Silver Birch Speaks
Edited by Sylvia Barbanell
─── 生前スピリチュアリズムを否定し、生涯を合理主義者で通したH・G・ウェルズ(※)のような人はそちらでどんな気持ちを抱いたのでしょうか。
(※世界的に知られた英国の文明評論家で、主著に「世界文化史体系」「生命の科学」等がある。 一八六六年~一九四六年───訳者)
「ウェルズは不幸にして強烈な知性がかえって禍した偉大な魂です。もしこうした偉大な知性が童子のような無邪気さと一体となれば大変な人種が地上に誕生するのですが・・・
こうした人は生涯かけて築いてきた人生哲学をそっくり捨て去らないといけないのですが、それが彼らにはどうしても得心がいかないのです。彼らにしてみれば、あれだけ論理的に且つ科学的に論証したのだから、その思想と合致しない宇宙の方がどうかしているに相違ないとまで考えるのです。そんな次第ですから、色々と修正していかねばならないことがあり、長い長い議論が続きます」
その議論の相手となって説得に当たったのがチャールズ・ブラッドローとトーマス・ペインだったという。(二人とも地上時代は自由思想家として人権擁護の為に貢献した人物である―訳者)
それを聞いてスワッハーが「ペインは偉大な人物でした」と言うと、すかさずシルバーバーチが「でした、ではありません。今でも偉大な人物です」と訂正してこう述べた。
「彼は地上での評価よりはるかに偉大な人物です。時代を抜きんでた巨人です。霊的な巨人です。先見の明によって次々と問題を解決していった生まれながらの霊格者でした。人類は本来自由であるべきで、決して束縛されてはならないとの認識をもった偉大な宗教的人物でした。真の意味で〝宗教的〟な人物でした」
「ルーズベルト(米大統領)はペインのことを〝卑劣な不信心者〟とけなしていますが・・・」
(ペインは米国の独立直前には米国へ移住し、フランス革命の最中にはフランスに移住しているので、そのことに言及しているものと推察される───訳者)
「そのことなら私も知っております。が、ルーズベルトがどれほどペインの努力の恩恵を受けていたか、それが私と同じ程度に理解できれば、ペインの偉大さが分かることでしょう。事実を目の前にすると地上の評価などいっぺんに変わってしまいます」
そう述べてからウェルズも今では地上でスピリチュアリズムに耳を貸さずに偏見を抱いていたことを後悔していますとシルバーバーチが述べると、スワッハーが、
「でも、それでもなおずっと自分の思う道を突き進んだのでしょう」と言った。すると
「おっしゃる通りですが、死というものが大きな覚醒の端緒となっていることを知らなくてはいけません。霊的な大変動を体験すると、それまで疎かにされてきた面が強調されて、成就した立派な面を見過ごしがちなものです」
「人間は立派になればなるほど自分をつまらない存在のように思いがちになるところに問題があるようですね」
「霊界での生活が始まった当初はどうしてもそうなります。それがバランスの回復と修正の過程なのです。時が経てば次第に本来の平衝を取り戻して、地上生活の価値を論理的にそして正確に認識するようになります。こちらへ来ると、あらゆる見せかけが剥げ落ちて、意識的生活では多分初めて自我が素っ裸にされた生活を体験します。
これは大変なショックです。そして徐(おもむろ)にこう考え始めます───一体自分のやってきたことのどこが間違っていたのだろう。何が疎かにされてきたのだろうか、と。
そうした反省の中ではとかく自分の良い面、功績、価値を忘れて欠点ばかりが意識されます。その段階 ─── これは霊界の磁気作用に反応し始めた時に生ずるものですが(※)─── いったんその段階を過ぎると、自分本来の姿が見え始めます。
それが人によっては屈辱的なショックであったり、うれしい驚きであったりします。人知れず地道に、その人なりのささやかな形で善行に励んできた人が、霊界では、地上で自分が尊敬していた有名人よりもはるかに高い評価を受けていたというケースはたくさんあります。有名にも二通りあります」
(※地上的波長の磁気作用から脱することで、言いかえれば地縛霊的状態を脱すること。俗に〝成仏する〟というのはその程度のことで、そこから真の霊界生活が始まる───訳者)
「ウェルズも他界した時は大歓迎を受けたことでしょう」
「受けました。それだけのことはしていましたから、彼は知識によって世の人を啓発しました。多くの人に真実を教え、無知の中で暮らしていた数知れぬ人々の目を開かせました」
次は十五年間もさる有名な政治家から自動書記通信を受け続けているという人の質問である。その通信霊が今なお生前の氏名を明かさないことについてこう意見を述べた。
─── 身元を明かさないということは読者を遠ざける要因になると思うのですが・・・・
「さあ、それはどうでしょうか。これは霊界通信において長いこと問題にされていることですが、私たちの世界の誰かが自分が身につけた知識を伝えてあなた方の世界を少しでも明るくしようと一念発起したとします。その際その霊が地上で有名だった人だと、身元を明かすことを躊躇するものです。
少なくとも当分の間は明したがりません。それはその人が通信を送ろうとするそもそもの目的とは関係ないことであって、そんなことで混乱を生じさせたくないからです。
私が聞いているところでは、その著述の目的は一連の証拠性のある通信─── 地上時代の身元を証すという意味での証拠ですが───を提供することではなく、自動書記という、普通の地上の書き方とは全く違う形でインスピレーションの本質、その極致、その深奥を伝えることにあるとのことです。
もしも初期の段階で証拠に次ぐ証拠の提供に手間取っていたら、恐らく、いや間違いなく、肝心の通信の伝達に支障を来していたことでしょう。あなたご自身もそれが本当に名のっている通りの人物だろうかと疑っていたかもしれません。」
そういう事態にならずに通信の内容に集中できたのは、大切なのは内容であって通信者ではないとの信念があったからです。
霊界通信はその内容によって価値が決まります。身元の証拠を提供するということと、霊的知識を提供することとはまったく別の範疇に属することであることを忘れてはなりません。前者は疑り深い人間を得心させる必要からすることであり、後者は魂に受け入れる用意の出来た人に訴えるのが目的です。
霊的真理というものは、それを受け入れる用意のある人にしか理解されないことを銘記しなければなりません。叡知は魂がそれを理解できる段階に到達するまでは受け入れられません。
霊界からの働き掛けには二つの目的があります。一つは五感が得心する形で霊的実在を確信させること。もう一つは、これも同じく重要なことですが、その霊的知識の意義を日常生活に反映させていくこと、つまり人間が霊的遺産と霊的宿命とをもった霊的実在であり、神に似せて創造されているからにはその霊も精神と身体の成長に必要なものを要求する権利、絶対に奪うべからざる権利があることを理解させることです。
あらゆる不正、あらゆる不公平、あらゆる悪弊と利己主義、暗闇を助長し光明を妨げるもの全て、無知に安住し新しい知識を忌避することによって既得権を保持せんとする者のすべてに対して、敢然(かんぜん)と立ち向かわなくてはなりません。なぜなら人間は自由の中に生きるべきだからです。霊と精神と身体が自由でなければならないからです」
─── 特別の証拠を提供してくれるのは他界したばかりの霊が多いようです。大体において古い霊よりもその点では熱心です。
「そうです。とくに戦死した元気な若者にそういう傾向があります。そうさせるのはもちろん地上からの愛念です。それを何よりも強く感じるのです。それが彼らを地上へ引きつけ、彼らの方にも引き付けられたい気持ちがあります。つまり愛のあるところに彼らがいるのです。
その愛の強さが、遠い昔に他界してすでに地上の出来ごとへの関心が薄れ地上と結びつける絆のいくつかを失ってしまった古い霊よりも、彼らに地上との接触を可能にするのです」
─── 私たちは睡眠中に幽界を訪れるそうですが、その間すでに他界した縁故者や知人はそのことを知っているのでしょうか。
「もちろん知っております。同じ意識のレベルでお会いになっておられます」
─── スピリチュアリズムの普及のために活躍しておられる人がとかく物的生活面で苦労が多いのはなぜでしょうか。
「真理のために身を捧げる者は徹底的に試練を味わう必要があるからです。霊の大軍に所属する者はいかなる困難にも耐え、いかなる障害にも対処し、あらゆる問題を征服するだけの強さを身につけなければなりません。
はじめて遭遇した困難であっさりと参ってしまうような人間が霊の道具として役に立つでしょうか。最大の貢献をする道具は浄化の炎で鍛えあげなければなりません。それによって鋼鉄(はがね)の強さが身につきます。一見ただの挫折のように思えても、実際はみな計画された試練なのです。
人を導こうとする者が安逸の生活をむさぼり、試練もなくストレスもなく嵐も困難も体験しないでいては、その後に待ち受ける大事業に耐えうる性格も霊力も身につかないでしょう」
─── 偶発事故で死ぬことは絶対にないとする説を認め(ここでシルバーバーチが遮って〝いえ、私はそんな説を認めませんよ〟と言う)みんな法則によって死んで行くのであれば、死刑の執行人もその法則の実行者にすぎないことになり、死刑制度への反対も意味がないことにならないでしょうか。
「実は死ぬべき時機が熟さないうちに他界する人が多すぎるところに不幸があるのです。他界する人間がみな十分な準備を整えて来てくれれば、私たちがこうして地上まで戻ってきて苦労することはないのです。誰もが知っておくべき基本的な霊的真理をこうして説かねばならないのは、
魂が地上で為すべき準備が充分に整わないうちに送られてくる人間が余りに多すぎるからです。今おっしゃった説は間違っております。死ぬべき時機が来ないうちに死ぬ人が多すぎるのです。確かに法則はあります。全てが法則の枠の中で行われていることは確かです。しかしそれは事故が起きる日時まで前もって定められているという意味ではありません」
─── 戦争犯罪人はそちらへ行ってからどのような扱いを受けるのでしょうか。
「誰であろうと、それぞれの事情に応じて自然法則が働きます。法則の働きは完璧です。原因に対して数学的正確さをもって結果が生じます。その因果関係を髪の毛一本ほども変えることはできません。刈り取らされるものは自分がタネを蒔いたものばかりです。
その魂には地上生活の結果が消そうにも消せないほど深く刻み込まれております。摂理に反したことをした者はそれ相当の結果が魂に刻まれます。その一つ一つについて然るべき償いを終えるまでは向上は許されません」
─── ハルマゲドン(※)が急速に近づきつつあるという予言は本当でしょうか。(※もとは聖書に善と悪との最後の大決戦場として出ているだけであるが、それが予言では地球の壊滅的な動乱に発展している──訳者)
「いいえ、そういう考えは真実ではありません。注意していただきたいのは、聖書の編纂に当たった人たちは大なり小なり心霊能力をもっていて、そのインスピレーションを象徴(シンボル)の形で受け取っていたということです。
そもそも霊的なものは霊的に理解するのが鉄則です。象徴的に述べられているものをそのまま真実として読み取ってはいけません。霊界から地上への印象づけは絵画的な翻案によって行います。それをどう解釈するかは人間側の問題です。
いわゆるハルマゲドン───地球全土が破壊され、そこへイエスが生身をもって出現して地上の王となるというのは真実ではありません。全ての生命は進化の途上にあります。物質界に終末はありません。これ以後もずっと改善と成長と進化を続けます。それとともに人類も改善され成長し進化していきます。生命の世界に始まりも終りもありません」
─── 各自に守護霊がついているということですが、もしそうならば戦争のさなかにおいて守られる人と守られない人とがいるのはなぜでしょうか。
「その時点でのもろもろの事情によって支配されているからです。各自に守護霊がいることは事実ですが、ではその事実を本当に自覚している人が何人いるでしょうか。自覚がなければ、無意識の心霊能力を持ち合わせていない限り守護霊は働きかけることはできません。
霊の地上への働きかけはそれに必要な条件を人間の方が用意するかしないかに掛かっています。
霊の世界と連絡の取れる条件を用意してくれれば、身近な関係にある霊が働きかけることができます。よく聞かされる不思議な体験、奇跡的救出の話はみなそれなりの条件が整った時のことです。条件を提供するのは人間の方です。人間の方から手を差しのべてくれなければ、私たちは人間界に働きかけることができないのです」
十四章 シルバーバーチの祈り
神よ、私たちはあなたの完璧な摂理の背後に秘められた完全なる愛を説き明かさんと努力している者でございます。人類はその太古よりあなたがいかなる存在であるかを想像しながらも、その概念はいつも人間的短所と限界と制約の上に築かれてまいりました。
宇宙の生命活動を律するその霊妙な叡知を人間は幽かながら捉え、それを人間に理解できる言葉で説明せんとしてまいりました。あなたの性格を人間の全てに共通する弱点と欠点と感情を具えた一個の人間として想像しました。
気に入った者には恩寵を与え、気に入らぬ者には憤怒を浴びせる人間味むき出しの神を想像いたしました。
その後の進化に伴って人間の知識も進歩いたしましたが、この大宇宙を創造した究極の存在について想像したものは真のあなたの姿には遠く及びません。
無限なる存在を有限なる言葉で表現することは所詮いかなる人間にも不可能なのでございます。あなたの尊厳の神性、あなたの愛と叡知の永続性は、五つの感覚のみの物質の世界に閉じ込められた人間には真実の理解は不可能なのでございます。
そこで幸いにして実在の別の側面を体験させていただいた私たちは、あなたが定められた摂理の存在を説いているところです。すべてを包含し、すべてを律する法則、不変不朽の法則、無数の生命現象に満ちた宇宙における活動を一つとして見逃すことのない法則、すべての自然現象を律する法則、人間生活のすべてを経綸する摂理に目を向けさせようと致しているところでございます。
一宗一派に偏った神の概念を棄て、宇宙がいかなる法則によって支配されているかを理解することによって、そこに連続性と秩序とリズムと調和と完全なバランスの観念が生まれてまいります。一人一人が無限なる組織の中の一部であり、自分一個の生命活動もあなたのご計画の中に組み入れられていることを自覚致します。
私たちの仕事は人間の霊に宿されているところの、人生に輝きを与えるはずの資質、いまだに未知の分野でありながら莫大な可能性に満ち、その活用によって人間生活に豊かさと生き甲斐、荘厳さと気高さ、人生観を一変させてしまう広大なビジョンと精神的飛躍を与えるところの魂の秘奥を明かすことにあります。
それこそ人間を永遠なるものとつなぐものであり、それこそあなたがお授け下さった神聖なる属性であり、それを開発することが少しでもあなたに近づき、存在の意義を成就し、あなたの遺産を相続することになるものと信じるのでございます。
かくの如く私たちは人間の霊的成長を促す分野に携わる者です。そこが人間がこれまで最も無知であった分野だからでございます。その無知の暗闇を払いのけることによって初めてあなたの真理の光が人類の水先案内となりうるのです。
闇の存在はことごとく消え去り、あなたの御子たちは、あなたの意図された通りに自由に堂々と、神性を宿す者に相応しい生き方に立ち帰ることでございましょう。
ここに、ひたすらに人類のためをのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを捧げ奉ります。 シルバーバーチ
〝霊〟spirit と〝魂〟 soul ─── あとがきに代えて ───訳者
本書は霊媒モーリス・バーバネルの未亡人シルビアの編纂した Silver Birch Speaks(シルバーバーチは語る)の翻訳である。夫人とは今なお文通による交際を続けているが、さすがに寄る年波には勝てないことが文面から窺えて無常感を禁じ得ない。
さて「霊訓」(一)がシルバーバーチの説教が主体となっているのに対し、本書は質疑応答が主体となっている。質問者もレギュラーメンバーのほかに招待客が多く、その顔ぶれも政治家から映画スター、霊媒、心霊治療家、学校の教師と多彩である。
その質問の中に日ごろから疑問に思っていたことを発見された方も多いのではなかろうか。筆者も訳していきながら、洋の東西を問わず人間の考えることは同じだと、つくづく思わされることが多い。
さて筆者のもとにも読者からいろいろと質問が寄せられる。その一つが〝霊〟と〝魂〟はどう違うのかという質問である。これは実は筆者自身にとっても永年の課題であった。
西洋でも古くからさまざまな意味で ─── 悪く言えば各自の勝手な解釈で─── 用いられてきて混乱しているからであるが、近代スピリチュアリズムによって霊界の事情が明らかにされてからその本来の意味が根本的に改められつつあるからでもある。
そのスピリチュアリズムにおいてもまだ正式な定義づけが為されているわけではなく、相変わらず曖昧さを残したまま各自が自分なりの用い方をしているので、今それを総合的に扱うわけにはいかない。そこで私はシルバーバーチの霊言集を読んだ限りにおいて理解していることを述べて参考に供したい。
実は本書の最後の章の質問の中に〝霊とは何か〟というのがあった。私は以前からこの問題について私見を述べたいと思っていたので、その質問と答えの項をわざとカットしてこの解説のために取っておいた。これからその部分を紹介する。
─── 魂 Soul とは何でしょうか。
「魂とは全ての人間が身にまとっている神の衣です。魂とは神が子等に授けた光です。魂とは各自がこの宇宙における機能を果たすことを可能ならしめる神の息吹きです。魂とは生命力の火花です。存在の源泉です。
それがあなたを宇宙の大霊と結びつけ、すべての生命現象を経綸する無限なる存在の一部たらしめております。魂はあなたが永遠にまとい続ける不滅の衣です。
あなたがその魂であると言ってもよろしい。何となれば魂がすなわちあなたという存在そのものであり、反省し、考え、決断し、判断し、熟考し、愛するのはその魂です。ありとあらゆる側面を持っております」
さて筆者が理解する限りにおいて言えば、このシルバーバーチの答えの中の〝魂〟はそのまま〝霊〟と置きかえることができる。
事実シルバーバーチは人間の構成要素を〝肉体(ボディ)と精神(マインド)と霊(スピリット)〟と言ったり〝肉体と精神と魂(ソウル)〟と言ったりしている。ではいつでも置きかえが可能かというとそうではない。この場合も the Soul と言いa Soul とは言っていないことに注意しなければならない。
英語の専門的な説明になって恐縮であるが(これがカギになることなので敢えて説明させていただくが)、たとえば〝犬は忠実な動物である〟と言う場合、犬という種族全体を総合的に指す時は The dog is a faithful animal と〝the〟を冠し、個々の犬を指す時は A dog is a faithful animal と〝 a〟を冠する。
Soul の場合も同じで、〝魂とは何か〟というように普遍的に扱う時は What is the Soul? と言い、〝彼は偉大な魂である〟と特定するときは He is a great soul という言い方をする。これは霊 Spirit についても同じである。
こうしたことから私は、たとえば空気と風は本質的には同じものでありながら前者は〝静〟の状態を指し後者は〝動〟の状態を指すように、シルバーバーチの言う〝神から授かった衣〟を静的に捉えた場合、言わば陰の状態を魂と呼び、動的に捉えた場合つまり陽の状態を霊と呼んでいると解釈すればほぼ納得がいくのではないかと思う。
〝ほぼ〟と断ったのは各宗教、各思想によってそれぞれの解釈の仕方があるからには普遍的な言い方で断定はできないからである。
たとえば〝動物には魂はあるが霊はない。魂の上に霊を宿したのが人間である〟とする思想がある。個人的には筆者は神道の〝霊・魂・魄(はく) ─── 一霊・四魂・五情〟の思想に注目している一人であるが、これにも用語の概念上の問題がある。
その点シルバーバーチは〝生命のあるところに霊がある。霊はすなわち生命であり、生命すなわち霊である〟という言い方をして、霊を普遍的な生命原理とすることがある。シルバーバーチを読んでいく上においては、あまり用語上の区別にこだわらない方がよいと思う。少し無責任な言い方ではあるが・・・・・
この問題に限らず、シルバーバーチを読むに当たって是非認識しておいていただきたいことは、シルバーバーチの基本姿勢は難しい理屈はヌキにして、死後にも続く生命の旅の出発点としての地上生活を意義あるものにする上で必要最小限の霊的真理を誰にも分かる形で説くということである。
たとえばテレビになぜ映像が映るのかという理屈はどうでもよろしい。スイッチの入れ方と消し方さえ知っておればよろしい、といった態度である。
たしかにわれわれ凡人の生活は大半がそういう生き方で占められている。いや、凡人に限らない。最高の学識を具えた人でも本当のところは何も分かっていないというのが実情のようである。
先日のテレビで〝物質とは何か〟という題でノーベル賞を受賞した三名の物理学者によるディスカッションがあった。三人の他にも資料映像の中に多数の学者が出て意見を述べていたが、結局のところ〝物質の究極の姿はまだよく分からない〟ということであった。
物質という、われわれ人間がとっぷりと浸っている世界の基本的構成要素すらまだ解明されていない。
となれば、原子核だの素粒子だのクォークだのといった難しい用語による説明は皆目わからなくても、われわれにとって物質とは五感で感じ取っているものを現実として受けとめればよいのであって、それが仏教という〝空〟であろうと物理学でいう〝波動〟であろうと、それはどうでもよいという理屈も一応通るはずである。
事実、考えてみるとわれわれ人間はまさに〝錯覚〟の中で暮らしているようなものである。太陽は東から昇って西に沈んでいる。地球は地震のとき以外はいつも静止している。味覚も舌の錯覚であるが、やはり美味しいものは美味しいし、まずいものはまずい。
ここで思いだすのは筆者の大学時代、原子物理学が急速な進歩を遂げつつある時期であったが、あるとき物理学部に籍を置く上級生と語り合った中で私が、物質の構造や宇宙の姿を扱っていると神秘的な気持になられることはありませんかと尋ねたところ、その先輩は言下に〝イヤ、そんなことはないよ。すべて理論的に説明が付くんだよ〟と言われて、そのまま話を進めるのをやめたことがある。
それから三十年たった今、先のテレビディスカッションに出席した物理学者の一人が最後に(言葉はそのままではないが)こんな意味のことを述べた ─── 物質の宇宙をどんどん探っていくうちに、その構造の完璧さと美しさにふれて、それが偶然にそうなったとは思えない、何かそれをこしらえた神のようなものの存在をどうしても考えたくなる時があります、と。
それを聞いて私はこの人は、a great soul だと思った。と同時に、恩師の間部詮敦氏が、うかうかしていたら科学者から神の存在を指摘される時代が来ますよ、と言われたのを思い出した。その時代がもうだいぶ近づきつつあるようである。
以上、霊と魂について結論らしい結論は出し得ないが、洋の東西を問わず昔から魂と霊とが区別されて用いられてきているからには、細かく分析すれば学理的に区別しなければならない要素があるのであろう。
が、私個人としてはその区別については、先に述べた以上には拘りたくない。少なくともシルバーバーチの翻訳に当たっては、あまり理屈っぽくならないようにと心掛けているところである。シルバーバーチも次のように述べている。
「(私が単純な霊的真理しか説かないのは)難解な問題を避けたいからではありません。今すぐにでも応用のきく実用的な情報をお届けすることに目的をしぼっているからです。基本の基本すら知らない人々、真理の初歩すら知らない人が大勢いることを思うと、もっと後になってからでも良さそうな難解な理屈をこねまわすのは賢明とは思えません」
なお本書は全部で十六章から成っているが、そのうち二章を私の判断で「霊訓」(三)以降にまわした。「シルバーバーチ・シリーズの刊行に当たって」の中でもお断りしたように、シリーズ全体のバランスを考える必要から、日本人の読書感覚に合わせて時たまそういう按配をすることもあることを改めてお断りしておきたい。
一九八五年十月 近藤 千雄
(※世界的に知られた英国の文明評論家で、主著に「世界文化史体系」「生命の科学」等がある。 一八六六年~一九四六年───訳者)
「ウェルズは不幸にして強烈な知性がかえって禍した偉大な魂です。もしこうした偉大な知性が童子のような無邪気さと一体となれば大変な人種が地上に誕生するのですが・・・
こうした人は生涯かけて築いてきた人生哲学をそっくり捨て去らないといけないのですが、それが彼らにはどうしても得心がいかないのです。彼らにしてみれば、あれだけ論理的に且つ科学的に論証したのだから、その思想と合致しない宇宙の方がどうかしているに相違ないとまで考えるのです。そんな次第ですから、色々と修正していかねばならないことがあり、長い長い議論が続きます」
その議論の相手となって説得に当たったのがチャールズ・ブラッドローとトーマス・ペインだったという。(二人とも地上時代は自由思想家として人権擁護の為に貢献した人物である―訳者)
それを聞いてスワッハーが「ペインは偉大な人物でした」と言うと、すかさずシルバーバーチが「でした、ではありません。今でも偉大な人物です」と訂正してこう述べた。
「彼は地上での評価よりはるかに偉大な人物です。時代を抜きんでた巨人です。霊的な巨人です。先見の明によって次々と問題を解決していった生まれながらの霊格者でした。人類は本来自由であるべきで、決して束縛されてはならないとの認識をもった偉大な宗教的人物でした。真の意味で〝宗教的〟な人物でした」
「ルーズベルト(米大統領)はペインのことを〝卑劣な不信心者〟とけなしていますが・・・」
(ペインは米国の独立直前には米国へ移住し、フランス革命の最中にはフランスに移住しているので、そのことに言及しているものと推察される───訳者)
「そのことなら私も知っております。が、ルーズベルトがどれほどペインの努力の恩恵を受けていたか、それが私と同じ程度に理解できれば、ペインの偉大さが分かることでしょう。事実を目の前にすると地上の評価などいっぺんに変わってしまいます」
そう述べてからウェルズも今では地上でスピリチュアリズムに耳を貸さずに偏見を抱いていたことを後悔していますとシルバーバーチが述べると、スワッハーが、
「でも、それでもなおずっと自分の思う道を突き進んだのでしょう」と言った。すると
「おっしゃる通りですが、死というものが大きな覚醒の端緒となっていることを知らなくてはいけません。霊的な大変動を体験すると、それまで疎かにされてきた面が強調されて、成就した立派な面を見過ごしがちなものです」
「人間は立派になればなるほど自分をつまらない存在のように思いがちになるところに問題があるようですね」
「霊界での生活が始まった当初はどうしてもそうなります。それがバランスの回復と修正の過程なのです。時が経てば次第に本来の平衝を取り戻して、地上生活の価値を論理的にそして正確に認識するようになります。こちらへ来ると、あらゆる見せかけが剥げ落ちて、意識的生活では多分初めて自我が素っ裸にされた生活を体験します。
これは大変なショックです。そして徐(おもむろ)にこう考え始めます───一体自分のやってきたことのどこが間違っていたのだろう。何が疎かにされてきたのだろうか、と。
そうした反省の中ではとかく自分の良い面、功績、価値を忘れて欠点ばかりが意識されます。その段階 ─── これは霊界の磁気作用に反応し始めた時に生ずるものですが(※)─── いったんその段階を過ぎると、自分本来の姿が見え始めます。
それが人によっては屈辱的なショックであったり、うれしい驚きであったりします。人知れず地道に、その人なりのささやかな形で善行に励んできた人が、霊界では、地上で自分が尊敬していた有名人よりもはるかに高い評価を受けていたというケースはたくさんあります。有名にも二通りあります」
(※地上的波長の磁気作用から脱することで、言いかえれば地縛霊的状態を脱すること。俗に〝成仏する〟というのはその程度のことで、そこから真の霊界生活が始まる───訳者)
「ウェルズも他界した時は大歓迎を受けたことでしょう」
「受けました。それだけのことはしていましたから、彼は知識によって世の人を啓発しました。多くの人に真実を教え、無知の中で暮らしていた数知れぬ人々の目を開かせました」
次は十五年間もさる有名な政治家から自動書記通信を受け続けているという人の質問である。その通信霊が今なお生前の氏名を明かさないことについてこう意見を述べた。
─── 身元を明かさないということは読者を遠ざける要因になると思うのですが・・・・
「さあ、それはどうでしょうか。これは霊界通信において長いこと問題にされていることですが、私たちの世界の誰かが自分が身につけた知識を伝えてあなた方の世界を少しでも明るくしようと一念発起したとします。その際その霊が地上で有名だった人だと、身元を明かすことを躊躇するものです。
少なくとも当分の間は明したがりません。それはその人が通信を送ろうとするそもそもの目的とは関係ないことであって、そんなことで混乱を生じさせたくないからです。
私が聞いているところでは、その著述の目的は一連の証拠性のある通信─── 地上時代の身元を証すという意味での証拠ですが───を提供することではなく、自動書記という、普通の地上の書き方とは全く違う形でインスピレーションの本質、その極致、その深奥を伝えることにあるとのことです。
もしも初期の段階で証拠に次ぐ証拠の提供に手間取っていたら、恐らく、いや間違いなく、肝心の通信の伝達に支障を来していたことでしょう。あなたご自身もそれが本当に名のっている通りの人物だろうかと疑っていたかもしれません。」
そういう事態にならずに通信の内容に集中できたのは、大切なのは内容であって通信者ではないとの信念があったからです。
霊界通信はその内容によって価値が決まります。身元の証拠を提供するということと、霊的知識を提供することとはまったく別の範疇に属することであることを忘れてはなりません。前者は疑り深い人間を得心させる必要からすることであり、後者は魂に受け入れる用意の出来た人に訴えるのが目的です。
霊的真理というものは、それを受け入れる用意のある人にしか理解されないことを銘記しなければなりません。叡知は魂がそれを理解できる段階に到達するまでは受け入れられません。
霊界からの働き掛けには二つの目的があります。一つは五感が得心する形で霊的実在を確信させること。もう一つは、これも同じく重要なことですが、その霊的知識の意義を日常生活に反映させていくこと、つまり人間が霊的遺産と霊的宿命とをもった霊的実在であり、神に似せて創造されているからにはその霊も精神と身体の成長に必要なものを要求する権利、絶対に奪うべからざる権利があることを理解させることです。
あらゆる不正、あらゆる不公平、あらゆる悪弊と利己主義、暗闇を助長し光明を妨げるもの全て、無知に安住し新しい知識を忌避することによって既得権を保持せんとする者のすべてに対して、敢然(かんぜん)と立ち向かわなくてはなりません。なぜなら人間は自由の中に生きるべきだからです。霊と精神と身体が自由でなければならないからです」
─── 特別の証拠を提供してくれるのは他界したばかりの霊が多いようです。大体において古い霊よりもその点では熱心です。
「そうです。とくに戦死した元気な若者にそういう傾向があります。そうさせるのはもちろん地上からの愛念です。それを何よりも強く感じるのです。それが彼らを地上へ引きつけ、彼らの方にも引き付けられたい気持ちがあります。つまり愛のあるところに彼らがいるのです。
その愛の強さが、遠い昔に他界してすでに地上の出来ごとへの関心が薄れ地上と結びつける絆のいくつかを失ってしまった古い霊よりも、彼らに地上との接触を可能にするのです」
─── 私たちは睡眠中に幽界を訪れるそうですが、その間すでに他界した縁故者や知人はそのことを知っているのでしょうか。
「もちろん知っております。同じ意識のレベルでお会いになっておられます」
─── スピリチュアリズムの普及のために活躍しておられる人がとかく物的生活面で苦労が多いのはなぜでしょうか。
「真理のために身を捧げる者は徹底的に試練を味わう必要があるからです。霊の大軍に所属する者はいかなる困難にも耐え、いかなる障害にも対処し、あらゆる問題を征服するだけの強さを身につけなければなりません。
はじめて遭遇した困難であっさりと参ってしまうような人間が霊の道具として役に立つでしょうか。最大の貢献をする道具は浄化の炎で鍛えあげなければなりません。それによって鋼鉄(はがね)の強さが身につきます。一見ただの挫折のように思えても、実際はみな計画された試練なのです。
人を導こうとする者が安逸の生活をむさぼり、試練もなくストレスもなく嵐も困難も体験しないでいては、その後に待ち受ける大事業に耐えうる性格も霊力も身につかないでしょう」
─── 偶発事故で死ぬことは絶対にないとする説を認め(ここでシルバーバーチが遮って〝いえ、私はそんな説を認めませんよ〟と言う)みんな法則によって死んで行くのであれば、死刑の執行人もその法則の実行者にすぎないことになり、死刑制度への反対も意味がないことにならないでしょうか。
「実は死ぬべき時機が熟さないうちに他界する人が多すぎるところに不幸があるのです。他界する人間がみな十分な準備を整えて来てくれれば、私たちがこうして地上まで戻ってきて苦労することはないのです。誰もが知っておくべき基本的な霊的真理をこうして説かねばならないのは、
魂が地上で為すべき準備が充分に整わないうちに送られてくる人間が余りに多すぎるからです。今おっしゃった説は間違っております。死ぬべき時機が来ないうちに死ぬ人が多すぎるのです。確かに法則はあります。全てが法則の枠の中で行われていることは確かです。しかしそれは事故が起きる日時まで前もって定められているという意味ではありません」
─── 戦争犯罪人はそちらへ行ってからどのような扱いを受けるのでしょうか。
「誰であろうと、それぞれの事情に応じて自然法則が働きます。法則の働きは完璧です。原因に対して数学的正確さをもって結果が生じます。その因果関係を髪の毛一本ほども変えることはできません。刈り取らされるものは自分がタネを蒔いたものばかりです。
その魂には地上生活の結果が消そうにも消せないほど深く刻み込まれております。摂理に反したことをした者はそれ相当の結果が魂に刻まれます。その一つ一つについて然るべき償いを終えるまでは向上は許されません」
─── ハルマゲドン(※)が急速に近づきつつあるという予言は本当でしょうか。(※もとは聖書に善と悪との最後の大決戦場として出ているだけであるが、それが予言では地球の壊滅的な動乱に発展している──訳者)
「いいえ、そういう考えは真実ではありません。注意していただきたいのは、聖書の編纂に当たった人たちは大なり小なり心霊能力をもっていて、そのインスピレーションを象徴(シンボル)の形で受け取っていたということです。
そもそも霊的なものは霊的に理解するのが鉄則です。象徴的に述べられているものをそのまま真実として読み取ってはいけません。霊界から地上への印象づけは絵画的な翻案によって行います。それをどう解釈するかは人間側の問題です。
いわゆるハルマゲドン───地球全土が破壊され、そこへイエスが生身をもって出現して地上の王となるというのは真実ではありません。全ての生命は進化の途上にあります。物質界に終末はありません。これ以後もずっと改善と成長と進化を続けます。それとともに人類も改善され成長し進化していきます。生命の世界に始まりも終りもありません」
─── 各自に守護霊がついているということですが、もしそうならば戦争のさなかにおいて守られる人と守られない人とがいるのはなぜでしょうか。
「その時点でのもろもろの事情によって支配されているからです。各自に守護霊がいることは事実ですが、ではその事実を本当に自覚している人が何人いるでしょうか。自覚がなければ、無意識の心霊能力を持ち合わせていない限り守護霊は働きかけることはできません。
霊の地上への働きかけはそれに必要な条件を人間の方が用意するかしないかに掛かっています。
霊の世界と連絡の取れる条件を用意してくれれば、身近な関係にある霊が働きかけることができます。よく聞かされる不思議な体験、奇跡的救出の話はみなそれなりの条件が整った時のことです。条件を提供するのは人間の方です。人間の方から手を差しのべてくれなければ、私たちは人間界に働きかけることができないのです」
十四章 シルバーバーチの祈り
神よ、私たちはあなたの完璧な摂理の背後に秘められた完全なる愛を説き明かさんと努力している者でございます。人類はその太古よりあなたがいかなる存在であるかを想像しながらも、その概念はいつも人間的短所と限界と制約の上に築かれてまいりました。
宇宙の生命活動を律するその霊妙な叡知を人間は幽かながら捉え、それを人間に理解できる言葉で説明せんとしてまいりました。あなたの性格を人間の全てに共通する弱点と欠点と感情を具えた一個の人間として想像しました。
気に入った者には恩寵を与え、気に入らぬ者には憤怒を浴びせる人間味むき出しの神を想像いたしました。
その後の進化に伴って人間の知識も進歩いたしましたが、この大宇宙を創造した究極の存在について想像したものは真のあなたの姿には遠く及びません。
無限なる存在を有限なる言葉で表現することは所詮いかなる人間にも不可能なのでございます。あなたの尊厳の神性、あなたの愛と叡知の永続性は、五つの感覚のみの物質の世界に閉じ込められた人間には真実の理解は不可能なのでございます。
そこで幸いにして実在の別の側面を体験させていただいた私たちは、あなたが定められた摂理の存在を説いているところです。すべてを包含し、すべてを律する法則、不変不朽の法則、無数の生命現象に満ちた宇宙における活動を一つとして見逃すことのない法則、すべての自然現象を律する法則、人間生活のすべてを経綸する摂理に目を向けさせようと致しているところでございます。
一宗一派に偏った神の概念を棄て、宇宙がいかなる法則によって支配されているかを理解することによって、そこに連続性と秩序とリズムと調和と完全なバランスの観念が生まれてまいります。一人一人が無限なる組織の中の一部であり、自分一個の生命活動もあなたのご計画の中に組み入れられていることを自覚致します。
私たちの仕事は人間の霊に宿されているところの、人生に輝きを与えるはずの資質、いまだに未知の分野でありながら莫大な可能性に満ち、その活用によって人間生活に豊かさと生き甲斐、荘厳さと気高さ、人生観を一変させてしまう広大なビジョンと精神的飛躍を与えるところの魂の秘奥を明かすことにあります。
それこそ人間を永遠なるものとつなぐものであり、それこそあなたがお授け下さった神聖なる属性であり、それを開発することが少しでもあなたに近づき、存在の意義を成就し、あなたの遺産を相続することになるものと信じるのでございます。
かくの如く私たちは人間の霊的成長を促す分野に携わる者です。そこが人間がこれまで最も無知であった分野だからでございます。その無知の暗闇を払いのけることによって初めてあなたの真理の光が人類の水先案内となりうるのです。
闇の存在はことごとく消え去り、あなたの御子たちは、あなたの意図された通りに自由に堂々と、神性を宿す者に相応しい生き方に立ち帰ることでございましょう。
ここに、ひたすらに人類のためをのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを捧げ奉ります。 シルバーバーチ
〝霊〟spirit と〝魂〟 soul ─── あとがきに代えて ───訳者
本書は霊媒モーリス・バーバネルの未亡人シルビアの編纂した Silver Birch Speaks(シルバーバーチは語る)の翻訳である。夫人とは今なお文通による交際を続けているが、さすがに寄る年波には勝てないことが文面から窺えて無常感を禁じ得ない。
さて「霊訓」(一)がシルバーバーチの説教が主体となっているのに対し、本書は質疑応答が主体となっている。質問者もレギュラーメンバーのほかに招待客が多く、その顔ぶれも政治家から映画スター、霊媒、心霊治療家、学校の教師と多彩である。
その質問の中に日ごろから疑問に思っていたことを発見された方も多いのではなかろうか。筆者も訳していきながら、洋の東西を問わず人間の考えることは同じだと、つくづく思わされることが多い。
さて筆者のもとにも読者からいろいろと質問が寄せられる。その一つが〝霊〟と〝魂〟はどう違うのかという質問である。これは実は筆者自身にとっても永年の課題であった。
西洋でも古くからさまざまな意味で ─── 悪く言えば各自の勝手な解釈で─── 用いられてきて混乱しているからであるが、近代スピリチュアリズムによって霊界の事情が明らかにされてからその本来の意味が根本的に改められつつあるからでもある。
そのスピリチュアリズムにおいてもまだ正式な定義づけが為されているわけではなく、相変わらず曖昧さを残したまま各自が自分なりの用い方をしているので、今それを総合的に扱うわけにはいかない。そこで私はシルバーバーチの霊言集を読んだ限りにおいて理解していることを述べて参考に供したい。
実は本書の最後の章の質問の中に〝霊とは何か〟というのがあった。私は以前からこの問題について私見を述べたいと思っていたので、その質問と答えの項をわざとカットしてこの解説のために取っておいた。これからその部分を紹介する。
─── 魂 Soul とは何でしょうか。
「魂とは全ての人間が身にまとっている神の衣です。魂とは神が子等に授けた光です。魂とは各自がこの宇宙における機能を果たすことを可能ならしめる神の息吹きです。魂とは生命力の火花です。存在の源泉です。
それがあなたを宇宙の大霊と結びつけ、すべての生命現象を経綸する無限なる存在の一部たらしめております。魂はあなたが永遠にまとい続ける不滅の衣です。
あなたがその魂であると言ってもよろしい。何となれば魂がすなわちあなたという存在そのものであり、反省し、考え、決断し、判断し、熟考し、愛するのはその魂です。ありとあらゆる側面を持っております」
さて筆者が理解する限りにおいて言えば、このシルバーバーチの答えの中の〝魂〟はそのまま〝霊〟と置きかえることができる。
事実シルバーバーチは人間の構成要素を〝肉体(ボディ)と精神(マインド)と霊(スピリット)〟と言ったり〝肉体と精神と魂(ソウル)〟と言ったりしている。ではいつでも置きかえが可能かというとそうではない。この場合も the Soul と言いa Soul とは言っていないことに注意しなければならない。
英語の専門的な説明になって恐縮であるが(これがカギになることなので敢えて説明させていただくが)、たとえば〝犬は忠実な動物である〟と言う場合、犬という種族全体を総合的に指す時は The dog is a faithful animal と〝the〟を冠し、個々の犬を指す時は A dog is a faithful animal と〝 a〟を冠する。
Soul の場合も同じで、〝魂とは何か〟というように普遍的に扱う時は What is the Soul? と言い、〝彼は偉大な魂である〟と特定するときは He is a great soul という言い方をする。これは霊 Spirit についても同じである。
こうしたことから私は、たとえば空気と風は本質的には同じものでありながら前者は〝静〟の状態を指し後者は〝動〟の状態を指すように、シルバーバーチの言う〝神から授かった衣〟を静的に捉えた場合、言わば陰の状態を魂と呼び、動的に捉えた場合つまり陽の状態を霊と呼んでいると解釈すればほぼ納得がいくのではないかと思う。
〝ほぼ〟と断ったのは各宗教、各思想によってそれぞれの解釈の仕方があるからには普遍的な言い方で断定はできないからである。
たとえば〝動物には魂はあるが霊はない。魂の上に霊を宿したのが人間である〟とする思想がある。個人的には筆者は神道の〝霊・魂・魄(はく) ─── 一霊・四魂・五情〟の思想に注目している一人であるが、これにも用語の概念上の問題がある。
その点シルバーバーチは〝生命のあるところに霊がある。霊はすなわち生命であり、生命すなわち霊である〟という言い方をして、霊を普遍的な生命原理とすることがある。シルバーバーチを読んでいく上においては、あまり用語上の区別にこだわらない方がよいと思う。少し無責任な言い方ではあるが・・・・・
この問題に限らず、シルバーバーチを読むに当たって是非認識しておいていただきたいことは、シルバーバーチの基本姿勢は難しい理屈はヌキにして、死後にも続く生命の旅の出発点としての地上生活を意義あるものにする上で必要最小限の霊的真理を誰にも分かる形で説くということである。
たとえばテレビになぜ映像が映るのかという理屈はどうでもよろしい。スイッチの入れ方と消し方さえ知っておればよろしい、といった態度である。
たしかにわれわれ凡人の生活は大半がそういう生き方で占められている。いや、凡人に限らない。最高の学識を具えた人でも本当のところは何も分かっていないというのが実情のようである。
先日のテレビで〝物質とは何か〟という題でノーベル賞を受賞した三名の物理学者によるディスカッションがあった。三人の他にも資料映像の中に多数の学者が出て意見を述べていたが、結局のところ〝物質の究極の姿はまだよく分からない〟ということであった。
物質という、われわれ人間がとっぷりと浸っている世界の基本的構成要素すらまだ解明されていない。
となれば、原子核だの素粒子だのクォークだのといった難しい用語による説明は皆目わからなくても、われわれにとって物質とは五感で感じ取っているものを現実として受けとめればよいのであって、それが仏教という〝空〟であろうと物理学でいう〝波動〟であろうと、それはどうでもよいという理屈も一応通るはずである。
事実、考えてみるとわれわれ人間はまさに〝錯覚〟の中で暮らしているようなものである。太陽は東から昇って西に沈んでいる。地球は地震のとき以外はいつも静止している。味覚も舌の錯覚であるが、やはり美味しいものは美味しいし、まずいものはまずい。
ここで思いだすのは筆者の大学時代、原子物理学が急速な進歩を遂げつつある時期であったが、あるとき物理学部に籍を置く上級生と語り合った中で私が、物質の構造や宇宙の姿を扱っていると神秘的な気持になられることはありませんかと尋ねたところ、その先輩は言下に〝イヤ、そんなことはないよ。すべて理論的に説明が付くんだよ〟と言われて、そのまま話を進めるのをやめたことがある。
それから三十年たった今、先のテレビディスカッションに出席した物理学者の一人が最後に(言葉はそのままではないが)こんな意味のことを述べた ─── 物質の宇宙をどんどん探っていくうちに、その構造の完璧さと美しさにふれて、それが偶然にそうなったとは思えない、何かそれをこしらえた神のようなものの存在をどうしても考えたくなる時があります、と。
それを聞いて私はこの人は、a great soul だと思った。と同時に、恩師の間部詮敦氏が、うかうかしていたら科学者から神の存在を指摘される時代が来ますよ、と言われたのを思い出した。その時代がもうだいぶ近づきつつあるようである。
以上、霊と魂について結論らしい結論は出し得ないが、洋の東西を問わず昔から魂と霊とが区別されて用いられてきているからには、細かく分析すれば学理的に区別しなければならない要素があるのであろう。
が、私個人としてはその区別については、先に述べた以上には拘りたくない。少なくともシルバーバーチの翻訳に当たっては、あまり理屈っぽくならないようにと心掛けているところである。シルバーバーチも次のように述べている。
「(私が単純な霊的真理しか説かないのは)難解な問題を避けたいからではありません。今すぐにでも応用のきく実用的な情報をお届けすることに目的をしぼっているからです。基本の基本すら知らない人々、真理の初歩すら知らない人が大勢いることを思うと、もっと後になってからでも良さそうな難解な理屈をこねまわすのは賢明とは思えません」
なお本書は全部で十六章から成っているが、そのうち二章を私の判断で「霊訓」(三)以降にまわした。「シルバーバーチ・シリーズの刊行に当たって」の中でもお断りしたように、シリーズ全体のバランスを考える必要から、日本人の読書感覚に合わせて時たまそういう按配をすることもあることを改めてお断りしておきたい。
一九八五年十月 近藤 千雄
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