メモリアル デー(戦没将兵追悼記念日)も過ぎ、夏が始まります。
今年のメモリアルデーには、日本の妹から戦死したわが父の70回忌の便りがやってきました。
「そうですか。70回忌なのですね。」
70年前に敵味方に分かれて戦った、連合国側の夫の父は91歳ですもの。
今もなおかつ地球上の此処かしこ戦争があり、年若い夫や、息子、兄や弟を戦地に送る親族の心はどれ程やるせない思いでしょうか。
我が家の仏間には、天寿を全うした先祖たちの遺影がありましたけれど、思えば我が父親の遺影はありませんでした。
若くして逝った夫や息子の遺影を、祖母も母も毎日見るに忍びなかったのでしょう。
幸いにして復員出来た兵士たちも今は老いて、大戦の経験者の多くは他界したことでしょう。
”昭和は遠くなりにけり ”
地には平和を
お父さんは戦死だったのですね。
ReplyDelete私の父は一時的な復員中の爆死だったと聞いています。
片親、未亡人の多かった時代…
母の弟はレイテ島で特攻隊として散りました。
今もあちこちで戦いが続いているという現実に、
犠牲となって行った多くの人々がどんな思いでしょう。
生きている者の責任として、世界平和のために、
猛進しなければなりませんね。
私たちは父親の顔も覚えてはいませんね。
ReplyDelete私の父はパプア ニューギニアで戦死しました。
レイテ島も、復員出来た人達はほんの少しでしたね。
特攻隊であればなおさらのことです。
かろうじて帰還した父の戦友が、我が家に訪ねてきたことを覚えています。
「自分だけが生き残って申し訳ない」そのような負債を、この時代の人たちは持っていたようでした。
共に苦闘を分かち合った、戦友たちの絆の深さを幼心に感じたものでした。
そのような思いが、平和への希求として貴重なものと思います。