W. Stainton Moses
霊 訓<完訳> W・S・モーゼス著 近藤千雄 訳
序 論
本書の大半を構成している通信は、自動書記(1)ないし受動書記(2)と呼ばれる方法によって得られたものである。これは直接書記(3)と区別されねばならない。
前者においては霊能者がペンまたは鉛筆を手に握るか、あるいは、プランセントに手を置くと、霊能者の意識的な働きかけなしにメッセージが書かれる。一方後者においては霊能者の手をつかわず、時にはペンも鉛筆も使わずに、直接的にメッセージが書き記される。
自動書記というのは、われわれが漠然と〝霊〟(スピリット)と呼んでいる知的存在の住む目に見えない世界からの通信を受け取る手段として、広く知られている。
読者の中には、そんな得体の知れない目に見えぬ存在──人類の遺物、かつての人間の殻のような存在──を霊と呼ぶのはもったいないとおっしゃる方がいるであろうことはよく承知している。が私は霊という用語がいちばん読者に馴染みやすいと思うからそう呼ぶまでで、今その用語の是非について深く立ち入るつもりはない。
とにかく、私に通信を送って来た知的存在はみな自分たちのことを霊と呼んでいる。多分それは私のほうが彼らのことを霊と呼んでいるからであろう。そして少なくとも差し当たっての私の目的にとっては、彼らは〝霊〟(スピリット)でいいのである。
その霊たちからのメッセージが私の手によって書かれ始めたのはちょうど十年前の一八七三年三月三十日のことで、スピリチュアリズムとの出会いからほぼ一年後のことであった。もっとも、それ以前にも霊界からの通信は(ラップや霊言(5)によって)数多く受け取っていた。
私がこの自動書記による受信方法を採用したのは、この方が便利ということと同時に、霊訓の中心となるべく意図されているものを保存しておくためでもあった。
ラップによる方法はいかにもまどろこしくて、本書のような内容の通信には全く不適当だった。一方、入神した霊媒の口を使ってしゃべると部分的に聞き落とすことがあり、さらに当初のころはまだ霊媒自身の考えが混じらないほど完全な受容性を当てにすることは不可能でもあった。
そこで私はポケットブックを一冊用意し、それをいつも持ち歩くことにした。すると私の霊的オーラがそのノートに染み込んで、筆記がより滑らかにでてくることが判った。
それは、使い慣れたテーブルの方がラップが出やすく、霊媒自身の部屋の方が新しい部屋よりも現象が起きやすいのと同じ理屈である。スレートを使った通信(6)の専門霊媒であるヘンリー・スレードも、新しいスレートを使ってうまく行かない時は、使い古したものを使うとまず失敗がなかった。
今このことにこれ以上言及しない。その必要がないほど理屈は明瞭だからである。
最初の頃は文字が小さく、しかも不規則だったので、ゆっくりと丁寧に書き、手の動きに注意しながら、書かれていく文章を後から追いかけねばならなかった。そうしないとすぐに文章が通じなくなり、結局はただの落書きのようなものになってしまうのだった。
しかし、やがてそうした配慮も必要でなくなってきた。文字はますます小さくなったが、同時に非常に規則的で字体もきれいになってきた。あたかも書き方の手本のような観のするページもあった。(各ページの最初に書いた)私の質問に対する回答にはきちんと段落をつけ、あたかも出版を意図しているかのように、きちんと整理されていた。神 Godの文字は必ず大文字で、ゆっくりと、恭しげに綴られた。
通信の内容は常に純粋で高尚なことばかりであったが、その大部分は私自身の指導と教化を意図した私的(プライベート)な色彩を帯びていた。
一八七三年に始まって八十年まで途切れることなく続いたこの通信のなかに、軽率な文章、ふざけた言葉、卑俗な内容、不条理な言語、不誠実な、あるいは人を誤らせるような所説の類は、私の知るかぎり一片も見当たらなかった。
知識を授け、霊性を啓発し、正しい人の道を示すという、当初より霊団側が公言してきた大目的にそぐわないものはおよそ見かけられなかった。虚心坦懐に判断して、私はこの霊団の各霊が自ら主張した通りの存在であったと断言して憚らない。その言葉の一つ一つが誠実さと実直さと真剣さに満ちあふれていた。
初期の通信は先に説明した通りの、きちんとした文字で書かれ、文体も一貫しており、署名(サイン)はいつもドクター・ザ・ティ―チャー(7)だった。
通信の内容も、それが書かれ続けた何年かの間ずっと変わらなかった。いつ書いても、どこで書いても筆跡に変化がなく、最後の十年間も、私自身のふだんの筆跡が変わっても、自動書記の筆跡はほとんど変わることがなかった。文章上のクセもずっと同じで、それは要するに通信全体を通じて一つの個性があったということである。
その存在は私にとって立派な実在であり、一人の人物であり、大ざっぱな言い方をさせていただければ、私がふだんつき合っている普通の人間とまったく同じように、独自の特徴と個性を具えた存在であった。
そのうち別の通信が幾つか出はじめた。筆跡によっても、文体及び表現の特徴によっても、それぞれの区別がついた。その特徴は、いったん定着すると等しく変わることがなかった。私はその筆跡をひと目見て誰からの通信であるかがすぐに判断できた。
そうしているうちに徐々に判ってきたことは、私の手を自分で操作できない霊が大勢いて、それがレクター(8)と名のる霊に書いて貰っているということだった。
レクターは確かに私の手を自在に使いこなし、私の身体への負担も少なかった。不慣れな霊が書くと、一貫性がない上に、私の体力の消耗が激しかった。そういう霊は自分が私のエネルギーを簡単に消費していることに気づかず、それだけ私の疲労も大きかったわけである。
℘18
さらに、そうやって代書のような役になってしまったレクターが書いたものは流暢で読み易かったが、不慣れな霊が書いたものは読みずらい上に書体が古めかしく、しばしばいかにも書きづらそうに書くことがあり、ほとんど読めないことがあった。
そう言うことから当然の結果としてレクターが代書することになった。しかし、新しい霊が現れたり、あるいは、特殊なメッセージを伝える必要が生じたときは本人が書いた。
断っておきたいのは、私を通じて得られた通信の全てが一つの源から出たものではないということである。本書に紹介した通信に限って言えば、同じ源から出たものばかりである。すなわち、本書はイムペレーター(9)と名のる霊が私と係り合った期間中の通信の記録である。
もっともイムペレーター自身は直接書くことをせず、レクターが代書している。その期間、特にイムペレーターとの関係が終わったあとは明らかに別の霊団からの通信があり、彼らは彼らなりの書記を用意した。
その通信は、その霊団との係わりが終わる最後の五年間はとくに多くなっていった。
通信の書かれた環境はそのときどきでみな異なる。原則としては、私は一人きりになる必要があり、心が受身的になるほど通信も出やすかったが、結果的には如何なる条件下でも受け取ることができた。
最初の頃は努力を要したが、そのうち霊側が機械的に操作する要領を身につけたようで、そうなってからは本書に紹介するような内容の通信が次から次へと書かれていった。本書はその見本のようなものである。
本書に紹介したものは、初めて雑誌に発表した時と同じ方法で校正が施してある。最初は心霊誌 Spiritualist に連載され、その時は筆記した霊側が校正した。もっとも内容の本質が変えられたところはない。その連載が始まった時の私の頭には、今こうして行っている書物としての発行のことはまったく無かった。
が多くの友人からサンプルの出版をせがまれて、私はその選択に取りかかった。が、脈絡のことは考えなかった。
その時の私を支配していた考えは、私個人の私的(パーソナル)な興味しかないものだけは絶対に避けようということだけで、それは当然まだ在世中の人物に言及したものも避けることにもつながった。私個人に係わることを避けたのは、ただそうしたいという気持ちからで、一方、他人に言及したものを避けたのは、私にそのような権利はないと考えたからである。
結果的には私にとって或る意味で最も衝撃的で感動的な通信を割愛することになってしまった。本書に発表されたものは、そうした、今は陽の目を見ることができないが、いずれ遠い将来、その公表によって私を含め誰一人迷惑をこうむる人のいなくなった時に公表を再考すべき厖大な流の通信の、ほんの見本にすぎないと考えていただきたい。
通信の中に私自身の考えが混入しなかったかどうかは確かに一考を要する問題である。私としてはそうした混入を防ぐために異常なほどの配慮をしたつもりである。
最初の頃は筆致がゆるやかで、書かれて行く文をあとから確かめるように読んでいかねばならなかったほどであるが、それでも内容は私の考えとは違っていた。しかも、間もなくその内容が私の思想信仰と正面から対立するような性格を帯びてきたのである。
でも私は筆記中つとめて他のことがらを考えるコツを身につけ、難解な思想書を一行一行推理しながら読むことさえできたが、それでも通信の内容は一糸乱れれぬ正確さで筆記されていった。
こうしたやり方で綴られた通信だけでも相当なページ数にのぼるが、驚くのはその間に一語たりとも訂正された箇所がなく、一つの文章上の誤りも見出されないことで、一貫して力強く美しい文体でつづられているのである。
だからといって、私は決して私自身の精神が使用されていないというつもりはないし、得られた通信が、それが通過した私という霊媒の知的資質によって形体上の影響を受けていないというつもりもない。
私の知るかぎり、こうした通信にはどこか霊媒の特徴が見られるのが常である。影響がまったく無いということはまず考えられない。
しかし、確実に言えることは、私に送られてきた通信の大部分は私の頭の中にあることとはおよそ縁のないものばかりであり、私の宗教上の信念ともその概念上において対立しており、さらに私のまったく知らないことで、明確で確実で証明可能な、しかもキメの細かい情報がもたらされたことも幾度かあったということである。
テーブルラップによって多くの霊が自分の身許についての通信を送ってきて、それを後にわれわれが確認したりしたのと同じ要領で、私の自動書記によってそうした情報が繰り返し送られてきたのである。
私はその通信の一つ一つについて議論の形式で対処している。そうすることで、ある通信は私に縁もゆかりもない内容であることが明確に証明され、またある通信では私の考えとまったく異なる考えを述べる別個の知的存在と交信していることを確信することができるわけである。実際、本書に収録した通信の多くはその本質をつきつめれば、多分、まったく同じ結論に帰するであろう。
通信はいつも不意に来た。私の方から通信を要求して始まったことは一度もない。要求して得られることはまずなかった。突如として一種の衝動を覚える。どういう具合にかは私自身にも判らない。とにかくその衝動で私は机に向かって書く用意をする。
一連の通信が規則正しく続いている時は一日の最初の時間をそれに当てた。私は起きるのが早い。そして起きるとまず私なりの朝の礼拝をする。衝動はしばしばその時に来た。
といってそれを当てにしていても来ないことことがあった。自動書記以外の現象もよく起きた。健康を損ねたとき(後半よく損ねたが)を除き、いよいよ通信が完全に途絶えるまで、何の現象も起きないということは滅多になかった。
さて、膨大な量の通信の中でもイムペレーターと名のる霊からの通信が私の人生における特殊な一時期を画している。本書の解説の中で私は、そのイムペレーターの通信を受け取った時の魂の高揚、激しい葛藤、求めても滅多に得られなかった心の安らぎに包まれた時期について言及しておいた。
それは私が体験した霊的発達のための教育期間だったわけで、結果的には私にとって一種の霊的新生となった。その期間に体験したことは他人には伝えようにも伝えられる性質のものではない。伝えたいとも思わない。
しかし内的自我における聖霊の働きかけを体験したことのある方々には、イムペレーターという独立した霊が私を霊的に再教育しようとしたその厚意ある働きかけの問題は、それでもう十分解決されたと信じていただけると思う。
表面的にはあれこれと突拍子もないことを考えながらも、また現に問い質すべきいわれは幾らでもあるにもかかわらず、私はそれ以来イムペレーターという霊の存在を真剣に疑ったことはただの一度もない。
この序論は、私としては全く不本意な自伝風のものとなってしまった。私に許される唯一の弁明は、一人の人間の霊体験の物語は他の人々にとっても有益なものであることを確信できる根拠が私にある、ということだけである。
これから披露することを理解していただくためには、不本意ながら、私自身について語る必要があったのである。私は、その必要を残念に思いながらも、せめて本書に記載したことが霊的体験の一つの典型として心の琴線に触れる人には有益であると確信したうえで、その必要性におとなしく従うことにした。
真理の光を求めて二人の人間がまったく同じ方法で努力することはまずないであろう。しかし、私は人間各自の必要性や困難には家族的ともいうべき類似性があると信じている。ある人にとっては私のとった方法によって学ぶことが役に立つ日が来るかもしれない。
現にこれまでもそうした方がおられたのである。私はそれを有難いと思っている。
こうしたこと、つまり通信の内容と私自身にとっての意義の問題以外にも、自動書記による通信の形式上の問題もあるが、これはきわめて些細な問題である。通信の価値を決定づけるのはその通信が主張する内容そのもの、通信の目的、それ本来の本質的真理である。その真理が真理として受け入れられない人は多いであろう。
そういう人にとっては本書は無意味ということになる。また単なる好奇心の対象でしかない人もいるであろう。愚か者のたわごととしか思えぬ人もいるであろう。私は決して万人に受け容れて貰えることを期待して公表するのではない。
その人なりの意義を見出される人のために本書が少しでも役に立てば、それで私は満足である。
ステイントン・モーゼ ス 一八八三年三月
No comments:
Post a Comment