Wednesday, February 22, 2023

シアトルの冬 解説 霊的啓示の進歩  

  Commentary: Progress in spiritual revelation

 

 本書は原著者の「まえがき」にもある通り一九一三年から始まった本格的な霊界通信を四つの時期に分けてまとめた四部作の内の第一部である。

 「推薦の言葉」を寄せたノースクリッフ卿が社主を務める「ウイークリー・ディスパッチ」紙上に連載され、終了と同時に四冊の単行本となって発行されたのであるが、これとは別に、オーエン氏の死後、残された霊界通信の中から断片的に編集されたものが二編あり、それが一冊にまとめ第五巻として発行されている。

誰が編纂したのか、その氏名は記されていない。それは己むを得ないとしても、内容的に前四巻のような一貫した流れが無く、断片的な寄せ集めの感が拭えないので、今回のシリーズには入れないことにした。

 通信全体の内容を辿ってみると、第一巻の本書はオーエン氏の実の母親からの通信が大半を占め、その母親らしさと女性らしさとが内容と文体によく表れていて、言ってみれば情緒的な感じが強い。

がその合間をぬってアストリエルと名告る男性の霊からの通信が綴られ、それが第六章にまとめられている。地上で学校長をしていたというだけあって内容が極めて学問的で高度なものとなっている。

がそれも第二巻以降の深遠な内容の通信を送るための(オーエン氏の)肩ならし程度のものであったらしい。

 第二巻を担当したザブディエルと名告る霊はオーエン氏の守護霊であると同時に、本通信のために結成された霊団の最高指導霊でもある。が地上時代の身元については通信の中に何の手掛かりも出て来ない。

高級霊になると滅多に身元を明かさないものであるが、それは一つには、こうした地上人類の啓発のための霊団の最高指揮者を命ぜられるほどの霊になると、歴史的に言っても古代に属する場合が多く、例え歴史にその名を留めていても、伝説や神話がまとわりついていて信頼できない、ということが考えられる。

さらには、それほどの霊になると地上の人間による〝評判〟などどうでもよいことであろう。このザブディエル霊の通信の内容はいかにも高級霊らしい厳粛な教訓となっている。

 これが第三巻そして第四巻となると、アーネルと名告る(ザブディエルと同じ界の)霊が荘厳な霊界の秘密を披露する。

とくにイエス・キリストの神性に関する教説は他のいかなる霊界通信にも見られなかった深遠なもので、キリストを説いてしかもキリストを超越した、人類にとって普遍的な意義を持つ内容となっている。まさに本通信の圧巻である。


 さて近代の霊界通信と言えば真っ先に挙げられるのがステイトン・モーゼスの自動書記通信『霊訓』であり、最近ではモーリス・バーバネルの霊言通信『シルバー・バーチの霊訓』である。そして時期的にその中間に位置するのがこの『ベールの彼方の生活』である。

 内容的に見ると『霊訓』はキリスト教的神学の誤謬を指摘し、それに代わって霊的真理を説くという形で徹頭徹尾、文字通り〝霊的教訓〟に終始し、宇宙の霊的組織や魂の宿命、例えば再生問題などについては概略を述べる程度で、余り深入りしないようにという配慮さえ窺われる。それは本来の使命から逸脱しないようにという配慮でもあろう。


 これが『ベールの彼方の生活』になると宇宙の霊的仕組みやキリストの本質について極めて明快に説き明かし、それが従来の通念を破るものでありながら、それでいて理性を納得させ且つ魂に喜悦を覚えさせるものを持っている。もっともそれは、正しい霊的知識を持つ者にかぎられることではあるが。

 そしてシルバーバーチに至ると人間世界で最も関心をもたれながら最も異論の多い〝再生〟の問題について正面から肯定的に説き、これこそ神の愛と公正を成就するための不可欠の摂理であると主張する。ほぼ五十年続いた霊言に矛盾撞着は一つも見られない。

同時にシルバーバーチが〝苦難の哲学〟とでも言えるほど苦しみと悲しみの意義を説いているのも大きな特徴で、「もし私の説く真理を聞くことによってラクな人生を送れるようになったとしたら、それは私が引き受けた宿命に背いたことになります。

私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。それに敢然と立ち向かい、それを克服し、そして一層力強い人間と成って下さることが私どもの真の目的なのです」と語るのである。

 こう観て来ると、各通信にそれぞれの特徴が見られ、焦点が絞られていることが判る。そして全体を通覧した時、そこに霊的知識の進歩の後が窺われるのである。それをいみじくも指摘した通信が『霊訓』の冒頭に出ている。その一部を紹介する。


 『啓示は神より授けられる。神の真理であるという意味において、ある時代の啓示が別の時代の啓示と矛盾することは有り得ぬ。但しその真理は常にその時代の必要性と受け入れ能力に応じたものが授けられる。

一見矛盾するかに見えるのは真理そのものにはあらずして、人間の心にその原因がある。人間は単純素朴では満足し得ず、何やら複雑なるものを混入しては折角の品質を落とし、勝手な推論と思惑とで上塗りをする。

時の経過とともに、何時しか頭初の神の啓示とは似ても似つかぬものとなって行く。矛盾すると同時に不純であり、この世的なものとなってしまう。やがて新しき啓示が与えられる。

がその時はもはやそれをそのまま当てはめられる環境ではなくなっている。古き啓示の上に築き上げられた迷信の数々をまず取り壊さねばならぬ。新しきものを加える前に異物を取り除かねばならぬ。啓示そのものには矛盾は無い。

が矛盾せるが如く思わしめる古き夾雑物がある。まずそれを取り除き、その下に埋もれる真実の姿を見せねばならぬ。

人間は己れに宿る理性の光にて物事を判断せねばならぬ。理性こそ最後の判断基準であり、理性の発達せる人間は無知なる者や偏見に固められたる人間が拒絶するものを喜んで受け入れる。

神は決して真理の押し売りはせぬ。この度のわれらによる啓示も、地ならしとして、限られた人間への特殊なる啓示と思うがよい。これまでも常にそうであった。モーゼは自国民の全てから受け入れられたであろうか。イエスはどうか。パウロはどうか。歴史上の改革者をみるがよい。

自国民に受け入れられた者が一人でもいたであろうか。神は常に変わらぬ。神は啓示はするが決して押し付けはせぬ。用意の出来ていた者のみがそれを受け入れる。無知なる者、備えなき者はそれを拒絶する。それで良いのである。』


 今改めて本霊界通信を通覧すると、第一巻より第四巻へ段階的に〝進歩〟して行っていることが判る。それを受け入れるか否か、それは右の『霊訓』のとおり〝己れに宿る理性の光〟によって判断して頂く他はない。願わくば読者の理性が偏見によって曇らされないことを祈りたい。


 訳者としてはただひたすら、本通信に盛られた真理を損ねないようにと務めるのみであるが、次元の異なる世界の真相を如何に適切な日本語で表現していくべきか、前途を思うと重大なる責任を感じて身の引き締まる思いがする。が〝賽(さい)は投げられた〟のである。あとは霊界からの支援を仰ぐほかはない。

 シルバーバーチの言葉を借りれば〝受け入れる用意の出来た人々〟が一人でも多くこの霊界通信と巡り合い、その人なりの教訓を摂取して下さることを祈る次第である。 

 (一九八五年)
        
  新装版発行にあたって

「スケールの大きさに、最初は難解と思ったが繰り返し読むうちに、なるほどと、思うようになりました」こんな読後感が多数、寄せられてきた本シリーズが、この度、装いも新たに発行されることになり、訳者としても喜びにたえません。

    平成十六年二月
                           近藤 千雄
  
                       

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