by W. S. Moses
本書は英米をはじめとする西洋各国で〝スピリチュアリズムのバイブル〟と呼ばれて百年以上もロングセラーを続けている『霊訓』の続篇である。
正篇は昭和十二年に浅野和三郎の抄訳によって本邦に紹介され、このたび(六十年)潮文社からその復刻版が発行されている。それとほぼ時を同じくして私による完訳版が国書刊行会から出ている。
『霊訓』の第一の特徴はキリスト教の牧師だったステイントン・モーゼスと、紀元前に地上生活を体験したという身元不明の霊との熾烈な論争という形で霊的真理が説かれていることである。主としてキリスト教の教義がその論争のテーマとなっているために、読者の側にキリスト教に関する基礎的知識が要求される点が、本書を西洋人にくらべて東洋人にどこか取っつきにくくしている事実は否めない。しかし、キリスト教を熱烈に信仰し、自らもそれを説き聞かせる職にあるモーゼス(のちに辞職して教師となる)の手がひとりでに動いて綴った文章(自動書記通信)が自分の信仰と真っ向から対立する内容であり、そのことに悩み、苦しみ、それに反論し、かくして〝目に見えざる存在〟との論争をえんえん十年間も続けながらまったく正常な人格者であり続けたという事実が、この五感の世界以外に知的で理性的で愛を知る存在が実在していることを何よりも雄弁に物語っているといえよう。
その熾烈な論争──一時は霊側の総引き上げという形での決裂寸前にまで至ったほどの遠慮容赦のない激論を闘わせながら、モーゼスの側はあくまでも真摯な真理探究心を、霊側は真実の光明へ導かんとする温かい愛を最後まで失っていないところが、本書が稀有の価値を与えていると私は考えている。
私はこれを一日数時間、ほぼ三百日をかけて完訳したのであるが、その間、訳者としての立場を忘れて思わず情的にその内容に巻き込まれ、感涙の流れるに任せざるを得なかったことが何度あったか知れない。今でも心が落ち着きを失いかけた時は必ず繙(ひもと)くことにしているが、その度に勇気百倍、生きる意欲を鼓舞される『シルバーバーチの霊訓』『ベールの彼方の生活』と並んでこれを私が〝英国の三大霊訓〟の一つに数えるのはそのためである。
さて、この続編はモーゼスの死後、恩師である医師のスピーア博士 S・T・Speerの夫人が、博士宅で催された交霊会(自動書記は自宅の書斎で、交霊会は博士宅で行われた。博士一家との縁については巻末「解説」を参照されたい)の筆記録の中から、ぜひとも公表すべきであると思われるものを選んで心霊紙 Light に掲載し、それにモーゼス自身が同じ心霊誌に発表していた記事の中から参考になるものを精選して、それといっしょに一冊にまとめたものである。
本書の特徴は、正篇が自動書記通信だけで構成されているのに対して、霊言現象による通信が紹介されていることである。霊言と自動書記の違いは、霊言が霊媒の発声器官を使用し自動書記が霊媒の腕を使用するという形の上から言えばそれだけのことであるが、表向きは単純のようで裏面の原理はそれぞれに何種類もあって複雑である。
そもそも霊界通信なるものの入手方法は右の霊言と自動書記の外にもう一つ、幽体離脱によって霊界を探検したり指導霊からじかに教わったものを持ち帰って綴る、あるいは語る、という方法がある。これはいわば霊界旅行記であるが、霊言や自動書記に於いて霊が行っている役割を自分が行う──いうなれば一人二役をするだけのことで、原理的には右の二つと同じである。
この場合でも本人の目には見えなくても大勢の背後霊が陰から指導し援助し、又危険から守ってくれている。この道の第一人者ともいうべき A・J・デービスは自分は霊の力を一切借りずに全部一人でやっているようなことを述べているが、これはただ自分でそう思っていただけで、実際には陰から指導と援助と保護を受けていたのである。本書の中でも通信霊の一人が、それには例外はないと断言している。
このことは地上と霊界との関係に限ったことではなく、霊界に於ける上層界と下層界との関係においても同じである。『ベールの彼方の生活』の通信霊アーネルが部下とともに暗黒界を探検し、その間ずっと自分達だけでやっていたと思っていたのが、帰還して見ると、悉く上層界からの指示と加護を受けていたことを知る、という経緯が述べられている。
その点『私の霊界紀行』(潮文社)のスカルソープ氏は自分の行動はすべて背後霊団によって準備され案内され守られていると述べていて、デービスと対照的に実に謙虚である。見かけのスケールは小さいが、霊的には非常に高い、あるいは深いことを述べていて、信頼度は抜群であると私は見ている。
他に有名な人としてはスェーデンボルグが挙げられるが、実際に見たものを無意識のうちに潜在的な観念によって歪曲している部分が多すぎて、私はあまり、というより、ほとんど価値を見出せずにいる。とくに初心者には妙な先入観念を植えつけられる危険性さえある。
この霊能において肝要なのは、異次元の世界で見たものをどこまで生のまま三次元の言語で表現できるかであって、その純度が価値を決定づける。そこに背後霊団の援助と霊能者本人の霊格の高さが要求されるわけである。なおこの体外遊離現象はモーゼスも体験していて、わずかではあるが第三部で紹介されている。
次に霊言現象の原理であるが、これには四種類ある。
(一)直接談話現象──これはエクトプラズムという特殊な物質によって人間の発声器官と同じものをこしらえ、それを霊が自分の霊的身体の口を当てがってしゃべる現象である。空中から聞こえる場合は肉眼に見えないほど稀薄な物質でこしらえてある場合で、メガホンから聞こえる場合は、そのメガホンの中に発声器官がこしらえてある。
(二)霊媒の発声器官を使用する場合──ふつう霊言現象というのはこれを指す場合が多い。この場合は霊媒の潜在意識(精神機能)の中の言語中枢を使用するので、霊媒自身の考えによって影響されないだけの訓練が要請される。モーリス・バーバネルを通じて五十年にわたって霊言を送って来たシルバーバーチ霊は、その為の訓練をバーバネルが母体に宿った瞬間から開始したという。
(三)リモコン式に操る場合──シルバーバーチのように霊媒の身体を占領するのではなく、遠距離から霊波によって操る。原理的にはテレビのリモコンやオモチャのラジコンと同じである。霊視するとその霊波が一本の光の棒となって霊媒とつながっているのが見られる。
(四)太陽神経叢を使用する場合──みぞおちの部分にある神経叢が心霊中枢の一つとなっていて、そこから声が出てくる人がいる。また、なぜかこの霊能を持つ人がほとんど決まって米国のナイヤガラ瀑布の近辺の出身か、そこで修業した人であるという事実も興味深い。
次に自動書記現象の原理であるが、これには大きく分けて三種類、細かく分けると四種類ある。
(一)ハンドライティング──霊が霊媒の腕と手を使用する場合で、これはさらに二種類に分けることが出来る。
①霊媒の腕を直接使用する場合、ふつう自動書記と言えばこれをさす。モーゼスの場合もこれである。
②リモコン式に操る場合、霊言の場合と同じで、霊波によって霊媒の言語中枢と筆記機能とを操作する。
(二)ダイレクト・ライティング(直接書記)──紙と鉛筆を用意しておくと、いきなり文章が綴られる。
ストレートライテングもこの部類に入る。多量のエネルギーを必要とするので、長文のものは困難で、簡単なメッセージ程度のものが多い。
(三)インスピレーショナル・ラィテング(霊感書記)──霊感で思想波をキャッチすると自動的に手が動いて書く。原理的にはふだんわれわれが考えながら書くのと同じで、ただその考えがインスピレーション式に送られてくるというだけの違いである。オーエンの『ベールの彼方の生活』がこの方式によって綴られている。
さて、本書の第一部は最高指導霊のインペレーターをはじめとして、他に数人の霊による霊言が集められている。そのインペレーターの言葉に、「私はいま皆さんからはるか彼方にいます」とあることから、その時はリモコン式にメッセージを送っていたことが推察される。それでもインペレーターが語る時は交霊会の部屋に厳かさと力強さが漲ったという。そのインペレーターが冒頭で紹介している霊団の組織と役割分担についての説明は非常に興味ぶかい。
第二部は、自動書記による通信で正篇に盛られていないものの中から、スピーア夫人が是非ともと思うものを選び出したもので、正篇を補足する形になっている。
注目すべきこととしては、ここで初めて〝再生〟の問題が取り上げられていることで、多くは語っていないがインペレーターがそれを肯定する立場から含蓄のあることを述べている。私の推察では、この再生問題はインペレーター霊団の役目の中に予定されておらず、いずれ、ほぼ半世紀後にシルバーバーチ霊団が再生説を基本概念とした霊的進化論を説くことになっているという、全体の予定表が出来ていたのであろう。
第三部はモーゼス自身をテーマとして、先ず他界後、心霊誌ライトに載った追悼の言葉、続いて交霊会で起きた珍しい物理現象、さらに、入神中の体外遊離体験、そして最後に、生前モーゼスがライト誌に投稿した記事の中から興味深いもの、参考になるものを抜粋して紹介している。
モーゼスの人となり、及びスピリチュアリズムに関する見解を知る上でそれが非常に参考になるが、私はそれをさらに補足する目的で、ナンドー・フォドーの《心霊科学百科事典》から<ステイントン・モーゼス>の項目を全訳して巻末に紹介した。その内容がそのまま『霊訓』ならびに霊媒としてのモーゼスの解説となっているからである。インペレーターを初めとする背後霊団の地上時代の身元についての調査資料も一般の読者の方には興味ぶかいテーマであろう。
なお第一部の構成者(編者はスピーア夫人であるが本書の構成者は別人である。名前は公表されていないが、多分当時のサイキック・ニューズ社のスタッフの一人であろう)が〝はじめに〟の中で述べているように、本書に収録されたものは断片的に抄出したものであって内容に連続性がない。そこでその〝断片〟の合間に正篇から抜粋を挿入して、理解を深める上で参考となるように私なりの配慮をした。時には長文に及ぶものもあるが、読者はいちいち正篇を繙く手間が省けるであろう。
また場合によっては内容の重大性に鑑みて、『シルバーバーチの霊訓』や『ベールの彼方の生活』からも抜粋して紹介してある。要するに私は本書を英国のいわゆる〝三大霊訓〟のダイジェスト版のようなものに仕上げたつもりである。
今後ますます霊的なものが輩出することが予想される日本に於いて、その真偽の判断の拠り所として、こうした時代の荒波にもまれながら生き延びてきた、真の意味での聖典(バイブル)と言えるものをぜひとも座右に置いておく必要があると考えるのである。
初めに紹介した霊言現象および自動書記現象による霊からのメッセージの入手方法の原理と合わせて、霊についての正しい常識と知恵を身に付けていただくことになれば幸いである。
最後にひとこと、翻訳の文体について述べておきたい。この『霊訓』の原文は正続ともに古めかしい文体で書かれており、それは霊言の場合でも同じである。そこで国書刊行会からの完訳版ではなるべくそれを訳文に反映させるように工夫したために古い堅苦しい文体となったが、本書では霊言が主体となっていることも考慮して、思い切って現代文で表現してみた。インペレーター独特の重厚味が欠ける憾みがなきにしもあらずであるが、広く現代の読者に読んでいただくためにはこの方が親しみやすくて良いと判断した次第である。
一九八七年六月
近藤千雄