Monday, July 31, 2023

シアトルの夏 インペレーターの霊訓 訳者まえがき

More Spirit Teachings 
    by W. S. Moses
インペレーターの霊訓 霊訓 続 新装版の通販/W.S.モーゼス/近藤 千雄 - 紙の本:honto本の通販ストア


 本書は英米をはじめとする西洋各国で〝スピリチュアリズムのバイブル〟と呼ばれて百年以上もロングセラーを続けている『霊訓』の続篇である。
 正篇は昭和十二年に浅野和三郎の抄訳によって本邦に紹介され、このたび(六十年)潮文社からその復刻版が発行されている。それとほぼ時を同じくして私による完訳版が国書刊行会から出ている。

 『霊訓』の第一の特徴はキリスト教の牧師だったステイントン・モーゼスと、紀元前に地上生活を体験したという身元不明の霊との熾烈な論争という形で霊的真理が説かれていることである。主としてキリスト教の教義がその論争のテーマとなっているために、読者の側にキリスト教に関する基礎的知識が要求される点が、本書を西洋人にくらべて東洋人にどこか取っつきにくくしている事実は否めない。しかし、キリスト教を熱烈に信仰し、自らもそれを説き聞かせる職にあるモーゼス(のちに辞職して教師となる)の手がひとりでに動いて綴った文章(自動書記通信)が自分の信仰と真っ向から対立する内容であり、そのことに悩み、苦しみ、それに反論し、かくして〝目に見えざる存在〟との論争をえんえん十年間も続けながらまったく正常な人格者であり続けたという事実が、この五感の世界以外に知的で理性的で愛を知る存在が実在していることを何よりも雄弁に物語っているといえよう。

 その熾烈な論争──一時は霊側の総引き上げという形での決裂寸前にまで至ったほどの遠慮容赦のない激論を闘わせながら、モーゼスの側はあくまでも真摯な真理探究心を、霊側は真実の光明へ導かんとする温かい愛を最後まで失っていないところが、本書が稀有の価値を与えていると私は考えている。

 私はこれを一日数時間、ほぼ三百日をかけて完訳したのであるが、その間、訳者としての立場を忘れて思わず情的にその内容に巻き込まれ、感涙の流れるに任せざるを得なかったことが何度あったか知れない。今でも心が落ち着きを失いかけた時は必ず繙(ひもと)くことにしているが、その度に勇気百倍、生きる意欲を鼓舞される『シルバーバーチの霊訓』『ベールの彼方の生活』と並んでこれを私が〝英国の三大霊訓〟の一つに数えるのはそのためである。

 さて、この続編はモーゼスの死後、恩師である医師のスピーア博士 S・T・Speerの夫人が、博士宅で催された交霊会(自動書記は自宅の書斎で、交霊会は博士宅で行われた。博士一家との縁については巻末「解説」を参照されたい)の筆記録の中から、ぜひとも公表すべきであると思われるものを選んで心霊紙 Light に掲載し、それにモーゼス自身が同じ心霊誌に発表していた記事の中から参考になるものを精選して、それといっしょに一冊にまとめたものである。

 本書の特徴は、正篇が自動書記通信だけで構成されているのに対して、霊言現象による通信が紹介されていることである。霊言と自動書記の違いは、霊言が霊媒の発声器官を使用し自動書記が霊媒の腕を使用するという形の上から言えばそれだけのことであるが、表向きは単純のようで裏面の原理はそれぞれに何種類もあって複雑である。


 そもそも霊界通信なるものの入手方法は右の霊言と自動書記の外にもう一つ、幽体離脱によって霊界を探検したり指導霊からじかに教わったものを持ち帰って綴る、あるいは語る、という方法がある。これはいわば霊界旅行記であるが、霊言や自動書記に於いて霊が行っている役割を自分が行う──いうなれば一人二役をするだけのことで、原理的には右の二つと同じである。

 この場合でも本人の目には見えなくても大勢の背後霊が陰から指導し援助し、又危険から守ってくれている。この道の第一人者ともいうべき A・J・デービスは自分は霊の力を一切借りずに全部一人でやっているようなことを述べているが、これはただ自分でそう思っていただけで、実際には陰から指導と援助と保護を受けていたのである。本書の中でも通信霊の一人が、それには例外はないと断言している。

 このことは地上と霊界との関係に限ったことではなく、霊界に於ける上層界と下層界との関係においても同じである。『ベールの彼方の生活』の通信霊アーネルが部下とともに暗黒界を探検し、その間ずっと自分達だけでやっていたと思っていたのが、帰還して見ると、悉く上層界からの指示と加護を受けていたことを知る、という経緯が述べられている。

 その点『私の霊界紀行』(潮文社)のスカルソープ氏は自分の行動はすべて背後霊団によって準備され案内され守られていると述べていて、デービスと対照的に実に謙虚である。見かけのスケールは小さいが、霊的には非常に高い、あるいは深いことを述べていて、信頼度は抜群であると私は見ている。

 他に有名な人としてはスェーデンボルグが挙げられるが、実際に見たものを無意識のうちに潜在的な観念によって歪曲している部分が多すぎて、私はあまり、というより、ほとんど価値を見出せずにいる。とくに初心者には妙な先入観念を植えつけられる危険性さえある。

 この霊能において肝要なのは、異次元の世界で見たものをどこまで生のまま三次元の言語で表現できるかであって、その純度が価値を決定づける。そこに背後霊団の援助と霊能者本人の霊格の高さが要求されるわけである。なおこの体外遊離現象はモーゼスも体験していて、わずかではあるが第三部で紹介されている。

 次に霊言現象の原理であるが、これには四種類ある。
(一)直接談話現象──これはエクトプラズムという特殊な物質によって人間の発声器官と同じものをこしらえ、それを霊が自分の霊的身体の口を当てがってしゃべる現象である。空中から聞こえる場合は肉眼に見えないほど稀薄な物質でこしらえてある場合で、メガホンから聞こえる場合は、そのメガホンの中に発声器官がこしらえてある。

(二)霊媒の発声器官を使用する場合──ふつう霊言現象というのはこれを指す場合が多い。この場合は霊媒の潜在意識(精神機能)の中の言語中枢を使用するので、霊媒自身の考えによって影響されないだけの訓練が要請される。モーリス・バーバネルを通じて五十年にわたって霊言を送って来たシルバーバーチ霊は、その為の訓練をバーバネルが母体に宿った瞬間から開始したという。

(三)リモコン式に操る場合──シルバーバーチのように霊媒の身体を占領するのではなく、遠距離から霊波によって操る。原理的にはテレビのリモコンやオモチャのラジコンと同じである。霊視するとその霊波が一本の光の棒となって霊媒とつながっているのが見られる。

(四)太陽神経叢を使用する場合──みぞおちの部分にある神経叢が心霊中枢の一つとなっていて、そこから声が出てくる人がいる。また、なぜかこの霊能を持つ人がほとんど決まって米国のナイヤガラ瀑布の近辺の出身か、そこで修業した人であるという事実も興味深い。

 次に自動書記現象の原理であるが、これには大きく分けて三種類、細かく分けると四種類ある。

(一)ハンドライティング──霊が霊媒の腕と手を使用する場合で、これはさらに二種類に分けることが出来る。
 ①霊媒の腕を直接使用する場合、ふつう自動書記と言えばこれをさす。モーゼスの場合もこれである。
 ②リモコン式に操る場合、霊言の場合と同じで、霊波によって霊媒の言語中枢と筆記機能とを操作する。

(二)ダイレクト・ライティング(直接書記)──紙と鉛筆を用意しておくと、いきなり文章が綴られる。
ストレートライテングもこの部類に入る。多量のエネルギーを必要とするので、長文のものは困難で、簡単なメッセージ程度のものが多い。

(三)インスピレーショナル・ラィテング(霊感書記)──霊感で思想波をキャッチすると自動的に手が動いて書く。原理的にはふだんわれわれが考えながら書くのと同じで、ただその考えがインスピレーション式に送られてくるというだけの違いである。オーエンの『ベールの彼方の生活』がこの方式によって綴られている。

 さて、本書の第一部は最高指導霊のインペレーターをはじめとして、他に数人の霊による霊言が集められている。そのインペレーターの言葉に、「私はいま皆さんからはるか彼方にいます」とあることから、その時はリモコン式にメッセージを送っていたことが推察される。それでもインペレーターが語る時は交霊会の部屋に厳かさと力強さが漲ったという。そのインペレーターが冒頭で紹介している霊団の組織と役割分担についての説明は非常に興味ぶかい。

 第二部は、自動書記による通信で正篇に盛られていないものの中から、スピーア夫人が是非ともと思うものを選び出したもので、正篇を補足する形になっている。
 注目すべきこととしては、ここで初めて〝再生〟の問題が取り上げられていることで、多くは語っていないがインペレーターがそれを肯定する立場から含蓄のあることを述べている。私の推察では、この再生問題はインペレーター霊団の役目の中に予定されておらず、いずれ、ほぼ半世紀後にシルバーバーチ霊団が再生説を基本概念とした霊的進化論を説くことになっているという、全体の予定表が出来ていたのであろう。

 第三部はモーゼス自身をテーマとして、先ず他界後、心霊誌ライトに載った追悼の言葉、続いて交霊会で起きた珍しい物理現象、さらに、入神中の体外遊離体験、そして最後に、生前モーゼスがライト誌に投稿した記事の中から興味深いもの、参考になるものを抜粋して紹介している。

 モーゼスの人となり、及びスピリチュアリズムに関する見解を知る上でそれが非常に参考になるが、私はそれをさらに補足する目的で、ナンドー・フォドーの《心霊科学百科事典》から<ステイントン・モーゼス>の項目を全訳して巻末に紹介した。その内容がそのまま『霊訓』ならびに霊媒としてのモーゼスの解説となっているからである。インペレーターを初めとする背後霊団の地上時代の身元についての調査資料も一般の読者の方には興味ぶかいテーマであろう。

 なお第一部の構成者(編者はスピーア夫人であるが本書の構成者は別人である。名前は公表されていないが、多分当時のサイキック・ニューズ社のスタッフの一人であろう)が〝はじめに〟の中で述べているように、本書に収録されたものは断片的に抄出したものであって内容に連続性がない。そこでその〝断片〟の合間に正篇から抜粋を挿入して、理解を深める上で参考となるように私なりの配慮をした。時には長文に及ぶものもあるが、読者はいちいち正篇を繙く手間が省けるであろう。

 また場合によっては内容の重大性に鑑みて、『シルバーバーチの霊訓』や『ベールの彼方の生活』からも抜粋して紹介してある。要するに私は本書を英国のいわゆる〝三大霊訓〟のダイジェスト版のようなものに仕上げたつもりである。

 今後ますます霊的なものが輩出することが予想される日本に於いて、その真偽の判断の拠り所として、こうした時代の荒波にもまれながら生き延びてきた、真の意味での聖典(バイブル)と言えるものをぜひとも座右に置いておく必要があると考えるのである。

 初めに紹介した霊言現象および自動書記現象による霊からのメッセージの入手方法の原理と合わせて、霊についての正しい常識と知恵を身に付けていただくことになれば幸いである。

 最後にひとこと、翻訳の文体について述べておきたい。この『霊訓』の原文は正続ともに古めかしい文体で書かれており、それは霊言の場合でも同じである。そこで国書刊行会からの完訳版ではなるべくそれを訳文に反映させるように工夫したために古い堅苦しい文体となったが、本書では霊言が主体となっていることも考慮して、思い切って現代文で表現してみた。インペレーター独特の重厚味が欠ける憾みがなきにしもあらずであるが、広く現代の読者に読んでいただくためにはこの方が親しみやすくて良いと判断した次第である。
  一九八七年六月
                                        近藤千雄
 


Sunday, July 30, 2023

シアトルの夏 相互扶助の尊さを讃える祈り

  A Prayer Praising Human Divinity 

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シルバーバーチの祈り

         

 神よ、私たちはあなたの真理、あなたの叡知、あなたの愛、そしてあなたの永遠なる自然法則の理解を広めるために、力のかぎりあなたの忠実な子供たらんと願っている者でございます。

地上のあなたの子等にあなたの無限の機構の中における存在価値を理解させること──真の霊的自我を見出し、暗黒と、怒りと、憎しみに満ちた世界にあって、あなたから授かった力を発揮するように導いてあげることを願いと致しております。

私たちは霊的実在についての単純素朴な真理──正義と権利と善と美の永遠の基盤であるところの真理を説かんと致しております。

道を見失える者、いずこにあなたを見出すべきかを知らずに迷える者に対しては、あなたが彼ら自身の中に存在すること、あなたの無限なる霊がみずからの存在の内部にあること、まさしく天国は彼らの心の中にある──よろこびと幸せの国、叡智と悟りの国、寛容と正義の国は自分の心の中にあるという事実を教えることを目的と致しております。


 私たちは悲しみに暮れる人々、人生に疲れた人々、病める人々、困窮せる人々、肉親を失ったまま慰めを得られずにいる人々、いずこに導きと英知を求めるべきかを知らずにいる人々に近づき、あなたがその人々を決してお見捨てになったのではないことを教えてあげたいと願っている者でございます。

私たちの使命は地上のすべての地域とその住民に一切の分け隔てなく行きわたっております。

あなたの霊は人間界のすみずみまで流れ、雄大なる宇宙のあらゆる現象に現れ、意識的存在のすべてに顕現されていると認識するゆえにございます。

その事実を認識することによって新たな安らぎが得られ、それは、ひいては人間の心と魂と精神を鼓舞してお互いがお互いのために生きる意欲を誘い、あなたの子のすべてに分け隔てなく奉仕することによってあなたに奉仕することになることでございましょう。

Friday, July 28, 2023

シアトルの夏 霊力とはどんなものでしょうか。

What is spiritual power?

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古代霊  シルバーバーチ不滅の真理

 
 「霊の力は目には見えません。人間界で用いられているいかなる計量器でも計れないものです。長さもなく、幅もなく、高さもなく、重さもなく色もなく、容積もなく味もにおいもありません。

ですから常識的な地上の計量法でいけば霊力というのはこの世には存在しないことになります。つまり実在とは五感で捉えられないものと決めて掛っている唯物的自然科学者とっては、霊力は存在しないことになります。

 しかし、愛は目に見えず、耳にも聞こえず、色もなく味もなく寸法もないのに、立派に実感があります。それは深い愛の感動を体験したものが証明してくれます。確かに愛の力は強烈です。しかし、霊の力はそれよりも無限大に強烈です。

 あなた方が生き、呼吸し、考え、反省し、判断し、決断を下し、あれこれと思いをめぐらすのも、霊の力があればこそです。物を見、音を聞き、動き回り、考え、言葉をしゃべるのも、霊の力があればこそです。あなた方の行動のすべて、存在のすべては霊の力のお陰です。

物質界のすべて、そしてその肉体も、生命力にあふれた霊力の流入によって、存在と目的と指針と生活とを与えられているのです。

 物質界のどこを探しても、意識の秘密は見つかりません。科学者、化学者、医学者がいくら努力してみたところで、生命の根源は解明されません。それは物質そのものの中には存在しないからです。物質は、それが、一時的に間借りしている宿に過ぎません。

 霊の力は、あなた方が〝神〟と呼んでいるもの、そのものなのです。もっとも、その神を正しく理解していただけないかもしれませんし、誤解してその意味を限定してしまっておられるかもしれません。ともかくその霊力が、かつては火の固まりであったものを今日ご覧になっておられるような生命あふれる緑の地球にしたのです。

 その霊力が土塊から身体をこしらえて、それに生命を吹き込んだのです。魂がまとう衣服です。地上のあらゆる生命を創造し、自然界のあらゆる動き、あらゆる変化を支配し、四季を調節し、一粒の種子、一本の植物、一輪の花、一本の樹木の成長にまで関与している力、要するに千変万化の進化の機構に全責任を負っているのが、霊力なのです。

 それが雄大であるゆえんは、物質界に限られていないところにあります。すなわち無数の物的現象を通じて絶え間なく働いているだけでなく、見えざる世界の霊的活動のすべて、今のあなた方には到底その存在を知ることのできない、幾重にもつながった高い界層、そしてそこで展開する、これまたあなた方の想像を絶した光輝あふれる生命現象に至るまで、その霊力が支配しているのです。

 しかし、いかに雄大であっても、あるいは、いかにその活動が驚異的であるといっても、それにも制約があります。すなわち、それが顕現するには、それが適した器、道具、霊体、通路、霊媒───どうお呼びになっても構いません───そうしたものが無ければならないということです。

壮大な霊の流れも、そうしたものによる制約を受けるのです。地上にどの程度のものが流れ込むのかは、人間側が決定づけるということになります。

 私がつねづね、心配の念をはらいなさい、自信を持ちなさい、堅忍不抜の精神で生きなさい。神は絶対にお見捨てにならないから、と申し上げてきたのは、そうした雰囲気、そうした条件のもとでこそ霊力が働きやすいからです。

地上的な力はいつかは衰え、朽ち果てます。人間が築く王国は儚いものです。今日は高い地位にいても、明日は転落するかもしれません。

 しかし霊の王国は決して滅びることはありません。霊の尊厳は不変です。神の力は決して衰えません。ただし、その働きの程度を決定づけるのはあなた方であり、現にいつも決定づけております。

 スピリチュアリズムを少しばかりかじった人は、よく、なぜ霊界の方からこうしてくれないのか、ああしてくれないのかと文句を言うようですが、実際には、そうしたことを言う人ほど、霊界からそうしてあげるための条件を整えてくれないものです。

 この苦悩に満ちた世界、暗闇と不安におおわれた世界にあって、どうか皆さんには灯台の光となっていただきたい。あなた方の自信にあふれた生きざまを見て人々が近づき、苦悩の最中における憩いの場、聖域、波静かな港を発見することが出来るようにしてあげていただきたい。

皆さんはそういう人たちの心の嵐を静め、魂の静寂を取り戻してあげる霊力をお持ちなのです」

Thursday, July 27, 2023

 シアトルの夏 人間の神性を讃える祈り 

 A Prayer Praising Human Divinity

シルバーバーチの祈り―祈りの先にあるもの | 千雄, 近藤 |本 | 通販 | Amazon



神よ、私たちはあなたの永遠の真理、あなたの無限の力、あなたの不変の摂理の生き証人でございます。

あなたの聖なる御業であるところの大自然のパノラマの中に、私どもはあなたの神性の顕現を拝しております。

私どもは昇りゆく太陽の中に、沈みゆく太陽の中に、夜空のきらめく星の中に、大海の寄せては返す潮(うしお)の中に、そよ風とその風に揺れる松のそよぎに、やさしい虫の音に、澄み切った青空の中に、そのほか移り変わる大自然のあらゆる営みの中に、あなたを見出すことができます。

また、あなたは生きとし生けるものすべてに宿る霊の中にみいだすことができます。

人間においてそれは意識を有する個的存在として顕現しております。

あなたとともに宇宙の限りなき創造の大業に携わらしめるために人間をその高き段階へとお引上げくださったのでございます。

あなたは人間にあなたの聖なる属性を数多くお授けになりました。

人間はその霊的資質を有するが故の当然の成り行きとして、物的生命を越えた精妙なる力、すなわち霊力を知覚せしめるところの霊的能力を有しております。

人生を営むことを可能ならしめているものは、その霊力にほかなりません。

人間を全創造物から超脱せしめているものもその霊力にほかなりません。

思考をめぐらし、判断を下し、反省し、決断し、美に感嘆し、美を賞美し、叡智を授かり、その真価を悟り、知識を獲得し、それを大切にする能力も、霊力あればこそでございます。

より高き世界からのインスピレーションを感受せしめるのも霊力でございます。

人生の重荷に耐えかねている者のもとへ赴くことができるのも霊力あればこそでございます。

霊の世界の存在を知覚し、その世界の居住者が人間をより広き奉仕的行為のために使用せんとしている事実を認識することができるのも、霊の力ゆえでございます。

果てしなき宇宙の大機構の中に置かれた己の位置を理解せしめるのも霊の力でございます。

私たちは人間にそうした本来の役割を成就せしめるものについての知識、死後に赴く世界にふさわしきものを身につけさせるものについての知識を広めんと希望している者でございます。

そうなってはじめて人間は、いま目を曇らせている暗闇をみずから払いのけることを得ることでございましょう。

そうなってはじめて叡智と真理と悟りと平和と調和の中に暮らせるようになることでございましょう。

そうなってはじめて同胞があなたとの真のつながりと生きる目的、そして人間が死と呼ぶ扉の向こうに待ち受けている、より大きな生命の世界の存在を理解する上で力となることができることでございましょう。


Wednesday, July 26, 2023

シアトルの夏 宇宙創造の目的

Purpose of creating the universe

Silver Birch Companion by Tony Ortzen - Paperback - from Discover Books  (SKU: 3756079046)

 

 霊的教訓の真髄は確かに単純素朴かもしれないが、すべての人間がそれだけで満足するかというと、そうはいかない。ある日の交霊会で〝宇宙が創造された目的は何か〟という難しい質問が出された。その質問者は具体的にまずこう訊ねた。


───人間は徐々に進化を重ねて、究極的に大霊の中に吸収されてしまうのであれば、なぜ人間を創造する必要があったのでしょうか。

 「私は、人間が最後は大霊に吸収されてしまうという説をとっているわけではありません。いつも申し上げているように、私は究極のことは何も知りません。始まりのことも知りませんし、終わりのことも知りません。

 私に言わせれば〝存在〟はいつからということはなく、いつまでということもなく、いつまでも存在し続けます。地球上の全生命が他の天体の生命と同じように霊の世界を通過して絶え間なく進化し、意識が完全性を目指してゆっくりと上昇して行きつつある状態が〝存在〟です。

 その意識なるものがいつ芽生えたかについても私は何も知りません。いつ完全の域に達するかについても知りません。私には完全とか吸収(寂滅)とかの時が来るとは思えません。

なぜなら、魂というものは霊性を高めて向上するにつれて、言いかえれば、過去の不完全性の不純物を払い落とすごとに、更に大きな進歩の必要性を自覚するものだからです。

進化すればするほど、なお進化すべき余地があることに気づくものです。高く登れば登るほど、その先にはまだ登らねばならない高いところがあると知ることの連続です。

 私の考え方は、大霊の一部である意識の、生活の中における開発と発展に主眼を置いています。この意識なるものは、私の知る限り無窮の過去から常に存在してきたものですが、それがさまざまな形態を通して顕現し、その表現を通して絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現していくのです。

 これまで、ありとあらゆる生命現象を通して顕現してきて、今なお顕現し続けております。いま人間という形態で表現している意識も、かつては動物・鳥類・魚類・植物その他の生物と、無生物と呼ばれているもの全てを通して表現されてきたのです。

これからも進化と成長を続け、発展し、拡張し、神性を増し、物質性を減らしていきます。それが創造の全目的です。大霊の一部である意識が、千変万化の形態を通して絶え間なく顕現していくということです。

 そのことに加えて、私は是非次のことを申し上げておきたいと思います。それは人間の存在を創造の大事業と切り離す、あるいは、縁のない存在として考えてはならないと言うことです。

なぜなら人間もその創造活動に参加しているからです。創造的エネルギーが人間を通して働いているのです。あなたの人生、あなたの努力、あなたの葛藤が、無限の創造活動に貢献するということです。

 一つ一つの生命がそれなりの貢献をしております。その生命が高級になればなるほど、つまり愛他性を増し、排他性を減らすにつれて、変化に富んだ創造の世界に美しさを加えてまいります。

画家や音楽家や詩人だけが、美への貢献をしているのではありません。あらゆる生命が───そのつもりになれば───美をもたらすことが出来るのです」


 創造の問題は必然的にバイブレーション(波動・波長・振動)の問題となる。


───スピリチュアリズムでは〝バイブレーション〟という用語が良く使用されますが、これを分かり易く説明していただけませんか。

 「生命のあるところには必ず運動があり、リズムがあり、鼓動があり、バイブレーションがあります。生命は活動せずにはいられないのです。静止したり惰性的になったりすることはありません。

生命には必ず運動が付随します。その運動を理解し、その意味を理解するには、まずその定義から始めなければなりません。

 私がバイブレーションという時、それはエネルギーの波動となって顕現している生命のことで、無数の生命形態ないしは現象の一つを指しております。

存在するものは全て振動(バイブレード)し、何かを放射し、活動しております。私たちがこうして地上へ働きかけることが出来るのも、バイブレーションのお陰です。

 私たちは、普段は物的感覚の領域を超えたバイブレーションの世界で生活しております。霊的エネルギー、霊的パワー、霊的現象は、ことごとく物質より感度の高い、微妙なバイブレーションから成り立っております。

 地上のように、物質に浸り切り包まれている世界と交信するためには、次の二つの方法のうちのどちらかを取らなければなりません。すなわち、人間の側がその低いバイブレーションを高めてくれるか、それとも私達霊側がその高いバイブレーションを下げるかです。

両方が歩み寄ればよいのでは・・・・・・誰しもそうお考えになるでしょう。ところが、どうして、どうして、なかなかそううまくはいかないのです。いつも私たちの方が遠路はるばるおりてこなければなりません。地上世界からの援助はそう多くは望めないのです。

 この霊媒(バーバネル)を使ってしゃべるためには、私は私本来のバイブレーションを下げております。その状態から抜け出て私本来の界へ戻る時は、その界にあった意識を取り戻すために、バイブレーションを加速しなければなりません。

このように全てはバイブレーションの操作によって行われるわけです。それを簡潔に説明するにはバイブレーションという用語しか見当たりません。

 それにしても、永いあいだ霊的な分野のことには一切耳を貸そうとせず、目を瞑って来た科学者が、今になって、物質の謎を解くカギはバイブレーションにあるという認識をもちはじめたことは、興味深いことです」

Tuesday, July 25, 2023

シアトルの夏 人生でいちばん大切なこと

most important thing in life
Amazon.co.jp: 古代霊シルバーバーチ不滅の真理―スピリチュアリズム珠玉の名編 : オーツセン,トニー, Ortzen,Tony, 千雄,  近藤: Japanese Books

 シルバーバーチの霊言には、一貫して説かれている珠玉の教えが幾つかある。その一つが〝人のために役立つことをしなさい〟という教えである。これをシルバーバーチは〝サービス〟という一語で表現することがある。〝リップサービス〟(口先だけのお上手や見せかけの好意) ではなく、日常生活の中での実のある親切がなかなか難しいものであることを知っていればこそ、そうした、まるで三歳の童子に説くような、簡単そうで実はなかなか実行できない素朴な教えを、繰り返し説くのである。

 シルバーバーチの交霊会はバーバネルの三十歳代に〝ハンネン・スワッファー・ホ-ムサークル〟の名称のもとに発足して、毎週一回、金曜日の夜に開かれていた。が、それも五十歳の声を聞く頃から二週間に一回、さらには月一回となり、七十歳代には不定期となっていった。

 が、交霊会に臨むバーバネルの態度は一貫して変ることがなかった。儀礼的なものは何もしない。応接間のソフア―に無造作に腰掛けると、メガネをはずし、グラスの水を飲み干してから、瞑目する。するとその顔の形相が巻頭のインディアンの肖像画そっくりに変貌し始める。

そして、鼻に掛ったいびきのような声を発しながら、何やらムニャムニャと一人ごとを言ったあと、「では始めることに致しましょう」と言って、インボケ―ションという〝開会の祈り〟の言葉を述べ始める。

時には
 「もう少し待って下さい。霊媒のトランス状態をもうすこし深めますので・・・・・・」 と言って静かにしていることもある。その意味するところ、極めて深長である。


 その日の交霊会も同じような要領で始まり、次第に〝サービス〟の大切さへと話が発展し、

 「いかなる分野の仕事にたずさわっていても同じことです。人に役立つことをするチャンスは決して見逃してはなりません」

と述べてさらにこう続けた。

 「私がこれまで皆さんにお教えしたかった教訓はそのことに尽きるのではないでしょうか。サービスこそ〝霊の正貨〟であること、それが霊の唯一の財産であること、それは天下の回り物であり、一人が独占すべきものではないということを理解していただこうと苦心してきたのです。

 知識には責任が伴います。このことを私は何度申し上げてきたことでしょう。責任とは、自分が手にした知識をタンスにしまい込んでいてはいけない───賢明にそして上手に使用するということです。

 霊の世界からこうして地上に戻ってくるのは、ただ単に皆さんを喜ばせるためではありません。死んだと思っていた人たちが別の世界で生き続けている事実を知ることによって魂が目を覚まし、生きる意欲を鼓舞され、それがひいては同胞のために役立つことをしたいという願望を抱かせることになることを望んでいるのです。

 それは何も、公開交霊会で大勢の聴衆を前にしてデモンストレーションをやったり、こうして家庭的な交霊会で少数の出席者を相手に語るといった形のものでなくてもいいのです。人さまのためになることをしてあげるチャンスなら日常生活に幾らでも転がっております。

高級界の神霊が地上人類に対して抱いている愛は、みなさんが日常生活において、本当に困っている人に手を差し伸べようとする時に抱く愛と同じものなのです。

 世の中を見回してごらんなさい。心の痛みに耐えている人、困り果てている人、悲しみに暮れている人、人生に疲れ、当てもなく戸惑っている人、信仰の基盤が揺さぶられ、今まで大事にしてきたものが全て無価値であることを知り、

しかもそれに代わる導きも手助けも希望も見いだせずにいる人、そういう人たちがいかに多いことでしょう。そういう人たちのために為すべきことがいくらでもあります。
℘26
 それとは別に信仰が足枷となっている人、教義やドグマ、儀式や慣習によって自らの牢獄をこしらえてしまっている人がいます。そういう人たちには、自由を見出す方法、魂の解放の手段を教えてあげないといけません。

 現在の地上には、正しい知識を手にした人による援助を必要としている人が無数におります。間違った信仰、盲目的信仰、迷信、独りよがり、商売根性にしがみついている人がいるかぎり、みなさんが活動する場があるということになります。

同じ大霊の子でありながら霊的真理について何も知らない人がいるかぎり、みなさんにも私たちにも、為すべき仕事があるということです。

 それこそが、私たちが使命と心得てたずさわっている仕事です。要するに真理を広めるということです。霊的真理に浴し、間違いと迷信、その背後の原因である無知によって生み出されている暗黒を打ち払わないといけません。

 その一方には、そうした仕事を阻止しようとする勢力がいます。昨日、今日の話ではありません。幾世紀にもわたって私たちに戦いを挑んできております。それを退治するのも仕事の一つです。

一時的には後退のやむなきに至ることはありますが、計画は着実に進歩し、反抗勢力は次第に勢力を失いつつあります。
℘27
 人間の魂は、いつまでも牢獄に閉じ込められたままでは承知しません。永遠に暗闇の中で暮らす者はいません。いつかは魂が光明を求めるようになります。神性を秘めた魂が、暗い沈滞状態に不快を覚えるようになります。自由を求めるようになるのです。

束縛された状態に嫌気を覚えるようになるのです。そうした段階に至った人たちのために、できるだけ多くの霊的真理を普及させる仕事を続けていないといけないのです。

 それが又、いつかは必ず受け入れられる日が来るとの信念のもとに、理想を掲げ続けなければならない理由でもあるのです。愚かな敵対者による蔑みの声も耳に入るでしょうが、そうしたものにも耐え抜かないといけません。

弱みを見せない限り、そんなものによって傷つくようなことはありません。相手にしないことです。いかなる相手にも憎しみを抱くことなく、全ての人に愛を持って、艱難を征服し、そして勝利しなくてはなりません。

 それが霊的教訓の基調なのです。最も大切な教えとして、しっかりと心に植え付けて置かないといけません。一冊の書物でもよろしい。優しい言葉一つでもよろしい。心強い握手でもよろしい。

不自由な身体の人の手を取ってあげることでもよろしい。心温まる贈り物を届けてあげるだけでもよろしい。サービスのコインはいつでも差し出せるように用意しておいてください」



 別の日の交霊会で、地上時代の名を聞かれたシルバーバーチは───

 「私は荒野に呼ばわる声(※)です。神の使徒以外の何者でもありません。私が誰であるかということに、いったい何の意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは、私の行為で判断していただきたい。

私の言葉が、私の誠意が、私の判断が、要するに今こうして人間界で私がたずさわっている仕事が、暗闇に迷える人々の心の灯火となり慰めとなったら、それだけで私はうれしいのです」


  ※───マタイ伝に出てくる、世に容れられない警世家のこと───訳者。

 シルバーバーチがインディアンでないこと、本来の高次元の世界と地上との間の橋渡しとしてインディアンの幽体を使用している高級霊であることまでは、われわれも知っている。

が、これまで、好奇心から幾度地上時代の実名を訊ねても、一度も明かしてくれていない。肩書よりも仕事の成果の方を重んずるのである。自分個人に対する賛美を極度に嫌い、次のように述べる。

 「私は一介の神の僕に過ぎません。今まさに黎明を迎えんとしている新しい世界での一役を担うものとして、これまで忘れ去られてきた霊的法則を蘇らせるために私を地上へ遣わした一団の通訳にすぎません。私のことを常に〝代弁者〟(マウスピース)としてお考えください。地上に根づこうとしている霊力、刻一刻と力を増しつつある霊団の声を代弁しているにすぎません。

 私の背後には延々と幾重にも連なる霊団が控え、完全なる意思の統一のもとに、一丸となって臨んでおります。私がこの霊媒(バーバネル)を使用するごとく、彼らも私を使用し、長いあいだ埋もれてきた霊的真理───それが今まさに掘り起こされ、無数の男女の生活の中で本来の場を得て行きつつあるところですが───それを地上の全土に広げんとしているのです」


───でも、あなたは私たちにとっては単なるマウスピースではなく、実在の人物です。
℘30
 「私は何も、この私には個性がないと言っているのではありません。私にもちゃんと個性はあります。ただ、こちらの世界では〝協調〟ということが大原則なのです。一つの大きなプランがあり、それに従って、共通の利益のために各自が持てるものを貢献し合うということです。

 身分の高い低いも関係ありません。差があるとすれば、それまでに各自が積み上げてきた霊的成長だけです。開発した霊的資質と能力とを自分より恵まれない人のために惜しみなく活用し、代わってその人たちも自分よりも恵まれない人の為に、持てるものを提供する。

かくして地上の最低界 (※) から天界の最高界に至るまで、連綿として強力な霊的影響力が行きわたっているのです」

 ※───地上の人間から見れば他界した人間はみんな霊界の存在と思いがちであるが、目に見えなくなったからそう思えるまでのことであって、波動の原理から言えば、相変らず地上的波動から抜けだせない者がいて、地上生活から持ち越した感覚、感情のままで生活を続けている。その種の霊を〝自縛霊〟という。

ここでいう〝最低界〟とはその種の霊が類をもって集まっている界層のことで、古くから〝地獄〟とか〝暗黒界〟とかいわれているのがこれに相当する。神や悪魔がこしらえたのではなく、波動の原理で自然に出来上っているもので、霊性が高まって波動が変われば、それ相当の界層へ行くことになる───訳者
℘31  

───地上もそういうことになれば素晴らしいことですね。

 「いずれはそうなるでしょう。神の意志は必ずや成就されていくものだからです。その進行を邪魔し遅らせることはできます。しかしその完成・成就を阻止することはできません」

 この件に関して別の日の交霊会で次のように述べている。

「これまで私は、あなた方の友として、守護者として、指導者として接してまいりました。いつもすぐ側に待機していること、私がいかなる霊格をそなえた存在であろうと、

それはあなた方人間との親密な接触を妨げることにならないこと、あなた方の悩みや困難に関心を抱き、出来うるかぎりの援助の手を差しのべる用意があることを知っていただきたいと思ってまいりました。
℘32
よろしいですか、私は確かに一方では永遠の真理を説き、霊力の存在を明かさんとしている教師的存在ですが、他方、あなた方お一人お一人の親しい友でもあるのです。あなた方に対して親密な情愛を抱いており、持てる力で精一杯お役に立ちたいと努力いたしております。

 どうぞ困ったことがあれば、どんなことでもよろしい。この私をお呼びください。もし私に出来ることがあれば、ご援助いたしましょう。もし私に手出しの出来ないことであれば、あなた方自らが背負わねばならない試練として、それに耐えていくための力をお貸しいたしましょう」


 さらに別の交霊会でもこう語っている。

 「これまでの長い霊界での生活、向上進化をめざして励んできた魂の修行の旅において私がみずから学んできたこと、あるいは教わったことは、すべて、愛の心をもって快く皆さんにお教えしております。神はそれをお許しくださっていると信じるからです。

 ではその動機とは何か───それは、私のこうした行為を通じて私があなた方のどれほど情愛を感じているか、いかにあなた方のためを思っているかを分かっていただき、そうすることによって、あなた方の背後に控えている力には神の意図が託されていること、霊の豊かさと実りを何とかしてもたらしてあげようとしている力であることを認識していただくことにあります。

要するに、あなた方への愛がすべてを動かし、神から発せられるその愛をあなた方のために表現していくことを唯一の目的と致しております。

 私たち霊団の者は、功績も礼も感謝もいっさい求めません。お役に立ちさえすればよいのです。争いに代わって平和を見ることができれば、涙にぬれた顔に代って幸せな笑顔を見ることができれば、涙と痛みに苦しむ身体に代わって健康な身体となっていただくことができれば、

悲劇をなくすことができれば、意気消沈した魂に巣食う絶望感をぬぐい去ってあげることができれば、それだけで私たちは、託された使命が達成されつつあることを知って喜びを覚えるのです。

 願わくは神の祝福のあらんことを。願わくは神の御光があなた方の行く手を照らし給い。神の愛があなた方の心を満たしたまい、その力を得て、代わってあなた方がこれまで以上に同胞のために献身されんことを、切に祈ります」

 このようにシルバーバーチは、自分自身ならびに自分を補佐する霊団の並々ならぬ情愛を、よく披歴する、盛夏を迎え、これで交霊界もしばし休会となる (※) 最後の交霊会で次のような感動的な別れの挨拶を述べた。

℘34
 ※───ここでは夏休みのことを言っており、これは人間界の慣習に従って休みとするだけであるが、それ以外にも霊界側の慣習に従って休会とする時期が二度ある。イースターとクリスマスである。これは人間界の、しかもキリスト教の慣習という認識が一般的であると思うが、シルバーバーチを始めとする信頼のおける高級霊の一致した意見として、

本当は霊界の高級神霊によって催される審議と讃仰の大集会が地上に反映したものだという。日本でいう春分から立夏、すなわち三月から四月にかけてと、立冬から冬至、すなわち十一月から十二月掛けての時期に相当するようである。

私個人の考えを言わせていただけば、神道の祝詞にある 「八百万の神たちを神集(かむつど)へに集い賜え、神議(かむはか)りに議り賜ひて・・・・」 とあるのは、これに類するものではないだろうか───訳者。

 「この会も、これよりしばらくお休みとなりますが、私たちは、無言とはいえ、すぐお側にいて、ひき続きあなた方に可能なかぎりのインスピレーションと力と導きをお授けいたします。

 一日の活動が終わり、夜の静寂を迎えると、あなた方の魂は本来の自分を取り戻し、物質界の乱れたバイブレーションを後にして、ほんの束の間ですが、本当の我が家へ帰られます。その時のあなたがは、私たちと共に、いつの日か恒久的にあなた方のものとなる喜びのいくつかを体験されます。

 しかし、これまでの努力のお陰で、こうして数々の障害を克服して語り合えるようになりましたが、ふだんは物質というベールによって隔てられております。でも霊的には、いついかなる時も身近にいて、情愛を持って力になってあげていることを知ってください。

私たちがお届けする力は、宇宙最高の霊力であることを心強く思って下さい。私たちは、最も身近で最も親密な存在であるあなた方のために尽くすことによって神に奉仕する僕に過ぎません。

 私のことを、ほんの一、二時間薄明かりの中でしゃべる声としてではなく、いつもあなた方の身の回りにいて、あなた方の能力の開発と霊的進化のために役立つものなら何でもお持ちしようとしている、躍動する生命にあふれた、生きた存在としてお考えください。

語る時にこうして物的感覚(聴覚)に訴える方法しかないのは、まだるい限りですが、私はいつも身近に存在しております。必要な時はいつでも私をお呼び下さい。私にできることなら喜んで援助致しましょう。私が手を差しのべることを渋るような人間でないことは、皆さんはもう、よくご存じでしょう。

℘36
 樹木も花も、山も海も、小鳥も動物も、野原も小川も、その美しさを謳歌するこれからの夏を満喫なさってください。神を讃えましょう。神がその大自然の無限の変化に富む美しさをもたらしてくださっているのです。

その内側で働いている神の力との交わりを求めましょう。森の静けさの中に、その風のささやきの中に、小鳥のさえずりの中に、風に揺れる松の枝に、よせては返す潮の流れに、花の香に、虫の音に、神の存在を見出しましょう。

 どうか、そうした大自然の背後に秘められた力と一体となるようにつとめ、それを少しでも我がものとなさってください。神はさまざまな形で人間に語りかけております。教会や礼拝堂の中だけではありません。予言者や霊媒を通してだけではありません。

数多くの啓示が盛りこまれている聖典だけではありません。大自然の営みの中にも神の声が秘められているのです。大自然も神の僕です。私はそうした様々な形───語りかける声と、声なき声となって顕現している神の愛を皆さんにお伝えしたいのです」


 こう述べたあと、最後に、これまでサークルとともに、そしてサークルを通して、世界中の人々のために推進してきた仕事における基本的な理念を改めて説いて、会を閉じた。

 「私は、あなた方の愛の絆によって一丸となるように、これまでさまざまな努力をしてまいりました。より高い境涯、より大きな生命の世界を支配する法則をお教えしようと努力してまいりました。

また、あなた方に自分と言う存在についてもっと多くを知っていただく───つまり霊的にいかに素晴らしく出来上っているかを知っていただくべく努力してまいりました。

 さらに私は、あなた方に課せられた責任を説き、真理を知るということは、それを人のために使用する責任を伴うことをお教えしてまいりました。宗教的儀式のうわべに囚われずに、その奥にある宗教の核心、すなわち援助を必要とする人々のために手を差し伸べるということを忘れてはならないことを説いてまいりました。

 絶望と無気力と疑問と困難に満ちあふれた世界にあって私はあなた方に霊的真理を説き、それをあなた方が、まず自ら体現することによって同胞にもその宝を見出させ、ひいては人類全体に幸福をもたらすことになる───そうあってほしいと願って努力してまいりました。
℘38
 私はかつて一度たりとも、卑劣な考えを起こさせるような教えを説いたことはありません。一人たりとも個人攻撃をしたことはありません。私は終始〝愛〟をその最高の形で説くべく努力してまいりました。

常に人間の理性と知性に訴えるよう心掛け、私たちの説く真理がいかに厳しい調査、探求にも耐え得るものであることを主張してまいりました。

 そうした私に世界各地から寄せられる暖かい愛の念を有難く思い、私の手足となって仕事の推進に献身してくださるあなた方サークルの方々の厚意に、これからも応えることができるように神に祈りたいと思います。

 私たちは間もなく会を閉じ、通信網を引っ込めます。ふたたびお会いできる日を、大いなる期待をもって心待ちに致しましょう。もっとも、この霊媒の身体を通して語ることを中止するというまでのことです。けっして私という霊が去ってしまうわけではありません。

 もしあなた方の進む道を、影がよぎるようなことがあれば、もし何か大きな問題が生じたときは、もしも心に疑念が生じ、そして迷いが生じた時は、どうぞそれらは実在ではなくて影にすぎないことを自分に言い聞かせて、羽根を付けて一刻も早く追い出してしまうことです。

 忘れないでください。あなた方はお一人お一人が神であり、神はあなた方お一人お一人なのです。この動的宇宙を顕現せしめ、有機的・無機物の区別なく、あらゆる生命現象を創造した巨大な力───恒星も・惑星も、太陽も月も生み出した力───物質の世界に生命をもたらした力

───人類の意識に神性の一部を宿らせた力───完璧な法則として顕現し、すべての現象を細大もらさず経綸しているところの巨大な力───その力は、あなた方が見放さないかぎり、あなた方を見放すことはありません。

 その力を我が力とし、苦しい時の隠れ場とし、憩いの場となさることです。そしていついかなる時も神の衣があなた方の身を包み、その無限の抱擁の中にあることを知って下さい。

 シルバーバーチとお呼びいただいている私からお別れを申し上げます。ごきげんよう」




Monday, July 24, 2023

シアトルの夏 人類は苦しみつつも、一歩一歩、光明へ向けて進化しております

 Humanity is evolving step by step towards enlightenment while suffering

白樺林イラスト/無料イラスト/フリー素材なら「イラストAC」


現代は、科学技術の進歩のおかげで、何秒も数えないうちに、ニュースが地球を一周する。何万キロも離れたところで起きたことが、ほぼ同時にテレビに映し出され、ラジオで報じられ、その日の夕刊に載る。問題なのは、そうした素晴らしい科学技術の恩恵を活用して報じられるニュースの大半が、暴力行為と悲惨な出来事ばかりだということである。

ところがシルバーバーチに言わせると、それでもなお、人類は進化しつつあるという。ある日、二人のゲストを迎えての交霊会で、そのことに言及してこう語った。


「地上世界は、たった一つの重大な原因によって、着実に改善されております。その原因とは、“霊の力”が働きかけているということです。霊力が注がれた場所、有能な道具(霊媒・霊覚者)を通して霊力が顕現したところには、必ずや霊的刷新の仕事が始まり、その仕事を通して物事の価値観が徐々に変わってまいります。

今からほぼ一世紀前(一八四八年のハイズビル事件)に始まった、大々的な組織体制のもとでの霊力の降下がなかったならば、地上世界はもっともっと深刻な事態に陥っていたはずです。潜在的な更生力が全世界に働きかけてきたからこそ、この程度で終わっているのです。

その潜在力も、最初はわずか数滴から始まりました。それが勢力を集めて小川となり、大河をつくり、海となって、今や枯渇する心配などみじんもない分量で地球を包んでおります。歴史の流れをすっかり変えております。人間生活の視野に革新をもたらしております。それは“霊”という要素、永遠に不変の要素が持ち込まれたからです。それなくしては人生は無意味ですし、不合理ですし、目的がないことになります。

科学・哲学・宗教・美術・倫理・道徳・音楽・文学――要するに人間生活の全分野において、人間は死を超えて生き続けるという事実の立証から生まれる“霊”の優越性の認識が、その意義の捉え方を変えてしまいました。時には後退のやむなきに至ったこともありますが、総体的には前進の一途をたどっており、人類は苦しみつつも、一歩一歩、光明へ向けて進化しております」

ゲストの一人「別の考え方として、もしもこの地球という天体が今よりずっと住み良い世界だったら、むしろ存在意義を失ってしまう――より高い界層へのトレーニングの場としての意味がなくなるのではないでしょうか。つまり、進歩を促す要素として、こうした苦難もなければならない……」


「その考えにも一理ありますが、元来人間というものは、いったん霊性に目覚めたら、つまり永遠の実在を垣間見て、微(かす)かであっても宇宙的計画の一端を知り、無限の宇宙機構の中で占める自分の位置を認識したら、大霊と同様、自分みずからも無限の個性を発揮していく永遠の生命を秘めた、無限の存在であることを知ります。それは言いかえれば、前途には永遠に続く進化の道があることを悟る――その頂点は永遠に見ることができない――行けども行けども登り坂が続く、ということです。おわかりでしょうか」

「よくわかります。でも……」と言って、なおも“大霊への帰一”という飛躍した意見を出した。そこでシルバーバーチが――


「話がずいぶん広遠かつ深遠なものになってまいりましたね。われわれは一人の例外もなく、大霊の一部です。あなたという存在全体が、そして、この宇宙間の全生命の総体が大霊を構成しています。生命の総体から離れて大霊の存在はありえないのです。

しかし、そう申し上げても、わたしにはそれを証明する手立てがない以上、いくらでも異論が出てくることでしょう。ですから、ここでは、ともかくわたしの言葉をそのまま受けとめていただくほかはありません。

進化の道は限りなく続きます。ここでお終(しま)いという究極がないということです。その点を理解してくだされば、究極における“神との合一”などというものはありえないことが納得していただけると思います。もしもあなたの個性のすべて――その肉体を通して顕現している小さな一部だけでなく、霊的存在としてのあなたのすべて――が完全の域に達することがあるとしたら、生命活動の計画が何のために案出されたのか、その合理的説明ができなくなります。

生命は永遠にして無限です。不完全な側面を一つまた一つと取り除きつつ、完全へ向けて絶え間なく努力していくのであり、その過程に“終局”はないのです」

「この機械化時代は人類の進化に役立っているのでしょうか。私にはそうは思えないのですが……」


「最終的には役に立ちます。進化というものを一直線に進むもののように想像してはいけません。前進と後退のくり返しです。立ち上がっては倒れるのくり返しです。少し登っては滑り落ち、次に登った時は前よりは高いところまで上がっており、そうやって少しずつ進化していきます。ある一時期だけを見れば、“ご覧なさい。この時期は人類進化の暗い汚点です”と言われるような時期もありますが、それは話のすべてではありません。ほんの一部です。

人間の霊性は徐々に進化しております。進化にともなって自我の本性についての理解が深まり、自我の可能性に目覚め、存在の意図を知り、それに適応しようと努力するようになります。

数世紀前までは夢の中で天界の美を見、あるいは恍惚たる入神の境地においてそれを霊視できたのは、ほんの一握りの者にかぎられていました。が、今や、無数の人がそれを見て、ある者は改革者となり、ある者は先駆者となり、ある者は師となり、死してのちも、その成就のために霊界から働きかけております。そこに進歩が得られるのです」

その点に関してはまったく同感です。進歩はあると思うのです。しかし全体として見た時、地球上が(機械化によって)便利になりすぎると、進化にとってマイナスになるのではないかと考えるのです」


「しかし、霊的進化がともなえば――あなた個人のことではなく人類全体としての話ですが――住んでいる世界そのものにも発展性があることに気づき、かつては夢にも思わなかった豊かさが人生から得られることを知ります。

機械化を心配しておられますが、それが問題となるのは、人間が機械に振り回されて、それを使いこなしていないからに過ぎません。使いこなしさえすれば、何を手に入れてもよろしい――文化・レジャー・芸術・精神と霊の探求、何でもよろしい。かくして内的生命の豊かさが広く一般の人々にも行きわたります。

その力はすべての人間に宿されているのです。すべての人間が大霊の一部だからです。この大宇宙を創造した力と同じ力、山をこしらえ、恒星をこしらえ、惑星をこしらえた力と同じ力、太陽に光を与え、花に芳香を与えた力、それと同じ力があなた方一人ひとりに宿っており、生活の中でその絶対的な力に波長を合わせさえすれば、存分に活用することができるのです」

「花に芳香を与えた力が、ヘビに毒を与えている、という観方もあります」


「わたしに言わせれば、それは少しも問題ではありません。よろしいですか。わたしは大霊があなた方のいう“善”だけを受けもち、悪魔が“悪”を受けもっている、とは申しておりません」

「潜在的には善も悪もすべて、われわれ自身の中に存在しているということですね?」


「人間一人ひとりが小宇宙なのです。あなたもミニチュアの宇宙なのです。潜在的には完全な天使的資質をそなえていると同時に、どう猛な野獣性もそなえております。だからこそ、自分の進むべき方向を選ぶ自由意志が授けられているのです」

「地球という惑星も進化しているとおっしゃいましたが、ではなぜ、霊の浄化のためになお苦難と奮闘が必要なのでしょうか」


「人間が無限の存在だからです。一瞬の間の変化というものは生じません。永い永い進化の旅が続きます。その間には上昇もあれば下降もあり、前進もあれば後退もあります。しかし、そのたびに少しずつ進化していくのです。

霊の世界では、次の段階への準備が整うと、新しい身体への脱皮のようなものが生じます。ですが、その界層を境界線で仕切られた、固定した平地のように想像してはなりません。次元の異なる生活の場が段階的にいくつかあって、お互いに重なり合い融合し合っているのです。地上世界においても、一応みなさんは地表という同じ物的レベルで生活なさっていますが、霊的には一人ひとり異なったレベルにあり、その意味では別々の世界に住んでいるとも言えるのです」

「これまでの地上社会の進歩は、これから先の進歩に較べれば微々たるものに過ぎないのでしょうか」


「いえ、わたしはそういう観方はしたくないのです。比較すれば確かに小さいかもしれませんが、進歩は進歩です。

次のことを銘記してください。人間は法律や規則をこしらえ、道徳律を打ち立てました。文学を豊かなものにしてきました。芸術の奥義をきわめました。精神の隠された宝を突き止めました。霊の宝も、ある程度まで掘り起こしました。

こうしたことは全て、先輩たちのお蔭です。苦しみつつコツコツと励み、試行錯誤をくり返しつつ、人生の大うず巻の中を生き抜いた人たちのお蔭です。総体的にみれば進歩しており、人間は、初期の時代に較べれば豊かになりました。物質的な意味ではなく、霊的に精神的に豊かになっております。そうあってくれないと困ります」

このあと、さらに次のようなコメントを付け加えた。


「嘆かわしいほど無知な人々――自分が霊的存在であることを知らず、したがって“死”の彼方にも生活があることを知らずにいる人々に、そうした基本的な知識を広めるために、われわれがしなければならないことが山ほどあります。

せっかくのこの地上生活を、霊的実在について聞く耳も、語る口も、見る目も持ち合わせないまま終えてしまう、数え切れないほど多くの人たちのことを思うと、何たる悲劇! と叫ばずにはおれません。これは大悲劇です。われわれの努力はそういう人たちに向けられねばならないのです。人生の本当の意義を全うするためには、真実の自分に目覚めないといけないからです」

続いて、もう一人のゲストに向かってこう述べた。女性霊媒として長年の経験をもつ人である。


「今日まであなたを導いてきた力(背後霊)を確信することです。そうすれば、その力の方からあなたを見捨てることはありません。あなたは大変な愛によって包まれております。その愛の力は絶対にあなたを見捨てません。あなたに託されている責務を忠実に果たしているかぎり、その愛の力から見放されることはありません。

愛の力とは何か、どのように作用するのか、どのように規制されているか、どういう摂理のもとに管理されているかは、とうてい言語では説明できません。ただ確実にいえることは、正しい条件――誠実さ、奉仕的精神、知識を基盤とした確信さえあれば、その力があなたを支え、導き、いかなる体験にも力強く対処させ、あなたに託された目的を達成する上で援助してくれるということです」

いよいよその日の交霊会も終わりに近づき、シルバーバーチは最後の締めくくりとして、こう述べた。


「わたしの仕事は、地上へ来てからこしらえた多くの同志――といっても、この声と個性によってしかわたしをご存知ないわけですが――その人たちのお蔭で、ずいぶんラクな思いをさせていただいております。

その同志から送られてくる愛が、わたしにとって大きな力となっているのです。その愛の力こそがこの仕事を続ける上での“資力”なのです。わたしたちの心にあるものは、嘆き悲しんでいる人々、疑念と恐怖にさいなまれている人々のことばかりです。そういう人たちの人生に少しでも安らぎを与えてあげるものをお届けしないことには、わたしたちの心も安まらないのです。

これは大変な仕事です。これを正当な手段で遂行していくことによって、わたしたちも、そして皆さんも、真の意味での大霊の道具となることができるのです。地上世界は“下”からでなく“上”から支配されているのです。地上世界の法律は改正されたり、廃止されたり、無効になったりします。新たな事情が生じて、それに合わせて新たな法律がこしらえられたりします。が、霊の法則は変えられないのです。不変なのです。法則どおりにならないということがないのです。そして、ありとあらゆる事態にそなえられているのです。

ですから、少しも案ずることはありません。そうした絶対的な摂理をこしらえた力、全生命に意義と目的とを与えた力、それがあなたを取り巻いているのです。逆境にあっては、あなたを守るマントとなり、永遠なる愛をもって包み込んでくれる力なのです」

祈り

偽りの神・偽りの教義・偽りの神学に背を向け……


これよりわたしは、古(いにしえ)の予言者を鼓舞し、聖賢や先見者に叡智の輝きに満ちた未来図を見ることを得さしめたのと同じ力を呼び寄せ、人間の無明(むみょう)の心に光明と悟りを与え、迷いを払うべく、完全なる摂理として働くあなたに、深甚なる感謝の祈りを捧げます。

わたしどもが改めて地上に甦(よみがえ)らせたいのは、人間生活を一変せしむるほどの威力、人類を変身せしむるほどの威力を秘めた霊力でございます。それが人間に、あなたの永遠の機構の中で占める位置を理解せしめ、改善と改良と奉仕のために働き、挫折せる者を救い、無力なる者を援助し、飢えに苦しむ者に食を与え、弱き者に力を与え、人類の呪(のろ)いであり文明の汚点である不平等と不公正のすべてを排除すべく、子等に力と勇気と目的意識とを与えてくださるのでございます。

わたしたちは、地上の子等が偽りの神・偽りの教義・偽りの神学に背を向け、あなたの真理の光に導かれて普遍的な宗教を打ち立てることができるように、すなわちあなたを人類全体の父として認識し、人類はすべてあなたの子であるとの理解のもとに、こぞってあなたを崇拝することになるように、あなたの真の姿と彼ら自身についての、より充実せる理解が得られる道へ手引きしたいのでございます。

子等の団結の妨げとなるもの全てを排除したいのでございます。階級の差別、肌色の違い、民族の違いによる分裂をなくし、人間のこしらえた障壁を崩し、新しい光、新しい希望を物質界にもたらしたいのでございます。

同胞の高揚のために心を砕く各界の先駆者や改革者を鼓舞し励まし、彼らが高き霊の世界から導かれていること、その努力には大霊の祝福があることを知らしめたいのでございます。

かくしてわたしどもは、子等を少しでもあなたに近づかしめ、あなたを子等に近づかしめるべく、祈り、そして刻苦するものです。

Sunday, July 23, 2023

シアトルの夏 死後はどうなるか

what happens after death

Amazon.co.jp: 古代霊シルバーバーチ不滅の真理―スピリチュアリズム珠玉の名編 : オーツセン,トニー, Ortzen,Tony, 千雄,  近藤: Japanese Books
Silver Birch Companion   
 
Edited by Tony Ortzen

 

 ある日の交霊会で、死後の世界とそこでの生活の様子が主な話題となった。その中でシルバーバーチは、最近他界したばかりの人の現在の状態を説明して、地上に隣接した下層界は何もかも地上とそっくりであると述べた。すると次のような質問が出された。


───幽界がこの世とそっくりであるというのが、私には理解できないのですが・・・・・・

 「地上界の次の生活の場は、地上界の写しです。もしそうでなかったら、何の予備知識もない幼稚な霊に、耐えきれないショックを与えることでしょう。

ですから、霊界への導入は優しい段階をへながら行われることになります。こちらへ来てすぐの生活の場は、地上と非常によく似ているということです。自分の死んだことに気づかない人が大勢いるのは、そのためです。
℘54
 こちらは本質的には思念の世界、思念が実在である世界です。思念の世界ですから、思念が生活と活動の表現のすべてに形態を与えます。

他界直後の世界は地表のすぐ近くにあり、ものの考え方が極めて物質的な男女が集まっていますから、思念の表現も極めて地上的で、考えることがすべて物的感覚によって行われます。

 そう言う人たちは〝物〟を離れての存在をかんがえることができません。かつて一度も、生命というものが物的なものから離れた形で意識にのぼったことがないのです。霊的な活動を心に思い浮かべることができないのです。精神構造の中に、霊的なものを受け入れる余地がないのです。

 ですが、死後の世界の生活にも段階があり、意識の開発とともに、徐々に、確実に地上臭が取れていきます。そして、生命というものが物的な相を超えたものであることが分かりはじめます。

そして、自覚が芽生えると、次第にそこの環境に反応しなくなり、いよいよ本当の霊の世界での生活が始まります。こうして、死と誕生(に相当するもの)が何度も繰り返されるのです」


───死後の世界での体験は主観的なのでしょうか。客観的なのでしょうか。

 「客観的です。なぜかと言えば、こちらの世界はそれぞれの界層で生活している同じレベルの住民の思念で構成されてるからです。意識がその界のレベルを超えて進化すると、自然にそこから離れていきます。成長と向上と進化によって霊的資質が身に着くと、自然の摂理によって次の段階へ移行するのです」


───ということは夢の世界ではないということですね?

 「そこを通過してしまえば夢の世界だったことになります。そこで生活している間は現実の世界です。それを〝夢〟と呼ぶか呼ばないかは、観点の違いの問題です。あなた方も夢を見ている間は、それを夢だとは思わないでしょう。夢から覚めて初めて夢だったことを知り〝なんだ、夢だったのか〟と思うわけです。

ですから夢が夢幻的段階を過ぎてしまうと、その時の体験を思い出して〝夢だった〟と言えるわけです。ですが、その夢幻を体験している間は、それがその霊にとっての現実です」

℘56
───全ての人間が必ずその低い界層からスタートするのでしょうか。

 「いえ、いえ、それはあくまでも何の予備知識も持たずにきた者や幼稚な者にかぎっての話です。つまり霊的実在があることを知らない人、物的なものを超越したことを思い浮かべることのできない人の場合です。

 あなた方が〝幽界〟と呼んでいるところは、霊の世界の中の小さな区域です。それは低い境涯から高い境涯へと至る、無数の階段の一つにすぎません。周囲がしきられているわけではありません。それを〝界〟と呼んでいるのは、あなた方に理解できる用語を用いるしかないからです」


引き続き霊界での成長について───

 「一つの界から次の界へよじ登っていくのではありません。自然に成長し、自然に進化していくのです。程度の低い要素が、程度の高い要素にその場を譲って行くのです。何度も死に、何度も誕生するのです。

幽体は、肉体の死のような過程で失われていくのではありません。低級なものが消えるに連れて、浄化され精妙になっていくのです。それが幽体の死です。


 そもそも〝死〟とは変化であり、復活であり、低いものから高いものへの上昇です。時間と空間にしばられた地上的制約から解放された霊の世界を説明しようとすると、何かと困難に遭遇します。低いものは高いものを理解できません。

有限なるものは無限なるものを包含することはできません。小さい器は大きい器を入れることはできません。奮闘努力の生活の中で理解を増していくしかありません」


───幽界では、例えば心臓なども残っていて、やはり鼓動するのでしょうか。

 「肉体器官の機能が残っている否かは、その霊の自覚の問題です。地上生活の後にも生活があることを知らず、霊の世界があることなど思いもよらない人の場合は、地上で具えていた肉体器官がそっくりそのまま残っていて、肉体的機能を続けています。あらゆる機能です」


───では、霊の世界について理解を持った人の場合はどうなりますか。

 「幽体の精妙化の過程がスムーズに進行します。ある器官が霊の生活に不要となったことを自覚すると、その器官が退化し始め、そのうち消滅してしまいます」

℘58
───死の直後からそういう現象が生じるのでしょうか。それともゆっくりとした過程なのでしょうか。

 「それも霊的自覚の程度によります。程度が高ければ、それだけ調整期間が短くてすみます。忘れてならないのは、私たちの世界は精神的な世界、霊の世界であり、そこでは自覚というものが最優先されるということです。精神が最高の権威を持ち支配しています。精神が指示したことが現実となるのです。

 昔から、高級界からやってきた霊のことを〝光り輝く存在〟というふうに述べていて、姿かたちをはっきり述べていないことにお気づきになったことはありませんか。外形というものが無くなっていくのです。つまり形による表現が少なくなっていくのです」


───最後にはどういう形態になっていくのでしょうか。

 「美はどういう形態をしているのでしょう? 愛はどういう形態をしているのでしょう? 光はどういう形態をしているのでしょう?」


───形態を超越してしまうと、色彩が認識の基本になるのでしょうか。

 「その通りです。但し、地上世界の基本的色彩となっているものが幾つかありますが、私たちの世界には、あなた方の理解力を超えた別の色彩の領域が存在します。

私たちは高級霊の姿から発せられる光輝、そのメッセージとともに届けられる光によって、その方がどなたであるかを認識することができます。形態というものがまったく無いことがあるのです。ただ思念があるのみで、それに光輝が伴っているのです」


───翼がついている天使の絵をよく見かけるのですが、あの翼の概念はどこから来たのでしょうか。

 「太古の人は宇宙を三段に分けて想像しました。自分たちが立っている大地(地球)が真ん中にあって、その上に天国が、その下に地獄があると考えました。そして、その天国からも、地獄からも訪問者がやってくると信じ、そうなると天空を降りてくる天使には翼があるはずだと想像しました。

鳥と同じ翼がなければ遠い距離を飛んで来られるはずはないと考えたわけです。こうして翼のある天使の概念が生まれました」

℘60
───実際に翼のある天使はいるのでしょうか。

 「います。ですが、それはただの想念体に過ぎません。霊の世界に翼は必要ありません。私たちが霊媒にある概念を伝える場合にも想念による絵画(ピクチャー)を使用することがあるのですが、地上の幼い子供たちが天使には翼があるものと思い込んでいる場合には、それに合わせて、翼のある天使をイメージして届けることがあります。それが守護の天使として定着したのです」


 話題が変わって、他界した身内のものや友人・知人は、姿こそ見えなくても、地上にいた時よりいっそう身近な存在となっていることを説いて、こう述べた。

 「その方たちは今なお実在の人物であり、地上にいた時と同じように、あなた方のことを気遣ってくれていることを忘れてはなりません。彼らにはもはや言葉で話かけることはできませんし、あなた方もその声を聞くことはできませんが、あなた方のすぐ身の回りにいて、何かと面倒を見てくれております。

 そう言えばそんな感じがすると思われるでしょうが、実際はもっととっと密接な関係にあります。彼らはあなた方の心の秘密、口に出さないでいる欲求、願望、希望、そして心配なさっていることまで、全部読みとっております。そして地上的体験から、あなた方の魂の成長にとって必要なものを、摂取するように導いてくれております。

決して薄ぼんやりとした、影のような、あるいはもやのような存在ではありません。今なお皆さんのことを愛し、以前よりさらに身近な存在となっている。実態のある男性であり。女性なのです」


───霊界でも心霊治療を受ける人がいるそうですが、どういう人たちでしょうか。

 「さまざまな原因から、霊的身体に欠陥が生じている場合です。たとえば無残な事故で急死した場合は、新しい霊的生活に順応するための調整が必要です。

それを霊的エネルギーの注入によって行います。また地上時代ずっと、脳の欠陥のために精神に正しく情報が届かず、結果的に霊性が発揮されずに終わった人の場合などです」

℘62  
───戦争で爆弾の直撃を受けて、こっぱみじんになって死んだ場合はどうなりますか。

 「これも、こちらの世界へ次々とやってくる他界者のための受け入れ施設が受け持っている仕事の一環にすぎません。

地上でも、道ばたに倒れている人がいれば病院へ運ぶという仕事が、戦争になると負傷兵を看護する施設へと発展するように、こちらでも、通常の受け入れ体制の他に、さまざまな原因からいきなり放りこまれた霊界の生活に順応させる施設がたくさん用意されております」


 別の日の交霊会で、前に一度シルバーバーチを通じて出席者の一人に、地上時代に掛けた迷惑についての詫びを述べたことのある霊が、その日にまた同じことについての詫びを改めて届けてきた。その詫びの言葉を述べたあと、シルバーバーチがこう語った。

 「あなたが、もういいのにと、思われる気持は私にはよく理解できます。でも、彼には詫びの気持ちを述べずにはいられない事情があるのです。懺悔をするということは、あなたに対してというよりは、彼自身にとって意味があるのです。

 他界した者が地上時代の行為について懺悔の気持ちを何らかの形で届けたいと思うようになるということは、本当に自我に目覚めつつあることの証拠です。あなた方にとってはもう過ぎたことであり、忘れていらっしゃるかも知れません。が、

その行為、ないしは事実は、霊的自我に刻み込まれていて、霊性が成長し、それについての正しい評価が下されるまでは、絶対に消える事はありません」


 さらに別の日の交霊会でも、他界したあとに抱く地上への思いを、こう述べた。

 「皆さんは、いったん霊の世界へ来てから地上界へ戻り、何とかして働きかけたいと思いながら、それが叶えられずにいる人たちの気持ちがどんなものか、考えてみたことがおありですか。

地上界を去ってこちらへ来てみて視野が変わり、人生を初めて正しい視野で捉えるようになって、そのよろこびを何とかして地上の愛する人たちに教えてあげたいと、一生けんめいになっている霊が大勢いることをご存じでしたか。
℘64
 ところが人間は、そういう人たちの働きかけにまったく鈍感なのです。見ることはおろか、聞くこともできません。愚かにも五感だけが実在のすべてであると思い込み、その粗末で気のきかない五つの感覚が捉えている世界以外には何も存在しないと考えています。

 私たちがこちらでよく見かける光景は、死後も立派に生き続けていることを知らせてあげようと、手を思いきり差しのべてあれこれと尽くすのに、そのうち、どうしても気づいてもらえないことを知ってがっかりとした表情を浮かべている人たちです。

呼びかけても聞いてもらえず、目の前に立ちはだかっても見て貰えず、思念を送っても感じてもらえません。

 悲しみに暮れている人たちばかりを相手にした話ではありません。楽しく暮らしている明るい家庭においてもそうです。そこで私たちは、重苦しい気持ちを引きずれながらその人たちに近づいて、人間側が交霊会にでも出席してくれるようになるまでは、どう努力しても無駄ですよ、と告げるしかないのです」


 シルバーバーチはさらに次のような、他界後の霊界の実情を打ち明けた。

 「これまでに私は、何人もの〝国教会の大黒柱〟と呼ばれていた人を連れて、かつて彼らが勤めていた礼拝堂、大聖堂、教会等へ行ったことがあります。

そこで彼らが目にするのは、当然、かつて自分も説いたことのある教説の繰り返しですが、今ではそれが間違っていることがよく分かるものですから、彼らの心は次第に重苦しく沈み込んでいきます。間違いと迷信で出来上った組織を助長したのは、ほかならぬ自分たちであることを自覚するからです」


───針のむしろに座らされる思いでしょうね?

 「それが彼等にとっての煉獄(れんごく)なのです。辛いでしょうが、それが摂理なのです。自分が犯した過ちは自分で改めないといけません。

自分が送った間違った人生の代償を払わないといけないのです。永遠なる公正のもとにおいて、ありとあらゆる勘定が清算させられます。この摂理から逃れる人は一人もいません」



───その司祭たちはどういう方法で償うのでしょうか。
℘66
 「間違った教えを説いた信者の一人一人に会って、その間違いを修正してあげないといけません」


───説教をした信者の一人一人に面接しないといけないのでしょうか。

 「そうです」


───でも、それまでに信者自身が修正していることもあるでしょう?

 「そういう場合は、それだけ負担が軽くなります」


───正しいと確信して説いていた場合はどうなるのでしょうか。少しは違うのでしょうか。

 「その場合は事情が違ってきます。何事も〝動機〟が大切だからです」

℘67
───その場合でもやはり一人一人に会わないといけませんか。

 「本心からそう信じていた場合は、その必要はありません。ですが、実際は、命をかけてそう信じている人は少ないようです。高慢と、地位、財産の方が真理よりも大切な人が多いようです。いったん教会という組織の中に組み込まれて、その中に浸りきってしまうと、それが鎖のように魂を縛りつけてしまいます。

心の奥では納得できずにいながら、お座なりの説教を繰り返すことによって理性を麻痺させようという卑劣な態度をとるようになります。

 私たちは、そうとは知らずに間違ったことを説いている真面目な牧師を咎めようとは思いません。咎めたいのは、心の奥では真理なんかどうでもいい───教会という組織を存続させることが第一だ、と考えている指導者たち、あるいは、間違っていると知りつつも、ではそれを捨てたら、これから先自分たちはどうなるのだ、という単純な不安から、伝統的教義を守ろうとしている牧師たちです。


 間違っていることに気づかずに、一生けんめい説いている者を咎めるつもりはありません。自分たちの説いている教えや行っている儀式が何の根拠もないことを知りつつも、奇弁を弄してつくろい〝これを捨てたら、ほかに何があると言うのか───教えることが何もなくなるではないか〟という幼稚な自己弁護をしている連中のことを咎めているのです。
℘68
 とは言うものの、たとえ知らなかったとはいえ、やはり間違っていたことは正さないといけません。ただし、その場合は煉獄の苦しみではなく、むしろ喜びすら覚えるものです。魂が進んでそれを求めてすることですから、それは一種のサービスの喜びとなります」


 これを聞いてかつてメソジスト派の牧師だったメンバーが訊ねた。

───では、私もこれまでの説教してきた信者のすべてに会って正さないといけないことになるのでしょうか。

 「そういうことです。会った時にまだ間違った教えを信じている場合、言いかえると、あなたの教えを信じたために光明を見出すのが遅れている場合は、光明への正しい道を教えてあげないといけません」

℘69
───それは大変です。大変な数の人に教えを説いてきましたから・・・・・・

 「あなただけではありません。すべての牧師が直面させられる摂理なのです。でも、あなたの場合そう苦になさることはないでしょう」


 ここで別のメンバーが 「たぶん、この方の場合は、牧師を止められてから救ってあげた人たちが協力してくれるはずです」 というとシルバーバーチが───

 「その通りです。永遠に不変の公正は決してごまかされません。叶えられることなら皆さんにも、私が見ている通りの摂理の働き具合をご覧にいれて、公正の天秤がいかに見事にバランスがとれているかを知っていただきたいのですが・・・・・・大霊のなさることに寸分の狂いもないことを得心なさるはずです。

 教えを説く者には深刻な責任があることは、ここのおいでの皆さんがご存じないはずはありません。知識には責任が伴うことを何度申し上げたことでしょう。

自分を他の人たちより高め、人を教え導きたいと思うのであれば、まずは自分自身が拠って立つ足場をしっかりと固めないといけません。

 徹底的に探究し試してみることを怠り、批判に身をさらすこともせずに自己満足し、本当かどうかの確信もないまま人に教えを説くようなことをしていると、その怠慢と軽率さに大きな代償を払わされる時が必ず来ます」

℘70
 別の日の交霊会で、地上時代に受けた間違った教えのために魂の進化が阻害されている例が話題になった。メンバーの一人が、最後の審判日を待ちながら死体の埋葬されている墓地で暮らしている霊がいるという話を聞いたが、そんなことが本当にあるのかと尋ねると───

 「事実その通りなのです。それが私たちにとって厄介な問題の一つなのです。教会で聞かされた通りのことが本当に起きるものと信じ切っているものですから、自分からその考えに疑問を感じるようにならないかぎり、側からはどうしようもないのです。  

 死ねばガブリエルのラッパが聞こえるまで墓地で待つものという想念体を、全生涯をかけて作り上げて来ているわけですから、その想念体が崩れないかぎりは、いつまでのその牢獄から抜け出られないのです。

 死んだことが信じられない霊の場合も同じです。信じることを拒んでいるかぎり、私たちも為すすべがありません。もう死んで霊の世界に来ているという事実を信じさせることがどんなに難しいか、みなさんには理解できないでしょう。

 ずいぶん前の話ですが、クリスタデルフィアン(一九五〇年代に米国で生まれたキリスト教の一派)だという霊と長々と話し合ったことがあります。

私は何とかしてその人がすでに死んでいる事実を納得させようとしたのですが、〝こうして生きているのに、なぜ私が死んでいるのですか〟と言い返して、どうしても信じてくれませんでした。復活の日まで待ちますと言って、その場から離れようとしませんでした」


───時間をどうやって過ごすのでしょうか。

 「ただ待つだけです───〝待つ〟という想念の中にいるだけです。自分でこしらえた想念体の牢獄の中に閉じ込められているのです。そのことに気づけば、想念体が崩れて眼が覚めるのですが、こうした事実を地上の人に説明するのはとても困難です。

 こちらの世界には〝時間〟というものがないのです。地球の自転によって昼と夜とが生じるようなことがないからです。昼と夜とで一日、といった計算をすることがない世界において、どうやって昨日と今日とを区別するのでしょう?」


───時間の単位はなくても、時間の経過はあるのでしょう?

 「それもありません。まわりで生じる変化との関連において成長と進化を意識することはありますが、時間の経過はありません。霊的な成長と、それに伴う環境の変化があるのみです。時間というのは、そうした変化との関連における尺度にすぎません。

 無意識でいる間は時間は存在しません。環境との関係が変わったからです。夢の中では環境との関係が変わっていますから、肉体につながれている時よりも物事が早く推移するわけです」