シアトルの春 余計な一言
人間家業を随分と長くしながら、人間関係の難しさ会話の下手さにつくずくと驚くことが屡です。
多くの人という者は、身近な人が何かを言ったりしたりの些細な身の上話にも、忠告や説教をしてあげないといけない、とした責任感を持つ者ですね。
これは世代から世代へと、受け継がれてきた人間の責任感と言うものでしょうか。
そう思うほど人の間に、蔓延しています。
老婆心という言葉もありますね。
本来の老婆心の意味はへりくだった立場から、オファーするという意味のようにとれます。
なにはともあれ其の忠告とか、説教とかが相手のおかれた立場をよく理解しているのなら、めでたし、めでたしになるけれど、往々にして独りよがりの ”余計なお世話” であったりして人の感情を害することとなったりするケースがかなり多いですね。
ありきたりに片手間に言ってしまったり、自分の考えのお仕着せであるなら、言われた者は自分の ”五部の魂” を無視されたとてもいやな気持ちになります。
我々の人間嫁業の長い短いに関わらず、独りよがりが強く、押し付けがましく相手の立場に立った、思いやりに満ちた会話や関係を持つのが実に難しいと思う近頃です。要するに、自分を中心に言動しているのに、きずくことが無いと言うことですね。
と、申しますのも最近私がその様な経験をしたので、私も家人はもとより、人にその様な ”余計な一言” を言っていると知ったが故です。
今日もまた、修行の旅立ちといたしましょう。
Many people have a some sense of responsibility that is to be give to the advice to others.
This is from generation to generation has spread that the human sense of responsibility that has been handed down.
Advice or sermon whatever is a good understanding of the others that helps but your own idea is harming the feelings of people and will be a very unpleasant feeling.
In our life, it is really difficult to have a conversation and relationships filled with compassion.
Today also let's do the journey of my training.
拝見しながら、自らを振り返ったりしています。σ
ReplyDelete言葉は実に便利でありながら、怖いものでありますね。
思い切り善意に満ちた心構えをしておかないと
気がつけば傷つけたり傷つけられたりしてしまいます。
何年か前に人生の先輩から投げられた一言で傷ついた心を
未だに引きずっている自身を狭量だと思いつつ、
いつか和解の日が来るかしらと時折過る焦燥感が…。
失礼しました。
狭量という事でしょうか?
ReplyDelete人に言ってはいけない言葉は、忘れられることが無いのですよね。
言葉と言うものをもっともっと、追及して行きたいと思います。
心が多少なりとも澄んでいないと、分らない程に微妙ですね。