Friday, May 5, 2023

シアトルの春 〝苦〟の哲学

 Philosophy of "pain"

は自分にプチご褒美を 白樺の木 ecousarecycling.com


 シルバーバーチが神の摂理を説くとき、その絶対性への確信が余りに深く、その述べ方が余りにあっさりとしているために、われわれ地上の人間には冷淡な印象すら与えることがある。たとえば次のように述べる───

 「摂理であるが故に摂理であるところのもの─── 永遠の心すなわち神の働きであるがゆえにこれまで絶え間なく機能し、これからも絶え間なく機能し続けるところの摂理の存在を指摘しているのです。その摂理に則って生きれば内にも外にも調和と安らぎが得られます。

逆らって生きれば内にも外にも不和と混沌が生じます。あなた方人間は霊的存在です。これは、誰もがいつの日か直面することになる厳粛な事実です。が、いつの日かではなく今すぐに認めて、これから先の何十年ものムダな困難を省いた方がどれだけ賢明でしょうか」

 そう言われれば、われわれには反論の余地がなくなる。それが冷淡さと受け取られかねないのである。霊的に未熟な者、あるいは悲しみの涙で視野を雲らされている者が苦しみと悲しみの必要性を説かれると、いっそうその感じを強く抱くことであろう。しかし、シルバーバーチはさらにこう説くのである。

 「神は無限なる愛です。そしてこの全宇宙のいかなる出来ごとも神の認知なしに生じることはありません。全ての苦はそれが魂の琴線に触れることによって自動的に報いをもたらし、それが宇宙のより高い、より深い実相について、より大きな悟りを得させることになるのです」

 別の交霊会でもこう述べている。
 「地上の人類はまだ痛みと苦しみ、困難と苦難の意義を理解しておりません。が、そうしたもの全てが霊的進化の道程で大切な役割を果たしているのです。過去を振り返ってごらんなさい。往々にして最大の危機に直面した時、最大の難問に遭遇した時、人生で最も暗かった時期がより大きな悟りへの踏み台になっていることを発見されるはずです。

いつも日向で暮らし、不幸も心配も悩みも無く、困難が生じても自動的に解決されてあなたに何の影響も及ぼさず、通る道に石ころ一つ転がっておらず、征服すべきものが何一つないようでは、あなたは少しも進歩しません。向上進化は困難と正面から取り組み、それを一つひとつ克服していく中にこそ得られるのです」

 さらに別の交霊会で───

 「一つひとつの体験があなたの人生模様を織りなしています。あなた方はとかく一時の出来ごとでもって永遠を裁こうとされます。つまり目先の矛盾撞着にとらわれ、人生全体を通して神の叡知の糸が織りなされていることを理解しません。

 調和を基調とするこの大宇宙の中であなた方一人ひとりが神の計画の推進に貢献しております。人生での出来ごと───時には辛く絶望的であり、時には苦しく悲劇的であったりしますが───その一つひとつがこれから辿りゆく道のために魂を鍛える役割を果たしているのです。

 光と闇、日向と陰、こうしたものは唯一絶対の実在の反映にすぎません。陰なくして光はなく、光なくして陰はありません。人生の困難は魂が向上していくための階段です。

 困難、障害、不利な条件───これらみな魂の試練なのです。それを一つ克服した時、魂はいっそう充実し向上して、一段と強くそして純粋になってまいります。

 いったい無限の可能性を秘めた魂の潜在力が困難も苦痛も無く、影もなく悲しみも無く、苦難も悲劇も体験せずに発揮されると思われますか。もちろん思われないでしょう。

 人生のよろこび、楽しい笑いの味は、人生の辛酸をなめつくして始めて分かります。なぜなら、深く沈んだだけ、それだけ高く上がれるからです。地上生活の蔭を体験するほど、それだけ日向の喜びを味わうことができます。

 体験の全てが霊的進化の肥やしです。そのうちあなた方も肉体の束縛から解放されて曇りのない目で地上生活を振り返る時がまいります。そうすれば紆余曲折した一見とりとめのない出来ごとの絡み合いの中で、一つひとつがちゃんとした意味を持ち、あなたの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出す上で意義があったことを、つぶさに理解されるはずです。

 地上のいかなる体験も、それに正しく対処し正しく理解すれば、人間の魂にとって必ずやプラスになるものを持っております。いったい何の困難も、何の試練も、何のトラブルも、何の苦痛も、何の悩みもない世界を想像できるでしょうか。

そこにはもはや向上進化の可能性がないことになります。克服すべきものが何もないことになります。ただ朽ち果てるのみです」


 こうして一方では厳しい生き方を説きながらも、他方では慰めの教説も忘れない。最近ご主人を失ったばかりの婦人にこう語って聞かせた。

 「あなたもそのうち物的なつながりよりも霊的なつながりの方が大きいことを理解し始めることでしょう。ご主人はこの世にいた時よりもはるかにあなたにとって身近な存在となっておられます。

 地上人類が肉体的存在の消滅を大変な不幸として受け止めるのは、地上世界の進化が物的バイブレーションの段階を超えていないからです。その段階を超えて進化すれば、物質というものがただの殻にすぎないことを理解するようになります。それを実在であるかに思い込むのは地上が影の世界だからです。
 霊的に向上して行くと、光とその光によって生じる影との区別ができるようになります。地上的縁には拘束力はありません。霊的な縁こそ永遠に続くものです。

 ぜひ銘記していただきたいのは、あなた自身にとって大変な悲しい出来ごとのように思えることも、実は他の大勢の人たちのためにあなたを役立てようとする計画の一端であることがある、ということです。あなただけの個人的(パーソナル)な見地からのみ眺めてはいけません。

その体験を通じてもし大ぜいの人々の魂が鼓舞されることになれば、それがひいてはあなた自身の魂の成長を促すことになります。そして、あなた自身がこちらへおいでになりご主人と再会された時にも、それが大きな拠りどころとなります。

 〝死んだ人〟たちはあなたのもとから去ってしまうのではありません。死という名のドアを通り抜けて新しい生活へ入っていくだけです。その人たちにとって死は大きな解放です。決して苦しいものではありません。彼らにとって唯一の辛さは、地上に残した人々が自分のことで嘆き悲しんでいることです。

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