Silver Birch Speaks
Edited by Sylvia Barbanell
ある日の交霊会にシルバーバーチのファンが訪れた。その人の悩みについていろいろと相談に乗った後、人間と背後霊との結びつきについてこう語った。
「どうか私のファンの方々、ますます大きくなった私の家族ともいうべき方々によろしくお伝え下さい。そして目にこそ見えませんが私がその家族の一員として常に目を離さずにいると伝えて下さい。ただの挨拶お言葉として述べているのではありません。
実際の事実を述べているのです。決して見棄てるようなことは致しません。援助を必要とする時は精神を統一して私の名を唱えて下さるだけでよろしい。その瞬間に私はその方の側に来ております。私は精一杯のことを致しております。これ以上はムリというぎりぎりのところまで力になっているつもりです。
困難に遭遇しないようにしてあげるわけにはまいりません。躓かないようにと、石ころを全部取り除いてあげるわけにはいきません。ただ、たとえ躓いても、転ばないように手を取って支えてあげることはできます。肩の荷をいっしょに担いであげることによって苦しみを和らげてあげることはできます。同時に喜びも共に味わって一増大きくしてあげることも出来ます。
いかなる困難も、解決できないほど大きいものは決してありません。取り除けないほど大きい障害物もありません。私たち霊界の者からの援助があるからです。人間の力だけではムリとみた時は別の援助の手があります。人間としての精一杯の努力をした上での話ですが・・・」
続いてシルバーバーチは若いゴードン・アダムズ夫妻に結婚生活の意義について語った。アダムズ夫人は著名な霊媒であるリリアン・ベイリー夫人の令嬢である(アダムズ氏は後にサイキック・ニューズ社の事務長になっている──訳者)二人は最近結婚したばかりで、シルバーバーチは以前からこのカップルと語り合う機会を持つ約束をしていた。まずアダムズ氏に向かってこう語る。
「ようこそお出でになりました。どうか気楽になさってください。こうご挨拶できる機会を得て本当にうれしく思います。私があなたを蔭ながら援助しはじめてずいぶんになります。霊的知識獲得の道を歩まれるよう導いてまいりました。苦難に遭遇された時は必ず援助の手を差しのべてきました。その全てが成功したとは言えません。思うようにならなかった時は周りの条件が整わなかった時でした」
ここで出席者全員に「今日は本当にうれしい日です」と述べてから、今度はこの若いカップルに向かってこう語った。
「人間生活には三つの側面があります。まず人間は霊であり、次に精神であり、そして肉体です。人間として個性を存分に発揮するようになるのは、この三つの面の存在を認識し、うまく調和させるようになった時です。
物質世界にのみ意識を奪われ、物的感覚にしか反応を示さぬ人間は、精神的ならびに霊的な面においてのみ獲得される、より大きい、より深い、より美しい喜びを味わうことはできません。反対に、精神的なもの、霊的なものばかりの冥想的生活から生まれる内的満足のみを求め、この世の人間としての責務を疎かにする人間は、一種の利己主義者です。
肉体と精神と霊──この三つは一つの生命が持つ側面です。神が賦与して下さった才能の全てをその三つの側面を通じて発揮するための正しい知識を授けることが、こうして霊界から地上へ戻ってくる霊の仕事なのです。男性と女性は互いに補い合うべき存在です。
お互いが相手の足らざるものを具えております。両者が完全に調和して半分どうしが一体となった時こそ、神の意図が成就されたことになるのです。
残念ながら二つの魂の一体を求めて地上へ誕生してくる霊の中には、それが成就されないケースが多すぎます。二つの魂を永遠の絆で結びつける唯一の原動力である〝愛〟に動かされていないためです。
私の知る限り愛は宇宙最大の力です。他のいかなる力にも為し得ない驚異を働きます。愛は己れを知り尽くしております。それ故、愛する人だけでなく他のいかなる人に対しても邪なものが降りかかることを望みません。
お二人が愛によって結ばれ、この世だけでなく地上での巡礼が終わったのちにも互いを認め合い睦み合うことを許されたことを幸せと思わなくてはいけません。
お二人は終わりのない旅へ向けて出発されました。しかし、手に手を取り合い、心と心、魂と魂を結び合って永遠に歩み続け、永遠に共に暮らすことでしょう。こうしてお二人が愛の力によって祝福され、尊ばれ、聖別された以上、もはや私の世界にも地上にも、改めて祝福を述べてくれる人を求める必要はありません。
ですから私も〝この二人に祝福あれ〟などと申し上げる必要がないわけです。祝福はお二人を結びつけた愛の力によって既に成就され、お二人の前に続く未来永劫にわたる人生を堅固に、そして調和あるものとしてくれます。お二人を結びつけた霊的知識に感謝すべきです。
真の結婚、永続的な結びつきは、二つの魂が調和し、その当然の成り行きとして進化の法則の成就のために奉仕の道で共に援助し合うことであることを、肝に銘じて下さい。
力と導き、霊感と叡知が常にあなた方の周りにあること、霊の力がいつもあなた方と共にあって手助けし、援助し、鼓舞してくれること、お二人に忠誠心と愛着さえあれば、それがいかに身近なものであるかをいつでも証明してみせることが出来ることを銘記して、前向きに生きることです。
まさしくあなた方お二人は一体です。前途に横たわる人生には祝福に満ちております。問題も困難もトラブルも起きないと言っているのではありません。それは人間としてどうしても遭遇することになっているのです。地上生活を送る魂は有為転変の全てを体験しなければなりません。
が、お二人はきっとそれらに堂々と対処し、そして克服して行かれることでしょう。魂まで傷つくようなことはないでしょう。なぜなら、一人では苦しいことも、二人で対処すれば半分ずつとなり、結局少しも苦にならないことになるからです。
こういう言い方をすると多分あなた方は、これから大変な苦労があるのだと勘ぐり始めておられるに相違ありません。が、私はそんな意味で言っているのではありません。苦労を通じて霊力の働き、地上への働きかけの原理を理解した者だけが、その霊力との交わりから生まれる内的な喜びを味わうことができることを述べんとしているまでです。
それは地上の言語ではなかなか表現しにくいことです。が、その霊力の恩恵に浴した者は、人生には魂まで傷つけ挫けさせ宿命の成就を妨げるほどのものは絶対に生じないことを知り、自信を持って堂々と生きることができるということです。
霊的淵源に発し、神性を宿したその素晴らしい富──神の宝庫の一部であるところの、無限の価値を秘めたその宝は、受け入れる用意さえ整えれば永久に自分のものとすることができます。
若くして(地上の年令で言えばのことですが)真理に目を開かせていただいた恵みに感謝しなければなりません。煩悩の霧が晴れ、その霊的真理があなた方の心に居場所を得たことを喜び、それがあなた方に真の自由をもたらしたように、こんどは他の人々へもその自由をもたらしてあげなくてはならないことを自覚してください」
同じ交霊会にもう一つのカップルがいた。そして、ちょうどその日が二人の結婚記念日だった。そのカップルにシルバーバーチがこう語りかける。
「私もあなた方の喜びにぜひあやかりたいものです。二つの魂が互いに相手を見出し、一体化を成就するのは、いつ見てもうれしいものです。そう度々あるものでないだけに、それをこうして地上において成就されたのを拝見するのが大変うれしいのです。
お二人に愛が宿り、温かく包み、しかもそれがこれまでの永い年月の間に少しも曇ることがなく、光輝を失わなかったこと、その素晴らしさ、その美しさ、その魅力がいまお二人を包み、時の経過と共にますます強力となっていくことを喜ばなくてはいけません。
地上のすべての人がそうした完全な一体化による幸せを味わうことができれば、と願うこと切なるものがあります。そうなれば人生がどんなにかラクに、そして意義あるものとなることでしょう。
すると奥さんの方がこう述べた。
「私どもはこれまで他の人々には得られない援助をあなたからたくさん頂いてきました」
「それはお互いさまです。あなたが人のために尽くされ、私があなたを援助する。そうすることによって直接お目に掛かったことのない人々へ慰めをもたらすことが出来ました。それがどの程度まで成功したか、どこまで成就したかは知りません。
これまでたびたび述べてきたことなので皆さんは直ぐに引用できるほどではないかと思いますが、暗闇にいる人に光を見出させてあげることが出来れば、それがたった一人であっても、それだけでその人の人生は価値があったことになります。ここに集まった私達は、その〝たった一人であっても〟を〝大勢の人々〟に置きかえることができます。
どうか皆さんはこの同志の集いを超えた広い視野を持ち、世の中には素朴な霊訓の一言が啓示となり次々と自由をたぐり寄せるきっかけとなる人が大勢いることを知っていただきたいのです」
別の交霊会で、夫を事故で失くした婦人が招待された。夫婦ともスピリチュアリストでシルバーバーチの古い同志でもあった。婦人はもとはローマ・カトリックの信者であったが、他界した娘からの通信で死後の存続を信じるようになり、古い信仰を棄てることになった。
しかし夫を失った今は息子と二人きりの生活となった。夫の事故死は宿命だったのか、偶発事故だったのかについてシルバーバーチに鋭い質問をするが、それは後で紹介することにして、順序としてまずシルバーバーチの慰めと勇気づけの言葉から紹介しよう。
「この度のご不幸はあなたにとっては忍ばねばならない重い十字架ですが、死後の存続の事実を知らずに色褪せた古い信仰をもって対処するよりは、あなたのように知識と理解とを持って対処できる方はどれだけ幸せでしょう。もはやあなたの人生は処理できないほど大きな問題も困難もありません。
そうしたものが地平線上に姿を現わしても、すぐに消えていくことに気づかれるでしょう。そこに霊の力が働いているからです。空虚な信仰ではなく確固とした知識の上に築かれた信仰から生まれる平静さと信頼感のあるところには、私たち霊界からの力も注ぎやすいということです。
弱気になってはなりません。毎朝をこれから先の使命達成の前触れとして明るく迎えることです。これからも引き続き自信に満ちた生活の規範を垂れ、あなたより不如意な境遇のもとで迷い、恐れ、疑い、たぶん大きな不安の中で生きている人々が、あなたの生活ぶりの中に聖域、憩いの場、あるいは避難所を見出すことができるようにしてあげて下さい。
あなたみずからが魂の灯台となって明るく照らせば、あなたはふんだんに霊の力の恩恵に浴し、それはひいては霊力の伝達者が同時に霊力の受信者でもあること、そのおかげで多くの仕事を為しとげることが出来ることの証となるのです。
私は決してご主人がいま何の悔いも感じておられない──幸せいっぱいで満足しておられるなどというセリフは申しません。そんなことを言えばウソになります。幸せいっぱいではありません。埋め合わせをしなければならないことが山ほどあり、収支相償うところまで行っておりません。まだ今しばらく辛抱がいります。新しい生活に適応する努力をしなければなりません。
でも感情的なストレスの多くが消えました。頭初のことを思えばずっと良くなられました。もうそろそろ、あなたへの影響を着実に行使することができるでしょう。これまでは思い出したように気まぐれにやっておりました。ご主人はもともとそういう方ではありません。
何ごともキチンとしたがるタイプで、これまでほっちらかしていたものを少しずつ整理していきたいと考えておられるところです」
「私に何か力になってあげられることがあるでしょうか」と婦人が尋ねた。
「愛の念を送ってあげて下さい。ご主人はいま何よりも愛を必要としておられます。こんなことを言うと妙な気持になられるかも知れませんが、地上でのご主人はあなたに頼りきりでした。ですから今になって自分でやるべきだったことが沢山あることを知って後悔しておられます。ご主人みずからこうおっしゃっています──自分は〝祈禱書〟の中にある〝為すべきことを為さずに終わった〟人間である、と。
でもご主人はこれからそれを為しとげて行くだけのものをお持ちです。あなたはいささかも明日のことを思い煩う必要はありません。私は、心がけ次第でご自分のものとなる安心感──地上的な意味での安心感ではありません。
この世的なものは一時的で永続きしませんから──霊的な実在の上に築かれる安心感を何とかして伝達することができれば、どんなにか素晴らしいことだと思っております。
つまりあなたの行く道は面倒な悩み続きの道ではなく、次第に開けゆく道、すべてがいっそう明確に、光明が一段と明るく照らす道であることをお伝えできれば、と思う気持ちでいっぱいです」
「そのお言葉は有難く、とても慰めになります」と婦人がうれしそうに言うと、
「そうでしょうとも、そうでしょうとも」とシルバーバーチが元気づけるように言い、さらにこう続ける。
「取越苦労ばかりしている人間が多すぎます。その心配の念が霧のようにその人を包み、障害物となって霊の接近を妨げます。心配すればするほど──あなたのことを言っているのではありません。人間一般についての話です──あなたに愛着を感じている霊の接近を困難にします」
そこで列席者の一人が「ほとんどの人間がそのことに確信が持てないのです。何も分からず、それが取越苦労の原因となっているのです」と言うと、
「おっしゃることは判ります」しかし、その知識を具えた人までが取越苦労をされている。それが私には理解できないのです。私は自信を持って皆さんに申し上げますが、この世の中には心配することなど何一つありません。
人間にとって最大の恐怖は死でしょう。それが少しも怖いものではないことを知り、生命が永遠であり、自分も永遠の存在であり、あらゆる霊的武器を備えていることを知っていながら、なぜ将来のことを心配なさるのでしょう。
するとさっきの婦人が「でも私達には不幸が訪れます。それも、往々にして予想できることがあります」と言うと、
「不幸の訪れの心配は不幸そのものよりも大きいものです。その心配の念が現実の不幸より害を及ぼしています」
ここで列席者の一人がこう意見を述べる。
「あなたは進化された霊だからそうおっしゃるのであって、私たち凡人は進化が十分でないために神の摂理の完璧な働きが判らないのです」
「私は私の知り得た限りのことを有りのまま述べております。そうしないと私の使命に背きます。私は決してあなた方が〝凡人〟と呼ぶ程度の人々と接触出来ないほど進化してはおりません。あなた方の悩みはすべて私にも判っております。ずいぶん永い間、地上生活に馴染んでまいりました。
あなた方お一人お一人の身近にいて、人生の困難さのすべてに通じております。しかし振り返ってご覧になれば、何一つとして克服できなかったものがないことが判るでしょう。
心配してはいけません。摂理を超えた出来ごとは決して起きません。霊の力も自然を無視したことは起こし得ないのです。不思議なことが起きるのは、それなりの必要条件が整った時だけです。
私は地上の存在ではありません。霊の世界にいるのですから、地上での仕事を成就させるためにはあなた方がそのための手段を提供してくれなければなりません。あなた方は私たちスピリットの腕であり身体です。
あなた方が道具を提供し、その道具を使って私たちが仕事をするということです。忠実に、誠意を持ってこの仕事に携わる者が、後で後悔することは絶対にありません」
こう述べてから「なんとかして他界されたお嬢さんをお目にかけることが出来ればと思うんですけどね・・・・・・」と言うと、婦人も、
「私もほんとにそう思います」と感きわまった言い方で答えた。
「お嬢さんはもうあなたと同じくらいの背丈になられました。今ではお父さんと一緒に仲良く暮らしておられます。いかがでしょう。私の話は少しはお役に立ったでしょうか。あなたとはあまりお話していませんね」
「いえ、とても勇気づけられました」
「あなたも私たちの仲間のお一人です。必要とあればいつでもお側に参ります。私には大勢の仲間がおり、その一人一人に援助の手を差しのべようと心掛けております。今夜この会が終わった後、あなたは決して〝手ぶら〟でお帰りになるのではありません。霊力の一部、宇宙で最も貴重なエネルギーがあなたとともに参ります。さらに必要とあらば私がお持ちしましょう」
「先ほど主人に愛の念をとおっしゃいましたが、心に思うことはすべて力になるのでしょうか。知識も力になるのでしょうか」
「なります。ご主人は頼りになるものをあなたに求めておられるからです。ご主人はまだ地上の雰囲気の中にいること、これからも当分今の状態が続くこと、したがって私たち霊よりもあなたの方が近づきやすいという事実を理解しなければなりません。ご主人はあなたが動揺したり躊躇したり疑ったりしない人間であってほしいのです。
ですから、あなたが岩のように堅固であれば、そのことがご主人に安心感を与えます。愛と援助の念を送ってあげれば、それがご主人を〝安心〟の衣で包んであげることになり、それが何よりの援助となりましょう」
この未亡人との話がもう少し続いた後、一人の列席者の質問から話題が〝因果律〟と〝偶発事故〟の問題へと発展していった。
問 「もし摂理に反したことをして病気になった場合、それ相当の代価を払うことなく治ったとしたら、おかしいと思うのですが」
答 「代価は必ず払わされます」
「でも心霊治療の手で苦しみを味わうことなく治ったら、それは卑怯だと思います」
「悪事の報いから逃れる者はいません」
「摂理を犯したために病気になり、その病気が心霊治療家の手で治ったとしたら、それは当然報いを逃れたことになりませんか」
「なりません」
「どうしてでしょう」
「いかなる法則をもってしても、自分が犯した罪の結果として病気になることは阻止できないからです。心霊治療が為し得ることはその病気の期間を縮めるか、治してしまうか、あるいは、もっと大切なこととして、真理に目覚める用意の出来た魂に感動的な体験を与えることです。悪事と懲罰の問題を超えたものがそこにあります。魂そのものの成長に関わる問題です。
魂が目覚めるまでは往々にして悲しみや病気がお伴をすることになります。絶望のどん底に落ちて初めて目覚めることもあります。物の世界には真の慰めとなるもの、希望を与えてくれるもの、魂を鼓舞してくれるものが無いことを悟った時に魂が目を覚まします。長いあいだ眠っていた霊性が目を覚ますのです。
心霊治療家がその感動と刺激を与え、新たな理解が芽を出しはじめることがあります。人生は精神と身体と霊の相互作用から成り立っています。残念ながら霊の活動が抑えつけられ、本来の属性や才覚や能力がほんの僅かしか顕現されていないケースが余りに多すぎます」
「でも、やはり心霊治療によって、たとえば一か月患うべき者が一週間で済むということになるように思います」
「期間の問題ではありません。霊そのものの問題です。霊は、何日も何週間もかかって体験するものを僅か二、三秒で体験することもできます。霊的なものを物的な尺度で判断することは出来ません。
霊的なものは霊的に判断しなければなりません。霊的なことが原因となって発生した現象を物的な期間を尺度として価値判断することは出来ません。さらに、理屈はどうであれ、治療家が痛みを軽減したり、ラクにさせたり、治癒させたりすることができるという現実は、そこに何らかの法則が伴っているという証拠であり、同時にそれは、その患者の魂がその救いを得る段階まで来ていたことを意味します。偶然とかまぐれとかで起きているのではありません」
ここで先ほどの未亡人が尋ねる。
「絶対にですか」
「絶対に起きません。あなたが今何を考えておられるか、私には判っています。でも、全ては法則の働きによります。原因と結果の法則です。法則の内側にも更に別の次元の法則があります」
「主人が亡くなったとき私は、これも宿命だったのだと信じる用意は出来ていたので、そのことをある方を通じてあなたに伝えてもらいました。するとあなたは、これは事故(アクシデント)だとおっしゃったのです。私は、アクシデントと法則とが同居できるはずはないと思いました」
「私がアクシデントだと言ったのは、神が過ちを犯したという意味ではありません。法則の内側にも更に別の次元の法則が絡んでおります。その事実を、これから可能な限り判り易く説明してみましょう。私が申し上げたかったのは、ご主人はあの日に死ぬ運命ではなかったということです」
「では私たちは何日に死ぬということまで決まっているわけではないということでしょうか」
「ひじょうに難しい問題です。というのは、それが決まっている人もいるからです」
「もし主人が私以外の女性と結婚していれば因果律もまったく別の形をとったはずです。もしかしたら、あの日のあの時刻に死ぬという結果を生む原因も起きなかったかも知れない──この考え方は考えすぎでしょうか」
「いえ、私は考えすぎだとは思いません。人生はすべて法則によって支配されております。天命、宿命、運命───こうした問題は何世紀にもわたって思想家の頭を悩ませてきました。では真相はといえば、法則の内側にも別の次元の法則が働いているということです。
宇宙には何人(なんぴと)にも動かしがたい基本的な法則がまず存在します。そして、それとは別に、自由意志を行使できる法則もあります。ただし自由意志による行為が原因となってそれ相当の結果が生じます。それは絶対に避けることは出来ないということです。お判りですか」
「判ります」
「さて、ご主人はあの日地上を去って私どもの世界へ来る必要はなかったという意味においては、あれは偶発的な事故でした。しかし、それでもなおかつ、因果律の働きによるものでした」
「原因の中にすでにあの事故が発生していたということでしょうか」
「その通りです。私が言っているのは、あの日に他界するように運命づけられていたという意味ではないということです」
「自由意志の行使範囲は広いけど無条件の自由ではないということですか」
「その通りです。範囲は広いのです。さらにもう一つ別の次元の範囲もあります。霊格の程度による範囲です。その時点において到達した進化の程度によっても違ってきます。さっきも言った通り、これは難しい問題です。問題は法則の絶対性という基本原理に必ず帰着します。
でも、あなた方も神です。つまりあなた方一人一人が神の計画に参画しているということです。生命はすなわち霊であり、霊はすなわち生命です。あなたもその霊なのです。つまりあなたにも神の計画の発展に寄与する力があるということです。宇宙の無限の創造活動の一翼を担う事ができるということです。
一方にはどうしても従わざるを得ない法則があり、他方には従うべきでありながら自由意志で勝手な行為に出てもよい法則もあります。ただし、その行為の中にはそれ相当の結果を生むタネが宿されているということです」
「その結果を意識的に、あるいは意図的に避けることも出来ないことはないということですか」
「それは、その時点における魂の進化の程度が問題となります」
「たとえば、自分なりに最高のものを求めて生きてきた人はかならず良い結果を生む原因をこしらえつつあることになるのでしょうか」
「必ずしもそうとは言えません。もう一つ大切な要素として〝知識〟の問題があるからです。霊的知識の問題です。いくら善人でも無知から霊的な罪を犯すことがあり得ます。たとえば、ここに一人の子供、とても気立ての良い子がいて、その子が炉の中に手を突っ込んだとします。
炉の火はその子が良い子であるか悪い子であるかにお構いなく、その手に火傷を負わせます。もしもその子に、火に手を入れたら火傷をするという〝知識〟があったら手を突っ込むことはしなかったでしょう。ですから、この場合、火傷をするしないは知識の問題です。
私がこうした因果律の問題は魂の進化の程度によって決まるといういい方をするのは、そういう要素があるからです。因果律はかならず働きます。信仰とか願望とかにはお構いなく働きます」
「倫理・道徳にも関係ないと思いますが」
「倫理・道徳にも関係ありません。万が一にも結果が原因と切り離されるようなことがあったら、宇宙は不可解な存在となり、公正も叡知も存在しないことになります。コルクを海に投げれば浮きます。石を投げれば沈みます。コルクが沈むことはないし、石が浮くこともありません。
法則に従うほかはありません。あなたが善人であるか悪人であるか、それは関係ありません。あなたのすることはそれ相当の結果が生じます。ですから、知識を増やすことです。霊格を高めることです。そうすれば霊的法則の働きについて一層の理解がいき、それによって人生を規制していくことができます」
「要するに私達は地上で出来るだけ多くの知識を学ぶべきだということですね」
「その通りです。ここで先ほどの質問に戻ってきました。知識を獲得した者は、それを他人の為に使用する義務があるということです。霊的能力を開発した人は、それを他人への奉仕の為に使用する義務があります。それが取りも直さず自分の魂の向上につながるのです。
他人への無関心、無頓着、無神経をなくし、優しさと慈悲と同情と奉仕の精神を広めなくてはいけません。魂が目覚めた人は他人の苦しみに無関心ではいられないはずです。同胞の痛みを自分の痛みとして感じ、同胞の悲しみを自分の悲しみとして感じるものです」
「ナザレ人イエスが天国の宝を貯えておきなさいと言ったのは、人生を支配している霊的法則のことを言ったのですね」
「その通りです。宝というのは霊の宝のことです。掛けがいのない宝石であり、魂の霊的属性の表現としての徳行です。霊性を自分で身につけ、自分で鍛え、自分で進化させるのです」今のあなたの高さ、霊的な高さが、死後の永遠の宝となります。
私はこれまで私が知り得た限りの摂理を披露しているだけです。私にできるのは、この霊的な人生哲学の基本の基本を力説するだけです。そして、敢えて断言しますが、いま私が述べたことは、不変・絶対の真理です。
人間がその基本的霊的真理に則って生活すれば、地上で享受できるかぎりの生き甲斐ある豊かさを手にすることができます。反対にそれを無視した生活を送れば、その生活は内的な面に関する限り空虚で無意味なものとなります。魂、霊、それがあなたの永遠の所有物です。それがあなたの本来の実像であり、肉体を捨てたあとに残るのはそれだけです」
ある日の交霊会にシルバーバーチのファンが訪れた。その人の悩みについていろいろと相談に乗った後、人間と背後霊との結びつきについてこう語った。
「どうか私のファンの方々、ますます大きくなった私の家族ともいうべき方々によろしくお伝え下さい。そして目にこそ見えませんが私がその家族の一員として常に目を離さずにいると伝えて下さい。ただの挨拶お言葉として述べているのではありません。
実際の事実を述べているのです。決して見棄てるようなことは致しません。援助を必要とする時は精神を統一して私の名を唱えて下さるだけでよろしい。その瞬間に私はその方の側に来ております。私は精一杯のことを致しております。これ以上はムリというぎりぎりのところまで力になっているつもりです。
困難に遭遇しないようにしてあげるわけにはまいりません。躓かないようにと、石ころを全部取り除いてあげるわけにはいきません。ただ、たとえ躓いても、転ばないように手を取って支えてあげることはできます。肩の荷をいっしょに担いであげることによって苦しみを和らげてあげることはできます。同時に喜びも共に味わって一増大きくしてあげることも出来ます。
いかなる困難も、解決できないほど大きいものは決してありません。取り除けないほど大きい障害物もありません。私たち霊界の者からの援助があるからです。人間の力だけではムリとみた時は別の援助の手があります。人間としての精一杯の努力をした上での話ですが・・・」
続いてシルバーバーチは若いゴードン・アダムズ夫妻に結婚生活の意義について語った。アダムズ夫人は著名な霊媒であるリリアン・ベイリー夫人の令嬢である(アダムズ氏は後にサイキック・ニューズ社の事務長になっている──訳者)二人は最近結婚したばかりで、シルバーバーチは以前からこのカップルと語り合う機会を持つ約束をしていた。まずアダムズ氏に向かってこう語る。
「ようこそお出でになりました。どうか気楽になさってください。こうご挨拶できる機会を得て本当にうれしく思います。私があなたを蔭ながら援助しはじめてずいぶんになります。霊的知識獲得の道を歩まれるよう導いてまいりました。苦難に遭遇された時は必ず援助の手を差しのべてきました。その全てが成功したとは言えません。思うようにならなかった時は周りの条件が整わなかった時でした」
ここで出席者全員に「今日は本当にうれしい日です」と述べてから、今度はこの若いカップルに向かってこう語った。
「人間生活には三つの側面があります。まず人間は霊であり、次に精神であり、そして肉体です。人間として個性を存分に発揮するようになるのは、この三つの面の存在を認識し、うまく調和させるようになった時です。
物質世界にのみ意識を奪われ、物的感覚にしか反応を示さぬ人間は、精神的ならびに霊的な面においてのみ獲得される、より大きい、より深い、より美しい喜びを味わうことはできません。反対に、精神的なもの、霊的なものばかりの冥想的生活から生まれる内的満足のみを求め、この世の人間としての責務を疎かにする人間は、一種の利己主義者です。
肉体と精神と霊──この三つは一つの生命が持つ側面です。神が賦与して下さった才能の全てをその三つの側面を通じて発揮するための正しい知識を授けることが、こうして霊界から地上へ戻ってくる霊の仕事なのです。男性と女性は互いに補い合うべき存在です。
お互いが相手の足らざるものを具えております。両者が完全に調和して半分どうしが一体となった時こそ、神の意図が成就されたことになるのです。
残念ながら二つの魂の一体を求めて地上へ誕生してくる霊の中には、それが成就されないケースが多すぎます。二つの魂を永遠の絆で結びつける唯一の原動力である〝愛〟に動かされていないためです。
私の知る限り愛は宇宙最大の力です。他のいかなる力にも為し得ない驚異を働きます。愛は己れを知り尽くしております。それ故、愛する人だけでなく他のいかなる人に対しても邪なものが降りかかることを望みません。
お二人が愛によって結ばれ、この世だけでなく地上での巡礼が終わったのちにも互いを認め合い睦み合うことを許されたことを幸せと思わなくてはいけません。
お二人は終わりのない旅へ向けて出発されました。しかし、手に手を取り合い、心と心、魂と魂を結び合って永遠に歩み続け、永遠に共に暮らすことでしょう。こうしてお二人が愛の力によって祝福され、尊ばれ、聖別された以上、もはや私の世界にも地上にも、改めて祝福を述べてくれる人を求める必要はありません。
ですから私も〝この二人に祝福あれ〟などと申し上げる必要がないわけです。祝福はお二人を結びつけた愛の力によって既に成就され、お二人の前に続く未来永劫にわたる人生を堅固に、そして調和あるものとしてくれます。お二人を結びつけた霊的知識に感謝すべきです。
真の結婚、永続的な結びつきは、二つの魂が調和し、その当然の成り行きとして進化の法則の成就のために奉仕の道で共に援助し合うことであることを、肝に銘じて下さい。
力と導き、霊感と叡知が常にあなた方の周りにあること、霊の力がいつもあなた方と共にあって手助けし、援助し、鼓舞してくれること、お二人に忠誠心と愛着さえあれば、それがいかに身近なものであるかをいつでも証明してみせることが出来ることを銘記して、前向きに生きることです。
まさしくあなた方お二人は一体です。前途に横たわる人生には祝福に満ちております。問題も困難もトラブルも起きないと言っているのではありません。それは人間としてどうしても遭遇することになっているのです。地上生活を送る魂は有為転変の全てを体験しなければなりません。
が、お二人はきっとそれらに堂々と対処し、そして克服して行かれることでしょう。魂まで傷つくようなことはないでしょう。なぜなら、一人では苦しいことも、二人で対処すれば半分ずつとなり、結局少しも苦にならないことになるからです。
こういう言い方をすると多分あなた方は、これから大変な苦労があるのだと勘ぐり始めておられるに相違ありません。が、私はそんな意味で言っているのではありません。苦労を通じて霊力の働き、地上への働きかけの原理を理解した者だけが、その霊力との交わりから生まれる内的な喜びを味わうことができることを述べんとしているまでです。
それは地上の言語ではなかなか表現しにくいことです。が、その霊力の恩恵に浴した者は、人生には魂まで傷つけ挫けさせ宿命の成就を妨げるほどのものは絶対に生じないことを知り、自信を持って堂々と生きることができるということです。
霊的淵源に発し、神性を宿したその素晴らしい富──神の宝庫の一部であるところの、無限の価値を秘めたその宝は、受け入れる用意さえ整えれば永久に自分のものとすることができます。
若くして(地上の年令で言えばのことですが)真理に目を開かせていただいた恵みに感謝しなければなりません。煩悩の霧が晴れ、その霊的真理があなた方の心に居場所を得たことを喜び、それがあなた方に真の自由をもたらしたように、こんどは他の人々へもその自由をもたらしてあげなくてはならないことを自覚してください」
同じ交霊会にもう一つのカップルがいた。そして、ちょうどその日が二人の結婚記念日だった。そのカップルにシルバーバーチがこう語りかける。
「私もあなた方の喜びにぜひあやかりたいものです。二つの魂が互いに相手を見出し、一体化を成就するのは、いつ見てもうれしいものです。そう度々あるものでないだけに、それをこうして地上において成就されたのを拝見するのが大変うれしいのです。
お二人に愛が宿り、温かく包み、しかもそれがこれまでの永い年月の間に少しも曇ることがなく、光輝を失わなかったこと、その素晴らしさ、その美しさ、その魅力がいまお二人を包み、時の経過と共にますます強力となっていくことを喜ばなくてはいけません。
地上のすべての人がそうした完全な一体化による幸せを味わうことができれば、と願うこと切なるものがあります。そうなれば人生がどんなにかラクに、そして意義あるものとなることでしょう。
すると奥さんの方がこう述べた。
「私どもはこれまで他の人々には得られない援助をあなたからたくさん頂いてきました」
「それはお互いさまです。あなたが人のために尽くされ、私があなたを援助する。そうすることによって直接お目に掛かったことのない人々へ慰めをもたらすことが出来ました。それがどの程度まで成功したか、どこまで成就したかは知りません。
これまでたびたび述べてきたことなので皆さんは直ぐに引用できるほどではないかと思いますが、暗闇にいる人に光を見出させてあげることが出来れば、それがたった一人であっても、それだけでその人の人生は価値があったことになります。ここに集まった私達は、その〝たった一人であっても〟を〝大勢の人々〟に置きかえることができます。
どうか皆さんはこの同志の集いを超えた広い視野を持ち、世の中には素朴な霊訓の一言が啓示となり次々と自由をたぐり寄せるきっかけとなる人が大勢いることを知っていただきたいのです」
別の交霊会で、夫を事故で失くした婦人が招待された。夫婦ともスピリチュアリストでシルバーバーチの古い同志でもあった。婦人はもとはローマ・カトリックの信者であったが、他界した娘からの通信で死後の存続を信じるようになり、古い信仰を棄てることになった。
しかし夫を失った今は息子と二人きりの生活となった。夫の事故死は宿命だったのか、偶発事故だったのかについてシルバーバーチに鋭い質問をするが、それは後で紹介することにして、順序としてまずシルバーバーチの慰めと勇気づけの言葉から紹介しよう。
「この度のご不幸はあなたにとっては忍ばねばならない重い十字架ですが、死後の存続の事実を知らずに色褪せた古い信仰をもって対処するよりは、あなたのように知識と理解とを持って対処できる方はどれだけ幸せでしょう。もはやあなたの人生は処理できないほど大きな問題も困難もありません。
そうしたものが地平線上に姿を現わしても、すぐに消えていくことに気づかれるでしょう。そこに霊の力が働いているからです。空虚な信仰ではなく確固とした知識の上に築かれた信仰から生まれる平静さと信頼感のあるところには、私たち霊界からの力も注ぎやすいということです。
弱気になってはなりません。毎朝をこれから先の使命達成の前触れとして明るく迎えることです。これからも引き続き自信に満ちた生活の規範を垂れ、あなたより不如意な境遇のもとで迷い、恐れ、疑い、たぶん大きな不安の中で生きている人々が、あなたの生活ぶりの中に聖域、憩いの場、あるいは避難所を見出すことができるようにしてあげて下さい。
あなたみずからが魂の灯台となって明るく照らせば、あなたはふんだんに霊の力の恩恵に浴し、それはひいては霊力の伝達者が同時に霊力の受信者でもあること、そのおかげで多くの仕事を為しとげることが出来ることの証となるのです。
私は決してご主人がいま何の悔いも感じておられない──幸せいっぱいで満足しておられるなどというセリフは申しません。そんなことを言えばウソになります。幸せいっぱいではありません。埋め合わせをしなければならないことが山ほどあり、収支相償うところまで行っておりません。まだ今しばらく辛抱がいります。新しい生活に適応する努力をしなければなりません。
でも感情的なストレスの多くが消えました。頭初のことを思えばずっと良くなられました。もうそろそろ、あなたへの影響を着実に行使することができるでしょう。これまでは思い出したように気まぐれにやっておりました。ご主人はもともとそういう方ではありません。
何ごともキチンとしたがるタイプで、これまでほっちらかしていたものを少しずつ整理していきたいと考えておられるところです」
「私に何か力になってあげられることがあるでしょうか」と婦人が尋ねた。
「愛の念を送ってあげて下さい。ご主人はいま何よりも愛を必要としておられます。こんなことを言うと妙な気持になられるかも知れませんが、地上でのご主人はあなたに頼りきりでした。ですから今になって自分でやるべきだったことが沢山あることを知って後悔しておられます。ご主人みずからこうおっしゃっています──自分は〝祈禱書〟の中にある〝為すべきことを為さずに終わった〟人間である、と。
でもご主人はこれからそれを為しとげて行くだけのものをお持ちです。あなたはいささかも明日のことを思い煩う必要はありません。私は、心がけ次第でご自分のものとなる安心感──地上的な意味での安心感ではありません。
この世的なものは一時的で永続きしませんから──霊的な実在の上に築かれる安心感を何とかして伝達することができれば、どんなにか素晴らしいことだと思っております。
つまりあなたの行く道は面倒な悩み続きの道ではなく、次第に開けゆく道、すべてがいっそう明確に、光明が一段と明るく照らす道であることをお伝えできれば、と思う気持ちでいっぱいです」
「そのお言葉は有難く、とても慰めになります」と婦人がうれしそうに言うと、
「そうでしょうとも、そうでしょうとも」とシルバーバーチが元気づけるように言い、さらにこう続ける。
「取越苦労ばかりしている人間が多すぎます。その心配の念が霧のようにその人を包み、障害物となって霊の接近を妨げます。心配すればするほど──あなたのことを言っているのではありません。人間一般についての話です──あなたに愛着を感じている霊の接近を困難にします」
そこで列席者の一人が「ほとんどの人間がそのことに確信が持てないのです。何も分からず、それが取越苦労の原因となっているのです」と言うと、
「おっしゃることは判ります」しかし、その知識を具えた人までが取越苦労をされている。それが私には理解できないのです。私は自信を持って皆さんに申し上げますが、この世の中には心配することなど何一つありません。
人間にとって最大の恐怖は死でしょう。それが少しも怖いものではないことを知り、生命が永遠であり、自分も永遠の存在であり、あらゆる霊的武器を備えていることを知っていながら、なぜ将来のことを心配なさるのでしょう。
するとさっきの婦人が「でも私達には不幸が訪れます。それも、往々にして予想できることがあります」と言うと、
「不幸の訪れの心配は不幸そのものよりも大きいものです。その心配の念が現実の不幸より害を及ぼしています」
ここで列席者の一人がこう意見を述べる。
「あなたは進化された霊だからそうおっしゃるのであって、私たち凡人は進化が十分でないために神の摂理の完璧な働きが判らないのです」
「私は私の知り得た限りのことを有りのまま述べております。そうしないと私の使命に背きます。私は決してあなた方が〝凡人〟と呼ぶ程度の人々と接触出来ないほど進化してはおりません。あなた方の悩みはすべて私にも判っております。ずいぶん永い間、地上生活に馴染んでまいりました。
あなた方お一人お一人の身近にいて、人生の困難さのすべてに通じております。しかし振り返ってご覧になれば、何一つとして克服できなかったものがないことが判るでしょう。
心配してはいけません。摂理を超えた出来ごとは決して起きません。霊の力も自然を無視したことは起こし得ないのです。不思議なことが起きるのは、それなりの必要条件が整った時だけです。
私は地上の存在ではありません。霊の世界にいるのですから、地上での仕事を成就させるためにはあなた方がそのための手段を提供してくれなければなりません。あなた方は私たちスピリットの腕であり身体です。
あなた方が道具を提供し、その道具を使って私たちが仕事をするということです。忠実に、誠意を持ってこの仕事に携わる者が、後で後悔することは絶対にありません」
こう述べてから「なんとかして他界されたお嬢さんをお目にかけることが出来ればと思うんですけどね・・・・・・」と言うと、婦人も、
「私もほんとにそう思います」と感きわまった言い方で答えた。
「お嬢さんはもうあなたと同じくらいの背丈になられました。今ではお父さんと一緒に仲良く暮らしておられます。いかがでしょう。私の話は少しはお役に立ったでしょうか。あなたとはあまりお話していませんね」
「いえ、とても勇気づけられました」
「あなたも私たちの仲間のお一人です。必要とあればいつでもお側に参ります。私には大勢の仲間がおり、その一人一人に援助の手を差しのべようと心掛けております。今夜この会が終わった後、あなたは決して〝手ぶら〟でお帰りになるのではありません。霊力の一部、宇宙で最も貴重なエネルギーがあなたとともに参ります。さらに必要とあらば私がお持ちしましょう」
「先ほど主人に愛の念をとおっしゃいましたが、心に思うことはすべて力になるのでしょうか。知識も力になるのでしょうか」
「なります。ご主人は頼りになるものをあなたに求めておられるからです。ご主人はまだ地上の雰囲気の中にいること、これからも当分今の状態が続くこと、したがって私たち霊よりもあなたの方が近づきやすいという事実を理解しなければなりません。ご主人はあなたが動揺したり躊躇したり疑ったりしない人間であってほしいのです。
ですから、あなたが岩のように堅固であれば、そのことがご主人に安心感を与えます。愛と援助の念を送ってあげれば、それがご主人を〝安心〟の衣で包んであげることになり、それが何よりの援助となりましょう」
この未亡人との話がもう少し続いた後、一人の列席者の質問から話題が〝因果律〟と〝偶発事故〟の問題へと発展していった。
問 「もし摂理に反したことをして病気になった場合、それ相当の代価を払うことなく治ったとしたら、おかしいと思うのですが」
答 「代価は必ず払わされます」
「でも心霊治療の手で苦しみを味わうことなく治ったら、それは卑怯だと思います」
「悪事の報いから逃れる者はいません」
「摂理を犯したために病気になり、その病気が心霊治療家の手で治ったとしたら、それは当然報いを逃れたことになりませんか」
「なりません」
「どうしてでしょう」
「いかなる法則をもってしても、自分が犯した罪の結果として病気になることは阻止できないからです。心霊治療が為し得ることはその病気の期間を縮めるか、治してしまうか、あるいは、もっと大切なこととして、真理に目覚める用意の出来た魂に感動的な体験を与えることです。悪事と懲罰の問題を超えたものがそこにあります。魂そのものの成長に関わる問題です。
魂が目覚めるまでは往々にして悲しみや病気がお伴をすることになります。絶望のどん底に落ちて初めて目覚めることもあります。物の世界には真の慰めとなるもの、希望を与えてくれるもの、魂を鼓舞してくれるものが無いことを悟った時に魂が目を覚まします。長いあいだ眠っていた霊性が目を覚ますのです。
心霊治療家がその感動と刺激を与え、新たな理解が芽を出しはじめることがあります。人生は精神と身体と霊の相互作用から成り立っています。残念ながら霊の活動が抑えつけられ、本来の属性や才覚や能力がほんの僅かしか顕現されていないケースが余りに多すぎます」
「でも、やはり心霊治療によって、たとえば一か月患うべき者が一週間で済むということになるように思います」
「期間の問題ではありません。霊そのものの問題です。霊は、何日も何週間もかかって体験するものを僅か二、三秒で体験することもできます。霊的なものを物的な尺度で判断することは出来ません。
霊的なものは霊的に判断しなければなりません。霊的なことが原因となって発生した現象を物的な期間を尺度として価値判断することは出来ません。さらに、理屈はどうであれ、治療家が痛みを軽減したり、ラクにさせたり、治癒させたりすることができるという現実は、そこに何らかの法則が伴っているという証拠であり、同時にそれは、その患者の魂がその救いを得る段階まで来ていたことを意味します。偶然とかまぐれとかで起きているのではありません」
ここで先ほどの未亡人が尋ねる。
「絶対にですか」
「絶対に起きません。あなたが今何を考えておられるか、私には判っています。でも、全ては法則の働きによります。原因と結果の法則です。法則の内側にも更に別の次元の法則があります」
「主人が亡くなったとき私は、これも宿命だったのだと信じる用意は出来ていたので、そのことをある方を通じてあなたに伝えてもらいました。するとあなたは、これは事故(アクシデント)だとおっしゃったのです。私は、アクシデントと法則とが同居できるはずはないと思いました」
「私がアクシデントだと言ったのは、神が過ちを犯したという意味ではありません。法則の内側にも更に別の次元の法則が絡んでおります。その事実を、これから可能な限り判り易く説明してみましょう。私が申し上げたかったのは、ご主人はあの日に死ぬ運命ではなかったということです」
「では私たちは何日に死ぬということまで決まっているわけではないということでしょうか」
「ひじょうに難しい問題です。というのは、それが決まっている人もいるからです」
「もし主人が私以外の女性と結婚していれば因果律もまったく別の形をとったはずです。もしかしたら、あの日のあの時刻に死ぬという結果を生む原因も起きなかったかも知れない──この考え方は考えすぎでしょうか」
「いえ、私は考えすぎだとは思いません。人生はすべて法則によって支配されております。天命、宿命、運命───こうした問題は何世紀にもわたって思想家の頭を悩ませてきました。では真相はといえば、法則の内側にも別の次元の法則が働いているということです。
宇宙には何人(なんぴと)にも動かしがたい基本的な法則がまず存在します。そして、それとは別に、自由意志を行使できる法則もあります。ただし自由意志による行為が原因となってそれ相当の結果が生じます。それは絶対に避けることは出来ないということです。お判りですか」
「判ります」
「さて、ご主人はあの日地上を去って私どもの世界へ来る必要はなかったという意味においては、あれは偶発的な事故でした。しかし、それでもなおかつ、因果律の働きによるものでした」
「原因の中にすでにあの事故が発生していたということでしょうか」
「その通りです。私が言っているのは、あの日に他界するように運命づけられていたという意味ではないということです」
「自由意志の行使範囲は広いけど無条件の自由ではないということですか」
「その通りです。範囲は広いのです。さらにもう一つ別の次元の範囲もあります。霊格の程度による範囲です。その時点において到達した進化の程度によっても違ってきます。さっきも言った通り、これは難しい問題です。問題は法則の絶対性という基本原理に必ず帰着します。
でも、あなた方も神です。つまりあなた方一人一人が神の計画に参画しているということです。生命はすなわち霊であり、霊はすなわち生命です。あなたもその霊なのです。つまりあなたにも神の計画の発展に寄与する力があるということです。宇宙の無限の創造活動の一翼を担う事ができるということです。
一方にはどうしても従わざるを得ない法則があり、他方には従うべきでありながら自由意志で勝手な行為に出てもよい法則もあります。ただし、その行為の中にはそれ相当の結果を生むタネが宿されているということです」
「その結果を意識的に、あるいは意図的に避けることも出来ないことはないということですか」
「それは、その時点における魂の進化の程度が問題となります」
「たとえば、自分なりに最高のものを求めて生きてきた人はかならず良い結果を生む原因をこしらえつつあることになるのでしょうか」
「必ずしもそうとは言えません。もう一つ大切な要素として〝知識〟の問題があるからです。霊的知識の問題です。いくら善人でも無知から霊的な罪を犯すことがあり得ます。たとえば、ここに一人の子供、とても気立ての良い子がいて、その子が炉の中に手を突っ込んだとします。
炉の火はその子が良い子であるか悪い子であるかにお構いなく、その手に火傷を負わせます。もしもその子に、火に手を入れたら火傷をするという〝知識〟があったら手を突っ込むことはしなかったでしょう。ですから、この場合、火傷をするしないは知識の問題です。
私がこうした因果律の問題は魂の進化の程度によって決まるといういい方をするのは、そういう要素があるからです。因果律はかならず働きます。信仰とか願望とかにはお構いなく働きます」
「倫理・道徳にも関係ないと思いますが」
「倫理・道徳にも関係ありません。万が一にも結果が原因と切り離されるようなことがあったら、宇宙は不可解な存在となり、公正も叡知も存在しないことになります。コルクを海に投げれば浮きます。石を投げれば沈みます。コルクが沈むことはないし、石が浮くこともありません。
法則に従うほかはありません。あなたが善人であるか悪人であるか、それは関係ありません。あなたのすることはそれ相当の結果が生じます。ですから、知識を増やすことです。霊格を高めることです。そうすれば霊的法則の働きについて一層の理解がいき、それによって人生を規制していくことができます」
「要するに私達は地上で出来るだけ多くの知識を学ぶべきだということですね」
「その通りです。ここで先ほどの質問に戻ってきました。知識を獲得した者は、それを他人の為に使用する義務があるということです。霊的能力を開発した人は、それを他人への奉仕の為に使用する義務があります。それが取りも直さず自分の魂の向上につながるのです。
他人への無関心、無頓着、無神経をなくし、優しさと慈悲と同情と奉仕の精神を広めなくてはいけません。魂が目覚めた人は他人の苦しみに無関心ではいられないはずです。同胞の痛みを自分の痛みとして感じ、同胞の悲しみを自分の悲しみとして感じるものです」
「ナザレ人イエスが天国の宝を貯えておきなさいと言ったのは、人生を支配している霊的法則のことを言ったのですね」
「その通りです。宝というのは霊の宝のことです。掛けがいのない宝石であり、魂の霊的属性の表現としての徳行です。霊性を自分で身につけ、自分で鍛え、自分で進化させるのです」今のあなたの高さ、霊的な高さが、死後の永遠の宝となります。
私はこれまで私が知り得た限りの摂理を披露しているだけです。私にできるのは、この霊的な人生哲学の基本の基本を力説するだけです。そして、敢えて断言しますが、いま私が述べたことは、不変・絶対の真理です。
人間がその基本的霊的真理に則って生活すれば、地上で享受できるかぎりの生き甲斐ある豊かさを手にすることができます。反対にそれを無視した生活を送れば、その生活は内的な面に関する限り空虚で無意味なものとなります。魂、霊、それがあなたの永遠の所有物です。それがあなたの本来の実像であり、肉体を捨てたあとに残るのはそれだけです」
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