It is in times of sadness and pain
Wisdom of Silver Birch
同じく第二次大戦のさなかでの交霊会においてシルバーバーチはこう語った。
「何もかもが危険にさらされているこうした時期こそ霊的真理を教えてあげる必要があります。信仰という信仰がことごとく片隅に追いやられ、すべてが混乱の渦中にある今こそ、こうした単純な霊的真理を説くことによって自分を役立てることができるのです。その真理だけは不変です。なぜならば不変の自然法則の働きを土台としているからです。
あなた方は大規模な混乱と破滅を目のあたりにされています。他の国ではさらに大規模な、そして見るも無惨な光景が繰りかえされています。混乱と残酷、裏切りと暴虐が大手を振ってのし歩いております。まさに野獣のごとき暴力が我が物顔に振る舞っております。あたかも自由の灯が完全に消され、全てが闇と化したかの如く思われる国が数多く見られます。
こうした時こそ、われわれ霊的法則の働きを知った者が、霊的真理こそが人間にかつて想像もしなかった高い視野を与えてくれること、心の中に消そうに消せない炎を灯してくれること、最後は霊的光明が勝ち、自由を我が物とすることができることを説いて聞かせるべき時です。
それは霊の本来の資産なのです。いかに粉砕しても絶対に存在を失わない究極的な存在である〝霊〟が所有していなければならないものです。霊性が怖じけづき、縮こまることはありましょう。が、
決して征服されてしまうことはありません。霊界にいる私どもがぜひともお教えしなければならない大きな真理は、地上にいるあなた方も霊的存在であるということです。
物質で出来たものは破壊することができます。肉体は死なせることができます。いじめることもできます。しかし霊的なものは絶対に存在を失いません。なぜなら、霊的なものは永遠なるもの、宇宙の大霊、無限にして不滅の存在、すなわち神の所有物だからです。
皆さんがスピリチュアリズムと呼んでいるものは自然法則の働きの一部ですが、これが人間にも霊が宿っていることを証明しました。
その証拠は、視野を曇らされず理性に従い何の捉われもなく自由な思考をめぐらすことの出来る人には、人間が本来霊的存在であることが議論の余地のない事実であることを雄弁に物語っております。そしてその基本原則から次々と重大な意味が湧き出てきます。
その一つ一つがそれを受け入れる用意のできた人々に、こうしてはいられない、何とかしなくては、というせっぱつまった衝動を覚えさせます。
いったん人間が霊であることを悟ると、この地上世界もその霊性を存分に発揮される環境であらねばならないとの認識が生まれます。すべての悪習、すべての罪悪、すべての悪徳、すべての既得権、すべての利己主義、貪欲、そして残虐性、こうしたものを一掃しなければならないということです。
それらは全てせっかく自己開発のために地上に降りた霊───いずれは当り前の生活の場となる霊界でのより素晴らしい生活に備えるために生まれてきた霊の成長を妨げることになるからです。それが声を大にして叫びたい私たちからのメッセージです。
すなわち霊媒を通じて与える死後存続という素朴な真理から始まって、そこから生活を一変させる数知れない重大な意味を発見していることです。
そして、こうして人類がその宿命の成就のために闘っている時、言いかえれば霊的教説がその真価を問われている時、その背後では、かつて地上で革命家、殉教者、指導者と呼ばれ、今なお新たな力を携えて霊界で研さんを重ねている見えざる大軍が、その持てる力を総結集して援護に当っている事実を知らねばなりません」
───昨今の混乱ぶりは目に余るものがありましょう。(大戦の焦点が日米決戦の様相を呈して来たころのこと───訳者)
「それは(比較的戦乱の少ない)英国の国民でさえ受けている精神的ストレス───多分自分では実感していなくても大きなストレスを受けている、英国に限りません。地上の大気そのものが嘆きと悲しみと苦痛の絶叫に満ち、それに付随してさまざまな不協和音を生んでおります。
その上忘れてならないのは、何千何万という人間が何の備えも無く霊界へ送り込まれてきている霊界の現実です。その一人一人が本人は気づかなくても、私たち霊団の仕事に困難を加えていきます。声には出さずとも、一人一人が休みなく何らかの要求をしているからです。
大変な数の人間が無知のまま、あるいは誤った信仰をもったままやってまいります。無知と偏見、これは私たちが闘わねばならない双子の敵です。
地上のみなさんはひたすらに真理を広め、知識を広め、叡智を広め、光明を広め、一人でも多くの人の心に感動を与えることです。往々にしてその努力の結果はあなた方自身には分らないでしょう。が、それはどうでもよろしい。かまわず進んでください。
世間の批難、中傷にはかまわず、ひたすらにご自分の心の中の光に忠実に従うことです。それ以上のことは要求しません。敵対するものがいかに大きかろうと、最後はかならず勝利を収めます。自由───精神と霊と身体の自由はかならず勝ちます。
個人について言えることは国家についても言えます。個人にもそれぞれに成就すべき神聖な宿命があるように、国家にもそれぞれの宿命があります。
これまで何度も申し上げてきましたように、あなた方の国(英国)は世界をリードする宿命───暗闇に光明をもたらすために霊的真理の松明(たいまつ)をかかげて世界の先頭を歩むべき宿命を背負っております。今その偉大なる仕事が徐々に成就されつつあるのがお判りでしょう」
大戦が長引き、ますます激烈となり、もはや前途に光明が見出せないかに思えた時期に、シルバーバーチはこう語った。
「真の信仰を身につける好機はすべてのことが順調に行っている時ではありません。そんな時に信仰を口にするのは誰にでもできることです。暗黒の時に身につけたものこそ本当の信念と言えます。
太陽がさんさんと輝き、何の苦労もなく、前途に何の心配もない生活を送っている時に私は神を信じますと言うのは容易なことです。しかし、そんな呑気な生活の中での信仰の告白には何の価値もありません。
困難の中にあって怖じけず、いかなる緊張の中にあっても動ぜずに次のように宣言できる人の信念にこそ本当の価値があります───風が吹こうが嵐が狂おうが、世界がいかに混乱し全てが暗黒に包まれ絶望的になろうと、宇宙の全生命を創造し神性を賦与した力は決して自分をお見捨てにならないと信じる。知識と経験による不動の基盤の上に築いた完璧な信念に安住して、私は絶対に動じない、と。
宇宙の大霊すなわち神の力はあなた方人間を通して流れるのです。もし人間が確固たる不動の冷静さを保ち得ずに怖じけづいてしまえば、その力は発揮されません。あなた方一人ひとりが神なのです。神はあなた方から切り離された何か別の存在ではないのです。
宇宙の大霊というのは何か形のない、遠い宇宙の果てにふわふわと浮いている靄のような存在ではありません。人間の内奥に宿された霊的な資質を発揮すればするほど、それだけ宇宙の大霊をこの世に顕現させていることになります。これはぜひ学んでいただきたい教訓です。
霊が進化するということはそのことを言うのです。そうやって個性が築かれていくのです。成長するということはそういうことなのです。
まだまだ地上の人類は、悲しみ、苦しみ、艱難、辛苦が存在することの理由を理解しておりません。その一つひとつが霊的進化の上で大切な機能を果たしているのです。
ご自分の人生を振り返ってごらんなさい。最大の危機、最大の困難、お先まっ暗の時期が、より大きな悟りを開く踏み台になっていることを知るはずです。
日向でのんびりと寛ぎ、何の心配も何の気苦労も何の不安もなく、面倒なことが持ち上りそうになっても自動的に解消されてあなたに何の影響も及ぼさず、足もとに石ころ一つなく、自分でやらねばならないことが何一つ無いような人生を送っていては、向上進化は少しも得られません。
困難に遭遇し、それに正面から立ち向かって自らの力で克服していく中でこそ成長が得られるのです。知識を広める必要があるのは無知という名の暗闇が生み出す無意味な残虐行為、無駄な苦労を一掃するためです。
自然の摂理に反することをしでかしておいて、それが生み出す結果への対処に無駄なエネルギーを費やすという愚かさを無くすために霊的真理の普及が必要なのです。
同じ苦しみにも無くもがなの苦しみがあります。困難にも無くもがなの困難があります。が、それも霊的な成長と進化、光明へ向けての歩みにとっての糧とすることができます。
失敗も災難もみな薬です。何かを教えてくれます。結局人間は宇宙という大きな学校の生徒というわけです。これでよいという段階はけっして来ません。成長すればするほど、まだまだ開発し磨いていかねばならないものがあることに気づくものだからです」
そうした人生において大切な心掛けとして、シルバーバーチはこれまで繰りかえし注意してきたことを再び説いた。
「絶対に許してならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。
克服できないほど大きな障害は生じません───内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが・・・・・・。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。
内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。
病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野が遮られている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」
あまりの戦火の激しさに、こんな情況ではささやかなサークルのメンバーが少しばかり真理を説いても無意味のように思われるとの一メンバーの考えを聞かされたシルバーバーチは、こう述べて力づけた。
(訳者注───この頃はまだシルバーバーチの霊媒がサイキック・ニューズ社の社長兼主筆であるバーバーネルであることは内密にされていたほどで、いきおい普及活動も範囲が限られていた。
一九三〇年代初期はまだ霊言がサイキック・ニューズ紙上にも掲載されていなかった。嫌がるバーバネルを説き伏せてハンネン・スワッハーがそれを紙上に連載させ、一九四七年にはついに霊媒がバーバネルその人であることまで公表されるに及んで、ようやく普及活動に弾みがつき世界的に普及しはじめたのだった。)
「さまざまな出来ごとがありましたが、霊的真理の光は今なおこの小さな島(英国)に生き続けております。一度も消えたことはありません。こののちも、ますます広がり続けて、いずれは世界のすみずみにまで行きわたることでしょう。その恩恵を受けた数知れぬ人々から、あなた方は敬愛され祝福を受けることでしょう。
その貢献を誇りに思わなくてはいけません。胸を張って生きられるがよろしい。まだまだこれから成就しなければならない大きな宿命があなた方を待ち受けております。
私たちには授けるべきメッセージがあります。今日ほどそれを必要とする時代はありません。今の地上こそ私たちの奮闘を必要とする土地です。慰めを必要とする人が大勢います。
悲しみに打ちひしがれ知識と援助を叫び求める人々が大勢おります。私たちに代わってそういう人たちを救うことのできる説教者や指導者が一体どこにいるでしょうか。授けるものとして一体何があるでしょうか。遠い過去の愛用句でしょうか。
使い古された教義でしょうか。信じる者のいなくなった教説でしょうか。それとも誤ったドグマでしょうか。本人みずからその信用性に自信のない者がそんな太古の物語を引き合いに出して、はたして現代人を慰めることができるのでしょうか。
英国中、いや世界中いたるところで、闇夜に救いを求める人がいます。その祈り───声に出しての祈りも声なき祈りも───ただならぬ窮地で指針を求める魂の叫びが私どものところまで響いてまいります。そういう人たちこそわれわれが手を差しのべてあげなければなりません。
道に迷っている人々です。その多くは自分が悪いのではありません。闇に囲まれ悲しみに打ちひしがれ、目に涙をうかべて〝死〟の意味を知りたがっています。なぜ愛する者がこうも呆気なく奪い去られるのかと尋ねます。が、教会はそれに対応する答えを持ち合わせません。
悲しみの杯をなめ苦しみのパンをかじらされた者は、〝処女懐胎〟だの〝エデンの園〟だの〝使徒信条〟だのについての説教はどうでもよいのです。真実の知識が欲しいのです。事実が知りたいのです。確証が欲しいのです。
彼らは素直にこう考えます───もしもこの世に救いになるものがあるとすれば、それは今の自分、苦しみの渦中にある自分たちをこそ救えるものであるべきだ、と。そこで私たちはあらゆる不利な条件、あらゆる障害をいとわず、そうした絶望の底に喘ぐ人々を慰めようと必死になるのです。
これまでも幾度か申し上げてきたことですが、皆さんはこうしたささやかなサークルが僅かの間ここに集まって私たちのために力を貸してくださるそのことが、どれほど大きな意味があるのか、そしてそのおかげでどれほど遠く広く真理を広めることができているかをご存じないようです。
私どもが述べる僅かな真理の言葉───僅かとはいえ永遠の実在を土台とした不易の叡知なのですが───それが受け入れる用意のできた人々の心、霊的に成熟した魂に根づいていく。
これは実に偉大な仕事というべきです。その真理を語るわれわれが成るほど神の使徒であることを証明するには、ひたすらに人の役に立つことをするしかありません。
つまり脅しや恐怖心や心配の念を吹き込まず、ただただ、薄幸の人々に救いの手を差しのべたいと望んでいる者であることを身をもって証明していくしかありません。(訳者注───古来宗教が信者に恐怖心を吹き込むことによって存続を謀ってきた歴史を踏まえて述べている)
ここでシルバーバーチは、そのころ英国内の何人かの霊媒に対し、それぞれの支配霊と議論したいという挑戦状を送りつけている人物の名前をあげて、このサークルにも同じものが送られてきているらしいが、そんな人間と会うつもりはない旨を述べ、その理由をこう述べた。
「その人物を恐れているのではありません。挑戦ならこれまでも地上からさんざん受けております。私に理解できないのは、この悲しみと苦しみの惨状のさなか、われわれの援助を大いに必要としている最中に、自分の信じてきたことしか信じようとしない人間との議論になぜ貴重な時間を費やさねばならないのかということです。
私をさらし者にしたいのでしたらいつでもなってあげましょう。私たちは(一八四八年のスピリチュアリズムの勃興以来)すでに百年近くも、私たちの仕事を阻止しようとする勢力の敵対行為に遭ってきました。
教会と科学と唯物主義による挑戦です。彼らによってどれだけの霊媒がさらし者にされたことでしょう。そしてそのつど彼らは霊の仕業などというのはウソである───霊など存在しないことを〝完全に証明した〟と決めつけました。
が、敵意と嘲笑と虚偽の陳述によって私たちの仕事が阻止されたことは一度もありません。霊界からの働きかけの成果がますます世界中に広がり、敵対する勢力は退却するか作戦の変更を余儀なくさせられています。
スピリチュアリズムを非難する教会も今やその真理がはじめて地上へ啓示された時にみずから説いていた教説を説いてはいません。科学もほぼ百年前に説いていた学説を今は説いていません。我がもの顔だった唯物主義者さえ譲歩し、視点を変え、思いもよらなかった新たな要素を考慮せざるを得なくなっております。
それに引きかえ、私たちがこれまで説いてきたものを髪の毛一本ほどでも改めたり逸脱したりしたことがあるでしょうか。どこか私の霊訓で以前と違うところを指摘できるでしょうか。地上の事情が変わったために修正しなければならなくなった箇所が一つでもあるでしょうか。
物質界での新しい発見が為されたために、それまで私どもが絶対ですと断言してきた基本的真理を改正せざるを得なくなったところがあるでしょうか。
あるわけがありません。自然法則を取り消したり変更したりしなければならなくなることは決してありません。生命活動に付随する環境条件の全ての可能性を認識しているからです。
〝生〟の現象にも、あなた方のいう〝死〟の現象にも、自然法則やその働きを改めなければならないものは絶対に生じません。私どもが説く真理に死はありません。正真正銘の真理だからです。霊的実在こそ真の実在です。だからこそ存在し続けるのです。永遠に残る叡知の宝石です。受け入れる用意のある者を導く永遠の真実です」
次に〝死を悼む〟という人類に共通した情が話題にのぼった。メンバーの一人が、永年シルバーバーチの訓えを聞いてきた者でも仲間のメンバーが死ぬと悲しみを禁じ得ないのはなぜだろうかと尋ねた。すると別のメンバーがそれは〝死んだ〟者に対する悲しみの情ではなく、後に残された自分を悲しむ一種の利己的な情から生じるのでしょうと述べると、シルバーバーチはこう答えた。
「いったい何を悲しむというのでしょう。死に際して悲しみを抱くということは、まだ進化が足りないことを意味します。本当は地上に留まること自体が苦痛であり、地上を去ることは苦痛から解放されることであり、暗黒の世界から出て光明の世界へ入ることであり、騒乱の巷から平和な境涯へと移ることを意味することを思えば、尚のことです。霊的知識を得た者がなぜその知識と矛盾する悲哀に心を傷めるのか、私は理解に苦しみます。
もう一歩話を進めてみましょう。霊的真理についての知識を初めて手に入れた時、それは目も眩まんばかりの啓示として映ります。それまでの真っ暗闇の混乱、わけの分らなかった世界がぱっと明るく照らし出される思いがします。が、その新しい理解がいかに大きいものであっても、やがて納まるべきところに納まり、その人の在庫品の一つとなっていきます。
しかし知識は使うためにあるのです。その知識のお陰で視野が広がらなくてはいけません。理解力が増さなくてはいけません。洞察力、同情心、寛容心、善意がいっそう大きくならなくてはいけません。せっかく知識を手にしながら、それをある限られた特別の機会のために取っておくことは許されません。
それは人生のあらゆる側面における考えを改めるために使用されるべきものです。皆さんがこれまでに学び、観察し、体験してきたことに幾ばくかでも真理があったとすれば───もし学んできたことが霊的な価値を有するものであれば、その価値はそれを実際に使用し実生活に適用することによって少しでも多くの霊的自我を発揮させることで生かせるのです。
身近な人の死に直面した時、あの馴染の顔、姿、あの言葉、あの笑顔がもう見られなくなったことを悲しむのではないと断言なさるのなら、あなたは絶対に悲しむべきではありません。
この交霊会での知識は週に一度わずか一時間あまりの間だけの知識として取っておいていただいては困ります。皆さんの日々の生活の中で使用していただかないと困ります。
その霊的な価値は工場において、仕事場において、事務所において、商いにおいて、専門職において、天職において、奉仕的仕事において、家庭内において、その絶対的基盤としなければなりません。
あなた方の生活のすべての行為における光り輝く指標とならなければなりません。それが知識というものの存在価値なのです。
と言うことは、スピリチュアリストを自認する方はスピリチュアリズムというものを───これも霊的真理の一側面に付した仮の名称にすぎませんが───身内の人を失って悲しむ人のためにだけ説いて、それ以外の時は忘れているということであってはならないということです。
私どもが教えんとしていること、駆使しうる限りの力を駆使して示さんとしていることは、この宇宙が霊的法則によって支配された広大な世界であること、そしてその法則は、人間みずから見えることより見えないことを望み、聞こえることより聞こえないことを望み、物が言えることよりも言えないことを望み、常識より愚昧(ぐまい)を好み、知識より無知を好むことさえなければ、決して恩恵をもたらさずにはおかないということです。
知っているということと、それを応用することとは別問題です。知識は実生活に活用しなくてはなりません。死を悼むということは霊的知識が実際に適用されていないことを意味します。地上生活を地上生活だけの特殊なものとして区切って考える習癖を改めなくてはなりません。
つまり一方に物質の世界だけに起きる特殊な出来ごとがあり、他方にはそれとまったく異質の、霊的な世界だけの出来ごとがあって、その二つの世界の間に水も漏らさぬ仕切りがあるかのように考えるその習性から卒業しなくてはいけません。
あなた方は今そのままの状態ですでに立派に霊的な存在です。死んでから霊的になるのではありません。違うのは、より霊的になるという程度の差だけであって、本質的に少しも変わりません。あなた方にも霊の財産であるところの各種の才能とエネルギーが宿されているのです。
今からあなたのものなのです。肉体に別れを告げたあとで配給をうけて、それを霊体で発揮し始めるというのではありません。
今日、いまこうしている時からすでにそれを宿しておられるのです。言わば居睡りをしながら時おり目を覚ます程度でしかありませんが、ちゃんと宿していることには違いありません。
霊的知識を手にしたあなた方は人生のあらゆる問題をその知識の光に照らして考察し、そうした中で霊の所有物、才能の全てを発揮できるようにならなければなりません。
悪いと知りつつ罪を犯す人は───〝罪を犯す〟という言い方は私は好きではありませんが(他のところで〝摂理に背く〟と言いたいと述べている。訳者)───知らずに犯す人よりはるかに悪質です。盗むことは悪いことですが、霊的知識を手にした人がもし盗みを働いたら、それは千倍も悪質な罪となります。
恨みを抱くことは悪いことですが、霊的知識を知った人がもし誰かに恨みを抱くようなことがあったら、それは千倍も悪質な罪となります。知識はすべてのことに厳しさを要求するようになります。
私がいつも〝知識は責任を伴う〟と申し上げているのはそういう意味です。霊的なことを知っていながらそれが実生活における行為にまるで反映していない人が多すぎます。難しいことかもしれませんが、人間は一人の例外も無く今この時点において霊の世界に住んでいること、決して死んでから霊になるのではないということをしっかりと認識して下さい。
死ぬということはバイブレーションの問題、つまり波長が変わるということにすぎないことを認識して下さい。知覚の仕方が変わるだけのことと言ってもよろしい。日常生活で固くてしっかりしていると思っているものとまったく同じ、いえ、もっともっと実感のあるものが、たとえあなた方の目に見えなくても、立派に存在しております」
最後に霊界から見た〝死〟の意味をこう語った。
「〝生〟を正しい視野で捉えていただきたい。その中で〝死〟が果たしている役割を理解していただきたいと思います。人間はあまりに永いあいだ死を生の終わりと考えて、泣くこと、悲しむこと、悼むこと、嘆くことで迎えてきました。
私どもはぜひとも無知───死を生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との別れとみなす無知を取り除きたいのです。そして死とは第二の誕生であること、生の自然な過程の一つであること、人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものであることを理解していただきたいのです。
死ぬということは生命を失うことではなく別の生命を得ることなのです。肉体の束縛から解放されて、痛みも不自由も制約もない自由な身となって地上での善行の報いを受け、叶えられなかった望みが叶えられるより豊かな世界へ赴いた人のことを悲しむのは間違いです。
死の関門を通過した人はカゴから放たれた小鳥のようなものです。思いも寄らなかった自由を満喫して羽ばたいて行くのです。人間が死と呼ぶところの看守によって肉体という名の監獄から出させてもらい、(原則として)それまでの肉体に宿っているが故に耐え忍ばねばならなかった不平等も不正も苦しみも面倒もない、
より大きな生へ向けて旅立ったのです。霊本来の限りない自由と崇高なよろこびを味わうことになるのです。
苦痛と老令と疲労と憂うつとから解放された人をなぜ悲しむのでしょう。暗闇から脱して光明へと向かった人をなぜ悲しむのでしょう。霊の本来の欲求である探究心を心ゆくまで満足できることになった人をなぜ悼むのでしょう。それは間違っております。
その悲しみには利己心が潜んでいます。自分が失ったものを悲しんでいるのです。自分が失ったものを自分で耐えていかねばならないこと、要するに自分を包んでくれていた愛を奪われた、その孤独の生活を嘆き悲しんでいるのです。
それは間違いです。もしも霊的真理に目覚め、無知の翳(かす)みを拭い落した目でご覧になれば、愛するその方の光り輝く姿が見えるはずです。死は決して愛する者同士を引き離すことはできません。
愛は常に愛する者を求め合うものだからです。あなた方の悲しみは無知から生じております。知識があれば愛する者が以前よりむしろ一段と身近な存在となっていることを確信できるはずです。霊的実在を悟ることから生じるよろこびを十分に味わうことができるはずです。
皆さんもいずれは寿命を完うしてその肉体に別れを告げる時がまいります。皆さんのために尽くして古くなった衣服を脱ぎ捨てる時が来ます。霊が成熟して次の進化の過程へ進む時期が来ると自然にはげ落ちるわけです。
土の束縛から解放されて、死の彼方で待ち受ける人々と再会することができます。その目出たい第二の誕生にまとわりついている悲しみと嘆き、黒い喪服と重苦しい雰囲気は取り除くことです。そして一個の魂が光と自由の国へ旅立ったことを祝福してあげることです」
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