Wednesday, January 31, 2024

シアトルの冬 人類の真の自由の獲得のための闘争

The struggle for true freedom for mankind

別の日の交霊会で同じく人類の真の自由の獲得のための闘争についてこう語っている。
「私達はなくもがなの無知に対して闘いを挑まなくてはなりません。神は、内部にその神性の一部を宿らせたはずの我が子が無知の暗闇の中で暮らし、影と靄の中を歩み、生きる目的も方角も分らず、得心のいく答えはないと思いつつも問い続けるようには意図されておりません。

真に欲する者には存分に分け与えてあげられる無限の知識の宝庫が用意されておりますが、それは本人の魂の成長と努力と進化と発展を条件として与えられます。魂がそれに相応しくならなければなりません。精神が熟さなくてはなりません。心がその受け入れ態勢を整えなくてはなりません。

その時初めて知識がその場を見出すのです。それも、受け入れる能力に応じた分しか与えられません。

目の見えなかった人が見えるようになったとしても、その視力に応じて少しづつ見せてあげなくてはなりません。一気に全部を見せてあげたら、かえって目を傷めます。霊的真理も同じです。梯子を一段一段上がるように、一歩一歩、真理の源へ近づき、そこから僅かずつを我がものとしていくのです。

 いったん糸口を見出せば、つまり行為なり思念なりによって受け入れ態勢が出来ていることを示せば、その時からあなたは、その辿り着いた段階にふさわしい知識と教訓を受け入れる過程と波長が合いはじめます。そのあとは、もう、際限がありません。

これ以上はダメという限界がなくなります。なぜなら、あなたの魂は無限であり、知識もまた無限だからです。しかし闘わねばならばならない相手は無知だけではありません。

永い間意図的に神の子を暗闇に住まわせ、あらゆる手段を弄して自分たちのでっち上げた教義を教え込み、真の霊的知識を封じ込めてきた既成宗教家とその組織に対しても闘いを挑まなければなりません。

過去を振り返ってみますと、人間の自由と解放への闘争のためにわれわれが霊界からあらゆる援助を続けてきたにもかかわらず、自由を求める魂の自然な欲求を満足させるどころか、逆に牢獄の扉を開こうとする企てを宗教の名のもとに阻止しようとする勢力と闘わねばなりませんでした。

 今日なおその抵抗が続いております。意図的に、あるいはそうとは知らずに、光明の勢力に対抗し、われわれに対して悪口雑言を浴びせ、彼らみずから信じなくなっている教義の誤りを指摘せんとする行為を阻止し、勝手な神聖不可侵思想にしがみつき、

自分で勝手に特権と思い込んでいるものがどうしても捨て切れず、擦り切れた古い神学的慣習を後生大事にしている者がまだまだ存在します。

そこで私どもが人間のすぐ身のまわりに片時も休むことなく澎湃(ほうはい)として打ち寄せる、より大きく素晴らしい霊の世界があることを教えに来るのです。そうした障害を破壊し、莫大な霊力、全てに活力を与えるダイナミックな生命力を全ての人間が自由に享受できるようにするためです。

その生命力がこれまでの人類の歴史を通じて多くの人々を鼓舞してきました。今でも多くの人々に啓示を与えております。そして、これから後も与え続けることでしょう。
 
 荒廃に満ちた世界には、これから為さねばならないことが数多くあります。悲哀に満ち、悲涙にむせぶ人、苦痛に喘ぐ人にあふれ、何のために生きているのかを知らぬまま、首をうなだれ行く先が分からずにさ迷っている人が大勢います。

こうした人々にとって、目にこそ見えませんが、霊の力こそ真の慰めを与え、魂を鼓舞し、元気づけ、導きを必要とする人々に方向を指し示してあげる不変の実在であることを、その霊力みずからが立証します。

 そこにこそ、霊的知識を授かった人々の全てが参加し、自由の福音、解放の指導原理を広め、人生に疲れ果て意気消沈した人々の心を鼓舞し、魂の栄光をしらしむべく、この古く且つ新しい真理普及の道具として、一身を捧げる分野が存在します。

私たちが提供するのは、〝霊の力〟です。あらゆる困難を克服し、障害を乗り越えて、真理の光と叡知と理解力を顕現せしめ、神の子等に恒久的平和を築かせることができるのは、霊の力を措いてほかに無いのです」

シルバーバーチ

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