Monday, December 2, 2024

シアトルの冬 神とはどのような存在か

What kind of being is God?



〔スピリチュアリストの中にも、シルバーバーチが説く神の概念に対して当惑する人がいるが、次の質疑応答は神を正しく理解するための参考になるであろう。〕
質疑応答


――大霊というのは「誰」なのでしょうか。「何」なのでしょうか。あらゆるものに内在する愛、愛の精神ないしは情なのでしょうか。


大霊とは宇宙の自然法則です。物質界と霊界のすべての生命体の背後にある創造的エネルギーです。大霊は完全なる愛であり、完全なる叡智です。大霊は全宇宙のすみずみまで行きわたっています。人間が知り得る極微のものであろうと、まだ物質界には明かされていないものであろうと、そのすべてに遍在しています。

大霊は、あらゆる生命体に充満しています。あらゆるものに内在し、あらゆる法則に内在しています。大霊は生命であり、愛であり、存在するすべてのものなのです。従僕にすぎない私たちが、どうして主人を表現することができるでしょうか。ちっぽけな概念しか抱けない私たちが、どうして広大無辺の存在を表現できるでしょうか。


――一羽のスズメが落ちるのも神はご存じだということですが、この地球上のすべての人間の身に起きることを、神はどのようにして知ることができるのでしょうか。ましてや、すでに他界した数えきれない人たちのことまで、どのようにして知ることができるのでしょうか。


人間が「神」と呼んでいるのは、宇宙の自然法則のことです。大霊(神)は万物に内在しています。すべての存在物が大霊であると言えるのです。魂はそれ自身のことを知っていますから、大霊は魂を知っていることになります。スズメも大霊ですから、大霊はスズメを知っていることになります。大霊は風にそよぐ木の葉の中にも存在していますから、木の葉は大霊であると言えます。

地上界のすべて、霊界のすべて、宇宙のすべて、そしてまだあなた方に知らされていない世界のすべてが、大霊の法則の絶対的な支配の中にあるのです。その法則から離れては何ひとつ生じません。すべてが法則の範囲内で発生していますから、大霊はすべてを知っていることになります。


――あなたは、全存在の根源である大霊はあらゆるものに内在している、愛にも憎しみにも、叡智の中にも愚かさの中にも存在している、とおっしゃっています。そうであるなら、間違ったことをする人間も正しいことをする人間と同様に、大霊の摂理の中で行動していることになります。同じことが、戦争や憎しみを煽動する者と、平和や愛を唱道する者とについても言えることになります。すべては大霊の摂理の一部であるとするなら、神の摂理を犯す者は誰ひとりいないことになりますが、この矛盾をどう説明されますか。


一方に“完全なもの”があり、他方に“不完全なもの”があります。しかし不完全なものも、その内部に完全性の種子を宿しています。なぜなら完全性は、不完全性から生じるものだからです。完全性は完全性から生まれるのではなくて、不完全性から生まれるのです。

生命の旅路は進化であり、進歩です。向上を求めての葛藤です。発達・発展・拡大・拡張です。あなた方が“善”とか“悪”とか言っているのは、その旅路における途中の段階にすぎず、終着点ではありません。あなた方は、その不完全な理解力によって判断しているのであって、ある段階から見て上のものを“善”と言い、それより低いものを“悪”と言っているにすぎません。それはその段階でのあなた方なりの考え方であり、その状況から離れたときには、あなた方は別の判断をするかもしれません。が、いかなる状況にあっても、大霊はすべてのものに内在しているのです。


――すると大霊は地震にも関わっているのでしょうか。


大霊とは摂理(法則)であり、あらゆるものを支配しています。摂理に関わりなく生じるものは、宇宙には何ひとつ存在しません。

地震・雷・嵐――こうしたものについてどのように理解すべきか地上人が頭を悩ませていることは、私もよく承知しています。しかし、それらはすべて摂理の支配下にある宇宙の一部なのです。宇宙は、そこに生を営む者と同じように進化しています。物質界は、まだ完全からはほど遠いものであり、完全に至ることはありません。物質界はどこまでも、より高い世界へと進化していくのです。


――大霊も進化しているということでしょうか。


それは違います。大霊は摂理であり、その摂理は完璧です。ただ、物質界で顕現している部分が顕現の仕方において進化しつつあるということです。その点をよく理解してください。地球も進化していて、地震などの天変地異はその進化の現れであるということです。地球は火焔(かえん)と嵐の中で誕生し、今もなお完成へ向けてゆっくりと進化しているのです。

大霊は、朝日や夕日の美しさ、夜空を埋め尽くす無数の星の輝き、小鳥のさえずりの楽しさとは関わっていても、雷雨や嵐や稲妻とは関わっていないと言うことはできません。すべては大霊の法則の働きによって生じているのです。

その意味では、堕落した人間や同胞に害を及ぼすような人間の存在も大霊の責任であると言っても、必ずしも間違いではありません。しかし忘れないでいただきたいのは、一人ひとりの人間に、霊性の進化の程度に応じた「自由意志」が与えられているということです。霊的段階を高く上れば上るほど、自由意志を行使できる範囲が広くなります。つまり現在のあなたが、あなた自身の限界をつくっているということです。しかし、あなた方は大霊の一部であるがゆえに、地上世界で生じるあらゆる困難や障害を克服することができるのです。

霊は物質に優ります。霊が王様(キング)で物質は従僕(サーバント)です。霊はすべてに優ります。全生命が生み出されるエッセンスです。霊は生命であり、生命は霊なのです。


――大霊はこの宇宙とは別の存在なのでしょうか。


そうではありません。宇宙は大霊の反映にすぎません。大霊が宇宙なのです。ハエに世界が理解できるでしょうか。魚に小鳥の生活が分かるでしょうか。犬に人間のように理性を働かせることができるでしょうか。星に空のことが分かるでしょうか。あなた方に人間の精神をはるかに超えた大霊が理解できるでしょうか。

しかしあなた方は、一言も発することなく魂の静寂の中で霊が大霊と交わることができる段階まで霊性を磨くことは可能です。そのときあなた方は、自分と大霊とが一つであることを理解します。それがどういうものであるかは言葉では説明できませんが、あなた方や被造世界のすべての霊的存在者の魂が静寂の中で、その霊的感性によって実感することができるのです。


――霊が個としての意識を獲得するためには、物質界とつながりを持つことが必要でしょうか。


その通りです。意識を獲得するためには物的身体(肉体)に宿って、物的体験をしなければなりません。霊にとって物的身体との結合が、個としての表現を可能にするという意味です。霊は物質に宿ることによって、その本性を自覚するようになるのです。


訳注――別のところで、創造をつかさどる高級神界では物質界に降誕しなくても意識を所有している霊が普通であると述べている。また、その中から特殊な使命を帯びて物質界へ降誕する者がいるとも述べている。イエスがその代表格であろう。


――そうなると、大霊は私たちを通して体験を得ているということでしょうか。


それは違います。あなた方の進化が、すでに完璧なもの(大霊)に影響を及ぼすことはありません。


――でも、私たちは皆、大霊の一部です。その一部の進化が全体に影響を及ぼすことはないのでしょうか。


あなた方を通して顕現している部分に影響を及ぼすにすぎません。その一部も本来は完全なものですが、あなた方を通しての顕現の仕方が不完全だということです。霊そのものは完全です。霊は宇宙の根源的要素であり、生命の息吹です。ただ、あなた方が不完全であるがゆえに、あなた方を通しての顕現の仕方が不完全になるのです。あなた方が進化するにつれて、より完全なものが顕現するようになります。あなた方は直接、霊を進化させるのではなくて、霊が顕現するための身体(霊体と肉体)を用いた実践を通して霊を進化させるのです。


――霊がそれ自身を発現するための媒体には、いろいろな形態があるということでしょうか。


そうです。大霊の摂理は完璧です。が、あなた方を通して顕現している摂理は、あなた方が不完全であるがゆえに不完全となります。完璧な摂理は、あなた方を通して働くことはできません。しかし、あなた方が完全へ向けて進化するにつれて、摂理はあなた方を通してより大きく働くことができるようになるのです。

鏡と光の譬えで説明しましょう。鏡は光を反射するものですが、鏡が粗悪であれば光のすべてを反射することはできません。鏡を磨いてもっと完全なものにすることによって、より多くの光を反射することができるようになります。

全存在が絶え間なく、よりいっそうの顕現を求めて努力しているのです。すでに申し上げたと思いますが、生命(霊)とは原石のようなものです。つまり金(きん)がその本来の姿を現すためには、原石を砕き、手間をかけて純度を高めなくてはなりません。「原石はいらない、金(きん)だけをくれ」――こんな要求は通りません。


――しかし私たちにも、何が善で何が悪かの概念はあると思いますが……。


地上人の抱く善悪の考えは、霊的成長のプロセスにおけるその時点での想念にすぎません。それは進化の過程で到達した段階を表しています。人間がさらに進化すれば、それまでの善悪の概念は捨て去られます。それは、完全なる摂理が正道から外れた媒体を通してそれ自身を顕現させようとするところから生じた不完全な発想にすぎません。私が善にも悪にも存在意義を認めるわけは、そこにあります。


――ということは、神はその原初においては必ずしも善ではなかったということでしょうか。


私は“原初”については何も知りません。“最終”についても何も知りません。知っているのは、大霊は常に存在しており、これからも常に存在し続けるということだけです。大霊の摂理の働きは完璧です。もし、あなたが完全な光を放っても、十分に磨かれていない鏡ではその光を完璧に反射することはできないということは分かっていただけると思います。それを光が不完全だ、光が悪い、とは言えないでしょう。あなた方は、内部には完全な霊を宿していても、まだそれを完全な形で表現する準備ができていません。人間が“悪”と呼んでいるのは不完全性のことにすぎません。完全な大霊を不完全に表現しているということなのです。


――宇宙には創造力を持つ一個の存在、ないしは一人の絶対的存在がいるだけで、私たちには創造力はないという考えは正しいでしょうか。


大霊は無窮(むきゅう)の過去から存在し、今この時も存在し、そして果てしない未来にも存在し続けます。全生命が大霊であり、大霊が全生命なのです。あなた方にいったい何が創造できるでしょうか。しかしあなた方は、霊性が進化するにつれて、より美しく、より高く上ることができます。進化の程度が低いほど、宇宙におけるあなた方の位置は低くなります。

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