ある日の交霊会でシルバーバーチの方から一連の質問をしたことがある。
最初の質問は 「皆さんはこれまでの人生に最善を尽くしたと思われますか」 というものだった。
これに対してメンバーの一人が 「誰ひとりそう断言できる者はいないと思います」 と答えると、シルバーバーチは別のメンバーに対して 「あなたはどういう点がいけなかったとお考えですか」 と聞いた。
すると 「毎日、毎時間、数えきれないほどです。こうするのが自分の責務だと思っていながら全力を投じていないからです。これが正直な答えです。私にとっての〝赦し難き罪〟です」 と答えた。
もう一人のメンバーも 「かくあるべきということに四六時中最善を尽くしている者はいないというのが正直なところだと思います」 と言い、さらにもう一人も 「もしそれが出来たらわれわれは恐るべき人間ですよ」 と答えた。
シルバーバーチの次の質問は 「今お持ちの知識を携えてもう一度人生を初めからやり直すことができたら、もっと立派なことができたはずだと思われますか」 というものだった。
これに対して一人は 「ええ、むろんです」 と答え、もう一人は 「私はそうは思いません。早くからこうしたことを知っておりましたから、それは私にとって言い訳にはなりません」 と答えた。すると最初に答えたメンバーがその人に 「少なくとも人生を歩む上での方向感覚を与えることにはなっていたでしょう」 と述べた。
一方、かつてメソジスト派の牧師だったメンバーは「私の場合は、もし早くから知っていたらメソジスト派への改宗を説くことだけはしなかったろうと思われます」 と答えた。
別のメンバーは「とにかく私は怠慢でした」とだけ答え、もう一人は「私は知らずにいたことを永い間悔やんでおります。早くから知っていたら大変な違いが生じていたはずだと思うからです」と答えた。そして最後の答えは「多くの好機を無駄にしてきました」というものだった。
こうした答えを聞いてシルバーバーチは次のように語った。
「私は皆さんのお答えのいずれにも賛成しかねます。霊的な視点で見ておられないからです。一人の方はもし早くから知っていたらメソジスト派の教えを説いて永い年月をムダにすることは無かったとおっしゃいましたが、私に言わせれば、むしろ荒野に叫んだ時期が無かったら、その方の存在は今ほど大きくなかったろうと思われます。
真理探求に没頭した年月───追求してはつまづき、倒れては起き上がり、間違いを犯しながら遂にそれまでの信仰が真実とは似て非なるものであることを思い知らされることになった───そうした体験がその人の魂の発達の掛けがえのない要素となっているのです。
行く手に転がる石ころを一つ一つ取り除いてもらい、困難は生じる前に簡単に片づけられ、いかなる障害が地平線に浮かんでも、まるで魔法のように消されてしまうような人生を送っていては、未発達で、何の試練も体験しない、幼稚な霊をこしらえることにしかなりません」
すると当の本人が「でも、私が説いた(誤った)教えを聞いた人たちはどうなるのでしょうか」と聞いた。
「あなたがその人たちに及ぼした(悪い)影響を必要以上に誇張してお考えになってはいけません。その人たちはその人たちなりに、そうした誤りを通して学んでいかねばならないのです。葛藤と困難、苦悩と障害は霊性の開発にとって必須の要素なのです。
たとえあなたが霊的知識(スピリチュアリズム)を早くから知っていたとしても、相変わらず葛藤は葛藤として続いていたことでしょう。ただ、私がもっと早く、困難への対処の仕方を教えてあげておれば良かったということは言えましょう」
次に“私は怠慢でした”、と答えた人にシルバーバーチはこう述べた。
「あなたはご自分が怠慢だったと考えておられる。それはあながち間違っているとは言えませんが、あなたはもう大いにその埋め合わせをしておられます。ご自分では気づいていなくても、立派な貢献をしておられます。ご自分では小さく見くびっておられますが、その判断は公平を欠いております」
“知らずにいたことを悔やんでいる”と答えた人に対しては「償いをすることによって却ってその有難さを知ることになることもあるものです」と答え、“早くから知っていたので今さら言い訳はしない”と答えた人に対しては 「あなたはずっと正しい指導を受けてこられました。
ほぼ物心がついた頃から今日までずっと霊的な糸で結ばれております。(全員に向かって)人生は釣合い、照合、再照合、そして埋め合わせといったことの繰り返しであることを認識して下さい。
皆さんはそれぞれの生活にとっぷりと浸っておられるために、これまでご自分がどれほど立派な貢献をしてきたか、そして今どんな貢献をしているかがお判りになりません。視野がぼやけております。天秤を水平に持つことができないのです。
しかし大切なことは、知識がすべてに優先するということです。ですから、霊的知識の普及にできるかぎりの努力をしなければなりません。私がこの仕事を依頼されて地上をいかなる世界にすべきかという未来像を画いた時に、何よりも優先させねばならないと考えたのもそのことでした」
次に出されたシルバーバーチからの質問は「あなた方にとって、この交霊会はどういう意義がありましたか」ということだった。
一人は「大変な意義がありました。大いに目を開かされ、数多くの書物を読みました」と答え、もう一人は「スピリチュアリズム的な考えの基盤を与えてくれました。死後の世界についての正しい認識を得ることにもなりました」と答えた。
三人目の人は「幸せをもたらしてくれたと思っております。キザに聞こえるかもしれませんが、多くの人にとってもそうだと思うのです。事実、本当に慰めを必要とする人にとって真の慰めとなった証がたくさんあります」と答えると、
四人目の人は「私にとっては〝無限なるもの〟を子供にも分かる言葉で説くことの出来る唯一の人との出会いのチャンスを与えてくれました。いつも変わらぬインスピレーションの泉です。私に新しい可能性の世界───かつては試行錯誤の繰り返しであった世界を今や日常の細かい点までしっくりと納得のいく世界にしてくれました。ここへ出席するたびに大変な事業に携わる者として自分がいかに未熟な人間であるかを痛感させられております。
このサークルは、その結成がいかなる過程を経たかはよく知りませんが、無数の人々にとって慰めと力づけとインスピレーションの変わらぬ泉であると思っております」
以上のような返事を聞いたシルバーバーチはこう語った。
「私はあなた方を愛し、かつ誇りに思います。地上に戻って来る指導霊がみな私と同じような愛を一身に受けることができれば、どんなにか満足に思うことでしょう。これほどの愛と、そしてそれ以上に尊敬の念を受けている私は本当に光栄に思い、幸せ者であると思っております。
さて、まず正直に申しておかねばならないことは、この仕事を引き受けた頭初は、私の力量ではとても無理なように思えたことです。
しかし私は、人生において何よりも大切なものとして私が尊ぶところの霊的真理は、表現方法さえ工夫すれば、数知れぬ人々にとってそれまで理解し損ねていた人生に確信と方向づけと目的とを見出すよすがとすることができるはずだと考えたのです。
初めの頃は気の遠くなるほど困難に思え、思わず足を止めて躊躇したことが何度も何度もありました。そんな時に必ず私の耳に鳴りひびいたのが、私がこの仕事をお引き受けした時に受けた(すでにお話しした通りの)言葉でした。
(訳者注───背後には幾重にもわたって霊団が控えていて、精一杯のことをやっておれば上級界から援助の手をさし向けるから案ずるな、という確約の言葉のこと)
こうして勇気づけられながら私は、無数の人々の魂を鼓舞しようとする大目的のために私の手なり足となってくれる人───同胞のために身を粉にして活躍してくれる人々を探し求めてきました。
数々の困難を乗り切って今日まで邁進することができました。そして皆さんもご承知の通り、数多くの人の心に感動を与え、数多くの魂に目を開かせ、数多くの人の精神を開放し、暗闇に理解力という名の光を照らすことができました。
光明が射し込み、今や、かつては漆黒の闇だったところに真理という名のダイヤモンドの光が輝きはじめ、少しづつ広がりつつあります。まだまだ説かねばならないことが残っています。私は 時おり思うのですが、もし立場が皆さんと逆であったら、私はもっともっとしつこく知りたがるかも知れません。
それを思うと、皆さんの忍耐と私への忠誠心に対して(皮肉な意味でなしに)感心せずにはいられません。私の説く真理の素朴さと私という目に見えない存在の本性を(姓名も名のらずに)明かそうとするお粗末な弁明だけで、皆さんからこれほどの信頼と確信を得ていることだけで、私は十分に満足に思っております。
しかし、このことだけは認識し、そして安心なさってください。私がその代理人を勤めている高級霊の力───みずからその通路となることで甘んじている霊力は、宇宙の生命力そのものだということです。私の背後には数え切れないほどの進化の階梯があり、そこには私よりはるかに向上進化した霊団が幾重にも控えております。
その意味では私にはおよそ霊格の高さも魂の成長度も誇れる立場にはありませんが(※)、真理に飢えた魂にあふれた世界が待ち望んでいるメッセージを、十分とは言えないまでも、お届けする道具として役立ったことだけは断言できます。あなた方も、よくぞ私を信頼して下さいました。その信頼は決して無駄には終わらせません。
より一層の理解をもたらす道へ私がかならずご案内いたします。どうか、さきほどどなたかがおっしゃったように、ご自分を詰まらぬ存在のようにお考えにならないでください。皆さんはご自分で考えていらっしゃる以上に役に立っておられます。皆さんのご存じない人々を皆さんの力で、暗闇から光明へと大勢救い出しておられます。
耐えきれないと観念していた肩の荷を軽減してあげています。あなた方なりに最善を尽くしておられます。皆さんには人間としての強さと同時に弱さもお持ちです(※※)。私には皆さんの心の中が読み取れます。
お一人おひとりの魂の真実の姿が私にはすべて判ります。だからこそこうしていつも身近かにいて、無情な人生の闘いの中で援助してあげることが出来るのです。私への感謝の言葉をお聞きしていると謙虚な気持ちにならずにおれません。私には感謝していただく資格はないのです」
(※霊格の高さが必ずしも霊の成長を意味するものではなさそうである。オーエンの『ベールの彼方の生活』によると、霊格の高さの点では二段も三段も上の界に相応しいものを具えているのに、魂の鍛錬の不足からくる霊力の弱さのために足踏みしている霊がいるという。
そこで一層の試練を求めて下層界、あるいは地上圏へと降りてくる─── 時には肉体に宿って再生してくる───ことにもなるわけである。 ※※肉体に宿って地上で生活することは、霊的感覚が鈍るという弱点はあっても、地上的体験を積むにはこれ以上うまくできた身体は無いことも事実で、これは地上の人間の強みである。ー訳者)
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