Saturday, May 2, 2026

シルバーバーチの霊訓(四)

 Silver Birch Anthology 

 Edited by William Naylor


十章 シルバーバーチの祈り
 
  〇人間の神性を讃える祈り

 「神よ、私たちはあなたの永遠の真理、あなたの無限の力、あなたの不変の摂理の生き証人でございます。あなたの聖なる御業であるところの大自然のパノラマの中に、私どもはあなたの神性の顕現を拝しております。

 私どもは昇りゆく太陽の中に、沈みゆく太陽の中に、夜空のきらめく星の中に、大海の寄せては返す潮(うしお)の中に、そよ風とその風に揺れる松のそよぎに、やさしい虫の音に、澄み切った青空の中に、そのほか移り変わる大自然のあらゆる営みの中に、あなたを見出すことが出来ます。

 また、あなたは生きとし生けるもののすべてに宿る霊の中に見出すことができます。人間においてそれは意識を有する個的存在として顕現しております。あなたとともに宇宙の限りなき創造の大業に携わらしめるために人間をその高き段階へとお引上げくださったのでございます。

 あなたは人間にあなたの聖なる属性を数多くお授けになりました。人間はその霊的資質を有するが故の当然の成り行きとして、物的生命を超えたより精妙なる力、すなわち霊力を知覚せしめるところの霊的能力を有しております。

 人生を営むことを可能ならしめているものは、その霊力にほかなりません。人間を全創造物から超脱せしめているものもその霊力にほかなりません。思考をめぐらし、判断を下し、反省し、決断し、美に感嘆し、美を賞美し、叡智を授かり、その真価を悟り、知識を獲得し、それを大切にする能力も、霊力あればこそでございます。

 より高き世界からのインスピレーションを感受せしめるのも霊力でございます。人生の重荷に耐えかねている者のもとへ赴くことができるのも霊力あればこそでございます。

霊の世界の存在を知覚し、その世界の居住者が人間をより広き奉仕的行為のために使用せんとしている事実を認識することが出来るのも、霊の力ゆえでございます。果てしなき宇宙の大機構の中に置かれた己れの位置を理解せしめるのも霊の力でございます。

私たちは人間にそうした本来の役割を成就せしめるものについての知識、死後に赴く世界にふさわしきものを身につけさせるものについての知識を広めんと希望している者でございます。

 そうなって初めて人間は、いま目を曇らせている暗闇をみずから払いのけることを得ることでございましょう。そうなって初めて叡智と真理と悟りと調和と平和の中に暮らせるようになることでございましょう。

そうなって初めて同胞があなたとの真の繋がりと生きる目的、そして人間が死と呼ぶ扉の向こうに待ち受けている、より大きな生命の世界の存在を理解する上で力となることができることでございましょう」


 〇相互扶助の尊さを讃える祈り 

 「神よ、私たちはあなたの真理、あなたの叡智、あなたの愛、そしてあなたの永遠なる自然法則の理解を広めるために、力の限りあなたの忠実な子供たらんと願っている者でございます。

地上のあなたの子等にあなたの無限の機構の中における存在価値を理解させること───真の霊的自我を見出し、暗黒と冷酷と怒りと憎しみに満ちた世界にあって、あなたから授かった力を発揮するように導いてあげることを願いと致しております。

私たちは霊的実在についての単純素朴な真理───正義と権利と善と美の永遠の基盤であるところの真理を説かんと致しております。

道を見失える者、いずこにあなたを見出すべきかを知らずに迷える者に対しては、あなたが彼ら自身の中に存在すること、あなたの無限なる霊がみずからの存在の内部にあること、まさしく天国は彼らの心の中にある───よろこびと幸せの国、叡智と悟りの国、寛容と正義の国は自分の心の中にあるという事実を教えることを目的と致しております。

 私たちは悲しみにくれる人々、人生に疲れた人々、病める人々、困窮せる人々、肉親を失ったまま慰めを得られずにいる人々、いずこに導きと英知を求めるべきかを知らずにいる人々に近づき、あなたがその人々を決してお見捨てになったのではないことを教えてあげたいと願っている者でございます。

 私たちの使命は地上のすべての地域とその住民に一切の分け隔てなく行きわたっております。あなたの霊は人間界のすみずみまで流れ、雄大なる宇宙のあらゆる現象に現われ、意識的存在の全てに顕現されていると認識するゆえにございます。

 その事実を認識することによって新たな安らぎが得られ、それは、ひいては人間の心と魂と精神を鼓舞してお互いがお互いのために生きる意欲を誘い、あなたの子のすべてに分け隔てなく奉仕することによってあなたに奉仕することになることでございましょう」
 こう祈った後、最後にサークルのメンバーに向かってこう説いた。


 「私たちの訓えの根本は Service(後注)の一語に尽きます。地上の悪弊(ガン)の一つである利己主義に対して、私たちは永遠の宣戦を布告しております。戦争、流血、混乱、破壊へと導くところの物質万能主義を打ち砕かんと努力しております。

 私たちの説く福音は相互扶助、協調、寛容、思いやりの福音です。お互いがお互いのために自分を役立てるようになっていただきたい。そうすることによって持てる者が持たざる者に幾らかでも譲り、豊かな才能に恵まれた者がそれを活用して暗闇の中にいる者を啓発してあげることになるからです。

 地上世界は今、もっともっとService を必要としております。人間の一人ひとりが同じ全体の一部であり、人類のすべてに神の霊が流れている───その意味において万人が神のもとにおいて平等である───その本性に関するかぎり平等である、という認識を広める必要があります。

性格において、霊格において、進化において、そして悟りにおいて一歩先んじている者が、その持てるものを持たざる者に分け与えんと努力するところに偉大なる行為が生まれます。

 霊の世界の働きかけに応じて働く人々、持てる才能を霊団に委ねる人々は、自分を捨てることによっていつも自分が得をしていることに気づくはずです。何となれば、その行為そのものが一つの摂理に適っているからです。収賄行為ではありません。

ご利益目当ての行為でもありません。因果律の作用にほかなりません。すなわち、最も多く施す者が最も多く授かるということです」



 訳者注ーService の訳語について
 英語には、民族の文化的背景の違いから、ぴったりと当てはまる日本語が見当たらない単語が幾つかありますが、その最たるものがこの Serviceです。これをサービスというカタカナにすると〝おまけ〟の意味合いが出てくるので、あえて横文字のまま用いたのですが、

本来の意味は他人のために何かをしてあげることで、テニスの〝サーブする〟と言い方に単的にそれが表われております。すなわち相手に働きかけて何らかの相互関係を持つことです。そこに報酬のあるなしは関係ありません。つまり手数料を取っても Serviceです。

日本人がこれを〝ただで差し上げる〟という意味で使用したことから非常にややこしくなりました。というのは〝奉仕する〟と訳すと日本人は〝無料奉仕〟の観念を思い浮かべますが、本当は有料であってもService であり、同時に〝無料奉仕〟の意味でも Serviceを用いるのです。

 日本人はお金を取ると奉仕でなくなる、つまり功徳が消えるかのように考え、お金を取らなかったら大変な功徳積みをしたかのように思う傾向がありますが、その行為によって相手が何らかの益を得ればそれだけで立派な Serviceであり、功徳積みであり、シルバーバーチもその意味で用いております。金銭的感覚を超越しております。

お金をいただくことがいけないことであるかのように考えること自体がすでにお金に拘っていることを意味し、これは多分に中国から来た儒教思想の影響ではないかと考えております。

つまり幼児期から教え込まれた中国の倫理・道徳思想(四書五経)の文面にこだわって本来の意味を取り損ねているのだと思います。

 シルバーバーチはサークルのメンバーも招待客もみなキリスト教国の人間だからキリスト教を引き合いに出し、その教義の誤りを指摘して本来の宗教のあり方を説いているまでで、私は、日本人にとっては儒教思想が西洋人にとってのキリスト教と同じ悪影響を及ぼしている面が多分にあると観ております。いずれそれを神ながらの道との関連においてまとめてみたいと考えております。

 それはともかくとして、私はこれまで Service をその場に応じて幾通りにも訳し分けてきました。他人のために自分を役立てる、人のために尽くす、奉仕する、献身する、援助する、手を差しのべる等々で、文章の前後関係から判断してそう訳し分けたわけです。

英文でお読みになる方は常に前後関係、脈絡───英語でいう Context ───を見究めた上で意味を読み取ることが大切であることを老婆心ながら申し添えておきます。

これも三十年近く大学受験生を教えてきた教師としての習性が言わしめるのでしょうが、そのついでにもう一言付け加えさせていただけば、柔軟な脳細胞をしているはずの若い学生が文法や構文や語句に拘って本来の意味を取り損ね(それだけならまだしも)オバケのような日本語に訳してしかもそれを変だと思わないのは、

教説に拘ってその本来の意味を忘れていながら、形式だけで済ませてそれで良しとする思考パターンと同じで、その辺に私は学制改革だけでは済まされない、もっと奥の深い問題点を見る思いがしております。

 シルバーバーチが教説はどうでもよろしい、人のためになることをすれば、それで立派な宗教ですと言うのは、人生百般に通じる単純にして明快な訓えであると思っております。


    
 解説 霊的教訓と心霊現象 

 本書は Silver Birch Anthology (シルバーバーチ名言集──一九五五年初版──)の全訳である。全訳と言っても、編者のネーラー氏がそれまでの霊言の中から〝珠玉の訓え〟と言えるものを集めたもので、その三分の一以上に相当する部分が邦訳シリーズの前三巻に出ているので、当然それは削除せざるを得ず、その穴埋め(と言っては語弊があるが)のために前三巻の原書でカットしておいたもの、及びオースチン編 Teachings of Silver Birch から関連した部分を抜粋してある。

 このことに関しては本文の「まえがき」の末尾でも「訳者注」として述べておいた。原書を読まれる方が不審に思われるのではないかと思ったからであるが、ついでにもう一つ念のために付け加えさせていただけば、編者が霊言のオリジナル原稿(速記録とテープ)から収録するとき、編者自身の判断で部分的に削除したり段落を適当につけている(週刊の「サイキックニューズ」月刊の「ツーワールズ」に転載されているものと照合するとそれが判る)ので、私が訳す際にもところどころ私の判断によって段落を変えたり削除されているものを付け加えたりしている個所があることである。

 とにかく私は公表された限りのシルバーバーチの霊言を三十年間近く書物と雑誌とテープを通じて徹底的に親しみ、一九八一年には霊媒のバーバネルに直接面会してその肉声にも接して、それが私の脳裏に焼き付いている。

今も折をみてカセットテープを聞いてその感じを忘れないようにしながら訳している。大ゲサに、そして、いささか僭越の謗(そし)りを覚悟の上で言えば、翻訳に携わっている時の私はシルバーバーチに成り切っていると理解していただきたい。(なぜか正座して威儀を正さないと訳せない)

 さて、本文の中で〝巻末「解説」参照〟と記した部分が二個所ある。両者は表面的には関係ないようで実は重大な関連性があるので、ここで解説しておきたい。

 一つは四章の次の一文である。「私が残念に思うのは本来霊的存在であるところの人間があまりに霊的なことから遠ざかり、霊的法則の存在を得心させるために私たちがテーブルを上げてみせたりコツコツと叩いてやらねばならなくなったことです」

  これはいわゆる物理的心霊現象のことで、事実シルバーバーチの交霊会でも物理霊媒を呼んで種々の心霊現象を行っていた。心霊治療も行っていた。その最高責任者、総監督の立場にあったのがシルバーバーチであるが、物理現象の演出に直接携わるのはそれを専門とする霊団であり、心霊治療にも治療霊団が組織されていた。

 太古より霊的啓示には物理現象と病気治療はつきもので、イエスも盛んに活用している。それを聖書では〝しるしと奇跡〟Signs and Wonders と表現しているが、実際は聖書に記されているよりはるかに多く起きていたはずである。

ところが霊界通信の真実性を確信し始めた人はとかく現象的なものを軽蔑し始める傾向があり、奇妙なことにキリスト教徒が最もその傾向が強いが、これは間違いであると同時に極めて危険なことでもある。

 確かに物理的現象に直接携わるのは低級霊であり、モーゼスの『霊訓』の中でイムペレーターが述べているところによれば、いわゆる地縛霊がようやく目を覚まして修養と償いのために高級霊の指揮下で働いていることが多いようである。

言うなれば、〝更生の場〟を与えられているわけである。こうした場合は監督に当たる霊、いわゆる支配霊が高級であるから危険性はまず無い。

 それよりも意外に陥りやすい危険は、むしろそういうものを軽蔑して自分自身の、あるいは自分が所属するサークルないし宗教団体の霊言や自動書記のみを絶対のものとし、その霊媒の口ないし手を通して得られたものは何も彼も真実のもの絶対のもの高級なものと決めてかかってしまうことである。

 そういう間違った考えが定着する原因はどこにあるかと言えば、心霊現象の基本、つまり精神的現象と物理的現象の原理(心霊学)についての認識が十分でないことにある。このことが同じく四章の一文の裏面の事情とつながってくる。 「私たちは人類を破滅の道へ追いやろうと画策している悪霊の集団ではありません」

 これはキリスト教界がスピリチュアリズムのことをそう決めつけるので、それを念頭において述べているのであるが、キリスト教と切り離して考えても、心霊問題に関わる者が忘れてならない大切なことを暗々裏に述べている。つまり現実にそういう意図をもって画策している悪霊・邪霊の集団がうようよしているということである。

 先のイムペレーターもその点を再三にわたって指摘しているし、オーエンの『ベールの彼方の生活』の中でも、通信を横取りしようとしてスキを狙っている連中がいるので油断がならないと述べている。 

 そういう霊はうまく横取りした通信内容をさも自分のものであるかのように巧みに使用して、いかにも立派な高級霊であるかの如く振る舞い、そのうち通信の中にそれとなく偽りの事実を混入して問題を生じさせ、〝それみろ。霊界通信なんて全部ごまかしなんだ〟という風潮を立てさせ、そしてほくそ笑む。なぜそんなことをするかと言えば、高級神霊による計画推進を挫折させんとしているまでで、別に深い意図はない。

 では霊界通信の真偽をどうやって見分けるかということが問題となるが、シルバーバーチは常に批判的精神をもって理性的に判断するように───くだけた言い方をすれば、とことん疑ってかかれと説く。

確かにこうした活字になってしまえばそれしかないが、実際にその場に立ち会った時は、一種の直観力が何よりの武器となる。その雰囲気から読み取るのである。

 実は霊媒のバーバネル亡きあと、サイキックニューズ社はさっそく別の霊言霊媒を探し出して、その霊言を心霊誌に連載し始めた。私もそれを読んで、正直のところ最初はなかなかの内容だと思った。

そしてその後に発売されたカセットをすぐに取り寄せて、大きな期待をもって聞いたが、ものの一分も聞き続けることができなかった。

 直感的にこれはニセモノという気がしたのである。念のためにカセットを裏返して後半の部分を聞いていたが、やはり一分と聞く気になれなかった。それから一週間ほどしてもう一度気を取り直して三分間ほど聞いてみたが、やはりその雰囲気からは本物という判断はできなかった。

 果たせるかな、その後間もなくしてその霊媒のトリックが暴かれて、それきり連載も中止された。そして代わって連載されたのは又もやシルバーバーチであった。古い霊言集からの抜粋である。

 本物にはどうしようもない強みがある。英国新聞界の法王とまで呼ばれ、ヘソ曲がりの毒舌家として世界的に知られたハンネン・スワッハー(シルバーバーチの交霊会は当初はこの人の家で催され司会もこの人が勤めた)すら手も足も出なかったほどである。そのスワッハーがこう述べている。

 「が、いったん活字になってしまうとシルバーバーチの言葉もその崇高さ、温かさ、威厳に満ちた雰囲気の片鱗しか伝えることができない。出席者は思わず感涙にむせぶことすらあるのである。シルバーバーチがいかに謙虚にしゃべっても、高貴にして偉大なる霊の前にいることを我々はひしひしと感じる。決して人を諌(いさ)めない。そして絶対に人の悪口を言わない」

 内容的にいいことを言っているというだけでは霊言としての真価は分からない。ということが以上のことから理解していただけると思う。問題は雰囲気であり風格である。私の翻訳もシルバーバーチという古代霊の風格を出すことに一番苦心している。

 原書を読まれる方もそれが読み取れるまで読み込んでいただきたい。文法や構文に振り回されていては本当の意味は読み取れない。これはシルバーバーチに限ったことではないが・・・。

 知識は力なりという。これから幽明交通がいっそう盛んになっていくにつれて次々と霊界通信なるものが輩出されることであろうが、その真偽性、純粋性、優秀性を適確に判断できるようになるには、スピリチュアリズムの全体像を理解すると同時に、その基本であるところの心霊学を勉強することが、直感的判断力を自然に養ってくれると信じる。

といって心霊学を好奇心からいじくり回していては何にもならない。こうした言わば落とし穴と誘惑に満ちた世界に踏み入って宝を探すための学問的基盤として、心霊現象の原理つまり霊界側がどういう形で物的世界に働きかけているのかを知ることが不可欠であることを指摘しておきたい。                              近藤 千雄

霊媒の書  アラン・カルデック編

 The Mediums' Book    Allan Kardec

スピリチュアリズムの真髄

第2部 本論


 

11章 霊媒能力の特殊性と危険性

本章では霊媒としての能力が十二分に発揮される段階に至ってからの問題点や危険性について述べておきたい。

自動書記を例に取れば、用紙にきちんとした書体で通信文が書かれるようになったとする。が、ここでいい気になって油断すると危険である。鳥が一人前に飛べるようになって巣立った後、場所もわきまえずに飛び回っていると、ワナにかかったり鳥モチで捕らえられたりするのと同じで、邪霊が鵜の目鷹の目で見張っていることを忘れてはならない。

ラクに書けるようになったということは霊が身体機能をうまく操れるようになったという、言わば物的ハードルを乗り越えたという段階に過ぎず、霊的ならびに精神的修養はこれからなのである。

霊媒としての能力は、自由に発揮できるようになったからといって、無計画に、無節操に使用してはならない。本来は謹厳な使用目的を義務づけられて授かっているのであって、安直な好奇心の満足で終わることは許されてはいない。

本来は最良のコンディションのもとに行うべき実験会を、霊現象の面白さだけを求めて一日中行うような無分別なことをすると、高級霊は四六時中面倒を見てくれているわけではないので、下らぬ低級霊の餌食にされてしまう危険性がある。細かい点については次の一問一答から学んでいただきたい。


――そもそも霊媒的能力というのは病的なものでしょうか。それとも単に異常なものでしょうか。


「異常な状態のこともありますが、病的なものではありません。霊媒にも頑健そのものの人がいます。虚弱な霊媒は別の原因から来ています。」


――霊媒能力の使用によって疲労を来すことがありますか。


「いかなる能力でも長時間にわたって使用すれば疲労を来します。霊媒能力も、とくに物理現象の場合は流動エネルギーを多量に使用しますから、当然疲労します。が、休息すれば回復します。」


――悪用した場合は論外として、善用した場合でも霊媒能力が健康に害を及ぼすことがありますか。


「肉体的ないしは精神的な反応によって、慎重を期する必要がある場合、もしくは控えた方が好ましい場合、少なくともよほどの節制を要する場合などがあります。それは直感的に自分で判断できるものです。疲労が蓄積していると感じた時は控えるべきです。」


――人によっては霊媒能力が害を及ぼすことがあるわけですか。


「今も述べた通り、それは霊媒自身の肉体的および精神的状態に係わる問題です。体質的・気質的に過度の刺激を与えるものは避けるべき人がいます。霊媒現象もその部類に入ります。」


――霊媒能力が精神異常を来すことがありますか。


「脳障害の素因がある場合を除いては、その可能性はありません。先天的に素因がある場合は、常識的に考えて、いかなる精神的興奮も避けるべきです。」


――子供が霊能開発をするのはいかがでしょうか。


「感心しないだけでなく、危険ですらあります。子供のデリケートでひ弱な体質が過度の影響を受け、精神的にも幼い想像力が異常な刺激を受けます。子供にはスピリチュアリズムの道徳的な側面を教えるにとどめ、霊媒現象の話はしない方が賢明です。」


――しかし、生まれつき霊媒能力をもった子供がいます。物理現象だけでなく、自動書記能力や霊視能力をもった子供もいます。そういう子供は危険なのでしょうか。


「いえ、危険ではありません。そのように自然発生的であれば、そういう素質をもって生まれてきているのであり、体質的にそれに耐えられるようにでき上がっております。人為的に開発する場合とは根本的に異なり、神経組織が異常に興奮することはありません。

また、霊視能力でさまざまなものが見えても、そのような子供はそれをごく自然に受け止め、ほとんど意に介さないので、すぐに忘れてしまいます。成人してから思い出しても、それによって心を痛めることはありません。」


――では霊能開発は何歳から始めれば危険性がないでしょうか。


「何歳という定まった年齢というのはありません。身体上の発育によって違いますし、それよりもっと大切なものとして、精神的発達によっても違ってきます。十二歳でも大人より悪い影響を受けない子供がいます。もっとも、これは霊媒能力一般についての話です。物理現象になると身体そのものの消耗が大きくなります。では自動書記なら問題ないかというと、これにも無知から来る別の危険性があります。面白くて、一人でやりすぎて、それが健康に害を及ぼします。」


編者注――このあとの通信でますます明確になってくることだが、スピリチュアリズムの現象面に係わるに当たっては邪悪な低級霊に騙されないための才覚と用心を怠らないようにしなければならない。大人にしてそうなのであるから、若者や子供はなおのこと用心が肝要である。

それには精神統一と感情の冷静さによって善良で高級な霊の協力を得ることが必要となる。同じく霊の援助を祈り求めるにしても、ふざけ半分の態度で軽々しくやるのは一種の冒涜的行為であり、むしろ低級霊のつけ入るスキを与えることになる。

こうしたことを子供に忠告しても意味がないから、霊媒的素質のある子供を指導するに際しては、絶対に一人で行わないように厳重に警告しておく必要があろう。

続いて、霊媒現象の実際に関する一問一答。


――霊媒がその能力を使用している時は完全に正常な状態にあると言えますか。


「多かれ少なかれ危険な状態にある場合があります。疲労するのはそのためです。だから休息が必要となるわけです。しかし大体において正常な状態にあるとみてよろしい。とくに自動書記の場合は完全に正常です。」


――自動書記にせよ霊言にせよ、伝達される通信は霊媒自身の霊を通して届けられるのでしょうか。


「霊媒の霊にも、他の霊と同じように伝達能力があります。肉体から解放されると霊としての能力を回復するのです。このことは生者が幽体離脱して、書くなり話すなりして意志を伝達することがある事実が証明しています。

出現する霊の中にはすでにこの地上か、どこか他の天体に再生している者もいます。そういう場合でも霊として語っているのであって、人間としてではありません。霊媒の場合も同じではないでしょうか。」


――その説明ですと、霊界通信というのは全て霊媒の潜在意識が語っているにすぎないという意見を認めることになりませんか。


「その意見が全てであると断定するところに誤りがあるだけです。霊媒の霊がみずから行動することができるのは間違いない事実です。しかしそのことは他の霊が他の手段で働きかけることがある事実を否定することにはなりません。」


――では通信が霊媒自身のものか他の霊からのものかの判断はどうすればよいのでしょうか。


「通信の内容です。通信が得られた時の状況、述べられた、ないしは書かれた言葉や用語などをよく検討することです。霊媒自身が表面に出やすいのは、主にトランス状態の時です。肉体による束縛が少ないからです。通常意識の時には、通常の人間的性格とは別の、本来の自我は出にくいものです。

また、質問に対する答えが霊媒自身のものであり得るかどうかも判断の材料になります。私が、よく観察し疑ってかかるように、と申し上げるのはそのためです。」


訳注――ここで言う“疑ってかかる”というのは“批判的態度で臨む”ということであって“疑(うたぐ)る”のとは違う。

スピリチュアリズムの思想面の発達に大きく寄与した人々の中には、気の進まないまま、あるいはトリックを発(あば)いてやろうといった気持ちで交霊会に出席して、霊言で自分しか知るはずのない事実、つまり霊媒を始めその場にいる人々が絶対に知るはずのないプライベートなことを聞かされて「何かある」と直観して、その日を境に人生観が百八十度転換した人が多い。

米国の次期大統領候補とまで目されていたニューヨーク州最高裁判事のジョン・ワース・エドマンズ、英国ジャーナリズム界の大御所的存在だったハンネン・スワッファーなどがその代表的人物で、エドマンズ判事が米国の知識人に、スワッファーが英国の知識人に与えた衝撃は大きかった。とくにスワッファーの場合はシルバーバーチ霊の霊言霊媒だったモーリス・バーバネルを説得して「霊言集」として一般に公表させた功績は百万言を費やしてもなお足りないほど大きい。

いずれの人物も“煮ても焼いても食えぬ”偏屈者で知られていたが、真実を真実として直観し、確信したら真一文字に突き進んだところに霊格の高さがあった。


――現在の肉体に宿っての生活のあいだ消えている前世での知識が霊的自我によって思い起こされ、それが霊媒の通常の理解力を超えている場合も考えられるのではないでしょうか。


「トランス状態においてしばしばそういうことが起きることがあります。が、改めて断言しますが、そういう場合と、我々霊団の者が出た場合とでは、よくよく検討すれば疑う余地のない違いというものが見つかります。時間を掛けて検討し、じっくり熟考なさることです。確信に至ります。」


――霊媒自身の霊的自我から出たものは他の霊からのものに比べて見劣りがするということでしょうか。


「必ずしもそうではありません。他の霊の方が霊媒より霊格が低い場合だってあるわけですから、その場合は他の霊からの通信の方が劣るでしょう。そうした現象はセミ・トランス状態でよく見られます。なかなか立派なことを述べていることもあります。」


訳注――ここで“セミ・トランス”と訳したのは英文ではsomnambulism(ソムナンビュリズム)となっている。これはもともと心理学の用語で、日本語では“夢遊病”などと訳されている。心理学がこれを病気として扱うのはやむを得ないが、スピリチュアリズムの観点からすれば病的なものではなく、トランス状態の初期の段階なので“半入神”という意味でセミ・トランスとした。

この訳に落ち着くまでに私は同じカルデックのもう一冊の『霊の書』『The Spirits' Book』、マイヤ-スの『Human Personality』、それにナンドー・フォドーの『Encyclopedia of Psychic Science』の該当項目を丹念に読んだ。いずれも多くの紙面を割いていることからも、複雑なものであることが窺えた。

カルデックの通信霊はトランスとソムナンビュリズムの相違点を質されて「トランスとはソムナンビュリズムの状態が一段と垢抜けて、魂がより多くの自由を得た状態」と述べ、マイヤースはトランスを次の三段階に分けている。

第一段階では潜在意識(自我)が肉体をコントロールするようになる。第二段階ではそのコントロールを維持しながら自我は霊界へ赴くかテレパシー的に交信状態を得る。そして第三段階で身体が別の霊にコントロールされる。心理学がソムナンビュリズムと呼んでいるのは第一段階に相当する。

フォドーも多くのページを割いてトランス状態とソムナンビュリズムの例を挙げているが、結論としては上のマイヤースの分類法を引用している。

どうやら仰々しい人物を名乗った霊言や自動書記通信はその第一段階、つまり浅いトランス状態で霊媒自身が述べているようである。


――霊が霊媒を通して通信を送ったという場合、それは霊が直接的に思想を伝達したということでしょうか、それとも霊媒の霊が媒介して伝達したということでしょうか。


「霊媒の霊は通信霊の通訳のような役目をしています。(“通訳”の語意についてはこの後の問答であきらかとなる――訳注)霊媒の霊は肉体とつながっており、言わばスピーカーのような役もしています。また、今のあなたと私のような送信する側と受け取る側との間の伝導体の役もしています。皆さんが電信でメッセージを送る場合を想像してみてください。まず電波を伝える電線が必要ですが、それと同時にメッセージを送る者と受け取る者とがいなければなりません。つまり送信する知的存在と受信する知的存在、そして電気という流動体によって伝達されるメッセージ、それだけ揃わないと電信は届かないわけです。」


――霊から送られてきたメッセージに対して霊媒の霊が何らかの影響を及ぼすことがありますか。


「あります。親和性がない場合にそのメッセージの内容を変えて、自分の考えや好みに合わせて脚色します。ただし通信霊その者に影響を行使することはありません。つまりは“正確さを欠く通訳”ということです。」


――通信霊が霊媒を選り好みすることがあるのはそのためですか。


「そうです。親和性があって正確に伝えてくれる通訳を求めます。親和性が全く欠如している場合は、霊媒の霊が敵対者となって抵抗を示すことさえあります。こうなったら文句ばかり言う通訳のようなもので、“不誠実な通訳”ということになります。

人間どうしでもそんなことがありませんか。連絡を頼んだのにその者が不注意だったり敵対心を抱いたりして、正しく伝えてくれないことがあるではありませんか。」


訳注――この部分を訳していて、シルバーバーチがバーバネルを霊媒として使用するために、母胎に宿った瞬間から霊言通信のための準備をしたわけがよく理解できた。

ご承知の方も多いと思うが、シルバーバーチというのは肖像画として描かれているインディアンではなく、“光り輝く存在”の域にまで達した高級霊の一柱で、三千年前に地上で生活したことがあるということ以外、地上時代の名前も国籍も地位も最後まで明かさなかった。すでに意義を失っているからだという。

そのシルバーバーチから発せられたメッセージが、トランス状態のバーバネルに憑依しているインディアンに届けられ、そのインディアンがバーバネルの言語中枢を通して英語で語った。この言語の問題についてはこの後の問答でも出てくるが、シルバーバーチが「英語の勉強に十数年を費やした」と言っているのは、霊界の霊媒であるインディアンのことである。本源のシルバーバーチは思想をそのまま伝達していたはずである。

この三者と司会のハンネン・スワッファー、それに速記録を取り続けたフランシス・ムーア女史などは同じ類魂に属していたはずで、出生前から綿密な打ち合わせができていて、親和性は完璧だったことであろう。シルバーバーチが「私の言いたいことが百パーセント伝えることができます」と言っているのもうなずける。


――霊には“思念の言語”しかない――言葉で述べる言語はない――と言うことは、伝達手段は一つ、思念しかないということを前提としてお尋ねしますが、霊は地上時代にしゃべったことのない言語で霊媒を通してしゃべることができるのでしょうか。もしできるとした場合、その単語をどこから仕入れるのでしょうか。


「今“一つの言語しかない、つまり思念の言語しかない”とおっしゃいました。それがその質問に対する回答になっているではありませんか。思念の言語はあらゆる知的存在――霊だけでなく人間にも理解できるのですから。出現した霊がトランス状態の霊媒の霊に語りかける時、それはフランス語でもなく、英語でもなく、普遍的言語すなわち思念で語りかけます。が、それを特定の言語に翻訳し、その言語であなた方に語りかける時は、霊媒の記憶の層から必要な単語を取り出します。」


――そうなると霊は霊媒の言語でしか表現できないことになります。ですが、我々が入手した通信には霊媒自身の知らない言語で書かれたもの、ないしは語られたものがあります。矛盾しませんか。


「基本的な認識として理解していただきたいことが二つあります。一つは、霊の全てが等しくこの種の現象に向いているとは限らないこと。もう一つは、霊側としても、よほど望ましいとみた時にのみこの手段を選んでいるに過ぎないことです。普通の通信では霊は霊媒の言語を用いたがります。肉体機能を利用する上で面倒が少ないからです。」


――こういうことは考えられませんか。書くにせよ語るにせよ、その言語は前世で使っていたもので、その直覚が保存されていたと……。


「そういう例もたまにはありますが、通例というわけではありません。と言うのは、霊には遭遇する物的抵抗を克服する力が備わっていますし、必要とあれば取っておきの能力を駆使することもできるからです。例えば霊媒自身の言語で書いていても、霊媒の知らない単語もあるわけですから、それを書かせるには取っておきの能力が通信霊に要求されます。」


――通常の状態では文字の書き方すら知らない者でも自動書記霊媒が務まりますか。


「務まります。ただし、その場合には通信霊に技術的な面で普段より大きな負担が掛かることは明らかです。霊媒の手そのものが文字を綴るのに必要な動きに慣れていないからです。絵の描き方を知らない霊媒に絵を描かせる場合にも同じことが言えます。」


――教養のない霊媒を高等な通信を受け取るのに使うことは可能ですか。


「可能です。教養のある霊媒でも時には理解できない単語を書いたり語ったりさせられるのと同じです。厳密な意味から言うと、霊媒という機能は、本来、知性とも徳性とも関係ないものです。ですから、差し当たって有能な霊媒が見つからない時は、取りあえず使える霊媒で我慢して、それを最高度に活用します。が、重大な内容の通信を送る時は、なるべく物理的な手間が少なくて済む霊媒を選ぶのは当然でしょう。

さらに、白痴と呼ばれている人の中には脳の機能障害が原因でそういう症状になっているだけで、内在する霊は見た目には想像もつかないほど霊性が発達している場合があります。その事実はこれまでにおやりになった生者と死者の招霊実験で確認ずみのはずです。」


編者注――我々のサークルで数回にわたって白痴の生者の霊を招霊したことがある。霊媒に乗り移った霊は自分の身元つまり白痴の身の上を明確に証言し、その上で我々の質問に対して極めて知的で高等な内容の返答をしている。

白痴というのは、そういう欠陥のある肉体に宿って再生しなければならないような罪に対する罰であることが多い。が、脳に欠陥があることが結果的には霊に脳の束縛を受けさせなくしていることになり、それだけに、物的生活によって間違った人生観を抱いている霊媒よりも純粋な霊的通信が得られることがある。


――作詩法を知らないはずの霊媒によってよく詩文が書かれることがありますが、これはどうしてでしょうか。


「詩も一種の言語です。霊媒の知らない言語で通信が書かれるのと同じ要領で詩が書かれるだけです。ただ、それ以外の可能性として、その霊媒が前世で詩人だったというケースも考えられます。霊は一度記憶したことは絶対に忘れません。ですから、我々が働きかけることによって、その霊媒の霊がそれまでに身につけたもので通常意識では表面に出ないものが、いろいろと便宜を与えてくれることがあります。」


――絵画や音楽の才能を見せる霊媒についても同じことが言えますか。


「言えます。絵画も音楽もつまるところは思想の表現形式ですから、やはり言語であると言えます。霊は、霊媒が有する才能の中から最も便利なものを利用します。」


――詩文であれ絵画であれ音楽であれ、そうした形式での思想の表現は、霊媒の才能によって決まるのでしょうか、それとも通信霊でしょうか。


「霊媒の場合もあれば通信霊の場合もあります。高級霊になるほど才能は豊かです。霊格が下がるほど知識と能力の範囲が狭くなります。」


――前世では驚異的な才能を見せた霊が、次の再生ではその才能を持ち合わせないというケースがあるのはどうしてでしょうか。


「その見方は間違いです。反対に、前世で芽生えた才能を次の再生時に完成させるケースの方が多いです。ただ、よくあるケースとして、前世での驚異的な才能を一時的に休眠状態にしておいて、別の才能を発揮させることがあります。休眠状態の才能は消滅したわけではなく、胚芽の状態で潜在していて、またいつか発現するチャンスが与えられます。もっとも、何かの拍子にそうした才能が直覚によっておぼろげに自覚されることはあります。」

シルバーバーチの霊訓(四)

 Silver Birch Anthology 

 Edited by William Naylor



九章 宗教の本質と子供の宗教教育のあり方

 ある日の交霊会で〝宗教〟の定義を求められてシルバーバーチはこう述べた。

 「宗教とは同胞に奉仕することによって互いの親である神に奉仕することです。本来の宗教は地上の世俗的概念とはほとんど何の関係もありません。人間の魂に内在する神性を地上生活において発揮させるものでなければなりません。

自分と神とのつながり、そして自分と同胞とのつながりを大きくするものでなければなりません。自分一人の世界に閉じ込もらずに広く同胞のために自分を役立てるように導くものでなければなりません。宗教とは人のために自分を役立てることであり、自分を役立てることがすなわち宗教です。

 そのほかのこととは何の関わりもありません。肉体が朽ちてしまえば、それまで永いあいだ後生大事にしていたもの、そのために争うことまでした教義のすべてが空虚で無価値で無意味で無目的なものであったことを知ります。魂の成長を微塵も助長していないからです。

魂の成長は自分を役立てることによってのみ促進されるものです。他人のために自分を忘れているうちに魂がその大きさと力を増すものだからです。

 地上にはこれまであまりに永いあいだ、あまりに多くの世俗的宗教が存在し、それぞれに異なった教えを説いております。しかしその宗教がもっとも大事にしてきたものは実質的には何の価値もありません。

過去において流血、虐待、手足の切断、火刑といった狂気の沙汰まで生んだ教義・信条への忠誠心は、人間の霊性を一インチたりとも増しておりません。逆に、いたずらに人類を分裂させ、障壁をこしらえ、国家間、果ては家族間にも無用の対立関係を生みました。論争の原因ともなっております。

分裂と不和を助長することばかりを行ってきました。神の子等を一つに結びつけることに失敗しております。私が宗教的建造物や俗にいう宗教に価値を認めない理由はそこにあります。主義・主張はどうでもよいのです。大切なのは何を為すかです。


 続いて子供の宗教教育のあり方について聞かれて───

 「今日の子供は明日の大人であるという、ごく当たり前の考え方でその問題と取り組んでみましょう。当然それは学校教育を終えたあとの社会生活において、その社会の重要な責務を担う上での備えとなるべきものでなければなりません。

 意識ある社会の一員として、いかなる事態においても、社会のため人類のために貢献できる人物に育てるための知識を授けることが教育の根本義なのです。

それには何よりもまず宇宙の摂理がいかなるものであるかを説いてやらねばなりません。人間が有する偉大な可能性を教え、それを自分自身の生活と、自分の住む地域社会に役立てるために開発するよう指導してやらねばなりません。

 子供は感受性が強いものです。知能的にも、教えられたことが果たして真理であるかどうかを自分で判断することが出来ません。とても従順ですから、教えられたことは何もかも本当のことと信じて、そのまま呑み込んでしまうのです。

 このように、子供を教育することは、実に貴重でしかもデリケートな原料を扱っていることになります。教え込んだことがそのまま子供の性格のタテ糸となりヨコ糸となって織り込まれていくのですから、教育者はまず教育というものの責任の重大さを自覚しなくてはなりません。

子供の潜在意識に関わることであり、教わったことはそのまま潜在意識に印象づけられ、それが子供のその後の思想を築いてゆく土台となるのです。

その意味で、筋の通らぬ勝手な訓えを説く宗教家は、動機がどうあろうと、人類とその文明の将来に大きな障害を築いていくことになり、罪を犯していることになるのです。

 子供に種々さまざまな可能性が宿されていることを知らない人、霊的真理に通じていない人、子供が霊的存在であり神の子であることを知らない人、宇宙における人間の位置を理解していない人───こうした人に育てられた子供は健全な精神的発育を阻害されます。

 ここで子供の物的生活における必須の要素について語るのは私の領分ではありません。それについてはすでに十分な知識が普及しております。あらゆる分野の科学とあらゆる生命現象についての教育、地上なりの豊かな文学と芸術と教養の真価を味わえる精神を培う上で役に立つもの全てを教えてやるべきであることは明白です。

 そこで宗教の問題に絞って申せば、宗教とは個々の魂が人生のあらゆる闘いに堂々と対処し、そして克服していく上での指導原理である以上、教育上極めて重大な意義を有することは明らかです。

子供の一人ひとりが神の一部であり、本質的に霊的存在であるからには〝自由〟がもたらすところのあらゆる恵みを受けて生きるように意図されております。その魂を幼い時期に拘束し自由を奪うようなことをすれば、それは魂の基本的権利を無視することになります。奴隷状態に陥(おちい)らせることです。霊的奴隷としてしまうことです。

 〝自由〟こそが教育の核心です。私の考えでは、宗教についての正しい真理を教わった子供は自由闊達に成長します。

教育に携わる人が子供に自由を与えてやりたいという意図からでなく、古い神話や寓話への忠誠心を植えつけたいという願望から物ごとを教えていけば、それは子供の精神の泉を汚染することになります。

もしも知性があれば拒絶するはずの間違った教義を教え込むことは、宗教的観点からみても教育的観点からみても、その子にとって何の益にもなりません。

 それだけでは済みません。いつかきっと反撥を覚える時期がまいります。無抵抗の幼い時期に間違ったことを教え込んだ人たちみんなに背を向けるようになります。幼い魂は若木のように逞しく真っすぐに生長するように意図されております。それが間違った育て方をされるということは存在の根をいじくり回されることであり、生長が阻害されます。

 霊について、神とのつながりについて正しい真理を教えるのでなく、倒れかかった教会を建て直し、空席を満たそうとする魂胆から誤った教義を押し付けんとする者すべてに対して私は断固として異議を唱えます。

宗教についての真実を申せば、真理の全てを説いている宗教など有りえないということです。どの宗教も、真理の光のほんの一条しか見ておりません。しかも悲しい哉、その一条の光すら永い年月のうちに歪められ、狂信者によって捏造されております。

 子供には宗教とは人のために自分を役立てることであること、ややこしい教義に捉われることなく、真面目で無欲の生活を送り、自分が生活している社会のために尽くすことであること、それが神に対して真に忠実に生きるという意味であることを教えてやらねばなりません」
                                            

Friday, May 1, 2026

霊媒の書  アラン・カルデック編

 The Mediums' Book    Allan Kardec

スピリチュアリズムの真髄

第2部 本論




10章 自動書記現象の種々相

数ある霊とのコミュニケーションの手段の中でも“書く”ということが最も単純で、最も手軽で、何かと都合がいい。

と言うのは、きちんと時刻を定めて連続して交信することができ、その間の通信の内容や筆跡や態度を見て、通信霊の性格や霊格の程度や思想をじっくりと分析し、その価値判断を下すことができるからである。

体験を重ねるごとに霊的通信の純度が高まるという点でも、自動書記は好ましい手段である。

ここでいう自動書記というのは、その霊能つまり通信霊からのメッセージを受け止めて用紙に書き記すという能力を持った霊媒を中継して得られるものを言うのであって、霊媒を仲介せず、書くための道具もなしに記される直接書記とはメカニズムが異なる。(第八章参照)

自動書記には大別して三つのタイプがあり、霊媒によっては二つのタイプが交じり合っている場合もある。
①受動書記(器械書記)

本書の初めに紹介したテーブルラップやプランセットによる通信、および霊媒が筆記用具を握って書く通信は、このあと紹介する直覚書記や霊感書記と違って、テーブルやプランセットや霊媒の腕または手に霊が直接働きかけて通信を送るもので、例えば霊媒が手で書く場合でも霊媒自身は何が書かれるのか全く関知しないという点で受動的であり、その意味からこれを受動書記または器械書記と呼んでいる。霊媒の手もただの器械にすぎないと見なすわけである。(テーブルラップは物理現象の部類に入れられるのが普通であるが、符丁による通信が文字に置き替えられて綴られるという点では、確かに自動書記現象でもある――訳注)

この受動書記では手が激しく動いて、握っている鉛筆が手から離れて飛んでいったり、鉛筆を握ったまま苛立(いらだ)ったようにテーブルを叩き、鉛筆の芯が折れたりすることがある。霊媒はいっさい関係なく、そうした動きを呆れ顔で見つめている。

こうした現象が生じる時は決まって低級霊の仕業とみてよい。高級霊はあくまでも冷静で威厳が漂い、態度が穏やかである。会場の雰囲気が乱れていると高級霊は直ぐに引き上げる。そして代わって低級霊が出てくる。
②直覚書記(直感書記)

霊は霊媒の精神機能に働きかけることによって思想を伝達する。手や腕に直接働きかけるのではない。その身体に宿っている魂――霊媒が“自分”として活動するための顕在意識と潜在意識の総体――に働きかけ、その間は霊媒と一体となっている。ただし、霊媒と入れ替わっているのではないことに注意しなければならない。

霊の働きかけを受けて霊媒の精神が反応し手を動かして書く。あくまでも霊媒が書いているのであるが、伝達される思想は霊からのもので、霊媒はそれを意識的に綴っている。これを直覚書記または直感書記と呼ぶ。
③半受動書記

①の受動書記と②の直覚書記とが並行して行われる場合があり、頻度としてはこのケースがいちばん多い。

受動書記では“書く”という動作が先行し、その後から思想が付いてくる。直覚書記では思想が先行し、その後書くという動作が伴う。その両者が同時に起こる、あるいは前になったり後になったりするのを半受動書記と呼ぶ。
④霊感書記

通常意識の状態ないしはトランス状態で自分の精神の作用以外の始源から思想の流入を受け取ってそれを書き記すもので、②の直覚書記ときわめてよく似ている。唯一異なる点は、その思想が霊的始源からのものであるとの判断が明確にできないことで、霊感書記の最大の特徴はその自然発生性、つまり霊媒自身はそれをインスピレーションであるとの認識が定かでない点にある。

そもそもインスピレーションというのは、良きにつけ悪しきにつけ、霊界から我々人間に影響を及ぼす霊から送られてくるもので、日常生活のあらゆる側面、あらゆる事態における決断において関与していると思ってよい。

その意味においては我々は一人の例外もなく霊感者であると言える。事実、我々の周りには常に幾人かの霊がいて、良きにつけ悪しきにつけ、リモート・コントロール式に我々を操っている。

その事実から、守護霊を中心とする背後霊団の存在意義を理解しなければならない。人生には右か左かの選択を迫られる時機、何を言うべきかで迷う時があるものだが、そのような時に守護霊からのインスピレーションを求めることができる。自分と最も親和性の強い類魂であるとの知識に基づいた信念をもって祈り、あるいは瞑想によって指示を仰ぐ。

それに対する霊団側の反応は、最高責任者である守護霊の叡智によって一人一人異なる。まるで魔法のごとく名案を授かるかと思えば、何の反応も得られないこともある。そのような時は「待て」の指示であると受け止めるべきである。

よく耳にする話として、格別の霊的能力があるわけでもなく、また通常意識に何の変化があるわけでもないのに、一瞬の間に思想の奔流を受け、時には未来の出来事の予言まで見せられ、本人はただ唖然としてそれを受け止めるといった現象がある。そして終わってみると、それまでの悩みも苦しみも、跡形もなく消えている。

さらに天才と言われる人たち――芸術家、発明家、科学的発明者、大文学者等々――も高級霊の道具として偉大なるインスピレーションを授かるだけの器であったということであり、その意味では霊媒と同じだったわけである。


訳注――私の母は若い頃から火の玉を見たり神棚の御鏡に神々しい姿が映っているのが見えたりしたというから霊能がかなりあったようであるが、その人生は戦前と戦後とで天国と地獄を味わった、波乱に富んだ人生だった。のちに私の師となる間部詮敦氏と初めてお会いして挨拶をした時は「荒れ狂う激流を必死に泳いで、やっと向こう岸にたどり着いた感じがした」と言っていた。

その母が私にぽっつり語ったところによると、苦悶の極みに達すると必ず白い光の玉がぽっかりと浮かんで見え、それが消えると同時に一切の悩みも苦しみも消えていたという。ところが晩年にある人からしつこく意地悪をされたことがあり、私もそれを知っていたが、母が平然としているので、さすがに母だと思っていた。

ところがある日ついに堪忍袋の緒が切れて激怒に及んだ。それきり意地悪もされなくなったが、同時に「あの白い光の玉が見えなくなった」と寂しそうに言っていた。その後また見えるようになって喜んでいたが、この話から私は、いくら正義の憤怒とはいえ波動が乱れては高級な背後霊との連絡も途絶えることを教えられた。

以下は、自動書記の原理に関する霊団との一問一答である。


――インスピレーションとは何でしょうか。


「霊による思念の伝達です。」


――インスピレーションは重大なことに限られているのでしょうか。


「そんなことはありません。日常生活のいたって些細なことについてもあります。例えば、どこかへ行こうと思った時、その方角に危険が予想される場合には行かないようにさせます。あるいは思ってもみなかったことを、ひょっこり思いついてやり始める場合もそうです。一日のうちのどこかで大なり小なりそうした指示を霊感によって受けていない人はほとんどいないと考えてよろしい。」


――作家とか画家、音楽家などがインスピレーションを受ける時は、一種の霊媒と同じ状態にあると考えてよろしいでしょうか。


「その通りです。肉体による束縛が弱まって魂の活動が自由になり、霊的資質の一部が発現します。そんな時に霊団からの思念や着想がふんだんに流入します。」

次の問題として、霊媒の能力が一時的に中断したり急に失われたりすることがある。自動書記現象だけでなく物理現象その他の霊媒でも同じことがある。その問題について一問一答は次の通りである。


――霊媒能力が失われることがあり得ますか。


「よくあります。どんな能力でもあります。が、割合としては、完全に失われてしまうよりも、一時的な中断の方が多く、それも短期間です。再開されるのは中断された時の原因と同じことから発します。」


――それは霊媒の流動体の問題ですか。


「霊的現象というのは、いかなる種類のものであれ、親和性のある霊団の働きなしには生じません。現象が生じなくなった時は、霊媒自身に問題があるのではなく、霊団側が働きを止めたか、あるいは働きかけができなくなった事情がある場合がほとんどです。」


――どんな事情でしょうか。


「高級霊になると、霊媒に関して言えば、その能力の使用法によって大きな影響を受けるものです。具体的に言えば、ふざけ半分にやり始めたり野心が度を超しはじめたら、すぐに見放します。また、その能力を霊的真理の普及のために使用するという奉仕の精神を忘れ、指導を求めて来る人や研究・調査という学術的な目的で現象を求めに来る人を拒絶するようになった時も、高級霊は手を引きます。

大霊は霊媒自身の娯楽的趣味のために能力を授けるのではありません。ましてや低俗な野心を満足させるためではさらさらありません。あくまでも本人および同胞の霊性の発達を促進するために授けているのです。その意図に反した方向へ進みはじめ、教訓も忠告も聞き入れなくなった時に、霊団側はその霊媒に見切りをつけ、別の霊媒を求めます。」


――霊が去った後は別の霊が付くのではありませんか。もしそうであれば、霊媒の能力そのものが一時的に休止してしまうという現象はどう理解すべきでしょうか。


「面白半分に通信を送るだけの霊ならいくらでもいますから、高級霊が去ってしまった後に付く霊には事欠きません。が、優れた霊が霊媒への戒めのために、つまりその霊的能力の行使は霊媒とは別の次元の者(霊)によるものであって霊媒自身が自慢すべきものではないことを悟らせるために、一時的に休止状態にすることはあります。一時的に何もできなくなることによって霊媒は、自分が書いているのではないことを身に沁みて悟ります。もしそうでなかったら書けなくなるはずはないからです。

もっとも、必ずしも戒めのためばかりとも言えません。霊媒の健康への配慮から休息させる目的で中断することもあります。そういう場合には他の霊による侵入の懸念はありません。」


――しかし、徳性の高い人物で健康面でも別に休息の必要もないはずの霊媒が、通信がぷっつりと切れてしまって、その原因が分からずに悩んでいるケースはどう理解すればよいのでしょうか。


「そういうケースは忍耐力と意志の堅固さを試す試練です。その期間がいつまで続くかを知らされないのも同じく試練のためです。

一方、その期間はそれまでに届けられた通信を反芻(はんすう)させるためでもあります。それをどう理解しどう役立てるかによって、その霊媒が我々の道具として本当の価値があるかどうかの判断を下します。興味本位で立ち会う出席者についても同じような判断を下します。」


――何も出ない場合でも霊媒は机に向かうべきでしょうか。


「そうです、そういう指示があるかぎりは何も書かれなくても机に向かうべきです。が、机に向かうのも控えるようにとの指示があれば、止めるべきです。そのうち再開を告げる何らかの兆候が出ます。」


――試練の期間を短縮してもらう方法があるのでしょうか。


「忍従と祈り――そういう事態での取るべき態度はこれしかありません。毎日机に向かってみることです。が、ホンの数分でよろしい。余計な時間とエネルギーの消耗は賢明ではありません。能力が戻ったかどうかを確認することだけが目的です。」


――ということは、能力が中断したからといって必ずしもそれまでに通信を送ってくれた霊団が手を引いたとは限らないということですね?


「もちろんです。そういう時の霊媒は言わば“盲目という名の発作”で倒れているようなものです。が、たとえ見えなくても、実際は多くの霊によって取り囲まれております。ですから、そういう霊との間で思念による交信はできますし、また、それを求めるべきです。思念が通じていることを確認できることがあるでしょう。自動書記という現象は途絶えても、思念による交信まで奪われることはありません。」


――そうすると、霊媒現象の中断は必ずしも霊団側の不快を意味するものではないということでしょうか。


「まさにその通りです。それどころか、霊媒に対する優しい思いやりの証拠ですらあります。」


――霊団側の不快の結果である場合はどうやって知れますか。


「霊媒自身がおのれの良心に聞いてみるがよろしい。その能力をいかなる目的に使用しているか、どれだけ他人に役立てたか、霊団の助言・忠告によってどれだけ学んだか――そう自分に問いかけてみることです。その辺の回答を見出すのはそう難しくはないでしょう。」


――霊媒が自分が書けなくなったので他の霊媒に依頼するということは許されるでしょうか。


「それは、書けなくなったその原因によりけりです。通信霊はひと通りの通信を届けた後は、あまりしつこく質問するクセ、とくに日常生活のこまごまとしたことで相談する傾向を反省させる目的で、しばらく通信を休止することがあります。そういう場合は他の霊媒に代わってもらっても、満足のいくものは得られません。

通信の中断にはもう一つ別の目的があります。霊にも自由意志がありますから、呼べば必ず出てくれるとは限らないことを知らしめるためです。同じく交霊会に出席する人たちにも、知りたいことは何でも教えてもらえるとは限らないことを知らしめるためでもあります。」


――神はなぜ特殊な人だけに特殊な能力を授けるのでしょうか。


「霊媒能力には特殊な使命があり、そういう認識のもとに使用しなくてはなりません。霊媒は人間と霊との仲介役です。」


――霊媒の中には霊媒の仕事にあまり乗り気でない人がいますが……。


「それは、その人間が未熟な霊媒であることの証拠です。授かった恩恵の価値が理解できていないのです。」


――霊媒能力に使命があるのであれば、立派な人間にのみ特権として与えればよさそうに思えますが、現実にはおよそ感心できない人間が持っていて、それを悪用しているのはなぜでしょうか。


「もともとその人間自身にとって必要な修行として、その通信の教訓によって目を開かされることを目的として与えられています。もしもくろみ通りにいかなかった場合には、その不誠実さの結果について責任を問われることになります。イエスがとくに罪深き者を相手に教えを説いたことを思い起こすがよろしい。」


――自動書記霊媒になりたいという誠実な願望を抱いている者がどうしても叶えられない時は、霊団側がその者に対して親愛感が抱けないからと結論づけてよろしいでしょうか。


「そうとは限りません。体質的に自動書記霊媒として欠けたものがあることも考えられます。詩人や音楽家に誰でもなれるとは限らないのと同じです。が、その欠けた能力は、他の、同じ程度の価値のある能力で埋め合わせられていることでしょう。」


――霊の教えを直接耳にする機会のない人は、どうやってその恩恵に浴することができるのでしょうか。


「書物があるではありませんか。クリスチャンには福音書があるのと同じです。イエスの教えを実践するのにイエスが実際に説くのを聞く必要があるでしょうか。」

シルバーバーチの霊訓(四)

Silver Birch Anthology 

 Edited by William Naylor




八章  質問に答える

 再生の問題、動物実験の是非、犯罪、自殺等々についての質問がシルバーバーチのもとに数多く寄せられる。その中から幾つかを紹介しよう。
質問(一)─── 動物実験は正しいことでしょうか間違ったことでしょうか。
 これによって人類の益になるものが得られるのでしょうか。

「私はかねがね動物を使っての実験のすべてに反対しております。そこに何一つ正当化すべきものは見出せません。動物はあなた方人間が保護し世話すべきものとして地上に存在しているのです。

その成長と進化を促進する責任が、全面的とは言えませんが、人間に託されております。その無力な動物に苦痛を与えることは、動物が人間に示す情愛と献身と忠誠に対するあまりに酷い報復です。

 治癒力は自然界にさまざまな形で存在し、使用されるのを待っております。動物界の創造と進化をそんな形で邪魔しなくてもよいように、必要なものは創造主がちゃんと用意してくださっております。私たちの世界から援助するスピリットは苦痛を軽減したり不治と宣告された病すら治してしまう技術を身につけておりますが、決して生体実験は致しません。

 薬草を使うことがあります。霊波を使うことがあります。いずれも動物に対する残酷な行為は伴いません。宇宙には道義的な意図が行きわたっております。非道義的なものは摂理に反します」

質問(二)───スピリチュアリストの中にはスピリチュアリズムを占星術と同類とみている人がいます。そういう人たちは地上の出来ごとは星によって宿命づけられ操られていると考えています。

 「生命現象は一連のバイブレーション、放射性物質、放散物から成っており、したがって人間も自然界のあらゆる存在ないしは生命体によって影響されていることは確かです。そういったものが影響を及ぼしていることは事実ですが、どれ一つとして、どうしようもない宿命的な力を持ってはおりません。

あなたの誕生日にある星が地平線上にあったからといって、その星によってあなたの生涯が運命づけられていると考えるのは間違いです。

すべての惑星、すべての自然、宇宙間のあらゆる存在、あらゆる生命体が何らかの影響を及ぼします。しかしあなたはあなたの魂の支配者です。あなたには自分で背負わねばならない責任があり、あなたの霊的進歩に応じて自分が運命を定めていくのです。

 占星術でいう惑星には確かに人体に影響を及ぼす放射性物質がありますし、人体に影響を及ぼせば霊も影響を及ぼすことになります。しかし霊は絶対です。全てに優るものです。ですから、いかなる恒星も惑星も星座も星雲も、人体に及ぶ影響を克服するその霊の威力を妨げる力はありません。

 私が言いたいのは、要するにあなた方は神の一部であること、そして神性を宿すがゆえに、創造力を宿すがゆえに、この宇宙を創造した力の一部であるがゆえに、あなた方はその身体を牛耳ろうとする力に打ち克つことができるということです。

 分かりやすく言えば私も影響力の一つです。あなた方が付き合う人たちも何らかの影響を与えます。お読みになる本も影響力を持っております。しかしあくまで影響力にすぎません。それによってあなたが圧倒されることもないし、絶対的に支配されることもないでしょう」


質問(三)───再生は本当にあるのでしょうか。

 「再生は事実です。私はかつて地上へ再生したことのある霊に何人か会っております。 特殊な使命を託された人、預けた質を取り戻したい人がみずからの意志で行うものです。

 ただし再生するのは個的存在の別の側面です。同じ人格がそっくり再生するのではありません。ここに一個の意識的存在があって、そのごく小さな一部がちょうど氷山のように地上に顔を出します。それが誕生です。残りの大きい部分は顕現しておりません。

 次の誕生つまり再生の時にはその水面下の別の一部分が顔を出します。二つの部分に分かれても個的存在全体としては一つです。これが霊界において進化を重ねて行くと、その潜在している部分全体が顕現した状態となります」(表現する身体が精妙となっていき、それだけ神性が発揮しやすくなっていくー訳者)


質問(四)───私は最近、一方において若者による犯罪が激増し、他方においては体罰が禁じられていることについて大いに考えさせられております。暴力以外に青春のはけ口を知らず、けだもの同然となってしまっている若者をどう扱ったらよいのでしょうか。何かよい処罰の方法はないものでしょうか。(第二次大戦後のこと。本書は一九五五年の出版──訳者)

 「戦争が起きると気高い人間的精神(愛国心)が昂揚される半面、敵を殺そうとする、人類の最も残忍な性質が発揮されます。人間精神の極致ともいうべき英雄的行為を生むと同時に、むごたらしい野蛮性も生みます」


───両極端が発揮されるわけですね。

 「そういうことです。しかも、暴力の方は戦争の必然性として大いに奨励されることになります。では戦争が終われば暴力と残忍性がすぐに引っ込むかといえば、そう簡単にはまいりません。

すでに無数の人間が獣性をむき出しにした状態になっております。そうした事態にどう対処すべきかをお尋ねですが、それには二つの方法があります。

 いずれも地上で敬々しく読まれている本(新旧聖書)にはっきりと述べられているものです。古い方は〝目には目を、歯には歯を〟(出エジプト記)と説き、新しい方は〝己を愛するごとく隣人を愛せよ〟(マタイ)と説きます。どちらが良いかは分かり切ったことです。

 前者の方法を取れば解決は得られません。緩和剤、一時しのぎの荒治療にはなっても、罪悪ないし蛮行を根本から無くしたことにはなりません。

後者の方法を取り、そうした邪悪が精神と肉体と霊との不調和から生まれていることを認識し、それを矯正するための適切な手段を講ずれば、彼らもまともな市民となっていくでしょう。私はこの方法をお勧めします」


───それは解るのですが、問題はそうした暴徒にどう近づくか、つまり彼らの従順な側面をどう捉えるかです。

 「従順な側面をとらえるかどうかの問題ではありません。彼らの野獣性を鎮め、本来の姿である霊性を発揮させるような精神的治療を、さらに必要であれば霊的治療をいかに施すかの問題です。言ってみれば彼らは一種の病人であり、肉体と魂とが本来のつながりを失っているのです。

病気を治すにはいろんな方法がありますが、いちばん望ましい方法は身体と精神と霊の狂った関係に終止符を打ち、協調関係を取り戻させることです。すると自動的に健康状態になります。

それと同じで、秀れた心理学の専門家の協力、さらには心霊治療家の参加を得ることが出来れば、きっとうまく行くでしょう。しかし、残念ながら、地上はまだその段階まで来ておりません」


───(別のメンバーが)これは非常に考えさせられる問題です。そういう若者はしっかりと体罰を課せば一応おとなしくなると思うのですが・・・。

 「恐怖心を吹き込むばかりで、病弊の治療にはなりません」

───でも、おとなしくさせることは出来るでしょう。

 「できます。ですが、一個の人間としての問題の解決にはなりません。あなた方は極めて限られた視野で見ておられます。それはちょうど死刑にするのと同じです。

その人間をこの世から抹殺すれば問題は片づくじゃないかとおっしゃるようなものです。たしかに一面から見れば片づいたと言えるでしょう。しかし本人はちゃんと(死後の世界で)生き続けているのです」

(モーゼスの『霊訓』でイムペレーターが死刑にされた人間の霊や戦死者の霊の怨念と激情が地上の犯罪や暴力沙汰に拍車を掛けている事実を生々しく伝えているー訳者)

───一人の堕落者の更生の方が社会全体より大切なのでしょうか。

 「社会は個人が集まって出来あがっているのです。すべての者に注意を向けてやらねばなりません。私が指摘しているのはより良い方法です。つまり暴力に暴力を持って対処するのでなく、理解を持って臨み、凶暴性を鎮めて市民的意識を芽生えさせるということです」

───(さらに別のメンバーが)若者が暴徒と化してしまったことには我々にも責任があります。我々みんなの責任です。

 「私たちみんなに責任があります。なぜなら人類は一つであり、同胞へ及ぼす影響はこの私にも及びます。私たちが生活している宇宙は全生命があらゆる面において互いに依存し合っており、いかなる側面も他と隔絶することは出来ません」


───(最初の質問者)ムチを使うことは一時しのぎであり、単に恐怖心で持っておとなしくさせるに過ぎません。

 「現段階での地上人類はまだ社会悪に対する適切な矯正措置を生み出すところまで至っておりません。これは進化の問題です。かつては羊を一頭盗んだ者でも絞死刑にした時代がありました。死刑にしなかったら残りの羊はどうなるんだという理屈が大真面目でまかり通ったものです」


───未熟な社会では未熟な処罰が許されるのだと思います。

 「より良い方法に目覚めた人が一人でもいる限りは許されません。たとえば恐怖の監獄に放り込むのと、真面目な市民に更生させる目的をもった監獄の改善のために働かせるのと、どちらがより良いでしょうか。たった一人だけ更生に成功して九九人が失敗に終わったとしても、何の更生手段も講じないでいるよりはましです」

───死刑制度は正しいとお考えですか。

 「いえ、私は正しいと思いません。これは〝二つの悪のうちの酷くない方〟とは言えないからです。死刑制度は合法的殺人を許していることにしかなりません。個人が人を殺せば罪になり、国が人を殺すのは正当という理屈になりますが、これは不合理です」


───反対なさる主たる理由は、生命を奪うことは許されないことだからでしょうか。それとも国が死刑執行人を雇うことになり、それはその人にとって気の毒なことだからでしょうか。

 「両方とも強調したいことですが、それにもう一つ強調したいのは、いつまでも死刑制度を続けているということは、その社会がまだまだ進歩した社会とは言えないということです。

なぜなら、死刑では問題の解決になっていないことを悟る段階に至っていないからです。それはもう一つの殺人を犯していることに他ならないのであり、これは社会全体の責任です。それは処罰にはなっておりません。ただ単に、別の世界へ突き落しただけです」


質問(五)───余暇の正しい使い方について教えてください。

 「余暇は精神と霊の開発・陶冶(とうや) に当てるべきです。これはぜひとも必要なことです。なぜかと言えば、身体に関係したことはすでに十分な時間が費やされているからです。

人間は誰しも健康を維持し増進するための食生活には大変な関心を示します。もっとも必ずしも健康の法則に適っておりませんが・・・・・・しかし、精神と霊も発育が必要であることをご存じの方はほとんどいません。

そういう人たちは霊的にみると一生を耳を塞ぎ口をつぐみ目を閉じたまま生きているようなものです。自分の奥に汲めども尽きぬ霊的な宝の泉があることを知りません。

精神と霊が満喫できるはずの美しさを垣間見たことすらありません。誰にも霊的才覚が宿されていることを知らずにおります。それの開発は内的安らぎを生み、人生のより大きい側面の素晴らしさを知らしめます。

 となれば霊性そのものの開発が何よりも大切であることは明らかでしょう。これは個々の人間のプライベートな静寂の中において為されるものです。

その静寂の中で、周りに瀰漫する霊力と一体となるのです。すると、より大きな世界の偉大な存在と波長が合い、インスピレーションと叡智、知識と真理、要するに神の無限の宝庫からありとあらゆるものを摂取することが出来ます。その宝は使われるのを待ち受けているのです」


質問(六)───直感について説明してください。

 「よろしい。ひとことで説明できます。〝霊の即発〟です。直感とは霊が自己を認識する手段です。ふだんの地上的推理の過程を飛躍します。考えに考えた末に到達するような結論でも、電光石火の速さで到達します。

同じ問題について多くの時間と思索ののちにやっと到達することを〝霊の即発〟によって一気に我がものとしてしまう、一種の 〝一体化〟の過程です」


質問(七)───有色人種と白人が結婚して子孫をこしらえることは好ましくないことでしょうか。

 「私も有色人種です。これ以上申し上げる必要があるでしょうか。地上では〝色素〟つまり肌の色で優劣が決まるかのように考えがちですが、これは断じて間違いです。優劣の差はどれだけ自分を役立てるかによって決まることです。ほかに基準はありません。

肌の色が白いから、黄色いから、赤いから、あるいは黒いからといって、霊的に上でもなければ下でもありません。肌の色は魂の程度を反映するものではありません。地上世界ではとかく永遠なるものを物的基準で判断しようとしがちですが、永遠不変の基準は一つしかありません。すなわち〝霊〟です。

 すべての民族、あらゆる肌色の人間が神の子であり、全体として完全な調和を構成するようになっております。大自然の見事なわざをご覧なさい。広大な花園で無数の色彩をした花が咲き乱れていても、そこには、ひとかけらの不調和も不自然さも見られません。すべての肌色の人間が融合し合った時、そこに完璧な人種が生まれます」


質問(八)───現段階の人間社会において、いわゆるハーフカースト(※)の子孫も社会に受け入れられるべきでしょうか。(※宗教または階級を異にする者同士の間の子孫、とくにヨーロッパのキリスト教徒とヒンズー教徒またはイスラム教徒との間の混血児のことー訳者)    

 「偏見を打ち崩し、誤った考えと闘わなければなりません。真理は、いかにその歩みはのろく苦痛を伴っても、真理であるがゆえに、必ず前進するものです。価値あるものほど手に入れるのに困難が伴うものです。成就は奮闘努力の末に得られるものです。

勇気を持って挑戦してそして征服した者こそ称賛に値します。恐怖心から尻込みし困難を避けようとする者に用はありません。人生とは学校です。刻苦と闘争、努力と困難、逆境と嵐の中をくぐってこそ魂は真の自我に目覚めるのです」

Thursday, April 30, 2026

霊媒の書  アラン・カルデック編

The Mediums' Book    Allan Kardec

スピリチュアリズムの真髄

第2部 本論




9章 霊が好む場所・出やすい時刻

昔から霊がよく出没する場所や幽霊屋敷とされているものがあるもので、どこの国でも同じのようである。それに関連した疑問を霊団側に出してみた。


――霊は後に残した者への思いが容易に断ち切れないことがあるようですが、物に対してはどうでしょうか。


「それは霊性の発達程度によって違ってきます。地上的な物件にしつこく執着している霊がいます。例えば守銭奴と呼ばれているような人間は、死後も、ある場所に隠した財産を見張り、気づかれないように守っています。」


――地上には霊が自然に引きつけられる場所というのがあるのでしょうか。


「地縛的な状態から脱した霊は、親和性のある霊の世界へと赴きます。“物”から“霊性”へと関心が変化したからです。それでもなお地上のある場所への執着を残している者もいます。それだけ、まだ霊性の発達が低いことの証拠です。」


――地上の特定の場所への執着が霊性の低さの指標であるとすれば、それは邪霊の類いに属する証拠とみてよいでしょうか。


「とんでもない。それは間違いです。霊性の発達程度は低くても、性格的に悪くない霊がいます。地上でも同じではないでしょうか。」


――霊は廃墟のような場所を好むという言い伝えがありますが、これには何か根拠があるのでしょうか。


「ありません。そういう場所へ行くことはありますが、特にそういう場所を好むからではありません。どこへでも赴きます。そういう言い伝えが生じたのは、廃墟のような場所に漂う哀愁や悲愴感が人間の想像力をかき立てて、霊がさまよっているかに感じるからでしょう。

人間の恐怖心は木の陰を幽霊と思わせ、動物の鳴き声や風の音を幽霊のうめき声と思わせることがよくあるではありませんか。霊はどちらかといえば寂しい場所よりも賑(にぎ)やかな場所の方を好みます。」


――そうはおっしゃっても、霊にもいろいろな性格の者がいますから、中には人間嫌いがいて、人里よりも寂しい場所を好む者もいるのではないでしょうか。


「ですから先程も申し上げたではありませんか――霊は廃墟にも行くが、どこへでも行きますと。孤独の中で暮らしているのはそうしたいからであって、それをもって霊は廃墟を好むとする理由にはなりません。断言できることは、霊は寂しい場所よりも都会のような人間が多く住んでいる場所の方が圧倒的に多いということです。」


――民間の信仰にはおおむね真理の基盤があるものです。幽霊が出没するとされている場所の起原は何なのでしょうか。


「人間の本能的な信仰心――世界のいずこの国、いつの時代にもある信仰心から生まれたものです。が、今も述べた通り、ある場所の無気味さが人間の想像力をかり立て、何か超自然的なものがそこに生息しているかに考えるようになったまでです。それが幼少時代に語り聞かされた他愛ないおとぎ話や空想的な想像力によって、さらにふくらんでいったのです。」


――よく霊が集まることがあるようですが、何日とか何曜日とか何時といった、霊の好む日にちや時間帯がありますか。


「ありません。日にちとか時刻は人間の都合と必要性から生まれた、地上生活特有の取り決めです。霊にはそういうものは必要ありませんし、ほとんど気にも掛けません。」


――霊は夜に出やすいという信仰はどこから来たのでしょうか。


「暗さと静けさから受ける印象が想像力に作用して生まれています。そうした概念はすべて迷信であり、合理性を旗印とするスピリチュアリズムが撲滅していかないといけません。真夜中(丑三つ時)の怖さはお化け話の中にしか存在しません。」


――もしそうだとすると、霊の中に交霊会を真夜中とか特定の曜日を指定する者がいるのはなぜでしょうか。


「それは人間の迷信性を逆手に取って勿体ぶっているだけです。また、オレは魔王であるとか、それらしい仰々しい架空の名を名乗って出てくる霊も、同じく勿体ぶっているだけです。その手は食わんぞという毅然とした態度で臨んでごらんなさい。そんな霊は出なくなります。」


――自分の遺体が埋葬されている場所へは行きたがるものでしょうか。


「身体は言わば衣服にすぎなかったわけで、その身体に宿っていたがゆえに苦しい目に遭わされたのですから、それを脱ぎ捨てた後はもう未練はありません。クサリにつながれていた囚人は、解き放たれた後、そのクサリに未練など持たないのと同じです。心に残るのは自分に愛の心を向けてくれた人々の記憶だけです。」


――埋葬された墓地で祈ってもらうと特別に感じられるものでしょうか。家庭や教会での祈りよりも霊には届きやすいでしょうか。


「ご存じのように、祈りは霊を引き寄せるための魂の行為です。それに熱意がこもり真摯さが強いほど、その影響力は大きくなります。ですから、聖なる葬儀の行われた墓地での祈りは格別の思いを集中しやすいでしょうし、一方、墓石に刻まれた文字を見て故人への情愛を感じやすいという点でも、故人の遺品と同じように、墓地には祈りの気持ちを高めるものがあることは事実です。

ですが、そうした条件下にあっても、霊に祈りを通じさせるのは“思念”であり、物的な遺品ではありません。物的なものは祈る側の人間にとって意念を集中させる上で影響力をもつだけで、霊そのものには大して影響はありません。」


――そうは言っても、幽霊の出没する場所にはまったく根拠がないわけではないと思いますが……。


「すでに述べたように、霊には物的なものへの執着の強い者がいます。そういう霊はある一定の場所へ引きつけられ、引きつける要因が消えるまで、そこに住みついたりすることもあります。」


――“引きつける要因”とは何ですか。


「そこへよく行く人間との親和力の作用もあれば、その者と意思を通じ合いたいという欲求など、いろいろあります。が、いずれにしてもあまり褒めた理由はありません。恨みを抱いて仕返しのチャンスをねらっている低級霊もいます。また、その場所で大きな罪を犯した者が、一種の罰としてそこを徘徊させられている場合もあります。懴悔の念が生まれるまで、その現場を四六時中見せつけられるのです。」


――そこにかつての住居があったというケースも多いのでは?


「多くはありません。仮に前の住人が死後順調に向上していれば、埋葬された遺体に用がないように、何の未練も抱きません。特定の人物との親和力の作用による場合を除いては、大体において低級霊が気まぐれに出没しているにすぎません。」


――人間がそういう場所を恐れるのは理に適っているでしょうか。


「いいえ。そういう場所に出没して何かと話題のタネをまくような霊は、とくに邪悪な意図があるわけではなく、騙されやすい人間や恐がり屋を相手にして面白がっているだけです。

それに、霊はいたる所にいることを忘れてはいけません。どこに居ようと、どんなに静寂な場所であろうと、あなた方の周りには常に霊がいるものと思ってください。霊が出没して騒がれる場所というのは、出現してイタズラをするのに必要な条件が整う場所にかぎられています。」


――そういう霊を追い払う方法がありますか。


「あります。古来その目的で人間がやってきたことは、追い払うより、ますます付け上がらせる結果となっています。

一ばん賢明な方法は、善良な霊に来てもらえるように、人間側が善行に励むことです。そうすれば、そういう低級霊も退散して、二度と来なくなります。善と悪とは相容れないものだからです。心掛けの問題です。善良な心掛けの漂う場所には善良な霊しか来ません。」


――善良な人でも霊に悩まされていることが少なくないようですが……。


「その人が本当の意味で善良な人であれば、そういう悩みは忍耐力を試し、善性をより強固にするための試練かも知れません。」


――いわゆる“悪魔払い(エクソシズム)”の儀式でそういう邪霊は追い払えるでしょうか。


「エクソシズムが成功した話をどれくらいお聞きでしょうか。大ていはますます騒ぎが大きくなってはいませんか。イタズラ霊というのは自分が悪魔扱いにされるのを面白がるものです。

もちろん悪意を持たない霊でも姿を見せたり音を出したりして存在を知らしめようとすることがあります。が、そういう場合の音が人間に迷惑を及ぼすほどになることはありません。死後迷っている霊かも知れません。そうであれば祈りによって救ってあげるべきでしょう。時には親しい間柄の霊が存在を示そうとしている場合もあります。ただのイタズラ霊の場合もあるでしょう。

迷惑を及ぼすような場合は間違いなく低級霊で、することがなくてそうやって遊んでいるだけです。そういう場合は一笑に付して無視することです。何をやっても人間が恐がりもせず大騒ぎもしなくなると、バカバカしくなって止めるでしょう。」

シルバーバーチの霊訓(四)

Silver Birch Anthology 

 Edited by William Naylor


七章  霊媒を励ます

 シルバーバーチの交霊会にはよく霊媒や心霊治療家が招待される。そしてシルバーバーチがその一人ひとりに称賛と激励の言葉を述べる。その中には霊媒現象の裏面に関わることなどが窺われて、同じ仕事に携わる人はもとより、一般の読者にも興味のある話題が豊富である。本章では三人の霊媒と心霊治療家の場合を紹介する。

(本章では前巻の Wisdom of Silver Birchでカットしておいたものを紹介する―訳者)



リリアン・ベイリー女史 Lilian Bailey

シルバーバーチ「あなたは人類の救済のために背後からあなたを使用している素晴らしい霊団が存在している事実を喜ぶべきです。あなたのお蔭でどれほどのことが成し遂げられているか、あなたご自身は(入神しているので)ご存知でありません。

意識が消えて、やがて意識が戻る───あなたにはただそれだけのことのように思えるでしょうけど、実際はその間に誰かの魂が目を覚まし、誰かの心の荷が軽減され、悲しみに暮れる人が慰めを受け、挫折した心が癒され、混乱した精神が安らぎを見出しております。 あなたに感謝の気持ちを抱いている人が長い列をなすほどいらっしゃいます。

私たち霊団としても、神から授かった才能を自分のことを忘れてひたすら人類のために捧げんとする霊媒の存在をどれほど誇りに思っているかを、何とかして言い表わしたいとじれったく思っているところです。 あなたは神の豊かな恩寵を受けられた方です。本当に豊かな恵みを受けておられます。

地上で大物とか大家と言いはやされている人たちより、あなたの方がはるかに立派な仕事をしておられます。残念ながら今のところ一握りの人によってしか活用されていない霊力をあなたは存分に活用しておられます。

それはどしどし活用されるべきものです。 迷信という名の闇を地上から一掃するために、その霊力をできるだけ多くの人間の魂の中で胎動させなければなりません。

それが私たち───あなたと私、そして他のすべての神の道具───が偏見と無知という名の霧とモヤを一掃し、真理という名の光が世界中に射し込むようにするために全身全霊を打ち込んでいる大事な仕事なのです。偉大な仕事です。あなたもその光栄ある仕事の一翼を担っておられるのです。

 私たち神の道具はひたすら前進あるのみです。その道程においてはしばしば落胆させられます。些細ないざこざにうんざりさせられることもしばしばです。歓迎されてよいはずの場でしばしば反撃に会います。

そこで、あなたより少しばかり先の見透しの利く私から申し上げましょう。どうか、そうした邪魔は相手になさらず、かつてあなたに閃いたビジョン(先見の明・理想像・悟り)にすがっていただきたい。そして、あなたの霊的能力を最善に、純粋に、そして最高に活用することのみに専念していただきたい。

それ以外のことは構わないことです。そうしておればきっと愛の恵みが届けられ、ご自分が使用されている能力は神がその発現の通路を求めて間断なく行使しておられる霊力に他ならないことを認識されることでしょう」

 ここでベイリー女史が感謝の言葉を述べかけると、シルバーバーチはそれを制して───

 「私は暗闇に呼ばわる声の一つにすぎません。私を地上へ派遣した高き神霊の仕事を推進せんとしているだけです。私もこれまでに易しい真理を少しばかり学んできて、それを形を変え、言いまわしを変えながら説いておりますが、同じ単純・素朴な真理であることに変わりはありません。 それを地上の方々が受け入れてくだされば、すべての難問が解決されるのですが・・・・・・」と述べてから「このサークルに参加されてどんな感想をお持ちですか」と尋ねた。



ベイリー女史 「素晴らしいと思います。全体にみなぎる力がとても感じが良いです。もっとも、私には少し強すぎるようです。私の意識から離れて作用しているみたいです。この意味お分かりいただければ有難いですが・・・」

 このサークルでも直接談話をはじめ数々の現象が行われており、それぞれに霊媒が揃っている。ベイリー女史は霊視力もあり霊感も鋭いので、その〝舞台裏〟が見えたのである。女史は続けて「このボリューウムあふれるエネルギー、迫りくるパワーは物質化現象に使われるものですね?」と述べた。

シルバーバーチ 「そうです。このサークルにいつも潜在しているものです。今日はそれがあなたの存在によって刺激されております」


ベイリー女史 「何人かのスピリットがそのエネルギーを部屋の中央へ運んで一つの固まりをこしらえているようです。珍しい光景ですね。次の機会にはもっとしっかりと確かめたいものです。どうやら声が出されるみたいです」

シルバーバーチ 「声の準備ですよ。いつも行われているものです。以前はそれを使って発声器官をこしらえていたのですが、戦争の影響で大気が混乱しているためにそれができなくなり、今のところ私の入神談話だけで間に合わせているのです」

ベイリー女史 「私が見たところでは大きな柱のようですね。白い柱です。コチコチに固いものではありません。そこから何本かの紐状のものが伸びてメンバーの一人ひとりとつながろうとしています。各メンバーから何かを摂取しようとしてるみたいです」

 そう述べてからその〝触手〟 を霊界の技師たちが操っている様子を細かく説明した。


シルバーバーチ 「地上の方々はこうした霊界の働きの現実を理解してくださらないのです。いつでも使用できる態勢になってるのです。あなたはその眼でご覧になったのですから、ぜひその事実を伝えて下さらないといけません」


ベイリー女史 「ときどき人間の探求は表面的すぎるという印象を抱くことがあります。ですからその背後に働く単純な現実を理解させるのが難しいのです」

シルバーバーチ 「おっしゃる通りです。しかし私たちの世界には、かつて地上で一見とても勝算はないと思えた逆境の中で、長いこと忠誠心に燃えて戦った古強者が沢山おります。彼らはその仕事が引き継がれ少しずつ成果が実っていくのを見守っております。

 私があなた方にひたすら前進なさいと申し上げるのはそのためです。あなた方はそれだけで(他のことは何も心配しないで)よろしい。霊的知識だけを広めることだけを考えておればよろしい。

理解力を広めるのです。思いやりの心を広めるのです。無知をなくすのです。光明へ向けて進むべき者を引き止めんとする勢力を打ち砕くのです。私たちが掲げる光明は決してささやかなものではありません。

なぜなら、いったん霊の力がいかに働きかけているかを知ったら、いったん死の扉を開くカギを手にしたら、いったん死の向こうに広がる生命躍如たる世界をご覧になったら、その時こそその人は霊的実在を理解し、神の永遠の計画の中における自分の位置を悟ることになるからです。

あなたはひたすらご自分の信じる道を突き進まれることです。後は私が力の限り鼓舞し援助します」


 W・H・リリー氏  W.H. Lilley
 A・リチャーズ氏  Arthur Richards

心霊治療家のリリー氏が同僚のリチャーズ氏を伴って出席したことがある。まずリリー氏が、二人でロンドンに心霊クリニックを設立しようとしているが偏見と無理解から来るさまざまな難問に遭遇している事情を説明してから、面接に出た役人が 〝この連中は一体何者なのか〟といった目つきで二人をじろじろ見つめ回した話をした。

 すると シルバーバーチが───
 
 「この連中はいったい何者か───このセリフは遠い昔にも言われたものです。霊力が一握りの男たちを鼓舞し真理普及のために自分を捨てて邁進させたのは二千年足らず前のことでした。

不変の摂理を啓示し、地上のいかなる力よりも偉大な力───人を導き霊感を注ぐことの出来る力、訓え諭すことの出来る力、病を癒し、傷つき衰弱した身体を回復させる力が存在することを身を持って証明しました。

すると人々は言いました───いったいこの者たちは何者かと。別に耳新しいセリフではありません。これから何度も何度も聞かされることでしょう。

 あなたがこうした光栄ある仕事に携われることになったのは神から才能を授かっておられるからこそです。使用するために授かったのです。私どもの世界から援助せんとする者と全面的に協調する姿勢を持ち続けるかぎり、その才能を行使することを妨げる力は地上にはありません。

問題や障害が立ちはだかっているとおっしゃいましたが、それは克服すべきものとして与えられているのです。ただし、その中にはあなたご自身が自ら招かれた問題もあることを忘れてはなりません。あなた自身が蒔いたタネもあるということです。

と申しますのは、あなたは(操り人形のように)ただ黙って言うなりになる道具ではないからです。(自由意志が尊重されているから過ちも犯しているということー訳者)ですが、背後にはいかなる困難の中をも導きとおす力を具えた霊団、永年の霊界での研鑽によってその能力を立証している霊団が控えております。

これまでも数多くの困難を克服し、数多くの悩みごとを解消してきております。いつか、これまでのあなたの辿って来られた人生を振り返りじっくりと見つめられれば、そこに霊による導きがあったことを明確にお認めになるはずです。

 あなたは心霊治療家です。病を癒す仕事です。それを阻止する力は誰にもありません───あなたご自身が拒否なされば別ですが。ぜひとも使用しなければならない力を授かっておられます。地上の力ではありません。はるか高級界から送られてくる力です。

 それは病に苦しむ数知れぬ人々に恩恵をもたらし祝福を与えることになりましょう。あなたに決意さえあれば、地上にはそれを阻止できる権力はありません。

問題はあなたの心のどこにも心配の念を宿らせないことです。これまで導いてくれた霊団が自分を見放すはずはないという断固たる信念を持たねばなりません。まだまだ越えねばならない険しい道があるからです。

まだまだ献身を必要とする仕事の場がたくさんあるからです。怖じ気づいてはなりません。かつてあなたがもう絶対にダメだと思ったことが霊の力によって克服されてきたように、これから先もきっとその力は凱旋を続け、あとで振り返った時、今のあなたには難問に思えることが他愛ない杞憂にすぎなかったことを知って、にっこりなさることでしょう。

 為さねばならない仕事があるのです。治療の手を必要とする人が大勢いるのです。悩める魂が大勢いるのです。怖(こわ)ごわ生きている人が大勢いるのです。

身体の異状と病に苦しんでいる人が大勢いるのです。あなたはそうした人々を救うことの出来る霊力を授かっている数少ない人間の一人です。いかに祝福された方であり、いかに素晴らしい能力を授かっている方であるか、あなたご自身の想像も及ばないほどです」


 続いてリチャーズ氏が、この交霊会に出席できたことを光栄に思うという挨拶をしたあと次のように述べた。

リチャーズ氏 「私はこれまで、あなたが毎週毎週お説きになっている訓えを忠実に信じておられる患者さんを大ぜい治療しております。そして私自身もあなたのお説きになる思想を細かく読み、それを道しるべとしてまいりました。

私の理解したところを言わせていただけば、あなたは神についての誤った観念を打ち砕き、それに代わって理知的な概念を説き、それを〝無色の大霊〟the Great White Spirit と呼ばれたり〝法則〟と呼ばれたりしております。

私にとって、あなたを始めとする霊団の方々は人間より高等な知的存在であり、したがって個的人格を具えた存在ですが 〝大霊〟 は非人格的存在であるように思えます。この私の理解の仕方はさらに深い理解への中途の段階にすぎないのでしょうか」

シルバーバーチ 「永い間地上を毒し続けてきた無知が私の力によって幾らかでも取り除かれたことを嬉しく思います。しかし、無知を無くしていく仕事はゆっくりとした、時間の要る仕事であることを忘れてはなりません。眼の見えなかった人に視力が戻る時はゆっくりと光に慣れさせていかねばなりません。

真っ暗闇からいきなり真昼の太陽の中に出せば逆に眼をひどく痛めてしまいます。そこで、ある意味で、〝教える〟立場にあるこの私は、教える相手の意識の程度に合わせて、叡智を噛みくだいてあげなければなりません。それは段階を経ながら徐々に行うしかありません。

地上にはこれまで余りにも誤りが多すぎました。間違った神々を信じてきました。あまりに永いあいだ叡智を拒絶してきたために、そのすべての誤りを正すには弛まぬ忍耐を持って臨むしかないのです。

 人格を具えた神の概念は、いつの時代にも個人はもとより民族・人種・国家にもそれを導く霊がいるという信仰にさかのぼります。つまり知識というものが今日ほど広がることのなかった時代にあっては、霊界から時おり姿を見せる指導者を畏怖の心を持って崇めたものです。そしてそれがいつの間にか神の座に祭り上げられていったのです。それだけのことなのです。

地球の歴史において、人類の痕跡のあるところには必ずそうした信仰があるといってよろしい。そして遠くさかのぼればさかのぼるほど、その信仰には神話と寓話がごたまぜになっております。

 さて、神とは法則です。私が思想や観念を述べるにはどうしても地上の言語を使用せざるを得ませんが、実はその言語そのものが障害となり、制約となり、限界となっているのです。

と申しますのは、観念を言語に移しかえる時、言いかえれば大なるものを小なるものに合わせようとする時、必然的に脱落する要素が沢山あるのです。ですから、私が述べたいと思っている思想や考えの符号またはシンボルとして言葉を使用しなければならない───それも往々にしてきわめてぎこちないものです───という事実そのものが、それを聞かれてあなた方が脳裏に画かれるものが必ずしも私が本当に述べたいと思っていることと同じではないことを意味します。お判りでしょうか」

 すると司会者のハンネン・スワッハーが意見を述べた。

スワッハー 「こう解釈してよろしいでしょうか。あなたはアメリカ・イディアンを霊界の霊媒として使用しておられるので、たとえば神のことをインディアンの古い用語である Great White spirit を使用することになる───このほうが国教会で使用されている God よりも自然の摂理の表現として確かに適切です」

シルバーバーチ「それがまさしく私の言わんとしていたことです。どうやらここで詳しく解説しておく必要がありそうですね。このインディアンは私の道具です。ですが、道具とはいえ(さきほど述べたとおり)これを使用している間はその個性によって条件づけられ、したがって私は私の言いたいことを表現する上で役に立つ要素を精一杯活用することになります。

たとえば大自然を支配する法則を私はアメリカ・インディアンの用語である〝大霊〟を使用しますが、それは一つには今なお残っている〝神は人間である───えらく威張った人間である〟とする観念、しかもむろん女性ではなく、自分の言うことを聞く者だけを可愛がりそして特権を与え、気に入らぬ者には腹を立て憎むことすらする男性であるとする、いわゆる神人同形同性説との相違をはっきりさせるためです。

 が、もう一つの理由として、それをどう表現しようと、その用語を超えた観念として私が何とかして明らかにしたい完璧な摂理の働き───あなた方や私の願望にはおかまいなしに働く法則、全宇宙を支配する法則、四季のめぐり潮の満ち引きを調節する法則、地上の生命の生長と活動と運動とリズムを管理している法則の観念があるのです。

その法則は全存在の行為の一つたりとも、言葉の一つたりとも、思念の一つたりとも、観念の一つたりとも見逃すことはありません。表に出る出ないに関わりなく、生活現象の全てを管理しています。その法則こそ私が最高の崇敬を捧げているものです。

それを大霊と呼ぼうと神と呼ぼうと、その他いかなる名称で呼ぼうと、その背後にある意味を理解してくだされば、それはどうでもよいことです。それが全存在をあらしめている力です。

その力なくしては生命は存在しえないのです。いかなる形態を取ろうと、その力なしには存在しえないのです。生命に存在を与えている根源的エネルギーなのです。それを神と呼ぶのも結構でしょう。大霊と呼ぶのも結構でしょう。全知全能の知的存在と呼ぶのも結構でしょう。しかし、いずれも、所詮は言葉にすぎません。

 私がそれを法則として説くのは、人間の意志ではどうしようもない絶対的な理法というものがあることを指摘したいからです。それを正しく認識すれば、そのワク内でお互いが協調的に生きることができ、それに背いて不和と仲違いと利己主義と貪欲と腐敗と戦争を生むことにならなくて済むはずです。

その摂理を理解しさえすれば、人生の図式が分かるようになり、進むべき方向と道しるべと目的が見えるようになります。そして同時にそれに自分を合わせていく方法も分かるようになります。なぜなら、自分も一個の霊、全生命の親である神の一部として、永遠の営みに参加できることを悟るようになるからです」


リリー氏 「病気はすべて治せるのでしょうか」

シルバーバーチ 「病気はすべて治せます。さらに言えば、正しい生き方をしておれば病気にはなりません。病気とは根源からいえば不調和、不協和音、つまり神の摂理に適った生活をしていないことから生じています。が、人類にはさまざまなタイプがあることを考えれば、病気にもさまざまなタイプがあるわけであり、それがさらに細かく変化していきつつあります。

したがって治療に使う霊力もそれぞれのタイプに合わせていく必要があります。あらゆるタイプの病気に効くたった一つのバイブレーションというものはありません。治療が成功するか否かは、それぞれの病気に合ったバイブレーションの霊力を見出せるか否かに掛かっております。

 しかし治療の不成功を単純に霊界側の責任、担当した専門の霊の責任、あるいは治療家の責任と決めつけることは出来ません。数え切れないほどの要素が絡んでいるからです。(訳者注ー別のところで百人の霊視家が見てもすべての要素を見究めることはできないと述べている)。

そこで治療家であるあなたにとって一ばん大切なことはこう考えることです───自分を使用する霊力と完全にそして完璧に一体となるためにはいかなる生き方をすべきか、ということです。言うまでもなくあなたと背後霊団との間にはさまざまな相違点があります。

それを一つでも少なくすることが、治療霊団にとって、一人ひとりの患者に適切なバイブレーションをあなたを通して注ぐことを容易にすることになります。

こちらの世界には莫大な種類の治療エネルギーがあり、かつて地上で病気治療に当たった者や科学者たちが弛まぬ研究を重ねております。しかし無数の治療エネルギーのうちのどれをどれだけ活用できるかは、ひとえに治療家に掛かっているのです。そこにあなたの役割があります。すなわち魂の成長と精神の啓発と身体の管理です」

リチャーズ氏 「心霊治療についての偏見を無くす必要もあると思います」
  
シルバーバーチ 「おっしゃる通りです。だからこそ私たちが援護射撃をしているのではありませんか。数年前でしたらあなた自身も私の言うことなどには耳を貸さなかったでしょう。

それが今はこうして熱心にお聞きになるということは、私たちの働きよって偏見を一つ減らすことができたということです。強烈な体験によって魂が目を覚まし、奉仕的精神を鼓舞された人を一人ずつ私たちの霊力の活動範囲の中に導いていくのです。

あなた方はお一人お一人が私たちの働きかけによる成果の生き証人なのです。そのつど一つの偏見が取り除かれたということです。それだけ私たちの仕事がラクになったということです。

まだまだ取り除くべき偏見が山のように立ちはだかっているという事実に、私どもは別に途方に暮れることはありません。それが私たちの仕事なのです。すなわち神の子がその魂の奥に秘めた霊性を発揮することによって生命の喜びを味わい、当然受けるべき神の遺産を存分に我がものとするように導いてあげることです。

 お二人もその役割を担っておられるのです。ひたすらお仕事に邁進なさることです。数々の困難に遭遇することでしょう。しかし背後に控える霊団がいかなる試練にも荒波にも支えになってくれます。首をうなだれてはなりません。

堂々と背筋を伸ばし、決して自分を見棄てるようなことをしない援助の手によって支えられていること、そして心の奥に芽生えた信念への忠誠心を失わず真摯な気持ちで奉仕し、神に召された今の仕事に良心的に仕えておれば、決して挫折することはないことを確信してください。

あなた方が一心に努力しておれば強力なる霊団が参加し、援助し、偉大な勝利へと導いてくれます。これから為し遂げていく仕事を大いなる期待を持って楽しみにするくらいの気構えが必要です。そしてそのお陰で数知れぬ人々が喜んでくれることを知ってください。

 人のために自分を役立てるということは大いなる特権です。その機会を与えられたことをお二人は誇りに思うべきです。それと同時に、私たちの世界から協力する者にも使命が託されていること、重大な使命、神からの使命が託されていること、そしてあなた方の方から見放さないかぎり決してあなた方を見放すことはないことを信じることです。

これまでも大いなる成果が上がっております。これからもさらに多くの仕事が成就されていくことでしょう」



 パリッシュ夫妻  Mr. and Mrs. Parish

イーストシーン治療所を滅多に離れることのない心霊治療家のパリッシュ氏が夫人を伴って出席した。この交霊会の長老格である。早朝から一六時間もぶっ通しで治療した後なのに、出席者の中でも一番元気そうに見える。シルバーバーチがこう語りかけた。

 「私はあなたとお話できる時はいつも楽しくてなりません。光栄にも私は現在の治療所で微力ながら毎日のように背後よりお手伝いさせていただいておりますが、こうして二人で人間らしく語り合えば、ほかの方々はまた別の意味でよろこばれます。

お二人の献身的なお仕事によって霊の力が着々と広がり、多くの魂が感動して目を覚まし、暗黒の中にいる人々が光を見出していることを私たち霊界の者がどれほどうれしく思い、世界中の人々が(遠隔治療を)どれほど有難く思っているかを知っていただきたいと思います。

 今ではあなた方を通して真理と悟りの光を見出した人が世界のほとんどの国におられます。あなたのこれまでの人生、そして今なお続けておられる毎日の献身的活躍によって巨大な奉仕の金字塔が築かれております。

憶えておいででしょうが、何年か前に初めてお会いした時、私はあなたにこれから後のお仕事の発展ぶり、どういう具合に世界の隅々まで広がり、いかに多くの人々が祝福を受けに来ることになるかを申し上げました。

すべての人が治るとは限りません。それぞれに地上との縁の切れ時(寿命)というものがあります。が、たとえすべての人の病気を治してあげられなくても、わずかな光明、暗闇の中に一条の光を見出させてあげていることを知ってください。

前にも一度申し上げたことがありますが、病気を治してあげることは確かに大切ですが、もっと大切なことは魂を目覚めさせること───真の自分を見出し、自分を見出すことによって生命の大霊であるところの神とのつながりをより緊密にしてあげることです。

 私たち霊界側でも絶え間なく活躍しております。あなた方に協力している高級霊団、あなた方を地上への働きかけの道具としている霊団では常に新しい霊波の研究をしており、また、あなた方が徐々に体験しておられる精神統一における意識の深まりが、治療エネルギーをより多く地上へ注ぎ込む可能性を大きくしてくれております。

治療に入る前にあなた方が背後霊団との完全な連繋態勢と調和を得るために行っておられる心掛けと工夫もその一環となっております。

どういうことかと言えば、精神統一が深まりあなたという個的存在が消滅する直前においての治癒エネルギーとの融合が完全に近づけば近づくほど、そのエネルギーの威力がより多くあなたの身体を通して流れるからです。それは治療所における直接治療の場合でも、世界各地への遠隔治療の場合でも同じです。

(訳者注ー私の師である間部詮敦氏が予言について語ったところによると、精神統一を深めていくと次から次へといろんな情報が飛び込んでくる。が、それにすぐに飛びついてはいけない。どんどん統一が深まっていき、もうすこしで意識が消えるというギリギリのところまで行った時に閃いたものが一番信頼できるということだった。

ある時は地震を何時何分何秒まで正確に当てたことがある。シルバーバーチが別のところで、霊媒の霊格が向上するほど程度の高い叡智を授かるようになると述べているが、これは言いかえれば精神統一の深さの程度のことであり、波長が高くなるということであろう)

 そうは言うものの、時にはうんざりなさることもありましょう。無意味に思えることもあることでしょう。しかしそれも詮ずるところ厳然たる計画と目的を持った仕事の一環です。あなたはそのための道具です。ただ一人で悟りへ向けて、孤独な道、犠牲の道を徐々に手引きされております。

かつても申し上げたことをあるのを覚えておいででしょうが、その道は行くほどに見慣れた景色を一つひとつ後にしていかねばならない寂しい道です。しかしそれしか道がないのです。みずから魂を高揚しなければなりません。高き憧憬を抱き続けねばなりません。

魂の受容性を高めねばなりません。内的意識を拡大していかねばなりません。しかし、それが順調にいくだけ、それだけ多く霊界からの生命力が流れ込むことになるのです。

 あなたとともに大ぜいのスピリットが働いております。地上で医者だった者、病気治療の専門家だった者はもとよりのこと、こちらで永い永い年月にわたって研究を重ね、各種の治癒エネルギーを扱って人間の霊的身体への影響を調べているスピリットもいます。

 ご承知のとおり私たちの世界は決して終局の世界ではありません。すべてのことが分かる世界ではありません。すべてが成就されてしまって、もう何もすることがないという世界ではありません。

私達も実験・研究が必要なのです。が、治療家としてふさわしい身体を持ち、人のためにという願望一つに燃え、大方の人間が追い求めるチャチな物的ぜいたくには目をくれず、ただひたすら魂と精神と身体を完全にマスターするための修行の道に勤む人間がいないことには、私たちとの協力関係も完璧は期しがたいのです。

その修養は一種の霊的浄化の過程です。純金が姿を現わすためには不純物を取り除かねばなりません。あなたも人間である以上、多少の不純物はかならずあります。しかし、あなた方はいま正道を歩んでおられます。そして、それは偉大なことと言うべきです」

 パリッシュ夫人も治療能力を持っておられ、シルバーバーチがその養成についての助言を与えた。夫人も霊の道具として活躍できることのよろこびを語った。

夫妻は霊媒として大望を抱く者にとって一つの模範である。といって、二人の治療がすべて奇跡的な効果を上げているわけではない。シルバーバーチも言っているように〝困難があり、失敗があり、そして心を大いに痛めることもある〟が、それでもお二人は尚も前向きの姿勢を失わない。

 二時間に及んだその日の交霊会の最後に、シルバーバーチはサークル全員にこう励ました。

 「決して弱気になってはいけません。堂々と胸を張り、宇宙の全生命を創造した力、夜空にきらめく星空を支えている力、花に香を添え、太陽を昇らせそして沈ませる力、虹にあの美しい色彩を施し小鳥にあの可憐なさえずりを与えた力、全生命に存在価値を与え、人間に神性を賦与した力、その力がいつもあなた方を支え、守り、そして導いていることを忘れてはなりません」