Teachings of Silver Birch
私たちが携わっている仕事には重大な目的があります。絶対不変の摂理の存在を証明すると同時に、地上の人間に慰めを与え、霊的知識を広めるという目的があるのです。物質を超えた法則の存在を示すだけでなく、霊的真理を明らかにすることも私たちの仕事なのです。
その仕事の前途に立ちはだかるのは、誤った宗教的教義によって築かれた巨大な組織です。何世紀にもわたって続いてきたものを元に戻さなくてはなりません。偽りの教義を土台として築かれた上部構造を取り壊さなくてはならないのです。
私たちは物質世界の子供たちがどのようにすれば霊的真理の光に浴し、伸び伸びと生きることができるか、どのようにすれば人間的産物である教義への隷属状態から脱け出せるかをお教えしようとしているところです。もとよりそれは容易な仕事ではありません。なぜなら、いったん宗教的束縛を受けるようになると、迷信の厚い壁を真理の光が突き抜けるには、永い永い時間を要するからです。
私たちは常に霊的真理の宗教的意義を示そうと努めています。なぜなら地上人類がその霊的な重要性を認識すれば、戦争や流血による革命よりも、はるかに大きな革命が生じるからです。それは“魂の革命”と呼ぶべきものです。地上のすべての人間が霊的存在としての本来の権利――霊の自由を享受する権利を手にすることになります。そのときには何世紀にもわたって人々の魂の足かせとなってきたものが、すべて取り払われることでしょう。
私たちが忠誠を尽くすのは、一つの教義ではなく、一冊の書物でもなく、一つの建造物でもなく、生命の大霊とその永遠なる摂理です。
いずれ、強大な霊力が物質界へと流入します。あらゆる国において、その威力を感じ取ることができるようになります。地上世界の利己主義と無知を駆逐するという重大な仕事には多くの苦労がともないますが、いつかは必ず成就します。
あなた方の味方として、数えきれないほどの霊が差し向けられております。その中には、あなた方がよく知っている人々もいます。血縁でつながっている人もいれば、あなた方への愛の念から馳せ参じている人もいます。またそれ以外に、あなた方とは縁もゆかりもない人々で、自分の存在を知ってもらいたいとも功績を認めてもらいたいとも思わず、ただひたすら自分を役立てたいとの願いから参加している霊が無数にいることを忘れないでください。
地上世界は、サウロがダマスカスへ向かう途中で体験したという目が眩(くら)むような閃光(せんこう)で一気に改革されるものではありません。霊的真理に目覚める人の数が増し、大霊の霊力の道具が増えるにつれて、少しずつ霊的な光明が地上界に行きわたるのです。
訳注――サウロ、のちのパウロは、もとはキリスト教徒に対する迫害の急先鋒で、いよいよ聖地エルサレムで教会を徹底的に破壊する目的で旅に出た途中、ダマスカス近くにおいて突然、天から光が降ってきて彼を包み、彼は目が眩んでその場に倒れた。すると「サウロよ、何ゆえにそなたは私をそうまで迫害するのか」というイエスの声が聞こえた。彼の目はそのまま三日間も見えず、飲み食いもできないほどだったという。この体験がもとで、サウロは後にキリスト教初期の最大の伝道者となっていく。
霊に関わることは慎重な配慮による養成と進歩を要します。急激な変心は永続きしません。私たちの仕事は永続性を目指しています。一人また一人と大霊の道具となり、暗闇から光明へ、無知から知識へ、迷信から真理へと這い出ることによって地上界は進歩するのです。その一人ひとりが物質第一主義の棺(ひつぎ)に打ち込む一本のクギなのです。
人間の発達には二種類あることを知らなくてはいけません。精神に関わるものと霊に関わるものです。前者は心霊的(サイキック)能力の発達にすぎませんが、後者は魂そのものの成長です。サイキック能力が発達しても魂の成長がともなわなければ、低いバイブレーションの仕事しかできません。両者がうまく結びついたときには、優れた霊能者であると同時に、偉大な人格を備えた人物となります。
私たちは、素晴らしいメッセージを地上という物質界へお届けしているところです。それは人間を真の意味で自由にし、大霊から授かった資質をありがたいものだと思わせてくれるメッセージです。あらゆる束縛や足かせを捨て去る方法を教え、霊的知識を満喫させてくれるメッセージです。物質界だけでなく死後の世界にも通用する生き方を教えてくれるメッセージであり、美と愛と叡智、理解力と真実と幸せをもたらしてくれるメッセージです。そして「人のため」というサービスの精神を説くメッセージなのです。
それなのに私たちは、大霊の啓示が理解できない人たちによる拒絶に遭っております。彼らは、いつの時代にもそうであったように、霊というものの存在を否定します。
しかし私たちの行っている仕事は、今後ますます必要性を増していきます。地上世界は流血と苦悩の涙と敵意にあふれています。霊的無知の中で地上人は、神の摂理にそって生きるのではなく暗黒と絶望へ向かう道を選択してしまいました。
そこで私たちが、希望と光明、安らぎと調和へと導く叡智をお教えしようとしているのです。それを地上の人間は無知ゆえに軽蔑します。私たちが届けようとするメッセージを拒絶し、霊力の働きかけを否定します。しかし、そうした態度にかまわず、真理は確実に地上に広がっていくことになります。大霊を始原としているからです。
神の摂理に逆らった生き方をする人は、自ら苦い結果を刈り取らなければなりません。摂理に素直に従って生きる人は、物的な面においても霊的な面においても、幸せと豊かさを手にすることになります。
地上界に蔓延している暗黒の中にあっても決して希望を失うことなく、人類の霊的成長のためにあなた方とともに働いている霊たち、物質界を少しでも良くしようと心を砕いている霊たちは、必ずや勝利するとの信念に燃えてください。それは宇宙で最強の力だからです。
価値あるものは苦難と悲哀なくしては成就しません。その教訓を地上人は、体験という唯一の方法によって学ばなければなりません。私たちは物質界の全側面に突破口を開こうと努力しているところです。私たちのメッセージが各分野の人々の心を明るく照らし、霊の光が広がるにつれて唯物主義の暗闇が消滅していきます。
私たちは、神の懲罰という脅(おど)しをちらつかせてあなた方を怖がらせようとしているのではありません。あなた方を、不安におびえて人生を歩むような臆病者にさせようとしているのではありません。私たちは、人間の内部に存在している神性に気づかせてあげることで、あなた方が大霊をもっと顕現させ、さらなる高みへと自らを引き上げ、その心がより高次の真理と知識で満たされるように努めているのです。
これまでに得たもので満足してはいけません。良い意味での不満と向上心が、より大きな知識を呼び込むことになるのです。手にしたものに満足してしまう者は、そこで留まってしまいます。満足できない者が、より大きな自由を求めて苦闘するのです。
「理屈を言ってはいけません。ただ信じればよいのです」――私はそんなことは申しません。反対に「神が与えてくださったもの(知的思考力・理性)を存分に使って私を試してください。しっかり吟味してください。そして、もしも私の言うことに卑劣なこと、酷(ひど)いこと、道徳に反することがあれば、どうぞ拒否してください」と申し上げます。
私たちは常に、崇高な生き方、高い理想を求める献身的な生き方を説いています。私たちの教えには、大霊の刻印が押されています。
もし私たちが、たった一個の魂を引き上げてあげることができたら、喪の悲しみに沈んでいる魂に慰めを与え、意気消沈している魂に希望を与え、人生に疲れきった魂に生きる力を与えてあげることができたら、それだけで十分に価値ある仕事をしたことになるのではないでしょうか。
私たちがお届けするメッセージに困惑する人々、教義に縛られているために逃れようにも逃れられず、それでいて“自由”の呼び声が聞こえて必死にもがいている多くの人々がいることを思い起こしてください。
私たちのメッセージは、そうした人たちを意図したものです。そのメッセージが魂に大きな刺激を与えるのです。すべての真理は(進歩のための)踏み石にすぎません。
今こうして語っている霊媒の口から、皆さんの理性が反発を覚えるようなこと、大霊の愛と矛盾するようなこと、愚かしいこと、皆さんの知性を侮辱(ぶじょく)するようなことが聞かれるようになったら、それは私の失敗を意味します。そして私の時代は終わりを告げることになるでしょう。
何度も申し上げてきたことですが、私自身としては皆さん方の魂の最も崇高な願望に反するようなことは何ひとつ述べたことはないつもりです。私たちは常に、あなた方の内部にある最高のものに訴えるように心がけています。
地上の人間は、自分自身の魂を救済することを学ばなければなりません。そのための既成の方法というものはありません。前もって用意された型通りのシステムというものはないのです。あらゆる生命現象の背後に永遠の実在としての霊が存在していること、人間も物的身体に宿っているという点では物的存在であっても、その身体を通して自我を表現している霊的存在であることを理解しなければなりません。
まず、生命を維持するために必要なすべてのものを大霊の意図している通りに存分に摂取して、肉体を健康にしておくことです。そのうえで、既成宗教のドグマや信条の束縛から精神を解放しなければなりません。無意味なもの、霊的価値のないものに忠誠を尽くすことなく、真実のためにのみ働き、これまで何千年もの永きにわたって地上人類を束縛してきたドグマ(教義)をめぐる戦争や論争や不和をなくさなければなりません。
私たちは、大霊を共通の父として全人類が霊的に同胞であるという福音を説きます。その福音の理解を妨げるのがこの世的な概念であり、間違った土台の上に建てられた教会であり、既得権力の横暴であり、狭量で独裁的な支配者の高慢と強権です。
私たちの教えが地上に広まるということは民族間の離反の終わりを意味します。国家間のバリア(障壁)の消滅を意味します。人種や民族や階級の差別、さらにはチャーチ、チャペル、テンプル、モスク、シナゴーグなどの区別もなくなります。なぜなら、それぞれが大霊の真理を宿しており、他の宗教の教えの中に含まれる真理は、自分の信じる宗教で大切にされているものと矛盾しないことを悟るようになるからです。
見た目には混乱が生じているようであっても、地上に真理が広まることによって神の意図が具現化し、調和と平和が訪れるようになります。こうしたことを申し上げるのは、あなた方に、地上に真理を広めるための壮大な計画の一端を知ってもらい、私たち霊界の者がこうして物質の世界へ戻って来たのは、それを推進するためであることを理解していただきたいからです。そして今回の地上生活を終えるまでに、あなた方一人ひとりに果たさなければならない役割があることを知っていただきたいのです。
私たちが説く教えは、かつての改革者たち、聖者と呼ばれた人たち、予言者たち、あるいは理想主義者たちが、それぞれの時代に天啓を受けて説いた崇高な教えと完全に一致しています。彼らは魂の偉大さゆえに、霊的な視力によって霊的実在を垣間見ることができました。そしてその美しさ、その素晴らしさが、逆境と葛藤の中にあって心の支えとなったのです。
彼らは、いつの日にか実現する神の計画を理解していました。だからこそ物質界の子らを高揚すべく努力し、自分を役立てたのです。
彼らは、手を差し伸べた物質界の子らから貶(けな)されました。反抗され、嘲笑の的にされました。しかし彼らの仕事は生き続けました。今、世界各地で行われている無数の交霊会――この交霊会もその一つですが、そこに参加した人々は忘れ去られても、交霊会は存在し続けます。強烈な霊力が再び物質界に放たれています。地上のいかなる力も、その潮流をせき止めることはできません。
地上の人間は相変わらず流血によって問題が解決するかのように考えていますが、歴史をご覧になればお分かりのように、流血という手段で問題が解決した例(ためし)はありません。流血という行為は、何の益もない無用なものなのです。
人間はなぜ、大霊が与えた理性を使わないのでしょうか。なぜ、唯一の解決法ができるだけ多くの相手を殺すことだと考え、最も多くの敵を殺した者を英雄として称えるのでしょうか。地上というところは不思議な世界です。
あなた方の世界は、私たちからのメッセージ・霊の教えを必要としています。霊的真理についての理解、すなわち霊的摂理の存在と、自分自身の内部(魂)とより高い世界(霊界)からの導きがあることを知る必要があります。そうすれば困難に遭遇したときには慰安と導きと援助をどこに求めるべきかを、学ぶことができるでしょう。
私たちは、何ひとつ見返りを求めてはいません。栄誉を欲しているわけではありません。ただ、皆さん方のお役に立ちたいと思っているだけです。忘れられてしまった霊的摂理を改めて啓示し、それによって地上の人間が物質界にも存在する霊力を再発見し、新たな希望と新たな生命を呼び覚ますことになればと願っているのです。
古い規範が捨て去られ、あらゆる権威が疑念を持って見直され、その威力が衰えつつある今、私たちは大霊を絶対最高の権威として明らかにしようとしています。決して働きを止めず、また誤ることもない摂理として顕現している大霊を啓示しようとしているのです。その大霊の摂理にのっとった生き方さえすれば、地上界に再び平和と調和が訪れます。
それが私たちの使命のすべてというわけではありません。見捨てられた古い信仰の瓦礫(がれき)の中にある人間が、単なる疑念や不信からすべてを拒絶することなく、本物と偽物とを選り分け、真に価値あるものを手にすることができるように働きかけることも私たちの仕事です。あらゆる宗教の内奥(ないおう)に秘められたもの、長いあいだ地上人の想像物の下敷きとなってしまっている霊的真理を我が物とすることができるように仕向けることも使命の一環なのです。
もし、地上の子供たちが摂理の働きの中に霊力を見いだすことを学べば、その昔、人々を鼓舞し、洞察力と勇気、奉仕への熱誠と願望を与えた霊力を今日でも活用することができるのです。
教会・聖典・教義――こうしたものは今や衰微の一途をたどっています。少しずつ廃棄されていきつつあります。しかし、霊的真理の権威だけは永遠に変わることはありません。私が地上界へ戻ってきたとき目にするのは混乱と無秩序ですが、鮮明な霊の光――隙間からもれるわずかな光ではなく、すべてを照らす強力な光が降り注ぐようになれば、それらは立ちどころに消えてしまいます。
その光が得られるというのに、なぜ人間は暗闇を好むのでしょうか。知識が得られるというのに、なぜ無知のままでいたがるのでしょうか。叡智が得られるというのに、なぜ迷信にしがみつこうとするのでしょうか。生きた霊の真理が得られるというのに、なぜ生命のない死人の骨のような教義を好むのでしょうか。霊的叡智の水が得られるというのに、なぜ神学という濁った水を好むのでしょうか。
自ら選んだ暗闇の中で、自由になれるのに鎖につながれ、奴隷のような生き方をしている魂が数多くいます。私が案じているのは、そうした束縛された状態があまりに長く続くと、その束縛から解き放たれるのが怖くなってしまうことです。鳥カゴの中で長いあいだ飼われていた小鳥は、鳥カゴから放たれたときに、もしかしたら飛べないのではないかと心配になるものです。
ですから、束縛から解放してあげるのはよいのですが、自由になったときに歩むべき道も用意してあげないといけません。何の道しるべもない場所へ放り出したままにしておいてはいけません。自由になってもらわなければなりませんが、同時にその自由が導いてくれる道も教えてあげなくてはならないのです。
人間というのは、長いあいだ束縛された状態に置かれたあとで自由になると、誰のアドバイスにも耳を傾けようとしなくなるものです。「いや、もうけっこうです。これまでさんざん懐疑と困惑を味わってきて、今ようやく脱け出たところです。宗教というものには、もうこれ以上関わりたくありません」――そう言って拒否するのです。一種の反動です。
私は、私という一個人、メッセンジャーとしてのシルバーバーチに多大な関心を寄せていただくことを望んではいません。私はただ、皆さんにメッセージを送り届けているだけなのです。
これまで人類は、教えを説く人物に度を越した関心を寄せ、過大評価して途方もない地位に祭り上げ、肝心な教えそのものをなおざりにしてきました。
私たち霊団の使命は、誰かを権威ある地位に祭り上げることではありません。真理と知識と叡智を授けることです。語る言葉が真理であるかぎり、私が歴史的に名高い人物であろうと無名の人物であろうと、それが何の関係があるというのでしょう。私たちは名前や権威をかざすことなく、理性に訴えます。
私たちは、人間の知性が反発を覚えるようなことは何も要求しません。真実とは思えないようなこと、人間としての品位にもとるようなこと、卑劣なこと、人類を侮辱するようなことは説いていないつもりです。人類全体を引き上げ、宇宙の生命機構の中における人間の存在価値についての正しい概念を大霊との結びつきによって啓示し、地球全体としての霊的一体関係についての理解を得させてあげたいと願っているのです。
私たちは、すぐに聖典の文句を持ち出したり、指導者の言葉や権威に頼るようなことはしません。人間が神から授かっている理性を頼りとして、これに訴えます。私たちがお届けする真理は“聖”の文字を冠した書物の言葉を引用することで広められる性質のものではありません。理性に照らして納得がいかなければ、拒否してくださってけっこうです。
しかし、すでに皆さんは、私たちが最高にして最善の人間的本性に訴えていること、古い時代からの間違った概念を払いのけて、これなら人々も大事にしてくれるであろうと思われる真理をお届けしていることを理解してくださっているものと信じます。“宗教”と呼ばれているものは「真理」を土台としなくてはいけません。理性による攻撃を受けて脆(もろ)くも崩れるようなものは、すべて捨て去ってしまうべきです。
私は、人間がせっかく手にしながらいつしか見失うということを繰り返してきた真理を改めて啓示し、それを物質界の最も重要な位置に据えるために努力している、一個の道具にすぎません。
私たちは、今度こそは“唯物主義”と“利己主義”の勢力が絶対にはびこらないように努力しています。そのためには人間みずからが、その勢力に負けないようにならなくてはいけません。日常において発生するさまざまな問題に霊的真理を活用することによってのみ、人類の前に迫りつつある恐ろしい破局を防ぐことができるのです。
地上世界は今や破滅に瀕し、混乱の極(きょく)にあります。絶望と敵意と苦痛に満ちています。理性が敗走して利己主義が支配しています。私たちは人類に理性を取り戻させ、誤った概念に代わって真理を教え、迷信に代わって正しい信仰を説いています。そして暗闇を光明で照らすことによって、人生の闘いに負けそうな人には力を与え、いじけそうな人を健全な精神に立ち戻らせ、生きることに疲れ果てた人には気力を回復させ、不当な扱いに苦しめられている人には正当な報いを得させてあげたいと努めているところです。
私たちがお届けしようと努力している真理は、霊的摂理に関わるものだけではありません。物的法則に関わるものもあります。なぜなら、私たちから見れば物的世界も大霊の宇宙の一部であり、そこで絶望し苦しんでいる人類に無関心であるなら、本当の意味で“宗教的な人間”とは言えないからです。私たちからすれば、人のために役立つことをする人はすべて立派な人間ですが、その「役に立つ」というのは真理を普及することだけに限られるわけではありません。他にもいろいろあります。
病(やまい)に蝕まれた身体で苦しんでいる人々をその痛みから解放してあげること、不正と圧政に戦いを挑むこと、憎み合いをやめさせること、自由を守り悪を排除し、魂の奥にある大霊の資質を発揮させてあげること――こうした仕事は真の意味でのサービス(奉仕)と言えます。
大霊の子供たちが霊的なことからあまりにもかけ離れてしまったことにより、大霊の摂理を教えるためにラップなどの物理的心霊現象を用いなければならなかったことを残念に思います。
あなた方人間は皆、大霊の一部なのです。大霊がこう呼びかけていると思ってください。「ここに私の摂理のすべてがあります。この摂理を使えば素晴らしい世界をつくり上げることができます。すべてを差し上げますから、これを使用して正しいことと間違ったことを選り分け、摂理に適った生き方をしてもよし、摂理に反した生き方をしてもよし、どちらでも試してみられるがよろしい」と。
霊界の指導霊は、地上界が大霊の意図にそって発展するように、大霊のバイブレーションに相応できる者(霊媒・霊能者)を地上へ派遣してきましたが、大霊からかけ離れてしまった人類は霊的に鈍感になり、物的なことしか理解できませんでした。
しかし、嵐が吹き荒れたあとには必ず新しい生命が芽吹く春が訪れます。雪が大地を覆いすべてがわびしく映るときには、はつらつとした春の息吹を感じることはできないでしょう。が、春は必ずめぐってきます。そして太陽が昇るにつれて徐々に、生命力が最高潮に達します。今、地上界には不満の暗雲が立ち込めていますが、いつかは夢にまで見た春が訪れ、そして充実感あふれる夏へと向かっていきます。
それがいつになるか――早いか遅いかは、人間が大霊から授かった“自由意志”をどう使うかによって決まります。が、一人の人間が他の人間に救いの手を差し伸べようとするとき、その背後では数多くの霊が群がって援助し、気高い心を何倍にもふくらませようと努めます。善のための努力が忘れ去られることは絶対にありません。奉仕への願望が無駄に終わることは決してありません。
誰かが先頭に立って藪(やぶ)を切り開き、後に続く者が少しでも楽に通れるようにしてあげなければなりません。やがてそこに道ができ上がり、通るほどに平坦になっていきます。
私は時おり、霊界の高級霊たちが目に涙を浮かべている姿を見かけることがあります。地上の人間が同胞を引き上げる大きなチャンスを捨て去っている姿を見て、いつかその愚かさに気づいてほしいと願い、じっと眺めているのです。そうかと思うと、嬉しさに顔をほころばせているのを見かけることもあります。名もない人が善行を施し、それが暗い地上世界に新しい希望を灯してくれたからです。
私も他の大勢の同志と同じく、すぐそこまできている新しい世界を一日でも早く招来するために、バイブレーションを物質界のレベルに近づけて降りてきました。その目的は、大霊の摂理を教え、その摂理に忠実に生きるなら、あなた方の心は大霊の恵みをふんだんに受けられるようになることを教えてあげることです。
私が地上世界へ降りてきて目にするのは、幸せであるべきところに悲しみがあり、光があるべきところに暗闇があり、豊かであるべきところに飢えがあることです。大霊は、必要なものはすべて用意してくださっています。問題は、その公平な分配を妨げている者がいるということです。取り除かなければならない障害が存在するということです。
その障害を霊界側で取り除いてくれたらいいと思われるかもしれませんが、それは私たちには許されないのです。咎(とが)め立てすることも許されません。私に許されているのは、物的身体に宿っているあなた方に大霊の摂理を説き、どうすればその摂理があなた方を通して正しく運用されるようになるのかを教えてあげることだけです。それができる人が、地上の悪弊(あくへい)を指摘し、摂理による矯正手段を講じて見せなくてはなりません。
要するに、あなた方みずからが毎日の生活の中で、霊的真理を知った者はこれだけ立派な生き方ができるのだということを率先して見せることです。
私としては、あなた方に摂理の存在を説き、それがどのように作用するかを教えることができれば、それで良しとします。その結果として不幸が幸いに転じ、無知が知になれば、少なくともあなた方のお役に立てたことになります。
私たちは、あなた方の人生上の責務を取り除くようなことはしません。大霊の御心(みこころ)があなた方を通して働いていることを、身をもって悟ってもらえる生き方をお教えしようとしているだけです。
私が時おり残念に思うのは、次のような言葉を耳にすることです。「もちろん食べるものに事欠いている人にはパンを施しますよ。しかしその前に大霊に祈っていただかないとね。」なぜ大霊に祈るか祈らないかにまで干渉するのでしょうか。お腹(なか)を空かしている人には、食べるものを施してあげればそれだけでよいのではないのでしょうか。
また、寝る場所もない人に「どうぞウチで寝ていってください」と言ってあげるのはよいことですが、「ちゃんとお祈りをしてくださいよ」などと付け加える人もいます。
スピリチュアリズムの霊的知識の一つに「物心両面の均衡をはかる」というものがありますが、その知識を手にしている皆さんは、自ら均衡をはかったことがあるでしょうか。
スピリチュアリズムを知ったということは、地上では推し量ることができないものを手にしたということです。大霊の真理についての貴重な知識を得たということです。皆さんは、自分の魂が大霊の偉大なる魂とつながっていることを悟られたのです。すなわち、自分が大霊の一部であることを知ったということです。霊界から派遣されているメッセンジャー(高級霊)のバイブレーションに、いかにして反応すべきかを学ばれたのです。
それほどのものに比べれば、物的なものはいかに高価なものであっても、まったく価値はありません。今は物質界にいる皆さん方も、これから霊の世界で計り知れない歳月を生き続けます。そして、この交霊会を通して得た知識や叡智が、地上で物的身体のために一生懸命に求めていたものよりも、はるかに貴重なものであることを実感するようになります。
何事も見かけの結果だけで判断してはいけません。あなた方は物的な目で眺めることしかできないのです。霊的な目で見ることができれば、人間は一人の例外もなく完全に公正な扱いを受けていることが分かるはずです。私は時おり人間の祈りに耳を傾けてみることがあるのですが、もし大霊がその願いを叶えてあげたらかえって不幸になるだろう……と思うことがあります。
また私は、死の関門をくぐり抜けて霊界入りした人々と語り合ってみることがあるのですが、大霊から不当な扱いを受けたと文句を言った人は一人もいません。
地上界には三つの大きな問題があります。一つは“無知”、もう一つは“悲しみ”、そして三つ目は“貧しさ”です。この三つは、政治に霊的知識が生かされ、人々がその知識の指し示す通りに生きるようにならないかぎり、地上からなくなることはないでしょう。
しかし、勝利へ向けてのうねりは止まりません。古い秩序が死滅し、新しい秩序と入れ替わります。新しい世界は着実に到来しつつあります。が、新しい世界になったからといって暗い面が完全に消え去ると思ってはいけません。涙を流すこともあるでしょう。心を痛めることもあるでしょう。犠牲を強いられる局面も生じることでしょう。
大霊に関わる仕事は犠牲なくしては成就されません。涙なくして新しいものを打ち立てることはできません。物質的な惨事に遭遇すると、人間は霊的なものに目覚め始めるようになります。物的な手段がすべて失敗に終わったとき、ワラをも掴む思いでそれまで試みられてきた制度を吟味し、そこに頼れるものがないことを悟ります。
そこに至ってようやく霊的真理の出番となり、新しい世界の構築が始まります。大霊の摂理が正しく運用される世界です。そこへ至るまでには大きな混乱は避けられません。もっとも、いつの時代にも完全な世界は存在しません。なぜなら完全に近づくと、その先にもっと次元の高い完全性が存在することを知るからです。
質疑応答
――霊界側がスピリチュアリズムの普及を望んでおられるのなら、もっと新聞などを使った宣伝をなさるとよいのではないでしょうか。
これは、これは、驚きました。あなたは霊的知識の普及がどういうものか、よくご存じないようですね。知識が普及するのはよいことです。しかし宣伝効果となると、また話は別です。魂が真理に目覚めて感動するには、それぞれに時期というものがあるのです。
私たちは私たちなりの手段を講じています。計画はきちんとでき上がっています。あとは、あなた方の世界からの協力が必要なのです。
あなた方は常に、私たちが魔法の杖で一気に悟らせるようなことはしないことを知っておいてください。魔法の処方箋があるわけではありません。宇宙の自然法則を啓示してあげようとしているだけです。
私たちは、人類のすべてが大霊の一部であり、一人ひとりの人間を通して大霊の摂理が働くことができることを理解してほしいと願っています。そしてあなた方の魂を揺り動かそうと努力しているのです。霊界からの普及活動が休止することはありません。ただ、それは地上界の騒々しい宣伝によって行われるのではなく、あなた方の魂に訴え、霊との一体関係を緊密にすることによって成就されるのです。
――この地球上での体験、すなわち戦争、痛み、物心両面の苦しみ、病気、悲しみ、憎しみ、喜び、幸せといったものはみな人類の進化のために必要不可欠なもので、神の計画の一環なのでしょうか。
いいえ、違います。戦争は大霊がやらせているのではありません。病気は大霊が与えているのではありません。いずれも地上人が自由意志の行使を誤ったために引き起こしているのです。学ぶべき教訓というものがあることは事実です。しかし、それは身の毛もよだつ蛮行や冷酷な行為に訴えなくても学べます。人間の行為と大霊の行為とを取り違えてはいけません。
――共和国となった現代でも英国は「王室」という体制を維持していますが、これは意義のあることでしょうか。
はい、意義のあることです。なぜなら国民を一体化させるものは大切にすべきだからです。国家は拠って立つべき共通の要素によって一体化を求め、国民全体が一丸となるべきです。一体化を妨げ分裂させようとする者たちに私たちが批判的なのは、そのためです。魂が解放されれば、おのずと互いに近づき合いたくなるものです。
――霊的プランがあるということを何度も聞かされているのですが、その影響はどこにも見当らないようですが……。
それはあなたが物的視点からのみ見ているからです。あなた個人の短い人生を尺度として見ているために進展がないように思われるのであって、別の次元から見ている私たちには進展が分かるのです。霊的知識が広まり、霊的なものへの理解が深まり、寛容的精神が高まって善意が増し、無知と迷信と不安と霊的束縛による障壁が崩れていきつつあるのが見て取れます。
突如として革命が起きるかのように想像してはいけません。そういうものは決して起きません。霊的成長は、ゆっくりと段階を追ってなされるものだからです。絶望する必要はありません。拡大する物質主義の勢力を見ていると絶望感を抱いてしまうかもしれませんが、他方では唯物的な利己主義の霧を貫いて霊的真理の光が射し込みつつあります。知識が広がり続けるかぎり霊的真理の勝利は間違いありません。
だからこそ、地上人類にとって霊界からのメッセージが重要なのです。私たちにとって大切なのではありません。あなた方地上人にとって大切なのです。私たちは、利己主義、はなはだしい無知、故意の残虐行為への代償を払わなければならないことをあなた方に気づかせるために努力しています。私たちは人類に奉仕し、手助けをしようと努めていますが、それは皆さん方を愛しているからなのです。
私たちは、人類を破滅に追いやろうと企む邪霊集団ではありません。人間を罪深い存在に陥れたり、残忍なことや摂理に反する行為を唆(そそのか)したりするようなことはいたしません。それどころか、あなた方が自分に潜在している神性と霊力を自覚し、摂理にのっとってサービス(奉仕・利他愛)を実践するように働きかけているのです。そして大霊の計画を推進するための手助けをしていただきたいと思っているのです。
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