十章 シルバーバーチの祈り
〇人間の神性を讃える祈り
「神よ、私たちはあなたの永遠の真理、あなたの無限の力、あなたの不変の摂理の生き証人でございます。あなたの聖なる御業であるところの大自然のパノラマの中に、私どもはあなたの神性の顕現を拝しております。
私どもは昇りゆく太陽の中に、沈みゆく太陽の中に、夜空のきらめく星の中に、大海の寄せては返す潮(うしお)の中に、そよ風とその風に揺れる松のそよぎに、やさしい虫の音に、澄み切った青空の中に、そのほか移り変わる大自然のあらゆる営みの中に、あなたを見出すことが出来ます。
また、あなたは生きとし生けるもののすべてに宿る霊の中に見出すことができます。人間においてそれは意識を有する個的存在として顕現しております。あなたとともに宇宙の限りなき創造の大業に携わらしめるために人間をその高き段階へとお引上げくださったのでございます。
あなたは人間にあなたの聖なる属性を数多くお授けになりました。人間はその霊的資質を有するが故の当然の成り行きとして、物的生命を超えたより精妙なる力、すなわち霊力を知覚せしめるところの霊的能力を有しております。
人生を営むことを可能ならしめているものは、その霊力にほかなりません。人間を全創造物から超脱せしめているものもその霊力にほかなりません。思考をめぐらし、判断を下し、反省し、決断し、美に感嘆し、美を賞美し、叡智を授かり、その真価を悟り、知識を獲得し、それを大切にする能力も、霊力あればこそでございます。
より高き世界からのインスピレーションを感受せしめるのも霊力でございます。人生の重荷に耐えかねている者のもとへ赴くことができるのも霊力あればこそでございます。
霊の世界の存在を知覚し、その世界の居住者が人間をより広き奉仕的行為のために使用せんとしている事実を認識することが出来るのも、霊の力ゆえでございます。果てしなき宇宙の大機構の中に置かれた己れの位置を理解せしめるのも霊の力でございます。
私たちは人間にそうした本来の役割を成就せしめるものについての知識、死後に赴く世界にふさわしきものを身につけさせるものについての知識を広めんと希望している者でございます。
そうなって初めて人間は、いま目を曇らせている暗闇をみずから払いのけることを得ることでございましょう。そうなって初めて叡智と真理と悟りと調和と平和の中に暮らせるようになることでございましょう。
そうなって初めて同胞があなたとの真の繋がりと生きる目的、そして人間が死と呼ぶ扉の向こうに待ち受けている、より大きな生命の世界の存在を理解する上で力となることができることでございましょう」
〇相互扶助の尊さを讃える祈り
「神よ、私たちはあなたの真理、あなたの叡智、あなたの愛、そしてあなたの永遠なる自然法則の理解を広めるために、力の限りあなたの忠実な子供たらんと願っている者でございます。
地上のあなたの子等にあなたの無限の機構の中における存在価値を理解させること───真の霊的自我を見出し、暗黒と冷酷と怒りと憎しみに満ちた世界にあって、あなたから授かった力を発揮するように導いてあげることを願いと致しております。
私たちは霊的実在についての単純素朴な真理───正義と権利と善と美の永遠の基盤であるところの真理を説かんと致しております。
道を見失える者、いずこにあなたを見出すべきかを知らずに迷える者に対しては、あなたが彼ら自身の中に存在すること、あなたの無限なる霊がみずからの存在の内部にあること、まさしく天国は彼らの心の中にある───よろこびと幸せの国、叡智と悟りの国、寛容と正義の国は自分の心の中にあるという事実を教えることを目的と致しております。
私たちは悲しみにくれる人々、人生に疲れた人々、病める人々、困窮せる人々、肉親を失ったまま慰めを得られずにいる人々、いずこに導きと英知を求めるべきかを知らずにいる人々に近づき、あなたがその人々を決してお見捨てになったのではないことを教えてあげたいと願っている者でございます。
私たちの使命は地上のすべての地域とその住民に一切の分け隔てなく行きわたっております。あなたの霊は人間界のすみずみまで流れ、雄大なる宇宙のあらゆる現象に現われ、意識的存在の全てに顕現されていると認識するゆえにございます。
その事実を認識することによって新たな安らぎが得られ、それは、ひいては人間の心と魂と精神を鼓舞してお互いがお互いのために生きる意欲を誘い、あなたの子のすべてに分け隔てなく奉仕することによってあなたに奉仕することになることでございましょう」
こう祈った後、最後にサークルのメンバーに向かってこう説いた。
「私たちの訓えの根本は Service(後注)の一語に尽きます。地上の悪弊(ガン)の一つである利己主義に対して、私たちは永遠の宣戦を布告しております。戦争、流血、混乱、破壊へと導くところの物質万能主義を打ち砕かんと努力しております。
私たちの説く福音は相互扶助、協調、寛容、思いやりの福音です。お互いがお互いのために自分を役立てるようになっていただきたい。そうすることによって持てる者が持たざる者に幾らかでも譲り、豊かな才能に恵まれた者がそれを活用して暗闇の中にいる者を啓発してあげることになるからです。
地上世界は今、もっともっとService を必要としております。人間の一人ひとりが同じ全体の一部であり、人類のすべてに神の霊が流れている───その意味において万人が神のもとにおいて平等である───その本性に関するかぎり平等である、という認識を広める必要があります。
性格において、霊格において、進化において、そして悟りにおいて一歩先んじている者が、その持てるものを持たざる者に分け与えんと努力するところに偉大なる行為が生まれます。
霊の世界の働きかけに応じて働く人々、持てる才能を霊団に委ねる人々は、自分を捨てることによっていつも自分が得をしていることに気づくはずです。何となれば、その行為そのものが一つの摂理に適っているからです。収賄行為ではありません。
ご利益目当ての行為でもありません。因果律の作用にほかなりません。すなわち、最も多く施す者が最も多く授かるということです」
訳者注ーService の訳語について
英語には、民族の文化的背景の違いから、ぴったりと当てはまる日本語が見当たらない単語が幾つかありますが、その最たるものがこの Serviceです。これをサービスというカタカナにすると〝おまけ〟の意味合いが出てくるので、あえて横文字のまま用いたのですが、
本来の意味は他人のために何かをしてあげることで、テニスの〝サーブする〟と言い方に単的にそれが表われております。すなわち相手に働きかけて何らかの相互関係を持つことです。そこに報酬のあるなしは関係ありません。つまり手数料を取っても Serviceです。
日本人がこれを〝ただで差し上げる〟という意味で使用したことから非常にややこしくなりました。というのは〝奉仕する〟と訳すと日本人は〝無料奉仕〟の観念を思い浮かべますが、本当は有料であってもService であり、同時に〝無料奉仕〟の意味でも Serviceを用いるのです。
日本人はお金を取ると奉仕でなくなる、つまり功徳が消えるかのように考え、お金を取らなかったら大変な功徳積みをしたかのように思う傾向がありますが、その行為によって相手が何らかの益を得ればそれだけで立派な Serviceであり、功徳積みであり、シルバーバーチもその意味で用いております。金銭的感覚を超越しております。
お金をいただくことがいけないことであるかのように考えること自体がすでにお金に拘っていることを意味し、これは多分に中国から来た儒教思想の影響ではないかと考えております。
つまり幼児期から教え込まれた中国の倫理・道徳思想(四書五経)の文面にこだわって本来の意味を取り損ねているのだと思います。
シルバーバーチはサークルのメンバーも招待客もみなキリスト教国の人間だからキリスト教を引き合いに出し、その教義の誤りを指摘して本来の宗教のあり方を説いているまでで、私は、日本人にとっては儒教思想が西洋人にとってのキリスト教と同じ悪影響を及ぼしている面が多分にあると観ております。いずれそれを神ながらの道との関連においてまとめてみたいと考えております。
それはともかくとして、私はこれまで Service をその場に応じて幾通りにも訳し分けてきました。他人のために自分を役立てる、人のために尽くす、奉仕する、献身する、援助する、手を差しのべる等々で、文章の前後関係から判断してそう訳し分けたわけです。
英文でお読みになる方は常に前後関係、脈絡───英語でいう Context ───を見究めた上で意味を読み取ることが大切であることを老婆心ながら申し添えておきます。
これも三十年近く大学受験生を教えてきた教師としての習性が言わしめるのでしょうが、そのついでにもう一言付け加えさせていただけば、柔軟な脳細胞をしているはずの若い学生が文法や構文や語句に拘って本来の意味を取り損ね(それだけならまだしも)オバケのような日本語に訳してしかもそれを変だと思わないのは、
教説に拘ってその本来の意味を忘れていながら、形式だけで済ませてそれで良しとする思考パターンと同じで、その辺に私は学制改革だけでは済まされない、もっと奥の深い問題点を見る思いがしております。
シルバーバーチが教説はどうでもよろしい、人のためになることをすれば、それで立派な宗教ですと言うのは、人生百般に通じる単純にして明快な訓えであると思っております。
解説 霊的教訓と心霊現象
本書は Silver Birch Anthology (シルバーバーチ名言集──一九五五年初版──)の全訳である。全訳と言っても、編者のネーラー氏がそれまでの霊言の中から〝珠玉の訓え〟と言えるものを集めたもので、その三分の一以上に相当する部分が邦訳シリーズの前三巻に出ているので、当然それは削除せざるを得ず、その穴埋め(と言っては語弊があるが)のために前三巻の原書でカットしておいたもの、及びオースチン編 Teachings of Silver Birch から関連した部分を抜粋してある。
このことに関しては本文の「まえがき」の末尾でも「訳者注」として述べておいた。原書を読まれる方が不審に思われるのではないかと思ったからであるが、ついでにもう一つ念のために付け加えさせていただけば、編者が霊言のオリジナル原稿(速記録とテープ)から収録するとき、編者自身の判断で部分的に削除したり段落を適当につけている(週刊の「サイキックニューズ」月刊の「ツーワールズ」に転載されているものと照合するとそれが判る)ので、私が訳す際にもところどころ私の判断によって段落を変えたり削除されているものを付け加えたりしている個所があることである。
とにかく私は公表された限りのシルバーバーチの霊言を三十年間近く書物と雑誌とテープを通じて徹底的に親しみ、一九八一年には霊媒のバーバネルに直接面会してその肉声にも接して、それが私の脳裏に焼き付いている。
今も折をみてカセットテープを聞いてその感じを忘れないようにしながら訳している。大ゲサに、そして、いささか僭越の謗(そし)りを覚悟の上で言えば、翻訳に携わっている時の私はシルバーバーチに成り切っていると理解していただきたい。(なぜか正座して威儀を正さないと訳せない)
さて、本文の中で〝巻末「解説」参照〟と記した部分が二個所ある。両者は表面的には関係ないようで実は重大な関連性があるので、ここで解説しておきたい。
一つは四章の次の一文である。「私が残念に思うのは本来霊的存在であるところの人間があまりに霊的なことから遠ざかり、霊的法則の存在を得心させるために私たちがテーブルを上げてみせたりコツコツと叩いてやらねばならなくなったことです」
これはいわゆる物理的心霊現象のことで、事実シルバーバーチの交霊会でも物理霊媒を呼んで種々の心霊現象を行っていた。心霊治療も行っていた。その最高責任者、総監督の立場にあったのがシルバーバーチであるが、物理現象の演出に直接携わるのはそれを専門とする霊団であり、心霊治療にも治療霊団が組織されていた。
太古より霊的啓示には物理現象と病気治療はつきもので、イエスも盛んに活用している。それを聖書では〝しるしと奇跡〟Signs and Wonders と表現しているが、実際は聖書に記されているよりはるかに多く起きていたはずである。
ところが霊界通信の真実性を確信し始めた人はとかく現象的なものを軽蔑し始める傾向があり、奇妙なことにキリスト教徒が最もその傾向が強いが、これは間違いであると同時に極めて危険なことでもある。
確かに物理的現象に直接携わるのは低級霊であり、モーゼスの『霊訓』の中でイムペレーターが述べているところによれば、いわゆる地縛霊がようやく目を覚まして修養と償いのために高級霊の指揮下で働いていることが多いようである。
言うなれば、〝更生の場〟を与えられているわけである。こうした場合は監督に当たる霊、いわゆる支配霊が高級であるから危険性はまず無い。
それよりも意外に陥りやすい危険は、むしろそういうものを軽蔑して自分自身の、あるいは自分が所属するサークルないし宗教団体の霊言や自動書記のみを絶対のものとし、その霊媒の口ないし手を通して得られたものは何も彼も真実のもの絶対のもの高級なものと決めてかかってしまうことである。
そういう間違った考えが定着する原因はどこにあるかと言えば、心霊現象の基本、つまり精神的現象と物理的現象の原理(心霊学)についての認識が十分でないことにある。このことが同じく四章の一文の裏面の事情とつながってくる。 「私たちは人類を破滅の道へ追いやろうと画策している悪霊の集団ではありません」
これはキリスト教界がスピリチュアリズムのことをそう決めつけるので、それを念頭において述べているのであるが、キリスト教と切り離して考えても、心霊問題に関わる者が忘れてならない大切なことを暗々裏に述べている。つまり現実にそういう意図をもって画策している悪霊・邪霊の集団がうようよしているということである。
先のイムペレーターもその点を再三にわたって指摘しているし、オーエンの『ベールの彼方の生活』の中でも、通信を横取りしようとしてスキを狙っている連中がいるので油断がならないと述べている。
そういう霊はうまく横取りした通信内容をさも自分のものであるかのように巧みに使用して、いかにも立派な高級霊であるかの如く振る舞い、そのうち通信の中にそれとなく偽りの事実を混入して問題を生じさせ、〝それみろ。霊界通信なんて全部ごまかしなんだ〟という風潮を立てさせ、そしてほくそ笑む。なぜそんなことをするかと言えば、高級神霊による計画推進を挫折させんとしているまでで、別に深い意図はない。
では霊界通信の真偽をどうやって見分けるかということが問題となるが、シルバーバーチは常に批判的精神をもって理性的に判断するように───くだけた言い方をすれば、とことん疑ってかかれと説く。
確かにこうした活字になってしまえばそれしかないが、実際にその場に立ち会った時は、一種の直観力が何よりの武器となる。その雰囲気から読み取るのである。
実は霊媒のバーバネル亡きあと、サイキックニューズ社はさっそく別の霊言霊媒を探し出して、その霊言を心霊誌に連載し始めた。私もそれを読んで、正直のところ最初はなかなかの内容だと思った。
そしてその後に発売されたカセットをすぐに取り寄せて、大きな期待をもって聞いたが、ものの一分も聞き続けることができなかった。
直感的にこれはニセモノという気がしたのである。念のためにカセットを裏返して後半の部分を聞いていたが、やはり一分と聞く気になれなかった。それから一週間ほどしてもう一度気を取り直して三分間ほど聞いてみたが、やはりその雰囲気からは本物という判断はできなかった。
果たせるかな、その後間もなくしてその霊媒のトリックが暴かれて、それきり連載も中止された。そして代わって連載されたのは又もやシルバーバーチであった。古い霊言集からの抜粋である。
本物にはどうしようもない強みがある。英国新聞界の法王とまで呼ばれ、ヘソ曲がりの毒舌家として世界的に知られたハンネン・スワッハー(シルバーバーチの交霊会は当初はこの人の家で催され司会もこの人が勤めた)すら手も足も出なかったほどである。そのスワッハーがこう述べている。
「が、いったん活字になってしまうとシルバーバーチの言葉もその崇高さ、温かさ、威厳に満ちた雰囲気の片鱗しか伝えることができない。出席者は思わず感涙にむせぶことすらあるのである。シルバーバーチがいかに謙虚にしゃべっても、高貴にして偉大なる霊の前にいることを我々はひしひしと感じる。決して人を諌(いさ)めない。そして絶対に人の悪口を言わない」
内容的にいいことを言っているというだけでは霊言としての真価は分からない。ということが以上のことから理解していただけると思う。問題は雰囲気であり風格である。私の翻訳もシルバーバーチという古代霊の風格を出すことに一番苦心している。
原書を読まれる方もそれが読み取れるまで読み込んでいただきたい。文法や構文に振り回されていては本当の意味は読み取れない。これはシルバーバーチに限ったことではないが・・・。
知識は力なりという。これから幽明交通がいっそう盛んになっていくにつれて次々と霊界通信なるものが輩出されることであろうが、その真偽性、純粋性、優秀性を適確に判断できるようになるには、スピリチュアリズムの全体像を理解すると同時に、その基本であるところの心霊学を勉強することが、直感的判断力を自然に養ってくれると信じる。
といって心霊学を好奇心からいじくり回していては何にもならない。こうした言わば落とし穴と誘惑に満ちた世界に踏み入って宝を探すための学問的基盤として、心霊現象の原理つまり霊界側がどういう形で物的世界に働きかけているのかを知ることが不可欠であることを指摘しておきたい。 近藤 千雄
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