Tuesday, December 19, 2023

シアトルの冬 霊と物質の関係

relationship between spirit and matter

別の日の交霊会でシルバーバーチは、霊と物質の関係という基本的なテーマについて語った。その日のゲストはスピリチュアリズムに熱心な夫婦だった。その二人に向かってこう語った。


「あなた方は物質をまとった存在です。身を物質の世界に置いておられます。それはそれなりに果たすべき義務があります。衣服を着なければなりません。家がなくてはなりません。食べるものが要ります。身体の手入れをしなくてはなりません。身体は、要請される仕事を果たすために必要なものを、すべて確保しなければなりません。

物的身体の存在価値は、基本的には霊(自我)の道具であることです。霊なくしては身体の存在はありません。そのことを知っている人が実に少ないのです。身体が存在できるのは、それ以前に霊が存在するからです。霊が引っ込めば身体は崩壊し、分解し、そして死滅します。

こんなことを申し上げるのは、他の多くの人たちと同様に、あなた方もまだまだ、本来の正しい視野をお持ちでないからです。ご自身のことを、一時的に地上的生命をたずさえた霊的存在であるとは得心しておられません。身体にかかわること、世間的なことを必要以上に重要視なさる傾向がまだあります。

いかがですか、私の言っていることは間違っておりましょうか。間違っていれば遠慮なくそうおっしゃってください。わたしが気を悪くすることはありませんから……」

「いえ、おっしゃる通りだと思います。そのことを自覚し、かつ忘れずにいるということは大変むつかしいことです」と奥さんが言う。


「むつかしいことであることは、わたしもよく知っております。ですが、視野を一変させ、その身体だけでなく、住んでおられる地球、それからその地球上のすべてのものが存在できるのは、ほかならぬ霊のおかげであること、あなたも霊であり、霊であるがゆえに大霊の属性のすべてを宿していることに得心がいけば、前途に横たわる困難のすべてを克服していくだけの霊力をさずかっていることに理解がいくはずです。生命の根元、存在の根元、永遠性の根元は“霊”の中にあります。自分で自分をコントロールする要領(こつ)さえ身につければ、その無限の貯蔵庫からエネルギーを引き出すことができます。

霊は、物質の限界によって牛耳られてばかりいるのではありません。全生命の原動力であり、全存在の大始源である霊は、あなたの地上生活において必要なものを、すべて供給してくれます。その地上生活の目的はいたって簡単なことです。死後に待ちうける次の生活にそなえて、本来のあなたであるところの霊性を強固にすることです。身支度を整えるのです。開発するのです。となると、良いことも悪いことも、明るいことも暗いことも、長所も短所も、愛も憎しみも、健康も病気も、その他ありとあらゆることが、あなたの受け止め方一つで、あなたの霊性の成長の糧(かて)となることがお分かりでしょう。

その一つ一つが、大霊の計画の中でそれなりの存在価値を有しているのです。いかに暗い体験も――暗く感じられるのは気に食わないからにすぎないのですが――克服できないほど強烈なものはありません。あなたに耐えきれないほどの試練や危機に直面させられることはありません。そうした真理を、何らかの形でこのわたしとご縁のできた人に知っていただくだけでなく、実感し、実践していただくことができれば、その人は大霊と一体となり、摂理と調和し、日々、時々刻々、要請されるものにきちんと対応できるはずなのです。

ところが、残念ながら敵がいます。取り越し苦労、心配、愚痴という大敵です。それが波長を乱し、せっかくの霊的援助を妨げるのです。霊は、平静さと自信と受容性の中ではじめて伸び伸びと成長します。日々の生活に必要なものすべてが供給されます。物的必需品のすべてが揃います」

ここでご主人が「この霊の道具(身体)にわれわれはどういう注意を払えばよいかを知りたいのですが……肝心なポイントはどこにあるのでしょうか」と尋ねる。


「別にむつかしいことではありません。大方の人間のしていることをご覧になれば、身体の必要性にばかりこだわって(※)、精神ならびに霊の必要性に無関心すぎるという、わたしの持論に賛成していただけると思います。身体へ向けている関心の何分の一かでも霊の方へ向けてくだされば、世の中は今よりずっと住みよくなるでしょう」


※――豪華なファッション、豪邸、美食、そしてそれを得る為の金儲けなどのこと。

「霊のことを放ったらかしにしているということでしょうか。身体にかかわることは、そうまで構わなくてもよいということでしょうか。それとも、もっと総体的な努力をすべきだとおっしゃりたいのでしょうか」


「それは人によって異なる問題ですが、一般的に言って人間は、肉体にかかわることはおろそかにはしておりません。むしろ甘やかしすぎです。必要以上のものを与えています。あなた方が文明と呼んでいるものが不必要な用事を増やし、それに対応するために、また新たな慣習的義務を背負(しょ)い込むという愚を重ねております。肉体にとってなくてはならぬものといえば、光と空気と食べものと運動と住居くらいのものです。衣服もそんなにアレコレと必要なものではありません。慣習上、必要品となっているだけです

わたしは決して肉体ならびにその必要品をおろそかにしてよろしいと言っているのではありません。肉体は霊の大切な道具ではありませんか。肉体的本性が要求するものを無視するように、と勧めているのではありません。一人でも多くの人に、正しい視野をもっていただき、自分自身の本当の姿を見つめるようになっていただきたいのです。自分というものを肉体だけの存在、あるいは、せいぜい、霊をそなえた肉体だと思い込んでいる人が、まだまだ多すぎます。本当は肉体をそなえた霊的存在なのです。それとこれとでは、大違いです。

無駄な取り越し苦労に振り回されている人が多すぎます。わたしが何とかしてなくしてあげたいと思って努力しているのは、不必要な心配です。大霊は無限の叡智であり、無限の愛です。われわれの理解を超えた存在です。が、その働きは宇宙の生命活動の中に見出すことができます。

驚異に満ちたこの宇宙が、かつて一度たりともしくじりを犯したことのない摂理によって支配され、規制され、維持されているのです。その摂理の働きは、一度たりとも間違いを犯したことがないのです。変更になったこともありません。廃止されて別のものと置きかえられたこともありません。いま存在する自然法則はかつても存在し、これからも未来永劫に存在し続けます。なぜなら、完璧な構想のもとに、全能の力によって生み出されたものだからです。

宇宙のどこでもよろしい、よく観察すれば、雄大なものから極小のものまでの、ありとあらゆる相が自然の法則によって生かされ、動かされ、規律正しくコントロールされていることがお分かりになります。途方もなく巨大な星雲を見ても、極微の生命を調べても、あるいは変転きわまりない大自然のパノラマに目を向けても、さらには小鳥・樹木・花・海・山川・湖のどれ一つ取ってみても、ちょうど地球が地軸を中心に回転することによって季節のめぐりが生じているように、すべての相とのつながりを考慮した法則によって統制されていることが分かります。

種子を蒔けば芽が出る――この、いつの時代にも変わらない摂理こそ、大霊の働きの典型です。大霊は絶対にしくじったことはありません。あなた方が見放さないかぎり、大霊は決してあなた方を見放しません。

わたしは、大霊の子すべてに、そういう視野をもっていただきたいのです。そうすれば、取り越し苦労もしなくなり、恐れおののくこともなくなります。いかなる体験も魂の成長にとって何らかの役に立つことを知るようになります。その認識のもとに、一つ一つの困難に立ち向かうようになり、そして首尾よく克服していくことでしょう。その最中にあってはそうは思えなくても、それが真実なのです。

あなた方もいつかはこちらの世界へ来られるわけですが、来てみれば、感謝なさるのはそういう辛い体験の方なのです。視点が変わることによって、暗く思えた体験こそ、その最中にある時は有り難く思えなかったけれども、霊の成長を一番促進してくれていることを知るからです。今ここでそれを証明してさしあげることはできませんが、こちらへお出でになれば、みずから得心なさることでしょう。

こうしたことは、あなた方にとっては比較的新しい真理でしょうが、これは大変な真理であり、また多くの側面をもっております。まだまだ学ばねばならないことが沢山あるということです。探求の歩みを止めてはいけません。歩み続けるのです。ただし、霊媒の口をついて出るものをぜんぶ鵜呑(うの)みにしてはいけません。あなたの理性が反発するもの、あなたの知性を侮辱するものは拒絶なさい。理に適っていると思えるもの、価値があると確信できるものだけを受け入れなさい。何でもすぐに信じる必要はありません。あなた自身の判断力にしっくりくるものだけを受け入れればいいのです。

わたしたちは誤りを犯す可能性のある道具を使用しているのです。交信状態が芳(かんば)しくない時があります。うっかりミスを犯すことがあります。伝えたいことのすべてが伝えられないことがあります。他にもいろいろと障害があります。霊媒の健康状態、潜在意識の中の思念、かたくなに執着している観念などが伝達を妨げることもあります。

その上、わたしたちスピリットも誤りを犯す存在であることを忘れてはなりません。死によって無限の知識のすべてを手にできるようになるわけではありません。地上時代より少しだけ先が見通せるようになるだけです。そこで、こうして、皆さんより多く知った分だけをお届けしているわけです。わたしたちも知らないことばかりです。が、少しでも多く知ろうと努力しているところです。

地上より開けたこちらの世界で知った価値ある知識を、わたしたちがこうして皆さんにお授けするわけは、代わってこんどは皆さんが、それを知らずにいる人たちへ伝えてあげていただきたいと思うからです。宇宙はそういう仕組みになっているのです。実に簡単なことなのです。

わたしたちは自分自身のことは何も求めません。お礼の言葉もお世辞もいりません。崇(あが)めてくださっても困ります。わたしたちはただの使節団、大霊の代理人にすぎません。自分ではその任務にふさわしいとは思えないのですが、その依頼を受けた以上こころよくお引き受けし、力のかぎりその遂行に努力しているところなのです」

その日は、二度も夫に先立たれるという悲劇を体験した婦人が招待されていた。その婦人にシルバーバーチがこう語りかけた。


「地上での人生体験の中には、生命の実在に直面させられる酷しい体験というものが、いくつかあるものです。大霊と真実の自我を内と外に求め、宇宙の存在の意図を探り、それがあくまでも謎のままなのか、それとも、れっきとした計画があるのかを知りたくて、なぜそうなのか、なぜこうなのか、なぜ、なぜ、なぜと問い続けます。そのいくつかは解決できても、どうしても分からないものもあります。が、そうして“問う”という事実そのものが、あなたの魂が自覚をもちはじめている証拠なのです。

地上世界は、そうやって魂が勉強する場所なのです。失敗もし、そして願わくば、それから何かを学んでいくのです。犯した間違いを正し、教訓を学び、より立派な行為を心がけ、二度と失敗しないようになっていくのです。そのうち、ある段階まで成長しますと、大切なのは目的の成就そのものよりも、その成就に向けて努力していく過程での体験によって、性格がどう形成されていくかであることに気づくようになります。過酷な体験の末に目からウロコが落ち、真実の価値の評価ができるようになり、最後は、物的なものにはそれなりの価値はあっても、絶対的価値のあるものではないことを悟ります。

暗く辛い人生の体験によって魂がそうした悟りの末に真実の自我に目覚め、大霊とのつながりを強めることになれば、その体験は大いなる価値があったことになります。これから訪れる未来のある時点で過去を振り返ってごらんになれば、辛く苦しくはあっても、霊的理解力の開発の節目となっていた体験を、有り難く感謝するようになることでしょう」

ここでシルバーバーチは、その交霊会の場に、その婦人が可愛がっていたアイリッシュセッター(猟犬の一種)が来ていると述べてから――


「あなたが飼っておられた素敵な犬がやってきましたよ。あなたが可愛がっていたと同じくらい、この犬もあなたに愛着をもっていたのですよ。お見せできるといいのですがね。年も取っていませんし、(死んだ時の)虚弱な様子も見えません――品もあり、格好もよく、気立ての優しい犬ですね。あなたの愛情がそのように進化させたのですよ。

あなたは幸せな方ですね。人間からも愛され、非人間――といってはおかしいですね――この美しい生きものからも愛されて……あなたの人生は人間以外の生きものからの愛によって囲まれております。その種の愛にはまったく反応しない人がいる中で、あなたはとてもよく反応していらっしゃいます」

シルバーバーチはさらに、かのイタリアの大聖人アッシジの聖フランチェスコもその場に来ていると述べてから――


「驚いたでしょ? この人はすべてのものに愛を抱いている方です。今も、物言わぬ生きものたちの救済のために、霊界で活躍しておられます。動物は、進化の途上における人間の仲間として地上へ送られているのです。それが今しばしば虐待され、苦役(くえき)に駆り立てられ、そして、人類にとって何の益にもならない知識を得るための実験に使用されております」

その日の交霊会の後半で、シルバーバーチはふたたび“無益な心配”のテーマを取り上げた。するとメンバーの一人がこんな意見を述べた。

「私は、あなたが説かれるような立派な生き方をしておりませんので、やはり心配が絶えません。人間が正しい心がけで生きていなければ、背後霊の方もしかるべき指導ができないので、それで心配の念が湧くのだと思います。いけないことだとは分かっているのですが……」


「あなたはご自分のことを実際よりよほど悪く評価なさってますね」

「いえ、私は妄想を抱くタイプではありません。間違っている時は間違っていると、はっきり認識しております。ですから、正しい生き方をしていなければ、当然、心配は絶えないものと覚悟しているわけです」


「わたしは、そうは思いませんね。さっきも言いましたように、あなたはご自分で思っておられるほど悪い生き方はしていらっしゃいません。もっとも、あなたにできるはずの立派な生き方もしていらっしゃいませんけどね。ですが、とかく光を見た人は暗闇の意識が強くなるものです」

「それにも代償を払わないといけません」


「いずれ払わないといけないでしょう。摂理には逃げ道はありませんから、犯した間違いに対して、すべての者が代償を払わないといけません」

「そちらの世界へ行けば、また別の形で裁かれるものと覚悟しております」


「お裁きというものはありません。魂がそれにふさわしいものを受ける――因果律です。蒔いたタネを刈り取るのです。地上での行為の結果が死後のあなたを決める――それだけのことです。それより良くもなれませんし、それより悪くもなれません。それより上にもあがれませんし、それより下にもさがれません。あなたの有るがままの姿――それがあなたです。それまでの行為がそういうものを生み出したのです。それだけのことです」

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