Friday, November 8, 2024

シアトルの秋 大聖堂への帰還

Return to the Cathedral


  



一九一八年一月二十一日 月曜日


 これからは光明界へ向けての旅となります。例の〝光のかけ橋〟の下の谷の暗さは地上の夜の暗さであったと私が言えば、これまでいた暗黒界の都市の暗さの程度(ほど)がご想像いただけるであろう。

漆黒の闇は何も見えない暗さのことです。が、こちらにはそれよりさらに濃い闇が存在する。地上では闇はただ暗いだけのことですが、暗黒界の闇には実体があり、上層界からの保護を受けていない者にとっては、まさに恐怖なのです。

哀れにもその濃厚なる闇へと引き寄せられた者は、あたかも水に溺れるのにも似た窒息せんばかりの苦しみを覚えます。しかもそこには沈みゆく身を支えてくれる板切れ一枚ない。

苦しみの極みにやがて逆上と絶望が忍び寄り、冒涜の地獄を次から次へとさ迷い歩きながら、いつになっても、光明界へと向かうきっかけが己れの心一つに掛かっていることに気づかないのです。

 さよう、その奥深き暗黒界の闇には確かに一種の濃度があるのです。ただし、そこに住む者には薄ぼんやりと見透す視力が具わっています。もっとも、それが何らかの恩恵をもたらすわけでもありません。


それどころか、その視力に映じるものは身の毛もよだつものや悪意に満ちたものばかりであり、それが彼らの苦しみを一段と辛辣なものにしていくのです。

彼らの中にはかつてこの地上に生活し地上社会で交わった者もいる。生まれながらにして邪悪だった者もいれば名声と地位を誇った者もいる。このようなことを述べるのは、死後の真相を貴殿を通じて地上の人々に伝えたいと思うからです。

と言うのも、地上には、絶対神は愛そのものであるが故に地獄は存在しないと論ずる者がいます。確かに神は愛そのものです。が、そう述べる者がどこまでその絶対愛を理解しているか──ほんの初歩的なものでしかない。

一方こうして貴殿に語りかけている吾々霊団の者はどうかと言えば、これまでの永き道程にもかかわらず未だに究極には到達できずにいます。

が、神がまさしく愛であるとの確信を抱くに十分なだけの──と言ってもまだ一かけらほどでしかないが──神の叡智(摂理)を理解することを得ております。完全なる理解はできません。

しかしこれまで得た知識が〝神は叡智において完全であり完全なる愛そのものである〟との信仰をますます拡大し、より確固たるものにしてくれたことは確かです。


──リーダーさん、お聞きしたいことがあります。いつでしたか、睡眠中に私も暗黒の地下の仕事場を訪れたことがあるのですが、そのことをあなたはご存知でしたか。もしご存知でしたら、私が訪れたのはあなたが奴隷を救出された鉱山と同じところだったのでしょうか。どこか似通ったところもありましたが、違うところもありました。

 貴殿の睡眠中の体験のことは勿論よく存じております。と言うのも、こうして貴殿を使って通信を送る作業を準備するに当たって吾々は貴殿の生活について総合的に検討してあるのです。貴殿の扱い方に粗相があってはならないからです。

この種の仕事に抜擢(ばってき)される人間は、目的はそれぞれ違っていても、こちらで徹底的に調べ上げており、その生活ぶりは一つとして見落とされることがないものと思われて結構です。

 さてご質問の件ですが、あの場所は例の都市から数マイルほど離れた位置にある別の鉱山で吾々がお話したボスの子分によって支配されております。そこは、ボスに対して反抗的態度をとった者が連れていかれるところで、そこで徹底的にしごかれながら、吾々が訪れた鉱山よりもさらに厳しい監視下で働かされています。

それに比べれば吾々が訪ねた鉱山の奴隷は挫折感が強いだけに誰かにすがりつこうとする傾向があり、その意味で割合自由にされているところがあるわけです。

貴殿が行かれた場所はその地域へ初めて送り込まれた者がいったん置かれるところで、それだけにまだそこでの仕打ちの残酷さの程度を知らず、そのしごき方も知らずにおります。


──動物がいましたが、あれは何の用があるのでしょう。

 その者たちを威嚇し見張るように訓練してあるのです。


──でも動物がそんな地獄に落ちるようなことをしでかすはずがないし、そんな用事に使われるいわれもないと思うのですが・・・・・・


 貴殿が見られた動物は一度も地上に生を享けたことのない動物たちです。地上に生を享けた動物は明るい界層へ向かいますが、あそこの動物たちは悪の勢力によって創造されたもので、彼らにはそこまでは創造できても、地上へ誕生させるほどの力はありません。

そこで暗黒界の環境を形成している成分によって形態だけは立派な動物の姿をしておりますが進化はせず、これからもずっとあのままです。

貴殿があの境涯での動物の存在を不審に思われたのも無理はありません。あの種の動物は地上の動物的生命の秩序の中に組み込まれていないのです。地上の動物種族の進化に関与できる能力を有するのは創造界においてもよほど高い界層まで到達した神霊に限られます。

以上、非地上的真理を地上の言語で述べてみましたが、ご理解いただけましたか。


──一応わかりました。どうも。大へん謎めいた話で私には思いも寄らないことです。が、これは以後じっくり時間をかけて考えていけば、他の謎を解くカギにもなりそうです。


 いかにも。そういう姿勢で取り組めばきっと役に立ちます。その際に次のことを念頭に置いていただきたい。

すなわち宇宙を善と美のみの光で照らして考察すると、当然、悪は否定的な要素でしかないことになりますが、それを逆さまに考える──つまり反対の端から出発して善のみの生命の流れに逆らって進めていけば、暗黒界にも光明界の大天使や中天使や小天使に相当する強力な悪の存在がいるということです。但し一つだけ大きな相違点がある。それはこういうことです。

 天界の進化の階梯を下から上へ登っていくと次第に崇高さを増し、ついには究極的存在に至ることになりますが、暗黒界においては完成の極致というものがない───絶対的存在はいないということです。

すべての点で言えることですが、この点においても暗黒界の勢力には完成というものがなく、神性に欠けるが故に秩序もない。もしそうでなかったら暗黒の勢力が光明の勢力と対等となり、そのうち光明界が侵略され、愛と美がその反対の憎と醜にとって代られ存在の場を失うことにもなりかねない。

そうなると最高神の目的が歪められ、宇宙が進化の道を踏み外し、脇道へ外れて遭難し、幾星霜を経るうちに大混乱が生じ、ついにはその目的を成就できずに終わることになるでしょう。

 そこで、いかに暗黒の勢力が強力とはいえ全能ではないようにできているのです。全能は唯一絶対の宇宙神のみの大権なのです。

神は全知全能であるが故に、たとえ我が子が反逆して横道へ外れても、その我儘の程度を知悉(ちしつ)しているが故に、いずれは自らの意志により無条件に抵抗を止め、神の愛の絶対性を認めるに至るようにと、数世紀にも及ぶ放浪の旅をもお許しになるのです。

その時点において初めて宇宙の初めと終わりの謎が明確に理解され、神の叡智を悟るのです。

吾々が知り得た限りの神の御国──それとて程度は知れているが──について地上の言語で語れるのはこれまでです。吾々は吾々なりにもっと表現力に富む言語があるのですが・・・・・・地上の言語ではこれ以上は語れません。もっとも、貴殿の方にご質問があれば別ですが・・・・・・


──どうも。その件に関してはありません。

 では今回はこれで一応終わりとしましょう。どうやらカスリーンが貴殿にひとこと告げたいことがあるようなので、吾々の固苦しい影響力を引き上げて彼女自身の心根(こころね)のやさしい思念にゆずることにしましょう。

彼女の魅力ある性格から出るものをそのまま言わせてあげたいのです。彼女は実に心優しい性格で、吾々の書記として辛抱強く頑張ってくれております。その献身的な協力に対して吾々は心から感謝いたしております。貴殿とはまた機会を得てお会いしましょう。

お寝すみなさい。神の明るき光が貴殿並びに教会の信者の方々とともにありますように。みなさんは自覚なさっている以上に光輝に包まれておられます。いつの日かそれを目の当たりにされる日も来ることでしょう。


 訳者注──多分このあとすぐカスリーンからのメッセージがあったのであろう。それが載せられていないのは多分その内容がプライベートなものだったからであろう。 

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