Wednesday, June 19, 2024

シアトルの初夏 ハリー・エドワーズ氏とシルバーバーチとの問答

Harry Edwards and the Silver Birch Question and Answer


以上の心霊治療の原理に続いて、こんどは具体的な問題について、ハリー・エドワーズ氏とシルバーバーチとの問答の内容から学んでいただきたい。まずエドワーズ氏が尋ねる。

「私がいつも関心を抱いているのは、私たち治療家に何が治せるかではなくて、どうしても治せずにいる病気のことです。どうすればより多くの病気を治し、どうすればそちらの世界の霊医との協調関係を深めることができるでしょうか」


「われわれは偉大にして遠大な目的に向かって協力し合っております。その目的とは、薄幸の人々、虚弱な人々、苦痛にあえぐ人々、寄るべなき人々、悲嘆に首をうなだれ、胸のふたぐ思いをしている人々に、少しでも援助の手を差しのべてあげることです。霊の力は人間を媒体として注ぎ込むチャンスをうかがっております。そのチャンスを見つけると、病気の場合であれば治癒力を見せつけることによって、人間の協力さえ得られれば見えざる世界の威力と光明とをもたらすことができることを示します。

霊の力はすなわち生命力です。生命があるのは霊があるからこそです。霊は生命であり生命は霊です。この途轍(とてつ)もなく広大な宇宙を創造した力も、あなたがたを生かしめ、これから後もずっと生かしめていく力と同じものです。また、あなたがたが愛し合い、物を思い、心を馳せ、判断し、反省し、決断し、勘案し、熟考し、霊感を受け、人間的情感の絶頂からドン底までを体験させてくれる力、それは霊の力なのです。

あなたがた一人ひとりが大霊であり、大霊はあなたがた一人ひとりであると言えます。程度の差があるだけで、その本質、実質においては同じです。人間は言わばミクロの神です。その力が病人を癒すのです。それを分析してお見せすることはできません。何でできているかを説明することもできません。わたしに言えることは、それが無限の形態をとって顕現している――なぜなら、生命は無限だから、ということだけです。

霊媒現象のすべてに共通した問題は、その霊的エネルギーのコントロールです。どのエネルギーをどれだけ発現できるかは、その時の条件一つにかかっています。言いかえれば、その霊媒の有する資質と、それをより大きく、より効果的にするための修行を、どこまで心がけるかにかかっています。わたしたちの側においても、常に新しいエネルギー、新しい放射線、新しい可能性を徐々に導入しては、それを実験(ため)しております。

ですが、それも、霊媒の身体的・精神的・霊的適性によって規制を受けます。受容力が大きければ、それだけ多くのものが導入されます。小さければ、それだけ制限されることになります。

霊力そのものは、自然法則による以外には何の制約も受けません。自然法則の枠組(わくぐ)みから離れて働くことはできないのです。が、その枠組みというのが途方もなく広範囲にわたっており、これまで地上の霊媒を通じて顕現されてきたものよりはるかに多くのものが、いまだに顕現されずに残っております。

わたしが指摘したいのは、多くのまじめで信心深い人々が、神の力はバイブルに記録されている古い時代にその全てが顕現されつくした、と思い込んでいるのですが、それは間違いだということです。啓示はそれ以来ずっと進歩し続けております。現代の霊媒を通して顕現されている霊力の方が、過去の時代のものに較べて、はるかに強大です。

さて、あなた(ハリー・エドワーズ)は豊かな恩恵に浴しておられるお一人です。あなたのすぐ身のまわりで働いている霊の姿をご覧になる霊視力があればよいのだが……と思われてなりません。背後霊の存在に確信を抱き、あなたを導く霊力に不動の信頼を置いておられることは申すまでもないのですが、その背後が誰で、どんな人物であるかをご覧になれたら、もっともっと自信を持たれることでしょう。


訳注――エドワーズ氏の背後霊団の中心的指導霊は、一九世紀の英国の外科医で消毒殺菌法の完成者J・リスターと、フランスの化学者で狂犬病予防接種法の発見者L・パスツールであるといわれる。なおエドワーズ氏は一九七六年に他界している。

古い霊の部類に属するこのわたしが確信をもって言えることは、あなたの地上生活は、今日の絶頂期を迎えるべく、ずっと導かれてきているということです。意図された通りのものを、今まさに成就なさりつつあります。今その目的地にたどり着かれました。あなたの協力なしには成就できない仕事にたずさわっていることを喜ぶべきです。

以上のわたしの話に納得がいかれましたか」

「よくわかります。ただ、そうなると二つの疑問が生じます。一つは、背後霊団は何とかして、われわれ治療家をもっと有効的に改良できないものか、ということです。たとえば、両足とも不自由な子供がいるとします。一方の足は良くなったのに、もう一方の足はどうしても良くならないことがあるのです。どこに問題があるのでしょうか。私は治療家の側に問題があるに違いないと思うのです。なぜなら、一方の足が治せれば、当然もう一方の足も治せるはずだからです」


「治療家の望む通りの結果、あるいは治療霊団がその時に目標とした通りの成果が得られるとはかぎりません。治療家を通して得られる限られた治癒エネルギーで、最大限の治癒効果をあげなければなりません。一つの治療に全エネルギーを集中すれば、一気に効果があげられるかも知れません。が、次の治療のためのエネルギーを溜めるのに長い時間を要することになります。

一つ一つが実験です、とわたしは言っているのです。治療霊団も、前もってこれはこうなるという保証はできません。効果が出ることはわかっていても、どこまで治るかはわかりません。前もって知ることのできない要素がいくつもあるのです。それは治療活動を制約することになるかも知れません。ですが、それまで少しも治らなかったものに治る兆しが見えるだけでも、喜ぶべきことです。

それだけで立派な貢献と言えます。あなたは背後霊に向かって堂々と“さあ、この私を使ってください。みなさんを信じています。あなた方の言う通りにいたします”と公言する資格があります。もちろん、あなたのもとに連れてこられる患者が、魔法のように即座に治れば、こんなうれしいことはないでしょう。が、それはありえないことです。

問題がいろいろとあるのです。この仕事も言わば開拓者開拓者(パイオニア)的な分野に属します。あなたに協力している霊団は、一つ一つの症状の変化を知った上で、さらにテクニックを改良し、効果をあげるために、他の要素を導入しようと忙しく立ち働いております。あなたが治療に当たるたびに症状が改善されているのを観察されているはずです」

「おっしゃる通りです」


「協力関係が密接であるほど多くの霊力が伝達されるのが道理なのですが、それを制約する要素として、もう一つの問題が絡(から)んできます。

議論の多い問題に踏み込むことになるのは百も承知ですが、それが事実であるからには、黙って見過ごすわけには参りませんので、敢えて申し上げます。どうしても避けられない要素の一つに、患者自身のカルマ(宿業、因縁)の問題があります。当人の霊的成長の度合によって決まる、精神と身体の関係です。おわかりでしょうか」

「どうぞ、その先をおっしゃってください」


「そうおっしゃると思っていました。これは実は重大な問題であり、あなたにとっても意外に思えることも含まれております。心霊治療の仕事の大切な要素は、身体を治すことではなくて、魂の琴線にふれさせることです。魂を目覚めさせ、身体への支配力を大きくさせ、生きる目的を自覚させ、霊的存在としての本来の自我を表現させることに成功すれば、これは治療家として最大の貢献をしたことになります。

そのことの方が身体を治すことより大切です。それが治療家としてのあなたの努力の中でも、永遠に残る要素です。人間は精神と肉体と魂とが一体となったものです。これに、その三者が互いに絡み合って生じる、プラスアルファの要素もあります。その影響も忘れてはなりません。

病気というのは、その大半は主として精神と肉体と魂との間の連絡が正しく行われていないことに起因しています。正しく行われていれば、つまり完全な一体関係が保たれていれば、健康と安定性と落着きと機敏性をそなえています。もっとも、そういう人物は地上では滅多にお目にかかれませんが……。

さて、あなたのもとを訪れる患者は、その人なりの霊的成長段階にあります。人生という梯子(はしご)の一つの段の上に立っているわけです。それがどの段であるかが、その人に注がれる治癒力の分量を決します。それを決する要素の一つが、わたしのいうカルマ的負債です。

その負債が大きすぎて、あなたにも手の施しようのない人がいます。肉体を犠牲にする、つまり死ぬこと以外に返済の方法がない人もいます。もう一度チャンスが与えられる人もいます。そんな人があなたとの縁で完治するということになる場合もあります。精神的要素のために治らない人もいます。そんな場合は、一時的には快方へ向かっても、また別の症状となってぶり返すでしょう」

「ということは、カルマ的負債の方がその人に注がれる治癒力よりも大きいのだと思います」


「おっしゃる通りです。わたしはぜひその点を強調したいのです。それが当人に賦課された税金であり、みずから綴っている物語(ストーリー)であり、その筋書きは、他の何ものによっても書き変えることはできないということです。

初めにわたしは、すべては法則の枠組みの中に存在すると申し上げました。何事もそれを前提として働きます。人間のいう奇跡は生じません。自然法則の停止も、変更も廃止もありません。すべてが原因と結果から成り立っております。そこに、自由への制約の要素があるわけです。もしも因果関係が何らかの理由でキャンセルできるとしたら、神の公正が根本から崩れます。治療家にできることは、魂を解放し、精神に自由を与えてあげることです。その結果が自然に身体に現れます」

「それがカルマ的負債を返済する一助となるのでしょうか」


「そういうことです。わたしが、心霊治療にとっては、その患者の魂の琴線にふれ、自我に目覚めさせ、生きる目的を自覚させることが一ばん重要な役目です、と申し上げる理由はそこにあります」

「わたしたち治療家が例外なく体験することですが、心の奥底からの喜び、高揚、崇高な情感や理念が湧き出るのを感じることがあります。あなたがおっしゃるのは、その時のことだと思います」


「天と地が融合した極限の瞬間――あっという間の一瞬でありながら、すべての障壁が取り除かれた時、人間は自分本来の霊性を自覚します。すぐその束縛を押し破り、霊の本来の感覚であるところの法悦(エクスタシー)の状態に達するのです」

ここでエドワーズ氏が再びカルマ的負債の問題を持ち出すと、シルバーバーチは、スピリチュアリズムの本来の大きな使命にまで敷延(ふえん)して、こう述べた。


「あなたも、わたしも、そしてこれにたずさわる人のすべてが、それぞれに役割分担を担(にな)っているスピリチュアリズムというものの最大の目的は、人類の魂を呼び覚まして、一人でも多くの人間に本当の自分に気づかせること、自分とは一体なにか、誰なのかを知ることによって、ふだんの日常生活の中において霊の本性と属性を発揮することができるように導いてあげることです。

それによって地上生活のすべてが姿を一変し、利己主義という名の雑草の生い茂る荒野から、理想の花咲くパラダイスへと変わることでしょう。われわれは今それを目的として努力しているのであり、まずまずの成功を収めつつあります。光明を見出す人、真の自我に目覚める人、物的な居眠りの生活から目覚める人――こうした人は人間本来の道を見出し、確信と知識とをたずさえて、本当の意味での巡礼の旅に出る魂であると言えましょう」

この言葉に感動したエドワーズ氏が「これだけお教えいただけば十分です。治るということ自体は重要ではないということですね」と述べると、シルバーバーチが――


「わたしたち霊界の者が人間の苦しみに無関心であるという意味ではありません。病をかかえた人々の悲劇や苦痛や侘(わび)しさに無頓着でいるわけではありません。が、そうした問題の究極の原因に手をつければ、精神と身体と霊との間の不調和に終止符をうつことができ、そうなれば、地上生活が必要としている光輝がふんだんに注がれるのです。神の子が享受すべく意図されている本来のもの――気高さ、崇高さ、威厳、豊かさ、光輝、美しさを見出すことでしょう。

そうした生活の末に死を迎えれば、来世にそなえるための地上生活の大役を果たしてくれた肉体を、何の苦痛もなく脱ぎ捨てて、気持ちよく霊界の門をくぐり抜けることができます」

このあとシルバーバーチは、エドワーズ氏の奥さんの方を向いてこう述べた。


「これまでに成就されたことを、奥さんも喜んでください。今この場に集まっている霊界の治療霊団の方が、奥さんの果たされた犠牲的な役割に対して抱いている感謝の気持ちを、ぜひわたしから伝えてほしいと頼んでおられますよ」

これを聞いて奥さんが「自分はこんなことでいいのだろうかと、時に迷ったこともございました」と述べると、シルバーバーチが――


「わたしは、わたしよりはるかに奥さんを知りつくしている霊から頼まれて申し上げているのです。霊団の人たちは、あなたの心、あなたの精神、あなたの魂を知りつくし、さらに、あなたが捧げられた忠誠心と愛の強さもよくご存知です。

その人たちが言っているのです――ご主人の使命達成を可能にした陰からのあなたの助力に対する感謝の気持ちを、ぜひ伝えてほしいと。一方が脚光を浴びる立場にあれば、他方はその陰にいなければなりません。陰の存在なくしては、脚光を浴びる人もいないでしょう。わたしたちの目から見れば、人のために為された貢献は、黙って人知れず為されたものであろうと、大勢の観衆を前にして華々しく為されたものであろうと、その評価にいささかの違いもございません」

祈り

美と愛らしさと優雅さと壮麗さとを……


大霊よ。わたしたちは、ひたすらにあなたのあるがままの姿を説き明かさんと努めております。子等が、あなたについての明確な概念を捉えるのを永きにわたって妨げてきた、虚偽と紛(まが)い物と誤解のすべてをはぎ取ってしまいたいからでございます。

子等が自分とは何であるかを知るためには、全生命の背後に控える霊力を認識し、それとのつながりを理解しなければなりません。それは人間的な激情や煩悩に動かされる“神格化された人間”ではございません。一民族の守護神ではございません。エホバ神ではございません。自分のお気に入りの者だけを可愛がる、えこひいきをする神様ではございません。

あなたは宇宙の大霊におわします。根源の第一原理であり、全生命の命運の究極の裁決者であり、王の中の王であり、完全なる愛と叡智の権化(ごんげ)にあらせられます。あなたこそ、この全大宇宙を創造し、その活動のすべての側面を細大もらさず規制する法則を始動なさった方でございます。

あなたは宇宙の全生命に配剤しそして指導する大精神です。あなたは、人間もいずれあなたと同じ完全なる存在へ向けて向上し進化していくことができるように、あなたと同じ生命を賦与なさった大霊にあらせられます。

そのあなたとあなたの摂理とをわたしたちが啓示せんと努めるのは、この宇宙という霊的機構の中にあって人類が占めている真実の位置と、その位置にあって果たさねばならない役割とを、包括的に理解する必要があるからでございます。

あなたは人類をどう猛な四つ足の段階から引き上げ、あなたの分霊を授けることによって神性を賦与し、あなたのご計画の推進に参加できるようになさいました。

人間には、その授かりものを有効に使うべしとの、あなたのご意志が託されております。すなわち内部の霊性を発揮することによって地上に美と愛らしさと優雅さと壮麗さとをもたらし、地上のすべての子等が等しくその豊かな恩恵に浴することができるような環境にしなければならないのでございます。

暗黒も残酷も、貪欲も強欲も悪徳も、地上には無用のものです。そうした悪性腫瘍は、あなたがお授けくださった霊力を行為に移すことによって、すべて取り除くことができるのでございます。

わたしたちが労苦をいとわず地上圏で精励するのは、ほかならぬその霊の威力を子等に実感させるためでございます。その体験を通じて、この地上にあっても天国の美を味わい、墓の向こうに待ちうける、絶対的な宿命としての霊の世界に備えることができるのでございます。

ここにあなたの僕インディアンの祈りを捧げます。

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