Saturday, October 29, 2022

シアトルの秋 言うことも思うことも to say and to think





 生活は〝行い〟だけで成り立っているのではありません。〝言うこと〟も〝思うこと〟も生活の一部です。

 行為だけが大事と思ってはいけません。 

 もちろん行為が一番大事です。が、口にする言葉も心に思うことも、あなたの一部です。

 その思念がコントロールできずに、それに振り回されている人間が多いのは悲しいことです。


神の心象

 無限なる愛と叡智の根源である大霊を超えるものは誰一人、何一つ存在し得ません。

 その大霊こそが、私たちの住まう、この果てしなき宇宙の責任者であらせられ、その無限なる知性が、巨大と微細を問わず、また複雑と単純とを問わず、ありとあらゆる存在を支配し規制する摂理のすべてを創案し維持しておられます。

 それが、およそ例外というものを知らない不変不動の法則に従って一糸乱れることなく働いているのでございます。

 私たちはその崇高なる力に深甚なる敬意を表するものでございます。 

 その力が驚異的真理を啓示し、それが私たちの精神の領域を広げ、自分とは一体、誰なのか、また何者なのかについての、より大きな理解を与え、さらには、われわれのすべてをその懐に抱き、かつ支配する崇高なる力について一層明瞭なる心象を抱かせてくれるところとなりました。

 その驚異的機構の中にあっては、誰一人、何一つ、見落とされることも忘れ去られることも、あるいは無視されることもございません。

 いずこであろうと、ありとあらゆる存在が扶養と供給を受けるよう配慮されているのでございます。

 同時に私たちは、いつ、いかなる時も私たちの背後には強大なる高級霊団が控えていることも認識いたしております。

 その望むところはただ一つ、私たちのために力を貸し、代って私たちが恵まれぬ人たちのために力を貸すようになる、ということでございます。

 私たちは、これまで多大の援助を受け、慰めを与えられ、導きを得てきたからには、こんどは代って私たちが、授かった才能のすべてを駆使して、死別の悲しみの中にある人には慰めを、病の苦しみの中にある人には癒やしを、悩める人には導きを、人生に疲れた人には力を、道を見失える人には道しるべを与え、彼らを取り巻く暗闇に光輝あふれる真理の光明をもたらしてあげる、その心の用意を常に整えさせ給わんことを。

 ここに、常に己を役立てることのみ願うあなたの僕の祈りを捧げます。

シルバーバーチ

Friday, October 28, 2022

シアトルの秋 叡智はあなた自身の霊性の進化とともに学んでいくのです。Wisdom is learned as you grow spiritually.

 



質問ー大自然の摂理から叡智を学ぶにはどうしたらよいのでしょうか


「叡智はあなた自身の霊性の進化とともに学んでいくのです。そのためにはまず第一に、誤った知識と信仰、理性が承服しないもの、大霊の愛と叡智とは思えないもののすべてを捨て去ることができなければいけません。

つまり、新しいものを学ぶ前に古いものを学び直さないといけません。精神の自然な思考を妨げるものは全部捨て去らないといけません。

 そこから魂が開発され、霊性が進化し、より高い叡智を受け入れる準備が整うわけです。皆さんはこの場に集い合っている間にも魂が開発されております。そして大霊の叡智が入手しやすくなっております。

この場で皆さんは心霊現象を演出する法則の働きを学ばれると同時に、日常の生活を支配している摂理の働きについても学んでおられるのです。そして進歩した分だけ、より高い叡智を身につけていかれるのです。

もっとも、皆さんからシルバーバーチと呼ばれているこのわたしがお届けするのは、高級界の無限の叡智のホンの一かけらにすぎません。皆さんがさらに進化なされば、わたしよりさらに偉大な霊がより高い知識と叡智を届けてくれることでしょう」


質問ーこの地上世界を救うには、われわれがこの教えをすべての人に広めないといけないのでしょうか。

「“地上世界を救う”ですか。救うのはわれわれではありません。地上の人間の一人ひとりが自らの努力で救わねばなりません。既成の手段というものはありません。有り合わせの手段ではだめなのです。

 そのためにはまず、生命現象と呼ばれているものの背後に“霊”という永遠の実在があることを学び、従って地上世界の人間はただの物的存在ではなく、その物的身体を通して自我を表現している霊的存在であることを認識する必要があります。

 そうなると、物的身体は大霊が意図された通りに生活に必要なものを必要な時に必要なだけ手に入れて、常に健康であらねばならないことになります。

 そして精神はあらゆる宗教的ドグマと教義による束縛から解放されて、実質的価値のないもの、霊的価値のないものに忠誠を尽くすような愚かなことはせず、真実のものだけに精を出すようにならないといけません。

 教義やドグマのことで論争したり口論したり、はては戦争にまで発展するような幼稚なことは止めないといけません。

わたしたちは大霊を共通の父とする地上の全民族の霊的同胞性を説きます。

 その障害となっているのは地上的概念であり、間違った知識の上に築かれた宗教であり、特権の独占であり、高慢と権力にあぐらをかく、つまらぬ暴君です」

ここで列席者の一人が「有り難うございました」と言うと、例によってシルバーバーチが自分への感謝は無用であり大霊にこそ感謝しなければいけないことを述べた。

 そこで別のメンバーが「私たちは一種の習慣として“有り難う”という言葉を使うのです」と言うと、慈父のごとき口調で

「それくらいのことはわたしも知っておりますよ。ですが、そのつど注意して大霊の摂理の存在を指摘しておかないと、そのうち誰かがわたしを崇めるようになり、またぞろ過去の過ちを繰り返すことになりかねないのです」

シルバーバーチ

Monday, October 24, 2022

シアトルの秋 ベールの彼方の生活 "婚 姻"      The Life Beyond the Veil "marriage"


The Life Beyond the Veil.   Rev. G. Vale Owen,

婚 姻   

一九一七年十二月五日 水曜日

 昨夜はサクラメントの中でもとくに深遠な意味をもつものを取り上げました。今夜はそれよりは重要性は劣るものの、キリストを主と仰ぎ絶対と信じる者の生活において見逃せない意義を持つものを取り上げてみたい。

吾々がサクラメントと言う時、それはキリスト教界における狭い宗教的意味で用いているのではなく、霊力の始源に一層近い位置においてその働きをつぶさに観察することのできる吾々の境涯における意味で用いております。


 まず最初に、創造的機能を具えた二つの存在の結合としての婚姻について述べましょう。人間はこれを二つの〝性〟のたどるべき自然な成り行きとして捉え、男性と女性とが一体となることで成就されると考えます。

実はそれは絶対不可欠の条件ではありません。ただそれだけのことであれば、人間を両生動物(単性生殖動物)とすればよかったことになります。

が、今日のごとき理想的形態での物的存在が確立されるよりはるか以前、最高神界において議(はか)られしのちに神々は創造の大業を推進するための摂理の一つを定められた。

それは貴殿や地上の思想家が考えるような、人間が男女二つの性に分かれるという単なる分裂としての発達ではなく、性というものを物質という存在形態への霊の発展進出のための一要素とすることであった。霊は物的形態以前から存在する。

それが物的形態に宿ることによって個性が誕生し、物的形態の進化と共にその個性を具えた自我が発達して互いに補足し合うことになった。性はあくまでも一つなのです。それが二種類から成るというまでの話です。

肉と血液とで一個の人体が構成されるように、男と女とで一個の性を構成するわけです。

 神がなぜそう決定したか。吾々の知り得たかぎりにおいて言えば、それは自我をいっそう深く理解するためである。もっとも、これは大いなる謎です。吾々とてその全貌を知るカギは持ち合わせていません。

が、男性と女性の二つの要素を創造することによって〝統一性〟の真意がいっそう理解しやすくなったと解釈しています。つまり統一が分裂して霊の世界より物質の世界へと誕生し、やがて再び霊の世界へと回帰して元の統一体を回復することにより、その統一性への理解を得るということです。

神という絶対的統一体に含まれる二大原理が、それを一つとして理解し得ない者のために、二つに分離して顕現したわけです。

男性が女性を知るということは結局は自我をいっそう明確に理解することであり、女性が男性を知るのも同じく自我への理解を深めることになります。

なぜなら両者はこの物質という形態の中での生活の始まる以前においては別個の存在ではなかったのであり、したがって物質界を後にした生活において、いずれは再び一体となるべき宿命にあるのです。

 つまり天界の深奥を支配するその絶対的統一性が下層界へも及ぶためには、地上人類を構成すべき個々の存在にその二つの原理を包含させる必要があった。かくして婚姻が生じた。実にこの婚姻は人類のたどるべき宿命の折り返し点なのです。

 〝静〟の大根源が無限の発展という目的をもって〝動〟へ顕現したとき、全体を支配した基調はただ一つ〝多様性〟であった。かくしてその無数の存在の中に個性を特質と形態の原理が導入されるに至った。その多様性の最後の、そして究極の作用となったのが、貴殿らがセックスと呼んでいるところの生殖機能としての二つの性の創造であった。

 その段階において再び一体化へ向けて進化せんとする反動的衝動が生まれる。絶対的統一体すなわち神へ向けての第一歩が踏み出されるのです。

 かくして物的意味における両性と同時に霊的意味における両性の融合から、その両性を一つに体現した第三の要素が誕生する。主イエスこそ人類としてのその完璧な体現者であり、その霊的本質は男性的徳性と女性的徳性のほどよく融合せるものでした。

 その大原理は身体上にも同じくあてはまります。男性の胸にはかつての女性の象徴が二つ付いているであろう。生理学者に尋ねてみるがよい。体質的にも女性的なものが含まれており、それが男性的なものと一体となって人間という一個の統一体をこしらえていることを証言してくれるであろう。

 この両性の一体化された完全無欠の人間は、これより究極の完全状態へ向けての無限の奮闘努力を通じて、己れを空しくし他を愛し他へ施しをすることが実は己れを愛し己れに施すことになること、そして又、己れの下らなさを自覚する者ほど永遠の天界において恵みを受けるという叡智に目覚めることであろう。

この叡智を説いた人を貴殿はよく知っている。わざと妙なこと、謎めいた原理を語ったわけではありません。貴殿も吾々も今なおその崇高なる叡智を学びつつあるところであり、その奥義にたどり着くまでにはまだまだ果てしない道が前途に横たわっています。が、主イエスはすでにそこへ到達されたのです。

Wednesday, October 19, 2022

シアトルの秋 御身の永遠の創造活動に参加する測り知れない栄誉を担っている事を知るところとなりました。 Knowing that you bear the inestimable honor of participating in Thy eternal creative activity.

 



一日一歩

地上での生活は一日一日が挑戦課題であり、いかなる次元の問題であれ、みずから克服すべきものとして受け入れるべきです。内部の霊性さえ発揮させれば、前進を阻(はば)むものは何一つありません。


私たちの誇り

 神よ。

みずからに似せて私たちを造りたまい、みずからの神性の一部を賦与なされし大霊よ。

 私たちは御身と私たち、そして私たち相互の間に存在する一体関係を一層緊密に、そして強くせんと努力しているところでございます。

 これまでに私たちの得させてくださったものすべて、かたじけなくもお与えくださった叡智のすべて、啓示してくださった無限なる目的への確信のすべてに対して、私たちは感謝の意を表し、同時に、これ以後もさらに大いなる理解力を受けるにふさわしき存在となれるよう導きたまわんことを祈るものでございます。

 私たちは、これまでにあまりに永きにわたって御身をおぼろげに見つめ、御身の本性と意図を見誤り、御身の無限なる機構の中における私たちの位置について誤解しておりました。

 しかし今ようやく私たちも、御身の永遠の創造活動に参加する測り知れない栄誉を担っている事を知るところとなりました。

 その知識へ私たちをお導きくださり、御身について、私たち自身について、そして私たちの置かれている驚異に満ちた宇宙について、いっそう包括的な理解を得さてくださったのは御身の愛にほかなりません。

 今や私たちは御身と永遠につながっていること、地上にあっても、あるいは他界後も、御身との霊的な絆が切れることは絶対にないことを理解いたしております。

それゆえに私たちは、いかなる時も御身の視界の範囲にあります。いずこにいても御身の摂理のもとにあります。

 御身がいつでも私たちにお近づきになられるごとく、私たちもいつでも御身に近づけるのでございます。

 しかし、子等の中には自分が永久に忘れ去られたかと思い込んでいる者が大勢おります。  

 その者たちを導き、慰め、心の支えとなり、病を癒やし、道案内となる御身の霊的恩寵の運び役となる栄誉を担った者が、これまでに数多くおりました。

 私たちは死のベールを隔てた双方に存在するその先駆者たちの労苦に対し、また数々の障害を克服してくれた人たちに対し、そして又、今なお霊力の地上へのいっそうの導入に励んでくださっている同志に対して、深甚なる感謝の意を表明するものでございます。

 どうか私たちの言葉のすべてが常に、これまでに啓示していただいた摂理に適っておりますように。 

 また本日の交霊会によって御身に通じる道が一歩でも前進したことを知ることができますように。

 ここに常に己を役立てることのみ願う僕の祈りを捧げます。

 シルバーバーチ

Tuesday, October 18, 2022

シアトルの秋 人間は神の完全性の要素をミクロの状態で内臓しております。Human beings contain the elements of divine perfection in a microscopic state.

 



───(もう一人のゲスト)神が完全な叡智と知性と愛を具えた普遍的な霊であり、全生命を支配し、しかも人間を自分に似せて創造したのであれば、なぜ人間は不完全なのでしょうか。

 それはミクロとマクロの問題です。人間は神の完全性の要素をミクロの状態で内臓しております。人間はそれを発現させ完成させなくてはならないのです。それは無限の時間を要する過程です。

 別に難しい問題ではありません。人間的精神と霊と身体とが完成された状態で創造されたわけではありません。が、内部に神性という完全性の火花が宿されております。その火花を大きな炎と燃え上がらせるために、人生を自然の摂理に順応させるのが人間の務めなのです。

 地上の人間が厄介なのは、自分で勝手な神を想像することです。人間的存在として想像する場合でも、女性ではなく男性として想像します。男性である方が女性であるより勝れているかに信じているわけです。

 神は人間を霊的にご自分に似せて創造されたのです。生命は霊であり霊は生命です。霊的に似せて創造された以上、あなたは永遠に神とつながっており、神性を共有しているのです。

ということは必然的に人間は霊的大家族の一員であることになります。同じ神性が宿っているからです。ですから人間は霊的に神に似ているのであり、姿が似ているというのではありません。

 地上世界を一気に変革することはできません。人々を変えるのも容易ではありません。が、自分を変えることは今すぐからでも始められます。いつどこにいても人のためを心掛けるのです。

力になってあげるのです。自分が教わったものを分けてあげるのです。もしもそれが受け入れられれば喜び、拒否されればその人の思う道を行かせてあげればよろしい。あなたが導いてあげるべき人が次々とあなたのもとに案内してこられるのです。

 神は、愛と知性をもってこしらえその霊力によって活力を与えている地上世界から分離して存在することはできません。


───神は地上世界の人間にはほとほと手を焼いておられることでしょう。

 それは今に始まった話ではありません。太古からずっとそうです。しかし、我慢の大切さを説いている私たちは、それをみずから実行しなければなりません。もしも皆さんに対する愛がなければ、わざわざこれほど暗い世界へ戻ってくるようなことはいたしません。

 同時に又、地上に救いの手を差し伸べるべき時期が到来したからこそでもあります。つまり私たちの援助を受け入れる準備ができた人がいるということです。ただ悲しいかな、魂が目を覚まし真の活動を開始するようになるまでには、霊的な絶望の淵を体験しなければならないことがよくあるものです。

 霊の光は、これからも媒体のあるところならどこでも照らし続けます。場所によってはほのかな明かり程度に過ぎないこともあります。が、神性を帯びたものであるからには完全に消えてしまうようなことは絶対にありません。

自然の摂理はあなた方の地球だけでなく、あるいは銀河系宇宙だけでなく、全大宇宙を支配し経綸しております。神はその無限の叡智をもって全大宇宙のすみずみまで配剤してくださっています。心配してはいけません。心配は何の役にも立ちません。そして、少しも事態を改善することにはなりません。

シルバーバーチ

Monday, October 17, 2022

シアトルの秋 知識と叡智と真理は無限に存在しますから、Since knowledge, wisdom and truth exist infinitely,




 ───(若い女性のゲスト)あなたのおっしゃる通り私たちは生命を唯一の生命力すなわち神から受けていますから、みんなして愛と奉仕を目的とすれば、すべてがうまく収まると思うのです。そこでお聞きするのですが、平均的な一般人もこうした深い霊的な教えを理解する必要があると思われますか。一般の人には私たちが同じ神から生命力を受けているという一つの事実を理解させ、それを生活の基盤として、さらに大霊についてより多く知るように持って行けば、スピリチュアリズムだのキリスト教だのという形で理解するよりも、非常に多くの人が理解できるのではないかと思うのです。

 
 おっしゃることは本質的には結構な事ですし、異議を唱える人は誰一人いないでしょう。ですが、人間は一人ひとり成長と開発と発達と進化の程度が異なるものです。ある人にとってすぐに受け入れられることが、別の人からは拒絶されることもあります。もしも全員が画一的なレベルにあるのであれば画一的なメッセージで済むでしょうけど・・・・・・

 たとえば、ある人に大霊とは愛と叡智の極致であると説いて、それがすんなりと受け入れられても、神の存在を頭から信じない人は即座に否定するでしょう。ですから、メッセージを与える場合は、内容をその人の受容力に応じたものにしないといけません。

 あなたが説くことの単純な素朴さがアピールする人もいるでしょうし、しない人もいるでしょう。人によっては世の中の不公平、さまざまな矛盾、一見無実と思える人の受難、利己的な人間がうまく罰を免れている現実を指摘して、それは一体どうなるのだと言うかもしれません。そこであなたは、延々と骨の折れる議論に巻き込まれてしまいます。

 そういうタイプの人には霊的実在の動かし難い証拠、たとえば〝不治〟の宣告を受けた病気が治った人の例を持ち出すにかぎります。そうすれば常識的な言葉では説明できなくても、実際に慈悲または愛の働きを見せた非物質的エネルギーの存在だけは認めざるを得ないでしょう。

 もう一つ大切なことがあります。知識と叡智と真理は無限に存在しますから、人間が手にすることのできる分量にも限界はないということです。

うわべだけを見るかぎりでは普遍的な愛のテーマは単純に思えるかも知れませんが、その内側はとても複雑です。その複雑な裏側の理解の必要性を痛感するようになるのは、それだけの理解力が具わってからのことです。


───言い替えれば、あらゆる学派や宗派はそれなりの存在価値があるということですね。それぞれが、ある一定水準(レベル)に達した者に何かを与えるようになっている───他の者には満足できない宗教でもその人には満足できるということなのでしょう。

 無限なる霊は無限の表現形態を取ります。生命全体が段階的になっているのです。あなたは休みなく進化しつつあります。一段上がるごとに、その上にもう一段あることを知ります。山頂を一つ克服してみたら、その向こうにもっと高い山頂が見えてくる、と言ってもよいでしょう。

 人類は異なる成長段階にある者で構成されています。したがって、すべての者にアピールする一つの教えというものは提供できないのです。相手がどの程度のものを受け入れる用意ができているかを見きわめる必要があります。あなたの説く思想がそれである人もいるでしょう。

別の論拠を持ち出してそれを論ぱくする人がいるかもしれません。そういう人には五感に訴えるもの───何か常識を超えたもので、根源は霊的でも顕現の仕方が物質的なものを持ち出さないといけません(奇跡的な病気治療などー訳者)

 しかし、いかなる能力を駆使するにせよ、要はその人に成長の機会を与えることになれば、それが一ばん大切なことです。

シルバーバーチ

Thursday, October 13, 2022

  シアトルの秋 必ずチャンスが there's always a chance

 


 
 必ずチャンスが

 人のためという熱意に燃える者には、
必ず、そのチャンスが与えられます。

誤解を超える日

 神よ、

私たちは、
あなたの完璧な摂理の背後に秘められた
完全なる愛を説き明かさんと
努力している者でございます。

人類はその太古より、
あなたがいかなる存在であるかを
想像しながらも、
その概念はいつも人間的短所と限界と制約の上に築かれてまいりました。

 宇宙の生命活動を律するその霊妙な叡智を、
人間はかすかながら捉え、
それを人間に理解できる言葉で
説明せんとしてまいりました。

あなたの性格を人間のすべてに共通する弱点と欠点と感情を具えた
一個の人間として想像しました。

気に入ったものには恩恵を与え、
気に入らぬ者には憤怒(ふんぬ)を浴びせる
人間味むき出しの神を想像いたしました。

その後の進化に伴って
人間の知識も進歩いたしましたが、
この大宇宙を創造した究極の存在について想像したものは
真のあなたの姿には遠く及びません。
無限なる存在を
有限な言葉で表現することは
所詮いかなる人間にも
不可能なのでございます。

あなたの尊厳の神性、
あなたの愛と叡智の永遠性は、
五つの感覚のみの物質の世界に閉じ込められた
人間が理解するのは不可能なのでございます。

 そこで幸いにして実在の別の側面を
体験させていただいた私たちは、
あなたが定められた摂理の存在を
説いているところです。

すべてを包含し、
すべてを律する法則、
不変不朽(ふへんふきゅう)の法則、
無数の生命現象に満ちた宇宙における
活動を一つとして見逃すことのない法則、
すべての自然現象を律する法則、
人間生活のすべてを経綸する摂理に
目を向けさせようと
しているところでございます。

 一宗一派に偏った神の概念を棄て、
宇宙がいかなる法則によって
支配されているかを理解することによって、
そこに連続性と秩序とリズムと調和と
完全なバランスの観念が生まれてまいります。

一人一人が無限なる組織の中の一部であり、
自分一個の生命活動もあなたのご計画の中に
組み入れられている事を自覚いたします。

 私たちの仕事は
人間の霊に宿されているところの、
人生に輝きを与えるはずの資質、
いまだに未知の分野でありながら
莫大な可能性に満ち、
その活用によって
人間生活に豊かさと生き甲斐、
荘厳さと気高さ、
人生観を一変させてしまう広大なビジョンと
精神的飛躍を与えるところの
魂の秘奥を明かすことにあります。

 それこそ人間を
永遠なるものとつなぐものであり、
それこそあなたがお授けくださった
神聖なる属性であり、
それを開発することが
少しでもあなたに近づき、
存在の意義を成就し、
あなたの遺産を相続する事になるものと
信じるのでございます。

 このように私たちは
人間の霊的成長を促す分野に携わる者です。

そこが人間が、
これまで最も無知であった
分野だからでございます。

その無知の暗黒を
払いのけることによって初めて、
あなたの真理の光が
人類の水先案内人となりうるのです。

闇の存在はことごとく消え去り、
あなたの御子たちは、
あなたの意図されたとおりに自由に堂々と、
神性を宿すものにふさわしい
生き方に立ち帰ることでございましょう。

 ここに、ひたすらに人類のためのみ願う
あなたの僕の祈りを捧げます。

シルバーバーチ


Sunday, October 9, 2022

シアトルの秋 人生は霊的巡礼の旅 life is a spiritual pilgrimage      

 



 (シルバーバーチの交霊会へ招待される人たちは、男女の別・社会的地位の上下を超えて、人生が霊的進化のための巡礼の旅であることに目覚めた人ばかりである。本章ではそうした人たちを招待した交霊会の中から〝新人〟を招待したもの三つと、サイキックニューズ紙の〝ベテラン〟スタッフ二人を招待したもの、さらにドイツへの移民に失敗した英国人ジャーナリストを招待したものを特集した。

 まず最初は二十年間もシルバーバーチの霊言集を愛読しているという男性を相手にシルバーバーチがこう述べた)
 

 この交霊会にお出でになる同志の方に私が必ず申し上げていることは、霊的巡礼の旅に立たれた方はみな、同じパターンの人生を体験なさるということです。困難・難題・危機・逆境・失望・挫折、こうしたものを体験させられます。

時には失望のドン底に落とされ、あたかも全ての望みが断たれ、奈落の底の暗闇の中に置かれたような、一条の光も見出せない状態となることもありましょう。

 しかし、そうした時こそ魂が目を覚まし、真理を受け入れる用意が整うものなのです。奈落の底からの霊的向上が始まります。ゆっくりとして遅々たる歩みです。それも、必ずしも着実とはかぎりません。時には逆戻りすることもあります。が、光明へ向けて向上し続け、ついに暗黒から抜け出ます。

 さて、あなたはただの信仰でなく証拠に基づいた素晴らしい霊的知識をお持ちです。道が示され、導きを受け、そこから生まれた理解が人生の視野を一変させました。


───本日はお招きいただいて大へん光栄に存じております。私はあなたの霊訓を二十年間も愛読いたしております。本日こうして出席できるのも、あなたの霊的知識のお陰です。苦しい時はいつも霊言集を開いております。

そこで私は今その霊的知識を集大成したいと考えております。テープも書物もかなりの数になりました。それを若い世代のために人生の指針として教えていくためのグループを組織したいと考えているのですが・・・・・・


 人類全体のための予定表というものがあります。私の世界の高級な神霊によって考え出されたものです。その目的は、受け入れる用意の出来た地上の人間を霊的に、精神的に、そして身体的に真に自由にしてあげることです。国家単位の計画があり、個人単位の計画があります。少しずつ着実に運ばれており、決して先を急ぎません。

 われわれ全部を包み込んだその崇高な計画に参加しておられる以上、あなたもせっかちな行動は許されません。関わっている問題があまりに多くて、先走りするわけにはいかないのです。私たちが提供するのは、まず証拠です。それから各自が自らの霊的新生を成就するための知識です。

私たちがあなたに代わって救ってあげるわけにはまいりません。自分で自分を救うのです。その手段をどう活用するかは、その人の自由に任されております。

 あなたが霊的存在であるということは、あなたも内部に無限なる宇宙の大霊すなわち神の一部を宿しているということであり、同時に、霊的武器(能力)と霊力を宿しているということです。

それを進化しながら発揮していくことができるのです。私たちの仕事はこうした霊的真理を一度に一つずつ、受け入れる準備の整った魂に教えていくことです。この点を特に強調しておきます。それが偽らざる事実だからです。

 諺にも〝馬を水辺まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない〟というのがあります。イエスはこれを豚と真珠という、きつい譬えで表現しました。(豚に真珠を投げ与える勿れーマタイ)。

 受け入れるにはその準備が出来ていなければならないということです。あなたも暗い影の谷間を通り抜けるまでは、真理を受け入れる用意は出来ておりませんでした。その間の体験が、こうした基本的な永遠の霊的真理を理解しはじめる端緒となる決定的な手段ないし触媒となったのです。
 
 今ではあなたが他の人々を救ってあげる立場になられましたが、あなたの厚意が受け入れられなくても落胆してはいけません。その人はまだそれを受け入れる用意が出来ていなかったということです。そういう時は、私がいつも申し上げているように、掛けがいのないチャンスを失った人として、密かに涙を流しておあげなさい。

 あなたにとってここぞという時に素晴らしい道が示されたように、これからも大切な時には必ず指示がいただけます。人生の視野の基盤を提供してくれる霊的知識を土台として信念を持つと同時に、あなたの背後には、真理普及のためのチャンスさえ提供してくれればいつでも援助に駆けつけてくれる高級霊の大軍が控えているという事実を忘れてはなりません。

 恐れるものは何一つありません。あなたには人のために自分を役立てることができるという喜びがあります。それが何より大切です。その機会を与えられることに感謝しなくてはいけません。

明日のことを案じてはいけません。困難には遭遇することでしょう。が、それは太陽を一時的にさえぎる雲のようなものです。太陽は少しのあいだ見えなくなりますが、常に存在しているのです。その太陽がもたらしてくれる力と光の存在を片時も忘れてはなりません。

Friday, October 7, 2022

シアトルの秋 死んだあと、どうなるのか         what happens after death

 


 (われわれはいつかは肉体を捨てて次の世界へ行く。そこでの生活はどのようなものなのか、何をして過ごすのか、こうした疑問にシルバーバーチが答える) 

こちらには昼も夜もありません。地軸の回転に依存していないからです。太陽の周りを回転しているのではありません。こちらには永遠の光が存在します。したがって地上のような時間というものがありません。

 こちらへ来てからも仕事があります。が、それは自分がやりたいと思う仕事であって、お金を稼ぐためとか家賃を払うためとか衣服や食料を買うためにするのではありません。

 地上で発揮されることのなかった能力や才能や技能を持つ人が次々と霊界へやってまいります。そういう人たちはこちらでそれを存分に発揮して、霊界の住民として全体の豊かさの向上に寄与することができます。

 みんな自分がしたいと思うことにたずさわっております。霊界には無限の種類の楽しみがあります。音楽が好きであれば地上と霊界の名曲を鑑賞することが出来ます。コンサートも開かれております。文学が趣味の人は地上と霊界の名作を読むことが出来ます。絵画に興味のある人も地上と霊界の傑作の全てを鑑賞することができます。

 子供が好きな人は両親に先立ってこちらへ来た子供の世話をすることができます。魂に病のある者に関心を寄せる人は、そうした霊のための更生施設で看護し介抱して霊的健康を取り戻させる仕事にたずさわります。それぞれに応じた無限の種類の仕事があります。その上に更に私のように地上世界のための仕事に従事する者もいます。

 とにかく地上を去ってこちらへお出でになれば、言葉では言い尽くせないほどの豊かさが待ち受けております。たとえば音楽であれば、地上にない音階が存在します。絵画であれば、地上に存在しない色彩があります。そのすべてをお話しすることはとても不可能です。


───霊界へ行っても地上と同じように何らかの形体を具えるのでしょうか。

 幽霊や妖怪になるのではありませんよ。首のないお化けになるのではありませんよ。立派な胴体と、他人と区別のつく容貌を具えた、実在の個的存在です。また他人を認識するための感覚もちゃんと具えております。霊の世界で生きて行く上で必要な霊的器官が全部そろっています。

 ちゃんと姿があります。形体を具えております。個人的存在を有しております。具えていないのは肉体的器官だけで、それに代わって、霊界で機能していく上で必要な霊的器官を具えています。

 よく理解していただきたいのは、あなた方人間にとって物質は固体性があり、実感があり、霊というと何だか影の様で実態がないかに思えるのでしょうが、私たち霊界の者にとっては霊こそ実在であり、実感があり、反対に物質の方が影のようで実体感がないということです。

 と言っても、人間がしゃべるに必要な器具は霊にはありません。しゃべる必要がないからです。こちらの世界では思念で通じ合っています。お互いに思念を出し合い、それだけで通じ合えるのです。霊界では思念は実体のある存在なのです。

存在するものすべてが思念でこしらえられているのです。ですから、必要と思うものはどんなものでも手に入れることが出来るのです。

(訳者注───別のところで、言葉でしゃべる必要があると思い込んでいる間はまだ幽質の発声器官が残っていて実際にしゃべり合っていると述べている。いわゆる地縛霊として地球圏内で自分が死んだことにも気づかずに生活している霊には地上時代に使用した器官がすべて残っていて、同じように食べて飲んで寝るという生活を繰り返しているのが実情である)

 海もあれば山もあり、湖もあり、花も樹木もあり、動物も小鳥もいます。その美しさの中には実際にこちらへ来ないと分からない種類のものがあります。ある程度の霊性に目覚めた者なら、もはや物質界の愉しみ(飲食欲・性欲等)を求めなくなります。仮にいても、それは例外に属します。

 もう一つの霊界の有難い点は、地上のような〝生きるための必需品〟を得るための苦労が要らないことです。食糧品や衣類を買う必要がありません。お金を払ってまでして家を求める必要がありません。全部揃っているのです。


───物的財産というものが無くなれば、貪欲とか権力欲とかも無くなりますか。

 いわゆる幽界でも低級な境涯にはまだ貪欲とか権力欲とかが存在します。忘れてならないのは、死んだ人間は霊的には死ぬ前と全く同じであることです。地上と違って霊界は思念が実在の世界です。心に思うことに実体が伴い実感があるのです。

 私たちから皆さんを見ると、身体は影のように見え、皆さんが心に思っておられることの方が実体があります。このことはなかなか説明が難しいのですが、たとえば皆さんが夢を見ているのと同じだと思えばよろしい。夢の中に現れるものは夢を見ている間は実在です。

もしも永遠に目覚めなかったら夢の世界がその人にとって実在の世界となります。乗る船も飛行機も、訪れる国も、夢の中ではみな実在です。

 こちらの世界では思念が全てのものをこしらえる素材です。ですから心に思うことがみな存在するわけです。貪欲と権力欲を持ったままこちらへやって来れば、それがこちらでは無用のものであることに気づくまで、それを持ち続けます。

そうした地縛的状態から解放される段階まで成長すると、ようやく救われることになります。(これが本当の意味での〝成仏する〟ということ───訳者)

 困ったことに、権力欲や強欲は霊を地上へ縛りつけます。身体的に死んでいますが、同時に霊的にも死んだも同然の状態です。波長が私たちより人間の方に近い状態です。そこで同じ欲に燃えた地上の人間と感応し合って、その欲望を増幅してまいります。


 ───と言うことは、地上をうろつく霊がますます増え、同時にそれが地上問題の解決を難しくしているということでしょうか。

 その通りです。というのは、こちらの世界は地上からの他界者で構成されていることを知らねばなりません。地球からの渡来者しかいないのです(※)。何の用意も身支度も出来ていない未発達霊で適応性のない霊をそちらから送り込んでいる限り、地上と霊界双方の問題を増幅するばかりです。

そこで私たちが地上人類の啓発のためにこうして働いているのです。暴力・貪欲・唯物思想・利己主義・強欲等々、要するに世界各地での戦争と不協和音と分裂の元凶である恐ろしいガンの発生を防ぐためです。

(※同じく〝霊界〟という言い方をしても地球圏の霊界、太陽の霊界、太陽系の霊界、銀河系の霊界、そして宇宙全体の規模の霊界がある。ここでは地球に限っての話である───訳者)


───霊界はこの地球からの他界者で占められているとおっしゃいましたが、その世界は地球を取り巻くように存在しているのでしょうか。それともずっと遠くまで広がっているのでしょうか。霊界も沢山あるのでしょうか。

 神は無限です。生命は無限です。あなた方の小さな天球は宇宙の中の一個のマメ粒のような存在でしかありません。


───地球のような世界がたくさんあって、それぞれに霊界があるということですね?
 
 霊の住む世界は無数に存在します。あなた方はこの宇宙の孤児(ミナシゴ)ではありません。


───となると〝死後の世界〟はどこにあるのかという問いにはどう答えたらよいのでしょうか。明確に答えるのは困難だと思いますが・・・・・・

 死後の世界とは、要するに今生活している世界の目に見えない側面、耳に聞こえない側面のことです。死んでからではなく今の時点で霊の世界に住んでいるのです。死んでからそこへ行くのではありません。今いる場所に霊界があるのです。

その世界の波長ないし振動、その他どう呼ばれても結構ですが、それをキャッチするための霊的感覚を発揮しないかぎり、それが認識できないというに過ぎません。別個の世界ではないのです。宇宙全体を構成する不可欠の側面であり、地球もその小さな一側面にすぎません。


───その見えない世界の存在を認識するために霊的感覚を養成することも、地上に生活しているわれわれの義務と言ってよいでしょうか。

 おっしゃる通りです。物質の世界の裏側に霊的側面があることを認識してはじめて本当の意味で生きていることになります。霊的実在に気づかない限り、悲しいかな、霊的な意味で目と耳と口を塞がれているようなものです。


───霊界から地上へ戻ってくると地上が陰鬱に感じられるとおっしゃました。するとあなたはどこか別の場所からやってくることになりますが・・・・・・

 自我の表現形態が変わるのです。霊界でのいつもの振動の速度を落とす操作をするのです。地上の低いオクターブをキャッチするために高いオクターブの振動に属する要素を霊界にあずけてこなければなりません。


 (質問者が代わる)

───なぜ霊界と物質界とが存在するのでしょうか。なぜ霊界一つだけではいけないのでしょうか。


 それに対する答えは〝なぜあなた方はお子さんを学校へ通わせるのですか〟という問いに対する答えと同じです。学校を出たあとの生活で直面するさまざまな状況に備えて、勉強させるためです。

物質界へ来るのも同じ理由からです。地上を去ったあとに訪れる生活に備えさせるために、地上生活がさまざまな体験と挑戦の好機を提供してくれます。次の段階に備えるための学習の一過程です。

 物質界、霊界、そして果てしなく広がる宇宙は、あなた方のいう神、私が大霊と呼んでいる絶対的なエネルギーが顕現したものです。宇宙に存在する最高の力です。それは無限です。始まりも終わりもありません。その叡智も無限です。その愛も無限です。その貯蔵庫も無限です。

  大霊の意志の表現である自然法側の働きは絶対です。かつて宇宙間に生じた現象、あるいはこれから生じるであろう現象で、その働きによる配慮が為されていないものは何一つありません。

 人間界の法律は予期せぬ事情が生じて絶えず改正が行われます。しかし自然法則は完璧です。その働きの及ばないものは存在しません。誰一人、何一つ、極大・極小、複雑・単純に関係なく、その働きからはみ出るものはありません。

宇宙間のあらゆる事物、あらゆる環境、あらゆる事情、あらゆる現象が不変・不滅の法則によって規制されているのです。

 私が何よりもまず、その絶対的な大霊に崇敬の念を捧げるのはそのためです。荘厳さと深遠さにおいて、これに勝るものは何一つ、誰一人、存在しないのです。その知性の壮大さは到底地上の言語では表現できません。

 皆さんのどなたよりも永い間顕幽にまたがる生命の旅を続けている私は、今なお、あらゆる存在の次元において働いている自然の摂理の完璧さに驚くことの連続です。

 そこで申し上げますが、宇宙に存在するものは何らかの役目があるからこそ存在しているということです。自然の摂理と調和して生きていれば、健康・幸福・霊的明るさ・精神的特性という形でその恩沢を受けます。それは、内在する神性を発揮していることに他ならないからです。

 あなたは有限の知性で持って無限なるものを理解しようとなさっていることを認識しておくことが大切です。

Thursday, October 6, 2022

シアトルの秋 思念に実体があるというのは本当でしょうか。     Is it true that thoughts have substance?

 



  「これはとても興味深い問題です。思念にも影響力がある───このことには異論はないでしょう。思念は生命の創造作用の一つだからです。ですから、思念の世界においては実在なのです。が、それが使用される界層(次元)の環境条件によって作用の仕方が制約を受けます。

 いま地上人類は五感を通して感識する条件下の世界に住んでいます。その五つの物的感覚で自我を表現できる段階にやっと到達したところです。まだテレパシーによって交信しあえる段階までは進化していないということです。まだまだ開発しなければならないものがあります。

地上人類は物的手段によって自我を表現せざるを得ない条件下に置かれた霊的存在ということです。その条件がおのずと思念の作用に限界を生じさせます。なぜなら、地上では思念が物的形体をとるまでは存在に気付かないからです。

 思念は思念の世界においては実在そのものです。が、地上においてはそれを物質でくるまないと存在が感識されないのです。肉体による束縛をまったく受けない私の世界では、思念は物質よりはるかに実感があります。思念の世界だからです。私の世界では霊の表現または精神の表現が実在の基準になります。思念はその基本的表現の一つなのです。

 勘違いなさらないでいただきたいのは、地上にあるかぎりは思念は仕事や労力や活動の代用とはならないということです。強力な補助とはなっても代用とはなりません。やはり地上の仕事は五感を使って成就していくべきです。労力を使わずに思念だけで片付けようとするのは邪道です。これも正しい視野でとらえなければいけません」

 思念は思念の世界においては実在そのものです。が、地上においてはそれを物質でくるまないと存在が感識されないのです。肉体による束縛をまったく受けない私の世界では、思念は物質よりはるかに実感があります。思念の世界だからです。私の世界では霊の表現または精神の表現が実在の基準になります。思念はその基本的表現の一つなのです。

 勘違いなさらないでいただきたいのは、地上にあるかぎりは思念は仕事や労力や活動の代用とはならないということです。強力な補助とはなっても代用とはなりません。やはり地上の仕事は五感を使って成就していくべきです。労力を使わずに思念だけで片付けようとするのは邪道です。これも正しい視野でとらえなければいけません」

───物的活動の動機づけとして活用するのは許されますね?

 「それは許されます。また事実、無意識のうちに使用しております。現在の限られた発達状態にあっては、その威力を意識的に活用することができないだけです」

───でも、その気になれば霊側が人間の思念を利用して威力を出させることも可能でしょう?

 「できます。なぜなら私たちは人間の精神と霊を通して働きかけているからです。ただ、私がぜひ申し上げておきたいのは、人間的問題を集団的思念行為で解決しようとしても、それは不可能だということです。思念がいかに威力があり役に立つものではあっても、本来の人間としての仕事の代用とはなり得ないのです。

またまた歓迎されないお説教をしてしまいましたが、私が観るかぎり、それが真実なのですから仕方がありません」

───大戦前にあれほど多くの人間が戦争にならないことを祈ったのに阻止できませんでした。あれなどはそのよい例だと思います。ヨーロッパ全土───敵国のドイツでもそう祈ったのです。

 「それは良い例だと思います。物質が認識の基本となっている物質界においては、思念の働きにおのずと限界があります。それはやむを得ないことなのです。ですが他方、私は思念の価値、ないしは地上生活における存在の場を無視するつもりはありません」

───善意の人々にとっては思念の力が頼りです。

───米国民への友好心はわれわれ英国人への友好心となって返ってきます。

 「それから、遠隔治療において思念が治療手段の一つとなっています。ただしその時は霊がその仲介役をしていることを忘れないでください。地上の人間は自分の精神に具わっている資質(能力)の使い方をほとんど知らずにいます。ついでに言えば、その精神的資質が次の進化の段階での大切な要素となるのです。

その意味でこの地上生活において思念を行為の有効なさきがけとする訓練をすべきです。きちんと考えたうえで行為に出るように心掛けるべきです。ですが、思念の使い方を知らない方が何と多いことでしょう。わずか五分間でも、じっと一つのことに思念を集中できる人が何人いるでしょうか。実に少ないのです」

シルバーバーチ

Tuesday, October 4, 2022

シアトルの秋 その〝あなた〟という存在はいつから始まったのでしょうか。When did the existence of “you” begin?

 



───大きなダイヤモンドの側面の一つである、つまり私は類魂(グループソール)の一つであるという意味だと思うのですが、もしも生命が永遠だとすると、他の類魂の体験を必要とするというのは論理的におかしいように思えます。 

「全宇宙を通じて作用と反作用が営まれております。はるか彼方にいる者でも、あなたが叡智を身につけていく上において多大な影響力を行使することが出来るのです。

人間は身体的にも精神的にも霊的にも孤立状態で生きることは有り得ないのです。それをグループソールと呼んでもダイヤモンドと呼んでも、所詮は用語を超越したものを表現するためにあれこれと用語を使ってみてるにすぎません。

 〝あなた〟とはいったい誰なのでしょう。その〝あなた〟という存在はいつから始まったのでしょうか。あなたという個的存在は受胎の瞬間から始まったのでしょうか。

〝アブラハムが生まれる前から私は存在している〟とイエスが述べておりますが、それはどういう意味かお分かりですか。

〝霊としては私は常に存在していた〟という意味です。あなたもそうですし私もそうです。インディビジュアリティの断片が異なった時代に物的世界に顔をのぞかせたということは有りうるのです。

私の説が受け入れられないとおっしゃる方とは論争しようとは思いません。

私は同志の方にも、自分の理性が納得しないものは拒絶しなさいと申し上げております。

もしも私があなたから好感を持っていただけたら、そして愛ともいうべきものを頂戴できたら、それはあなたの理性が私の述べていることを真実であると認めたからであるに相違ありません。

もしも理性の許可を得た上での好感を勝ち取ることが出来ないとしたら、それは私たちの仕事が失敗の運命にあることを意味します。

われわれはこれまでに得た知識を土台とし信頼し合わなくてはいけません。

基盤に間違いがないことを確信した上でなくてはいけません。

そこから、ゆっくりと着実に、より高い道を目指して、手を取り合って開拓していきましょう。

あなたには、これから先、うれしいことがたくさん用意されております。

イヤなことがないという意味ではありません。難問はつねに振りかかってきます。逆境にも遭遇します。

あなたは完成された世界の完成された存在ではないからです。あなた自身が不完全であり、世の中も不完全です。

しかし、あなたには自由意志があり、世の中の不完全とあなた自身の不完全を取り除いていくための力となる素晴らしいチャンスが用意されています。そこにあなたの仕事があります。

いかなる知識にも、それをいかに活用するかについての責任が付加されます。それはあなたへの一つの信託がなされたということです。その信頼を裏切ってはなりません。

あなたがその知識を得るにふさわしい人間であったと同時に、これから先あなたに受け入れる用意ができた時に授けられる次の段階の知識に対しても十分な資格があることを、あなた自身の生活の中で身をもって示さなくてはいけません」

≪あなたに受け入れる用意が整った時、いったん獲得したら決して色あせることもなく失われることもない、豊かな霊性が賦与されます。

それはあなたみずからの努力によって勝ち取るべき褒賞です。みずからの魂の発達であり、みずからの性格の強化です。そうやってあなたは、その段階での光明の中に生きるにふさわしい存在となっていくのです≫

シルバーバーチ

シアトルの秋 シルバーバーチの霊訓ー解説〝再生〟と〝前生〟についての誤解 ─訳者─  Commentary Misconceptions about ``rebirth'' and ``previous life'' ─Translator─   



  本書の編者トニー・オーツセンという人はまだ四十そこそこの若い、才覚あふれる行動派のジャーナリストである。この人とは私は二度会っている。一度はバーバネルが健在のころで、そのときはまだ取材記者の一人にすぎなかった。

二度目はバーバネル亡きあと編集スタッフの一員として、生来の才覚と若さと、それにちょっぴりハンサムなところが買われて、BBCなどにも出演したりしていた。そのときはサイキックニューズ社の所在地も現在地に移っていて、一階の書籍コーナーで私がレジの女性に自己紹介してオーツセンに会いたいと言うと、二階の編集室へ電話を入れてくれた。

すると間もなく階段を転げ落ちるようなスピードで降りてくる足音がして、あっという間にオーツセンが顔を見せ 〝よく来た!〟と言って握手を求め、すぐに二階へ案内してくれた。こうした行動ぶりから氏の性格を想像していただきたい。もっともその積極性が時おり〝勇み足〟を生むのが玉にキズなのだが・・・・・・

 彼とは今でも月に何度か手紙のやり取りがあるが、つい最近の手紙で彼がついに日本でいう専務取締役、兼編集主任となっていることが分かった。彼もついにかつての親分(バーバネル)のイスに腰掛けたわけである。その昇進ぶりから彼の才覚のほどを察していただきたい。今後の大成を期待している。

 さて本書の原典の第三章は〝再生〟に関する霊言が集めてあるが、これは日本語シリーズ第四巻の三章〝再生の原理〟とほぼ完全に重複しているのでカットした。

ただ次の二つの質問が脱落しているので、ここで紹介してそれを問題提起の糸口としたい。これは第四巻七九ページの「双子霊でも片方が先に他界すれば別れ別れになるわけでしょう」という質問に続いて出された質問である。


───同じ進化の段階まで到達した双子霊がなぜ別れ別れに地上に誕生するのでしょうか。霊界でいっしょになれた段階で、もうこれでずっといっしょで居続けられる、と思うのではないでしょうか。

 「おっしゃる意味は、霊的に再会しながら肉体的に別れ別れになるということと理解しますが、それとてほんの一時期の話です。アフィニティであれば、魂のやむにやまれぬ衝動が強烈な引力となって霊的に引き合います。親和力の作用で引き寄せられるのです。身体的には二つでも霊的には一つだからです」


───別れ別れに誕生してくるのも双子霊として向上のためと理解すればよいのですね。

 「別れるということに拘っておられるようですが、それは別だん大きな問題ではありません。別れていようと一緒でいようと、お互いが一個の魂の半分ずつであれば、肉体上の違いも人生のいかなる出来ごとも、互いに一体になろうとする基本的なプロセスに影響を与えることはありません。霊的な実在を物的な現象と混同してはいけません。霊にかかわる要素が持続されていくのです」


 オーツセンはその第三章を〝再生───霊の側からの見解〟と題しているが、この〝霊の側からの見解〟という副題に私はさすがはオーツセンという感想をもった。

というのは、現在地上で扱われている再生説や前生うんぬんの問題は、そのほとんどが人間的興味の観点から捉えられたものばかりで、上のシルバーバーチの言葉どおり〝霊的な実在を物的な現象と混同して〟いるからである。そこから大きな誤解が生じているので、本稿ではその点を指摘しておきたい。


 人間には前世は分からない

 第六巻の十章で 〝自分の前生を思い出してそれと断定できるものでしょうか〟 という質問に対してシルバーバーチは、それは理論的にはできますと言えても実際にそれができる人は現段階の地上人類にはまずいませんと述べている。ところが現実には洋の東西を問わず、〝あなたの前生は〇〇です〟とか、みずから

〝私は××の生まれ変わりです〟 と平然と公言する自称霊能者が多く、またそれをすぐに真にうけている信者が実に多いのである。「スピリチュアリズムの真髄」の中で著者のレナードがこう述べている。

 「この輪廻転生に関して意味深長な事実がある。それは、前生を〝思い出す〟人たちのその前生というのが、大てい王様とか女王とか皇帝とか皇后であって、召使いのような低い身分だったという者が一人もいないことである。中でも一ばん人気のある前生は女性の場合はクレオパトラで、男性の場合が大てい古代エジプトの王という形をとる」

 こう述べてからD・D・ホームの次の言葉を引用している。

 「私は多くの再生論者に出会う。そして光栄なことに私はこれまで少なくても十二人のマリー・アントワネット、六人ないし七人のメリー・スコットランド女王、ルイ・ローマ皇帝ほか、数え切れないほどの国王、二十人のアレキサンダー大王にお目にかかっているが、横丁のおじさんだったという人には、ついぞお目にかかったことがない。もしそういう人がいたら、ぜひ貴重な人物として檻にでも入れておいてほしいものである」

 これが東洋になると、釈迦とかインドの高僧とかが人気の筆頭のようである。釈迦のその後の消息が皆目わからないのがスピリチュアリズムの間で不思議の一つとされているが、あの人この人と生まれ変わるのに急がしくて通信を送る暇がなかったということなのだろうかと、と皮肉の一つも言ってみたくなる。

 それにしても一体なぜ高位・高官・高僧でなければいけないのであろうか。なぜ、歴史上の人物でなければ気が済まないのであろうか。マイヤースの通信『個人的存在の彼方』に次のような一節がある。

 「偉大なる霊がまったく無名の生涯を送ることがよくある。ほんの身近な人たちにしか知られず、一般世間の話題となることもなく、死後はだれの記憶にも残らない。その無私で高潔な生涯は人間の模範とすべきほどのものでありながら、それを証言する者は一人としていない。

そうした霊が一介の工場労働者、社員、漁師、あるいは農民の身の上に生をうけることがあるのである。これといって人目につくことをするわけではないのだが、それでいて類魂の中心霊から直接の指導を受けて、崇高な偉大さと高潔さを秘めた生涯を送る。かくして、先なる者が後に、後なる者が先になること多し(マタイ19・30)ということにもなるのである」

 オーエンの『ベールの彼方の生活』第三巻に、靴職人が実は大へんな高級霊で、死後一気に霊団の指揮者の地位に付く話が出ている。地上生活中は本人も思いも寄らなかったので、天使から教えられて戸惑う場面がある。肉体に宿ると前生(地上での前生と肉体に宿る前の霊界での生活の二種類がある)がシャットアウトされてしまうからである。『続霊訓』に次のようなイムペレーターの霊言がある。

 「偉大なる霊も、肉体に宿るとそれまでの生活の記憶を失ってしまうものである。そうした霊にとって地上への誕生は一種の自己犠牲ないしは本籍離脱の行為と言ってよい」

 そうした霊が死後向上していき、ある一定の次元まで到達すると前生のすべてが(知ろうと思えば)知れるようになる、というのがシルバーバーチの説明である。霊にしてその程度なのである。まして肉体に包まれている人間が少々霊能があるからといって、そう簡単に前生が分かるものではないのである。


 たとえ分かっても何にもならない

 ところで、かりに人間にそれが分かるとして、一体それを知ってどうなるというのであろうか。一回一回にそれなりの目的があって再生をくり返し、そのつどシルバーバーチの言うように〝霊にかかわる要素〟だけが持続され、歴史的記録や名声や成功・失敗の物語はどんどん廃棄されていく。ちょうど我々の食したものから養分だけが摂取され、

残滓(ザンサイ)は排泄されていくのと同じである。そんな滓(カス)を思い出してみてどうなるというのであろう。

 それが歴史上の著名人であれば少なくとも〝人間的興味〟の対象としての面白味はあるかも知れないが、歴史にまったく記されていない他の無名の人物───ほとんど全部の人間といってよい───の生涯は面白くもおかしくもない、平々凡々としているか、波乱万丈であれば大抵被害者あるいは犠牲者でしかないのである。

人間的体験という点においては何も歴史的事件にかかわった者の生涯だけが貴重で、平凡な人生は価値がないというわけでは絶対にない。その人個人にとっては全ての体験がそれなりの価値があるはずである。が、

人間はとかく霊というものを人間的興味の観点からせんさくしようとするものである。シルバーバーチが本名を絶対に明かさないのは、そんな低次元の興味の対象にされたくないということと、そういうことではいけませんという戒めでもあるのである。


  再生問題は人間があげつらうべきものではない

 再生そのものが事実であることに疑問の余地はない。シルバーバーチは向上進化という霊の宿命の成就のための一手段として、再生は必須不可欠のものであり、事実この目で見ておりますと述べている。私はこの言葉に全幅的信頼を置いている。

 また、それを否定する霊がいるのはなぜかの問いに、霊界というところは地上のように平面的な世界ではなく、内面的に無限の次元があり、ある一定の次元まで進化しないと再生の事実の存在が分からないからだと述べている。

つまりその霊が到達した次元での視野と知識で述べているのであって、本人はそれが最高だ、これが全てだ、これが真実だと思っても、その上にもまた上があり、そこまで行けばまた見解が変わってくる。

だからシルバーバーチも、今否定している人も自分と同じところまで来れば、なるほど再生はあると思うはずだと述べている。イムペレーターも、このあと引用する『続霊訓』の中で、再生の事実そのものは明確に認めている。

そういうわけで私は再生という事実については今さらとやかく述べるつもりはない。その原理については第四巻の三章を参照していただきたい。ただ、世間において、あるいはスピリチュアリズムに関心をお持ちの方の中においても、生まれ変わりというものについて大きな誤解があるようなので、それを指摘しておきたいと思う。
 
 モーゼスの『続霊訓』に次のような一節がある。

 「霊の再生の問題はよくよく進化した高級霊にしてはじめて論ずることのできる問題である。最高神のご臨席のもとに、神庁において行われる神々による協議の中身については神庁の下層の者にすら知り得ない。正直に言って、人間にとって深入りせぬ方がよい秘密もあるのである。その一つが霊の究極の運命である。

神庁において紳議(カムハカ)りに議られしのちに一個の霊が再び肉体に宿りて地上へ生まれるべきか、それとも否か、そのいずれの判断が下されるかは誰にも分からない。誰にも知り得ないのである。守護霊さえ知り得ないのである。すべては佳きに計らわれるであろう。

 すでに述べた如く、地上にて広く喧伝(ケンデン)されている形での再生(機械的輪廻転生)は真実ではない。また偉大なる霊が崇高なる使命と目的とを携えて地上へ降り人間と共に生活を送ることは事実である。ほかにもわれらなりの判断に基づいて広言を避けている一面もある。

まだその機が熟していないとみているからである。霊ならば全ての神秘に通じていると思ってはならない。そう広言する霊は、みずから己れの虚偽性の証拠を提供しているに他ならない」
(『ベールの彼方の生活』をおもちの方は第四巻第六章3〝神々による廟議〟を参照されたい)

 高級霊にしてこの程度なのに、こうして肉体に包まれ、シルバーバーチ流に言えば〝五本の鉄格子(五感)の間から外界をのぞく〟程度の地上の人間が、少々霊能が芽生えたからといって、そんなもので再生問題を論ずるのは言語道断なのである。

 再生とは少なくとも今の自分と同じ人間がそっくり生まれ変わるという、そんな単純なものではない。心霊学によって人間の構成要素をよく吟味すれば、イムペレーターやシルバーバーチから指摘されなくてもその程度のことは分かるはずである。

 そんな軽薄な興味にあたら時間と精神とを奪われるよりも、五感を中心として平凡な生活に徹することである。そうした生活の中にも深刻な精神的葛藤や身体的苦闘の材料がいくらでもあるはずである。それと一生けんめい取り組んでいれば、ごく自然な形で、つまり無意識のうちに必要な霊的援助を授かるのであり、それがこの世を生きる極意なのである。


  悪ふざけをして喜ぶ低級霊団の存在

 私が声を大にしてそう叫ぶのは、一つにはそこにこそ人間的努力の尊さがあり、肉体をもって生活する意義もそこから生まれると信じるからであるが、もう一つ、生半可な霊能を頼りにすることの危険性として、そうした霊能者を操って悪ふざけをする低級霊がウヨウヨしているという現実があるからである。『霊訓』に次のような一節がある。

 「邪霊集団の暗躍と案じられる危険性についてはすでに述べたが、それとは別に、悪意からではないが、やはりわれらにとって面倒を及ぼす存在がある。元来、地上を後にした人間の多くは格別に進歩性もなければ、さりとて格別に未熟とも言えない。肉体より離れていく人間の大半は霊性において特に悪でもなければ善でもない。

そして地上に近き界層を一気に突き抜けていくほどの進化した霊は、特別の使命でもないかぎり地上へは舞い戻っては来ないものである。地縛霊の存在についてはすでに述べた通りである。

 言い残したものにもう一種類の霊団がある。それは、悪ふざけ、茶目っ気、あるいは人間を煙に巻いて面白がる程度の動機から交霊界へ出没し、見せかけの現象を演出し、名を騙り、意図的に間違った情報を伝える。

邪霊というほどのものではないが、良識に欠ける霊たちであり、霊媒と列席者を煙に巻いていかにも勿体ぶった雰囲気にて通信を送り、いい加減な内容の話を持ち出し、友人の名を騙り、列席者の知りたがっていることを読み取って面白がっているに過ぎない。

交霊会での通信に往々にして愚にもつかぬものがあると汝に言わしめる要因もそこにある。茶目っ気やいたずら半分の気持ちからいかにも真面目くさった演出をしては、それを信ずる人間の気持ちを弄ぶ霊の仕業がその原因となっている。列席者が望む肉親を装っていかにもそれらしく応対するのも彼らである。

誰でも出席できる交霊会において身元の正しい証明が不可能となるのも彼らの存在の所為(セイ)である。最近、だれそれの霊が出たとの話題がしきりと聞かれるが、そのほどんとは彼らの仕業である。

通信にふざけた内容、あるいは馬鹿げた内容を吹き込むのも彼らである。彼らは真の道義的意識は持ち合わせない。求められれば、いつでもいかなることでも、ふざけ半分、いたずら半分にやってみせる。その時どきの面白さ以上のものは何も求めない。人間を傷つける意図はもたない。ただ面白がるのみである」

 ついでに『続霊訓』からも次の一節を紹介しておこう。これは自動書記通信であるが、モーゼスが「間違った教理を信じ切っている霊が何百年、何千年と、そう思い込んだままの状態でいると聞いて驚きを禁じ得ません。それはよくあることなのでしょうか」と質問したのに対してこう述べている。

 「そう滅多にあるものでないのであるが、霊媒を通じてしゃべりたがる霊は、概してそう高度な悟りに到達していない者たちである。理解力に進歩のない連中である。請われもしないのに勝手に地上へ戻ってくるということ自体が、あまり進歩的でないことの証明といえよう。中でも、人間がこしらえた教理によってがんじがらめにされたままやってくる霊は、もっとも進歩が遅い。

 真実の教理は人間の理解力に応じて神みずから啓示されるものである。数ある地上の教説や信仰は大なり小なり間違っている。ゆえに(それが足枷となって)進歩が遅々としている者が実に多く、しかも自らはその誤りに気づかないのである。

その種の霊が徒党を組み、その誤りがさらに新たな誤りを生んでいくことがしばしばある。かくして無知と偏見と空理空論が下層界に蔓延し、汝らのみならず我らにとりても厄介なことになっている。というのも、彼らの集団も彼らなりの使者を送って人間界を攪乱せんとするのである。

彼らは必ずといってよいほど敬虔な態度を装い、勿体ぶった言葉を用いる。それがいつしか進歩を阻害し、心理を窒息させるように企んでいるのである。魂の自由を束縛し、真理への憧憬を鈍らせるということにおいて、それは断じて神の味方ではなく、敵対者の仕業である」

 五感はたしかに鈍重であるが、それなりの安定性がある。それに引きかえ、霊能というのはきわめて不安定であり、肉体の健康状態、精神的動揺によって波長が変化し、昨日は高級霊からのものをキャッチしていたのが今日は低級霊に騙されているということがある。まさに両刃の剣である。

 ショパンが弾けるというだけの人なら世界中どこにでもいるが、人に聞かせるに足る名演奏のできる人はそう数多くいるものではない。それと同じく、信頼の置ける霊媒、高い霊質と人格と識見とを兼ね具えた名霊媒はそう数多くいるものではない。

その一人がステイントン・モーゼスであり、ヴェール・オーエンであり、ジェラルディン・カミンズであり、モーリス・バーバネルである。そのほか地道にやっている霊能者が世界中にいるはずである。

 そして、こうした霊媒を通じて通信してくる霊が異口同音に言うのが〝宇宙の神秘は奥には奥があって、とても全てを知ることはできない〟ということである。肝に銘ずべきであろう。   
                      
一九八七年四月     近藤 千雄

Monday, October 3, 2022

シアトルの秋 すべての古い誤謬を排除し、新しい神の概念を理解することになるでしょう。You will eliminate all old errors and understand the new concept of God.



スピーア博士がキリスト教の教義について質したのに対して

インペレーターが──

「キリスト教の説く教義には多くの誤りが見受けられます。

神についての見解はそれを受け取った霊媒の先入観念によってとかく着色されているものです。

人間の勝手な考えによって教説をこしらえ、それがドグマとして定着し、絶対的教義として教え込まれています。

創造神と人間とのつながり、及び罪についてのキリスト教の説は間違っております。

罪とは、本質的には、霊性を高めるべく意図された永遠不変の摂理に意識的に違反することです。神が人間の罪をご自身への侮辱と受け止めるような事はあり得ません。

われわれが幼児の無礼を受けとめるのと同じように(寛容的に)受けとめられます。

自然の摂理によっていずれは悲しみと罰とがもたらせるようになっているのです。罪それ自体は創造神への侮辱などではありません。

従って無力な人間に報復という形で罰が加えられるなどということはあり得ません。

罪はそれ自体が不変の摂理の審判としての罰を含んでいるのです。

人間イエス・キリストの地上生活は、地上の人間が見習うべき一つの模範を垂れたものでした。

が、それをもって人間の罪を贖ってくれるものと見なすことは赦し難い欺瞞であり、それこそ神を侮辱し、その汚れなき霊性を侮辱し、盲目的信仰に安住している者を堕落させ、おのれの軽信をもって美徳と思わせることになりかねません。

そのうち、これほど好い加減な寓話が、よくも大まじめに信じられてきたものと呆れる日も来ることでしょう。

われわれにそのその普及の権限が託されている真理は、いずれそうした人間的創作を全て無用のものとすることでしょう。

人間は神を自分に似せて想像したのです。その神はきわめて人間的です。人間らしさを幾つも備えております。

もう少し崇高な概念が抱ける者ならばおよそ受け入れ難い性質を、人間は〝神〟の名のもとに説いてきました。

地上人類はようやく今、全知全能の父なる神の概念へ向けて近づきつつあります。

やがて新たな啓示を得て、すべての古い誤謬を排除し、新しい神の概念を理解することになるでしょう。

全能の神からわれわれが頂いてきた啓示は、これまでの古い教義と思索の産物を排除し、それに代わって、作り話ではなく、あるがままの真理を授けることになるでしょう。

霊的啓示はすべて神から届けられます。

がしかし、それまで人間が信じ希望を託してきたものの多くを除去しなければならないために、必然的にそれは人間が〝信仰〟と呼んでいる者を覆すことになります。

神は人間の理解力に応じたものを啓示されます。ゆえに、神の啓示は段階的進歩を辿ることになります。

それを授けようとするわれわれの仕事を阻止せんとする邪霊が組織的策謀を弄していますが、こうした反抗は真理が完全に普及しつくすまでは途絶えることはないでしょう。

それは信念の弱い者にとっては容易ならざる試金石となるでしょうし、信念強固なものにとっては油断ならない大敵となるでしょう。

が、そこにこそ邪霊の存在意義もあるのです。

見えざる通信霊の指導を仰ぐ時は、果たしてその霊がみずから公言するとおりの存在であるか否かを見極めないで唯々諾々として承ることのないよう心していただきたい。

われわれの立場から言わせていただけば、真摯にして純粋な探求心から発する調査には何ら恐れは覚えません。

この交霊会において皆さんが目の当たりにされている現象は、キリストが行った奇跡と本質に置いて同じものです。

その耳でお聞きになる言葉はヘブライの予言者たちの言葉と少しも変るところはありません。

スピリチュアリズムの知識はいずれ普及します。が、何所かの宗派の教義としてではありません。

われわれの啓示には主教も司祭も執事も必要としません。

必要なのは守護・指導に当たる霊と、それを受ける人間の霊との交わりのみです。

キリストも述べております──いずこの土地、いずこかの人間が特に他より神聖であるかに説かれることのない時代が訪れるであろう。と」

Saturday, October 1, 2022

シアトルの秋 切実に祈るその心の姿勢が、     The attitude of the heart praying earnestly,




「切実に祈るその心の姿勢が、

待機している背後霊との連絡路を開き、

その必要性にかんがみて力と慰めとを授けてくれます。」

インピレーター