Wednesday, February 28, 2024

シアトルの冬 肉体は精神の表現器官であり、精神は霊の表現器官です。

The body is the expression organ of the spirit, and the spirit is the expression organ of the spirit.


     エドワーズ 「未発達の魂は心霊治療によって治すことができないという意味でしょうか」

 「そういうことです。私が言わんとしているのは、まさにそのことです。ただ、〝未発達〟という用語は解釈の難しいことばです。私が摂理の存在を口にする時、私はたった一つの摂理のことを言っているのではありません。宇宙のあらゆる自然法則を包含した摂理のことを言います。

それが完璧な型(パターン)にはめられております。ただし法則の裏側にまた別の次元の法則があるというふうに、幾重にもなっております。

しかるに宇宙は無限です。誰にもその果てを見ることはできません。それを支配する大霊(神)と同じく無窮なのです。すると神の法則も無限であり、永遠に進化が続くということになります。

 物質界の人間は肉体に宿った魂です。各自の魂は進化の一つの段階にあります。その魂には過去があります。それを切り捨てて考えてはいけません。それとの関連性を考慮しなくてはなりません。肉体は精神の表現器官であり、精神は霊の表現器官です。

肉体は霊が到達した発達段階を表現しております。もしもその霊にとって次の発達段階に備える上での浄化の過程としてその肉体的苦痛が不可欠の要素である場合には、あなた方治療家を通じていかなる治癒エネルギーが働きかけても治りません。いかなる治療家も治すことはできないと言うことです。

 苦痛も大自然の過程の一つなのです。摂理の一部に組み込まれているのです。痛み、悲しみ、苦しみ、こうしたものはすべて摂理の中に組み込まれているのです。話はまた私がいつも述べていることに戻ってきました。日向と日蔭、平穏と嵐、光と闇、愛と憎しみ、こうした相対関係は神の摂理なのです。一方なくしては他方も存在し得ません」

メンバーの一人「苦しみは摂理を破ったことへの代償なのですね」

 「〝摂理を破る〟という言い方は感心しません。〝摂理に背く〟と言ってください。確かに人間は時として摂理への背反(ハイハン)を通して摂理を学ぶほかはないことがあります。あなた方は完全な存在ではありません。完全性の種子を宿してはおりますが、それは人生がもたらすさまざまな〝境遇〟に身を置いてみることによってのみ成長します。痛みも嵐も困難も苦しみも病気もないようでは、魂は成長しません。

 摂理が働かないことは絶対にありません。もし働かないことがあるとしたら、神は神でなくなり、宇宙に調和もリズムも目的もなくなります。その自然の摂理の正確さと完璧さに全幅の信頼を置かねばなりません。なぜなら、人間には宿命的に知ることのできない段階があり、それは信仰心でもって補うほかないからです。

私は知識を論拠として生まれる信仰は決して非難しません。私が非難するのは何の根拠もないことでもすぐに信じてしまう浅はかな信仰心です。人間は知識のすべてを手にすることができない以上、どうしてもある程度の信仰心でもって補わざるを得ません。

といって、その結果として同情心も哀れみも優しさも敬遠して〝ああ、これも自然の摂理だ。しかたない〟等と言うようになっていただいては困ります。それは間違いです。あくまでも人間としての最善を尽くすべきです。そう努力する中に置いて本来の霊的責務を果たしていることになるからです。」

シルバーバーチ

No comments:

Post a Comment