Thursday, November 30, 2023

シアトルの晩秋 日本のシルバーバーチファンの皆さんへ ――トニー・オーツセン

To all Japanese Silver Birch fans


私が思うに、世界の大きな宗教のほとんどが死後の生命を約束しておりますが、それを一個の宗派の信者のみのものとしてではなく人類すべてのものとして、つまり一つの“事実”として証明しているのはスピリチュアリズムだけである――そう申し上げて間違いないでしょう。

その根拠はといえば、すでに他界している愛する人たちがその死後の世界から戻ってきて、いわゆる霊媒――死者の霊の姿を見たり、声を聞いたり、その存在を直感できる人――を通じて、死後もなお立派に生き続けていることを立証してくれているからです。

さて、今世紀初めのことです。みじめな貧民層が軒を並べて生活していたロンドン東部地区に、モーリス・バーバネルという青年が住んでいて、商売のかたわら、ある社交クラブに所属していました。そのクラブには各界の著名人が集まり、誰かが講演をして、それに反論して議論の輪を広げていくのが彼の役目でした。ところが、ある日の会合でスピリチュアリズムについての講演があった時に彼はなぜか、自分はスピリチュアリズムについて何も知らないのでと言って討論を拒否し、半年の猶予をいただきたいと申し出ました。本格的にスピリチュアリズムなるものを勉強してみようと決心したのです。

それからのちの経緯(いきさつ)は長くなりますので割愛させていただき、結論だけを申し上げれば、勉強のために何度か交霊会を訪れているうちに、いつの間にか自分自身が霊媒となっておりました。そして、彼の口を使ってシルバーバーチと名のる高級霊がしゃべるようになり、以来六十年にわたって、毎週一回、晩年は月一回の割で出現し、地上生活と死後の生活に関するあらゆる問題についての教えを説いたのでした。(*詳しくは『霊性進化の道しるべ』巻末のバーバネルの遺稿《シルバーバーチと私》を参照してください。)

それが六十年間も続き、その間に説かれた教えがバーバネル亡きあと今なお世界中で愛読されているという事実は、シルバーバーチを指導霊とした交霊会が、まやかしのない、真実そのものに根ざした、よほど堅固なものであったことを物語っております。

残念ながらシルバーバーチは地上時代の姓名を名のらないままで終わりました。自分が説く教えそのもので勝負したいからだと言い、かりに地上時代はファラオ(古代エジプトの王)だったとしても、それを立証する手だてがない以上、結局は意味がないことになる、と言うのです。

シルバーバーチという霊について分かっていることは、三千年前に地上で生活したことがあるということ、それが地上時代にインディアンだった別の霊を霊界側の霊媒として使用し、そのインディアンの立場で通信を送ってきたということだけです。それも本当かどうか分からないではないか、とおっしゃる方がいるかも知れません。確かにその通りですが、六十年間に交霊会に訪れた人の中で霊視力をもった人は、みんな口を揃えて、確かにインディアンの容姿が見えたと述べています。中でも霊視力をそなえた画家のマルセル・ポンサン氏が描いた肖像画は、叡智あふれるインディアンの風貌をしており、それが一応シルバーバーチであるとされています。

シルバーバーチの教えには多くの特質がありますが、私が思うに、その中でもとくに大切なのは、人類は全体として一つの大きな家族であり、民族の別、肌の色の違いに関係なく、地上のすべての人間が霊的に結びついているということです。この事実の理解がないところに、飢えと戦争が絶えない原因があるというのです。シルバーバーチの説く教えにそった生活が営まれるようになれば、地上世界は平和と豊かさに満ちあふれることでしょう。飢えに苦しむ者も貧しさに泣く人もいなくなることでしょう。

私はこれまでに、シルバーバーチの教えを何冊かの本にまとめましたが、そのたびに、表現の見事さに感嘆させられております。用いる言葉はいたって素朴なのですが、その意味するところが実に深遠なのです。

どうか、日本におけるシルバーバーチの霊言の愛読者の皆さんが、本書の中に新たな安らぎと確信と導きと喜びを見出されるよう、心から祈っております。

Tuesday, November 28, 2023

シアトルの晩秋 あなた方人間は、肉体と精神と霊とが最初から一体となって生まれて来ているということです。

You humans are born with body, mind, and spirit as one from the beginning.

臓器移植の問題

───心臓移植は霊的観点からみてどうなのでしょうか。

 「何ごとも動機が大切です、もちろん地上的生命を永らえさせること(救命)を目的としているケースもあることは認めますが、一つの実験が別の実験への勇気を生み、それがいつしか〝救命〟という目的から外れていきます。

 それに関連してもう一つ言わせていただきたいことは、動物を使って行なう残酷な実験には、霊的観点からみて何一つ価値は見出せません。残酷性の中から人間の健康のカギは見出せません。人間のエゴから行なう実験で大自然の秘密は解明されません。

 私は臓器の移植には賛成できません。実は、輸血にも賛成できないのです。あくまで私個人としての意見ですが、肉体的生命の維持(死なないようにすること)が第一の目的であらねばならないとは考えません。

 私の考えでは、人間としての正しい生き方───霊的に、精神的に、そして物質的にどういう生き方が好ましいかを教えることこそ、第一の目的であるべきです。

心の持ち方が自然の摂理に適っていれば、おのずと品行も方正となり、身体も健康となるはずです。それを臓器を取り替えることで解決しようとしても無駄です。最良の解決法は自然の摂理にかなった生き方に戻ることです。

 そしてもう一つ指摘しておきたいことは、人間は同胞への思いやりと同時に、この地球という天体上に生息している動物への思いやりも持たねばならないということです。大霊は動物を人間の物的生命を引き延ばすための実験材料として地上に送っているのではありません」


───ということは、心臓移植は結局は成功しないと明言してよいでしょうか。

 「上手くいくケースもあるでしょうけど、私が申し上げているのは、移植手術という手段は霊的観点からみて方向を間違えているということです。

人間の幸福の一環としての健康に人生を捧げている人たちのすることではないということです。臓器移植で健康を回復できません。本来健康とは調和状態のことです。臓器移植は一時的には身体に継ぎはぎ細工をするようなものです」


───人体は他人の臓器を拒否するように出来あがっているのでしょうか。

「最も大切で、しかも極めて単純な真実を知っておかないといけません。あなた方人間は、肉体と精神と霊とが最初から一体となって生まれて来ているということです。三者は分離できないのです。他と置き替えることもできません。全体として一個の存在を形成しているのです。

健康であるためにはその三者が一体性・調和・リズム・協調性を保たないといけません。ですから、健康を回復させるのは薬ではありません。医術でもありません。これらは一時しのぎの気安めにすぎません」


───一時しのぎと知りつつも臓器移植を望む背景には、死への恐怖があるのではないでしょうか。

「地上人類の無知がそうした恐怖心を生むのです。死というものを、できることなら逃れたい恐ろしい化け物のように考えています。死ぬのが怖いのです。

 が、死は自然の摂理の一つの過程に過ぎません。不老長寿は地上生活の目的ではありません。地上界はトレーニングの場です。いずれは行くことになっている次の段階の生活にそなえて勉強する学校です」 

シルバーバーチ

Monday, November 27, 2023

シアトルの晩秋 文明の発達におけるスパイラル 


   

 


 一九一八年 三月十五日 金曜日

──今夜はどういう目的でいらしたのでしょうか。

 例の顕現で学んだ教訓についての叙述を続けたいと思います。


──例の類似性についてのお話の最後の部分がよく理解できませんでした。私には今一つ要領を得ない感じがしました。私は正しく受け止めていたでしょうか。

 結構でした。取り損ねられたのは応用についての部分です。あの時はすでに消耗が度を越していたようです。今夜はその補足説明しようと思います。

 さて、物的世界を支配する原理、すなわち物質の形態による外部への生命の顕現は霊的世界にも当てはまります。


 まずスパイラルですが、これはそれ自体まさしく霊的世界に見られる原理の物的類似物と言えます。それは当然のことで、物的原子のすべてが意念の操作による産物だからです。その意念の大根源が神です。その神から湧き出た動的意念が中間の界層を整然たる順序をへて降下し、物質の中に究極の表現を見出しているのです。

したがって物的世界に見られるものは、そうした中間層を通過してきたエネルギーの産物なのです。前の例ではそのエネルギーがスパイラル運動によって発せられているのが分かります。

これは、もしそのエネルギーが流れる霊的界層においてもスパイラルの原理が働いているからこそであって、もしそうでなかったら有り得ないことです。ではどういう具合に働いているかを述べてみたいと思います。

 実はヤシの葉状の王冠がそのスパイラルの原理の一つの象徴でした。スパイラル状に編まれておりましたし、例の顕現の中で王冠のまわりに集結した天使群も当然スパイラル状に整列しておりました。

それが彼らの仕事の象徴のようなもので、その位置の取り具合によって吾々に教訓を読み取らせる意図があったのです。

 では次にこれを動物的生命の創造に見てみましょう。

 そもそも〝感覚〟による動作が最初に見られるのは植物です。そしてそこにもスパイラルの原理がはっきりとした形で現れているのが分かります。

たとえば豆科の植物は他のつる科の植物もみなそうであるように、スパイラル状に伸びます。典型的なスパイラルを描くものもあれば、少し形の崩れたものもありますが・・・・・・

 樹液の流れも幹を上昇しながら直線から曲線へ移行しようとする傾向を見せます。巻きひげによって登って行く植物も、ひげをスパイラル状に巻き付けて支えています。空中を遠く飛び散る種子も同じような曲線を描きながら地面へ落下します。

こうしたことは全てスパイラルの原理の働きの結果で、太陽から送られるバイブレーションが地上の植物にまで届くのにもそれが作用しています。つまり虚空を通過してくる際にはミニチュアの形でスパイラル運動が生じ、みずから天体の回転を真似ているのです。

 さてこれを動物界に見てみると、やはり同じ原理が働いていることが分かります。たとえば、小鳥は空中を飛ぶのにも滑空するのにも決して一直線は描かずに曲線を描く傾向があり、長い距離を行くとやはりスパイラル運動をしていることが明らかになります。

同じことが海中の動物にも陸上の動物にも言えます。ただ、進化すると、高等なものほどそれが明確に認められなくなります。

自由意志が行使されるようになるからで、それが中心的原則から外れた行動を生むようになります。逆に自由意志が少なくなるほどその原則が明確に見られます。

たとえばカタツムリの殻をご覧になればよく分かります。海の動物の殻にも同じものが数多く見られます。自由意志に代って本能が作用しているからです。



 一方、人間に関して言えば、個々の人間の個性よりも各民族全体を指導する大精神(※)に関わる事象においてそれは顕著に見られます。たとえば文明は東から西へと進行し、幾度か地球を楯回(じゅんかい)しています。その地球は太陽を中心として動いている。

しかし太陽の子午線は赤道に沿って直線上に走っているわけではなく、地球がどちらかに傾くたびに北に振れたり南に振れたりしている。

こうした地球の動きは太古における地球の動きの名残りであり、同じスパイラル運動が支配している星雲から誕生したことを示しております。こうして現在は顕著なスパイラル運動はしていないとはいえ、地球上の文明の進路が続けて二度同じコースをたどることは決してありません。

文明の波が前と同じ経線のところまで戻ってきた時には地球自身の両極は何度か───北極が南へ、南極が北へ──傾いております。かくして太陽からの地球へのエネルギーの放射の角度が変わると、文明の進路も変化します。

こうしてその文明は言うなれば地球にとっての〝新たな発見〟という形を取っていくわけです。

(幻の大陸と言われている)レムリアとアトランティスの位置についての憶測を考えていただけば、私の言わんとするところがお分かり頂けるでしょう。(※地球の守護神のこと。これを人間的容姿を具えた神様のように想像してはならない。

地球の魂そのものであり、無形の霊的存在であり、前巻で述べた通り、これがキリストの地球的顕現である。人間はすべてその分霊を受けて生まれる。それを最も多くそして強力に体現したのがイエス・キリストということである──訳者)

 それだけではありません。この原理は文明のたどるコースだけでなく文明の産物そのものをも支配しています。これは説明がさらに困難です。

こちらの世界ではそれを鮮明に認識することができます。と言うのも、人類の精神的活動の様子が地上より生き生きと見えるだけでなく、広範囲の年代のことを一度に見ることが出来るからです。

そういう次第で私は、人類の歩みが着実に上へ向いていること、しかしそれは巨大なスパイラルを描いていると明言することができます。

 その意味を分かっていただくには、〝太陽の下に新しいものなし〟(旧約・伝道の書1・9)という言葉を思い出していただくのが一番良いでしょう。

これは文字通りの真理というわけではありませんが、ある程度は言い当てております。貴殿は、新しい発見が為されたあとでそれに似たものがすでに何千年も前に予測されていたということを聞かされたことがあるでしょう。

私は予測されていたという言い方は賛成できません。そうではなくて、このたびの新しい発見はそれに先立つ発見が為された時に科学が通過しつつあったスパイラル状の発達過程の位置のすぐ上の時期に当たるということです。

発明・発見のスパイラルはあくまでも上昇しながら楯回しているわけです。ですから発明・発見が〝新しい〟というのは、前回の楯回の時のものの新しい翻案という意味においてのみ言えることです。


──例を挙げていただけませんか。

 エーテル分子(※)の人類の福祉のための活用がそのよい例といえるでしょう。この分野の科学は実にゆっくりとした段階で研究されてきたことにお気づきでしょう。

とりあえず〝燃焼〟の段階から始めてみましょう。燃焼によって固体が気化されました。次に、これによって熱を発生させることを知り、さらに熱によって生産した蒸気を利用することを知りました。

続いて同じ気化熱を蒸気を媒介とせずに利用することを知り、さらに微細なバイブレーションを活用することを知り、今日では急速に蒸気が電気へと変わりつつあります。

が、さらに次の段階への一歩がすでに踏み出されており、いわゆる無線の時代へ移行しつつあります。

(※エーテルの存在はかつてオリバー・ロッジなどが主張していたが今日の科学では否定される傾向にある。

がこの通信霊アーネルは第三巻でも明らかにその存在を認めた説明をしている。〝エーテル〟といい〝霊〟といい、地上の人間がそう呼ぶから霊の方でもそう呼んでいるまでのことで、科学が存在を認めようと認めまいと、あるいは、たとえ認めてそれをどう呼ぼうと、霊の方は存在の事実そのものを目の当たりにした上で語っているのであるから、

現在の科学理論でもって通信の内容の是非を論じるのは主客転倒であろう。なおこの一節は過去一世紀間の科学の発達を念頭に置いてお読みいただけば理解がいくであろう──訳者)

 ところが実はこうした一連の発達は、完成の度合いこそ違え、現代の人間には殆ど神話の世界の話となっている遠い過去の文明の科学者によって為されたことがあるのです。

そしてさらに次の段階の発達も見えているのです。それは〝エーテルの活動〟に代わって〝精神の波動〟(※)の時代が来ているということです。

このことも実はすでに優れた先駆者の中にはその先見の明によって捉らえた人がいたのです。が、道徳的に十分に発達していない人間によって悪用されるといけないので、その発表を止められていたのです。

現代の人類でもまだ科学として与えられるにはもう少し霊的進化が必要でしょう。今の段階で与えられたら、益になるより害になる方が大きいでしょう。

(※エーテルの波動は言わば物的科学の原理ということであり、精神の波動は霊的科学の原理のことと解釈できるが、ただ最近見られる程度のもので超能力の威力を予測してはならない。まだまだ幼稚すぎるからである──訳者)

 それは別として、現段階の科学の発達は、同じ分野に関して、前回の周期(サイクル)の時にストップしたままの段階よりはさらに発達することでしょう。

前回のサイクルにおいて科学の発達が下降しはじめ、それまでに成就されたものが霊界側に吸収されて、次のサイクルが巡ってきた時点で、それまでの休息の時代に霊界で担当の霊によってさらに弾みをつけられたものが、受け入れるだけの用意の出来た人類に授けられることになります。

 霊界を内側と呼ぶならば地上界は外側ということになり、すでに述べたエーテル原子の動きと同じ原理が地上界に再現されていることになります。

 この問題にはまだまだ奥があるのですが、それを貴殿が理解できるように言語で述べることは不可能です。

要するにこれまで説明してきた原理が今私が例を挙げたような力学においてだけでなく、政治においても、植物及び動物の〝種〟の育成においても、天文学においても、化学においても働いていると理解していただけば結構です。


──占星術と錬金術とは現代の天文学と化学との関係と同じ類似性をもつものだったのでしょうか。

 それは違います。断じてそうではありません。

今夜の話は(人間の歴史の)世紀(センチュリー)を単位としたものではなくて(地球の歴史の)代(エオン)を単位としています。

占星術と錬金術はその二つの時代の科学の直接の生みの親であり、私のいう巨大なスパイラルの中の同じサイクルに属し、その距離はわずかしか離れておらず、すこし傾斜した同じ平面にあります。

 私のいう類似物とは違いますが、ただ、化学については一言だけ付け加えておきたいことがあります。それで今夜はおしまいにしましょう。

 化学というのは高級神霊が中心的大精神に発したバイブレーションが多様性と変異性とへ向けての流れを統御していく活動の中でも最も外的な表現であるということです。

すなわち神に発した生命の流れが霊の段階を通過して物質となって顕現する活動の中で、化学的物質が分化の過程によって細分化され、さらに分子となっていきます。

そして最低の次元に到達するとその衝動が今度は逆方向へ向かい、上方へ、内部へ、と進行します。分析化学に携わる人はその統一性から多様性へと向かう衝動に従っているわけです。

反対にそれを統合しようとする化学者はその流れに逆らっているわけですから、試行錯誤の多い、効率の悪い仕事に携わっていることになります。

多様性から統一性へと向かわせようとしているからです。言わば内部におけるコースがまだまだ外部へ向けてあくまでスパイラル状に行進を続けようとしているのに、その人だけは宇宙原子の一ばん外側のスパイラルで踵(きびす)を返してしまっているのです。

 この通信は前回の通信と照らし合わせて検討してください。

アーネル ±

Saturday, November 25, 2023

シアトルの晩秋 造化の原理 スパイラルの原理

Principle of creation, principle of spiral


スパイラルの原理
一九一八年 三月十一日  月曜日

──創造的活動にたずさわる天使の大群とともに例の大学の大ホールで体験されたことや学ばれたことについて語っていただけませんか。

 私が仲間の学徒とともに大学を見学することになってすぐさま気がついたことは、すべてが吾々の理解を促進する知識の収集に好都合に配置されていることでした。

すべてが整然と構成されているのです。巨大な造化の序列の間には向うの端が遠くかすんで見えるほどの長い巾広いもの (avenues とあるが並木道、本通り、通路等の訳語しか見当たらない──訳者)で仕切られています。

と言っても、序列のどれ一つとして他から隔離されたものではないので、それはただの〝仕切り〟division ではなく、横切って通るための〝路〟road でもなく、実はそれ自体が両隣りを融和させる機能を具えた〝部門〟department なのです。

 そこを見学しているうちに吾々は、創造活動において造化の天使が忠実に守っている基本原則が幾つかあることを知らされて感心しました。その原則は無機物にも植物にも動物にも本質的には同じものが適用されています。

しかし最も進化せる界層に顕現されている叡智と巧みさに満ちた豪華絢爛たる多様性も、原初におては単純な成分の結合に端を発し、永い進化の時を閲しながら単純なものから複雑なものへと発達し、ついに今日見るがごとき豪華な豊かさへと至っていることを思えば、その事実は当然のことと言えるでしょう。

 私が言わんとすることを例を挙げて説明してみましょう。

 その仕切りの一つを通って行くと、天体がいかにして誕生したかが分かるようになっていました。左側は神の思念が外部へ向けて振動し鼓動しつつ徐々に密度を増し、貴殿らのいうエーテルそのものとなっていく様子が分かるようになっていました。

それを見ると〝動き〟の本質が分かります。本質的には螺旋状(スパイラル)です。それが原子の外側を上昇して先端までくると、今度は同じくスパイラル状に、しかし今度は原子の内部を下降しはじめます(これが象徴的表現に過ぎないことをこの後述べている──訳者)。

空間が狭いために小さなスパイラルでも上昇時よりもスピードを増します。そして猛烈なスピードで原子の底部から出ると再び上昇スパイラルとなりますが、スピードは少しゆるやかになり、上昇しきると再びスピードを増しながら内部を下向していきます。

 原子は完全な円でなく、といって卵形でもなく、内部での絶え間ない動きの影響で長円形をしています。その推進力は外部からの動力作用で、もしその動力源をたどることができれば、きっと神の心に行き着くのではないかと私は考えています。

お気付きと思いますが、〝先端〟とか〝底部〟とか〝上昇〟とか〝下降〟という言い方は便宜上そう表現したまでのことです。エーテルの原子に上も下もありません。

 さて、エーテルの原子を例に挙げたのは、これを他のさらに密度の高い性分へとたどっていくためのモデルとしていただくためです。たとえば地上の大気のガス物質を構成する原子にまでたどっても、やはり同じ運動をしております。

エーテルの原子の運動とまったく同じ循環運動をしております。細かい相違点はあります。

同じスパイラルでも細長い形もあれば扁平なのもあります。スピードの速いのもあれば遅いのもあります。いずれにせよ原子の内側と外側のスパイラル運動であることに変わりはありません。

 鉱物の原子を見てもやはり同じ原理になっていることが分かります。また一つの原子について言えることは、原子の集合体についても言えます。たとえば太陽系の惑星の動きもスパイラルです。但し、惑星を構成する物質の鈍重さのせいで動きはずっとゆっくりしています。

 同じことが衛星の運動にも言えます。さらに銀河系の恒星をめぐる惑星集団、さらに銀河の中心をめぐる恒星集団についても言えます。

 ただし各原子の質量と密度の双方がスパイラル運動の速度に影響します。密度の高い原子から成る物質においては速度が遅くなります。しかしその場合でも原子の内部での速度の方が外部での速度より速いという原則は同じです。

内側の運動から外側の運動へと移る時は、動くのがおっくうそうな、ゆっくりとしたものになります。しかしあくまできちんと運動し、その運動は軸を中心としたスパイラルの形をとります。

月もいまだに軌道運動に関してその性則を維持しようとしています。地球を中心とするかつてのスパイラル運動をしようとしながら出来ずにいるかのごとく、みずからを持ち上げようとしては沈みます。地球も同じことを太陽の周りで行ってなっております。

完全な円運動ではなく、完全な平面上の円運動でもありません。地軸に対しても平面に対しても少しずつずれており、それで楕円運動となるのです。

 以上のようにエーテルの原子、地球のガス物質、および地球そのものについて言えることは太陽ならびに銀河の世界についても言えます。その運動は巨大なスパイラルで、恒星とその惑星が楕円を描きながら動いております。

 こうした情況を吾々はその巾広い通りの左側に見たのです。がその反対側には物的創造物の霊的側面を見ました。つまり両者は表裏一体の関係になっているのです。

そして吾々が位置している通りが両者を結びつける境界域となっているのです。地上生活から霊界へ入る時はそれに似た境界域を横切るのです。そしてやがてその〝部門〟から次の〝部門〟へと移行することになります。

横切る通りは言わば地球の人間と天界の人間とを隔てる境界ということになります。


──さっき述べられた原理すなわちスパイラル運動の原理の他にも何か観察されたのでしょうか。

 しました。あの原理を紹介したのは説明が簡単であり、同時に基本的なものでもあるから・・・・・・いや多分基本的だから単純なのでしょう。

 では、もう一つの原理を紹介しましょう。基本的段階を過ぎると複雑さを増し説明が困難となります。が、やってみましょう。

 吾々が知ったことは造化の神々は先に述べたエーテルの原子よりさらに遡った全存在の始源近くにおいて造化に着手されているということです。またエーテルの進化を担当するのも太古より存在する偉大なる神々であるということです。

そこで吾々はずっと下がって材質の密度が運動を鈍らせるに至る段階における思念のバイブレーションを学習することになりました。

そしてまず知ったことは、吾々学徒にとって最も困難なことの一つは、正しく思惟し正しく意志を働らかせることだということです。物質を創造していく上でまず第一にマスターしなければならないことはスパイラル状に思惟するということです。

これ以上の説明は私には出来ません。スパイラルに思惟する───これを習慣的に身につけるのは実に困難な業です。

 しかし貴殿は別の原理を要求しておられる。それでは感覚的創造物───植物的生命の創造を観てみましょう。

 例の〝通り〟の一つを進んでいくと片側に地球ならびに他の惑星上の植物的生命が展示され、反対側にその霊的裏面が展示されていました。

それを観察して知ったことは、植物界の一つ一つの種に類似したものが動物界にも存在するということでした。それにはれっきとした理由があります。

そしてそれは樹皮、枝、葉という外部へ顕現した部分よりもむしろ、その植物の魂に関連しております。が、それだけでなく、よく観察するとその外見と魂との関係にも動物と植物の関連性を垣間みることができます。


──どうもお話について行けないのですが・・・・・・もう少し説明していただけますか。

 では、いったん動物と植物の対比から離れて、それからもう一度その話に戻ってきましょう。その方が分かりやすいでしょう。

 天界はさまざまな発達段階の存在──権威において異なり、威力において異なり、性格において異なり、さらには各分野における能力において異なる存在がいます。

 このことは途上に関しても言えることです。

 従ってそれは動物界についても言えることであることがお分かりでしょう。動物は種類によって能力がさまざまです。それぞれに優れた能力を発揮する分野があります。性格的にそうなっているのです。馬は蛇よりも人間と仲良くなり易いですし、ハゲワシよりオウムの方が人間によく懐(なつ)きます。

 さて先程述べかけた類似に原理は、大ていの場合さほど明確でないにしても、植物界と動物界にも存在することが分かります。たとえば植物の代表としてカシの木を、動物の代表として小鳥を例にとって考えてみましょう。

カシの木は種子(どんぐり)を作って地上に落とします。これが土に埋もれて大地で温められ、内部の生命が殻を破って外部へと顕現します。

実はそのどんぐりと小鳥は構造においても発生のメカニズムにおいても本質的にはまったく同じなのです。

 この〝内部から外部へ〟という生命の営みは普遍的な法則であって、けっして敗れることはありません。それは又、現在の宇宙を生んだ根源的物質の奥深く遡っても同じです。エーテルの原子の説明を思い出してください。原子の最初の運動は内部に発します。

そこでは速度が加速され、運動量が集積されます。外部に出ると両方とも鈍ります。


 同じルールが他の分野についても言えることが分かりました。創造界の神々が順守すべき幾つかの統一的原理が確立されているということです。

そのうちの一つが、まず外皮があってその内部の美がそれを突き破って顕現し、その有用性に似合っただけの喜びが見る者の目を楽しませるということであり、また一つは二つの性──能動的と受動的──であり、循環器系でいえば樹液と血液であり、呼吸器系で言えば毛穴と気孔であり、その他にもいろいろと共通の原理があります。

 これ以上貴殿のエネルギーが続きそうにありません。これにて中止されたい。
                                アーネル ±


 訳者注──最後の部分がよく理解できないが、これは次の通信の冒頭でアーネル霊も指摘し、通信が正しく伝わっていないと言って、その補足説明を行っている。

しかし年代的にアーネル霊は中世の人間であり、オーエンは現代の人間であっても科学的には素人なので、内容の表現や用語に素人くささが出ている。

大巾な書き変えは許されないので原文のまま訳しておいたが、読者はその趣旨を読み取る程度にお読みいただきたい。

Friday, November 24, 2023

シアトルの晩秋  人生の永遠の基盤である霊的法則を忘れることなく、それに調和する生き方を心掛けましょう。

Don't forget the spiritual laws that are the eternal basis of life, and try to live in harmony with them.


───寿命は前もって決まっているのでしょうか、それとも体力その他の要素の問題なのでしょうか。

「ありとあらゆる要素が絡んでおります。物的身体は魂が体験を得るために欠かすことのできない大切な道具です。魂と身体は二人三脚です。が、そのことは別として、地上の寿命は、大ていの場合、前もって分かっております。 

 物的身体と霊的自我とを完全に切り離して考えてはいけません。両者はがっちりと組み合わさり、前者は後者を制約し、後者は前者に生気を与えております。一個の人間の存在をバラバラに分解して考えてはいけません。いくつもの要素が組み合わさって一個の存在を形成しており、

しかも、その一つ一つの要素が互いに反応し合っております。それぞれの要素が組み合わさり、融合し合って、あなたという一個の存在を形成しているのです」


───たとえば船の事故で千人の溺死者が出たとします。その千人は、ちょうどその時期に地上との縁が切れることになっていたのでしょうか。魂の成長の為に与えられた地上での寿命が、ちょうど同じ時期に終えるように運命づけられていたのでしょうか。

 「霊的なことを地上の言語で表現するのはとても難しいことです。あなたのおっしゃる〝運命づけられた〟という表現を用いますと、では誰によって、何を基準に? という疑問が生じます。

たぶん皆さんの頭の中には、大霊が死ぬべき人間を船に乗せておいて事故を起こさせたような図を想像しておられるのでしょうけど、そういうものではありません。人生の千変万化の人間模様の背後に大自然の摂理が働いていて、その結果として事故が発生しているのです。

 肉体にはいずれ死が訪れます。死によって霊が肉体から解放されるのです。その意味では、肉体の死は霊の誕生です。その死を地上の人間は悲劇とみますが、われわれ霊界の者にとっては少しも悲しむべきことではありません。

霊界への誕生なのですから、死は自由解放への扉を開いてくれる恩人です。煩わしい地上の悩みごとから解放してくれるのです。特殊な例外を除いて、死は罰ではなく、報酬です。

ですから、死というものを、何としても食い止めねばならない悲劇と見ないで、魂が本来の自我を見出す為に仕組まれた、大自然の生命活動の一環と見るべきです」


投書(七)───今地上にはさまざまな病気で無数の人が苦しんでいますが、その人たちはみな過去世の過ちの償いをしているのでしょうか。そうやって苦しむために地上へ戻ってきているのでしょうか。

「苦難は生命進化の大道における不可欠の要素です。では苦難の法則がどのように働いているかとなると、簡単には説明できません。霊的な因果律の働きを考慮せずに、ただ表面の物的現象だけで推断するのは禁物です。

といって因果律は目に見えませんから、そういうものの存在を信じるほかありません。つまり大霊は愛と叡知の極致ともいうべき存在ですから、究極においては必ず公正が行きわたるようになっていると信じることです。

 地上人生は全存在のホンの一側面にすぎません。地上生活がすべてではないのです。その間の出来事についてもきちんとした埋め合わせと償いの法則が働いています。カケラほどの短い人生の表面だけを見て大霊のなさることを批判すると間違いを犯します。それは他の大きな側面を無視することであり、それすら全体の一部に過ぎないからです。

 何一つ忘れ去られることはありません。何一つ見落とされることはありません。何一つ無視されることもありません。摂理がすべてを支配しているのです。あらゆる存在が、あらゆる側面が、大きい・小さい、単純・複雑の違いの別なく、永遠に不変の摂理によって支配されているのです。

 どうしても理解に苦しむことがあれば、それはまだ自分には理解力の及ばないことがあると観念すべきです。人間は、物的身体を媒体として生活するという宿命的な制約を課せられています。

しかし、そうしたものにおかまいなく、〝愛〟はすべてのものに作用しているのです。大霊とは愛にほかならないのです。愛は必ずいつかは目的を成就します。

 私たちがこうして皆さんのもとに帰ってくるのも、あなた方への愛があればこそです。必要とあればどんなことでも致します。が、余計なこと、無益なことはいたしません。

あなた方にその価値が分かるものしかお教えしません。理解力というものは魂の成長から生まれるものです。梯子を一段高く上がってはじめて、その次の一段が見えるようになります。その梯子が無限の彼方へと続いているのです。

 その梯子の低い段階にいるあなた方に代わって、私たちがすべての問題を解決してあげるわけにはまいりません。冷たい心でそう申し上げるのではありません。物的身体に包まれたあなた方には理解できない要素があり、私たちが代って解答を教えてあげることは余計なことであり、無駄なことだからです。

 どうしても理解できないことは、これまでに授かった霊的真理を頼りとして〝信念〟を持つことです。根拠のない手前勝手な信念ではありません。スピリチュアリズムによって明らかになった霊的実在に得心がいき、その理解をもとに、人生のすべてが大霊の愛と叡知によって支配されていて、自分もその中にあるのだということを確信する、そういう信念です。

その信念をもつに至れば、自分および自分のまわりに何事が起きようと、それは大霊の思し召しなのだという理解が生まれるはずです。
  
 私は断言します、地上生活で生じるいかなる苦難も、自分の内部および外部の力を総動員しても解決できないほど大きなものはありません。

その解決のための必死の努力が、霊性を磨き一段と大きく成長をさせるのです。地上生活の究極の目的はそこにあるのです。難問に遭遇し、それと格闘し、その結果として霊的成長を得るということです。

 もしもその信念に迷いが生じた時は、その迷いをいったん鎮め、冷静な精神状態のもとで、それまでにあなたが辿ってきた道を振り返り、大切な節目節目に必ず不思議な力が働いてそこまで導かれてきたことを、改めて確認することです。

 あなた方は、この地上にあってこうした素晴らしい霊的知識との出会いがあり、それが生涯を通じて導きの光となったということは、大変しあわせなことです。

 霊的に見れば、かつて地上で愛のつながりのあった人々や、地上的な縁は無くても霊的な親和力によって結ばれている、いわゆる類魂との関係が強化されるということです。

 そうした背後霊団が望んでいることは、その協力関係によって他の多くの、無知の闇の中にいる人々を救ってあげることです。私たちがこうして地上へ帰って来た目的もそこにあります」


メンバーの一人───こうした素晴らしい知識を聞かせていただく私たちは。本当にしあわせだと感謝しております。

「私こそあなた方に感謝しておりますよ。あなた方の協力があればこそ、ささやかとはいえ、暗闇に光明をもたらすことができているのです。その光明を一段と強力なものとして伝導の道を歩んでいただきたいのです」




祈願
投書(八)───祈りの中で俗生活に関わることをお願いしてもよろしいでしょうか。

「いかなる状況のもとでも、あるいはいかなる条件下においても、最善を尽くすということが人間としての大切な務めです。最善を尽くし、もうこれ以上の努力の余地はないと確信できるだけのことをした暁には、大霊に向かって援助を求める資格ができたことになります。

 ここで序(ツイデ)に申し添えさせてください。

 私は皆さんから送られてくる大いなる愛念をいつも感じ取っております。それほどまでに私が皆さんのために役に立っていることを知って感謝しております。こうしてこの場で皆さんと会し、大霊の計画の中で責務の一端を果たし、それをもって大霊からの恵みへの感謝とすることを、今後とも続けてまいりましょう。

 人生の永遠の基盤である霊的法則を忘れることなく、それに調和する生き方を心掛けましょう。魂の奥の静寂とのどかさ、平安、落着きといったものを忘れないようにする方法は、それしかないのです。自分という存在の奥に潜む、より大きな側面と一体となるということです。
 大霊の恵みの多からんことを」

シルバーバーチ

Thursday, November 23, 2023

シアトルの晩秋 霊団は決して見捨てない

 The spirit group never abandons you

 

 サークルのメンバーの一人で、動物愛護運動に献身している女性が反抗の大きさを訴え、もはや刃折れ矢つきた感じですと述べた。するとシルバーバーチが───

 「あなたが取るべき態度は、あなた個人としての最善を尽くして、そこでストップすることです。身体的に疲労の極に達し、精神的にも限界と思える段階に至ったら、それをあなたの限界として、それから先へは進まないことです。持てる力を一気にぶちまけても、あなた一人の力で世の中を変えることはできません。

あなたがこちらへこられた後も、事情はそのままです。あなたには、この地上へ出てくる時に約束した仕事があり、今それをおやりになっているところです。

 その仕事のために、これまで霊の世界からいろいろと援助の手が差しのべられてきました。現在も援助の手が差しのべられております。そして、これからもその手が引っ込められることはありません。

しかし、大切なのは、あなたの精神を穏やかに、冷静に、そして確信に満ちた状態に保つことです。そうすれば、霊の力が必ずやその力を発揮します。正義・善・節度、これを守れば必ずや目的は成就されます。

 もしも辛い思いをするのがもうご免だと思うようになったら───それも人間として私は決して咎めるつもりはありませんが───少なくともあなたの霊的成長はそこで止まります。成長は困難に立ち向かうこと、挑戦を受け止め、そして克服していくことによってのみ得られるのです。

 あなたの場合は、自分で自分を守るすべを知らない動物のための仕事をなさっているわけですが、いかなる仕事であれ、自分を役立てる仕事をしている時は、必ず大勢の高級霊が援助の手を差しのべております。その霊団が途中で仕事を投げ出してしまうようなことは絶対にありません。

耐え忍んでいれば、必ずや目的は成就されます。もとより簡単にはまいりません。苦しいことも辛いこともなしに成就されるとは申しません。が、必ずや成就されます。霊団の方は決して降参しません。成就するまで援助します」

別のメンバーが「霊の力は強烈かも知れませんが、肉体の力は弱いのです」と言うと

「肉体の力はどこから湧いて出るとお考えですか」

───霊からです。

「ならば、必要に応じてその霊力を引き出せばいいでのではありませんか」

───そのつもりでやっております。が、一日も終りに近づくと、いささか疲れます。

「だったら、そこで止めて、睡眠をとり、体力を回復して、次の日の仕事に精を出せばよろしい。私も永いこと地上界の仕事にたずさわってきて、皆さんのご苦労はよく理解しているつもりです。が、条件さえ整えば、 イザという時には霊力が湧き出るものであることを確信しております。

 ただし〝条件が整えば〟ということを忘れないでください。何度も申し上げてきましたように、その条件は霊界側の条件のことです。霊界側のタイミングで、霊界側の方法で働きかけます。人間側の都合にわせて行うのではありません。

 私たちはあなた方より広い視野で見ております。人間の視野はきわめて限られております。ですから、背後霊に任せることです。万事うまく行きます。一時的には不遇を忍ばねばならないことがあるかも知れません。しかし最終的には必ずうまく収まります」


続いてお金の問題が持ち上がったが、シルバーバーチは
「お金はとかくトラブルのもとになります。余るほど入っても厄介ですし、残してもトラブルのもとになります」と述べて、金銭への執着を戒め、いくつかの個人的な問題についてコメントしたあと、こう述べた。

「どうやら私の時計の電池が切れかかってきたようです(※)。そろそろ引き上げなくてはなりません。
 お別れする前に、ともに心を静かにして、お互いがそれぞれの道に進むに当たって、こうしてしばしの間いっしょに過ごしたこの部屋は、霊の力が降りたがゆえに聖められていることを知って下さい。

 その聖なる霊力にこうして浸ることができたことを、私たちは光栄に思わないといけません。それはまさに全生命の根源である創造主から発せられた力です。日頃の生活においても、その崇高なる力を少しでも多く受け入れることが出来るように心掛けようではありませんか。

 誰にでも分け隔てなく授けられるこの大霊からの愛に浴し続け、任せられた仕事に明るく精を出し、いついかなる時も、高き界層からの使者に見守られていることを忘れないようにしましょう。
 内も外も平和がみなぎるようになる道は、各自がそう自覚するしかありません。神の祝福の多からんことを」

※───われわれ地上の人間は、肉体という潜水服を着て大気という海の中に潜っているようなもので、いつまでももぐり続けるわけにはいかない。時おり上がって一服する必要がある。それと同じで、肉体に宿っての活動にも限界があり、ある一定時間以上は続けられなくて、いったん肉体から脱け出て、霊気を補充しなくてはならなくなる。それが睡眠である。

 ここででシルバーバーチが言っているのは、たぶん霊界の霊媒であるインディアンが、バーバネルの身体に宿ってその肉体機能を操るためのエネルギーが切れかかっていることを意味していると察せられる。

もちろんシルバーバーチと名のる高級霊も、地上圏との接触のためにかなり波動を下げていることは事実であるが、本人が語っているところによると、本来の所属界に戻って英気を養うのはイースターとクリスマスの二度だという。その間は、われわれ人間が地上界に束縛されているように、シルバーバーチの霊的な意識はかなり制約されているらしい。高級霊にとっては〝苦行〟にも等しい大へんな犠牲的行為で、『霊訓』のインペレーター霊などは、これを〝国籍離脱〟にも似た行為と呼んでいる───訳者。


Monday, November 20, 2023

シアトルの晩秋 霊は全生命の精髄(エッセンス)です

Spirit is the essence of all life


ローマカトリックでは“水”による洗礼のほかに“血”の洗礼(殉教)と“望み”の洗礼(洗礼を望みつつ果たされなかった人の遺志)というものを認めているが、本当の意味での洗礼を忘れている。ある日の交霊会でシルバーバーチはそのことに言及してこう述べた。


「ここにいらっしゃる皆さんは本当の意味での洗礼、すなわち霊力による洗礼を受けておられるのです。霊的に蘇(よみがえ)ったのです。魂が真実の自我を見出す道へ導かれ始めたと言ってもよろしい。

霊的なものが皆さんの生活の中核となり、実在感とともに確信というものを覚えるようになります。その確信が精神のすみずみまで行きわたり、魂が安らぎを覚え、心が愛に満たされます。それが大霊が最高に顕現した時の状態です」

ここで、シルバーバーチの祈りの中によく出てくる語句についての質問が出された。

「大霊は本当にすべてのもの、たとえば石ころにも宿っているのでしょうか」


「大霊はすべてのものに宿っております。大霊から離れて存在できるものは何一つありません」

「では地震も大霊の仕業でしょうか」


「大霊とは法則のことです。すべてのものを支配している法則です。法則がすべてを支配しているのです。その法則の支配を受けないものはこの宇宙には一つも存在しません」

この説明ではまだ納得のいかない質問者が「なぜ地震なんかが起きるのだろうと、よく思うのです」と言うと、シルバーバーチが――


「地震・嵐・稲妻といった自然現象が人間の頭脳を悩ませてきたことは、わたしもよく知っております。しかし、それもみな宇宙の一部なのです。宇宙そのものも進化の途上にあります。その宇宙の中で生活している生命が進化の途上にあるのと同じです。物質の世界は完全からはほど遠い段階にあります。同時にまた、完全というものは達成されないのです。完成度がますます高められていくことの連続なのです」

「ということは大霊も進化しているということでしょうか」


「いいえ、大霊とは摂理であり、その摂理は完全です。しかし現在この物質の世界に顕現している部分は、その顕現の程度においてまだ進化の余地があるということです。

いいですか、地球は今も進化しているのです。あなたが理解できないとおっしゃる現象もみな、その進化活動の現れなのです。火焔と暴風雨の中で生まれて、今なお完成へ向けて進化しつつあるのです。

日の出と日没の美しさ、天空に輝く無数の星、楽しい小鳥のさえずりは大霊のもので、嵐や稲妻、雷鳴や雨は大霊のものではないなどとは言えないのです。すべてが大霊の摂理の一環として生じているのです。

こう言うと、では人間が堕落したり他人に害を及ぼしたりするのも大霊の責任なのかとおっしゃるかも知れません。が、人間の一人ひとりに、その人の霊的進化の程度に応じた範囲での自由意志が与えられております。霊的階段を高く昇るほど、より大きな自由意志が行使できるようになります。

これを言いかえれば、現在のあなたがあなた自身の限界であるということです。しかし、あなたも大霊の一部なのですから、人生の困難や障害のすべてを克服できるのです。霊は物質に優るからです。霊が王様で物質は召使いです。霊がすべてを支配しているのです。霊は全生命の精髄(エッセンス)です。霊は生命そのものであり、生命は霊そのものと言ってもよいのです」

「各自の自由意志に限界があるのは、各自の生活に一定のパターンがあるからなのでしょうか」


「生活にはいろいろなパターンがあり、いろいろな波長があります。しかし絶対的な支配力をもつものは何一つありません。地上にはさまざまな放射物があり、さまざまな影響力が飛び交っております。そして、その多くがあなたの運命を左右する可能性を秘めております。しかし大霊はあなたに分霊(わけみたま)をお授けになっているのです。それは、あなたが自由意志でもって現在の進化の程度に応じた正しい選択をすれば、前途に生じる困難のすべてを克服する力を秘めているのです。あなたは大霊なのであり、大霊はあなたなのですから……」

“死者”との交信はその霊の進歩を遅らせ迷惑を及ぼすと信じている人の話が出されて――


「その“死者”の一人であるこのわたしは地上の皆さんの声の響きが大好きです。とても幸せな気持ちにさせてくれます。皆さん方もきっとわたしの声を聞いて喜んでくださっていると信じます。こうして語り合うことによってお互いに学びあえるのですから……。わたしは地上世界からいろいろなことを学ぼうとしております。それがわたしの知識を増し、さらに大きく役立つことができるからです。

今わたしたちが携わっている計画を推進する上で、いろいろとしなければならないことが生じます。大事業なのですから当然のことです。このために多くの高級霊がその生活のすべてを捧げているのです。

その事業の一環がこのサークルで成就されてまいります。皆さんはすでにその一部をご覧になりました。この小さな英国だけでなく世界中の国において大勢の人々の魂に感動を覚えさせてあげることができました」

そう述べて、この交霊会に世界各地からすでに大勢の人が招待され、ここで得た感動を糧にそれぞれの国でホームサークルをこしらえている事実に暗に言及した。そしてさらに言葉を継いで――


「こうした仕事は霊力の活動が活発になるにつれて、ますます大きく発展してまいります。どうか、これ以後も忠実に仕事に励んでください。そして、この仕事のために捧げられた“時”は一瞬たりとも無駄にはならないことを確信してください。ここでこうして交わり合うということは、物質界の皆さんにも、その物質界の束縛から解放されているわたしたちにも、豊かな祝福をもたらすことになるからです。それは自分のためではなく同胞のためという動機に発しているからこそなのです」

さて、洗礼と同じくキリスト教では結婚の重要性を力説している。これを霊界ではどう観ているのであろうか。ある日の交霊界で、かつてはメソジスト派の牧師で今はサークルのメンバーの一人となっているバーノン・ムーア氏と、永年シルバーバーチの霊言の速記を担当してきた婚約者のフランシスに向かってこう述べた。


「まずお二人はこれから冒険中の冒険に出発されようとしていることを知っていただきたいと思います。これまで別々の人生コースを歩んできた者が、これからは一体となった人生を送るのですから……。愛――はるか高遠の世界から届けられる愛があなた方を霊的真理の道へ導いたごとく、こんどは同じ愛がお二人を結びつけました。間もなく司祭が一冊の本からの数行を読み上げ、お二人はキリスト教流に言えば“聖なる結婚の絆”によって結ばれることになっております。しかし、わたしに言わせれば、愛と情によって結ばれないかぎり、そこには絆というものはありません。本当のつながりは愛と情がないところには存在しないのです。

男女が生活を共にするということを物質の側面からだけ考えてはいけません。あなた方は二つの霊的存在であることを忘れてはなりません。二つとも大霊の一部であり、霊界からの愛がお二人のために尽力したように、お互いにいたわり合い、愛し合い、尽くし合うとの誓約のもとに一緒になられるわけです。これから二つの魂が冒険の旅に出るために一緒になられるのです。その意味でわたしたちは物的な側面よりも霊的な側面の方を見つめております。わたしたちにとってはその方が永遠の実在だからです。

時には寂しさや悲しみ、困難、試練が訪れることは覚悟しなければなりません。それもお二人の進化にとっての糧となるのですから……。それが生じた時――きっと生じます――その時は潔く対処し、それがお二人の人間性を磨き、絆をいっそう強くする上で大切なものであることを理解なさってください。

今こちらの世界では大勢の者が教会で行う結婚式に相当する祝典を心待ちにしております。祝典といっても、こちらでは言葉で行うのではなく、霊的な結びつきによって行います。その方がはるかに永続性があります。口先での誓いの言葉は、無言の魂の誓いに較べたら物の数ではありません。

お二人は豊かな祝福を受けていらっしゃいます。何と言っても霊的知識をお持ちだからです。わたしの近くにいる大勢の霊に代わってわたしからお二人に、人生の荒波を越えて幸せと喜びにあふれた安全な航海をお祈りすると同時に、親しい方々からの一層の愛を得て地上の同胞への奉仕に励み続けられることを期待します。

俯(うつむ)いてはなりません。見上げるのです。そして本当の力は上から、そして自分の内部から来ることを自覚してください。そこから自信を得て、万事はきっとうまく行くこと、愛のあるところには絶対に禍事(まがごと)は生じないとの信念をもって将来に対処してください。

大霊の祝福が常にお二人とともにあり、新しい人生のすべての側面で導きをうけ、そしてお二人を取り巻く愛の存在をお忘れにならないよう祈ります」

ムーア夫妻は一九八一年にバーバネルが他界して交霊会が行われなくなるまでサークルのメンバーだった。ある日の交霊会でムーア氏がこんな素朴な質問をした。

「大自然の摂理から叡智を学ぶにはどうしたらよいのでしょうか」


「叡智はあなた自身の霊性の進化とともに学んでいくのです。そのためにはまず第一に、誤った知識と信仰、理性が承服しないもの、大霊の愛と叡智とは思えないもののすべてを捨て去ることができなければいけません。

つまり、新しいものを学ぶ前に古いものを学び直さないといけません。精神の自然な思考を妨げるものは全部捨て去らないといけません。そこから魂が開発され、霊性が進化し、より高い叡智を受け入れる準備が整うわけです。皆さんはこの場に集い合っている間にも魂が開発されております。そして大霊の叡智が入手しやすくなっております。

この場で皆さんは心霊現象を演出する法則の働きを学ばれると同時に、日常の生活を支配している摂理の働きについても学んでおられるのです。そして進歩した分だけ、より高い叡智を身につけていかれるのです。

もっとも、皆さんからシルバーバーチと呼ばれているこのわたしがお届けするのは、高級界の無限の叡智のホンの一かけらにすぎません。皆さんがさらに進化なされば、わたしよりさらに偉大な霊がより高い知識と叡智を届けてくれることでしょう」

「この地上世界を救うには、われわれがこの教えをすべての人に広めないといけないのでしょうか」


「“地上世界を救う”ですか。救うのはわれわれではありません。地上の人間の一人ひとりが自らの努力で救わねばなりません。既成の手段というものはありません。有り合わせの手段ではだめなのです。

そのためにはまず、生命現象と呼ばれているものの背後に“霊”という永遠の実在があることを学び、従って地上世界の人間はただの物的存在ではなく、その物的身体を通して自我を表現している霊的存在であることを認識する必要があります。

そうなると、物的身体は大霊が意図された通りに生活に必要なものを必要な時に必要なだけ手に入れて、常に健康であらねばならないことになります。そして精神はあらゆる宗教的ドグマと教義による束縛から解放されて、実質的価値のないもの、霊的価値のないものに忠誠を尽くすような愚かなことはせず、真実のものだけに精を出すようにならないといけません。教義やドグマのことで論争したり口論したり、はては戦争にまで発展するような幼稚なことは止めないといけません。

わたしたちは大霊を共通の父とする地上の全民族の霊的同胞性を説きます。その障害となっているのは地上的概念であり、間違った知識の上に築かれた宗教であり、特権の独占であり、高慢と権力にあぐらをかく、つまらぬ暴君です」

ここで列席者の一人が「有り難うございました」と言うと、例によってシルバーバーチが自分への感謝は無用であり大霊にこそ感謝しなければいけないことを述べた。そこで別のメンバーが「私たちは一種の習慣として“有り難う”という言葉を使うのです」と言うと、慈父のごとき口調で――


「それくらいのことはわたしも知っておりますよ。ですが、そのつど注意して大霊の摂理の存在を指摘しておかないと、そのうち誰かがわたしを崇めるようになり、またぞろ過去の過ちを繰り返すことになりかねないのです」

話題が変わって、その日の霊界側の出席者にはどんな顔ぶれが揃っているかという質問が出された。すると――


「今夜だけで五千人もの霊が集まっております。皆さんと地上で顔見知りだった人も来ておりますし、この交霊を見学に来ている人もいます。こうして地上の人間と対話が交わせることを教えてあげるために連れてくることもあります。こんなことができるとは思ってもみない霊がいるのです。

世界各地で交霊会を催すために、ここでわたしたちの霊団がどういう具合にして地上と交信しているのか、その要領を勉強に来ている高級霊もいます。地上だけでなく霊界でも大変な規模で布教活動が行われているのです。暇つぶしや面白半分で来ているのではありません。

こうした催しによってわたしたちは、霊力をどのように活用すれば有効に人間の精神に感応できるかを学ぶことができますし、皆さんは、わたしたちがお教えする霊的摂理を理解することによって一段と霊力を受け易くなられます。皆さんは自分では意識していなくても霊界から大変なインスピレーションを受けていらっしゃるのです。

地上には偉大な科学者、偉大な発明家、偉大な教育家と呼ばれている人が大勢いますが、実際はこちらの世界からの情報の媒体にすぎないのです。真理とか発明とかは地上に届けられればそれでよいのでして、誰がそれを伝達するかはどうでもよいことなのです。

いかなる経験にも必ず利得と損失とがあるものです。魂が浄化するほど霊的に向上していきます。しかし反面、それはその先にさらに向上しなければならない余地があることを知らされることでもあります。不満が増すことであり、それは、いわば、損失です。美的センスが鋭くなるほど醜いものに対する反応が大きくなります。高く上がるほど落差も大きくなります。

人生は日向と日陰、静寂と嵐というふうに二面性から成り立っています。一本調子にはできておりません。幸せと喜びの生活にも時には悲しい出来事が生じます。その極端な差異を味わってこそ性格が伸びるのです。かくして悲しみからも、人生の嵐からも、苦痛からも教訓を学び取ることができます。その必要性が理解できない人は神に不平を言いますが、日陰の生活を味わってこそ日向の生活の有り難さがわかるのです。

魂は比較対照の中にあってこそ本当の意味で生きることを始めます。もしもあなたの体験が良いこと、楽しいこと、美しいことばかりだったら、その人生は空虚なものとなることでしょう。そこには深みというものがないからです。

賢い人間は自分を待ちうける体験のすべてが大霊へ近づく無限の道において手引きとなる叡智を教えてくれるとの覚悟で一日一日を迎えます」

「交霊会の支配霊は霊力を無制限に使用できるのでしょうか」


「支配霊に使用できる霊力は、その霊の進化の程度と、それを受けそして活用する霊媒の能力いかんによります。まず支配霊の霊格によって扱える霊力の分量が決まります。そしてこんどは、それが霊媒を通して地上へ注がれる分量が決まります。そうした要素が霊界からの霊力の配給をつかさどっているのです」

「では霊力そのものは無限に存在するわけですね?」


「そうです。無限の大霊を源としているからです」

「そうなると、交霊会を見てますと霊力を無駄にしないように支配霊が気を配っているようですが、それは必要ないことになりませんか」


「心霊実験会(※)に何度も出席なさればおわかりになりますが、霊力の使用がある一定限度を超えると、出席者が体力と気力を消耗して衰弱します。せっかく霊力の証としての現象を見に来られた人の健康を損ねることになるのは、わたしたちの望むところではありません。

しかし実際はむしろその逆で、健康が増進するはずのものです。と申しますのは、ふだん抑え込まれている力が活発に動き始めるからです。忘れないでくださいよ、もともとわたしたちがお届けしている霊力は賦活作用をもった生命エッセンスなのです」


※――同じく霊が催す会でもシルバーバーチのように霊言を主体とするものを“交霊会”といい、物理的現象を主体とするものを“心霊実験会”という。後者の場合は霊媒だけでなく列席者からもエネルギーを取るので疲労を覚えたり睡気を催したりすることがある。“健康を増進するはずのもの”と言っているのは交霊会の場合である。もっともそれも高級霊に支配されている場合に限られる。

そう述べた段階では交霊会の時間はまだ半分も過ぎていないムードだったが、シルバーバーチがもうそろそろ時間ですと言った。そして霊媒のバーバネルが意識を回復した時はあと五分しかなかった。いよいよ霊媒の身体を離れる前に、シルバーバーチはこう述べた。


「わたしはこれまで一貫して、わたしが皆さんの友だちであり指導霊であることを証明すべく努力してまいりました。わたしがいつも皆さんの近くにいること、わたしにも性格上のクセがいろいろとあっても、それが皆さんとの親しいお付き合いの妨げにはなっていないこと、皆さんの悩みごとや難しい問題にも決して無関心ではなく、いつでもわたしに可能なかぎりの手助けをする用意があることを実感をもって知っていただきたいと思ってまいりました。

どうか、このわたしが永遠の真理をお教えし、霊的威力をお見せしようとしている教師であると同時に、皆さんのお一人お一人の友だちであることを忘れないでください。わたしには皆さんへの親密なる情愛があり、持てる力と能力のかぎりを尽くしてご援助しようとしているのです。

どうぞ、いつでもどんなことでもよろしい、難しい問題が生じたらここへお持ちください。わたしがお役に立つことであればそう努力しますし、もしもわたしには手出しを許されないことであれば、皆さんがその十字架を背負っていかれるための力をお貸しいたしましょう」

祈り


これよりわたしは全生命の大霊にお祈りを捧げます。その輝きがわれわれの全存在を満たし、その光がわれわれの進む道を照らし、その愛がわれわれの心を通じて流れ、その意志をわれわれの意志とせんがためです。

霊の世界と物質の世界とのつながりをより緊密なものとし、物質の世界に住める者が永遠の霊的真理についての理解をより一層深める上での障害と制約のすべてを取り除こうとするわれわれに、大霊の強大なる霊力を授けていただくために、わたしはこれよりお祈りを捧げます。

大霊よ、わたしたちは人類の永き歴史において澄み切った霊視力と霊聴力をそなえた霊能者、予言者、先見者、そして賢人・聖人を通して啓示されてきたあなたの霊力を今改めて地上へ届けんと努力しているところでございます。それを豊富に顕現せしめることによって、今なお無知と煩悩の暗闇の中にいる人々の心を鼓舞し、魂を奮い立たせて、真実の自由と悟りをもたらさんとしているのでございます。

わたしたちは霊的真理と霊的叡智と霊的知識の光明を、それを必要とする人たちにもたらし、その高級界の影響力によって勇気づけられ鼓舞され元気づけられて、彼らが一層の改革に精励し、あなたがふんだんに用意なさっておられる恩恵が子等に等しく行きわたるのを妨げている不正・不公正・障害物のすべてを取り除くことができるようにと刻苦しているところでございます。

わたしたちは真理と自由と公正の道に立ちはだかる既得権力のすべてに闘いを挑みます。地上の汚点ともいうべき混とんと病いと苦しみと飢えをなくするためです。そうしたものは本来あなたのご計画の中には存在せず、権力を握る者たちがその自由意志の行使を誤り、あなたのご意志にそった使い方をしていないがために生じているのでございます。

わたしたちは善意の人々、人のために役立ちたいとの願いを抱く者のすべてを結束させんと努力いたしております。受け入れる用意のある者、あなたの御国を生命の全界層に実現せしめんとして努力する者のすべてに、わたしたちのメッセージをもたらしたいと願っております。

その目的のためにわたしたちは祈り、そして刻苦します。何とぞあなたの霊力が常にわたしたちを導き、一層の奉仕へ向けて鼓舞したまわんことを。

ここに、人に役立つことをのみ願うあなたの僕の祈りを捧げます。

シルバーバーチ


Sunday, November 19, 2023

シアトルの晩秋 大霊とは法則なのです。

The Great Spirit is a law.

あなたが正しいことをすれば、

自動的にあなたは自然法則と調和するのです。

窮地に陥ったあなた一人のために、

どこか偉そうな人間的な神様が総力をあげて救いにきてくれるような図を想像してはなりません。

シルバーバーチ

Friday, November 17, 2023

シアトルの晩秋 ああ、真白き大霊よ

Oh, Great white spirit

最近ではシルバーバーチの交霊会の様子がカセットテープに録音され、世界中の数え切れない人々によって愛聴されているが、古くさかのぼると、かつては蓄音機用に何枚か吹き込まれたこともあったのである(*今では廃盤となっている)。

最初のレコーディングはできぐあいから言うと失敗だった。マイクの位置が遠すぎたためであるが、シルバーバーチは一言も文句を言わないどころか、ではもう一枚いきましょうと言った。最初のは身内を失った人たちへの慰めのメッセージだったが、「こんどは何にしましょうか」とシルバーバーチの方から言うので、司会のスワッファーが「“新しい時代”について述べられては?」と提案した。

するとシルバーバーチは一瞬のためらいもなく「では始めます」と言って、合図とともに語り始めた。そして、ぎりぎりの時間内で終わった。残念ながらそのレコードはもう手に入らない。

こうしてその日は全部で四枚の録音を行った。祈りが二枚とメッセージが二枚だった。なんと、その四枚とも一秒の違いもない、同じ長さだった。

録音の要領は、スタートを知らせるために列席者の一人が一から九まで数えて、十のところで係の者がスイッチを入れ、それと同時にシルバーバーチが語り始め、終わる三十秒前に霊媒の身体に手を触れる。するとピッタリ最後の一秒のところで終わった。霊界でリハーサルをしてきたわけではないとのことだった。

では当日の録音の中身を紹介しよう。


「まず初めに生命の大霊に祈りを捧げます。

王の中の王、造化の大霊、完全なる摂理の背後の無限なる知性にあらせられるあなた――あなたは全知にして全能なる存在におわします。あなたは無始無終に存在したまいます。なぜなら、あなたの霊は全宇宙に満ち、すべてがあなたの反映だからでございます。

しかし同時にあなたの神性はおのれを人のために役立てんと努める者の人生の中にも示されております。なぜなら、そこにあなたの神性が本来の表現の場を見出し、発現すればするほど既得の権力、憎悪、残虐、迷信、そして無知と闘うことになるからでございます。

わたしたちは完全なる愛と叡智の権化にあらせられるあなたに敬虔なる讃仰の気持ちを捧げ、あなたを荘厳なる存在そのままに啓示せんと努めているところでございます。これまで幾世紀にもわたってあなたは、直観力と洞察力とをそなえた少数の者を例外として、人類によって誤解されてまいられたからでございます。

あなたは復讐心を燃やす嫉妬ぶかい暴君ではございませぬ。あなたは全生命の大霊にあらせられます。なぜなら、あなたの霊は全宇宙のすべての子らに宿りたまい、永遠にあなたと結びついているからでございます。あなたの霊ありてこそ子らの存在があるのでございます。あなたの霊ありてこそ子らは死の彼方の世界にも存在し続けるのでございます」

この祈りの長さは三分だった。二分半が経過し、レコードはあと三十秒しかないという時点での印象では、まだ半分しか終わっていないような雰囲気だった。が、ぴったり最後の一秒で終わった。

では次に、録音としては失敗に終わった、身内の人を失った人たちへの慰めのメッセージを紹介しよう。


「皆さんからシルバーバーチと呼ばれている霊から、死によって愛する人を永遠に奪われたと信じて嘆き悲しみ、目に涙を浮かべておられる人たちへ、慰めのメッセージを贈りましょう。

自ら死を体験したのち三千年の霊界生活を体験してきたこのわたしから是非とも申し上げたいのは、死は愛する者どうしを裂くことは絶対にできないということです。愛はすべての障害を打ち砕きます。愛は必ずやその愛する相手を見つけ出すということです。

愛する人がこの残虐と誤解と無知の世界から、内部の神性がより豊かに発現される世界へと連れて行かれたことを泣いて悲しむのはお止めなさい。神があなたの庭から一本の花を抜き取って神の庭へ植え代えられたことを悲しんではなりません。その庭で、あらゆる制約と束縛とから解放されて、内在する香りをより多く放つことになるのです。

死も生命の法則の一環であることを理解してください。生と死はともに大霊のものであり、ともに大霊の摂理を教えるために使用されているのです。涙をお拭きなさい。悲しむのは間違いです。なぜなら、愛する人は今もなおあなたの身近にいらっしゃるのです。死は愛を滅ぼすことはできないのです。大霊が永遠であるごとく愛も永遠なのです」

終わると係の者が

「今のをお聞きになってみられますか。一度だけなら傷つけずにおかけできますよ」と言うとシルバーバーチが――


「せっかくならこの霊媒が入神から覚めてからにしましょう。彼にも聞かせてやりたいですから……」と言った。

が、係の者は「二度かけても大丈夫ですよ」と言ってさっそくかけてみると、音声が低すぎてうまく録音されていないことがわかった。

マイクの位置が遠すぎたためだった。

係の者が「もう一度同じものをお述べになることができますか」と聞くと――


「いえ、それはできません。でも別のものならすぐに始められますよ」と言うので、さっそく次の録音に取りかかった。それは次のような祈りだった。


「真白き大霊に祈りを捧げます。

ああ、大霊よ。

聖なる創造主、王の中の王、全生命の背後の無限なる知性にあらせられるあなたを、わたしたちは在るがままのお姿、すなわち完全なる摂理として説き明かさんとしております。

あなたは幾世紀にもわたって誤解され、誤って崇拝されてまいりました。ある人種はあなたのことを残忍にして血に飢え、復讐をたくらみ、嫉妬ぶかく、自分への忠誠を誓う者のみを愛する神として崇めてまいりました。そして彼らはその神罰に恐れおののきつつあなたへ近づいておりました。

わたしたちはあなたを完全なる愛と叡智の権化として啓示いたします。それが完全なる摂理の働きを通して顕現しているのです。その摂理の中に、子等が生命の充実感と豊かさと限りない恩寵を見出すようにとの、あなたの深遠なる配慮がなされているのでございます。

わたしたちの望みはその摂理を地上へもたらし、それによって善意の子等がいっそうの努力と奉仕に励み、地上世界からあらゆる不平等と不正、あなたの王国の地上への実現を阻むものすべてをなくすことです。その目的へ向かってわたしたちは祈り、そして奮励いたします」

これでA面が終わり、続いてB面を始めたところ、シルバーバーチには珍しく発音を間違えるというハプニングが起きた。surface(サーフィス)というべきところをservice(サービス)と言ってしまったのである。


「失敗しました」

シルバーバーチはそう言って、新しいレコードに替えてもらった。用意ができるとすぐに語り始めた。


「地上世界が暗黒に満ち、恐怖心が多くの人間の心を支配し、導きと慰めをいずこに求めるべきかに迷っている今、より高き界層に住み物質の境界を超えて見通すことのできるわたしたちは、自信をもって皆さん方に“万事うまく行っております”と申し上げます。

皆さんは新しい秩序の誕生を今まさに目撃しておられるのです。辺りをご覧になれば、利己主義と物質偏重と貪欲と強欲と残酷の上に築かれた古い世界が滅亡しつつあるのが分かります。スピリチュアリストをもって任じておられる皆さんは、大いなる真理の管理人でいらっしゃいます。前哨地を守る番兵として新しい時代の構築に協力してくださっているのです。

ご自分のことを戦(いくさ)の中の戦に参戦している大霊の兵士とお考えください。悲劇と混乱と破綻とをもたらした無知という暗黒の勢力を撃破するための仕事を支援なさっているのです。

子等が大霊の用意されている恩寵を心ゆくまで満喫できる新しい世界の構築に、皆さんも参加しておられるのです」

Thursday, November 16, 2023

シアトルの晩秋 ある日の交霊会で菜食主義の是非について問われて――

Pros and cons of vegetarianism


ある日の交霊会で菜食主義の是非について問われて――


「こんなことを言うとまたわたしは不評を買うことになるでしょうが、真実は真実として申し上げねばなりますまい。理想的な霊媒のあり方としては、アルコールや肉類、タバコ、その他、人体の質を低下させるものは極力控える方が霊媒の進化にとって良いに決まっています。

地上にあっては霊は肉体を通して自我を表現するしかありません。となれば、その肉体の質が高ければ高いほど霊媒の表現力も大きくなる道理です。したがってその肉体を汚すもの、間違った刺激を与えるものは、いかなるものであっても霊にとっては障害であり良いものではありません。肉体は霊の宿なのですから。

これでもうわたしの答えはお判りでしょう。動物の肉、タバコやアルコールによる刺激があなたの心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル)(※)な能力(パワー)の開発に益があるでしょうか。もちろんないに決まっています。適度に摂取するのであれば害は少ないというのは当り前の理屈ですが、理想を言うならば、霊媒は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます」


※――“サイキックパワー”というのは五感の延長としての霊能、いわゆる超能力のことで、これは人間よりもむしろ動物や生物の方が発達している。これに背後霊の援助が加わって高次元の世界とのつながりに発展したものをシルバーバーチは“スピリチュアルパワー”と呼んでいる。

「動物を人間の食料や衣服にするために殺すのは間違ったことでしょうか。動物自身は自然界の原理で互いに殺し合っているのですが……」


「こうしたことはすべて程度問題であり、進化の一過程として捉えるべきです。自然界は弱肉強食であるとよく言われていますが、それは大自然の進化の部分的現象にすぎません。大自然がすでに完成されていると述べている霊界通信はないはずです。自然界も進化の途上にあるからです。

理想を言えば――わたしの答えはどうしても理想を述べることになってしまいますが――動物を人間の食料として、衣類として、また(遊牧民の)住まいとするために殺すのは間違いです。しかし、未熟な世界においては完全な理想が実現されることは期待できません。しかし、だからといって、理想へ向けての努力をしないでよいということにはなりません。

どうしても殺す必要がある時は、なるべく苦痛を与えない方法を取らないといけません。残酷な殺し方は止めてください。食料を得るために殺すのは間違いであることを人類が悟る段階まで一足跳びに到達することはできない以上、殺し方をできるだけ苦痛を与えないように工夫してください。

皆さんは変化しつつある世界に生きており、わたしたちも、どうせ今すぐには実現できないと知りつつ、理想を説いております。もしもわたしたちが努力目標としての理想を説かずにいたら、与えられた使命を全うしていないことになります。目標の水準は高めないといけません。低くしてはいけないのです」

シルバーバーチ

シアトルの晩秋 しかし忘れてならないのは、そうした独裁者は大霊が用意なさったのではありません。あなた方人間がその出現を許したのです。

 But we must remember that such dictators were not prepared by the Great Spirit. You humans allowed it to appear.

冬の森 - 白樺と動物 - バックグランド のイラスト素材 [13554212] - PIXTA さん


「わたしは霊的真理に基づいた原理を説いております。いかなる問題もこれを適用すれば遠からず解決します。わたしは人間の苦痛の叫び声に無神経なわけではありません。できることなら重荷のすべてをわたしが背負ってあげたいくらいの気持ちです。ですが、地上世界のことは地上世界で片づけないといけないのです。そこには“公正”というものが行きわたるようになっているのです。と言って、ただ単に苦しい体験を積むばかりでは無意味です。その中から教訓を学び取らないといけません。そこで霊的摂理についての知識が大切となります。それを広めないといけません。

人類は霊的知識を身につけて初めて、待ちうけている喜びを味わうことができるのです。あらゆる苦しみから教訓を学び取り、地上世界がたとえ絶望だらけに思われても神の意志は必ず成就されること、その遠大な目的を挫折させるほどの力をもったものは地上には存在しないことを確信してください。達成の時期を遅らせることはできます。また少しの間だけ視界を曇らせることはできます。しかし新しい世界はすでに生まれております。古い世界が崩壊しつつある徴候がそこここに見られます。あなた方も変革の証拠をその目でご覧になっておられます。

自分たちが支配しているつもりでいた者が独裁と圧制の時代は終わったことに気がつくのも、そう遠い先のことではありません。しかし忘れてならないのは、そうした独裁者は大霊が用意なさったのではありません。あなた方人間がその出現を許したのです。憎しみと無知と時の事情によって生み出されたのです。

大霊は地上人類のために用意される恩寵についてはきわめて寛大です。すべての者に十分に用意しておられます。領土問題で争う必要はないのです。そもそも誰のものでも、どの国のものでもないのです。大霊のものなのです。人間はその大霊の借地人(テナント)にすぎません。ホンの短い期間だけ地上に逗留するためにお借りしているだけなのです。

霊的知識さえあれば、一滴も血を流さずに、一人の命も失わずに、すべての問題が解決できるはずです。ところが無知と既得権力が障害をこしらえてきたのです。あなたのような方が物質万能主義と闘う軍隊に一人加わるごとに、暗黒の勢力を一歩押し返すことになるのです。

わたしたちには奇跡は起こせません。霊的な“呪術師”ではありません。摂理というものの存在を説いているのです。その働きを知っているからです。困難につぐ困難の末に今やっとその努力が実りつつあります。絶望感など一かけらもありません。自信にあふれております。

このわたしも、わたしの全存在の息吹きをもってあなたを支援します。迷わず進みなさい。あらゆる不安の念を振り切って、自分には愛の援護がある――血縁のあった霊の愛、物質のベールで仕切られてはいても霊的には親しく通じ合い身近にいて常に導いてくれている霊の愛、それからまた、あなたはご存知なくてもあなたをよく知っていて、誕生の時からずっと待ってくれている、大勢の霊的家族の愛があることを知ってください。

そうした大勢の霊がこれまでずっとあなたを鼓舞し、保護し、導き、目にこそ見えなくても現実的影響力を行使してきたのです。喜びをともに喜び、悲しみをともに悲しんできました。まさしく笑いも涙も分け合ってきたのです。そうした霊とあなたとは文字どおり一体であり、決して見捨ててはおきません。あなたの方から一歩近づけば、彼らはさらにもう一歩近づくように援助します」

Tuesday, November 14, 2023

シアトルの晩秋 神はときには荒れ狂う嵐のごとく

God is like a raging storm sometimes

秋の白樺林 写真素材 [ 834829 ] - フォトライブラリー photolibrary さん

 数年前に愛する妻に先立たれ、その妻が死後も生き続けている証拠を求めてきた英国の下院議員が、ある日の交霊会に招かれてシルバーバーチと長時間にわたる意義ある対話をもつことができた。

その議員は動物への虐待行為を中止させる運動に大きな貢献をしている人で、シルバーバーチから引き続き頑張るようにとの励ましを受けて、魂の高まりを覚えながら会場をあとにしたのだった。

まずシルバーバーチから語りかけた。


「地上世界は、洞察力に富む一部の人を除けば、大きな悲しみの体験をさせられる前に霊的真理の必要性を知る人がほとんどいませんね」

「でも、その洞察力はどうすれば得られるのでしょうか」


「もとより容易なことではありません。たとえば、こうした霊言や自動書記などの手段によって通信霊が自分はかくかくしかじかの霊であると述べた場合、それだけで直観的にその通りか否かを得心できるようでなければいけません。あなたもそう努力なさって来られました。もちろん、わたしたちとしては物質界の人間が要求する証拠性の基準に合わせる必要があることは認めます。が、それにも限界がありますから、これまであなたがなさってきたように、与えられたものを真剣な批判的態度で判断し検討しなければいけません。偏見を混じえずに心の扉を開き、理不尽な懐疑的態度さえ取らなければ、わたしたちとの連絡はラクになります」

「私が欲しくてならないのは、この地上を去った人たちが今も間違いなく生き続けていて、地上の人間とつながりをもち、現実に影響を及ぼしていることを立証してくれるものです。それを得るにはどうしたらいいのでしょうか」


「そのためには、わたしが使用しているこの霊媒よりも立派で、あなたの求めているような万全の証拠が提供できる波長に感応する霊媒を見出すしかないでしょう。ただし、そういう証拠を求めているのはあなたの魂ではありません。頭の中でそう思ってあがいていらっしゃるだけです」(※)


※――この一節には大切なことが含まれている。人間側からすれば、その霊が地上で誰であったかを立証する具体的な証拠くらい簡単に出せそうに思えるが、実際には具体的なことになるほど地上臭が強くなり、それだけ波長が低くなるので、それが受けられる霊媒は程度が低いことになる。ということは低級霊が感応しやすいという危険性があり、うまくハメられやすいことにもなる。“感激の対面”をして親子が抱き合って涙を流すその裏側では、イタズラ霊がしてやったりと、ほくそえんでいることが多い。シルバーバーチはそのことを露骨に言わず、いかにもシルバーバーチらしく、ちょっぴり皮肉も込めて述べている。

最後の一文はさらに大切なことを教えている。人間は大ざっぱに言えば肉体と精神と霊とで構成されているが、成長するにつれて意識の中枢が肉体から精神へ、そして霊へと移っていく。理屈ばかりこねている人間は精神的段階に留まっている証拠であり、まだ真の自我には目覚めていない。その段階を抜け出ると直観(直感ではない)で理解するようになる。理屈や証拠を超えて真相を洞察してしまう――わかるのである。霊的能力というとすぐに霊視や霊聴を思いうかべる人が多いが、最高の霊的能力はその直観力である。

「では、その魂がもっと意識できるようになるにはどうしたらよいのでしょうか」


「それは霊的開発の問題です。より精妙な波長が意識できるように、霊的次元にチャンネルを合わせる方法を会得することです」

「チャンネルを合わせるにはどうしたらよろしいのでしょうか」


「地上世界が活気にあふれている時にこちらの世界は静まり返っていることがあり、そちらが静まり返っている時にこちらでは活気にあふれていることがあるものです。ですから、精神活動を止めて静寂の世界へ入り、受身になってみられることです。じっと待っていると魂が活動を開始するのがわかるようになります」

「特殊な考えが浮かんだ時、それが自分の考えなのか霊界から送られてきたものかを見分けるにはどうしたらよいでしょうか」


「そうしたことはすべて、精神をいかにコントロールするかに係わる問題です。精神があてどもなくフラフラしている状態から、意識的にきちんと支配下において、完全な静寂の中で高度な波長がキャッチできるようになることです。直観がひらめくのはそういう時です。波長が高く、速く、そして微妙だからです。地上的な思念はのろくて、不活発で、重々しく感じられます」

「地上で最高といえるほどの魂にも同じことが言えるのでしょうか」


「言えます。すべての魂に当てはまります。よくお考えください。人間は本質的に二重の要素をそなえているのです。動物時代の本能の名残りと神の分霊とがあって、それがあなたの存在の中で常に葛藤しており、そして、そのいずれかを選ぶ自由意志を持つあなたがいるわけです。そこに進化の要素があるのです。あなたとしてはなるべく動物性を抑え、潜在する神性を発揮する方向で努力しないといけません。

神、わたしのいう大霊は、人間をはじめとしてあらゆる生命形態に内在しております。すべてが神であり、神がすべてなのです。ある人にとって神は優しいそよ風のごとく感じられ、またある人にとっては、ときに荒れ狂う嵐のごとく感じられるものです。すべては各自の発達程度の問題です。

あなたの場合も魂の内奥の神性がうごめき、奥さんの死という悲しみの体験が触媒となって一段とその顕現の度合を増しつつあります。他界後の奥さんのことを求め続けられているのもそのためです。今夜こうしてこの交霊会に出席されたのもそのためです。これからのちも真理を求め続けられることでしょう。なぜなら、今やあなたは霊的真理への正道を歩んでいらっしゃるからです」

「ということは、発達の第一歩は願望を抱くことから始まるとおっしゃるのでしょうか」


「そうです。まず謙虚に、真摯に、そして敬虔な気持ちで知ろうとすることから始まり、今度は、そうして得た知識を自分の信念の確立のためだけでなく、他人のために役立てようという決意が出てこないといけません。

あなたはその願望をお持ちであり、これまでそう努力なさってこられました。そして、あなたが気力を無くしかけ、闘う意欲を失いかけ、いっそのこと第一線から引退して美術でも楽しむ生活を始めようかと思われた時などに、背後霊が懸命にあなたを鼓舞してまいりました。が、結局はあなたの魂の奥の神性がじっとしておれず、霊界からのインスピレーションにも鼓舞されて、恵まれない人たちのための闘いを続ける決意を新たにしてこられたのです」

このあとシルバーバーチはその下院議員の背後霊団について述べてから、さらに言葉を継いで――


「背後霊団のことを申し上げたのは、あなたもこちらの世界からの愛の保護下にあることを知っていただきたかったからです。人のためと思って努力している人々はみな霊界からの愛とエネルギーに取り囲まれていることを自覚し、仕事においてどれほど励まされ、勇気づけられ、感動させられ、そして支援されているかを知れば、いっそうの熱誠と情熱と集中力とをもって闘いに挑んでくださることと思うのです。人のために為された努力が無駄に終わったことは一度もありません。たとえ本来味方であるべきだった者から誤解され曲解され嘲笑され、あるいはこの人だけはと思って信頼していた人から裏切られることがあっても、あなたの奉仕の仕事は生き続けます」

「そのためのアドバイスをいただけたらと思うのですが……」


「あなたには細かいアドバイスはいりません。あなたはご自分で自覚しておられる以上に大きな仕事をなさっておられます。すでに立派に人のために役立つことをなさっている方から“私に何かお役に立つことがあるでしょうか”と聞かれると、わたしの心はうれしさでいっぱいになります。なぜなら、それは立派に人のためになることをしていながら、さらに大きな貢献をしたいと思っておられることの証拠だからです。

これまで同様に弱き者、無力なものを助け、力が不足している人に力を貸し、暗闇にいる人に光明をもたらし、足の不自由な人、あるいは何かの苦しみを抱えている人に救いの手を差しのべてあげてください。残虐行為――とくに魂が怯(おび)えるような残酷な行為、つまり人類の最大の友であるべき動物への虐待行為を止めさせるために闘ってください」

そう述べたあとシルバーバーチは、指導霊として霊界から地上での人間活動に影響力を行使することの難しさを次のように説明した。


「指導霊は自分の意図するところを物質界に感応させねばなりません。それが容易なことではないのです。なぜかと言いますと、ご存知のとおり物質界から放散されている波長は、およそ感心できる性質のものではないからです。現在の地上界は、光のあるべきところに闇があり、知識のあるべきところに無知があり、叡智のあるべきところに無分別があり、豊かさのあるべきところに欠乏があり、幸福のあるべきところに悲劇があり、優しさのあるべきところに残酷があり、愛があるべきところに憎しみがあります。霊がその威力を届けるための通路である霊的能力者はいたって少数です。しかし、その数は着実に増えつつあり、潮流はわれわれに有利な方向へ進みつつあります。

ところで、あなたの魂が目を覚ましたのは悲しい体験のお蔭だったのですよ」

「あの悲劇もある目的のためにもたらされたとおっしゃるのでしょうか」


「大きな悟りは大きな悲しみから生まれるものです。人生は“埋め合わせ”の原理によって営まれています。日陰のあとには日向があり、嵐になれば避難所が用意されます。光と闇、嵐と晴天、風と静寂――こうしたものはすべて大霊の配剤なのです。大霊は生命活動の全側面に宿っております。闇があるから光の有り難さがわかるのです。争いがあるから平和の有り難さがわかるのです。人生は比較対照の中で営まれています。魂は辛い体験、試練、苦難のるつぼの中で真の自我に目覚め、純化され、強化されて、より大きな人生の目的と意義を理解する素地が培われるのです」

「では、苦難は霊性の開発に必要なことを気づかせるために意図的にもたらされることがあるということでしょうか」


「そうです。魂がその深奥にあるもの、最高のものを発揮するには、さまざまな体験を必要とするからです。魂は永遠の存在であり、それまでの思念の一つ一つの結果、口にした言葉の一つ一つの結果、行為一つ一つの結果をたずさえており、結局今のあなたはあなた自身がこしらえた――一秒ごとに、一分ごとに、一時間ごとに、一日ごとに、一週間ごとに、一カ月ごとに、一年ごとに築いてきたことになるのです。自我の成長は自分で達成するのです。そして、行う行為の総決算があなたの現在の進化の程度を決めるのです。自分以外の誰にもそれはできないのです」

「意図的行為と無意識の反射的行為とは別のものでしょうか」


「反射的に行われたからといって、そこに因果律が働く余裕がなかったということはありません。その行為そのものが、因果律の存在を厳然と示しています。あなたの行為は現在のあなたという人格全体から生み出されるのです」

「その現在の人格は各自がこの地上で行ってきた行為の総決算だとおっしゃるのでしょうか」


「その通りです。これまでに行ってきたことの結果が今のあなたであり、今のあなたが行うことが未来のあなたをこしらえるのです。因果律は一瞬の途切れもなく、しかも完璧に働いています。完全にでき上がっていますから誤るということがありません。人間界では国家が定めた法律をごまかすことができますが、大自然の摂理をごまかすことはできません。なぜなら、魂にはそれまでの行為の結果が永久的に刻み込まれており、その有りのままの姿があなたであり、それと違うものに見せかけようとしても通用しません」

「間違ったことをした時は必ずそれに気づくものでしょうか」


「そうとは限りません。良心の声が聞こえない人がいますし、心が頑(かたくな)になっている人がいますし、魂が悪想念に取り巻かれて大霊の生命力の通路が塞がれている人がいます。人間は必ずしも自分の間違いに気づいているとはかぎりません。もし気づいているのなら、地上に戦争は起きないでしょうし、残酷な行為も見られないでしょうし、飢餓に苦しむ人もいないはずです。これほど多くの病気はないでしょうし、一方に飢えている人がいるというのに食べ放題のぜいたくをするということもしないはずです」

「それを改めるにはどうすればよいのでしょうか」


「あなたやわたし、ここに集える者と霊団の者全員が利己的な物質中心思想が生み出す不平等を撃破して、代わって大霊の恩寵をすべての子等に行きわたらせ、病気やスラム街、不健全なものや貧困、そのほか人間の魂と身体とを拘束するものすべてを何としてもこの地上から駆逐しようと固く決意することです。それらはみな間違ったことだからです。各自に内在する神性を自覚させ、人間として為すべきことは何であるかを、この地上を去る前に自覚させてあげないといけないのです」

ゲストの下院議員は多くのスピリチュアリストと同じように、動物愛護運動に深く係わっていた人である。そこで本章の締めくくりとして、かつてシルバーバーチが改革運動に係わった人々への霊界からの働きかけについて語ったものを紹介しておこう。


「わたしが説いていることは、過去のあらゆる時代に人類のために精励したすべての改革者、すべての聖人、すべての予言者、理想主義に燃えたすべての人々の先見の明がとらえた気高い崇高な考えと、まったく同じものです。

彼らはその霊格の高さゆえに霊眼をもって地上生活のあるべき本来の姿を垣間みることができ、その美しい未来像が、逆境と闘争の中にあって心の支えとなってきたのでした。彼らには、いつの日かきっと実現される霊的計画がわかっていたのです。そこで同胞である物質界の子等にとって、今のうちに少しでも霊性を高めることになる仕事に貢献したのです。奉仕です。

彼らは、皮肉にも、その奉仕的精神から正しい人の道を説いてあげた当の相手から貶(けな)され、抵抗にあい、嘲笑の的とされましたが、彼らの仕事は立派に生き続けました。それは今日世界中の無数の国において、この交霊会のようなささやかな集いの場において行われていることが引き継がれていくのと同じです。それにたずさわった人々は次々と忘れ去られていくでしょうけど……。

大霊の強大な勢力が今ふたたび地球という物質の世界へ向けられているのです。地上のいかなる勢力をもってしても、その強大な潮流を遮ることはできません。

地上の人間は流血によって問題が解決するかに考えるようですが、かつて流血によって問題が解決された例(ためし)はありません。無益であり、何の解決にもなっていません。

人間はなぜ神から授かった理性が使えないのでしょうか。なぜ唯一の解決法が一人でも多くの敵を殺すことだと考えるのでしょうか。いちばん多くの敵を殺した者が英雄とされる――地上というところは不思議な世界です」

祈り


ああ、真白き大霊よ。

わたしたちはあなたを永遠の生命のあらゆる現象の背後に働く無限の法則として説き明かさんとしております。古き時代にはあなたは歪められた眼鏡を通して見られておりました。嫉妬に狂う神、腹を立てる神、好戦的な神と思われたこともございました。

しかし、わたしたちは無限なる霊、あらゆる生命現象を通じて息づき、あらゆる自然法則の働きとしてご自身をお示しになっている存在として説き明かさんとしております。無限の叡智と理解力、愛と真理の大霊――弱き者、悩める者、挫折せる者を鼓舞することに精励する人々の生きざまを通じて顕現している大いなる霊として説くのでございます。

ああ、大霊よ。

あなたはたった一冊の書物の中にいらっしゃるのではありません。たった一つの教会(チャーチ)、たった一つの寺院(モスク)、たった一つの神殿(テンプル)、たった一つの礼拝堂(シナゴーグ)の中にいらっしゃるのでもありません。物質界の子等の有限なる理解力によって規定することも制約することも圧縮することもできない、広大無辺の霊でいらっしゃいます。

とは申せ、あなたは断じて子等とは無縁の遠き存在ではございません。まさに子等の内奥にましますのです。あなたの分霊(わけみたま)としてでございます。その分霊を通じてあなたはご自身を顕現なさらんとしておられるのでございます。子等の奉仕的生活を通じてあなたのご意志が発揮され、あなたの摂理が理解され、かくしてあなたの造化の大業の目的と同胞とのつながり、そしてあなたとのつながりについて子等が理解を深めるのでございます。

その理解の深まりとともに地上世界に新たなる光明、新たなる希望がもたらされます。平和が行きわたり、闘争がなくなります。利己主義が消え、悲しみが喜びに置き換えられ、生きるための必需品に事欠いていた人たちが真実の地上天国に生きることになるのでございます。

それがわたしたちが説き明かさんとしている大霊でございます。そのあなたの摂理を子等に教えんとしているのでございます。それを理解することによってこそ子等は俯仰(ふぎょう)天地に愧(は)じない生き方ができるのでございます。自らの力で束縛を解き放すことができるのでこざいます。奴隷のごとき卑屈な生き方を止め、膝を折ってあなたに媚びへつらうことなく、あなたからの生得の遺産を主張する――すなわちあなたのご意志を日常生活の中で発揮していく権利を堂々と主張できるのでございます。

Sunday, November 12, 2023

シアトルの晩秋 知識は本来人間を尊大にするものではなく謙虚にするものです。

Knowledge does not inherently make people arrogant, but humbles them.

紅葉した森の白樺】の画像素材(18950676) | 写真素材ならイメージナビ さん

 知識は本来人間を尊大にするものではなく謙虚にするものです。知れば知るほどまだまだその先に知るべきものがあることを自覚させるからです。尊大にさせるのはむしろ無知の方です。知らないから生意気が言えるのです。最高の知識人はみな謙虚でした。知れば知るほど、知らないことが多いことを思い知らされるからです。

わたしたちへ向けて軽蔑と嘲笑の指をさす人たちは、頭の中に何もない、無知で身を固めた人たちです。知識を求め、新しい真理をよろこんで受け入れる素直な魂には、霊の力が感動を及ぼすことができます。そういう素地ができているからです。大霊の使徒として、その知識と叡智と力と意志とを地上にもたらすことに心を砕いているわたしたちにとっては、そういう人こそ役に立つ人材なのです。

わたしたち霊団の者は、自分自身のことは何一つ求めません。求めているのは、皆さんが物的な面だけでなく、精神と霊にかかわる面においても、心がけ一つで我がものとすることができる無限の恩沢に少しでも気づいてくれること、それのみです。計り知れない価値をもつ真理が皆さんを待ちうけているのです。

利己主義・無知・既得権力――これがわたしたちの前途に立ちはだかる勢力です。そして、わたしたちはこれに真っ向から闘いを挑んでいるのです。徹底的に粉砕したいのです。魂を飢えさせ、精神を飢えさせ、そして身体を飢えさせる元凶であるこうした地上の悪の要素を取り除いて、その飢えを満たしてあげたいのです。

弱き者、堕落せる者の心を高揚し、寄るべなき人々に力を与えてあげたいのです。地上世界から飢餓と病気と不健康状態を取り除いてあげたいのです。地上の疫病であり人類の汚点である不潔なスラム街と汚れた住居を廃絶したいのです。

暗闇に閉ざされた人々に光を、何も知らずに生きている人々に霊的知識を授けてあげたいのです。人類の意識を高め、魂と精神と身体の足枷を解いてあげたいのです。あらゆる形での利己主義――文明を蝕(むしば)み、代わって混乱と破滅と戦争と破壊をもたらす地上の毒を取り除きたいのです。

言いかえれば、地上世界に霊力を甦らせ、お互いがお互いのために生き、お互いの幸せのために協力しあい、憎しみと貪欲と強欲と私利私欲が生み出す垣根を取り払い、大霊の意図された通りに平和と豊かさを満喫できるようにしてあげたいのです。

それがわたしたちの使命であり、今まさに前進を続けているところです。わたしたちが何者であるかはどうでもよろしい。通信の手段は大切ではありません。大切なのはメッセージそのものです。それは淵源を神に、わたしのいう大霊に発しております。だからこそ永続性があるのです。

俗世的なものはいずれ消滅するのです。束の間のものは、しょせん束の間の存在でしかありません。しかし、霊的実在は永遠です。移ろいやすい物的所有物を絶対と思い込んでいる人は、影を追い求めているようなものです。霊的真理を求めている人は、真に自分の所有物となるものを授かりつつある人です。自信をもって前進しなさい。霊的知識――大霊の宝石を探し求めなさい。

わたしのことを暗黒の勢力の声と思ってはなりません(※1)。永遠の霊的実在のシンボルとお考えください。もっとも、わたし個人は取るに足らぬ存在です。また、わたし個人として求めるものは何一つありません。わたしはただ霊的メッセージをお届けに来ているだけです。そのメッセージが実に重大なのです。今日の地上世界にとって最も大切なもの、とあえて申し上げます。

これまでの試みはすべて失敗に終わりました。キリスト教、政治家、科学者、思想家――どれ一つとして地上世界を救うことができませんでした。むしろ無明ゆえに崩壊へ一歩一歩近づき、今まさに破滅寸前のところまで至っております(※2)。霊的真理と霊的実在についての知識こそが、まず自らを救う道を教えることによって、地上世界を救うことになるのです。

生命の実体は物質の世界には見出せません。実在は霊的なのです。霊的真理を否定する者は生命力そのものを否定していることになり、自分を生かしてくれているその生命力の恩恵にあずかることを拒否する者は、受難の人生を送ることになります。なぜなら大霊との連絡路を断つことばかりしているからです」

Saturday, November 11, 2023

シアトルの秋 人生の目的と背後霊の存在

 The purpose of life and the existence of a behind-the-scenes spirit 

秋の白樺湖(オリーブさん) | αcafe αの写真投稿サイト | ソニー さん

 ───地上生活の目的は何なのでしょうか。また、その目的を達成するための最も良い方法は何でしょうか。

 「目的は、物的身体に宿った霊にさまざまな体験をさせ、次の段階、つまり肉体の死後から始まる生活にそなえることです。地球という天体は学校です。そこで魂が勉強し、永遠の生命のカリキュラムの次の学年にそなえているのです。

 それを達成する最も良い方法は、地上の人間を構成している霊・精神・肉体の三位一体の機能を存分に発揮させることです。そうすることによって、その三つの次元の機能が一つに調和して働くのです。 



 また霊能を授かった人にとって大切なことは、その才能が花開き実が熟成するように、みずからの生活を規律正しくして、その才能を人のために使用することです」

───指導霊の役目について教えていただけませんか。過去のいくつかの〝前世〟の縁があった人たちでしょうか。それともある特殊な意図を持って、私なら私を選んで付くのでしょうか。

 「基本的には自分を役立てたいという欲求にそって、人間を選択します。そこには互いの関心事に親和性が存在します。それが前世で起きたことが縁となっていることもあります。いずれにせよ、何度も申し上げている通り、指導霊はみな地上人類のために何かをしたいという欲求から来ているのです。

 そのつながりは基本的には霊的なものであり、それから精神的なものとなります。達成すべき目標に関して共通性があるのです。言うまでもなく、指導霊と言う用語の通り、指導することが役目です。大霊によって監督指導を託された高級霊です」

シルバーバーチ

Friday, November 10, 2023

シアトルの秋 魂の奥に隠された黄金は、たたき砕かれてはじめてその光輝を発揮することになるのです。

 The gold hidden deep within the soul will only reveal its brilliance when it is crushed.

シルバーバーチ最後の啓示 スピリチュアルな言葉が教える“生きる”ことの喜び 新装版の通販/トニー・オーツセン/近藤 千雄 -  紙の本:honto本の通販ストア さん

 

───霊性開発につとめているのですが、一歩進んだかと思うと二歩後退しているように思えます。こういうものなのでしょうか。背後霊や私の母親は私に絶望しないかと心配なのですが・・・・・・ 

 「二歩後退しているというのは、どうして分かるのでしょうか」

───努力すれば努力するほど、人に与える印象がスピリチュアルでなくなっていくように思えるのです。

 「霊的な褒賞はそう簡単に得られるものではありません。もしも簡単に得られるものであれば、あえて得るほどの価値はないことになります。この道は石ころだらけの、進みにくい悪路の連続です。霊的摂理の関係上どうしてもそうならざるを得ないのです。

 考えてもごらんなさい。もしあなたが困難と悲哀と苦悶の体験をしなかったら、そういう逆境の中にいる人があなたのもとを訪れた時、あなたはどう対処なさるのでしょうか。

空は晴れわたり、太陽がさんさんと降りそそぎ、何の苦労もない毎日を送っているようでは、魂は目を覚ましません。困苦と難渋の中でこそ魂は目を覚ますのです。

  魂の奥に隠された黄金は、たたき砕かれてはじめてその光輝を発揮することになるのです。ダイヤモンドは最初からあの美しい姿で飾られているのではありません。もとは土塊と埃の中に埋もれていたのです。それが掘り起こされ、砕かれ、磨き上げられて、ようやくあの輝きを見せるのです。

  霊性も同じです。しごかれ、試されてはじめて発揮されるのです。鋼鉄と同じです。それ以外に方法はないのです。苦難を体験してはじめて霊の光輝と崇高性が発揮されるのです。

 ですから、困難を魂への挑戦課題として歓迎するのです。それが地上人生の目的なのです。もしも気楽で呑ん気な生活を送っていたら、内部に宿る素晴らしい霊性に気づかないまま生涯を終えることになります」