Wednesday, February 11, 2026

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
十章 天上、地上、地下のものすべて
(ピリピ2・10、黙次録5・13)


3 精霊とその守護天使の群れ

一九一九年四月六日 木曜日

 さて、地ならしができたところで、お約束の顕現の話に入りましょう。その主旨は吾々にこれから先のコースをいっそう自信を持って進ませるために、現在の地上人類の進化がいかなる目標に向かって進行しつつあるかを示すことにありました。

 吾々の目の前に展開する地球はすでにエーテル的なものと物的なものとが実質的にほとんど同等の位置を占める段階に至っております。

身体はあくまで物質なのですが、精妙化が一段と進んでかつての時代──貴殿の生きておられるこの現代のことです──よりも霊界との関係が活発となっております。

 地球そのものが吾々の働きかけに反応して高揚性を発揮し、地上の植物が母親の胸に抱かれた赤子にも似た感性をもつに至っております。

 その地上にはもはや君主国は存在せず、肌の色が今日ほど違わない各種の民族が一つの連合体を組織しております。

 科学も現在の西欧の科学とは異なり、エーテル力学が進んで人間生活が一変しております。もっとも、この分野のことはこれ以上のことは述べないでおきましょう。私の分野ではないからです。


以上のことはこれから顕現される吾々への教訓を貴殿にできるだけ明確に理解していただくために申し上げているまでです。

 さて地球は地軸上でゆっくりと回転を続けながら内部からの光輝をますます強め、それがついに吾々までも届くようになり、それだけ吾々も明るく照らし出されました。

するとその地球の光の中から、地球の構成要素の中に宿る半理知的原始霊(いわゆる精霊のことで以下そう呼ぶ──訳者)が雲霞のごとく出てきました。奇妙な形態をし、その動きもまた奇妙です。その種のものを私はそれまで一度も見かけたことがなく、じっとその動きに見入っておりました。

個性を持たない自然界の精霊で、鉱物の凝縮力として働くもの、植物の新陳代謝を促進するもの、動物の種族ごとの類魂として働いているものとがあります。

鉱物の精霊はこの分野を担当する造化の天使によって磁力を与えられて活動する以外には、それ本来の知覚らしい知覚はもっておりません。

が、植物の精霊になるとその分野の造化の天使から注がれるエネルギーに反応するだけの、それ本来の確立された能力を具えております。鉱物にくらべて新陳代謝が早く、目に見えて生育していくのはそのためです。

 同じ理由で、人間の働きかけによる影響が通常の発育状態にすぐ表れます。たとえば性質の相反する二つの鉱物、あるいは共通した性質をもつ二つの鉱物を、化学実験のように溶解状態で混ぜ合わせると、融和反応も拒否反応もともに即座にそして明瞭な形で出ます。感覚性が皆無に近いからです。

 ところが植物の世界に人間という栽培者が入ると、いかにも渋々とした故意的な反応を示します。ふだんの発育状態を乱されることに対して潜在的な知覚が不満をもつからです。

しかしこれが動物界になると、その精霊も十分な知覚を有し、かつ又、少量ながら個性も具えています。また造化の天使も整然とした態勢で臨んでおります。

 その精霊たちが地中から湧き出て上昇し、地球と吾々との中間に位置しました。すると今度はその精霊と吾々との間の空間から造化の天使たちが姿を現しました。現実には常に人間界で活動しているのですが、地上にそれに似た者が存在しませんので、その形態を説明することは出来ません。

一見しただけで自然界のどの分野を担当しているかが判る、と言うに留めておきましょう。大気層を担当しているか、黄金を扱っているか、カシの木か、それとも虎か───そうした区別が外観から明瞭に、しかも美事に窺えるのです。

形、実質、表情、衣──そのすべてに担当する世界が表現されております。もっとも衣は着けているのといないのとがあります。

いずれにせよ、その造化の天使たちの壮観には力量の点でも器量の点でも言語を絶した威厳が具わっております。それぞれに幾段階にもわたる霊格を具えた従者をしたがえております。

その従者が細分化された分野を受けもち、最高位の大天使と、動物なり植物なり鉱物なりとの間をつないでおります。

 さて、その天使群が地球の光輝の中から湧き出てきた精霊たちと合流した時の様子は、いったいどう叙述したらよいでしょうか。こう述べておきましょう。

まず従者たちが精霊へ向けて近づきながら最高位の大天使を取り囲みました。かくまうためではありません。ともかく包み込みました。すると精霊たちもそのいちばん外側の従者たちと融合し、その結果、地球のまわりに美しい飾りのようなものが出来あがりました。

 かくして地球はかつてない光輝を発しながら、あたかも玉座を納めたパピリオンのカーテンのごとく、上下四方を包むように飾る、生き生きとした精霊群の真っ只中にありました。今や地球は一個の巨大な美しい真珠のごとく輝き、その表面に緑と金色と深紅と琥珀色と青の縞模様が見えていました。

そしてその内部の心臓部のあたりが崇敬の炎によって赤々と輝いて見え、造化の天使とその配下の無数の精霊に鼓舞されて生命力と幸福感に躍動し、その共鳴性に富む魅力を発散しておりました。  

 その時です。生き生きとしたその飾りの下からキリストの姿が出現しました。完成せるキリストです。かつてのキリストの叙述にも私は難儀しましたが、いま出現したキリストを一体どう叙述したらよいでしょうか。途方に暮れる思いです。

 おからだは半透明の成分でできており、地球ならびにそれを取り巻く無数の精霊のもつ金色彩をみずからの体内で融合させ完全な調和を保っておりました。そのお姿で、煌々たる巨大な真珠の上に立っておられます。

その真珠は足もとでなおも回転し続けているのですが、キリストは不動の姿勢で立っておられます。地球の回転は何の影響も及ぼしませんでした。

 衣服は何も着けておられませんでした。が、その身辺に漂う生命の全部門の栄光が、その造化にたずさわる大天使を通して澎湃(ホウハイ)として押し寄せ、崇敬の念の流れとなって届けられ、それが衣服の代わりとしておからだを包み、お立ちになっている神殿に満ちわたるのでした。

 お顔はおだやかさと安らかさに満ちておりました。が、その眉にはお力の威厳が漂っておりました。神威がマントのごとく両肩を包み、紫がかった光に輝く豊かな起伏を見せながら背後に垂れておりました。

 かくして吾々は地球を囲みつつキリストの上下四方に位置していたことになります。もっとも、キリストにとっては前も後ろも上も下もありません。


吾々のすべてが、吾々の一人一人が、キリストのすべて──前も後もなく、そっくりそのままを見ていたのです。貴殿にはこのことが理解できないことでしょう。でもそう述べるほかに述べようがないのです。その時の吾々はキリストをそのように拝見したのです。

 そう見ているうちに、無数の種類の創造物が各種族ごとに一大合唱団となってキリストへの讃仰の聖歌を斉唱する歌声が響いてきました。それが創造的ハーモニーの一大和音(コード)となって全天界ならびに惑星間の虚空に響きわたり、各天体をあずかる守護の天使たちもそれに応唱するのでした。

 それほどの大讃歌を地上のたった一つの民族の言葉で表現できるはずがないのは判り切ったことです。でも、宇宙の一大コンサートの雄大なハーモニーの流れに吾々の讃仰の祈りを融合させて、その聖歌の主旨だけでも、私にできるかぎりの範囲で表現してみましょう。

「蒼穹の彼方にははたして何が存在するのか、私どもは存じませぬ。地球はあなたの天界の太陽が放つ光の中のチリほどの存在にすぎぬからでございます。

しかし父なる大神のキリストにあらせられるあなたの王国の中のこの領域を見てまいりました私どもは、このことだけは確信をもって信じます──すべては佳きに計らわれている、と。

 私たちの進む道において、この先、いかなることが永却の彼方より私たちを出迎えてくれるや、いかなる人種が住むことになるや、いかなる天使の支配にあずかることになるや──こうしたことも私たちは今は存じませぬ。

それでもなお私たちは恐れることなく進み続けます。ああ、主よ、私たちはあくまでもあなたのあとに付いて参るからでございます。力と愛とが尊厳の絶頂の中で手に手を取ってあなたの両の肩に窺えます。

 父なる神がいかなるお方であるか──それは最愛の御子たるあなたを拝しお慕いしてきて、私どもはよく理解できております。あなたを逢瀬の場として私どもの愛が父の愛と交わります。私どもは父をあなたの中において知り、それにて安んじております。

 主よ、私どもの目に映じるあなたは驚異に満ち、かつ、この上なくお美しい方であらせられます。しかし、それでもなお、あなたの美のすべては顕現されておりませぬ。それほど偉大なお方であらせられます。

 本来の大事業において私どもは心強く、楽天的に、そして恐れることなくこの身を危険にさらす覚悟でございます。叡智と力と創造的愛の完成せるキリスト、私たちはあなたの導かれるところへ迷わずあとに続いてまいります。

 私たちは霊格の序列と規律の中で、あなたへの崇敬の祈りを捧げます。何とぞあなたの安らぎの祝福を給わらんことを」
      アーネル ±                           (完)


  訳者あとがき

 前巻の〝あとがき〟の最後のところで私は〝いよいよ翻訳に取りかかる時は、はたして自分の力で訳せるだろうかという不安が過(よぎ)り、恐れさえ覚えるものである〟と述べた。

結局四度この不安と恐れを味わい、いまやっと全四巻を訳し終えた。長い長いトンネルをやっと抜けたといもう事実は事実であるが、そこにホッとした安堵感も満足感もない。


はたしてこんな訳でよかっただろうかという不安とも不満ともつかぬ複雑な感慨が過(よぎ)る。

 とくにこの第四巻は訳が進むにつれて私の置かれている立場の厳粛さと責任を痛感させられることになった。単に英語を日本語に直す訳者としての責任を超えて、天界の大軍が一千有余年の歳月をかけた地球浄化の大事業に末端的ながらも自分も係わっているという自覚から遁れるわけにいかなくなった。

これは自惚れとか尊大とかの次元を超えた、いわく言い難い心境である。本通信の重大性を理解してくださった方ならば、そういう自覚と責任感なしに訳せるものではないことはご理解いただけるであろう。

 この道の恩師である間部詮敦氏(以下先生と言わせていただく)との出会いは私が十八歳の高校生の時で、そのとき先生はすでに六十の坂を越えておられた。

その先生がしみじみと私に語られたのが〝この年になってやっと自分の使命が何であるかが判ってきました〟という言葉であった。私は〝先生ほどの霊格をおもちの方でもそうなのか〟といった意外な気持ちでそれを受けとめていたように思う。

その私が五十の坂を越えて同じ自覚をもつに至った。この心境に至るのに実に三十年の歳月を要したことになる。

 ここで改めて打ち明けておきたいことがある。実はその出会いから間もないころ先生が私の母に、私が将来どういう方面に進む考えであるかを非常に改まった態度でお聞きになられた。(そのとき先生は私の将来についての啓示を得ておられたらしい)

 母が「なんでも英語の方に進みたいと言っておりますけど・・・・・・」と答えたところ、ふだん物静な先生が飛びあがらんばかりに喜ばれ、びっくりするような大きな声で、

 「それはいい! ぜひその道に進ませてあげて下さい」とおっしゃって、私に課せられた使命を暗示することを母に語られた。何とおっしゃたったかは控えさせていただく。ともかくそれが三十年余りのちの今たしかに実現しつつあるとだけ述べるに留めたい。

 母はそのことをすぐには私に聞かせなかった。教育的配慮の実によく行き届いた母で、その時の段階でそんなことを私の耳に入れるのは毒にこそなれ薬にはならないと判断したのであろう。私が大学を終えて先生の助手として本格的に翻訳の仕事を始めるようになってから「実は・・・・・・」といって打ち開けてくれた。

 母は生来霊感の鋭い人間であると同時に求道心の旺盛な人間でもあった。当市(福山)に先生が月一回(二日ないし三日間)訪れるようになって母が初めてお訪ねしたとき、座敷で先生のお姿を一目見た瞬間〝ああ、自分が求めてきた人はこの方だ〟と感じ、〝やっと川の向う岸にたどり着いた〟という心境になったと語ったことがある。

 それに引きかえ父は人間的には何もかも母と正反対だった。〝この世的人間〟という言葉がそのまま当てはまるタイプで、当然のことながら心霊的なことは大きらいであった。

それを承知の母はこっそり父の目を盗んで私たち子供五人(私は二男)を毎月先生のところへ連れていき、少しでも近藤家を霊的に浄化したいと一生けんめいだった。

やがてそのことが父に知れた時の父の不機嫌な態度と、口をついて出た悪口雑言は並大抵のものではなかったが、それでも母は自分の考えの正しいことを信じて連れて行くことを止めなかった。

 そのころ運よく当市で催された津田江山霊媒による物理実験会に、それがいかなる意義があるかも知らないはずの母が兄と私の二人を当時としては安くない料金を払って出席させたのも、今にして思えば私の今日の使命を洞察した母の直感が働いたものと思う。

当時は津田霊媒も脂の乗り切った時期で、『ジャック・ウェーバーの霊現象』に優るとも劣らぬ現象を見せつけられ、その衝撃は今もって消えていない。

 当時のエピソートは数多いが、その中から心霊的にも興味あるものを一つだけ紹介しておきたい。

 当時の母は一方では近藤家のためだと自分に言い聞かせつつも、他方、そのために必要な費用はそのことを一ばん嫌っている主人が稼いでくれているものであり、しかもそれを内しょで使っているということに心の痛みを覚えていた。

そこである夜、先に寝入って横向きになっていびきをかいている父に向かって手を合わせ〝いつも内しょで間部先生のところへ行って済みません。

きっと近藤家のためになると思ってしていることですから、どうかお父さん許してくださいね〟と心の中で言った。すると不思議なことに、熟睡しているはずの父が寝返りをうちながら〝ああ、いいよ〟と言った。それを見て母は〝ああ、今のは守護霊さんだ。

守護霊さんは分かってくださってるんだ〟と思って、それまでの胸のつかえがきれいに消えたという。けだし母の判断は正解であった。私はこの話を母から二度も聞かされたが、この話には母の人間性のすべてが凝縮されているように思う。

〝苦〟と〝忍〟の中にあってなお思いやりの心を忘れないというのは、宗教的な〝行〟の中よりもむしろこうした平凡な日常生活での実践の方がはるかに難しいものである。

シルバーバーチが〝何を信じるかよりも日常生活において何を為すか──それが一ばん大切です〟と述べているのはそこを言っているのである。

 母はこうした心霊的なエピソートがいろいろとあるが、今そのすべてを語っている余裕はない。ともかくそれらのすべてが今私がたずさわっている英国の三大霊訓およびこれから発掘されていくであろう人類の霊的遺産の日本への紹介という仕事につながっていることを、今になってやっと痛感させられているところである。

 私は最近その母のことを生身の背後霊だったとさえ思うようになった。母にも母なりの人生があったことであろうが、その中での最大の使命は私を間部先生と縁づけ、そして以後ずっと勇気づけ父から庇ってくれたことにあったように思う。

あるとき母が少しはにかみながら私に一通の封書を見せてくれた。間部先生からの達筆の手紙だった。読んでいくうちに次の一文があった──〝あなたのような方を真の意味での人生の勝利者というのです・・・・・・〟母にとってこれ以上の慰めとなる言葉はなかったであろう。

 では父はどうかと言えば、最近になって私は、そういう父なかりせば果たして今日の私にこれだけの仕事ができたかどうか疑問に思うことがある。

もしも父が俗に言う人格者(これは大巾に修正を必要とする言葉となってきたが)で聞き分けのいい人間だったら、こうまでこの道に私が情熱を燃やすことにはならなかったのではないかと思われるのである。

 母は真の人生の指導者を求め続けてそれを間部先生に見出した。そしてそれを千載一遇の好機とみて、父から何と言われようと、何とかして子供を先生に近づけようとした。

そして私が大学を終えたのち父の期待を裏切って何の定職にもつかずに先生のもとへ走ったことで父が激高し、その責任を母になすりつけても、母は口応えすることなくじっと我慢して耐えてくれた。

こうしたことの一つ一つが節目となって私はこの道にますます深入りしていった。そうした観点から見るとき、その父の存在もまた神の計画の中に組み込まれていたと考えることができる。今ではそう信じている。

 その父がこの〝あとがき〟を書いている日からちょうど一か月前に八三歳で他界した。

母がいかにも母らしくあっさりと十年前に他界したのとは対照的に、父は二年間の辛い療養生活ののちに息を引き取った。二年前、私の『古代霊は語る』が出て間もないころに脳こうそくで倒れたのであるが、その時はすでに私のその本をひと通り読み通していて、〝すらすらと読めるからつい最後まで読んじゃった。

もう一度読み直そうと思っているよ〟と語っていた。それから一週間もしないうちに倒れて長男の家で療養を続けていたのであった。

 その父が一週間前にやっと私の夢に姿を見せてくれた。白装束に身を包み、元気だった頃とは見違えるほどアクの抜けた顔で立っていたが、私が顔を向けるとうつむき終始無言のままだった。

これから修行の旅にでも出かけるような出で立ちで、ひとこと私に言いたいことがあるような感じがした。

それは口にこそ出さなかったが、かつての父に似合わず小さくなっている態度が私に言葉以上のものを物語っていた。私が他界した時はぜひ母とともに笑顔で迎えてくれることを祈っている。

 父と母と私、それに間部先生の四人によるドラマはすでに終り、私は曲がりなりにも与えられた使命を果たしつつある。その間の数えきれないほどの不愉快な出来ごとも、終ってしまえばすべてが懐かしく、そして何一つ無駄ではなかったことを知らされる。

 あとは、最初に述べたように、果たしてこんな訳でよかったのだろうかという責任感が残るばかりである。その重大性を知るからこそ責任感も痛切なものとなる。

 が、シルバーバーチがよく言うように、人生は、この世にあろうとあの世にあろうと、すべてが途中の階梯である。この霊界通信は通信霊の古さのせいで原典そのものが古風な英語で書かれており、私はこれを原典のそれなりの味を損なわない程度に現代風にアレンジして訳したつもりであるが、それもいつかは古すぎる時代がくるであろう。

それは人間界の常としてやむを得ないことである。その時代にはその時代で有能な人材が用意されていることであろう。そう期待することで一応、訳者としての肩の荷を下ろさせていただきたい。

 訳の是非は別として、この通信そのものは私が改めて解悦するまでもなく、これまでの〝死後の世界〟についての概念に大巾な修正を迫る重大な事実を数多く含んでいると信じる。

日本の神ながらの思想をはじめとして世界各地の古代思想において神話風に語られてきている天地創造の真相を〝霊〟の〝物質〟への顕現としてとらえ、さらに宇宙のチリほどの存在にすぎない地球の過去一千有余年にわたる特殊事情を説き、それが現在のスピリチュアリズムの潮流につながっている事実を示唆している。

 いずれ日本にも日本人に親しみやすい形での〝新しい啓示〟が与えられる日が到来することであろうが、私見によればそれは、こうした西洋的啓示によって日本人特有の〝霊〟についての曖昧かつ摩訶不思議的概念を改められ、霊こそ実在とした合理的かつ論理的概念を十分に摂取してからのちのことになるであろう。その辺に本通信の日本人にとっての意義があると私は観ている。

 最後に、こうした特異な通信を快く出版してくださった潮文社に対して深い感謝の意を表したい。                    (一九八六年)



 新装版発行にあたって

「スケールの大きさに、最初は難解と思ったが繰り返し読むうちに、なるほどと、思うようになりました」こんな読後感が多数、寄せられてきた本シリーズが、この度、装いも新たに発行されることになり、訳者としても喜びにたえません。

    平成十六年二月     
                                 近藤 千雄






シルバーバーチの新たなる啓示

Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen
スピリチュアルな言葉が教える ”生きる” ことの意味


五章  愛は死を超えて

 「あなたは、長年にわたって、あなた自身を通して届けられた霊的真理、生命の原理、およびそれらが意味するところのものに忠実にしたがい、冷静さを失うことなく、人生の最大の危機に立派に対処なさいました」

 ある日の交霊会で、奥さんに先立たれたばかりの霊媒に対して、シルバーバーチはこう述べ、さらに次のように勇気付けの言葉を続けた。

「地上に生を受けた者は、いつかは死ななくてはなりません。永遠に地上で生き続けることはできないというのが大自然の摂理なのです。

ですから、地上生活の道具としての用事を終えた物的身体が、その活力の源であった霊的身体と霊そのものから切り離されるのは、絶対に避けられないことです。かくして霊は、永遠の巡礼の旅の一部として、地上での一定期間を経ると、次の界へと進んでまいります。

 もちろん、その時期が到来すると皆さんは悲しみます。それは、大半の地上の人間は霊的視覚が閉ざされているために、目の前に横たわる冷たい肉体、ただの殻に過ぎないものだけが見えて、その中身である崇高な実在を見ることが出来ないからです。

 幸いにしてあなたにはそれが出来ます。霊的な目が開いているからです。愛する奥さんは、物質的には地上から消えても、霊的には相変わらずあなたと共にいることを、あなたはしっかりと自覚していらっしゃいます。

 死は、愛し合う者を引き裂くことはできません。霊的に一体となっている者は、いずこにいようと、すなわち家庭の中であろうと、外出中であろうと、仕事中であろうと、奥さんはいつもあなたとともにいて、地上時代と同様に仕事を手伝っておられます。奥さんにとって地上人生は、あなたと共に過ごした人生がすべてでした。

 奥さんの方が先に他界したことをあなたは今、〝これでよかった〟と得心しておられますね。あなたの方が強くたくましく、死後に生じるさまざまな問題に対応することは、奥さんでは無理だったことを理解しておられます。その奥さんが今ここに来ておられることは私から申し上げるまでもないでしょう。

その肉眼、その肉耳で確認できなくても、あなた自身の心臓の鼓動と同じほど身近かな存在となっておられます。

 どうかこのたびのことで挫けることなく、死によって霊が消えてなくなるものではないという、この掛けがいのない知識を広める仕事に邁進してください。生命と愛は、死を超えて存在し続けるものです。

神性をおびた霊の属性だからです。ご自宅の静けさの中にも奥さんの存在を感じ取られるはずです。何か決断を迫られることがあれば、奥さんに念じてごらんなさい。きっと正しい方向を教えられ、万事がうまく行くはずです。

 これまでたどってこられた地上生活が、物質界に生まれ出た時から霊団による指導を受けていたことは、私から申し上げるまでもないでしょう。その霊団があなたを見捨てることは絶対にありません。むしろ指導を強化されていくことでしょう。埋め合わせの法則も働きます。霊的な豊かさが、いかなる物的欠乏も補ってくれます。

 大胆不敵の精神を失ってはいけません。相手をする人に、なるほどこの人は神の使節だと思わせるだけの、平静でしかも堂々とした態度で臨んでください」

 その夜はベテランの霊能者であるパーシー・ウィルソン氏が奥さんと共に出席していた。シルバーバーチの「お元気ですか?」の質問に

「お蔭さまで元気は元気ですが、いささかバテぎみです。仕事が多過ぎて・・・・・・でも、仕事が少なすぎるよりはましかも知れません」と答えた。するとシルバーバーチが次のように語った。


  
 霊媒としての自覚を

 この道に長く携わっておられる方でも、時として自分が物的身体を使って仕事をしていることを忘れるものです。人間の身体はあくまでも機械です。とても複雑で見事に出来あがってはいますが、あくまでも機械です。機械ですから、休息を与えないと、擦り減っていきます。

  あなたの使命はまだ終わっておりません。まだまだ、これから織っていかねばならない糸が残っております。この世に残すべき足跡、あなたのこの地上生活に計り知れない意義をもたらした霊的真理を何らかの形で残していく仕事が、まだ残っています。

 あなたは本当に恵まれた方です。背後霊が常に身近かにいてくれていることを自覚できる方は、たとえその光輝までは見えなくても、霊力の強さと恵みと美しさがいかに貴重なものであるかがお分かりです。無限という言葉通り、限りというものがありません。それを私は大霊と呼んでいます。

ゴッドと呼ぶ人もいます。愛と知識と叡知とインスピレーションの大始源です。その一部がつねにあなた方のまわりに存在します。

 そうなると当然、それを利用したり広めたりする上において、そこに不純な思惑がからんではいけないということになります。純粋で、最高で、至聖なる形で扱われねばならないのです。

そうとは知らずに行なっている人はまだしも、問題は、中途半端な理解で終わっている人たちです。根本原理をよく理解せずに、自己顕示欲に動かされ、混乱と迷惑のタネをまき散らします。

  わたしたち霊団側としては、霊的真理を普及することと霊力の威力を発揮することにしか関心はありません。霊力というものが、条件が整いさえすればいかに崇高で驚異的なことを成就せしめるかは、ここで改めて申し上げるまでもないことでしょう。

奇跡的な治癒をもたらし、打ちひしがれた心を奮い立たせ、信じられないほど見事に難問を解決します。     

 難解な用語を並べたてた説教や論議はどうでもよろしい。その分野のことは、感性を欠いた神学者にお任せしましょう。神学者たちが宗教や霊的実在と何の関係もない事柄に長年にわたって論議を重ねることができるのは、感性というものを持ち合わせていないからです。

 ここに集まっている私たちは、宇宙の最大の力、神性を帯びた霊力の使者であり道具です。受け入れる用意のできた者なら誰でも手に入れることのできる、最高の霊的恩寵を送り届ける通路(チャンネル)です。

霊の威力はすでに証明済みです。それが意味する深遠な意義は、直感的洞察力を持つ者には明らかです。それが理解できた人には自由がもたらされます。霊的な束縛からの解放です。地上人類の多くが、自らこしらえた迷路にはまり込んで、精神的自由を失っているのです。

 そういう人たちにとって、スピリチュアリズムの真理は、大霊が意図された霊的存在としての本当の生き方を体得する道への指標です。本来人間は、内在する気高い能力を発揮し、自分より恵まれていない人たちのために役立つことをし、

和平をもたらすための基盤をこしらえる手段を教え、神性を宿した霊的存在として恥辱ともいうべき環境のもとで暮らしている人々に、本来の生き方を教えてあげることができるのです。

  私たちが働きかけているのは、そうした目的の成就のための道具となって、いつでもどこでも人に役立つことのできる人々です。それを邪魔だてする人は、いつかは辛い思いをさせられることになります。

一度真理を知った人の場合は尚更のことです。おそかれ早かれ、そういう人は神の計画から排除されます。神の計画は何としても推進しなければならないものだからです。


 今さら申し上げる必要はないと思いますが、霊力が地球全体を包み込み、世界各地に霊的灯台が築かれて、人生に疲れ迷っている旅人に進むべき道を照らし出してあげるようになることが、大霊の計画の中に組み込まれているのです。

 あなた方、そして世界中で同じ霊的真理に目覚めている人々がこの地上に生まれて来たそもそもの目的は、そこにあるのです。すでにこの世を去った偉大な先駆者たちも、今、こちらの世界から同じ目的のために献身しているのです。

 残念なのは、せっかく目も眩むほどの真理の輝きに心を奪われながら、時とともにその霊的ビジョンが薄れて行く人が多いことです。しかし、私たちは、いったん引き受けた大事業を中途で止めるわけにはいかないのです。霊的な影響力と霊的な知識を地上に広めることです。

そして、いかなる機関も、いかなる地位の人も、そしてその人たちが束になってそれを阻止しようとしても、それに負けないだけの態勢を築かねばなりません。

 いささか抽象的な説教のようなことを申しましたが、実際的には、あなた方はすでにずいぶん大きな貢献をなさっておられます。その成果がご自分で推し量れないだけのことです。たった一人の迷える魂に道を教えてあげるだけで、価値ある貢献をなさったことになるのです。

 死別の悲しみに暮れる人の目から涙を拭ってあげることができたら、あるいはまた、不治の病に苦しむ人をたった一人でも救ってあげることができたら、それだけで十分にあなたの存在価値があったことになるのです」


 ここで少し間をおいてから、パーシー・ウィルソン氏に向かって
 「何か私に聞いてみたいことでもおありですか」
 と尋ねた。するとウィルソン氏が答える。


───今のお話を聞いて、私から何を申し上げることがありましょう。霊界から届けられるお言葉ほど私にとって慰めと感動を与えてくれるものはありません。慰めを超えて、意気軒高と申しますか、〝よしやるぞ!〟といった決意が湧いてまいります。

 「そうでしょうとも。そういう決意を抱くように導くことが私達の任務なのです。いったん覚悟を決めて取り組んでいる仕事です。右か左かと迷っている時ではありません。まっしぐらに進むべきです。大霊から選任され、同時に、自らお引き受けした仕事です。私も同様です。最後までやり遂げなければならないのです」
   

      
 〝人のため〟の真の意味

───かなり前の話ですが、霊界の友人から〝人のため〟の意味を常識的な解釈とは逆に考えないといけないと言われて、はっと目が覚めました。人のために役立つことをしている時は、その相手の人からそういうチャンスを与えてもらっているのだ、と考えるようになりました。

「まさにその通りですよ。その人のおかげで自分の霊性を発揮することができているのです。自己達成とは霊性の開発のことです。そしてその開発は人のために役立つことをしてこそ成就されるのです。

  そこに物理的法則と霊的法則の違いがあります。霊的な富は、他人に分け与えるほど、ますます豊かになるのです。進化・成長・進歩といったものは、自分を忘れて他人のために役立つことをすることから得られるのです。もっとも、相手にそれを受け入れる用意がないと無駄になりますが・・・・・・

  たとえば、こんな挑発的な態度を取る人をかまってはいけません───〝できるものならこの私を得心させてみなさい〟と。得心するのは自分自身です。自分で自分を得心させるのです。

大霊は、わが子の一人一人が地上において一度は自我に目覚めるための知識とめぐり合うように配慮してくださっております。摂理がそういう具合に出来あがっているのです。例外はありません。

  無限の叡知によって、この宇宙にあって何一つ、誰一人として見落とされることのないようにしてくださっているのです。顕幽にまたがる全大宇宙には、自然の摂理による調和機構というものがあり、それがすべてを統率しているのです。

 地上世界の法律に幾分それに似たところはあります。ただ、地上の法律はいろいろな思惑や無知が絡んで、法律そのものに問題があります。すべてを完ぺきに取りしきる法律を編み出すことは、人間には不可能です。そこへ行くと大霊の摂理には削除も変更もありません。

例外というものもありません。常に同じです。永遠の過去からずっと同じであり、これからも未来永劫にわたって変わることはありません。

 あなた方の世界では〝いったい世の中はどうなってるんだ!〟と言いたくなるような事情・困難・挫折が生じます。そして気が滅入り、こう愚痴をこぼしたくなります───〝これはあんまりだ! だれがこんな目に合わせるんだ?〟と。

  その〝だれ〟かは、すべてをご存知なのです。すべてが計画の中に組み込まれているのです。私たちは宇宙の全機構の経綸をあずかる〝無限にして完全なる存在〟にすべてをゆだねます。人間はしくじることがありますが、大霊がしくじることは絶対にありません。
 
  もしあなたが疲れ果て、うんざりし、やる気を失っているのに、人がそういうあなたに何の理解も示さず勝手な要求をする時は───そういう人間がよくいるものです───表面はどうであれ、神の摂理はきちんと働き、計画は必ずや成就されるとの信念を忘れないことです。

  人間の集まるところには必ずトラブルが生じます。一人一人が霊的に異なった発達段階にありますから、同じ問題を必ずしも同じようには見ていません。それは致し方のないことです。

幸いにして自分の方が進化の階梯の高い位置にいる人は、自分より低い位置にいる人に対して同情と、寛容と、理解のある態度で臨むべきです。いかに高い位置に到達したとしても、それよりさらに高い位置にいる人がいることを忘れてはいけません。

 霊の道具として働いておられる皆さん方に私から申し上げたいのは、人間としての最善を尽くしていただきたい───それ以下は困りますが、それ以上の要求はしないということです。体力も気力も限界と思われるところまで来たら、そこで手を引いてください。それから先のことは私たちが引き受けます。

  独裁者のような態度は取りません。強制もしません。あなた方が他人のために一生けんめいに努力なさるように、私たちも、能力の許すかぎりの努力をいたします。そうすることによって霊の力をより大きく、より広く、地上に届けることができるのです」
  


  
 出口のないトンネルはない

 その夜の出席者の中に特別に許された女性がいた。その女性は十年ばかり前に自殺も考えたほどの苦境に陥った時、ある霊能者の指導で立ち直った人で、その霊能者ともども出席したのだった。その女性に向かってシルバーバーチが言う。

 「本日はようこそお出でくださいました。あなたもずいぶん長いこと苦難と悲哀を味わってこられましたね。でも、もうほとんど暗いトンネルから抜け出ておられますよ。出口のないトンネルはありませんから、暗い時期に入っても心配なさらないことです。ずいぶん霊能者の方のお世話になりましたね?」


───それはもう、言葉では言い尽くせないほどです。もしあの方との出会いがなかったら、今夜こうしてこの席にいることもなかったはずです。十一年前に霊界に行っていたでしょう。

 シルバーバーチはその事情をよく知っていて、その霊能者の名前をあげて
 「この方は本当に頼りになる方ですね」
 と言うと、その女性が言う───

───少しご無理をなさっているのではと心配なのですが・・・・・・


 「じゃあ、少し休んでいただかなくてはなりませんね。それ以外に方法はありません。やんちゃ坊主がいよいよ手に負えなくなったら、手段はただ一つ───ベッドにくくりつけることです。

 実は霊界から指導している私たちも、それと似た手段を取るごとがあるのです。なかなかよく効きますよ。疲労困ぱいした時は、それをむしろ好機とみて、床に伏して身体を休めることです。霊的自我が本来の生命力を取り戻すチャンスです。

 今のあなたは立派な背後霊に守られていますよ。もう何一つ案ずることはありません。あの人生最大の危機に直面し、すべてが真っ暗闇で、ひとすじの光さえ見えなかった時に、悟りへの道が示されました。それ以来、道は広がる一方ですし、あなたは堅実にその道をたどって来られました。

これからも迷うことなく突き進みなさい。光をさえぎる大きな蔭はもう訪れないでしょう。小さい蔭はあるでしょう。が、時おり訪れる一過性のものでしかありません。すぐに消え去ります。蔭があるからこそ光の有り難さも分かるのです」


───私が恩恵を受けたこの霊的真理をある方に教えてあげようと、ここ一カ月半ばかり努力してみたのですが、だめでした。


 「せっかくのチャンスを目の前にしながら、それを我がものとできない人が多いのは悲しいことです。しょせん馬を水辺まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできないという諺どおりです。渇いた魂をうるおすとともに本当の自由をもたらしてくれる、この何ものにも代えがたい真理を拒絶するようでは、もはやあなたにも為すすべはないでしょう」


───死んで霊界へ行くまで放っておくしかないのでしょうか。

 「間違った考えを持ったまま、こちらへやってくる者が多いのです。が、いつかは修正せざるを得ません。魂に理解力がそなわれば、真理の光が見えるようになります。失望してはいけません。

説き続けるのです。あなたは大いなる愛の力に囲まれています。片時も離れることなく付き添っている霊の親族(類魂)から届けられているものです。あなたはその親族の最後の末裔なのです。

 今あなたが手にされている霊的な喜びは、あなたのこれまでの苦労が実を結んだのです。霊的な帳簿は実に細かく記入されており、収支はきちんと精算されます。時には霊的に過度の引き出しを見逃すこともありますが、後で必ず払い戻さないといけません」




    
 原子エネルギーの問題

 スイスから参加した二人のゲスト(夫妻)を交えたある日の交霊会で、原子力が話題となった。
 まず奥さんから質問があった。


───放射能の危険から身を守るにはどうすればよいのでしょうか。そもそも原子の秘密は人間が発見することになっていたのでしょうか。

 「地上生活のそもそもの目的は霊的・精神的・物的の三つの側面での体験を積むことです。この地球という天体上で得られるかぎりの、幅広い体験を積むために誕生しているのです。

したがって、この地上界に秘められている知識──これは事実上無限です──は、人間にそれだけの能力がそなわれば、当然、自由にその能力を開発して発見してよいに決まってます。

 人間が自然界の秘密を探ろうと努力することは結構なことです。問題はその動機です。発見した知識を全人類のために役立てるためでなくてはなりません。敵軍や自然界を破壊するためであってはなりません。

人間には自由意志があります。根元的には神性を有し、その当然の資格として、自分で選択する自由が具わっています。ですから、自由意志を行使して、何の目的のために知識を使うかの判断をすればよいわけです。

 人類が精神的ならびに霊的に進化すれば、その自然の結果として、人生の目的が自分以外のもの──同胞だけでなく同じ地上に生息する動物も含めて──にとって地上がより住みよい所となるようにすることであることを悟るものです。

あらゆる発見、あらゆる発明、あらゆる新しい知識がその観点からの判定を受けなければいけません。すなわち、それが結果的に人類および動物の進化を促進するものであり、妨げるものでないとの判断がなくてはなりません。

 問題は、人類の知的能力が霊的発達を追い越すことがあることです。それがいろいろと厄介な問題を生ぜしめます。霊的に未熟な段階で自然界の大きな秘密を知ってしまうことがあります。今おっしゃった原子エネルギーの発見がそれでした。

 ですが、人間に為しうることには、自然の摂理によって、おのずから限界というものがあります。地球という天体を、そこに住むものもろともに破壊してしまうことはできません。

困った事態を惹き起すことはできるでしょうが、地上の生命の全てを根絶やしにすることはできません。思わぬ秘密を発見しては試行錯誤を重ねながら、正しい使用方法を学んでいくしかないのです。

 原子エネルギーも、使い方一つで、神性を持つ人間としてあるまじき悲惨な環境のもとで生きている無数の困窮者に、大きな恵みをもたらすことができますし、現に、すでに恵みを与えています。

 あなたが最初におっしゃった放射能の危険性のことですが、私は、あなたが心配なさるほど深刻なものになるとは考えません。その影響を中和する対抗措置を発明するのは、そう難しいことではないでしょう」



     
 霊格の高い者ほど困難な人生を選ぶ

───霊界から地上へ誕生するに際しては、地上で果たさねばならない仕事をあらかじめ見せられるのでしょうか。

 「一般的にはそうです。その人の霊的発達程度に応じて、どういうことをするかの選択が許されます。見せられるといっても、細かい点までいちいち見せられるわけではありません。

地上でも、たとえば溺れて危うく死にかかった人が、その危機一髪の瞬間に、それまでの過去の生活を全部見た、という体験をすることがありますが、事実そういうことは有り得ることでして、地上への誕生前に地上生活をあらかじめ見せられるのも、そういう形でのことです。

そういう生活がその人の次の進化の階梯にとって必要であるとの認識のもとに選択するのです。霊的に進化した人ほど困難な仕事を選ぶものです。

 それは当然ではないでしょうか。高度な叡知を身につけた人が安楽な仕事を選ぶはずはありません。偉大な人物が苦難の人生を送るのは、その辺に理由があります。それはその人が覚悟していた挑戦です。

それを克服することによって、それまで未開発だった資質が開拓され、霊性が一段と発現されるのです。しかもそれは、死後霊界において為さねばならない、より大きい仕事のための準備でもあるのです」


 ───それは自分で選ぶのですか、それとも授けられるのですか。

 「どちらの場合もあります。こういうことが出来るという可能性と、これだけのことはしなくてはならないという責務とが指摘されます。それは、ある一定レベルの発達段階に達した人の場合です。

その場合でも選択の自由は許されます。もっとも、選択の余地が与えられない場合もあります。どうしてもそうならざるを得ないカルマが廻ってきた場合です」


───そちらから地上界へ誕生するのは一種の〝死〟とみてよいのでしょうか。

 「結構です、一種の死です。あなた方が死と呼んでいるのは霊的に見れば霊界への誕生であり、あなた方が誕生と呼んでいるのは、霊的には死と同じです。

 何度も申し上げていることですが、仲間が地上界へ行ってしまうのを見て、霊界では大勢の者が涙を流しているのです。反対に、地上を去ってこちらへ来るのをあなた方は悲しんでいる時、私たちは〝ようこそ〟と言ってよろこんで迎えているのです。すべては全体としての視野の捉え方の問題です」


      
 地上への降誕の目的

───われわれは〝神の分霊〟だそうですが、その至尊至高の大霊へ向けて進化して行くのが目的であるならば、なぜ〝分かれた〟のでしょうか。つまり、もともと一つであったものがなぜ分離して、再び大霊に帰一することを目的にしてこの地上界に生まれてくるのでしょうか。

「そのご質問は、この私にではなく大霊に聞いていただきたいですね」と冗談ぽく言ってから、改まった口調でこう述べた。

 「なかなかいい質問なのですが、残念ながらその疑問は、根本的な誤解ないし誤認から生じております。あなたが大霊と〝一体であった〟というとき、それは大霊という唯一絶対の始源から出ているという意味であって、同じ意味で、全ての生命、全ての個的存在、生きとし生けるものすべてが、本質において一つであると言えます。

〝あなた〟という個的存在は、最初から、つまり大霊と一体であった時から今の〝あなた〟だったわけではありません。表現の媒体を得て初めて〝あなた〟という個性を持った存在となったのです。

その目的は内部の神性を顕現させるためです。内部に宿る神性は完ぺきです。が、それは種子が土とか水といった養分を得て発芽し、生長し、花を咲かせるように、顕現という活動を経て初めて、その美しさ、その輝きを外部へ発揮することになるのです。

 地上的な形態での存在の目的もそこにあります。すなわち物的身体に植え付けられた神性の種子が発芽と生長と成熟の過程を体験するためです。その地上生活特有の体験によって、死後に訪れる、次の段階の生活に必要な資質と能力を身につけるのです」


 別のメンバー ───今の質問にはもう一つの意味も含まれていると思うのです。つまり、そうした個的生命も最後は大霊の中に吸収され没入してしまうのかということです。

 「それはその通りです。が、いわゆるニルバーナ(涅槃)に入るというのとは違います。個的存在が消えてなくなる時は永久に来ません。反対に、完ぺきに近づくほど、ますます個性が顕著になっていきます」


───小川が大海に流れ込むようなものでしょうか。

 「それは違います。小川が大海へ流れ込めば、その小川は消滅してしまいます。あなたという存在は、どこまでいっても個としての存在を失うことはありません。パーソナリティ(地上時代の性格)は変わります。特徴や性癖も無くなります。が、個的存在としての顕現は永遠に続きます。

成長と発達に限界というものはあり得ません。個性が発達するほど、それだけ大霊との調和が進みます。霊性が発揮されるほど、その霊的始原に近づくからです」

 続いて、生まれた時から視力に障害のある女性からの質問(投書)がいくつか読み上げられた。


  
  霊界との交信には条件が必要


 第一の質問───もしも本当に死後の世界があり、そして創造主が愛の神であるならば、他界した愛する者たちが五感で確認できる形で戻ってきて、私たちに死後存続の事実を確信させてくれるようになっていてもいいはずが、現実はそうなっていないのはなぜでしょうか。

 「いいえ、ちゃんとそうなっているのです。ただ、そのためには条件が必要なのです。今夜のゲストのご夫妻も私との対話をするために来ておられますが、なぜここまで来られたかと言えば、ここにはこのモーリス・バーバネルと言う霊媒がいて、私がその発声器官を使用できるからです。

お二人の自宅では私との対話はできません。この霊媒がいないからです。このように、地上界と霊界との交信には、それを可能にする条件というものがあるのです。

 投書をされた女性が私に質問をするには、その質問を手紙という形で書いて郵送し、それがこの場で読み上げられるという過程を経なければなりませんでした。

その質問に私がこの霊媒を通して答え、その答えが記録されてご質問者のもとへ郵送される───地上での交信にもこれだけの過程が必要です。地上界と霊界との交信にはさらに次元の異なる条件が必要なのです。

 電話で話すという、地上の人間どうしの交信の手段が確立されるようになるまでの歴史をたどってみられるとよろしい。それはそれは大変でした。それをみても、次元の異なる地上界と霊界との間の交信が簡単にはいかないことが想像できるでしょう。

それなりの必要条件というものが満たされないことには、交信できないのです。他界した愛する人が何も通信してこないからといって、それを大霊に非があるかに思われてはいけません。それなりの手段を講じないといけないのです」


      
 直観的判断力

 第二の質問───愛する人(霊)がそばにいることを、一瞬ですが、ありありと感じることがあるという話を聞きますが、それがただの想像や気のせいではなく事実その人であるという確認はどうすれば得られるのでしょうか。

 「霊的資質の一つである直観的洞察力を磨くしか方法はありません。洞察力は霊が自己を表現する手段でもあります。それが精神に刻み込まれると、こんどは脳に伝えられ、そこで初めて認識されます。こうした過程で表現と認識が行われているのです。

 霊性が発達するにつれて、霊界のバイブレーションをキャッチすることが多くなります。それまでは、ほんの瞬間的な印象をキャッチするだけです。

それがどの程度の真実味があるかは、本人の直観的判断力に待つほかはありません。気のせいだと思うのであれば、そう思えばよろしい。その人はそこまでの人だということです。

 精神的に、そして霊的に、地上の人間の受容力と直観力が開発されれば、霊的顕現が容易になり、同時にその顕現の度合いがはっきりしてきて〝確実〟の段階に至ります。前にも申し上げたことですが、霊性の開発には近道はありません。長く、そして根気のいる過程です」


 第三の質問───霊的知識の真実性を判断する規準は何でしょうか。自分自身の霊的才覚が決めるものでしょうか。

 「真実性を理解する判断力を各自が発達させるしかありません。それは一気呵成にできるものではありません。霊力をグラスに注いでもらって、それを飲むというわけにはまいりません。それを身につける努力をしなくてはなりません。他人が代りにやってあげるわけにもまいりません。

あなた自身が一人で開拓しなくてはなりません。援助してもらうことはできますが、自分の意志で求め、自分の意志で探り、自分の意志で成就するのです」


 サークルのメンバー ───いつも同じ答えに戻ってくるようですね。つまり、何事につけても、当人の霊的才覚の発達がカギを握っているということです。
                                                           
そうですとも。その通りです。摂理は實壁です。摂理の働きが狂うということは絶対にありません。必ず摂理どおりになるのです。償いも完壁ですし、報いも完璧です。公正も完璧ですし、行きわたらないところは絶対にありませんし、あらゆる面で完壁です。完全なる叡智によって編み出されたものだからです。

 あなたが手にするものは、あなたの努力に相当するものだけです。あなたの霊性の進化は、それ相当の努力をした分だけです。今あなたが置かれているレベルは、これまでに努力してきた、その成果です。それより高くは上がれませんし、またそれより低いところへ下りたいとも思わないでしょう」


     
 明日を思い煩うことなく

 そう述べてから、こんどはゲストのスイス人夫妻の方を向いた───
 「お二人は本当に恵まれた方です。これまでに受けられた霊的な導きについて、きちんと理解しておられますし、こうしてお二人が結ばれるにいたった奇しき縁の糸も、明確に認識しておられます。さらには、これからお二人に課せられている仕事も分かっておられます。

 残念ながらスイスは唯物的な傾向の強い国で、霊的なものよりも物質的なものに関心が偏っています。物的な財産の多い者が成功者と見なされます。拝金主義が横行しています。とても美しい国で、国際的にも大きく貢献できるものを持っているだけに、そのことがとても残念に思われます。

 あなた方の手が差しのべられる相手は、あまり多くはいません。大半の人が唯物的な観念に浸っています。霊的な知識に目覚めるのは、困難に打ちひしがれ、危機・病気・死別といった〝不幸〟によって魂が絶体絶命の窮地に追いつめられた時でしかありません。

でも、あなた方のもとに案内されてくる人はいます。チャンスと見たら、積極的に説くことです。

 といって、やみくもに知識を押しつけるのは感心しません。受け入れる用意があるとみた人に説くことです。議論しても無駄です。無知と叡知とが相撲を取っても始まりません。

勝ち敗けの問題ではないからです。目的は相手に自分の霊性に気づかせ、ただの肉の塊ではなく、死後にも生き続ける霊的な宝が隠されていることを教えてあげることです。

 そういう人が必ずお二人のもとを訪れます。そのためにお二人は結ばれたのです。それが、お二人に課せられた仕事です。これまで色々と紆余曲折を経ながら、また様々な困難を克服しながらも、今こうしてこの仕事に携わることができているように、今後も背後霊団の力でお二人の為すべき仕事が用意されてまいります。

 ですから、明日のことを思う煩うことなく〝わが道〟を歩まれることです。お二人は守られています。導かれています。大いなる愛の力がお二人を包んでおります。

地上時代の血縁でつながっている霊ばかりではありません。もっと強力な絆───お二人を通して人類のために役立ちたいとの一念で結ばれている類魂も参加しております。

 お二人は何ものにも代えがたい光栄に浴しておられます。本当の意味で人のために役立つことをなさっているからです。霊的真理を説き聞かせることは、神の愛を注ぐことです。その愛が魂の琴線にふれると、まず精神の視野が開けて人生観が変わり、あなた方が説く霊的知識の掛けがえのない価値に気づくようになります。

 では最後に、皆さんとともに大霊への感謝の祈りを捧げましょう。私たちはその大霊の愛と叡知の使者なのです。私たちの行為の一つ一つによって、それが大霊へ近づかんとする真摯な願いの表現であることを示し、大霊の心をわが心として、宇宙の営みと一体となり、愛のマントに包まれていることを自覚できますように」
                                                



Tuesday, February 10, 2026

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
十章 天上、地上、地下のものすべて(ピリピ2・10、黙次録5・13)



2 宇宙的(コズミック)サイコメトリ
一九一九年四月二日  水曜日

 それ故そうしたサイコメトリ的バイブレーションは──吾々が物質を研究した上での結論ですが──物質に瀰漫(びまん)するエーテルに書き込まれている、ないしは刻み込まれているのです。それだけではありません。

エーテルが物質の成分に作用し、それによって活性化される度合によって、その物質の昇華の度合が決まっていきます。

つまり活性化された成分が外部からエーテルに働きかけ、浸透し、それを物質との媒介物として活用するのです。物質の成分は地上の化学者も指摘するとおりエーテルの中に溶解した状態で存在するわけです。

その点は地上の化学者の指摘は正しいのですが、その辺は大自然の秘奥の門口であって、その奥には神殿があり、さらにその先には奥の院が存在する。

物質科学の範疇を超えてエーテル界の神殿に到着した時、その時はじめて大自然のエネルギーの根源がその奥の院にあることを知ることになります。その奥の院にこそ普遍的〝霊〟が存在するのです。

 これで大自然のカラクリがお分かりになると思います。普遍的な〝霊〟が外部から、つまり基本的成分がエネルギーの量においても崇高性の度合においてもすべてをしのぐ界層から活発にエーテルに働きかけます。その作用でエーテルが活性化され、活性化されたエーテルがさらに物質の基本分子に作用し、そこに物質という成分が生まれます。

 ただし、この作用は機械的なものではありません。その背後に意志が働いているのです。意志のあるところには個性があります。

つまるところエーテルに性格を賦与するのは個性をもつ存在であり、その影響がそのまま物質に反映されていきます。それ故こういうことになります───エーテルを通して物質に働きかける霊的存在の崇高さの程度に応じて、物質の成分の洗練の度合が高くもなり低くもなる、ということです。(第一巻P217参照)

 ということは地球そのもの、および地球上の全存在物を構成している物質の性質は、それに向けて意識的に働きかけている霊的存在の性格と共鳴関係にあるということです。両者は物質に宿っているかいないかの違いがあるだけで、ともに霊(スピリット)なのです。

 したがって地球人類が霊的に向上するにつれて(未来の)地球もそれを構成する成分に働きかける影響力に対して、徐々にではあっても着実に反応していきました。

物質がより洗練され、より精妙化されていきました。内部からの輝きを増していったのはそのためです。これは宇宙規模のサイコメトリにほかなりませんが、本質的にはいま地上に顕現されているものと同一です。

 地球ならびに地球人類の精妙化が進むにつれて霊界からの働きかけもいっそう容易になっていき、顕幽間の交信も今日よりひんぱんになると同時に、より開放的なものとなっていきました(※)。

そして、途中の階段を省いて結論を急げば、顕幽間の交信がごく当たり前のものとなり、且つ間断なく行われる時代にまで到達しました。そしてついにこれからお話する一大顕現が実現することになります。(※シルバーバーチは霊格が向上するほど自由意志の行使範囲が広くなると述べている──訳者)

 が、それをお話する前に述べておきたいことがあります。私の話は太陽およびその惑星系にしぼり、遠い銀河の世界のことは省きます。

 地上の天文学者は自分たちが確認した惑星をすべて〝物的天体〟としております。さらに、それらの惑星を構成する物質がその成分の割合において地球を構成する物質と同一でないことも発見しております。


しかしもう一歩進んで、物質の密度の差を生じさせる原因の一つとして、もう一つ別の要素が存在するところまでは気づいておりません。

それが私がこれまで述べてきた霊的要素で、それが惑星系の進化の長旅において地球より先を歩んでいる天体の進化を促しているのです。

 実はそれ以外に地上の人間の視力では捉えることの出来ない別の種類の惑星が存在するのです。精妙化がすでに物質的段階を超えてエーテル的段階に至っているのです。霊的までは至っていません。物質的状態と霊的状態の中間です。


その種の天体の住民には地球を含む惑星系のすべてが見えます。そして強力な影響力を行使することができます。それは、地球人類より進化はしていても、霊格において霊界の住民よりはまだ地球人類に近いからです。

 それはそれなりに、れっきとした惑星なのです。ところが、それとはまた別の意味でのエーテル的天体がいくつか存在します。その一つが地球を包みこむように重なっております。その天体の構成するエーテルの粗製状態のものが地球に瀰漫しているのです。

と言って、地球のためだけの存在ではありません。また、のっぺらとしたベルト状のものではなく、表面には大陸もあれば海もあり、住民もいます。

その大半はかつて地球上で生活したことのある者ですが、中には一度も地上生活の体験のない者もいます。血と肉とから成る身体としての顕現の段階まで達していないのです。


──いわゆる幽界のことでしょうか。

 その名称は使用する人によって必ずしも同じように理解されておりませんが、貴殿の理解しているものに従って言えば、私のいうエーテル的天体は幽界とは違います。

今お話したとおりのものです。聞くところによれば、そこに安住している人間に似た住民はみな、ずいぶん古くからの生活者で、これから先いつまでそこに住んでいられるか確かなことは不明であるとのことです。彼らは太古の地球人類の一種の副産物なのです。


──あなたがこの地球へ降りてこられる時はそのエーテル的天体を通過してくるわけですか。

 場所的に言えばそういうことになります。が、通過する際にその環境に対して何の反応も感じません。感覚的にはその存在を感じていないということです。私がこれまで第一界、第二界、第三界と呼んできた界層とは何の関係もありません。

造化の系列が別で、実に不可思議な存在です。吾々の行動の場から離れており、したがって詳しいことはほとんど知りません。

さきほど申し上げたことは──あれ以外にもう少し多くのことが判っておりますが──これまでそうした別の要素の存在を知らなかったがために理解に苦しんでいたことを説明するために教えていただいたことです。それでやっと得心がいったことでした。
アーネル ±

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen 
 十章 天上、地上、地下のものすべて (ピリピ2・10、黙次録5・13)





 1 地球進化の未来
一九一九年四月一日  火曜日

 やがて吾々が取り囲む虚空全体にふたたび静寂が行きわたりました。見るとお二人は揃って玉座の中に坐しておられます。女性の方から招き入れたのです。
 すると第十界まで軍団を率いてこられた方で吾々の地球への旅の身支度を指導してくださった大天使のお一人の声が聞こえてきました。玉座より高く、その後方に位置しておられました。こうお述べになりました。

 「余の軍団の者、ならびに、この度の地球への降下に参加を命じられた者に告ぐ。ただ今の顕現はこれよりのちの仕事に理解をもって取り組んでもらうために催されたものである。

その主旨については、指揮を与える余らもあらかじめ知らされてはいたが、今あらためて諸君にお知らせした次第である。よく銘記せられ、前途に横たわる道をたじろぐことなく前進されたい。

父なる神は吾らの最高指揮官たるキリストに託された仕事のための力をお授けくださる。

キリストを通じてその霊力の流れがふんだんに注がれ、使命の達成を可能にしてくださるであろう。吾らが創造主への崇敬の念を片時も忘れまいぞ」

 言い終るのと時を同じくして燦然と輝く霧が玉座に漂い、やがて地球全体をおおいはじめ、もはや吾々の目に地球の姿は見えなくなりました。おおい尽くすと全体がゆっくりと膨張をはじめ、虚空の四分の一ほどにもなったところで膨張を止めました。

すると今度はそれが回転しはじめ、次第に固体性を帯びていくように見えてきました。固いといっても物質が固いというのとは異なります。物的地球が半透明になるまで精妙(エーテル)化した状態を想像されれば、大体のイメージはつかめるでしょう。

 地軸を中心にして回転していくうちに、こんどはその表面に陸と海の形が現れました。今日の地形とは異なります。吾々はいま未来の仕事の場を見せられているのです。現在の地形が変化しているごとく、それも次第に変化していたのですが、変化のスピードは速められていました。

つまり来るべき時代が短縮されて眼前に展開し、吾々はそれを動くモデルとして読み取っていたわけです。

 さらにその上に都市、民族、動物、それにさまざまな用途の機械類が出現しました。かくして全表面を吾々の方角へ向けながら回転し続けているのを見ていると、その進化の様子が手にとるように分かりました。

 たとえば貴殿の国を見てみましょう。最初は二、三年後の姿が目に入りました。やがてそれが視界から消え、そして次に見えた時は沿岸の形状や都市と住民の様子が少し変化しておりました。


こうして地球が回転するごとに陸地をはじめとして人類全体、建築物、交通機関、そのほか何万年、何十万年もの先までの人工の発達の様子が千年を数時間の単位に短縮されて出現しました。私の説明はこうして用語を貴殿の感覚に置きかえなくてはなりません。


吾々にとって年数というのは、地上の人間とは感覚的に同じものではありません。

 もっとも、こうした形で私が人類に代わって遠い未来という深海で漁をしてあげるのは許されないことでしょう。人類は自分の夕食の魚は自分の網で取らなくてはいけません。

それが筋というものです。もっとも、よい漁場を教えてあげることくらいのことは私にも許されています。この私を信頼のおける漁船団長と思ってくださる方は、どうぞ私の海図にしたがって探求の旅へ船出してください。

 さて地球は永い永い年月にわたる航海を続けるうちに、ますます美しさを増してきました。表面の光が増し、大地そのものも内部からの輝きを増しておりました。

また人間は地球上でさほどせわしく東奔西走している様子は見えません。それというのも大自然の摂理との調和が一段と進み、その恩寵にますます敬服し、激情に振り回されることも少なくなり、内省的生活の占める割合が増えているからです。

かくして地球のすべての民族が協調性を増し、同時に霊力と安らかさとを送りやすくなった吾々との一体性も増しております。

 吾々はその一体性が進むのを見ていて、吾々がかつて数々の戦乱の末に獲得した豊かな幸福をこの人類の若き同胞たちが享受してくれていることを知り、興奮さえ覚えるのでした。
 やがて地球そのものも変化しておりました。それを述べてみましょう。

 貴殿をはじめ、最近の人間の精神の中に新しい用語が見られます。サイコメトリという言葉です。これは物体に刻み込まれた歴史を読み取る能力と私は理解しております。

実はそれには人間がエーテルと呼んでいる成分の本性と、その原子に内在するエネルギーを知り尽くすまでは十分に理解できない真相が隠されております。

いずれ人間がこのエーテルという宇宙的安定基剤(コズミックバラスト)を分析的かつ統合的に扱うことができる時代が来ます──地球が回転するのを見ていてそれを明瞭に観察したのです。

その時になれば今人間が液体やガス体を扱うようにエーテル成分を扱うようになるでしょう。しかしそれはまだまだ先の話です。現段階の人間の身体はまだまだ洗練が十分でなく、この強力なエネルギーを秘めた成分を扱うには余ほどの用心がいります。

当分は科学者もそこに至るまでの下準備を続けることになるでしょう。
アーネル ± 
 

シルバーバーチの新たなる啓示

Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen
スピリチュアルな言葉が教える ”生きる” ことの意味


四章 読者からの質問に答える

 シルバーバーチ交霊会は正式には〝ハンネン・スワッファー・ホームサークル〟と呼ばれていた。スワッファーという名司会者(日本でいう神審者(サニワ))が出現するまでは不定期に、ごく親しい知人四、五人を相手に開かれていて、記録も残されていなかった。

 が、その霊言の内容の質の高さに感動したスワッファーの提言でスワッファーの自宅で毎週金曜日の夜に定期的に開かれることになり、出席者も、招待客を含めて十人前後となった。

そして名称をハンネン・スワッファー・ホームサークルとして、専門の速記者も用意し、その記録を翌週の〝サイキック・ニューズ〟に掲載し、さらには月刊紙〝Two Worlds〟にも掲載されるようになった。

 こうして公表されるようになると、当然、読者からの質問も多く寄せられるようになる。それが交霊会で読み上げられて、それについてシルバーバーチが回答を述べ、さらにその回答に関連して出席者が細かく質問をして話題が次第に発展していくことがよくあった。

 本章で紹介するのもその一例で〝Two Worlds〟の読者から次の質問がきっかけとなった。


     
 双子霊とは?

投書(一)───双子霊 twin-souls というのは何なのでしょうか。

「一個の魂を構成する二つの類魂が地上で結ばれた場合のことです。この宇宙に類魂のいない霊はいません。が、それが同じ地球上で出会うということは滅多にあることではありません。

 互いに補足し合う関係にある二つの魂が同じ時期に同じこの地上世界で出会うことを許された時は、そこに、文字通りの地上天国が成就されます。双子霊はその用語の通り双子のような同質の二つの魂ということです。

同じ成長と進化の段階にあるので、進歩もいっしょに仲良く、ということになります。私が時おり、〝あなた方お二人はアフィニティですね〟と申し上げることがあるのをご存知と思います」


 サークルのメンバー────でも、せっかく出会っても二、三年でどちらかが先に死んで別れ別れになるということもあると思うのですが・・・・・・

「それは身体上の話にすぎません。でも、少なくともその短い期間は〝一体化〟 がもたらす燦然とした生命の喜悦にひたることができます。それは、生命進化のどの階梯においても有りうることです」

同じメンバーがひとりごとのように「霊的知識があれば、その喜悦はさらに大きくなるだろうなあ」とつぶやくと───

別のメンバー───同じ進化の階梯にある双子霊がこの地上で別れ別れになるということにはどういう意味があるのでしょうか。誰しも二人はずっといっしょであるべきだと考えるのですが・・・・・・

「せっかく地上で出会いながら、どちらかが先に他界した場合のことをおっしゃっているのだと思いますが、それは、あくまでも身体上のことであって、ほんのいっときの話です。類魂どうしであれば、魂の内奥から湧き出る衝動が互いを強烈に引き寄せます。身体は二つでも霊的には一つだからです」


───別れ別れの生活を体験することが、その双子霊の進化にとって有益だからという見方もできると思います。

「そういう見方もできないことはありませんが、大ゲサに考えることはありません。一緒のままでいようと、別れ別れになろうと、お互いが一個の魂の半分なのですから、その絶対的なつながりは、死という地上的な現象によっていささかの影響も受けません。

霊的実在と地上的現象とを同等に考えてはいけません。最後に残るのは霊にかかわるものだけです」



        
 物質界の体験をもたない高級霊の存在

投書(二)───私たちのように地球という物質界に誕生してくる霊とは別に、まったく物的体験を持たない霊がいるのはなぜでしょうか。

「この宇宙には、物的身体による体験を持たない高級霊の界層が存在します。そういう種類の霊にしかできない宇宙経綸の仕事があるのです。一度も地上の人間のような形態をもったことのない高級霊です。その界層での成長にとって地上的顕現は不必要なのです。

居ながらにして高級霊で、宇宙の上層部に所属しています。〝光り輝く存在〟(※)というのがそれです。現実にそういう存在がいます」

(※)───ある形体があって、それが光輝を発しているのではなく、光り輝いている存在で、一定の形体を有しない───訳者。

投書(三)─── 霊界との交信に器機装置を使用する計画は無いのでしょうか。
 
「霊界と地上界との交信を促進するための計画はこちらでもいろいろとなされておりますが、霊媒に取って代るもの、たとえば電子工学(エレクトロニクス)を応用したものを考案中という話は聞いておりません。

高周波───〝高い〟といっても程度は知れてますが───を記録する装置を使ってはいけないとという理由はありません。それなりに交信を容易にし、判読しやすい形で受け取る上で役立つかも知れません。

 しかし、顕と幽の二つの世界の交信にとって不可欠の要素である霊媒に取って代わる器具(モノ)を考案中という話は聞いたことがありません。それは絶対にできないでしょう。なぜと言えば、二つの世界は霊と霊との関係、つまり霊性で結ばれているからです」

そう述べてから、その日の出席者で霊媒を仕事としている人の方へ顔を向けて

「あなたもそう思われるでしょう?」
 と言うと、その霊媒が

「分かりやすい説明だと思います。霊媒がお役ご免になって器械が使用される時代が来るとは考えられません。私は実はエレクトロニクスの分野での仕事の体験があるのです」

「突き詰めて言えば」 とシルバーバーチが付け加える。「顕幽の交信を可能にしているのは〝愛〟です。愛は霊的属性の一つです」


 メンバーの一人───バイブルにも〝霊的なものは霊的に見きわめないといけません〟とあります。

 「霊媒は無くてはならない存在です。交信に必要なエネルギーは物的なものではありません。霊そのものから出ています。霊的身体から出ることもあります。いずれにせよ、必須の要素である愛がなくては、霊的なものを物的なものに転換することはできません」

 ここで別のメンバーが、優れた霊媒能力をもつ、ある女性の例を引き合いに出して、
「その人が霊媒としての仕事を嫌がって拒否しているけど、これはその女性にとって大きな罰点にならないでしょうか」と尋ねた。


「私なりの考えを申し上げましょう」と言って、シルバーバーチが次のように答えた。

 「大霊からの授かりものである霊的能力を持っている人は、男性・女性の区別なく、それをどう活用するかについての責任が付いてまわります。大霊は無償でその能力を授けているのではない、ということです。

 しかし、その責任を果たすかどうかは、その人の自由意志による選択にまかされています。これは、罰点かどうかの問題ではなく、原因と結果の法則───因果律の問題です」

同じ質問者───実は私は心霊治療家なのですが、ある交霊会で、私が物理的霊媒能力の養成を怠ったのが進歩の妨げになっていると言われたのです。

「それは〝用語〟の問題に過ぎません。心霊治療も見方によっては物理的現象といえるのではありませんか? だって、肉体という物質に変化をもたらすわけでしょう? 治療を通して届けられた霊力が肉体の改善という物理的結果を生むわけです。心霊治療というのはそういうメカニズムになっているのでしょう?」


───では、その交霊会で言われたことは気にしなくてもよいのですね?

 「霊が言うことも霊媒を通して届けられるわけですから、必ずしも正しく伝えられているとはかぎりません。こちらから見ていると、誤り伝えられているのに、それがわれわれのせいにされていることがよくあります。

 一方、われわれも絶対に誤りを犯さない存在ではありませんから、間違ったことを言う可能性もあるわけです。私の言うことが絶対に間違っていないとは申しません、と何度も申し上げてきたことはご存知と思います。

 いかなる霊媒を通して届けられたものでも、必ず理性による判断を通さないといけません。最高の判事は理性です。これも大霊からの授かりものです。道義心とあわせて使用すれば、進むべき正しい方角が示されます」



 
 世俗的よろこびと霊的よろこび

投書(四)───霊の進化は生命の旅における苦難と葛藤を通して得られるとおっしゃっていますが、同時に、その進化に終わりはないともおっしゃっています。そうなると、魂の安らぎと平安が永遠に得られないということになりませんか。

 この質問を聞いてシルバーバーチが
 「質問者がおっしゃっているのは地上の人生のことでしょうか」

 と尋ねると、司会者が
 「その点は明確ではありませんが・・・・・・」

 と答える。するとシルバーバーチが続けてこう述べた。
 「そういう疑問は、世俗的な表面と霊的な内面との違いが理解できていないことから生じます。日常生活では葛藤と困難と闘争に明け暮れていながら、内面的には平安と安らぎの中に安住することができます。俗世では疾風怒濤の中にあっても、霊的な悟りは平静そのものであり得るのです。

 安らぎは内面から出てくるものです。外部からやってくるものではありません。地上の人間が物的身体の奥に秘められた霊的な自我を開発しさえすれば、泉のごとく霊力が湧いて出て、静寂、沈着、平穏、安らぎといったものがもたらされます。

 これまでに多くの偉大なる霊が地上へ降誕し、さまざまな分野で先駆的な仕事と改革をもたらしましたが、みな、過酷な現実の中で悪戦苦闘しながらも、霊的な自我は静かな悟りの世界にありました。

物的な有為転変と霊的原理とを同等に見てはいけません。霊が主人であり、物質は従者です。つねに霊が主導権を握るようでなくてはいけません」


投書(五)───霊媒や治療家が過労におちいるのは本人の責任でしょうか、それとも背後霊の責任でしょうか。

「それは本人の責任です。霊媒や治療家は霊の道具です。が、その道具にも自由意志が許されています。背後霊は独裁者ではありません。霊媒を操り人形を扱うようなわけにはまいりません。協力しあうのです。無理やり強いるようなことはしません。その時の環境条件のもとで最善を尽くします。

 もしも霊媒や治療家が過労でダウンしたとすれば、それは本人の責任です。われわれ霊側は霊媒を鼓舞して仕事に従事させることはありますが、体力の限界を無視してまでやらせるようなことはしません。

霊的能力の開発を蔭から指導すると同時に、その能力を使い過ぎないように管理する必要もあります。せっかくの能力であり、大切にしなければならないからです。

 いつも申し上げているように、霊と精神と身体の三つが一体となって機能することが大切です。その調和の中でこそ各自の使命が果たせるのです」

 
 
 不幸とカルマ


投書(六)───戦争や大惨事、疫病や飢餓で多くの魂が一度に死ぬのは、やはりカルマのせいでしょうか。その中には死すべき時よりも早目に死ぬ者もいるのでしょうか。戦争は地上世界では避けられないものなのでしょうか。もしも避けられないものであれば、それは国家や民族としてのカルマのせいでしょうか。

「この質問者は〝魂が死ぬ〟という言い方をしておられますが、これは不適切です。魂は死にません。また、カルマという用語を用いておられますが、これはつまるところ摂理の働きのことです。タネ蒔きと刈り取りのことであり、因果律の一部を構成するものです。

 摂理の働きだけは何人も逃れる事はできません。究極において公正が成就されるようにとの大霊の意図によって案出されているのですから、万が一その摂理が廃止されたり原因と結果の連鎖関係が妨げられたりすることが有り得るとすれば、それは大霊の意図が無視されることが有り得ることになり、言語道断の話です。

 各自がその霊性に相応しいものを、少なすぎも多すぎもしないだけ授かるようになっているのです。これは個人についてのみならず国家や民族の単位でも当てはまります。国家や民族といっても、つまるところ個人の集まりですから・・・・・・

 地上生活の寿命の件ですが、一応、魂が誕生する時にあらかじめ決まっております。が、人間には、ある範囲内での自由意志が許されており、その他のもろもろの事情も絡んで、その寿命、つまり死すべき時が変わることも有り得ることです。

 戦争が避けられるか否かの問題ですが、これは地上の人間自身の自覚に関わる問題です。今も述べましたように、人間には自由意志が許されております。が、それには代償も伴います。戦争をするかしないかは自由です。が、戦争という手段を選んだからには、それが生み出す結果に対しても人間が責任を負わねばなりません」


メンバーの一人───寿命は魂の誕生に際してあらかじめ決まっているとおっしゃいましたが、それはすべての魂に当てはまることでしょうか。たとえば未熟な魂にも自分がこれからたどる人生についての正しい判断や知識、叡知などが備わっているでしょうか。〝魂〟の次元ではすべてが平等なのでしょうか。

「魂が物的身体に宿る前と後とでは、発揮する叡智の量には格段の差があります。誕生後の自我は物的身体の機能によって大幅に制約されます。が、誕生前は、すべての魂とは申しませんが、大体において自分が地上でたどるべき人生について承知しております」


───誕生前から自分のたどるべき人生が分かっているということは、その結果まで分かっていることになりませんか。

 「分かっていますよ」

───こういう体験をしてこうなるということが分っているものを、なぜわざわざ体験しに行く必要があるのでしょうか。

「その地上体験のあと霊界へ戻ってから為すべき仕事があるのです。それに備えて霊力を磨くのです。体験すべきものが前もって分かっているということは、その体験によって初めて身につく霊的成長の代用になりません。

 世界中の図書館の本を全部読んでも、それだけでは進歩は得られません。それを体験によって強化しないといけません。つまり霊的成長が得られるか否かは、人生体験にどう対応するかに掛かっています。そこに、地上に生を受けた、そもそもの意義があるのです」



  
 寿命は決まっているか

───寿命は前もって決まっているのでしょうか、それとも体力その他の要素の問題なのでしょうか。

「ありとあらゆる要素が絡んでおります。物的身体は魂が体験を得るために欠かすことのできない大切な道具です。魂と身体は二人三脚です。が、そのことは別として、地上の寿命は、大ていの場合、前もって分かっております。 

 物的身体と霊的自我とを完全に切り離して考えてはいけません。両者はがっちりと組み合わさり、前者は後者を制約し、後者は前者に生気を与えております。一個の人間の存在をバラバラに分解して考えてはいけません。いくつもの要素が組み合わさって一個の存在を形成しており、

しかも、その一つ一つの要素が互いに反応し合っております。それぞれの要素が組み合わさり、融合し合って、あなたという一個の存在を形成しているのです」


───たとえば船の事故で千人の溺死者が出たとします。その千人は、ちょうどその時期に地上との縁が切れることになっていたのでしょうか。魂の成長の為に与えられた地上での寿命が、ちょうど同じ時期に終えるように運命づけられていたのでしょうか。

 「霊的なことを地上の言語で表現するのはとても難しいことです。あなたのおっしゃる〝運命づけられた〟という表現を用いますと、では誰によって、何を基準に? という疑問が生じます。

たぶん皆さんの頭の中には、大霊が死ぬべき人間を船に乗せておいて事故を起こさせたような図を想像しておられるのでしょうけど、そういうものではありません。人生の千変万化の人間模様の背後に大自然の摂理が働いていて、その結果として事故が発生しているのです。

 肉体にはいずれ死が訪れます。死によって霊が肉体から解放されるのです。その意味では、肉体の死は霊の誕生です。その死を地上の人間は悲劇とみますが、われわれ霊界の者にとっては少しも悲しむべきことではありません。

霊界への誕生なのですから、死は自由解放への扉を開いてくれる恩人です。煩わしい地上の悩みごとから解放してくれるのです。特殊な例外を除いて、死は罰ではなく、報酬です。

ですから、死というものを、何としても食い止めねばならない悲劇と見ないで、魂が本来の自我を見出す為に仕組まれた、大自然の生命活動の一環と見るべきです」


投書(七)───今地上にはさまざまな病気で無数の人が苦しんでいますが、その人たちはみな過去世の過ちの償いをしているのでしょうか。そうやって苦しむために地上へ戻ってきているのでしょうか。

「苦難は生命進化の大道における不可欠の要素です。では苦難の法則がどのように働いているかとなると、簡単には説明できません。霊的な因果律の働きを考慮せずに、ただ表面の物的現象だけで推断するのは禁物です。

といって因果律は目に見えませんから、そういうものの存在を信じるほかありません。つまり大霊は愛と叡知の極致ともいうべき存在ですから、究極においては必ず公正が行きわたるようになっていると信じることです。

 地上人生は全存在のホンの一側面にすぎません。地上生活がすべてではないのです。その間の出来事についてもきちんとした埋め合わせと償いの法則が働いています。カケラほどの短い人生の表面だけを見て大霊のなさることを批判すると間違いを犯します。それは他の大きな側面を無視することであり、それすら全体の一部に過ぎないからです。

 何一つ忘れ去られることはありません。何一つ見落とされることはありません。何一つ無視されることもありません。摂理がすべてを支配しているのです。あらゆる存在が、あらゆる側面が、大きい・小さい、単純・複雑の違いの別なく、永遠に不変の摂理によって支配されているのです。

 どうしても理解に苦しむことがあれば、それはまだ自分には理解力の及ばないことがあると観念すべきです。人間は、物的身体を媒体として生活するという宿命的な制約を課せられています。

しかし、そうしたものにおかまいなく、〝愛〟はすべてのものに作用しているのです。大霊とは愛にほかならないのです。愛は必ずいつかは目的を成就します。

 私たちがこうして皆さんのもとに帰ってくるのも、あなた方への愛があればこそです。必要とあればどんなことでも致します。が、余計なこと、無益なことはいたしません。

あなた方にその価値が分かるものしかお教えしません。理解力というものは魂の成長から生まれるものです。梯子を一段高く上がってはじめて、その次の一段が見えるようになります。その梯子が無限の彼方へと続いているのです。

 その梯子の低い段階にいるあなた方に代わって、私たちがすべての問題を解決してあげるわけにはまいりません。冷たい心でそう申し上げるのではありません。物的身体に包まれたあなた方には理解できない要素があり、私たちが代って解答を教えてあげることは余計なことであり、無駄なことだからです。

 どうしても理解できないことは、これまでに授かった霊的真理を頼りとして〝信念〟を持つことです。根拠のない手前勝手な信念ではありません。スピリチュアリズムによって明らかになった霊的実在に得心がいき、その理解をもとに、人生のすべてが大霊の愛と叡知によって支配されていて、自分もその中にあるのだということを確信する、そういう信念です。

その信念をもつに至れば、自分および自分のまわりに何事が起きようと、それは大霊の思し召しなのだという理解が生まれるはずです。
  
 私は断言します、地上生活で生じるいかなる苦難も、自分の内部および外部の力を総動員しても解決できないほど大きなものはありません。

その解決のための必死の努力が、霊性を磨き一段と大きく成長をさせるのです。地上生活の究極の目的はそこにあるのです。難問に遭遇し、それと格闘し、その結果として霊的成長を得るということです。

 もしもその信念に迷いが生じた時は、その迷いをいったん鎮め、冷静な精神状態のもとで、それまでにあなたが辿ってきた道を振り返り、大切な節目節目に必ず不思議な力が働いてそこまで導かれてきたことを、改めて確認することです。

 あなた方は、この地上にあってこうした素晴らしい霊的知識との出会いがあり、それが生涯を通じて導きの光となったということは、大変しあわせなことです。

 霊的に見れば、かつて地上で愛のつながりのあった人々や、地上的な縁は無くても霊的な親和力によって結ばれている、いわゆる類魂との関係が強化されるということです。

 そうした背後霊団が望んでいることは、その協力関係によって他の多くの、無知の闇の中にいる人々を救ってあげることです。私たちがこうして地上へ帰って来た目的もそこにあります」


メンバーの一人───こうした素晴らしい知識を聞かせていただく私たちは。本当にしあわせだと感謝しております。

「私こそあなた方に感謝しておりますよ。あなた方の協力があればこそ、ささやかとはいえ、暗闇に光明をもたらすことができているのです。その光明を一段と強力なものとして伝導の道を歩んでいただきたいのです」




祈願
投書(八)───祈りの中で俗生活に関わることをお願いしてもよろしいでしょうか。

「いかなる状況のもとでも、あるいはいかなる条件下においても、最善を尽くすということが人間としての大切な務めです。最善を尽くし、もうこれ以上の努力の余地はないと確信できるだけのことをした暁には、大霊に向かって援助を求める資格ができたことになります。

 ここで序(ツイデ)に申し添えさせてください。

 私は皆さんから送られてくる大いなる愛念をいつも感じ取っております。それほどまでに私が皆さんのために役に立っていることを知って感謝しております。こうしてこの場で皆さんと会し、大霊の計画の中で責務の一端を果たし、それをもって大霊からの恵みへの感謝とすることを、今後とも続けてまいりましょう。

 人生の永遠の基盤である霊的法則を忘れることなく、それに調和する生き方を心掛けましょう。魂の奥の静寂とのどかさ、平安、落着きといったものを忘れないようにする方法は、それしかないのです。自分という存在の奥に潜む、より大きな側面と一体となるということです。
 大霊の恵みの多からんことを」

Monday, February 9, 2026

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
九章 男性原理と女性原理


4 地球の未来像の顕現
 一九一九年三月二十八日  金曜日

 この段階で吾々はすでに、それぞれの天界の住処(スミカ)にふさわしい本来の身体的条件を回復しておりました。それ故、吾々は実際は地球を中心としてそれを取り囲むように位置しているのですが、地球の姿はすでに吾々の目には映じませんでした。

もちろんこのことは私自身の境涯に視点をおいて述べたまでで、私より地球に接近した界層の者のことは知りません。多分彼らにはそれらしきものは見えたことでしょう。これから述べることは私自身の視力で見たかぎりのことです。

 私はその巨大な虚空の内部を凝視しました。すべてが空(クウ)です。その虚空が、それを取り巻くように存在する光輝によって明るく照らし出されているにもかかわらず、その内部の奥底に近づくにつれて次第に暗さが増していきます。

そしてその中心部になるとまさに暗黒です。そう見ているうちに、その暗黒の虚空の中心部から嘆き悲しむ声に似た音が聞こえて来ました。

それが空間的な〝場〟を形成している吾々の方角へ近づくにつれてうねりを増し四方へ広がっていきます。が、その音が大きくなってくるといつしか新しい要素が加わり、さらにまた別の要素が加わり、次々と要素を増していって、ついに数々の音階からなる和音(コード)となりました。

初めのうちは不協和音でしたが吾々に近づくにつれて次第に整い、ついには虚空の全域に一つに調和した太く低い音が響きわたりました。そうなった時はもはや嘆き悲しむ響きではなく、雄々しいダイヤペーソンとなっておりました。

 それがしばらく続きました。するとこんどはそれに軽い音色が加わって全体がそれまでのバス(男声の最低音)からテノール(男性の最高音)へと変わりました。変化はなおも続き、ついに吾々が囲む空間全体に女性の声による明るい合唱が響きわたりました。

 そのハーモニーが盛り上がるにつれて光もまた輝きを増し、いよいよ最高潮に達したとき吾々が取り囲む内部の空間が得も言われぬ色合いを見せる光輝に照らし出されました。

そしてその中央部、すなわち吾々の誰からも遠く離れた位置で顕現が始まっていることが分かりました。それは次のようなものでした。

 まず地球が水晶球となって出現し、その上に一人の少年が立っています。やがてその横に少女が現れ、互いに手を取り合いました。


そしてその優しいあどけない顔を上方へ向け、じっと見つめているうちに二人ともいつしか青年に変身し、一方、立っている地球が膨(フク)れだして、かなりの大きさになりました。

するとその一ばん上部に曲線上に天蓋のついた玉座が出現し、女性の方が男性の手を引いて上がり段のところへ案内し、そこで女性が跪(ひざまず)くと男性だけが上がり段をのぼって玉座の中へ入りました。

 そこへ大ぜいの従臣が近づいて玉座のまわりに立ち、青年に王冠と剣(ツルギ)を進呈し、豊かな刺しゅうを施した深紅のマントを両肩にお掛けしました。それを合図に合唱隊が次のような主旨の祝福の歌をうたい上げました。

 「あなたは地球の全生命の主宰者として、霊の世界よりお出ましになられました。あなたは形態の世界である外的宇宙の中へ踏み込まれ、あたりを見まわされました。

そして両足でしっかりと踏みしめられて、地球がどこかしら不安定なところを有しながらも、よき天体であるとお感じになられました。それから勇を鼓して一方の足を踏み出し、さらにもう一方の足を踏み出され、かくして地上を征服なさいました。

 そこで再び周囲を見渡されて、あなたのものとなったものを点検なさいました。それに機嫌をよくされたあなたは、その中で最も麗しいものに愛をささやかれました。そのとき万物の父があなたのために宝庫よりお出しになられた全至宝の中でも、あなたにとっては女性が最愛の宝物となりました。

 征服者としての権限により主宰者となられたあなたへの祝福として詠唱した以上のことは、その通りでございましょうか」
 青年は剣を膝の上に斜めに置いてこう答えました。

 地上での数々の闘いに明け暮れた私をご覧になってきたそなたたちが歌われた通りである。正しくご覧になり、それを正しく語られた。さすがにわれらの共通の主の家臣である。

 さて私は所期の目的を果たし、それが正当であったことを宣言した。武勇において地上で私の右に出る者はおりませぬ。地球は私が譲りうける。私みずからその正当性を主張し、今それを立証したところである。

 しかし私にはまだ心にひっかかるものがある。これまでの荒々しい征服が終了した今、私は次の目標をいずこへ求めればよいのであろう。永きにわたって不穏であった地球もどうにか平穏を取り戻した。が、まだ真の平和とは言えぬ。


地球は平穏な状態にうんざりとし、明日の平和を求める今日の争いにこれきり永遠に別れを告げて、真の平和を求めている。

 そこで、これまで私を補佐してこられたそなたたち天使の諸君にお願いしたい。幾度も耳うちしてくれた助言を無視して私がこれまでとかく闘いへの道を選んできて、さぞ不快に思われたことであろう。それは私も心を痛めたことであった。

しかし今や私も高価な犠牲を払って叡智を獲得した。代償が大きかっただけ、それだけ身に泌みている。そこで、これより私はいかなる道を選ぶべきか、そなたたちの助言をいただきたい。

私もこれまでの私とは違う。助言を聞き入れる耳ができている。今や闘いも終わり、この玉座へ向けて昇り続けたその荒々しさに、われながら嫌気がさしているところである」

 そう言い終わると従臣たちが玉座の上がり段を境にして両わきに分かれて立ち並び、その中間に通路ができました。するとその中央にさきの女性が青のふちどりのある銀のロープで身を包んで現れました。

清楚に両手を前で組み、柔和さをたたえた姿で立っておられます。が、その眼差しは玉座より見下ろしている若き王の顔へ一直線に向けられています。

 やがて彼はおもむろに膝の上の剣を取り上げ、王冠を自分の頭から下ろして階段をおり、その女性のそばに立たれました。そして女性が差し出した両腕にその剣を置き、冠を頭上に置きました。それから一礼して女性の眉に口づけをしてから、こう告げました。

 「そなたと私とで手を取り合って歩んで来た長い旅において私は、数々の危機に際してそなたの保護者となり力となって来ました。嵐に際しては私のマントでそなたを包んであげました。


急流を渡るに際しては身を挺して流れをさえぎってあげました。が、行く手を阻(ハバ)む危険もなくなり、嵐も洪水も鎮まり、夏のそよ風のごとき音楽と化しました。そして今、そなたは無事ここに私とともにあります。

 しかし、この機をもって私は剣をそなたに譲ります。その剣をもってその王冠を守ってきました。ここにおいてその両者を揃えてそなたに譲ります。

もはや私が所有しておくべき時代ではなくなりました。どうかお受け取りいただきたい。これは私のこれまでの業績を記念する卑しからぬ品であり、あくまで私のものではありますが、それが象徴するすべてのものとともに、そなたにお預けいたします。

どうかこれ以後もそなたの優しさを失うことなく、私が愛をもって授けるこの二つの品を愛をもって受け取っていただきたい。それが私より贈ることのできる唯一のもの───地球とその二つの品のみです」

 青年がそう言い終わると女性は剣を胸に抱きかかえ、右手を差しのべて彼の手を取り、玉座へ向かって階段を上がり玉座の前に並んでお立ちになりました。

そこでわずかな間を置いたあと彼は気を利かして一歩わきへ寄り、女性に向かって一礼しました。すると女性はためらいもなく玉座に腰を下ろされました。彼の方はわきに立ったまま、これでよしといった表情で女性の方を見つめておりました。

 ところが不思議なことに、私が改めて女性の方へ目をやると、左胸に抱えていた剣はもはや剣ではなく、虹の色をした宝石で飾られたヤシの葉と化しておりました。

王冠も変化しており、黄金と鉄の重い輪が今はヒナギクの花輪となって、星のごとく輝く青と緑と白と濃い黄色の宝石で飾られた美しい茶色の髪の上に置かれていました。その種の黄色は地上には見当たりません。

 若き王も変っておりました。お顔には穏やかさが加わり、お姿全体に落着きが加わっておりました。そして身につけておられるロープは旅行用でもなく戦争用でもなく、ゆったりとして長く垂れ下がり、うっすらとした黄金色に輝き、そのひだに赤色が隠れておりました。
 そこで青年が女性に向かってこう言いました。

 「私からの贈りものを受け取ってくれたことに礼を申します。では、これより先、私とそなたではなく、そなたと私となるべき時代のたどるべき道をお示し願いたい」

 これに答えて女性が言いました。

 「それはなりませぬ。私とあなたさまの間柄は、あなたさまと私との間柄と同じだからでございます。これより先も幾久しく二人ともども歩みましょう。ただ、たどるべき道は私が決めましょう。しかるべき道を私が用意いたします。

しかし、その道を先頭きって歩まれるのは、これからもあなたさまでございます」
   アーネル ± 

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen



3 崇高なる法悦の境地

一九一九年三年二十五日  火曜日

 さて、未来へ向けて矢が放たれたところで一たん出発点へ戻り、これまでお伝えしたメッセージを少しばかり手直しをしておきましょう。私が述べたのは人類の発達途上における目立った特徴を拾いながら大ざっぱな線について語ったまでです。

しかし人類が今入りかけた機構は単純ではなく複雑をきわめております。次元の異なる界がいくつも浸透し合っているように、いくつもの発展の流れが合流して人類進化の大河をなしているのです。

 私がこれからは男性支配が女性の柔和さにその場をゆずると言っても、男性支配という要素が完全に消滅するという意味ではありません。そういうことは有り得ません。

人類の物的形態へ向けての進化には創造主が意図した目的があるのであり、その目的は、成就されればすぐに廃棄されてしまう程度のものではありません。ようやく最終段階を迎えつつある進化の現段階は、男性の霊的資質を高める上で不可欠だったのです。

ですから、その段階で身につけた支配性は、未来の高揚のために今形成しつつある新しい資質の中に融合されていくことでしょう。

 ダイヤからルビーの光が除去されることはありません。もしそうなればダイヤの燦然たる美しさが失われます。そうではなく、将来そのダイヤが新たな角度から光を当てられた時に、その輝きがこれまでよりは抑えられたものになるということです。

かくしてこれからのある一定期間は、そのまたたきが最も顕著となるのはこれまでのルビーではなくエメラルドとなることでしょう。(訳者注──前回の通信の最後の寓話になぞらえて、ルビーが男性的性格、エメラルドが女性的性格を象徴している)

 また遠い過去においてそのルビーに先立って他の色彩が顕著であった時期があるごとく、ダイヤの内奥には、このエメラルドの時代の終ったあと、永遠の時の中で然るべき環境を得て顕現するさらに別の色彩があるのです。

 さらに言えば、私のいう女性の新時代は激流のごとく押し寄せるのではなく、地上の人間が進歩というものを表現する時によく使う言い方に従えば、ゆっくりとした足取りで訪れます。言っておきますが、その時代はまだ誕生しておりません。が、

いずれ時が熟せば誕生します。その時期が近づいた時は──イヤ、(ここで寓話に変わる──訳者)救世主は夜のうちに誕生し、ほとんど誰にも気づかれなかった。

しかも新しい時代の泉となり源となった。それから世の中は平凡なコースをたどり、AUC(ローマ紀元。紀元前七五三年を元年とする)を使用している間は何の途切れもなく続いた。

が今日、かの素性の知れぬ赤子(イエス)の誕生がもとでキリスト教国のすべてがDU(西暦紀元)を採用することになり、AUCは地上から消えた。貴殿は私の寓話を気に入ってくださるので、どうか以上の話から何かの意味を読み取ってください。

 また例の天使の塔におけるキリストの顕現の話を思い出していただきたい。あれはこの地上への吾々の使命に備えるための学習の一環だったのです。

私の叙述から、その学習がいかに徹底したものであったかを読み取っていただけるものと思います。物的宇宙の創造を基盤とし、宇宙を構成する原子の構造を教えてくださったのです。

それが鉱物、植物、動物、そして人間となっていく永くかつ荘厳な生命の進化の過程が啓示されたのです。さらに学習は続き、地球に限定して、その生命を構成する要素を分析して、種類別に十分な検討を加えました。

それから地球の未来をのぞかせていただき、それが終わって今こうして貴殿にメッセージを送っているわけです。


 その人類の未来をのぞかせていただいた時の顕現のすべてを叙述することはとても出来ません。ダイヤモンド(※)の内奥には分光器にかからない性質の光線が秘められているからです。

ですが、その得も言われぬ美と秘密と吾々にとっての励ましに満ちた荘厳なるスペクタクルについて、貴殿にも理解しうる範囲のことを語ってみましょう。(※これも前回の通信の寓話になぞらえて、すべての色彩が完全に融合したときの無色透明な状態を象徴している──訳者)

 地球を取り巻く例の霧状の暗雲が天界の化学によって本来の要素に分析されました。それを個々に分離し、それぞれの専門家の手による作業にまかされました。


その作業によって質を転換され、一段と健康な要素に再調合する過程がほぼ完了の段階に近づいた時に、吾々は各自しばし休息せよとの伝達をうけ、その間は他の霊団が引き受けてくれました。

 そこで吾々は所定の場所へ集合しました。見ると天界のはるか上層へ向けて一段また一段と、無数の軍勢が幾重にも連なっておりました。

得も言われぬ壮麗なる光景で、事業達成への一糸乱れぬ態勢に吾々は勇気百倍の思いがいたしました。その数知れぬ軍勢の一人一人が地球上の同胞の救済のために何らかの役割分担を持ち、その目的意識が総監督たるキリストにおいて具現されているのでした。

 それを内側から見上げれば、位階と霊格にしたがって弧を描いて整列している色彩が、あたかも無数の虹を見るごとくに遙か遠くへと連なっておりました。

 そしてその中間に広がる、一個の宇宙にも相当する大きさの空間の中へ、すでにお話したことのある静寂という実体(一章2)が流れ込んできました。それはすなわち、そこに吾らが王が実在されるということです。

静寂の訪れを感じて吾々はいつものごとく讃仰のために頭(コウベ)を垂れました。崇高なる畏敬の念の中に法悦を味わい、目に見えざる来賓であるキリストを焦点とした愛の和合の中にあって、吾々はただただ頭を垂れたまま待機しておりました。 アーネル ±