瞬く間に時が過ぎてしまうのですけれど、11月11日はベテランズ デーでした。
”復員軍人の日” です。我が家にも第二次世界大戦とベトナム戦争のベテランがいるので小さいケーキで祝い事をしました。
”復員軍人” と言う日本語。
私の脳裏に浮かぶ ”復員軍人” の姿は 悲しく、縁日なぞ人が出る日、白い服をまとって軍帽を被り、義手や義足を晒しながら物乞いをしていた姿でした。
息子(私の父親)が南太平洋で戦死してしまった祖母は、その復員軍人の痛々しい姿に実に物悲しい思いになり、「帰ってこられただけでも運が良いよ。」と呟いていました。
この夏フランスに嫁いで行った娘からこの日スカイプが入り、「旦那と私とアメリカから来た友達と3人でオマハ ビーチを訪ねたよ。沢山の十字架が並んでいて悲しかった。」と言っていました。フランスもアメリカと日を同じくしてベテランズ デーがあるそうです。
そのような訳で、この日息子と ”史上最大の作戦” を見ました。親父さんたちベテランは何度も何度もこの映画を見たので、もう沢山なのだそうです。
「この前みんなでこの映画を見たとき、あんたたち寝てしまったよ。」
その時は、この様な大作戦の映画を見ながら、寝てしまう若い子達に驚いたものでした。
今回は息子も熱心に見ておりました。 それというのも、娘の住んでいる町 ”RENNES"の名もしばしばでてきましたので、今回はより身近に感じることができたと言うものです。
今もなおかつ語り継がれるこの上陸作戦は、大変なものでしたね。
アメリカ軍が上陸したオマハ ビーチは最大の激戦地となり、3000名以上の若きアメリカの兵士が犠牲になったのみならず、町は破壊され進攻してきたドイツ軍につぶされ、さらに上陸してきた連合軍の追い討ちで、二重三重に人々は踏みにじられ正に生きた心地もない長い戦争の時を過ごしたものです。
「この数ある十字架は第二次大戦時の犠牲者だけでなく、第一次大戦の犠牲者も含まれているから8000以上の数だよ。行方不明の人は、十字架に名前だけ刻まれているそうよ。こんな悲しい光景を見たことがない」娘はスカイプで言っていました。
「ボルゴグラードの、ママエフの丘も悲しかったね。南太平洋で戦死した我が父親の”お骨壷” には、しなびたミカンが一個入っていたそうよ。」と私。
娘たちに同行したアメリカからの友達の95歳のお爺さんは、ノルマンディーの生存兵士の一人だそうです。ベテラン中のベテランですね。
この今は老いた克っての兵士は、今が平和で幸と満足しているでしょうか。
今だ地球上で戦争と戦争の噂の絶えない時、このような経験はもう誰もしたくはないですね。