Silver Birch Speaks
Edited by Sylvia Barbanell
ある日の交霊会に学校の教師が招かれた。スピリチュアリズムを信じ、それを若い学生に教えたいと思いながら、思うに任せない悩みを抱えている。ふつうなら招待客の質問を聞いてシルバーバーチが答えるのがパターンであるが、その日は意外な展開となった。開会早々まずシルバーバーチから語り出したのである。
「あなたの質問をお受けする前に二、三私の方から述べさせていただきたいことがあります。あなたはこれまで数々の難問に直面し、悩みを抱え、あれこれと心の中で反問し、胸を焦がし、思想上の葛藤を繰り返して来られましたが、それはあなたが自分の理性の指図による判断に基いて自分なりに得心した道を歩む上で是非とも必要なことでした。それは安易な道ではありませんでした。あなたがいい加減なことでは済まされない性格であり、何事も全身全霊を打ち込むタイプであり、他人も同じであってくれることを望まれる方だからです。私の言わんとすることがお判りですか」
「全くおっしゃる通りです」とその教師が答えると、シルバーバーチはさらに続けた。
「私が ぜひとも指摘しておきたいことは、霊的知識の恩恵を受けた者はあくまでも理性の光に従わねばならないということです。他界した霊がこうして再び戻って来るそもそもの目的は、父なる神が子等に授けた全才能を発揮するように地上人類を促すことです。知識の探求、叡知と真理の追及において理性を無視したり、道義の鏡を曇らせたり、良識を踏みにじるようなことがあってはなりません。
私たち霊もあなた方人間とよく似た存在です。まだまだ人間的なところがあり、過ちも犯せば失敗もします。絶対的不謬性も完璧性も主張しません。人生の道において少し先を歩み、少しばかり多くの真理を学び、どういう地上生活を送ればこちらへ来てからどういうことになるかを、この目で見てきたというだけです。
そこで私たちは人類のために何とかしてあげたい──霊的真理を教えることによって、これまで同胞が犯してきた過ちを二度と犯さないですむようにしてあげたい。私たち先輩の叡知を学び、宿された神性を活用することによって地上をより良い、より自由な、そしてより豊かな生活の場としてあげたい。それがひいては霊界が地上から送られてくる未熟で準備不足で不用意な不適格者によって悩まされることがなくなることにもなります。
しかし、私たちに協力して下さる人々も自分なりの理性、自分なりの判断、自分なりの自由意志を放棄してはなりません。私たちはあくまでも協調による仕事に携わっております。専制君主のような態度はとりたくありません。あなた方をロボットのようには扱いたくありません。
死の淵を挟んだそちらとこちらの関係において、〝同志〟として手を握り合い、霊的知識の普及という共通の目的のために共に働き、何も知らない無数の地上の人々へ身体と精神と魂の自由をもたらしてあげたいと望んでおります。
いかに立派な霊であっても、いかに高級な霊であっても、いかに博学な霊であっても、その説くところがあなたの性分に合わない時、不合理あるいは不条理と思える時は、遠慮なく拒否するがよろしい。あなたには自由意志があり、自分で自分の生活を律していく責務があるのです。
私たちがあなた方の人生を代わりに生きてあげるわけにはまいりません。手助けはできます。指導もできます。心の支えになってあげることも出来ます。ですが、あなた方自身が背負うべき責務を私たちが背負ってあげるわけにはいかないのです。
私たちの願いはあなた方に生き甲斐ある人生を送っていただくこと、つまり内在する才覚と能力と資質とを存分に発揮していただくことです。そうなることが現在の地上生活の目的に適うことであると同時に、やがて死を迎えた暁に次の段階の生活への備えもできていることになるからです。
これが私の基本的人生観です。そして、これまで永い間私の訓えに耳を傾けて下さった方なら認めてくださると思いますが、そうした人生を最終的に判断を下すのは、あなた自身の〝理性〟であるというのが私の一貫した考えです」
ここで教師はシルバーバーチの助言と勇気づけの言葉に礼を言い、ここ数年のあいだ悩み続けてきたので身に沁みて有難く感じると述べ、さらに、スピリチュアリズムの普及にどうすれば貢献できるかと尋ねた。すると───
「地上世界はいま他人のためになる行為なら何でも必要としております。何でもよろしい。自分でこれならできると思われることをやり始めることです。すると道が開け、進むにつれてどんどん広がって行くものです。他の大勢の人たちがそういう体験をしております。未来は過去から生まれます。これまでに起きたことは、その中から将来に役立つものを見出しさえすれば、すべて価値があったことになります。」
そこで教師が自分の考えをこう述べた。
「私の過去は霊的知識を幾らかでも獲得したことで有益だったと思います。イザという時に役立つもの、そして現在の意識の段階に辿りつくために経なければならなかった貴重な体験を得させてくれました。それがいわば私の人生の第一章で、これから第二章へ進みたい。つまり、ささやかながらこれまでに得た知識と、これから得られるであろう知識を実生活で役立てたいと思っております」
「立派なお考えです。霊的知識の普及という仕事で私たちに協力してくださるお気持ちが無為に終わることは絶対ないと思ってください。それが私たちの仕事だからです。霊的知識によって地上人類を啓発し、無知の暗闇を照らし、明るい真理の光をもたらすことです。あなた方人類を救わんと志す霊団の導きに身を委ねてくだされば、あなたにできる仕事はいくらでもあります」
「許されることなら、小さな霊団と仕事をしたいと思っております。いま霊界には、他界するまで私の心霊仲間だった者が二人おります。三人で一つのチームを結成できると思うのです。」
「それは可能な範囲に限るのであれば結構なことです。二人ともよろこんで協力するでしょう。あなた方を結びつけているのは愛と親交だからです。その点に関しては何のご心配もいりません。ただ、あなたも自由意志を持った一個の霊であり、簡単に自分の考えを譲るようなことをしてはいけません。能力の限りを尽くす心の準備を整えたうえで、何を目標として進むのかを明確に確認し合わなくてはいけません。
それから、計画がうまく運ぶのは結構ですが、急いては事を仕損じる、ということがあります。顕幽にまたがるこの種の仕事の難しさは、お互いの持ち場がきちんと定まらない微妙な状態で協力し合っているために、地上の人間の勝手な行動によって計画全体が台無しになることがあることです。お分かりですか」
「なるほど。すべてがいかに細かく配慮されているかが判ってきました。挫折の法則について私が抱いていた疑問もこれで解けました」
「私たちの全てが従わなければならない計画があり、それに向かっての照合と再照合があります。それは法則によって支配されており、大枠において一人一人に割り当てられております。地上においてはその計画達成に二つの方法があります。一つは近道とでもいうべきもので、大勢の人を目を見張らせる方法で手っ取り早く魅了してしまうやり方です。
これにも利点はあります。が、結果として及ぼす影響力に永続性がありません。容易に得られるものは余り価値はないものです。手に入れても、価値が無ければ高い評価は与えられません。
もう一つの方法は個々の魂が辛苦と闘争と困難、悲しみと悩み、病いと悲哀を通してみずから学ぶことです。自我に目覚めて神に必死に助けを求めます。その時こそ、すなわち魂が培われ土壌が耕やされた時こそ、真理のタネが芽を出す時です。こうして得られたものはそう易々と失われるものではありません」
「私は教師としての職業柄、青少年に大いに関心があります。あなたの霊訓のようなものを教えることができたらと思います。私の手がけた若者の助けになることをしたいのです。すでに(第一次)大戦で死んだ者もおり、援助を必要としております。
また戦争のために社会復帰がうまく行っていない者もおります。そうした私の教え子の多くに何かしっかりした人生思想と宗教を教える仲介役になれるのではないかと思うのです。また、書くことによって更に広い範囲の人々に思想を広め、同時に語り伝えることができればと思っております」
「そうした奇特な望みは大いに叶えられるべきです。ただ、最初にお述べになったことは慎重におやりにならないといけません。教師という立場上、難しい問題があるからです。一般論としては若人にこうして霊的知識を教え込むことは可能です。が、あなたの場合は特殊なラベルは用いない方がよいでしょう。
しばしば申している通り、あなた方はスピリチュアリズムという言い方をされますが、これは地上でのラベルであって、私にとっては自然の法則そのものなのです。スピリチュアリズムという用語を用いると人によっては、とくにその真意を知らない人にとっては、何やら無気味な感じを与えます。
それよりも、大自然の法則──宇宙の物理的・精神的・霊的法則、まだまだ未開拓のままである人間の潜在的能力、表面下に存在する活動の世界、すなわち超自然界、人間の持つより繊細な能力──こうした広大な分野は〝スピリチュアリズム〟とか〝霊媒現象〟といった、誤解されやすい用語を用いなくても教えることができます。
詭弁を弄しなさいと言っているのではありません。真理には多くの側面があり、従って特別なラベルを貼らなくても表現できることを言っているのです。すでに他界した人にも、地上で幻滅を感じている人にも──そういう人が実に多いのです──霊的知識を普及するチャンスを与えてあげることによって大いに助けになってあげられます。
今夜のこうした集会は私たち霊界での真理普及のためにもよく利用されています。(別のところで〝本日の交霊会には五千人もの霊が集まっている〟と述べている──訳者)
そうした集会に集まる人々にあなた自身の体験──どのようにして死んだはずの人々と交信できたか、どんなことを聞かされたかを話してあげることができます。そして、あなたの想像以上の多くの方々が聞く耳をもっていることを知ることでしょう。
もちろん聞く耳をもたない人もいます。会をやめざるを得ないことになるかも知れません。あなたを変人と思う人もいることでしょう」
「耳を傾けた人は、あとになってそれが芽を出すことになるでしょう」
「必ず役に立ちます。魂に備えができるまでは側から手の施しようがありません。魂みずからが自分を発見しなければならないものだからです。が、実際にはちゃんと備えが出来ている場合が多いものです。そういう人が啓発を求めてあなたのもとに連れて来られます」
ここで別の列席者が発言した。「確かに若者というのは何かを耳にすれば、遅かれ早かれ、必ず何らかの反応が生じるものです」
「おっしゃる通りです。たとえその時は反発を覚えても、それが潜在意識に印象づけられ、ずっと存在し続け、本当にそれを必要とする時期が到来した時に呼び醒まされて活動を開始します」
そこで教師が質問した。「私の場合はスピリチュアリスト教会との関係になるのでしょうか。それとも他の分野での仕事になるでしょうか」
「私のみたかぎりで判断した意見を申し上げれば、あなたの場合は特定の組織内での仕事よりは、もっと広い範囲に向けるべきでしょう。教会とか協会とか団体との関係をもってはいけないと言っているのではありません。機会があれば時にはそうした組織のために活躍して別に悪いとは申しませんが、私のみるかぎりでは、そこはあなたの本来の舞台ではないということです。
あなたの場合はその種の教会に近づくことのない人々へ手を伸ばすことが可能です。その範囲内においてあなた自身も影響を受け、あなたの方から影響を与えることもできます。その世界は教会関係とは縁がなさそうですね」
「まったくありません」
「あなたは今日、私が(霊界から)ここへ来る前に他の出席者に話しておられましたね──あなたの家で催される交霊会の支配霊はアフィニティ(※)とだけ仕事をしたがる、と」(※同じ霊系に属する類魂で、霊的血縁関係とでもいうべきもの──訳者)
「実は私が今日まっ先に書き留めておいた質問はそのことでした」
「あなたのアフィニティは教会関係ではないと思います。アフィニティというものは、それ以外に結びつける要素のない関係においては強力な縁となりますが、縁というものは他にもさまざまな形態をとりますし、私たちはその全てを利用するようにしています」
このあと、それに関連して教師から出された質問に対してシルバーバーチは「すべての出来ごとは因果律の絡み合いです」と述べてから、さらにこう続けた。
「人生にはその二つの力が作用しております。原因に対し、寸分の狂いもない正確さをもって、それ相当の結果が生じます。結果は原因に従うほかはないのです。その原因もまたそれ以前の原因の結果であり、その関係が人生のありとあらゆる側面に途切れることなく無限に続いております。しかし、あなたにとって何一つ無駄というものはありません。真理は真理です。
どうけなしても、真実なものは真実です。ニセモノは早晩消えていきます。が、真理はどうケチをつけてもその真実性が損なわれることはありません。それが真理というものなのです。
真理というものは一度手に入れたら二度と失うことはありません。他のあらゆるものを失ない、取り逃がし、人生が底なし沼のように思われる時でも、真理だけは必ずあなたの味方になってくれます。不動の決意をもって泰然としていられる堅固な土台を提供してくれます」
ここで教師が一つの疑問を提示した。いつも良い証拠を提供してくれる霊媒が、金銭問題のような俗世的問題になると頼りにならないということだった。すかさず他の出席者が「それはその霊媒がそうした問題には不得手なのですよ」と言うと。シルバーバーチは霊媒を通じて霊にアドバイスを求める際の重大な問題点を指摘した。
「それにもう一つ、交霊関係における法則の一つに、霊の側から自発的に述べる情報の方が、人間の側からの質問に応じて述べるアドバイスよりも霊的要素が大きい、ということがあります。今のあなたにとって重大と思える純粋に俗世的な問題───五十年後には何でもなかったと思えるでしょうが───を霊に持ちかけるということは、その霊媒にとってはいわば不意打ちを食らわされるようなもので、霊媒能力が慌てます」
「潜在意識にある能力でしょうか」
「そうです。霊媒現象は全て霊媒の潜在意識を使用していますから」
「私は仕事のことでいろんな霊媒に質問したことがあります。すると、動物問題に興味を持っている霊媒は動物愛護のための仕事をしろと言います」
「そんな場合でも、意識的にせよ無意識的にせよ、霊媒自身にはごまかそうという意図はまったくありません。あなた方から質問する。それが大気中に放射される。内容が地上レベルですから、それが(支配霊でなく)霊媒自身の潜在意識を刺戟するわけです。
霊の方から自発的に俗世的な問題に関するメッセージを送ってきた場合は、それはその時のあなたの霊的発達程度がそうさせたのです。霊からの自発的なアドバイスと、人間側からの質問に対する返答とを区別しなさいと私が言ったのはそういう理由からです。
そういうわけで、日常的な悩みについて質問することは感心しませんが、霊の方から日常的な問題についてアドバイスしてきた時は素直に受け取って結構です。もっとも私の場合はそれとはまったく別の要素がありますが。
いずれにしても、霊媒の言ったことがその通りにならなかったからといって、すぐにそれを〝ごまかし〟と決めつけてはいけません。支配霊が憑っている時は霊媒の潜在意識が活発に働いています。
そこへ世俗的な質問をすると、たちまち意識の焦点が地上次元へと下がり、その次元での回答が出されます。もっとも、そうやって低次元の考えを吐き出させた方が思念の通路が掃除されてサッパリすることがよくあります。
それがウヤムヤに終わると、動揺した潜在意識がその状態のまま最後まで続くことになりかねません。このように二つの世界の交信の過程は実に複雑で入り組んでいることを知っておく必要があります」
話題が一転して教育問題になった。
「現代の教育に欠けているものは何でしょうか」
「人間それ自身について真理を教える用意が為されていないことです。人間が霊的な宿命を背負っている霊的存在であるという事実へ指向された教育が無いことです。根本的にはどの教育も人間は本来が霊的存在で、それに精神───そしてたぶん魂とおぼしきもの───が宿っていると教えています。
本来が霊的存在で、それが肉体に宿っていること、今この地上においてすでに〝霊〟なのであり、それが自我を発揮し霊性に磨きをかけていること、日々が霊性を豊かにするための教訓を学ぶ好機であり、死後に待ち構えているより大きな生活への準備をしているという事実を教えておりません。
子供の潜在的能力についての理解、宗教についての理解───これが欠けております。そして、大して必要でもない知識を教え込むことに関心が向けられすぎております」
「肝に銘ずべきことだと思います」と、教育一筋に生きて来たその教師は真剣な面持ちで述べた。「大半の教師は異論の多い問題を敬遠します。味気ない、ただの歴史的叙述でお茶を濁しています。教師として卑怯な態度だと思うのです」
「学校においてこうした霊的真理が教えられることは大いに望ましいことです。ですが、教師自らがそれを真理であることを確信しないことには、学校で教えられるようになることは期待できないでしょう。まだまだ先の長い仕事です。しかし、長くても着実です。そしてそれは、必要とするところに真理のタネを植えることのできる指導者にまず私たちが働きかけることによって成就されることです」
「時間の掛かる仕事なのですね」と、別の出席者が言うと、
「宇宙の創造自体がそう短い時間で終わったわけではありません。生命は永遠です。今あなたを悩ませている問題の多くは百年後にはすっかり忘れられていることでしょう」
「私たちも少しは進歩していると思うのですが・・・」と教師が言うと、
「少しではありません。大いに進歩しておられます。夜の帳が上がり、明るさが増していくのが見えます」
「スワッフハー氏はこの運動(スピリチュアリズム)は一般庶民から始まって上の階層へ進まねばならないと言ったことがあります。私は上層から始めるべきだと思い違いをしておりました」
「真理というものは一人一人が納得することによって広がっていくものです。一度に大勢の者を目覚めさせる方法はありません。またそれは〝知的探求〟によって成就されるものでもありません。無私の行いと、訓えを語って聞かせることによって人の心を捉える───それしかありません」
その後の交霊会で女性の出席者が「私はこれまで困難から逃げよう逃げようとしてきたことが分かりました。これからは正面から取り組み、決して逃げないようにしようと思っています」と述べ、続けてこう尋ねた。
「お聞きしたいのは、私がすぐにパニック状態になったり塞ぎ込んだりするのは、その逃げ腰の心の姿勢のせいでしょうか、それとも私の知らない原因が別にあるのでしょうか」
「私から見れば、あなたが心に画いておられるほど事態は深刻ではありません。あなたの性格はご自分で築いてこられたまま───そっくりそのままです。
私から見たあなたは、困難を克服し、ふつうの人なら挫けたかも知れない事態でも勇気を出し、難問にも正直さと最善を尽くそうとする意欲で対処してこられた方とお見受けします。確かに過去においては、独力ですべきところを依頼心が強すぎたことがあったことは事実のようです。あなたがおっしゃるのはそのことですか」
「そうです。ですが、これからは自分の足でしっかりと踏ん張る拠りどころができました。それを決して失うことのないようにしたいと思います」
「逃げ腰になるとおっしゃったのはそのことですか」
「そうです。そう思われませんか」
「思いません。それに、次のことを忘れてはいけません。他のすべての人と同じように、あなたの人生も、あなたの個性をあなた自身で発達させるための手段だということです。あなたの代わりにそれをやってくれる人はいないということです。魂の成長は個人的な問題です。
いかなる人間にも必ず試練と困難、すなわち人生の悩みが訪れます。いつも日向ばかりを歩いて蔭を知らないという人は一人もいません。その人生の難問がどの程度まであなたに影響を及ぼすかは、あなたの霊的進化の程度に掛かっています。ある人には何でもないことのように思えることが、あなたには大変なことである場合があります。
反対に、ある人には大変な問題に思えることが、あなたには些細なことに思えることもあります。各自が自分なりの運命を築いていくのです。
あなたに一個の荷が背負わされる。それをどう扱うかはあなた次第です。〝よし、担ぎ通して見せるぞ。これは自分の荷物なのだから〟という気持ちになれば軽く感じられるものです。
それだけ魂が成長するからであり、その成長の過程において内部のある力が魂を癒してくれます。困難に際して真っ正直さと勇気とをもって臨んで、霊的に損をする人は絶対にいません。何一つ怖がるものはないのです。
「物的なことに関してはそういうことが言えると思いますけど・・・・」
「私は物的なことを述べているのではありません。魂と霊と精神について述べているのです。私は物的なことに言及したことを述べたことはありません。この点があなた方を指導する上での私の泣きどころなのです。魂を照らす光明へ向けて順調に頑張っておられるのに、自分では精神的に暗闇にいるように思っておられる。それで私が、怖がらずに突き進みなさい、とハッパをかけるのです」
すると別の出席者がこう弁明した。「私たち人間は自分の物的な立場からしか自分が見えないのです。自分はやるべきことをやっていないのではないか、と思い始めたら、もう、現実にやっていないということになってしまうのです。
あなたからみれば私たちは立派にやっていて、素晴らしい、純心な、光り輝く存在であっても、私たち自身はそうは意識していません。欠点ばかりが目につくのです」
「そんなことはありません。あなた方はご自分で意識しておられる以上に立派な方ばかりです。高い知識を身に付けた方はとかく自分をみじめに思いがちなものです。その知識が謙虚さ、真の意味での謙虚さを生むからです。
人間は困難のさなかにある時は、自分の置かれた情況について必ずしも明確な判断が出来ません。また、これで良かったかという動機づけについても、穏やかな精神状態の時ほどの明確な自信が持てないものです。
興奮と衝突と不協和音の中にあっては、冷静な反省は容易に得られるものではありません。その上、あなた方は全体像がつかめないという宿命的な立場に置かれております。あなた方に見えるのはホンの一部だけです」
「人間が自由意志が行使できるといっても、獲得した知識に相当した範囲においてだけということになります」と教師が述べると、
「おっしゃる通りです。でも私はいつもこう申し上げております───自分の良心の命ずるままに行動しなさい、と」
「そう言われると私は困るのです。良心がある事を命じて、もしそれに従わないとペナルティ(報い・罰・罰金)を受けるということですね?」
「そういうことです。結局はじめの問題に戻ってきたわけです」
「それが私の悩みのタネなのです」
「人生は螺旋階段のようなものです。単純であって、しかも複雑です。一つのプランのもとに展開しております。難題の一つ一つにはちゃんとそれを解く合カギがあるのです。が、必ずしもその合カギが手に入るとはかぎりません。それで、ドアがいつまでも開かないということになります。
だからこそ、人生の闘いの中にあっては理解力や真理の探究心といったものが要請されるわけです。それが私どもの世界から見守っているスピリットからの援助を呼び寄せることになるからです。それがあなた方自身の内部に宿されている資質と相まって困難を克服する十分な力を発揮させます」
すると未亡人が「失敗を失敗として自覚する限り、その失敗は大して苦にする必要はないということになるように思います」と述べると、
「あなた方には全体像が見えないのです。こちらへ来て霊眼をもって見れば、全てが明らかとなります。ある人が成功と思っていることが実は失敗であることがあり、失敗したと思っていることが実は成功だったりするものです」
そこで教師が本当に成功だったか失敗だったかは自分で分かるものであることを述べると、
「その通りです。いわゆる〝良心の声〟に従えるほど冷静になればわかります。良心はいつも見つめております。それで私は、問題に対する回答は必ず自分で得ることができます、と申し上げるのです」
「私もそう思います」と未亡人が相づちを打つと、シルバーバーチは続けて、
「でも、それは容易にできることではありません。地上の人間の大きな問題点は、自我を鎮め、内部に安らぎを見出し、波長を整えて調和を取り戻す方法を知らないことです。ほんのわずかの間でもよろしい。
〝この世〟から(物的な意味ではなく)精神的・霊的に身を引き、代わって、とかく抑えられている内的自我を表面に出すようにすれば、人生の悩みに対する回答を見出します。
時には毎日の型にはまった生活を崩して田園なり海岸なりに足を運んでみるのもよいでしょう。精神状態が変わって、ふと良い解決方法を思いつくことにもなることでしょう。しかし本来は、コツさえ身につければ、そんな遠くまで〝旅行〟しなくてもできるものです」
「でも、それは大変な努力を要することです」と教師が言うと、
「むろん、とても難しいことです。しかし霊的な宝は容易に得られるものではありません。もっとも望ましいことは、もっとも成就しにくいものです。努力せずして手に入るものは大して価値はありません。
あなたに申し上げます。迷わず前進なさい。これまでのあなたの人生で今日ほど魂が生き生きと目覚めておられる日はありません。その魂に手綱を預けてしまうのです。その魂に煩悶を鎮めさせるのです。
すべては佳(よ)きに計らわれていることを知ってください。その安堵感の中にあってこそ、あなたの求めておられる魂の安らぎと静寂とを見出されることでしょう。魂の中でも時に嵐が吹きすさぶことがあることを自覚している人はわずかしかいません。あなたはその数少ないお一人です。私にはあなたの気持がよく理解できます。
私からも手をお貸ししましょう。私達の世界からの愛をもってすれば、けっして挫けることはありません。信じて頑張るのです。頑張り抜くのです。真実であると信じるものにしがみつき通すのです。神は、あなた方の方から見捨てない限り、絶対にあなたをお見捨てになりません」
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