War seen from the spirit world side
私たちは霊界が、地上の戦争によって傷ついた魂のための野戦病院のようになっては困るのです。私たちのように地上圏に降りて仕事をしている者は、地上人が救われるためには、私たちがお届けしている霊的真理を受け入れる以外にはないことを痛感しています。それは地上人みずからがすべきことであって、私たちが代わってしてあげるわけにはいきません。摂理に反した行為がどのような結果を招くかを示し、地上で間違ったことをすると霊界でこういう事態になるということを、教えてあげるしかないのです。
霊的に何の準備もできていない魂が、霊界へ続々と送り込まれてきます。戦死者たちは、まるで熟さないうちにもぎ取られた果実のようなものです。地上界で生活するための道具(肉体)を破壊されたことで傷ついた魂を、なぜ霊界で癒さなければならないのでしょうか。地上人がなすべきことを疎(おろそ)かにしたことで生じた面倒な事態に対処するために、なぜ私たちが進化の歩みを止めて地上圏へ戻って来なければならないのでしょうか。
もし私たちに、あなた方への愛、大霊の愛がなかったなら、こうして地上界のために働いてはいないでしょう。皆さんは、私たちが伝えようとしている霊的真理によって私たちを判断してください。もし皆さんが「あなたの教えは間違っている。これまでの地上の常識に反している」と言われるなら、私たちとしてはもはや為す術(すべ)がありません。
地上界に限って考えてみても、戦争を正当化することはできません。物質的にも、ただ破壊を引き起こすだけです。霊界側から見たとき戦争は、決して正当化することはできません。戦争は、人間は地上界を離れる時期がきたときに肉体から去るべきである、という摂理に反することになるからです。大霊の子が、よくぞ平気で神聖なる摂理を犯すものだと、私たちは呆れるばかりです。
実は地上界のそうした愚かな行為が、低級霊たちの働きかけを許すことになっているのです。彼らは進歩と平和と調和を憎み、組織的な態勢で邪魔立てしようと画策しています。そのことを、あなた方はご存じありません。これを阻止するためには民族や国家間の対立をなくし、地上人類のすべてが大霊の子供であるとの認識を持つことです。対立を生んでいるのは地上の人間であって、大霊ではありません。すべての人間に大霊の分霊が宿っており、それゆえに全人類は等しく大霊の子供なのです。
地上世界には建設しなければならない仕事がいくらでもあるというのに、指導的立場にいる人たちは、なぜ破壊という手段を選ぶのでしょうか。大霊は、すべてを支配する自然法則(摂理)を設けられました。地上の子供たちは、その法則に背くようなことをしてはなりません。もし摂理にそった生き方をしないなら、破壊と混乱を生むだけです。人類は、もう十分にその結果を見てきたのではないでしょうか。
皆さん方には、大霊の計画を地上界で実現するために全力を尽くしていただきたいのです。皆さんは、大霊が流血を望まれると思いますか。戦争によって悲劇や苦難、失業や飢餓や貧困が生み出されるのを望まれると思いますか。せっかくの賜物(たまもの)を無駄にし、小さな子供たちが両親から引き離されて無理やり霊界に追いやられてしまうのを見て、大霊が喜ばれると思いますか。
私たちがお届けしている教えに忠実でありさえすれば、大霊のために奉仕している私たちと同じように、あなた方もこの大事業において役に立つことができるのです。
他人の肉体生命に終止符を打つ行為は、大霊の摂理に背きます。殺意を抱くと、理性が去ります。人間には大霊の分霊が宿っていますが、同時に動物的進化の名残も留めています。人間の進化向上は、動物性を抑え、神性を発揮することによってなされるものなのです。動物性をむき出しにすると、戦争や紛争や殺し合いなどが起こります。反対に内面の神性を輝かせ互いに助け合うようになれば、平和と調和と豊かさがもたらされます。
国家とか民族とかで差別してはいけません。いずれの国家も民族も、大霊の一部なのです。大霊の目から見れば皆、大霊の子供であり、兄弟姉妹なのです。私たちの教えは単純ですが、真実です。それは大霊の摂理を基盤としているからです。摂理を無視して地上界を築こうとしても、混乱や騒動が起きるだけで、最後はすべてが破綻します。
よほどの犠牲的な努力が為されないかぎり、地上ではこれからも戦争が絶えないでしょう。人類はそうなる種を蒔いてきており、蒔いた種は人類みずからの手で刈り取らなければなりません。原因と結果の法則は絶対にごまかせないのです。流血の種を蒔いておいて、平和を刈り取ることはできません。物的欲望の種を蒔いておいて、その結果を免れることはできません。
愛が欲しければ愛の種を蒔くことです。平和が欲しければ平和の種を蒔くことです。至るところに奉仕の種を蒔けば、地上世界は奉仕の精神にあふれることでしょう。このように大霊の真理はきわめて単純なのです。あまりに単純すぎるために、地上で指導的立場にある人々には、その重大性が分からないのです。
質疑応答
――大戦で戦死した人々の「犠牲」は何の役にも立たなかったのでしょうか。
少なくとも私の目には何の意義も見いだせません。あなた方が言う「偉大なる戦い」が始まったときよりも今の方が混乱し、一段と破壊が進んでいます。
訳注――「偉大なる戦い」とは「戦争をやめさせるための戦争」を大義名分とした第一次世界大戦の別称であるが、シルバーバーチが敢えてこの呼び方をしたことには、「偉大」と呼べる戦争などあり得ないという皮肉が込められている。
――あれだけの英雄的行為が無駄に終わることがあってよいものでしょうか。霊的な影響はまったくないのでしょうか。
犠牲となった一人ひとりには報いがあります。動機が正しかったからです。しかし、忘れてはならないのは、地上世界は彼らを裏切っているということです。相変わらず物質中心の考え方をしているために、彼らの犠牲は無意味に終わっているのです。
――休戦記念行事が毎年のように催されていますが、意義があるのでしょうか。
たとえ二分間でも死者のことを思い出してあげることは、何もしないよりはましでしょう。ですが、ライフルや銃剣、軍隊、花火、その他、戦争に結びついたもので軍事力を誇示して祝ったところで、何の意義も見いだせません。なぜ、霊的な行事で祝えないのでしょうか。
――戦没者の記念をスピリチュアリズム的な催しとして行うことには賛成ですか。
真実が語られるところには、必ず善なるものが生まれます。もちろんその演説が奉仕的精神を鼓舞するものであれば、なおさらです。無意味な演説からは何も生まれません。演説をするだけでは十分ではありません。また、それを聴く側も、いかにも自分たちが平和の味方であるかのような気分に浸るだけではいけません。
私は「行為」を要求しているのです。人のために役立つことをしてほしいのです。弱者を元気づけるようなことをしてほしいのです。病気に苦しむ人々を癒し、喪の悲しみの中にいる人を慰め、住む家もない人に宿を貸してあげてほしいのです。地上世界の汚点とも言うべきすべての害悪に、終止符を打ってほしいのです。
平和は互助の精神からしか生まれません。すべての人が奉仕の精神を抱き、それを実行に移すようになるまでは地上に平和は訪れません。
――参戦を拒否する平和主義者の運動についてどう思われますか。
私はいかなる“派”にも属しません。私にはラベルというものがないのです。私は、人のために役立つ行為と動機にしか関心がありません。肩書きや名称に惑わされてはいけません。何を目的としているか、動機は何かを見極めないといけません。なぜなら、反目し合うどちらの側にも誠意と善意を持った人がいるものだからです。私たちが説いている教えは至ってシンプルなものですが、それを実行に移すには勇気が要ります。
霊的真理を知り、それを実行しようと決意したとき、そして日常生活においてあらゆる問題に奉仕と無私の精神で臨むようになったとき、地上界に平和と調和が訪れます。
それはいかなる党派の主義・主張からも生まれるものではありません。大霊の子供たちが霊的真理を理解し、それを日常生活に、そして政治や経済や国際問題に適用していくことから生まれるのです。
私たちは、これこそ真実であると確信した霊的真理を説いています。そしてそれを実行に移せば、きっと良い結果がもたらされるということを教えています。あなた方は物質の世界にいらっしゃいます。最終的には皆さん自身が責任を負うことになります。私たちはただ、愛と誠意を持って導き、あなた方が正道から外れないように力を貸してあげることしかできません。
――ヨーロッパの大国のすべてが完全武装して大戦に備えている中で、英国だけが武装化を抑制しているのは間違いではないでしょうか。
あなた方は国や民族の概念で考えますが、私は大霊とその子供という概念で考えていることを、これまで何度も申し上げてきました。破壊のための兵器をいくらつくっても、平和はもたらされません。平和を希求する声が高まり、人々が愛と奉仕の摂理にのっとって生きるようになったとき、平和が訪れるのです。私は、一つの国、一つの民族という概念はとりません。全人類が大霊の一部であり、大霊の子供であると考えているのです。大霊の摂理を適用するようになるまでは、地上界から戦争と破壊、混乱と破綻が尽きることはないでしょう。
イタリア軍によるアビシニア(現エチオピア)侵攻に関連して出された質疑応答――
――「制裁」という手段をどう思われますか。
私の意見はもうお分かりでしょう。生命は大霊のものであって、人間のものではありません。勝手に生命を奪うことは許されません。摂理に反します。摂理に反したことをすれば、その代償を払わなければなりません。
――しかしこの場合は、動機が正当化されるのではないでしょうか。戦争をやめさせるためという大義があるのですから……。
武力という種を蒔けば、その種はさらなる武力を生むことになります。「戦争をやめさせるための戦争」だと、当事者が言っているではありませんか。
――では、残虐な連中が無抵抗の人々を殺すのを手をこまねいて見ていろとおっしゃるのでしょうか。
あなた方はよく、そういう論理で私たちの意見を求めますが、私たちは永遠にして不変の摂理を説いているのです。最初の段階で摂理に適った手段を用いていれば、今日のような苦境を招くことはなかったはずです。あなた方は難問が生じてから、取り敢えず対策を講じて切り抜けようとしますが、それでは根本的な解決はできません。永遠の摂理に基づく手段だけが、永遠の平和・真の平和をもたらすことになるのです。
――私たちは国際連盟(現在の「国際連合」の前身)を支持すべきでしょうか。
加盟国の代表は本当に平和を希求しているでしょうか。心の底から、魂の奥底から平和を望んでいるでしょうか。大霊の摂理に素直に従うだけの覚悟ができているでしょうか。もしかして、自国への脅威となるものを阻止しようとしているだけではないでしょうか。大霊と人類全体の観点からではなく、自分たちの国、自分たちの民族、自分たちの富という観点からのみ考えているのではないでしょうか。
私たちは、親なる大霊と、その摂理について説いています。それ以外に平和をもたらす方法はないからです。その場しのぎの手段でも一時的には効果があるかもしれませんが、それでは邪悪なものしか生まれません。
そのうち地上人類も“愛”こそが邪悪に打ち勝つことを悟る日がまいります。なぜなら、愛は大霊の顕現だからです。すべての問題を愛の精神で解決しようとするなら、地上界に平和が訪れます。愛の摂理に反する欲望は、常に分裂と混沌(こんとん)と破綻を生み出します。根本から正す努力をしないかぎり、他のいかなる手段をもってしても永遠の平和は訪れません。
――宇宙には戦争を正当化する理由はないのでしょうか。
ありません。戦争は地上世界に存在するだけで、霊界にはありません。人間が殺意を抱くと、同じような欲望を持った地縛霊を惹きつけることになります。
一九三七年の「休戦記念日」におけるシルバーバーチからのメッセージ
訳注――かつては「休戦記念日」と呼ばれていたが、第二次世界大戦後は、英国では「英霊記念日」、米国では「復員軍人の日」と呼ばれている。
毎年この日がめぐってくるごとに、戦死者の犠牲が虚しいものであることを痛感させられます。たった二分間、あなた方は「栄誉ある戦没者」に無言の敬意(黙祷)を捧げ、それからの一年間は忘れ、この日が訪れると棚から下ろしてホコリをはたくように敬意を払います。
彼らの犠牲的行為はすべて無駄に終わっています。一九三七年の時点で、十九年間も十字架にかけられ続けてきたようなものです。あなた方は「偉大なる戦争」と呼びますが、その偉大さとは大量殺戮(さつりく)、無益な殺戮のことです。それは、すべての戦争をやめさせるための戦争だったとおっしゃいますが、その言葉の何と虚しいことでしょう。何という欺瞞(ぎまん)に満ちた言葉でしょう。
自分の生命まで犠牲にして祖国のために献身した若者たちが、霊界で辛い落胆の歳月を送っていることをご存じでしょうか。彼らは、青春の真っ只中で生命を奪われました。何の準備もなしに、霊界へ送られたのです。彼らは“国を守る”という理想のために喜んで死んでいきました。それ以来、彼らは裏切られ続けています。地球上から戦争はなくなっておりません。栄誉ある戦死者に二分間の黙祷を捧げている最中でも「休戦」はありません。殺戮は二分間の休みもなく続いています。
真の平和は霊的摂理を適用することによってしかもたらされないということを、地上人類はいつになったら悟るのでしょうか。戦争はもとより、それが生み出す流血、悲劇、混沌、破綻といったものの元凶は「利己主義」なのです。
奉仕精神が利己主義に取って代わることによってのみ、平和が訪れることを知らなければなりません。自国の物的威力を誇示しようとする古い唯物的思想を捨て、代わって互いが互いのために生き、強い者が弱い者を助け、持てる者が持たざる者を援助しようとすることによってのみ、平和が訪れるようになることを学ばなければなりません。
霊界へ送り込まれた人々を、心にもない口先だけの敬意で、侮辱(ぶじょく)してはなりません。和平へ向けていろいろと努力が為されながら、ことごとく失敗しています。が、唯一試みられていないのは「霊的真理」の適用という方法です。それが為されないかぎり戦争と流血が終わることはなく、ついには人類が誇りに思っている物質文明も破綻をきたすことになるでしょう。
シルバーバーチ
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