Thursday, July 6, 2023

シアトルの夏 真の宗教は大霊の子に奉仕することによって大霊に奉仕することです。

True religion is to serve the Great Spirit by serving the Son of the Great Spirit.

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「真の宗教は大霊の子に奉仕することによって大霊に奉仕することです。それには教会も司祭も牧師も聖なる書も――それによって奉仕の精神が植えつけられ同胞への愛を一段と強くすることにならないかぎり――必要ではありません。いつどこにいても人のために役立つことを心がけることです。同胞の荷を分かち合うのです。それが宗教です。

何度聞かれても、わたしは皆さんの多くが直観的に、ないしは理性と論理を通して理解しておられる、こうした単純な真理を繰り返すしかありません。わたしは(三千年前に地上を去って以来)これまでに霊界の高い界層で学んできた真理をお届けしているのです。すべての住民が実在を目(ま)のあたりにし、原因と結果の関係が瞬時にしてわかり、他の存在のために自分を役立てることが多い人ほど高級とされる、そういう世界からお届けしているのです。

そこでは地上で通用した仮面や偽装のすべてが剥(は)ぎ取られ、魂の正体が素っ裸にされ、長所と短所とがすべての人に知れてしまうのです。真価が知れてしまい、虚偽が存在せず、不公平が見当らない世界、そういう世界からわたしは来ているのです。貧乏人もいません。金持ちもいません。いるのは霊的に貧しい人と、霊的に豊かな人だけです。強者も弱者もいません。いるのは魂が強靭な人と、魂が虚弱な人だけです。

地上世界で有り難がられ崇められていたものすべてが過去のチリとなり果てたあとは、永遠の霊的実在のみが残り続けるのです」

そう述べてからシルバーバーチは、自分も宗教へ帰れという呼びかけはするが、それは萎びはてた教義や仰々しい儀式の宗教のことではなく、“人のため”の宗教へ帰れということだと説いてから、さらに――


「皆さんへのメッセージとしてわたしが何よりも強調したいのは、この新しい幕開けの時代に生きておられる皆さんには、大いなる貢献のチャンスがあるということです。地上界を見渡してごらんなさい。悲劇と絶望、悲哀と苦悩、涙にぬれた顔、顔、顔が見えるはずです。何とかしなければならない分野がいくらでもあることに気づかれるはずです。まだまだ無知がはびこっています。まだまだ権力の悪用が跡を絶ちません。改めなければならない偏見がいたるところに見受けられます。

飢餓に苦しむ人、飢え死にしていく人、食べすぎて病気になっている人、栄養失調で苦しむ人、こうした人が大勢いることに気づかれるでしょう。痛みに苦しめられて、内部の大霊の力を発揮できずにいる人が大勢いるのです。クリスチャンと名のる人のすべてが恥を知るべき(※)貧困と苦悩、人間の住居とは思えないあばら家が目に入りませんか。

また、地上世界も地上天国とすることができる――平和と豊かさに満ちた楽園となるための可能性を十分に秘めていながら、そこが利己主義の雑草で足の踏み場もなくなっているのです。

わたしたちは皆さんに奉仕への参加を呼びかけます。自分の利得損失を忘れ、霊的なものをこの世的な打算に優先させ、お一人お一人が生命の大霊の使者となっていただきたいのです。

お一人お一人が改善の仕事を引き継ぎ、快活さと楽しさとを忘れてしまった人たちにそれを取りもどさせ、涙を拭いてあげてその顔に笑みをもどしてあげ、無知と迷信と闘って正しい知識と置きかえ、暗黒を駆逐して霊的真理の光で照らし、心配・悲嘆・病気のすべてをなくして愛がすべてを支配する世の中にすべく、それぞれに努力していただきたいのです」


※――ここは、キリスト教では大聖堂のような豪華な建造物をこしらえ、それが近所の住民の日照を奪っているのに、その内部では聖職者が労働もせずに食うに事欠かない生活をしていることを念頭に置いて述べていることが、別の日の交霊会での霊言から察せられる。

最後に、こうした霊界通信の受け止め方について言及して――


「わたしたちは脅し文句で信じさせるような方法は採りません。あとの仕打ちが怖いから信じるというような、情けない臆病者にはしたくありません。反対に、各自の自我の内奥に神性が宿されている事実を自覚させ、それを少しでも多く発揮するように、言いかえれば霊的により高く向上して、より高度な真理と叡智とを身につけていただきたいと願っているのです。

今までに身につけたものでは物足りなく思うようであってほしいという言い方もできます。不満を抱くことからより高い知識を得たいという願望が生まれるからです。現状に満足する者はそこで進歩が止まります。満足しきれない者はより大きな自由を求めて葛藤するものです。

ですから、わたしは“理屈を言わずにただ信じなさい”とは申しません。“大霊から授かった理性を存分に使ってわたしを試しなさい。大いに吟味しなさい。そして万一わたしの言うことに下品なこと、酷(ひど)いこと、道徳に反するようなところがあったら、どうぞ拒否してください”と申し上げています。

またこうも申し上げています。“わたしたち霊団は皆さんが気高い生活、より立派な自己犠牲と理想主義に基づく生活をしていただきたいとの願望からメッセージを送っている以上、その教えには必ずや大霊による〈正真正銘〉の折り紙がつけられているはずです”と。

この大事業に直接たずさわっているわれわれが気をつけなければならないのは、かつては大変な啓示に思えたものが次第にごく当り前のことに思えてきて、そこに感動を覚えなくなることです。しかし、永いあいだ暗闇の中に閉じ込められていた者にとっては、ホンのわずかな真理の言葉でも目が眩むほどの感動的な光に思えることがあるのです。

そういう人をたった一人でも向上させ、喪の悲しみの中にいるたった一つの魂に慰めを与え、気落ちしているたった一人の人間に希望を与え、人生に疲れた孤独な人に生きる力を与えてあげることができたら、それだけで十分に価値ある仕事をしたことになるのではないでしょうか。

大言壮語をして俗受けを狙うのも結構です。が、その一方には、古い教義に縛られて身動きが取れなくなっていながら、魂の奥では自由を叫び求めている人がおり、そういう人たちにとっては大言壮語がかえって混乱と当惑と動揺を呼ぶことになることを忘れてはなりません。

わたしたちのメッセージはそういう人たちを意図したものなのです。それまでに到達できなかったものを得んとして努力する、その励みを与えてあげたいのです。しょせん真理とは次のより高い真理への踏み台にすぎないのです」

「本当にそうだと思います」と列席者の一人が述べると――


「わたしには確信があるからそう申し上げるのです。確信がなかったら申し上げません。しかしなおわたしは、謙虚な気持ちで改めてこう申し上げます――もしも幸いにしてこの霊媒の口を借りて語りかけることを許されているこのわたしの述べることの中に、皆さんの理性を反発させること、大霊の愛の概念と矛盾すること、愚かしいこと、知性を侮辱するようなことが出るようになったら、それはもう、このわたしの時代が終わったこと、つまりわたしの仕事が挫折したことを意味します、と。

とは言え、これまで何度となく申し上げてきましたように、わたしはこれまでにただの一度も、人間の魂が求める最高のものと矛盾するようなことは口にしていないと確信します。ひたすら皆さんの内奥の最高のものに訴えんとしてきているからです」

別の日の交霊会で霊団の仕事を次のように説いている。


「わたしたち霊団の仕事は、れっきとした目標をもったもの、意義のあるものを地上へもたらすことです。それは、一方においては厳然たる摂理の存在を証明することであると同時に、他方においては慰めを与え霊的知識を広めることでもあります。物理的法則を超えた霊的法則というものが存在することを明らかにすることであると同時に、宇宙の大源である“霊”の真理を明かすことでもあります。

そうした仕事の前に立ちはだかるものとして、途方途轍もない“誤った概念”があります。何世紀にもわたって引き継がれてきたものを解体しなければなりません。“教義”を土台として築き上げられた間違いだらけの上部構造を破壊しなければなりません。

わたしたちは物質の子等がいかにして魂の自由を獲得し、いかにして霊的真理の光に浴し、いかにして教義の足枷を解きほどくかをお教えしたいと思っているのです。もとよりそれは容易な仕事ではありません。なぜなら、いったん宗教の虚飾に目を奪われたら最後、霊的真理の光がその厚い迷信の壁を突き通すまでには大変な時間を要するものだからです。

そこでわたしたちは霊的真理の宗教的意義を解き明かすことに努力します。地上世界にその霊的意義の理解が行きわたれば、戦争や流血による革命よりはるかに強大な革命が生まれます。

それは魂の革命となるでしょう。そして世界中の人間が霊的存在としての当然の権利、すなわち霊としての自由を満喫する権利を主張するようになることでしょう。それまで足枷となっていた無用の制約が取り払われることでしょう。

あなた方はその先駆者(パイオニア)なのです。道を切り開き、障害を取り払い、後から来る人たちが楽に通れるようにしてあげるのです。本来ならそれを援助すべき立場にある者(既成宗教の聖職者)が霊的無明ゆえに敵にまわっております。が、それは自らを破滅へ追いやる行為です。

わたしたちが忠誠を尽すのは一個の教義でもなく、一冊の書物でもなく、一つの教会でもなく、生命の大霊とその永遠の摂理なのです」


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