The purpose of earthly life is to have experiences so that when the time comes to leave the spirit world, the spirit will be well prepared.
地上生活の目的は、いよいよ霊界へ旅立つ時が来た時に霊に十分な備えができているように、さまざまな体験を積むことです。まず、この地球へ来るのは、そのためです。地上はトレーニングセンターのようなものです。霊が死後の生活に対して十分な支度を整えるための学校です。
魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意の落胆も、魂のこやしです。魂がその秘められた力を発揮するには、いかなるこやしを摂取すればよいかを知る必要があります。
失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。あなた方にはまだまだ発揮されていない力───それまで発揮されたものより、遥かに大きな力が宿されているのです。
それは楽な人生の中では決して発揮されません。苦痛と困難の中にあってこそ発揮されるのです。金塊もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。
人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。何もかもがうまくいき、日向ばかりを歩み、何一つ思い患うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。
何もかもがうまくいき、鼻歌まじりののん気な暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。そうしたものを体験して初めて霊的知識を理解する素地ができあがります。
そしていったん霊的知識に目覚めると、その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮しはじめることになるのです。
霊的な宝はいかなる地上の宝にも優ります。それはいったん身につけたらお金を落とすような具合になくしてしまうことは絶対にありません。
苦難から何かを学び取るように努めることです。耐え切れないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが、旅する魂の本来の姿なのです。
それはもちろん楽なことではありません。しかし魂の宝は、そうやすやすと手に入るものではありません。もしも楽に手に入るものであれば、なにも、苦労する必要などないでしょう。
痛みと苦しみの最中(さなか)にある時は、なかなか、その得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとって、いちばんの薬なのです。
シルバーバーチ
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