイブルの中にある言葉のすべてがイエスによって語られたものではなく、その多くは後世の人間が書き加えたものです。“イエスがこう語った”と言っても、あなた方がそう思っているだけのことです。私があなた方に知ってほしいのは、イエスをあの偉大な人物へと導いたのと同じ霊、同じインスピレーション、同じ大霊の力が、今も働いているということです。もしあなた方が、大霊からもたらされるものを受け入れようと心を開くなら、それらを自分のものにすることができるのです。

あなた方は大霊の一部です。大霊の愛と力のすべて、深遠なる叡智と知識と真理のすべてが、あなた方を待っているのです。神を求めて二千年前まで遡(さかのぼ)る必要はありません。神は今、ここにおられるのです。イエスの時代における神と同じ神が、同じ力を持って今、ここに存在しておられるのです。

大霊の真理と霊力の通路となるべき道具(霊媒・霊能者)は、ほとんどいません。あなた方キリスト教徒はなぜ、二千年前のたった一人の人間に頼るのですか。神に仕えるあなた方はなぜ、イエスと同じインスピレーションを受けることができないのでしょうか。なぜ、イエスの言葉に戻ろうとされるのですか。」

牧師「私は、私の中にいるキリストの御業(みわざ)について説いています。インスピレーションを得ることは可能だと信じています。」


「あなた方はなぜ、全知全能の神を、イエスという一人の人間と一冊の書物に閉じ込めようとするのですか。大霊のすべてを、一人の人間、あるいは一冊の書物で表現できると考えているのですか。私はクリスチャンではありません。私は、イエスよりもはるか昔に地上に生を享けた者です。その私は、神の平安に包まれるという恩恵に浴することは許されなかったということでしょうか。

あなたは、神のすべてを一冊の書物のわずかなページで表現できると思いますか。その一冊の書物が完成したときを最後に、神は子供たちにインスピレーションを授けることをやめたと考えるのですか。バイブルの最後のページをめくったとき、神の霊力が終わったとでも言うのでしょうか。」

牧師「そうであって欲しくないと思っています。私は時おり、何かに鼓舞されるのを感じることがあります。」


「あなたもいつか、天におられる父のもとに帰り、今地上で磨きつつあるあなたに相応しい場所に住むことになります。神に仕えるあなたに分かっていただきたいのは、被造物のすべてに宿る神を、制約することはできないということです。悪徳の塊(かたまり)のような犯罪者であっても、地上で聖人と仰がれる人間と同じように神と結ばれているのです。

あなた方一人ひとりに大霊が宿っています。もしあなたが、内在する大霊を顕現させようとして心を開くなら、大霊はあなたを通じて霊力と啓示をもたらすことでしょう。それによってあなたのもとを訪れる人々の心に、大霊の光と安らぎが与えられることになるでしょう。」

牧師「今日まで残っている唯一のカレンダーがキリスト暦(西暦)であるという事実をどう思われますか。」


「誰がそんなことを言ったのでしょう。あなたは、ユダヤ民族のカレンダーについて聞いたことはないでしょうか。多くの国ではいまだに、その国の宗教の発生とともにできたカレンダーを使用しています。

私はイエスを軽んじるつもりはありません。今、イエスがなさっている仕事について知っていますし、ご自身は神として崇められることを望んでおられないことも知っています。イエスの人生の価値は、人間が模範とすべきその生き方にあります。イエスという一人の人間を崇拝することをやめないかぎり、キリスト教は神のインスピレーションに恵まれることはないでしょう。」

牧師「いつ、キリストの誕生日を西洋暦の始まりと決めたのか分からないのです。ご存じでしょうか。」


「そんなことよりも、私の話を聞いてください。数日前のことですが、このサークルのメンバーの一人が(イングランド)北部の町へ行き、大勢の神の子供たちとともに過ごしました。高い身分の人たちではありません。とても厳しい肉体労働で生計を立てている人たちです。彼らは炭鉱労働者で、仕事が終わるとわずかばかりの賃金をもらいます。彼らは、キリスト教文明の恥辱(ちじょく)ともいうべき貧民収容施設に住んでいます。

同じ町には、あなた方が“神の館”と呼んでいる大聖堂があります。それは高くそびえていますから、太陽が照ると貧しい人々が住む家はその影に入ってしまいます。大聖堂がなかったときよりも、ずっと暗くなってしまいます。これでよいと思われますか。」

牧師「私はそのダーラムにいたことがあります。」


「知っています。だからこそ、この話をしているのです。」

牧師「あのような施設で暮らさなければならない人たちのことを、とても気の毒に思っています。」


「そうした状況を、イエスが喜ばれると思いますか。あのような施設に住み、辛い労働を強いられ、わずかな賃金しか得られない人々がいる一方で、お金にまったく不自由しない人々がいるのです。それなのにイエスは、カレンダーのことなどに関わっていられると思いますか。あのような生活を余儀なくさせられている人が大勢いるというのに、どうでもいいカレンダーのことや大聖堂のための資金やバイブルのことに関わっていられるとでも思われますか。イエスの名を使用し続け、キリスト教国と呼ばれているこの国に、そんな恥ずべき事態の発生を許しているキリスト教というものを、あなた方クリスチャンはいったいどのように考えているのでしょうか。

先ほど教典のことで(改訳版と欽定訳版のどちらがよいかと)質問されましたが、宗教にはそんなことよりも、もっと重要な務めがあるはずです。神はその恩寵(おんちょう)を、すべての子らに分け与えたいと望んでおられることが分かりませんか。世界には飢えに苦しむ人がいる一方、彼らが生きていくために必要なものを捨てている人たちもいます。クリスチャンがこうしたことをしているのに、あなたはキリスト教を語ることができますか。

私は、あなたが想像なさる以上にイエスと親密な関係にあります。私はイエスが涙を流しておられるのを見たことがあります。多くのクリスチャンや聖職者たちが、教会の陰で進行している恥ずべき事態に目をつぶっているのをご覧になるからです。その日の糧にすら事欠く神の子が大勢いるというのに、神の館として建てた教会を宝石やステンドグラスで飾り、自慢しているのを見て、あなたはどうして満足することができるのでしょう。

一日の糧も十分に得られない人々のほとんどは、わずかな賃金を手にするために一日中働き続け、時には夜を徹して働いています。それなのに、疲れた身体を横たえるまともな場所もないのです。

あなたを非難しているのではありません。私はあなたを大きな愛で包んでいます。お役に立つなら、どんなことでもしてあげたいと思っています。私は霊界の人間です。あなたのように、間違いを改め、正しいことのために立ち上ってくれる人と語り合うチャンスは非常に少ないのです。

あなたに理解していただきたいのは、バイブルの言葉を云々するよりも、もっと大切なことがあるということです。“主よ、主よ”と叫ぶ者が敬虔(けいけん)なのではなく、神の意思を実践する者こそが敬虔なのです。それをイエスは二千年前に教えています。それなのにあなた方はなぜ、神の意思を実践することがいちばん大切であることを、人々に説けないのでしょうか。大切なのは何を信じるかではなく、何を為すかです。

戦争、不正行為、飢餓、貧困、失業――こうしたことを黙認しているかぎり、キリスト教は失敗であり、イエスを模範としていないことになります。

あなたは(メソジスト派の)総会から抜け出てこられました。過去一年間、メソジスト教会の三派が合同で行事を進めてきましたが、神の摂理に反している汚点を拭うために協力しないかぎり、そんなことをしても無意味です。私は率直に申し上げておきます。誤解されては困るからです。」

牧師「数年前に私たちは派閥を超えて慈善事業を行い、その収益金を失業者のために役立てました。大したことはできませんが、信者の数の割にはよくやっていると思われませんか。」


「私は、あなたが心がけの立派な方であることを認めています。そうでなかったら、こうしてあなたと再び語り合うために、地上へ戻ってくるようなことはいたしません。私は、あなたが奉仕(サービス)のための良き道具になれることを見抜いています。あなたの教会を訪れる人の数は、ほんのわずかです。イエスは社会の隅々まで足を運べと言わなかったでしょうか。人が来るのを待っているようではいけません。あなたの方から出向くようでなくてはいけません。

あなたはご自分の教会を光明の中心とし、魂だけでなく、飢えた肉体にも糧を与えてあげないといけません。叡智の言葉だけでなく、パンと日常の必需品を与えてあげなさい。魂と肉体の両方を養ってあげないといけません。霊を救うと同時に、その霊が働くための肉体も救ってあげるのです。教会が力を合わせてそのための努力をしないかぎり、肉体の糧を得られない人々は死んでしまいます。」

そう述べてから、シルバーバーチは青年牧師のために祈りを捧げた。


「あなたがどこにいても、何をしていても、大霊の力と愛が支えとなりますように……。人々への奉仕を願うあなたの心が、常に大霊からのインスピレーションを受けられるように祈ります。

願わくば、大霊があなたにさらなる奉仕のための力を吹き込み、それによって光と安らぎと幸せに満ちた場を築き、訪れる人々がそこにこそ大霊が働いていることを理解するようになることを祈ります。

大霊があなたを祝福し、あなたを支え、常に大霊の道に尽力することができますように。大霊の目的と力と計画についての理解を深めるために、いっそう学びを得られるように祈ります。

あなたに大霊の祝福のあらんことを……」