シアトルの夏 その静寂の中でできるだけ神との融合を保つことを怠ってはなりません。We must not neglect to maintain fusion with God as much as possible in that silence.
人間はとかく自分の関わった組織や団体にのみに霊力が顕現されているかに錯覚しがちですが、霊力というものは何ものによっても独占されるものではありません。
人間側から勝手に操ることもできません。
個人としてあなた方にできることは、その霊力の流れる一個の場として出来るだけ純粋であるよう心がけ、できるだけ多くの霊力が顕現されるようにする──つまり人のために役立つようになることです。
ついでに申せば、現代の地上には無数の〝通路〟を通してかつてなかったほどの霊力が注がれております。
その通路は霊媒にかぎりません。
それとは気づかぬままに通路となっている人も大勢います。
また同じ霊力が他の分野においても活用されております。
神の計画が変わることはありません。
あなた方が自らを変えてその計画に合わせなくてはなりません。
神の霊力の流れに調和し、日々の生活をその流れに乗って送れば、あなた方の地上での存在意義が完うされます。
霊力は地上的基準に従って働くのではありません。
人間の勝手な打算的欲望で働きを早めたり自分の方へ引き寄せたりはできません。
”風は思いのままに吹く。いずこより来たりいずこへ行くか汝らは知らず”(ヨハネ3-8)
星は寸分の狂いもなくその軌道上を回り、潮は間違いなく満ち引きを繰り返し、四季は一つ一つ巡りては去り、それぞれに荘厳にして途方もなく雄大かつ崇高なる宇宙の機構の中での役割を果たしております。
今あなたがそれを変えようとしても変えられるものではありません。
が、その大自然の営みの原動力である霊力と同じものを自分を通して働かせ、そうすることであなた自身もその営みに参加することができるのです。
神からの遺産を受け継いだ霊的存在として、あなたも神の一部なのです。
神はあなた方一人ひとりであると同時にあなた方一人ひとりが神なのです。
ただ規模が小さく、胚芽的存在にすぎず、言ってみれば神のミニチュアです。
あなた方は神の縮図であり、その拡大が神というわけです。霊性の高揚と成長と進化を通じて無限の神性を少しずつ発揮していくことによって、一歩一歩、無限なる神に近づいて行くのです。
徐々にではありますが、光が闇を照らすように知識が無知の闇を明るく照らしていきます。
生長、変化、進化、進歩、開発、発展 ──これが宇宙の大原則です。
一口に進化と言っても、そこには必ず潮の干満にも似た動きがあることを知ってください。
循環(サークル)運動、周期(サイクル)運動、螺旋(スパイラル)運動 ──こうした運動の中で進化が営まれており、表面は単調のようで内面は実に複雑です。
その波間に生きるあなた方も、寄せては返す波に乗って進歩と退歩を繰り返します。
物的繁栄の中にあっては霊的真理を無視し、苦難の中にあっては霊的真理を渇望します。
それは人生全体を織りなすタテ糸とヨコ糸であるわけです。
もしも現在の自分に満足し始めたら、それは退歩しはじめたことを意味します。
今の自分に飽き足らず常に新しい視野を求めている時、その時こそ進歩しているのです。
あなた方の世界には〝自然は真空を嫌う〟という言葉があります。じっとしている時がないのです。
前進するか、さもなくば後退するかです。
霊は全生命の創造力であるからこそじっとしていることができず、どこかに新しい捌け口を求め、従って満足することがないのです。
何も霊媒現象を通して働くばかりが霊力ではありません。
芸術家を通して、哲学者を通して、あるいは科学者を通しても発現することができます。
要するにあなた方自身の霊的自覚を深める行為、あなた方より恵まれない人々に何か役に立つ仕事に携わることです。
看板は何であっても構いません。
かかわる宗教、政治、芸術、経済がいかなる主義・主張を掲げようと問題ではありません。
実際に行う無私の施しが進化を決定づけるのです。
神は絶対にごまかされません。
法則は法則です。原因はそれ相当の結果を生み、自分が蒔いた種子は自分で刈り取ります。
そこに奇跡の入る余地もなければ罰の免除もありません。
摂理は一分一厘の狂いもなく働きます。
不変・不易であり、数学的正確さを持って作用し、人間的制度にはお構いなしです。
地上生活では勝者がいれば敗者がいるわけですが、霊性に目覚めた人間はそのいずれによっても惑わされてはなりません。
やがてはその人間的尺度があなたの視野から消える時が来ます。その時は永遠の尺度で判断することができるようになるでしょう。
と言って私は、あなた方の悩みや苦労を見くびるつもりは毛頭ありません。それは私にも痛いほどよく分かります。
ただ、もしも私が現在のあなた方に評価できない永遠の価値を指摘せずにおけば、それは私が神界から授けられた義務を怠ることになります。
永い歴史を振り返れば、余りの悲劇に指導者も〝世も末だ〟と嘆いた時代が幾度かありました。
万事休すと観念し、暗黒にのみ込まれ、全ての真理が埋もれてしまうと思い込んだものでした。
しかし宇宙はこうして厳然として存在し続け、これからもずっと存在し続けることでしょう。
私にできることは、いつの時代にも適用できる真理を繰り返し説くことです。
それを受け入れ、生活の基盤とするのはあなた方の役目です。
それは容易なことではありません。
しかし、もしも容易であったらそれだけの価値はないことになりましょう。
霊的探検に容易なものは何一つありません。
霊の歩むべき本来の道は何にも増して困難なものです。
聖者の道、悟りへの道、円熟への道は容易には達成されません。
自己犠牲を伴う長くゆっくりとして根気のいる、曲がりくねった道です。
己れを棄てること──これが進化の法則です。
もしも霊の最高の宝が努力なしに手に入るものだとしたら、これは永遠の叡知を嘲笑うことになります。
これは絶対的摂理として受け入れなくてはいけません。
私はかつて一度たりとも神が光と善にのみ宿ると述べたことはないつもりです。
善と悪の双方に宿るのです。無限絶対の存在である以上、神は存在の全てに宿ります。
宇宙間の出来ごとの一部だけを除外して、これだけは神とは別個のもの、何かしら、誰かしら、とにかく別種のエネルギーの仕業であるなどとは言えません。
私はいつも宇宙は全て両極性によって成り立っていると申しております。
暗闇の存在が認識されるのは光があればこそです。
光の存在が認識されるのは暗闇があるからこそです。
善の存在を認識するのは悪があるからこそです。
悪の存在を認識するのは善があるからこそです。
つまり光と闇、善と悪を生む力は同じものなのです。
その根源的な力がどちらへ発揮されるかは神の関わる問題ではなく、あなた方の自由意志に関わる問題です。
そこに選択の余地があり、そこに発達のチャンスがあるということです。
地球は完全な状態で創造されたのではありません。
個々の人間も完全な状態で創造されたのではありません。
完全性を潜在的に宿しているということです。
その潜在的完全性が神からの霊的遺産であり、これを開発することが個人の責務ということです。
それには自由意志を行使する余地が与えられています。
善か悪か、利己主義か無私か、慈悲か残酷か、その選択はあなたの自由ということです。
ただし忘れてならないのは、どちらの方向へ進もうと、神との縁は絶対に切れないということです。
神の力とエネルギーと援助を呼び込むための手段は常に用意されています。
しかしそのためには時には魂の奥の間に引きこもり、その静寂の中でできるだけ神との融合を保つことを怠ってはなりません。
私たちは相互援助と相互扶助の縁によって結ばれ、互いに役立つものを施し合っております。
ここまで目を開かせていただいたことを神に感謝しましょう。
これを土台として、私たちを創造し育み続けて下さる御力の存在を信じましょう。
その御力が自分より恵まれぬ人々に施されるための通路となるよう心掛けましょう。
私たちは神の御前にいるのだという自覚を常に忘れず、手を差しのべさえすれば必要なものが能力に見合っただけ施されることを忘れないように致しましょう。
それは無限の可能性を秘めた無限なる霊の無限なるエネルギーなのです。
シルバーバーチ
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