Friday, December 20, 2024

シアトルの冬 スイスにおける交霊会から       From a seance in Switzerland



本章で紹介するのは、スイス在住のさる心霊家の家で開かれた交霊会の録音から抜粋したものである。出席者が珍しく四十人を超える大交霊会となった。その中には二年前に同じ部屋で最初の交霊会が開かれた時の出席者も何人かいた。

 シルバーバーチの挨拶から始まる。

 「まず、前回ここで言葉を交わした古き友に〝ようこそ〟と申し上げます。そしてまた、今日はじめてお会いする方々にも同じ歓迎の気持を述べたいと思います。

 私たちは同じ生命の道を歩みつつ、昨日よりは今日、今日よりは明日と、生命について少しでも深く理解させてくれる啓発を求めている同志だからです。

 皆さんは、物質的な視点から言えば、とても美しい国にお住いです。が、霊的な視点から言えば、残念ながら美しいとは申せません。無知と迷信と誤解があまりに多すぎます。霊的実在について幾らかでも知識のある人は、ほんの一握りにすぎません。

 そこで、霊の崇高なる照明がその輝きをより多くの人々にもたらすためには、二つの邪魔ものを排除しなくてはなりません。

 一つは伝統的宗教です。宗教的な有り難い教えを継承しているつもりでしょうけど、肝心な宗教としての機能を果たしておりません。本当の宗教とは大霊との絆を結んでくれるものでなければなりません。なのに、この国の宗教はもはやその役目を果たしておりません。

かつては基盤となっていたインスピレーションはとっくの昔に教会から追い出され、代って教義と信条とドグマと儀式のみが残っております。

 こうしたものは宗教とは何の関わりもないものばかりです。大霊に近づけるという宗教の本来の目的には何の役にも立たないからです。

インスピレーションは無限の存在である大霊から発しております。それに引きかえ神学は人間の知能から発したものです。都合のいい理屈から生まれた教義が、宇宙の大源から発したものの代りができるはずはありません。

 もう一つの邪魔ものは、崇拝の対象です。かつて〝黄金の子牛〟と呼ばれていた物的な財産が崇拝の対象とされています。

人生の基盤が霊的実在であることを宗教が説き明かすことができなくなったために、圧倒的大多数の人間が、物質こそ存在のすべてであり、五感で感じ取れるもの以外には何も存在しないのだと信じるようになっています。

 そこで彼らは、人生は七十か八十か九十年、どう長生きしてもせいぜい百年だ。存分に快楽を味わうために金を儲け、財産を貯えようではないかと言います。イザヤ書にある〝食べて飲んで陽気にやろうではないか、どうせ明日は死ぬ身よ〟という一節がそれをうまく表しております。

 責任は教会やシナゴーグや寺院にあります。基本的な霊的原理の大切さすら説くことができないからです。生命は物質ではありません。霊的なものです。物質はただの殻にすぎません。実在の影です。実在は霊であり、いま自分として意識しているあなたは霊なのです。

人生の究極の目的は、その、あなたという霊の属性を発揮することです。逃れることのできない肉体の死とともに始まる次の段階の生活にそなえるためです。

 この国でも、子供はみんな学校へ通います。義務教育だからです。他にもそういう国がたくさんあります。なぜでしょう? 言うまでもなく、卒業後から始まる社会生活に必要な教育を受けるためです。

勉強が十分にできていないと、小学校から中学校へ上がってから、中学校から高等学校へ上がってから、そして高等学校から大学へ進学してから苦労します。そして社会へ出てから困ります。

 それと同じです。あなた方はこの世を去ったあとから始まる霊的生活のためのトレーニングを受けるために、今この世に置かれているのです。今のうちに霊的教育を受けていないと、こちらの世界へ来た時に何の準備もできていなくて、大変なハンディを背負って生活しなければなりません。

 誤解を避けるために申し添えますが、私は物的身体に関わることは放っときなさいと言っているのではありません。それはそれなりに大切です。地上にあるかぎりはその物的身体が唯一の表現の媒体です。言わば〝霊の宮〟です。

 その〝宮〟に宿る霊に、内部に宿る霊性ないし神性を発揮する機会を存分に与える必要があります。その霊性こそ大霊なのです。あなたの内部にひそむ大霊です。それを発揮する機会を求めるのも地上生活における義務です。そのために肉体をたずさえて生まれてきているのですから。

 こんな説教じみた話ばかり聞かされては面白くないでしょう。が、スイスという国、およびそこに住む皆さんが、霊的にみてどういう状態にあるかを知っていただきたかったのです。

 さ、ご質問をお受けしましょうか。私が少しでもお役に立てばと思います。皆さんは為すべきことがたくさんあります。これから徐々に開けゆくサービスの機会を有り難く思わないといけません」


───人間はなぜ霊と精神と肉体という構成になっているのでしょうか。

 「それは、地球という特殊な体験を提供してくれる世界で精神的に霊的に成長するには、そういう表現手段が必要だからです。

精神は、霊すなわち本当のあなたが、脳という物的器官を通して自我を表現するための媒体です。脳は、地上界の物的現象を認知する五感をそなえた物的組織の中枢です。

 地上界は、実にさまざまな考えや性格をもった人間が入り混じって同じ平面上で生活している、特殊な世界です。その千変万化の生活模様の中からいろいろと学ぶ機会が得られるわけです。

 こちらの世界はその点が異なるのです。こちらへ来て落着く先は、あなたと同じ程度の霊性をそなえた者ばかりが集まっている境涯です。当然、発達とか成長というものが地上界とはまったく異なります。

 こちらへ来ると、まず地上界の避けがたい穢れを払い落す事から始め、霊の純金を出すことに努力します。どれほど純金があるかによって落着く先が自動的に決まります。そしてそれに磨きがかけられることによって、霊的により高い境涯へと参ります。

その辺がこちらとそちらとの違いです。霊と精神が肉体に宿って同一平面上で生活するところに地上界の意義があるのです」


───ということは、こちらとそちらとでは進化の仕組みが異なるということですか。

 「その通りです。進化の原則は一定不変で、一瞬の途切れもなく働いております。が、その顕現の仕方が霊的なレベルの違いによって異なるということです。

さきほども言いましたように、地上界ではさまざまなバリエーションの文化、考え方、性格の人間が同一平面上に存在し、互いに影響を受け合っております。無数といってよいほどのバラエティに富んだ人間と接触する機会があるわけです。こちらではそれはありません」


───同じレベルの者ばかりでは退屈しませんか。

 「とんでもありません。霊的成長度が同じで親和性のある者との交流であり、個性と能力はさまざまですから、少しも退屈はしません。

地上で退屈するというのは、親和性のない者と同じ場所に閉じ込められた場合に生じるもので、たしかにうんざりするでしょう。霊的に、そして精神的に親和性のある者同士の間には、倦怠感は生じません。

 こちらの世界で互いに愛し合い、同じレベルの霊性を身につけた者どうしは、人間の言語では表現できないほどの生きる喜びを味わいます。退屈するどころか、説明のしようのない喜悦を覚えます」


───私たちは地上で夫婦となるべく創造されているのでしょうか。

 「これは難しい問題ですね。まず基本的な話から始めましょう。霊そのものには始めも終わりもありません。生命そのものである霊は、無窮の過去から存在し続けているのです。歴史の舞台をいくらさかのぼっても、これまで存在しなかった霊が突如として存在を現わし、そして人間が歴史の表舞台に踊り出たという幕はありません。

過去・現在・未来という過程ではないのです。ですから、ここにお集まりの皆さんも、霊としては(無意識の状態で)ずっと存在していたのです。

 その霊の一部が個体として物質をまとい、地上へ誕生する段階がやってまいります。それを二度、三度、四度とくり返し、その体験によって身につけたものが全体へ付加されていきます。

 一個のダイヤモンドがあって、それに幾つもの切り子面(カット)があるのと同じです。その一つ一つの面が地上界へ顔を出し、その体験によって輝きを増し、その総合的結果としてダイヤモンド全体が一段と輝きを増すというわけです。

 再生とか転生は、そういった目的のための手段の一つです。これにもある程度の選択の余地があります。いったん地上生活を送って帰ってきた霊が、どうしてもやり遂げたい目的があって、もう一度地上へ降誕したいという場合に、それが許されることもあります。

 それを、簡単に許されるかに想像してはいけません。高級霊との相談の上で、そうすることによってかくかくしかじかの徳、利点、他人へのサービスが成就されるとの認識が十分に検討された上でのことです。

 地上の歴史にも輝かしい足跡を残した人物が数多くいます。重大な危機に際して目覚ましい活躍をした人物です。そういう人たちは皆、そういう時機に遭遇することを承知の上で誕生しているのです。

 たとえば病に苦しむ人を救ってあげたいという願望に燃えた霊が許しを得て地上へ降誕します。誕生後いろいろと紆余曲折はあっても、最終的には医師・専門医・外科医などになるでしょう。

心理療法、精神療法などいろいろとある療法のうちのどれかを修するかも知れませんし、もしかしたら心霊治療家になるかも知れません。

 ここで疑問が生じるでしょう。そうした誕生前の決意ないし願望が意識されるようになるためにはどうすればよいかということです。が、残念ながらこれは、一概にこうすればよろしいということが言えない性格のものなのです。

 と言いますのは、魂の覚醒にはその起爆剤となる強烈な体験が必要です。それが肉親との死別である場合もあれば人生の危機の体験であることもあり、大病となることもあります。それが霊的覚醒の第一段階です。

 さて、ご質問の配偶者の問題ですが、同じダイヤモンドの二つの面が同じ時代に地上に誕生して夫婦となることは、滅多にありませんが、ないことはありません。いわゆるアフィニティどうしのケースです。これまで数多くの交霊会で何組かのアフィニティに出会っております」


───となると、今こうして生まれてきているということは、大きなチャンスでもあり挑戦でもあるということでしょうか。

 「そうですとも!そうでなくてどうしましょう。内部の神性を発現させるチャンスを本当のあなた(自我)に与える絶好の機会なのです。あなたはその身体ではありません。その身体があなたではありません。あなたという存在は霊をたずさえた身体ではありません。身体をたずさえた霊なのです。

本当のあなたは鏡に写っているあなたではないのです。本当のあなたは肉眼には見えないものなのです。 その身体は、あなたが自我を表現するための機械にすぎません。あなたという霊が引っ込んで(死んで)しまえば、その機械は動かなくなります。それを皆さんは、〝死〟と呼んでいます。

これでお分かりと思いますが、あなたは死んでから霊になるのではありません。こうして生きている今から立派に霊的存在であり、だから死後も生き続けるのです。

 その地上生活での体験から教訓を学ぶことには大きな意味があります。しかも、あえて言えば、大きな教訓ほど、困難や障害、ハンディを背負った生活に耐え抜くことから得られるのです。その葛藤の中で内部の霊性が呼び覚まされるのです。

 さんさんと太陽がふりそそぎ、すべてが平穏で、問題が何一つ生じないような生活の中では、霊的進化は得られません。困難に遭遇し、それを克服した時にはじめて霊性が向上するのです。鋼鉄が猛火のるつぼの中において鍛え上げられるように、あなたの霊性も苦難との闘いの中においてこそ鍛え上げられるのです」


───誕生前に決意した仕事を成就せず、進むべき方向へ進まずに一生を終わることも有り得るのでしょうか。

 「二つの可能性が考えられます。一つは、生まれた時からハンディを背負って生まれてくる場合。もう一つは、然るべき仕事を成就せずに終わった者がやり直しのためにもう一度生まれてくる場合。

こうしたことも全て自然の摂理によって情容赦なく自動的に働きます。いかなる聖職者もごまかしは利きません。阻止することもできません。大霊の叡知によって考案され行使されているのですから、絶対的に働くのです。

 スイスという国の法律をスリ抜ける者はいるでしょう。が、大霊の法則はごまかせません。また、国が定めた法律は時代とともに改めないといけなくなりますが、大自然の摂理は永遠に改められることはありません。

その必要性がないのです。あらゆる事態、あらゆる人物に対処した摂理が用意されているからです。大霊の定めた摂理が行き届かない事態が生じるということは絶対にありません」


───脳死状態となった植物人間の生命を永らえさせるのは正しいでしょうか。

 「これも難しい問題ですね。が、何事も動機がカギとなります。植物人間とはいえ、まだ生きている身体の機能を完全に止めてしまう動機は何かということです。

 本来人間は自然の摂理にかなった生活をしていれば、死も自然な形で訪れるようになっております。リンゴが熟して地上へ落ちるように、霊が熟すると(地上を離れるべき時機に至ると)身体は自然に朽ちていきます。

 ところが残念ながら人間は必ずしも大自然の摂理にかなった生き方をしておりません。それで霊と精神と身体の調和のとれた相互関係が崩れて、いわゆる病気になるわけです。

 さて、脳が回復不能の損傷を受けることがあります。医学者の中にはそれをもって生命の終りとする人がいますが、必ずしもそうとは言えないのです。タイプライターのキーが故障して使えなくなったことをもって、タイピストが死んだとは言えないのと同じです。タイピストが仕事をする道具が使いものにならなくなったというにすぎません。

 同じことが、脳が損傷して使えなくなった場合にも言えます。それをもって〝死んだ〟とするのは間違いです。本当の死は霊が身体から完全に離れてしまった時のことです。それは俗にシルバーコードと呼ばれている発光性の生命の紐(玉の緒)が切れた時のことです。

 この世に誕生した赤ん坊はヘソの緒が切断されてはじめて一個の独立した人間となるように、霊もシルバーコードが切れた時にはじめて霊界の一員となるのです。

 地上の医師にはその事実を確認する手だてがありません。実を言いますと、身体は植物状態になっていても、霊そのものも本当の死に至るまでにいろいろと学ぶべきことがあるのです。

 ですから、結論としては、最初に言いましたように、動機は何かという点に舞い戻ってきます。死なせることが患者にとって最善の策だと真剣に考えるのであれば、そうすればよろしい。

 ただ残念ながら医師は本来はそういう決断を下す立場にはないということを知ってください。権利が乱用される心配があります。信頼のおける霊視能力者がいて、シルバーコードが切れる瞬間を見届けてくれるようになれば、それが一番望ましいのですが・・・・・・」

───世界的規模で政治・科学・宗教の各分野で大きな変動が起きておりますが、これは好ましい方向への変化の表れでしょうか。

 「今、地上世界は大きな変動期を迎えています。その原因の一つは、第一次・第二次の二つの世界大戦がもたらしています。変動期には必ずしもベストなものが表舞台に出るとはかぎりません。

今の時代は、二つの大戦の結果として、おもに若者の世代に、現体制への不満が渦巻いています。前世代から引き継いだものへの反感です。自分たちが享受している自由や便益や特権が先駆者や革命家たちによる大きな犠牲によって得られたものであることを知らないのです。

 また、宗教・科学・哲学の各分野の在来の教え、世の中の不公平と不公正、当世風のモラル、こうしたもの全てが気に食わないのです。そうした不満から、これを一気に忘れようとして、しばしば麻薬に走ります。

 このように、世の中は変動期にあります。外面を見るかぎりでは、公共物の破壊行為、どん欲や強欲の張り合い、利己主義ばかりが目につきますが、これは〝陰〟の側面であって、〝陽〟の側面もあるのです。若者の中にはボランティア精神に燃えた者が多くなっています。

これから生まれる新しい世界の輪郭がおぼろげながら見えています。何ごとにつけ、誕生というものは必ずしも苦痛の伴わない、素晴らしいものばかりとは限らないのです。

 地上界は今、霊力が地球上の無数の地域に浸透することによって、大きく変動しつつあります。突破口が一つ開けられるごとに、そこに橋頭堡が築かれ、さらに次の橋頭堡を築くための準備がなされています。

大自然の摂理によって、霊力がヒーリングや慰安、導き、インスピレーションをもたらし、それが愛と叡知の本源から送られてきたものであることの証となっております。

 口先ではなく、本当の意味で、案ずることは何もありませんと申し上げます。と言って、あしたの朝目を覚まして見たら天国となっているという意味ではありません。

地上天国はそういう調子で訪れるのではありません。霊力を顕現させる道具(霊媒・超能力者・治療家)が用意され、人々の重荷や心痛や苦悩を軽減してあげることの積み重ねによって、徐々に明るい地上世界が招来されるのです」


───低級霊が有名人の名を騙って出てくるということも有り得るでしょうか。

 「霊媒の程度によっては有り得ることです。未熟な霊媒、正しい生活をしていない霊媒の場合は、低級霊が支配霊のスキをねらって憑依し、それらしく振舞います。

いったんスキをみせると、入れ替り立ち替り侵入するようになります。支配霊の役目はそういうことにならないように監視し、高級霊が出られるような条件を整えることです。

 ただ、念のために申し上げますが、霊界の者が地上に出て語る場合、その声は、その霊自身のものではないということです。地上時代の声帯になるべく近いものを(エクトプラズムで)こしらえるのです。その意味では、騙っているのとは違っても、一種の扮装をすることにはなります。

 物質化現象も同じです。肉体はすでにないのですから、(エクトプラズムで)地上時代と同じ体型をこしらえ、霊界の技師の助けを借りて、できるだけ地上と同じものに近づけるようにします。これも、ごまかすというのではなく、扮装です。本人がそこにいないとそれができませんから」



──憑依と支配とは同じものでしょうか。

 「同じ硬貨にも表と裏とがあるように、人間と霊との関係には積極的と消極的の二面性があります。いったんコミュニケーションのドアが開かれますと、進化の階梯からいって上は最高の天使級から下は最下層の低級霊に至るまでの、ありとあらゆる霊的存在による影響にさらされることになります。

 霊の世界も地上界から送られてくる人間によって構成されています。ですから、人間がみんな聖人君子であってくれれば、霊界も聖人君子ばかりになるのですが、残念ながら地上から送られてくる人間は利己的で邪悪で、他への思いやりがありません。地上界にいた時と同じレベルのままこちらへ来るわけです。

 ですから、親和力の原理で、同じレベルの地上の人間と簡単につながりができます。低い者であれば麻薬とかアルコールなどの習慣で霊界の低級霊が引っつきます。高潔な人間であれば高級界の霊とのつながりが出来て、崇高なインスピレーションに接することができます。

 つまり高級な支配はインスピレーションの形を取り、それが低級になると憑依という形を取ることになります。親和力の原理においては両者は同じです。硬貨の表と裏のようなものです」



───立派な人生を送りながらも死後の存続の事実を知らないまま他界した人は、そちらでの覚醒はどんなものになるのでしょうか。

 「すべては自然の摂理によって規制されているのです。こちらの世界には無限の意識の階層があって、それらが下から上へ、また下から上へと融合しながらつながっております。皆さんのいう〝死〟のあとこちらへ来ると、それまでに到達した霊性に応じたレベルに落ち着きます。

 あなたのおっしゃる〝立派な人生〟を送った人なら、当然、かなりのレベルに落ち着くでしょう。少なくとも地縛霊になることはないでしょう。もっとも、新しい環境に馴染むまでには、ある程度の期間を要するでしょう。が、あなたがたの時間感覚でいう〝長い〟期間ではないでしょう。

 それはともかくとして、実は、死後への準備は地上生活中にある程度までなされているのです。それが行なわれるのは睡眠中です。幽体で離脱してそれ相応の場所を訪れています。


その間の体験は脳に印象づけられないために記憶にないのですが、意識の深層に刻まれていて、いよいよシルバーコードが切れてこちらの住民となった時に役に立ちます」

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