シアトルの新年 無名戦士の墓
”靖国神社参拝” がどうのこうのと、世間が騒いでいる記事に出っくわすと。
「ハテナ? 未だ戦後という言葉は終わっていないのだな」 とドイツ人の友人に呟いたら、「そうよ。まだ終わっていない。私が数年前にイギリスに行ったとき、戦争の映像ばかりを見せられた。」彼女は悲しそうに言いました。
敗戦後日本もドイツも復興し、今や ”戦後” と言う言葉からは程遠い生活を展開していますけれど、世界戦争を仕掛け、そして敗戦した国のメンタリティーと被害を受けた国々、そして救援に立ち上がった国々の国民感情は夫々に異なるものなのです。
世界の皆が仲良くするためには、私たちはその国民感情に敏感でありたいですね。
靖国神社には戦死した我が父も祭られていますから、小学校時代には戦争遺児は市がバスか電車で慰霊祭に連れて行ってくれたようですね。何かそのようなことを覚えていますよ。
この社が無名戦士だけであれば、よその国々も騒ぎはしないのでしょうけれど、戦犯も同じ社に場所が違うといえど収められているのが理解できないし、説明してわかって貰える、とそれほどたやすいことではないですね。
その人たちは、A級戦犯と言われるほどの悪者ではないと言う人もいます。そうかもしれません。でも私の父のように、甲種合格の一片の赤紙で徴集された一介の若者であった人とは違います。
とにかく、言いがかりをつけたい向きにはいい口実になるし、人の他国に対する認識と理解なんて、ほぼ何もないと思ったほうが無難です。
瓜田不納履、李下不正冠。
と言うではありませんか。
この問題は尾を引きますね。
ReplyDelete干渉しないで良いでしょう、と言いたくなったり、微妙な感情が動きます。
確かに戦犯ということでしょうけれど、どんな人も戦争を好きで始める人は
いないのです。逝った人たちの命の重さを感じながら平和な世界を築くために、
協力していくことが出来ないものでしょうか。
中国や韓国が殊更神経質になるのは止むを得ませんが、果たして本当に
平和のために、この問題を叫んでいるのでしょうか。
この問題が引っ掛かり、領土問題が引っ掛かり、アジアが一つになれないのは
とても残念ですから、日本は過去の歴史性を考えても引くのが良いのじゃ
ないかという気もします。難しい…。