Friday, January 20, 2023

シアトルの冬 なぜなら神こそ真の博愛主義者だからである。Because God is the true philanthropist.


〔本章の通信も前章と同様イムペレーターからのものである。地上という人格養成学校における最も望ましい生活はいかなる生活かという質問から始まった。

 イムペレーターは頭脳と同時に心の大切さを強調し、身体と知性と愛情の調和の取れた発育が望ましいことを説いた。

 要するにバランスの欠如が進歩を妨げる大きな要因であると言う。そこで私は博愛主義者が理想的人間像なのかと尋ねた。すると───〕


 真実の博愛主義者、全てに先んじて同胞の利益と進歩を慮(おもんばか) る人こそ真実の人間、真の神の子である。なぜなら神こそ真の博愛主義者だからである。

 真の博愛主義者とは時々刻々と神に近づきつつある者のことである。絶え間なき努力によりて永遠にして不滅の同情心を広げつつ、その不断の同情心の行使の中に、汲めども尽きぬ幸福感を味わう。

 博愛主義者と哲学者、すなわち人類愛に燃える人間と偏見なき道理探究者こそ神の宝───比類なき価値と将来性に満ちた珠玉である。

 前者は民族の違い、土地の違い、教義の違い、名称の違い等の制約に捉われることなく、一視同仁、全人類を同胞としてその温かき心の中に抱き込む。

 全ての人間を、友としてまた兄弟として愛するのである。

 思想の如何を問わず、ひたすらにその者の必要とするものを洞察し、それに相応しい進歩的知識を授けることに無上の喜びを覚える。

 これぞ真の博愛主義者である。もっとも、しばしば似て非なる博愛主義者がいる。己の名声を広めんがために己に同調する者、それに媚びへつらい施しをする者のみを愛する。

 かくの如き似非博愛主義者はその真実の印である〝博愛〟を傷つける者である。

 一方哲学者は一切の宗教、いかなる教派のドグマにも媚びず、一切の偏見を捨て、いかなる真理でも、いやしくも証明されたものは潔く受け入れる。

 即ち、かくあるべき───従ってかくあらねばならぬという固定観念に捉われることなく、神的叡智の探求に邁進し、そこに幸せを見いだす。

 彼には宝庫の尽きることを懸念する必要はない。なんとなれば神の真理は無限だからである。

 生命の旅を通じてひたすらに、より豊かな知識の宝の蒐集に喜びを見いだす。言い換えれば神についてのより正しき知識の蒐集である。 

 この二者の結合、すなわち博愛主義者的要素と哲学者的要素とが一体となりし時、そこに完璧なる理想像ができあがる。両者を兼ねそなえし魂は片方のみを有する魂より大いなる進歩を遂げる。


───〝生命の旅〟といわれましたが、これは永遠ですか。

 然り。生命は永遠である。そう信じるに足る十分な証がある。生命の旅には二つの段階がある。即ち進歩的〝動〟の世界と超越的〝静〟の世界である。

 今なお〝動〟の世界にあり(汝らの用語で言えば)幾十億年───限りある知性の範囲を超えし事実上無限の彼方までも進化の道程を歩まんとするわれらとて、超越界については何一つ知らぬ。

 が、われらは信じる───その果てしない未来永劫の彼方に、いつかは魂の旅に終止符をうつ時がある。そこは全知全能なる神の座。過去の全てを捨て去り、神の光をあびつつ宇宙の一切の秘密の中に寂滅(じゃくめつ)する、と。

 が、それ以上は何一つ語れぬ。あまりに高く、あまりに遠すぎるのである。汝らはそこまで背伸びすることはない。生命には事実上終末はなきものと心得るがよい。

 そしてその無限の彼方の奥の院のことよりも、その奥の院に通じる遥か手前の門に近づくことを心がけておればよい。


───無論そうであろうと思います。あなたご自身は地上に居られた時より神について多くを知ることを得ましたか。

 神の愛の働き、無限なる宇宙を支配し導く暖かきエネルギーの作用についてはより多くを知ることを得た。

 つまり神については知ることを得た。が神そのものを直接には知り得ぬ。これより後も、かの超越界に入るまでは知りえぬであろう。われらにとっても神はその働きより知り得るのみである。

インピレーター





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