Wednesday, July 31, 2024

シアトルの夏 霊の書 神とは

What is God?





1章 神とは

このページの目次〈神と無限〉
〈神の実在の証拠〉
〈神の属性〉
〈汎神論〉

〈神と無限〉


――神とは何でしょうか。


「神とは至高の知性――全存在の第一原理です」


――無限というものをどう理解すればよいでしょうか。


「始まりも終わりもないもの、計り知れないもの、知り尽くし得ないもの、それが無限です」


――神は無限なる存在であるという言い方は正しいでしょうか。


「完全な定義とは言えません。人間の言語の貧困さゆえに、人間的知性を超越したものは定義できません」
〈神の実在の証拠〉


――神が存在することの証拠として、どういうものが挙げられるでしょうか。


「地上の科学的研究の全分野における大原則、すなわち“原因のない結果は存在しない”、これです。何でもよろしい、人間の手になるもの以外のものについて、その原因を探ってみられることです。理性がその問いに答えてくれるでしょう」


――神の実在を人類共通の資質である直観力で信じるという事実は何を物語っているのでしょうか。


「まさに神が実在するということ、そのことです。なんとなれば、もしも実在の基盤がないとしたら、人間の精神はその直観力をどこから得るのでしょうか。その直観力の存在という事実から引き出される結論が“原因のない結果は存在しない”という大原則です」


――神の実在を直観する能力は教育と学識から生まれるのでしょうか。


「もしそうだとしたら原始人がそなえている直観力はどうなりますか」


――物体の形成の第一原因は物質の本質的特性にあるのでしょうか。


「仮にそうだとしたら、その特性を生み出した原因はどうなりますか。いかなる物にもそれに先立つ第一原因がなくてはなりません」


――造化の始源を気まぐれな物質の結合、つまりは偶然の産物であるとする説はいかがでしょうか。


「これまた愚かな説です。良識をそなえた者で偶然を知的動因とする者が果たしているでしょうか。その上、そもそも偶然とは何なのでしょう? そういうものは存在しません」


――万物の第一原因が至高の知性、つまり他のいかなる知性をも超越した無限の知性であるとする根拠は何でしょうか。


「地上には“職人の腕はその業を見れば分かる”という諺があります。辺りをごらんになり、その業から至高の知性を推察なさることです」
〈神の属性〉


――神の根源的本質は人間に理解できるでしょうか。


「できません。それを理解するための感性が人間にはそなわっていません」


――その神の神秘はいずれは人間にも理解できるようになるのでしょうか。


「物質によって精神が曇らされることがなくなり、霊性の発達によって神に近づくにつれて、少しずつ理解できるようになります」


――たとえ根源的本質は理解できなくても、神の完全性のいくばくかを垣間(かいま)見ることはできるでしょうか。


「できます。いくばくかは。人間は物質による束縛を克服するにつれて、神性を理解するようになります。知性を行使することによってそれを垣間見るようになります」


――神とは永遠にして無限、不変、唯一絶対、全知全能、至上の善と公正である、と述べても、属性の全てを表現したことにはならないでしょうか。


「人間の観点からすればそれで結構です。そうした用語の中に人間として考え得るかぎりのものが総括されているからです。

ですが、忘れてならないのは、神の属性は地上のいかなる知性をも超越したものであり、人間的概念と感覚を表現するだけの地上の言語をもってしては、絶対に表現できないということです。

神が今述べられたような属性を至高の形で所有しているに相違ないことは、人間の理性でも理解できるはずです。そのうちの一つでも欠けたら、あるいは無限の形で所有していないとしたら、神は全てのものを超越することはできず、従って神ではないことになります。全存在を超越するためには神は森羅万象のあらゆる変化変動に超然とし、想像力が及ぶかぎりの不完全さの一つたりとも所有していてはなりません」
〈汎神論〉


――神は物的宇宙とは別個の存在でしょうか、それとも、ある一派が主張するように、宇宙の全エネルギーと知性の総合体でしょうか。


「もしも後者だとすると、神が神でなくなります。なぜなら、それは結果であって原因ではないことになるからです。神は究極の原因であって、原因と結果の双方ではあり得ません。

神は実在します。そのことに疑いの余地はありません。そこが究極の最重要ポイントです。そこから先へ理屈を進めてはいけません。出口のない迷路へと入り込んでしまいます。そういう論理の遊戯は何の益にもなりません。さも偉くなったような自己満足を増幅するのみで、その実、何も知らないままです。

組織的教義というものをかなぐり捨てることです。考えるべきことなら身の回りにいくらでもあるはずです。まず自分自身のことから始めることです。自分の不完全なところを反省し、それを是正することです。その方が、知り得ようはずもないことを知ろうとするよりも、遥かに賢明です」


――自然界の全ての物体、全ての存在、天体の全てが神の一部であり、その総合体が神であるとする、いわゆる汎神論はどう理解すべきでしょうか。


「人間は、所詮は神になり得ないので、せめてその一部ででもありたいと思うのでしょう」


――その説を唱える者は、そこに神の属性のいくつかの実証を見出すことができると公言します。例えば天体の数は無限であるから神は無限であることが分かる。真空ないしは虚無というものが存在しないということは、神が遍在していることの表れである。神が遍在するがゆえに万物は神の不可欠の一部である。かくして神は宇宙の全ての現象の知的原因である、と。これには何をもって反論すべきでしょうか。


「理性です。前提をよく検討してみられるがよろしい。その不合理性を見出すのに手間は掛かりません」


訳注――カルデックが“かくかくしかじかの説を唱える者がいるが……”と述べる時、それはキリスト教系の説と思ってまず間違いない。同じ時代に米国の次期大統領の有力候補だったニューヨーク州最高裁判事のジョン・エドマンズがカルデックと同じような実験会に参加してその真実性を確信し、その信ずるところを新聞に掲載したことで轟きたる非難を浴び、ついに判事職を辞任するに至った原因も、その信念がキリスト教の教義と相容れないという、ただそれだけのことだった。カルデックも似たような非難を浴びていたであろうことは容易に想像できる。だからこそ〝序〟にあるような激励の文を霊団が寄せたのである。

Tuesday, July 30, 2024

シアトルの夏 霊の書 霊団からの激励のメッセージ



 

編者まえがき

これまでに明かされたいかなる法則によっても説明のつかない現象が、今、世界各地で発生している。そしてその原因として、自由意志をそなえた見えざる知的存在の働きかけがクローズアップされてきている。

理性的に考えれば、知的結果には知的原因があるはずである。事実、さまざまな事象から、その知的存在は物的符丁を使用することによって人間と交信することが可能であることが証明されている。

その知的存在の本性を追求してみると、かつては我々と同じく地上で生活したことがあり、肉体を捨てたあと霊的存在として別の次元の世界で存在し続けていることが分かってきた。かくして霊の実在ということが厳然たる事実となってきたのである。

その霊の世界と地上世界との間の交信も自然現象の範疇に属し、そこには何一つ摩訶不思議はないことが分かっている。その交霊の事実は世界のいずれの民族にも、そしてまたいつの時代にもあったことが史実として残っているだけでなく、今日では一般的でごく当たり前のこととなりつつある。

その霊たちが断言するところによると、大霊が定めた死後存続の事実の世界的規模での顕現の時節が今まさに到来し、大霊の使徒でありその意志の道具である彼らの使命は、新しい啓示を通して、人類の霊的革新の新時代を切り開くことにあるという。

本書は、その新しい啓示の集大成である。これまでの一宗一派の偏見と先入観を排除した理性的哲学の基盤を確立することを目的として、高級な霊格をそなえた霊団による指導と指令によって書き上げられたものである。その中には霊団の意図の発現でないものは一切ない。また、項目の配列とそれに付したコメント、さらには、ところどころで採用した表現形式は、本書の刊行を委任されたこの私の責任において工夫したものであるが、いずれに関しても霊団側の是認を受けている。

本書上梓に参画してくれた霊団のメンバーの多くは、時代こそ違え、かつてこの地球上に生をうけ、教訓を説き、徳と叡知を実践した人たちであることを自ら認めている。その名を歴史に留めていない人物も少なくないが、その霊格の高さは、教説の純粋さと、そうした高名な歴史上の人物との一致団結ぶりによって、十分に立証されている。

では本書の編纂開始に際してその霊団の総意として寄せられた、私への激励を込めたメッセージを披露させていただく。

アラン・カルデック



カルデックへの、霊団からの激励のメッセージ

我々との協調関係のもとに行うこの仕事に着手するに当たって、そなたに対して熱誠と忍耐とを要請したい。これは実質的には我々の仕事だからである。これから編纂される書物の中に、全人類を愛と慈悲の精神において一体たらしめる新しい殿堂の基盤を構築したいと思う。完成後それを世に出す前に我々がその全編に目を通し、誤りなきを期したい。

質(ただ)したいことがあれば遠慮なく呼び出すがよい。いついかなる時でも力になるであろう。すでに明かしたごとく、我々には大霊から割り当てられた使命があり、本書の編纂はその使命の一端にすぎない。

これまでに明かした教説の中には、当分はそなたの内に秘しておくべきものもある。公表すべき時期が到来すれば、さよう告げるであろう。それまではそなた自身の思考の糧として、じっくり温めておくがよい。課題として取り扱うべき時期が到来した折に理解を容易にするためである。

巻頭に我々の描いたブドウの蔓(つる)の絵を掲げてほしい。これは、創造主による造化の仕事の象徴である。身体と霊を象徴する要素が合体している図である。蔓が身体を表し、樹液が霊を表し、ブドウの実が両者の合体を表す。人間の努力は樹液という潜在的資質を呼び覚ます。すなわち、努力によって獲得される知識を通して、身体が魂に潜在する霊的資質を発達させるのである。

これより先そなたは、敵意に満ちた非難に遭遇することであろうが、それによって怯(ひる)むようなことがあってはならぬ。とくに既存の悪弊に甘んじて私利私欲を貪(むさぼ)る者から、悪意に満ちた攻撃を受けることであろう。

人間界にかぎらぬ。同じことを霊界から受けることもあろう。彼らは物的波動から抜け切らずに、憎しみと無知から、スピリチュアリズムへの疑念のタネを蒔き散らそうと画策する。

神を信じ、勇猛果断に突き進むがよい。背後より我々が支援するであろう。スピリチュアリズムの真理の光が四方に放たれるようになる時節も間近い。

全てを知り尽くしたかに自惚れ、全てを既存の誤れる教説で片付けることで満足している者たちが真っ向から抵抗するであろう。しかし、イエスの偉大なる愛の原理のもとに集(つど)える我々は、あくまでも善を志向し全人類を包摂する同胞愛の絆のもとに結ばれている。用語の差異についての下らぬ議論をかなぐり捨てて、真に価値ある問題へ向けて全エネルギーを注いでいる。地上時代の宗派の別を超えて、高き界層の霊からの通信から得られる確信にはいささかの相違もないのである。

そなたの仕事を実りあるものにするのは、一(いつ)に掛かって忍耐である。我々が授けた教説が本書を通して普及し、正しく理解されることによってそなたが味わう喜びは、また格別なるものがあろう。もっとも、それは今すぐではなく遠い未来のことかも知れぬが……。

疑り深き人間、悪意に満ちた者たちがバラ撒くトゲや石ころに惑わされてはならぬ。確信にしがみつくことである。その確信こそが我々の援助を確かなものにし、その援助を得てはじめて目的が達成されるのである。

忘れてはならぬ。善霊は謙虚さと無私無欲の態度で神に奉仕する者にのみ援助の手を差し延べる。霊的なことを世俗的栄達の足掛かりにせんとする者は無視し、高慢と野心に燃える者からは手を引く。高慢と野心は人間と神との間に張りめぐらされる障壁である。それは天界の光線を見えなくする。光の見えぬ者に神は仕事を授けぬということである。

Saturday, July 27, 2024

シアトルの夏 古代霊 シルバーバーチ不滅の真理 地球浄化の大事業

The Great Work of Earth Purification




そして最後に、地球浄化の大事業者に携わっている世界中の指導霊を代表する形で、こう激励した。

「この事業が成功するかしないかは、皆さんのような地上の道具の忍耐力と共鳴度と理解力に掛っております。

私も、これまでずいぶん永い間、みなさんを陰から導いてまいりました。

せっかく順調に奉仕の道を歩んでいるのに、ふと迷いが生じて不純な動機を宿した時、私が、皆さんの良心の耳元で囁いて、無事正しい道に引き戻したことが何度あったか知れません。

長年にわたるそうした苦労の末に、こうして同志の方を一堂に集めることに成功しました。

その目的は、地上の人間が大霊の意図したとおりに霊的属性を発揮するにはどういう生き方をすべきかを教えてあげることです。

皆さん方から背を向けない限り、私たちはこれからも忍耐強くこの仕事を続けてまいります。

大霊から授かっている才覚を精一杯発揮して、一人でも多くの人に霊的真理を知らしめるのが、私たちの使命なのです。

最初はごく少数の集まりでした。

が、その滴のような小さな集まりが小川となり、やがて大河となって海へ注ぐことになるのです。

スピリチュアリズムと呼ばれている新しい啓示が世界中に知れわたるのに、(十九世紀半ば以来)ほぼ一世紀を要しました。

もう一世紀後には、その数は信じられないほど多くなっていることでしょう。

皆さんはその先駆者(パイオニア)なのです」

Friday, July 26, 2024

シアトルの夏 霊力とは? 神とは? その小さな脳という器官との関連で心の働きを考えるのは止めないといけません。

What is Spiritual Power? What is God?





───霊力とはどんなものでしょうか。

 「霊の力は目には見えません。人間界で用いられているいかなる計量器でも計れないものです。長さもなく、幅もなく、高さもなく、重さもなく色もなく、容積もなく味もにおいもありません。

ですから常識的な地上の計量法でいけば霊力というのはこの世には存在しないことになります。つまり実在とは五感で捉えられないものと決めて掛っている唯物的自然科学者とっては、霊力は存在しないことになります。

 しかし、愛は目に見えず、耳にも聞こえず、色もなく味もなく寸法もないのに、立派に実感があります。それは深い愛の感動を体験したものが証明してくれます。確かに愛の力は強烈です。しかし、霊の力はそれよりも無限大に強烈です。

 あなた方が生き、呼吸し、考え、反省し、判断し、決断を下し、あれこれと思いをめぐらすのも、霊の力があればこそです。物を見、音を聞き、動き回り、考え、言葉をしゃべるのも、霊の力があればこそです。あなた方の行動のすべて、存在のすべては霊の力のお陰です。

物質界のすべて、そしてその肉体も、生命力にあふれた霊力の流入によって、存在と目的と指針と生活とを与えられているのです。

 物質界のどこを探しても、意識の秘密は見つかりません。科学者、化学者、医学者がいくら努力してみたところで、生命の根源は解明されません。それは物質そのものの中には存在しないからです。物質は、それが、一時的に間借りしている宿に過ぎません。

 霊の力は、あなた方が〝神〟と呼んでいるもの、そのものなのです。もっとも、その神を正しく理解していただけないかもしれませんし、誤解してその意味を限定してしまっておられるかもしれません。ともかくその霊力が、かつては火の固まりであったものを今日ご覧になっておられるような生命あふれる緑の地球にしたのです。

 その霊力が土塊から身体をこしらえて、それに生命を吹き込んだのです。魂がまとう衣服です。地上のあらゆる生命を創造し、自然界のあらゆる動き、あらゆる変化を支配し、四季を調節し、一粒の種子、一本の植物、一輪の花、一本の樹木の成長にまで関与している力、要するに千変万化の進化の機構に全責任を負っているのが、霊力なのです。

 それが雄大であるゆえんは、物質界に限られていないところにあります。すなわち無数の物的現象を通じて絶え間なく働いているだけでなく、見えざる世界の霊的活動のすべて、今のあなた方には到底その存在を知ることのできない、幾重にもつながった高い界層、そしてそこで展開する、これまたあなた方の想像を絶した光輝あふれる生命現象に至るまで、その霊力が支配しているのです。

 しかし、いかに雄大であっても、あるいは、いかにその活動が驚異的であるといっても、それにも制約があります。すなわち、それが顕現するには、それが適した器、道具、霊体、通路、霊媒───どうお呼びになっても構いません───そうしたものが無ければならないということです。

壮大な霊の流れも、そうしたものによる制約を受けるのです。地上にどの程度のものが流れ込むのかは、人間側が決定づけるということになります。

 私がつねづね、心配の念をはらいなさい、自信を持ちなさい、堅忍不抜の精神で生きなさい。神は絶対にお見捨てにならないから、と申し上げてきたのは、そうした雰囲気、そうした条件のもとでこそ霊力が働きやすいからです。

地上的な力はいつかは衰え、朽ち果てます。人間が築く王国は儚いものです。今日は高い地位にいても、明日は転落するかもしれません。

 しかし霊の王国は決して滅びることはありません。霊の尊厳は不変です。神の力は決して衰えません。ただし、その働きの程度を決定づけるのはあなた方であり、現にいつも決定づけております。

 スピリチュアリズムを少しばかりかじった人は、よく、なぜ霊界の方からこうしてくれないのか、ああしてくれないのかと文句を言うようですが、実際には、そうしたことを言う人ほど、霊界からそうしてあげるための条件を整えてくれないものです。

 この苦悩に満ちた世界、暗闇と不安におおわれた世界にあって、どうか皆さんには灯台の光となっていただきたい。あなた方の自信にあふれた生きざまを見て人々が近づき、苦悩の最中における憩いの場、聖域、波静かな港を発見することが出来るようにしてあげていただきたい。

皆さんはそういう人たちの心の嵐を静め、魂の静寂を取り戻してあげる霊力をお持ちなのです」


───霊はいつ肉体に宿るのでしょうか。

 「霊としてのあなたは無始無終の存在です。なぜなら、霊は生命を構成する要素そのものであり、生命は霊を構成する要素そのものだからです。あなたという存在は常にありました。

生命力そのものである宇宙の大霊の一部である以上、あなたには始まりというものはありません。が、個体として、つまり他と区別された意識ある存在としては、その無始無終の生命の流れの中のどこかで始まりをもつことになります。

 受胎作用とは精子と卵子が結合して、生命力の一分子が自我を表現するための媒体を提供することです。その媒体が提供されるまで、生命力は顕現されません。

それを地上の両親が提供してくれるわけです。精子と卵子とが結合して新たな結合体をこしらえると、小さな霊の分子が自然の法則にしたがってその結合体と融合し、かくして物質の世界での顕現を開始します。

 私の考えでは、その時点が意識の始まりです。その瞬間から意識を持った個体としての生活が始まるのです。それ以降は永遠に、個体を具えた存在を維持します」


───何の罪もないのに無邪気な赤ん坊が遺伝性疾患や性病その他の病気を背負ってこの世に生まれてきます。これは公平とは思えません。子供には何の罪も無いのですから・・・この問題をどうお考えでしょうか。

 「不公平を口にされるのは、問題を肉体の問題としてだけ、つまり物質界のみの問題としてお考えになり、無限の生命の観点からお考えになっていないからです。霊そのものは性病なんかには罹りません。霊が傷ついたり奇形になったりすることはありません。

両親の遺伝的特質や後天的性格を受け継ぐことはありません。それは霊が自我を表現する媒体であるところの肉体に影響を及ぼすことはあっても霊そのものを変えるようなことにはなりません。

 確かに、地上的観点から、つまり物的観点からのみ人生を眺めれば、病弱な身体を持って生まれた人は健全な身体を持って生まれた人よりも、物的には不幸の要素が多いと言えるでしょうが、その意見は霊については当てはまりません。

身体が病弱だから霊も気の毒で、身体が頑健だから霊が豊かであるという方程式は成り立ちません。実際にはむしろ宿命的な進化のための備えとして、多くの痛みや苦しみを味わうことによって霊が豊かになるという考え方が正しいのです」


───では、この世をよりよくしようとする衝動はどこから出てくるのでしょうか。

 「帰するところ、神がその無限の創造事業への参加者としての人間に与えた自由意思から出ています」


───物的な苦痛によって霊が進化するのであれば、なぜその苦痛を無くする必要があるのでしょうか。

 「私はそのような説き方はしておりません。私がそのことを引き合いに出したのは、人生には寸分の狂いもなしに埋め合わせの原理が働いていることを指摘するためでした。

 ここに二人の人間がいて、一人は五体満足で、もう一人はどこかに障害があるとした場合、後者は死後も永遠にその障害を抱えていくわけではないと言っているのです。要するに肉体の健康状態がそのまま霊の状態を現すのではないことをお教えしようとしているのです。

 霊には霊としてのたどるべき進化の道程があります。その霊がいかなる身体に宿っても、必ず埋め合わせと償いの法則がついてまわります」


───でも、やはり身体は何の障害も無い状態で生まれるのが望ましいのではないでしょうか。

 「もちろんです。同じように地上に貧民(スラム)街がない方がいいに決まっています。しかし、その貧民(スラム)街をこしらえるのも地上天国をこしらえるのも、結局は同じ自由意思の問題に帰着します。人間に自由意思がある以上、それを正しく使うこともあれば誤って使うこともあるのは当然です」


───でも不幸が霊のためになると知ったら、地上をより美しくしようとする意欲をそがれる人もいるのではないでしょうか。

 「地上の出来事で埋め合わせのないものは何一つありません。もしも神の働きが阻害されて、当然報われるべき行為が報われずに終わることがあるとすれば、これは神の公正を嘲笑う、深刻な事態となります。

私が指摘しているのは、埋め合わせの原理が厳然として存在すること、そして、進化の法則に逆らった行為を犯しながら神の摂理とは別の結果が出るようにいくら望んでも、神の計画は少しもごまかされないということです。

 しかし同時に、次の事実も知っておく必要があります。すなわち、たとえ現代の地上の不幸の原因が取り除かれても、人間はまたみずからの自由意思によって、みずからの複雑な文明の中からさらに新たな不幸を生じさせる原因を生み出していくということです。

 しょせん、人間は完全へ向けての無限の階段の連続です。一段又一段と、みずからの力で向上していかねばなりません。しかも、いつかは最後の一段にたどり着くと思ってはなりません」
(ここで質問と答えに少しズレが見られるが、このあともう一度同じ質問がでる──訳者)


───肉体の病気は霊的な進化を促進するかも知れませんが、その逆もあり得る、つまり性格を損ねる事もあるでしょう?

「損ねる事もあるし損ねないこともあります。どちらのケースもあります。病気になるのは摂理に反した行為をするからです」


───では病気または病気に相当するものは絶対に不可欠のものとおっしゃるわけですね?

 「いえ、私は病気に相当するものとは言っておりません。何らかの〝苦〟に相当するものです。人間に自由意思がある以上、選択の仕方によって楽しい体験となったり苦しい体験となったりするのは当然でしょう」


───それは分かります。苦しみを味わわないと幸福も味わえないからです。ですが、どうも私には、もしもあなたがおっしゃるように、こういうことがあれば必ずこういう埋め合わせがあるというのが事実であれば、世の中を良くしようとして苦労する必要はなさそうに思えるのですが・・・・・・

 「人間に選択の自由があるのに、ほかにどうあってほしいというのでしょう」


───この度の戦争のことはさて措いて、私は今日の世界は三百年前よりはずっと幸せな世の中になっていると思うのです。世界中のほとんどの国が、戦争はあっても、やはり幸せな世の中になっております。

 「おっしゃる通りですが、それが私が言っていることと、どこがどう矛盾するのでしょう?」



───われわれ人間は(取り立てて人のためと説かれなくても) 常に世の中を良くしてきているということです。

 「しかしそれは、世の中を良くしたいと言う願望に燃えた人がいたからこそですよ。魂に宿された神性が自然な発露を求めたのです。神の一部だからこそです。

かりに今日要求したことが明日、法の改正によって叶えられても、明日はまた不満が出ます。進化を求めてじっとしていられない魂が不満を覚えるのです。それは自然の成り行きです。魂が無意識のうちに、より完全なものを求めようとするからです。

 今日の地上の不幸は、その大半が自由意思による選択を誤ったことに起因しています。それには必ず照合がなされ、さらに再照合がなされます。そうすることで進歩したり退歩したりします。

そうした進歩と退歩の繰り返しの中にも、少しずつ向上進化が為されております。先んずる者もいれば後れをとる者もいます。先を行っている者が遅れている者の手を取って引きあげてやり、遅れている者が先を進み過ぎている者にとって、適当な抑制措置となったりしております。

そうやって絶え間なく完成へ向けての努力が為されているわけです。が、その間の人生のあらゆる悲劇や不幸には、必ず埋め合わせの原理が働いていることを忘れてはなりません」


───改めるべきものは山ほどありますね。

 「あなた方は自由主義を誇りにしておられますが、現実には少しも自由とはいえない人々が無数におります。有色人種をごらんなさい。世界中のどの国よりも寛容心を大切にしているあなた方の国においてですら、劣等民族としての扱いを受けております。

私がいつも、これで良いと思ってはいけない、と申し上げている理由はそこにあります。世の中はいくらでも明るく、いくらでも清らかに、そしていくらでも幸せになるものなのです」


───葛藤や苦悩が霊的進化にとって不可欠なものならば、それは霊界においても必要なのではないでしょうか。なのに、あなたは、そちらには悪と邪の要素が無いようにおっしゃっていますが・・・・・・

 「ご質問者は私の申し上げたことを正しく理解していらっしゃらないようです。私は邪と悪には二種類ある───この〝悪〟という言葉は嫌いなのですが───すなわち、既得権に安住している利己主義者が生み出しているものと、人類の未熟さからうまれるものとがあると申し上げたつもりです。

 私たちの世界には邪悪なものは存在しません。もちろん、ずっと低い界層へ行けば霊性が貧弱で環境の美を増すようなものを何も持ち合わせない者の住む世界があります。が、そうした侘しい世界は例外として、こちらの世界には邪悪なものは存在しません。

邪悪なものを生み出す原因となるものが取り除かれているからです。そして、各自が霊的発達と成長と進化にとって、適切かつ必要なことに心行くまで従事しております。

 葛藤や苦悩はいつになっても絶えることはありません。もっとも、その意味が問題ですが・・・・・・地上では人間を支配しようとする二つの力の間で、絶え間ない葛藤があります。

一つは動物的先祖ともいうべきもの、つまり身体的進化向上に属する獣的性質、そしてもう一つは神性を帯びた霊、つまり無限の創造の可能性を賦与してくれた神の息吹です。

その両者のどちらが優位を占め、そしてその優位をどこまで維持するかは、地上生活での絶え間ない葛藤の中で、自由意思によって選択することです。

 こちらの世界へ来からでも葛藤はあります。それは、低い霊性の欠点を克服し、高い霊性を発揮しようとする、絶え間ない努力という意味です。

完全へ向けての努力、光明へ向けての努力ということです。その奮闘の中で不純なものが捨て去られ、強化と精錬と試練をへて、ようやく霊の純金が姿を現します。

こちらの世界にも悩みはあります。しかしそれは、魂が自分の進歩に不満を覚えたことの表れであって、ほんの一時のことです。完成へ向けて長い行進の中で短い調整期間のようなものです」


───でも、葛藤と進歩、そして努力の必要性はつねにあるわけでしょう?

 「おっしゃる通りです。だからこそ私は、先ほどの言葉の解釈が問題だと申し上げたのです。自然界の常として、より高いものがより低いものを無くそうとします。それは当然のことで、そうでなかったら進化というものが真実でなくなります。 

 人間は低い段階から高い段階へ向けて成長しようとする、進化性を持った存在です。進化するためには、光明へ向けての絶え間ない葛藤がなければなりません。その場合の葛藤は、成長のための必須の過程の一つであるわけです。

 さきほど私が言いたかったのは、地上には不必要な葛藤、無益な努力が多過ぎるということです。それは自由意思の使用を誤って、薄汚い知恵、病気、貧民(スラム)街といった、あってはならないものを生み出し、それが霊界からの働きかけをますます困難にしているのです」


───〝神(ゴッド)〟は完全無欠ですか?

 「あなたがおっしゃる神が何を意味するかが問題です。私にとって神とは、永遠不変にして全知全能の、摂理として顕現している宇宙の大霊です。その摂理に、私はいかなる不完全さも不備も見つけたことがありません。

原因と結果の連鎖関係が完璧です。この複雑を極めた宇宙の全生命活動のあらゆる側面において、完璧な配慮が行きわったっております。

 例えば、強大から極微までの無数の形と色と組織を持った生物が存在し、その一つ一つが完全なメカニズムで生命を維持している事実に目を向けていただけば、神の法則の全構図と全組織とがいかに包括的で完全であるかを認識なさるはずです。

私にとっては神とは法則であり、法則がすなわち神です。ただ、あなた方人間は不完全な物質の世界に生活しておられるということです。

 物質の世界に生きておられる皆さんは、今のところその物質すら、たった五つの物的感覚でしか理解できない限られた条件下で、限りある精神を通して自我を表現しておられるわけです。物的身体に宿っているかぎりは、その五感が、周囲の出来ごとを認識する範囲を決定づけます。

それゆえに、あなた方は完全無欠というものを理解すること自体が、そもそも不可能なのです。五感に束縛されている限りは、神の存在、言いかえれば、神の摂理の働きを完全に理解することは不可能ということになります。

 その限界ゆえに、摂理の働きが不完全であるかに思えることがあるかもしれませんが、知識と理解が増し、より深い叡智をもって同じ問題を眺めればそれまでの捉え方が間違っていたことに気づきはじめます。

 物質の世界は進化の途上にあります。その過程の一環として、時には静かな、時には波動を作った、さまざまな発展的現象があります。それは地球を形成していく為の絶え間ない自然力の作用と反作用の現れです。

常に照合と再照合が行われるのです。存在していくための手段として、その二つの作用は欠かせない要素なのです。実に複雑なのです」


───神は完全だとおっしゃいましたが、われわれ人間が不完全であれば神も不完全ということになりませんか。

 「そうではありません。あなた方は完全性を備えた種子を宿しているということです。その完全性を発揮するための完全な表現器官をそなえるまでは、完全にはなり得ないということです。現在のところ、その表現器官がきわめて不完全です。

進化して完全な表現器官、つまり完全な霊体をそなえるに至れば、完全性を発揮できるようになりますが、それには無限の時を要します」


───ということは、神のすべての部分が完全の段階に至るのにも無限の時を要するということでしょうか。

 「違います。神は常に完全です。ただ、現在物質の世界に人間という形態で顕現されている部分の表現が不完全だということです。それが完全な表現を求めて努力しているわけです」


───それを譬えて言えば、ある正しい概念があって、それが人によって間違って理解され使用されているようなものでしょうか。

 「その通りです。しかも、それも、一歩ずつではあっても、絶えず理想へ近づいていかねばなりません。完全は存在します。それを私は、あなた方は本当の自分のほんの一かけらしか表現していないと申し上げているのです。

もしも現在のその身体を表現されている一かけらだけであなたを判断したら、極めて不当な結論しか出てこないでしょう。が、それは本当のあなたの一部に過ぎません。

もっと大きなあなた、もっと大きな意識が存在し、それが今もあなたとつながっているのです。ただ、それは、それに相応しい表現器官が与えられないと発揮されないということです」


───お聞きしていると、神が一個の存在でなくなっていく様に思います。独立した存在として神はいるのでしょうか。

 「真っ白な、豪華な玉座に腰掛けた、人間の姿をした神はいません。神とは一個の身体を具えた存在ではありません。摂理・法則です」


───それに心が具わっているわけでしょうか。

 「心というものは、あなた方の身体を通してのみ働いているのではありません。法則を通して働いているのです。心を脳味噌と切り離して考えないといけません。

意識というのは、そのお粗末な脳細胞だけを焦点として働いているのではありません。脳とは完全に独立した形で存在します。その小さな脳という器官との関連で心の働きを考えるのは止めないといけません。

 心はそれ自体で存在出来ます。しかしそれを自覚するには何らかの表現器官が必要です。そのために、人間には幾つもの、霊的身体が具わっているわけです。

身体を具えていない状態を想像することは可能であり、その状態でもあなたは厳として存在しますが、それではあなたと言う個性を表現する手段がないことになります。

 神という存在を人間に説明するのは、実に困難です。人間には、独立した形態を具えた存在としてしか想像できないからです。言語や記号を超越したものを地上の言語で説明しようとするのが、そもそも無理な話です。創造の本質に関わることなのです。


 神と言う存在をどこかのある一点に焦点を持つ力として考えてはいけません。そんなものではないのです。神とは完全な心、始めも終りもなく、永遠に働き続ける完璧な摂理です。

真っ暗だったところへ、ある日突然、光が差し込んだというものではありません。生命は円運動です。始まりも終りもありません」


───宇宙のすみずみまで神が存在するのと同じように、我々一人ひとりにも神が宿っているとおっしゃるわけでしょうか。

 「私のいう神は、全創造物に顕現されている霊の総体から離れて存在することは出来ません。残念ながら西洋世界の人は、いまなお人類の創造をエデンの園(アダムとイブの物語)と似たような概念で想像します。実際はそれとはまったく異なるのです。

宇宙の進化は無窮の過去から無窮の未来へ向けて延々と続いております。かつて何もなかったところへ、突如として宇宙が出現したのではありません。宇宙は常にどこかに存在します。生命は何らかの形態で常に顕現してきました。そしてこれからも何らかの形で永遠に存在し続けます」


 スピリチュアリズムによる新しい啓示の重大性について、こう述べる。

 「闇に閉ざされたこの地上界にあって、意義ある貢献する機会を与えてくれる霊的知識を手にされた皆さんは、何と幸せな方たちでしょう。幾十世紀にもわたって偉大なる頭脳を悩ませてきた多くの謎を解くカギを手にされた皆さんは、何と幸せでしょう。

歩むべき道を照らしだし、永遠の生命の機構の中におけるご自分の存在すべき位置を理解させてくれる叡智を授かった皆さんは、実にお幸せな方たちです。そうした霊的知識を誇りに思わないといけません。

誤った教えの下敷きとなってしまっている人々を救いだし、正しい知識と理解への道を指し示してあげることが出来るからです。

 しかしそれにも増して大きいのは、そうした知識を手にした人が背負うことになる責任です。本当の意味で大霊の使徒となるからです。最高神の道具となったということです。忠誠を捧げる聖なる大義を汚すようなことは絶対にしないという責任が、その人の双肩に掛ってきます。

 地上世界は霊的知識を必要としております。それは生活の全側面を照らしだし、理解に苦しむ問題を簡単に解いてくれます。人類の進歩のブレーキとなってきた誤った教えの粗悪さと不当性によって、これ以上苦しめられることは無くなるでしょう。

今まさに地上世界は、歴史的に見ても重大な時期を迎えているのです。皆さんの目の前で新しい歴史が刻まれつつあるのです。魂の最終のゴールである〝自由〟の獲得への道を、あなた方が整備してあげているのです。

 皆さんには霊的貢献の分野があります。大霊の子が人生の嵐の中を生き抜く上での正しい基盤を手にすることが出来るように、この霊的真理を普及させないといけません。

その普及活動を阻止しようとする勢力は次第に衰えつつあります。かつては脅威に思えた反抗が、今やおぼろな影となっております。かつて先駆者たちが直面させられた苦難は、その先駆者たち自身のお陰で大幅に取り除かれました。

しかし、まだまだ為すべきことが多く残されております。その大きな仕事の一端が、あなた方の双肩に掛っているのです。

 堂々と胸を張り、魂の自由と進歩と啓発に貢献していることに、誇りを持って下さい。大霊の子等が暗闇でなく真理の光の中で生きるための魂の自由と解放という仕事において、皆さんは、ご自分で考えておられる以上に、大きな貢献をしておられます。

 本当の自我に目覚める霊が増えつつあります。ここぞという重大な時に何の役にも立たなかった古い教えに背を向ける男女が増えつつあります。今や古い秩序は完全に砕かれました。

古いものはやはり古いという認識のもとに、古い宗教的体制への不信感が加速されております。新しい教義、新しい人生指導原理を求めているのです。


 人々は光明を求めています。のちの世代に光明を約束してくれるものに希望を託しております。過去が残してくれたものに不審を抱き、新しい霊的真理を渇望しているのです。それを提供するのが、あなた方の役目です。

これから始まる再構築の大事業に備えるための知識と力とを身につけさせるために、陰ながら導いてくれている背後霊の存在を認識させてあげるのです。

 肩書(ラベル)と言うものが次第に魅力を失いつつあります、地上人類は今まであまりに長い間、タイトルや肩書を崇めてきました。それが今、そうしたものに幻滅を感じ始めております。新しいタイプの魂、真実を問い質す魂、真理を求める魂、権威を自称するものを容易に信用しない魂、遠い昔の聖なる書はあくまでもその時代のもので、しかもただ霊的啓示であると信じられているに過ぎないから信じない、と主張する魂が生まれつつあります」


次に、霊的交流を求める上での心掛けについてのアドバイスを求められて───

 「精神を受け身の状態にし、冷静でいてしかも受容力に富んだ態度を保つ修業が必要です。霊力は、人間の方から命令的に求められる性質のものではありません。秩序正しい段階を踏んで用意を整えて下さらないと、授けることは出来ないのです。

ある一定の必須の条件というものがあるからです。通信回路が正しく開かれていないと、インスピレイションは流れませんし、たとえ流れても、歪められてしまいます。

 何よりも大切なのは、いかなる困難、いかなる騒ぎの中にあっても、平静さを失わないようになることです。私たちの教えを知識としていくら沢山詰め込んで下さっても、心の平静さを保つ修業ができないかぎり、その価値は十分に発揮されないことになります。

 あなたも大霊の一部なのです。その無限の力の宝庫から必要なものを引き出すことができるのです。いかなる人生の嵐、喧騒、混乱の中にあっても、平然とそれを達観し、永遠にして無限なる霊的存在としての〝あなた自身〟は絶対に惑わされないとの、不敵な信念に燃えないといけません。

困難には正面から取り組んで、それを克服しないといけません。その葛藤の中においてこそ性格が形成され、霊性が磨かれ、真実の自我を発見していくことになるのです。

 霊的真理を手にした私たちには、為すべきことが山ほどあります。今行われている(第二次)世界大戦、大量の肉体の殺し合い、狂気の破壊行為、世界全体を被う悲しみの波動は、これから先、大変な困難を生み出して行くことでしょう。

しかし、戦争は永遠に続くものではありません。いつかは終わります。その時には私達が再びその使命を果たす役目が廻ってきます」


 そして最後に、地球浄化の大事業者に携わっている世界中の指導霊を代表する形で、こう激励した。

 「この事業が成功するかしないかは、皆さんのような地上の道具の忍耐力と共鳴度と理解力に掛っております。私も、これまでずいぶん永い間、みなさんを陰から導いてまいりました。せっかく順調に奉仕の道を歩んでいるのに、ふと迷いが生じて不純な動機を宿した時、私が、皆さんの良心の耳元で囁いて、無事正しい道に引き戻したことが何度あったか知れません。

 長年にわたるそうした苦労の末に、こうして同志の方を一堂に集めることに成功しました。その目的は、地上の人間が大霊の意図したとおりに霊的属性を発揮するにはどういう生き方をすべきかを教えてあげることです。皆さん方から背を向けない限り、私たちはこれからも忍耐強くこの仕事を続けてまいります。

 大霊から授かっている才覚を精一杯発揮して、一人でも多くの人に霊的真理を知らしめるのが、私たちの使命なのです。最初はごく少数の集まりでした。が、その滴のような小さな集まりが小川となり、やがて大河となって海へ注ぐことになるのです。

 スピリチュアリズムと呼ばれている新しい啓示が世界中に知れわたるのに、(十九世紀半ば以来)ほぼ一世紀を要しました。もう一世紀後には、その数は信じられないほど多くなっていることでしょう。皆さんはその先駆者(パイオニア)なのです」

Thursday, July 25, 2024

シアトルの夏 宇宙創造の目的 私にとって宗教はたった一つしかありません。

Purpose of the Creation of the Universe


 霊的教訓の真髄は確かに単純素朴かもしれないが、すべての人間がそれだけで満足するかというと、そうはいかない。ある日の交霊会で〝宇宙が創造された目的は何か〟という難しい質問が出された。その質問者は具体的にまずこう訊ねた。


───人間は徐々に進化を重ねて、究極的に大霊の中に吸収されてしまうのであれば、なぜ人間を創造する必要があったのでしょうか。

 「私は、人間が最後は大霊に吸収されてしまうという説をとっているわけではありません。いつも申し上げているように、私は究極のことは何も知りません。始まりのことも知りませんし、終わりのことも知りません。

 私に言わせれば〝存在〟はいつからということはなく、いつまでということもなく、いつまでも存在し続けます。地球上の全生命が他の天体の生命と同じように霊の世界を通過して絶え間なく進化し、意識が完全性を目指してゆっくりと上昇して行きつつある状態が〝存在〟です。

 その意識なるものがいつ芽生えたかについても私は何も知りません。いつ完全の域に達するかについても知りません。私には完全とか吸収(寂滅)とかの時が来るとは思えません。

なぜなら、魂というものは霊性を高めて向上するにつれて、言いかえれば、過去の不完全性の不純物を払い落とすごとに、更に大きな進歩の必要性を自覚するものだからです。

進化すればするほど、なお進化すべき余地があることに気づくものです。高く登れば登るほど、その先にはまだ登らねばならない高いところがあると知ることの連続です。

 私の考え方は、大霊の一部である意識の、生活の中における開発と発展に主眼を置いています。この意識なるものは、私の知る限り無窮の過去から常に存在してきたものですが、それがさまざまな形態を通して顕現し、その表現を通して絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現していくのです。

 これまで、ありとあらゆる生命現象を通して顕現してきて、今なお顕現し続けております。いま人間という形態で表現している意識も、かつては動物・鳥類・魚類・植物その他の生物と、無生物と呼ばれているもの全てを通して表現されてきたのです。

これからも進化と成長を続け、発展し、拡張し、神性を増し、物質性を減らしていきます。それが創造の全目的です。大霊の一部である意識が、千変万化の形態を通して絶え間なく顕現していくということです。

 そのことに加えて、私は是非次のことを申し上げておきたいと思います。それは人間の存在を創造の大事業と切り離す、あるいは、縁のない存在として考えてはならないと言うことです。

なぜなら人間もその創造活動に参加しているからです。創造的エネルギーが人間を通して働いているのです。あなたの人生、あなたの努力、あなたの葛藤が、無限の創造活動に貢献するということです。

 一つ一つの生命がそれなりの貢献をしております。その生命が高級になればなるほど、つまり愛他性を増し、排他性を減らすにつれて、変化に富んだ創造の世界に美しさを加えてまいります。

画家や音楽家や詩人だけが、美への貢献をしているのではありません。あらゆる生命が───そのつもりになれば───美をもたらすことが出来るのです」


 創造の問題は必然的にバイブレーション(波動・波長・振動)の問題となる。


───スピリチュアリズムでは〝バイブレーション〟という用語が良く使用されますが、これを分かり易く説明していただけませんか。

 「生命のあるところには必ず運動があり、リズムがあり、鼓動があり、バイブレーションがあります。生命は活動せずにはいられないのです。静止したり惰性的になったりすることはありません。

生命には必ず運動が付随します。その運動を理解し、その意味を理解するには、まずその定義から始めなければなりません。

 私がバイブレーションという時、それはエネルギーの波動となって顕現している生命のことで、無数の生命形態ないしは現象の一つを指しております。

存在するものは全て振動(バイブレード)し、何かを放射し、活動しております。私たちがこうして地上へ働きかけることが出来るのも、バイブレーションのお陰です。

 私たちは、普段は物的感覚の領域を超えたバイブレーションの世界で生活しております。霊的エネルギー、霊的パワー、霊的現象は、ことごとく物質より感度の高い、微妙なバイブレーションから成り立っております。

 地上のように、物質に浸り切り包まれている世界と交信するためには、次の二つの方法のうちのどちらかを取らなければなりません。すなわち、人間の側がその低いバイブレーションを高めてくれるか、それとも私達霊側がその高いバイブレーションを下げるかです。

両方が歩み寄ればよいのでは・・・・・・誰しもそうお考えになるでしょう。ところが、どうして、どうして、なかなかそううまくはいかないのです。いつも私たちの方が遠路はるばるおりてこなければなりません。地上世界からの援助はそう多くは望めないのです。

 この霊媒(バーバネル)を使ってしゃべるためには、私は私本来のバイブレーションを下げております。その状態から抜け出て私本来の界へ戻る時は、その界にあった意識を取り戻すために、バイブレーションを加速しなければなりません。

このように全てはバイブレーションの操作によって行われるわけです。それを簡潔に説明するにはバイブレーションという用語しか見当たりません。

 それにしても、永いあいだ霊的な分野のことには一切耳を貸そうとせず、目を瞑って来た科学者が、今になって、物質の謎を解くカギはバイブレーションにあるという認識をもちはじめたことは、興味深いことです」


続いて祈りの問題が持ちだされると───

 「祈りとは何かを理解するには、その目的をはっきりさせなければなりません。ただ単に願い事を口にしたり、決まり文句を繰り返すだけでは何の効果もありません。テープを再生する様な調子で陳腐な言葉を大気中に放っても、耳を傾ける人はいませんし、訴える力を持った波動を起こすこともできません。

 私たちは型にはまった文句には興味はありません。その文句に誠意がこもっておらず、それを口にする人みずからがその内容に無頓着であることが普通です。永い間それをロボットのように繰り返しているに過ぎないからです。

 真の祈りにはそれなりの効用があることは事実です。しかし、いかなる精神的行為も、身をもって果たさねばならない地上的労力の代用とはなり得ません。

 祈りは、義務を回避しようとする臆病者の避難場所ではありません。人間として為すべき仕事の代用とはなりません。責任を逃れる手段ではありません。いかなる祈りにもその力はありませんし、絶対的な因果律を少しも変えることはできません。

 人のためにという動機、自己の責任と義務を自覚した時に油然として湧き出る祈り以外は、すべて無視されるがよろしい。その後に残るのが心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル ※) な行為であるがゆえに自動的に応答のある祈りです。

自動的ですから、その応答は必ずしも本人の期待した通りのものではありません。その祈りの行為によって生じたバイブレーションが生み出す、自然な結果です。


 ※───サイキックというのは五感の延長としての、オカルト的な超能力が生じさせるもので、物質次元の中に入る。スピリチュアルというのは、物質次元から脱して霊的次元のエネルギーや法則が生ぜしめるもの───訳者。


 あなた方を悩ます全ての問題と、困難に対して、正直に、正々堂々と、真正面から取り組んだ時───解決のためにありたけの能力を駆使して、しかもなお力が及ばないと悟ったとき、その時こそ何らかの力、

自分より大きな力を持つ存在に対して、問題解決のための光を求めて祈る資格ができたと言えましょう。そして、きっとその導き、その光を手にされる筈です。

あなたのまわりにいる洞察力に富んだ霊は、あなた方の魂の状態をありのままに見抜く力があるからです。たとえば、あなた方が本当に正直であるか否かは、一目瞭然です。

 さて、その種の祈りとは別に、宇宙の霊的生命とのより完全な調和を求めるための祈りもあります。すなわち、肉体に宿るがゆえの宿命的な障壁を克服して、本当の自我を見出したいと望む魂の祈りです。これは必ず叶えられます。

なぜならば、その魂の行為そのものが、自動的にそれ相当の結果を招来するものだからです。

 このように一口に祈りといっても、その内容・動機を見分けた上で論ずる必要があるのです。

 ところでキリスト教の〝主の祈り〟のことですが、あのように型にはまった祈りは、人類にとって何の益ももたらさないことを断言します。

単なる形式的行為は、その起源においては宿っていたかも知れない潜在的な力まで奪ってしまいます。儀式の一環としては重宝かも知れませんが、人間にとっては何の役にも立ちません。

 そもそも〝神〟とは法則なのです。自分で解決できる程度の要求で神の御手を煩わせることはありません。それに、ナザレのイエスがそれを口にした (とされる) 時代から二千年近くも過ぎました。

その間に人類も成長し、進化し、人生について多くのことを悟っております。イエスは決してあの文句の通りを述べたわけではありませんが、いずれにしても当時のユダヤ人に分かり易い言葉で述べたことは事実です。

 今のあなた方には、父なる神が天にましますものでないことくらい、お分かりになるでしょう。完全な摂理である以上、神は全宇宙、全生命に宿っているのです。この宇宙のどこを探しても、完璧な法則が働いていない場所は一つとしてありません。

神は地獄のドン底にいるわけでも、天国のいちばん高いところに鎮座ましますものでもありません。大霊として宇宙全体にあまねく存在し、宇宙の生命活動の一つ一つとなって顕現しております。

 〝御国の来まさんことを〟などと祈る必要はありません。地上天国の時代は、いつかは来ます。かならず来るのです。しかし、それがいつ来るかは霊の世界と協力して働いている人たち、一日も早く招来したいと願っている人たちの努力一つに掛っております。

そういう時代が来ることは間違いないのです。しかし、それを速めるか遅らせるかは、あなた方人間の努力いかんに掛っているということです」


───モーゼの「十戒」をどう思われますか。

 「もう時代遅れです。今の時代には別の戒めが必要です。

 人間の永い歴史のどの時代にも述べられたものであっても、それを持って神の啓示の最後と受け止めてはいけません。啓示というものは連続的かつ進歩的なものです。

その時代の人間の理解力の程度に応じたものが授けられているのです。理解力が及ばないほど高等すぎてもいけませんが低すぎてもだめで、つまり、理解の及ぶ範囲より一歩先んじたものでなければなりません。

 霊界から授けられる叡智は、いつの時代にも一歩先んじております。そして人類がその段階まで到達すれば、次の段階の叡智を受け入れる準備ができたことになります。

人類がまだ幼稚な段階にあった時代に、ある特殊な民族のために授けられたものを、なぜ、当時とは何もかも事情の異なる今の時代に当てはめなければならないのでしょうか。

 もっとも私は〝十戒〟ならぬ〝一戒〟しか持ち合わせておりません。〝お互いがお互いのために尽くし合うべし〟───これだけです」


───霊力とはどんなものでしょうか。実感があるのでしょうか。目で見て描写出来る性質のものでしょうか。

 「ずいぶん解釈の難しい言葉をお使いになられましたね。〝実感があるか〟とおっしゃるのは、どういう意味でしょうか。五感に反応するかということでしょうか。その意味でしたら、実感はありません。

真実味があるかという意味でしたら、知識に真実味があり、進化に真実味があり、愛に真実味があり、ありとあらゆるエネルギーに真実味があるように、霊力にも真実味があります。

 私たちにとっては、もちろん真実味はありますが、霊覚が発達せず、その真実味が認識できる段階まで来ていない者には、その存在は実感できません。一種のエネルギーです。霊的なエネルギーです、生命活動を操るエネルギーです。

無知な人、偏見を抱く人、迷信に動かされるような人は、自分でいくつもの精神的障壁をこしらえ、その一つ一つが霊力の働きの障害となります。それが何時になったら突き崩せるかは、その障害の性質によって違ってきます。

 人によっては、霊的なものに漠然とした概念すら抱くことなく、地上生活を終えることがあります。そういう人は生命がすなわち霊であり、霊がすなわち生命であること、地上の全生命は霊力のお陰で存在が維持されていることに気づきません。

霊的実在についてはまったく無知で、言わば、死が解放してくれるまで肉体という牢獄の中に閉じ込められた生活を送るわけです。といっても、死んですぐに実在に目覚めるわけではありません。ご存じのように、それには永い調整期間が必要です。

 そうした、完全に無知な人間とは別に、生命現象を創造し、支配し、導いている超越的エネルギーを、何らかの体験の中でチラリと垣間見る程度に意識する人もいます。

さらには、あなた方のように、こうして直接的に知識を獲得して、日常生活の中で霊力の恩恵にあずかる人もいます。心と精神と魂の窓を開いた方です。こうした方は、地上の生命現象の全てを表現している霊力と同じものの道具として、いつでも使われる用意が整っている方です。

 霊界のほうでも、あなた方を通して他の受け入れ準備の整っている者を少しでも早く目覚めさせようと腐心しております。そうしたことに使用されるのは、みな霊力なのです。生命現象の全てを統制している力は、私の霊団が操作し、
私がこうして話すことを可能にしてくれている力と同じものなのです」


 そのシルバーバーチ霊団とホームサークルとのつながりについて出された質問に答えて、こう語る。

 「信じることです。わけも分からず信じるのではなく、確固とした知識の上に立った信念を持つことです。確信です。これは使い古された古い用語ですが、私は何一つ新しい教えは持ち合わせないのです。

それがあなた方の精神構造の一部となり切るまで、私は同じことを声の続くかぎり何度でも呼び続けます。確信をもつことです。あなた方が、あなた方なりの役割を果たして下さっていれば、私たちは私たちなりの役割を果たします。決して見捨てるようなことはいたしません。

 人間がインスピレーションにあずかるチャンスはいくらでもあります。ところが取り越し苦労・疑念・不安・こうした邪念が障害となっているのです。こういう念が心に宿るスキを与えてはなりません。

 あなた方の協力を得て為さねばならない仕事が山ほどあるのです。目的意識を忠実に持ち続けることによって、私を援助していただきたいのです。これまでの私の永い体験をもってしても、容易に克服できない障害が沢山あります。

だからこそ、みなさんの私への忠誠心、確信、なかんずく、大胆不敵な心、つまり恐怖心・悩み・心配を精神に根づかせないように心掛けることで、私の力となっていただきたいのです。

 行く道を問題が遮ることがあるかもしれません。が、構わないで放っておけば、そのまま行ってしまいます。居座ることはありません。解決できないほど難しい問題は生じません。

背負えないほど重い荷を背負わされることはありません。取り越し苦労はいけません。明日がもたらすものに不動の信念と断固たる精神で立ち向かいなさい。万事うまく行きます。

 世の中には、あなたのように霊的真理を手にした者による救いを求めている人が大勢います。あなた方は、そういう人を援助し、使命を果たす備えができていなければなりません。

どうのこうのと立派なことを言っても、それを人のために役たてなかったら、つまり人間が手にした知識を他の人に分けてあげなかったら、せっかくあなたに授けられた知識の本来の意義を、自分の人生に活かしていないことになるのです。

 為さねばならないことが山ほどあります。私たちの努力によって喜ばせてあげられる人が、あちらこちらにも大勢いることを自覚して、心躍る気分で仕事に邁進しようではありませんか」


 別の日の交霊会で、これから霊媒のバーバネルがトランス状態に入ってシルバーバーチがしゃべりだすのを待ちながら、二人のメンバーがスピリチュアリズムの宣伝活動の価値について議論し合っていた。やがてシルバーバーチがバーバネルに乗り移って、こう語った。

 「私たちがこうして地上へ戻ってくるのは一体何のためだとお考えでしょうか。少数の特殊な人のため? それとも大勢の人々のため?

 私たちの説く真理は、ひと握りの人のために、どこかの小さな団体、あるいは秘密結社のようなところに仕舞い込んでおくべきものでしょうか。真理を知らずに迷い、絶望的になり、あるいは悲嘆にくれている数知れない人々の姿が、私たちに見えていないとでもお思いでしょうか。
℘160 
 私たちがお届けするメッセージには重大な目的があるのです。世界中の人間に例外なく宿る宇宙の大霊、すなわち神の崇高な資質を顕現させることを目的としているのです。まず第一に人生を支配している法則───物的生活・精神的生活・霊的生活を支配している法則の存在を説かなければなりません。

続いて人生の目的、地上に生まれてきた理由、内部に宿るすばらしい能力、潜在的神性、人間に為しうる貢献度、目指すべき理想世界、身につけるべき知識、到達できる極致を理解させなければなりません。

 私たちの説く真理は、最後は地上のすべての人間、それも地上に生きているうちに実生活に応用することによって実地に学ばせるために、地上のすみずみに至るまで広められる使命を担っているのです。

誤りを訂正し、不足を補い、これまでも人間が愚かにも、しでかしたことの後片付けをするだけで何十年も何百年も費やします。地上の人間がこうまで無知でなければ、そのエネルギーを別の用途へ向け、時間も無駄も省けるのですが・・・・・・

 ここにお集まりのみなさんには、すでにその知識があります。霊的知識について少しばかり多くのことを学んでおられます。霊的交信の素晴らしさも味わわれました。

永遠に別れてしまったと思っていた、愛する人との縁を、再び取り戻されました。遠大な神の計画の一端をご覧になりました。そしてその見事な構想に驚愕されました。

霊力の証しも幾つかご覧になられました。高い世界からのインスピレーションの喜びも味わわれました、高い世界の知識の泉にも近づかれました。

 こうしたことは一体何のためだったのでしょうか。自分一人で楽しむため? もちろん違います。知識には責任が伴います。今度は代ってあなた方が、その知識を自分にできる範囲内で広めなければならないのです。あなたがたが得た喜びが何であれ、それを他の人に回してあげるのが責務です。

そうすることで一人でも多くの人が霊力に近づき、高い世界で待機している高級霊の愛を知り、これまで多くの男女に大霊の雄大な計画の一翼を担う道具となる決意をさせた、その強烈な力によって、さらに多くの人が魂を鼓舞されるように努力しなければならなのです。

 知識に制約を加えようともくろむ人種とは、縁を切ることです。知識は自由に広められるべきものです。それが無知と迷信と、あまりに永い間、人類の足枷となってきたものを全て打ち崩すことになるのです。

知識こそが魂を解放し、大霊からの授かりものである自由の喜びを満喫することになるのです。

 太陽の輝きを拝めるはずの人間が、ろうそくの明かりしか知らないとは、何という愚かしいことでしょう。私が一個の道具に過ぎないように、皆さんも道具です。

どこの誰ということなく、全ての人の心を解放してあげるのが私たちの仕事です。それが地上世界に進歩をもたらし、大霊の子すべてが霊的摂理にもとづいて意義ある人生が送れるように、社会秩序を改めていくのです




 最後にこれからの見通しについて───

 「私の関心ごとは真理を普及することだけです。真理こそが最も大切です。私のいう新しい世界が基盤とすべき永遠不変の霊的真理を理解していただくためには、私はひたすら自分を役たてることだけを考えております。

その大事業から外れたことをする人は、本来同胞のために捧げるべきエネルギーをムダ使いしていることになるのです。

 私たちがこうして地上へ戻ってきたそもそもの目的は、聞く耳を持つ人間の魂に刺激を与えて、新しい世界の構築のために地上の人間なりの役割を果たしていただくことにあります。

地上世界は、形式への盲従が度を越しております。因習を大切にし過ぎます、私は、知識の普及と、それを今なお暗闇に居る人々の啓発のために使用していただくこと以外には、関心はありません。

私にとって宗教はたった一つしかありません。人のために自分を役たてること───これだけです、教会・聖堂・信条・教理、こうしたものには私はまるで興味がありません。行為・生活・動機───これで評価します。
  
 霊的な知識を得た人が、それを正しく普及していく上において心しなければならないことは、それを無理やり押し付けることによって、肝心の霊界からの邪魔になるような事態になってはいけないということです。

霊力は勝手に制約したり命令したりすることはできません。発現できると見たら、どんな人を通してでも流入します。私たちが欲しいのはそういう道具、霊媒、普通の男女───霊力が受け入れられ、霊の教えが語られ、知識が伝達されるような精神構造をした人たちです。これはのんびり構えていられない問題です。

 私はなぜこの地上へ戻ってくるのか───実は、霊界へ送り込まれてくる人間の中に、もしも地上で霊的知識を身につけていたら、こうまで酷くはならなかったであろうと思われる廃残者、堕落者、霊的生活への備えがまるでできていない者が、余りに多過ぎるのです。

無知と恐怖と迷信と偏見に満ちたものばかりなのです。そうした地上の暗黒面を助長している勢力を打ち崩すことが、私たちの仕事なのです。

 私はそれを敢えてスピリチュアリズムと呼ぶつもりはありません。私は自然法則について語っているだけです。〝父なる神〟などという言い方もいたしません。私は宇宙の大霊という呼び方をしています。法則に目を向けます。宇宙の創造の目的に目を向けます。

 人間は霊的に成長しなければならないのです。もしも地上で為すべきことの一部だけでも成就できたら、避けようにも避けられない宿命である次の霊的生活への準備が整ったことになります。そうなるように仕向けるのが、私たちがこうしてあなた方の世界へ戻ってくる目的です。

同胞である地上人類への愛に発しているのです。情愛の絆がわれわれを結び付け、私たちがあなた方に真理を語り、代ってあなた方が同胞のためにそれを語り継いでくださればよいのです。

 私は、ただ私が見てきたままの事実を述べているだけです。そしてその評価は、あなた方の理性に訴えております。それが最高の判定者であると考えるからです。とにかく正しい知識を広めることです。迷信を突き崩すのです。光明を輝かせ、闇を無くすのです。

古くからの誤った権威を滅ぼすのです。強欲・貪欲・私利私欲・旧態依然たる教理と慣行の息の根を止めるために、何とかしなければなりません。

 そうしたもの全てが霊力の敵です。断じて無くさないといけません。新しい世界にとっての障害物です。行く手を邪魔するものは、たとえ一時的にせよ、神の計画を妨害していることになるのです。

真理はいかなる組織、団体よりも大切です。難しく考えることはありません。真理は極めて単純なのです。ところが人間はそれでは気が済まないのです。

 形式と慣習を好みます。よその形式と慣習を真似したがります。よそが教会をたてると、自分のところも教会をたてないと気がすみません。よそが祈祷で儀式を始めるようになると、自分のところでも祈祷文をこしらえます。よそが賛美歌を歌うようになると、自分のところでも賛美歌をこしらえます。

もっとも、その多くは文句が同じで、歌い方を変えているだけですが・・・よそが説教を始めると、自分たちも説教を始めます。

 そんなことをしなくても、ただひたすら霊力を第一に考えておれば、大霊についての知識と霊的法則の普及のための合流点は、いくらでもあるのです。そのことが何より大切です。

 レンガはあくまでもレンガです。建築物はあくまでも建築物に過ぎません。そんなものに手を合わせてはいけません。忠誠を捧げるべきものは宇宙の大霊すなわち神と、その永遠不変の摂理です。

そのことを知った者は、その真理の炎を絶やさぬように努力し、向かうべき方向も分からずに迷っている人々に、いつでも希望と慰めと啓示を与えてあげられるようになることが勤めです。

 地上界は暗闇に満ちております。人生に疲れ、生きる意欲を失い困惑している人々、慰めの一言、一片の真理を渇望している人々が大勢います。あなた方による援助を必要としております。

そういう人々のために、あなた方は一刻を惜しんで真理普及のために努力すべきです。その霊的真理こそが、その人たちにとって人生を建て直す盤石の土台となることでしょう」

シルバーバーチ

Wednesday, July 24, 2024

シアトルの夏 新しい世界秩序の構築

Building a New World Order


Silver Birch Companion  
Edited by Tony Ortzen


特定の日を決めて合同で祈ること、たとえばスピリチュアリストがそういう催しを行うことに意義があるのだろうか。そういう質問が発展して、スピリチュアリズムのそもそもの目的、すなわち魂の自由と解放による新しい世界の誕生が話題となった。まずシルバーバーチがこう語る。

 「私たちは時には冗談を言っては笑い、楽しい雰囲気の中で会を進めておりますが、こうしたささやかな集まりの背後に、大きな、そして深刻な目的が託されております。出席なさっている皆さんも、自分たちの力でどれほど多くの人々が光明を得ているかをご存じないでしょう。

 この霊媒の口から出る言葉は、高い界から送られてくるメッセージの一部を私が取り次いでいるのですが、これも皆さんにはすっかりお馴染となりました。

皆さんの生活の背景として、ごく当たり前の位置を占めるに至っております。もはや皆さんにとって、私の述べることに取り立てて耳新しいことや革命的なものはなくなりました。

 十数年前、あなた方は精神的ならびに霊的な自由を手にされました。永いあいだ尋ね求め、あれを取り、これを拒否し、神から授かった理性で試し、検討した末に、ついに私の述べるメッセージを真実のものと認められたわけです。

今では、私の説く単純で素朴な教えこそ永遠の真理であることを得心しておられます。

 しかし一方には、永いあいだ暗闇と懐疑と苦悩の中でさ迷っている人、こうした真理が魂の解放のメッセージとなるべき人が大勢いることを忘れてはなりません。

気の毒な状態から救い出してあげなければなりません。霊的真理には一人ひとりの人間を束縛から解放する意図が託されているのです。私たちの仕事は必ず一個の人間から始めます。人類全体も、個が集まって構成されているからです。

 一人、そして又一人と、非常にゆっくりとした根気のいる仕事ではありますが、それ以外に方法がないのです。大勢の人を一度に変えようとしても、必ず失敗します。

暗示が解け、普通の感覚に戻った時、すべてが忘れ去られます。そうした一時の興奮から目覚めたものは、気恥ずかしささえ味わうものです。

 ですから私たちは、あらゆる反抗と敵意と妨害の中にあっても〝点滴、岩をも穿つ〟の譬えで、一人また一人と、光明が射し真理を悟ってくれることを信じて、素朴ながらも繰り返し繰り返し説いてまいります。

その訓えの意味を十分に理解して価値を正しく評価して下さる方は、それ以後は後ろ髪を引かれる思いをすることなく、それまで永いあいだ魂を束縛してきた古い因襲的信仰に、きれいさっぱりと決別することでしょう。

 暗闇からはい出て、光明の世界へ辿り着いたのです。真実の光を見出したのです。それを〝理性〟で確認したのです。私たちが説く教えには、人間の理性が納得する筋が通っていること、人間の常識を怒らせる要素がないこと、人間の知性を反発させるものではないことを、皆さんはご存知です。

むしろ皆さんは、これほど明白な真実がなぜ受け入れられないのだろうかと、悩みにさえ思っておられるくらいです。

 私たちに反抗する大きな勢力がまだまだ存在することを忘れてはなりません。その中でも特に警戒を要するのが、キリスト教会という宗教のプロが有する既得の権力です。

彼らはそれを振りかざして、私たちの使命を阻止せんとすることでしょう。彼らはもはや何ら新しい恩恵は持ち合わせません。持ち出すものと言えば、カビの生えた古い教説ばかりです。
℘120
 彼らは、身は今の世にあっても精神は古い時代に生きていて、その過去の栄光を現代に蘇らせようとします。今の彼らには、それしか持ち合わせがないからです。教会は倒れかけた墓のごとく陰うつな空虚さに満ち、およそ神の霊の宿るところではなくなっております。

そういう宗教家が私たちを非難し、悪魔の手先である───信心深いお人好しや妄想に取りつかれ易い人間をだまそうと企てているのだ、と宣伝します。

 私たちはそういう宗教家を見て情けなく思わずにはいられません。彼らは、往々にして自分でもそうとは気付かずに、宗教家としての職責を裏切り、民衆を神へ導くことをしないどころか、神との間に垣根をこしらえ、

ただの書物に過ぎないもの、ただの教義に過ぎないもの、ただの建造物に過ぎないものに自らの魂を縛られ、それを真理より大切なものであると信じ切っております。

 私たちが酷しい言葉で非難のつぶてを投げるのは、そう言う宗教家に対してです。彼らは宗教家としては落第しているのです。苦しみと悲しみの海にさまよう無数の人々を導く資格を失っているのです。

神学と言う粗悪品を混入して、イエスがせっかくこの世にもたらした素朴な啓示の言葉を忘れてしまっております。

℘121
 私たちが説く宗教とはお互いがお互いのために尽くし合う宗教です。人のために役立つことが霊の通貨なのです。大霊の子である同胞のために自分を役たてるということは、とりもなおさず大霊のために役たてることであり、それを実行した人は。立派に宗教的人間といえます」


───伝統的宗教に対するわれわれの態度は寛容的であるべきでしょうか。厳しい態度で臨むべきでしょうか。

 「相手が誰であろうと、臆せず真実を述べることです。あなたも神の僕の一人です。間違いは排除し、虚偽は論破すべきです。恐れてはいけませ。怖じける必要は少しもありません。

大堂伽藍を建て、妙なる音楽を流し、ステンドグラスを飾り、厳かな儀式を催したからといって、そんなことで宇宙を創造した大霊が心を動かされるものではありません。宇宙の大霊すなわち神を一個の建物の中に閉じ込めることはできないのです」


 これに関連した質問を受けて、さらにこう述べた。
℘122 
 「大衆に目隠しをして暗闇に閉じ込めようと思えば、出来ないことはありません。かなりの年月にわたってそうすることも可能です。しかし、いつかは大衆も、自分たちが本来は光の子であることを思い出して、真理の光明を求めはじめます。

その時期を権力によって遅らせることはできます。妨害もできます。しかし、最後は真理は真理としてあるべき位置に落着きます。

 あなた方人間も霊的存在です。肉体だけの存在ではないのです。無限の可能性を秘め、神性を宿しているがゆえに、その霊的可能性が発現を求め始めます。一時的に無視することはできます。が、永遠に抹殺してしまうことはできません。

だからこそ真理の普及が急務なのです。人間が霊的存在であるということは内部に宿る霊がこの驚異に満ちた大宇宙を創造した力の一部であるということです。いかなる宗教的権力を持ってしても、霊の声を永遠に封じ込めることはできません」


 伝統的宗教の失敗と新しい世界の誕生のテーマにもう一度言及してこう述べている。

 「地上世界では今、古い体制の崩壊と衰亡が進行し、かつて我がもの顔だった説教者たちも、もはやこれでは民衆の心を捉えることができないことを認め始めております。

永いあいだ盲目の民を好きに操って来た盲目の指導者達───真理の行進に抵抗し、現代に生きる聖霊の存在を否定せん(霊界からの働きかけを認めないこと)としてきた者たち、そうした者たちが今、その代償、つまり霊的法則の存在を認めようとしなかったことへの代償を払わされつつあります。

 そこに、あなた方が肝に命じていただきたい教訓があります。真理のために闘う者は、最後は必ず勝利を収めるということです。善の勢力を完全に封じ込めることはできないからです。一時的には抑えることはできます。邪魔することもできます。進行を送らせることもできます。

しかし、真理を永遠に破壊したり、あるべき位置に落ち着くことを阻止し続けることは誰にもできません。

 これは宗教にかぎったことではありません。人生のあらゆる面についていえることです。何事につけても、誤った説に抵抗し、偽りの言説を論破し、迷信に反抗していく者は、決してうろたえてはなりません。

全生命を支え、最後の勝利を約束してくれる、永遠にして無限の霊力に全幅の信頼を置かなければいけません。

 死によって隔てられた二つの世界の交信を可能にしてくれる霊的法則の存在を知った者にとって、こうした戦争(第二次大戦)によって惹き起される不利な条件の中で真理を普及していくことがいかに困難であるかは、私もよく承知しております。

しかし、何が何でも、この霊的真理にしがみついていかねばなりません。やがては、真理に飢え魂の潤いを渇望する者が次第に増え、いつかは知識の水門が大きく開かれる時機が熟します。

その時に備えておかねばなりません。対立紛争が終わった時、戦火が消えた時、無数の人が今度は知識を土台とした生き方の再構築を望むことでしょう。

 彼らは、宗教の名のもとに押しつけられた古い神話には、うんざりしております。戦争という過酷な体験をし、人生の意義を根本から問い直し、なぜ生まれてきたのか、いかに生きるべきなのか、いつになったら・・・・・・といった疑問に直面させられた者は、その真実の答えを何とか知りたいと思い始めます。真理を渇望し始めます。

その時あなた方は、そうした魂の理性と確信と論理性と叡智でもって対応し、新しい世界の住民としての生き方を教えてあげられる用意が出来ていなければなりません。

 過ぎ去ったことは、そこから教訓を学ぶためでなければ、つまり、失敗をどう正すか、二度と過ちを犯さないためにはどうすべきかを反省するためでなければ、むやみの振り返るべきでものではありません。未来へ目をやり、今日行うことをこれから訪れる、より立派な日の素地としてなければなりません。

世界中があなた方を必要とする時代が来ます。無数の人が、希望と慰めとインスピレーションと指導を求めて、あなた方に目を向ける日がきっときます。

 もう教会へは足を運びません。聖職者のもとへは訪れません。教師のもとへは参りません。あなた方の方へ足を向けます。なぜなら、死と隣り合わせの体験をし、その厳しい現実の中で、ある種の霊的体験をした者は、心の目が開いているからです。

目の前を遮っていたモヤが晴れたのです。真理が受け入れる用意ができたのです。ならば、それを授けてあげる用意ができていなければなりません」


───新しい世界が生まれつつあるということは何を根拠におっしゃるのでしょうか。

 「私は厳とした計画、神の計画が見て取れるのです。私は、霊の力こそ宇宙最大の力であると信じています。人間がその働きを歪め、遅らせることはできます。妨害を押し止めることはできるかもしれません。しかし、永遠にその地上への権限を阻止することはできません。

 あなた方が霊的真理を手にしたということは、人類が抱える全ての問題を解くカギを手にしたことを意味します。

私は決して、世にいう社会改革者たち───義憤に駆られ、抑圧された者や弱き者への止むにやまれぬ同情心から悪と対抗し、不正と闘い、神の物的な恵みがすべての人間に平等に分け与えられるようにと努力している人々を、ないがしろにするつもりは毛頭ありません。
℘126
 ただ、その人たちは問題の一部しか見ていない───物的な面での平等のために闘っていることに過ぎないということです。もちろん精神的に平等であるべきことも理解しておられることでしょう。が、人間はまず何より〝霊〟なのです。大霊の一部なのです。宇宙を創造した力の一部なのです。

決して、宇宙の広大な空間の中に忘れ去られた、取るに足らぬ存在ではないのです。宇宙の大霊の一部として、常に無限の霊性に寄与しているのです。

 その霊力の息の根を止めることは誰にもできません。いつかは必ず表に出てきます。残酷な仕打ちにも、憎しみの行為にも負けません。こん棒で叩かれても、強制収容所へ入れられても、独裁政治で抑えられても、決して窒息死することはありません。

なぜならば、人間の霊は、人間が呼吸している空気と同じように自由であるのが、本来のあるべき姿なのです。それが生来の、神から授かった、霊的遺産なのです。

℘127   
 その理想像の素晴らしさを理解した人々、新しい世界のあるべき姿を心に描いた人々は、当然そうあらねばならないことを十分に得心しています。なぜなら、それが人間に息吹を与える動物から人類へと進化させた、その背後の目的の一部だからであり、それはさらに人間を神的存在へと向上させていくものです。

あなた方の使命はその松明を引き継ぎ、新しい炎を燃え立たせ、次の世代にはより大きな光明が道を照らしてあげることです。

 基盤はすでに出来上がっているのです。何年も前から、その基盤作りはこちらの世界で終わっているのです。苦痛は伴いながらも、ゆっくりと各界の名士あるいは名もなき男女が、永遠の霊の実在の証言に立ちあがり、神の計画の一刻も早い実現のために刻苦したのです。新しい世界は必ず実現します」


───その新しい世界は、われわれ人間自らの努力によって実現しなければならないはずなのに、なぜその基盤作りがそちらの世界で行われたのでしょうか。

 「あなた方の世界は影です。光はこちらから出ているのです。あなた方は、こちらで建てられてプランを地上で実行し実現させていきつつあるところです。オリジナルの仕事───と呼ぶのが適切か否かは別として───は全てこちらで行われます。

なぜなら全てのエネルギー、全ての原動力は物質から出るのではなくて、霊から出るのです。みなさんは、意識するしないに関係なく、霊力の道具なのです。受信と送信をする道具なのです。霊的影響力をどこまで受けとめられるかによって、成功するしないが決まるのです」

℘128
───ということは、結局、そちらからの援助をえて私たちが努力することから新しい世界が生まれるということでしょうか。

 「その通りです。何ごとも人間の力だけでは成就し得ません。人間が何かを始める時、そこには必ずこちらからの援助が加味されます。私たちは常に道具を探し求めております。

人間の方から霊力の波長に合わせる努力をしていただかねばなりません。完ぺきは決して望めません。常に困難を克服し邪魔を排除する仕事は永遠に続きます」


───私たち自身の努力で地上に新しい世界を招来しなければならないわけですね?

 「努力してはじめて得られるのです。私から申し上げられることは、神の計画の一部として成就しなければならないことは、すでに決まっている───が、それがいつ実現されるかは、あなた方人間の努力次第ということです。計画はできているのです。

しかし、その計画は自動的に実現されるわけではありません。それはあなた方人間の自由意思に任されております。人間は自由意思を持った協力者です。ロボットでも操り人形でもありません。宇宙の大霊の一部なのです」


───新しい世界が来るとおっしゃっても、私たちにはそれらしい兆候は見当たらいのですが・・・・・・

 「古い秩序が崩壊していくのと同じ速さで、新しい秩序が生まれます。現にその目でご覧になったばかりではありませんか。大帝国がくずれさりました。お金の力が絶対ではなくなりました。

利己主義では割に合わないことが証明されました.戦争体験によって、普通の一般男女の力の本当の価値が証明されました。

 どうか、この私に〝進歩が見られない〟などとおっしゃらないでいただきたい。
℘130
教訓ならあなた方の目の前にいくらでもあります。別に、霊眼は必要ではありません。肉眼で見えるところにあります。これほど切実な体験をした現代の人々に、新しい世界が訪れて当然です。

もしもその恩恵に浴せないとしたら、その人はまだまだ内部の霊的な力を使用するまでに至っていないことを意味します。それだけの努力をした人々は、その犠牲と引き換えに恩恵を受けておられます。

 私はそれが機械的なプロセスで与えられると申しているのではありません。皆さんにやっていただかねばならない仕事があります。それは、一方では霊的知識を広め、他方では古い権力構造の面影に貪欲にしがみついている、因襲的既得権に対して、あくなき闘いを挑む事です」


 シルバーバーチのもとには、数えきれない程の質問が寄せられている。その一つ一つが読み上げられるのをシルバーバーチは熱心に聞き入るが、余りプライベートな内容のものには答えたがらない。

その理由を、プライベートな悩みに答えるには、その悩みを抱えている本人がすぐ目の前にいる必要がある───が、それは、私が委ねられた使命ではないから、と説明する。自分の本来の使命は、すべての人に共通した真理を説くことにあるという。その一つが次の質問である。

℘131
───あなただけがご存じの、何か新しい真理がありますか。

 「新しい真理というものは一つもありません。真理は真理です。単なる知識は、それを受け取る人次第で内容が異なります。子供時代には、その知能程度に似合ったものを教わります。まずアファベットから始まり、知能の発達と共に単語を覚え、文章が読めるようになります。

どの程度のものが読めるかは、その段階の理解力一つに掛っております。知識は無限に存在します。際限がありません。が、そのうちのどこまでを自分のものにできるかは、精神的ならびに霊的受容力の問題です。

 しかし、いくら知識を蓄えても、それによって真理を変えることはできません。いくら知恵を絞っても、真理の中身を変えることはできません。過去において真理であったものは今日でも真理であり、明日の時代でも真理です。真理は不変であり不滅です。

新しい叡智を身につけることはできます。新しい知識を増やすことも出来ます。が、あたらしい真理を生み出すことはできません。

 地上人類はすでに地上生活にとって必須の真理───親切と助け合いと愛についての基本的真理のすべてを授かっております。世界をより良くするには如何にすべきかは、すでに分かっております。

成長と発展と向上と進化にとって必要なものは、過去幾世紀にもわたって啓示されてきております。それに素直に従いさえすれば、今この地上において、内部に宿された神性をより多く発揮することができるのです。

 偉大な指導者、地上に光をもたらした〝霊力の道具〟は、根本においてはみな同じことを説いております。人間の霊性───各自に宿る不滅の資質に目を向けさせるべく、地上を訪れたのです。

言語こそ違え、みな人間のすべてが無限の魂、神の火花、宇宙の大霊の一部を宿していることを説きました。そして素直に従い実行しさえすれば、それより多くを発揮させてくれる指導原理も説いております。

霊的理念に従って生きれば、この世から悪夢のような悲劇、永いあいだ無益な苦しみを与えてきた、恐怖と悲惨と苦悩を一掃できることを説いてきております。

 自分を愛するごとく他人を愛せよ。苦しむ者に手を差し伸べよ。人生に疲れた人、心に潤いを求める者に真理を語って聞かせよ。病の人を癒し、悲しむ人を慰め、不幸な人を訪ねてあげよ・・・・・・こうした教えは、遠い昔から説かれてきた真実です。こうしたことを実践しさえすれば、地上は一変し、二度と恐ろしい悲劇をもたらす戦争も生じなくなるでしょう。
℘133
 そこで、私たち霊団の取るべき態度はどうあるべきか。人間は自分の成長と死後への霊的準備に必要なものは、すでに掌中に収められております。聖なる者も数多くあります。〝師〟と呼ばれる者も数多く輩出しております。

内的世界を垣間見て、その人なりに解釈した霊覚者が大勢います。しかし不幸にして、そうした形で地上に啓示された素朴な真理が埋もれてしまいした。

 人間はその上に教義だの、ドグマだの、信条だの、儀式だのという、余計なものを築き上げてしまいした。単純で素朴な真理の上に、神学という名の巨大な砦を築いてしまい、肝心の基盤がすっかり忘れさられております。

そこで私達は、その埋もれた真理を本来の純粋な姿───何の飾り気も無い素朴なままの姿をお見せするための道具、つまり霊界からのメッセージをお届けするための霊媒を探し求めてきたのです。

 私たちは人間の精神的産物によって色づけされた信仰体制には関心はありません。大切なのは、地上界のように錯覚によって惑わされることのない、霊の世界からの真理です。

なぜかと言えば、余りに多くの落後者、精神的浮浪者のような人間が霊界へ送り込まれる一方で、一見立派そうな人間が、霊的事実について誤った概念と偏見のために、

死後に直面する生活に何一つ備えが出来ていないと言うケースが余りに多過ぎると言う現実をみて、私たちは、いずれ誰もが訪れる永続的な実在の世界、すなわち死後の生活に備えるために、単純な真理を地上にいる間に知ってもらえば、私達の手間も大いに省けるだろうと考えたのです。
℘134
 そこで、あらゆる宗教的体系と組織、進歩を妨げる信仰、不必要な障害、人間の精神を曇らせ、心を惑わせる迷信に対して敢然と宣戦布告し、神の子が神の意図されたとおりに生きられるように、不変の真理を授けようと努力しているわけです。

 他人がどう言おうと気にしてはいけません。非難、中傷など、すべて忘れることです。霊的真理こそが、永遠に変わらぬ真理なのです。理性が要求するテストのすべてに応えうる真理です。決して知性を欺きません。単純。明快で、誰にでも理解できます。

聖職者によるあらゆる方策が失敗したのちも止まることなく普及発展していく真理です。不変の自然法則に基づいた単純素朴な永遠の真理だからです。

 これには、法王も大主教も、司祭も牧師も教会も聖堂も礼拝堂もいりません。私たちも、これを捏ねまわして神学体系を造ろうなどとは思いません。

こうして説くだけです。が、理解ある伝道者さえいれば、それが社会のあらゆる階層に浸透し、すべての人間が身体的にも霊的にも自由を享受し、二度と束縛の中で生きていいくことはなくなるでしょう。無知の暗闇が消滅し、代わって真理の光がふんだんに注がれることでしょう」

℘135
 別の日の交霊会でも、人間の真の自由獲得のための闘争についてこう語っている。

 「私たちは、本当はあってはならない無知に対して闘いを挑まなくてはなりません。神は、内部にその神性の一部を宿らせたはずの我が子が、無知の暗闇の中で暮らし、影とモヤの中を歩み、生きる方角も分からず、得心いく答えはないと思いつつも問い続けるようには意図されておりません。

真に欲するものには存分に分け与えられるように、無限の知識の宝庫を用意してくださっております。

 しかしそれは、当人の魂と成長と努力と進化と発展を条件として与えられるものです。魂がそれにふさわしくならなければなりません。精神が熟さなければなりません。心が受け入れ体制を整えなくてはなりません。その段階で初めて、知識がその場を見出すのです。

 それも、受け入れる能力に応じた分しか与えられません。目の見えなかった人が見えるようになる場合でも、その視力に応じてすこしずつ見せてあげなくてはなりません。一気に全て見せてあげたら、かえって目を傷めます。霊的真理も同じです。

はしごを一段一段とのぼるように、一歩一歩と真理の源へと近づき、そこからわずかずつ我がものとしていくのです。

℘136  
 いったん糸口を見出せば、つまり行為なり思念なりによって受け入れ態勢ができていることを示せば、その時からあなたは、そのたどり着いた段階にふさわしい知識と教訓を受け入れる仕組みとつながります。そのあとはもう、際限がありません。

これ以上は無理という限界がなくなります。なぜならば、あなたの魂は無限であり、知識もまた無限だからです。

 しかし、闘わねばならない相手は無知だけではありません。永いあいだ意図的に神の子を暗闇に閉じ込め、あらゆる手段を弄して自分たちででっち上げた教義を教え込み、真の霊的知識を封じ込めてきた既成宗教家とその組織に対しても、闘いを挑まなくてはなりません。

 過去を振り返ってみますと、人間の自由と解放への闘争のために、私たちが霊界からあらゆる援助を続けてきたにもかかわらず、自由を求める魂の自然な欲求を満足させるどころか、逆に牢獄の扉を開こうとする企てを、宗教の名にもとに阻止しようとする勢力と闘わねばなりませんでした。

 今なお、その抵抗が続いております。意図的に、あるいは、そうとは知らずに、光明の勢力に対抗し、私たちに対して悪口雑言の限りを浴びせ、彼ら自身も信じなくなっている教義の誤りを指摘せんとする行為を阻止し、

勝手にこしらえた神聖不可侵思想にしがみつき、自分で特権と思い込んでいるものがどうしても捨てきれずに、擦り切れた古い神学的慣習を後生大事にしている者が、まだまだ存在します。

 そこで私たちは、人間のすぐ身のまわりに片時も休むことなく打ち寄せる、より大きな、素晴らしい霊の世界のエネルギーがあることを教えに来るのです。そうした数々の障害を破壊し、莫大な霊力───すべての存在に活力を与えるダイナミックな生命力をすべての人間が自由に享受できるようにするためです。

その生命力が、これまでの人類の歴史を通じて多くの人々を鼓舞してまいりました。今でも多くの人々に啓示を与えております。そして、これから後も与え続けることでしょう。

 荒廃しきった世界には為さねばならないことが数多くあります。悲哀に満ち、涙に、むせび苦痛にあえぐ人にあふれ、何のために生きているかを知らぬまま、首をうなだれ、行き先が分からずに、さ迷っている人が大勢います。

そうした人たちにとって、目にこそ見えませんが、霊の力こそ本当の慰めを与え、魂を鼓舞し、元気づけ、導きを必要とする人々に方向を指し示してあげる不変の実在があることを、その霊力が立証してくれます。

 そこにこそ、霊的知識を授かった人々のすべてが参加し、自由の福音、解放の指導原理を広め、人生に疲れ果て、意気消沈した人々の心を鼓舞し、魂の栄光を知らしむべく、この古くて新しい真理の普及の道具として、一身を捧げる分野が存在します。

私たちが提供するのは、霊の力です。あらゆる困難を克服し、障害を乗り越えて、真理の光と叡智と理解力を顕現せしめ、神の子等に恒久的平和を築かせることができるのは、霊の力を措いて他にはないのです」
℘138

───戦死の場合でも、誰がいつ死ぬかということは、霊界では前もって分かっているのでしょうか。

 「そういうことを察知することのできる霊がいるものです。が、どれくらい先のことを察知できるかは、その時の事情によって異なります。

愛の絆によって結ばれている間柄ですと、いよいよ肉体との分離が始まると必ず察知します。そして、その分離がスムースに行われるのを手助けするために、その場に赴きます。

 霊界のすべての霊に知られるわけではありません。いずれにせよ、死んだ時一人ぼっちの人は一人もいません。必ず、例外なく、周りに幾人かの縁故のある人がいて、暗い谷間を通ってくる者を温かく迎え、新しい、そして素晴らしい第二の人生を始めるための指導に当たります」


 総じてシルバーバーチは誰が聞いても分かるようなことを説き、理屈っぽい、難解な質問には答えたがらない傾向がある。その理由をこう弁明する───

 「難解な質問を回避したいからではありません。私は、今すぐ応用のきく実用的な情報をお届けすることに目標をしぼっているからです。基本の基本すら知らずにいる大勢の人々、真理の初歩すら知らない人が大勢いることを思うと、もっと後になってからでもよさそうな難解な理屈を捏ねまわすのは、賢明とは思えません。

 今の時代に最も必要なのは、簡単な基本的真理───墓場の向こうにも生活があること、人間は決して孤独な存在ではなく、見捨てられることもないこと、宇宙のすみずみまで大霊に愛の温もりをもつ慈悲深い力がいきわたっていて、一人一人に導きを与えていること、それだけです。

 これは人間のすべてが知っておくべきことです。また誰にでも手に入れることのできる、掛けがいのない財産なのです。そうした基本的真理すら知らない人間が何百万、いや何千万、いや、何億といる以上は、私たちはまず第一に、そういう人たちから考えようではありませんか。それが私たちにとって最も大切な義務だと思うのです」

℘140
 別の日の交霊会でも同じ話題について───

 「わたしたち霊界の者がこうして地上へ戻ってくる目的の真意が、ほかならぬ宗教の指導者であるべき人から曲解されております。いつの時代にあっても、宗教とは基本的には霊力との関わり合いでした。

それはまず、地上の人間の霊的向上を指向し規制する摂理を教える使命を帯びた者が、地上へ舞い戻ってくるということから始まります。つまり宗教の本来の目的は、人間の霊性に関わっているからです。

 そこから出発し、ではその霊性を正しく発達させる上で、霊界からの指導を受けるにはどうすべきかを説くのが、宗教の次の仕事です。霊的摂理は広範囲にわたっております。

ところが、それが不幸して誤って解釈され、その上、それとは別の意図を持った聖職者が割り込んできたために、そこに混乱が生じたのです。

 人間も根本的には霊であり、それが肉体を使用しているのであって付属品として霊を宿した肉体的存在ではないわけです。肉体は霊に従属しているのです。地上生活の全目的は、その内在する霊に修業の場を与え、さまざまな体験を通じてそれを育み、死によってもたらされる肉体からの解放の時に備えて、身支度をさせることにあります。

そこから本当の意味での〝生活〟が始まるのです。宗教とは、霊が霊として本来の生活ができるように指導するための処世訓であり、道徳律であると言えます。

 ところが不幸にして、古い時代 (イエスの時代の少し後) に、霊の道具である霊媒と聖職者との間に衝突が生じたのです。聖職者の本来の仕事は、聖堂や教会といった宗教的行事の執り行われる建造物の管理でした。

原初形態においては両者の関係はうまく行っておりました。が、ある時代から聖職者の方が、紳示(霊界通信)を受ける霊媒にばかり関心をむけられることに不快感を抱くようになりました。

そしてそれまでに入手した神示を資料として、信条・儀式・祭礼・ドグマ・教説等を分類して綱領をこしらえる、いわゆる神学的操作を始めたのです。今日まで引き継がれているもののうち、どれ一つとして霊の資質と実質的に関わりのあるものはありません。

 かくして、真の宗教の概念が、今日では曖昧となってしまいした。宗教というと何かお決まりの儀式のことを思い浮かべ〝聖典〟と呼ばれるものを読み上げることと考え、賛美歌を歌い、特別の衣装を着ることだと思うようになりました。何やら難しい言説を有り難く信奉し、理性的に考えれば絶対におかしいと思いつつも、なおそれにしがみつきます。
℘142  
 私たちはいかなる神学、いかなる教義、いかなる信仰告白文にも関心はありません。私たちが関心を持つのは人間の霊性であり、私たちの説くこともすべて、絶対的に従わねばならないところの霊的自然法則に向けられています。人間がこしらえたものを崇めるわけにはいきません。

宇宙の大霊によって作られたもののみを実在として信じます。そこに、宗教の捉え方の違いの核心があります。

 人のために役立つ行為、霊性に動かされた行為、無私と利他的行為、自分より恵まれない人へ手を差し伸べること、弱き者へ力を貸してあげること、多くの重荷に喘ぐ人の荷を一つでも持ってあげること、こうした行為こそが私たちの説く宗教です。

 〝神とイエスと聖霊は三にして一、一にして三である〟などと説くことが宗教ではありません。宗教的であるとも言えません。それを口にしたからといって、霊性はみじんも成長しません。朝から晩まで賛美歌を歌ったからといって霊性が増えるわけではありません。

 バイブルを読んでも(キリスト教)、タルムードを読んでも(ユダヤ教)、コーランを読んでも(イスラム教)、バカバット・ギ―タ―を読んでも(ヒンズー教)、その他、いかなる聖なる書と呼ばれているものを、目が疲れるほど読んでも、それだけで霊性が成長するわけではありません。

 〝宗教的〟とみなされている行事のすべてを行っても、それによって一段と価値ある人生へ魂を鼓舞することにならなければ、私たちが考えている意味での宗教的人間になるわけではありません。

 肩書(ラベル)はどうでもいいのです。形式はどうでもいいのです。口先だけの文句はどうでもいいのです。大切なのは〝行為〟です。どういうことをしているかです。つまり各自の日常の生活そのものです。

 私たちは因果律という絶対的な摂理を説きます。つまり誰一人として神の摂理のウラをかくことはできません。ごまかすことはできません。自分が自分の救い主であり、贖い主であり、自分の過ちには自分が罰を受け、善行に対する報酬も自分が受けると説くのです。

 また、神の摂理は機械的に機能し、自動的に作用すると説きます。すなわち、親切・寛容・同情・奉仕の行為が自動的に、それ相応の結果をもたらして霊性を高め、反対に利己主義・罪悪・不寛容の精神は自動的に霊性を下げます。この法則は変えようにも変えられないのです。みっともない執行猶予も、安価な赦免もありません。
℘144
神の公正が全宇宙に行きわたっております。霊的な小人が巨人のふりをしてもごまかせません。死後の床での悔い改めも通用しません。

 巨大なる宇宙の中で生じるもの全てに責任を持つ大霊の、不変にして絶対的威力を有する摂理に目を向けましょう。私は常にその摂理を念頭に置いています。

なぜなら私たちの説く神は、人間的弱点───激情や憤怒に動かされたり、好きな人間と嫌いな人間とを選り分けたりするような、そんな人間的存在ではないからです。

 私が見る宇宙は法則によって支配されています。すみずみまで行きわたり、これからも常に永遠に存在しつづける法則です。

地上の人間に永い間振り回され、隷属させられてきた誤った概念と虚偽、偏見と無知を無くしていくには、地上の生命現象と生活現象のすべてが、その絶対的法則によって支配されていることを教える以外に方法はありません。

 その知識が少しでも増えれば、それだけ理解力も豊かになるでしょう。本来の美しさを遮っていたベールが取り除かれ、有限の地上的存在の視野を超えた所に存在する、より大きな生活を少しでも垣間見ることになるでしょう。

 かくして私たちは、常に神の永遠の自然法則、絶対に狂うことも過つこともない法則、地位の高い低いに関わりなく、すべての存在に等しく働く法則に、忠誠と感謝の念を捧げるものです。

誰一人として等閑(なおざり) にされることはありません。誰一人として独りぼっちの者はいません。法則の働きの及ばない者。範囲からはみ出る者など、一人もいません。あなたがこの世に存在するという事実そのものが、神の摂理の証しです。

 人間の法則は機能しないことがあります。改められることがあります。人間の成長と発達に伴って視野が広がり、知識が無知をなくし、環境が変化するに伴って新たな法令が要請されると、従来の法律が廃止されたり、別の法律と置き換えられたりすることもあります。

 しかし、神の法則に新しい法則が付け加えられことは絶対にありません。改正もありません。解釈上の変化も生じません。いま機能している法則は、これまでずっと機能してきた法則であり、これからも変わることなく機能してまいります。一瞬の休みもなく機能し、そして不変です」

Friday, July 19, 2024

シアトルの夏 人生でいちばん大切なこと

The Most Important Thing in Life



 シルバーバーチの霊言には、一貫して説かれている珠玉の教えが幾つかある。その一つが〝人のために役立つことをしなさい〟という教えである。これをシルバーバーチは〝サービス〟という一語で表現することがある。〝リップサービス〟(口先だけのお上手や見せかけの好意) ではなく、

日常生活の中での実のある親切がなかなか難しいものであることを知っていればこそ、そうした、まるで三歳の童子に説くような、簡単そうで実はなかなか実行できない素朴な教えを、繰り返し説くのである。

 シルバーバーチの交霊会はバーバネルの三十歳代に〝ハンネン・スワッファー・ホ-ムサークル〟の名称のもとに発足して、毎週一回、金曜日の夜に開かれていた。が、それも五十歳の声を聞く頃から二週間に一回、さらには月一回となり、七十歳代には不定期となっていった。

 が、交霊会に臨むバーバネルの態度は一貫して変ることがなかった。儀礼的なものは何もしない。応接間のソフア―に無造作に腰掛けると、メガネをはずし、グラスの水を飲み干してから、瞑目する。するとその顔の形相が巻頭のインディアンの肖像画そっくりに変貌し始める。

そして、鼻に掛ったいびきのような声を発しながら、何やらムニャムニャと一人ごとを言ったあと、「では始めることに致しましょう」と言って、インボケ―ションという〝開会の祈り〟の言葉を述べ始める。

時には
 「もう少し待って下さい。霊媒のトランス状態をもうすこし深めますので・・・・・・」 と言って静かにしていることもある。その意味するところ、極めて深長である。


 その日の交霊会も同じような要領で始まり、次第に〝サービス〟の大切さへと話が発展し、

 「いかなる分野の仕事にたずさわっていても同じことです。人に役立つことをするチャンスは決して見逃してはなりません」

と述べてさらにこう続けた。

 「私がこれまで皆さんにお教えしたかった教訓はそのことに尽きるのではないでしょうか。サービスこそ〝霊の正貨〟であること、それが霊の唯一の財産であること、それは天下の回り物であり、一人が独占すべきものではないということを理解していただこうと苦心してきたのです。

 知識には責任が伴います。このことを私は何度申し上げてきたことでしょう。責任とは、自分が手にした知識をタンスにしまい込んでいてはいけない───賢明にそして上手に使用するということです。

 霊の世界からこうして地上に戻ってくるのは、ただ単に皆さんを喜ばせるためではありません。死んだと思っていた人たちが別の世界で生き続けている事実を知ることによって魂が目を覚まし、生きる意欲を鼓舞され、それがひいては同胞のために役立つことをしたいという願望を抱かせることになることを望んでいるのです。

 それは何も、公開交霊会で大勢の聴衆を前にしてデモンストレーションをやったり、こうして家庭的な交霊会で少数の出席者を相手に語るといった形のものでなくてもいいのです。人さまのためになることをしてあげるチャンスなら日常生活に幾らでも転がっております。

高級界の神霊が地上人類に対して抱いている愛は、みなさんが日常生活において、本当に困っている人に手を差し伸べようとする時に抱く愛と同じものなのです。

 世の中を見回してごらんなさい。心の痛みに耐えている人、困り果てている人、悲しみに暮れている人、人生に疲れ、当てもなく戸惑っている人、信仰の基盤が揺さぶられ、今まで大事にしてきたものが全て無価値であることを知り、

しかもそれに代わる導きも手助けも希望も見いだせずにいる人、そういう人たちがいかに多いことでしょう。そういう人たちのために為すべきことがいくらでもあります。
℘26
 それとは別に信仰が足枷となっている人、教義やドグマ、儀式や慣習によって自らの牢獄をこしらえてしまっている人がいます。そういう人たちには、自由を見出す方法、魂の解放の手段を教えてあげないといけません。

 現在の地上には、正しい知識を手にした人による援助を必要としている人が無数におります。間違った信仰、盲目的信仰、迷信、独りよがり、商売根性にしがみついている人がいるかぎり、みなさんが活動する場があるということになります。

同じ大霊の子でありながら霊的真理について何も知らない人がいるかぎり、みなさんにも私たちにも、為すべき仕事があるということです。

 それこそが、私たちが使命と心得てたずさわっている仕事です。要するに真理を広めるということです。霊的真理に浴し、間違いと迷信、その背後の原因である無知によって生み出されている暗黒を打ち払わないといけません。

 その一方には、そうした仕事を阻止しようとする勢力がいます。昨日、今日の話ではありません。幾世紀にもわたって私たちに戦いを挑んできております。それを退治するのも仕事の一つです。

一時的には後退のやむなきに至ることはありますが、計画は着実に進歩し、反抗勢力は次第に勢力を失いつつあります。
℘27
 人間の魂は、いつまでも牢獄に閉じ込められたままでは承知しません。永遠に暗闇の中で暮らす者はいません。いつかは魂が光明を求めるようになります。神性を秘めた魂が、暗い沈滞状態に不快を覚えるようになります。自由を求めるようになるのです。

束縛された状態に嫌気を覚えるようになるのです。そうした段階に至った人たちのために、できるだけ多くの霊的真理を普及させる仕事を続けていないといけないのです。

 それが又、いつかは必ず受け入れられる日が来るとの信念のもとに、理想を掲げ続けなければならない理由でもあるのです。愚かな敵対者による蔑みの声も耳に入るでしょうが、そうしたものにも耐え抜かないといけません。

弱みを見せない限り、そんなものによって傷つくようなことはありません。相手にしないことです。いかなる相手にも憎しみを抱くことなく、全ての人に愛を持って、艱難を征服し、そして勝利しなくてはなりません。

 それが霊的教訓の基調なのです。最も大切な教えとして、しっかりと心に植え付けて置かないといけません。一冊の書物でもよろしい。優しい言葉一つでもよろしい。心強い握手でもよろしい。


シルバーバーチ

不自由な身体の人の手を取ってあげることでもよろしい。心温まる贈り物を届けてあげるだけでもよろしい。サービスのコインはいつでも差し出せるように用意しておいてください」



 別の日の交霊会で、地上時代の名を聞かれたシルバーバーチは───

 「私は荒野に呼ばわる声(※)です。神の使徒以外の何者でもありません。私が誰であるかということに、いったい何の意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは、私の行為で判断していただきたい。

私の言葉が、私の誠意が、私の判断が、要するに今こうして人間界で私がたずさわっている仕事が、暗闇に迷える人々の心の灯火となり慰めとなったら、それだけで私はうれしいのです」


  ※───マタイ伝に出てくる、世に容れられない警世家のこと───訳者。

 シルバーバーチがインディアンでないこと、本来の高次元の世界と地上との間の橋渡しとしてインディアンの幽体を使用している高級霊であることまでは、われわれも知っている。

が、これまで、好奇心から幾度地上時代の実名を訊ねても、一度も明かしてくれていない。肩書よりも仕事の成果の方を重んずるのである。自分個人に対する賛美を極度に嫌い、次のように述べる。

 「私は一介の神の僕に過ぎません。今まさに黎明を迎えんとしている新しい世界での一役を担うものとして、これまで忘れ去られてきた霊的法則を蘇らせるために私を地上へ遣わした一団の通訳にすぎません。私のことを常に〝代弁者〟(マウスピース)としてお考えください。地上に根づこうとしている霊力、刻一刻と力を増しつつある霊団の声を代弁しているにすぎません。

 私の背後には延々と幾重にも連なる霊団が控え、完全なる意思の統一のもとに、一丸となって臨んでおります。私がこの霊媒(バーバネル)を使用するごとく、彼らも私を使用し、長いあいだ埋もれてきた霊的真理───それが今まさに掘り起こされ、無数の男女の生活の中で本来の場を得て行きつつあるところですが───それを地上の全土に広げんとしているのです」


───でも、あなたは私たちにとっては単なるマウスピースではなく、実在の人物です。
℘30
 「私は何も、この私には個性がないと言っているのではありません。私にもちゃんと個性はあります。ただ、こちらの世界では〝協調〟ということが大原則なのです。一つの大きなプランがあり、それに従って、共通の利益のために各自が持てるものを貢献し合うということです。

 身分の高い低いも関係ありません。差があるとすれば、それまでに各自が積み上げてきた霊的成長だけです。開発した霊的資質と能力とを自分より恵まれない人のために惜しみなく活用し、代わってその人たちも自分よりも恵まれない人の為に、持てるものを提供する。

かくして地上の最低界 (※) から天界の最高界に至るまで、連綿として強力な霊的影響力が行きわたっているのです」

 ※───地上の人間から見れば他界した人間はみんな霊界の存在と思いがちであるが、目に見えなくなったからそう思えるまでのことであって、波動の原理から言えば、相変らず地上的波動から抜けだせない者がいて、地上生活から持ち越した感覚、感情のままで生活を続けている。その種の霊を〝自縛霊〟という。

ここでいう〝最低界〟とはその種の霊が類をもって集まっている界層のことで、古くから〝地獄〟とか〝暗黒界〟とかいわれているのがこれに相当する。神や悪魔がこしらえたのではなく、波動の原理で自然に出来上っているもので、霊性が高まって波動が変われば、それ相当の界層へ行くことになる───訳者
℘31  

───地上もそういうことになれば素晴らしいことですね。

 「いずれはそうなるでしょう。神の意志は必ずや成就されていくものだからです。その進行を邪魔し遅らせることはできます。しかしその完成・成就を阻止することはできません」

 この件に関して別の日の交霊会で次のように述べている。

「これまで私は、あなた方の友として、守護者として、指導者として接してまいりました。いつもすぐ側に待機していること、私がいかなる霊格をそなえた存在であろうと、

それはあなた方人間との親密な接触を妨げることにならないこと、あなた方の悩みや困難に関心を抱き、出来うるかぎりの援助の手を差しのべる用意があることを知っていただきたいと思ってまいりました。
℘32
よろしいですか、私は確かに一方では永遠の真理を説き、霊力の存在を明かさんとしている教師的存在ですが、他方、あなた方お一人お一人の親しい友でもあるのです。あなた方に対して親密な情愛を抱いており、持てる力で精一杯お役に立ちたいと努力いたしております。

 どうぞ困ったことがあれば、どんなことでもよろしい。この私をお呼びください。もし私に出来ることがあれば、ご援助いたしましょう。もし私に手出しの出来ないことであれば、あなた方自らが背負わねばならない試練として、それに耐えていくための力をお貸しいたしましょう」


 さらに別の交霊会でもこう語っている。

 「これまでの長い霊界での生活、向上進化をめざして励んできた魂の修行の旅において私がみずから学んできたこと、あるいは教わったことは、すべて、愛の心をもって快く皆さんにお教えしております。神はそれをお許しくださっていると信じるからです。

 ではその動機とは何か───それは、私のこうした行為を通じて私があなた方のどれほど情愛を感じているか、いかにあなた方のためを思っているかを分かっていただき、そうすることによって、あなた方の背後に控えている力には神の意図が託されていること、霊の豊かさと実りを何とかしてもたらしてあげようとしている力であることを認識していただくことにあります。

要するに、あなた方への愛がすべてを動かし、神から発せられるその愛をあなた方のために表現していくことを唯一の目的と致しております。

 私たち霊団の者は、功績も礼も感謝もいっさい求めません。お役に立ちさえすればよいのです。争いに代わって平和を見ることができれば、涙にぬれた顔に代って幸せな笑顔を見ることができれば、涙と痛みに苦しむ身体に代わって健康な身体となっていただくことができれば、

悲劇をなくすことができれば、意気消沈した魂に巣食う絶望感をぬぐい去ってあげることができれば、それだけで私たちは、託された使命が達成されつつあることを知って喜びを覚えるのです。

 願わくは神の祝福のあらんことを。願わくは神の御光があなた方の行く手を照らし給い。神の愛があなた方の心を満たしたまい、その力を得て、代わってあなた方がこれまで以上に同胞のために献身されんことを、切に祈ります」

 このようにシルバーバーチは、自分自身ならびに自分を補佐する霊団の並々ならぬ情愛を、よく披歴する、盛夏を迎え、これで交霊界もしばし休会となる (※) 最後の交霊会で次のような感動的な別れの挨拶を述べた。

℘34
 ※───ここでは夏休みのことを言っており、これは人間界の慣習に従って休みとするだけであるが、それ以外にも霊界側の慣習に従って休会とする時期が二度ある。イースターとクリスマスである。これは人間界の、しかもキリスト教の慣習という認識が一般的であると思うが、シルバーバーチを始めとする信頼のおける高級霊の一致した意見として、

本当は霊界の高級神霊によって催される審議と讃仰の大集会が地上に反映したものだという。日本でいう春分から立夏、すなわち三月から四月にかけてと、立冬から冬至、すなわち十一月から十二月掛けての時期に相当するようである。

私個人の考えを言わせていただけば、神道の祝詞にある 「八百万の神たちを神集(かむつど)へに集い賜え、神議(かむはか)りに議り賜ひて・・・・」 とあるのは、これに類するものではないだろうか───訳者。


 「この会も、これよりしばらくお休みとなりますが、私たちは、無言とはいえ、すぐお側にいて、ひき続きあなた方に可能なかぎりのインスピレーションと力と導きをお授けいたします。

 一日の活動が終わり、夜の静寂を迎えると、あなた方の魂は本来の自分を取り戻し、物質界の乱れたバイブレーションを後にして、ほんの束の間ですが、本当の我が家へ帰られます。その時のあなたがは、私たちと共に、いつの日か恒久的にあなた方のものとなる喜びのいくつかを体験されます。

 しかし、これまでの努力のお陰で、こうして数々の障害を克服して語り合えるようになりましたが、ふだんは物質というベールによって隔てられております。でも霊的には、いついかなる時も身近にいて、情愛を持って力になってあげていることを知ってください。

私たちがお届けする力は、宇宙最高の霊力であることを心強く思って下さい。私たちは、最も身近で最も親密な存在であるあなた方のために尽くすことによって神に奉仕する僕に過ぎません。

 私のことを、ほんの一、二時間薄明かりの中でしゃべる声としてではなく、いつもあなた方の身の回りにいて、あなた方の能力の開発と霊的進化のために役立つものなら何でもお持ちしようとしている、躍動する生命にあふれた、生きた存在としてお考えください。

語る時にこうして物的感覚(聴覚)に訴える方法しかないのは、まだるい限りですが、私はいつも身近に存在しております。必要な時はいつでも私をお呼び下さい。私にできることなら喜んで援助致しましょう。私が手を差しのべることを渋るような人間でないことは、皆さんはもう、よくご存じでしょう。

℘36
 樹木も花も、山も海も、小鳥も動物も、野原も小川も、その美しさを謳歌するこれからの夏を満喫なさってください。神を讃えましょう。神がその大自然の無限の変化に富む美しさをもたらしてくださっているのです。

その内側で働いている神の力との交わりを求めましょう。森の静けさの中に、その風のささやきの中に、小鳥のさえずりの中に、風に揺れる松の枝に、よせては返す潮の流れに、花の香に、虫の音に、神の存在を見出しましょう。

 どうか、そうした大自然の背後に秘められた力と一体となるようにつとめ、それを少しでも我がものとなさってください。神はさまざまな形で人間に語りかけております。教会や礼拝堂の中だけではありません。予言者や霊媒を通してだけではありません。

数多くの啓示が盛りこまれている聖典だけではありません。大自然の営みの中にも神の声が秘められているのです。大自然も神の僕です。私はそうした様々な形───語りかける声と、声なき声となって顕現している神の愛を皆さんにお伝えしたいのです」


 こう述べたあと、最後に、これまでサークルとともに、そしてサークルを通して、世界中の人々のために推進してきた仕事における基本的な理念を改めて説いて、会を閉じた。

 「私は、あなた方の愛の絆によって一丸となるように、これまでさまざまな努力をしてまいりました。より高い境涯、より大きな生命の世界を支配する法則をお教えしようと努力してまいりました。

また、あなた方に自分と言う存在についてもっと多くを知っていただく───つまり霊的にいかに素晴らしく出来上っているかを知っていただくべく努力してまいりました。

 さらに私は、あなた方に課せられた責任を説き、真理を知るということは、それを人のために使用する責任を伴うことをお教えしてまいりました。宗教的儀式のうわべに囚われずに、その奥にある宗教の核心、すなわち援助を必要とする人々のために手を差し伸べるということを忘れてはならないことを説いてまいりました。

 絶望と無気力と疑問と困難に満ちあふれた世界にあって私はあなた方に霊的真理を説き、それをあなた方が、まず自ら体現することによって同胞にもその宝を見出させ、ひいては人類全体に幸福をもたらすことになる───そうあってほしいと願って努力してまいりました。
℘38
 私はかつて一度たりとも、卑劣な考えを起こさせるような教えを説いたことはありません。一人たりとも個人攻撃をしたことはありません。私は終始〝愛〟をその最高の形で説くべく努力してまいりました。

常に人間の理性と知性に訴えるよう心掛け、私たちの説く真理がいかに厳しい調査、探求にも耐え得るものであることを主張してまいりました。

 そうした私に世界各地から寄せられる暖かい愛の念を有難く思い、私の手足となって仕事の推進に献身してくださるあなた方サークルの方々の厚意に、これからも応えることができるように神に祈りたいと思います。

 私たちは間もなく会を閉じ、通信網を引っ込めます。ふたたびお会いできる日を、大いなる期待をもって心待ちに致しましょう。もっとも、この霊媒の身体を通して語ることを中止するというまでのことです。けっして私という霊が去ってしまうわけではありません。

 もしあなた方の進む道を、影がよぎるようなことがあれば、もし何か大きな問題が生じたときは、もしも心に疑念が生じ、そして迷いが生じた時は、どうぞそれらは実在ではなくて影にすぎないことを自分に言い聞かせて、羽根を付けて一刻も早く追い出してしまうことです。

 忘れないでください。あなた方はお一人お一人が神であり、神はあなた方お一人お一人なのです。この動的宇宙を顕現せしめ、有機的・無機物の区別なく、あらゆる生命現象を創造した巨大な力───恒星も・惑星も、太陽も月も生み出した力───物質の世界に生命をもたらした力

───人類の意識に神性の一部を宿らせた力───完璧な法則として顕現し、すべての現象を細大もらさず経綸しているところの巨大な力───その力は、あなた方が見放さないかぎり、あなた方を見放すことはありません。

 その力を我が力とし、苦しい時の隠れ場とし、憩いの場となさることです。そしていついかなる時も神の衣があなた方の身を包み、その無限の抱擁の中にあることを知って下さい。

 シルバーバーチとお呼びいただいている私からお別れを申し上げます。ごきげんよう」

シアトルの夏 死は第二の人生の始まり あなたはまさに一個の巨大な原子、無限の可能性を秘めながら、

Death is the beginning of a second life - you are just one giant atom - with infinite possibilities,




 一寸先は闇の世の中といわれる人生において、一つだけ確実に予言できることがある。みんな〝いつかは死ぬ〟ということである。若くして死ぬ人がいる───往々にして悲劇的環境の中で・・・・・・長寿番付に名を連ねて、大往生を遂げる人もいる。が、おそかれ早かれ、みんないつかは死ぬのである。

 死について、また死後の生命について、いくら明るく健全な知識を手にした人でも、やはり身近な人の死は辛く悲しい体験であることには間違いない。ある日の交霊会でシルバーバーチは、こう述べた。

 「私の説く真理を極めてあたり前のことと受け取る方がいらっしゃるでしょう。すでにたびたびお聞きになっておられる方はそうでしょう。が、驚天動地のこととして受け止める方もいらっしゃるでしょう。所詮、さまざまな発達段階にある人類を相手にしていることですから、それは当然のことでしょう。

 私の述べることがどうしても納得できない方がいらっしゃるでしょう。頭から否定なさる方もいらっしゃるでしょう。あなた方西洋人から野蛮人とみなされている人種の言っていることだということで一蹴される方もいらっしゃるでしょう。しかし、真理は真理であるがゆえに真理であり続けます。

 あなた方にとって当たり前となってしまったことが、人類史上最大の革命的事実に思える人がいることを忘れてはなりません。人間は霊的な存在であり、神の分霊であり、永遠に神とつながっている───私たち霊団が携えてくるメッセージは、いつもこれだけの単純な事実です。

神とのつながりは絶対に切れることはありません。時には強められ、時には弱められたりすることはあっても、決して断絶してしまうことはありません。

 人間は向上もすれば堕落もします。神のごとき人間になることもできれば、動物的人間になることもできます。自由意志を破壊的なことに使用することもできますし、建設的なことに使用することもできます。しかし、何をしようと、人間は永遠に神の分霊であり、神は永遠に人間に宿っております。

 こうした真理は、教会で朗唱するためにあるのではありません。日常生活において体現していかなくてはなりません。飢餓、失業、病気、貧民街(スラム)といった、内部に宿る神性を侮辱するような文明の恥辱を無くすることにつながらなくてはいけません。
℘41
 私たちのメッセージは全人類を念頭においております。いかなる進化の段階にあろうと、そのメッセージには、人間の全てが手に取り、理解し、そして吸収すべきものを十分に用意してあります。

 人類が階段の一つに足を置きます。すると私たちは、次の階段でお待ちしています。人類がその段まで上がってくると、また次の段でお待ちします。こうして一段又一段と宿命の成就へ向けて登っていくのです」

 
 別の交霊会で肉親を失って、その悲しみに必死に耐えている人に対して、シルバーバーチがこう述べた。

 「あなたの、霊の世界を見る目が遮られているのが残念です。霊の声を聞く耳が塞がれているのが残念です。その肉体の壁を越えてご覧になれないのが残念です。今生きておられる世界が影であり実在でないことを悟っていただけないのが残念です。

あなたの背後にあって絶え間なく世話を焼いている霊の働きをご覧に入れられないのが残念でなりません。数々の霊───あなたのご存じの方もいれば、人類愛から手を指しのべている見ず知らずの人もいます───が、あなたの身のまわりに存在していることが分かっていただけたなら、どんなにか慰められるでしょうに・・・・・・。地上は影の世界です。実在ではないのです。

 私たちの仕事は、こうした霊媒を通してのものばかりではありません。もちろん、人間世界特有の (言語によって意思を伝える) 手段によって私たちの実在を知っていただけることを有り難く思っておりますが、実際には、皆さんの目に見えず耳に聞こえずとも、みなさんの現実の世界に影響を及ぼし、導き、鼓舞し、指示を与え、正しい選択をさせながら、みなさんの性格を伸ばし、魂を開発しております。

そうした中でこそ死後の生活に備えて、霊的な成長に必要なものを摂取できる生き方へと誘うことができるのです」



 ある年の復活祭(イースター)の季節にシルバーバーチは〝死〟を一年の四季の巡りになぞらえて、こう語った。

 「四季の絶妙な変化、途切れることのない永遠の巡りに思いを馳せて御覧なさい。すべての生命が眠る冬、その生命が目覚める春、生命の世界が美を競い合う夏、そして又、次の春までの眠りに備えて大自然が声をひそめはじめる秋。

 地上は今まさに大自然の見事な顕現───春・イースター・蘇り───季節を迎えようとしております。新しい生命、それまで地下の暗がりで安らぎと静けさを得てひっそりと身を横たえていた生命が、いっせいに地上へ顕現する時期です。

間もなくあなた方の目にも樹液の活動が感じられるようになり、やがてつぼみが、若葉がそして花が目に入るようになります。地上全体の新しい生命の大合唱が響きわたります。
℘44
 こうしたことから、皆さんに、太古においては宗教というものが大自然の動きそのものを儀式の基本としていたことを知っていただきたいのです。

彼らは移り行く大自然のドラマの星辰の動きの中に神々の生活、自分たちを見つめている目に見えない力の存在を感じ取りました。自分たちの生命を支配する法則に畏敬の念を抱き、春を生命の誕生の季節として、最も大切に考えました。

 同じサイクルが人間一人一人の生命において繰り返されております。大自然の壮観と同じものが一人一人の魂において展開しているのです。

 まず意識の目覚めと共に春が訪れます。続いて生命力が最高に発揮される夏となります。やがてその力が衰え始める秋となり、そして疲れ果てた魂に冬の休眠の時が訪れます。が、それですべてが終わりとなるのではありません。

それは物的生命の終わりです。冬が終わると、その魂は次の世界において春を迎え、かくして永遠のサイクルを続けるのです。

 この教訓を大自然から学びとってください。そして、これまで自分を見捨てることのなかった摂理は、これ以降も自分を、そして他のすべての生命を見捨てることなく働き続けてくれることを確信して下さい」


 スピリチュアリズムの普及に活躍していた同志が他界したとの報に接して、シルバーバーチはこう語った。

 「大収穫者である神は、十分な実りを達成した者を次々と穫り入れ、死後に辿る道をより明るく飾ることをなさいます。

 肉眼の視野から消えると、あなた方は悲しみの涙を流されますが、私たちの世界では、また一人、物質の束縛から解放されて、言葉では言い表せない生命のよろこびを味わい始める魂を迎えて、うれし涙を流します。

私はつねづね〝死〟は自由をもたらすものであること、人間の世界では哀悼の意を表していても、本人は新しい自由、新しいよろこび、そして地上で発揮できずに終わった内部の霊性を発揮するチャンスに満ちた世界での生活が始まったことを知って、よろこんでいることを説いております。
℘46
 ここにおいでの方は、他界した者は決してこの宇宙からいなくなったわけではないとの知識を獲得された幸せな方たちですが、それに加えてもう一つ知っていただきたいのは、こちらへ来て霊力が強化されると、必ず地上のことを思いやり、こうして真理普及のために奮戦している私たちの仕事に協力してくれているということです。

 その闘いは地上の至る所で、日夜続けられております───霊の勢力と、醜い物的利己主義の勢力との戦いです。たとえ一時は後退のやむなきに至り、一見すると霊の勢力が敗北したかに思えても、背後に控える強大な組織のお陰で勝利は必ず我がものとなることを確信して、その勝利へ向けて前進しつづけます。

 いずれあなた方も、その戦いにおいて果たされたご自分の役割、すなわち大勢の人々に慰めと知識を与えてあげている事実を知って、大いなる喜びに浸ることになりましょう。

今は、それがお分かりにならない。私たちと共に推進してきた仕事によって、生きるよろこびを得た人が世界各地に無数にいることを、今はご存じありません。

 実はあなた方も、こうした霊的真理の普及に大切な役割を果たしておられるのです。その知識は、なるほどと得心がいき、心の傷と精神の煩悶と魂の憧憬のすべてに応えてくれる真実を求めている、飢えた魂にとって何ものにも替え難い宝となっております。
℘47
 太古の人間が天を仰いで福音を祈り求めたように、古びた決まり文句にうんざりしている現代の人間は、新しいしるしを求めて天を仰いできました。

そこで私たちが、あなた方の協力を得て、真実の知識をお持ちしたのです。それは、正しく用いさえすれば、必ずや神の子の全てに自由を───魂の自由・精神の自由だけでなく、身体の自由までも───もたらしてくれます。

 私たちが目的としているのは、魂を解放することだけではありません。見るも気の毒な状態に置かれている身体を救ってあげることも大切です。つまり私たちの仕事には三重の目的があります。すなわち精神の解放と、魂の解放、身体の解放です。

 そのことを世間へ向けて公言すると、あなた方はきっと、取り越し苦労性の人たちから、そう何もかもうまく行くものではないでしょうという反論に遭うであろうことは、私もよく承知しております。

しかし事実、私たちの説いている真理は人生のあらゆる面に応用が利くものです。宇宙のどこを探しても、神の摂理の届かないところがないように、地上生活のどこを探しても、私たちの説く霊的真理の適用できない側面はありません。
℘48  
 挫折した人を元気づけ、弱き者、寄るべなき者に手を差し伸べ、日常の最小限の必需品にも事欠く人々に神の恩寵を分け与え、不正を無くし、不平等を改め、飢餓に苦しむ人々に食を与え、雨露をしのぐほどの家とてない人々に住居を提供するという、こうした物質界ならではの問題にあなた方が心を砕いておられる時、それは実は、私たち霊の世界からやってくる者の仕事の一部であることを知っていただきたいのです。

そうした俗世的問題から超然とさせる為に霊的真理を説いているのではありません。霊的真理を知れば知るほど、自分より恵まれない人々への思いやりの気持ちを抱く様でなければなりません。

 その真理にいかなる肩書き(ラベル)をつけようと構いません。政治的ラベル、経済的ラベル、宗教的ラベル、哲学的ラベル───どれでもお好きなものを貼られるがよろしい。が、

それ自体は何の意味もありません。大切なのは、その真理が地上から不正を駆逐し、当然受けるべきものを受けていない人々に、生得の権利を行使させてあげる上で役立たせることです」

℘49  
 そして最後に〝死〟にまつわる陰湿な古い概念の打破を説いて、こう述べた。

 「その身体があなたではありません。あなたは本来、永遠の霊的存在なのです。私たちはこうした形で週一回お会いしてわずかな時を過ごすだけですが、そのことがお互いの絆を強化し、接触を深めていく上で役立っております。

毎週毎週、あなた方の霊そのものが影響力を受けて、それが表面へ出ております、その霊妙な関係は物的身体では意識されませんが、より大きな自我は実感しております。


 また、こうしたサークル活動は、あなた方が霊的存在であって物的存在でないことを忘れさせないようにする上でも、役に立っております。人間にはこうしたものがぜひとも必要です。

なぜなら、人間は毎日、毎時間、毎分、あくせくと物的生活に必要なものを追い求めているうちに、つい、その物的なものが殻に過ぎないことを忘れてしまいがちです。それは実在ではないのです。

 鏡に映るあなたは、本当のあなたではありません。真実のあなたの外形を見ているに過ぎません、身体は人間がまとう衣服であり、物質の世界で自分を表現する為の道具にすぎません。

 その身体があなたではありません。あなたは永遠の霊的存在であり、全大宇宙を支えている生命力───全天体を創造し、潮の干満を支配し、四季の永遠の巡りを規制し、全生命の成長と進化を統制し、太陽を輝かせ、星をきらめかせている大霊の一部なのです。

 その大霊と同じ神性をあなたも宿しているという意味において、あなたも神なのです。本質において同じなのです。程度において異なるのみで、基本的には同じなのです。

それは、あらゆる物的概念を超越した存在です。全ての物的限界を超えております。あなた方が想像するいかなるものよりも偉大なる存在なる存在です。

 あなたはまさに一個の巨大な原子───無限の可能性を秘めながら、今は限りある形態で自我を表現している、原子のような存在です。身体の内部に、いつの日か、全ての束縛を押し破り、真実のあなたにとって相応しい身体を通して表現せずにはいられない力を宿しておられるのです。

そうなることをあなた方は〝死〟と呼び、そうなった人のことを悼み悲しんで涙を流されます。それは、相も変わらず肉体がその人であるという考えが存在し、死が愛する人を奪い去ったと思いこんでいる証拠です。

 しかし、死は生命に対して何の力も及ぼしません。死は生命に対して何の手出しもできません。死は生命を滅ぼすことはできません。物的なものは、所詮、霊的なものには敵わないのです。

もしあなたが霊眼を持って眺めることができたら、もし霊耳を持って聞くことができたら、もしも肉体の奥にある魂が霊界の霊妙なバイブレーションを感じ取ることができたら、その時こそ、肉体という牢獄からの解放をよろこんでいる、自由で、意気揚々として、うれしさいっぱいの、蘇った霊をご覧になることができるでしょう。


 その自由を満喫している霊のことを悲しんではいけません。毛虫が美しい蝶になったことを嘆いてはいけません。カゴの鳥が空に放たれたことに涙してはいけません。よろこんであげるべきです。

そして、その魂が真の自由を見出したことで、いま地上にいるあなた方も神より授かった魂の潜在能力を開発すれば、同じ自由、同じ喜びを味わうことができることを知って下さい。

 これで死の意味がお分かりになるはずです。そして、死とは飛び石の一つ、ないしは大きな自由を味わえる霊の世界への関門に過ぎないことを得心なさるはずです。

 他界してその自由を味わったのちに開発される霊力を、今ここであなた方に身を持って実感していただけないことを、私は実に残念に思います。しかし、あなた方には知識があります。それをご一緒に広めているところです。それによってきっと地上に光をもたらし、暗闇をなくすことができます。

 人間はもう、何世紀にもわたって迷わされ続けてきた古い教義は信じません。教会の権威は失墜の一途をたどっております。霊的真理の受け入れを拒んできた報いとして、霊力を失いつつあるのです」


シルバーバーチ

Wednesday, July 17, 2024

シアトルの夏  古代霊 シルバーバーチ不滅の真理

Silver Birch Companion  
Edited by Tony Ortzen
 

 巻頭言   

 あなたがもし古い神話や伝来の信仰をもって、これで十分と思い、あるいは、すでに真理の頂上を極めたと自負されるならば、本書は用はありません。

 しかし、もし人生とは一つの冒険である事、魂は常に新しい視野、新しい道を求めてやまないものである事をご承知ならば、是非本書をお読み頂いて、世界の全ての宗教の背後に埋もれてしまった必須の真理を見出して頂きたい。

 そこには、全ての宗教の創始者によって説かれた教えと矛盾するものは何一つありません。地上生活と、死後にもなお続く魂の旅路に必須不可欠の霊的知識が語られています。もしもあなたに受け入れる用意があれば、それはきっとあなたの心に明かりを灯し、魂を豊かにしてくれることでしょう。                              シルバーバーチ

    
                    

  古代霊シルバーバーチと霊媒モーリス・バーバネル  訳者  近藤 千雄

  〇 霊言が始まるまで

一九二〇年から六〇年もの長きにわたってシルバーバーチと名のる〝霊〟の霊媒をつとめることになるモーリス・バーバネルは、その年までは霊的なものに関心もなければ、特別な霊的体験もない、ごく普通の人間だった。それどころか、むしろ宗教とか信仰とかいったものを嫌悪する傾向すらあった。

 というには、母親は敬虔なクリスチャンで教会通いも欠かすことがなかったが、父親はそういうことにはまったく無関心で、それを咎める母との間で口ゲンカが絶えなかったからである。

それが、自然、そういう性向を生んだのだろうと、自伝風の記事の中で述べている。従ってバーバネルは、生涯、バイブルと言うものを一度も繙いたことがなかったという。

 そのことが、実は、後に大きな意味をもつことになる。通常意識の時はかたことも出てこないバイブルのことばが、シルバーバーチが語り始めると、とうとうと出てくるのである。

それはつまり両者がまったく別人格であること───言いかえれば、シルバーバーチはバーバネルの潜在意識でないことの証拠となるわけである。絶対的証拠とは言えないまでも、有力な証拠であることは間違いないであろう。

 そのバーバネルが霊的なことに関わり合いを持つに至ったのは十八歳のときで、無報酬で司会役をしていた文人ばかりの社交クラブで当日の講演者がスピリチュアリズムの話題を持ち出したことがきっかけだった。講演のあとバーバネルはその講演者からロンドンの東部地区で催されているという〝交霊会〟なるものに誘われた。

 妻のシルビアと共に訪れてみると、霊媒はブロースタインという中年の女性で、トランス状態 (昏睡または無意識状態) に入ると、その人の口を使って代るがわる、いろんな国の死者の〝霊〟がしゃべる───そう説明された。が、当時のバーバネルにはそんなことがまるで信じられず、バカバカしく思えて仕方がなかったという。

 ところが、二度目に訪れた時、バーバネルはうっか〝居眠り〟をしてしまった───自分ではそう思った。そして、目覚めると慌てて非礼を詫びた。すると他の出席者たちから 「あなたは今居眠りをなさってのではありません。インディアンがあなたの口を使ってしゃべりました」 と聞かされた。

 もちろんバーバネルにはその記憶はない。が、その後、そういうことが頻繁に起きるようになった。そしてその口を使ってしゃべるインディアンも次第に英語が上手になり、やがて、シルバーバーチ (日本語に置きかえれば〝白樺〟) と名のるようになった。

それが一九二〇年のことで、それから十年余りはバーバネルのアパートの応接間で不定期に数人の知人、友人が聞くだけで、その霊言を速記するとこも録音することもしなかった。

 が、当時〝フリート街の法王〟と呼ばれて英国ジャーナリスト界のご意見番的存在だったハンネン・スワッファーという演劇評論家がその会に出席してから、変化が生じた。シルバーバーチの霊言のただならぬ質の高さに感銘したスワッファーは、会場を自宅に移して、

毎週金曜日の夜に定期的に催すことにし、その会の正式名を〝ハンネン・スワッファー・ホームサークル〟とした。そしてその時から霊言を記録することになった。(その後テープ録音も併用された。)

 それがまとめられて 『シルバーバーチの教え』 Teachings of Silver Birch のタイトルで刊行されたのが一九三八年のことで以来、今日(一九九三年)までに十六冊が刊行されている。

 何しろ一九八一年にバーバネルが他界するまでの六十年間、ほぼ週一回 (一回が約一時間半) の割で語り続けたのであるから、記録を残さなかった最初の十年分を差し引いても、速記と録音による霊言の量は、厖大なものであろうと察せられる。

それを文章に起こしてまとめるのは大変な作業であるが、英米はもとより、ヨーロッパやアフリカに至るまでのシルバーバーチフアンの要望は絶えることなく、これからの刊行しされ続けることであろう。


  〇 シルバーバーチのアイデンティティ

 では、シルバーバーチの霊言の魅力と特色はどこにあるのか───これは、シルバーバーチの〝正体〟はいったい何なのかを説明することによって、おのずと明らかになるであろう。

 本人の語るところによれば、今からほぼ三千年前、すなわちイエスの時代より更に一千年前も前に、地上生活を送ったことがあるという。それがどこの民族の、どの国家の、どういう地位の人物としてであったかは、六十年間、ついに明かされることなく、終わっている。

サークルのレギラーメンバーをはじめ、招待客によって、何回も、何十回も、もしかしたら何百回も問い質されたはずなのであるが、シルバーバーチはそのつど

 「それを明かす事が、一体、私の教えにどれだけプラスになるというのでしょうか。大切なのは、語っている私が何者であるかではなくて、私が語っている教えが何であるかです」

 といった主旨のことを繰り返すだけで、人間がとかく地位や肩書(ラベル)や名声にこだわることの間違いを指摘するのが常だった。

 彼はインディアンでなかったとおっしゃる方がいるであろうが、実は巻頭に掲げたマルセルポンサンによる肖像画に描かれているインディアンは通信衛星のようなもので、いうなれば〝霊界の霊媒〟なのである。地上の霊媒であるバーバネルは各家庭の受信アンテナのようなものと思えばよい。

 当初はそのシルバーバーチもインディアンであることに徹し、祈りの最後も必ず 「神の僕インディアンの祈りを捧げます」 という言葉で締めくくっていたが、サークルのメンバーの理解が深まった段階で 「実は・・・・・・」 と言って、本当は自分はインディアンではなく、地球を取り巻く霊界の中でも指導的地位にある霊団に所属していることを打ち明けた。

 その界層にまで進化していくと、波動の原理から、地上界と直接のコンタクトが取れなくなり、それで中継役を必要とすることになる。その役がインディアンなのだという。もしそれが事実だとすると、シルバーバーチと名のるその霊はよほどの高級霊であると推察してよいであろう。

そして、ほぼ三千年前の地上時代の地位も名声も、余ほど高いものであったはずである。なぜなら、もしも無名で平凡な地位の人間だったならば、その名前と地位を明かしてもよかったはずだからである。

 それを明かさなかったということは、人間の好奇心におもねることによって、純粋な霊的真理に世俗的な雑念がこびりつくことを案じたからではなかろうか。


〇 霊言の種類

 ところで、霊言現象は霊が人間の発声器官を使って語る現象であるが、これには、大別して二つの種類がある。一つは電話式とでもいうべきもので、高級霊でも低級霊でも、善霊でも悪霊でも、乗り移ってしゃべることができるタイプで、したがって霊媒と異なる国籍の霊が乗り移れば、通常意識での霊媒には全くしゃべれない言語を流暢にしゃべることになる。

 もう一つは〝専属〟タイプで、支配霊(コントロール)と呼ばれる特定の霊しかしゃべらない───しゃべらせないのである。言ってみれば、名匠と言われる人が楽器や道具を絶対に他人に使わせないのと同じで、自分だけのものとして、そのクセと特徴を知り尽くしている。

シルバーバーチとバーバネルの関係はこのタイプに属し、バーバネルがシルバーバーチ以外の霊団に支配されることもなかったし、シルバーバーチがバーバネル以外の霊媒を通してしゃべったこともなかった。

(例外として一度だけあった。シルバーバーチがバーバネルのコントロールとして交霊会を始めたのとほぼ同じ頃から、レッド・クラウドと名のるインディアンがエステルロバーツという女性霊媒のコントロールとして毎週のように交霊会に出現していた。

バーバネル夫妻はその常連として欠かさず出席していたが、ある日、そのロバーツ女史の口を借りてシルバーバーチがバーバネル夫妻に語りかけた。バーバネルは、自分はいつもこんな調子で語っているのかと思って、いわく言い難い気分になったという。 シルビアバーバネル著 「ペットは死後も生きている」 ハート出版)参照

 シルバーバーチ自身が打ち明けたところによると、〝地球を霊的に浄化する〟ための計画の一環として、地球へ戻って霊的真理を語って欲しいという要請を受けた時は、バーバネルはまだ地上に誕生してもいなかったという。

そこで、〝霊界の記録簿〟の中にある、これから誕生する人物の中から最も適切と思える人物を物色して、それが地上に誕生するチャンスを窺い、いよいよ母体に宿った瞬間から、霊言霊媒として育てるための準備に取りかかったという。と同時に、英語の勉強も始めたという。

 こうしたことは多分、霊界の霊媒であるインディアンの役目だったはずでシルバーバーチ本人はそのインディアンとの打ち合わせの方に重点を置いて準備をしていたことであろう。

そして一九二〇年のある日、ブロースタインの交霊会に出席中にバーバネルをトランス状態に誘って語ったのが、地上との最初のコンタクトとなるのであるが、この時点でもまだインディアンとバーバネルとの関係が主体であって、シルバーバーチ本人はその様子を観察していた程度ではなかったろうかと察せられる。

 一九二〇年と言えば第一次大戦が終結して間もない頃で、一応戦火は消えていた。が、ハンネン・スワッファー・ホームサークルが発足した頃は再び世界情勢は険悪となり始めた時期で、それから間もなく第二次大戦の口火が切られている。

そして一九四五年日本の降伏をもって終戦を迎えるのであるが、そうした険悪な情勢の中にあっても、バーバネルは交霊会を中止しなかった。 とは言え、霊団側の苦心は並大抵のものではなかったようである。その時の苦労をシルバーバーチはこう語っている。

 「私たちは物的存在ではありません。物的世界との接触を求めているところの霊的存在です。霊の世界と物の世界との間に大きな懸隔(ギャップ)があり、それを何らかの媒介によって橋渡しする必要があります。

私が厄介な問題に遭遇するのはいつもその橋渡しの作業においてです。それを容易にするのも難しくするのも、人間側の精神的状態です。

 雰囲気が悪いと、私と霊媒とのつながりが弱くなり、私と霊界との連絡も困難となります。わずか二、三本の連絡網によってどうにか交信を保つということもあります。そのうち霊媒が反応を見せなくなります。そうなると私は手の施しようがなくなり、すべてを断念して引き上げざるを得なくなります。

 私は当初から、こうした問題が生じるとこは覚悟しておりました。一時は、果たして、このまま地上との接触を維持することが賢明か否かを、霊団の者たちと議論したこともありました。

しかし私は、たとえわずかとはいえ、私が携えてきた知識を伝えることにより、力と希望と勇気を必要としている人々にとって、私の素朴な霊訓が生きる拠り所となるはずだと決断しました。

 今、私は、もしも私たちがお届けした霊的真理が無かったら今なお苦難と絶望の中で喘いでいるかもしれない人々の慰めと力になってあげることができたことを、うれしく思っております」



  〇 地球浄化の大計画───スピリチュアリズム

 右の言葉の中に〝霊団の者たちと・・・・・・〟という表現があるが、シルバーバーチがこの仕事のために組織した霊団のメンバーが何名で、どういう顔ぶれがいたかは、断片的には分かっていても、その全ては分かっていない。

リンカーンもいたらしいが、その他にシルバーバーチが挙げた何人かの名前は日本人には全く馴染みのない人ばかりである。それが本当であろう。前世とか守護霊とかの名前が歴史上の著名人ばかりであるのは、土台おかしな話である。

 尚シルバーバーチは〝私は〟という言い方と〝私たちは〟という言い方の二通りを用いている。これは、もちろん自分自身の場合と霊団を代表している場合との違いであるが、もう一つの観方としては、シルバーバーチが所属する高級霊界に立ち戻って述べている場合があることに注意する必要がある。

 どうやら霊界の上層部では、支配霊の仕事をしている高級霊ばかりの集会が年に何回か開かれて、反省と計画の修正が行われ、その界層の更に高い界層の霊から助言を受けていたらしいのである。その中の一柱で、総指揮者的な立場にあった (今もあると推察される) のが地上でイエスと呼ばれた人物であると、シルバーバーチは言う。

もちろん地上時代よりははるかに高い霊格を備えていることであろう。というよりは、本当は、もともと神とも仰ぐべきほどの霊格、すなわち神格を具えた存在だったのが、ある計画にそって物質界へ降誕したと見るのが妥当であろう。

その〝ある計画〟というのがほかでもない、地球を霊的に浄化するための一連の活動、すなわちスピリチュアリズムだった。

 むろんその計画は今なお進行中であり、バーバネル亡きあとも、シルバーバーチ霊団そのものは、たぶんバーバネル自身も加わって、地球人類のために活動していることであろう。このたび装いも新たに本書が刊行されることになったことにも、シルバーバーチ霊団働きかけがあるものと、私は信じている。

Tuesday, July 16, 2024

シアトルの夏 大自然の摂理

providence of nature


宇宙の全生命を統率している摂理について説明していただけませんか?

 私たち(注1)は、大霊の定めた永遠不変の自然法則を第一義として、これに敬虔なる忠誠とまごころを捧げます。絶対にしくじることのない摂理、絶対に誤ることのない法則、身分の上下に関係なく、すべての存在にわけへだてなく配剤されている英知だからです。

 だれ一人として無視されることはありません。だれ一人として見落とされることはありません。だれ一人として忘れ去られることはありません。だれ一人として孤立無援ということはありません。大霊の摂理・法則が行き届かなかったり、その枠からはずれたりする者は一人もいないのです。この宇宙に存在するという、その事実そのものが、大霊の法則が働いたことの証しなのです。

 人間がこしらえる法律は、そのまま適用できないことがあります。書き換えられることがあります。成長と発展が人間の視野を広め、知識が無知を駆逐し、情況の変化が新たな法律を必要とすることになれば、古い法律は破棄されたり改められたりします。しかし、大霊が定めた摂理は、新たに書き加えられることがありませんし、〝改訂版〟を出す必要もありません。修正されることもありません。今働いている摂理はすべて、無限の過去から働いてきたものであり、これからもそのまま永遠に働き続けます。不変にして不滅です。

 ここで、根源的摂理である因果律について、霊言集の各所で述べているものを集めて紹介しておきましょう。

 因果律の働きは完璧です。原因があれば数学的正確さをもって結果が生じます。その原因と結果のつながりに寸毫たりとも影響を及ぼす力をもつ者は一人もいません。刈り取る作物はまいた種から生じているのです。人間はみな、地上生活での行ないの結果を魂に刻み込んでおり、それを消し去ることは絶対にできません。その行ないのなかに過ちがあれば、その行為の結果はすでに魂に刻み込まれており、その一つ一つについて、然るべき償いを終えるまでは霊性の進化は得られません。

 因果律は根源的なものであり、基盤であり、変更不能のものです。自分が種をまいたものは自分で刈り取る──これが絶対的摂理なのです。原因があれば、それ相当の結果が数学的正確さをもって生じます。それ以外にはあり得ないのです。かわって、その結果が新たな原因となって結果を生み出し、それがまた原因となる──この因果関係が途切れることなく続くのです。咲く花は、間違いなく、まいた種に宿されていたものです。

 無限の変化に富む大自然の現象は、大きいものも小さいものも、単純なものも複雑なものも、みな因果律にしたがっているのです。だれ一人として、また何一つとして、その因果関係に干渉することはできません。もしも原因に不相応の結果が出ることがあるとすれば、地上界も物的宇宙も、霊的宇宙も大混乱に陥ります。私の言う大霊もあなたの言うゴッドも、創造神も絶対神も、愛と英知の権化でもなく全存在の極致でもなくなります。

 宇宙は、絶対的公正によって支配されています。もしも犯した過ちが、呪文やマントラを口にするだけで消し去ることができるとしたら、摂理が完全でなかったことになります。自然の大原則が簡単に変えられたことになるからです。

 大自然は、人間的な願望におかまいなく、定められたコースをたどります。成就すべき目的があるからであり、それはこれからも変わることはありません。人間も、その大霊の意志と調和した生き方をしている限りは、恵みある結果を手にすることができます。あなたの心の持ち方次第で、大自然は豊かな実りをもたらしてくれるということです。

 善い行ないをすれば、それだけ霊性が増します。利己的な行ないをすれば、それだけ霊性が悪化します。それが自然の摂理であり、これだけはごまかすことができません。死の床にあっていくら懺悔の言葉を述べても、それで悪行がもたらす結果から逃れられるというものではありません。

 どの法則も大法則の一部です。いずれも大霊の計画の推進のためにこしらえられたものですから、全体としての調和を保ちながら働きます。これは、物質界の人間は男性・女性の区別なく、自分が犯した罪は自分の日常生活における苦難のなかで自分で償うしかないこと、それを自分以外のだれかに転嫁できるかに説く誤った教義(注2)は捨て去らなければいけないことを教えています。

 人間は自分自身が、自分の魂の庭師です。英知と優雅さ、美しさといった霊性の豊かさを身につけるうえで必要なものは、すべて大霊が用意してくださっています。道具は全部そろっているのです。あとは各自がそれをいかに賢明に、いかに上手に使うかにかかっています。

 大霊は無限なる存在であり、あなた方はその大霊の一部です。完全な信念をもって摂理に忠実な生活を送れば、大霊の豊かな恵みにあずかることができます。これは地上のだれについても、例外なく言えることです。真理に飢えた人が完全な信念に燃えれば、きっと然るべき回答を得ることでしょう。

 摂理とはそういうものです。何事にも摂理があります。その摂理に忠実であれば、求める結果が得られます。もし得られないとしたら、それはその人の心がけが摂理にかなっていないことの証しでしかありません。歴史書をひもといてごらんなさい。最下層の極貧の出でありながら、正しい心がけで真理を求めて、決して裏切られることのなかった人は少なくありません。求めようとせずに不平をかこつ人を例にあげて、なぜあの人は…といった疑問を抱いてはなりません。

 もう一つの摂理をお教えしましょう。代償を支払わずして、価値あるものを手にすることはできないということです。優れた霊媒現象を手にするには、霊的感性を磨かねばなりません。それが代償です。それをせずに金銭を蓄えることに専念すれば、それにも代償を支払わなければいけなくなります。

 金儲けに目がくらんで本来の使命をおろそかにすれば、この地上では物的な豊かさを手にすることができるかもしれませんが、こちらへ来てから本来の自我がいかに貧しいかを思い知らされます。

 訳注1──シルバーバーチが「私たち(we)」と言うときは、自分を中心とした霊団を指す場合と、シルバーバーチの言う「liberated beings」、つまり「物」による束縛から解放された高級霊を指す場合とがある。ここでは後者である。

 訳注2──改めて指摘するまでもなく〝誤った教義〟は、キリスト教の「贖罪説」のことで、「イエスへの信仰を告白した者」といった条件つきの法則は全体の調和を乱すという意味。

【Q2】

では、悪人が健康で仕事もうまくいき、善人が苦しい思いをしていることがよくあるのはなぜでしょうか?

 自然の摂理を地上界の現実に照らして判断するのは、基準があまりにもお粗末過ぎます。地上人生は途方もなく巨大な宇宙人生のほんの短い一面に過ぎず、個々の生命は死後も永遠に生き続けるのです。

 が、それはそれとして、地上の現実を、今おっしゃったような表面的な実情で判断してよいものでしょうか。心の奥、魂の中枢、精神の内側までのぞき見ることができるものでしょうか。一人ひとりの内的生活、ひそかに抱いている思い、心配、悩み、苦しみ、痛みがわかるものでしょうか。わかるのはほんの一部でしかありません。

 実際は、あらゆる体験が魂に刻み込まれているのです。楽しみと苦しみ、喜びと悲しみ、健康と病気、晴天と嵐の体験を通して、霊性は磨かれていくようになっているのです。

【Q3】

人生の教訓が愛と哀れみを身につけることであるのなら、なぜ大自然は肉食動物という、むごい生き物を用意したのでしょうか?

 大自然が悪い見本を用意したかに受け止めるのは間違いです。大自然は大霊の表現です。大霊は完全ですから、大霊の用意した摂理も完璧です。大自然は、その摂理のおもむくままに任せれば、必ずバランスと調和を保つようにできています。
 ですから、人間が大自然と調和した生き方をしていれば、地上世界はパラダイス、いわゆる〝神の王国〟となるはずです。

 たしかに、肉食動物はいます。が、それは〝適者生存〟という大自然のおきての一環としての存在であり、大自然の一側面に過ぎません。全体としては「協調・調和」が自然のあるべき姿です。「共存共栄」と言ってもいいでしょう。人間がきちんと手入れをして自然と調和していれば、素晴らしい〝庭〟になることでしょう。

 実は、ほかならぬ人類こそが、地球上の最大の肉食動物なのです。何百万年もの歴史のなかでこれほど破壊的な創造物を私は知りません。

【Q4】

摂理の働き方は、地上界も霊界も同じなのでしょうか?

 いえ、同じではありません。霊界では、ある一定の進化のレベルに達した者が、同じ階層で生活しているからです。ということは、地上のように同じ界に対照的な体験をもつ者がいないということです。全員が同じ霊格に達した者ばかりなのです。未発達な霊が、高級な霊と同じ階層にいるということがないのです。地上では、毎日毎日、さまざまな知的ならびに霊的発達レベルの者と交わります。霊界では、そういうことがないのです。

 もっとも、特殊な使命を帯びて自分の界より低い界へ下りていくことはあります。そういうことでもないかぎり、私たちが出会うのは、霊的に同じ発達レベルの者ばかりです。霊性が向上すれば、それ相応の階層へ向上していきます。そこでも同じ霊格の者ばかりが生活しています。

 とにかく、私たちの世界には、暗黒と光明といった対照的なものは存在しません。影というものが存在しないのです。霊的光明のなかで生きる段階にまで到達した者は、光明とは何かについての理解ができています。そうでなかったら、光明界にはいられないでしょう。その段階にまで到達していない者は、光と闇で織りなされる夢幻の階層から抜け切っていないことを意味します。

 霊性がさらに向上すれば、そういう対象を必要としない理解の仕方が身につきます。実在についての理解力が増し、実相を実相として悟るようになります。

 霊的洞察力が身につけば、たとえば一本の花を見ても、その美しさの内側と外側まで見えるので、地上では理解できない、その花の全体像がわかるようになります。色彩一つをとってみても、地上界にない無限のバリエーションがあります。微妙な色調があり、また肉眼では理解できない、素材そのものに託された霊的な意味もあります。

 私たちの世界は、地球の引力の影響は受けません。夜はなく、常に明るい光に包まれています。霊性が高まるほど、美しさの内奥が顕現されていきます。

 その意味で、私たちの世界は、創造的な世界です。すなわち、そこに住む者が自らの霊力で創造していく世界です。

【Q5】

地上での行為、地上生活中に、因果律が働くのでしょうか?

 そういうこともありますし、そうでないこともあります。因果律は、必ずしも地上生活中に成就されるとは限りません。が、必ず成就されます。そういうように宿命づけられているからです。原因と結果とを切り離すことはできません。

 ただ、原因の性質によって、それが結果を生み出すまでの時間的要素に違いがあります。ですから、行為によっては地上生活中に反応が出る場合もあり、出ない場合もあります。が、霊的な余波は機械的に影響を及ぼしています。

 なぜなら、たとえば他人を傷つけた場合、その行為は機械的に行為者の魂に刻み込まれていますから、その罪の深さに応じて行為者自身の魂も傷ついて霊性が弱まっています。その結果が、地上生活中に表面化するか否かはわかりません。そのときの環境条件によって違ってきます。当人の永遠の霊的生命を基準にして配剤されるものです。

 埋め合わせの原理は、自動的に働きます。絶体絶命の窮地にあって援助と導きを叫び求めても、何の働きかけの兆候もないかに思えるときがあることでしょう。が、実は、そんななかにあっても、人のために役立つことができるという事実そのものが、豊かな埋め合わせを受けていることの証しなのです。自分も、だれかのおかげで霊的真実に目覚めたのです。このことは、治療家や霊媒としての仕事にたずさわる人に、特に申しあげたいことです。

 もしも埋め合わせと懲罰の原理がなかったら、大霊の絶対的公正はどうなるのでしょう?罪悪の限りを尽くした者と、聖人君子に列せられるような有徳の人物とが、同等の霊性を身につけることができるでしょうか?もちろん、できません。人のために役立つことをすれば、それだけ霊性が高まります。利己的なことをすれば、それだけ霊性が下がります。

 あなたの霊的宿命をよくするのも悪くするのも、あなた自身です。責任はすべて、あなた自身にあります。もしも死の床で懺悔して、それで生涯で犯した罪がもたらす結果からすっかり逃れることができるとしたら、それはお笑いものであり、悪ふざけです。

【Q6】

若いときに犯した罪の償いを、死んで霊界へ行ってからさせられるということがあるのでしょうか?地上にいる間に償いをさせられることもあるのでしょうか?

 すべては環境条件によって決まることです。自分が犯した罪は自分で償う──これは不変の摂理です。魂に刻み込まれた汚点を完全に消し去るまでは、向上進化は得られません。その過ちがいつなされたか(若いときか、中年か、年老いてからか)は関係ありません。能力のすべてを駆使して償わねばなりません。

 その努力を始めたとき、あるいはそう決意したとき、あなたの魂のなかで過ちを正すための別の側面が動き始めます。摂理の仕組みは、そのように簡単なのです。

 若いときに犯した間違いは、肉体を通して顕現している間のほうが償いやすいでしょう。地上で犯したのですから、地上のほうが償いやすいはずです。償いが遅れるほど修正もむずかしくなり、霊的進化を妨げます。
 大切なのは、自分の過ちを素直に悔いて償いを決意したとき、ふだんから見守っている霊団の者(類魂)が、間髪を入れずに、力添えに馳せ参じるということです。向上進化を志向する努力を、人間界の経綸に当たっている高級霊は、決して無駄に終わらせません。

シルバーバーチ