ここに集える私たち一人ひとりが同胞の幾人かに霊的啓発をもたらすことによって、少しでも宇宙の大霊に寄与することができることの幸せを神に感謝いたしましょう。
人間として霊として、こうして生を享けた本来の目的を互いに果たせることの幸せを感謝いたしましょう。人のために尽くすことに勝る宗教はありません。病める人を治し、悲しむ人を慰め、悩める人を導き、人生に疲れ道を見失える人を手引きしてあげること、これは何にも勝る大切な仕事です。
ですから、こうして神の愛を表現する手段、才能、霊力を授かり、それを同胞のために役立てる仕事に携われることの幸せを喜ばなくてはいけません。神の紋章を授かったことになるのだと考えて、それを誇りに思わなくてはいけません。
これから後も人のために役立つ仕事に携わるかぎり、霊の力が引き寄せられます。人生の最高の目標が霊性の開発にあることを、ゆめ忘れてはなりません。自分の永遠の本性にとって必須のものに目を向けることです。
それは人生について正しい視野と焦点を持つことになり、自分が元来不死の魂であり、それが一時の存在である土塊に宿って自我を表現しているにすぎないこと、心がけ一つで自分を通じて神の力が地上に顕現するという実相を悟ることになるでしょう。
こうしたことは是非とも心に銘記しておくべき大切な原理です。日常の雑務に追いまくられ、一見すると物が強く霊が弱そうに思える世界では、それは容易に思い出せないものです。ですが、あくまで霊が主人であり物は召使いです。霊が王様であり物は従臣です。霊は神であり、あなたはその神の一部なのです。
自分がこの世に存在することの目的を日々成就できること、つまり自分を通じて霊の力がふんだんに地上に流れ込み、それによって多くの魂が初めて感動を味わい、目を覚まし、健全さを取り戻し、改めて生きることの有難さを噛みしめる機会を提供すること──これは人のために役立つことの最大の喜びです。
真の意味で偉大な仕事と言えます。地上のどの片隅であろうと、霊の光が魂を照らし、霊的真理が沁みわたれば、それでいいのです。それが大事なのです。それまでのことは全てが準備であり、全てが役に立っているのです。
魂はそれぞれの使命のために常に備えを怠ってはなりません。時には深い谷間を通らされるかもしれません。度々申し上げてきたように、頂上に上がるためにはドン底まで下りなければならないのです。
地上の価値判断の基準は私どもの世界とは異なります。地上では〝物〟を有難がり大切にしますが、こちらでは全く価値を認めません。
人間が必死に求めようとする地位や財産や権威や権力にも重要性を認めません。そんなものは死と共に消えてなくなるのです。が、他人のために施した善意は決して消えません。
なぜなら善意を施す行為に携わることによって霊的成長が得られるからです。博愛と情愛と献身から生まれた行為はその人の性格を増強し魂に消えることのない印象を刻み込んでいきます。
世間の賞賛はどうでもよろしい。人気というものは容易に手に入り容易に失われるものです。が、もしもあなたが他人のために自分なりに出来るだけのことをしてあげたいという確信を心の奥に感じることができたら、あなたはまさに、あなたなりの能力の限りを開発したのであり、最善を尽くしたことになります。
言いかえれば、不変の霊的実相の証を提供するためにあなた方を使用する高級霊と協力する資格を身につけたことになるのです。これは実に偉大で重要な仕事です。
手の及ぶ範囲の人々に、この世に存在する目的つまり何のために地上に生れて来たのかを悟り、地上を去るまでに何をなすべきかを知ってもらうために、真理と知識と叡知と理解を広める仕事に協力していることになります。
肝心なことはそれを人生においてどう体現していくかです。心が豊かになるだけではいけません。個人的満足を得るだけで終わってはいけません。今度はそれを他人と分かち合う義務が生じます。分かち合うことによって霊的に成長していくのです。
それが神の摂理です。つまり霊的成長は他人から与えられるものではないということです。自分で成長していくのです。自分を改造するのはあくまで自分であって、他人によって改造されるものではなく、他人を改造することもできないのです。
霊的成長にも摂理があり、魂に受け入れる備えが整って初めて受け入れられます。私どもは改宗を求める宣教師ではありません。
真の福音、霊的実在についての良い知らせをお持ちしているだけです。それを本当に良い知らせであると思って下さるのは、魂にそれを受け入れる備えの出来た方だけです。良さの分からない人は霊的にまだ備えが出来ていないということです。
イエスはそのことを〝豚に真珠を投げ与えるべからず〟と表現しましたが、これは決してその言葉から受けるような失礼な意味で述べたのではありません。いかに高価なものをもってしても他人を変えることはできないのです。自分で自分を変えるしかないのです。
私たちは同胞の番人ではないのです。各自が自分の行為に責任を持つのであって、他人の行為の責任は取れません。あなたが行うこと、心に思うこと、口にする言葉、憧れるもの、求めるものがあなたの理解した霊的真理と合致するようになるのは、生涯をかけた仕事と言えるでしょう。
あなたにできるのはそれだけです。他人の生活を代わりに生きることはできません。どんなに愛する人であってもです。なぜなら、それは摂理に反することだからです。そうと知りつつ摂理に反することをした人は、そうとは知らずに違反した人よりも大きい代償を払わされます。
知識には必ず責任が伴うからです。真理を知りつつ罪を犯す人は、同じ行為を真理を知らずに犯す人より罪の大きさが違うのです。当然そうあらねばならないでしょう。
一個の魂に感動を与えるごとにあなた方は神の創造の目的成就の一翼を担ったことになります。これはあなた方に出来る仕事の中でも最も重要な仕事です。魂に真の自我を悟らせてあげているのであり、これは他のいかなる人にもできないことです。ただし、この仕事は協調の上に成就されるものです。
私ども霊側も強引に命令することはしたくありません。あなた方の理性を押しのけたり自由意志を奪ったりすることはいたしたくありません。あくまでも導くことを主眼としているのです。あなた方が何か一つ努力するごとに、私どもがその目的に合わせ援助することによって、より大きな成果を挙げるように協力しているのです。
協力し合うことによって人生の全てが拠り所とするところの霊的基盤に関わる重大な仕事に携わることができるのです。
残念ながら多くの人間が実体と影、核心と外殻とを取り違えております。実相を知らずにおります。言わば一種の退廃的雰囲気の中で生きております──それが〝生きる〟と言えるならばの話ですが、霊の光の啓示を受けた人は幸いです。
私としてはあなた方に、頑張って下さいとしか申し上げる言葉を知りません。霊の無限の力が控えております。イザという時にあなた方の力となって支えてくれることでしょう。
自分がいかなる存在であるのか、何のためにこの世にいるのかについての正しい認識を失わぬようにして下さい。あなた方のようにふんだんに霊的知識に恵まれた方たちでも、どうかすると毎日の雑事に心を奪われ、霊的実相を忘れてしまいがちです。が、
それだけは絶対に忘れぬようにしなければなりません。地上という物的世界において生活の拠り所とすべきものはそれ以外にはないのです。
霊こそ実在です。物質は実在では無いのです。あなた方はその実在を見ることも触れてみることも感じることもできないかもしれません。少なくとも物的感覚で感識している具合には感識出来ません。しかし、やはり霊こそ全ての根源であることに変わりありません。あなた方は永遠の存在であることを自覚して下さい。
生命の旅路においてほんの短い一時期を地上で過ごしている巡礼者にすぎません。
ですから、こうして神の愛を表現する手段、才能、霊力を授かり、それを同胞のために役立てる仕事に携われることの幸せを喜ばなくてはいけません。神の紋章を授かったことになるのだと考えて、それを誇りに思わなくてはいけません。
これから後も人のために役立つ仕事に携わるかぎり、霊の力が引き寄せられます。人生の最高の目標が霊性の開発にあることを、ゆめ忘れてはなりません。自分の永遠の本性にとって必須のものに目を向けることです。
それは人生について正しい視野と焦点を持つことになり、自分が元来不死の魂であり、それが一時の存在である土塊に宿って自我を表現しているにすぎないこと、心がけ一つで自分を通じて神の力が地上に顕現するという実相を悟ることになるでしょう。
こうしたことは是非とも心に銘記しておくべき大切な原理です。日常の雑務に追いまくられ、一見すると物が強く霊が弱そうに思える世界では、それは容易に思い出せないものです。ですが、あくまで霊が主人であり物は召使いです。霊が王様であり物は従臣です。霊は神であり、あなたはその神の一部なのです。
自分がこの世に存在することの目的を日々成就できること、つまり自分を通じて霊の力がふんだんに地上に流れ込み、それによって多くの魂が初めて感動を味わい、目を覚まし、健全さを取り戻し、改めて生きることの有難さを噛みしめる機会を提供すること──これは人のために役立つことの最大の喜びです。
真の意味で偉大な仕事と言えます。地上のどの片隅であろうと、霊の光が魂を照らし、霊的真理が沁みわたれば、それでいいのです。それが大事なのです。それまでのことは全てが準備であり、全てが役に立っているのです。
魂はそれぞれの使命のために常に備えを怠ってはなりません。時には深い谷間を通らされるかもしれません。度々申し上げてきたように、頂上に上がるためにはドン底まで下りなければならないのです。
地上の価値判断の基準は私どもの世界とは異なります。地上では〝物〟を有難がり大切にしますが、こちらでは全く価値を認めません。
人間が必死に求めようとする地位や財産や権威や権力にも重要性を認めません。そんなものは死と共に消えてなくなるのです。が、他人のために施した善意は決して消えません。
なぜなら善意を施す行為に携わることによって霊的成長が得られるからです。博愛と情愛と献身から生まれた行為はその人の性格を増強し魂に消えることのない印象を刻み込んでいきます。
世間の賞賛はどうでもよろしい。人気というものは容易に手に入り容易に失われるものです。が、もしもあなたが他人のために自分なりに出来るだけのことをしてあげたいという確信を心の奥に感じることができたら、あなたはまさに、あなたなりの能力の限りを開発したのであり、最善を尽くしたことになります。
言いかえれば、不変の霊的実相の証を提供するためにあなた方を使用する高級霊と協力する資格を身につけたことになるのです。これは実に偉大で重要な仕事です。
手の及ぶ範囲の人々に、この世に存在する目的つまり何のために地上に生れて来たのかを悟り、地上を去るまでに何をなすべきかを知ってもらうために、真理と知識と叡知と理解を広める仕事に協力していることになります。
肝心なことはそれを人生においてどう体現していくかです。心が豊かになるだけではいけません。個人的満足を得るだけで終わってはいけません。今度はそれを他人と分かち合う義務が生じます。分かち合うことによって霊的に成長していくのです。
それが神の摂理です。つまり霊的成長は他人から与えられるものではないということです。自分で成長していくのです。自分を改造するのはあくまで自分であって、他人によって改造されるものではなく、他人を改造することもできないのです。
霊的成長にも摂理があり、魂に受け入れる備えが整って初めて受け入れられます。私どもは改宗を求める宣教師ではありません。
真の福音、霊的実在についての良い知らせをお持ちしているだけです。それを本当に良い知らせであると思って下さるのは、魂にそれを受け入れる備えの出来た方だけです。良さの分からない人は霊的にまだ備えが出来ていないということです。
イエスはそのことを〝豚に真珠を投げ与えるべからず〟と表現しましたが、これは決してその言葉から受けるような失礼な意味で述べたのではありません。いかに高価なものをもってしても他人を変えることはできないのです。自分で自分を変えるしかないのです。
私たちは同胞の番人ではないのです。各自が自分の行為に責任を持つのであって、他人の行為の責任は取れません。あなたが行うこと、心に思うこと、口にする言葉、憧れるもの、求めるものがあなたの理解した霊的真理と合致するようになるのは、生涯をかけた仕事と言えるでしょう。
あなたにできるのはそれだけです。他人の生活を代わりに生きることはできません。どんなに愛する人であってもです。なぜなら、それは摂理に反することだからです。そうと知りつつ摂理に反することをした人は、そうとは知らずに違反した人よりも大きい代償を払わされます。
知識には必ず責任が伴うからです。真理を知りつつ罪を犯す人は、同じ行為を真理を知らずに犯す人より罪の大きさが違うのです。当然そうあらねばならないでしょう。
一個の魂に感動を与えるごとにあなた方は神の創造の目的成就の一翼を担ったことになります。これはあなた方に出来る仕事の中でも最も重要な仕事です。魂に真の自我を悟らせてあげているのであり、これは他のいかなる人にもできないことです。ただし、この仕事は協調の上に成就されるものです。
私ども霊側も強引に命令することはしたくありません。あなた方の理性を押しのけたり自由意志を奪ったりすることはいたしたくありません。あくまでも導くことを主眼としているのです。あなた方が何か一つ努力するごとに、私どもがその目的に合わせ援助することによって、より大きな成果を挙げるように協力しているのです。
協力し合うことによって人生の全てが拠り所とするところの霊的基盤に関わる重大な仕事に携わることができるのです。
残念ながら多くの人間が実体と影、核心と外殻とを取り違えております。実相を知らずにおります。言わば一種の退廃的雰囲気の中で生きております──それが〝生きる〟と言えるならばの話ですが、霊の光の啓示を受けた人は幸いです。
私としてはあなた方に、頑張って下さいとしか申し上げる言葉を知りません。霊の無限の力が控えております。イザという時にあなた方の力となって支えてくれることでしょう。
自分がいかなる存在であるのか、何のためにこの世にいるのかについての正しい認識を失わぬようにして下さい。あなた方のようにふんだんに霊的知識に恵まれた方たちでも、どうかすると毎日の雑事に心を奪われ、霊的実相を忘れてしまいがちです。が、
それだけは絶対に忘れぬようにしなければなりません。地上という物的世界において生活の拠り所とすべきものはそれ以外にはないのです。
霊こそ実在です。物質は実在では無いのです。あなた方はその実在を見ることも触れてみることも感じることもできないかもしれません。少なくとも物的感覚で感識している具合には感識出来ません。しかし、やはり霊こそ全ての根源であることに変わりありません。あなた方は永遠の存在であることを自覚して下さい。
生命の旅路においてほんの短い一時期を地上で過ごしている巡礼者にすぎません。
シルバーバーチ
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