Egoism is simply altruism taken in the wrong direction.
ここで別のメンバーが、たとえば悪を憎むためには当人が憎しみという要素を持っていることが必要となるのではないか、われわれは憎むということを学ぶべきだということにならないかといった趣旨のことを述べた。すると───
「私はそのような考え方はしません。私は悪とは同じエネルギーの用途を誤っていることだから許すべきではないという考え方をとります。あなたが悪い奴らと思っている人間は未熟な人間ということです。その人たちが表現しているエネルギーは成長と改善のためにも使用できるのです。
自分から〝悪人になってやろう〟〝利己主義者になってやろう〟と思って悪人や利己主義者になる人間はめったにいるものではありません。悪い人間というのは霊的成長における幼児なのです。聞き分けのない子供みたいなものです。
目に見え手に触れるものだけがすべてだと考え、従って物的世界が提供するものをすべて所有することによってしか自分の存在を主張できない人間なのです。
利己主義とは、利他主義が方角を間違えたにすぎません。善なるもの、聖なるもの、美なるもの、愛、叡智、そのほか人生の明るい側面だけに神が宿っているかに考える旧式の思想は棄てなければいけません。
神の表現をそのように限定すれば、もはや絶対神が絶対でなくなります。それは条件つきの神、限定された霊となります。絶対神の本質は無限、全智、全能、不可変、不易であり、それが法則となって絶え間なく機能しているのです。
神を、右手にナザレのイエスを従えて玉座に坐している立派な王様のように想像するのはそろそろやめなければなりません。それはもはや過去の幼稚な概念です。宇宙全体───雄大な千変万化の諸相の一つひとつに至るまで絶対的な法則が支配しているのです。神とは法則のことです」
この問答がサイキックニューズ紙に掲載されるとすぐに反響があった。(交霊会はいつも週末に催され、その記事はすぐに翌週に掲載された───訳者)
読者からの批判的な手紙が読み上げられるのを聞き終わったシルバーバーチはこう答えた。
「困りました。そうした方たちは永いあいだ神とは善なるものにのみ存在すると教え込まれてきているからです。神とは一個の人間、誇張された立派な人間であるかに想像し、人間から見て良くないもの、親切とはいえないもの、賢明でないものは所有してほしくないというにすぎません。
しかし神は人間的存在ではありません。法則なのです。それが全生命を支配しているのです。法則なくしては生命は存在しません。法則がすなわち霊であり、霊がすなわち法則なのです。それは変えようにも変えられません。
そこのところが理解できない人にとってはいろいろと疑問が生じるでしょうけど、成長と共に理解力も芽生えてきます。神が善なるものを与え悪魔が邪なるものを与えるという論法ではラチがあきません。ではその悪魔は誰がこしらえたかという、古くからのジレンマにまたぞろ陥ってしまいます」
シルバーバーチ
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