Sunday, September 17, 2023

シアトルの初秋 霊界への帰還

 Return to the spirit world

The Spirits' Book (New English Edition) (Translation Classical Spiritist Works)



〈死後の魂〉



――死の瞬間、魂はどうなるのでしょうか。


「再び霊に戻ります。つまり霊の世界へ帰るわけです。ホンの少しの間だけ留守にしていたのです」


――その魂は死後も個性をそなえているのでしょうか。


「もちろんです。個性は決して失われません。もし個性を失ったら魂はどうなりますか」


――物的身体がないのに、なぜ個的存在としての意識が残っているのでしょうか。


「その霊特有の流動体(※霊体)が残っています。その天体の大気中から摂取したものです。それに、それまでの物的生活での魂の特徴が全て刻み込まれています。あなたのおっしゃるペリスピリットです」


――魂はそれ以外には地上生活から何も持っていかないのですか。


「地上生活の記憶と、より良い世界への憧れのみです。その記憶には地上生活をどう生きたかによって、楽しさか辛さのどちらかがいっぱい詰まっています」


――魂は、死後、普遍的な魂の集合体の中に戻っていくという説はどう理解すればよいでしょうか。


「個々の霊が集まって全体を構成するわけですから、集合体に戻ると表現してもよいのではないでしょうか。あなたも集合体に戻ればその不可欠の一部となるわけです。ただ、個性は維持しています」


――死後の個性存続の証拠はどうすれば得られるのでしょうか。


「今こうして交信している事実が何よりの証拠ではないでしょうか。あなたにもし霊視力があれば霊の姿が見えるはずです。霊聴力があれば霊の声が聞こえるはずです。一日のうち何度もあなたと別個の人格があなたに話しかけているのですよ」


――永遠の生命というものをどう理解すべきでしょうか。


「永遠なるものは霊の生命だけです。肉体は束の間の儚(はかない)い存在です。肉体が死滅することによって魂は再び永遠の生命に戻るわけです」


――私が思うに、永遠の生命という用語は浄化しきった霊、つまり相対的な意味での完全の段階にまで到達して、もはや苦難による試練を必要としなくなった霊に当てはめるべきではないでしょうか。


「その段階の生命はむしろ“永遠の至福”の境涯と呼ぶ方が良いでしょう。ですがそれはあくまでも用語の問題です。あなた方の間で意味の解釈で合意ができていれば、何と呼ばれても結構です」
〈魂と肉体の分離〉



――魂が肉体から分離する時は苦痛を伴いますか。


「苦痛はありません。死の瞬間よりも、むしろ死に至るまでの人生の方が遥かに苦痛を伴います。死に際して魂自身は肉体に生じている変化を意識しないものです。それどころか、言うなれば“国外追放の刑期”を終える時がいよいよ近づいたことを自覚して、魂自身は嬉しさでわくわくしていることがよくあります」


――分離の現象はどのようにして行われるのでしょうか。


「魂をつなぎ止めていた絆(玉の緒(シルバーコード))が切れ、肉体から離れて行きます」


訳注――ここに掲げた写真はカルデックが一八五〇年に創刊した『心霊評論』La Review Spirite紙上で紹介されたもので、それが訳者が購読中だった米国の心霊月刊誌CHIMES(チャイムズ)に掲載された(現在は廃刊)。解説文によるとフランス北東部のアルザスに住む老婦人が他界して納棺される直前に、娘が写真を撮りたいと言うので、弔問に訪れていた高等学校の校長が代わりに撮ってあげた。十二枚のフィルムのうち四枚だけ残っていたので四枚撮った。最初の一枚は露光は一秒だったが、部屋の明かりが弱すぎるので、二枚目は十二秒、三枚目は十五秒、四枚目は二十秒にした。焼き付けてみると一枚目は老婦人の普通の写真が写っていたが、残り三枚には見事なシルバーコードの映像が写っていた。 玉の緒(通夜における写真)
(露光12秒) (露光15秒) (露光20秒)


――それは突然、そして一瞬の間に行われるのでしょうか。生と死とを分ける明確な線があるのでしょうか。


「いえ、魂は少しずつ分離します。カゴが開けられて小鳥がぱっと飛んで出て行くような調子で、霊が肉体から急に去って行くのではありません。生と死との境を行ったり来たりしながら、霊は少しずつ肉体との絆を緩めていきます。一気に切断するのではありません」


――有機体としての生命が停止するより先に霊と肉体とが完全に分離することも有り得ますか。


「肉体の断末魔が始まる前に霊が去っているということが時おりあります。断末魔は有機体としての生命の終末の反応にすぎません。本人にはもはや意識はないのですが、わずかながら生命力が残っています。しょせん肉体は心臓の働きによって動く機械です。血液が巡っているから生き続けているだけで、魂はもう存在する必要はありません」


――死の現象の最中に霊がこれから帰って行く霊の世界を垣間見ることはありますか。


「霊は、肉体につなぎ止められてきた絆が緩んでいくのを感じると、その分離現象を促進して一刻も早く完了させようとするものです。その際、すでに物的束縛から幾分か脱していますから、これから入って行く霊的世界が眼前に広がり、それを楽しく眺めていることがあります」


――いよいよ分離して霊界での意識を取り戻した時の感じはどんなものでしょうか。


「各自の事情によって異なります。悪いことばかりしてきた者は、その悪事の場面を見せつけられて恥じ入るでしょうし、善行に励んできた者は肩の荷を下ろしたような、晴れやかな気分がすることでしょう。どんなに厳しい目で見られても恥じ入るところは何一つ無いのですから」


――地上時代の知り合いで先に他界した人たちと再会できるでしょうか。


「できます。ただ、愛情関係の度合いによって直ぐに会える人と、なかなか会えない人とがいます。霊界への帰還を察知して出迎えてくれ、物質との絆を解くのを手伝ってくれる人もいます。前世で知り合いだったのに、あなたが地上へ行ってしまったのでその間会えなかった人が出迎えてくれることもあります。霊界に帰りながら今なお迷っている者にも会えますし、地上に残した者のところへ行ってみることもあります」
〈死後の意識の混乱〉



――事故死のように、老齢や病気による衰弱が伴わない死の場合、魂の分離は肉体的生命の死と同時に発生するのでしょうか。


「大体においてそうです。そうでないケースも無きにしもあらずですが、いずれにしても肉体の死から魂の分離までの時間はそう長くはありません」


――例えば斬首された場合、意識はそのまま残っているのでしょうか。


「少しの間残っているケースがしばしばあります。が、それよりも、死の恐怖のために刑の執行直前に意識を失っているケースがよくあります」


編者注――ここでいう“意識”は肉体器官を通じての意識のことである。その意識の途絶えは必ずしも肉体からの魂の分離を意味しない。肉体が元気なうちの突然の死においてはペリスピリットがしっかりしているために、魂の分離に時間が掛かるようである。


――肉体から分離した魂は直ちに霊としての自我意識を持つのでしょうか。


「直ちにではありません。しばらくの間意識が混乱し、感覚が鈍い状態が続きます」


――それはどんな霊でも同じですか。


「いえ、霊性の発達程度によって違います。霊的浄化がある一定レベルまで達している霊は、すでに地上生活中に物的束縛から脱していますから、直ちに意識を取り戻します。一方、物的波動にどっぷりと浸っていた者や道義心が鈍い者は、いつまでも物的波動から抜け出られません」


――霊的真理を知っているということは死後の目覚めに影響がありますか。


「大いにあります。これから置かれる自分の新しい環境についてあらかじめ理解ができていることになるからです。しかし、やはり何よりも大切なのは実直な日常生活と道義への忠実さです」



Saturday, September 16, 2023

シアトルの初秋 そのすべてがあなたの無限なる根源的摂理によって規制され支配されていると説きます。

  I preach that all of this is regulated and controlled by your infinite fundamental providence.

シルバー・バーチの霊訓 新装版 10の通販/パム・リーバ/近藤 千雄 - 紙の本:honto本の通販ストア
 

神とは  

 ある日、交霊会が始まる前に、メンバーの間でキリスト教についての議論があり、その中でキリスト教の牧師には神とは何かの説明が出来る人がいないことが指摘された。やがて出現したシルバーバーチは冒頭の祈りの中で神の説明をした。それは明らかにメンバーの議論を踏まえたものだった。

(訳者注ーシルバーバーチは冒頭の祈り Invocation と終結の祈り Benediction とがある。前者は会の成功のための神の御加護を求めるものであり、後者は感謝と讃仰の祈りである)

 「神よ、あなたは一体どなたに御(おわ)し、いかなるお方に御すのでしょうか。いかなる属性をお具えなのでしょうか。
 
 私たち(霊界の者)はあなたを完璧なる摂理の働きであると説いております。たとえば宇宙に目を向けさせ、その構想の完璧さ、その組織の完璧さ、その経綸の完璧さを指摘いたします。そしてその完璧な宇宙の姿こそあなたの御業の鑑であり、あなたこそ宇宙の全生命を創造し給いし無限の心であると説いております。
 
 私たちには自然界の一つ一つの相、一つ一つの生命、一つ一つの草花、一つ一つのせせらぎ、小川、海、大洋、一つ一つの丘そして山、一つ一つの恒星と惑星、一つ一つの動物、一人一人の人間の目に向けさせ、そのすべてがあなたの無限なる根源的摂理によって規制され支配されていると説きます。

 私たちは宇宙間のすべての現象がその根源的摂理から派生したさまざまな次元での一連の法則によって支配され、かくしてその働きの完璧性が保たれているのであると認識している者でございます。

そのあなたには特別の寵愛者など一人もいないことを信じます。不偏不党であられると信じます。あなたのことを独裁者的で嫉妬心を持つ残忍なる暴君のごとく画いてきたこれまでの概念は誤りであると信じます。なぜなら、そのような人間的属性は無限なる神の概念にそぐわぬからでございます。

 これまで私たちは地上とは別個の世界においても同じあなたの摂理の働きを見出し、そしてそれがいついかなる時も寸分の狂いもないことを確認したが故にこそ、その摂理とそれを生み出された心に満腔の敬意を捧げ、その働きのすべて───物的、精神的、そして霊的な働きのすべてを説き明かさんと努めております。

なかんずく霊的なものを最も重要なものとして説くものです。なぜなら、すべての実在、すべての生命の根源は霊的世界にあるからでございます。

 あなたの子等のすべてかあなたの摂理を理解し、その摂理に従って生活を営むようになれば、すべての悲劇、すべての暗黒、すべての苦悩、すべての残虐行為、すべての憎悪、すべての戦争、すべての流血行為が地上から駆逐され、人間は平和と親善と愛の中で暮らすことになるものと信じます。

 ここに、ひたすらに人のために役立つことをのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを──無意味な文句の繰り返しでなく、真理と叡知と光と理解力と寛容の心を広げる手段(人間)を一人でも多く見出したいとの願いとして──捧げ奉ります」 


 この祈りの後、シルバーバーチみずからその内容について次のように説明した。

 「この祈りには宇宙についての、地上の人間に理解できるかぎりの理性的かつ合理的説明が含まれております。人類が暗闇の生活を余儀なくさせられているのは、一方にはみずから真理に対して目を閉じたがる者が多く、また一方には既得の特権を死守せんとする者が多いからです。

すべての戦争は人間が摂理に背いた生き方をすること──一個の人間、一つの団体、一つの国家が誤った思想から、貪欲から、あるいは権勢欲から、支配欲から、神の摂理を無視した行為に出ることから生じるのです。直接の原因が何であれ、全ては宇宙の霊的法則についての無知に帰着します。

すべての者が霊的知識を具えた世界に独裁的支配はあり得ません。一人の人間が一国を支配することが不可能な組織となるからです。すべての者が霊的知識を具えた世界に流血はあり得ません。争いの起こり得ない体制となるからです。

 われわれの仕事はその霊的知識を広めることです。真実の意味での伝道者なのです。伝道の意味が今日の世の中では歪められてしまいましたが、真実の意味は真理または知識を広めることです。私たち霊団は今あなた方の世界で仕事をしておりますが、本来は別の世界の者です。

あなた方よりは一歩、二歩、もしかしたら、三歩ほど先を歩んでいるかも知れません。これまで幾つかの大自然の摂理を学んできました。そうして知ったことは、この世に奇跡は無く、神の特別の寵愛者もなく、選ばれし民もなく、唯一の神の子もいないということです。あるのはただ法則のみだということです。

 宇宙がいかに巨大にして荘厳であるとは言え、全てが絶対的法則によって支配されていることを知ったからこそ、こうしてその法則をお教えしようと努力しているわけです。

その法則とは、原因には必ずそれ相当の結果が伴うということです。自分が蒔いたタネは自分で刈り取るということです。所詮はごまかすことができない──なぜなら自分の言動がその性格と成長具合に消そうにも消せない印象を刻み込むからです。こうした真理を土台として真の宗教を築かねばなりません。

大主教の宮殿で何を説こうと、大聖堂で何を説こうと、寺院、教会堂、礼拝堂、その他、世界中いかなるところで何を説こうと、それが今述べた単純な基本的真理と矛盾したものであれば、それは誤りです。極めて簡単な真理なのです。

人生を霊的摂理が支配していること、お互いが扶けあうことが一ばん大切であること、それが霊を成長させ、性格を形成し、死後に待ち受ける新しい生活に霊的な備えを与えることになる───ただそれだけなのです。

Wednesday, September 13, 2023

シアトルの初秋 霊の力とはどんなものでしょうか。

What is spiritual power?

シラカンバ - 都道府県の木、花、鳥。

 
 ───霊の力とはどんなものでしょうか。
 

 「人間によって認識されている如何なるものさしにもかからないものです。長さもなく、幅もなく、高さもなく、重さも色も容積も味も臭いもありません。ですから、常識的な地上の計量法でいけば霊力というものは存在しないことになります。

つまり実在とは人間のお粗末な五つの感覚で捉えられるものと決めてかかっている唯物的自然科学者にとっては、霊力は存在しないことになります。しかし愛は目に見えず耳にも聞こえず、色もなく味もなく寸法もないのに、立派に実感があります。

それは深い愛の感動を体験した者が証言してくれます。確かに愛の力は強烈です。しかし霊の力はそれよりも無限大に強烈です。

 あなたが生き、呼吸し、考え、反省し、判断し、決断を下し、あれこれと思いめぐらすのも霊の力があればこそです。

物を見、音を聞き、動き回り、考え、言葉をしゃべるのも霊の力があればこそです。あなた方の行動の全て、あなた方の存在の全ては霊の力のおかげです。物質界のすべて、そしてその肉体も、生命力にあふれた霊力の流入によって存在と目的と指針と生活を与えられているのです。物質界のどこを探しても意識の秘密は見つかりません。

科学者、化学者、医学者がいくら努力してみたところで、生命の根源は解明されません。それは物質その物の中には存在しないからです。物質はそれが一時的に借りている宿に過ぎません。

 霊の力はあなた方が神と呼んでいるものそのものなのです。最も〝神〟というものを正しく理解していただけないかも知れませんし、誤解してその意を限定してしまっておられるかも知れません。ともかくその霊力が曽て火の固まりであったものに今日見るがごとき生命を吹き込んだのです。その霊が土塊から身体をこしらえて、それに生命を吹き込んだのです。魂がまとう衣服です。

地上のあらゆる生命を創造し、自然界のあらゆる動き、あらゆる変化を支配し、四季を調節し、一粒の種子、一本の植物、一輪の花、一本の樹木の生長まで関与している力、要するに千変万化の進化の機構に全責任を負っているのが霊の力です。

 それが強大であるゆえんは、物質界に限られていないことにあります。すなわち無数の物的現象を通じて絶え間なく働いているだけでなく、見えざる世界の霊的活動のすべて、今のあなた方には到底その存在を知ることのできない幾重にもつながった高い界層、そしてそこで展開するこれ又あなた方の想像を絶した光輝あふれる生命現象までも、その霊力が支配しているのです。

しかし、いかに強大であっても、あるいは又いかにその活動が驚異的であるといっても、それにも制約があります。すなわち、それが顕現するにはそれに適した器、道具、媒体、通路、霊媒───どうお呼びになっても構いません───そうしたものが無ければならないということです。

壮大な霊の流れも、そうしたものによる制約を受けるのです。地上にどの程度のものが流れ込むかは人間側が決定づけるということです。

 私がいつも、心配の念を追い払いなさい、自信を持ちなさい、堅忍不抜の精神で生きなさい、神は絶対にお見捨てにならないから、と申し上げてきたのは、そうした雰囲気、そうした条件のもとでこそ霊力が働きやすいからです。

地上的な力はいつかは衰え、朽ちます。人間が築く王国は儚いものです。今日は高い地位にいても明日は転落するかも知れません。しかし霊の王国はけっして滅びることはありません。霊の尊厳は不変です。神の力はけっして衰えません。しかしその働きの程度を決定づけるのはあなた方であり、現に決定づけております。

 スピリチュアリズムを少しばかりかじった人は、よく、なぜ霊界の方からこうしてくれないのか、ああしてくれないのかと文句を言うようですが、実際にはそう言う人ほど、霊界からそうしてあげるための条件を整えてくれないものです。

この苦境に満ちた世界、暗闇と不安におおわれた世界にあって、どうか皆さんは灯台の光となっていただきたい。

あなた方の自信に満ちた生きざまを見て人々が近づき、苦悩のさなかにおける憩いの場、聖域、波静かな港を発見することができるようにしてあげていただきたい。皆さんはそういう人たちの心の嵐を鎮め、魂に静寂を取り戻してあげる霊力をお持ちになっています」

シルバーバーチ


Tuesday, September 12, 2023

シアトルの初秋 霊の起源と本性

 Origin and nature of spirits

The Spirits' Book (New English Edition) (Translation Classical Spiritist Works)

 ――霊とは何でしょうか。


「霊とは“創造物の中の知的存在”と定義できます。宇宙の顕幽両界に生息する知的存在で、物質界の物的諸形態と対照をなしています」


編者注――ここに言う霊とは個性をそなえた個的存在としての霊のことで、普遍的要素としての霊ではない。


――霊は神とは別個の存在でしょうか、それとも神の一部ないしは放射物で、その意味で“神の子”なのでしょうか。


「霊は神の作品です。機械が製作者の作品であるのと同じです。その機械は製作者のものですが、製作者そのものではありません。あなた方が素敵な物をこしらえた時、“これは我が子のようなものです”という表現をします。神との関係も同じです。その意味において我々は全て神の子です。神の造り給うたものだからです」


――霊には始まりがあるのでしょうか、それとも神と同じく永遠の過去から存在し続けているのでしょうか。


「もしも始まりが無いとしたら、霊は神と同等ということになります。が、霊は今も述べた通り神の創造物であり、神の意思(摂理)の支配下にあります。神が無始無終の存在であることに議論の余地はありません。が、その神がいつ我々を造り給うたかについては、我々も知りません。

神は無始無終の存在であるがゆえに絶え間なく創造し続けているに相違ないという意味においては、我々にも始まりはないと言えるかも知れません。しかし、繰り返しますが、我々一人一人がいつ創造されたかは誰にも分かりません。大いなる謎です」


――宇宙には知的要素と物的要素の二種がある以上、霊は物体が物的要素からこしらえられたように、知的要素からこしらえられたと考えてよろしいでしょうか。


「そういう理屈になることは明らかです。物体が物的要素の個別化によって生じたように、霊は霊的要素の個別化によって生じています。ただ、それがいつどのようにして為されたかは、我々にも不明だと申し上げているのです」


――霊の創造は常に行われているのでしょうか、それとも時間の始まりと同時に行われ、それきり行われていないのでしょうか。


「常に行われています。言い変えれば、神は創造活動をお止めになったことはありません」


――霊は非物質的存在であるという表現は正しいでしょうか。


「地上に比較すべきものもなく、言語で表現することもできないものを、どうして定義づけられましょう? 見たこともないものが定義できますか。“非物質的”というのは適切ではありません。“固定的形態がない”という表現の方がまだ少しは真実に近いでしょう。霊も創造されたものである以上は実体のある何ものかであるはずです。言わば生命のエキスです。が、それは人間の理解力の範囲内では表現できない状態で存在しており、あまりの霊妙さゆえに、人間の五感では感得できません」


――霊の存在にも終わりがあるのでしょうか。その始源である普遍的要素は永遠であっても、そこから出た個々の霊は、肉体が大自然に還るように、遅かれ早かれ、いつかは普遍的要素へ還っていくのではないでしょうか。始まりがあるものに終わりがないというのは理解し難いのです。


「人間に理解できないことは沢山あります。知性に限りがあるからです。しかし、だからといって“おかしい”と決めつける理由にはなりません。父親が知っていることの全てが子供に理解できるでしょうか。霊の存在に終わりはない――その問題について申し上げられるのは、現段階ではそれだけです」
〈根源界〉



――霊の世界は我々人間の目に映じている世界とは別個の存在なのでしょうか。


「そうです。霊の世界、ないしは固定的形態のない世界を構成しています」


――宇宙の秩序の点からみて、そちらとこちらの、どっちが主要なのでしょうか。


「霊の世界です。他の何よりも先に存在しており、物的なものが全て消滅した後にも存在し続けます」


――霊の世界は、物的世界が存在しようが消滅しようが、その本質には変わりないのでしょうか。


「変わりません。二つの世界はそれぞれに独立した存在です。それでいて、なおかつ、互いに絶え間なく関係し合っております。反応し合うのです」


――霊は宇宙空間にあって一定の枠に囲まれた範囲を占めているのでしょうか。


「霊はどこにでも存在します。無辺の宇宙に無数の霊が充満しております。気がつかないでしょうが、あなた方の周りに絶え間なく存在して、あなた方の行動を観察し、また働きかけております。霊は大自然のエネルギーの一種であり、神が定めた計画の推進のための道具なのです。しかし、霊だからといってどこへでも行けるわけではありません。霊性の低い者には“禁制”となっている地域があります」
〈霊の形態と動きと遍在〉



――霊にははっきりとした、縁(ふち)のある、一定の形があるのでしょうか。


「人間の肉眼で見るかぎり、そういうものはありません。が、我々にとってはちゃんとした形態があります。もっとも、人間の目には炎とか輝きとか微妙な火花にしか見えないでしょう」


――それには色彩がありますか。


「もし霊視力があれば、ぼんやりとしたグレーからきらびやかなルビー色まで、いろいろに見えるでしょう。その人の霊性の程度によって違います」


――霊が移動するのに時間を要しますか。


「時間を要するかと言われれば要しますが、その速さは思念と同じです」


――思念は霊そのものの動きでしょうか。つまり霊がその場所まで運ばれるのでしょうか、それとも霊によって思考された想念体でしょうか。


「思念のあるところには霊が存在します。思念を発するのは霊だからです。思念は霊の属性です」


――霊が一つの場所から別の場所へ移動する時、通過する途中の距離と空間を意識しますか、それとも行きたいと思った瞬間に着いているのでしょうか。


「どちらのケースもあります。じっくりと途中の距離を意識したいと思えば意識できますし、距離の意識を完全に消すこともできます。霊の意志と霊格の程度によります」


――物質は霊の動きの障害になりませんか。


「なりません。霊はあらゆるものを貫通します。空気・地面・水・火、何でも貫きます」


――霊は遍在することが可能でしょうか。つまり、自分自身を分割したり、一度に複数の場所に姿を見せることができるでしょうか。


「霊そのものを分割することはできません。が、霊は思念を発する中枢で、全方位に自我を放射することができますから、同時に数か所に姿を見せることはできます。太陽は一つですが、全方位に光を放射し、大変な距離にまで及びます。が、太陽そのものが分割されるわけではありません」


――その放射の能力はどの霊も同じですか。


「大変な違いがあります。霊性の発達程度によって違います」
〈ペリスピリット〉



――霊には外部を被うものはないのでしょうか。何らかの“もの”で包まれているのでしょうか。


「強いて地上の譬えで言えば水蒸気のようなもので包まれていますが、我々自身にとってはしっかりとした外被です。しっかりとしていても大気中を何の抵抗もなく動けますし、宇宙空間を神速自在に移動できます」


訳注――植物の胚を包む外胚乳をペリスパームperispermということからカルデックは、スピリットを包むものという意味でperispirit(periは周囲を意味する接頭語)という用語をこしらえている。

この後の通信内容から察するに、霊界の各界層ごとにその波動に似合ったペリスピリットがあって、界層が高くなるほどその質が精妙化していくという。


――そのペリスピリットはどこから摂取するのでしょうか。


「所属する天体の普遍的流動体から取り寄せます。各天体によってペリスピリットの質が異なります。それゆえ天体を移動する時は、衣服を着更えるようにペリスピリットを取り替えます」


――すると地球圏より波動の高い世界から下降して地球圏内で仕事をする場合は、鈍重なペリスピリットをまとうわけですか。


「その通りです。地球圏へ入るには地上的波動の物質で身をくるむ必要があります」


――それは形を装うことができるのでしょうか。また人間の五感に感応するようにもなりますか。


「それは可能です。霊の思いどおりに形を装うことができます。夢の中、あるいは覚醒中でも、霊姿を見せることができるのはそのためです。手で触れることができるほどにもなります」
〈霊の格付け〉



――霊は全て平等なのでしょうか、それとも霊格の差による階級があるのでしょうか。


「その時までに到達した霊性の進化の程度に従って階級ができています」


――その階級には決まった数があるのでしょうか。


「数は無限です。霊性の進化の程度に境界や区分けは存在しません。ということは霊には一定の、あるいは恣意的な区分け法は通用しないということですから、どこに視点を置くかによって、さまざまな分け方もできる理屈になります。しかしながら、霊の性格を総合的に観察すると、大きく三つの基本的な階級ないし段階に集約できるようです。

まず最高級界が“純粋霊”とでも呼ぶべき、完成の域――といっても相対的な意味においてのことですが――に到達した霊です。

二番目の階級が進化の階梯の中間に位置する霊で、霊性の浄化が唯一の願望となり、一途に進化向上を目標としている霊です。

そして三番目つまり最低界層には向上の観念の乏しい霊、および完全からは程遠い霊がいます。その特徴を挙げれば、無知で、邪悪性を好み、向上を妨げる低級感情の全てを秘めております」


――二番目のランクの霊は完全への願望を抱いているだけで、それを達成する力量はそなわっていないのでしょうか。


「それぞれに達成した純粋性の度合いに応じてその力量をそなえております。ある者は科学的知識に優れ、ある者は叡知に優れ、またある者は憐憫(れんびん)の情に長けています。しかし、一様に言えることは、まだまだ誘惑と苦難による試練を必要とするということです」


――最下層の霊は全て邪悪なのでしょうか。


「そういうわけではありません。善いこともしなければ悪いこともしない、無気力で、どっちつかずの生き方をしている者もいれば、邪悪性を好み、悪事を働く機会を見つけると喜ぶという者もいます。さらには軽薄で、愚かで、気まぐれで、邪悪というよりはイタズラ好きで、積極的な敵意に満ちているわけではないが、狡猾で油断がならないといった者、働きかけやすい人間に付きまとって誇大妄想を抱かせては愉快がっている者、気晴らしに下らぬ取り越し苦労のタネを蒔いて喜んでいる者など、いろいろです」
〈霊の進化〉



――霊にはもともと善なる者と悪なる者とがいるのでしょうか、それとも本来はまったく同じもので、それが各自の努力で善性を増して行くのでしょうか。


「本来は同じであるものが努力によって善性を増して行きます。その善性の成長の過程が低い界層から高い界層への向上となって表れるのです」


――善性の高い霊として創造される者と邪悪性の強い霊として創造される者とがいるのでしょうか。


「神は全ての霊を無垢と無知の状態で創造されています。言い変えれば、何も知らないということです。その一人一人に神は使命を持たせてあります。その達成のための努力の中で啓発され、真理を知ることによって徐々に完全に近づき、つまりは神ご自身に近づくように配剤されています。

霊にとって完全とは永遠不変の無垢の喜悦の状態です。神によって課せられた試練をくぐり抜けることによって叡知を身につけていくのですが、問題はその試練への対処の仕方です。素直に受け入れ、そこに目論(もくろ)まれたものを速やかに理解していく者がいる一方、不平だらだらで対処し、その意義を悟らず、いつまでも完全と至福の境涯から遠く離れたままの者もいます。自業自得です」


――今のお説ですと、霊はその起源においては幼い童子のごとく無知で経験に欠けるが、さまざまな人生体験を経て少しずつ叡知を身につけていくということのようですが……


「おっしゃる通りです。その譬えで結構です。子供は反抗ばかりしているといつになっても無知で欠点だらけです。従順さに応じてその成長度も決まってきます。ただ、地上の人生には限りがあります。一方、霊の旅は永遠の彼方へと延びているのです」


――永遠に低界層に留まる霊もいるのでしょうか。


「いません。全てが完成へと向かいます。懲罰の期間がいくら長かろうと、いつかは変化するものです。人間の親でも、出来の悪い我が子を生涯勘当するでしょうか」


――進化向上を速めるのも遅らせるのも本人の自覚しだいということでしょうか。


「その通りです。向上心の強さと神の摂理に従順たらんとする願望の程度によって、ゴールに速く着く者もいれば遅い者もいるということになります。ひねくれ者で怠け者よりも素直な子の方が学ぶのは速いのではありませんか」


――霊が退化することは有り得ますか。


「有り得ません。進化するにつれて、それまで進化を阻害していたものを理解します。そうやって一つの試練を克服するごとに霊はその試練のもつ教訓を学び取り、二度と忘れることはありません。静止することはあっても退化することは決してありません」


――ある霊を最高の界層へ到達させるために、神が、その霊が受けるべきだった試練を免除してやるということは有り得ますか。


「もしも全ての霊が初めから完全無欠なものとして創造されていたら、完全性を成就することから生じる喜悦を味わう資格があるでしょうか。奮闘努力をしないところに一体いかなる価値が生まれるのでしょうか。申し上げますが、そもそも霊が上下善悪さまざまで、言わば“不平等”であるという事実は、互いの霊性の進化にとって有意義なことなのです。さらに言えば、各霊が進化の途上において一つ一つ成就していく使命は、宇宙全体の調和を確信する上において、それなりの意義を持つように配剤されているのです」


――全ての霊は悪の道を通って善へ到達するのでしょうか。


「悪の道ではありません、無知の道です」


――ある者は善の道をたどり、ある者は悪の道をたどるのはなぜでしょうか。


「自由意志というものがあるのをお忘れですか。初めから邪悪な霊として創造された者はいません。みな無垢と無知の状態で創造されているのです。ということは善にも悪にも向かう可能性があるということです。邪悪になったのは、自らの自由意志でそうなったまでのことです」


――まだ自我意識が芽生えていない原初において、どうやって善と悪とを選択する自由が得られるのでしょうか。


「自由意志というのは自我意識の発達にともなって獲得されていくものです。もしも自分の意志とは別個の原因にそそのかされて善悪の選択が為されるとしたら、その霊には自由意志はないことになります。その選択を決定づける要因はその霊の内部にあるのではなくて外部にある――つまり自由意志で選んで従った外部の影響力にあります。人類の堕落と原罪という有名な比喩に秘められているのは、この自由意志のことです。誘惑に負ける者もいれば、屈せずに耐え抜く者もいます」


――外部の影響というのはどこから来るのでしょうか。


「未浄化霊です。とりこにして支配しようとする者たちで、自分たちの誘惑に負けていくのを見るのが愉快なのです。比喩で“サタン”として描かれているのは、その誘惑のことです」


――そういう誘惑は創造された当初からあるのでしょうか。


「霊としての存在のあらゆる側面において付きまとい、自制心がついて完全に抵抗できるようになり、邪霊があきらめるまで続きます」


――神はなぜ霊が間違った道へ迷い込むのを許すのでしょうか。


「各自に選択の自由を与えているところにこそ神の叡知があるのです。成就した時の功績もその霊自身のものとなるからです」


――当初から迷うことなく正しい道を歩む者と、悪の道のドン底まで迷い込む者とがいるからには、その中間には大なり小なりの無数の逸脱があるわけですね?


「まさにおっしゃる通りです。その段階の数だけ、霊の歩んでいる道があるということです」


――極悪非道の道を歩んでいる霊でも、いつかは正しい道を歩むようになるものでしょうか。


「なります。ただし“永遠の苦悶”の期間は他の霊よりも長いでしょう」


編者注――ここでいう“永遠の苦悶”というのは、低界層の霊が先が予見できないために現在の苦悶が永遠に続くと信じている状態のことと解釈すべきであろう。新たな誘惑が次から次へと訪れ、なかなか自制心がつかないのである。


――そういう長い迷いの末にようやく最高界へたどりついた霊は、神の目から見て、順調にたどりついた霊よりも功績の点で劣るのでしょうか。


「神は両者を同じ目、同じ愛で受け入れます。一時は邪霊の部類に入れられたことがあったとは言え、そうなる前は他の全ての霊と同じく、善と悪に対しては完全に無色だったのですから」


――知的能力においても霊は平等に創造されているのでしょうか。


「全ての霊が知的にも平等に創造されています。ただし、自分がいずこより来たのかということだけは誰も知りません。その謎の解明に向かって各自が自由意志で存分に知性を働かせないといけません。その度合いによって、霊性の面と同じく知性の面においても、進歩の速い者と遅い者とが出てくるわけです」


――天使とか大天使とか呼ばれている存在は普通の霊とは別の、特殊な存在の範疇に属するのでしょうか。


「特殊なものではありません。あらゆる不完全性から浄化されつくした霊は進化の最高の段階に到達し、あらゆる側面での完全性を具現しております」


――その天使たちもやはりあらゆる進化の段階をへて向上して行ったのでしょうか。


「あらゆる段階を一歩一歩向上して行ったのです。ただし、前にも述べたとおり、与えられた使命を不平も言わずに受け入れた者は速やかにゴールに到達し、道草を食った者は同じゴールへの到達が遅くなります」


――創造された時から特別に完全性を身につけている霊はいないとおっしゃいましたが、そういう特殊な霊がいることを物語る伝承説話がほとんどの国に見られるのはなぜでしょうか。


「地球という天体は永遠の過去から存在しているのではありません。地球が存在するようになる遥か以前から、無数の霊がすでに最高界にまで到達していました。地上の人間がそういう霊は永遠の過去からずっと完全な状態でいるのだと想像したのも無理はありません」


訳注――信頼のおける霊界通信では、当初から高級界に所属しているいわゆる“神霊(※天使)”の存在を指摘するもの、あるいはそれを暗示するものが少なくない。多分カルデックの時代にはあまり深入りしないことになっていたのであろう。半世紀後のシルバーバーチの霊言に次のような問答がある。

――物質界に誕生する霊としない霊とがいるのはなぜですか。

「霊界の上層部つまり神庁には、一度も物質界に降りたことのない存在がいます。その種の霊にはそれなりの宇宙での役割があるのです。物的器官を通しての表現を体験しなくても進化を遂げることができるのです。当初から高級界に所属している神霊であり、時としてその中から特殊な使命を 帯びて地上に降りてくることがあります。歴史上の偉大なる霊的指導者の中にはそうした高級神霊の生まれ変わりである場合がいくつかあります。」


――いわゆる“悪魔”というのは存在するのでしょうか。


「もしも悪魔が存在するとすれば、それも神が創造したものということになります。ですが、邪悪と残忍の中に永遠に生きるものを神が創造するなどということが考えられますか。もしも悪魔と呼ぶに相応しいものが存在するとすれば、それは地球および地球程度の低級界にのみ存在する偽善者のことです。正義の神の代理人のごとき口を利きつつ、その本性は残忍で執念深く、神の名において忌まわしい行為を犯しつつ、それが神へのお追従のつもりでいるのです」

Monday, September 11, 2023

シアトルの初秋 あなたの愛が地上に根づくのを妨げんとする諸悪のすべてを取り除かしめたまわんことを。

May you remove all the evils that prevent your love from taking root on earth.

山キノコロリ on Instagram: “『白樺の森』 #きのこえ🍄 描いた またこんな子たちに 出会えますように . . . . . .  #ベニテングタケ #白樺 #キノコ #きのこ #キノコの絵 #キノコ柄 #きのこかぞく #イラスト #イラストレーション #イラストレータ… |  キノコの絵, イラスト, 森

 

 ああ、大いなる神よ。

あなたは生命の息吹におわします、全生命の摂理の背後におわします。

森羅万象の大中心におわします。

万事を賢明(よき)に計らわれる大霊におわします。

 あなたは完全なる愛にあらせられ、完全なる叡知にあらせられ、完全なる公正にあらせられます。

この全大宇宙として顕現された完全なる摂理にあらせられます。

 過去においてもあなたは物質の靄(もや)にさえぎられることなく霊的波長を捉えることのできる者に、御身についての啓示を与え給いました。

物質の次元を突き抜けて霊の次元へと高揚できる者に、あなたはその大いなる愛を顕現なさっておられます。

 あなたは今の時代に霊の道具を絶えず感化なさっておられるごとくに、太古においてもその時代にふさわしい賢者を感化なされました。あなたはいつの時代にもふんだんにインスピレーションを啓示され、人間の心を通してあなたの愛を顕現なさらんとしておられます。

それは、ひとえに、子等にとってあなたがいかに身近な存在であるかを理解せしめんとする配慮にほかなりませぬ。

 ああ、神よ。

あなたはこの全大宇宙を造られた大霊におわします。

極大なるものの中の極大、極小なるものの中の極小を創造なされました。

そして物質の世界に人類なる存在を生みつけられ、その一人ひとりにあなたの霊性の一部を賦与されました。

それはあなたとの不変・絶対の絆であり、人間が地上生活にいかなる困難をも克服する力を有することを意味します。

 またあなたは、内在するその霊性を顕現させ、地上におけるあなたの計画を促進する手助けをさせるために、人間にもあなたの創造活動に参加する能力をお授けになりました。

 さらにあなたは、地上の道具としての人間があなたの愛、あなたの叡智、あなたの力、あなたの意図を受けとめんと努力する時は、いずこであろうとあなたの使者を遣わして守護と指導に当たらしめ、鼓舞し高揚して、あなたの摂理をいっそう正しく地上にわたらしめんとなさいます。

 ここに集える私どもは、ここを拠点として絶望の淵にいる人、悲しみに暮れる人には新たなる希望と慰めを見出させ、人生に疲れた人には新たな力を見出させ、生きる意欲を失った人には新たな憧れを抱かせ、涙を浮かべている人には、生命に死はなく死後も永遠に生き続けるとの知識に喜びを見出させてあげることにより、あなたのお役に立ちたいと願う者たちでございます。 

 願わくは、ああ神よ、地上の子等を少しでもあなたに近づけるためにみずから物質界へ降りて活躍する者と、霊の世界より働きかけている者との協力によって、あなたの愛が地上に根づくのを妨げんとする諸悪のすべてを取り除かしめたまわんことを。

シルバーバーチ

Sunday, September 10, 2023

シアトルの初秋 神と無限

 god and infinity

The Spirits' Book (New English Edition)


――神とは何でしょうか。


「神とは至高の知性――全存在の第一原理です」


――無限というものをどう理解すればよいでしょうか。


「始まりも終わりもないもの、計り知れないもの、知り尽くし得ないもの、それが無限です」


――神は無限なる存在であるという言い方は正しいでしょうか。


「完全な定義とは言えません。人間の言語の貧困さゆえに、人間的知性を超越したものは定義できません」
〈神の実在の証拠〉



――神が存在することの証拠として、どういうものが挙げられるでしょうか。


「地上の科学的研究の全分野における大原則、すなわち“原因のない結果は存在しない”、これです。何でもよろしい、人間の手になるもの以外のものについて、その原因を探ってみられることです。理性がその問いに答えてくれるでしょう」


――神の実在を人類共通の資質である直観力で信じるという事実は何を物語っているのでしょうか。


「まさに神が実在するということ、そのことです。なんとなれば、もしも実在の基盤がないとしたら、人間の精神はその直観力をどこから得るのでしょうか。その直観力の存在という事実から引き出される結論が“原因のない結果は存在しない”という大原則です」


――神の実在を直観する能力は教育と学識から生まれるのでしょうか。


「もしそうだとしたら原始人がそなえている直観力はどうなりますか」


――物体の形成の第一原因は物質の本質的特性にあるのでしょうか。


「仮にそうだとしたら、その特性を生み出した原因はどうなりますか。いかなる物にもそれに先立つ第一原因がなくてはなりません」


――造化の始源を気まぐれな物質の結合、つまりは偶然の産物であるとする説はいかがでしょうか。


「これまた愚かな説です。良識をそなえた者で偶然を知的動因とする者が果たしているでしょうか。その上、そもそも偶然とは何なのでしょう? そういうものは存在しません」


――万物の第一原因が至高の知性、つまり他のいかなる知性をも超越した無限の知性であるとする根拠は何でしょうか。


「地上には“職人の腕はその業を見れば分かる”という諺があります。辺りをごらんになり、その業から至高の知性を推察なさることです」
〈神の属性〉



――神の根源的本質は人間に理解できるでしょうか。


「できません。それを理解するための感性が人間にはそなわっていません」


――その神の神秘はいずれは人間にも理解できるようになるのでしょうか。


「物質によって精神が曇らされることがなくなり、霊性の発達によって神に近づくにつれて、少しずつ理解できるようになります」


――たとえ根源的本質は理解できなくても、神の完全性のいくばくかを垣間(かいま)見ることはできるでしょうか。


「できます。いくばくかは。人間は物質による束縛を克服するにつれて、神性を理解するようになります。知性を行使することによってそれを垣間見るようになります」


――神とは永遠にして無限、不変、唯一絶対、全知全能、至上の善と公正である、と述べても、属性の全てを表現したことにはならないでしょうか。


「人間の観点からすればそれで結構です。そうした用語の中に人間として考え得るかぎりのものが総括されているからです。

ですが、忘れてならないのは、神の属性は地上のいかなる知性をも超越したものであり、人間的概念と感覚を表現するだけの地上の言語をもってしては、絶対に表現できないということです。

神が今述べられたような属性を至高の形で所有しているに相違ないことは、人間の理性でも理解できるはずです。そのうちの一つでも欠けたら、あるいは無限の形で所有していないとしたら、神は全てのものを超越することはできず、従って神ではないことになります。全存在を超越するためには神は森羅万象のあらゆる変化変動に超然とし、想像力が及ぶかぎりの不完全さの一つたりとも所有していてはなりません」
〈汎神論〉



――神は物的宇宙とは別個の存在でしょうか、それとも、ある一派が主張するように、宇宙の全エネルギーと知性の総合体でしょうか。


「もしも後者だとすると、神が神でなくなります。なぜなら、それは結果であって原因ではないことになるからです。神は究極の原因であって、原因と結果の双方ではあり得ません。

神は実在します。そのことに疑いの余地はありません。そこが究極の最重要ポイントです。そこから先へ理屈を進めてはいけません。出口のない迷路へと入り込んでしまいます。そういう論理の遊戯は何の益にもなりません。さも偉くなったような自己満足を増幅するのみで、その実、何も知らないままです。

組織的教義というものをかなぐり捨てることです。考えるべきことなら身の回りにいくらでもあるはずです。まず自分自身のことから始めることです。自分の不完全なところを反省し、それを是正することです。その方が、知り得ようはずもないことを知ろうとするよりも、遥かに賢明です」


――自然界の全ての物体、全ての存在、天体の全てが神の一部であり、その総合体が神であるとする、いわゆる汎神論はどう理解すべきでしょうか。


「人間は、所詮は神になり得ないので、せめてその一部ででもありたいと思うのでしょう」


――その説を唱える者は、そこに神の属性のいくつかの実証を見出すことができると公言します。例えば天体の数は無限であるから神は無限であることが分かる。真空ないしは虚無というものが存在しないということは、神が遍在していることの表れである。神が遍在するがゆえに万物は神の不可欠の一部である。かくして神は宇宙の全ての現象の知的原因である、と。これには何をもって反論すべきでしょうか。


「理性です。前提をよく検討してみられるがよろしい。その不合理性を見出すのに手間は掛かりません」


訳注――カルデックが“かくかくしかじかの説を唱える者がいるが……”と述べる時、それはキリスト教系の説と思ってまず間違いない。同じ時代に米国の次期大統領の有力候補だったニューヨーク州最高裁判事のジョン・エドマンズがカルデックと同じような実験会に参加してその真実性を確信し、その信ずるところを新聞に掲載したことで轟きたる非難を浴び、ついに判事職を辞任するに至った原因も、その信念がキリスト教の教義と相容れないという、ただそれだけのことだった。カルデックも似たような非難を浴びていたであろうことは容易に想像できる。だからこそ〝序〟にあるような激励の文を霊団が寄せたのである。



Saturday, September 9, 2023

シアトルの初秋 過ぎ去ったことは、

 what has passed

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シルバーバーチの霊訓

 

過ぎ去ったことは、

そこから教訓を学ぶためでなければ、

つまり失敗をどう正すか、

二度と過ちを犯さない為には

どうすべきかを反省するためでなければ、

 むやみに振り返るべきものではありません。