記録的晴天の幕が閉じ、雨雨雨のいつものシアトルの空模様となりました。
馴れとは不気味なもので、雨が普通のシアトルで晴天続きになると、何となく誰かの家に居候しているようにソワソワしたりしていました。
空が泣き出したら、何となくホッとしたり。
昨夕は複雑な雨雲に夕日が射し、赤紫じみた綺麗とも不気味とも神秘的とも表現の仕様もない空模様となりました。
自然の造詣とは見事なものですね。
雲がここにあって、こんな色をして、この光景と言うのは、過去にも未来にも一度なりとも同じであることはないのですものね。
私も娘も ”スゴーイ” とボヤーと見ていて写真を撮ることさえ忘れ果てていました。
ハロウィーンの化け物たちも、程なくやってくるときですし、冬もすぐそこですね。
ノースダコタ州にオイルブームが起きて久しく、広いアメリカでは「ホントー」位のあいずちで月日が流れてきました。
”ダコタ” その名からしても原住民の言語であるようだし、東海岸に行く時には車で行っても飛行機で行っても、延々とブラウンの土を見ながらの旅となります。
先カンブリア時代、すなわち約46億年前以降地殻変動がなかった土地ですって!
ノースダコタ州があるということは、同じような環境のサースダコタ州もあるのです。
地球が始まって以来こんな感じで、遥かなる未来もこんな感じで、と思えた土地がオイルブームとなり、沢山の人が押し寄せ其の地の様相は随分と異なってきたようです。
ここシアトルからも出稼ぎに行って「仕事はいくらでもあるよ」、と暖かい懐で戻ってきた家族もおります。
日本でもここからのシェールオイルを、沢山輸入すると言う記事が最近目に付きました。
これで世界経済の動きが変わっていくか行かないか知りませんけれど、採掘には環境汚染の問題があり、懸念している人たちが多いようです。
それでも核で汚染されるよりは、とりあえずよほどましなのではないかと思う昨今ですけれど。
兎に角、青い地球からの恩恵を丁寧に扱う技術が、優先的に開発されることを願っております。
太陽が沈みかけ、夕焼け空に変わるころ、庭仕事をしている私の頭の上をカラスたちが、ねぐらに帰るために移動し始めました。
秩序だった飛行はしていませんけれど、ここからもあそこからも一斉に飛び立ち、仲間たちと群れをつくり、ここかしこからやって来ては飛び去っていきます。
どうやってこの時間を知り、帰る場所を知っているのでしょうね。
私が心配しなくてもよい彼らの生態系があったとしても、毎日見る光景であったとしても、自然界は神秘に満ちています。
”おや?” 一羽が高い木の天辺に、座り込んでしまいましたよ。病気や怪我でなければよいのですけれど、、、
他の群れは、その木の界隈を相変わらず群れを成して飛びすぎていきます。
しばらくすると、また一段がやってきました。この一段は他の一段と違っていました。
天辺に止まっている一羽に、アタックした模様です。
「何しているの! 早くかえりなさいよ!」 とでも言ったのでしょうか。かなり手荒に殴ったか、蹴飛ばしたか噛み付いたかしたみたいですよ。
「痛いー」 と叫んだような、多少乱闘じみた様相もありましたけれど、やがて其の一羽も含めて何もなかったように皆で飛び去っていきました。
秋の日は、足早に暮れていきます。
やはり神秘的ですね。
日本の”かぼちゃ”はホクホクと美味しいですね。
”ホクホク” と表現しますよね。
英語でなんと言いますか?
アメリカの綺麗なオレンジ色のパンプキンは、ハロウィーンのお化けに使ったり、感謝祭の綺麗な飾り物になるけれど、日本のかぼちゃのように蒸かしたり、醤油で煮たりして美味しく食べられるものではありません。
パイやスープは美味しいのを作りますね。
随分前に、かぼちゃ風のパンプキンがグローサリー ストアー に在ったのを買ってみたら美味しくなかったので、その後忘れていました。
さいきん ”かぼちゃ” と銘打って売っていたのは日本の ”かぼちゃ” でした。
人々はパンプキンとかぼちゃを、区別して表現しているようです。
そうですよ。味が違います。
それでも家人たちは感動した様子もなく、「おいしかったよ」とだけ言いました。
娘が言うには、「アメリカ人にとってはパンプキンは、牛や豚の食べ物というコンセプトがあるので。。。。。。。。。。 」
「かぼちゃのこと言ってんのよ。」
「おいしかったよ」