Wednesday, September 4, 2024

シアトルの初秋 宇宙創造の目的

Purpose of the Creation of the Universe

Wisdom of Silver Birch


  霊的教訓の真髄は確かに単純なものかも知れないが、全ての人間がそれだけでは満足しないのも事実である。ある日の交霊会で〝宇宙創造の目的は何か〟という質問が出た。そしてその質問の内容をこう広げた。

───人間は除々に進化し続けて究極的に大霊の中に吸収されてしまうのなら、なぜ人間を創造する必要があったのでしょうか。


 「私は人間が最後は大霊に吸収されてしまうという説を取っている者ではありません。いつも言っている通り、私は究極のことは何も知りません。始まりのことも知りませんし終りのことも知りません。私に言わせれば〝存在〟には〝いつから〟ということはなく〝いつまで〟ということもなく、いつまでも存在し続けます。

地球上の全生命が他の天体の生命と同じように霊の世界を通過して絶え間なく進化し、意識が完全を目指してゆっくりと上昇していきつつある状態が〝存在〟です。その意識がいつ芽生えたかについても私は何も知りません。

いつ完全の域に達するかも知りません。私は完全とか吸収(寂滅)とかの時が来るとは思えません。なぜなら、魂というものは霊性を高めて向上するにつれて、言いかえれば過去の不完全性の不純物を払い落とすにつれて、さらに大きな進歩の必要を自覚するものだからです。

進化すればするほど、なお進化すべき余地があることに気づくものです。高く登れば登るほど、その先にまだ登らねばならない高いところがあることを知ることの連続です。

 私の考え方は、大霊の一部である意識の、生活の中における開発と発展に主眼を置いています。この意識は私の知る限り無窮の過去より常に存在してきたものですが、それがさまざまな形態を通じて顕現し、その表現を通じて絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現していくのです。

これまでもありとあらゆる生命現象を通じて顕現し、今なお顕現し続けております。現在人間という形で表現している意識も、かつては動物、鳥類、魚類、植物、その他、無生物と呼ばれているものすべてを通じて表現されてきたのです。これからもその意識は進化と成長を続け、発展し、拡張し、神性を増し、物質性を減らしていきます。

それが創造の全目的です。大霊の一部である意識が千変万化の形態を通じて絶え間なく顕現していくことです。それに私はぜひ次の考えを付け加えたいと思います。それは、人間を創造の大事業と切り離す、あるいは縁のない存在として考えてはならないということです。

なぜなら、人間もその創造活動に参加しているからです。創造的エネルギーが人間を通じて働いているのです。あなたの人生、あなたの努力、あなたの葛藤が、無限の創造活動に貢献するということです。

一つひとつの生命がそれなりの貢献をしています。その生命が高級になればなるほど、つまり愛他性を増し排他性を減らすにつれて、変化に富む創造の世界に美しさを加えています。

画家や音楽家や詩人だけが美の貢献をするのではありません。あらゆる生命が───そのつもりになれば───美をもたらすことができるのです」


 創造の問題は必然的にバイブレーションの問題となる。

───スピリチュアリズムでは〝バイブレーション〟という用語がよく使用されますが、これを分り易く説明していただけないでしょうか。
 「生命のあるところには必ず運動があり、リズムがあり、鼓動があり、バイブレーションがあります。生命は活動せずにはいられないものです。静止したり惰性的になったりするものではありません。生命には常に運動が付随します。その運動を理解し、その意味を理解するには、まずその定義から始めなければなりません。

私がバイブレーションという時、それはエネルギーの波動の形で顕現している生命のことで、無数の生命形態ないしは現象の一つを指しています。存在するものはすべて振動(バイブレイト)し、何かを放射し、活動しています。私たちがこうして地上へ働きかけることができるのもバイブレーションのおかげです。

私たちはふつう物的感覚の領域を超えたバイブレーションの世界で生活しております。言わばオクターブの高い世界です。霊的エネルギー、霊的パワー、霊的現象はことごとく物質より感度の高い、微妙なバイブレーションから成り立っております。

 地上のように物質に浸りきり包み込まれている世界と交信するためには、次の二つのうちどちらかの方法を取らなければなりません。すなわち、人間の側がその低いバイブレーションを高めてくれるか、それとも私たち霊の側がその高いバイブレーションを下げるかのどちらかです。

両方が歩み寄れば・・・・・・・誰しもそうお考えになるでしょう。ところが、どうしてどうして、なかなかそううまくは行かないのです。いつも私たちの方が遠路はるばる下りてこなければなりません。地上世界からの援助は多くを望めないのです。

この霊媒(モーリス・バーバネル)を使ってしゃべるために私は私の本来のバイブレーションを下げております。その状態から脱け出て私の本来の界へ戻る時は、その界に合った意識を取り戻すためにバイブレーションを加速しなければなりません。こうしたことは全てバイブレーションの操作によって行われるわけです。

それを簡単に説明するにはバイブレーションという用語しか見当たりません。それにしても、長いあいだ霊的な分野のことには一切耳を貸さず目を瞑(つむ)ってきた科学者が、今になって物質の世界の謎を解くカギはバイブレーションにあるという認識を持ち始めたことは興味ぶかいことです」

───〝霊力〟というのはどんなものでしょうか。実感があるのでしょうか。目で見て描写できる性質のものでしょうか。


 「ずいぶん解釈の難しい言葉をお使いになられますね。〝実感があるか〟とおっしゃるのはどういう意味でしょうか。五感に反応するかということでしょうか。その意味でしたら実感はありません。

真実味があるかという意味でしたら、知識に真実味があり、叡智に真実味があり進化に真実味があり愛に真実味があり、ありとあらゆる目に見えないエネルギーに真実味があるように、霊力にも真実味があります。

私たち霊(スピリット)にとってはもちろん真実味がありますが、霊覚が発達してその真実味が認識できる段階にまできていない者には、その存在は実感できません。一種のエネルギーです。霊的なエネルギーです。生命活動を操るエネルギーです。

無知な人、偏見を抱く人、迷信に動かされる人は、自分でいくつもの精神的障壁をこしらえ、その一つ一つが霊力の働きの障害となります。それがいつになったら突き崩せるかは、その障害の性質によります。

 人によっては霊的なものについて漠然とした概念すら抱くことなく地上生活を終えることがあります。そういう人は生命がすなわち霊であり霊がすなわち生命であること、地上の全生命は霊力ゆえに存在が維持されていることに気づきません。

霊的実在についてまったくの無知で、言わば、死が解放してくれるまで、肉体という牢獄の中に閉じ込められた生活を送るわけです。といって、死んですぐに実在に目覚めるわけではありません。

ご承知の通り、それには永い調整期間が必要です。そうした完全に無知な人とは別に、生命現象を創造し支配し導いている超越的なエネルギーを何らかの体験の中でチラリと垣間見る程度に意識する人もいます。

さらには、あなた方のように、こうして直接的に知識を獲得して、日常生活の中で霊力の恩恵にあずかる人もいます。心と精神と魂の窓を開いた方です。こうした方は地上の生命現象のすべてを表現しているのと同じ霊力の道具として、いつでも使われる用意が出来ている方です。霊のほうでもあなた方を通して他の受け入れ準備の整っている人を少しでも早く目覚めさせようと腐心しています。

そうしたことに使用されるのはみな同じ霊力なのです。生命現象の全てを統制している力は、私の霊団が操作し私がこうして話すことを可能にしてくれている力と同じものなのです」


 そのシルバーバーチ霊団とサークルとのつながりについて出された質問に答えて──
 「信じることです。わけも分からずに信じるのではなく、確固とした知識の上に立った信念を持つことです。確信です。これは使い古された言葉ですが、私には何一つ新しい訓えは持ち合わせないのです。しかし、それがあなた方の精神構造の一部となり切るまで、私は同じことを声の続く限り何度でも叫び続けます。

確信を持つことです。あなた方があなた方なりの役割を果たして下さっていれば、私たちは私たちなりの役割を果たします。決して見捨てるようなことは致しません。人間がインスピレーションにあずかるチャンスはいくらでもあります。ところが、取越苦労、疑念、不安、こうした邪念が障害となっています。

そういう念が心に宿るスキを与えてはなりません。(あなた方の協力を得て)為さねばならない仕事が山ほどあるのです。目的意識を忠実に持ち続けることによって私を援助していただきたいのです。私のこれまでの永い体験をもってしても容易に克服できない障害がたくさんあります。

だからこそ皆さんの私への忠誠心、確信、なかんずく大胆不敵な心、つまり恐怖心、悩み、心配を精神に根づかせないように心掛けることで私の力となっていただかねばなりません。
 
 進みゆく道を問題が過(よぎ)ることがあるかも知れません。が、そのまま過って行ってしまいます。そこに居座ることはありません。解決できないほど難しい問題は生じません。

背負えないほど重い荷を背負わされることはありません。取越苦労をしてはいけません。明日がもたらすものに不動の信念と断固たる精神で立ち向かいなさい。万事うまくいきます。世の中にはあなた方(のように霊的真理を手にした者)による救いを求めている人が大勢います。

あなた方はそういう人を援助し、使命を成就する備えが出来ていなければなりません。どうのこうのと立派なことを言っても、それを人のために役立てなかったら、つまり自分の獲得した知識を他の人に分けてあげなかったら、せっかくあなたに授けられた知識の本来の意義を自分の人生で生かしていないことになるのです。

為さねばならないことは山ほどあります。われわれの努力によって喜ばせてあげられる人があちらにもこちらにも大勢いることを自覚して、心躍る気持ちで仕事に邁進しようではありませんか」


別の日の交霊会でこれから霊媒のバーバネル氏が入神してシルバーバーチがしゃべり始めるのを待っているあいだ、二人のメンバーがスピリチュアリズムの宣伝活動の価値について議論し合っていた。やがてシルバーバーチが憑ってきてこう語った。

 「私たちがこうして地上へ戻ってくるのは何のためだとお考えでしょうか。少数の特殊な人のため? それとも大勢の人々のため? 私たちの説く真理はひと握りの人のためにどこかの小さな団体、秘密結社のような所に仕舞い込んでおくべきものでしょうか。

真理を知らずに迷い、絶望的になり、或いは悲嘆に暮れている数知れない人の姿が私たちの目に見えないとでもお思いでしょうか。私たちがお届けするメッセージには重大な目的があるのです。世界中の人間に例外なく宿る宇宙の大霊すなわち神の崇高な資質を顕現させることを目的としているのです。

まず第一に人生を支配する法則──物的生活、精神的生活、霊的生活を支配する法則の存在を説かなければなりません。続いて人生の目的、地上に生まれてきた理由、内部に宿る素晴らしい能力、潜在的神性、人間に為しうる貢献度、目指すべき理想的世界、身につけるべき知識、到達できる極致を理解させなければなりません。

 私たちの説く真理は最後は地上のすべての人間、それも地上に生きているうちに実生活に応用することによって実地に学ばせるために、地上のすみずみに至るまで広められるべき宿命を担っているのです。誤りを訂正し、不足を補い、これまで人間が愚かにもしでかしてきたことの後片付けをするだけで何十年も何百年も費やします。

地上の人類がこうまで無知でなければ、そのエネルギーを別の用途に向け、時間のムダも省けるのですが・・・・・・

 ここにお集まりの皆さんにはすでにその知識があります。霊的知識について少しばかり多くのことを学んでおられます。霊的交信の素晴らしさも味わわれました。永遠に別れてしまったと思っていた愛する人との縁を再び取り戻されました。

遠大な神の計画の一端をご覧になりました。その見事な構想に驚嘆されました。霊力の証の幾つかもご覧になられました。高い世界からのインスピレーションの喜びも味わわれました。高い世界の知識の泉に近づかれました。

こうしたことは一体何のためだったのでしょうか。自分一人で楽しむため? 違います。知識には責任が伴います。こんどは代わってあなたがその知識を自分にできる範囲で広めなければならないのです。あなたが得た喜びが何であれ、それを他の人へ回してあげるのがあなたの責務です。

そうすることで一人でも多くの人が霊力に近づき、高い世界で待機している霊の愛を知り、これまで多くの男女に神の雄大な計画の一翼を担う道具となる決意をさせたその強烈な力によって、さらに多くの人が魂を鼓舞されるように努力しなければならないのです。

 知識に制約を加えようともくろむ人種とは縁をお切りになることです。知識は自由に広められるべきです。それが無知と迷信と、あまりの永いあいだ人類の足枷となってきたものを全て打ち崩すことになるのです。知識こそが魂を解放し、神からの授かりものである自由のよろこびを満喫することになるのです。

太陽の輝きが拝めるはずの人間がローソクの灯りしか知らないとは、何という愚かしいことでしょう。私が一個の道具に過ぎないように、皆さんも道具です。どこの誰それでなく、すべての人の心を解放してあげるのがわれわれの仕事です。それが地上世界に進歩をもたらし、神の子すべてが霊的摂理にもとづいて意義ある人生を送れるように、社会組織を改めていくもとになります」


 最後にこれから先の見通しについて───
 「私の興味は真理だけです。真理こそが最も大切です。私のいう新しい世界が基盤とすべき永遠の霊的真理を理解していただくために私は、ひたすら自分を役立てることだけを考えております。

その大事業から外れたことをする人間は、本来同胞のために捧げるべきエネルギーをムダに費やしていることになります。私たちがこうして地上へ戻って来たそもそもの目的は、聞く耳をもつ者の魂に刺戟(かつ)を与えて、新しい世界の構築のために地上の人間なりの役割を果たしていただくことにあります。

 形式への盲従が度を越しています。因襲を大切にしすぎます。私は知識の普及とそれを今なお暗闇にいる人々の啓発のために使用していただくこと以外には関心はありません。私にとって宗教はたった一つしかありません───人のために自分を役立てるということです。教会、聖堂、信条、教理───こうしたものは私にはまるで興味がありません。

行為、生活、動機───これで評価します。霊的な知識を得た人がそれを正しく普及して行く上において心しなければならないことは、それを無理やりに押し付けることによって肝心の霊界からの働きかけの邪魔になるようなことになってはいけないということです。霊の力は勝手に制約したり命令したりすることは出来ません。

発現できるとみたら、どんな人を通してでも流入します。私たちが欲しいのはそういう道具、霊媒、あるいは普通の男女───その人を通じて霊力が受け入れられ、霊の教えが語られ、知識が伝達されるような精神構造をした人たちです。これは、のんびり構えてはいられない問題です。

 私たちがなぜ地上へ戻って来るのか。実は霊界へ送り込まれてくる人間の中に、もしも地上で霊的知識を身につけておればこうまで酷くはならなかったろうと思われる廃残者、堕落者、霊的生活への備えがまるで出来ていない者があまりに多すぎるのです。無知と恐怖と迷信と偏見に満ちた者ばかりなのです。

そうした地上の暗黒面を助長している勢力を打ち崩すことが私たちの仕事です。私はそれを敢えてスピリチュアリズムと呼ぶつもりはありません。私は自然法則について語っているだけです。父なる神などという言い方も致しません。

私は宇宙の大霊という呼び方をしています。私は法則に目を向けます。私は宇宙の目的に目を向けます。人間は霊的に成長しなければならないのです。もしも地上で為すべきことの一部だけでも成就できたら、避けようにも避けられない宿命である次の霊的生活への準備が整ったことになります。

そうなるように仕向けるのが私たちがこうしてあなた方の世界へ戻って来る目的です。同胞である地上人類への愛に発しているのです。情愛の絆がわれわれを結びつけ、私たちがあなた方に真理を語り、代わってあなた方が同胞のためにそれを語り継いでいただくということです。
 
 私はただ私が見たままの事実を述べるだけです。そしてその評価はあなた方の理性に訴えております。それが最高の判定者であると考えるからです。とにかく知識を広めることです。迷信を突き崩すのです。光明を輝かせ闇を無くすのです。古くからの誤った権威を亡ぼすのです。強欲、貪欲、私利私欲、旧態依然たる教理と慣行の息の根を止めるために何とかしなければなりません。

これらのすべてが霊の敵です。断じて無くさなくてはいけません。新しい世界にとっての障害物です。その行く手を邪魔する者は、たとえ一時にせよ、神の計画を妨害していることになるのです。真理はいかなる組織・団体よりも大切です。何も難しく考えることはありません。真理は極めて簡単なのです。

ところが人間は簡単では気が済まないのです。形式と慣習を好みます。よその形式と慣習を真似したがります。よそが教会を建てると自分のところにも教会を建てないと気が済まないのです。よそが祈祷で儀式を始めるようになると自分のところでも祈禱文をこしらえます。

よそが讃美歌を歌うと自分のところでも讃美歌をこしらえます。もっともその多くは文句が同じで、歌い方を変えているだけですが・・・。よそが説教を始めると自分たちも説教を始めます。

 そんなことをしなくても、ただひたすら霊力を第一に考えておれば、神についての知識と霊的法則の普及のための合流点は幾らでもあります。

そのことが何より大切です。レンガはあくまでレンガです。建築物はあくまで建築物に過ぎません。そんなものを崇拝してはいけません。忠誠を捧げるべきものは宇宙の大霊すなわち神とその永遠不変の摂理です。
 
そのことを知った者はその真理の炎を絶やさぬように努力し、向かうべき方角も分からずに迷っている人々にいつでも希望と慰めと啓示を与えてあげられるようになることが勤めです。あなた方の世界は暗黒に満ちております。

人生に疲れ生きる意欲を失い困惑している人、慰めのひとこと、一片の真理を渇望している人々が大勢おります。あなた方による緊急の援助を必要としております。そういう人々のためにあなた方は一刻を惜しんで真理の普及のために努力すべきです。その人たちにとって霊的真理が人生のすべてを建て直す盤石の土台となることでしょう」

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