Sunday, January 25, 2026

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
二章 聖なる山の大聖堂


2 構 造
一九一八年 二月 八日 金曜日

 〝聖なる山の大聖堂〟の使用目的についてはすでに述べました。今度はその構造そのものについて少しばかり述べてみましょう。と言っても、詳しいことは説明しません。不可能だからです。

 広大な草原に切り立った崖が聳えております。その頂上の台地に聖堂が建っております。草原から目に入る部分は小さな翼廊だけで、本館は見えません。何千何万もの大群集が集結して見上げた時にまず目に入るのは、こちら側に面した翼廊のポーチとその側壁とアーチ型の窓である。

高々と聳えるその位置、雄大な規模、均整のとれた建築様式は、その位置から見上げただけでも実に堂々としていて、且つまた美しいものです。

 そのポーチから入り、それを通り抜けて中へ入ると、吾々は右へ折れ、天蓋はあっても側壁の無い柱廊(コロネード)を通って進みます。

そのコロネードは、通路と交叉する幾つかの箇所を除いては、本館全体をかなりの距離を置いて取り囲むように走っており、吾々の位置から左手へ行くと中央聖堂へ至り、右手へ行くと別の幾つかの翼廊へと至る。

その翼廊の一つひとつにポーチが付いている。しかしそれは全部第十一界の方角へ向いており、吾々が通った翼廊だけが第十界へ向いている。

翼廊は全部で十一個あり、その一つひとつに特殊な使用目的がある。その〝十〟という数字は下界の十の界層とは関係ありません。それから上の十の界層と関連しているのです。


──その〝十〟という数字には第十界の方を向いているポーチも含まれているのですか。

 いえ、あれはあれのみの独立した存在で、関係するのは下界のことのみです。十個の翼廊は第十一界およびその後に続く十の界層と関連しております。それぞれの翼廊に大きなホールがあります。翼廊は一つひとつ形が違っており、二つとして同じものはありません。

貴殿には理解しかねることかも知れませんが、各翼廊はそれと関連した界を構成する要素の特質を帯びており、常にその界と連絡が取れております。上層界の情報はぜんぶそこの翼廊に集められ、第十一界の言語に翻訳された上で、その場で処理されるか、必要とあれば関連した地域へ発信される。

 また、聖堂内の住民が上層界へ赴いている間もこの翼廊と間断なく連絡が維持され、一界また一界と上昇していくのを追いながら絶えず連絡を取っている。

 吾々はコロネードと交叉している通路の一つを左へ折れます。その通路は中庭を通り、庭園を過(よぎ)り、そして森を突き抜けています。

いずれも美しく手入れされ、噴水あり、彫像あり、池あり、色とりどりの玉砂利を敷きつめた小道、あずまや、寺院──その幾つかは上層界の寺院の複製ですが実物ほど雄大ではない──があります。そしてついに(複数の建物から成る)本館へ辿り着きました。

本館にも十個のポーチがついています。ただしここのポーチは通路とは連絡されておらず一つひとつが二本の通路から等間隔の位置にあり、通路はすべて本館と直接つながっております。

つまりポーチは通路にはさまれた地域に立っており、各地域がかなりの広さを持っております。地上ならさしずめ公園(パーク)と呼ぶところでしょう。

何しろ聖堂全体は途方もなく広く、各地域に常時何万を数える住民が住んでいるのです。それほど一つひとつの地域は広く、そこに家屋と庭園が点在しているのです。

 さて吾々は第十二界の翼廊と第十三界の翼廊───こういう呼び方をしているわけではありませんが、貴殿の頭の混乱を避けるために便宜上そう呼ぶまでのことです───の中間に位置するポーチの前まで来て足を止めました。

その一帯に広大なテラスが広がっています。ポーチとつながっていて、美しい土地を次第に上昇しながら、はるか地平線の彼方に見える山々の方へ向けて広がっている。

実はそこから本来の第十一界が始まります。大聖堂は第十一界の一番端に位置していることになります。つまりポーチからいきなりテラスとなり、それがその地域全体に広がっているわけです。

目も眩まんばかりの琥珀色の石段があってそれを登っていくのですが、足元を照らす光が外の光と融合し、それが登りゆく人の霊的性格によって輝きを変えます。

 ここで銘記していただきたいのは、貴殿らが死物ないし無生物と呼んでいるものも、ここでは他の存在に対して反応を示すのです。

石は緑草や木々に影響を及ぼすと同時に、自分も影響を受けます。木々のすぐ側に人間が立つと、お互いの性質によってさまざまな影響を及ぼし合います。家屋や建造物のすべてについて同じことが言えます。

 ポーチそのものがまた実に美しいのです。形はまるくもなく角ばってもおらず、ちょっと人間には想像できない形をしております。私がもしこれを〝形というよりは芸術的情感〟とでも表現したら、貴殿はそれを比喩として受け取ることでしょう。

しかしその情感に地上のいかなる建造物よりもしっかりとした永続性が具わっているのです。その成分を真珠層のようだと言ってもよろしい。液晶ガラスのようであると言ってよろしい。そんなものと思っていただけば結構です。

 さて、中へ入ると大きな楕円状の空間があります。天井は植物と花をあしらった格子細工がほどこしてあり、それらの植物はポーチの外側に根をはっているものと内側に根を下ろしているものとがあります。しかしこんな話はやめて先へ進みましょう。吾々はついに聖堂の大ホールへと入っていくことになります。


──暗黒界からお帰りになってすぐにキリストをご覧になったホールですか。

 同じホールです。地上で屋根と呼んでいるのと同じ意味での屋根は付いておりません。といって青空天井でもありません。屋根のあるべきところに堂々たるアーチ形をした天蓋が高く聳えており、色とりどりの液晶の柱によって支えられております。

しかし天蓋のへりは流動する線状を呈し、光の固まりのようなものとつながっております。と言ってもその固まりは普段そこに参集する者にも貫通できない性質をしております。しかも、いっときとして同じ色を呈しておらず、下のホールで催される儀式の内容によってさまざまな変化をしております。

 そこの祭壇、それとその背後にある〝謁見の間〟については既に述べました。大ホールに隣接して、そうした〝間〟がまわりに幾つもあります。

その一つが〝式服着用の間〟です。いかにも地上的感じがするかも知れませんが、そこで行われるのは単なるコートやマントの着更えだけでなく、実に重大な儀式が行われることを知っていただきたいと思います。それについて述べてみましょう。

 その大ホールにおいて、時おり、はるか上層界から送られてくる電気性を帯びた霊力の充満する中で厳かな儀式が行われることがあります。

その際、その霊力を帯びる第十一界を最低界とする下層界の者は、各々その霊力によって傷つくことなく吾が身にとって益となるように身仕度を整える必要があります。そこで〝式服着用の間〟において着更えの作業が真剣に行われることになります。

その行事は神聖さと霊力とを具えた専門の霊が立ち会い、式服が儀式に要求される色合いと生地と様式を整えるように、こまごまと指導します。

そのすべてに、着用する当人の霊的本性が影響します。つまり当人の内的資質が式服の外観に出てくるわけです。そうなってはじめて大ホールへの入場を許され、やがて行われる儀式に参列することになるのです。

 その儀式はある一団が使命を帯びて他の界層へ赴くに際しての〝歓迎の儀〟であることもありましょう。その場合は参列した者が霊力を一つにまとめて、送られる者へ与えることが目的となります。従ってすべてが完璧な融合・調和の中で行う必要があります。

そこで霊格の劣る者、ないしは新参の者は、その目的で〝着用の間〟において周到な調整をしておかねばなりません。

 さらには、大ホールでの〝顕現〟が近づいていることもありましょう。キリストと同等の神格を具えた方かもしれませんし、大天使のお一人かも知れませんし、もしかしたらキリストご自身かも知れません。そんな時は式服の着用も入念に行われます。

さもないと益を受けるどころか、反対に害をこうむることにもなりかねません。もっとも、私が聞いたかぎりでは、一度もそのような例はありません。しかし理屈の上では十分に有り得ることなのです。

 しかし、この界へ来たばかりの霊が、強烈な霊力を具えた神霊の顕現ないし何らかの強烈な影響力が充満しているホールに近づくと、次第に衰弱を覚えるということは往々にしてあることです。

そこでその人はいったん引き返すことになりますが、それは実は霊力が試されているのです。その体験に基づいて自分にいかなる鍛錬が欠けているかを認識することになります。それはそれで恩恵を受けたことになります。

 この大聖堂を先に述べた山の頂(イタダキ)から眺めれば、おびただしい数の塔とアーチ道とドームと樹木と風致地区(家屋を建ててはいけない土地)を具えた一つの都市のように見えることでしょう。

その中央の宝石からあふれ出る光輝は遠く彼方まで届き、言うに言われぬ美しさです。

宝石と言ったのは、ドームあるいは尖塔の一つひとつが宝石のような造形をしており、それが天上的な光と言葉となって光り輝いているのです。言葉と言ったのは、一個の建物、一個の色彩、または一群の色彩が、そこの住民には一個の意味として読み取れるからです。

また住民が柱廊玄関、バルコニー、屋上、あるいは公園を行き来する姿もまた実に美しいものです。あたりの美観や壮観とほどよく調和し、その輝きと同時に安らぎをも増しています。

と言うのも、住民と聖堂とは完全に一体関係にある──言い換えれば、以前に述べたように一種の呼応関係にありますから、そこには不調和の要素はいささかも存在せず、配置具合もすべて完璧な調和を保っております。

もしこの聖堂都市を一語にして命名するとしたら、私は〝調和の王国〟Kingdom of Harmony とでも呼びたいということです。そこにおいて音と色と形、それに住民の気質とが和合の極致を見せているからです。
                             アーネル ± 



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