Saturday, December 21, 2024

シアトルの冬 心霊治療家四〇名との質疑応答

Q&A with 40 psychic healers



 英国の心霊治療家連盟の会員は今や六千名を数えるに至っている(平成六年現在)。これから紹介するのは、その連盟の代表四〇名がシルバーバーチと交わした徹底した質疑応答の録音からの抜粋である。

 その規模の大きさもさることながら、心霊治療について出された事細かな質問に対して、例によってシルバーバーチが懇切ていねいに答えていて、しかもそれが地上の人間の生き方についての忠言ともなっていて、シルバーバーチの霊言集を締めくくるのに相応しい内容になっている。

 まず質疑応答に入るに先立ってシルバーバーチが心霊治療の原理について一般的な講話を行なっている。 (一部割愛。これまで繰り返し述べられていることであると同時に、そのあとの質疑応答の中で何度も出てくることだからである)

 「心霊治療の目的はきわめて単純です。魂を目覚めさせること、これに尽きます。身体の症状が消えても魂が霊的なものに目覚めなかったら、その治療は失敗したことになります。反対に病気そのものは治っていなくとも、魂が目覚めて霊的なものに関心を抱くようになれば、その治療は成功したことになります。

 私たちの側からすれば、霊の資質と霊力は、大霊の子が例外なく宿している神性を自覚させるために使用すべきものであり、その結果として地上降誕の目的の認識が芽生えるのです。それこそが霊媒現象と呼ばれているさまざまな現象の背後に託された目的なのです。

 ですから、病人が良くならなかったからといって残念がることはありません。残念に思うべきなのは、その病人があなた方との出会いによって霊的実在に目覚めるまでに至らなかった場合です。それが心霊治療の究極の目的なのですから。

 私たち霊団も、各国に築かれた橋頭堡を強化して、霊力が受け入れる用意のできた人々に順当に届けられるようにと、結束を固めております。

その目的は、今のべた究極の目的、すなわち地上の人間が自分とは本質的には何なのか、何をしにこの地上にいるかについての理解を植えつけ、それを地上で実践するにはどうあらねばならないかを自覚させることです。

 一言でいえば、物質界の人間も霊的宿命を背負った霊的存在だということを悟らせることです。

 心霊治療の能力も、霊体に潜在する無限の資質の一つです。霊眼で見るクレアボイアンス、霊耳で聞くクレアオーディエンスと同じです。心霊治療家になるためにはその霊力の始源とコンタクトしなくてはなりません」


───その霊力がそちら側で創造される過程を教えていただけませんか。つまり病人の特殊な条件に合わせて操作する、その方法です。

 「これは説明の難しい問題です。非物質的なエネルギーを表現する用語が見当たらないのです。霊力とは生命力であり、生命の素材そのものであることを理解して下さい。活力そのものです。無限に存在します。柔軟な性質をしており、どんな形態にも変化します。変換も組み替えも自由自在です。

 それを扱う、知識と経験と理解の豊富な者が、こちらで待機しております。そちらの化学者や科学者に相当します。その者たちが、この霊力を各種の病気に合わせて特性をもたせる技術の開発に、いつも取り組んでおります。

そのチャンネルとなる治療家を通して、病気のタイプに合わせて〝調剤〟する実験も行なっております。以上のような説明しか私にはできません。最終的には治療家のもとを訪れる患者によって一つひとつ異なるプロセスがあると思ってください。

その際、患者のオーラが診断の大きな参考になります。それが精神的状態と霊的状態を物語ってくれるので、それをもとにして、今のべた治癒エネルギーの調剤が行なわれます」


─── それには知的な努力が要求されるわけですね?

「〝知的〟と言う用語は適当でないでしょう。実体感を伴うものだからです。実際に〝調合〟が行なわれるのです。みなさんが化学物質と呼んでいるものに相当するものが用いられます。精神力は必要です。なぜなら、こちらでは、何をこしらえるにも精神が実体を伴った素材となるからです」


─── 遠隔治療のことはこちらへ置いといて、直接治療においては治療家の身体や霊体は、霊力の通路としてどの程度使用されるのでしょうか。

 「遠隔治療においても使用されるのですよ」


─── 私たちの身体や霊体が実際に使用されるとおっしゃるのですか、それとも霊波の調整のために患者との懸け橋として使用されるという意味ですか。

 「実際にあなた方の霊体を使用するのです」


─── そのプロセスをご説明ねがえますか。

 「治療家はテレビの受像機のようなものと想像してください。送られてくる霊波をあなた方の霊体で半物質的な治癒エネルギーに転換します。変圧器のようなものと思ってください」


─── 遠隔治療でも同じ役目をするわけですか。

 「そうです」


─── でも、転換されたものがどうやって患者に届けられるのでしょうか。

 「患者の側からそういう要請が出ているからです。患者の思念がバイブレーションをこしらえ、あなた方治療家のもとに届けられます。すでに懸け橋ができていますから、その波動にのっかって治癒エネルギーが送り届けられます」


─── 自分のために遠隔治療の依頼が出されていることを患者自身が知らない場合はどうなりますか。

 「誰かが知っているはずです。そうでなければ治療を施すことはないわけでしょ?」


─── 仮に私が一方的にその患者の様態を知って治療してあげようと思った場合はどうなりますか。

 「それで立派にリンクができているではありませんか」


─── でも、患者からの要請の思念は出されていません。

 「いえ、リンクはできています。あなたがこしらえています。いいですか、思念というのはこちらでは実体があるのです。私は今あなたという人物を見ておりますが、あなたの肉体は見えておりません。霊媒(バーバネル)の目で見れば見えるのでしょうけど(※)。

私たちにとっては思念こそ実体があるのです。あなたの肉体は薄ぼんやりとしか見えません。あなたから思念が発せられると、それが実体をもって見えます。それがバイブレーションをこしらえ、それが遠隔治療で使用されるのです」


 ※─── シルバーバーチはバーバネルの言語中枢しか使用していない。したがって入神中は目を閉じ、そして座ったままでしゃべり、立ち上がったり歩いたりすることはなかった。


─── 今ローマ法王がファティマの神殿を訪れています。うわさによると、その神殿で多くの病人が癒やされていて、それがマリヤの仲介によると言われているのですが、マリヤが直接治療に当たっているとは思えません。この神殿での癒やしの力は何なのでしょうか。

 「癒やされると信じる、その信心です」


─── でも、それはただの信仰ではないでしょうか。

 「そうです、信仰です。信仰ではいけないのですか。癒やしてもらえるという信心は、実際に癒やされるに至る第一歩です」


─── 私は、患者が治るための条件として信仰は無用であると理解しております。むしろ患者の心が邪念に満ちていると、それが治療の妨げになると考えておりますが、それは正しいでしょうか。

 「信仰心は、それが理性に根ざし、いわゆる盲目的信仰でないかぎりは、むしろ結構であると私は考えます。皆さんは霊的知識を手にしておられるとはいえ、それは全体からみればささやかなものでしかないことを知らないといけません。

物質に包まれて生きているこの地上では、全知識を得ることは絶対に不可能です。こちらへ来てからでもなお不可能です。

 そこで私は、知識の上に信仰を加えなさいと申し上げるのです。理性に裏うちされた信仰、知識を基盤とした信仰は立派です。それにケチをつけるつもりは毛頭ありません。むしろそれが、余裕ある雰囲気をこしらえ、治癒力の流入を容易にすることがあります。

 霊力は明るく楽しい、そして快活で受容性に富んだ性格の人ほど効果を発揮し、陰うつで猜疑心の強い、そして動揺の激しい性格の人には、よい効果は出ません」


─── オーラを霊視できない治療家の場合、治癒力がうまく働いていることを知るにはどうすればよいでしょうか。

 「オーラが見える見えないは治療そのものとは何の関係もありません。病気の原因の診断ができるか否かも関係ありません。治療家は施療すればそれでよいのです。そういった余計なことを気遣う必要はありません。霊医が扱いやすい状態になることが大事です。 

 要するに霊の道具として少しでも完ぺきに近づくことを心掛けることです。ご自分の人間性から人間的煩悩をすべてご法度にするくらいでないといけません。そう心掛けただけ、その治療家を通して、より多くの霊力が流入します。治療力の質や量を決定づけるのは、その治療家の生活そのものです」


─── 治療家の中でも優秀な人とそうでない人とがいるのはなぜですか。

 「演奏家にせよ、作家にせよ、上手な人とあまり上手でない人がいるのと同じです。他の治療家にくらべて能力がより多く顕現しているということです」


─── 治療家自身が病気になった場合、他の治療家に依頼しなければならないでしょうか、それとも自分で治せるものでしょうか。

 「他の治療家に依頼しなくても、自分で治癒エネルギーを引き寄せて治すことができるようでないといけません。大霊に祈るのに教会へ行く必要はないように、治療家が他の治療家のところへ行く必要はありません。直接エネルギーを引き寄せることができればの話ですが」


─── 医師の述べるところによりますと、最近の病気の主なものはプレッシャーと仕事上の悩みだそうです。これにはあなたのおっしゃる(三位一体の)不調和がどの程度まで介入しておりますでしょうか。

 「あなたが今おっしゃったことは、私が言っていることを別の言葉で表現したまでです。仕事上の悩みをおっしゃいますが、つまりは不調和のことです。霊と精神と肉体の三者が調和していれば、仕事にせよ何にせよ、悩みは生じません。悩むということは調和を欠いているということの証拠です。

 霊的知識を手にした者が悩むようではいけません。悩みや心配はマイナスのエネルギーです。霊的に啓発された魂は取り越し苦労とは無縁です。

私はそれを不調和と呼び、あなたは仕事上の悩みと呼んでいるまでのことで、自分が永遠の存在であることを知り、従って地上のいかなるものにも傷つけられることはないとの信念に燃える者に、悩みの入る余地はありません」


─── 治らない人がいるのはなぜでしょうか。

 「霊的にみて治るべき権利を得るにいたっていないということです」


─── 遠隔治療で一度リンクができたら、改めてこしらえる操作は不要でしょうか。

 「一度できたら不要です。霊界とのつながりはすべて磁性的(※)なものです。ですから、一度できたらリンクは切れることはありません」

  ※─── 磁気治療でいう磁気とは別。強烈に引き合う霊的性質を言っている。


─── すると、どこにいようと、たとえば教会にいようが駅にいようが、関係ないわけですね?

 「霊の世界には地理的な位置はありません。どこへ行こうと、皆さんの身のまわりに常に存在しております。教会の中にいるから、あるいは飛行機で高く上がったからといって、それだけ大霊に近づくわけではありません


─── 地上界で物的存在が顕現するに先立って必ず思念が存在すると言われます。言いかえると、人間はまず思念の母体をこしらえていることになります。それが事実だとすると、治療家が患者に接するに先立って心の中で完全に治った状態を描き、完全な健康体のイメージをこしらえることは、治癒を促進することになるのでしょうか。

 「大いに促進します。思念には実体があるからです。完全な健康体を強く念ずるほど、それを達成する可能性に近づくことになります。何事につけ、理想に向かって最善を尽くさないといけません。

常に最高のものを念ずることです。希望を失ってはなりません。いつも明るく楽天的な雰囲気をかもしなさい。そうした状態の中で霊力は最高の威力を発揮します」


─── さきほど、治らない人は霊的に治る権利を得るにいたっていないからだとおっしゃいましたが、私には少し割り切りすぎているように思えます。その論理でいくと善人は必ず治り、悪人は絶対に治らないということになりませんか。

 「事はそんな単純なものではないのです。霊的な目をもってこの問題をご覧になれば、そういう安直な考えは出ないはずです。たとえばあなた方人間にとって苦難はご免こうむりたいところでしょうけど、私たちから見ると、こんなに有り難いものはないのです。

大失敗をしでかすと皆さんは万事休すと思われるでしょうが、私たちから見ると、新しい人生の出発点とみて喜ぶことがあるのです。

 善とか悪とかを物的尺度で計るような調子で簡単に口にしてはいけません。善悪の判断基準は私たちとあなた方とでは必ずしも一致しません。

私は霊的にみて治るべき権利を得ていなければならないと申し上げているのであって、善人とか悪人とは言っておりません。自我がその霊性に目覚めた時にはじめて治る権利を得たことになるのです」


─── 純粋に物理的な理由で治らないということもあるのではないでしょうか。たとえば神経が完全に破壊されて視力を失った場合、新しく神経をこしらえるということは法則上不可能だと思うのです。

 「私たちは今、奇跡の話をしているのではありません」


─── おっしゃる通りですが、治らないケースについての一般論を語っておられると思ったものですから・・・・・・

 「私が申し上げているのは、治るはずの病気がどうしても治らず何の変化も見られない時は、その患者はまだ治るための霊的権利を得るにいたっていないことがあるということです」


─── 両脚が奇形の赤ちゃんがいます。片方の脚は変化が見られるのですが、もう一方は何の反応もありません。なぜでしょうか。

 「両脚が奇形というのを一つの病気としてではなく、右脚と左脚の二つの病気とみるべきで、同じ治療エネルギーでは両方は治せないということです。何もかも同じエネルギーで治っているのではありません。一つ一つ条件が異なり、一つ一つ特性があるのです。

地上の人間に分かりやすくということになると、そういう表現しかできません。ほかにもいろいろと事情があるのです。病気の原因にはいくつもの次元があり、それが入り組んでいて複雑なのです。

 治療というのは見かけはあっさりと治っているようで、実際はそう簡単なものではないのです。身体に表れた症状を取り除けばそれで済むというのではありません。

魂に関わる要素も考慮に入れなくてはいけません。こうすれば魂にどういう反応が出るか、病気の背後にひそむ意図は何なのか、なぜその患者が心霊治療家のところへ来たのか、その患者の魂が霊性に目覚める段階にまで進化しているかどうか、等々。

 こうしたことはあなた方には測りようがないでしょう? が、心霊治療はそういう要素まで考慮しなくてはならないのです。なぜかと言えば、少なくとも治療に当たっている間は宇宙の生命力そのものを扱っているからです。

ということは、あなた方も無限の創造活動に参加していることになるのです。だからこそ責任の重大性を声高に説くのです」


─── てんかんの原因は何でしょうか。

 「脳に障害があって、それが脳への印象を妨げ、精神からの正しい連絡を受けられなくしているということです」


─── でも、治るのでしょうね?

 「もちろんです。病気はすべて治ります。〝不治の病〟というものは存在しません。治してもらえない人が存在するだけです」


─── 遠隔治療を依頼されたことが三度ないし四度あるのですが、私の感じでは成功しなかったと思います。いずれの患者も死亡したのです。

 「もしかしたらそれは、あなたにとって最上の成功だったかも知れませんよ。魂が首尾よく肉体から離れるのを助けているのです。それも心霊治療の役目の一つなのです。治療するということは寿命を長びかせることではありません。

霊を目覚ませることです。それがいちばん大切なのです。優先させるべきものを優先させることです。霊に関わることこそ第一順位です。霊が正常であれば身体も正常です」


─── 治療家によっては二、三分で治す人もいれば、二時間も掛ける人、また何週間も何か月も、時には何年も掛けながら治らない人もいます。なぜでしょうか。

 「〝その実によって彼らを見分けよ〟とバイブルにあります。大切なのは結果です。治療家は霊団との最高の協調関係を作り出すように日常生活を規制すべきです。結果はおのずと出ます。まず家の中を整えて下さい。あとのことは霊団が面倒を見ます。

 必要な時は援助を求めて祈りなさい。決して放っておくようなことはいたしません。諦めて手を引くようなことも絶対にいたしません。いつも自分を役立てる用意をしてください。どんな患者でも拒みません。どんな患者でも歓迎します。

霊の力は万人が受ける権利をもっているのです。霊界側が欲しいのは、喜んで治癒力の流入の通路となってくれる人です」


─── ある人を治療したところ、良くはなったのですが、その後他界してしまいました。どう理解すべきでしょうか。

 「霊の世界へ戻っていくのがなぜ悲劇なのでしょうか。赤ちゃんが地上へ誕生した時、私たちの世界では泣いている者がいるのです。反対に、死んでこちらの世界へ戻ってくるのを大喜びして出迎えている者がいるのです。地上を去ることをなぜそんなにいけないことのように考えるのでしょうか」


─── サイキックとスピリチュアルを区別しておられるようですが、なぜでしょうか。

 「同じく治療といっても、物質次元の磁気的なものがあり、幽体を使用した心霊的なものがあるのです。さらにその上に、霊界の高い界層からのエネルギーによる治療があります。これをスピリチュアルと呼びます」


─── サイキックと呼ぶものの範囲は?

 「地球に近いレベルのものと思って下さい」


─── それは身体上の効果だけで、魂の琴線にふれるレベルのものでないことを意味するのでしょうか。

 「いえ、魂への影響もまったく無いわけではありません。が、きわめて限られており、受容性に乏しいと言えます。霊的意識としては低いレベルでの働きしかありません」


─── その背後にエネルギーの作用はないのでしょうか。

 「あることはありますが、質的には落ちます。エネルギーには無限の段階があります。その頂点には大霊がおわします。そして物質はその最下層に位置します。治療はその階梯のどの段階においても行えます。どの段階になるかは治療家の霊性の高さによって決まります」


─── 精神的な病に冒されている人には同情を禁じ得ないのですが、正直言って私たちの無力さを痛感させられております。

 「精神病も心霊治療で治せます。霊団にすべてをあずけて祈るのです。それだけでいいのです。そうすることで治癒エネルギーがあなた方を通して流れます。直接治療ができない場合は遠隔治療でエネルギーを送ってあげればよろしい。

 心霊治療の態勢は今や立派に確立されております。もう排斥されることはありません。あなた方一人ひとりに果たすべき役割があります。重大な役目です。皆さんは霊力のチャンネルとして大霊の無限の進化の計画の中に組み込まれていることを忘れてはなりません。素晴らしい仕事です。が、同時に、責任ある仕事でもあります。

 本日はこの私をご招待くださり、語り合いの時をもたせていただいたことを光栄に存じております。少しでもお役に立っていれば幸いです。少なくとも互いに勉強になったことは確かでしょう。

 お終いに大霊の祝福を祈念いたしましょう。初めも終わりもない大霊の援助を求めましょう。そしてその御心をわが心とすべく、日常の生活を規律正しいものにいたしましょう。

 大霊の道具として常に最善を尽くしましょう。その努力の中で、私たちの働きの場が常に大霊の愛のマントに包まれていること、そして私たち一人ひとりが温かき大霊の御胸に抱かれていることを実感いたしましょう。

 皆さまに大霊の祝福のあらんことを」   



   あとがきに代えて


                                                近藤千雄
 近代の歴史を振り返ってみると、二十世紀は近代的戦争の世紀だったと言っても過言ではないであろう。第一次および第二次世界大戦をはじめ、日清・日露・ベトナム戦争、最近では超近代兵器による中東の湾岸戦争が記憶に新しい。

 シルバーバーチの霊媒モーリス・バーバネルは一九〇二年の生まれで、第一次・第二次の世界大戦の中を生き抜いて、一九八一年に七十九歳で他界している。まさに戦乱の二十世紀を生き抜いてきたわけであるが、その大半の六十年間をシルバーバーチの霊媒として仕えたのみならず、〝ツーワールズ〟(※)と〝サイキック・ニューズ〟の二紙の主筆として健筆を揮った。

バーバネルがよく自慢したことの一つは、第二次世界大戦の最中も一週としてその二紙を休刊しなかったことであるが、それ以上に私が頭が下がる思いがするのは、シルバーバーチの交霊会(正式の名をハンネン・スワッファー・ホームサークルといった) も週一回のペースを崩さなかったことである。

 ※───当初は週刊紙として発刊し、のちに月刊誌になり、さらに数年前にヘッドクォーター出版社に買い取られた。が、最近その編集長にバーバネルの子分のトニー・オーツセンがおさまったのも奇縁である。

 これは、バーバネルの執念に頭が下がるという意味ばかりではない。支配霊のシルバーバーチが戦乱による波動の乱れで通信不能の寸前まで至りながら、ついに諦めなかったこともその背景にある。われわれ人間には想像できないことであるが、霊的通信網が一本また一本と切断され、霊団の者が 「もうダメです、引き上げましょう」 と進言しても、 「こういう時こそわれわれの援助が必要なのだから」 と、シルバーバーチは叱咤激励したと言う。



   大きかったスワッファーの存在

 さて、そのシルバーバーチとバーバネルのコンビによる仕事が一九二〇年のある日突如として始まったことは、大方のシルバーバーチファンはすでにご存知と思う。

最初のころはバーバネル自身もそれがどういうメカニズムになっていて何の目的で行なわれるかも分からず、嫌々ながら入神させられるまま行ない、聞く者も、奥さんのシルビアをはじめ三、四人の知人だけだった。もちろん記録など残してはいない。そこへ決定的な意味をもつハンネン・スワッファーの登場となる。

 スワッファーは当時すでに英国ジャーナリズム界に君臨する大物で、しかもバリアンティンと言う直接談話霊媒による交霊会(〝デニス・ブラッドレー・ホームサークル〟といった)に出席した時に大先輩のノースクリッフ卿の出現によって決定的な死後存続の証拠を手にし、 『ノースクリッフの帰還』 という著書でそれを公表して大センセーションを巻き起こしていた(一九二四年)。

 そのスワッファーがうわさを聞いてバーバネルの交霊会に出席し、シルバーバーチの霊言の質の高さに感嘆した。そして、それを是非とも〝サイキック・ニューズ〟か〝ツ―ワールズ〟に掲載するよう進言した。が、バーバネルは自分がその二紙の主筆であり社長でもあることを理由に、それを断った。

 が、出席するたびにシルバーバーチという霊の霊格の高さを感じ取る一方のスワッファーは、バーバネルにしつこく公表を迫った。二人は親しい友人でもあったので時には口論となることもあったらしいが、ついに (推定で一九三五年頃から) 霊媒がバーバネルであることを伏せるという条件のもとに連載がはじまり、それを、まとめた最初の霊言集が『シルバーバーチの教え』 のタイトルで一九三八年に出版された。

 が、その時点でも、序文を書いたスワッファーも〝霊媒がひやかし半分のつもりで交霊会に初めて出席した時は十八歳の無神論者だった〟と述べるにとどめ、バーバネルの名は公表されなかった。が、それがいつまでも隠し通せるわけはない。

 「いったい霊媒は誰なのか」 という問い合わせの多さに圧倒されて、ついに一九五九年になって〝シルバーバーチの霊媒は誰か───実はこの私である〟という見出しでバーバネル自身が公表したのだった。


シアトルの冬 四つの団体の代表を迎えて

Welcoming representatives from four organizations




 シルバーバーチの交霊会は大半が霊媒のバーバネルの自宅の応接室で行われているが、前章の交霊会のように、出張先で行なうこともたまにあった。

 これから紹介するのは、現在は解散している「スピリチュアリスト評議会」の代表を集めて行なわれたもので、「グレーター・ワールド・アソシエーション」(『ベールの彼方の生活』の版元)、「スピリチュアリスト・アソシエーション・オブ・グレート・ブリテン」 (SAGBの略称で知られるスピリチュアリズムの中心的施設)、

「スピリチュアリスト・ナショナル・ユニオン」(SNUの略称で知られる英国最大のスピリチュアリストの集団)、それに「スピリチュアリスト霊媒同盟」の四つの団体から構成されていた。

(訳者注─── スピリチュアリズムの組織または団体にはこのほかに、英国では次章で紹介する「心霊治療家連盟」があり、米国には「米国スピリチュアリスト連盟」があり、世界的規模のものとしては「国際スピリチュアリスト連盟」(ISF)がある。私もその会員の一人である。

 シルバーバーチフアンの中には「宗教は組織をもつと堕落する」という言葉の意味を取り違えて、独立独歩を決めこみ、それが一種の利己主義ないし独善主義となっていることに気づかない人がいる。営利を目的とした組織と、真理普及およびサービス実践のための協力態勢とは別であることだけを、ここで述べておきたい)


 さて四団体の代表を前にしてシルバーバーチが挨拶をする ───

 「このたび皆様のご招待にあずかり、こうして語り合う機会を得ましたことを大きな栄誉と思っております。たずさわっておられる大きなお仕事の推進に当たって、私の申し上げることが幾らかでも力になればと願っております。

 申すまでもなく私は全知全能ではありません。が、ここにお集まりの皆さんよりは長い人生体験があります。その人生で私は大宇宙の仕組みとそれを統御している摂理について、皆さんよりは多くの知識を身につけたつもりです。

と言って、私が述べることは格別に耳新しいものではありません。真理には新しいも古いもありません。その表現の仕方がいろいろとあるというまでのことです。

 さて、皆さんは霊的真理とその証を手にされている点において、特別に恵まれた方たちです。より大きな生命の実在を身近かに自覚しておられます。

また皆さんと同じように崇高なる地球浄化の大事業に参画している霊団の存在を、ある人は霊視力で確かめ、ある人は霊聴力で確かめ、そういう能力をお持ちでない方でも、直観的に確信しておられます。霊団の役目は皆さんが迷うことなくこの大事業を計画どおりに推進するように導くことです。

 改めて申し上げるまでもないことと思いますが、皆さんが標榜しておられる霊的真理は、はるか高遠の界層の進化せる霊団によって立案された総合的な計画の一部として届けられているものです。その高級霊団を〝マスターズ〟と呼ぶ人もいれば〝ヒエラルキー〟と呼ぶ人もいます。

いずれにしても霊力が地上界へ絶え間なく、そしてより多く流入するように、またそのためのチャンネルとなるべき使者がますます多く地上へ派遣され、さらには、本日ここにお集まりの方々のように霊的真理に目覚めた方々が一致団結して普及活動に勤しめるように指導することを使命としているのです。

 愛する人を失って悲しみに暮れている人々、病床に伏せている人々、悩める人々、人生に疲れた人々等々・・・・・・こういう人たちは皆、人生の目的を見失っております。教会も科学者も思想家も何の力にもなってあげられないのが現実なのです。

 〝人間の窮地は神の好機〟という格言があります。肉体に包まれた霊(本来の自我)がその霊性に目覚め、活発に活動を開始するのは、そうした窮地にあって、もう物質の世界には何一つ頼りになるものがない ── 万事休すだ、と観念した時からです。

 皆さんが果たすべき役目は、そうした窮地にいる人々が真の自我に目覚め、地上に生を享けた目的を理解し、他人のために役立てるべき才能に気づかせてあげることです。

一口に言えば、肉体の死後から始まる永遠の旅路の次の段階にそなえて、この地上にあって自己実現を成就させてあげることです。

 それが地球浄化の大事業の一環なのです。その計画を立案し、その実現のために尽力している霊団が、今、あなた方の仕事を背後から援助しているのです。大切なのは、この評議会を結成している各グループ、団体、協会によって築かれた橋頭堡が十二分に強化されることです。

そうなれば、灯台と同じように辺りを明るく照らして、人生に疲れた人や道を見失ってしまった人々があなた方のもとを訪れ、悩みを解決するための英知を手にすることができます。

 それこそが、今あなた方がたずさわっておられる仕事なのです。大切なのはそこです。それは責任を伴うことでもあります。〝召される者は多く、選ばれる者は少ない〟と言ったイエスの言葉を思い出して下さい。あなた方は〝選ばれた者〟なのです。

みずから志願した人もいるでしょうし、依頼を受けた人もいるでしょう。どなたがどちらであるかは私にも分かりません。

 大切なのは霊的真理を広めるという責任です。これは人類全体にとって測り知れない恩恵をもたらすことになるからです。物質的な泥沼にはまり込んだ、この混乱せる地球にとって、生死に関わる大事業です」


─── それを国家的規模で行なうのがわれわれの仕事だと思うのですが、この評議会にとどまらず、スピリチュアリストの全組織を集合して大集会を開いてはどうかという案があります。それで効果が上がるでしょうか。

 「上がると思えばおやりになってみてはいかがですか。一致団結するにこしたことはありません。あなた方の第一の目標は一人でも多くの人々に真理を届けることです。

それに劣らず大切な目標は、霊的能力を授かっている人たちがその能力を正しく開発し、仕事の神聖さを自覚し、日常生活においても、最大限の霊力が自分を通して流入するように、身持ちをきちんとすることです。

 大切なのは組織そのものではありません。その組織として何をするかです。組織の名称はどうでもよろしい。大切なのは、どれだけのサービスをするかです。

大霊にとって団体や組織の名称は何の意味もありません。いかなる手段で霊的真理を表現し、霊力を地上に流入させるかです」


─── 一人でも多くの人に真理を届けるべきであるとおっしゃいました。そのこと自体に反論する者はいないと思うのですが、数が多くなりすぎると腐敗ないし堕落する傾向も懸念されます。手を差しのべる相手を選択するということも必要ではないでしょうか。

 「霊界側の観点から申し上げれば、皆さんは一人でも多くの人々に基本的なメッセージとその真実性の証を提供してあげるべきです。大霊の子には分け隔てなく霊的真理を手にする機会を用意してあげるべきです。

これは掛けがえのない神の恩寵であり、全人生の指導原理となるべき貴重な宝です。その好機に遭遇して、それを受け入れるか拒否するか、それはその人の責任において判断すべきことであって、あなたの気遣いは無用です。

 あなたのおっしゃる〝相手を選ぶ〟ということの趣旨はよく分かりますが、それはむしろ、すでに基本的真理を手にした人々、霊性開発へ向けての準備が整った人々を対象とした時に、さらに高度な霊的レベルとの交流を目指す上で、

果たしてそれだけの力量があるか否かを判定する時に問題とすべきことです。私が申し上げているのは、霊的な真理について何も知らずにいる人を対象とした時のことで、これは相手を選ぶべきではありません」


─── 私の考えでは、大切なのは霊能者の〝質〟であって〝量〟ではない───つまり霊媒現象の水準を高めるべきだと思うのですが、いかがでしょうか。

 「何ごとにつけ霊的なことを扱う際には量より質を優先すべきであるというご意見には私も賛成です。信頼のおけない霊能者一〇〇人よりも、真摯で有能な霊能者一人の方がましです」


─── 霊媒現象の質を高めるための方法をお教え願えませんか。

 「いくらでもあります。たびたび引用句を用いて恐縮ですが、ぴったりの言葉があるので引用させて下さい。聖書に〝まず神の国と義を求めよ。さればこれらの(世俗的な)こともすべて叶えられるであろう〟とあります。優先すべきものを間違わないようにとの戒めです。

 霊の道具である霊能者が自分の才能を神聖なものであるとの自覚を得た時から、重大な責任を背負うことになります。まず日常生活において、その才能を傷つけたり汚したりすることのないように心掛けないといけません。

 次に、その才能を最高の水準にまで高める努力を真剣に行わないといけません。そのためには手にした知識を日常生活の中で実践しないといけません。また瞑想と精神統一を実修しないといけません。同じ道を歩んでいる人たちに教えを請う必要もあるでしょう。

 あなたにはその指導がお出来になります。これまでの体験から、とかくはまりがちな落とし穴、困難、誘惑を指摘してあげることができます。そうした中でも一ばん大切なのは、自分の責任の自覚です。神の使者としての、途方もなく大きい責任です。

 そうした優先すべき事柄をきちんと優先させた生き方をしていれば、あとはおのずと収まります。霊的に正しければ、精神的にも物的にもきちんと整います。その優先順位を間違えたら最期、すべてが狂ってきます」


─── 霊媒は自然法則や霊媒現象の原理についてより多く知るほうが好ましいのでしょうか。

 「これはよく問題にされることで、私がどう言ったところで誰かが反論するでしょう。が、私がこれまで長年にわたってこの霊媒(バーバネル)を使用して、この種の霊媒現象(入神談話)の複雑なメカニズムについては十二分に理解しているつもりです。

その体験を踏まえて、あらゆる角度から検討してみて、何につけ、知っているということの方が知らずにいるよりもよいと考えます。知識をもつということは武装することです。知らずにいることは無防備ということを意味します」


─── あなたご自身およびあなたのような指導霊が地上のわれわれを援助するという場合に、それは、われわれ人間が為すべきことを実行するための能力の開発を指導するということと理解してよろしいでしょうか。つまりあなた方のなさることはアドバイスを与えるだけ、と。

 「とんでもない、それだけではありませんよ」

─── 必要な状態を生じさせることもなさるのでしょうか。

 「もちろんです。強いて例えれば、何本もの糸を操って必要な条件を整えなくてはならないこともあります。背後霊と緊密な関係を常日ごろから体験している方なら、必要とあれば霊側はどんな事態でも生じさせることができることを、身にしみてご存知のはずです。

 それには、困難というよりは、微妙な操作を必要とします。完ぺきな協調体勢を築くために、微妙なバイブレーションを扱うからです。 

 問題は、人間はとかく自分たちにとって都合のよい時機に都合のよい結果を要求することです。それはできません。こちらの条件に合わせて行なうしかありません。

本当はその方があなた方にとってもベストなのです。私たちはあなた方よりも広い視野で眺めていますから、どういう事態があなた方自身にとって一ばんよいかの判断ができます。人間の頼みごとを全部その通りに叶えてあげたら、とんでもない事態になりかねません」



─── 現在の霊界と地上界の霊的交信の状態にあなたは満足しておられますか。もしご不満であるならば、ここであなたおよびあなたの霊団の皆さんにぜひともお聞きしたいのですが、今後の交霊に関して何か特別の計画を用意されているのでしょうか。その計画に私たちはどういう態度で臨めばよいでしょうか。

 「よい質問をしてくださいました。まず申し上げたいのは、もし私たちが満足しているとしたら、それは使命を十分に果たしていないことを意味します。満足できないということは、神性の発露であると言ってもよいのです。

そうです、私たちは決して、この程度でよいと思うことはありません。もっとも、大変な困難に遭遇しながらも、よくぞここまで来れたものだという自己評価はしております。

 しょせん私たちは、今置かれた事情のもとで最善を尽くすほかはありません。それも人間という不完全な存在との協力のもとにやらねばならず、私たちもやはり人間的存在なのです。誰一人として完全の域に達した者はいないのです。

 ですから、結局のところ、完全へ向けての試行錯誤の中で努力しなければならないわけです。霊界通信において、霊媒現象において、あるいは心霊治療において、これからも可能なかぎり最高の結果を目指して最善を尽くしてまいります。皆さんが最善を尽くし、私たちが最善を尽くし、一致協力して最大限の影響力を行使するように致しましょう」


─── 私たちは困り果てると神に祈りますが、そちら側の態度として、私たちが祈るようになるまで放っておくのでしょうか。それとも祈ろうが祈るまいが、事の成り行きに任せる時もあれば、援助する時もあるのでしょうか。

 「この大霊のしろしめす宇宙という大機構の中においては、誰一人として、またいかなる存在といえども、放っておかれるということは、摂理上ありえないことです。大自然の摂理は完ぺきですから、全てを包摂しております。

何一つ、誰一人として、その支配から免れることはできません。大霊が見落とすということは有り得ないのです。どこにいようと、あなた方は大自然の摂理の支配下にあり、天の配剤を受けております。

 あなたにとって今何が必要かは神は先刻ご承知です。それを祈りによって表現することは結構なことです。なぜなら、その時点におけるその人の霊的ならびに精神的発達程度に応じて、可能なかぎりの援助が得やすくなるからです。

なるべくなら言葉に出して祈った方がよろしい。その波動によってあなたが何を動機に祈っているのか、その意図が鮮明になるからです」


─── 祈るということをしない人、あるいは絶望のどん底にあって神なんかいるものかと思っている人はどうなりますか。救いようがないのでしょうか。

「大霊の存在を信じる信じないは関係ありません。信じてくれないからといって大霊がお困りになることはありません」


─── いろいろな理由で神に祈れない、あるいは神の存在が信じられない人がいるとします。が、今とても困っていて手助けを必要としています。どういうことになるのでしょうか。

 「援助を受けるか受けないかは、大霊の存在を信じるか信じないかによって決まるのではありません。それまでに到達した精神的ならびに霊的進化の程度によって決まるのです。援助を手にするに値するだけのものを受けるのです。原因と結果の法則です。それが大自然の摂理なのです」


─── 生まれ変わりを信じておられますか。

 「もちろん信じております」


─── あなたの霊媒も信じていますか。

 「霊媒が何を信じようと私には関係ありません。同じく、彼も私のことに責任はありません」


─── 一個の霊が地上へ生まれ出る際には、あらかじめ一生の計画、つまり決められた寿命や体験すべき出来ごと、為すべき仕事があるということは信じていますが、もしも思わぬ事情から当人がその予定された道から外れて、取り返しのつかない事態に立ち至った時には、その人生を途中で切り上げてしまうこともあるというのは本当でしょうか。

 「まず初めに申し上げておきたいのは、そうした内的次元の問題に深入りすると、地上の言語では説明のできない、微妙で複雑な法則や事情を取り扱うことになるということです。

 物資界に生まれ出るに際しては、大体において今回はこうしたいという確たる目的を心に決めております。が、いざ物的身体に宿ってしまうと、種々雑多なエネルギーの相互作用に巻き込まれます。

中にはその初心の霊的目的に気づかないまま、愚かな道にはまり込んでしまう人もいます。自由意思がある以上、それもやむを得ません。

 そこで背後霊というものが用意されていて、自己実現にとって最善の道へ導こうと努力します。あなた方のもとを訪れる人の中には、そうやって背後に導かれて来ている場合があるのです。その時こそあなた方の活躍の好機です。その人にとっても起爆剤に点火される決定的な出会いとなるかも知れません。

 そうした指導をするに際して私たちが使用するエネルギーやテクニックは極めて微妙で、地上の言語ではとても説明できません。が、基本的には、地上で使用する身体は自分で選んでおり、歩むべき道もあらかじめ承知しております。しかも、順調に運べば見事に開花してサービスに役立てることのできる霊的才能をたずさえていることもあります。

 しかし、人間には自由意志が許されています。いよいよ重大な岐路にさしかかった時、約束したはずの道を嫌がって気楽な人生を選んでしまえば、それはそれでやむを得ないことです。

そういう選択をした者が、死後に後悔して、もう一度やり直すということも現実にあることです。これでお答えになりましょうか」


───まだ残っております。

 「最後の一点はわざと残しておきました。そうやって道を間違えた場合に、その人生を途中で切り上げるということは致しません。背後霊にもそういう権限はありません。力量もありませんし、そうしたいとも思いません。あくまでもサービスと指導へ向けて努力します。自己実現をしようとしている魂に余計な干渉はしません」


───自分の身体を自分で選んだということは、親も自分で選んだということですか。

 「むろんです。賢明なる子は親のことをよく知っております」(賢明なる親はわが子のことをよく知っている、というシェークスピアのセリフを言いかえている)


───もしも自由意志を放棄したらどうなりますか。

 「それも自由意志の行使ではないでしょうか」


───それまで歩んできた道をもうイヤだと思いはじめたらどうなりますか。

 「ですから、自分の地上生活は自分の思うようにすればいいのです。そのかわり、その物的身体で行なうことについて、すべて自分が責任を負わなくてはいけません。自分で選択したものなのですから」


───自由意志を放棄するのも自由意志の行使になるのでしょうか。

 「さきほどそう申し上げたつもりですが、私の言い方がまずかったのでしょう。人間は大霊の無限の創造活動の永遠の過程に参加することができるのです。それもあなたの自由意志にまかされています」


───さきほど背後霊による微妙なエネルギーとテクニックの話をされましたが、いわゆるデーバ(精霊の高級なもの)の勢力が霊媒現象にどのように関与するかについてお話ねがえませんか。

 「生命というのは無限ですから、無限の形態で顕現しております。人間的存在だけではありません。物質に宿ったことのない高等な存在もいます。

 さらに原始霊といって、人間よりは進化の程度は低いのですが、やはり生命力を持った存在がいます。これも無数の分野───植物・動物・鉱物・花・その他───の自然法則の運用に貢献しております。物的現象の背後をご覧になれば、大自然の摂理が見事に重なり合いながら、完ぺきな調和と協調関係が保たれていることがお分かりになります。

 さてご質問の、デーバの勢力が霊媒現象に関与する際にエネルギーを提供しているかということですが、いわゆる物理的心霊現象を起こす時によく働いています。〝物質化〟に協力しているのです」


───〝寛大な社会〟(※)はわれわれの間でも意見の分かれるところですが、どう思われますか。

 ※───道徳的な面について寛大ということで、性の解放に重点が置かれている。

 「私は何事につけ自分で正しいと判断したことには寛大であるべきという考えに賛成です。人間には神の監視装置が植えつけられています。皆さんが道義心とか良心と呼んでおられるものです。それが正しいか間違っているかを告げてくれるようになっています」

───悪は、善と違って、それ自身の存在原理を有しないという説をどう思われますか。と申しますのは、哲学思想や宗教思想の中には、全宇宙および全存在は善と悪の二つの原理の対立から生まれた結果であるというのがあります。悪も善と同じレベルの存在と見るわけですが、いかが思われますか。

 「生命には両極があるということをまず認識して下さい。作用があれば反作用があります。光があれば闇があり、日の当たる場所があれば日陰があります。戦争があれば平和があり、善があれば悪があるといった具合です。硬貨の表と裏といってもよいでしょう。

 物理学でも作用と反作用は同じであり、かつ正反対であるとしています。悪は善の倒錯であり、憎しみは愛の倒錯です。本来は善に換えられる同じエネルギーだということです。

 日向ばかりにいては光の何たるかは分かりません。死があるから生を意識できるのです。悲しみがあるから喜びが味わえるのです。病気になってはじめて健康の有り難さが分かります。

これを両極性の法則といいます。転んだことのない者は立ち上がるということを知りません。あらゆる性質が本源的には同じものであり、従って低級なものも高級なものになりうることを意味します」


───ということは、この世においてもそちらの世界においても、進歩、特に霊的な進化は、その両極性、善と悪の対立を軸として展開するということになるのでしょうか。つまり善悪は死後にも存在するということでしょうか。

 「悪とは、得てして無知のことである場合があります。悪であるということを知らないでいるということです。邪心も、得てして無意識のうちに出していることがあります。邪悪であることを知らずにいるということです。

根っから邪悪な人間は、そう沢山いるものではありません。そういう人たちは未熟な魂であることを認識してあげてください。生命の進化は永遠の過程である以上、発達した者と未熟な者とが常に存在することになります。

 それはこちらの世界でも同じことです。ピンからキリまで、無数の階梯の存在がおります。〝ヤコブのはしご〟(※)は地上界のどん底から天界の最上界まで伸びているのです。

 要は相対性の問題です。地上の人間にとって幸せに思えることが、私たちから見ると惨めに思えることがあります。たとえば赤ちゃんの誕生はあなた方にはおめでたいことでしょうが、私たちにとっては必ずしもそうは思えません。また人間は死を悲しみますが、私たちは霊の解放と受け止めます。見方の違いです」

 ※───旧約聖書に出てくる話で、ヤコブが見た天界のはしご。それを天使が上り下りしていたという。


───霊の世界には時間はないというのは本当でしょうか。

 「私たちの世界の太陽は昇ったり沈んだりしませんから、夜と昼の区別はありません。従ってそれを基準にした時間はありませんが、物事が発生し進行するに要する時間はあります。私も本日この場所へやってまいりました。それには時間が掛かりました」


───言いかえると、何らかの変化が生じる時、つまり出来ごとの発生する順序はある種の時間が必要です。その計り方は物的なものではないわけですね?

 「あなたがおっしゃってるのは時間ではありません。時間の経過の計り方です。それは地上とは大いに異なります」

 予定の時刻まであと五分ですと聞かされてシルバーバーチが締めくくりの祈り(ベネディクション)の言葉を述べる。

 「ではお終いに皆さんとともに来し方を振り返り、私たちを包み込む慈悲深き大霊の無限の力に感謝を捧げましょう。そして、これからもその存在をますます自覚できるように日々の生活を整えるように努力いたしましょう。

 大霊の心をわが心とし、全生命の始源と一体となるように心掛けましょう。それが正しく行なわれる時、大霊の加護と導きのマントに包まれていることを自覚するようになりましょう。

 かくして私たちは大霊の愛の配剤のもとにあることを知り、さらにまた、サービスに勤しむ者に必ず訪れる内的やすらぎを得るにふさわしい資質を発揮しつつあることを自覚なさることでしょう。
 大霊の祝福の多からんことを」

Friday, December 20, 2024

シアトルの冬 霊 訓 W・S・モーゼス著

THE SPIRIT TEACHINGS Introduction
W. Stainton Moses

霊 訓<完訳> W・S・モーゼス著 近藤千雄 訳


序 論

 本書の大半を構成している通信は、自動書記(1)ないし受動書記(2)と呼ばれる方法によって得られたものである。これは直接書記(3)と区別されねばならない。

前者においては霊能者がペンまたは鉛筆を手に握るか、あるいは、プランセントに手を置くと、霊能者の意識的な働きかけなしにメッセージが書かれる。一方後者においては霊能者の手をつかわず、時にはペンも鉛筆も使わずに、直接的にメッセージが書き記される。

 自動書記というのは、われわれが漠然と〝霊〟(スピリット)と呼んでいる知的存在の住む目に見えない世界からの通信を受け取る手段として、広く知られている。

読者の中には、そんな得体の知れない目に見えぬ存在──人類の遺物、かつての人間の殻のような存在──を霊と呼ぶのはもったいないとおっしゃる方がいるであろうことはよく承知している。が私は霊という用語がいちばん読者に馴染みやすいと思うからそう呼ぶまでで、今その用語の是非について深く立ち入るつもりはない。

とにかく、私に通信を送って来た知的存在はみな自分たちのことを霊と呼んでいる。多分それは私のほうが彼らのことを霊と呼んでいるからであろう。そして少なくとも差し当たっての私の目的にとっては、彼らは〝霊〟(スピリット)でいいのである。

 その霊たちからのメッセージが私の手によって書かれ始めたのはちょうど十年前の一八七三年三月三十日のことで、スピリチュアリズムとの出会いからほぼ一年後のことであった。もっとも、それ以前にも霊界からの通信は(ラップや霊言(5)によって)数多く受け取っていた。

私がこの自動書記による受信方法を採用したのは、この方が便利ということと同時に、霊訓の中心となるべく意図されているものを保存しておくためでもあった。

ラップによる方法はいかにもまどろこしくて、本書のような内容の通信には全く不適当だった。一方、入神した霊媒の口を使ってしゃべると部分的に聞き落とすことがあり、さらに当初のころはまだ霊媒自身の考えが混じらないほど完全な受容性を当てにすることは不可能でもあった。

 そこで私はポケットブックを一冊用意し、それをいつも持ち歩くことにした。すると私の霊的オーラがそのノートに染み込んで、筆記がより滑らかにでてくることが判った。

それは、使い慣れたテーブルの方がラップが出やすく、霊媒自身の部屋の方が新しい部屋よりも現象が起きやすいのと同じ理屈である。スレートを使った通信(6)の専門霊媒であるヘンリー・スレードも、新しいスレートを使ってうまく行かない時は、使い古したものを使うとまず失敗がなかった。

今このことにこれ以上言及しない。その必要がないほど理屈は明瞭だからである。

 最初の頃は文字が小さく、しかも不規則だったので、ゆっくりと丁寧に書き、手の動きに注意しながら、書かれていく文章を後から追いかけねばならなかった。そうしないとすぐに文章が通じなくなり、結局はただの落書きのようなものになってしまうのだった。

 しかし、やがてそうした配慮も必要でなくなってきた。文字はますます小さくなったが、同時に非常に規則的で字体もきれいになってきた。あたかも書き方の手本のような観のするページもあった。(各ページの最初に書いた)私の質問に対する回答にはきちんと段落をつけ、あたかも出版を意図しているかのように、きちんと整理されていた。神 Godの文字は必ず大文字で、ゆっくりと、恭しげに綴られた。

 通信の内容は常に純粋で高尚なことばかりであったが、その大部分は私自身の指導と教化を意図した私的(プライベート)な色彩を帯びていた。

一八七三年に始まって八十年まで途切れることなく続いたこの通信のなかに、軽率な文章、ふざけた言葉、卑俗な内容、不条理な言語、不誠実な、あるいは人を誤らせるような所説の類は、私の知るかぎり一片も見当たらなかった。

知識を授け、霊性を啓発し、正しい人の道を示すという、当初より霊団側が公言してきた大目的にそぐわないものはおよそ見かけられなかった。虚心坦懐に判断して、私はこの霊団の各霊が自ら主張した通りの存在であったと断言して憚らない。その言葉の一つ一つが誠実さと実直さと真剣さに満ちあふれていた。

 初期の通信は先に説明した通りの、きちんとした文字で書かれ、文体も一貫しており、署名(サイン)はいつもドクター・ザ・ティ―チャー(7)だった。

通信の内容も、それが書かれ続けた何年かの間ずっと変わらなかった。いつ書いても、どこで書いても筆跡に変化がなく、最後の十年間も、私自身のふだんの筆跡が変わっても、自動書記の筆跡はほとんど変わることがなかった。文章上のクセもずっと同じで、それは要するに通信全体を通じて一つの個性があったということである。

その存在は私にとって立派な実在であり、一人の人物であり、大ざっぱな言い方をさせていただければ、私がふだんつき合っている普通の人間とまったく同じように、独自の特徴と個性を具えた存在であった。

 そのうち別の通信が幾つか出はじめた。筆跡によっても、文体及び表現の特徴によっても、それぞれの区別がついた。その特徴は、いったん定着すると等しく変わることがなかった。私はその筆跡をひと目見て誰からの通信であるかがすぐに判断できた。

 そうしているうちに徐々に判ってきたことは、私の手を自分で操作できない霊が大勢いて、それがレクター(8)と名のる霊に書いて貰っているということだった。

レクターは確かに私の手を自在に使いこなし、私の身体への負担も少なかった。不慣れな霊が書くと、一貫性がない上に、私の体力の消耗が激しかった。そういう霊は自分が私のエネルギーを簡単に消費していることに気づかず、それだけ私の疲労も大きかったわけである。
℘18
 さらに、そうやって代書のような役になってしまったレクターが書いたものは流暢で読み易かったが、不慣れな霊が書いたものは読みずらい上に書体が古めかしく、しばしばいかにも書きづらそうに書くことがあり、ほとんど読めないことがあった。

そう言うことから当然の結果としてレクターが代書することになった。しかし、新しい霊が現れたり、あるいは、特殊なメッセージを伝える必要が生じたときは本人が書いた。


 断っておきたいのは、私を通じて得られた通信の全てが一つの源から出たものではないということである。本書に紹介した通信に限って言えば、同じ源から出たものばかりである。すなわち、本書はイムペレーター(9)と名のる霊が私と係り合った期間中の通信の記録である。

もっともイムペレーター自身は直接書くことをせず、レクターが代書している。その期間、特にイムペレーターとの関係が終わったあとは明らかに別の霊団からの通信があり、彼らは彼らなりの書記を用意した。

その通信は、その霊団との係わりが終わる最後の五年間はとくに多くなっていった。

 通信の書かれた環境はそのときどきでみな異なる。原則としては、私は一人きりになる必要があり、心が受身的になるほど通信も出やすかったが、結果的には如何なる条件下でも受け取ることができた。

最初の頃は努力を要したが、そのうち霊側が機械的に操作する要領を身につけたようで、そうなってからは本書に紹介するような内容の通信が次から次へと書かれていった。本書はその見本のようなものである。

 本書に紹介したものは、初めて雑誌に発表した時と同じ方法で校正が施してある。最初は心霊誌 Spiritualist に連載され、その時は筆記した霊側が校正した。もっとも内容の本質が変えられたところはない。その連載が始まった時の私の頭には、今こうして行っている書物としての発行のことはまったく無かった。

が多くの友人からサンプルの出版をせがまれて、私はその選択に取りかかった。が、脈絡のことは考えなかった。

その時の私を支配していた考えは、私個人の私的(パーソナル)な興味しかないものだけは絶対に避けようということだけで、それは当然まだ在世中の人物に言及したものも避けることにもつながった。私個人に係わることを避けたのは、ただそうしたいという気持ちからで、一方、他人に言及したものを避けたのは、私にそのような権利はないと考えたからである。

結果的には私にとって或る意味で最も衝撃的で感動的な通信を割愛することになってしまった。本書に発表されたものは、そうした、今は陽の目を見ることができないが、いずれ遠い将来、その公表によって私を含め誰一人迷惑をこうむる人のいなくなった時に公表を再考すべき厖大な流の通信の、ほんの見本にすぎないと考えていただきたい。

 通信の中に私自身の考えが混入しなかったかどうかは確かに一考を要する問題である。私としてはそうした混入を防ぐために異常なほどの配慮をしたつもりである。

最初の頃は筆致がゆるやかで、書かれて行く文をあとから確かめるように読んでいかねばならなかったほどであるが、それでも内容は私の考えとは違っていた。しかも、間もなくその内容が私の思想信仰と正面から対立するような性格を帯びてきたのである。

でも私は筆記中つとめて他のことがらを考えるコツを身につけ、難解な思想書を一行一行推理しながら読むことさえできたが、それでも通信の内容は一糸乱れれぬ正確さで筆記されていった。

 こうしたやり方で綴られた通信だけでも相当なページ数にのぼるが、驚くのはその間に一語たりとも訂正された箇所がなく、一つの文章上の誤りも見出されないことで、一貫して力強く美しい文体でつづられているのである。

 だからといって、私は決して私自身の精神が使用されていないというつもりはないし、得られた通信が、それが通過した私という霊媒の知的資質によって形体上の影響を受けていないというつもりもない。

私の知るかぎり、こうした通信にはどこか霊媒の特徴が見られるのが常である。影響がまったく無いということはまず考えられない。

しかし、確実に言えることは、私に送られてきた通信の大部分は私の頭の中にあることとはおよそ縁のないものばかりであり、私の宗教上の信念ともその概念上において対立しており、さらに私のまったく知らないことで、明確で確実で証明可能な、しかもキメの細かい情報がもたらされたことも幾度かあったということである。

テーブルラップによって多くの霊が自分の身許についての通信を送ってきて、それを後にわれわれが確認したりしたのと同じ要領で、私の自動書記によってそうした情報が繰り返し送られてきたのである。

 私はその通信の一つ一つについて議論の形式で対処している。そうすることで、ある通信は私に縁もゆかりもない内容であることが明確に証明され、またある通信では私の考えとまったく異なる考えを述べる別個の知的存在と交信していることを確信することができるわけである。実際、本書に収録した通信の多くはその本質をつきつめれば、多分、まったく同じ結論に帰するであろう。

 通信はいつも不意に来た。私の方から通信を要求して始まったことは一度もない。要求して得られることはまずなかった。突如として一種の衝動を覚える。どういう具合にかは私自身にも判らない。とにかくその衝動で私は机に向かって書く用意をする。

一連の通信が規則正しく続いている時は一日の最初の時間をそれに当てた。私は起きるのが早い。そして起きるとまず私なりの朝の礼拝をする。衝動はしばしばその時に来た。

といってそれを当てにしていても来ないことことがあった。自動書記以外の現象もよく起きた。健康を損ねたとき(後半よく損ねたが)を除き、いよいよ通信が完全に途絶えるまで、何の現象も起きないということは滅多になかった。

 さて、膨大な量の通信の中でもイムペレーターと名のる霊からの通信が私の人生における特殊な一時期を画している。本書の解説の中で私は、そのイムペレーターの通信を受け取った時の魂の高揚、激しい葛藤、求めても滅多に得られなかった心の安らぎに包まれた時期について言及しておいた。

それは私が体験した霊的発達のための教育期間だったわけで、結果的には私にとって一種の霊的新生となった。その期間に体験したことは他人には伝えようにも伝えられる性質のものではない。伝えたいとも思わない。

しかし内的自我における聖霊の働きかけを体験したことのある方々には、イムペレーターという独立した霊が私を霊的に再教育しようとしたその厚意ある働きかけの問題は、それでもう十分解決されたと信じていただけると思う。

表面的にはあれこれと突拍子もないことを考えながらも、また現に問い質すべきいわれは幾らでもあるにもかかわらず、私はそれ以来イムペレーターという霊の存在を真剣に疑ったことはただの一度もない。

 この序論は、私としては全く不本意な自伝風のものとなってしまった。私に許される唯一の弁明は、一人の人間の霊体験の物語は他の人々にとっても有益なものであることを確信できる根拠が私にある、ということだけである。 

これから披露することを理解していただくためには、不本意ながら、私自身について語る必要があったのである。私は、その必要を残念に思いながらも、せめて本書に記載したことが霊的体験の一つの典型として心の琴線に触れる人には有益であると確信したうえで、その必要性におとなしく従うことにした。

真理の光を求めて二人の人間がまったく同じ方法で努力することはまずないであろう。しかし、私は人間各自の必要性や困難には家族的ともいうべき類似性があると信じている。ある人にとっては私のとった方法によって学ぶことが役に立つ日が来るかもしれない。

現にこれまでもそうした方がおられたのである。私はそれを有難いと思っている。

 こうしたこと、つまり通信の内容と私自身にとっての意義の問題以外にも、自動書記による通信の形式上の問題もあるが、これはきわめて些細な問題である。通信の価値を決定づけるのはその通信が主張する内容そのもの、通信の目的、それ本来の本質的真理である。その真理が真理として受け入れられない人は多いであろう。

そういう人にとっては本書は無意味ということになる。また単なる好奇心の対象でしかない人もいるであろう。愚か者のたわごととしか思えぬ人もいるであろう。私は決して万人に受け容れて貰えることを期待して公表するのではない。

 
その人なりの意義を見出される人のために本書が少しでも役に立てば、それで私は満足である。
                  ステイントン・モーゼ ス                           一八八三年三月

シアトルの冬 スイスにおける交霊会から       From a seance in Switzerland



本章で紹介するのは、スイス在住のさる心霊家の家で開かれた交霊会の録音から抜粋したものである。出席者が珍しく四十人を超える大交霊会となった。その中には二年前に同じ部屋で最初の交霊会が開かれた時の出席者も何人かいた。

 シルバーバーチの挨拶から始まる。

 「まず、前回ここで言葉を交わした古き友に〝ようこそ〟と申し上げます。そしてまた、今日はじめてお会いする方々にも同じ歓迎の気持を述べたいと思います。

 私たちは同じ生命の道を歩みつつ、昨日よりは今日、今日よりは明日と、生命について少しでも深く理解させてくれる啓発を求めている同志だからです。

 皆さんは、物質的な視点から言えば、とても美しい国にお住いです。が、霊的な視点から言えば、残念ながら美しいとは申せません。無知と迷信と誤解があまりに多すぎます。霊的実在について幾らかでも知識のある人は、ほんの一握りにすぎません。

 そこで、霊の崇高なる照明がその輝きをより多くの人々にもたらすためには、二つの邪魔ものを排除しなくてはなりません。

 一つは伝統的宗教です。宗教的な有り難い教えを継承しているつもりでしょうけど、肝心な宗教としての機能を果たしておりません。本当の宗教とは大霊との絆を結んでくれるものでなければなりません。なのに、この国の宗教はもはやその役目を果たしておりません。

かつては基盤となっていたインスピレーションはとっくの昔に教会から追い出され、代って教義と信条とドグマと儀式のみが残っております。

 こうしたものは宗教とは何の関わりもないものばかりです。大霊に近づけるという宗教の本来の目的には何の役にも立たないからです。

インスピレーションは無限の存在である大霊から発しております。それに引きかえ神学は人間の知能から発したものです。都合のいい理屈から生まれた教義が、宇宙の大源から発したものの代りができるはずはありません。

 もう一つの邪魔ものは、崇拝の対象です。かつて〝黄金の子牛〟と呼ばれていた物的な財産が崇拝の対象とされています。

人生の基盤が霊的実在であることを宗教が説き明かすことができなくなったために、圧倒的大多数の人間が、物質こそ存在のすべてであり、五感で感じ取れるもの以外には何も存在しないのだと信じるようになっています。

 そこで彼らは、人生は七十か八十か九十年、どう長生きしてもせいぜい百年だ。存分に快楽を味わうために金を儲け、財産を貯えようではないかと言います。イザヤ書にある〝食べて飲んで陽気にやろうではないか、どうせ明日は死ぬ身よ〟という一節がそれをうまく表しております。

 責任は教会やシナゴーグや寺院にあります。基本的な霊的原理の大切さすら説くことができないからです。生命は物質ではありません。霊的なものです。物質はただの殻にすぎません。実在の影です。実在は霊であり、いま自分として意識しているあなたは霊なのです。

人生の究極の目的は、その、あなたという霊の属性を発揮することです。逃れることのできない肉体の死とともに始まる次の段階の生活にそなえるためです。

 この国でも、子供はみんな学校へ通います。義務教育だからです。他にもそういう国がたくさんあります。なぜでしょう? 言うまでもなく、卒業後から始まる社会生活に必要な教育を受けるためです。

勉強が十分にできていないと、小学校から中学校へ上がってから、中学校から高等学校へ上がってから、そして高等学校から大学へ進学してから苦労します。そして社会へ出てから困ります。

 それと同じです。あなた方はこの世を去ったあとから始まる霊的生活のためのトレーニングを受けるために、今この世に置かれているのです。今のうちに霊的教育を受けていないと、こちらの世界へ来た時に何の準備もできていなくて、大変なハンディを背負って生活しなければなりません。

 誤解を避けるために申し添えますが、私は物的身体に関わることは放っときなさいと言っているのではありません。それはそれなりに大切です。地上にあるかぎりはその物的身体が唯一の表現の媒体です。言わば〝霊の宮〟です。

 その〝宮〟に宿る霊に、内部に宿る霊性ないし神性を発揮する機会を存分に与える必要があります。その霊性こそ大霊なのです。あなたの内部にひそむ大霊です。それを発揮する機会を求めるのも地上生活における義務です。そのために肉体をたずさえて生まれてきているのですから。

 こんな説教じみた話ばかり聞かされては面白くないでしょう。が、スイスという国、およびそこに住む皆さんが、霊的にみてどういう状態にあるかを知っていただきたかったのです。

 さ、ご質問をお受けしましょうか。私が少しでもお役に立てばと思います。皆さんは為すべきことがたくさんあります。これから徐々に開けゆくサービスの機会を有り難く思わないといけません」


───人間はなぜ霊と精神と肉体という構成になっているのでしょうか。

 「それは、地球という特殊な体験を提供してくれる世界で精神的に霊的に成長するには、そういう表現手段が必要だからです。

精神は、霊すなわち本当のあなたが、脳という物的器官を通して自我を表現するための媒体です。脳は、地上界の物的現象を認知する五感をそなえた物的組織の中枢です。

 地上界は、実にさまざまな考えや性格をもった人間が入り混じって同じ平面上で生活している、特殊な世界です。その千変万化の生活模様の中からいろいろと学ぶ機会が得られるわけです。

 こちらの世界はその点が異なるのです。こちらへ来て落着く先は、あなたと同じ程度の霊性をそなえた者ばかりが集まっている境涯です。当然、発達とか成長というものが地上界とはまったく異なります。

 こちらへ来ると、まず地上界の避けがたい穢れを払い落す事から始め、霊の純金を出すことに努力します。どれほど純金があるかによって落着く先が自動的に決まります。そしてそれに磨きがかけられることによって、霊的により高い境涯へと参ります。

その辺がこちらとそちらとの違いです。霊と精神が肉体に宿って同一平面上で生活するところに地上界の意義があるのです」


───ということは、こちらとそちらとでは進化の仕組みが異なるということですか。

 「その通りです。進化の原則は一定不変で、一瞬の途切れもなく働いております。が、その顕現の仕方が霊的なレベルの違いによって異なるということです。

さきほども言いましたように、地上界ではさまざまなバリエーションの文化、考え方、性格の人間が同一平面上に存在し、互いに影響を受け合っております。無数といってよいほどのバラエティに富んだ人間と接触する機会があるわけです。こちらではそれはありません」


───同じレベルの者ばかりでは退屈しませんか。

 「とんでもありません。霊的成長度が同じで親和性のある者との交流であり、個性と能力はさまざまですから、少しも退屈はしません。

地上で退屈するというのは、親和性のない者と同じ場所に閉じ込められた場合に生じるもので、たしかにうんざりするでしょう。霊的に、そして精神的に親和性のある者同士の間には、倦怠感は生じません。

 こちらの世界で互いに愛し合い、同じレベルの霊性を身につけた者どうしは、人間の言語では表現できないほどの生きる喜びを味わいます。退屈するどころか、説明のしようのない喜悦を覚えます」


───私たちは地上で夫婦となるべく創造されているのでしょうか。

 「これは難しい問題ですね。まず基本的な話から始めましょう。霊そのものには始めも終わりもありません。生命そのものである霊は、無窮の過去から存在し続けているのです。歴史の舞台をいくらさかのぼっても、これまで存在しなかった霊が突如として存在を現わし、そして人間が歴史の表舞台に踊り出たという幕はありません。

過去・現在・未来という過程ではないのです。ですから、ここにお集まりの皆さんも、霊としては(無意識の状態で)ずっと存在していたのです。

 その霊の一部が個体として物質をまとい、地上へ誕生する段階がやってまいります。それを二度、三度、四度とくり返し、その体験によって身につけたものが全体へ付加されていきます。

 一個のダイヤモンドがあって、それに幾つもの切り子面(カット)があるのと同じです。その一つ一つの面が地上界へ顔を出し、その体験によって輝きを増し、その総合的結果としてダイヤモンド全体が一段と輝きを増すというわけです。

 再生とか転生は、そういった目的のための手段の一つです。これにもある程度の選択の余地があります。いったん地上生活を送って帰ってきた霊が、どうしてもやり遂げたい目的があって、もう一度地上へ降誕したいという場合に、それが許されることもあります。

 それを、簡単に許されるかに想像してはいけません。高級霊との相談の上で、そうすることによってかくかくしかじかの徳、利点、他人へのサービスが成就されるとの認識が十分に検討された上でのことです。

 地上の歴史にも輝かしい足跡を残した人物が数多くいます。重大な危機に際して目覚ましい活躍をした人物です。そういう人たちは皆、そういう時機に遭遇することを承知の上で誕生しているのです。

 たとえば病に苦しむ人を救ってあげたいという願望に燃えた霊が許しを得て地上へ降誕します。誕生後いろいろと紆余曲折はあっても、最終的には医師・専門医・外科医などになるでしょう。

心理療法、精神療法などいろいろとある療法のうちのどれかを修するかも知れませんし、もしかしたら心霊治療家になるかも知れません。

 ここで疑問が生じるでしょう。そうした誕生前の決意ないし願望が意識されるようになるためにはどうすればよいかということです。が、残念ながらこれは、一概にこうすればよろしいということが言えない性格のものなのです。

 と言いますのは、魂の覚醒にはその起爆剤となる強烈な体験が必要です。それが肉親との死別である場合もあれば人生の危機の体験であることもあり、大病となることもあります。それが霊的覚醒の第一段階です。

 さて、ご質問の配偶者の問題ですが、同じダイヤモンドの二つの面が同じ時代に地上に誕生して夫婦となることは、滅多にありませんが、ないことはありません。いわゆるアフィニティどうしのケースです。これまで数多くの交霊会で何組かのアフィニティに出会っております」


───となると、今こうして生まれてきているということは、大きなチャンスでもあり挑戦でもあるということでしょうか。

 「そうですとも!そうでなくてどうしましょう。内部の神性を発現させるチャンスを本当のあなた(自我)に与える絶好の機会なのです。あなたはその身体ではありません。その身体があなたではありません。あなたという存在は霊をたずさえた身体ではありません。身体をたずさえた霊なのです。

本当のあなたは鏡に写っているあなたではないのです。本当のあなたは肉眼には見えないものなのです。 その身体は、あなたが自我を表現するための機械にすぎません。あなたという霊が引っ込んで(死んで)しまえば、その機械は動かなくなります。それを皆さんは、〝死〟と呼んでいます。

これでお分かりと思いますが、あなたは死んでから霊になるのではありません。こうして生きている今から立派に霊的存在であり、だから死後も生き続けるのです。

 その地上生活での体験から教訓を学ぶことには大きな意味があります。しかも、あえて言えば、大きな教訓ほど、困難や障害、ハンディを背負った生活に耐え抜くことから得られるのです。その葛藤の中で内部の霊性が呼び覚まされるのです。

 さんさんと太陽がふりそそぎ、すべてが平穏で、問題が何一つ生じないような生活の中では、霊的進化は得られません。困難に遭遇し、それを克服した時にはじめて霊性が向上するのです。鋼鉄が猛火のるつぼの中において鍛え上げられるように、あなたの霊性も苦難との闘いの中においてこそ鍛え上げられるのです」


───誕生前に決意した仕事を成就せず、進むべき方向へ進まずに一生を終わることも有り得るのでしょうか。

 「二つの可能性が考えられます。一つは、生まれた時からハンディを背負って生まれてくる場合。もう一つは、然るべき仕事を成就せずに終わった者がやり直しのためにもう一度生まれてくる場合。

こうしたことも全て自然の摂理によって情容赦なく自動的に働きます。いかなる聖職者もごまかしは利きません。阻止することもできません。大霊の叡知によって考案され行使されているのですから、絶対的に働くのです。

 スイスという国の法律をスリ抜ける者はいるでしょう。が、大霊の法則はごまかせません。また、国が定めた法律は時代とともに改めないといけなくなりますが、大自然の摂理は永遠に改められることはありません。

その必要性がないのです。あらゆる事態、あらゆる人物に対処した摂理が用意されているからです。大霊の定めた摂理が行き届かない事態が生じるということは絶対にありません」


───脳死状態となった植物人間の生命を永らえさせるのは正しいでしょうか。

 「これも難しい問題ですね。が、何事も動機がカギとなります。植物人間とはいえ、まだ生きている身体の機能を完全に止めてしまう動機は何かということです。

 本来人間は自然の摂理にかなった生活をしていれば、死も自然な形で訪れるようになっております。リンゴが熟して地上へ落ちるように、霊が熟すると(地上を離れるべき時機に至ると)身体は自然に朽ちていきます。

 ところが残念ながら人間は必ずしも大自然の摂理にかなった生き方をしておりません。それで霊と精神と身体の調和のとれた相互関係が崩れて、いわゆる病気になるわけです。

 さて、脳が回復不能の損傷を受けることがあります。医学者の中にはそれをもって生命の終りとする人がいますが、必ずしもそうとは言えないのです。タイプライターのキーが故障して使えなくなったことをもって、タイピストが死んだとは言えないのと同じです。タイピストが仕事をする道具が使いものにならなくなったというにすぎません。

 同じことが、脳が損傷して使えなくなった場合にも言えます。それをもって〝死んだ〟とするのは間違いです。本当の死は霊が身体から完全に離れてしまった時のことです。それは俗にシルバーコードと呼ばれている発光性の生命の紐(玉の緒)が切れた時のことです。

 この世に誕生した赤ん坊はヘソの緒が切断されてはじめて一個の独立した人間となるように、霊もシルバーコードが切れた時にはじめて霊界の一員となるのです。

 地上の医師にはその事実を確認する手だてがありません。実を言いますと、身体は植物状態になっていても、霊そのものも本当の死に至るまでにいろいろと学ぶべきことがあるのです。

 ですから、結論としては、最初に言いましたように、動機は何かという点に舞い戻ってきます。死なせることが患者にとって最善の策だと真剣に考えるのであれば、そうすればよろしい。

 ただ残念ながら医師は本来はそういう決断を下す立場にはないということを知ってください。権利が乱用される心配があります。信頼のおける霊視能力者がいて、シルバーコードが切れる瞬間を見届けてくれるようになれば、それが一番望ましいのですが・・・・・・」

───世界的規模で政治・科学・宗教の各分野で大きな変動が起きておりますが、これは好ましい方向への変化の表れでしょうか。

 「今、地上世界は大きな変動期を迎えています。その原因の一つは、第一次・第二次の二つの世界大戦がもたらしています。変動期には必ずしもベストなものが表舞台に出るとはかぎりません。

今の時代は、二つの大戦の結果として、おもに若者の世代に、現体制への不満が渦巻いています。前世代から引き継いだものへの反感です。自分たちが享受している自由や便益や特権が先駆者や革命家たちによる大きな犠牲によって得られたものであることを知らないのです。

 また、宗教・科学・哲学の各分野の在来の教え、世の中の不公平と不公正、当世風のモラル、こうしたもの全てが気に食わないのです。そうした不満から、これを一気に忘れようとして、しばしば麻薬に走ります。

 このように、世の中は変動期にあります。外面を見るかぎりでは、公共物の破壊行為、どん欲や強欲の張り合い、利己主義ばかりが目につきますが、これは〝陰〟の側面であって、〝陽〟の側面もあるのです。若者の中にはボランティア精神に燃えた者が多くなっています。

これから生まれる新しい世界の輪郭がおぼろげながら見えています。何ごとにつけ、誕生というものは必ずしも苦痛の伴わない、素晴らしいものばかりとは限らないのです。

 地上界は今、霊力が地球上の無数の地域に浸透することによって、大きく変動しつつあります。突破口が一つ開けられるごとに、そこに橋頭堡が築かれ、さらに次の橋頭堡を築くための準備がなされています。

大自然の摂理によって、霊力がヒーリングや慰安、導き、インスピレーションをもたらし、それが愛と叡知の本源から送られてきたものであることの証となっております。

 口先ではなく、本当の意味で、案ずることは何もありませんと申し上げます。と言って、あしたの朝目を覚まして見たら天国となっているという意味ではありません。

地上天国はそういう調子で訪れるのではありません。霊力を顕現させる道具(霊媒・超能力者・治療家)が用意され、人々の重荷や心痛や苦悩を軽減してあげることの積み重ねによって、徐々に明るい地上世界が招来されるのです」


───低級霊が有名人の名を騙って出てくるということも有り得るでしょうか。

 「霊媒の程度によっては有り得ることです。未熟な霊媒、正しい生活をしていない霊媒の場合は、低級霊が支配霊のスキをねらって憑依し、それらしく振舞います。

いったんスキをみせると、入れ替り立ち替り侵入するようになります。支配霊の役目はそういうことにならないように監視し、高級霊が出られるような条件を整えることです。

 ただ、念のために申し上げますが、霊界の者が地上に出て語る場合、その声は、その霊自身のものではないということです。地上時代の声帯になるべく近いものを(エクトプラズムで)こしらえるのです。その意味では、騙っているのとは違っても、一種の扮装をすることにはなります。

 物質化現象も同じです。肉体はすでにないのですから、(エクトプラズムで)地上時代と同じ体型をこしらえ、霊界の技師の助けを借りて、できるだけ地上と同じものに近づけるようにします。これも、ごまかすというのではなく、扮装です。本人がそこにいないとそれができませんから」



──憑依と支配とは同じものでしょうか。

 「同じ硬貨にも表と裏とがあるように、人間と霊との関係には積極的と消極的の二面性があります。いったんコミュニケーションのドアが開かれますと、進化の階梯からいって上は最高の天使級から下は最下層の低級霊に至るまでの、ありとあらゆる霊的存在による影響にさらされることになります。

 霊の世界も地上界から送られてくる人間によって構成されています。ですから、人間がみんな聖人君子であってくれれば、霊界も聖人君子ばかりになるのですが、残念ながら地上から送られてくる人間は利己的で邪悪で、他への思いやりがありません。地上界にいた時と同じレベルのままこちらへ来るわけです。

 ですから、親和力の原理で、同じレベルの地上の人間と簡単につながりができます。低い者であれば麻薬とかアルコールなどの習慣で霊界の低級霊が引っつきます。高潔な人間であれば高級界の霊とのつながりが出来て、崇高なインスピレーションに接することができます。

 つまり高級な支配はインスピレーションの形を取り、それが低級になると憑依という形を取ることになります。親和力の原理においては両者は同じです。硬貨の表と裏のようなものです」



───立派な人生を送りながらも死後の存続の事実を知らないまま他界した人は、そちらでの覚醒はどんなものになるのでしょうか。

 「すべては自然の摂理によって規制されているのです。こちらの世界には無限の意識の階層があって、それらが下から上へ、また下から上へと融合しながらつながっております。皆さんのいう〝死〟のあとこちらへ来ると、それまでに到達した霊性に応じたレベルに落ち着きます。

 あなたのおっしゃる〝立派な人生〟を送った人なら、当然、かなりのレベルに落ち着くでしょう。少なくとも地縛霊になることはないでしょう。もっとも、新しい環境に馴染むまでには、ある程度の期間を要するでしょう。が、あなたがたの時間感覚でいう〝長い〟期間ではないでしょう。

 それはともかくとして、実は、死後への準備は地上生活中にある程度までなされているのです。それが行なわれるのは睡眠中です。幽体で離脱してそれ相応の場所を訪れています。


その間の体験は脳に印象づけられないために記憶にないのですが、意識の深層に刻まれていて、いよいよシルバーコードが切れてこちらの住民となった時に役に立ちます」

Thursday, December 19, 2024

シアトルの冬 メキシコでの交霊会から

From a séance in Mexico

    本章で紹介するのは、霊媒のバーバネルが奥さんのシルビアとともにメキシコを旅行した際に立ち寄った心霊家ケネス・バニスター氏宅で、たっての要請を受けて急きょ開かれた交霊会の録音からの抜粋である。

まずシルバーバーチによる開会のインボケ―ションから始まっている。シルバーバーチのインボケ―ションは、初めに出席者に向かって心掛けを訴えたあと、次第に大霊への讃仰の祈りへと移っていくのが常である。

 「それではまず、日頃の悩みごとや心配ごと、不安や取り越し苦労をしばし脇へ置いていただきましょう。

 本日ここにお集まりの皆さんが可能なかぎり一体となって少しでも波動を高め、最高のものを求め、為すことのすべてに大霊の祝福を賜らんことを祈りましょう。

 この宇宙には、われわれの一人ひとりに生命を吹き込んでくださった無限なる創造主たる大霊に優る力は存在しないのでございます。

 それゆえにこそ私たちは大霊に祈りを捧げるのでございます。大海のごとく横たわれる知識と真理と叡知の光を、少しでも多く我がものとし、その始源たる大霊へ向けて一歩でも近づかんと願うからです。

死はもとよりのこと、この地上界のいかなる出来ごとも、そして死後の彼方におけるいかなる出来ごとも、私どもと大霊、そして大霊の子等を互いに結びつける霊的な絆を絶つことのできるものは、何一つございません。

 私たちがこれまでに授かった真理、自分が何者なのか、いかなる存在なのか、また地上世界の存在意義とそこへ誕生してくることの意義について教えてくれた知識に対して、皆さんともども感謝を捧げましょう。

 さらに又、生まれながらに授かっている能力を開発し、自分よりも不幸な人、癒やしを必要としている人、慰めを必要としている人、人生に疲れ、元気づけを必要としている人、いずこへ向かって歩むべきかに迷っている人、そして背負える重荷に耐えかねている人に、いくばくかの力となってあげましょう。

 (このあたりから祈りに入る)

 大霊よ、私どもはこうしてサービスにいそしむことによって、あなたとの絆を強化することができるのでございます。それは、あなたとの調和を深めることであり、その結果として私どもの生活が豊かさと崇高さと美しさと気高かさと威厳によって満たされるのでございます。

 (ふたたび出席者に向かって)


 本日こうして皆さまのもとに参じ、霊の世界からの愛とご挨拶を申し上げることを光栄に存じます。マウスピースに過ぎない私ですが、少しでもお役に立てば幸いです。

私たちはお互いに赤の他人ではないことを知っていただきたいと思います。いついかなる場においても人のためにサービスを施すという一つの目的において一体となっていることを知ってください。

 皆さんは霊の威力をその目でご覧になり、地上生活の背後の計画と目的とを、チラリとではあっても明確に理解することが出来ているという点において、豊かな恩恵に浴しておられます。

その結果として皆さんは、究極的には全人類を包含する無限の連鎖の輪となることができます。何となれば、その輪は霊的なものであり、霊的には人類は一つだからです。

地上の人類を物的に差別しているものが何であろうと、不滅の霊的連鎖に比べれば物のかずではありません。霊の絆は、国家の別、民族の別、宗教の違い、政治理念の違い、その他いかなる種類の違いをも凌駕します。

大霊は、無限の叡知によって地上のすべての子等を一つの霊的大家族として創造なさったのです。この崇高なる事実が、いつの日か、地上世界がそれ本来の遺産である平和を獲得することを可能にしてくれることでしょう。

 本日ここにお集まりの皆さんは、どこへ赴いても、特権を担っておられます。何となれば、より大きな生命の世界 (霊界) の存在について、霊的実在について、そして人生の基盤である永遠の霊的原理について、チラリとではあっても、しっかりとご覧になっておられるからです。

 同時に皆さんは、インスピレーション・啓示・霊的真理・霊的叡知───そのほかどういう用語を用いられても結構です───そうしたものを手にされたことによって、少しでも悟りに近いものを獲得され、〝考える人〟を悩ます人生の難問のいくつかについての解答を見出されたという点において、特別な神の恩恵に浴しておられます。

 が、しかし、そうした恩恵をどう使用するかについて、大きな責任も付いてまわることを忘れないでください。難しく考えることはありません。ご自身が小さな灯台となるように心掛ければよいのです。暗闇の中に霊の光を放てばよいのです。

その光によって、道に迷っている人が心の安らぎと人生の理解へつながる道を見出すことになるのです。いかがですか、参考になりましたか。もしご質問がありましたらおっしゃってください。せいいっぱいお答えいたしましょう」



───イエスは人間の食料として動物を殺すことを戒めたと聞いておりますが、本当でしょうか。福音書の中に書かれていたのが、その後抹消されたのでしょうか。

 「ナザレのイエスが実際にどういうことを説いたかを知るのは容易ではありません。当時は記録するということをしなかったからです。

さらに大切なことは、啓示というものはその時代に相応しいものが届けられるのですから、イエスの教えも当時の人間の理解力の程度に合わせざるを得なかったということです。

 そもそもバイブルに説かれていることが真理の全てであるなどということはとんでもないことです。知識も、真理も、叡知も、無限だからです。霊に関わる事は全て無限です。

これでお終いですと終止符をうつことはできないのです。その意味で、イエスもその当時の民衆の理解力を超えない範囲で説かざるを得ませんでした。あまり進んだことを述べるわけにはいかなかったのです。


 ご質問の肉食の件ですが、これはその人個人の判断力にまかせるべき事柄です。何事につけ、動機が最後の判定材料となります」



───リンカーンは人間は生まれながらにして平等であると言いましたが、これは事実でしょうか。

 「〝生まれながらにして平等〟という言葉をどう解釈するかによって答えが違ってきます。肉体的には決して同じでないことは明らかです。遺伝の法則があり、それが子々孫にまで特異性を伝えます。

 が、霊的には、つまり無限の発達の可能性をもつ神性を秘めているという点においては、人類はすべて生まれながらにして平等です」



───青少年の問題が頻発しております。かつては〝テディ・ボーイズ〟(※)がいました。今はヒッピー族や〝フラワー・ピープル〟(※※)、その他いろいろなタイプの(感心しない)若者がいます。その一方で新しいタイプの(優秀な)霊魂も生まれてきつつあるように感じているのですが、いかがでしょうか。



※───一九五〇年後半に世間を騒がせたオシャレな反抗青年。

※※───平和と愛を象徴する花を身に飾って歩きまわるヒッピー族。




 「摂理の働きで、さまざまなタイプの霊がいつということなしに次々と生まれてまいります。そこからカルマとか再生の問題が生じてくるのですが、そういうヒッピー的な青年も、そうなることを生まれる前から指導霊との間で合意ができていたという考えには、私は同意できません。

生まれる前に合意することは〝こうではなくてはいけない〟という、進化を目的としたことです。

 問題は、生まれる前に自覚した決意が必ずしも誕生後にそのまま顕在意識にのぼってくるとは限らないということです。それが危機一髪とか、人生の逆境の中で万策つき果てた時などに表面に出て、一気に魂を目覚めさせることがあるわけです。啓蒙の波が一気に押し寄せ、誕生に際して決意した目的に目覚めるのです。

 一見すると〝困った若者〟と見られる者たちも、今はマイナスの面を見せているだけで、それはプラスの面を出すための一時的な現象とみるべきです。

 こうした両面はいつの時代にもあります。何事にも両極があるということです。積極性と消極性、作用と反作用、光と闇、晴天と嵐、等々・・・・・・しょせん進歩は対比、対照を通して得られるものだからです」



───これ以降も若い魂がますます多く地上へ送り込まれてくるとお考えでしょうか。

 「そう思います。現在の地上界はたいへん病んでおります。心霊治療が盛んになってきているのもそのためです。が、これも一時的な現象です。いつまでもこのままの状態が続くわけではありません」


───あなたの教えと同じものを説く宗教は今の地上にあるでしょうか。

 「すべての宗教の基盤は愛です。そして愛は大霊の一側面です。バイブルにも愛は摂理の成就であると述べられています。大霊は無限なる愛です。その愛のしるしは、全宇宙を支配している自然法則の完ぺきさに表れております。

完ぺきだからこそ宇宙全体が平衡状態を保っているのです。原因と結果の法則が数学的正確さをもって働いており、一人ひとりのいかなる行為にも公正無比の判断が下されるようになっております。

 宗教心とは、あなたがたのいう神、私のいう大霊へ近づくための心掛けのことです。が、神というも大霊というも、しょせんは言語を超越したものを表現するための粗末な符号にすぎません。

大霊に近づくための行為、絆の強化、霊力の流入の実感、その結果として生まれる調和、内的な輝き、静寂、平穏、泰然自若、それが宗教です。

 そうしたものを生み出さないようでは本当の宗教とはいえません。大霊とのつながりの自覚です。地上生活でそうしたつながりを自覚した時、それは内部の神性に目覚めたことになります。

それはますます大きな発現を求めるようになり、誰に対しても分け隔てなく愛と慈しみの心を向けるようになります。愛と慈しみは神の属性であり、神に似せて作られた人間のすべてが発現すべきものなのです。

 私なりの表現をさせていただけば、宗教とはサービスです。これはもう何度くり返したか分からないほど、何度も申し上げています。サービスに優る宗教はありません。サービスは霊の通貨です。

分け隔てなく、すべての人に、愛と慈しみの心で臨むことができれば、あなたは最高の意味において〝宗教的な〟人間であると言えます。最高の神性を顕現しているからです。

 元来はそれが全宗教の基盤であらねばならないのです。ところが不幸にしてその基盤が厖大な神学と教条主義と人工の理屈の下に埋もれてしまいました。大霊とは何の関係もないものばかりです。そうしたガラクタをきれいに取り払ってごらんなさい。

すべての宗教に共通した基本的な霊的理念が顔をのぞかせます。自他の違いを言い争っているのは、神学的教義と信条の世界です。私に言わせれば、そんなものはどうでもよいことです。

 大切なのは、私たちだけでなく、あなた方人間もみんな、もともとは霊的存在であるということです。大霊の分霊なのです。だからこそお互いが助け合えるし、お互いが愛し合えるのです。同時に、この地球を共有している動物に対しても慈しみの心を向けないといけません。

そうすれば、この宇宙の大機構の中において、それぞれの役割を果たすことができるのです。それを一人ひとりが努力することによって、この地上も少しずつ天国となっていくのです」



───善か悪かの違いは比較対照を通して判断するものだとすると、天国となって行きつつあることはどうやって知れるのでしょうか。

 「別に難しいことではありません。今より少しでも良くなれば、それが天国です。完全な天国というものは絶対に成就できません。はしごを一段あがると、その上にまた一段が見えてきます。

いわゆるニルバーナ(涅槃―完全解脱の境地)には到達できません。どこまで進化しても、さらに発達を要する別の側面があることを知ることの連続です」



───そして、その進化のためにはやはり困難を体験する必要があるわけですか。

 「もちろんです」



───となると、天国においても大きな困難に遭遇するわけですか。

 「そうですとも!ですが、私たちはそれを素晴らしい挑戦と受け止めます。内部の神性がおのずと発現してくるからです。霊的成長は、ラクな道を歩んでいては得られません。もしラクに手に入るものであれば、あえて手にするほどのものではないことになりましょう。ですから、困難を、挑戦し克服すべき課題として、堂々と歓迎することです」



───私たちが再生するのは前世での間違った行為について罰を受けるためであるというのは本当でしょうか。

 「行為についての賞罰は (いつという特定の時期にではなく) 刻一刻と受けております。因果律の働きは避けようにも避けられません。原因とその結果との間には何者も介入できないのです。

原因にはそれ相当の結果が、そしてその結果が原因となってそのまた結果が、というふうに、途切れることなく続きます。永遠に続くのです」


───霊的法則の中でもいちばん大切なものといえば何でしょうか。

 「〝互いに愛し合うこと〟───これが最大の法則です」


───人間はみんな定められた時に死ぬのでしょうか、それとも運命が変えられることもあるのでしょうか。

 「大体において、定められた時期にこちらの世界へ来ることになっているのですが、例外もあります。その理由はと問われても、摂理のウラに別の次元の摂理があり、それが一見すると矛盾するような形で複雑に入り組んで働くために、簡単なようで簡単ではないのです。

こちらの世界の高級霊のように全体像を眺めることができれば、なるほどと納得がいかれるでしょうが・・・・・・地上界へ生まれてくるのも、地上界から去るのも、大体において、みな自分で納得の上で取り決めております」


───人口の増加率が加速しているようですし、それにつれて霊界入りする人間の数も増えておりますが、これは地上界の進化と何か関係があるのでしょうか。

 「進化は物質的・精神的・霊的のさまざまな側面において進行しておりますが、それも全体としての計画にのっとったものです。人口の急速な増加が自然な霊的進化や個々の人間の発達を防げることはありません」


───地球という天体の進化との関係はいかがでしょうか。

 「進化の法則はこの大宇宙を創造なさった無限なる大霊がお定めになったものであることを忘れてはなりません。そのウラには大霊の意志があるということです。その意志を成就させるために、いろいろと調整が行なわれます。地球も、宇宙の他のすべての天体と同じように、進化の途上にあります。

その天体上で生活する人類のすることにも法則的に制約と限界が設けられていて、出来ることと出来ないこととがあります。裏返せば、その制約と限界は自然の摂理を成就させるための神の配慮なのです。


───人口の爆発的な増加を人工的に調節することは間違いでしょうか。

 「ご記憶と思いますが、私は何ごとにつけ〝動機〟がいちばん大切であると言っております。ですから、人類にとってそれが有益である───つまり健康上も問題がなく、人類の進歩を促進するものであれば、出生を制限することは正しいといえます。人間も、大霊の無限の創造活動に参加する機会が与えられているのです。

産児制限(避妊)も人間が神の計画の中で役割を果たす分野と言えましょう。問題は動機です」


───避妊という手段は地上へ誕生したいと思っている霊にとって困ったことになりませんか。

 「どうしても生まれてきたい霊は、避妊をしない夫婦を選びます」


───人間には物質に宿っているがゆえに生じる限界というものがあると思うのですが、それを超えて発展を目指すのは間違いでしょうか。

 「これまた動機が問題となります。あくまでも真理の追求ということが動機であれば、いくら探求の範囲を広げてもよいでしょう。が、その結果として同胞や動植物など、同じ地球に生息するものに害を及ぼすことになるのであれば、弁明の余地はありません」


───先ほどニルバーナのことに言及されましたが、あなたのお話はキリスト教よりも仏教のほうに近いと理解してよいでしょうか。

 「私はそういうラベルが嫌いなのです。文字というのは人間がこしらえたシンボルにすぎません。書いたり、しゃべったり、その他の伝達手段で考えを伝えるためのものですが、霊的なものはあらゆる言語を超越しています。大霊は無限です。限りある一冊の書物の中に圧縮できるものではありません。

 地上の歴史には偉大なる霊覚者が次々と出現しております。その時代の特殊な事情に相応しい人物が送り込まれたのであって、その人の説いたことが啓示の全て───それで啓示はもうおしまい、というわけではありません。

啓示も大霊そのものと同じく無限です。いかなる宗教も、いかなる経典も、大霊の全てを説き尽くすことなど出来るはずはありません。 

 キリスト教だとか仏教だとか、皆さんはいろいろな宗派を持ち出されますが、私は霊的な原理にしか関心がありません。いくつかの霊的原理が受け入れられ、用意の整った人によって実行に移されれば、私は、それこそが地上生活でいちばん大切なことであると信じます」


───あなたは地上世界が〝病める〟状態にあり、それで心霊治療が必要となったとおっしゃいました。となると、治療家は病める肉体と同時に病める精神を癒やさないといけないのですが、それは霊を目覚めさせることにつながるのでしょうか。

 「健康とは全体が整っていること、調和が取れていること、リズムがあること、協調体勢が整っていることです。あなたという存在は三位一体、すなわち霊または魂と精神、それに物的身体の三つから成り立っています。

その三つの主要な構成要素の間に調和が取れていれば、あなたは健康です。その三者の間で相互作用が絶え間なく行なわれているのです。

 霊が正常であれば精神も正常であり、身体も正常です。身体に生命を賦与しているのは霊です。霊はすなわち生命であり、生命はすなわち霊です。霊とは大霊であり、大霊がすなわち生命ということです。物的身体は霊が自我を表現するための道具であり、精神はそのためのコントロールルームと思えばよろしい。

 残念ながら現代の忙(セワ)しい生活機構が緊張とストレスと過労を生んでおります。それが調和を乱すのです。霊が病み、精神が病み、それが肉体に病的症状を生み出します。心身症という病名がありますが、これは精神と霊に起因する病気のことです。

 ですから、かりに心配が原因で潰瘍が生じた場合は、その潰瘍部分を切除しても何にもなりません。心配をするという精神の病があるかぎりは、また潰瘍が生じます。心配をしないように精神を修養するしかありません。そうすれば潰瘍も消えます。

 そこに現代社会が病んでいると申し上げる原因があります。考え方、物の見方、大切なものと大切でないものの判断力、焦点の置きどころ、視野の持ち方、こうしたものが狂っているのです。

大切なものとどうでもよいものとの区別ができるようになり、基本的な霊的真理の大切さが分かるようになれば、人間を構成する三つの要素が調和して、健康になります。

 これでご質問に対する答えになりましたでしょうか」


───体力が減退した場合でも(その調和によって)元気を回復することができるのでしょうか。

 「できます。人間は肉体をたずさえた霊なのですから、宇宙で最強の生命力の源にプラグを差し込むことができます。心の姿勢一つです。それができれば、疲弊しきった身体に再充電することができます」


───地球にふりかかると言われている災厄から免れるために私たちにできることといえば何でしょうか。

 「あなたが地球の運命の心配をなさることはありません。人間の力の及ぶことではないからです。すでに申し上げている通り、人間にできることには、おのずと限界というものがあります。たとえば、地球そのものを爆破してしまうことはできません。

 地上世界にもめごとや困難や不幸が絶えないのは、相かわらず強欲と利己主義と怨恨によって支配されているからです。物欲がガンのように人類の心の中枢に食い込んでいるためです。悪性のガンです。そのガン細胞が猛烈な勢いで増殖しております。それをあなた方が率先して生き方の範を示すことによって食い止めないといけません。

 あなた方は、わずかとはいえ、神の光を受ける恩恵に浴している以上は、楽観的な物の見方ができないといけません。取り越し苦労は何の役にも立ちません。

希望に燃えることです。そうすれば、その明るい想念が信念にあふれたオーラを発し、見る人にとって道しるべとなります。霊的真理を手にした者は模範を垂れるようでないといけません」


───この病める地上界へなぜ続々と新しい生命が誕生してくるのでしょうか。何を目的に来たがるのでしょうか。

 「それは地球が霊のトレーニングセンターだからです。地球なりの存在意義があるのです。もし地球が神の計画の中で無用の存在であれば、地球そのものがもともと存在しないはずです。

 地球は、ちょうど小学校が子供にとっての教育の場として果たしているのと同じ機能を果たしております。学校を卒業したあとに備えているのです。地上界は修業場です。鋼鉄を鍛える鉱炉です。

原鉱が砕かれて黄金を取り出す作業をするところです。地球は神の機構の中にあって無くてはならない役目を果たしております」


───過去の歴史の中にも今日と同じような〝病める時代〟があったのでしょうか。

 「ありました。そして見事に癒やされております。現在の病的状態も無事くぐり抜けることでしょう。進化の一過程として、さらに別の病的状態を体験するでしょう。

 が、皆さんは、ひたすら最善を尽くしておればよろしい。皆さんに期待されているのはそれだけです。ご自分の守備範囲に来た人に手を差しのべればよろしい。その時が皆さんの存在意義が発揮される時です。

 いつどこにいてもサービスを心掛けることです。同情のひとこと、健康または回復を祈ってあげる言葉、何でもよろしい、どんなにささやかなことでもよろしい、縁のできた人に慈しみの行為を施してあげなさい。あなたとの出会いが啓発を促すことになれば、そういう機会を与えてくださったことを喜びなさい。

 私も、皆さんのお役に立てば素直に喜びましょう。正直言って私は、地上圏へ戻ってくるのは気が進まなかったのです。しかし地球を救済するために、どうしてもやらねばならない仕事があること、そして、私が語ることに耳を傾ける人、それに生き甲斐を見出す人がいるであろうからぜひ、という説得を受けたのです。

 とはいっても、私は私よりはるかに進化した高級な先輩たちのマウスピースにすぎません。私が授かった霊的知識を地上の同胞と分かち合うことができれば、このたびの私の使命を果たしていることになります。私との対話がお役に立っていることを知った時は、私の心はあふれんばかりの喜びに満たされます。

 願わくは本日の集いが刺激となって、私たちが大霊との取り次ぎの通路となり、どこにいても大霊の子等に役立つよう生活を整えることができますように。そう願うことは宇宙の大中枢である大霊に近づくことであり、私たちの心が大霊の心と一体となって鼓動することになります。

 その時、私たちは永遠なる大霊の愛の手に抱かれていることを知ります。皆さんに大霊の祝福の多からんことを!」

シルバーバーチ

Monday, December 16, 2024

シアトルの冬 シルバー・バーチ最後の啓示   二人の〝ドリス〟

Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen
Two “Doris”.




 現在(一九九〇年)英国でもっとも目立った活躍をしている女性霊媒に、二人の〝ドリス〟がいる。一人はドリス・ストーク、もう一人はドリス・コリンズである。その二人がそれぞれの夫君を伴って出席した時の、シルバーバーチとの対話の様子を紹介しよう。

 最初に紹介するのはストーク女史で、夫君で心霊治療家でもあるジョン・ストーク氏を伴って出席した。シルバーバーチは例によって歓迎の言葉を述べた。

 「私の霊団の者はお二人を新参者とは思っておりません。悩みごとをかかえて訪れる人に霊的自由、精神的自由、そして肉体的自由を与える仕事において私たちに協力して下さっている仲間、同僚とみております。

 こうして、日々、霊の道具として働いておられる方をお迎えするのは、私の大きな喜びです。とくに多くの霊媒の方たちが、私との対話を楽しみにお出でになることを知って、私も満ちたりた気分になります。

と言いますのも、皆さんは進化の高い界層からの高級霊の指導のもとに仕事をなさりながらも、その霊たちが地上での仕事のために本来の波動を下げており、〝自分〟を出すことを嫌うために、その代表としてこの私に質問を用意して来られるのでしょう。

 ご注意申し上げたいのは、私も皆さんと同じく一個の人間的存在であること、宇宙の全知識、全真理を手にしたわけではないということです。皆さんのご存知ない高い界層での生命活動の体験と、宇宙の摂理の働きについて幾ばくかの知識を身につけてきましたので、それを聞く耳をもつ地上の人々にもおすそ分けしようと思っているまでのことです。

 どの霊能者、どの霊媒も拒みません。どなたも、こちらの情報源を通してそれぞれの使命について知らされ、なぜ今こうして地上に来ているかについて直観的に悟っておられることでしょうが、

私が申し上げることはそうしたものといささかも矛盾しないどころか、改めてそれを確認し、さらに、いかなる障害や困難に遭遇しても挫けることなく、さらに邁進するよう元気づけてあげることができます。

 霊的能力者が施すサービスはきわめて特殊なもので、天賦の才能をもつ者のみの特権といってよいでしょう。そういう人たちがたどる人生には、似通った過酷なパターンがあります。

必ず人生のドン底を味わい、もはや物質の世界には頼りにすべきものが無いと諦めた土壇場で、崇高な霊的真理との出会いがあります。

 魂の琴線に響く感動を味わう、その触媒となる体験を得るのがこの段階です。魂に内在する神性の火花に点火され、霊的意識が芽生え、霊界との間にリンクが出来ます。

そのリンクは一度できると二度と切れることがないばかりか、霊力がその量を増しながら、そのリンクを通して流れ込みます。私が言わんとしていることがお分かりでしょうか」

二人が声を揃えて、「分かりますとも」と言うと、シルバーバーチが続ける。

 「そういうパターンをたどる以外に方法はないのです。天賦の才能を授かっている人は、自分を含めたあらゆる存在の源が物的なものではなく霊的なものにあるという真理に目覚めるには、絶体絶命の窮地の体験を味わうことになっているのです。

 霊媒能力は特権であると同じに、大きな責任があることも意味します。生命力そのものを委託されているからです。

その能力のおかげで、病気の人々を癒やし、霊の世界からのメッセージを届けるばかりでなく、あなた方のもとを訪れる人々の魂を目覚めさせ、本当の意味で生きるということ───暗闇の中でなく真理の光の中で生きること───を教えてあげることができます。お分かりでしょうか」

ドリス・ストーク 「分かりますとも。霊媒としてまだ未熟だったころから、私はあなたの教えを座右の書として読み、あなたを尊敬してまいりました。いろいろと教えていただいております」

 「そのようにおっしゃっていただくと、いささか当惑させられます。さきほども申しました通り、私もあなたと同じ人間的存在にすぎないからです。が、私が少しでも皆さんのお役に立っているとすれば、それは私にとっての最大の報酬をいただいたようなものです。

私も、物的カルマから超脱した高遠の世界の神霊のマウスピースとして、地上の皆さんに必要なメッセージをお届けするという仕事を、何よりの特権と心得ております。

仕事中に手応えを感じ、たった一人の魂にでも霊的真理が根づいたことを知った時、地球浄化の大事業が着々と進捗していることを知ってうれしく思います。

 今この部屋にいる私たち一同、および霊界で同じ仕事にたずさわっている同志たちも、みなこの崇高な計画の一翼を担っているのです。

その目的とするところは、地上の人間に本来の生き方を教え、肉体と精神を存分に発揮すると同時に、本来の自我である霊性をよりいっそう顕現させるよう導くことです。

 かくして得られた人生の目的についての悟りは、本当はエデンの園であるべきでありながら今や身の毛もよだつ恐ろしい唯物病に冒されている地球を救済するための手段でもあるのです。

 お二人には、ご自分が貢献しているその成果を推し量ることはできませんが、大変な貢献をなさっておられます。それは本当は教会が行なうべきものです。が、イエスがいみじくも述べておりますように、キリスト教会は霊的真理の宝庫であるどころか、

人間生活の問題や大きな可能性とは無縁の、空虚で陳腐で時代おくれの独善的な教義を説くしか能のない、〝白塗りの墓〟(※)と化しております。



 ※───ユダヤ教の律法学者やパリサイ人を〝偽善者〟と決めつけて白塗りの墓になぞらえたのであるが、ここでは霊性がカケラも見られなくなった、ただの建造物の意味に使用している。

 このように霊力は、大主教や主教や法王、司祭や牧師などを通してではなく、あなたのような、ごく普通の人間でありながら崇高な愛や叡知や霊力をあずかることのできる人を通して地上へ顕現されるように計画されているのです。

 悲しみの涙にくれている、たった一人の人間の涙を拭ってあげることができれば、あるいは不治の宣告を受けた人をたった一人でも治してあげることができたら、あるいは出口の見えない迷路にはまった人に光明への道を教えてあげることができたら、それだけであなたの全人生が価値があったことになります。

 私たちの仕事も同じです。受け入れる用意のできた人に霊力による援助を授けることです。そういう人はいろんな逆境の中であなたのもとを訪れます。

愛する人を失った悲しみを抱えて、あるいは人生に絶望して、あるいは不治の病に冒された身体で、あるいは悩みを抱え生きる意義を見失って等々、その動機はさまざまです。が、どの人も既成の宗教や科学や哲学や医学では解決策を見出すことができなかったのです。

あなた方は崇高な使命を担った者として、日常生活においてさまざまな困難に遭遇しますが、決して挫けてはいけません。何の面倒も生じないバラ色の人生など、およそ私たちにはお約束できません。

お約束できるのは、霊的な意味において使命の成就に勤しんでいれば、霊的に報われるということです。その段階に至ってはじめて、地上という物質界に降誕した意義があったことになるのです」

ストーク女史 「一か月前に他界したばかりの人が私(の入神現象)を通じて地上に残した奥さんへ通信を送ってきたのですが、その話の中で霊界での朝と昼と夜の生活ぶりを語っています。霊界でも地上と同じ〝一日〟の生活があるのでしょうか」

 「こちらへ来てまだ霊的バイブレーションに順応していないうちは、地上時代と同じパターンの生活を営みます。低級界、いわゆる幽界は、いろいろな点で地上とそっくりです。これは、新参者にショックを与えないようにとの神の配慮なのです。いきなり環境が変わると順応が難しいからです。

 そこで、今おっしゃった方のように、こちらへ来てからも引き続き朝と昼と晩の生活を営む者がいることになります。そういうものという固定観念を抱いているために、そうなるのです。こちらは思念が実在となる世界です。

意識の変化が生じないかぎり、その状態が続きます。それとは別に、地上に残した愛する者の面倒を見たくて、より高い世界への向上を望まない者もいます。

こちらにも庭があり、家があり、湖があり、海があります。それぞれに実体があります。実在なのです。フワフワとした、形態のない世界ではありません。住民はやはり人間的存在です。ただ、物的身体がないというだけです。霊界の自然環境は芸術的な美しさにあふれ、とても言語では表現できません。

 家屋に住まうということは自然なことです。こちらでも家の中での生活がありますが、こちらの家は、地上時代にその人が培った霊性が反映して自然にこしらえられているという点が、地上と違います(※)。その家に庭があるのも自然なことですが、

庭木の手入れは、しなければならないと思えば、すればよろしいし、特に手入れをしなくても、その人の霊性に応じて手入れがなされます。そのように霊の世界の仕組みができているのです。だからこそ新参者もショックを受けずに霊的環境に適応していくのです。

 ※───死後に住まう家がこの地上生活中に着々とこしらえられているという話は、他の霊界通信でもよく出てくる。信じられないのであるが、シルバーバーチまでもがこうもはっきりと述べているとなると、信じざるを得ない。

地上では豪邸に住んでいても、その生活に霊性が欠けていれば、霊界では貧弱な家に住むことになるらしい。俗にいう「徳積み」が、霊的には生活環境となって具現化すると考えればよいのであろうか。その辺の原理を説いた通信は見当たらない。

 霊の世界は進化の階梯を上昇しながら、上下の界が互いに融合し合っているのでして、平面上の地理によって区分けされているのではありません。

霊性が開発され、魂が向上するにつれて、より高い界層へと適応するようになり、自動的にその界に所属するようになります。こうしたことは完ぺきな摂理の完ぺきな働きの結果です。何一つとして偶然の産物は存在しません。

 霊性に歪みがあれば、霊界の病院へ行って然るべき治療を受けることになります。霊界の孤児、つまり両親がまだ地上にいる子供の場合は〝養母〟にあたる霊が付き添います。

地上的縁のある霊の場合もありますが、霊的な親和性の関係で付く場合もあります。その他、ありとあらゆる事情にそれなりの備えが用意されています。大自然の摂理は何一つ、誰一人として見落とすことはありません」

ここでシルバーバーチは話題を変えて、かつてストーク女史が〝支配霊信仰〟の話題をだした時のことに言及して、改めてこう述べた。

「これはとかく地上の人間が陥る過ちの一つでして、残念に思います。指導霊とか支配霊というのはどの霊媒にも付いています。が、そういう資格を与えられた霊は、自分が崇拝の対象とされることは間違いであることを、よく承知しております。(※)。

崇拝の対象は大霊以外にはありません。愛と叡知と摂理の権化です。私が皆さんからの感謝の言葉を有難いと思いつつもお受けしないのは、そういう理由からです。

本来の崇拝の念は大霊へ向けられるべきであり、そこに親と子の関係にも似た、より深い融和が生まれます。その対象から外れて自分へ向けられるようになることは、支配霊として許されないことなのです」

※───これはスピリチュアリズムという大事業の計画のもとに選ばれた指導霊や支配霊 (この用語の区別にとくにこだわる必要はない)について言えることである。霊的知識や教養のない霊能者の背後には崇拝の対象とされる───いわゆる〝神や仏に祭り上げられる〟───のを得意に思う者がいて、歴史上や神話上の立派な名前を騙るようになる。その波動を受けて霊能者の方もそう思い込むようになる。

 この種の霊および霊能者はもともと大事業の計画の中に組み込まれていなかったとみて差しつかえない。シルバーバーチの霊言の陰にかくれて存在が薄くなっている高級な霊言集に 「ラマダーンの叡智」とか「ブラック・クラウドは語る」というのがある。

ラマダーンもブラック・クラウドもシルバーバーチが〝同志〟と呼んでいる高級霊であるが、やはり最後まで自分の地上時代の身元を明かさず、本当に通信を送っているのは自分よりはるかに上層界の〝光輝く存在〟であって、自分はそのマウスピースにすぎないと、シルバーバーチと同じことを言っている。

 ドリス・ストーク女史は霊能養成会を開いているが、ある日の交霊界にその会員十二人が揃って出席してシルバーバーチと対話を交えている。その時の質疑応答を紹介しておこう。

───指導霊はどのようにして決まるのでしょうか。(ここでは守護霊も含めた背後霊全体の意味で訊ねている)

「宇宙には斥力(反発力)があるように引力(親和力)もあります。親和性のある者どうしが自動的に引き合い、引かれ合うという法則です。

愛は、霊力と同じく、宇宙で最も強力なエネルギーの一つです。バイブルにも、愛は摂理の成就である、とあります。摂理として顕現している大霊は、愛と叡知の権化だからです。

 時として地上での前世の縁で指導霊になる場合もあります。どうしても片づけなければならない事が地上にあって、そのために再生することになった場合、霊的自我はあらかじめそのことを承知しております。そして同じ霊系の高級霊の指導のもとに段取りを整えます。

 指導霊としての責務を引き受けた霊は、それまでに身につけた霊的資質の多くを犠牲にして(波動を下げて)、この魅力のない世界───と言っては失礼ですが───の圏内へと降りて来ます。

それは、危険と犠牲を強いられる仕事ですが、それを敢えて引き受けることができるということは、その霊の進化の水準の高さの証明でもあるのです。

 その犠牲的献身によって地上の人々の人生に光明をもたらし、生きる目的を見出させ、使命を成就させることになるのです。ここに愛の摂理の実践の典型があります」

―――私が向けている関心の一つに動物への福祉問題があります。が、英国でも動物実験が多いことを残念に思っております。何かよい改善方法はないものでしょうか。

 「これは私にとってきわめてお答えしにくい問題の一つです。簡単に〝こうしなさい〟と申し上げたいところですが、それができません。

なぜかというと、地上生活の目的の一つは霊的意識の覚醒です。それが成就されれば、大局からの物の見方ができるようになります。優先すべきものを優先させることができるようになるということです。合わせるべき焦点が正確になるということです。

 残念ながら現段階の人類の大半は、霊性の発達の欠如から、自分がもともと霊であり、それと同じものが動物にも宿っていることが理解できません。たしかに人類は機能的には動物に優ります。

が、本質的には同じ霊的存在なのですから、自分より進化の低い階梯にある動物を慈しみ保護してやるべきなのに、自分たちの病気治療の研究のために、無抵抗の動物を材料として、残酷な実験をくり返しております。が、これは間違いです。

 こうした邪悪な、悪魔的ともいえる動物実験を止めさせるためにも、時間は掛かりますが、まず霊的知識の普及が必要です。

そして、人類全体が、今行なわれていることが間違いであることに気づく段階にまで意識が向上する必要があります。短期的に見れば、それまでは、一時的に今まで以上に動物実験が盛んになることもあるでしょう。

 皆さんとしては、何とかして生きた動物に苦痛を与える方法以外の方法へ転換させるように、不断の努力をすることです。決してあきらめてはいけません。霊的な旗印を鮮明に維持しつづけることです。点滴、岩をもうがつ、と言います。最後まで頑張ってください」

───霊性開発につとめているのですが、一歩進んだかと思うと二歩後退しているように思えます。こういうものなのでしょうか。背後霊や私の母親は私に絶望しないかと心配なのですが・・・・・・

 「二歩後退しているというのは、どうして分かるのでしょうか」

───努力すれば努力するほど、人に与える印象がスピリチュアルでなくなっていくように思えるのです。

 「霊的な褒賞はそう簡単に得られるものではありません。もしも簡単に得られるものであれば、あえて得るほどの価値はないことになります。この道は石ころだらけの、進みにくい悪路の連続です。霊的摂理の関係上どうしてもそうならざるを得ないのです。

 考えてもごらんなさい。もしあなたが困難と悲哀と苦悶の体験をしなかったら、そういう逆境の中にいる人があなたのもとを訪れた時、あなたはどう対処なさるのでしょうか。

空は晴れわたり、太陽がさんさんと降りそそぎ、何の苦労もない毎日を送っているようでは、魂は目を覚ましません。困苦と難渋の中でこそ魂は目を覚ますのです。

 魂の奥に隠された黄金は、たたき砕かれてはじめてその光輝を発揮することになるのです。ダイヤモンドは最初からあの美しい姿で飾られているのではありません。もとは土塊と埃の中に埋もれていたのです。それが掘り起こされ、砕かれ、磨き上げられて、ようやくあの輝きを見せるのです。

 霊性も同じです。しごかれ、試されてはじめて発揮されるのです。鋼鉄と同じです。それ以外に方法はないのです。苦難を体験してはじめて霊の光輝と崇高性が発揮されるのです。

 ですから、困難を魂への挑戦課題として歓迎するのです。それが地上人生の目的なのです。もしも気楽で呑ん気な生活を送っていたら、内部に宿る素晴らしい霊性に気づかないまま生涯を終えることになります」

───私は精神統一の修行を何年も続けておりますが、どうすればいちばん良いのでしょうか。

 「今までどおり修行なさることです」

───これからもずっとですか。

 「そうです。完ぺきの域に達するには永遠の時を要します。もちろん地上生活では不可能ですし、こちらへお出でになっても、やはり不可能です。完全なのは大霊のみです」

───大霊と一体になるのは可能なのでしょうか。

 「本質的には人間は大霊と一体です。霊性においてつながっているという意味です。ですから、心配・不安・悩みといった低級感情を消し、大霊の計らいに絶対的な確信と信念を抱き、世俗の喧噪から遁れて魂の奥に入り、平安と静寂の中に休らい、不屈の精神に燃えることです。

精神を統一するにはいろいろな方法があります。いずれにしても、決して容易ではありません。が、修行の努力は必ず報われます」

───ある人のために苦心さんたんして、全身全霊を傾けたあげくに、お礼どころか、ひどいしっぺ返しを受けることがあります。

 「霊的能力を授かった人の責任は、いつでも手を差しのべる用意をしておくことです。あなたが力になってあげることの出来る人が連れてこられます。あなたの方から探してまわることはありません。

あなたから発せられる霊的な光輝によって、そういう人が引きつけられるのです。その時こそあなたが人のために役立つことができるチャンスです。

 あなたが精いっぱいの努力によって、かりに成果をあげることができなくても、それはあなたが悪いのではありません。その人がまだ霊的な用意が十分でなかったということです。そんな時、せっかくのチャンスが実らなかったことに、ひそかに涙を流してあげて、またいつか、チャンスが巡ってくることを祈ってあげることです」

───霊界の住民は誰でも地上の者と通信できるものでしょうか。また、みんな通信したがっているのでしょうか。通信には特別の練習がいるのでしょうか。

 「霊界から地上界へと通信を送るのは、そう簡単なものではありません。さまざまな障壁があります。が、それらを克服して通信を送ってくるのは、愛の絆があるからにほかなりません。愛もなく、地上界へ何の魅力を感じない人もいます。

地上を去ったことを喜んでいるのです。さらには、死んだことに気づかず、いつまでも地上圏をうろついている者もいます。

 地上人類への愛念を抱く霊───それは必ずしも地上的血縁のある者とはかぎりません───は、ありとあらゆる手段を尽くして地上界と接触しようと努力します。

そして通信を送るテクニックを身につけます。地上界と霊界とでは存在の次元が異なります。同じ霊的存在ではあっても、地上の人間は肉体という物質にくるまれた霊です。

そこに通信の難しさが生じます。こうして私が通信しているのを、あたかも受話器を取ってダイヤルを回すだけの電話のように想像してもらっては困ります。電話ですら不通になったり混線したりします。

 霊界通信にも困難はつきものです。が、愛・友情・親和性・血縁関係、それに相互の関心のあるところには、通信を可能にするための、ありとあらゆる努力が為されます」

───私は今だに自分のことがよく分かりません。私のために働いてくれている何ものかがいることは分かるのですが、まだ自分の指導霊ないし支配霊が誰なのか分かりません。

 「光を見出すのは闇の中にあってこそです。喜びを見出すのは悲しみを味わってこそです。健康の有り難さが分かるのは、痛みを味わってこそです。あなたはご自分についてこれから見出していかれます。本当の自我はちゃんとあるのです。ずっと存在しているのです。

 あせってはいけません。地上の人間の悪い点は、せっかちだということです。霊的成長はインスタントに身につくものではありません。私たちも、あなた方が長い眠りから覚めるのを根気よく待っているのです。

何十年も掛かるかも知れません。ところが、ようやく覚めると、いきなり〝何をぼやぼやしているのです!早くやらなくては!〟と言い出します。

 大霊は急ぎません。すべてが計画どおりに着実に進化するように、摂理を配剤しておられるのです。

 そのうちあなたの真の姿が明らかにされる日が来ます。あなたは今、梯子のいちばん下の段に足を置いたばかりです。これから昇りはじめるのです。いくつもの段を昇らねばなりません。が、昇るにつれて、ご自分について、そしてご自分の無限の可能性について悟るようになります」

───この世を去ったあとたどる七つの界層についてご説明ねがえませんか。一界一界どういう過程をたどるのか、また各界がどういう仕事をするのか、大ざっぱで結構ですが・・・・・・

 「まず最初にお断りしますが、私はその〝七つの界〟とやらを知りません。第一から第七まで番号のついた界というものを私は知りません。私が知っているのは、たった一つの界があって、それが無限の階梯をなしているということです。

霊性が高まれば、自動的に次の境涯へと進化しています。そういう過程が永遠に続くのです。なぜなら完全は永遠の時を要するからです。

 どういう仕事をするか、ですか。それはその人によりけりです。もしも授かっていた本能を地上で発揮できなかった人は、こちらへ来て発揮するよう努めます。地上でやりたくても出来なかったものが、こちらで出来ます。

たとえば、子供が大好きなのに子宝に恵まれなかった人は、こちらで多くの霊的孤児 (幼くして親より先に他界した子供)の面倒を見ることになります。

 心霊治療家だった人は、こちらの病院でその能力を発揮することができます。音楽の才能のある人は、地上で経済上の理由から音楽会などに行けなかった人たちのために演奏会を開くこともできます」

───私はどのスピリチュアリスト教会にも所属していないのですが・・・・・・

 「それが何か不都合でも生じましたか」

───私はどうということはありません。多分あなたにも・・・・・・

 「私もどうということはありませんよ」

───どういうわけか私は教会に所属する気になれないのです。何かが私を躊躇させるのです。何なのでしょうか。

 「人間には自由意志と責任があるというのが、私たちの基本的理念です。自分の意志を自由に表現する機能を大霊から授かっています。糸であやつられる人形ではないということです。自由意思があるということです。もちろん、ある一定範囲内でのことです。

つまり、あなたが到達した進化の程度に応じて行使できる範囲がきまるのです。

 もしもあなたが気に入らないと思えば、拒否なさればよいのです。あなたにはもっと別の進むべき道があるのかも知れません。霊界のほうから強制することはありません。援助を求めている人にだけ援助します。ただし、あなたが選択なさることについての責任は、すべてあなたにあることにもなります」

ストーク女史 「この方はご自分ではそうは思っていらっしゃらないでしょうけど、人間的にはスピリチュアリストをもって任じている人よりもっとスピリチュアリスト的な方です」

 「打ち明け話をしましょう。私自身もスピリチュアリストだとは思っておりません。私は肩書には関心がないのです。どうでもいいことです。こちらの世界では何の意味もありません。

大切なのは人のために役立つことをし、可能なかぎり最高の理想へ向かって生きることです。皆さんの名前だってずいぶんいい加減なものです。私が関心をもっているのは、霊的自我と、それをどのように発揮しようとしているかです」

───私はスピリチュアリズムが大好きなのですが、時折怖くなることがあります。なぜだか自分でも分からないのですが・・・・・・

 「恐怖心というのは〝未知〟であることから生まれるものです。分かってしまえば恐怖心は消えます。ですから、なるべく多くの知識を手に入れることです。多く知ることにより、それが光となってあなたの全存在を照らし、恐怖心を追い払います」

ストーク女史 「私から質問があります。私は養成会を指導しているのですが、私自身は正式のトレーニングを受けていないものですから、やり方が伝統的ではありません。

体験に基づいて私の思うままを教えるしかありません。これまでのやり方でよろしいのでしょうか、それとも私自身がもっと正式なトレーニングを受けるべきでしょうか」

 「大霊が無限であるということは、大霊に近づく道も無数にあるということを意味します。たった一本の道というものはありません。またどこかの一個の団体の専売特許でもありません。

私たちは〝今はやりの〟とか〝伝統的な〟といった方法にはこだわりません。むしろ非伝統的であることに誇りを覚えるくらいです。伝統的ということは古くさいということを意味し、進歩がないということの証明でもあります。


 たとえばチャクラ(※)について説くことは必ずしも必要とは考えません。肝心なことは、特別な人(霊能者)に賦与されている霊的能力を発現させることです。誠実さを動機とし、人のためにということをモットーとしておれば、道を誤ることはありません。

※───チャクラというのは〝車輪〟を意味するサンスクリット語で、肉体と幽体の接着剤的役割をしている〝ダブル〟にある七つの皿状の凹んだ渦巻きのことである。これが回転することによって生命力を出し入れしている。これが霊的能力にも大きく関わっていて、ヨガではこの開発を奨励する。

シルバーバーチがあまり勧めないのは、とかく超能力にこだわって霊性の開発をおろそかにする傾向があるからで、私は、人体の構造と内臓器官の生理を知ることが治療家にとって不可欠であるように、霊能開発を本格的にこころざすには、こうした霊的生理について知ることが不可欠であると考えている。

 ご自分でこうだと思うことを実践なさることです。間違っていれば、すぐに気づきます。大霊は各自に判断のモニター装置を植え込んでくださっています。道から外れかけていると、すぐに警告を発してくれます。目的さえ誠実であれば、必ず良い結果が得られます。

 私は、こうして養成会の皆さんと語り合う機会を得たことを大変うれしく思うと同時に、これが皆さんにとって何らかの力になることを望んでおります。また、皆さんからお寄せくださる愛と感謝と情愛に深く感謝の意を表現したいと思います。

私の語ったことが皆さん方の存在の中に宿り、人生とその目的について、以前より少しでも深く理解する上で力になっていることを知ることは、私にとって途切れることのない感謝の源泉です」

ストーク女史「養成会を代表して私から、本日こうしてあなたとの語り合いの機会を設けてくださったことに厚くお礼申し上げます。この日をどれだけ心待ちにしていたことでしょう。きっと生涯忘れ得ない夜となるものと信じます。

これからは、あなたの霊言集を読むたびに〝ああ、自分はこの方と直接語り合ったのだ〟と、今日のことを思い出して、その光栄をしみじみと思い出すことでしょう。皆の者に成り代って私から改めてお礼申し上げます」

「そのお言葉は有り難く頂戴いたしますが、いつも申し上げておりますように、私はいかなる礼も頂きません。指導霊や支配霊を崇拝の対象とする傾向に対して、私は断固として異議を唱えます。崇拝の対象は大霊以外にはあってはならないのです。

 私は地上の年数にして皆さんよりはるかに長く生きてきたというだけのことです。その間に為し遂げたことの結果として、地上の言語では説明のできない光明と美にあふれた境涯に到達することができました。

 すでに何度も申し上げた通り、そういう境涯にいる同輩の多くに、地球浄化の大事業への参加の要請があったのです。それには、これまでたどってきた道のりを逆戻りしなければなりません。が、

私は喜んでお引き受けして、それまでに蓄積した体験から得た知恵、知り得た大自然の摂理の働き、宇宙の大霊についての理解と崇敬の念、およびその大霊から届けられる恵みのすべてを皆さんにもお分けすることにしたのです。

 もちろん、霊的に受け入れの用意ができた人にお分けするということです。ここにお集まりの皆さんにはその用意がおありです。

私たちは協調の体勢で地上を浄化し、より美しい、生き甲斐のある生活の場とするための大事業計画の一端を担うことができた皆さんは、この上ない光栄に浴されておられます。私も光栄です。

 地球浄化の一環として私たちがたずさわっているのは、物欲第一主義の打破です。

これは言わば地球のガンです。利己主義・どん欲・強欲・暴力───これらはみな物欲第一主義の副産物です。これらを無くし、地上の子らが精神的にも霊的にも豊かさを享受して、互いに協調し合える世界を築くことが目的です。

 今、私たちはそういう仕事にたずさわっているのです。これは大規模な戦です。皆さんの中には将校として参加すべく武装している最中の方もいます。小競り合い程度の問題で絶え間なく葛藤させられているのは、その大規模な戦に備えて、将校としての資質を試されているのです。

 ですから、迷わず突き進んでください。常に最善のものを求めてください。そうした努力が大霊へ近づかせ、創造の大源から放たれる愛に浸らせることになるのです。大霊の祝福のあらんことを」



 次にドリス・コリンズ女史が夫君フィリップ・コリンズ氏と霊視能力者のマージョリ・オズボーン女史とともに出席した時の様子を紹介しよう。まずシルバーバーチが歓迎の挨拶のあとコリンズ女史にこう述べた。

 「あなたは背後で絶え間なく援助している高級霊団の存在には先刻お気づきのはずです。これから申し上げることが、その霊団から告げられていることを補足ないし確認することになれば幸いです。

 といっても、私がこの霊媒(バーバネル)を通して申し上げていることは、私の霊団から授かったものをくり返しているに過ぎません。が、首尾よく伝えることができれば、それだけ多くの霊的真理が地上に届けられたことになります。

 覚悟はできておられると思いますが、天賦の霊的才能を授かって生まれてきた人のたどる道は、平坦なものではありません。ロートスの実(※)を食べて安楽な道を歩みたい者は、この道にたずさわらないほうがよろしい」

 ※───ギリシャ神話で、これを食べると浮き世の苦しみを忘れるという。

コリンズ女史「覚悟はできております」

 「私は実はそのウラを申し上げたくて酷なことを申し上げたのです。大霊の大事業に霊界から参加し、地上人類に本来の生き方を教えることに献身している霊たちは、あなたのような方を通して仕事をするのです。あなたのような才能を身につけた方を通して働く以外に方法はないのです。

 地上の指導者であるべき人たち───聖職者・科学者・思想家───が何もできずにいるとき、あなた方は悲しみに暮れている人、病気に苦しんでいる人、悩みを抱えている人、生きる目的を見失った人に解答を授けることができます。

崇高な霊力のチャンネルとして、そういう人々の霊性に働きかけて、本来の機能を取り戻させることができます。それは霊能者にしかできない仕事です。大霊の子らに奉仕することによって大霊に奉仕するという特権を授かっているということです。

 自己の存在価値をあらしめる仕事にたずさわるということは、詮ずるところ犠牲を強いられるということです。なぜならば、それには莫大な霊力が投入されるからです。霊力は無尽蔵です。が、それが地上に顕現されるチャンスが少なすぎます。

そこであなたのような方に犠牲を強いることになるのです。が、犠牲が大きければ大きいほど、それだけ多くの霊性が発揮されます。神の道具としてよりいっそう磨きがかかり、以前にはできなかったことが可能になります。

 と言って、決してラクな道ではありません。が、もともと霊の褒賞は刻苦することによってのみ得られるのです。葛藤の末に得られるものです。遭遇する困難、それに、物分かりの悪い連中によって持ち出される、あらずもがなの障害も克服しなければなりません。

そうした困難や障害との葛藤があなたの霊性を磨き、洗練し、背後霊団との調和を促進し、豊かな霊力の受容力を高めてくれるのです。私の申していることがお分かりでしょうか」

コリンズ女史「分かりますとも、シルバーバーチさん。よく分かります」

 「私からのメッセージが元気づけの言葉となって、あなたがこのまま勇敢に突き進まれ、最善を尽くされ、いつどこにいても人のために役立つことをなさっておれば、私は私なりに存在価値を発揮したことになり、あなたも同様に存在価値を発揮されていることになるのです」

 そう述べてから夫君のフィリップのほうを向いて、

 「以上の私の話をお聞きになりましたか」

フィリップ「拝借しました。一言もらさず・・・・・・」

コリンズ夫人「私の使命の大きさは先刻承知しております。そういう使命を授かったこと、そして(フィリップという)よきパートナーを用意してくださったことを、神に感謝いたしております。これからも力のかぎりを尽くす所存です」

 「あなたに要請されているのはそれだけです。最善を尽くすということです。本日ここに集まった方たちは、私たち霊団も含めて、神の大いなる計画の一翼を担っております。

私が永遠の創造過程と呼んでいるものを促進するために、こうして集められたのです。人類の進化に寄与できることは何と素晴らしいことでしょうか。

 私たちは地上人類の本来の姿、すなわち物的身体を通して自我を表現している霊的存在であることを教えてあげることができます。その生活の中で最優先すべきものを優先し、霊的原理に基づいた生き方をしていれば、かつて経験したことのない生きる喜びを見出すことになります。

 地上人類の最大の問題点は、大霊よりも黄金の子牛(金銭)を崇拝の対象としている者が多すぎることです。欲の皮がつっ張れば霊性はしぼみます。

霊性が第一であることを一人でも多くの人に説かないといけません。地上のいかなる財産も、この世かぎりのものです。来世まで持って行くことはできません。

 知識が無知と取って代るにつれて、光が闇をかき消し、真理が広まるにつれて迷信が退却せざるを得なくなります。私たちと同じくあなたも、物欲第一主義の戦場で霊的解放のために闘うという栄誉を担われた方です。霊は必ずや物質をしのぎます。

霊的叡知が行きわたれば、すべてが収まるべきところに収まります。すべての人類が自分自身の(肉体と霊と精神の)調和のみならず、同胞との調和の中で暮らすようになります。

 そうなれば病気もなくなります。残念ながら今の地上には病気が多すぎます。さらに、霊的に全人類が一つであるという理解が広まれば、みっともない利己主義の産物も出なくなるでしょう」

 そう述べたあと、子供へのお説教みたいなことを述べて申し訳ないと詫びてから、コリンズ女史の背後には素晴らしい霊団が控えているので、憶することなく突き進むようにとの励ましの言葉を述べ、さらに、ご主人のフィリップに向かってこう述べた。

 「あなたは奥さんの片腕として、言うなれば〝人間の砦〟となるべく連れてこられたのです。これからも精いっぱいのことをしてあげてください。これまでも決してラクな道ではありませんでしたが、埋め合わせの法則は間違いなく働きます。低く落ちれば、それだけ高く上がることができます。

 失敗しても、すぐに気を取り直して、また始めるのです。個人であろうとグループであろうと、本当のあなた、神性を秘めた永遠の霊的自我に危害を与えるような出来ごとを生み出せる者は、この物質界にはいません。

いついかなる時も泰然自若とした態度を保持することです。なるほど大事業のために選ばれた人は違うと思わせる、冷静で自信に満ちた雰囲気を常に発散してください」

 続いて霊視家のマージョリ・オズボーン女史に向かって、

 「コリンズご夫妻に申し上げたことは、あなたにも当てはまるとは思われませんか」

 と問いかけると、

オズボーン「そっくりそのままと言ってもよいと思います」

 「何とかして話をあなたのことにもつなげようとしたのですが、どうやらうまく行ったようですね。霊的大事業の道具として派遣された者にラクな道は有ろうはずがありません。もしラクであれば、授けられた才能が発揮されないのです。

ラクで呑ん気な生活をしていれば、内部の神性は顕現しないのです。困難・障害・難題・悪条件の中でこそ霊性に磨きがかけられるのです。

 ダイヤモンドがあの無垢の輝きを見せるようになるまでには、何工程もの破砕と研磨とを経ているのです。それなしには秘められた美しさが出てこないのです。

 霊力に優る力はこの地上には存在しません。万事休す、と思われた絶体絶命の窮地からでも救い出すことのできる力をそなえております。もしもその力について疑念が湧いた時は───人間である以上それはやむを得ないことです───かつてあなたが真っ暗闇の中に閉じ込められた時に、ひとすじの光明、霊の黄金の光が射し込み、進むべき道が示され、人間的愛とともに神の愛の存在に気づかされた時のことを思い出して下さい」

 オズボーン「おっしゃる通りでした」

 「道に迷ったがゆえに本当の自分を見出すことができたのです。霊的に二度と迷われることはありません」

オズボーン「本当に有り難いことです」

 「私は、本日ここにお集まりのどなたよりも長い生活を体験してまいりました。その私が今もって感動を禁じ得ないのは、神の摂理の完ぺきさであり、叡知の無限さです。誰一人として見落とされることもなく、またその監視から逃れることもできません。

 霊的能力を授かっている者は、それを発揮させねばなりません。それがその人に課せられたサービスです。いかなることが起きようと、その能力を授かったがゆえの特権を行使することによって、自己実現に努めなくてはなりません。

それ一つに専心していれば、他のことはすべて落着くところに落着きます。

 取り越し苦労は何の役にも立ちません。霊性をむしばむ大敵です。不屈の精神・沈着・自信・決意───こうしたものは悟りを開いた魂の属性です。これまで導かれてきたのです。これからも導かれます。

疑念が湧いた時は、その思いをそこで押し止め、精神を静めて、魂の奥に引っ込むのです。本当の自我である霊性が道を教えてくれます。

 この地球浄化のための戦いにおいて、将校たる者はうろたえることがあってはなりません。持ち場を死守しないといけません。弱気になってはいけません」

Sunday, December 15, 2024

シアトルの冬 シルバー・バーチ最後の啓示 スピリチュアルな言葉が教える 〝生きる〟ことの喜び

Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen



まえがき

 シルバーバーチの霊言も本書が最後かと思うと、ちょっぴり寂しい気持と、よくぞここまで倦まずに訳してきたものだと、自分で自分に感心する気持とが交錯する。

 私がシルバーバーチと出会ったのは大学二年生の時で、「心霊と人生」という月刊誌を出していた心霊科学研究会の事務所(世田谷)を訪ねた時に、私が英文科生であることを知っていた主筆の脇長生氏が英文のサイキック・ニューズ紙を私に手渡して、何でもいいからこの中から適当なものを選んで訳してくれないかとおっしゃった。



それを大事に持ち帰って下宿で開いた時にまっ先に私の目に飛び込んできたのが、有名なインディアンの肖像画だった。

 聡明さと威厳を兼ねそなえたその顔を見た時に何かしら親しみのようなものを覚えたのを思い出す。が、その肖像画を取り囲むように印刷された霊言は、当時の私の英語力では読むことすら覚束なくて、魅力を感じながらも訳すのはあきらめた。 

そして、ヒマラヤの奥地で見かけたという白い巨人、いわゆる雪男の話を訳し、それが翌月の「心霊と人生」に掲載されて、天にも昇るうれしさを覚えたものだった。

 その記事を、恩師の間部詮敦氏が三重県の自宅でお読みになって私の翻訳力に目を付け、「心霊時報」という、英米の翻訳記事ばかりで構成した、ガリ版刷りの月刊誌を出す話を私に持ちかけられた。これを私は若者の特権の〝怖いもの知らず〟で、二つ返事で引き受けてしまった。

 間部先生は慶応大学のご出身で英語を読む力をお持ちで、当時、米国最大の心霊週刊紙サイキック・オブザーバーを購読しておられた。(当時は日本の全国版の朝刊よりもページが多かったが、現在は凋落して思想的にもスピリチュアリズムから離れ、かつての面影はない)

 私はさっそく新たにサイキック・ニューズとスピリチュアル・ヒーラー(月刊誌・ハリー・エドワーズが主筆)を購読する手続きをしたり、翻訳・転載の許可を得る手紙を書いたりといった、私にとって初体験の仕事が重なり、他方では翻訳もしなければならず、過労と睡眠不足のために目を傷め、失明寸前にまで行きながら、かろうじて助かった。が、この仕事のお陰で私の翻訳力は飛躍的に伸びたように思う。

 その「心霊時報」の巻頭言や余白にシルバーバーチの霊言を断片的に使用した。

それが私がシルバーバーチを訳すようになった最初である。(「心霊時報」は四〇冊まで出した時点で先生の健康上の理由で中止となった。その四〇冊の現物は日本心霊科学協会に寄贈してある)

 以上は一九六〇年前後の話で、それから二〇年ばかり経った一九八〇年に日本心霊科学協会から月刊誌「心霊研究」への連載記事を要請され、その瞬間に脳裏に浮かんだのがシルバーバーチだった。それは「シルバーバーチは語る」と題して連載され、その後潮文社から「古代霊は語る」と改題して出版された。

これは、その時点までに英国で出版された霊言集のエキスを私が一冊にまとめたものであるが、その後読者からの要望にお応えして、全十一冊の全訳(総集編を入れて全十二巻) が出版された。

 「心霊研究」に連載されたのは一九八〇年の秋からであるが、そのころから私は無性にバーバネルに会いたくなり、その年の暮に出発して新年早々(四日)にロンドンの社長室で面会した。

そして帰国する前にもう一度挨拶に訪れたが、それがバーバネルとの今生での最後の面会となった。その年の七月にバーバネルが心臓発作で他界したのである。

 年末から年始にかけてはどちら側にとっても都合が悪いので、翌年の夏休みにしようかと考えた。が、ただただ気持ちが急くので、冬休みを選んだのであるが、それが正解だった。夏休みにしていたら今生では会えなかったわけである。あの世では会えることは間違いないが・・・・・・。

 今から思うと、それから始まるシルバーバーチ霊言集の全訳という大仕事は、もともと霊界側で計画されていて、霊媒のバーバネルに直接面会することが、互いの霊団にとって何らかの意味があったのであろう。

サイキック・ニューズのスタッフの一人が「あなたの背後霊団にこんどの英国訪問を急かせた霊がいますね」と言っていたのが、今となっては印象的である。

 バーバネルの死期が迫っていることを察知したからという見方もできるが、それだけでなくて、直接会うことによって互いの霊団の間での打ち合わせを緊密にするためだったのではないかと考えたりしている。その後の私の出版事情を振り返ってみると、そのことを強く感じるのである。

 まず潮文社からの全十二巻が完結すると間もなくコスモ・テン・パブリケーション(太陽出版)という、当時設立したばかりの出版社から、ぜひシルバーバーチをという要請があり、トニー・オーツセン編集の〝愛〟の三部作(「愛の摂理」「愛の力」「愛の絆」)が出され(注1)、それが終ると、

こんどはハート出版から要請があって、やはりトニー・オーツセンのその後の二冊(日本語版では三冊)の翻訳を約束した。

 一冊目は「シルバーバーチ不滅の真理」、二冊目は 「シルバーバーチ新たなる啓示」、 そして本書となる(注2)。たぶんこれが最後の一冊となるであろう。

 その後原書は出ていないし、これから出るという話も聞かない。カセットを出すという話をサイキック・プレスの社長カール・ダンカンから直接電話で聞いているが、一年以上たってもまだ実現していない。財政的によほど苦しいのであろう(注3)。

 そんな中で、最近日本で、出版とは別の形での新しい動きが出ている 。

 一つは、シルバーバーチの愛読者が、目の不自由な方たちのために、ご自分の朗読をカセットテープに吹き込んでおられることである。

 妙なもので、「勝手に吹き込んだことをお許しください」という手紙とともにカセットが送られてきたその日に、目の不自由な女性から電話があり「シルバーバーチの霊言というのがあるそうですが、テープに吹き込んだものは出ていないのでしょうか」という問い合わせがあった。

 もちろんさっそく送ってあげた。そして三、四日後に涙ながらの感謝の電話をいただいた。しかもその方は、それから二、三か月後に目が見えるようになっているのである!

 その後も二、三の有志の方から、霊言をカセットに吹き込んでいる旨の連絡をいただいている。こうしたことが端的に教えているように、シルバーバーチ霊団は間違いなく今も活動を続けているのである。

 なお本書は、後半になるにつれて、オーツセンが、最後の一冊ということで〝少しでも多く〟と考えた結果であろうか、無雑作に詰め込みすぎた嫌いがあり、そのまま訳すには躊躇せざるを得ない箇所が多くなっている。そこで私は、全体を私なりに編集し直して、章数も五から八に増やして、焦点を細かくしぼった。

 最近、私の訳を参考にしながら原書で読んでおられる方が増えている様子なので、念のためにお断りしておく次第である。

注1 現在は「心の道場」より『シルバーバーチの霊訓』シリーズとして自費出版にて復刻。

注2 それぞれ、現在は『シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ』、『シルバーバーチの新たなる啓示』として新装版がハート出版より刊行されている。

注3 その後カセットは発売された。現在はCD版となり『CDブック・シルバーバーチは語る』としてハート出版から発売されている。