Sunday, June 30, 2024

シアトルの夏 宇宙的(コズミック)サイコメトリ

cosmic psychometry



一九一九年四月二日  水曜日 

それ故そうしたサイコメトリ的バイブレーションは──吾々が物質を研究した上での結論ですが──物質に瀰漫(びまん)するエーテルに書き込まれている、ないしは刻み込まれているのです。それだけではありません。

エーテルが物質の成分に作用し、それによって活性化される度合によって、その物質の昇華の度合が決まっていきます。

つまり活性化された成分が外部からエーテルに働きかけ、浸透し、それを物質との媒介物として活用するのです。物質の成分は地上の化学者も指摘するとおりエーテルの中に溶解した状態で存在するわけです。

その点は地上の化学者の指摘は正しいのですが、その辺は大自然の秘奥の門口であって、その奥には神殿があり、さらにその先には奥の院が存在する。

物質科学の範疇を超えてエーテル界の神殿に到着した時、その時はじめて大自然のエネルギーの根源がその奥の院にあることを知ることになります。その奥の院にこそ普遍的〝霊〟が存在するのです。

 これで大自然のカラクリがお分かりになると思います。普遍的な〝霊〟が外部から、つまり基本的成分がエネルギーの量においても崇高性の度合においてもすべてをしのぐ界層から活発にエーテルに働きかけます。その作用でエーテルが活性化され、活性化されたエーテルがさらに物質の基本分子に作用し、そこに物質という成分が生まれます。

 ただし、この作用は機械的なものではありません。その背後に意志が働いているのです。意志のあるところには個性があります。

つまるところエーテルに性格を賦与するのは個性をもつ存在であり、その影響がそのまま物質に反映されていきます。それ故こういうことになります───エーテルを通して物質に働きかける霊的存在の崇高さの程度に応じて、物質の成分の洗練の度合が高くもなり低くもなる、ということです。(第一巻P217参照)

 ということは地球そのもの、および地球上の全存在物を構成している物質の性質は、それに向けて意識的に働きかけている霊的存在の性格と共鳴関係にあるということです。両者は物質に宿っているかいないかの違いがあるだけで、ともに霊(スピリット)なのです。

 したがって地球人類が霊的に向上するにつれて(未来の)地球もそれを構成する成分に働きかける影響力に対して、徐々にではあっても着実に反応していきました。

物質がより洗練され、より精妙化されていきました。内部からの輝きを増していったのはそのためです。これは宇宙規模のサイコメトリにほかなりませんが、本質的にはいま地上に顕現されているものと同一です。

 地球ならびに地球人類の精妙化が進むにつれて霊界からの働きかけもいっそう容易になっていき、顕幽間の交信も今日よりひんぱんになると同時に、より開放的なものとなっていきました(※)。

そして、途中の階段を省いて結論を急げば、顕幽間の交信がごく当たり前のものとなり、且つ間断なく行われる時代にまで到達しました。そしてついにこれからお話する一大顕現が実現することになります。(※シルバーバーチは霊格が向上するほど自由意志の行使範囲が広くなると述べている──訳者)

 が、それをお話する前に述べておきたいことがあります。私の話は太陽およびその惑星系にしぼり、遠い銀河の世界のことは省きます。

 地上の天文学者は自分たちが確認した惑星をすべて〝物的天体〟としております。さらに、それらの惑星を構成する物質がその成分の割合において地球を構成する物質と同一でないことも発見しております。


しかしもう一歩進んで、物質の密度の差を生じさせる原因の一つとして、もう一つ別の要素が存在するところまでは気づいておりません。

それが私がこれまで述べてきた霊的要素で、それが惑星系の進化の長旅において地球より先を歩んでいる天体の進化を促しているのです。

 実はそれ以外に地上の人間の視力では捉えることの出来ない別の種類の惑星が存在するのです。精妙化がすでに物質的段階を超えてエーテル的段階に至っているのです。霊的までは至っていません。物質的状態と霊的状態の中間です。


その種の天体の住民には地球を含む惑星系のすべてが見えます。そして強力な影響力を行使することができます。それは、地球人類より進化はしていても、霊格において霊界の住民よりはまだ地球人類に近いからです。

 それはそれなりに、れっきとした惑星なのです。ところが、それとはまた別の意味でのエーテル的天体がいくつか存在します。その一つが地球を包みこむように重なっております。その天体の構成するエーテルの粗製状態のものが地球に瀰漫しているのです。

と言って、地球のためだけの存在ではありません。また、のっぺらとしたベルト状のものではなく、表面には大陸もあれば海もあり、住民もいます。

その大半はかつて地球上で生活したことのある者ですが、中には一度も地上生活の体験のない者もいます。血と肉とから成る身体としての顕現の段階まで達していないのです。


──いわゆる幽界のことでしょうか。

 その名称は使用する人によって必ずしも同じように理解されておりませんが、貴殿の理解しているものに従って言えば、私のいうエーテル的天体は幽界とは違います。

今お話したとおりのものです。聞くところによれば、そこに安住している人間に似た住民はみな、ずいぶん古くからの生活者で、これから先いつまでそこに住んでいられるか確かなことは不明であるとのことです。彼らは太古の地球人類の一種の副産物なのです。


──あなたがこの地球へ降りてこられる時はそのエーテル的天体を通過してくるわけですか。

 場所的に言えばそういうことになります。が、通過する際にその環境に対して何の反応も感じません。感覚的にはその存在を感じていないということです。私がこれまで第一界、第二界、第三界と呼んできた界層とは何の関係もありません。

造化の系列が別で、実に不可思議な存在です。吾々の行動の場から離れており、したがって詳しいことはほとんど知りません。

さきほど申し上げたことは──あれ以外にもう少し多くのことが判っておりますが──これまでそうした別の要素の存在を知らなかったがために理解に苦しんでいたことを説明するために教えていただいたことです。それでやっと得心がいったことでした。
アーネル ±

Saturday, June 29, 2024

シアトルの夏 生命の根元、存在の根元、永遠性の根元は“霊”の中にあります

The root of life, the root of existence, and the root of eternity is in the “spirit.”



春という季節は、シルバーバーチが大自然の生命の復活の象徴としてよく引き合いに出す季節で、ある日の交霊会でも、改めてこのように述べた。


「この季節は、わたしの心が小踊りして、思わず讃歌を口ずさみたくなる時期です。絶頂期(夏)まではまだ間があるとはいえ、自然界が美しく着飾る時期だからです。この芽吹きの中――伸びよう、成長しよう、広がろうとする生命の営みの中にこそ、大霊が宇宙を支配していることの証を見るのです。いずこを見ても、花が、葉が、そして草が、大自然の着実な営みへの賛辞を手向(たむ)けております。大霊の隔てなき恩寵をこれ以上わかりやすく教えてくれるものはありませんし、これほど明確に摂理の狂いない働きを認識させてくれるものはありません。

こうした春の営みを見て皆さんが万事うまく行くのだという安心と自信を抱き、こうして地上へ生まれてきたという事実の中に、あなた方を同胞のために活用せんとする愛と叡智の働きを感じて有り難く思わねばならない理由があるのです。大自然の魔術のように思えて、実は絶対不変の摂理の表れであり、それは無窮の過去から寸分の狂いもなく働き、これから無窮の未来へ向けて地上の人間生活の中で狂いなく展開していくことを知って、身も心も喜びに沸き立つ思いをするようでないといけません」

ここでメンバーの一人が健康を害している友人のことで質問したのに対して――


「自然が要求するものを無視するわけにはまいりません。人間も霊的存在であるとはいえ、今生きているのは物質界です。あなたの霊にとっては、その身体を通して表現するしかなく、その身体は物質でできているのですから、ある一定の物質的必要性に応じざるを得ません。運動も必要です。食べるものも必要です。身を宿すところも必要です。光も空気も要りますし、適度の手入れも必要です。疲れた時は休ませてやらねばなりません。器官ないし機能に障害が生じれば、治さなくてはなりません。そうした必要性に無関心でいると、そのうちそのツケが回ってきます。

たとえ医者から薬という薬を貰えるだけ貰っても、それは大霊が用意している治療法の代用にはなりません。痛みは軽減するかも知れません。一時しのぎにはなるでしょう。が、本当の意味での治療にはなりません。痛みを止めることはできます。和らげることはできます。反対に、刺激を与えて興奮させることもできます。が、身体が要求しているのは大自然が与えてくれるものです。わたしが春がもたらしてくれるものを精いっぱい活用しなさいと申し上げるのは、そのためです。

新しい生命の芽生え――それは霊性の発現にほかなりません――これには大自然の強烈な回復力が秘められております。それをご自分の身体に摂取すれば、バッテリーに充電することになります。冬の間どうしても弱まりがちな生命力が増強されます。その時点でしっかりと貯えておけば、夏、秋と過ごし、やがて大自然が――物的活動に関するかぎり――眠りにつく冬に入っても、安心して休めることになります。大霊が有り余るほど用意してくださり、自由に摂取してほしいと望んでおられるものを、存分に我がものとなさることです」

「そうしたことが聡明な人たちでも理解できないのはなぜでしょうか」


「頭脳は聡明でも、心に理解力が欠けている人がよくいるものです。“童子のごとくあらずんば……”といいます。大いなる真理は往々にして単純・素朴であり、心が素直で、ややこしい理屈を必要としない人は、直観的に理解できるものです。

頭脳が明晰すぎると、とかく単純な真理が幼稚に思えて、捨ててしまう傾向があります。これは危険なことです。脳が活発すぎて、単純に片づくものでは物足らなくなり、何やら複雑なものだと脳が仕事らしい仕事を得てうれしくなるのです。本当は、身体が健康であればあるほど、その要求するものが自然の理に適(かな)ったものになるようにできているのです」

「すると脳の働きも理に適ったものになるわけですね?」


「その通りです。そして、それだけ霊性が発揮されやすくなります。その辺が狂うと、次から次へと厄介なことが生じるようになります。健康な身体ほど、精神と霊が顕現しやすいのです。所詮、地上ではその身体を通す以外に、自我の発現の手段はありません。動物をごらんなさい。ネコは暖かい日向に寝そべり、太陽が動くと、そちらへ移動します。本能的に単純な真理を知っているのです。

不幸にして人類は、文明というものに毒されて、ますます人工的になりつつあります。タバコを吸いすぎます。アルコールを飲みすぎます。刺激物を取りすぎます。こうしたものはみないけません。大自然の要求どおりに生きていれば、身体はそうしたものを要求しません。不自然な生き方をしていると、そういった不自然なものを摂取しなくてはならなくなるのです。食欲をそそるものが要るようになるのです」

話題が変わって――

別のメンバー「スピリチュアリズムの現状に満足なさっておられますか」


「満足することは、まずありません。いかなる分野にせよ、真理が広まっていくのを見るのはうれしいことです。が、皆さんによる組織的活動は今、一つの難しい、魅力に乏しい局面にさしかかっております。勃興当初(十九世紀半ば)の、あの輝かしい魅力も次第に色あせ、方向性が十分に定まっていないようです。わたしが見るかぎりでは、霊的真理の存在を皆目知らずにいる人々に、もっともっと積極的な働きかけが必要ですし、すでに手にしておられる人も、さらに奥の深い真理の啓示を受ける受容力の開発を心がけるべきです。主要道路だけでなく、横道に入ってみることも、これから大いに要請される仕事です。

“スピリチュアリズム”の名称で呼ばれている真理普及運動の根幹であり基盤である霊媒現象(※)の真髄は、一体何であるかをお考えになってみてください。それが正しく理解されているでしょうか。霊的能力をお持ちの方に“人のため(サービス)”の精神がどれほど行きわたっているでしょうか。ご自分の仕事の神聖さを自覚し、畏敬の念をもって携わっている人がどれほどいらっしゃるでしょう。少しはいらっしゃるようですが、悲しいかな、大半の人がそうではないようです。

わたしが望んでいる形での真実のサービス精神に徹している方は、大体において、年輩の方に多いようです。大部分の人はご自分の能力を、悲しんでいる人、困っている人のために使おうとは努力なさっていないようです。こういう局面は一日も早く打破していただきたいものです」


※――“霊媒(ミーディアム)”というと、日本では霊言や自動書記、物理現象などで入神してしまうタイプをさす傾向があるが、西洋では霊的能力者一般をさす。ここでもその意味で用いており、したがって霊視や霊聴や心霊治療も霊媒現象ということになる。原理からいうと確かにその通りである。

このあと、別のメンバーがスピリチュアリズムは得心できないことが沢山あるという意見を述べ「とにかく、わけのわからないことだらけなのです」と言うと――


「たった一度の地上生活ですべてを理解することは不可能です」

「でも、わかっていながら実行できないということが、私にとっては悩みのタネなのです」


「知識――これが不動の基盤です。そして悩みに遭遇して、それがそれまでの知識では解決できない時は、大霊はすべてを良きに計らってくださっている、という信念にすがることです。わからないと思っていたことが、そのうち明確になってきます。これは、決して困難から逃避することではありません」

「それはわかります。私たちはそれぞれに責任ある人間であり、自分のすることすべてに責任を負うわけですが、私が悩むのは、知識を得るばかりで一向に進歩しないということです」


「摂理の裏側に別の次元の摂理があります。大自然の成育、国家ならびに民族の進化をつかさどる摂理とともに、一人一人の人間を支配している摂理があります。これらが裏になり表になりながら働いているのです。無限の叡智というカギを手にしないかぎり、その全体に完全な調和が行きわたっていることを悟ることはできません。が、間違いなく調和が行きわたっているのです」

「私が一番理解に苦しむのは、人間と背後霊との関係です。どうも、本当に私たちのことを考えてくれている、あるいは、実際に力になってくれているとは思えないのです――虫が良すぎることもあるかも知れませんが……」


「いかに進化した霊といえども、地上世界に対して為しうることには、一定の限界というものがあります。これには三つの要素がからんでおります。自然の摂理と、その時の環境条件と、本人の自由意志です。環境条件にはさらに、その時どきの特殊な要素がいくつもからんでおります。

しかし、皆さんにはおわかりになれなくても――そして、これはわたしにも証明してさし上げることはできないのですが――目に見えない導き、霊媒を通じてのアドバイスとは違った形での、アイディア、インスピレーション、勇気づけといったものを受けていらっしゃいます。これは実に手の込んだ、難しい操作によって行われ、デリケートなバイブレーションを使用していることを知ってください。しかも、皆さんは、そうした努力を水の泡としてしまうことのできる、自由意志を行使できます」

「そちらから見て意外に思われる、予想外の事態になってしまうこともあるのでしょうか」


「わたしたちにとっても、先のことがすべて分かっているわけではありません。固定した映像の形で見えているわけではないのです。未来の出来事の予見は、ある一定のプロセスによって閃光(フラッシュ)の形でひらめくのです。たとえば、地上でいえば天体望遠鏡をセットし、焦点を合わせ、いざ見ようとすると、雲がよぎって何も見えなくなってしまうようなものです。写真でもそうでしょ? 焦点を合わせて視野を見事にとらえていても、ちょっとした動きでブレてしまいます。

こちらの世界でも人間の視覚器官に相当するものがあり、それが発達すると未来のことを予見することができるようになりますが、それには(複数の次元にわたる)大変な調節が必要であり、その操作は至難のわざです。

わたしたち霊団の仕事には一定の基本の型(パターン)というものがあって、それにしたがって行動します。成就すべき目標はよくわかっているのです。そのパターンの枠内でバランスを取るために、押したり引いたり、つねに調節をしなければなりません。たとえてみればチェス(日本の将棋に似たもの)と同じです。駒の進め方がまずかったと分かれば、それを補うために別の駒を進めないといけません。

時には全体が思いどおりに調子よく進むこともあります。が、霊界と地上という両極の間でバイブレーションないし放射物を取り扱うのですから、ひっきりなしに調節が必要です。ただし、目標だけは明確にわかっていますから、たとえ手段に戸惑うことはあっても、不安はありません。だからわたしは、いつも“辛抱しなさい。これで万事おわったわけではありません”と申し上げるのです。

摂理はかならずや決められた通りに働きます。そのようになっているのです。それは、かならずしも皆さんがこうあってほしいと望まれる通りとはかぎりません。わたしには、わたしが成就しなければならない仕事がよく分かっております。皆さんが地上で成就しなければならない仕事も、わたしにはよく分かっております。そして、いずれは皆さんがそれを成就なさるであろうことも分かっております。

たまたまそういう巡り合わせになったというわけのものではありません。そういう計画ができているのです。皆さんにそれが理解できないのは、物質の目を通して眺め、物質的なモノサシで計ろうとなさるからです。このわたしは、皆さんとはまったく異なる側面から眺めております。ですから、皆さんの物的な問題はよく分かりますし、わたしもそれに関わってはいても、基本的には“こうなる”という見通しが、わたしにはあるのです。

差し引き勘定をすれば、大霊は決して計算違いをなさらないことが分かります。宇宙の背後の知性は完璧なのです。そのことをしっかりと肝に銘じてください。大霊は決して間違いをなさいませんし、欺かれることも決してありません。一つ一つの出来事に、間違いなく摂理が働きます」

別の日の交霊会でシルバーバーチは、霊と物質の関係という基本的なテーマについて語った。その日のゲストはスピリチュアリズムに熱心な夫婦だった。その二人に向かってこう語った。


「あなた方は物質をまとった存在です。身を物質の世界に置いておられます。それはそれなりに果たすべき義務があります。衣服を着なければなりません。家がなくてはなりません。食べるものが要ります。身体の手入れをしなくてはなりません。身体は、要請される仕事を果たすために必要なものを、すべて確保しなければなりません。

物的身体の存在価値は、基本的には霊(自我)の道具であることです。霊なくしては身体の存在はありません。そのことを知っている人が実に少ないのです。身体が存在できるのは、それ以前に霊が存在するからです。霊が引っ込めば身体は崩壊し、分解し、そして死滅します。

こんなことを申し上げるのは、他の多くの人たちと同様に、あなた方もまだまだ、本来の正しい視野をお持ちでないからです。ご自身のことを、一時的に地上的生命をたずさえた霊的存在であるとは得心しておられません。身体にかかわること、世間的なことを必要以上に重要視なさる傾向がまだあります。

いかがですか、私の言っていることは間違っておりましょうか。間違っていれば遠慮なくそうおっしゃってください。わたしが気を悪くすることはありませんから……」

「いえ、おっしゃる通りだと思います。そのことを自覚し、かつ忘れずにいるということは大変むつかしいことです」と奥さんが言う。


「むつかしいことであることは、わたしもよく知っております。ですが、視野を一変させ、その身体だけでなく、住んでおられる地球、それからその地球上のすべてのものが存在できるのは、ほかならぬ霊のおかげであること、あなたも霊であり、霊であるがゆえに大霊の属性のすべてを宿していることに得心がいけば、前途に横たわる困難のすべてを克服していくだけの霊力をさずかっていることに理解がいくはずです。生命の根元、存在の根元、永遠性の根元は“霊”の中にあります。自分で自分をコントロールする要領(こつ)さえ身につければ、その無限の貯蔵庫からエネルギーを引き出すことができます。

霊は、物質の限界によって牛耳られてばかりいるのではありません。全生命の原動力であり、全存在の大始源である霊は、あなたの地上生活において必要なものを、すべて供給してくれます。その地上生活の目的はいたって簡単なことです。死後に待ちうける次の生活にそなえて、本来のあなたであるところの霊性を強固にすることです。身支度を整えるのです。開発するのです。となると、良いことも悪いことも、明るいことも暗いことも、長所も短所も、愛も憎しみも、健康も病気も、その他ありとあらゆることが、あなたの受け止め方一つで、あなたの霊性の成長の糧(かて)となることがお分かりでしょう。

その一つ一つが、大霊の計画の中でそれなりの存在価値を有しているのです。いかに暗い体験も――暗く感じられるのは気に食わないからにすぎないのですが――克服できないほど強烈なものはありません。あなたに耐えきれないほどの試練や危機に直面させられることはありません。そうした真理を、何らかの形でこのわたしとご縁のできた人に知っていただくだけでなく、実感し、実践していただくことができれば、その人は大霊と一体となり、摂理と調和し、日々、時々刻々、要請されるものにきちんと対応できるはずなのです。

ところが、残念ながら敵がいます。取り越し苦労、心配、愚痴という大敵です。それが波長を乱し、せっかくの霊的援助を妨げるのです。霊は、平静さと自信と受容性の中ではじめて伸び伸びと成長します。日々の生活に必要なものすべてが供給されます。物的必需品のすべてが揃います」

ここでご主人が「この霊の道具(身体)にわれわれはどういう注意を払えばよいかを知りたいのですが……肝心なポイントはどこにあるのでしょうか」と尋ねる。


「別にむつかしいことではありません。大方の人間のしていることをご覧になれば、身体の必要性にばかりこだわって(※)、精神ならびに霊の必要性に無関心すぎるという、わたしの持論に賛成していただけると思います。身体へ向けている関心の何分の一かでも霊の方へ向けてくだされば、世の中は今よりずっと住みよくなるでしょう」


※――豪華なファッション、豪邸、美食、そしてそれを得る為の金儲けなどのこと。

「霊のことを放ったらかしにしているということでしょうか。身体にかかわることは、そうまで構わなくてもよいということでしょうか。それとも、もっと総体的な努力をすべきだとおっしゃりたいのでしょうか」


「それは人によって異なる問題ですが、一般的に言って人間は、肉体にかかわることはおろそかにはしておりません。むしろ甘やかしすぎです。必要以上のものを与えています。あなた方が文明と呼んでいるものが不必要な用事を増やし、それに対応するために、また新たな慣習的義務を背負(しょ)い込むという愚を重ねております。肉体にとってなくてはならぬものといえば、光と空気と食べものと運動と住居くらいのものです。衣服もそんなにアレコレと必要なものではありません。慣習上、必要品となっているだけです

わたしは決して肉体ならびにその必要品をおろそかにしてよろしいと言っているのではありません。肉体は霊の大切な道具ではありませんか。肉体的本性が要求するものを無視するように、と勧めているのではありません。一人でも多くの人に、正しい視野をもっていただき、自分自身の本当の姿を見つめるようになっていただきたいのです。自分というものを肉体だけの存在、あるいは、せいぜい、霊をそなえた肉体だと思い込んでいる人が、まだまだ多すぎます。本当は肉体をそなえた霊的存在なのです。それとこれとでは、大違いです。

無駄な取り越し苦労に振り回されている人が多すぎます。わたしが何とかしてなくしてあげたいと思って努力しているのは、不必要な心配です。大霊は無限の叡智であり、無限の愛です。われわれの理解を超えた存在です。が、その働きは宇宙の生命活動の中に見出すことができます。

驚異に満ちたこの宇宙が、かつて一度たりともしくじりを犯したことのない摂理によって支配され、規制され、維持されているのです。その摂理の働きは、一度たりとも間違いを犯したことがないのです。変更になったこともありません。廃止されて別のものと置きかえられたこともありません。いま存在する自然法則はかつても存在し、これからも未来永劫に存在し続けます。なぜなら、完璧な構想のもとに、全能の力によって生み出されたものだからです。

宇宙のどこでもよろしい、よく観察すれば、雄大なものから極小のものまでの、ありとあらゆる相が自然の法則によって生かされ、動かされ、規律正しくコントロールされていることがお分かりになります。途方もなく巨大な星雲を見ても、極微の生命を調べても、あるいは変転きわまりない大自然のパノラマに目を向けても、さらには小鳥・樹木・花・海・山川・湖のどれ一つ取ってみても、ちょうど地球が地軸を中心に回転することによって季節のめぐりが生じているように、すべての相とのつながりを考慮した法則によって統制されていることが分かります。

種子を蒔けば芽が出る――この、いつの時代にも変わらない摂理こそ、大霊の働きの典型です。大霊は絶対にしくじったことはありません。あなた方が見放さないかぎり、大霊は決してあなた方を見放しません。

わたしは、大霊の子すべてに、そういう視野をもっていただきたいのです。そうすれば、取り越し苦労もしなくなり、恐れおののくこともなくなります。いかなる体験も魂の成長にとって何らかの役に立つことを知るようになります。その認識のもとに、一つ一つの困難に立ち向かうようになり、そして首尾よく克服していくことでしょう。その最中にあってはそうは思えなくても、それが真実なのです。

あなた方もいつかはこちらの世界へ来られるわけですが、来てみれば、感謝なさるのはそういう辛い体験の方なのです。視点が変わることによって、暗く思えた体験こそ、その最中にある時は有り難く思えなかったけれども、霊の成長を一番促進してくれていることを知るからです。今ここでそれを証明してさしあげることはできませんが、こちらへお出でになれば、みずから得心なさることでしょう。

こうしたことは、あなた方にとっては比較的新しい真理でしょうが、これは大変な真理であり、また多くの側面をもっております。まだまだ学ばねばならないことが沢山あるということです。探求の歩みを止めてはいけません。歩み続けるのです。ただし、霊媒の口をついて出るものをぜんぶ鵜呑(うの)みにしてはいけません。あなたの理性が反発するもの、あなたの知性を侮辱するものは拒絶なさい。理に適っていると思えるもの、価値があると確信できるものだけを受け入れなさい。何でもすぐに信じる必要はありません。あなた自身の判断力にしっくりくるものだけを受け入れればいいのです。

わたしたちは誤りを犯す可能性のある道具を使用しているのです。交信状態が芳(かんば)しくない時があります。うっかりミスを犯すことがあります。伝えたいことのすべてが伝えられないことがあります。他にもいろいろと障害があります。霊媒の健康状態、潜在意識の中の思念、かたくなに執着している観念などが伝達を妨げることもあります。

その上、わたしたちスピリットも誤りを犯す存在であることを忘れてはなりません。死によって無限の知識のすべてを手にできるようになるわけではありません。地上時代より少しだけ先が見通せるようになるだけです。そこで、こうして、皆さんより多く知った分だけをお届けしているわけです。わたしたちも知らないことばかりです。が、少しでも多く知ろうと努力しているところです。

地上より開けたこちらの世界で知った価値ある知識を、わたしたちがこうして皆さんにお授けするわけは、代わってこんどは皆さんが、それを知らずにいる人たちへ伝えてあげていただきたいと思うからです。宇宙はそういう仕組みになっているのです。実に簡単なことなのです。

わたしたちは自分自身のことは何も求めません。お礼の言葉もお世辞もいりません。崇(あが)めてくださっても困ります。わたしたちはただの使節団、大霊の代理人にすぎません。自分ではその任務にふさわしいとは思えないのですが、その依頼を受けた以上こころよくお引き受けし、力のかぎりその遂行に努力しているところなのです」

その日は、二度も夫に先立たれるという悲劇を体験した婦人が招待されていた。その婦人にシルバーバーチがこう語りかけた。


「地上での人生体験の中には、生命の実在に直面させられる酷しい体験というものが、いくつかあるものです。大霊と真実の自我を内と外に求め、宇宙の存在の意図を探り、それがあくまでも謎のままなのか、それとも、れっきとした計画があるのかを知りたくて、なぜそうなのか、なぜこうなのか、なぜ、なぜ、なぜと問い続けます。そのいくつかは解決できても、どうしても分からないものもあります。が、そうして“問う”という事実そのものが、あなたの魂が自覚をもちはじめている証拠なのです。

地上世界は、そうやって魂が勉強する場所なのです。失敗もし、そして願わくば、それから何かを学んでいくのです。犯した間違いを正し、教訓を学び、より立派な行為を心がけ、二度と失敗しないようになっていくのです。そのうち、ある段階まで成長しますと、大切なのは目的の成就そのものよりも、その成就に向けて努力していく過程での体験によって、性格がどう形成されていくかであることに気づくようになります。過酷な体験の末に目からウロコが落ち、真実の価値の評価ができるようになり、最後は、物的なものにはそれなりの価値はあっても、絶対的価値のあるものではないことを悟ります。

暗く辛い人生の体験によって魂がそうした悟りの末に真実の自我に目覚め、大霊とのつながりを強めることになれば、その体験は大いなる価値があったことになります。これから訪れる未来のある時点で過去を振り返ってごらんになれば、辛く苦しくはあっても、霊的理解力の開発の節目となっていた体験を、有り難く感謝するようになることでしょう」

ここでシルバーバーチは、その交霊会の場に、その婦人が可愛がっていたアイリッシュセッター(猟犬の一種)が来ていると述べてから――


「あなたが飼っておられた素敵な犬がやってきましたよ。あなたが可愛がっていたと同じくらい、この犬もあなたに愛着をもっていたのですよ。お見せできるといいのですがね。年も取っていませんし、(死んだ時の)虚弱な様子も見えません――品もあり、格好もよく、気立ての優しい犬ですね。あなたの愛情がそのように進化させたのですよ。

あなたは幸せな方ですね。人間からも愛され、非人間――といってはおかしいですね――この美しい生きものからも愛されて……あなたの人生は人間以外の生きものからの愛によって囲まれております。その種の愛にはまったく反応しない人がいる中で、あなたはとてもよく反応していらっしゃいます」

シルバーバーチはさらに、かのイタリアの大聖人アッシジの聖フランチェスコもその場に来ていると述べてから――


「驚いたでしょ? この人はすべてのものに愛を抱いている方です。今も、物言わぬ生きものたちの救済のために、霊界で活躍しておられます。動物は、進化の途上における人間の仲間として地上へ送られているのです。それが今しばしば虐待され、苦役(くえき)に駆り立てられ、そして、人類にとって何の益にもならない知識を得るための実験に使用されております」

その日の交霊会の後半で、シルバーバーチはふたたび“無益な心配”のテーマを取り上げた。するとメンバーの一人がこんな意見を述べた。

「私は、あなたが説かれるような立派な生き方をしておりませんので、やはり心配が絶えません。人間が正しい心がけで生きていなければ、背後霊の方もしかるべき指導ができないので、それで心配の念が湧くのだと思います。いけないことだとは分かっているのですが……」


「あなたはご自分のことを実際よりよほど悪く評価なさってますね」

「いえ、私は妄想を抱くタイプではありません。間違っている時は間違っていると、はっきり認識しております。ですから、正しい生き方をしていなければ、当然、心配は絶えないものと覚悟しているわけです」


「わたしは、そうは思いませんね。さっきも言いましたように、あなたはご自分で思っておられるほど悪い生き方はしていらっしゃいません。もっとも、あなたにできるはずの立派な生き方もしていらっしゃいませんけどね。ですが、とかく光を見た人は暗闇の意識が強くなるものです」

「それにも代償を払わないといけません」


「いずれ払わないといけないでしょう。摂理には逃げ道はありませんから、犯した間違いに対して、すべての者が代償を払わないといけません」

「そちらの世界へ行けば、また別の形で裁かれるものと覚悟しております」


「お裁きというものはありません。魂がそれにふさわしいものを受ける――因果律です。蒔いたタネを刈り取るのです。地上での行為の結果が死後のあなたを決める――それだけのことです。それより良くもなれませんし、それより悪くもなれません。それより上にもあがれませんし、それより下にもさがれません。あなたの有るがままの姿――それがあなたです。それまでの行為がそういうものを生み出したのです。それだけのことです」

祈り

無窮の過去より永劫の未来に至るまで……


ああ、大霊よ。わたしどもは全生命の大本源、わたしたちをその本性に似せて創造し給い、全人類を愛の抱擁の中に包み給う絶対的な力とのより一層の調和を求めて、その本源へ近づかんとするものです。

あなたは宇宙の大霊におわします。それは窮まるところを知らない存在であるゆえに、わたしどもにはその尊厳のすべてを理解することはできません。崇高さのすべても理解することはできません。しかし、宇宙の森羅万象のすみずみに至るまで、あなたの摂理が絶対的に支配し、目に見えると見えざるとにかかわりなく、不変、不動の自然法則によって規制されていることを認識いたしております。

したがってそこには、偶然のめぐり合わせも不慮の出来事も起こり得ません。すべては、あらかじめ規定され、生命活動の全側面に配剤されたあなたの意匠(デザイン)にのっとっているのでございます。あなたの認知、あるいは、あなたの管理の目の離れて生じるものは何一つございません。いかなる存在も、あなたのもとから連れ去られることも、忘れ去られることもございません。すべてがあなたの慈悲深き計画の範囲に収まるのでございます。

何一つ見落されず、無窮の過去より永劫の未来に至るまで、無限なる知性が考案し無限の叡智によって管理されている原理にしたがって休むことなく機能しつづけるその摂理の恒久性と驚異性に、わたしたちは深甚なる敬意を表するものです。

その絶対的摂理の働きを、受け入れる素地のできた子等に少しでも分かりやすく説き聞かせるのが、わたしどもの仕事の一環でございます。その理解によって目からウロコが落ち、耳栓が取れ、心が開かれ、かくして魂が自己の存在の目的と地上生活で果たすべき役割を教えてくれる大真理のイルミネーションにあふれることになりましょう。

それがひいては、地上世界の悪性腫瘍である暗黒と無知、利己主義と邪心、混沌と破滅、流血と悲劇を廃絶する上で力となることでございましょう。

その目標に向けてわたしどもは祈り、そして精励いたします。

Friday, June 28, 2024

シアトルの初夏 下層界の浄化活動

Purification of the Lower Worlds


一九一九年三月三日  月曜日

 大事業への参加を求められたあと私が最初に手がけたのは下層界の浄化活動でした。太古においては下層の三界(※)が地球と密接に関係しており、また指導もしておりました。その逆も言えます。すなわち地球のもつ影響力を下層界が摂り入れていったことも事実です。

これは当然のことです。なぜなら、そこの住民は地球からの渡来者であり、地球に近い界ほど直接的な影響力を受けていたわけです。(※いわゆる〝四界説〟に従えば、〝幽界〟に相当すると考えてよいであろう──訳者)


 死の港から上陸すると、ご承知のとおり、指導霊に手引きされて人生についてより明確な視野をもつように指導されます。そうすることによって地上時代の誤った考えが正され、新しい光が受け入れられ吸収されていきます。

しかしこの問題で貴殿にぜひ心に留めておいていただきたいのは、地上生活にせよ天界の生活にせよ、強圧的な規制によって縛ることは決してないということです。

自由意志の原則は神聖にして犯すべからざるものであり、間断なく、そして普遍的に作用しております。実はこの要素、この絶対的な要素が存在していることによる一つの結果として、霊界入りした者の浄化の過程において、それに携わる者にもいつしかある程度の誤った認識が蔓延するようになったのです。

霊界へ持ち込まれる誤った考えの大半は変質の過程をへて有益で価値ある要素に転換されていましたが、全部とはいきませんでした。

論理を寄せ付けず、あらゆる束縛を拒否するその自由意志の原理が、地上的な気まぐれな粒子の下層界への侵入を許し、それが大気中に漂うようになったのです。永い年月のうちにそれが蓄積しました。

それは深刻な割合にまでは増えませんでした。そしてそのまま自然の成り行きにまかせてもよい程度のものでした。が、その当時においては、それはまずいことだったのです。その理由はこうです。

 当時の人類の発達の流れは下流へ、外部へ、物質へ、と向かっていました。それが神の意志でした。

すなわち神はご自身を物的形態の中に細かく顕現していくことを意図されたのです。ところがその方向が下へ向かっていたために勢いが加速され、地上から侵入してくる誤謬の要素が、それを受け入れ変質させていく霊的要素をしのぐほどになったのです。

そこで吾々が地上へ下降していくためには下層界を浄化する必要が生じました。地上への働きかけをさらに強化するための準備としてそれを行ったのです。


──なぜ〝さらに強化する〟のですか。

 地球はそれらの界層からの働きかけを常に受けているのですが、それはその働きかけを強めるために行なった───つまり、輪をうまく転がして谷をぶじに下りきり、こんどは峰へ向けて勢いよく上昇させるに足るだけの弾みをつけることが目的でした。それはうまく行き、今その上昇過程が勢いよく始まっております。

 結局吾々には樽の中のワインにゼラチン状の化合物の膜が果たすような役割を果たしたのです。知識欲にあふれ、一瞬の油断もなくがっちりと手を取り合った雲なす大軍がゆっくりと下降していくと、そうした不純な要素をことごとく圧倒して、地球へ向けて追い返しました。

それが過去幾代にもわたって続けられたのです(この場合の〝代〟は三分の一世紀──訳者)。間断なくそして刃向かう者なしの吾々の働きによって遠き天界と地上との間隔が縮まるにつれて、その不純要素が濃縮されていきました。

そしてそれが次第に地球を濃霧のごとく包みました。圧縮されていくその成分は場所を求めて狂乱状態となって押し合うのでした。

 騒乱状態は吾々の軍勢がさらに地球圏へ接近するにつれて一段と激しくそして大きく広がり、次第に地上生活の中に混入し、ついにはエーテルの壁を突き破って激流のごとく侵入し、人間世界の組織の一部となっていきました。

 見上げれば、その長期にわたって上昇し続けていた霧状の不純要素をきれいに取り除かれた天界が、その分だけ一段と明るさを増し美しくなっているのが分かりました。

 下へ目をやればその取り除かれた不純なる霧が──いかがでしょう、この問題をまだ続ける必要がありましょうか。地上の人間でも見る目をもつ者ならば、吾々の働きかけが過去二、三世紀の間にとくに顕著になっているのを見て取ることができるでしょう。

今日もし当時の変動の中に吾々の働きを見抜けないという人がいれば、それはよほど血のめぐりの悪い人でしょう。

 実はその恐ろしい勢力が大気層──地上の科学用語を拝借します──を突き破って侵入した時、吾々もまたすぐそのあとについてなだれ込んだのでした。そして今こうして地上という最前線にいたり、ついに占領したという次第です。

 しかし、ああ、その戦いの長くかつ凄まじかったことといったらありませんでした。そうです。長く、そして凄まじく、時として恐ろしくさえありました。しかし人類の男性をよき戦友として、吾々は首尾よく勝利を得ました──女性もよき戦友であり、吾々はその気概を見て、よろこびの中にも驚嘆の念を禁じ得ませんでした。

そうでした。そうでした。地上の人類も大いに苦しい思いをされました。それだけにいっそう人類のことを愛(いとお)しく思うのです。しかし忘れないでいただきたい。

その戦いにおいて吾々が敵に深い痛手を負わせたからには、味方の方も少なからず、そして決して軽くない痛手を受けたのです。人類とともに吾々も大いなる苦しみを味わったということです。

そして人類の苦しむ姿を近くで目のあたりにするにつけ、吾々がともに苦しんだことをむしろ嬉しく思ったのです。吾々が地上の人々を助けたということが吾々のためにもなったということです。人類の窮状を見たことが吾々のために大いに役立ったのです。


──(第一次)世界大戦のことを言っておられるのですか。

 そのクライマックスとしての大戦についてです。すでに述べた通り、吾々の戦いは過去何代にもわたって続けられ、次第にその勢いを募らせておりました。そのために多くの人が尊い犠牲となり、さまざまな局面が展開しました。

今そのすべてを細かく述べれば恐らく貴殿はそんなことまで・・・・・・と意外に思われることでしょう。少しだけ挙げれば、宗教的ならびに神学的分野、芸術分野、政治的ならびに民主主義の分野、科学の分野──戦争は過去一千年の間に大変な勢いで蔓延し、ほとんど全てのエネルギーを奪い取ってしまいました。

 しかし吾々は勝利を収めました。そして今や太陽をいっぱいに受けた峰へ向けて天界の道を揃って歩んでおります。かの谷間は眼下に暗く横たわっております。

そこで吾々は杖をしっかりと手にして、顔を峰へ向けます。するとその遠い峰から微(かす)かな光が射し、それが戦争の傷跡も生々しい手足に当たると、その傷が花輪となって吾々の胸を飾り、腕輪となって手首を飾り、破れ汚れた衣服が美しい透かし細工のレースとなります。

何となれば吾々の傷は名誉の負傷であり、衣服がその武勲を物語っているからです。そして吾々の共通の偉大なるキャプテンが、その戦いの何たるかを理解し傷の何たるかもむろん理解しておられる、キリストにほかならないのです。

 では私より祝福を。今夜の私はいささかの悲しみの情も感じませんが、私にとってその戦いはまだ沈黙の記憶とはなっておりません。

私の内部には今なお天界の鬨(かちどき)の声が上がることがあり、また当時の戦いを思い出して吾々の為にしたこと、またそれ以上に、吾々が目にしたこと、そして地上の人々のために流した涙のことを思い起こすと、思わず手を握りしめることすらあるのです。

もちろん吾々とて涙を流したのです。一度ならず流しました。何度も流しました。と言うのも、吾々には陣頭に立って指揮されるキリストのお姿が鮮明に見えても、人間の粗末な視力は霧が重くかかり、たとえ見えても、ほんの薄ぼんやりとしか見えませんでした。それがかえって吾々の哀れみの情を誘ったのでした。

 しかしながら、自然にあふれ出る涙を通して、貴殿らの天晴れな戦いぶりを驚きと少なからぬ畏敬の念をもって眺めたものでした。よくぞ戦われました。

美事な戦いぶりでした。吾々は驚きのあまり立ちつくし、互いにこう言い合ったものでした──吾々と同じく地上の人たちも同じ王、同じキャプテンの兵士だったのだと。

そこですべての得心がいき、なおも涙を流しつつ喜び、それからキリストの方へ目をやりました。キリストは雄々しく指揮しておられました。そのお姿に吾々は貴殿らに代って讃仰の祈りを捧げたのでした。 
                               アーネル ±

                                            地上浄化大作戦の理由

7 人類の数をしのぐ天界の大軍  

  一九一九年三月五日 水曜日

 これまでお話したことは天界の大事業について私が知り得たかぎり、そして私自身が体験したかぎりを叙述したものです。それを大ざっぱに申し上げたまでで、細かい点は申し上げておりません。

そこで私はこれより、吾々が地上へ向かって前進しそして到着するまでの途中でこの目で見た事柄をいくつかお伝えしようと思います。が、その前に申し上げておきたいことがあります。それは──

 作戦活動としての吾々の下降は休みなく続けられ、またそれには抗し難い勢いがありました。一度も休まず、また前進への抵抗が止んだことも一度もありませんでした。

吾々霊団の団結が崩されたことも一度もありませんでした。下層界からのいかなる勢力も吾々の布陣を突破することはできませんでした。しかし個々の団員においては必ずしも確固不動とはいえませんでした。

地上の概念に従って地上の言語で表現すれば、隊員の中には救助の必要のある者も時おり出ました。救出されるとしばし本来の住処で休息すべく上層界へと運ぶか、それとも天界の自由な境涯においてもっと気楽で激しさの少ない探検に従事することになります。

 それというのも、この度の大事業は地球だけに向けられたものではなく、地上に関係したことが占める度合は全体としてはきわめて小さいものでした。

吾々が参加した作戦計画の全体ですら、物的宇宙の遠い片隅の小さな一点にすぎませんでした。大切なのは(そうした物的規模ではなく)霊的意義だったのです。

すでに申し上げたとおり地上の情勢は地球よりかなり遠く離れた界層にも影響を及ぼしておりましたが、その勢いも次第に衰えはじめており、たとえその影響を感じても、一体それは何なのか、どこから来るのか分からずに困惑する者もいたほどです。

しかし他の惑星の住民はその原因を察知し、地球を困った存在と考えておりました。たしかに彼らは地球人類より霊的には進化しています。

ですから、この度の問題をもしも吾々のようにかって地上に生活して地上の事情に通じている者が処理せずにいたら、恐らくそれらの惑星の者が手がけていたことでしょう。

霊的交信の技術を自在に使いこなすまでに進化している彼らはすでに審議会においてその問題を議題にしておりました。彼らの動機はきわめて純粋であり霊的に高度なものです。

しかし、手段は彼らが独自に考え出すものであり、それは多分、地球人類が理解できる性質のものではなかったでしょう。そのまま適用したら恐らく手荒らにすぎて、神も仏もあるものかといった観念を地球人に抱かせ、今こそ飛躍を必要とする時期に二世紀ばかり後戻りさせることになっていたでしょう。

過去二千年ばかりの間に地上人類を導き、今日なお導いている人々の苦難に心を痛められる時は、ぜひそのこともお考えになってください。

 しかし、彼らもやがて、その問題をキリストみずからが引き受けられたとの情報がもたらされました。すると即座に彼らから、及ばずながらご援助いたしましょうとの申し出がありました。

キリストはそれを受け入れられ、言うなれば予備軍として使用することになりました。彼ら固有のエネルギーが霊力の流れにのって送られてきて吾々のエネルギーが補強されました。それで吾々は大いに威力を増し、その分だけ戦いが短くて済んだのでした。

 これより細かいお話をしていく上においては、ぜひそうした事情を念頭においてください。これからの話は、過去の出来ごとの原因の観点から歴史を理解する上で参考になることでしょう。

将来人間はもっと裏側から歴史を研究するようになり、地上の進歩の途上におけるさまざまな表面上の出来ごとを、これまでとはもっと分かり易い形でつなぎ合わせることができるようになるでしょう。

 人間が吾々霊的存在とその働きかけを軽く見くびっているのが不思議でなりません。と言うのは、人類は地球上に広く分布して生活しており、その大半はまだ無人のままです。全体からいうとまだまだきわめて少数です。それに引きかえ吾々は地球の全域を取り囲み、さらに吾々の背後には天界の上層界にまで幾重にも大軍が控えております。

それは大変な数であり、またその一人ひとりが地上のいかなる威力の持ち主よりも強烈な威力を秘めているのです。

 ああ、いずれ黎明の光が訪れれば人類も吾々の存在に気づき、天界の光明と光輝を見出すことでしょう。そうなれば地球も虚空という名の草原をひとり運行(たび)する佗しさを味わわなくてすむでしょう。

あたりを見渡せば妖精が楽しげに戯れていることを知り、もはや孤独なる存在ではなく、甦れる無数の他界者と一体であり、彼らは遥か彼方の天体上──夜空に見えるものもあれば地上からは見えないものもありますが──の生活者と結びつけてくれていることを知るでしょう。

しかしそれは低き岸辺の船を外洋へと押し出し、天界へ向けて大いなる飛躍をするまでは望めないことでしょう。

Thursday, June 27, 2024

シアトルの夏 地球進化の未来

The future of Earth's evolution


一九一九年四月一日  火曜日


 やがて吾々が取り囲む虚空全体にふたたび静寂が行きわたりました。見るとお二人は揃って玉座の中に坐しておられます。女性の方から招き入れたのです。

 すると第十界まで軍団を率いてこられた方で吾々の地球への旅の身支度を指導してくださった大天使のお一人の声が聞こえてきました。玉座より高く、その後方に位置しておられました。こうお述べになりました。

 「余の軍団の者、ならびに、この度の地球への降下に参加を命じられた者に告ぐ。ただ今の顕現はこれよりのちの仕事に理解をもって取り組んでもらうために催されたものである。

その主旨については、指揮を与える余らもあらかじめ知らされてはいたが、今あらためて諸君にお知らせした次第である。よく銘記せられ、前途に横たわる道をたじろぐことなく前進されたい。

父なる神は吾らの最高指揮官たるキリストに託された仕事のための力をお授けくださる。

キリストを通じてその霊力の流れがふんだんに注がれ、使命の達成を可能にしてくださるであろう。吾らが創造主への崇敬の念を片時も忘れまいぞ」

 言い終るのと時を同じくして燦然と輝く霧が玉座に漂い、やがて地球全体をおおいはじめ、もはや吾々の目に地球の姿は見えなくなりました。おおい尽くすと全体がゆっくりと膨張をはじめ、虚空の四分の一ほどにもなったところで膨張を止めました。

すると今度はそれが回転しはじめ、次第に固体性を帯びていくように見えてきました。固いといっても物質が固いというのとは異なります。物的地球が半透明になるまで精妙(エーテル)化した状態を想像されれば、大体のイメージはつかめるでしょう。

 地軸を中心にして回転していくうちに、こんどはその表面に陸と海の形が現れました。今日の地形とは異なります。吾々はいま未来の仕事の場を見せられているのです。現在の地形が変化しているごとく、それも次第に変化していたのですが、変化のスピードは速められていました。

つまり来るべき時代が短縮されて眼前に展開し、吾々はそれを動くモデルとして読み取っていたわけです。

 さらにその上に都市、民族、動物、それにさまざまな用途の機械類が出現しました。かくして全表面を吾々の方角へ向けながら回転し続けているのを見ていると、その進化の様子が手にとるように分かりました。

 たとえば貴殿の国を見てみましょう。最初は二、三年後の姿が目に入りました。やがてそれが視界から消え、そして次に見えた時は沿岸の形状や都市と住民の様子が少し変化しておりました。


こうして地球が回転するごとに陸地をはじめとして人類全体、建築物、交通機関、そのほか何万年、何十万年もの先までの人工の発達の様子が千年を数時間の単位に短縮されて出現しました。私の説明はこうして用語を貴殿の感覚に置きかえなくてはなりません。


吾々にとって年数というのは、地上の人間とは感覚的に同じものではありません。

 もっとも、こうした形で私が人類に代わって遠い未来という深海で漁をしてあげるのは許されないことでしょう。人類は自分の夕食の魚は自分の網で取らなくてはいけません。

それが筋というものです。もっとも、よい漁場を教えてあげることくらいのことは私にも許されています。この私を信頼のおける漁船団長と思ってくださる方は、どうぞ私の海図にしたがって探求の旅へ船出してください。

 さて地球は永い永い年月にわたる航海を続けるうちに、ますます美しさを増してきました。表面の光が増し、大地そのものも内部からの輝きを増しておりました。

また人間は地球上でさほどせわしく東奔西走している様子は見えません。それというのも大自然の摂理との調和が一段と進み、その恩寵にますます敬服し、激情に振り回されることも少なくなり、内省的生活の占める割合が増えているからです。

かくして地球のすべての民族が協調性を増し、同時に霊力と安らかさとを送りやすくなった吾々との一体性も増しております。

 吾々はその一体性が進むのを見ていて、吾々がかつて数々の戦乱の末に獲得した豊かな幸福をこの人類の若き同胞たちが享受してくれていることを知り、興奮さえ覚えるのでした。
 やがて地球そのものも変化しておりました。それを述べてみましょう。

 貴殿をはじめ、最近の人間の精神の中に新しい用語が見られます。サイコメトリという言葉です。これは物体に刻み込まれた歴史を読み取る能力と私は理解しております。

実はそれには人間がエーテルと呼んでいる成分の本性と、その原子に内在するエネルギーを知り尽くすまでは十分に理解できない真相が隠されております。

いずれ人間がこのエーテルという宇宙的安定基剤(コズミックバラスト)を分析的かつ統合的に扱うことができる時代が来ます──地球が回転するのを見ていてそれを明瞭に観察したのです。

その時になれば今人間が液体やガス体を扱うようにエーテル成分を扱うようになるでしょう。しかしそれはまだまだ先の話です。現段階の人間の身体はまだまだ洗練が十分でなく、この強力なエネルギーを秘めた成分を扱うには余ほどの用心がいります。

当分は科学者もそこに至るまでの下準備を続けることになるでしょう。
アーネル ± 

Tuesday, June 25, 2024

シアトルの夏 永続性があるのは、唯一、“愛の絆”だけです

Only the bond of love is permanent.


数十年にわたる交霊会でシルバーバーチに出された質問は、ありとあらゆる分野にわたっていて、文字どおり数え切れないほどであるが、本章が証明するように、シルバーバーチはそれらに対して実に当意即妙に応答している。念のために付け加えておくが、霊媒のバーバネルはその質問について前もって知らされたことは一度もない。

さて、シルバーバーチの霊言はすでに何冊か読んでいるというその日のゲストが、睡眠中にどんなことが起きているのかを尋ねた。するとシルバーバーチが間髪を入れずこう答えた。


「睡眠中の皆さんは、ただの生理的反応から霊的な活動にいたるまで、さまざまな体験をしておられます。あまりにも多種多様であるために、その中から特定して、これは生理的なもの、これは霊的なもの、といったはっきりした判断ができないだけのことです。

睡眠の目的そのものは単純です。身体は一種の機械です。実にすばらしい機械で、地上のいかなる技術者にもこれほど見事な機械はつくれませんが、機械である以上は休ませることが必要です。そうしないと機能を維持することができません。

大切なのはその身体の休息中に、霊がその身体から脱け出て活動しているということです。まさに、人間は毎晩死んでいるといってもいいのです。わずかに銀色の紐(シルバーコード)(魂の緒)によってつながってはいても、霊は完全に身体から脱け出ています。そのコードは実に柔軟な性質をしていて、霊はその束縛なしに完全に肉体から解放されています(※)。

その間におもむく先は、それぞれの霊的成長と進化の程度に似合った環境です。が、それがどこであれ、そこでの体験は地上世界の時間と五感の範囲からはみ出たものばかりですから、脳という物的器官では認識できないのです。

シルバーコードが完全に切れて霊界の住民になってしまえば、そうした睡眠中の体験のすべてを思い出すことができるようになりますが、今は断片的にしか思い出せません。霊界ではそれが通常となるわけです」


※――ここで言っているのは心身ともに健全な状態での話であって、病気だったり心配事が根強いと魂の緒が硬直して伸びきらないために、霊体が脱け切れずにウトウトとした状態が続いたり、完全な不眠症になったりする。

「霊界ではお互いをどう呼びかけ合うのでしょうか」


「こちらへ来て、完全に地上圏から脱すると、それまでの霊的成熟度に似合った名称が与えられます(※)。したがって、その名称で霊的成長と進化の程度が知れるわけです。が、名前そのものにこだわることはありません。お互いに有るがままに認識し合っています」


※――シルバーバーチがこんなことを言うのは初めてであるが、名前といっても音声と文字で表現されている地上の姓名とは本質的に異なる。それと同じ意味でのことばも、実は、ある。シルバーバーチが霊界ではことばはいりませんと言っているのは、誤解を避けるためである。『ベールの彼方の生活』の中で通信霊が霊界での名前が地上のことば(この場合は英語のアルファベット)でうまく表現できなくて困る場合がよくあり、各界層に特有のことば、つまり観念や意志の伝達手段があることを明確に述べている。

「人間は現在の人種と異なる人種に生まれ変わることがあるというのは本当でしょうか。もしも本当だとすると、愛する者とも別れ別れになることになり、大変な悲劇に思えるのですが……」


「そういう考え方は、再生というものの真相を正しく理解していないところから生じるのです。決して悲劇的なことは生じません。そもそも地上的な姻戚関係というのは、必ずしも死後にも続くとはかぎらないのです。イエスが地上にいた時、まわりの者が「お母さんがお見えになってますよ」と言ったのに対して、「いったい本当の母とは誰なのでしょう? 本当の父とは誰なのでしょう?」と問うたのをご存知でしょう。

自我のすべてが一度に物質界へ生まれ出てくることは絶対にありません。地上で“自分”として意識しているのは、本来の自我のほんの一かけらにすぎません。全部ではないのです。その小さなかけらの幾つかが別々の時代に別々の民族に生まれ出るということは有り得ることです。すると、それぞれに地上的血縁関係をこしらえることになり、中には幽体の次元での縁戚すらできることもありますが、それでも、霊的な親和関係は必ずしも存在しないことがあるのです。

永続性があるのは、唯一“愛の絆”だけです。血のつながりではありません。愛があり、血のつながりもある場合は、そこには魂が求め合う絆がありますので、両者の関係は死後も続きます。が、血のつながりはあっても愛の絆がない場合は、すでに地上にある時から霊的には断絶しており、こちらへ来ても断絶のままとなります」

「支配霊や指導霊は生涯を通して同じなのでしょうか、それとも霊的成長にともなって入れ替わるのでしょうか」


「それは仕事の内容によって異なります。たとえば支配霊――わたしたちはグループないしは霊団を組織していますから、その中心になる支配霊がいます――は言わば代弁者(スポークスマン)として選ばれた霊で、ある特定の霊媒現象を担当して、当人の寿命のあるかぎりその任に当たります(※)。成長過程の一時期だけを指導する霊は、その段階が終わって次の段階に入ると、入れ替わって別の指導霊が担当します」


※――ここは自分のケースを念頭において述べている。シルバーバーチはバーバネルの守護霊ではない。このあとの守護霊に関する注釈を参照。

「あなたは大霊は“摂理”であるとおっしゃりながら、祈りの中では“あなた”と呼びかけておられます。これは人間的存在を意味する用語ですから“矛盾”と受け取る人も多いのではないでしょうか」


「その辺がことばの難しさです。無限で、言語を超越しているものを、限りある言語で表現しようとするのですから……。そもそも霊とは物質を超越したものですから、物質界の言語では表現できないのです。小は大を兼ねることができません。

わたしたちにとって大霊とは、この全大宇宙とそこに存在するもの全てに責任を担う摂理であり、知性であり、力です。男性でも女性でもありません。皆さんが想像するような人格性はありませんが、かといって人間と無縁の存在という意味での非人格的存在でもありません。

あなた方もお一人お一人が大霊の不可欠の要素であり、大霊もあなた方の不可欠の要素なのです。その辺を理解していただこうとすれば、どうしても地上的な表現を用いざるを得ないわけですが、用いているわたしの方では、ことばを超えたものを表現することの限界を、いつも痛感させられております」

「創造主である大霊は、自分が創造したものの総計よりも大きいのでしょうか」


「そうです。ただし、創造は今なお続いており、これからも限りなく続きます。完結したものではありません。これからも永遠に続く営みです」

「ということは、大霊も完成へ向けて進化しているということでしょうか」


「進化という過程で顕現している部分はその過程を経なくてはなりません。なぜなら、宇宙は無限性を秘めているからです。その宇宙のいかなる部分も大霊と離れては存在できません。それも大霊の不可欠の要素だからです。とてもややこしいのです」

「死んで霊界入りする日(寿命)は何によって決まるのでしょうか。定められた日よりも長生きできないとしたら、心霊治療でも治らないことがあるのも、その辺に理由があるのでしょうか」


「おっしゃる通り、それも理由の一つです。霊がいつ物質に宿り、いつ物質から離れるかは、自然の摂理によって決まることです。とくに死期は故意に早めることが可能ですが、それは自然の摂理に反します。

人間は、脳の意識ではわからなくても、いつ生まれいつ死ぬかは、霊の意識ではわかっております。肉体から離れるべき時――これは生命の法則の一環として避けることはできません――が訪れたら、いかなる治療も効果はありません。一般論としての話ですが。

忘れないでいただきたいのは、心霊治療というのはきわめて複雑な問題でして、根本的には身体の病気を癒やすのが目的ではなく、魂の成長を促すためのものだということです。魂の体験としては病気も健康も必要です。物議をかもしかねない問題ですね、これは」

「病気も必要というところが引っ掛かります。病気を知らない生活が送れるほど完成された時代も到来すると私は信じます。あなたのおっしゃる病気とは、摂理を犯すこと、と受け止めてよろしいでしょうか」


「人間はいつになっても摂理に違反した行為をいたします。もしも完全に摂理と調和した地上生活を送ることができれば、それは地上で完全性を成就したことになりましょうが、完全性の成就は地上では有り得ないのです。なぜなら地球そのものが不完全だからです。

地球は学習のために通う“学校”です。その学習は、比較対象の体験による以外には有り得ません。日向(ひなた)と陰、嵐と凪(なぎ)、愛と憎しみ、善と悪、健康と病気、楽しみと苦しみといった相反する体験を通して学習していくのです。相対的体験と、その中での試行錯誤の努力を通して、魂が磨かれていくのです」

「そちらから人間をご覧になると、われわれが肉眼で見ているのと同じように見えるのでしょうか、それとも、肉体は見えずに霊体だけが見えるのでしょうか」


「有り難いことに、肉眼で見るようには見えません。わたしたちの目には皆さんは霊的存在として映じております。肉体は薄ぼんやりとしています。こうして霊媒の身体に宿って、その肉眼を通して見る場合は別です。その間は物質の次元にいるわけですから」

「ある人は霊界には無数の“界層”があると言い、ある人は七つしかないと言うのですが、どちらが本当でしょうか」


「霊的なものを物的な用語で定義することはもともと不可能なのですが、この“界層”という用語も誤解を招きます。霊界には地理的な仕切りはありません。“意識の状態”があって、魂が進化するにつれて意識が高まる、ないしは深まっていくことの連続です。一つの意識状態と次の意識状態とは自然に融合しております。そこに仕切り線のようなものはありません。進歩とか開発とか進化というのは、一足跳びにではなく、粗野な面が少しずつ取り除かれて、霊的な側面が表に出てくるということの連続なのです。

むろん未開な時代には、死後の世界は地上と同じように平面的な場所で、地上より高い界層と低い界層があるといった説き方をしたのはやむを得なかったことです。が、死後の世界は宇宙空間のどこかの一定の場所に存在するのではありません」

「病苦がカルマのせいだとすると、それが心霊治療によって治った場合、そのカルマはどうなるのでしょうか」


「そのご質問は論点がズレております。病苦がカルマのせいであれば、そのカルマが消滅するまでは病苦は除かれません。それ以外には考えようがありません」

「ある敬虔(けいけん)なクリスチャンで、とても立派だった女性が、死後、ある霊媒のところへ戻ってきて、ずっと薄闇の中にいて堪(たま)らないと、救いを求めておりました。あれほどの立派な方がなぜ薄闇の中にいるのか不思議でならないのですが、死後の存続の事実を知るチャンスがなかったからなのでしょうか」


「もしもその霊の出現が本もので、ほんとに暗闇ないしは薄闇の中に閉じ込められているとしたら、それは自分の魂の進化の程度の反映です。摂理はごまかせません。そして、“永遠不変の善”の規準は必ずしも“地上の善”とは一致しません。地上には、人間が“悪”だと決めつけているものでも、霊的観点からすれば“善”に思えるものが沢山ありますし、逆に、人間は“善”だと思っているものでも、わたしたちから見れば“悪”だと言いたいものが沢山あります。

たとえばキリスト教では、自分たちで勝手にこしらえた教義を盲目的に受け入れた人のことを善人のような言い方をします。が、実は、それは人間の宗教性の本質を窒息死させる行為にも等しいものです。なぜかと言えば、それではその後の人生は何をやっても“善人”であることを保障することになるからです。自分では正しいと信じていても間違っております。

そういう人工的な規準とはまったく関係のない“基本的善性”というものが存在します。あとに残るのはその基本的善性の方です。倫理・道徳には二種類あります。政治的道徳、経済的道徳、伝統的道徳といった類が一つ。もう一つは霊的要素によって決まる道徳です。あとに残るのは霊的要素のみです」

「“聖痕(スティグマ)”などの現象をスピリチュアリズム的にどう解釈したらよいのでしょうか」


「これは、大体においてその人のサイキ(※)の領域に属する現象です。熱烈な信仰心が精神に宿る心霊的要素を動かして、キリストのはりつけの時の傷跡などが斑点となって、その人の肉体に現れることがあります。物質的なものでないという意味では超常現象といえますが、霊の世界とは何の関係もありません」


※――Psyche元来は精神ないしは心の意味であるが、精神のもつ不思議な力をさすことが多い。これからサイキック(心霊的)という用語ができたのであるが、シルバーバーチはそれをスピリチュアル(霊的)と区別し、どちらかというとサイキックなものへの過度の関心を戒めている。スプーン曲げとか硬貨の溶解現象といった、最近、日本ではやっている超能力現象は純然たるサイキの領域に属するもので、未開人によるまじないや雨乞いに作用するエネルギーと同次元のものである。スピリチュアルなものと違って霊格や人格とは何の関係もなく起きるものであるから、そういう能力をもつ人を尊敬したり、自分にそういう能力があることを知って偉くなったような気持ちになるのは危険である。

「霊界通信には、内容的に正反対のことを言っているのがありますが、なぜそうなるのでしょうか」


「霊とはいえ人間的存在です。叡智の頂上をきわめた大天使と交信しているのではないことを知ってください。霊界にはさまざまな発達段階の存在がいて、それぞれに体験が異なりますから、当然、伝える情報も異なってきます。同一の霊からの通信でも、その後の体験によって違ったことを言うことも有り得ます。

他界する際に霊界についてある種の固定概念をもってくる人がいます。そういう人は、その固定観念を抱いているかぎり、そういう環境の中にいますから、交霊会などで意見を述べる機会があれば、その段階での見解を述べることになります。しかし、基本的なことに関するかぎり、矛盾はないはずです」

「スピリチュアリストの中にも相変わらずイエスは神の代理人で救世主であると信じている人がいます。これはスピリチュアリズムの七大綱領(※)と矛盾しませんか」


※――英国の女性霊媒エマ・ハーディング・ブリテンの霊言で述べられたもので、(一)神は全人類の父である。(二)人類はみな同胞である。(三)霊界と地上との間に霊交がある。(四)人間の霊は死後も存続する。(五)人間は自分の行為に自分が責任を取らねばならない。(六)地上での行為には、死後、善悪それぞれに報賞と罰が与えられる。(七)いかなる霊も永遠に進化する。以上の七つのうちの(二)と(五)に矛盾すると言っているのであろう。


「わたしは、何事にも寛容的で自主性を重んじるべきであるとの考えから、いかなる信条であれ、そう信じるのだという人にはその道を歩ませ、そうでないという人には、その人の信じる道へ行かせてあげればよいと考えています。信条はどうでもいいのです。教義は大切なものではありません。大切なのは“真実”です。が、地上であれ、霊界であれ、無限の真理のすべてを知り尽すことはできません。ほんの一部しか見えないのです。そして、知れば知るほど、まだまだ知らねばならないことが沢山あることを自覚します。そこで、ますます寛容的になっていくのです」

「バイブルには“神を恐れよ”とありますが、なぜ恐れねばならないのでしょうか」


「“おそれる”という用語の解釈の問題でしょう。神を怖がりなさいという意味ではないと思います。“畏(おそ)れ敬(うやま)う”という意味もあります」

「同じくバイブルの〈主の祈り〉に“悪魔の誘惑に負けませんように”とありますが、これをどう思われますか」


「これは間違いです。悪魔が誘惑するのではありません。自分にそういう要素があるから悪の道にはまるのです。

ここで一言、わたしが感じていることを述べさせていただきますが、こうした質問をお聞きしていると、まだまだ霊的真理がわかっていらっしゃらないようです。いまだに用語や書物や教会に縛られています。わたしたちはそういうものには一切こだわりません。本来が霊的存在である皆さんは、大霊と同じく無限の存在であり、そういう子供っぽい概念から早く脱け出ないといけないと申し上げているのです。

永遠に変わることのない真理を理解しないといけません。それは、古い言い伝えにこだわり、教義や用語や書物を手放すのを恐れているかぎり、できません。そこで、オモチャは幼児の段階では役に立っても、大人になったら、いち早く片付けないといけません」

「霊能開発の修行中の者が霊の救済活動に手をかけることについてはいかがでしょうか」


「未熟な霊媒がそういう重大な仕事に手をつけるのは実に危険で、感心できません。暗闇の中で迷っている霊を救うには、高度な霊能を身につけた霊媒を必要とします。未熟な霊媒だと、その霊媒自身が憑依されて、いろいろと厄介なことになりかねません」

「守護霊についてお話し願えませんか」


「霊が地上へ誕生してくるに際しては、一人の守護天使(※)がつけられます。それは地上でいう“家系”を同じくする者である場合もあれば、“霊的親和性”(霊系)によって選ばれる場合もあります。いずれにしても、両者を結びつける何らかの共通の利益というものに基づいております。

しかし、両者の関係がどこまで親密となるかは、地上の人間の霊的成長しだいで決まることです。守護霊の働きかけをまったく感受できない場合は、霊力を使用して外部環境から操作せざるを得ません。意識的協力が不可能な場合は、無意識のうちにでも協力関係をもたねばなりません。霊界からの働きかけは霊的にしかできませんから、いつどこであろうと、条件が揃った時にその影響力が届けられるように配慮するわけです」


※――Guardian Angel 日本では守護霊と呼び、その守護霊の守護霊、そのまた守護霊とたどっていくと、そうした“類魂”の大もとに行き着く。これを守護神と呼ぶことがある。

いずれにせよ、英語でも日本語でも“守護”という用語が使われているために、何でもかでも“守ってくれる”と誤解されがちであるが、地上にいる当人の成長と進化が絶対的な目標であるから、そのために最も効果的な手段を取ろうとする。それが当人にとっては辛く苦しい体験に思えることもある。

もう一つの誤解は、じっと付き添って見つめてくれているかに想像することである。実際は高級霊ほど仕事が多くて一刻の休みもなく活動している。その中で守護霊としての仕事を引き受けるのであるから、それは兼務の形になり、直接的な仕事は指導霊にまかせることが多い。それでいて当人の心の動きの一つ一つに通じている。

シルバーバーチは霊言現象のための指導霊であり支配霊であって、バーバネルの守護霊ではない。守護霊は別にいたはずで、“わたしよりはるかに霊格の高い方たちの指示により……”といったセリフが見えるので、たぶんその中の一人であろうと私は見ているが、六十年間、一度も表に出なかった。ここにも、シルバーバーチ霊団の次元の高さがうかがえる。

「霊界でも子供の出産があるのでしょうか」


「わたしは一度も見たことがありません。誕生といえるものならあります。しかし、それは霊的復活のことです。出産は地上だけの出来事です。地上は学校だからです」

「ホメオパシー(※)の謎について教えてくださいませんか」


※――Homeopathy 同種療法・同毒療法と訳されている医学用語で、病気の原因物質と同じものを少量だけ使う治療法。


「“謎”というべきものではありません。よくわからないだけのことです。生命の営みについて、われわれもあまり多くを知りません。造化の秘密もまだわかっておりません。何事も、究極のところまでくると“なぜか”はわからないのです。

ホメオパシーも究極的には一種の霊的エネルギーに基づいております。すべてがそうだとは言い切れませんが、突きつめていくと、無限小の世界へ入って行きます。そして、行きつくところまで行きつくと、やはり全生命の根源にたどりつきます。結局それが根源です。

別の側面からみると、この問題も、作用と反作用とは同じであると同時に正反対である、という科学的原則に基づいております。同種と異種とは作用と反作用であり、同じであると同時に正反対、つまり同じ棒(ポール)の両端ということです。“ゲッセマネの園”(※1)は同じポールの一方の端であり、もう一方の端が“変容の丘”(※2)というわけです。両者とも同じ一本のポールなのです」


※1――イエスが苦悩と裏切りにあったオリーブ山のふもとの丘で、人生における最大の苦難の象徴。


※2――イエスがモーセとエリヤの霊と交霊した丘のことで、その時イエスはこの世の人間とも思えない神々しい姿になったという。物的なもの、世俗的なものを克服した霊的勝利の象徴。

「人を殺(あや)めた人が、その後バチが当って殺されたとします。この場合、その人は死んでから改めて殺人行為の償いをさせられるのでしょうか」


「残念ながらご質問者は、霊的生命についてよくご存知ないようです。宇宙は、変えようにも変えられない絶対的な自然法則によって支配されております。その中でも原因と結果の法則(因果律)が基本となっております。つまり結果にはそれ相当の原因があり、原因のない結果というものは有り得ない――言いかえれば、原因はそれに先立つ原因の結果であり、その結果が原因となって新たな結果を生んでいくということです。

このように、各自の運命は自然法則によって決められていくのです。その法則の働きは当人の魂に刻み込まれた霊的成長度に反応します。あなたは今あるがままのあなたです。こうありたいと装ってみてもダメです。地上生活中に行ったことが、すべて、真の自我に刻み込まれています。その行為の価値が魂を豊かにもし、貧しくもします。あなたみずから行ったことが、そういう結果を生んでいくのです。

死によって物的身体から離れると、魂はそれまでに到達した進化の程度をスタートラインとして、新しい生活に入ります。それより高くもなっていませんし、それより低くもなっていません。自然の摂理があらゆる要素を認知しているからです。公正が行きわたるように摂理が自動的に働くのです。

罰せられるのも報われるのも、すべてあなたの行為一つ一つが生み出す結果の表れです。自分の行為によって成長する場合と、成長を阻害される場合とがあるということです。以上がわたしたちの説く教えの核心です」

「天体が人間の宿命や日常生活に影響を及ぼすという占星術の考えを肯定なさいますか、否定なさいますか。もともと占星術は運命判断を目的としたものではないという認識の上での話ですが……」


「わたしは、地球上の天体も、地球上の人間の生命に影響を及ぼしている事実は認めますが、それは、あくまでも物的影響力をもつ放射物に限られています。

その放射物が何であれ、それが霊力をしのぐほど強烈であったり強大であったりすることは有り得ないと信じます。あくまでも霊は物質より上である――霊が王様で物質は従僕である、というのがわたしの考えです。

宿命とおっしゃいましたが、何もかもあらかじめ定められているという意味での宿命はないと考えています。これも用語の問題――宿命という用語をどう定義するかの問題です。宇宙はあくまでも秩序によって支配されていて、人間生活の重大な出来事もその計画の一部であるという意味では、あらかじめ定められていると言えると思います。

そうした宿命的な出来事を生み出す波動や放射物、そしてそれらが人間各自に及ぼす影響を正確に計算しようと思えばできないことはないはずですが、最終的にはやはり霊が絶対優位にあり、物的なものは霊的なものに従属したものであると主張いたします」

「よく問題となる霊と物質との結合の時期を一応受胎の瞬間であるとした場合、その受胎までは霊ないし意識体はどこで何をしていたのでしょうか。そもそも意識体というのは何なのでしょうか」


「生まれ変わり(再生)のケースは別として、霊は、物質と結合する以前から存在していても、その時はまだ個体性はそなえていないということです。物質と結合してはじめて人間的個性(パーソナリティティー)が発生するのです。そして、そのパーソナリティーの発達とともに内部の個的大我(インディビジュアリティー)が顕現されてまいります。

したがって、ご質問に対する答えは、霊は無始無終に存在していますが、物的身体と結合してはじめて個別性というものを持つことになるということです。ただし、最初に断りましたように、例外として、物的身体との結合が初めてでないケースがあります」

「もしそれが事実で、物質の結合以前には個性がないとなると、霊としてのそうした新しい現象をどうやって意識できるのでしょうか」


「パーソナリティーとインディビジュアリティーとを区別して理解しないといけません。パーソナリティーというのは、永遠の実在であるインディビジュアリティーが地上生活中に見せる特殊な側面にすぎません。インディビジュアリティーとしては霊的意識体は無始無終に存在しております。が、それが地上に顕現するためにはパーソナリティーという地上的形態を持たねばなりません。つまりパーソナリティーというのはインディビジュアリティーが物的身体を通して顕現している部分で、いわばマスクであって、本当の顔ではありません。あくまでも地上だけの人物像であり、内的実在の物的表現にすぎません」

「となると、再生する目的は、そのパーソナリティーを大きくするためでしょうか、インディビジュアリティーの方ではなくて……」


「必ずしもそうとは言えません。再生するのはインディビジュアリティーの別の部分であることがあるからです。その新しい部分による地上体験によって、全体のインディビジュアリティーの開発が促進されるわけです。インディビジュアリティーはパーソナリティーよりはるかに大きいのですが、この“大きい”というのは霊的な意味でのことでして、その意味はどう説明したところで、地上の人間には理解していただけません」

「では、あなたの知っている方で、この地上へ再生して行った人がいますか」


「います、沢山います。ですが、(上の説明でもわかる通り)それを証明してあげるわけにはいきません。わたしの言葉を信じていただくほかはありません。もちろん、否定なさってもかまいません。真理は、否定されたからといって、いささかも影響はうけません」

「キリスト教的伝統の中で生まれ育ちながら、なお真実を求めている人は、キリストをどう理解したらよいのでしょうか」


「ここでもまた用語が問題となります。どの宗教にせよ、一つの宗教的伝統の中で生まれ育った人は、すでに無意識のうちに偏見というものを持ち合わせていますから、そうした問題を不偏不党の立場で論じるのは至難のことです。

“キリスト”という用語はもともとは“油を注がれた人”という意味であって、これまでに油を注がれた人を数え上げれば大変な数にのぼります。が、ご質問者が“ナザレのイエス”のことをおっしゃっているのであれば、あの二千年前の時代と地域環境の中で、人間としての正しい生き方を霊的に、心霊的に、そして物質的に範(はん)を垂(た)れた、すぐれた人物として敬意を表すべきです。

しかし、イエスなる人物は大霊だったわけではありません。大霊がイエスとなって出て来たのではありません。もしも神学で説かれているように、イエスは大霊が物的身体をまとって出現したのだと信じたら、せっかくのイエスの存在価値はなくなり、無意味となります。

かりに完全無欠の大霊がそっくり人間の形態をとって出現したとすれば、その人物が完全無欠の人生を送ったとしても当たり前の話であって、尊敬には値しません。が、皆さんと同じ一個の人物が皆さんと同じように自然の摂理にしたがって生まれ、しかも人間として最高の人生を送ったとなれば、それは人間の模範として、すべての人間の敬意を表するに値する人物であることになります。

啓示というものは、一つの時代、一つの言語に限られたものではありません。あらゆる啓示の始源は一つあるだけです。無限の叡智の宝庫があるのです。太古から現代に至るまでのあらゆる時代に、その国、その民族の条件に合わせて、必要なだけの叡智と知識を啓示する努力が、絶えずなされてきております。その意味でも、過去の啓示にばかり目を向けるのは間違っていることになります。

今この時点で、今いるその場で、永遠の泉からの啓示に浴することができるという事実をよく理解しないといけません」

「今あなたは、大霊だったら完全無欠の人生を送るのは簡単であるとおっしゃいましたが、その言い分だと、神も一個の人間的存在であるという理屈になりませんか」


「ご質問の意味が、神ご自身が人間的形体をまとって出現した――それが、第一だか第二だか第三だか知りませんが、とにかく“三位一体”のいずれかの“位(くらい)”を占めているという神学上の説のことをおっしゃっているのであれば、それは完全無欠の神の化身なのでしょうから、完全無欠の人生を送るのは容易かも知れないが、そんな人生には価値はないと申し上げているのです。ナザレ人イエスの使命の肝心なものが消滅してしまいます。

大霊は人間的な姿格好をしているのではありません。大霊はあらゆる人間的人物像を超越した存在です。ですが、それを人間に説明するためには、わたしは、限りある人間に理解していただける範囲でのことばを使用する以外に方法がないのです」

「“ナザレ人イエス”というのは、結局、何だったのでしょうか。並はずれた霊的才能を持ち、言うこと為すことすべてが背後霊に導かれていた、一個の人間だったのでしょうか。それとも、きわめて霊格の高い高級霊が降臨したのでしょうか」


「どちらも真実です。問題は、イエスの生涯に関する記録はきわめて乏しく、断片的で、その上ずいぶん書き換えられているということです。

イエスの生涯の最大の価値は、心霊的能力と霊的能力(P29参照)を見事に使いこなしてみせたことにあります。心霊的法則と霊的法則を私利私欲や邪(よこしま)なことに使用したことは一度もありませんでした。時には人間性をむき出しにしたこともありましたが(※)、霊的摂理というものを完全に理解しておりました。

歴史的に見れば、彼のような生身の人物による啓示を必要とする時代だったから出現した、と理解すべきです。が、彼がその啓蒙のために使用した霊力は、今あなた方の時代に顕現している霊力とまったく同じものだったのです」


※――不正や邪悪なものを前にした時に見せた激しい怒りのことを言っている。いわゆる義憤であるが、シルバーバーチに言わせれば、動機が何であれ、憤(いきどお)るということは人間的感情であって、その意味でイエスは完全無欠の人生を送ったとは言えないと、別のところで述べている。常識的に考えれば当たり前のことであるが、キリスト教ではイエスを無理やり完全無欠な人物にしようとするからそういう言い方をすることにもなったわけである。

「霊能開発に際して、真面目な霊を引き寄せ、邪霊を追い払うにはどうしたらよいでしょうか」


「類は類を呼ぶといいます。あなたの動機が真面目なものであれば、つまり常に最高のものを求め、邪心をもたず、利己的な下心がなければ、親和力の作用そのものが同じような霊を引き寄せます。また、そこには危険性もないことになります。

要するにあなたから出ている雰囲気が、異質なものを近づけなくするわけです。もしも聖人君子に愚かしい霊がつくとしたら、宇宙には摂理がないことになります」

「あなたは、愛する者がいつも私たちといっしょにいてくれているとおっしゃいましたが、その時、彼らは本来の自我の一部ではないかと思いますが……」


「そうです。愛する霊は地上の者を見守りつつ、同時に霊界での生活を営むことができるのです。皆さんのように一個の身体に縛られていないからです。こちらの世界では、意識というものに地上のような制約がありません。皆さんは英国と南アフリカに同時にいることはできませんが、わたしたちにはそれが可能なのです。距離とか行程とかの問題がないからです。

愛する者にとっては、皆さんのもとに来るのは決して辛いことではありません。愛がなければいっしょにいる気にはなれません。愛があればこそ、歩調を合わせて見守る気にもなるわけです」

「霊的な援助は必ず背後霊を通して届けられるのでしょうか――大霊が直接関与するのではなくて」


「大霊による直接の関与などというものは絶対にありません。あなた方が想像なさるような意味での人間的存在ではないのです。

そうではなくて“ヤコブのはしご”(旧約聖書)の話に象徴されているように、最低のものから最高のものへと至る霊的階梯があって、そこに無数の中間的存在がいるのです。上へあがるほど、より神性を帯びた意志と叡智を表現しております。

ですから、人間が心を開き、霊性を開発し、向上するにつれて、より大きな霊力、より大きな知識、より大きな理解力をそなえた高級な存在と連絡が取れるようになるわけです。みな大霊の僕(しもべ)として、この全大宇宙の人間的存在の向上を援助する仕事に、自発的にたずさわっているのです。こちらの世界では、進化向上が進むほど、自分が得たものを他に施すべきであるとの自覚が強くなるのです。

以上がご質問に対するわたしの答えです」

「霊界にも学問のための建造物があるのでしょうか」


「もちろん、ありますとも。こちらの教育システムはいたって単純です。ありとあらゆる分野の知識が得られるように、各種のホール、専門学校、総合大学等が用意されています。そこで教える資格をもつ者は、教育者としての才覚をそなえた人にきまっています。

この無限の宇宙の中のありとあらゆるテーマについての知識が得られるようになっていて、教師も、それぞれの分野にふさわしい資格をもっている者が揃っており、受け入れる用意のある人に分け隔てなく与えられます。どの分野だけ、といった制約はありません。受け入れる用意のある人には何でも与えられます。つまり、唯一の条件は魂の受け入れ態勢です。

地上の皆さんでもその知識に与(あずか)ることができます。皆さんにとって興味のあること、成長と開発と進歩にとって必要な情報と知識を得るのは至って簡単なのです」

「“愛”に発した貢献(サービス)と“責務への忠誠心”に発した貢献とでは、どちらが上でしょうか」


「それは、その“貢献”がどういう性質のものであるかによって違ってきます。その動機を探らなくてはなりませんし、それに、あなたのおっしゃる“愛”とは何かが問題です。愛の最高の形での表現は神性を帯びたものとなりますが、最低の形での表現は利己主義の極致となります。

どんなものであっても、サービスはサービスです。その価値の尺度は、そのサービスを受けた人への作用と、施した人への反作用です。責務への忠誠心に発したものであれば、それはそれなりに立派ですし、愛に発したものも、その愛の対象のみに偏らない、無私・無欲の愛によるものであれば、これまた、動機は立派です」

「心霊治療は別として、スピリチュアリズムの活動は物理的現象を必要としない段階に入ったと言えるでしょうか」


「いえ、いつの時代にも、自分の目で確かめ、手で触れないと気が済まない人、つまり物的次元での証拠を必要とする人のための物的現象が必要です。それは物質以外のものの存在が信じられない人だけに限ったことではなく、五感の領域を超えたものの実在が理解できないように洗脳された科学者についても言えることです。

むろん同じく物的現象でも、時代によって形式の変化はあるかも知れません。が、物的な側面での何らかの形での演出は、いつの時代にも必要です。寄せては返す波のように、歴史はくり返します」

「公開交霊会(※)などで壇上の霊視家が霊からのメッセージを伝える時に“この列の何番目の席の方”といった指摘の仕方でなしに、その方の名前が言えるようになれば、なお証拠性が高まると思うのですが……」


※――シルバーバーチの交霊会のように限定された少人数で行うのを“家庭交霊会(ホームサークル)”といい、広いホールなどで大勢の会衆を前に行うのを“公開交霊会(デモンストレーション)”という。


「もちろん、それに越したことはありません。ですが、バイブルにもありますように、見えるといい聞こえるといっても、人間の能力には限度があります。ご質問者は、霊媒現象というものがその時その場での条件次第で良かったり悪かったりするものであることをご存知ないようです。まず第一に、それまでの霊媒自身の霊格の発達程度がありますし、霊的能力の開発程度がありますし、通信霊が霊媒のオーラとどこまで感応できるかの問題もありますし、支配霊と霊媒との一体関係の程度にもよります。

一つの霊視現象には以上のような要素が絡んでいるのです。問題は、どうすべきかではなくて、その時の条件下でいかにして最高のことを行うかです」

「あなたは、われわれ人間は大霊のミニチュアないしは縮図、未開発の大霊である、といった意味のことをおっしゃったことがあります」こう述べて、続けて質問に入ろうとするとシルバーバーチが――


「あなたは神、わたしのいう大霊であり、大霊はあなたです。発達程度の違いがあるだけです。大霊が所有しているものはすべて、本性(エッセンス)の形であなたにも宿されています。大霊は神性の極致であり、あなたにも同じ神性が宿されています。神性の本質の違いではなく、その神性の発達程度の違いがあるだけです」

「で、その人間がひどい苦痛をともなう精神的障害によって表現機能を奪われているケースがありますが、そんな時は、むしろ早く死なせてあげた方がよいのではないでしょうか」


「その人がいつ死ぬべきであるということを、一体どなたがお決めになるのでしょうか。その責任はだれが取るのでしょうか。この人は二度と正常に戻れませんという判断は、一体だれに下せるのでしょうか。精神と霊とが正常な連絡関係を取り戻して精神的障害が治ってしまう――そういう霊的革新が起きないとは、だれに断言できるのでしょう。

わたしはそういう考えには賛同しかねます。人間が生命をこしらえるのではない以上、その生命を勝手に終わらせる権利は、人間にはありません。次の進化の過程にそなえた体験を積むために割り当てられた期間は、最後まできちんと生きるべきです。ほんのわずかな地上生活でもって永遠の時を査定なさろうとすると、この無限の宇宙について、至ってお粗末でひがんだ観方(みかた)しか生まれてきません」

「そういう行為は、魂に霊的資質を失わせることも有り得るのでしょうか」


「いえ、失うということは有り得ません。表現の器官を失うことによって開発のチャンスを失うことにはなっても、本来の霊的資質を失うことは有り得ません。その分、つまり失われた開発のチャンスは、埋め合わせの原理によって、他の何らかの手段によって与えられることになるでしょう」

「“単純”ということが神の属性であると信じているわたしたちからすれば、霊界の通信者はなぜもっと単純な表現をしてくれないのだろうかと、疑問に思うのです。高級界の神霊のことになると、なぜか直接的な表現を避けるところが見受けられます。たとえば“神”のことを私たちはGod(ゴッド)という用語を用いますが、あなた方はそれを使用せずにGreat White Spirit(グレイト ホワイト スピリット)などと、ややこしい言い方をなさいます」


「複雑で深遠な問題を扱うには、そう単純に片づけられないことがあるのです。たとえば“神”のことをあなた方はゴッドと呼び、わたしたちはグレイト・ホワイト・スピリットと呼びますが、どこがどう違うのか。

わたしにとっては、宇宙の背後に控える無限の力は、“ゴッド”のように、世界中の億単位の人間がそれぞれにまったく異なる概念で使用している用語を用いるよりは、グレイト・ホワイト・スピリット(真白き大霊、ないし無色の大霊、の意)の方が、より正確にその本性を伝えていると考えるのです。単純ということは、それで済まされる場合には大切な要素となりますが、この問題に関するかぎり、わたしはゴッドという単純な用語を避けても非難されるいわれはないと信じます。

高級神霊のことですが、これもなかなかうまい表現が見当たらないのです。わたしが知るかぎり、地上には譬えられるものが存在しません。あなたはご自分と似たような容姿の人間ばかりを見慣れていらっしゃいますが、わたしが光栄にも時おり連絡を取り合うことを許されている高級霊になると、その容姿をどう表現したところで、あなたには理解していただけないでしょう。

“存在”というと、人間的容姿をそなえたものしか想像できない人間に、全身これ光、ないしは炎のかたまり、といった存在をどう表現したらよいのでしょう。伝えようにも、それをうまく表現する用語が見当たらないのです。秘密にしておこうという魂胆があるわけではありません。現在の地上人類の進化の段階では、それとは途方もなく隔たりのある段階の存在は、とても理解できないからにすぎません」

「私の家でサークルをこしらえて、そこへあなたがお出になって人生相談に乗っていただくというのは可能でしょうか」


「それをこの家で行いましょうということで、これまで努力してきたわけです。このわたしを頼りにしてくださるのは有り難いのですが、こうしてしゃべるための霊媒を養成するのに、ずいぶん永い年月が掛かったのです。それがこうして成就されたというのに、また新たな霊媒のために永い年月を掛けるということは、計画の中に組み込まれてはいないようですよ」

「私は霊視能力が欲しいのですが、これまでのところ、うまくいっておりません。熱意が不足しているのでしょうか」


「熱意というのは、あまり強すぎると、えてしてバイブレーションを乱すことがあるものです。健全な能力の開発は、サイキックなものであれスピリチュアルなものであれ、完全な受容性と安らぎと静寂の中で行われるものです」

「献血という行為には何か霊的な意味があるのでしょうか。また、肉体以外にも何か影響はないものでしょうか」


「わたしは、ここで改めて輸血という医療行為に不賛成を表明せざるを得ません。そのわけは、輸血に際して注入されるのは血液だけではなくて、それに付随した幽質の要素も含まれているからです。それは献血者の人間性の一部です。つまり輸血によってその献血者の存在の本性にかかわるさまざまな要素までもが他人に移されることになり、これは、場合によっては好ましくないケースも有り得ます。

人間というのは実に複雑な要素が一個の統一体となった存在でして、入り組んだメカニズムの中で、全体ががっちりとうまく組み合わさっているのです。その大切な要素の一部を他の人間に譲るということは、自然の摂理に反します。なぜなら、肉体と精神と霊の三つの要素の正しい関係の最大の条件である“調和”を乱すことになるからです」

「でも、それによって生命が救われたケースがあるようですが……」


「わたしの気持ちとしては、いかなる方法にせよ、患者を救うという行為の尊さを割り引くようなことは言いたくないのですが、それでも一言だけ言わせていただけば、現在の医学で行われている治療法を絶対と思うのは間違っております。

どうも、医学の世界に不謬(ふびゅう)性のようなものがあるかに考える傾向があるようですね。病気を治す、あるいは生命(いのち)を永らえさせるにはこうするしかないと医者が言えば、それで最終的な断が下されたことになるかに思われているようですが、わたしはそうは思いません。

わたしに言わせれば、人間は本来が霊的存在であり、すべての治療法はその霊性の優位性を考慮すべきであるという原則に立てば、無数といってよいほどの治療法が用意されているのです。肉体というのは霊が使用する機械としての存在しかないのです。

とにかく生命さえ取り止めればいいのだ、という考えに立てば、今の医療行為も正当化されるかも知れませんが、では、そのために行われている身の毛もよだつような恐ろしい、そして人間の霊性にもとる行為は許されるのか、という疑問が生じます」

「生体実験のことでしょうか」


「そうです。目的は必ずしも手段を正当化しません」

「移植手術については、いかがでしょうか」


「患者自身の身体の一部を他の部分に移植するのであれば、結構なことです。生理的要素も幽質的要素もまったく同一のものだからです。ですが、それを他人に移植するとなると、必ずしも感心しません。(人道上はともかくとして)その移植片そのものが問題を生み出すからです。肉体そのものには生命はなく、霊と呼ばれている目に見えない実在の殻または衣服にすぎないことを理解することが、この問題を解決するカギです」

「眼の移植手術をすれば見えるようになるという場合でも、それをしないで、見えないままでいるのが望ましいということになるのでしょうか」


「個々の問題にはそれなりの事情がありますから、それを無視して一般論で片づけるわけにはまいりませんが、わたしたちからすれば、目が見えないというのは、あくまでも相対的な問題としてしか考えておりません。霊的な盲目という問題をどうお考えになりますか。

地上人類の霊的覚醒を使命としているわたしたちの立場からすれば、無数にいる霊的に盲目の人の方をむしろ見下したくなります。そこでわたしは、この問題も当人の魂の進化の程度による、とお答えします。霊的覚醒の段階まで到達している人にとっては、目が見えないということは、別に障害とはならないでしょう。ただ物が見えるというだけの視力よりもはるかに素敵な視野を得ていることでしょう。

皆さんはこうした問題をとかく物的身体の観点からのみ捉えて、永遠という概念を忘れがちです。といって、そのことを非難するつもりはありません。無理もないことだからです。たしかに、目が見えなければ春の華やかさと美しさはわかりません。が、そんなものは、霊の華やかさと輝きに較べれば、物の数ではありません」

「でも、私たちは、今なおこの世界にいるのです」


「その通りですね。ですが、俗世にありながら俗世に染まらない生き方もできることを知ってください」

祈り

愛の絆は死によって切断されることはなく……


ああ、大霊よ。あなたの限りなき愛の深さを誰が測り得ましょう。あなたの奇しき恩恵を誰が説き明かせましょう。あなたの神々しき尊厳を誰が正しく描写し得ましょう。

あなたは限りある理解力を超えた存在にあらせられます。あらゆる限界と束縛とを超越した存在にあらせられます。あなたは無限なる霊――かつて存在したものと、これから存在するであろうもののすべての根源にあらせられるのでございます。

あなたの霊性が“愛”に存在を与え、あらゆる意識的存在にあなたの神性の属性を賦与なされました。人間を理想主義と自己犠牲と奉仕の精神に燃え立たしめるのも、内部に湧き立つあなたの霊性にほかなりません。

このことは、あなたが人間の内部に顕現しておられるということであり、その意味において人間は極微の形態をとった大霊と言えるのでございます。

わたしたちはあなたの子等に、その霊性に秘められた資質と属性と才能のすべてを自覚させてあげたいと望んでおります。その認識なくしては、人間は無知の中に生きていることになるのでございます。武器を持たずに戦場へおもむくのにも似ておりましょう。

それに引きかえ、自己の存在の実相に目覚めた者は、万全の装備を整えたことになり、生きるということの中に美しさと愉(たの)しさと充実感と輝きとを見出すことができるのでございます。

さんさんと輝く陽光のもとに生きられるものを、実在によって映し出される影の中で生きている者が多すぎます。安定性と落ち着きと自信をもたらしてくれるはずの知識を欠くがゆえに煩悶の絶えない人、内なる嵐にさいなまれ続けている人が多すぎます。

わたしどもがこの地上という物質の世界にもたらしたいのは、その霊的実在についての“知識”でございます。それによって地上の子等が真実の自我を理解し、あなたとのつながり、および同胞とのつながりについて理解し、愛の絆は死によって切断されることはなく、情愛によるつながりも血縁によるつながりも、死後もなお存続するものであることを知ることになりましょう。

それもわたしたちの使命の一環なのでございます。その目的のために、これまで一身を捧げてまいりました。少しでも広く真理を普及させることでございます。子等が知識によって武装し、理性によって導かれ、永遠なる霊力の理解のもとに生きることができますように……そう祈るからでございます。

Monday, June 24, 2024

シアトルの夏 魂の挫折感を誘発するのは、精神上の倦怠感と絶望感です

It is the mental malaise and hopelessness that induces a sense of frustration in the soul


今世紀最大の劇作家の一人としてジョージ・バーナード・ショウ(※1)を挙げることに異論を唱える人はいないであろう。この辛辣(しんらつ)な風刺家が“フリート街の法王”(※2)の異名をもつ、同じく劇作家のハンネン・スワッファーのインタビューを受けた――これだけでも大変なニュースだった。


※1――George Bernard Shaw(1856~1950)アイルランド生まれの英国の劇作家・評論家。一九二五年にノーベル文学賞を受賞。辛辣な批評と風刺で知られた。一度来日したことがあり、その時に日本の印象を聞かれて「ああ、日本にも家があるなと思いました」と答えたという。禁煙運動について意見を求められて「タバコを止めるのは簡単だよ。私なんか何度も止めたよ」と答えている。


※2――フリート街というのは英国の新聞社が軒をつらねている所で、つまりは英国ジャーナリズム界の御意見番的存在の意味。ショウとの年齢差は二十五歳で、スワッファーにとっては大先輩だった。

そのインタビューは、ショウが《タイム》誌上で、奥さんの死に際して寄せられた多くの悔やみ状に対する感謝の意を表明したあとに準備されたものだった。

当時すでに八十七歳だったショウは、スワッファーに「こんどは自分の番だ。もう悟り切った心境で待ってるよ」と言い、続けて、

「わたしなんか、もうどうでもいいという気分だ。あんたもわたしも似たような仕事をしてる。人さんにいろいろと物語ってあげてるわけだ。それはそれで結構なことだが、それで世の中がどうなるというものでもないよ」と付け加えた。

スワッファーが「あなたもいずれ死なれるわけですが、死んだらどうなると思っていらっしゃいますか」と尋ねると――

「死ねばこの世からいなくなっちまうということだ。わたしは死後の存続は信じたことはないし、今も信じていない。死後も生きてると信じている人間で、それがどういうことを意味するかが本当にわかっている人間がいるなんて、わたしには考えられないね」

ここではスピリチュアリズムに関係したものだけを紹介したが、ショウ対スワッファーの対談は大変なセンセーションを巻き起こした。同じ頃に催されたシルバーバーチの交霊会でも当然その話題が持ち出され、興味ある質問が出された。それを紹介しよう。

まず最初の質問は「ショウのようなタイプの人物を待ちうける環境はどんなものでしょうか」というものだった。シルバーバーチは例によって個人の問題にしぼらずに、普遍的なものに広げて、こう語った。


「洞察力に富む人間は、無意識のうちに、さまざまな形で実在に触れておりますから、待ちうける新しい体験を喜びの中に迎えることになります。死んだつもりがまだ生きていることに、最初はショックを受けますが、新しい環境での体験を重ねるうちに、精神的能力と霊的能力とが目覚めて、その素晴らしさを知るようになります。

叡智・知識・教養・真理、それに芸術的作品の数々が、ふんだんに、それも地上よりはるかに高度のものが入手できることを知って喜びを覚えます。肉体の束縛から解放されて今やっと本来の自我が目を覚まし、自分とは何かを自覚しはじめ、肉体の制約なしにより大きな生活の舞台での霊妙な愉しみが味わえる――それがいかなるものであるかは、とうてい地上の言語で説明できる性質のものではありません。

とにかく、どの分野に心を向けても――科学であろうと哲学であろうと、芸術であろうと道徳であろうと、その他いかなる知識の分野であろうと、そこには過去の全時代のインスピレーションが蓄積されているばかりでなく、それを受け入れる用意のある者にはいつでも授けるべく、無数の高級霊が待ちうけているのです。

飽きることのない楽しい冒険の世界が待ちうけております。他界して間もないころは、個人的な縁による結びつき、たとえば先に他界している家族や知人、地上に残した者との関係が優先しますが、そのうち、地上界のごとき物的制約を受けることなく広がる自然の驚異に触発されて、目覚めた霊性が急速に発達してまいります」

ショウ対スワッファーという劇的な対面がさまざまな話題を生み、それに関連したさまざまな質問に答えたあと、シルバーバーチはこうしめくくった。


「真理がすべてに優先します。真理が普及すれば虚偽が退散し、無知と迷信が生み出した霧と陰が消えてまいります。現在の地上にもまだ、生活全体をすっぽり包み込む、無知という名の闇の中で暮らしている人が無数におります。

いつの時代にも、霊の力が何らかの形で、その時代の前衛たる者――パイオニア、改革者、殉教者、教育家等々、輝ける真理の旗を高々と掲げた人々の心を鼓舞してまいりました。地上に存在するあらゆる力を超越した霊妙な何かを感じ、人類の未来像を垣間(かいま)見て、彼らはその時代に新たな輝きを添えたのでした。彼らのお蔭で多くの人々が暗闇のべールを突き通して、光明を見出すことができたのでした。彼らのお蔭で、用意のできていた者が、みずからの力で足枷を解きほどく方法(すべ)を知ったのでした。暗い牢獄からみずからの魂を解き放す方法を知ったのです。生活全体に行きわたっていた、うっとうしい空気が消えました。

地上世界の全域に、啓発の勢力が徐々に、実に牛の歩みではありますが、行きわたりつつあります。それにつれて無知の勢力が退却の一途をたどっております。今や地上人類は進軍の一途をたどっております。さまざまな形での自由を獲得しました――身体の自由、精神の自由、霊の自由です。偏見と迷信と無知の勢力から人類を解き放す上での一助となった人はみな、人類の永い歴史の行進を導いてきた、輝ける照明です。

魂の挫折感を誘発するのは、精神上の倦怠感と絶望感です。精神が明るく高揚している時こそ、魂は真の自我を発揮し、他の魂を永遠の光明へ向けて手引きするほどの光輝を発するのです」

さらに“生命力”の問題にふれて――


「生命力が存在することに疑問の余地はありません。生命は、それにエネルギーを与える力があるからこそ存在します。それが動力源です。その本質が何であるかは、地上の人間には理解できません。いかなる科学上の器具をもってしても検査することはできません。化学的分析もできません。物的手段による研究は不可能なのです。

人間にとっては“死”があり、そして“生命”がありますが、わたしたちから見れば“霊”こそ生命であり、生命はすなわち“霊”であるというふうに、きわめて単純に理解できます。物質界というのは永遠の霊の光によって生じた影にすぎません。物質はただの“殻”であり、実在は霊なのです。

意識のなかったところに生命を与えたのが霊です。その霊があなたに自分を意識させているのです。霊こそ大霊によって人間に吹き込まれた息吹、神の息吹であり、その時点から自我意識をもつ生きた存在となったのです。

人間に神性を与えているのは、その霊なのです。その霊が人間を原始的生命形態から今日の段階へと引き上げてくれたのです。ただの禽獣(きんじゅう)と異なるのは、その霊性です。同胞に有徳の行為をしたいと思わせるのも、その霊性です。自分を忘れ、人のためを思う心を抱かせるのも、その霊性です。少しでも立派になろうと心がけるようになるのも、その霊性のお蔭です。良心の声が聞こえるのも霊性があるからこそです。あなたはただの物質ではありません。霊なのです。この全大宇宙の運行と、そこに生活する全生命を経綸している力と同じものなのです。

人間は、その宇宙霊、その大生命力が個別性をそなえて顕現したものです。人間は個的存在です。神性を帯びた炎の小さな火花です。みなさんのいう神、わたしのいう大霊の、不可欠の一部分を占めているのです。その霊性は死によっていささかも失われません。火葬の炎によっても消すことはできません。その霊性を消す力をもったものは、この全大宇宙の中に何一つ存在しません」

Sunday, June 23, 2024

シアトルの初夏 地球浄化の大事業ー 科学の浄化

The Great Project of Earth Purification - Purification of Science


一九一九年三月十二日  水曜日

 さて、今やキリストの軍勢に加わった吾々はキリストのあとについて降下しました。いくつかの序列にしたがった配置についたのですが、言葉による命令を受けてそうしたのではありません。

それまでの鍛錬によって、直接精神に感応する指示によって自分の持ち場が何であるか、何が要求されているかを理解することができます。それで、キリストとの交霊によって培われた霊感にしたがって各自が迷うことなくそれぞれの位置につき、それぞれの役割に取りかかりました。

 ではここで、地球への行軍の様子を簡単に説明しておきましょう。地球の全域を取り囲むと吾々は、その中心部へ向けていっせいに降下していきました。こういう言い方は空間の感覚──三次元的空間の発想です。

吾々の大計画の趣旨を少しでも理解していただくには、こうするよりほかに方法がないのです。

 キリストそのものは、すでに述べましたように、遍在しておりました。絶大な機能をもつ最高級の大天使から最下層の吾々一般兵士にいたるまでの、巨万の大軍の一人一人の中に同時に存在したのです。自己の責務について内部から霊感を受けていても、外部においては整然とした序列による戦闘隊形が整えられておりました。

最高の位置にいてキリストにもっとも近い天使から(キリストからの)命が下り、次のランクの天使がそれを受けてさらに次のランクへと伝達されます。

その順序が次々と下降して、吾々はそれをすぐ上のランクの者から受け取ることになります。その天使たちは姿も見えます。姿だけでしたら大体三つ上の界層の者まで見えますが、指図を受けるのは、よくよくの例外を除けば、すぐ上の界層の者からにかぎられます。

 さて吾々第十界の者がキリストのあとについて第九界まで来ると、吾々なりの活動を開始しました。まず九界全域にわたってその周囲を固め、徐々に内部へ向けて進入しました。するとキリストとその従者が吾々の界に到着された時と同じ情景がそこでも生じました。

九界にくらべて幾分かでも高い霊性を駆使して吾々は、その界の弱い部分を補強したり、歪められた部分を正常に修復したりしました。それが終了すると、続いて第八界へと向かうのでした。

 それだけではありません。九界での仕事が完了すると、ちょうど十一界の者と吾々十界の者との関係と同じ関係が、吾々と九界の者との間に生じます。

つまり九界の者は吾々十界の者の指図を受けながら、吾々のあとについて次の八界へ進みました。八界を過ぎると、八界の者は吾々から受けた指図をさらに次の七界の者へと順々に伝達していきます。

 かくしてこの過程は延々と続けられて、吾々はついて地球圏に含まれる三つの界層を包む大気の中へと入っていきました。そこまでは各界から参加者を募り、一人一人をキリストの軍勢として補充していきました。しかしここまで来ていったんそれを中止しました。

と言うのは、地球に直接つながるこの三つの界層は、一応、一つの境涯として扱われます。なぜなら地球から発せられる鈍重な悪想念の濃霧に包まれており、吾々の周囲にもそれがひしひしと感じられるのです。

黙示録にいう大ハルマゲドン(善と悪との大決戦──16・16)とは実にこのことです。吾々の戦場はこの三つの界層にまたがっていたのです。そしてここで吾々はいよいよ敵からの攻撃を受けることになりました。


 その間も地上の人間はそうしたことに一向にお構いなく過ごし、自分たちを取り巻く陰湿な電気を突き通せる人間はきわめて稀にしかいませんでした。が、

吾々の活動が進むにつれてようやく霊感によって吾々の存在を感じ取る者、あるいは霊視力によって吾々の先遺隊を垣間見る者がいるとの話題がささやかれるようになりました。

そうした噂を一笑に付す者もいました。吾々を取り巻く地上の大気に人間の堕落せる快楽の反応を感じ取ることができるほどでしたから、多くの人間が霊的なことを嘲笑しても不思議ではありません。

そこで吾々は、この調子では人間の心にキリストへの畏敬の念とその従僕である吾々への敬意が芽生えるまでには、よくよく苦難を覚悟せねばなるまいと見て取りました。しかしそのことは別問題として、先を急ぎましょう。

 とは言え、吾々の作戦活動を一体どう説明すればよいのか迷います。もとより吾々は最近の地上の出来ごとについて貴殿によく理解していただきたいとは願っております。

すばらしい出来ごと、地獄さながらの出来ごと、さらには善悪入り乱れた霊の働きかけ──目に見えず、したがって顧みられることもなく、信じられることもなく、しかし何となく感じ取られながら、激しい闘争に巻き込まれている様子をお伝えしたいのです。

貴殿の精神の中の英単語と知識とを精一杯駆使して、それを比喩的に叙述してみます。それしか方法がないのです。が、せめてそれだけでも今ここで試みてみましょう。

 地球を取り巻く三層の領域まで来てみて吾々は、まず第一にしなければならない仕事は悪の想念を掃討してしまうことではなく、善の想念へ変質させることであることを知りました。

そこでその霧状の想念を細かく分析して最初に処理すべき要素を見つけ出しました。吾々より下層界からの先遺隊が何世紀も前に到着してその下準備をしてくれておりました。ここでは吾々第十界の者が到着してからの時期についてのみ述べます。

 地球の霊的大気には重々しくのしかかるような、どんよりとした成分がありました。実はそれは地上の物質科学が生み出したもので、いったん上昇してから再び下降して地上の物質を包み、その地域に住む人々に重くのしかかっておりました。

もっとも、それはたとえ未熟ではあっても真実の知識から生まれたものであることは確かで、その中に誠実さが多量に混じっておりました。

 その誠実さがあったればこそ三つの界層にまで上昇できたのです。しかし所詮は物的現象についての知識です。いかに真実味があってもそれ以上に上昇させる霊性に欠けますから、再び物質界へと引き戻されるにきまっています。

そこで吾々はこれを〝膨張〟という手段で処理しました。つまり吾々は言わばその成分の中へ〝飛び込んで〟吾々の影響力を四方へ放散し、その成分を限界ぎりぎりまで膨らませました。膨張した成分はついに物質界の外部いっぱいにまで到着しました。が、

吾々の影響力が与えた刺戟はそこで停止せず、みずからの弾みで次第に外へ外へと広がり、ついに物質界の限界を超えました。

そのため物的と霊的との間を仕切っている明確な線──人間はずいぶんいい加減に仕切っておりますが──に凹凸が生じはじめ、そしてついに、ところどころに小さなひび割れが発生しました──最初は小さかったというまでで、その後次第に大きくなりました。

しかし大きいにせよ小さいにせよ、いったん生じたひび割れは二度と修復できません。

たとえ小さくても、いったん堤防に割れ目ができれば、絶え間なく押し寄せていたまわりの圧力がその割れ目をめがけて突入し、その時期を境に、霊性を帯びた成分が奔流となって地球の科学界に流れ込み、そして今なおその状態が続いております。

 これでお分かりのように、吾々は地上の科学を激変によって破壊することのないようにしました。過去においては一気に紛砕してしまったことが一度や二度でなくあったのです。

たしかに地上の科学はぎこちなく狭苦しいものではありますが、全体としての進歩にそれなりの寄与はしており、吾々もその限りにおいて敬意を払っていました。それを吾々が膨張作用によって変質させ、今なおそれを続けているところです。

 カスリーン嬢の援助を得て私および私の霊団が行っているこの仕事は今お話したことと別に関係なさそうに思えるでしょうが、実は同じ大事業の一環なのです。

これまでの吾々の通信ならびに吾々の前の通信をご覧になれば、科学的内容のもので貴殿に受け取れるかぎりのものが伝えられていることに気づかれるでしょう。大した分量ではありません。それは事実ですが、貴殿がいくら望まれても、能力以上のものは授かりません。

しかし、次の事実をお教えしておきましょう。この種の特殊な啓示のために貴殿よりもっと有能で科学的資質を具えた男性たち、それにもちろん少ないながらも女性たちが、着々と研さんを重ねているということです。道具として貴殿よりは扱いやすいでしょう。

 その者たちを全部この私が指導しているわけではありません。それは違います。私にはそういう資格はあまりありませんので・・・・・・。各自が霊的に共通性をもつ者のところへ赴くまでです。そこで私は貴殿のもとを訪れているわけです。

科学分野のことについては私と同じ霊格の者でその分野での鍛錬によって技術を身につけている者ほどにはお伝えできませんが、私という存在をあるがままにさらけ出し、また私が身につけた知識はすべてお授けします。

私が提供するものを貴殿は寛大なる心でもって受けてくださる。それを私は満足に思い、またうれしく思っております。

貴殿に神のより大きい恩寵のあらんことを。今回の話題については別の機会に改めて取りあげましょう。貴殿のエネルギーが少々不足してきたようです。                           アーネル ±

Saturday, June 22, 2024

シアトルの夏 宗教界の浄化

Purification of the religious world



一九一九年三月十七日  月曜日

 次に浄化しなければならない要素は宗教でした。これは専門家たちがいくら体系的知識であると誇り進歩性があると信じてはいても、各宗教の創始者の言説が束縛のロープとなって真実の理解の障害となっておりました。

分かりやすく言えば、私が地上時代にそうであったように(四章2参照)ある一定のワクを超えることを許されませんでした。そのワクを超えそうになるとロープが──方向が逆であればなおのこと強烈に──その中心へつながれていることを教え絶対に勝手な行動が許されないことを思い知らされるのでした。

その中心がほかでもない、組織としての宗教の創始者であると私は言っているのです。イスラム教がそうでしたし、仏教がそうでしたし、キリスト教もご多分にもれませんでした。

 狂信的宗教家が口にする言葉はなかなか巧みであり、イエスの時代のユダヤ教のラビ(律法学者)の長老たちと同じ影響力を持っているだけに吾々は大いに手こずりました。

吾々は各宗教のそうした問題点を細かく分析した結果、その誤りの生じる一大原因を突きとめました。

私は差しあたって金銭欲や権力欲、狂言という言わば〝方向を間違えた真面目さ〟、自分は誠実であると思い込んでいる者に盲目的信仰を吹き込んでいく偽善、こうした派生的な二次的問題は除外します。

そうしたことはイスラエルの庶民や初期の教会の信者たちによく見られたことですし、さらに遠くさかのぼってもよくあったことです。私はここではそうした小さな過ちは脇へ置いて、最大の根本的原因について語ろうと思います。
 
 吾々は地球浄化のための一大軍勢を組織しており、相互に連絡を取り合っております。が各小班にはそれぞれの持ち場があり、それに全力を投入することになっております。


私はかつて地上でキリスト教国に生をうけましたので、キリスト教という宗教組織を私の担当として割り当てられました。それについて語ってみましょう。

 私のいう一大根本原因は次のようなことです。
 
 地上ではキリストのことをキリスト教界という組織の創始者であるかのような言い方をします。が、それはいわゆるキリスト紀元(西暦)の始まりの時期に人間が勝手にそう祭り上げたにすぎず、以来今日までキリスト教の発達の頂点に立たされてきました。

道を求める者がイエスの教えに忠実たらんとして教会へ赴き、あの悩みこの悩みについて指導を求めても、その答えはいつも〝主のもとに帰り主に学びなさい〟と聞かされるだけです。

そこで、ではその主の御心はどこに求めるべきかを問えば、その答えはきまって一冊の書物──イエスの言行録であるバイブルを指摘するのみです。その中に書かれているもの以外のものは何一つ主の御心として信じることを許されず、結局はそのバイブルの中に示されているかぎりの主の御心に沿ってキリスト教徒の行いが規制されていきました。

 かくしてキリスト教徒は一冊の書物に縛りつけられることになりました。なるほど教会へ行けばいかにもキリストの生命に満ち、キリストの霊が人体を血液がめぐるように教会いっぱいに行きわたっているかに思えますが、しかし実はその生命は(一冊の書物に閉じ込められて)窒息状態にあり、身体は動きを停止しはじめ、ついにはその狭苦しい軌道範囲をめぐりながら次第に速度を弱めつつありました。

 記録に残っているイエスの言行が貴重な遺産であることは確かです。それは教会にとって不毛の時代を導く一種のシェキーナ(ユダヤ教の神ヤハウェが玉座で見せた後光に包まれた姿──訳者)のごときものでした。

しかし、よく注意していただきたいのは、例のシェキーナはヤコブの子ら(ユダヤ民族)の前方に現れて導いたのです。

その点、新約聖書は前方に現れたのではなく、のちになって崇められるようになったものです。それが放つ光は丘の上の灯台からの光にも似てたしかに真実の光ではありましたが、それは後方から照らし、照らされた人間の影が前方に映りました。

光を見ようとすれば振り返って後方を見なければなりません。そこに躓(つまず)きのもとがありました。前方への道を求めて後方へ目をやるというのは正常なあり方ではありません。

 そこに人間がみずから犯した過ちがありました。人間はこう考えたのです──主イエスはわれらの指揮者(キャプテン)である。主がわれらの先頭に立って進まれ、われらはそのあとに付いて死と復活を通り抜けて主の御国へ入るのである、と。

が、そのキャプテンの姿を求めて彼らは回れ右をして後方へ目をやりました。それは私に言わせれば正常ではなく、また合理性にそぐわないものでした。

 そこで吾々は大胆不敵な人物に働きかけて援助しました。ご承知の通りイエスは自分より大きい業(ワザ)を為すように前向きの姿勢を説き、後ろから駆り立てるのではなく真理へ手引きする自分に付いてくるように言いました。(※)

そのことに着目し理解して、イエスの導きを信じて大胆に前向きに進んだ者がいました。

彼らは仲間のキリスト教者たちから迫害を受けました。しかし次の世代、さらにその次の世代になって、彼らの蒔いたタネが芽を出しそして実を結びました。(※ヨハネ14・12)

 これでお分かりでしょう。人間が犯した過ちは生活を精神的に束縛したことです。

生ける生命を一冊の書物によってがんじがらめにしたことです。バイブルの由来と中味をあるがままに見つめずに──それはそれなりに素晴らしいものであり、美しいものであり、大体において間違ってはいないのですが──それが真理のすべてであり、その中には何一つ誤りはないと思い込んだのです。

しかしキリストの生命はその後も地上に存続し、今日なお続いております。四人の福音書著者(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)によって伝えられたバイブルの中のわずかな言行は、およそキリスト教という流れの始源などではあり得ません。

その先の広い真理の海へと続く大きい流れの接点で立てているさざ波ていどのものにすぎません。

 そのことに人間は今ようやく気づきはじめています。そしてキリストは遠い昔の信心深き人々に語りかけたように今も語りかけてくださることを理解しはじめております。

そう理解した人たちに申し上げたい──迷わず前進されよ。後方よりさす灯台の光を有難く思いつつも、同時に前方にはより輝かしい光が待ちうけていることを、それ以上に有難く思って前進されよ、と。

なぜなら当時ナザレ人イエスがエルサレムにおられたと同じように今はキリストとして前方にいらっしゃるからです。(後方ではなく)前方を歩んでおられるのです。

恐れることなくそのあとに付いて行かれることです。手引きしてくださることを約束しておられるのです。あとに付いて行かれよ。躊躇しても待ってはくださらないであろう。福音書に記されたことを読むのも結構であろう。が、

前向きに馬を進めながら読まれるがよろしい。〝こうしてもよろしいか、ああしてもよろしいか〟と、あたかもデルポイの巫女に聞くがごとくに、いちいち教会の許しを乞うことはお止めになることです。そういうことではなりません。

人生の旅に案内の地図(バイブル)をたずさえて行かれるのは結構です。進みつつ馬上で開いてごらんになるがよろしい。少なくとも地上を旅するのには間に合いましょう。

細かい点においては時代おくれとなっているところがありますが、全体としてはなかなかうまく且つ大胆に描かれております。しかし新しい地図も出版されていることを忘れてはなりません。ぜひそれを参照して、古いものに欠けているところを補ってください。

しかし、ひたすら前向きに馬を進めることです。そして、もしもふたたび自分を捕縛しようとする者がいたら、全身の筋肉を引きしめ、膝をしっかりと馬の腹に当てて疾駆させつつ、後ろから投げてかかるロープを振り切るのです。

残念ながら、前進する勇気に欠け前を疾走した者たちが上げていったホコリにむせかえり、道を間違えて転倒し、そして死にも似た睡眠へと沈みこんで行く者がいます。

その者たちに構っている余裕はありません。なぜなら先頭を行くキャプテンはなおも先を急ぎつつ、雄々しく明快なる響きをもって義勇兵を募っておられるのです。その御声を無駄に終わらせてはなりません。

 その他の者たちのことは仲間が大勢いることですから同情するには及ばないでしょう。
死者は死者に葬らせるがよろしい(マタイ8・22)。そして死せる過去が彼らを闇夜の奥深くへ埋葬するにまかせるがよろしい。

しかし前方には夜が明けつつあります。まだ地平線上には暗雲が垂れこめておりますが、それもやがて太陽がその光の中に溶け込ませてしまうことでしょう───すっかり太陽が上昇しきれば。そしてその時が至ればすべての人間は、父が子等をひとり残らず祝福すべくただ一個の太陽を天空に用意されたことに気づくことでしょう。

その太陽を人間は、ある者は北から、ある者は南から、その置かれた場所によって異なる角度から眺め、したがってある者にとってはより明るく、ある者にとってはより暗く映じることになります。

しかし眺めているのは同じ太陽であり、地球への公平な恩寵として父が給わった唯一のものなのです。

 また父は民族によって祝福を多くしたり少なくしたりすることもなさりません。地上の四方へ等しくその光を放ちます。それをどれだけ各民族が自分のものとするかは、それぞれの位置にあって各民族の自由意志による選択にかかった問題です。

 以上の比喩を正しくお読みくだされば、キリストがもし一宗教にとって太陽のごときものであるとすれば、それはすべての宗教にとっても必然的に同じものであらねばならないことに理解がいくでしょう。

なんとなれば太陽は少なくとも人間の方から目を背けないかぎりは、地球全土から見えなくなることは有り得ないからです。たしかに時として陽の光がさえぎられることはあります。しかし、それも一時(いっとき)のことです。
アーネル ±

Friday, June 21, 2024

シアトルの初夏 人類の数をしのぐ天界の大軍

The great army of the heavens that outnumbers mankind


 一九一九年三月五日 水曜日

 これまでお話したことは天界の大事業について私が知り得たかぎり、そして私自身が体験したかぎりを叙述したものです。それを大ざっぱに申し上げたまでで、細かい点は申し上げておりません。

そこで私はこれより、吾々が地上へ向かって前進しそして到着するまでの途中でこの目で見た事柄をいくつかお伝えしようと思います。が、その前に申し上げておきたいことがあります。それは──

 作戦活動としての吾々の下降は休みなく続けられ、またそれには抗し難い勢いがありました。一度も休まず、また前進への抵抗が止んだことも一度もありませんでした。

吾々霊団の団結が崩されたことも一度もありませんでした。下層界からのいかなる勢力も吾々の布陣を突破することはできませんでした。しかし個々の団員においては必ずしも確固不動とはいえませんでした。

地上の概念に従って地上の言語で表現すれば、隊員の中には救助の必要のある者も時おり出ました。救出されるとしばし本来の住処で休息すべく上層界へと運ぶか、それとも天界の自由な境涯においてもっと気楽で激しさの少ない探検に従事することになります。

 それというのも、この度の大事業は地球だけに向けられたものではなく、地上に関係したことが占める度合は全体としてはきわめて小さいものでした。

吾々が参加した作戦計画の全体ですら、物的宇宙の遠い片隅の小さな一点にすぎませんでした。大切なのは(そうした物的規模ではなく)霊的意義だったのです。

すでに申し上げたとおり地上の情勢は地球よりかなり遠く離れた界層にも影響を及ぼしておりましたが、その勢いも次第に衰えはじめており、たとえその影響を感じても、一体それは何なのか、どこから来るのか分からずに困惑する者もいたほどです。

しかし他の惑星の住民はその原因を察知し、地球を困った存在と考えておりました。たしかに彼らは地球人類より霊的には進化しています。

ですから、この度の問題をもしも吾々のようにかって地上に生活して地上の事情に通じている者が処理せずにいたら、恐らくそれらの惑星の者が手がけていたことでしょう。

霊的交信の技術を自在に使いこなすまでに進化している彼らはすでに審議会においてその問題を議題にしておりました。彼らの動機はきわめて純粋であり霊的に高度なものです。

しかし、手段は彼らが独自に考え出すものであり、それは多分、地球人類が理解できる性質のものではなかったでしょう。そのまま適用したら恐らく手荒らにすぎて、神も仏もあるものかといった観念を地球人に抱かせ、今こそ飛躍を必要とする時期に二世紀ばかり後戻りさせることになっていたでしょう。

過去二千年ばかりの間に地上人類を導き、今日なお導いている人々の苦難に心を痛められる時は、ぜひそのこともお考えになってください。

 しかし、彼らもやがて、その問題をキリストみずからが引き受けられたとの情報がもたらされました。すると即座に彼らから、及ばずながらご援助いたしましょうとの申し出がありました。

キリストはそれを受け入れられ、言うなれば予備軍として使用することになりました。彼ら固有のエネルギーが霊力の流れにのって送られてきて吾々のエネルギーが補強されました。それで吾々は大いに威力を増し、その分だけ戦いが短くて済んだのでした。

 これより細かいお話をしていく上においては、ぜひそうした事情を念頭においてください。これからの話は、過去の出来ごとの原因の観点から歴史を理解する上で参考になることでしょう。

将来人間はもっと裏側から歴史を研究するようになり、地上の進歩の途上におけるさまざまな表面上の出来ごとを、これまでとはもっと分かり易い形でつなぎ合わせることができるようになるでしょう。

 人間が吾々霊的存在とその働きかけを軽く見くびっているのが不思議でなりません。と言うのは、人類は地球上に広く分布して生活しており、その大半はまだ無人のままです。全体からいうとまだまだきわめて少数です。それに引きかえ吾々は地球の全域を取り囲み、さらに吾々の背後には天界の上層界にまで幾重にも大軍が控えております。

それは大変な数であり、またその一人ひとりが地上のいかなる威力の持ち主よりも強烈な威力を秘めているのです。

 ああ、いずれ黎明の光が訪れれば人類も吾々の存在に気づき、天界の光明と光輝を見出すことでしょう。そうなれば地球も虚空という名の草原をひとり運行(たび)する佗しさを味わわなくてすむでしょう。

あたりを見渡せば妖精が楽しげに戯れていることを知り、もはや孤独なる存在ではなく、甦れる無数の他界者と一体であり、彼らは遥か彼方の天体上──夜空に見えるものもあれば地上からは見えないものもありますが──の生活者と結びつけてくれていることを知るでしょう。

しかしそれは低き岸辺の船を外洋へと押し出し、天界へ向けて大いなる飛躍をするまでは望めないことでしょう。
  アーネル ±

Thursday, June 20, 2024

シアトルの初夏 地上各地に霊の神殿を設け…

He established spiritual temples all over the earth...


ああ、大霊よ。全生命の無限なる始原にあらせられるあなた。全宇宙を創造し、形態を与え、それぞれに目的を持たせ、その全側面を経綸したまうあなた。そのあなたの分霊(わけみたま)をうけているわたしたちは、その霊性を高め、目的意識を強め、あなたとの絆をさらに強く締め、あなたの叡智、あなたの愛、あなたの力でみずからを満たし、あなたの道具として、より大きくお役に立ち、あなたの子等のために尽くしたいと願うものでございます。

わたしたちは、地上人類に実り多き仕事の機会をもたらす霊的な安らぎと和の雰囲気を回復させ、そのエネルギーを全世界へ福利と協調の精神を広めるために用い、空腹と飢餓、苦悩と悲哀、邪悪と病気、そして戦争という惨劇を永遠に排除し、すべての者が友好と親善の中で生活し、あなたが賦与なされた資質の開発に勤しみ、かくして一人ひとりが全体のために貢献するようになることを願っております。

わたしたちは子等の一人ひとりに潜在しているあなたの神性を呼び覚まし、それを生活の中に自由闊達に顕現せしめたいと念願しております。その神性にこそ、始めも終わりもない、無限の目的と表現をもつ、霊力の多様性が秘められているのでございます。

人間がチリとドロからこしらえられたものではなく、あなたの分霊であることを理解し、その目的のもとに生活を律していくためにも、その霊的資質を甦らせてあげたいのでございます。

愛と理解とをもって悲哀と無知とを追い出し、人間みずからこしらえてきた障害を破壊することによって、生命と同じく愛にも死はなく永遠であることの証を提供したいと望んでいる高き世界の霊が、自由にこの地上へ戻ってこられるようにしたいと願っているのでございます。

地上の各地に霊の神殿(交霊の場)を設け、高き界層からの導きとインスピレーションと叡智と真理が存分に届けられ、人間が人生の目的、物質界に存在することの理由を理解し、宿命的に待ちうける、より高き、より充実せる生命活動の場にそなえて、霊性を鍛えることができるようになることを願うものです。

あまりに永きにわたって霊性を束縛してきた無知と迷信への隷属状態から人間を救い出し、霊的にも、精神的にも、身体的にも自由を獲得し、あなたの意図された通りの生き方ができるようになって欲しいのでございます。

Wednesday, June 19, 2024

シアトルの初夏 ハリー・エドワーズ氏とシルバーバーチとの問答

Harry Edwards and the Silver Birch Question and Answer


以上の心霊治療の原理に続いて、こんどは具体的な問題について、ハリー・エドワーズ氏とシルバーバーチとの問答の内容から学んでいただきたい。まずエドワーズ氏が尋ねる。

「私がいつも関心を抱いているのは、私たち治療家に何が治せるかではなくて、どうしても治せずにいる病気のことです。どうすればより多くの病気を治し、どうすればそちらの世界の霊医との協調関係を深めることができるでしょうか」


「われわれは偉大にして遠大な目的に向かって協力し合っております。その目的とは、薄幸の人々、虚弱な人々、苦痛にあえぐ人々、寄るべなき人々、悲嘆に首をうなだれ、胸のふたぐ思いをしている人々に、少しでも援助の手を差しのべてあげることです。霊の力は人間を媒体として注ぎ込むチャンスをうかがっております。そのチャンスを見つけると、病気の場合であれば治癒力を見せつけることによって、人間の協力さえ得られれば見えざる世界の威力と光明とをもたらすことができることを示します。

霊の力はすなわち生命力です。生命があるのは霊があるからこそです。霊は生命であり生命は霊です。この途轍(とてつ)もなく広大な宇宙を創造した力も、あなたがたを生かしめ、これから後もずっと生かしめていく力と同じものです。また、あなたがたが愛し合い、物を思い、心を馳せ、判断し、反省し、決断し、勘案し、熟考し、霊感を受け、人間的情感の絶頂からドン底までを体験させてくれる力、それは霊の力なのです。

あなたがた一人ひとりが大霊であり、大霊はあなたがた一人ひとりであると言えます。程度の差があるだけで、その本質、実質においては同じです。人間は言わばミクロの神です。その力が病人を癒すのです。それを分析してお見せすることはできません。何でできているかを説明することもできません。わたしに言えることは、それが無限の形態をとって顕現している――なぜなら、生命は無限だから、ということだけです。

霊媒現象のすべてに共通した問題は、その霊的エネルギーのコントロールです。どのエネルギーをどれだけ発現できるかは、その時の条件一つにかかっています。言いかえれば、その霊媒の有する資質と、それをより大きく、より効果的にするための修行を、どこまで心がけるかにかかっています。わたしたちの側においても、常に新しいエネルギー、新しい放射線、新しい可能性を徐々に導入しては、それを実験(ため)しております。

ですが、それも、霊媒の身体的・精神的・霊的適性によって規制を受けます。受容力が大きければ、それだけ多くのものが導入されます。小さければ、それだけ制限されることになります。

霊力そのものは、自然法則による以外には何の制約も受けません。自然法則の枠組(わくぐ)みから離れて働くことはできないのです。が、その枠組みというのが途方もなく広範囲にわたっており、これまで地上の霊媒を通じて顕現されてきたものよりはるかに多くのものが、いまだに顕現されずに残っております。

わたしが指摘したいのは、多くのまじめで信心深い人々が、神の力はバイブルに記録されている古い時代にその全てが顕現されつくした、と思い込んでいるのですが、それは間違いだということです。啓示はそれ以来ずっと進歩し続けております。現代の霊媒を通して顕現されている霊力の方が、過去の時代のものに較べて、はるかに強大です。

さて、あなた(ハリー・エドワーズ)は豊かな恩恵に浴しておられるお一人です。あなたのすぐ身のまわりで働いている霊の姿をご覧になる霊視力があればよいのだが……と思われてなりません。背後霊の存在に確信を抱き、あなたを導く霊力に不動の信頼を置いておられることは申すまでもないのですが、その背後が誰で、どんな人物であるかをご覧になれたら、もっともっと自信を持たれることでしょう。


訳注――エドワーズ氏の背後霊団の中心的指導霊は、一九世紀の英国の外科医で消毒殺菌法の完成者J・リスターと、フランスの化学者で狂犬病予防接種法の発見者L・パスツールであるといわれる。なおエドワーズ氏は一九七六年に他界している。

古い霊の部類に属するこのわたしが確信をもって言えることは、あなたの地上生活は、今日の絶頂期を迎えるべく、ずっと導かれてきているということです。意図された通りのものを、今まさに成就なさりつつあります。今その目的地にたどり着かれました。あなたの協力なしには成就できない仕事にたずさわっていることを喜ぶべきです。

以上のわたしの話に納得がいかれましたか」

「よくわかります。ただ、そうなると二つの疑問が生じます。一つは、背後霊団は何とかして、われわれ治療家をもっと有効的に改良できないものか、ということです。たとえば、両足とも不自由な子供がいるとします。一方の足は良くなったのに、もう一方の足はどうしても良くならないことがあるのです。どこに問題があるのでしょうか。私は治療家の側に問題があるに違いないと思うのです。なぜなら、一方の足が治せれば、当然もう一方の足も治せるはずだからです」


「治療家の望む通りの結果、あるいは治療霊団がその時に目標とした通りの成果が得られるとはかぎりません。治療家を通して得られる限られた治癒エネルギーで、最大限の治癒効果をあげなければなりません。一つの治療に全エネルギーを集中すれば、一気に効果があげられるかも知れません。が、次の治療のためのエネルギーを溜めるのに長い時間を要することになります。

一つ一つが実験です、とわたしは言っているのです。治療霊団も、前もってこれはこうなるという保証はできません。効果が出ることはわかっていても、どこまで治るかはわかりません。前もって知ることのできない要素がいくつもあるのです。それは治療活動を制約することになるかも知れません。ですが、それまで少しも治らなかったものに治る兆しが見えるだけでも、喜ぶべきことです。

それだけで立派な貢献と言えます。あなたは背後霊に向かって堂々と“さあ、この私を使ってください。みなさんを信じています。あなた方の言う通りにいたします”と公言する資格があります。もちろん、あなたのもとに連れてこられる患者が、魔法のように即座に治れば、こんなうれしいことはないでしょう。が、それはありえないことです。

問題がいろいろとあるのです。この仕事も言わば開拓者開拓者(パイオニア)的な分野に属します。あなたに協力している霊団は、一つ一つの症状の変化を知った上で、さらにテクニックを改良し、効果をあげるために、他の要素を導入しようと忙しく立ち働いております。あなたが治療に当たるたびに症状が改善されているのを観察されているはずです」

「おっしゃる通りです」


「協力関係が密接であるほど多くの霊力が伝達されるのが道理なのですが、それを制約する要素として、もう一つの問題が絡(から)んできます。

議論の多い問題に踏み込むことになるのは百も承知ですが、それが事実であるからには、黙って見過ごすわけには参りませんので、敢えて申し上げます。どうしても避けられない要素の一つに、患者自身のカルマ(宿業、因縁)の問題があります。当人の霊的成長の度合によって決まる、精神と身体の関係です。おわかりでしょうか」

「どうぞ、その先をおっしゃってください」


「そうおっしゃると思っていました。これは実は重大な問題であり、あなたにとっても意外に思えることも含まれております。心霊治療の仕事の大切な要素は、身体を治すことではなくて、魂の琴線にふれさせることです。魂を目覚めさせ、身体への支配力を大きくさせ、生きる目的を自覚させ、霊的存在としての本来の自我を表現させることに成功すれば、これは治療家として最大の貢献をしたことになります。

そのことの方が身体を治すことより大切です。それが治療家としてのあなたの努力の中でも、永遠に残る要素です。人間は精神と肉体と魂とが一体となったものです。これに、その三者が互いに絡み合って生じる、プラスアルファの要素もあります。その影響も忘れてはなりません。

病気というのは、その大半は主として精神と肉体と魂との間の連絡が正しく行われていないことに起因しています。正しく行われていれば、つまり完全な一体関係が保たれていれば、健康と安定性と落着きと機敏性をそなえています。もっとも、そういう人物は地上では滅多にお目にかかれませんが……。

さて、あなたのもとを訪れる患者は、その人なりの霊的成長段階にあります。人生という梯子(はしご)の一つの段の上に立っているわけです。それがどの段であるかが、その人に注がれる治癒力の分量を決します。それを決する要素の一つが、わたしのいうカルマ的負債です。

その負債が大きすぎて、あなたにも手の施しようのない人がいます。肉体を犠牲にする、つまり死ぬこと以外に返済の方法がない人もいます。もう一度チャンスが与えられる人もいます。そんな人があなたとの縁で完治するということになる場合もあります。精神的要素のために治らない人もいます。そんな場合は、一時的には快方へ向かっても、また別の症状となってぶり返すでしょう」

「ということは、カルマ的負債の方がその人に注がれる治癒力よりも大きいのだと思います」


「おっしゃる通りです。わたしはぜひその点を強調したいのです。それが当人に賦課された税金であり、みずから綴っている物語(ストーリー)であり、その筋書きは、他の何ものによっても書き変えることはできないということです。

初めにわたしは、すべては法則の枠組みの中に存在すると申し上げました。何事もそれを前提として働きます。人間のいう奇跡は生じません。自然法則の停止も、変更も廃止もありません。すべてが原因と結果から成り立っております。そこに、自由への制約の要素があるわけです。もしも因果関係が何らかの理由でキャンセルできるとしたら、神の公正が根本から崩れます。治療家にできることは、魂を解放し、精神に自由を与えてあげることです。その結果が自然に身体に現れます」

「それがカルマ的負債を返済する一助となるのでしょうか」


「そういうことです。わたしが、心霊治療にとっては、その患者の魂の琴線にふれ、自我に目覚めさせ、生きる目的を自覚させることが一ばん重要な役目です、と申し上げる理由はそこにあります」

「わたしたち治療家が例外なく体験することですが、心の奥底からの喜び、高揚、崇高な情感や理念が湧き出るのを感じることがあります。あなたがおっしゃるのは、その時のことだと思います」


「天と地が融合した極限の瞬間――あっという間の一瞬でありながら、すべての障壁が取り除かれた時、人間は自分本来の霊性を自覚します。すぐその束縛を押し破り、霊の本来の感覚であるところの法悦(エクスタシー)の状態に達するのです」

ここでエドワーズ氏が再びカルマ的負債の問題を持ち出すと、シルバーバーチは、スピリチュアリズムの本来の大きな使命にまで敷延(ふえん)して、こう述べた。


「あなたも、わたしも、そしてこれにたずさわる人のすべてが、それぞれに役割分担を担(にな)っているスピリチュアリズムというものの最大の目的は、人類の魂を呼び覚まして、一人でも多くの人間に本当の自分に気づかせること、自分とは一体なにか、誰なのかを知ることによって、ふだんの日常生活の中において霊の本性と属性を発揮することができるように導いてあげることです。

それによって地上生活のすべてが姿を一変し、利己主義という名の雑草の生い茂る荒野から、理想の花咲くパラダイスへと変わることでしょう。われわれは今それを目的として努力しているのであり、まずまずの成功を収めつつあります。光明を見出す人、真の自我に目覚める人、物的な居眠りの生活から目覚める人――こうした人は人間本来の道を見出し、確信と知識とをたずさえて、本当の意味での巡礼の旅に出る魂であると言えましょう」

この言葉に感動したエドワーズ氏が「これだけお教えいただけば十分です。治るということ自体は重要ではないということですね」と述べると、シルバーバーチが――


「わたしたち霊界の者が人間の苦しみに無関心であるという意味ではありません。病をかかえた人々の悲劇や苦痛や侘(わび)しさに無頓着でいるわけではありません。が、そうした問題の究極の原因に手をつければ、精神と身体と霊との間の不調和に終止符をうつことができ、そうなれば、地上生活が必要としている光輝がふんだんに注がれるのです。神の子が享受すべく意図されている本来のもの――気高さ、崇高さ、威厳、豊かさ、光輝、美しさを見出すことでしょう。

そうした生活の末に死を迎えれば、来世にそなえるための地上生活の大役を果たしてくれた肉体を、何の苦痛もなく脱ぎ捨てて、気持ちよく霊界の門をくぐり抜けることができます」

このあとシルバーバーチは、エドワーズ氏の奥さんの方を向いてこう述べた。


「これまでに成就されたことを、奥さんも喜んでください。今この場に集まっている霊界の治療霊団の方が、奥さんの果たされた犠牲的な役割に対して抱いている感謝の気持ちを、ぜひわたしから伝えてほしいと頼んでおられますよ」

これを聞いて奥さんが「自分はこんなことでいいのだろうかと、時に迷ったこともございました」と述べると、シルバーバーチが――


「わたしは、わたしよりはるかに奥さんを知りつくしている霊から頼まれて申し上げているのです。霊団の人たちは、あなたの心、あなたの精神、あなたの魂を知りつくし、さらに、あなたが捧げられた忠誠心と愛の強さもよくご存知です。

その人たちが言っているのです――ご主人の使命達成を可能にした陰からのあなたの助力に対する感謝の気持ちを、ぜひ伝えてほしいと。一方が脚光を浴びる立場にあれば、他方はその陰にいなければなりません。陰の存在なくしては、脚光を浴びる人もいないでしょう。わたしたちの目から見れば、人のために為された貢献は、黙って人知れず為されたものであろうと、大勢の観衆を前にして華々しく為されたものであろうと、その評価にいささかの違いもございません」

祈り

美と愛らしさと優雅さと壮麗さとを……


大霊よ。わたしたちは、ひたすらにあなたのあるがままの姿を説き明かさんと努めております。子等が、あなたについての明確な概念を捉えるのを永きにわたって妨げてきた、虚偽と紛(まが)い物と誤解のすべてをはぎ取ってしまいたいからでございます。

子等が自分とは何であるかを知るためには、全生命の背後に控える霊力を認識し、それとのつながりを理解しなければなりません。それは人間的な激情や煩悩に動かされる“神格化された人間”ではございません。一民族の守護神ではございません。エホバ神ではございません。自分のお気に入りの者だけを可愛がる、えこひいきをする神様ではございません。

あなたは宇宙の大霊におわします。根源の第一原理であり、全生命の命運の究極の裁決者であり、王の中の王であり、完全なる愛と叡智の権化(ごんげ)にあらせられます。あなたこそ、この全大宇宙を創造し、その活動のすべての側面を細大もらさず規制する法則を始動なさった方でございます。

あなたは宇宙の全生命に配剤しそして指導する大精神です。あなたは、人間もいずれあなたと同じ完全なる存在へ向けて向上し進化していくことができるように、あなたと同じ生命を賦与なさった大霊にあらせられます。

そのあなたとあなたの摂理とをわたしたちが啓示せんと努めるのは、この宇宙という霊的機構の中にあって人類が占めている真実の位置と、その位置にあって果たさねばならない役割とを、包括的に理解する必要があるからでございます。

あなたは人類をどう猛な四つ足の段階から引き上げ、あなたの分霊を授けることによって神性を賦与し、あなたのご計画の推進に参加できるようになさいました。

人間には、その授かりものを有効に使うべしとの、あなたのご意志が託されております。すなわち内部の霊性を発揮することによって地上に美と愛らしさと優雅さと壮麗さとをもたらし、地上のすべての子等が等しくその豊かな恩恵に浴することができるような環境にしなければならないのでございます。

暗黒も残酷も、貪欲も強欲も悪徳も、地上には無用のものです。そうした悪性腫瘍は、あなたがお授けくださった霊力を行為に移すことによって、すべて取り除くことができるのでございます。

わたしたちが労苦をいとわず地上圏で精励するのは、ほかならぬその霊の威力を子等に実感させるためでございます。その体験を通じて、この地上にあっても天国の美を味わい、墓の向こうに待ちうける、絶対的な宿命としての霊の世界に備えることができるのでございます。

ここにあなたの僕インディアンの祈りを捧げます。

Tuesday, June 18, 2024

シアトルの初夏 物質科学から霊的科学へ

From Material Science to Spiritual Science


一九一九年二月二十八日  金曜日 

 
人類が目覚めのおそい永い惰眠を貪(むさぼ)る広大な寝室から出て活発な活動の夜明けへと進み、未来において到達すべき遠い界層をはじめて見つめた時にも、やはり神々による廟議は開かれていたのでした。

その会議の出席者は多分、例のアトランティス大陸の消滅とそれよりずっと後の奮闘の時代──人類の潜在的偉大さの中から新たな要素がこれより先の進化の機構の中で発現していく産みの苦しみを見ていたことでしょう。

後者は同じ高き界層からの働きかけによって物質科学が発達したことです。人間はそれをもって人類が蓄積してきた叡智の最後を飾るものと考えました。

しかし、その程度の物的知識を掻き集めたくらいでおしまいになるものではありません。

大いなる進化は今なお続いているのです。目的成就の都市は地上にあるのではありません。はるか高遠の彼方にあるのです。

人間は今やっと谷を越え、その途中の小川で石ころを拾い集めてきたばかりです。こんどはそれを宝石細工人のもとへ持っていかねばなりません。そういう時期もいずれは到来します。細工人はそれを堂々たる王冠を飾るにふさわしい輝きと美しさにあふれたものに磨き上げてくれることでしょう。しかし細工人はその低き谷間にはいません。

いま人類が登りかけている坂道にもいません。光をいっぱいに受けた温い高地にいるのです。そこには王とその廷臣の住む宮殿があります。しかし王自身は無数の廷臣を引きつれて遥か下界へ降りられ、再び地上をお歩きになっている。ただし、この度はそのお姿は(地上の人間には)見えません。

吾々はそのあとについて歩み、こうした形で貴殿にメッセージを送り、王より命じられた仕事の成就に勤しんでいるところです。


──では、アーネルさん、キリストは今も地上にいらっしゃり、あなたをはじめ大勢の方たちはそのキリストの命令を受けていると理解してよろしいでしょうか。

 キリストからではないとしたら、ほかに誰から受けるのでしょう。今まさに進行中の大変な霊的勢力に目を向けて、判断を誤らぬようにしてください。

地上の科学は勝利に酔い痴れたものの、その後さらに飛躍してみれば、五感の世界だけの科学は根底より崩れ、物的尺度を超えた世界の科学へと突入してしまいました。皮肉にも物的科学万能主義がそこまで駆り立てたのです。

今やしるしと不思議(霊的現象のこと。ヨハネ4・48―訳者)がさまざまな形で語られ、かつてはひそひそ話の中で語られたものが熱弁をもって語られるようになりました。

周囲に目をやってごらんなさい。地上という大海の表面に吾々無数の霊が活発に活動しているその笑顔が映って見えることであろう。声こそ発しなくても確かに聞こえるであろう。姿こそ見えなくても、吾々の指先が水面にさざ波を立てているのが見えるであろう。

人間は吾々の存在が感じ取れないと言う。しかし吾々の存在は常に人間世界をおおい、人間のこしらえるパイ一つ一つに指を突っ込んでは悦に入っております。中のプラムをつまみ取るようなことはしません。

絶対にいたしません。むしろ吾々の味つけによって一段とおいしさを増しているはずです。

 あるとき鋳掛屋(いかけや)がポーチで食事をしたあと、しろめ製の皿をテーブルに置き忘れたまま家に入って寝た。暗くなって一匹の年取ったネコが現われてその皿に残っていた肉を食べた。それからネコはおいしい肉の臭いの残る皿にのって、そこを寝ぐらにしようとした。

しろめの硬さのために寝心地が悪く、皿の中でぐるぐると向きを変えているうちに、その毛で皿はそれまでになくピカピカに光り輝いた。

 翌朝、しろめの皿のことを思い出した鋳掛屋が飛び出してみると、朝日を受けてその皿が黄金のように輝いている。

 「はて、不思議なことがあるもの・・・・・・」彼はつぶやいた。「肉は消えているのに皿は残っている。肉が消えたということは〝盗っ人〟のしわざということになるが、皿が残っていて、その上ピカピカに光っているところをみると、そいつは〝良き友〟に違いない。

しかし待てよ。そうだ。たぶんこういうことだろう──肉は自分が食べてしまっていたんだ。そして星のことかなんか、高尚なことを考えながら一ぱいやっているうちに、自分のジャーキン(皮製の短い上着)で磨いていたんだ」


──この寓話の中のネコがあなたというわけですね?

 そのネコの毛一本ということです。ほんの一本にすぎず、それ以上のものではありません。
アーネル  ±

 訳者注──この寓話の部分はなぜか文法上にも構文上にも乱れが見られ細かい部分が読み取れないので、大体のあらすじの訳に留めておいた。要するに人類は各分野での進歩・発展を誇るが、肝心なことは霊の世界からのインスピレーションによって知らないうちに指導され援助されているということであろう。

Monday, June 17, 2024

シアトルの初夏 法則は無窮の過去から存在しています。

Laws have existed since time immemorial.



「大ざっぱな言い方ですが、大霊は宇宙の霊的意識の集合体であると言ってよいかと思うのですが……」

「結構です。ただその意識にも、次元の異なる側面が無限にあるということを忘れないでください。いかなる生命現象も、活動も、大霊の管轄外で起きることはありません。摂理ないし自然法則は、自動的に宇宙間のすべての存在を包括するものだからです。たった一つの動き、たった一つの波動――動物の世界であろうと鳥類の世界であろうと、植物の世界であろうと昆虫の世界であろうと、根菜の世界であろうと花の世界であろうと、海の世界であろうと人間の世界であろうと、あるいは霊の世界であろうと――その法則によって規制を受けないものは何一つ存在しないのです。宇宙は漫然と存在しているのではありません。莫大なスケールをもった、一個の調和体なのです。

それを解くカギさえ手にすれば、悟りへのカギさえ手にすれば、いたって簡単なことなのです。つまり宇宙は法則によって支配されており、その法則は大霊の意志が顕現したものだということです。法則が大霊であり、大霊は法則であるということです。

その大霊は、人間を大きくしたようなものでないという意味では非人格的存在ですが、その法則が人間の霊的・精神的・物質的の全活動を支配しているという意味では、人間的であると言えます。要するに、あなたがたは、人類として、宇宙の大霊の枠組みの中に存在し、その枠組みの中の不可欠の存在として寄与しているということです」

「ということは、神の法則は完全な形で定着しているということでしょうか。それとも新しい法則がつくられつつあるのでしょうか」


「法則は無窮の過去から存在しています。完全である以上、その法則の枠外で起きるものは何一つありえないのです。すべての事態にそなえてあります。ありとあらゆる可能性を認知しているのです。もしも新たに法則をこしらえる必要が生じるようなことがあれば、神は完全でなくなります。予測しなかった事態が生じたことを意味するからです」

「こう考えてよろしいでしょうか――神の法則は完全性の青写真(ブループリント)のようなもので、われわれはそのブループリントにゆっくりと合わせる努力をしつつあるところである、と」


「なかなかいい譬(たと)えです。皆さんは地上という進化の途上にある世界における進化しつつある存在です。その地球は、途方もなく大きな宇宙のほんの小さな一部にすぎませんが、その世界に生じるあらゆる事態にそなえた法則によって支配されております。

その法則の枠外に出ることはできないのです。あなたの生命、あなたの存在、あなたの活動のすべてが、その法則によって規制されているのです。あなたの思念、あなたの言葉、あなたの行為、つまり、あなたの生活全体をいかにしてその法則に調和させるかを、あなたみずから工夫しなければならないのです。

それさえできれば、病気も貧乏も、そのほか、無知の暗闇から生まれる不調和の状態がすべて無くなります。自由意志の問題について問われると、必ずわたしが、自由といっても無制限の自由ではなく、自然法則によって規制された範囲での自由です、と申し上げざるをえないのは、そのためです」

シルバーバーチ