(われわれはいつかは肉体を捨てて次の世界へ行く。そこでの生活はどのようなものなのか、何をして過ごすのか、こうした疑問にシルバーバーチが答える)
こちらには昼も夜もありません。地軸の回転に依存していないからです。太陽の周りを回転しているのではありません。こちらには永遠の光が存在します。したがって地上のような時間というものがありません。
こちらへ来てからも仕事があります。が、それは自分がやりたいと思う仕事であって、お金を稼ぐためとか家賃を払うためとか衣服や食料を買うためにするのではありません。
地上で発揮されることのなかった能力や才能や技能を持つ人が次々と霊界へやってまいります。そういう人たちはこちらでそれを存分に発揮して、霊界の住民として全体の豊かさの向上に寄与することができます。
みんな自分がしたいと思うことにたずさわっております。霊界には無限の種類の楽しみがあります。音楽が好きであれば地上と霊界の名曲を鑑賞することが出来ます。コンサートも開かれております。文学が趣味の人は地上と霊界の名作を読むことが出来ます。絵画に興味のある人も地上と霊界の傑作の全てを鑑賞することができます。
子供が好きな人は両親に先立ってこちらへ来た子供の世話をすることができます。魂に病のある者に関心を寄せる人は、そうした霊のための更生施設で看護し介抱して霊的健康を取り戻させる仕事にたずさわります。それぞれに応じた無限の種類の仕事があります。その上に更に私のように地上世界のための仕事に従事する者もいます。
とにかく地上を去ってこちらへお出でになれば、言葉では言い尽くせないほどの豊かさが待ち受けております。たとえば音楽であれば、地上にない音階が存在します。絵画であれば、地上に存在しない色彩があります。そのすべてをお話しすることはとても不可能です。
───霊界へ行っても地上と同じように何らかの形体を具えるのでしょうか。
幽霊や妖怪になるのではありませんよ。首のないお化けになるのではありませんよ。立派な胴体と、他人と区別のつく容貌を具えた、実在の個的存在です。また他人を認識するための感覚もちゃんと具えております。霊の世界で生きて行く上で必要な霊的器官が全部そろっています。
ちゃんと姿があります。形体を具えております。個人的存在を有しております。具えていないのは肉体的器官だけで、それに代わって、霊界で機能していく上で必要な霊的器官を具えています。
よく理解していただきたいのは、あなた方人間にとって物質は固体性があり、実感があり、霊というと何だか影の様で実態がないかに思えるのでしょうが、私たち霊界の者にとっては霊こそ実在であり、実感があり、反対に物質の方が影のようで実体感がないということです。
と言っても、人間がしゃべるに必要な器具は霊にはありません。しゃべる必要がないからです。こちらの世界では思念で通じ合っています。お互いに思念を出し合い、それだけで通じ合えるのです。霊界では思念は実体のある存在なのです。
存在するものすべてが思念でこしらえられているのです。ですから、必要と思うものはどんなものでも手に入れることが出来るのです。
(訳者注───別のところで、言葉でしゃべる必要があると思い込んでいる間はまだ幽質の発声器官が残っていて実際にしゃべり合っていると述べている。いわゆる地縛霊として地球圏内で自分が死んだことにも気づかずに生活している霊には地上時代に使用した器官がすべて残っていて、同じように食べて飲んで寝るという生活を繰り返しているのが実情である)
海もあれば山もあり、湖もあり、花も樹木もあり、動物も小鳥もいます。その美しさの中には実際にこちらへ来ないと分からない種類のものがあります。ある程度の霊性に目覚めた者なら、もはや物質界の愉しみ(飲食欲・性欲等)を求めなくなります。仮にいても、それは例外に属します。
もう一つの霊界の有難い点は、地上のような〝生きるための必需品〟を得るための苦労が要らないことです。食糧品や衣類を買う必要がありません。お金を払ってまでして家を求める必要がありません。全部揃っているのです。
───物的財産というものが無くなれば、貪欲とか権力欲とかも無くなりますか。
いわゆる幽界でも低級な境涯にはまだ貪欲とか権力欲とかが存在します。忘れてならないのは、死んだ人間は霊的には死ぬ前と全く同じであることです。地上と違って霊界は思念が実在の世界です。心に思うことに実体が伴い実感があるのです。
私たちから皆さんを見ると、身体は影のように見え、皆さんが心に思っておられることの方が実体があります。このことはなかなか説明が難しいのですが、たとえば皆さんが夢を見ているのと同じだと思えばよろしい。夢の中に現れるものは夢を見ている間は実在です。
もしも永遠に目覚めなかったら夢の世界がその人にとって実在の世界となります。乗る船も飛行機も、訪れる国も、夢の中ではみな実在です。
こちらの世界では思念が全てのものをこしらえる素材です。ですから心に思うことがみな存在するわけです。貪欲と権力欲を持ったままこちらへやって来れば、それがこちらでは無用のものであることに気づくまで、それを持ち続けます。
そうした地縛的状態から解放される段階まで成長すると、ようやく救われることになります。(これが本当の意味での〝成仏する〟ということ───訳者)
困ったことに、権力欲や強欲は霊を地上へ縛りつけます。身体的に死んでいますが、同時に霊的にも死んだも同然の状態です。波長が私たちより人間の方に近い状態です。そこで同じ欲に燃えた地上の人間と感応し合って、その欲望を増幅してまいります。
───と言うことは、地上をうろつく霊がますます増え、同時にそれが地上問題の解決を難しくしているということでしょうか。
その通りです。というのは、こちらの世界は地上からの他界者で構成されていることを知らねばなりません。地球からの渡来者しかいないのです(※)。何の用意も身支度も出来ていない未発達霊で適応性のない霊をそちらから送り込んでいる限り、地上と霊界双方の問題を増幅するばかりです。
そこで私たちが地上人類の啓発のためにこうして働いているのです。暴力・貪欲・唯物思想・利己主義・強欲等々、要するに世界各地での戦争と不協和音と分裂の元凶である恐ろしいガンの発生を防ぐためです。
(※同じく〝霊界〟という言い方をしても地球圏の霊界、太陽の霊界、太陽系の霊界、銀河系の霊界、そして宇宙全体の規模の霊界がある。ここでは地球に限っての話である───訳者)
───霊界はこの地球からの他界者で占められているとおっしゃいましたが、その世界は地球を取り巻くように存在しているのでしょうか。それともずっと遠くまで広がっているのでしょうか。霊界も沢山あるのでしょうか。
神は無限です。生命は無限です。あなた方の小さな天球は宇宙の中の一個のマメ粒のような存在でしかありません。
───地球のような世界がたくさんあって、それぞれに霊界があるということですね?
霊の住む世界は無数に存在します。あなた方はこの宇宙の孤児(ミナシゴ)ではありません。
───となると〝死後の世界〟はどこにあるのかという問いにはどう答えたらよいのでしょうか。明確に答えるのは困難だと思いますが・・・・・・
死後の世界とは、要するに今生活している世界の目に見えない側面、耳に聞こえない側面のことです。死んでからではなく今の時点で霊の世界に住んでいるのです。死んでからそこへ行くのではありません。今いる場所に霊界があるのです。
その世界の波長ないし振動、その他どう呼ばれても結構ですが、それをキャッチするための霊的感覚を発揮しないかぎり、それが認識できないというに過ぎません。別個の世界ではないのです。宇宙全体を構成する不可欠の側面であり、地球もその小さな一側面にすぎません。
───その見えない世界の存在を認識するために霊的感覚を養成することも、地上に生活しているわれわれの義務と言ってよいでしょうか。
おっしゃる通りです。物質の世界の裏側に霊的側面があることを認識してはじめて本当の意味で生きていることになります。霊的実在に気づかない限り、悲しいかな、霊的な意味で目と耳と口を塞がれているようなものです。
───霊界から地上へ戻ってくると地上が陰鬱に感じられるとおっしゃました。するとあなたはどこか別の場所からやってくることになりますが・・・・・・
自我の表現形態が変わるのです。霊界でのいつもの振動の速度を落とす操作をするのです。地上の低いオクターブをキャッチするために高いオクターブの振動に属する要素を霊界にあずけてこなければなりません。
(質問者が代わる)
───なぜ霊界と物質界とが存在するのでしょうか。なぜ霊界一つだけではいけないのでしょうか。
それに対する答えは〝なぜあなた方はお子さんを学校へ通わせるのですか〟という問いに対する答えと同じです。学校を出たあとの生活で直面するさまざまな状況に備えて、勉強させるためです。
物質界へ来るのも同じ理由からです。地上を去ったあとに訪れる生活に備えさせるために、地上生活がさまざまな体験と挑戦の好機を提供してくれます。次の段階に備えるための学習の一過程です。
物質界、霊界、そして果てしなく広がる宇宙は、あなた方のいう神、私が大霊と呼んでいる絶対的なエネルギーが顕現したものです。宇宙に存在する最高の力です。それは無限です。始まりも終わりもありません。その叡智も無限です。その愛も無限です。その貯蔵庫も無限です。
大霊の意志の表現である自然法側の働きは絶対です。かつて宇宙間に生じた現象、あるいはこれから生じるであろう現象で、その働きによる配慮が為されていないものは何一つありません。
人間界の法律は予期せぬ事情が生じて絶えず改正が行われます。しかし自然法則は完璧です。その働きの及ばないものは存在しません。誰一人、何一つ、極大・極小、複雑・単純に関係なく、その働きからはみ出るものはありません。
宇宙間のあらゆる事物、あらゆる環境、あらゆる事情、あらゆる現象が不変・不滅の法則によって規制されているのです。
私が何よりもまず、その絶対的な大霊に崇敬の念を捧げるのはそのためです。荘厳さと深遠さにおいて、これに勝るものは何一つ、誰一人、存在しないのです。その知性の壮大さは到底地上の言語では表現できません。
皆さんのどなたよりも永い間顕幽にまたがる生命の旅を続けている私は、今なお、あらゆる存在の次元において働いている自然の摂理の完璧さに驚くことの連続です。
そこで申し上げますが、宇宙に存在するものは何らかの役目があるからこそ存在しているということです。自然の摂理と調和して生きていれば、健康・幸福・霊的明るさ・精神的特性という形でその恩沢を受けます。それは、内在する神性を発揮していることに他ならないからです。
あなたは有限の知性で持って無限なるものを理解しようとなさっていることを認識しておくことが大切です。
こちらへ来てからも仕事があります。が、それは自分がやりたいと思う仕事であって、お金を稼ぐためとか家賃を払うためとか衣服や食料を買うためにするのではありません。
地上で発揮されることのなかった能力や才能や技能を持つ人が次々と霊界へやってまいります。そういう人たちはこちらでそれを存分に発揮して、霊界の住民として全体の豊かさの向上に寄与することができます。
みんな自分がしたいと思うことにたずさわっております。霊界には無限の種類の楽しみがあります。音楽が好きであれば地上と霊界の名曲を鑑賞することが出来ます。コンサートも開かれております。文学が趣味の人は地上と霊界の名作を読むことが出来ます。絵画に興味のある人も地上と霊界の傑作の全てを鑑賞することができます。
子供が好きな人は両親に先立ってこちらへ来た子供の世話をすることができます。魂に病のある者に関心を寄せる人は、そうした霊のための更生施設で看護し介抱して霊的健康を取り戻させる仕事にたずさわります。それぞれに応じた無限の種類の仕事があります。その上に更に私のように地上世界のための仕事に従事する者もいます。
とにかく地上を去ってこちらへお出でになれば、言葉では言い尽くせないほどの豊かさが待ち受けております。たとえば音楽であれば、地上にない音階が存在します。絵画であれば、地上に存在しない色彩があります。そのすべてをお話しすることはとても不可能です。
───霊界へ行っても地上と同じように何らかの形体を具えるのでしょうか。
幽霊や妖怪になるのではありませんよ。首のないお化けになるのではありませんよ。立派な胴体と、他人と区別のつく容貌を具えた、実在の個的存在です。また他人を認識するための感覚もちゃんと具えております。霊の世界で生きて行く上で必要な霊的器官が全部そろっています。
ちゃんと姿があります。形体を具えております。個人的存在を有しております。具えていないのは肉体的器官だけで、それに代わって、霊界で機能していく上で必要な霊的器官を具えています。
よく理解していただきたいのは、あなた方人間にとって物質は固体性があり、実感があり、霊というと何だか影の様で実態がないかに思えるのでしょうが、私たち霊界の者にとっては霊こそ実在であり、実感があり、反対に物質の方が影のようで実体感がないということです。
と言っても、人間がしゃべるに必要な器具は霊にはありません。しゃべる必要がないからです。こちらの世界では思念で通じ合っています。お互いに思念を出し合い、それだけで通じ合えるのです。霊界では思念は実体のある存在なのです。
存在するものすべてが思念でこしらえられているのです。ですから、必要と思うものはどんなものでも手に入れることが出来るのです。
(訳者注───別のところで、言葉でしゃべる必要があると思い込んでいる間はまだ幽質の発声器官が残っていて実際にしゃべり合っていると述べている。いわゆる地縛霊として地球圏内で自分が死んだことにも気づかずに生活している霊には地上時代に使用した器官がすべて残っていて、同じように食べて飲んで寝るという生活を繰り返しているのが実情である)
海もあれば山もあり、湖もあり、花も樹木もあり、動物も小鳥もいます。その美しさの中には実際にこちらへ来ないと分からない種類のものがあります。ある程度の霊性に目覚めた者なら、もはや物質界の愉しみ(飲食欲・性欲等)を求めなくなります。仮にいても、それは例外に属します。
もう一つの霊界の有難い点は、地上のような〝生きるための必需品〟を得るための苦労が要らないことです。食糧品や衣類を買う必要がありません。お金を払ってまでして家を求める必要がありません。全部揃っているのです。
───物的財産というものが無くなれば、貪欲とか権力欲とかも無くなりますか。
いわゆる幽界でも低級な境涯にはまだ貪欲とか権力欲とかが存在します。忘れてならないのは、死んだ人間は霊的には死ぬ前と全く同じであることです。地上と違って霊界は思念が実在の世界です。心に思うことに実体が伴い実感があるのです。
私たちから皆さんを見ると、身体は影のように見え、皆さんが心に思っておられることの方が実体があります。このことはなかなか説明が難しいのですが、たとえば皆さんが夢を見ているのと同じだと思えばよろしい。夢の中に現れるものは夢を見ている間は実在です。
もしも永遠に目覚めなかったら夢の世界がその人にとって実在の世界となります。乗る船も飛行機も、訪れる国も、夢の中ではみな実在です。
こちらの世界では思念が全てのものをこしらえる素材です。ですから心に思うことがみな存在するわけです。貪欲と権力欲を持ったままこちらへやって来れば、それがこちらでは無用のものであることに気づくまで、それを持ち続けます。
そうした地縛的状態から解放される段階まで成長すると、ようやく救われることになります。(これが本当の意味での〝成仏する〟ということ───訳者)
困ったことに、権力欲や強欲は霊を地上へ縛りつけます。身体的に死んでいますが、同時に霊的にも死んだも同然の状態です。波長が私たちより人間の方に近い状態です。そこで同じ欲に燃えた地上の人間と感応し合って、その欲望を増幅してまいります。
───と言うことは、地上をうろつく霊がますます増え、同時にそれが地上問題の解決を難しくしているということでしょうか。
その通りです。というのは、こちらの世界は地上からの他界者で構成されていることを知らねばなりません。地球からの渡来者しかいないのです(※)。何の用意も身支度も出来ていない未発達霊で適応性のない霊をそちらから送り込んでいる限り、地上と霊界双方の問題を増幅するばかりです。
そこで私たちが地上人類の啓発のためにこうして働いているのです。暴力・貪欲・唯物思想・利己主義・強欲等々、要するに世界各地での戦争と不協和音と分裂の元凶である恐ろしいガンの発生を防ぐためです。
(※同じく〝霊界〟という言い方をしても地球圏の霊界、太陽の霊界、太陽系の霊界、銀河系の霊界、そして宇宙全体の規模の霊界がある。ここでは地球に限っての話である───訳者)
───霊界はこの地球からの他界者で占められているとおっしゃいましたが、その世界は地球を取り巻くように存在しているのでしょうか。それともずっと遠くまで広がっているのでしょうか。霊界も沢山あるのでしょうか。
神は無限です。生命は無限です。あなた方の小さな天球は宇宙の中の一個のマメ粒のような存在でしかありません。
───地球のような世界がたくさんあって、それぞれに霊界があるということですね?
霊の住む世界は無数に存在します。あなた方はこの宇宙の孤児(ミナシゴ)ではありません。
───となると〝死後の世界〟はどこにあるのかという問いにはどう答えたらよいのでしょうか。明確に答えるのは困難だと思いますが・・・・・・
死後の世界とは、要するに今生活している世界の目に見えない側面、耳に聞こえない側面のことです。死んでからではなく今の時点で霊の世界に住んでいるのです。死んでからそこへ行くのではありません。今いる場所に霊界があるのです。
その世界の波長ないし振動、その他どう呼ばれても結構ですが、それをキャッチするための霊的感覚を発揮しないかぎり、それが認識できないというに過ぎません。別個の世界ではないのです。宇宙全体を構成する不可欠の側面であり、地球もその小さな一側面にすぎません。
───その見えない世界の存在を認識するために霊的感覚を養成することも、地上に生活しているわれわれの義務と言ってよいでしょうか。
おっしゃる通りです。物質の世界の裏側に霊的側面があることを認識してはじめて本当の意味で生きていることになります。霊的実在に気づかない限り、悲しいかな、霊的な意味で目と耳と口を塞がれているようなものです。
───霊界から地上へ戻ってくると地上が陰鬱に感じられるとおっしゃました。するとあなたはどこか別の場所からやってくることになりますが・・・・・・
自我の表現形態が変わるのです。霊界でのいつもの振動の速度を落とす操作をするのです。地上の低いオクターブをキャッチするために高いオクターブの振動に属する要素を霊界にあずけてこなければなりません。
(質問者が代わる)
───なぜ霊界と物質界とが存在するのでしょうか。なぜ霊界一つだけではいけないのでしょうか。
それに対する答えは〝なぜあなた方はお子さんを学校へ通わせるのですか〟という問いに対する答えと同じです。学校を出たあとの生活で直面するさまざまな状況に備えて、勉強させるためです。
物質界へ来るのも同じ理由からです。地上を去ったあとに訪れる生活に備えさせるために、地上生活がさまざまな体験と挑戦の好機を提供してくれます。次の段階に備えるための学習の一過程です。
物質界、霊界、そして果てしなく広がる宇宙は、あなた方のいう神、私が大霊と呼んでいる絶対的なエネルギーが顕現したものです。宇宙に存在する最高の力です。それは無限です。始まりも終わりもありません。その叡智も無限です。その愛も無限です。その貯蔵庫も無限です。
大霊の意志の表現である自然法側の働きは絶対です。かつて宇宙間に生じた現象、あるいはこれから生じるであろう現象で、その働きによる配慮が為されていないものは何一つありません。
人間界の法律は予期せぬ事情が生じて絶えず改正が行われます。しかし自然法則は完璧です。その働きの及ばないものは存在しません。誰一人、何一つ、極大・極小、複雑・単純に関係なく、その働きからはみ出るものはありません。
宇宙間のあらゆる事物、あらゆる環境、あらゆる事情、あらゆる現象が不変・不滅の法則によって規制されているのです。
私が何よりもまず、その絶対的な大霊に崇敬の念を捧げるのはそのためです。荘厳さと深遠さにおいて、これに勝るものは何一つ、誰一人、存在しないのです。その知性の壮大さは到底地上の言語では表現できません。
皆さんのどなたよりも永い間顕幽にまたがる生命の旅を続けている私は、今なお、あらゆる存在の次元において働いている自然の摂理の完璧さに驚くことの連続です。
そこで申し上げますが、宇宙に存在するものは何らかの役目があるからこそ存在しているということです。自然の摂理と調和して生きていれば、健康・幸福・霊的明るさ・精神的特性という形でその恩沢を受けます。それは、内在する神性を発揮していることに他ならないからです。
あなたは有限の知性で持って無限なるものを理解しようとなさっていることを認識しておくことが大切です。
No comments:
Post a Comment