Various problems associated with ”Evocations”
訳注――本章は英語でEvocation(エボケーション)となっている。英和辞典を引いてみられると分かるが、語源的には霊にかぎらず記憶や感情などを呼び起こしたり呼び覚ましたりすることで、スピリチュアリズムでは霊を霊媒に乗り移らせて語らせる、いわゆる“招霊会”をさす。
が、そうした概念は人間側の受け止め方であって、霊側としては祈りなどに感応してその人の身辺に来る場合や生者の霊、つまりすでに再生している人間が幽体離脱して出現する場合も念頭にあるようである。カルデックは前置きで低級霊の場合と高級霊の場合とを区別して詳しく論じているが、煩雑すぎる嫌いがあるので割愛した。日本語では招喚・招請・招聘といった用語が居ながらにしてその違いを適確に表現してくれているので便利である。
この招霊ないし降霊の行事は世界でも日本が遥かに先輩格であると断言できる。大嘗祭などにも純粋な形で取り入れられている。もちろん世界各国で太古からあったが、西洋ではキリスト教が広まってからは忌み嫌われ、魔女狩りなどの原因ともなった。キリスト教には死者の霊は最後の審判の日まで墓地で眠っているという信仰があり、それを無理やり呼び起こしてはいけないとの信仰からで、キリスト教によるスピリチュアリズムへの弾圧はすべてそこから発したと言ってもよいほどである。
しかしその信仰が間違っていることが明らかになった今日では西洋でもよく行われるようになり、ウィックランドの『迷える霊との対話』に見られるような地縛霊の救済活動の一環として、霊界側の主導のもとに行われているものもある。
一方、安直に霊を呼び出してお告げを聞いたり自動書記などを受け取っているサークルが、日本でも西洋でもずいぶんあるようである。が、前にも述べたように、スピリチュアリズム活動の一環として霊団の守護と指揮のもとに行われているもの以外は極めて危険であることを、本章の一問一答からしっかり理解していただきたい。
一問一答
――霊は霊能者でなくても呼び出すことができますか。
「誰にでもできます。客観的に姿を見せることはできなくても、ちゃんと近くにいて、あなた方の要望を聞くことができます。」
――呼ばれたら必ず出るものなのですか。
「それはその時の霊の置かれている条件によって違ってきます。出たくても出られない事情もあります。」
――出られなくする事情はどんなものでしょうか。
「まず第一に本人に出る“意志”があるかどうかの問題があります。次に、すでに再生している場合であれば、その身体の状態(睡眠中か覚醒中か)が問題です。また、再生にそなえて待機している場合であれば、その使命がいかなるものであるかによります。さらには、通信が許されているのにそれが破棄される場合もあります。
現在の霊性の発達程度が地球レベルより低い場合は、通信したくてもできません。また贖罪界に身を置いている場合は、地上の人間にとって有益と見なされた場合にかぎって高級霊の援助を得て出ることが許されますが、通常は出られません。
要するに呼ばれて出るためにはその世界の霊的発達レベルに相応しい霊性を身につけた者でないといけません。そうしないと、たとえ出てもその世界に馴染みがなく、従って親和力によるつながりが取れません。
もっとも、例外として特殊な使命を帯びている者、あるいは高い霊性を有しながら大きな悪行を犯し、その贖罪のために一時的に下層界へ“追放”されている者が出ることを許されることがあります。その豊富な体験的知識が役に立つからです。」
――通信が許されていたのにそれが破棄されるとおっしゃいましたが、どういう理由によるのでしょうか。
「その霊自身もしくは呼び出そうとしている人間のどちらかへの試練ないしは懲罰です。」
――この広大な宇宙にあまねく散在する霊や他の天体上で生活している霊が、どうやってこの遠い地球からの呼び出しに応じられるのでしょうか。
「その霊をよく知っている親和性のある他の霊が前もって察知し、あなた方の意図を伝えます。が、その連絡はあなた方には説明できない霊界特有の方法で行われます。霊の思念による伝達は人間には理解できません。強いて言えば、招霊に際してあなた方が発する思念の衝撃波が、どんなに遠く離れていても一瞬の間にその霊に届き、それが電気ショックのように意識に伝わります。そこでその霊は注意をその方向へ向けます。地上では“話された言葉を聞く”わけですが、こちらでは“思念を聞く”とでも表現しておきましょうか。」
――地上では空気が音の媒体をしているわけですが、そちらでは普遍的流動体(エーテル)が思念の媒体をしていると考えてよろしいでしょうか。
「いいでしょう。ただ違うのは、音が伝わる距離には限界がありますが、思念には限界がない――無辺際だということです。招霊される霊というのは、言うなれば、広大な平原を旅している時に突如として呼び止められて、その声のする方向へ足を向けるようなものです。」
――霊にとって距離が問題でないことは知っております。ですが、招霊会で時おり驚くのは、呼び出すと同時に、あたかもあらかじめ呼ばれることを承知していてそこに待機していたかのように、間髪を入れず出現することです。
「招霊されることが予知されていた時にはそういうことがあります。前にも述べたように、霊によっては招霊されることをあらかじめ察知していて、正式に呼ばれた時にはすでにその場にいるということがよくあります。」
――呼び出す人間の思念は、事情にもよるでしょうけど、その霊に簡単に届くものでしょうか。
「もちろんです。両者の関係が霊的に親和性ないし好感度が高い場合はインパクトが強くなります。親しみ深い声のように響きます。そういうものがない時は“流産”することがあります。霊的摂理にのっとった形で行われた招霊の思念は見事にその霊に突きささりますが、ぞんざいに行われたものは宇宙空間に消滅してしまいます。皆さんでもそうでしょう? ぞんざいな、あるいは無礼な呼びかけられ方をされたら、声は聞こえていても、耳を傾ける気にはならないでしょう。」
――お呼びがかかった霊は自ら進んでそれに応じるのでしょうか。それとも仕方なく出てくるのでしょうか。
「高級霊は常に大霊の意志、つまり宇宙を支配する摂理に従います。ただ、“仕方なく”という言い方は適切ではありません。出るべきかどうかの判断を自ら下しますし、そこに自由意志があります。高級霊でも、自分が出ることに意義があると判断すれば必ず出ます。面白半分に呼ばれた時は絶対に出ません。」
――要請を拒否できるということでしょうか。
「当然です。もし拒否できないとしたら自由意志はどうなりますか。宇宙の全存在が人間の命令に従うべきだとでも思っていらっしゃるのですか。呼ばれる側の立場にご自分を置いてごらんなさい。名前を呼ばれたらいちいち出なければならないとしたらどうなります? 私が今、霊は要請を拒否できる、と申し上げたのは、人間側の勝手な要請のことであって、出るべきでありながら拒否するという意味ではありません。低級霊が招喚された時は、たとえ嫌がっても、高級霊が強制的に出させます。」
訳注――“強制的に出させる”といっても、その関係は高級霊と低級霊との関係だけで成立するものではなく、招霊会の司会者(さにわ)の霊格・霊力がカギとなる。
私は師の間部詮敦氏のもとでさまざまな霊の招霊に立ち会ったが、ワルの親玉みたいのが出た時は恐怖心を覚えたので今でも鮮明に覚えている。霊媒は浅野和三郎氏によって養成された宮地進三という方で、真夏のことなので間部氏は浴衣(ゆかた)姿であぐらをかいて、うちわで扇ぎながら気楽な態度で霊と語っておられた。が、いよいよそのワルが出た時は鬼気迫る雰囲気となった。そして開口一番こう言い放った――
「うーむ、お前には参った。とうとう負けたな。これまでは陰に隠れていて見つからなかったが、今度ばかりはやられた。ところで、まずは一杯酒をくれんか」
すると間部氏は姿勢を正して正座し、手を合わせて瞑目し、
「はい、どうぞ」と言うと、霊はさもうまそうにゴクゴクと飲む仕草をした。むろん本物の酒ではなく、意念でこしらえたものだった。そのあと二言三言交わしてから霊団側に引き渡された。
間部氏は昼間に霊査をして招霊する必要のある霊に目星をつけておき、夜中にそうした処置をしておられた。間部氏の霊力が強かったからこそ霊団側も威力が発揮できたのである。
――招霊会の司会者(さにわ)はどんな霊でも強引に呼び出すことができるのでしょうか。
「とんでもない。霊格の高い霊ないしは同等の霊に対してはそういう権限は許されません。が、霊格の低い霊に対しては許されます。ただし、招霊することがその霊にとって有益である場合に限られます。その場合には霊団による援助が得られるということです。」
――悪霊・邪霊の類いを呼び出すことは感心しないでしょうか。呼び出すことは彼らの影響下にさらす危険を冒すことになるのでしょうか。
「悪霊・邪霊の類いはただ威張り散らすだけですから、高級霊団の援助のもとに行うのであれば何一つ恐れることはありません。イザとなれば霊団の方で抑え込みます。彼らの餌食になる心配はありません。ただし、たった一人で行う時、あるいは出席者がいても初心者ばかりの時は、その種の招霊は控えた方がよろしい。」
――招霊会では何か特別の雰囲気をかもし出す必要がありますか。
「高級霊との対話を求める上で何よりも大切なのは、目的の真摯さと集中力です。そして高級霊を招聘する上で最も強力な力となるのは大霊への信仰心と善を志向する熱意です。招霊に先立っての数分間の祈りを通して魂を高揚し、高き界層の霊と感応し、交霊会へお出でいただくよう取り計らうのです。」
――信仰心は招霊のための不可欠の条件でしょうか。
「大霊への信仰心は必要です。が、真理探求と霊性の向上を志向する真摯なる願望があれば、それは自ずと信仰心を高めることになり、改めて信仰心を意識する必要はありません。」
――思念と動機において一致したサークルでは善霊を呼び寄せる力が増すものでしょうか。
「最高の成果が得られるのは、メンバー全員が慈悲心と善意によって結ばれている時です。人間側の思念と感情の乱れほど招霊を妨げるものはありません。」
――交霊会の初めに全員が手を結び合って輪をつくるのは効果的でしょうか。
「手を結び合うのは物理的行為であり、思念と感情においてつながっていなければ何にもなりません。それよりも大切なのは、お出でいただきたいと願っている高級霊にその願いを発信する上で、全員が思念と動機において一体となることです。人間的煩悩の一切から解放された真摯な求道者が、互いを思いやる心において一体となって忍耐強く努力する時、どれほど素晴らしい成果が得られるか、あなた方はご存じありません。」
――招霊会の日時はあらかじめ決めて表明しておいた方がよろしいでしょうか。
「その方がよろしい。そして、なるべく同じ部屋で催すことが望ましいです。霊が容易に、そして気持ち良く訪れることができます。出席者の真面目さと同時に志操の堅固さも、霊の訪れと交信を容易にします。霊にも仕事があるのです。不意に呼ばれて、人間の下らぬ好奇心のために仕事を放っておいて出てくるわけにはまいりません。
今、同じ部屋が望ましい、と言いましたが、それにこだわる必要はありません。霊はどこへでも行けます。私が言いたかったのは、招霊のために用意した一定の部屋の方が、集まるメンバーの意念の集中が得られやすいということです。」
――魔よけとかまじない札を用いる人がいますが、こうしたものに善霊を引き寄せたり悪霊を追い払ったりする力があるのでしょうか。
「今さらそのような質問をなさることもないでしょう。物には霊に対して何の影響力もないことくらい、ご存じのはずです。少し気の利いた霊ならそんな愚かなことは説きません。お守りの効用は信じやすいお人好しの想像の中にしか存在しません。」
ブラックウェル脚注――そうは言ってもお守りの力を信じるということが、霊に対してではなく当人の意念の集中力を助け、結果的には招霊の力を増すことになるとも考えられるのではなかろうか。
――霊によってはひどく陰湿な場所や、なぜこんな時刻にと思われる時刻を指定してくることがあるのですが、これはどう理解したらよろしいでしょうか。
「人間を困惑させて喜んでいるにすぎません。そういう注文に応じるのは無意味であると同時に、時には危険でさえあります。無意味というのは、担がれるだけで何も得るものがないこと。危険というのは、霊から何かをされるという意味ではなく、そういう理不尽な指定をされることによって、あなた方の脳に悪影響が及ぶからです。」
――霊を招くのに都合の良い日にちや時刻というのがあるのでしょうか。
「物質界の条件で霊にとって重要なことというものは何もありません。日にちや時刻に影響力があるかに考えるのは迷信です。最も都合のよい日時というのは招霊する側(司会者と出席者)に日常的な雑念がなく心身ともに平静な時です。」
――そもそも招霊というのは霊にとって有り難いことでしょうか、迷惑なことでしょうか。呼ばれると喜んで出てくるものでしょうか。
「それはその招霊会の性格と動機しだいです。気高い意義のある目的のためのもので、出席者やその場の波動に親和性を感ずれば、気持ちよく出てくるでしょう。霊の中にはそれを楽しみに待っている者もいるのです。というのも、死後、人間界から見捨てられた気分で悲嘆にくれている者が多いからです。
ですが、前にも述べたことですが、全ては本人の性格によります。人間嫌いもいます。そういう霊はたとえ出てきても不快をあらわにするでしょう。とくに見ず知らずの人間から呼ばれたら、まともには相手にしません。出なければならない理由がないからです。とくに好奇心から招霊された時は、たとえ出ても直ぐに帰るか、初めから出ないこともあります。自分が出ることに何か特別な意義でもあれば別ですが……」
――招霊されて喜ぶのは善霊と邪霊のどちらでしょうか。
「邪霊というのは人間を騙して操る目的で自分から出るもので、招霊されることは喜びません。悪行をとっちめられるのではないかと警戒するからです。ちょうどイタズラをした子供が隠れて出てこないように、呼ばれてもしらばっくれています。が、高級霊が折檻と向上と人間への教訓を目的として強制的に招喚することがあります。
下らぬ目的のための招霊会には高級霊は出たがりません。まったく出ないか、たとえ出ても直ぐさま引き上げます。皆さんでも同じと思いますが、遊び半分の好奇の対象とされることを嫌います。人間は、あの霊はどんな話をするだろうか、地上でどんな生活をしたのだろうかといった、余計なおせっかいと言いたくなるようなことを聞くために霊を呼び出そうとしますが、考えてもごらんなさい。まるで証人席に立たされて尋問されるような立場に置かれるのを快く思うでしょうか。少し目を醒ましていただかないと困ります。地上でされることが嫌なことは霊になっても嫌なものです。」
――霊は招かれないかぎり出ないものでしょうか。
「そんなことはありません。霊は呼ばれなくてもしばしば来ております。自らの意志でです。」
――自ら進んで出る場合は、その述べる身元も信じられるのでしょうか。
「とんでもない。邪霊はしばしばその手を使います。人間を騙しやすいからです。」
――霊を呼び出すのは思念で行うわけですが、自動書記とか霊言その他の現象はなくても来ているのでしょうか。
「現象は霊の実在の証しにすぎません。呼び寄せるのは思念です。」
――出てきたのが低級霊だと判明した時、引き下がってもらうにはどうすればよいでしょうか。
「取り合わないことです。ですが、そもそもそういう低級霊につけ入られるような愚かなことをしていながら、それに感応して出てきた霊がどうして簡単に引き下がりましょう? 人間界と同じで、魚心あれば水心です。」
――神の御名のもとに招霊すれば邪霊の出現は防げるでしょうか。
「全ての邪霊に通用するとはかぎりません。神の御名の響きでたじろぐ者はかなりいるでしょう。信仰心と誠意をもって唱えれば低級霊は逃げますし、それに強烈な信念が加わればさらに効果的でしょう。ただの紋切り型の呪文を唱えるだけではだめですが……」
――名前を呼ぶことによって複数の霊を同時に招霊できますか。
「別に難しいことではありません。またもし三人ないし四人の自動書記霊媒がいれば同時に三人ないし四人の霊からのメッセージが綴られるでしょう。数人の霊媒を用意しても同じことができます。」
――複数の霊を招霊し、霊媒は一人という場合、優先順位はどうなるでしょうか。
「霊媒との親和性がいちばん高い霊が代表して総合的な内容の通信を書きます。」
――逆に一人の霊が同時に二人の霊媒を通して自動書記通信を送ることができますか。
「地上でも複数の書記に同時に書き取らせることができるのと同じです。」
――一人の霊が複数の場所から同時に招霊された場合、同じ質問に同時に答えることができますか。
「できます。高級霊にかぎりますが……」
――その場合、霊は自分を分割するのでしょうか、それとも同時にどこにでも存在する能力があるのでしょうか。
「太陽は一つです。が、その光は全方向へ放射し、桁外れの距離まで届きます。霊も同じです。高級霊から発した想念は閃光のようなもので、一瞬のうちに全方向へ飛散し、どこにいても感得されます。霊性の純粋度が高ければ高いほど遠くまで届き、幅広く飛散します。低級霊は物質性が強いためにそうした能力はなく、一度に一人の質問にしか答えられません。別のところに招霊されている時は出られません。
なお、高級霊が同時に二つの場所から呼ばれた時、双方の霊媒の真摯さと熱意が同等であれば双方に出ますが、大きな差があれば、より真摯で熱意の強い方に出ます。」
――再生の必要がなくなった超高級霊でも出てくださいますか。
「出ます。しかし滅多にないものと思ってください。よほど純粋で真摯な心の持ち主としか語り合いません。高慢さや私利私欲が目立つような人間とは絶対に語り合いません。ですから、大変な高級界からやってきたかのような言説を軽々しく吐くような霊にはよくよく注意が肝要です。低級霊ですから。」
――歴史上の大変な著名人がいたって平凡な人間の招きに応じて簡単に、そして気さくに出てくるのはどう理解したらよいでしょうか。
「人間はとかく霊を人間的尺度で評価しがちですが、それは間違いです。地上時代の地位は肉体の死とともに消滅します。残るのは善性だけです。そして人間を見る尺度も、同じく霊的な善性のみです。善霊は善が行われる所ならどこへでも赴きます。」
――死後どれくらいたつと招霊できるのでしょうか。
「死の直後でもできないことはありません。ですが、霊的意識が混乱していますから、まともな対話はできないでしょう。」
――ということは死後しばらくしてからの方が良いということでしょうか。
「大体においてそうです。死の直後は眠りから覚めたばかりの人間に語りかけるようなものです。ですが、別に問題ないケースもあります。むしろ招霊して語りかけてやった方がその意識の混乱状態から脱け出るきっかけとなることもあります。」
――死ぬ前は自我意識さえ覚束なかったほどの幼な子が、招霊してみるとしっかりとした知性をそなえていることがあるのは、どうしてでしょうか。
「幼児の魂といっても魂そのものが幼いわけではなく、肉体という産着(うぶぎ)でくるまれているために幼く見えるだけです。死によってその束縛から放たれると、本来の霊としての能力を取り戻します。霊には年齢はありません。幼児の霊が大人のような知性で対話に応じることができるということは、その霊はかつて大人にまで成長した前世があるということを意味します。もっとも、死後しばらくは幼児としての個性をいくらか留めてはいるでしょう。」
編者注――死の直前までの状態が死後しばらく尾を引くのは、精神病患者にも見られる。霊そのものは異常ではないのであるが、正常な人間と同様に死んだことに気づかずに地上的波動の中で過ごしているので、精神が正常な働きを取り戻せないでいることがある。その反応は精神病の原因によってさまざまであるが、中には死の直後から完全な精神機能を取り戻す人もいる。
――動物の霊を呼び出すことができますか。
「動物を生かしめている知的原理は、死後“潜伏状態”とでもいうべき状態に入ります。が、それも一時期で、すぐに担当の霊団によって新たな存在の知的原理として活用されます。このように、動物の霊には人間のような、次の再生までの反省期間はありません。これでご質問の答えになると思います。」
――すると動物を呼び出して対話をしたという話はどうなるのでしょうか。
「岩の霊でも呼び出してみられるがよろしい。ちゃんと対話をしてくれます。が、それは岩の霊ではありません。いたずら霊です。霊はそこらじゅうにウヨウヨしているのですから、すぐに出て誰の真似でも何の真似でもします。」
編者注――同じ理由から、神話上の人物や架空の人物が出てしゃべったというのも、いたずら霊の仕業のようである。
――霊が再生してしまうことは招霊にとって致命的障害ですか。
「そんなことはありません。しかし、招霊された時の肉体が霊にとって離脱しやすい状態であることが必要です。再生した天体が進化しているほど離脱しやすいです。進化するほど物質性が希薄になるからです。」
訳注――私の師の間部詮敦氏の実兄の詮信(あきのぶ)氏は霊能の多彩さでは詮敦氏を凌ぐものがあり、日常茶飯事に使っておられた。その詮信氏が育てた物理霊媒の津田江山氏の実験会に出席した時、直接談話現象に「間部(まなべ)です」と言って出現して皆を驚かせた。書にも堪能だった詮信氏は用意しておいた三枚の色紙に真っ暗闇の中で見事な文字を直接書記で揮毫されたが、後でお会いした時に「あの時はどちらにおられたのですか」とお尋ねしたら、福岡の自宅で寝ていたとおっしゃった。幽体離脱して出られたのだった。
――この地上で今生活している人間の霊でも招霊できますか。
「できます。今も述べた通り、他の天体上で生活している霊を招霊できるのと同じです。招霊でなくて幽体離脱して物質化して姿を見せることもできます。」(七章および八章参照)
――招霊されている時の肉体の状態はどうなっているのでしょうか。
「眠っているか、うたた寝をしています。そういう時は霊が自由に活動しやすいのです。」
――霊が留守にしている間に肉体が目を覚ますことができますか。
「できません。もし何らかの事情で起きる必要が生じた時は、霊は強制的に戻らされます。地上生活中は肉体が“我が家”なのですから。それが招霊されて対話中であれば、理由を述べて対話を中断するでしょう。」
――肉体から離れていて、どうやって戻る必要性を知るのでしょう?
「離れているといっても完全に分離しているわけではありません。どんなに遠くへ出かけていても流動性の紐(玉の緒)でつながっていて、それが戻る必要が生じたことを知らせます。この紐は死の瞬間まで切れることはありません。」
編者注――この流動性の紐は霊視能力のある人にも見える。霊の話によると睡眠中などに霊界を訪れる霊にはこの紐がついているので、それが霊界の霊と区別する目印になるという。
――睡眠中ないし霊の留守中に肉体が致命傷を受けた場合はどうなりますか。
「そうなる前に知らせを受け、即座に肉体に戻ります。」
――では、霊の留守中に肉体が死亡し、霊が戻ってみたら“我が家”に入れなくなっていたというような事態は起きないということでしょうか。
「絶対に起きません。もしそんなことが起き得るとしたら、霊と肉体との合体を支配する摂理に反することになります。」
――でも、まったく予期せぬことが突如として起きることも考えられませんか。
「危険が差し迫っている時は、そうならないうちに霊に警告があります。」
訳注――現実問題として睡眠中に地震などで死亡することがあるのであるから、そういう問題よりも、ここでは“霊と肉体との合体を支配する摂理”について、もう少し突っ込んでほしかったところである。カルデックの質問の主旨はよく分かるが、回答している霊は別の捉え方をしているように思えてならない。
――生者の霊と死者の霊とでは、対話をする上で全く同じですか。
「いえ、肉体につながっている以上、大なり小なり物的波動の影響を受けます。」
――呼び出した時点ですでに肉体から離れている時は何か不都合がありますか。
「ないことはありません。たとえば赴いている先から帰りたくない時が考えられます。まして、招霊会の司会者が全く見ず知らずの人間である場合はとくにそうでしょう。」
――普通の覚醒状態で生活している人間の霊を招霊するのは絶対に不可能でしょうか。
「難しいですが、絶対に不可能というわけではありません。というのは、招霊の波動が届いて霊が反応すると、急に眠くなって寝入る人がいます。が、基本的には霊が出て対話をする時は、その肉体にとって霊の知的活動が必要でない時にかぎられます。」
――睡眠中に招霊された時、目覚めてからその間のことを思い出しますか。
「ほとんどの場合、思い出しません。実を言うとあなた方も、ご自分では記憶にないでしょうが、何度か招霊されているのですよ。が、その記憶は霊の意識に残っているだけです。時には夢のようにおぼろげに意識にのぼることもあるでしょうけど……」
――誰が招霊するのでしょうか。私のような無名の人間を……。
「幾つかある前世では結構名の知れた人物だったかも知れませんよ。ということはこの地上ないしは別の天体上で、あなたには記憶はなくても、あなたを知っている人が大勢いるわけです。そういう人が招霊するのです。たとえば前世であなたがこの地上かどこかの天体上にいる誰かの父親だったとします。その人物が今のあなたを呼び出した場合、出て行くのはあなたの霊であり、その霊が対話をするわけです。」
――生者の霊が招霊された時、霊として対応するのでしょうか、それとも通常の意識で対応するのでしょうか。
「それは霊性の進化の程度が問題です。ですが、どっちみち通常意識の状態よりは判断力は明晰で地上的偏見による影響は少ないでしょう。というのは、招霊されている時は夢遊病(セミトランス)的状態に似ており、死者の霊と大差はないからです。」
――セミ・トランスの状態で招霊された場合は通常の状態で招霊された時よりも判断力は明晰でしょうか。
「遥かに明晰でしょう。通常よりは物質による束縛が少ないからです。そうした違いは全て霊が物的身体からどの程度独立しているかに掛かっています。」
――セミ・トランスの状態にある霊が招霊されている時に、遠距離にいる別の人から招霊された場合はそれに応じられますか。
「二つの場所で同時に交信する能力は、物的波動から完全に脱した霊しか持ち合わせません。」
――妊娠中の胎児の霊の招霊は可能でしょうか。
「不可能です。妊娠期間中の霊は意識が混濁していて、対話はできません。」
編者注――霊は受胎の瞬間から活動を開始するが、意識は混濁している。その混濁は誕生が近づくにつれて増幅し、自意識を完全に失った状態で誕生する。
――招霊された霊に代わっていたずら霊が出現することは有り得ますか。
「有り得るどころではありません。しょっちゅうやっています。とくに興味本位でやっている招霊会ではほとんどがそうだと思ってよろしい。」
――生者の霊を招霊することに何か危険がありますか。
「危険が全くないとは言えませんが、問題があるとすれば体調です。何か病気があれば招霊によって悪化する恐れがあります。」
――絶対にいけないことといえば、どういうことでしょうか。
「幼児、少年少女、重病人、虚弱体質の人、老人――要するに体力の弱い人は絶対に招霊してはいけません。」
――ということは、招霊中の霊の活動が身体を疲れさせるのでしょうか。(この質問に対して、実際に招霊された霊がこう述べた。)
「私の霊はまるで柱につながれたバルーンのようです。身体が柱で、バルーンにぐいぐい引っぱられて揺すられます。」
――生者を不用意に招霊することが危険であるとなると、死者の霊のつもりで呼び出したら、すでに再生していたという場合も害を及ぼすことになりませんか。
「いえ、その場合は条件が異なります。そういう場合の霊は招霊に対応できる者にかぎられます。それに、すでに忠告したはずですが、招霊会を催す時は、あらかじめ霊団側にお伺いを立てないといけません。」
――眠くなるはずもない時に急に睡魔におそわれた時は招霊されていることも有り得るわけですか。
「理屈の上ではそういうケースも十分に考えられます。が、実際問題としては純粋に身体上の反応に過ぎないことがほとんどでしょう。つまり身体が休息を求めているか、もしくは霊が自由を求めているかのどちらかです。」
――遠く離れた二人の人間がお互いに招霊し合い、想念を交換し合うという形での交信も可能なのでしょうか。
「まさに可能です。そうした、言うなれば“人間電信”が当たり前の通信法となる日が必ず来ます。」
――現在ではできませんか。
「できないわけではありませんが、ごく限られた人だけです。地上の人間が身体から自由自在に離脱できるようになるには、霊性が純粋でなければなりません。霊性が高度な発達を遂げるまでは、そうした芸当は一握りの、純粋で物質臭を克服した魂にしかできないでしょう。そうした魂は現段階の地上では滅多にお目に掛かれません。」
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