今年こそはと発願した人々の切なる祈りと思いが結晶し、
除夜の鐘で煩悩を一つ二つと清算して、
新たな思いで出発した2014年に、
幸あることをお祈り申し上げます。
それゆえ、信仰と、希望と、愛、その三つはいつまでも残る。
その中でもっとも大いなるものは、愛である。
コリント信徒への第一の手紙13章13節
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この行列も今は昔の物語 |
今年の感謝祭はいつもの年より一週間遅れでしたので、イソイソト過ごしている内に12月となってしまいました。
感謝祭の次の日は、ブラック フライデー クリスマス商戦突入大売出しの日です。
ワンサと広告が配達されて来ました。
近年感謝祭の夕刻から、この大売出しは始まるようになりました。
「買い物に出かけたら、感謝祭の団欒が壊されるじゃない」
フランスから娘が言ってきました。
所が、世は変わり、人々がインターネットで買出しをするようになり、この買い物も感謝祭の団欒の一部になっているのだそうです。
そのような訳で、我が家も感謝祭の後、何かの箱が郵送されてくるようになりました。
来年からは、無人小型ヘリコプターが配達してくるかもしれません。
面白いですね。
年末には、沢山の小型ヘリコプターが行きかうのでしょうか。
瞬く間に時が過ぎてしまうのですけれど、11月11日はベテランズ デーでした。
”復員軍人の日” です。我が家にも第二次世界大戦とベトナム戦争のベテランがいるので小さいケーキで祝い事をしました。
”復員軍人” と言う日本語。
私の脳裏に浮かぶ ”復員軍人” の姿は 悲しく、縁日なぞ人が出る日、白い服をまとって軍帽を被り、義手や義足を晒しながら物乞いをしていた姿でした。
息子(私の父親)が南太平洋で戦死してしまった祖母は、その復員軍人の痛々しい姿に実に物悲しい思いになり、「帰ってこられただけでも運が良いよ。」と呟いていました。
この夏フランスに嫁いで行った娘からこの日スカイプが入り、「旦那と私とアメリカから来た友達と3人でオマハ ビーチを訪ねたよ。沢山の十字架が並んでいて悲しかった。」と言っていました。フランスもアメリカと日を同じくしてベテランズ デーがあるそうです。
そのような訳で、この日息子と ”史上最大の作戦” を見ました。親父さんたちベテランは何度も何度もこの映画を見たので、もう沢山なのだそうです。
「この前みんなでこの映画を見たとき、あんたたち寝てしまったよ。」
その時は、この様な大作戦の映画を見ながら、寝てしまう若い子達に驚いたものでした。
今回は息子も熱心に見ておりました。 それというのも、娘の住んでいる町 ”RENNES"の名もしばしばでてきましたので、今回はより身近に感じることができたと言うものです。
今もなおかつ語り継がれるこの上陸作戦は、大変なものでしたね。
アメリカ軍が上陸したオマハ ビーチは最大の激戦地となり、3000名以上の若きアメリカの兵士が犠牲になったのみならず、町は破壊され進攻してきたドイツ軍につぶされ、さらに上陸してきた連合軍の追い討ちで、二重三重に人々は踏みにじられ正に生きた心地もない長い戦争の時を過ごしたものです。
「この数ある十字架は第二次大戦時の犠牲者だけでなく、第一次大戦の犠牲者も含まれているから8000以上の数だよ。行方不明の人は、十字架に名前だけ刻まれているそうよ。こんな悲しい光景を見たことがない」娘はスカイプで言っていました。
「ボルゴグラードの、ママエフの丘も悲しかったね。南太平洋で戦死した我が父親の”お骨壷” には、しなびたミカンが一個入っていたそうよ。」と私。
娘たちに同行したアメリカからの友達の95歳のお爺さんは、ノルマンディーの生存兵士の一人だそうです。ベテラン中のベテランですね。
この今は老いた克っての兵士は、今が平和で幸と満足しているでしょうか。
今だ地球上で戦争と戦争の噂の絶えない時、このような経験はもう誰もしたくはないですね。
何故か数日、日が出たシアトルの空、大いに気をよくして昨日は一日中落ち葉集めと庭の手入れに費やしました。
そして明けて今朝、御覧なさい”ドンヨリ”とした重い空模様。
「そらごらん。庭がきれいになってよかったよ。このドンヨリ天気が長らく続くことでしょう」
昨日も庭仕事をしていた隣の叔父さんは、今日もしていますよ。
「ところで、今日はハロウィンでしょう。あんたお化けたちの面倒を見てよね。」
息子 「やだよ」
子供たちが大きくなったので、我が家は誰も関心を持たないのです。
ハロウィン明けは ”聖者の日All Saints' Day”です。
カトリック教会の祝日の一つで、聖人たちと殉教者を記念する日で、「万聖節」と呼ばれていました。
そうです、この日を祝うことにいたしました。
子供たちが小さかった頃、”ラグ ラッツ”というカーツーンを彼らはよくみていました。
「”ラグ ラッツ” って何のことか知っている?
カーペットを走り回るネズミの事サ。うちの子供たちのようにネ」
親父さんが教えてくれました。
「ああなるほどね」
その時はそのまま過ぎ去っていったのでしたけれど、なんと最近友人の孫達の世話をするチャンスに見舞われ、正に文字どうり頷いたものでした。
1.5ヶ月の男の子のその行動は、正にカーペットを走り回るネズミそのもの。
そのスピード感と言い、あらゆる物に食らいつく有様と言い見事なものでした。
自分の子供が育つその頃は自らも若かったし、かなり早く彼らに対処できたけれど、年齢を重ねた今はアレヨアレヨと驚くばかり。
「子育てって若い人のやることよね」
穏やかな初秋とは、戦争が回避されたと言う意味です。
もちろん毎日、心痛いニュースは未だ絶える事はありませんけれど、それにプラス、シリア攻撃の連日の記事が加わらなくて済む、という日常は随分と開放されたというものです。
これを手始めに、武器を持っての攻撃は勿論のこと、言葉での攻撃ごっこも止めにして、平和を求める忙しさに世界が変わっていく、少しの希望でも見たいし知りたいものです。
9月も10日ともなると夏とは言いませんものね。
夏草は未だ青々と元気にしていますし、天気も夏のように暑いですよ。
それでも秋は、静かにやってきているのですよ。
我が家の葡萄もよく実ってきていますし、
あちこちの葉っぱなぞも ”そろそろ色ずこうかなー”
と思っている様子です。
そうそう、市場はハロウィンの化け物たちで、
すでに賑わいを見せています。
「やけに早いね。 」
親父さんが言っています。
ハロウィンは10月末なのにね。
”商魂”
夏の日の過ぎる事の早い事!早い事!
昼の太陽の没する時間は早くなり、日が短くなればより一層、過ぎ行く一日の短さを感じます。
8月15日お姉さんはフランスに嫁いでいきました。
その寂しさより何より、送り出すための準備万端の為に奔走した毎日であった上、彼女のチケットはデルタ エアライン家族パスのスタンドバイであるにもかかわらず、若い二人は自分たちが立ち寄るホテル、交通機関の全ての予約を手際よく済ませお金も払い、万一フランス行きの空席が無ければどうするの?と言うほどのスケジュールを立てていたのでした。
「今回は神様によくお祈りして、席をいただいたとしても、この次は自分たちで責任を持ちなさいよ。」 親としては苦情を一言、言うこととなりました。
幸いにしてビジネス クラスに席を得、我々はどれほど安堵の胸を摩ったことか。
彼女を送り出しても、25年間ともに過ごした彼女の余韻はまだ色濃くあるので、未だ遠くに行ってしまった実感がないのです。
それでも夕方になると、この時間に帰ってくるはずの彼女の姿が無いのがこの上なく寂しいのです。
気の毒なのは迷犬バスター君で、彼女が戻る時間になると彼女の部屋に様子を見に来ます。
「お姉さんまだ?」
「だから言ったでしょう。お姉さんはフランスにお嫁に行ったの。」
「フーン?」 ですって。
先日友の家を訪ねる途上、いつもの道のいつもの家の前を通りかかると鹿の像がおいてありました。「おや? 新しい見ものね。なかなか良いポーズよ。よくできていること。剥製かしら?」
数分後友と同乗して同じ道を来ると、何とその像が道の真ん中を歩いているではないですか。
「鹿、なんていわないで!今彼らと戦争中なんだから」友が言いました。
この界隈には祖父の貸家もあり、昨年までウロツク鹿を見かけたことは無かったのですけれど、今年は違いますね。
貸家の住人たちの庭のものは、野菜でも花でも何でも食べられてしまうそうです。
最近ガレージセールでなかなか見栄えのよい、金網のフェンスを手に入れて ”これでよし” と私は一人、悦に入っていたのですけれど、鹿対策には自分の背丈より高いフェンスが必要なのだそうです。
鹿は助走なしに、その場から一メートル以上もジャンプ出来るのだそうです。
”ビービーガン” がどうのとか怖い話も飛び出していますよ。
それにしても鹿さん達、美しく優雅で、かわいい目をして”敵”とみなすには余りに負債を感じてしまいますよ。
北米に生息する鹿の頭数は過去最大数に達しており、約30万頭にも及ぶとか。
こんな記事を発見しました。
なるほど。
鹿はやはり可愛いので、これといった対策もないそうです。
そうですか。ライム病なぞを媒介する”マダニ”の運びやでもありますのに。
”ドンドンドーン” 2階のドアーが激しく叩かれたので、何事かと出てみると黒い制服らしき物を着込んだ若い男性が立っていました。
私を見るや、彼が言うには「近所から通報があって、アンタンところのファイアー プレースで何やら不審なものが燃えているらしい。煙が立ちこめて数軒の家で迷惑している、何を燃やしているのか?」
私 「爺さんが木の葉を燃やしている」
消防士 「木の葉?」
盛夏に木の葉を燃やすのが不思議だったのか、木の葉が近所迷惑になるほどの物であるかしらと思ったのか、消防士が不思議そうな顔をしたので。
「まあー 兎に角、本人と話してみてよ。何せ91歳ですからね。われらの言うこと聞かないのよ。制服姿の人の言うことは真剣に聞くことでしょう。私にとってもありがたい事よ。」
消防士を案内して、リヴィング ルームに行ってもいない。
決っと枯葉を集めているに違いない、現行犯を目撃してもらうのもいいことだ。
枯葉集めに忙しい爺 様に消防士は何度も声をかけ、漸く爺様は事に気付き大人しく説明を受けていたようでした。
この爺様はその昔、テキサスの農場で生まれ育ち、ダイオキシンなぞという話もされたこともなく何でも燃やし、その時代はプラスチック製品なぞもそれほどなかったでしょうし、燃やすものは木とか紙とかそんなもので、何せ大地ですから、どれほど燃やしても煙が一筋くらいであったでしょうし、物を燃やすことに抵抗が無いらしいですね。
その後長いこと宅地に住んでいてもごく最近まで、近所はお互いにファイヤー プレイスで暖を取っていたし、ところが時は激しく移り人々が環境に神経質になり、ファイヤー プレースもあまり使わなくなり、一人なんでも燃やして悦にいっていた爺様は、何度か近所から苦情を言われ、ファックス マシンやプラスチックを燃やすのはやめて、紙や木の葉にしていたのですけれど、その量が激しいのでやはり隣人はウンザリしていたのですね。
いくらか気温が下がった昨今とはいえ、盛夏に煙突から沢山の煙が出ているなんてやはり異常ですよね。
独立記念日も、瞬く間に過ぎ去っていきました。
ワシントン湖の周辺の花火大会は、実に盛大なものでした。
輝かしい花火の打ち上げのように、アメリカ独立の輝かしい思想と意気も変わらぬものであって欲しいものです。
清教徒の深い信仰心は神の国を希求し、それを基盤として神様の大いなる意志によって建てられた国なのですから。
「来てごらん。猫2の餌を狸が来て食べている」
夜更け、娘がひそひそ声で知らせに来ました。
「何で狸と分かったの?」
「ガリガリと、大きな音立てて食べるのは猫ではない。」
私たちは外に住む猫2、すなわち野良猫 "オーちゃん" のために食事を外に用意してあるのです。
「シーッ」 我々は抜き足、差し足で娘の部屋のガラス戸をソーッと開けてみると、なるほど猫ではなさそうな動物がガリガリと大きな音を立てて、猫の餌を夢中で食べています。
「暗くて誰だかわからないじゃないの」
懐中電灯で照らしてみると、果たして狸。
振り向いたその姿の見事な野生美。
光で照らされても逃げないで、ドロボー風の目マスクもくっきりと我々をじーっと暫く見つめて、大胆不敵、又食べ始めました。
「へーイ! 狸見たい人!出ておいで」
家の中に声をかけると、親父さんが飛び出てきました。
「毛皮のコートにしても、襟巻きにしても上等のが出来そうね。」皆でこの狸の野生美を褒め称えました。
鶏さんが狙われるときはひたすら狸憎し。こんな余裕はないのです。
そして、今宵は満天の星。
「柄杓星がこれで、ほらほら流れ星」
しばらく星空に見入っていた私たち。
娘 「ちょっとお父さん! 何もっているの?」
お父さんは、息子のコレクションの 16世紀風の ”十手” を持って飛び出してきていたのです。
やはり天下泰平
メモリアル デー(戦没将兵追悼記念日)も過ぎ、夏が始まります。
今年のメモリアルデーには、日本の妹から戦死したわが父の70回忌の便りがやってきました。
「そうですか。70回忌なのですね。」
70年前に敵味方に分かれて戦った、連合国側の夫の父は91歳ですもの。
今もなおかつ地球上の此処かしこ戦争があり、年若い夫や、息子、兄や弟を戦地に送る親族の心はどれ程やるせない思いでしょうか。
我が家の仏間には、天寿を全うした先祖たちの遺影がありましたけれど、思えば我が父親の遺影はありませんでした。
若くして逝った夫や息子の遺影を、祖母も母も毎日見るに忍びなかったのでしょう。
幸いにして復員出来た兵士たちも今は老いて、大戦の経験者の多くは他界したことでしょう。
”昭和は遠くなりにけり ”
地には平和を
皐月も何と、半ばを過ぎてしまったのですって!
苗床と種まきと、瞬く間に伸びる芝生と雑草と庭木の手入れに、鶏、カモ、亀etc.並み居る動物たちそして人間様に食べさせていると、一日がすぐに終わってしまいます。
自然界も桜もチューリップも咲いて散り、今は"Coast Rhododendron"(シャクナゲ)の大輪の花の豪華なる時です。
石楠花はワシントン州の州花なので、この地の人々にことさらに愛され、そこかしこの庭先を華やかにしております。
我が庭先にもありまして、”花とバスター犬、花と猫1、花とお母さん” なぞと娘が写真に収めております。
で、この花大きいので掃除するのが大変なのですよ。と、お母さんはいつも現実的でして、、、、
ほどなく夏の始まりを告げる、「メモリアル デー」も2週間後。夏も駆け足でやってきます。
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ロシアの仲良し犬さんと猫さん |
何かにつけお爺さんの腰ぎんちゃく、バスター君が ”抜けている" とか ”ズッコケている” とか’噂に上るのですが、最近プールに落ちたことから、”やはり" と誰もが頷きました。
原因は、プール サイドで娘がからかったので、ほんの少しの ”おからかい” でも小さなバスター君を不安にするのです。
からかわれたバスター君は、恐れて後ずさりしたらプールに落ちてしまいました。
私は落ちた現場を見たのですけれど、随分と慌てふためいてもがいていましたよ。
”犬っかき" くらいできるのでしょうに、何でこんなに慌てふためくのかと呆れていたら、ゲラゲラ笑いながら娘がすぐに救い上げました。
そしたら ”お爺ちゃーん” なんて感じで、無我夢中で家の中に駆け込んでいきました。
落ちたのも不可抗力というものですけれど、それがバスター君らしいと、皆から大笑いされてしまいました。
その後ほどなく、
私が娘と携帯で話している部屋のガラス戸越しに、バスター君が血相をかえて家の中に逃げ込もうと、足早に通り過ぎて行く姿が目に止まりました????
と、その後を、猫1も血相を変えて足早に通り過ぎていくので、”やや? 前庭で何事かが起こったのか??” 私は不安になり、戸を開けて恐る恐る前庭を伺い覗くと、息子が立っていました。
息子は20歳を過ぎた今も、2歳児のように犬猫をからかうので彼らは息子をとても恐れるのです。
その事情を知った私は、血相を変えて避難した彼らの姿が可笑しくて笑い転げてしまいました。電話の向こうの娘も事情を知って笑い転げていました。
天下泰平
ある朝早く、何人かの友人と近くの公園を散策しました。
この公園はワシントン湖に突き出た小さな半島で、July 4thの花火大会や8月初旬のSea faire には満員御礼となります。
湖を見下ろす丘の上の木立は樹齢何百年とでも言いましょうか、針葉樹が天を付きスックト立っております。
「この木立に、白頭鷲が住んでいるのよね」
その時木立の天辺につがいのイーグルが現れ、優雅に雄雄しく舞ってくれました。
アメリカ人が愛し、誇ってやまない雄姿でした。
それにしてもアメリカ人はなぜこの輝かしい鷲を ”Bald eagle” と名付けているのでしょうね。
親父さんの禿頭なんかを連想するには、余りに気高い容姿ですのに。
子供たちと買い物に行く道すがら、小さな桜並木に精一杯咲く小さな桜が可愛らしく、みんなで愛でました。
「ワシントン州立大学の桜が綺麗なころよ。」 娘が言いました。
昨年までそこの学生であった娘は、大学構内の見事な桜並木を自慢していました。
「そうよね。日本もお花見のころよ。茣蓙敷いて、おにぎり食べて歌って飲んで。。。。飲んだくれて」
「エー 歌って飲んで、日本人が飲んだくれて?」
子供たちは驚きの声を上げました。
彼らにとって日本は洗練されている国で、花の下で飲んだくれる日本人の姿は思い浮かばないようです。
「Once upon a time の話しているのよ」
友達が言うには
「この間大学の桜を見に行ったら、日本人が沢山居てお酒も飲んでいたわよ」
「エッ」
イースターの時期になると、この映画がどこかのチャンネルで放映されるので何回か見る機会がありました。
ローマで熾烈な迫害を受けたクリスチャンの物語は余りに有名ですけれど、この映画の最後の場面がいつも印象的でした。
細く枯れたような小枝に、小さな綺麗な緑の芽が出ているラストシーンでした。
イエス キリストの復活に相応しい、美しい余韻がありました。
さて春ですね。
暖冬のまま春を迎えました。
木の芽や花の芽が、可愛らしくここかしこ挨拶を始めました。
女性たちの会合が最近あって、この時期の困ったことが持ち出されました。
ありがたい自然環境で生活できる私たちですけれど、鹿さんたちがやってきて芽の出た花の芽をみんな食べてしまったのですって。
ほんの最近まで可愛らしい友であった、ロビンさんはブルーベリーの実が大好きで、昨年食べつくされてしまった婦人が言うには、彼らは今や敵となったのですって。
我が家には鹿も出ず、ブルーベリーも昨年まではなかったのですけれど、狸が鶏を連れ去ったし、美しいマガモさんたちはプールの周りもトイレも識別できませんの。
時にはプールをトイレと勘違いして落としてくれるので、「ヤック! もう家のプールで泳げない」娘がうんざりしています。
自然界の鳥や動物が訪れてくれるのは、この上ない嬉しい事だし、そこはかとない福をもたらしてくれるようだし、脳みそが彼らより少しは大き者達が知恵を使って共存の方法を編み出さなければなりませんね。
熊まで訪ねてくれる、と言った人もいましたよ。
女の子一人が二人の男の子を連れて、早々と2月の始めにやってきたマガモさんたちも、一つのカップルが成立して男の子一人が仲間はずれになりました。
マガモさんの世界は一夫一婦制でありながら、なぜか男の子が多いそうです。
この外された哀れな子は、何故か未だこのカップルに付きまとっているのです。
カップルの近くには寄らず、プールを見下ろす隣の家の屋根の上で立ったり座ったり ”屋根の上のマガモ” になってしまいました。
そんなある日、いつものようにカップルがおやつをねだりに来たので与えていると、屋根の上からバサーッと物音立てて、”屋根の上のマガモ" が飛び降りてきました。
カップルの男の子は激しくこの闖入者を追いたて始め、屋根の上に追い返してしまいました。
その後しばらくして、又このカップルがお八つをねだりに来たので、「あんた達仲間に意地悪したから、今日はもうあげないわよ。」
夕方近く、またまたカップルがおねだりにやってきました。
そのとき留守になったプールをめがけて、”屋根のマガモ” がプールに着水しました。
「ヤッ!」
キッとしたカップルは急遽プールに戻るや、オスのほうが激しく闖入者にアタックを始めました。
このときは闖入者も激しく応襲し、大変な騒動になりました。
女の子は「アレヨ アレヨ」とその周りをうろうろし、時にはトバッチリをうけて殴られたりもし、素早く見事な潜水で逃れていました。
私は「どうしようかな?弱そうな男の子に助太刀してあげようかしら」と思いつつ思わぬ光景を観察しておりました。
水を蹴散らかして殴ったり蹴ったり、首を締め付けたり、ヤルコト ヤルコト!
女の子をひとり置いて彼らは大立ち回りです。
時は16世紀。
綺麗な衣装を纏った、青年貴族の決闘の様にも見えました。
やがて ”屋根の上のマガモ” は、力尽きてスゴスゴと私の前を通り過ぎていきました。
「あんた負けてしまったの。かわいそうにね。」
その後を勝った者は、居丈高に追いかけて来ました。
「意地悪するんじゃないよ。日本人の言う ”カモ鍋" ってあんた達のことらしいよ。」
今考えてみれば、この時この子を蹴飛ばしてやればよかったですね。
追い詰められた ”屋根の上のマガモ” は隣の屋根に飛びました。
勝者は執拗に追いかけ、屋根の上にいるのも許さず、視界から見えなくなるまで追い出しにかかりました。
そうだそうだ、この次は勝者の足をふんずけてあげよう。
”春の3月そよ風吹いてどこかで春がうまれてる”
マガモさんたちのことを心配していたら、3月になっていますよ。
3月一日を期して一斉に鳥たちが飛び交っています。
”春が来た春が来た”
なんて言っているみたいですよ。
ポーチの脇の梢で、小型のフィンチ3羽がお喋りしているなと見ているうちに、あわてて飛び去って行きました。
そこに戦闘態勢の低空飛行でやってきたのが、ステラージェイでした。
小さい鳥に意地悪しよう、とたくらんでいたようでした。
相変わらずお騒がせのジェイが飛び去った後、またフィンチがやってきておしゃべりを始めました。
コーフィー片手に庭に出てみると、ハミングバードも挨拶してくれましたし、ロビンのような姿で、嘴のとがった鳥、何でしょうかね。
冬将軍の追跡を脱し、暖冬のまま春を迎えるのかな?
今になってドカ雪がやって来ても、降っては解ける春の淡雪。
よかったね、マガモさんたちも。
野良に住むことを余儀なくされた猫2も。
2月の始めにマガモたちが、我が家のプールにやってきてしまったのですよ。
年明けの一週間ほど霜が降り氷が張ったりした後,何故か春のような日が続き、麗らかな気分になっていたら、思いがけないマガモさんの訪来。
「ちょっと、気が早過ぎない?未だ冬なのよ。雪が降るかもしれないし。どうするの?」
そんなことにはお構いなく、お母さんと二人の息子でしょうか。
二人の夫でしょうか?
女一人に男が二人ですよ。
この3人ずれは人懐こく、あるいは世間知らずのヤングであるのか「お腹すいたよー」なんていって娘の部屋の戸口に現れるのです。
たらふく食べて、一日を過ごし夕飯をねだって満足して夕暮れには帰って行きます。
「この白く点々と、プールからあんたの部屋まで落ちているのは、彼らの感謝の印よ。」
「ヤダー」
そんなわけで、このまま春が来てほしいと願うこの頃です。
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クロード・モネ 《霧のウォータールー橋》 |
どうした事か年が明けて数日間の晴天の後は今日に至るまで、レイク ワシントンの南の果ての我が家界隈は連日スッポリト霧に覆われております。
「毎日がこんなのって始めてよね。ロンドンフォッグみたいね」
「無風状態になってしまっているよね」 家人たちと話しています。
丘の天辺はもっと霧が深いのを忘れて、踏み込んでしまうと、時として一寸先も見えず、歩くほどにゆっくりと車を動かしていかなければならない羽目となります。
その昔、漱石先生が憧れのロンドンに来て見れば、”霧と馬糞の匂いにうんざりして日本に帰りたくなった。" と書いておりましたけれど、よくわかりますよ。
霧って。時には情緒もあるけれど、毎日続くとうんざりするものですね。
馬糞の匂いが無いのが何よりですけれど、
いまさら驚くことではありませんが、人間と自然とは何とよく似ていることでしょうか。
このワシントン湖に臨む丘の上に住んで7年になり、毎日がどんなに忙しくても、一度や2度は湖を目にします。
毎日毎日目にしているうちに、この水の色、水の状態は、この湖が出来て以来一度なりともまったく同じ色であったり、状態であったりしたことは無かったのですね。
空も木々の囁きも、鳥たちの活動も同様に、数限りない変化を見せてくれます。
そして人間も同じです。
日々の生活も同じように流れていく単調な日々を送る老人であっても、何かが昨日とは違っているし、若者においてはいうまでもありません。
そしてこの数限りなく存在する人間も、その昔の昔からまったく同じ姿かたちの人はいなかったでしょうね。
双子であっても、まったく同じではないのですから。
我が家のコピーしたような猫1にしても猫2にしても、よくよく見れば随分と違うのですから。
又改めて、神様の創造とは偉大で神秘的と、自然の中に驚く日でした。
世に3D映画と言うものがあり、大層な話題になって久しく、今さら話題にならないものの、昨年末まで私は見たことがありませんでした。
年の瀬、その私に同情して、家人たちが ”ホビットの冒険” に誘ってくれました。
大金を稼いでいる映画だそうですけれど、クリスマス イヴ われ等が映画館は空っぽでしたよ。
それも甚だしく空っぽで、映画館は華麗なモールの中にありながら、われ等4人のその後ろに4人位しかいないという空っぽさでした。
”やっていけるのかなー” と皆で心配してあげました。
3 Dですからプラス何がしのお金を払いながら、この3Dというの、私には不向きでした。
第一に、メガネをしている私がその上からメガネをするって、実に煩わしいですよね。
メガネの上からメガネのせいか、人間に丸みが無く、紙細工の様に見えもし、雨が降りかかってくるし、喋喋が鼻の辺りにフワフワと舞うのでクシャミガ出そうだし、やたら画面が忙しくて甚だしく疲れてしまいました。
年若い息子でさえ、頭が痛いと言って散歩に出てしまいましたもの。
彼は、”もう少し我慢をして長居をしていたら吐くところだった。”とさえ言っていました。
どうやら私が年のせいで、目が回ったと言うわけでもなさそうでした。
もう少しすると陰暦の新年がやってまいります。
多民族の国ですから、いつも何かのお祭りがあって楽しいですよ。
日本では出初式が松の内の締めくくり、明日からは仕事だ学校だと、おとそ気分もおしまいの雰囲気ですね。
我々もクリスマスからお正月、家人の仕事も休みの日が重なり、彼らが家をウロウロしながら、靴下や車のキーを何処そこに置き忘れたことや、セレフォンを無くしたこととか、お腹がすいたとか止め処も無い処理に追われ、今ようやく何時ものスケジュールを取り戻しつつあります。
これから2月にかけてはひたすら寒さの時期を耐え忍びながら、と言っても昨年今年のシアトルの天候は6度とか7度ですから、どこそこの春のような気温ですよね。
それでも昨日は共同農場の話しが出たりして、春に向けての準備が胎動しております。
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レイニヤ山 |
A Happy New Year
今年のシアトルの一月一日は大晴天日ですよ!
我が家の目の前に展開される、カスケードの山々その最高峰のレイニヤ山は勿論のこと、レイク ワシントンの周辺の山々が天辺に雪を頂いて、「新年おめでとう」 と挨拶してくれています。
我が一家も窓辺に立って、「美しい姿を見せてくれて有難う」 とお礼を言いました。
世界情勢も、経済状態も宜しくない、心配要素が世情にはたくさんありますけれど、家族と隣人と仲良く過ごして生きましょう。
今年もよろしくお願いいたします。