Wednesday, September 18, 2024

シアトルの初秋 天体の円運動の原理

Principle of circular motion of celestial bodies



一九一三年十一月十五日   土曜日

 さて、もう一つ私の立場から見て貰いたいものがある。地上の科学者は天体について彼らなりに観察し、その結果をまとめ、他の情報と統合して推論を下し、それにある程度の直感力と叡智とを加味して生成の原理を系統だてているが、その天体の生成過程に霊的存在と霊的エネルギーとがどう関わっているか、その真相について述べてみたい。

 そもそも〝天体〟という用語には二重の意味があり、その理解も個人の能力と人間性の程度によって異なる。ある者にとってはそうした球体は物質的創造物に過ぎず、ある者にとっては霊的生命力の顕現の結果以外の何ものでもない。

が、その霊的生命力の働きについても、皆がみな同じように理解しているわけではない。霊的生命力という用語をきわめて曖昧な意味に使用している者もいる。〝神が万物を創造した〟と簡単にいう者がいるが、その意味するところは途轍もなく深遠である。

地上という薄暗い世界を超越して、より明るい世界を知る者にとっては、多分その言い方では真理を表現しているよりむしろ埋葬していると言いたいところであろう。もっとも偉大なものも、もっとも単純な叡智から生まれる。

絶え間なく運動を続ける天体の見事な連動関係(コンビネーション)も、最も基本的な幾何学的計算から生まれる。何となれば、一つの縺(もつ)れもなく自由自在の使用に耐え得るものは、最も純粋にして最も単純なものしかないからである。

その至純にして単純な状態こそ恒久性の保証である。それは地球のみに限らない、遥か彼方の星辰の世界においても永遠に変わらぬ真理である。何となれば、完璧なる理法のもとに統制されているからである。

 さて、それら天体組織の各軌道は二種類の原理によって定められると言っても過言ではない。すなわち直線と曲線である。否、根源的にはたった一つの原理すなわち直線から出来上がっていると述べた方がより正確かも知れない。

つまり全ての天体は本来直線軌道上の上を直進している。ところが突き進むうちに例外なく曲線を描くことになる。その道理の説明は地上の天文学者にも出来るであろう。が、一つだけ例を挙げて説明しておこう。

 地球を例にとり、それが今軌道上を発進したとしよう。するとまず直線コースを辿る。それが本来の動きなのである。ところが間もなく太陽の方向へ曲がりはじめる。

そしてやがて楕円状に働いていることが判る。結果的には直線は一本もない。曲線の連続によって楕円を画いたのであり、それが地球の軌道なのである。

 一方、太陽の引力は決して曲線状に働いたわけではない。やはり一直線なのである。

結局地球の軌道を直線から楕円へと変えたのは二種類のエネルギーの直線的作用──地球の推進力と太陽の引力──だったのであり、その中に多種類の曲線の要素が入り、それが完全な楕円をこしらえたのである。

実はこれには他に多くの影響力が働いているが、貴殿の注意力を逸らさぬよう、一つの原理にしぼっている。これを定義づければこういうことになろう──二本の直線的エネルギー作用が働き合って楕円軌道を形成する、と。

 太陽の引力も地球の推進力も完全な理法に沿って働き、そこには美しさと驚異的な力がある。物体が自ら働くということ自体が驚異というべきであり、真実、驚異なのである。

その両者が互いに動きを修正し合い、また大なるものが小なるものを支配しつつ、しかも小なるものの本来の力と自由を奪うことなく、連動作用により──明らかに対立した動きをしながらも──二本の直線よりも遥かに美しい楕円を画く。これはまさに親と子の関係にも似ている。

 貴殿はまさか両者が対立した運動をするからにはこの機構は誤っており〝悪〟の根源より出たものである、などとは思うまい。考えてもみるがよい。この両者は虚空の中を来る日も来る日も変わることなく連繋運動を幾星霜となく続け、今なお続けている。

それを思えば、侮辱どころか畏敬と崇敬の念を抱くべき事柄である。美しさと偉大さとを併せ持つ叡智の存在を示している。これを考案された神への讃仰の念を抱かずにはおれないであろう。

偉大な叡智と偉大な力とを兼ね備えた存在であるに相違ないからである。むべなるかなである。

 人間は神の御業をこのように正しく理解せず、見た目に映じた皮相な見解のもとに神及び神の働きを安易に疑い過ぎる傾向がある。人間生活の中に先の例のような対立関係を見ると、すぐに神が不完全で在るかの如く言う。もっと良い方法があるはずであると思い、神の叡智と愛を疑う。

人間生活の画く大きな軌道の僅かな曲線のみ見て、あたかも全てが破滅に向かっているかの如く思いつめる。そうまで思いつめなくても、少なくとも全てが直線的、つまりは悲劇もなく苦難も無いコースこそが正しい人生であると思い、対立的勢力の連動作用によって軌道を修正されることを好まない。

 もとより、仮定の問題とすればそれ以外の働き方もあるかもしれない。が、もしそうなれば、神がその霊力によって実現させたところの、かの完璧な星辰の動きには及びもつかぬものとなるであろう。

人生における軋轢(あきれつ)や悩み事や苦痛を生じさせるところの対立関係は、地球を無事軌道上に運行させているエネルギーの対立関係と同じなのである。完全なる全体像を見通す神の目から見ればそれで良いのであり、その成就へ向けて忍耐強く待つのである。

 吾々とて全てが判るわけではなく、これから辿る道もさして遠い先まで見通せるわけでもない。ただ貴殿よりは遠くが見える。少なくとも現在自分の置かれた事情に得心し、同じ道を歩む同胞に援助の手を伸ばし、これより先いかに遠く進もうとも、全てがうまく出来ているとの信念を持って向上へ励むのである。

と言うのも、こうして地上の霧に包まれ視野を閉ざされた状態においては、吾々はその道程についてしつこくその価値を詮索することをせず、天界に戻って煌々たる光の中において全体を眺める。その高き視野より眺めると、完成へ向けて進む人生の軌道は実に美事なものである。

あまりに美事であるために吾々はしばしば愛と叡智の神の尊厳に驚嘆と畏敬の念を覚え、思わず足を止めるのである。その威容の前にひれ伏す時の讃仰の念は最早や私の言葉では表現できない。ただ魂の憧れの中に表現するのみである。

 アーメン。私からの祝福を。勇気を持って怖れることなく歩むがよい。先のことは私が全て佳きに計らうであろう。 ♰                                        

No comments:

Post a Comment