Saturday, June 25, 2022

シアトルの夏 シルバーバーチのスピリチャルな法則 訳者解説     Translator's commentary Kazuo Kondo

 


 訳者解説     近藤千雄

 本書の中軸を構成している 「シルバーバーチ」 と名のる霊とその霊言については冒頭の訳注で解説してあるので、ここでは視点を変えて、スピリチュアリズムと呼ばれている大きな霊的な真理の流れの中で占めている位置と存在意義について解説しておきたい。

 それは冒頭に 『日本語版に寄せて』 の中で紹介されている本書の著者ニューマン氏の第二作 Spirit of the New Millnnium のタイトルに暗示されているスピリチュアリズムの淵源について解説するのが適切と考える。

 これは予備知識として、スピリチュアリズムの 「現象」 が勃発した米国も、その霊的な 「思想」 が発達した英国も、ともにキリスト教国であったことを知っておく必要がある。

 キリスト教というと誰しもイエス・キリストを思い浮かべ、いかにもイエスがその教祖であるかのような認識が一般的であるが、歴史的観点から見てもこれは西暦三二五年にコンスタンチヌス帝の命令で開かれた 「第一回ニケーヤ会議」 でキリスト教をローマの国教とすることが議決されたことから生じた誤解である。

 イエスがキリスト教とは何のつながりもないことは、拙訳 『イエス・キリスト失われた物語』 (ハート出版) をお読みになった方には明白であろう。

 その第一回の公会議は実に足掛け五カ月も続いたという。その間に百種類もあったとされるギリシャ語・ラテン語・コプト語・アルメニア語その他で記されていたイエスにまつわる文書に改ざんが施され、それが今日の 『新約聖書』 の原型となったという。

当時はラテン語とギリシャ語で書かれていて、一般庶民は教会へ通っても意味の分からない言葉で行われる祈祷や祝福を有り難く受けるだけだった。日本人にとっての仏教の儀式と似たようなものを想像すればよいであろう。

 が、実はそれだけではなかったところに問題がある。四カ月以上にも及ぶ期間に、コンスタンチヌス派の司教によって 『新約聖書』 とは全く関係のない 「ドグマ」 (独断的教義) が制定されていたことである。これは霊的な観点から見た時に極めて重大な点で、シルバーバーチはこれを Superstructure (上部構造) と呼び、キリスト教にまつわる諸悪の根源がそこにあることを指摘し、その弊害をしつこいほど説いている。

「最後の審判説」 「贖罪説」 等がそれで、イエスは方言もそんなことは説いていない。ニューマン氏が新著に使用した Millennium (ミレニアム) もその一つで、これに new (新たな) を付したことに大きな意味があることに私は直感した。

 この Millennium とは言語的には 「一千年」 であり、century が 「百年」 であるように格別の意味はないが、大文字で使うとキリスト教の 「至福千年」 を意味する。すなわちイエスが再臨してこの世を統治し、正義と平和があまねく支配する黄金時代が一千年続くという。これは 「ヨハネ黙示録」 の20:1‐7から出たものという。

手元に聖書をお持ちの方は確認していただくことにして、私の個人的な意見は控えたい。要するに強引にそういうことにしたということである。

 さてキリスト教ではイエスの 「再臨」 のことを Second Advent ないしは Second Coming と呼んでいるが、シルバーバーチを始めとする高等な霊界通信は一致して、イエスが説いた摂理が再び説かれる時代が来るという意味で、スピリチュアリズムがそれであると言い、その証拠として、このスピリチュアリズムという名のもとに始められた地上の霊的浄化運動の背後に控える最高指揮者が、ほかならぬ地上で 「ナザレのイエス」 と呼ばれた人物であるという事実を挙げている。

「スピリチュアリズムのバイブル」 とまで言われているステイントン・モーゼスの自動書記通信の中に、最高指導霊インペレーターとモーゼスとの、次のようなQ&Aがある。モーゼスが 「キリストの再臨」 について尋ねたのに対して───

「聖書の記録の言い回しには、あまりこだわらぬがよい。曖昧で、しかも誤って記されている場合が多いからである。つまりイエスが語った言葉の真意を理解できぬ者が、いい加減な印象を記録した。

それがさらに拙劣な用語で他の言語に翻訳され、結局は間違った概念が伝えられることになった。こうした制約を受けながらも、主イエスが地上時代に語ったことの中には、今まさに成就されつつあることが、特に新たなる啓示において、概略ながら多く存在する。

地上にありながら、自分の死後ふたたび地上世界で説かれることになる摂理のことを述べたのである」

───では 「帰って来る」 というのは、純粋に霊的な意味なのでしょうか。

 「その通りである。今まさに主イエスが新たな啓示をたずさえて地上界へ帰ってきつつあるのである。それを、中継の霊団を通して行っておられる。必要とあれば、自ら影響力を行使なさることもあるかもしれぬ。が、肉体に宿って再生されることは絶対にない。今はまさしく霊の時代であり、影響力も霊的である。その影響力は主イエスが地上に降りられた時代のそれと類似している」

 「〝変容の丘〟において主イエスは、影響力の通路となっていた二人の霊、すなわちモーゼとエリヤと現実に語り合った (物質化現象)。 その二人はこのたびのスピリチュアリズム及び歴史上の幾つかの霊的活動に深く関わってきており、今なお関わっておられる。

主イエスの指示のもとに、このたびの活動を鼓舞し指揮しておられる。これで我々がスピリチュアリズムの活動が宗教的なものであると述べた理由が分かるであろう」 (『インペレーターの霊訓』 〈潮文社〉 )

 ニューマン氏はこうした霊界からのメッセージこそ人類が忘れ去っている究極の真理であるとの確信から新著にあえて New (あらたな) を付して、これが理解された時代こそが本当の意味での〝黄金時代〟なのだと訴え、あえて The Ultimate Theory (究極の摂理) という大胆な副題を付した。本著 The Universe of Silver Birch はその入門書と思っていただきたい、と私への私信で述べている。

 ニューマン氏はどこかで───あえて言えば霊的な次元で───相通じ合うものがあったのだろうか、私はSTF (霊的真理普及基金) のジュフリー・クラッグス氏から 『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A』 (ハート出版) の翻訳・出版許可通知と一緒に送られてきた出版リストの中に本書のタイトルを見つけて、早速注文をすると同時に翻訳・出版許可も申し込んでいる。

 ニューマン氏が本格的にシルバーバーチの霊言と出会ったのが一九九二年で、私はその頃毎週のように 『サイキック・ニューズ』 に掲載されるニューマン氏の記事を欠かさず読み、その顔写真を切り取ったりしている。

赤茶けてしまっているが、今も残っている。今回サイン入りで進呈していただいた新著にはそれと同じ写真が使用されていて、懐かしく思った次第である。

 もう一つ、自分でも驚いたのは、平成六年にハート出版から出版された 『古代霊シルバーバーチ・新たなる啓示』 の 「訳者あとがき」 に私がこのニューマン氏の記事を訳出して紹介している事実を、本書の編集を担当して下さった是安宏明氏から指摘されて、私がやはりニューマン氏のものの考え方によほど共感していたことを知った。

内容的に決して古さを感じさせないので、最後にそれを採録して参考に供したい。題して 『科学者よ、シルバーバーチを読め!』 《シルバーバーチを愛読している人でも、その奥深い意味まで理解している人は案外少ないものだ。それほどシルバーバーチの教えには含蓄がある。

 私に言わせれば、むしろ科学者がシルバーバーチを読めば、そしてその奥に秘められた意味を理解すれば、いま科学者を悩ませている難問への回答を見出すに違いない。現代の科学が到達した宇宙観によれば、どうやら我々が認識している世界が全てではないらしいこと、今こうして生活している世界と共存の形で無数の世界が存在しているらしいこと、それらの中にはこの地球と同じ世界もあれば全く異なる世界もあるらしい、ということである。

 最新の量子論からいっても、そうした別世界(オールターナティヴ)は地上界から絶縁した世界ではなく、この物質の世界と触れ合い、互いの原子が押し合いへし合いしていても少しもおかしくはないのだ。

 そのオールターナティヴにも、我々地球人類と同じ精神構造と身体構造をしている存在が生活している───基本的にはその意識的生活は同じであることも、十分にあり得るのだ。

 結局のところ生命とは、たぶん科学的結合をベースとして、宇宙エネルギーが組織的に形態を具えたもの、との定義にたどり着く。この定義は科学者なら誰しも納得がいく。問題は、目に見えざる世界が存在する、そのありようがしっくり認識できない点にあると言える。

 そこでシルバーバーチに登場願うことになる。シルバーバーチは平面的な〝場〟を意味する Plane と言う用語を用いずに〝状態〟を意味する state を用いている。シルバーバーチは言う───

 「すべてが混ざり合った状態にあるのです。無線電信の波動が宇宙に充満しているのと同じ状態です。いろいろな波長があり、いろいろなバイブレーションがあります。が、それらが同時に同じ場に共存できるのです。境界というものはありません。波動が異なるだけです。反応する意識の側面が違うのです」

 このことから考えると、地上生活というのは、脳髄という物質を通して活動する精神をコントロールしている、ある一定レベルの意識での生活の場ということになる。つまり五感でキャッチしたものが、脳と生命の糸 (魂の緒) を通して精神ないしは魂へと伝えられて、それぞれの反応を生じる、ということである。

 このことはさらに、人のために役立つ心がけと中庸の生活こそが意識レベルを高め、精神の活動の場を広げることになる、という考えを生む。結局〝死〟というのは、肉体から離れた魂がその意識レベルに相当したバイブレーションのオールターナティヴへ移動するだけのこと、ということになる。死後の環境に違和感を感じないというのは当然のことなのである。

 その後の進化についてもシルバーバーチは簡潔にこう述べる───

「魂が成長すれば、波動のより高い状態に適応できるようになり、自動的により高い階層で生活することになります」

 その階層の持つ電磁波の作用でそうなるのであろう。となると当然、乱れた生活をしている人間は、その乱れた波動に似合った世界へと引きつけられていくことになる。かくして聖書の通り 「麦ともみ殻が選り分けられ」 「多くの住処」 が生じるわけである》
  (『サイキック・ニューズ』一九九三年四月二四日号より)

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