Thursday, December 19, 2024

シアトルの冬 メキシコでの交霊会から

From a séance in Mexico

    本章で紹介するのは、霊媒のバーバネルが奥さんのシルビアとともにメキシコを旅行した際に立ち寄った心霊家ケネス・バニスター氏宅で、たっての要請を受けて急きょ開かれた交霊会の録音からの抜粋である。

まずシルバーバーチによる開会のインボケ―ションから始まっている。シルバーバーチのインボケ―ションは、初めに出席者に向かって心掛けを訴えたあと、次第に大霊への讃仰の祈りへと移っていくのが常である。

 「それではまず、日頃の悩みごとや心配ごと、不安や取り越し苦労をしばし脇へ置いていただきましょう。

 本日ここにお集まりの皆さんが可能なかぎり一体となって少しでも波動を高め、最高のものを求め、為すことのすべてに大霊の祝福を賜らんことを祈りましょう。

 この宇宙には、われわれの一人ひとりに生命を吹き込んでくださった無限なる創造主たる大霊に優る力は存在しないのでございます。

 それゆえにこそ私たちは大霊に祈りを捧げるのでございます。大海のごとく横たわれる知識と真理と叡知の光を、少しでも多く我がものとし、その始源たる大霊へ向けて一歩でも近づかんと願うからです。

死はもとよりのこと、この地上界のいかなる出来ごとも、そして死後の彼方におけるいかなる出来ごとも、私どもと大霊、そして大霊の子等を互いに結びつける霊的な絆を絶つことのできるものは、何一つございません。

 私たちがこれまでに授かった真理、自分が何者なのか、いかなる存在なのか、また地上世界の存在意義とそこへ誕生してくることの意義について教えてくれた知識に対して、皆さんともども感謝を捧げましょう。

 さらに又、生まれながらに授かっている能力を開発し、自分よりも不幸な人、癒やしを必要としている人、慰めを必要としている人、人生に疲れ、元気づけを必要としている人、いずこへ向かって歩むべきかに迷っている人、そして背負える重荷に耐えかねている人に、いくばくかの力となってあげましょう。

 (このあたりから祈りに入る)

 大霊よ、私どもはこうしてサービスにいそしむことによって、あなたとの絆を強化することができるのでございます。それは、あなたとの調和を深めることであり、その結果として私どもの生活が豊かさと崇高さと美しさと気高かさと威厳によって満たされるのでございます。

 (ふたたび出席者に向かって)


 本日こうして皆さまのもとに参じ、霊の世界からの愛とご挨拶を申し上げることを光栄に存じます。マウスピースに過ぎない私ですが、少しでもお役に立てば幸いです。

私たちはお互いに赤の他人ではないことを知っていただきたいと思います。いついかなる場においても人のためにサービスを施すという一つの目的において一体となっていることを知ってください。

 皆さんは霊の威力をその目でご覧になり、地上生活の背後の計画と目的とを、チラリとではあっても明確に理解することが出来ているという点において、豊かな恩恵に浴しておられます。

その結果として皆さんは、究極的には全人類を包含する無限の連鎖の輪となることができます。何となれば、その輪は霊的なものであり、霊的には人類は一つだからです。

地上の人類を物的に差別しているものが何であろうと、不滅の霊的連鎖に比べれば物のかずではありません。霊の絆は、国家の別、民族の別、宗教の違い、政治理念の違い、その他いかなる種類の違いをも凌駕します。

大霊は、無限の叡知によって地上のすべての子等を一つの霊的大家族として創造なさったのです。この崇高なる事実が、いつの日か、地上世界がそれ本来の遺産である平和を獲得することを可能にしてくれることでしょう。

 本日ここにお集まりの皆さんは、どこへ赴いても、特権を担っておられます。何となれば、より大きな生命の世界 (霊界) の存在について、霊的実在について、そして人生の基盤である永遠の霊的原理について、チラリとではあっても、しっかりとご覧になっておられるからです。

 同時に皆さんは、インスピレーション・啓示・霊的真理・霊的叡知───そのほかどういう用語を用いられても結構です───そうしたものを手にされたことによって、少しでも悟りに近いものを獲得され、〝考える人〟を悩ます人生の難問のいくつかについての解答を見出されたという点において、特別な神の恩恵に浴しておられます。

 が、しかし、そうした恩恵をどう使用するかについて、大きな責任も付いてまわることを忘れないでください。難しく考えることはありません。ご自身が小さな灯台となるように心掛ければよいのです。暗闇の中に霊の光を放てばよいのです。

その光によって、道に迷っている人が心の安らぎと人生の理解へつながる道を見出すことになるのです。いかがですか、参考になりましたか。もしご質問がありましたらおっしゃってください。せいいっぱいお答えいたしましょう」



───イエスは人間の食料として動物を殺すことを戒めたと聞いておりますが、本当でしょうか。福音書の中に書かれていたのが、その後抹消されたのでしょうか。

 「ナザレのイエスが実際にどういうことを説いたかを知るのは容易ではありません。当時は記録するということをしなかったからです。

さらに大切なことは、啓示というものはその時代に相応しいものが届けられるのですから、イエスの教えも当時の人間の理解力の程度に合わせざるを得なかったということです。

 そもそもバイブルに説かれていることが真理の全てであるなどということはとんでもないことです。知識も、真理も、叡知も、無限だからです。霊に関わる事は全て無限です。

これでお終いですと終止符をうつことはできないのです。その意味で、イエスもその当時の民衆の理解力を超えない範囲で説かざるを得ませんでした。あまり進んだことを述べるわけにはいかなかったのです。


 ご質問の肉食の件ですが、これはその人個人の判断力にまかせるべき事柄です。何事につけ、動機が最後の判定材料となります」



───リンカーンは人間は生まれながらにして平等であると言いましたが、これは事実でしょうか。

 「〝生まれながらにして平等〟という言葉をどう解釈するかによって答えが違ってきます。肉体的には決して同じでないことは明らかです。遺伝の法則があり、それが子々孫にまで特異性を伝えます。

 が、霊的には、つまり無限の発達の可能性をもつ神性を秘めているという点においては、人類はすべて生まれながらにして平等です」



───青少年の問題が頻発しております。かつては〝テディ・ボーイズ〟(※)がいました。今はヒッピー族や〝フラワー・ピープル〟(※※)、その他いろいろなタイプの(感心しない)若者がいます。その一方で新しいタイプの(優秀な)霊魂も生まれてきつつあるように感じているのですが、いかがでしょうか。



※───一九五〇年後半に世間を騒がせたオシャレな反抗青年。

※※───平和と愛を象徴する花を身に飾って歩きまわるヒッピー族。




 「摂理の働きで、さまざまなタイプの霊がいつということなしに次々と生まれてまいります。そこからカルマとか再生の問題が生じてくるのですが、そういうヒッピー的な青年も、そうなることを生まれる前から指導霊との間で合意ができていたという考えには、私は同意できません。

生まれる前に合意することは〝こうではなくてはいけない〟という、進化を目的としたことです。

 問題は、生まれる前に自覚した決意が必ずしも誕生後にそのまま顕在意識にのぼってくるとは限らないということです。それが危機一髪とか、人生の逆境の中で万策つき果てた時などに表面に出て、一気に魂を目覚めさせることがあるわけです。啓蒙の波が一気に押し寄せ、誕生に際して決意した目的に目覚めるのです。

 一見すると〝困った若者〟と見られる者たちも、今はマイナスの面を見せているだけで、それはプラスの面を出すための一時的な現象とみるべきです。

 こうした両面はいつの時代にもあります。何事にも両極があるということです。積極性と消極性、作用と反作用、光と闇、晴天と嵐、等々・・・・・・しょせん進歩は対比、対照を通して得られるものだからです」



───これ以降も若い魂がますます多く地上へ送り込まれてくるとお考えでしょうか。

 「そう思います。現在の地上界はたいへん病んでおります。心霊治療が盛んになってきているのもそのためです。が、これも一時的な現象です。いつまでもこのままの状態が続くわけではありません」


───あなたの教えと同じものを説く宗教は今の地上にあるでしょうか。

 「すべての宗教の基盤は愛です。そして愛は大霊の一側面です。バイブルにも愛は摂理の成就であると述べられています。大霊は無限なる愛です。その愛のしるしは、全宇宙を支配している自然法則の完ぺきさに表れております。

完ぺきだからこそ宇宙全体が平衡状態を保っているのです。原因と結果の法則が数学的正確さをもって働いており、一人ひとりのいかなる行為にも公正無比の判断が下されるようになっております。

 宗教心とは、あなたがたのいう神、私のいう大霊へ近づくための心掛けのことです。が、神というも大霊というも、しょせんは言語を超越したものを表現するための粗末な符号にすぎません。

大霊に近づくための行為、絆の強化、霊力の流入の実感、その結果として生まれる調和、内的な輝き、静寂、平穏、泰然自若、それが宗教です。

 そうしたものを生み出さないようでは本当の宗教とはいえません。大霊とのつながりの自覚です。地上生活でそうしたつながりを自覚した時、それは内部の神性に目覚めたことになります。

それはますます大きな発現を求めるようになり、誰に対しても分け隔てなく愛と慈しみの心を向けるようになります。愛と慈しみは神の属性であり、神に似せて作られた人間のすべてが発現すべきものなのです。

 私なりの表現をさせていただけば、宗教とはサービスです。これはもう何度くり返したか分からないほど、何度も申し上げています。サービスに優る宗教はありません。サービスは霊の通貨です。

分け隔てなく、すべての人に、愛と慈しみの心で臨むことができれば、あなたは最高の意味において〝宗教的な〟人間であると言えます。最高の神性を顕現しているからです。

 元来はそれが全宗教の基盤であらねばならないのです。ところが不幸にしてその基盤が厖大な神学と教条主義と人工の理屈の下に埋もれてしまいました。大霊とは何の関係もないものばかりです。そうしたガラクタをきれいに取り払ってごらんなさい。

すべての宗教に共通した基本的な霊的理念が顔をのぞかせます。自他の違いを言い争っているのは、神学的教義と信条の世界です。私に言わせれば、そんなものはどうでもよいことです。

 大切なのは、私たちだけでなく、あなた方人間もみんな、もともとは霊的存在であるということです。大霊の分霊なのです。だからこそお互いが助け合えるし、お互いが愛し合えるのです。同時に、この地球を共有している動物に対しても慈しみの心を向けないといけません。

そうすれば、この宇宙の大機構の中において、それぞれの役割を果たすことができるのです。それを一人ひとりが努力することによって、この地上も少しずつ天国となっていくのです」



───善か悪かの違いは比較対照を通して判断するものだとすると、天国となって行きつつあることはどうやって知れるのでしょうか。

 「別に難しいことではありません。今より少しでも良くなれば、それが天国です。完全な天国というものは絶対に成就できません。はしごを一段あがると、その上にまた一段が見えてきます。

いわゆるニルバーナ(涅槃―完全解脱の境地)には到達できません。どこまで進化しても、さらに発達を要する別の側面があることを知ることの連続です」



───そして、その進化のためにはやはり困難を体験する必要があるわけですか。

 「もちろんです」



───となると、天国においても大きな困難に遭遇するわけですか。

 「そうですとも!ですが、私たちはそれを素晴らしい挑戦と受け止めます。内部の神性がおのずと発現してくるからです。霊的成長は、ラクな道を歩んでいては得られません。もしラクに手に入るものであれば、あえて手にするほどのものではないことになりましょう。ですから、困難を、挑戦し克服すべき課題として、堂々と歓迎することです」



───私たちが再生するのは前世での間違った行為について罰を受けるためであるというのは本当でしょうか。

 「行為についての賞罰は (いつという特定の時期にではなく) 刻一刻と受けております。因果律の働きは避けようにも避けられません。原因とその結果との間には何者も介入できないのです。

原因にはそれ相当の結果が、そしてその結果が原因となってそのまた結果が、というふうに、途切れることなく続きます。永遠に続くのです」


───霊的法則の中でもいちばん大切なものといえば何でしょうか。

 「〝互いに愛し合うこと〟───これが最大の法則です」


───人間はみんな定められた時に死ぬのでしょうか、それとも運命が変えられることもあるのでしょうか。

 「大体において、定められた時期にこちらの世界へ来ることになっているのですが、例外もあります。その理由はと問われても、摂理のウラに別の次元の摂理があり、それが一見すると矛盾するような形で複雑に入り組んで働くために、簡単なようで簡単ではないのです。

こちらの世界の高級霊のように全体像を眺めることができれば、なるほどと納得がいかれるでしょうが・・・・・・地上界へ生まれてくるのも、地上界から去るのも、大体において、みな自分で納得の上で取り決めております」


───人口の増加率が加速しているようですし、それにつれて霊界入りする人間の数も増えておりますが、これは地上界の進化と何か関係があるのでしょうか。

 「進化は物質的・精神的・霊的のさまざまな側面において進行しておりますが、それも全体としての計画にのっとったものです。人口の急速な増加が自然な霊的進化や個々の人間の発達を防げることはありません」


───地球という天体の進化との関係はいかがでしょうか。

 「進化の法則はこの大宇宙を創造なさった無限なる大霊がお定めになったものであることを忘れてはなりません。そのウラには大霊の意志があるということです。その意志を成就させるために、いろいろと調整が行なわれます。地球も、宇宙の他のすべての天体と同じように、進化の途上にあります。

その天体上で生活する人類のすることにも法則的に制約と限界が設けられていて、出来ることと出来ないこととがあります。裏返せば、その制約と限界は自然の摂理を成就させるための神の配慮なのです。


───人口の爆発的な増加を人工的に調節することは間違いでしょうか。

 「ご記憶と思いますが、私は何ごとにつけ〝動機〟がいちばん大切であると言っております。ですから、人類にとってそれが有益である───つまり健康上も問題がなく、人類の進歩を促進するものであれば、出生を制限することは正しいといえます。人間も、大霊の無限の創造活動に参加する機会が与えられているのです。

産児制限(避妊)も人間が神の計画の中で役割を果たす分野と言えましょう。問題は動機です」


───避妊という手段は地上へ誕生したいと思っている霊にとって困ったことになりませんか。

 「どうしても生まれてきたい霊は、避妊をしない夫婦を選びます」


───人間には物質に宿っているがゆえに生じる限界というものがあると思うのですが、それを超えて発展を目指すのは間違いでしょうか。

 「これまた動機が問題となります。あくまでも真理の追求ということが動機であれば、いくら探求の範囲を広げてもよいでしょう。が、その結果として同胞や動植物など、同じ地球に生息するものに害を及ぼすことになるのであれば、弁明の余地はありません」


───先ほどニルバーナのことに言及されましたが、あなたのお話はキリスト教よりも仏教のほうに近いと理解してよいでしょうか。

 「私はそういうラベルが嫌いなのです。文字というのは人間がこしらえたシンボルにすぎません。書いたり、しゃべったり、その他の伝達手段で考えを伝えるためのものですが、霊的なものはあらゆる言語を超越しています。大霊は無限です。限りある一冊の書物の中に圧縮できるものではありません。

 地上の歴史には偉大なる霊覚者が次々と出現しております。その時代の特殊な事情に相応しい人物が送り込まれたのであって、その人の説いたことが啓示の全て───それで啓示はもうおしまい、というわけではありません。

啓示も大霊そのものと同じく無限です。いかなる宗教も、いかなる経典も、大霊の全てを説き尽くすことなど出来るはずはありません。 

 キリスト教だとか仏教だとか、皆さんはいろいろな宗派を持ち出されますが、私は霊的な原理にしか関心がありません。いくつかの霊的原理が受け入れられ、用意の整った人によって実行に移されれば、私は、それこそが地上生活でいちばん大切なことであると信じます」


───あなたは地上世界が〝病める〟状態にあり、それで心霊治療が必要となったとおっしゃいました。となると、治療家は病める肉体と同時に病める精神を癒やさないといけないのですが、それは霊を目覚めさせることにつながるのでしょうか。

 「健康とは全体が整っていること、調和が取れていること、リズムがあること、協調体勢が整っていることです。あなたという存在は三位一体、すなわち霊または魂と精神、それに物的身体の三つから成り立っています。

その三つの主要な構成要素の間に調和が取れていれば、あなたは健康です。その三者の間で相互作用が絶え間なく行なわれているのです。

 霊が正常であれば精神も正常であり、身体も正常です。身体に生命を賦与しているのは霊です。霊はすなわち生命であり、生命はすなわち霊です。霊とは大霊であり、大霊がすなわち生命ということです。物的身体は霊が自我を表現するための道具であり、精神はそのためのコントロールルームと思えばよろしい。

 残念ながら現代の忙(セワ)しい生活機構が緊張とストレスと過労を生んでおります。それが調和を乱すのです。霊が病み、精神が病み、それが肉体に病的症状を生み出します。心身症という病名がありますが、これは精神と霊に起因する病気のことです。

 ですから、かりに心配が原因で潰瘍が生じた場合は、その潰瘍部分を切除しても何にもなりません。心配をするという精神の病があるかぎりは、また潰瘍が生じます。心配をしないように精神を修養するしかありません。そうすれば潰瘍も消えます。

 そこに現代社会が病んでいると申し上げる原因があります。考え方、物の見方、大切なものと大切でないものの判断力、焦点の置きどころ、視野の持ち方、こうしたものが狂っているのです。

大切なものとどうでもよいものとの区別ができるようになり、基本的な霊的真理の大切さが分かるようになれば、人間を構成する三つの要素が調和して、健康になります。

 これでご質問に対する答えになりましたでしょうか」


───体力が減退した場合でも(その調和によって)元気を回復することができるのでしょうか。

 「できます。人間は肉体をたずさえた霊なのですから、宇宙で最強の生命力の源にプラグを差し込むことができます。心の姿勢一つです。それができれば、疲弊しきった身体に再充電することができます」


───地球にふりかかると言われている災厄から免れるために私たちにできることといえば何でしょうか。

 「あなたが地球の運命の心配をなさることはありません。人間の力の及ぶことではないからです。すでに申し上げている通り、人間にできることには、おのずと限界というものがあります。たとえば、地球そのものを爆破してしまうことはできません。

 地上世界にもめごとや困難や不幸が絶えないのは、相かわらず強欲と利己主義と怨恨によって支配されているからです。物欲がガンのように人類の心の中枢に食い込んでいるためです。悪性のガンです。そのガン細胞が猛烈な勢いで増殖しております。それをあなた方が率先して生き方の範を示すことによって食い止めないといけません。

 あなた方は、わずかとはいえ、神の光を受ける恩恵に浴している以上は、楽観的な物の見方ができないといけません。取り越し苦労は何の役にも立ちません。

希望に燃えることです。そうすれば、その明るい想念が信念にあふれたオーラを発し、見る人にとって道しるべとなります。霊的真理を手にした者は模範を垂れるようでないといけません」


───この病める地上界へなぜ続々と新しい生命が誕生してくるのでしょうか。何を目的に来たがるのでしょうか。

 「それは地球が霊のトレーニングセンターだからです。地球なりの存在意義があるのです。もし地球が神の計画の中で無用の存在であれば、地球そのものがもともと存在しないはずです。

 地球は、ちょうど小学校が子供にとっての教育の場として果たしているのと同じ機能を果たしております。学校を卒業したあとに備えているのです。地上界は修業場です。鋼鉄を鍛える鉱炉です。

原鉱が砕かれて黄金を取り出す作業をするところです。地球は神の機構の中にあって無くてはならない役目を果たしております」


───過去の歴史の中にも今日と同じような〝病める時代〟があったのでしょうか。

 「ありました。そして見事に癒やされております。現在の病的状態も無事くぐり抜けることでしょう。進化の一過程として、さらに別の病的状態を体験するでしょう。

 が、皆さんは、ひたすら最善を尽くしておればよろしい。皆さんに期待されているのはそれだけです。ご自分の守備範囲に来た人に手を差しのべればよろしい。その時が皆さんの存在意義が発揮される時です。

 いつどこにいてもサービスを心掛けることです。同情のひとこと、健康または回復を祈ってあげる言葉、何でもよろしい、どんなにささやかなことでもよろしい、縁のできた人に慈しみの行為を施してあげなさい。あなたとの出会いが啓発を促すことになれば、そういう機会を与えてくださったことを喜びなさい。

 私も、皆さんのお役に立てば素直に喜びましょう。正直言って私は、地上圏へ戻ってくるのは気が進まなかったのです。しかし地球を救済するために、どうしてもやらねばならない仕事があること、そして、私が語ることに耳を傾ける人、それに生き甲斐を見出す人がいるであろうからぜひ、という説得を受けたのです。

 とはいっても、私は私よりはるかに進化した高級な先輩たちのマウスピースにすぎません。私が授かった霊的知識を地上の同胞と分かち合うことができれば、このたびの私の使命を果たしていることになります。私との対話がお役に立っていることを知った時は、私の心はあふれんばかりの喜びに満たされます。

 願わくは本日の集いが刺激となって、私たちが大霊との取り次ぎの通路となり、どこにいても大霊の子等に役立つよう生活を整えることができますように。そう願うことは宇宙の大中枢である大霊に近づくことであり、私たちの心が大霊の心と一体となって鼓動することになります。

 その時、私たちは永遠なる大霊の愛の手に抱かれていることを知ります。皆さんに大霊の祝福の多からんことを!」

シルバーバーチ

No comments:

Post a Comment