Sunday, April 21, 2024

シアトルの春 このまま野放しにしたら地上を破滅状態に陥れかねない物質第一主義の風潮に挑む、戦いの中の戦いに選ばれた霊の大軍の一員であることを思い出して、奮い立たないといけません。

We need to be inspired by remembering that we are part of a large spiritual army that has been chosen to fight in a battle against the materialistic tendencies that, if left unchecked, could bring the earth into ruin.

    私たち霊界の者は人のために役立つことをしている人の努力を無駄に終わらせたことは一度もありません。必要なものは必ず手に入ります。それは私たちがこれまでに数知れず試されてきていることです。霊的なものも物的な物も、必要なものは必ず手に入れてさしあげます。

 あなた方はあなた方の役割を果たしておればよろしい。私たちは私たちの役割を果たします。

(訳者注───ここでいう〝私たち霊界の者〟とは各自の背後霊のことと考えればよい。つまり守護霊を中心として、同じ霊系や地上的縁でつながった霊の集まりがあって、その霊たちが本人の地上での天命を全うさせるために、いろいろと世話を焼いてくれている。

そのことだけを考えると万事がうまく行ってもよさそうに思えるが、地上界と霊界との関係には二つの絶対条件があり、それが事を厄介にしている。一つは自由意志の要素であり、もう一つは波長の原理である。

 守護霊といえども本人がどうしてもやりたいと思うことを止めさせることはできないし、やりたくないと思うことを無理やりやらせることもできない。守護霊も摂理を無視したことは許されないのである。

 もう一つのは波長の原理というのは、先ほどのシルバーバーチの〝心から人のためにという気持ちになれば必要なものはそのうち必ず揃うものです〟という言葉に暗示されている。そこには〝正しい心掛け〟というものが要請されているわけである。それが波長を整える作用をするのである。

シルバーバーチが〝心配の念を抱いてはいけません〟と口を酸っぱくして言っているのも同じ原理を言っている。

 そのこととは別に、シルバーバーチが言及していないことで私から注意を促しておきたいことがある。それは、金銭上の問題は高級霊ほどニガ手なので、守護霊は直接には関与せずに配下の霊、それもどちらかというと地上臭の抜け切っていない霊に任せるということで、その意味でもわれわれは霊のことを高級・低級のみで安直に区別してはならない。それぞれに得手不得手があり、それぞれに〝役に立つこと〟をしているのであるから。

 もとよりこうしたことは原則として守護霊の管理下で行われていることであるから、その通りに行っていれば問題はないが、本人の方が欲の皮が突っ張り見栄や慢心が出はじめたら、波長の原理でもはや守護霊の管理下から離れ、同じ波長をもつ低級霊、それも邪心をもった悪霊に操られることになる。

 必要以上の金が儲かったり、思わぬ大金が転がり込んだり、預金が面白いほど増え始めたら危険と思わねばならない。それは言わば欲望の肥満体になることであり、魂は活力を失い、霊的病いが出始める。悪霊の思うツボにはまったのである。

 シルバーバーチが〝人のために役立つ〟という心掛けを説く裏にはそういう意味合いも含まれていると理解されたい)


───たしかに私はあなたから大きな援助と叡智のお言葉をいただいて感謝いたしております。

 あなたには霊視能力があります。願わくはその能力がもう少し広がって、神の計画の推進に当たっている神庁の組織、高級神霊の働きの一端をかい間見ることがお出来になればよろしいのですが・・・そうすれば一瞬たりともうろたえたり、ひとかけらの心配の念を宿すことがなくなるはずです。

それを私はこの目で見ているのです。そして、これまでの実際の成果を逐一知っているのです。

 私はここで満身の力を込めて断言いたします。真理普及という大義に身を捧げておられる皆さん方は、宇宙最大の力、生命力そのものの援助にあずかることができるのです。それはもはや義務ともいうべきものと心得るべきです。

 すなわち、それを賢明に、有意義に使うのです。あなたの生活の範囲内で触れ合う人たちの全てに導きの手を差しのべるのです。もしもその手が拒絶されれば、それはそれでよろしい。その人の思う道を進ませてあげればよろしい。

その辺の判断はあなた方自身の叡智の光と良識に照らしてなさるがよろしい。動機がすべてを決します。動機が正しければ、いかなる事態が生じようと最後は必ず勝利します。

 人生には二つの大切な要素があります。一つは知識であり、もう一つは信仰(信念)です。知識の裏付けのない信仰は〝折れた葦〟(マタイ12・20その他)のようなもので、いざという時に頼りになりません。が、知識に信仰を上のせする───これが最高の組み合わせです。
 
 あなたは人生とその意義についての理解をもたらしてくれた知識はすでにお持ちです。が、それとて、これから先あなたが入手していくべき知識に比べれば、ほんのひとかけらに過ぎません。そこでその不足を補うための信仰というものが必要となります。

 しかしそれも、あくまで事実に即した知識を根拠とした信仰です。軽々しい信仰、理不尽な信仰、知性を侮辱する様な信仰ではなく、事実を根拠とした信仰、つまり、かくかくしかじかの事実がある以上はそう信じてもよいはずだという論拠をもった信仰です。それはあなたにとって大切なものです。

 本日お集まりの方の中には、このことを耳にタコが出来るほど聞いておられる方がいらっしゃいます。さぞかしうんざりされることでしょうが、でもやはり真実です。平凡な真理は、たとえ何度繰り返しても真理です。くり返すことによって真実性が減じることはありません。

 私から申し上げたいのは、皆さんは有限の世界で生活する有限の存在だということです。無限の知識から手にすることのできる分量は、皆さんが霊的・精神的に到達した発達段階によって制限されます。

これまでに受け入れられた知識はしっかりと吟味したうえで真実であると確信されたものです。その知識の上に、まだ掲示されずにいるものに対する信仰心(信念)を築くのです。それは理不尽なものではありません。立証可能な事実を土台としています。

 地上の人間の態度をみていてどうも理屈に合わないと思うことの一つは、物的な惰眠から目覚めるまでにはさんざん時間が掛かっているのに、いったん目覚めると、今度は急にせっかちになることです。どんどん事が運ぶことを期待するのですが、そうはまいりません。

霊的な進歩は着実でないといけません。近道というものはないのです。一歩一歩をしっかりと足固めしながら進まないといけません。一歩進むごとに次に進むべき方角が開けます。

 これまでに啓示していただいたものを基盤にして,ひとまずそれに甘んじるのです。そしてもしも疑問が生じたら───きっと生じるものです、あるいはもしも疑念が湧いたら───必ず湧くものです、

そしてもしも困難が厄介な頭をもたげはじめたら、慌てず我慢するのです。霊の力は物質に勝ることを忘れないことです。霊界から働きかけやすい条件さえ提供してくれれば、いかなる障害も、いかなる困難も、いかなるハンディキャップも、霊の力で克服できないものはありません。

 そもそも教会というものが存在するようになったのは、霊力がさまざまな形で顕現したからです。奇跡と思われた現象も、霊力によって演出されていたのです。が、今日の教会にはそれが見られません。かつて〝聖地〟と呼ばれたところも、今は霊的砂漠となり、オアシス一つ見当たらない不毛の土地となっております。

 しかし神の摂理は少しも変わっておりません。そこが 〝聖い処〟 とされたのは霊力が崇高な形で顕現したことによって神聖視されたからです。それと同じ霊力が今あなたを通して顕現し、大きな恩恵をもたらしつつあるのです。

 私はそれぞれの宗教界において真面目に勤しんでいる人たちを非難しようとは思いません。が、その人たちは、苦しんでいる世の中の人のために役立つことは何もしておりません。教義は無味乾燥です。ドグマは不毛です。視野は旧態依然としており、新しい流れがどんどん通り過ぎていきつつあることに気づきません。

 われわれは地上の多くの場所で悪性のガンを生み出している貪欲、強欲、私利私欲が一掃された新しい世界の到来を告げる使者なのです。

あらゆる宗教的行為の中の最高の行為として〝人のために自分を役立てること〟 を掲げ、互いに扶助し合い、寛容(ユル)し合い、人間と動物の区別なしにすべてに哀れみの心をもつべきであると説きます。本当にその気になれば地上天国は叶えられるのです。

 それが今私達が皆さんに協力のもとにたずさわっている仕事です。俗世の悩みに襲われ、暗闇に閉ざされて気が滅入り、疲れ果てあるいは塞ぎ込みそうになった時は、霊的知識を手にした皆さんは、このまま野放しにしたら地上を破滅状態に陥れかねない物質第一主義の風潮に挑む、戦いの中の戦いに選ばれた霊の大軍の一員であることを思い出して、奮い立たないといけません。

 いつまでも絶望感に浸っていてはいけません。私たちは決して見殺しにはしません。援助を届ける通路さえあれば、奇特な心掛けを無為に終わせることは致しません。必要とあらば、いかなる援助でも致します。このインフレの時代にも皆さんに不足の思いをさせないように配慮しております。

 われわれは大事な仕事に携わっているのです。すでに何度も申し上げていることですが、大義に身を捧げることは気高いことであることを今こそ肝に銘ずべきです。人間の気高さは人の為に役立つことをすることから生まれるのです。

 地上の人間は自己改善によってみずからを救済するようにならないといけません。また地上生活ならではの恩恵のすべてが味わえるようになるのは、協調と互助という霊的原理を実行するしかないことを理解しなければなりません。物的恩恵だけのことを言っているのではありません。精神的ならびに霊的恩恵も味わえます。

 人間は精神的にも身体的にも霊的にも自由であらねばなりません。私たちはいかなる形であっても〝隷属〟というものを許しません。人間はみずからの束縛状態をみずからの力で解かないといけません。

そのためには先ず自分を生かしめている力が地上世界の他のすべての存在、生きとし生けるものすべてを生かしめている霊力と同じであることを、しっかりと認識しないといけません。霊力がそれらすべてを取り巻き、すべてを一体とさせ、その存在の究極の責任者である宇宙の大霊すなわち神の前において一つにしているのです。

 私たちが生命の実在について霊的な実感をもたらしてあげるために行っている仕事の背景には、そうした事実があるのです。その目的はそうたやすくは達成されません。

なぜなら、こうした教訓は困難・危機・病気・死別等を体験して初めて学べるものだからです。絶望の底に叩き落とすような苦悩でありながら、実は真実の自我を見出すための手段なのです。

 ですから、皆さんには是非ともやっていただかねばならない役目があります。が、それにはたっぷりと時間を掛けないといけません。われわれの背後には宇宙最大の力、大霊の霊力が控えております。後退させられることはあります。潮は満ちるだけではありません。

必ず引きます。それと同じです。が、霊力の働きが止まってしまうことはありません。常に働きかけております。

 生命のあるものには霊があります。停滞と不活発はわれわれの敵です。なぜなら、そういう条件下では霊力は流入しないからです。あなた方は私たちに通路を提供し、その通路を通って霊力が流入するのです。私たちが欲しいのは献身的な協力者です。操り人形ではなく、私たちが協力するように私たちに協力してくれる、自発的参加者です。

 奉仕は霊の通貨です。宗教とは自分を役立てる行為であり、またそうであるべきです。そうでなかったら宗教は何の意義もありません。

シルバーバーチ

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