Sunday, June 28, 2026

シルバー・バーチの霊訓(十二)

 煌く名言を集めて 総集編 近藤千雄訳編


三章 この世とあの世の係りあい
 
(1)無数の生命の相が互いに融合しあっております。境界線のようなものは存在しません。一方の側に物的なものが存在し、他方の側に霊的なものがあって、それが混ざり合っているのです。原理は無線電信と同じです。無数の波長、無数の振動があるのですが、同じ空間を飛び交っております。

そのうちのどれに反応するかは器機の感度によります。地上の人間は物質の波動の世界に閉じ込められております。物的な波長しか感知できません。霊視能力者はふつうの波長より一段と精妙な波長を感知できる人であり、霊聴能力者は普通の音の波長より一段と精妙な波長を感知できる人です。これも霊媒という器機の感度の問題です。


(2)地上世界は永い間の物質中心の感覚によって粗悪な生活の場となってしまいました。もともと人類は数多くの霊的感覚を使用することができたのです。

内部の霊妙な能力に気づいていたのです。古い記録をご覧になれば、太古にさかのぼるほど超能力が使用されていたことがお分かりになるはずです。それが物質文明の発達とともに次第に委縮し、今日では霊的バイブレーションがキャッチ出来る人はきわめて少数となりました。


(3)死後にも生命は存在します。いわゆる〝故人〟も今なお生き続けております。地上圏へ戻ろうと思えば戻れますし、現に戻っております。しかし、ただそれだけの表面上のことだけでこの問題を片づけてはなりません。

なぜ生き続けることができるのか、どういう過程で甦るのか、新しい生活にとってそれまでの生活はどういう影響を及ぼすのか、地上と霊界とはどういうつながりになっているのか、死の門をくぐったあとにどういう体験をしているか───

地上での言動や思想が向上を促しているか足を引っ張っているか、地上の人間に伝えるべき教訓として何を学んでいるか・・・・・・こうしたことが宗教にも科学にも政治にも経済にも芸術にも国際関係にも影響を及ぼすのです。永い間人類を苦しめてきた問題に新たな光を当てることになるからです。


(4)人間は本質的には地上にいる時からすでに霊的資質や属性のすべてを所有しております。時たまチラリと発現することはあっても、大半は居眠りの状態で潜在しております。ですから、いかなる形式にせよ霊が地上と交信する時は、必然的に霊側が犠牲を強いられてることになります。霊的波動を下げて人間の物的波動に近づけざるを得ないからです。


(5)人類の大半は霊的に高度なものを自らの力で手にすることは不可能です。バイブレーションが余りにもデリケートであり、あまりにも鋭敏であり、余りにも洗練されているために、よくよく鍛錬されたごく少数の霊覚者によってしか捉えられません。

そこで地上との交信には私たちの方から言わば階段を下りなくてはならないわけですが、そうすると当然、霊的な美しさが大きく殺がれてしまいます。


(6)死ぬ時は決して一人で旅立つのではありません。愛でつながった人々が付き添って、何かと面倒を見てくれます。これには例外はありません。影の世界から首尾よく脱け出て新しい素敵な生活に入れるように手引きをする態勢ができております。


(7)向上進化の道は孤独なものです。が、背後にはあなたを絶対に見捨てることのない霊団が付き添っております。魂を鼓舞する力は霊界から送られているのです。すべてのインスピレーションの始源はこちらにあるのです。


(8)肉眼で見ることも肉耳で聞くことも肌で触れてみることもできませんが、背後にはあなたとの地上的縁のある霊、血縁はなくても無私の愛に動かされた霊が控え、援助し、鼓舞し、もっとも生き甲斐のある生き方へと導いてくれております。

 
(9)背後霊にはあなたの困難、問題、願望のすべてが分かっております。又、ここが物質の世界であり、それなりの物的必需品というものがあることも承知しております。あなたが真理に忠実に生きておれば、飢えや渇きに苦しむことはありません。絶対に必要なものは必ず用意されます。


(10)〝聖霊に対する罪〟とは霊力の存在を否定することです。霊力はいつの時代にも地上へもたらされているのです。キリスト教は抽象的には霊力の存在を認めていながら、それが世界中の誰にでも届けられるものであるという話になると否定します。

こうして皆さんとの交わりができるのも霊力のお蔭なのです。ホンのわずかの間とはいえ、物質の世界と霊の世界とが目的において一つに調和することを可能にしてくれる、大霊の力なのです。


(11)〝復活〟は生命の法則の一つです。死の訪れとともに物的身体から離れた魂はすべて復活したことになるのです。キリスト一人の話ではありません。大霊の子のすべてに復活があるのです。

死の関門を通過すると、物的身体を後にして今度は霊的身体に宿って霊の世界で新しい生活を始めるのです。地上生活はすべてそのための準備なのです。


(12)地球が物的世界の一つとして存在を始めた当初から、神の教えを説くための霊が派遣されてきました。そして各民族、各時代の言語でしゃべりました。

その内容の程度もその国、その時代の要請、その民族の成長と発達の程度に即応したものでした。その方法・手段も理解力に応じたもの、高踏的になり過ぎないものが用意されました。


(13)人間は墓場を乗り越えて生き続けます。人間も本来は霊だからです。火葬の炎さえその霊を滅ぼすことはできません。物質の世界はもとより、いえ、霊の世界の何を持ってしても、内部に宿る神性、この世に生を受けることによって賦与された生命の炎を消すことはできません。


(14)いかなる極悪人といえども〝存在〟そのものを失ってしまうことはありません。神性の火花が衰えて微かに明滅する程度になることはあっても、完全に消滅してしまうことはありません。

なぜなら、大霊と結びつけている神性の絆は永遠不滅のものだからです。いかなる霊も二度と甦れないほど堕落することはありません。又いかに高級な霊といえども、その堕落した霊に救いの手を差し伸べるために身を低くすることはできるものです。


(15)魂が開発され霊的波長が高度なものになるにつれて、それだけ高度なエネルギー、大きなエネルギーと接触できるようになります。それは見えるものでもなく聞こえるものでもなく、永遠の霊的実在そのものです。それが生命の実在なのです。

人間は生涯の大部分を影を追い求め、幻を捕えようとし、儚いものを後生大事にしながら生きております。本当は静寂の中において、調和の中において、愛の中においてこそ、あなたの魂は着実に開発するのです。ゆっくりではあっても確実であり、間違いがありません。


(16)物質界の条件が、大きい方の意識で行われていることを小さい方の意識で思い出せなくしているのです。人間は死ぬまでは本当の意味で生きているとは言えないほどです。が、時として霊が物質の次元から離れて霊界からのインスピレーションに触れることがあります。その時、ホンの一瞬ですが言語を絶した無上の法悦に浸ることになります。


(17)睡眠中に暗黒の世界を訪れる人がいることは事実です。それは魂の本性がそこの波長に合っていて自然に引き付けられる場合と、一種の犠牲的奉仕精神から自発的にそういう環境に身を置く場合とがあります。

地上に籍を置く人間の霊的身体を利用することによって暗黒界の霊を救う方法があるのです。聖書にはイエスがいわゆる地獄界へ降りて行く話があります。睡眠中の話ではありませんが、原理は同じです。


(18)邪霊に憑依される人は、みずからそういう条件を内部でこしらえています。あくまでもその人個人の問題です。愛と奉仕の精神に燃えた人に高級霊が引き寄せられるのと原理は同じです。

法則は良いことばかりに働くのではありません。崇高な目的に作用する法則が悪い方向に作用することもあります。問題はあなたがどういう心掛けでいるかに掛かっております。


(19)地上の人間は現実界と霊界とのつながりについての理解ができておりません。光り輝く高級霊からのインスピレーションに触れることができると同時に、ふとしたことから無知な低級霊のなすがままになっていることもあります。いずれの場合も同じ摂理の働きなのです。


(20)皆さんは過去の偉人のことを過ぎ去ったこととしか考えませんが、その人たちはその後も同じ情熱を地上の同胞に対して抱き続け、今なお活躍しているのです。




  シルバーバーチの祈り

 ああ、大いなる神よ。あなたは生命の息吹におわします、全生命の背後の摂理におわします。森羅万象の大中心におわします。万事を賢明(ヨキ)に計らわれる大霊におわします。

 あなたは完全なる愛にあらせられ、完全なる叡智にあらせられ、完全なる公正にあらせられます。この全大宇宙として顕現なされた完全なる摂理にあらせられます。

 過去においてもあなたは、物質の靄にさえぎられることなく霊的波長を捉えることのできた者に、御身についての啓示を与え給いました。物質の次元を突き抜けて霊の次元へと高揚できる者に、あなたはその大いなる愛を顕現なさっておられます。

 あなたは今の時代に霊の道具を絶えず感化なさっておられるごとくに、太古においてもその時代にふさわしい賢者を感化なされました。あなたはいつの時代にもふんだんにインスピレーションを啓示され、人間の心を通してあなたの愛を顕現なさらんとしておられます。

それは、ひとえに、子等にとってあなたがいかに身近な存在であるかを理解せしめんとする配慮にほかなりませぬ。

 ああ、神よ。あなたはこの全大宇宙を造られた大霊におわします。極大なるものの中の極大、極小なるものの中の極小を創造なされました。そして物質の世界に人類なる存在を生みつけられ、その一人ひとりにあなたの霊性の一部を賦与されました。それはあなたとの不変・絶対の絆であり、人間が地上生活のいかなる困難をも克服する力を有することを意味します。

 またあなたは、内在するその霊性を顕現させ、地上におけるあなたの計画を促進する手助けをさせるために、人間にもあなたの創造活動に参加する能力をお授けになりました。

 さらにあなたは、地上の道具としての人間があなたの愛、あなたの叡智、あなたの力、あなたの意図を受けとめんと努力する時は、いずこであろうとあなたの使者をつかわして守護と指導に当たらしめ、鼓舞し高揚して、あなたの摂理をいっそう正しく地上に行きわたらしめんとなさいます。

 ここに集える私どもは、ここを拠点として絶望の淵にいる人、悲しみに暮れる人には新たなる希望と慰めを見出させ、人生に疲れた人には新たな力を見出させ、生きる意欲を失った人には新たな憧れを抱かせ、涙を浮かべている人には、生命に死はなく死後も永遠に生き続けるとの知識に喜びを見出させてあげることにより、あなたのお役に立ちたいと願う者たちでございます。

 願わくは、ああ神よ、地上の子等を少しでもあなたに近づけるためにみずから物質界へ降りて活躍する者と、霊の世界より働きかけている者との協力によって、あなたの愛が地上に根づくのを妨げんとする諸悪の全てを取り除かしめたまわんことを。

 ここに、他の同志とともに、あなたの子等に奉仕することによってあなたに奉仕せんとするインディアンの祈りを捧げます。
        

シルバー・バーチの霊訓(十二)

 煌く名言を集めて 総集編 近藤千雄訳編


 
二章 人間・死・死後の世界 

(1)人間は身体と精神と霊の三つの要素が一体となったものです。一個の自我に三つの側面があるということです。その三者が調和よく機能している状態が健康です。


(2)人間が〝死〟と呼んでいるのは物的身体が物を言わなくなる現象です。用事が終わって霊との縁が切れ、元の大地へ戻っていくのですが、往々にしてそれが、霊に十分な準備が整っていないうちに起きるのです。

それはともかくとして、霊は肉体という牢から解放されて、それよりはるかに精妙な構造をした霊的身体で自我を表現することになります。地上では眠っていた霊的感覚が発揮されはじめると、その活動範囲も飛躍的に広がります。


(3)宇宙はたった一つで、その中に無数の生活の場があります。生命は一つです。ただそれには無数の進化の段階があるということです。そうした霊的事実を説明しようとすると言語の不自由さが立ちはだかります。

とは言え、このぎこちない不適切な記号を使用せざるを得ず、結果的には真相がうまく伝えられないということになります。生命は一つです。宇宙は一つです。境界線というものは存在しません。国境というものはありません。死んで行った人も相変わらず同じこの宇宙で生き続けているのです。

ただ地上とは異なるバイブレーションの世界、異なる意識の段階で生活しているというだけです。霊も、あなたの目には見えなくても同じ地上にいると考えてもよいのです。それはちょうど、あなたもご自分では気づかなくても、私と同じ霊界にいると考えてもよいのと同じです。


(4)あなたは物質の世界に生きているために、とかく生命活動を物的なものとして考えがちです。しかし生命の本質は物的なものではありません。生命の基盤は非物質的なものです。物質をいくら分析しても生命の起源は見つかりません。

あなたという存在は物質ではありません。身体は物質でできています。しかし本当のあなたは、触れることも見ることも感知することも聴くこともできません。真実のあなたは〝霊〟なのです。


(5)あなたの行為、あなたの活動、あなたの思念、要するにあなたの生活そのものがあなたという実在を形成していくのです。その実在は肉眼では見えませんが、〝死〟の過程をへて肉体と永遠に訣別した瞬間から、それがまる裸にされます。それ以上に立派に見せることもできませんし、それ以下に惨めに見られることもありません。

地上生活によって形成された性格をそっくり携えて行くのです。平凡な日常生活の中で培われた霊的資質こそあなたの永遠の財産となるのです。


(6)死後あなたが赴く界層は地上で培われた霊性にふさわしいところです。使命を帯びて一時的に低い界層に降りることはあっても、降りてみたいという気にはなりません。と言ってそれより高い界層へは行こうにも行けません。

感応する波長が地上で培われた霊性によって一定しており、それ以上のものは感知できないからです。結局あなたが接触するのは同じレベルの霊性、同じ精神構造の者にかぎられるわけです。


(7)霊界へ来て何年になるとか、地上で何歳の時に死んだといったことは何の関係もありません。すべては霊性の発達程度によって決まることです。そこが地上世界と霊界との大きな違いです。

地上ではみんなが同じ平面上で生活し、精神的にもまったく異なる人々と交りますが、こちらへ来ると、あなたが交わる相手は霊的に同質・同等の人ばかりです。立派な音楽家の曲が聞けないという意味ではなく、生活の範囲がほぼ同等の霊格の者に限られるということです。そこには親和力の法則という絶対に狂うことのない法則が働いております。


(8)人間は物的身体という牢の中で生活しています。その牢には小さな隙き間が五つあるだけです。それが五感です。皆さんはその身体のまわりで無数の現象が起きていても、その目に見え、その耳に聞こえ、その肌に触れ、その舌で味わい、その鼻で嗅いだもの以外の存在は確認できません。

ですが実際にはその身体のまわりで無数の生命活動が営まれているのです。見えないから存在しないと思ってはいけません。人間の五感では感知できないというに過ぎません。


(9)こちらへ来た当初は霊的環境に戸惑いを感じます。十分な用意ができていなかったからです。そこで当然の成り行きとして地上的な引力に引きずられて戻ってきます。しばらくは懐かしい環境───我が家・仕事場など───をうろつきます。

そして大ていは自分がいわゆる〝死者〟であることを自覚していないために、そこにいる人たちが自分の存在に気付いてくれないこと、物体に触っても何の感触もないことに戸惑い、わけが分からなくなります。しかしそれも当分の間の話です。やがて自覚の芽生えとともに別の意識の世界にいるのだということを理解します。


(10)死んで間もない段階では地上にいた時と少しも変わりません。肉体を捨てたというだけのことです。個性は同じです。性格も変わっておりません。習性も特徴も性癖もそっくりそのままです。利己的な人は相変わらず利己的です。欲深い人間は相変わらず欲深です。

無知な人は相変わらず無知のままです。落ち込んでいた人は相変わらず落ち込んだままです。しかし、その内霊的覚醒の過程が始まります。いわゆる〝復活〟です。


(11)死後の環境は地上時代の魂の成長度によって決まります。たとえば霊の世界では行きたいと思うだけでその場へ行けますが、その行動範囲にはおのずと霊格による限界があります。


(12)あなたは今その地上にある時から立派に霊的存在です。死んでから霊的存在になるのではありません。霊的身体は死んでから与えられるものではありません。死は肉体の牢獄からあなたを解放するだけです。それはあたかもカゴの中の鳥が放たれるのと同じです。


(13)人間は肉体をたずさえた霊であって、霊をたずさえた肉体ではありません。肉体は霊が宿っているからこそ存在し得ているのです。それは神の火花であり、すべての存在に内在しており、全ての生命を通して顕現しているのです。


(14)地上というところは内部の魂が芽を出し開眼し発達して、肉体の死後に始まる次の段階の生活に耐えられるだけの霊力をつける、その為の体験を得る場所です。


(15)地上は幼児の学校であり、こちらは大人の学校です。地上では神から授かっている霊的資質を少しでも多く発揮するように、精神を修養し霊性を鍛錬して他人のために役立つことをする、その練習をしているのです。


(16)人間は例外なく心霊的能力をそなえております。これは大へん大きな意味を持っております。歴史を勉強なされば、この事実は世界のすべての宗教の起源に結びついている基本的真理であることを理解なさるはずです。偉大な宗教家の教えの中には必ずそのことが述べられています。みな同じ始原からのインスピレーションを受けているのですから当然のことです。

人間は成就すべき霊的宿命を持った霊的存在であること、死後に待ちうけるより大きな生命活動にそなえるためにこの地上に来ていること、そして死ぬ時には地上でみずからの力で身に付けた愛、自ら築いた性格、自ら開発した霊的才覚をたずさえて行くということを異口同音に説いております。これこそがすべての宗教の中心的教えではないでしょうか。

しかもそれがすべての宗教において、一つの例外もなく忘れ去られていることも事実ではないでしょうか。膨大な量の教義、神学、教条主義、宗教とは何の関係もない、あるいは宗教として何の価値もない、人間的思考の産物によって置き代えられているのです。


(17)厳密に言えば霊は身体に宿る という言い方は適切ではありません。霊と身体とは波長の異なる存在だからです。本当のあなたは体内にいるのではありません。心臓と肺の間に小さく縮こまっているのではありません。地上で生活するためにこしらえられた物的装置を通して自我を表現している〝意識〟です。


(18)実際には人間のすべてが睡眠中にこちらの世界へ来ております。それは神の配慮の一つで、いよいよこちらへ来た時に環境の違いによってショックを受けないように、未来の環境に慣れさせておくのです。ちょうど子供時代を過ごした土地へ来るとその頃の思い出が甦ってくるように、睡眠中に訪れていた環境の記憶が甦ってきます。


(19)睡眠というのは物的身体の操作から霊的身体の操作へとスイッチが切り替わることであり、その意味で、その間は霊の世界にいるわけです。その睡眠中の身体に別の霊が入ってくる心配はありません。あなたがドアを開けっ放しにして出て行ったあと、誰かがノコノコと入ってきてドアを閉めてしまうというような図を想像してはいけません。

そういうものではありません。物的身体は相変わらずあなたの管理下にあります。ただ意識の焦点が別の次元に移っているというだけであって、やがて朝になれば意識が戻ります。


(20)衝撃などで昏睡状態に陥った場合は、霊と身体との正常な関係が破られているわけです。睡眠の場合は朝になれば霊がそういうものと自覚してバイブレーションを落として身体に戻る用意をします。それが正常な関係ですが、昏睡状態の場合は無理やりに身体機能から離され、しかもその機能が破壊されているために、戻ろうにも戻れないのです。


(21)オーラは身体から出るさまざまな放射物によって構成されています。実際には無数のオーラがあるのですが、地上界でオーラと言う時は肉体と霊体を包んでいるオーラのことです。あらゆる存在物にオーラがあります。意識を持たない物にもオーラはあります。

  
(22)人間のオーラには身体の状態と精神の状態が反映しますので複雑な波動を出しております。オーラを霊視しその意味が読み取れる人には、その人物の秘密がすべて分かります。

言ってみれば一冊の書物のページが開かれているようなものです。思ったこと、行ったことのすべてが記録されています。外見をどう繕っても、オーラには本当のあなたがありのままに表れています。


(23)パーソナリティとインディビジュアリティは違います。マスクを意味する〝パーソナ〟を語源とするパーソナリティは物的身体との関係で派生する地上だけの人物像です。

つまり本来の自我であるインディビジュアリティが五感を通して地上で自我を表現しようとしている側面であり、自我の全体を氷山にたとえれば、海面上に出ているホンの一部にすぎません。


(24)インディビジュアリティはパーソナリティよりはるかに大きな存在です。肉体の死後に生き続けるのはパーソナリティではありません。インディビジュアリティを太陽にたとえれば、パーソナリティはその太陽が作り出した影ほどの存在です。死後、インディビジュアリティは地上では表現できなかった潜在的資質を徐々に発揮していきます。


(25)発達にも二種類あることを知らないといけません。精神に係わるものと霊に係わるものです。前者は心霊的能力の発達に過ぎませんが、後者は魂の成長そのものです。

心霊能力が発揮されても魂の成長が伴わなければ、低いバイブレーションの仕事しかできません。両者がうまく組み合わさった時は、優れた霊能者であると同時に偉大な人格を具えた人物となります。



  シルバーバーチの祈り

 大いなる神よ。無限なるあなたの奇しき摂理が私たちすべての存在を維持せしめております。あなたの愛が私たちのすべてを包摂しております。あなたの叡智が私たちのすべてを導いております。あなたの霊力が私たちのすべてを支えております。あなたの知識がよろめきがちな私たちの足元を照らしてくださっております。
 
 あなたについて、また霊の世界と、それよりさらに小さき物質の世界に顕現されているあなたの御姿についてこれまで啓示して下さった知識に対して、私たちは深く感謝申し上げます。

あなたの完璧なる摂理、すべてを支え、すべてを包摂し、何一つ落度もなく、片時も休むこともなく、全大宇宙とその中での生命活動の一つ一つに配剤されている完璧な律動(リズム)に感謝の念を捧げます。

 ああ、神よ。忝(カタジケナ)くもあなたは、いつの時代にも御身について時代相応の啓示をお授け下さっております。そのための使者として、あなたによって物質圏の世界へ派遣され、子等の霊性を鼓舞し、霊的真理へ目を開かしめんと努力してきた有志の僕に対して、深甚なる感謝を捧げます。

あなたの意図されている生命の豊かさを存分に発揮した生活を送るには、霊的真理の理解をおいて他に道はございません。

 ああ、神よ。あなたの叡智の無限性、あなたの知識の崇高性、あなたの真理の永遠性を理解できる者はおりません。地球の全時代の叡智を集めても、あなたには敵いません。

いかなる人物にもあなたの威力は理解できません。私たちを生かしめ機能せしめている内部の霊性は人間の知性を超えたものであり、その大きさも、その深さも計ることはできません。

 あなたから授かった霊的生命に感謝いたします。それが私たち子等を互いに結び付け、一個の霊的家族としております。霊と霊、心と心、精神と精神、愛と愛のつながりにおいて、死の淵さえ超えて一体ならしめているのでございます。

 また私たちは、有難くもかつて地上を旅した霊たちと幾重にもつながっており、さらにその奥にはあなたを中心とする、物質の束縛から完全に解放された神庁の大組織が存在しているのでございます。

 大いなる神よ。私たちはあなたの霊力の恩寵の豊かさを身を持って感じ、あなたとのつながりが永遠であるからには、あなたの叡智、あなたの霊力を少しでも多くいただくために、みずからの霊性を少しでも高めんとして祈るものです。

この祈りが霊的なものへの意識を維持せしめ、永遠の霊的真理の理解を助け、より一層あなたの御心に適った生き方を可能にするのでございます。

シルバー・バーチの霊訓(十二)

煌く名言を集めて 総集編 近藤千雄訳編




巻頭言・・・・・・・シルバーバーチ
祈 り・・・・・・・・シルバーバーチ
序 文・・・・・・・ ハンネン・スワッハー
シルバーバーチに最敬礼する
モーリス・バーバネル
一章 霊団の使



巻頭言

 本書は霊の世界の祝福を受けて物質の世界へ届けられるものです。願わくば今これを手にされたあなたが、本書を読まれることによって心の目を開き魂に感動を覚えられんことを祈ります。生命の物的諸相の背後にあるより高い、より深い、より尊い、そしてより雄大な側面に気づくまでは、その人は暗い霧の中で生きていることになるのです。

シルバーバーチ


祈り

 神よ。あなたは全生命の背後の法則におわします。太陽の輝きはあなたの微笑です。天より降り注ぐ雨滴(シズク)はあなたの涙です。夜空に煌めく星はあなたの眼差しです。夜の帷(トバリ)はあなたのマントです。そして人のためを思いやる心はあなたの愛にほかなりません。

 あなたの霊は全存在に内在しております。森羅万象はあなたの霊の顕現にほかなりません。美しく咲き乱れる花となり、さえずる小鳥の声となって顕現しておられます。あなたへの思いを抱く者ならば、あなたは誰にでも理解できるのでございます。

 ああ、神よ。全宇宙を法則によって知ろしめされるあなたは、無窮の過去より存在し、無窮の未来にわたって存在いたします。これまでにあなたは霊の目を持って見る者に真実の姿を顕示され、愛を教え叡智を説き、理解しうる範囲においてご計画を披露してまいられました。地上天国を築かんと願う者たちの魂を鼓舞し、霊力が生み出す勇気を持ってあなたの進化の仕事に協力するよう導かれました。

 また、あなたの使者として私たちを地上へ遣わされ、地上の子等の魂を解放し、あなたがいかに身近な存在であるかを認識させるために、新たな光明、新たな知識、新たな真理、新たな叡智をもたらすべく、高揚と慰安と教化と啓示の仕事を託されました。

 願わくはこのサークルをあなたの霊力によって満たし、ここを聖殿としてあなたの真理の輝きを流入せしめ、地上の暗き場所を明るく照らし、平和と幸せと知識と叡智をもたらすことができますように。        

 シルバーバーチ



序 文             
ハンネン・スワッハー

われわれがシルバーバーチと呼んでいる霊は実はレッド・インディアンではない。いったい誰なのか、今もって分からない。分かっているのは、その霊は大へんな高級界に所属していて、その次元からは直接地上界と接触できないために、かつて地上でレッド・インディアンだった霊の霊的身体を中継してわれわれに語りかけている、ということだけである。

 いずれにせよ、その霊が〝ハンネン・スワッハー・ホームサークル〟と呼称している交霊会の指導霊である。その霊が最近こんなことを言った。

 ≪いつの日か私の(地上時代の)本名を明かす日も来ることでしょうが、私は仰々しい名前などを使用せずに皆さん方の地上の人間の愛と献身とを獲得し、私の説く中身の真実性によってなるほど神の使徒であることを立証すべく、こうしてインディアンに身をやつさねばならなかったのです。それが神の御心なのです≫

 ところで、私とシルバーバーチとの出会いは一九二四年スピリチュアリズムの真実性を確信して間もない頃のことだった(※)。以来私は毎回一時間余り、シルバーバーチの教えに耳を傾け、導きを受け、助言を頂き、いつしかその霊を地上のいかなる人物よりも敬愛するようになった。

(※スワッハーは招かれたある交霊会に大先輩のノースクリッフ卿が出現して、どうしようもない証拠を見せ付けられたことがきっかけで死後の存在を信じるようになった。折しも友人のバーバネルが霊能を発揮し始め、スワッハーの自宅で交霊会を催すようになった。それが〝ハンネン・スワッハー・ホームサークル〟と呼ばれるようになったゆえんである───訳者)

 シルバーバーチの地上への最初の働きかけは普通より少し変わっていた。スピリチュアリズムを勉強中の十八歳の無神論者が、ある時ロンドンの貧民街で行われていた交霊会にひややかし半分の気持ちで出席した。そして霊媒が次々といろんな言葉でしゃべるのを聞いて、思わず吹き出してしまった。

ところがその中の一人が「そのうちあなたも同じことをするようになりますよ」と諌(イサ)めるように言った。

 その時はバカバカしいという気持ちで帰ったが、翌週再び同じ交霊会に出席したら、途中でうっかり居眠りをしてしまった。目覚めると慌てて非礼を詫びたが、すぐ隣に座っていた人が 「あなたは今入神しておられたのですよ」 と言ってから、続けてこう言った。

 「入神中にあなたの指導霊が名前をおっしゃってから、今日までずっとあなたを指導してきて、間もなくスピリチュアリストの集会で講演をするようになると言っておられました」

 これを聞いて若者はまた笑い飛ばした。が、それが現実となってしまった。

 当時はシルバーバーチは多くを語ることができず、それもひどいアクセントだった。それが年をへるにつれて、入神させて語る回数が増えたことも手伝って英語がめきめき上達し、今日ではその素朴で流麗な英語は、私がこれまでに聞いたいかなる演説家もその右に出る者はいないほどである。

 ところで〝霊媒のバーバネルが本当に入神していることをどうやって確認するのか〟という質問をよく受けるが、実はシルバーバーチがわれわれ列席者に霊媒の手にピンを差してみるように言ったことが一度ならずあった。

恐る恐るそっと差すと、思い切って深く差せと言う。すると当然、血が流れる。が、入神から覚めたバーバネルに聞いてもまるで記憶がないし、その跡形も見当たらなかった。

 もう一つよく受ける質問は、霊媒の潜在意識の仕業でないことをどうやって見分けるのかということであるが、実はシルバーバーチとバーバネルとの間には思想的に完全に対立するものが幾つかあることが、そのよい証拠といえよう。

たとえばシルバーバーチは再生説を説くが、バーバネルは通常意識の時は再生は絶対にないと主張する。そのくせ入神すると再生説を説く。(晩年は信じるようになった──訳者)

 ささいなことだが、もう一つ興味深い事実を紹介すると、シルバーバーチの霊言を〝サイキックニューズ〟紙に掲載することになって速記録が取られるようになるまでのことであるが、バーバネルがベッドに入ると、その日の交霊会で自分が入神中にしゃべったことが霊耳に聞こえてくるのだった。

これには訳がある。バーバネルはもともと入神霊媒となるのが嫌だったのであるが、自分がしゃべったことを後で全部聞かせてくれるのならという約束をシルバーバーチとの間で取り付けていたのである。速記録が取られるようになると、それきりそういう現象は止まった。

 翌日その速記録が記事となったのを読んで、バーバネルは毎度の如くその文章の美しさに驚く───自分の口から出た言葉なのに。(この後の <シルバーバーチに最敬礼する> 参照)

 シルバーバーチは教えを説くことに専念しており、病気治療などは行わない。また心霊研究家が求めるような、証拠を意図したメッセージもあまり持ち出すことをしない。

誠に申し訳無いが自分の使命は霊的教訓を説くことに限られているので・・・・・・と言って、われわれ人間側の要求のすべてに応えられない理由を説明する。

 私は最近、各界の人物を交霊会に招いている。牧師、ジャーナリスト、その他あらゆる分野から招待しているが、シルバーバーチという人物にケチをつける者は一人としていない。

 そのうちの一人で若い牧師を招いた時に私は前もって〝あなたの考える得る限りの難解な質問を用意していらっしゃい〟と言っておいた。日ごろ仲間の牧師からさんざん悪口を聞かされている〝交霊会〟というものに出席するというので、この機会に思い切ってその〝霊〟とやらをやり込めてやろうと意気込んできたらしいが、

シルバーバーチが例によって〝摂理〟というものを易しい言葉で説明すると、若者はそれきり黙り込んでしまった。難解きわまる神学がいとも簡単に解きほぐされてしまったからである。

 さて、そのシルバーバーチを支配霊とする私のホームサークルは、毎週金曜日の夜に開かれる。(当初は週一回、中年からは月一回となり、晩年は不定期となった───訳者)その霊言は定期的にサイキックニューズ紙に掲載される。

その版権が私のホームサークルに所属するのは、サークルとしての私用を目的としてのことではなく、これを世界中に広めるためである。今ではシルバーバーチは地上のいかなる説教者よりも多くのフアンを持つに至っている。あらゆる国、あらゆる民族、あらゆる肌色の人種の人々に敬愛されている。

 しかし実を言うと、いったん活字になってしまうと、シルバーバーチの言葉もその崇高さ、その温かさ、その威厳に満ちた雰囲気の片鱗しか伝えることができない。

交霊会の出席者は思わず感涙にむせぶことすらあるのである。シルバーバーチがどんなに謙虚にしゃべっても、高貴にして偉大なる霊の前にいることをひしひしと感じる。決して人を諌めない。そして絶対に人の悪口を言わない。

 キリスト教では〝ナザレのイエス〟 という人物についてよく語るが、実際には本当のことはほとんど知らずに語っているし、イエスという人物が存在した証拠は何一つ持ち合わせない。シルバーバーチはそのイエスを、彼が連絡を取り合っている霊団の中でも最高の霊格を持つ存在に位置づけている。

永年にわたってシルバーバーチと親しく交わってきて私はその誠実な人柄に全幅の信頼を置いているので、われわれはシルバーバーチの言う通り、新約聖書の主役であるイエス・キリストは地上で開始した霊的革新の使命に今なお携わっていると確信する。

そう信じで初めて〝見よ!私はこの世の終わりまで常にあなた達とともにいる〟(マタイ28・20)というイエスの言葉の真実の意味が理解できる。今の教会ではこの説明はできない。

 シルバーバーチの哲学の基本的概念はいわゆる汎神論である。すなわち神は大自然そのものに内在し、不変の法則としてすべてを支配している。要するに神とはその法則(摂理)なのである。

それをシルバーバーチは〝あなたがたは大霊の中に存在し、また大霊はあなたがたの中に存在します〟と表現する。ということは、われわれ人間もみな潜在的にはミニチュアの神であり、絶対的創造原理の一部としての存在を有しているということである。

 もっともシルバーバーチは理屈をこね回すだけの議論には耳を貸さない。人間は何らかの仕事をするたためにこの地上へ来ているのだということを繰り返し説き、宗教とは〝人の為に自分を役立てること〟と単純明快に定義する。

そして、お粗末とはいえわれわれは、今この地上にあって戦争に終止符を打ち飢餓を食い止め、神の恩寵が世界中にふんだんに行きわたる時代を招来するための、霊の道具であることを力説する。

 〝われわれが忠誠を捧げるのは一つの教義でもなく、一冊の書物でもなく、一個の教会でもなく、生命の大霊とその永遠不変の摂理である〟───これがシルバーバーチの終始一貫して変わらぬ基本姿勢である。





シルバーバーチに最敬礼する                         モーリス・バーバネル

 シルバーバーチの教えは言わば言葉の錬金術、つまりアルファベットの二十六文字を操って輝くばかりの美しい言葉を生み出す能力の典型である。年がら年中物を書く仕事をしている人間から見れば、毎週毎週ぶっつけ本番でこれほど叡智に富んだ教えを素朴な雄弁さで説き続けることそれ自体が、すでに超人的であることを示している。

 ペンに生きる他のジャーナリストと同様、私も平易な文章ほど難しいものはないことを熟知している。誰しも単語を置き換えたり削ったり、文体を書き改めたり、字引や同義語辞典と首っ引きでやっと満足のいく記事ができ上がる。

ところがこの〝死者〟は一度も言葉に窮することなく、スラスラと完ぺきな文章を述べていく。その一文一文に良識が溢れ、人の心を鼓舞し、精神を高揚し、気高さを感じさせる。

 シルバーバーチは宗教とは互いに扶助し合うことに尽きると言う。神とは自然法則であり、腹を立てたり復讐心をむき出しにする人間的な神ではないと説く。その言葉の一つ一つがダイヤモンドの輝きに似たものがある。

その人物像もまさしく〝進化せる存在〟であり、全人類への愛に満ち、世故たけた人間の目には分からなくても、童子の如き心の持ち主には得心のいく真理を説き聞かそうとする。

迷える人類のために携えてきたメッセージは〝人のために自分を役立てなさい〟ということしかないと言いつつも、そのたった一つの福音の表現法はキリがないかに思えるほど多彩である。

 永年にわたってその霊言に親しんできた者として、ますます敬意を覚えるようになったこの名文家、文章の達人に私は最敬礼する。


一章 霊団の使命  
    
(1)私たち霊団の者も皆さんも、ともに大霊への奉仕者です。ただ私たちは皆さんよりホンの少しばかり先を歩んでいるというに過ぎません。そこでこうして引き返してきて、これまでに学んだものの中から皆さんのお役に立つものをお分けしようというわけです。

お互いに扶助し合うということが生命の根本原理だからです。互助の精神のないところには荒廃があるのみです。互助の精神のあるところには平和と幸せが生まれます。地上世界はその互助の精神によって新しい社会を築かないといけません。原理はいたって簡単なのです。人間がそれをややこしくしているのです。


(2)そもそも私たちが地上へ戻ってくる目的はそこにあるのです。すなわち、たった一冊の書物、たった一つの宗教、たった一人の指導者───それが地上の人間であっても霊界の存在であっても───そういう限られたものに自分のすべてを託してはいけない、それよりも神の摂理に従順であるように心掛けなさいと申し上げるためです。それだけは絶対に裏切らない、絶対に間違うということがないからです。


(3)地上世界にもこれまでに何度となく霊的啓示がもたらされ、そして失われていくということが繰り返されてまいりましたが、今度こそは前面に押し出して二度と失われることのないようにしようとの決意のもとに、大々的な努力がなされております。

私はそのための一個の道具に過ぎません。今度こそは物質万能主義と利己主義の勢力の跋扈を抑制し、人間がややもすると囚になってしまいがちな煩悩に負けないようにするための努力がなされております。そのためには日常生活の中にそうした霊的真理を生かしていくしかないのです。


(4)私たちがこうした真理の普及に努力するのは、それが霊的摂理のみならず物的法則とも密接に係わりあっているからです。私たちの目から見れば物質界も大霊の支配下の全大宇宙の一部であり、絶望の淵にあえぐ地上人類の苦悩に無関心でいては、宗教心を説く資格はありません。


(5)私は私をこの地上へ派遣した霊団の代弁者(マウスピース)に過ぎません。私自身の栄誉とか報賞とかを求める気持ちはみじんもございません。誇大に宣伝したり地上時代の偉そうな人物名を名乗ったりする趣味も持ち合わせません。

私はただこれまで申し上げたような霊的真理、永い間忘れ去られていた真理に改めて〝神の真理〟のシールをはって、こうして地上へお届けするための道具であることに喜びを感じているのです。


(6)私の役目は私の所属する霊団からのメッセージをお届けすることです。手塩にかけて養成したこの霊媒と私自身の霊力の力量の範囲内で受け取ったものを忠実に伝達する努力を続けてまいりました。私はただお役に立てばそれで良いのです。

もしも私がお伝えするささやかな教えが、人生の嵐の中にあるたった一個の魂の一服の憩いとなり、疑念の嵐をくぐり抜けた後の確信の港となれば、あるいは又、こうした一見何でもなさそうな素朴な霊的真理の聖域の中に幸せを見出し生き甲斐を覚えさせてあげることになれば、父なる神から仰せつかった仕事のいくばくかを成就したことになります。


(7)こうして私たちが霊的真理の普及に努力している一方には、この真理そのものよりもそれを伝える道具つまり通信霊の身元の詮索の方が大事だと思っている人が大勢いるようです。

その霊が地上で白人であろうが黒人であろうが黄色人種であろうがレッド・インディアンであろうが、それでどう違ってくるというのでしょう。

神の真理が教養豊かな人によって届けられようと無学な人によって届けられようと、それが真理に間違いなければ、純粋の真理でありさえすれば、そんなことはどうでもよいことではないでしょうか。


(8)私たちは物質の世界の子等がいかにすれば伸び伸びと生きることができるか、いかにすれば霊的真理の光に浴することができるか、いかにすれば人間的産物である教義への隷属状態から脱け出せるかをお教えしようと努力しているところです。

もとよりそれは容易な仕事ではありません。なぜなら、いったん宗教的束縛を受けるようになると、その迷信の厚い壁を真理の光が突きぬけるには永い時間を要するからです。


(9)強大な霊の勢力があなた方の物質の世界へ差し向けられております。すべての国において霊力の強い働きかけが感じ取れるようになるでしょう。地上世界にはびこる利己主義と無知に対抗して、なすべき大切な仕事があるからです。いずれはそれも征服されることでしょうが、それまでの過程において大変な苦悩があることでしょう。


(10)皆さんの味方として差し向けられる霊はいろいろです。地上で顔見知りだった人、血縁のあった人、さらにはそうした地上的縁とは無関係に、ただ地上人類への愛に動かされてやってくる高級霊もいます。

背後霊というと人間はとかく名前を知っている人たちのことを頭に浮かべがちですが、その他に、自分の存在を知ってもらいたいとも功績を認めてもらいたいとも思わず、ただ持てる霊力を役立てたい一心から働きかける霊が無数にいることを忘れないでください。


(11)霊にかかわることは慎重な配慮による養成と進歩を要します。急激な変心は永続きしません。私たちの仕事は永続性を目標にしているのです。一人また一人と、暗闇から光明へ、無知から知識へ、迷信から真理へと這い出るごとに地上世界が進歩するのです。その一人ひとりが物質第一主義の棺(ヒツギ)に打ち込む一本のクギなのです。


(12)私たちが行っている仕事が今後もますます要請されてまいります。地上世界は流血と悲劇と苦悩に溢れております。無明ゆえに神の摂理に沿った生き方をせずに、暗黒と絶望へ向かう道を選択してしまいました。

そこで私たちは希望と光明と安らぎと調和へ導く叡智をお教えしようとしているのです。それを地上の人間は無明ゆえに軽蔑しようとします。お届けするメッセージを拒絶します。霊力の働きかけを否定します。しかしそうした態度にはお構いなく真理は地上へ広がっていくことは間違いありません。大霊を始源としているからです。


(13)私が使用するこの霊媒の口からもしも皆さんの理性を反発させるもの、神の愛と矛盾すること、愚かしいこと、知性を侮辱するものが聞かれるようになったら、その時はもはや私の時代は終わったこと、私の仕事が挫折したことを意味します。


(14)スピリチュアリズムの活動は、放棄された信仰の瓦礫(ガレキ)の中にあって人類が懐疑と猜疑のために全てを拒絶してしまうことなく、実と殻、事実と神話とを選り分けて、どの宗教にも包蔵されていながら幼稚な人間的想像の産物の下に埋もれてきた霊的真理に目を向けるように導くという、大きな使命の一環なのです。


(15)こうして地上世界のための仕事に従事している私たちの多くは、これから先の地上はこうなるという未来像を見せていただいております。それを受け入れ能力のある地上の同志に伝え、挫けがちな心を鼓舞しております。

私が見せていただいた未来図に比べると現在の地上世界が非常に醜く見えます。が私には地上世界はこれほどまで立派になりうるのだ、こうならねばならないのだということが分かっております。あとは〝時間〟の問題です。それを早めるも遅らせるも人類の自覚一つに掛っております。

   
(16)人間はやはり神の摂理にのっとった生き方をしなければならないのだと思い知るまでは、混沌と破綻と悲劇と崩壊の止む時はないでしょう。私たちは人間も本来は〝霊〟であることを原理とした摂理を説くほかはありません。

なぜなら、物的なものが朽ち果ててチリとなった後になお残るのは霊的なものだからです。物的なものだけに目を向けている人間は大きな過ちを犯します。なぜなら、その生き方は幻影を追い求めて永遠なるものを忘れているからです。いたって簡単なことなのですが、そのことがいまだに理解されておりません。


(17)人間の心の中には常に〝人間的なもの〟と〝霊的なもの〟との葛藤があります。霊的なものが勝てば神との一体感を自覚します。人間的なものが勝った時は空しさを覚えます。

そこで私たちは人間を、本人がこれが一ばん良いと思っている道ではなく、この道の方がより大きな存在価値を発揮するという方向へ導いてあげる必要があるのです。


(18)身体の健康状態とは別に、皆さんを取り巻いている雰囲気と地上全体を取り巻いている大気が憎悪と凶暴性に満ちていて、私たちが突き抜けるのに苦心惨澹することがあります。霊の目には見るも恐ろしい様相を呈しております。

私たち霊団はそうした病める地上世界───貪欲をむき出しにし、利己主義が支配し、本来の霊的属性を発揮している人がホンの一握りしかいない世界を何とかして改めたいと望んでいるのです。


(19)全生命の基盤となっている永遠の実在に関する知識を広めることは、もとより私たちの仕事の一環です。生命は霊であり霊は生命だからです。

しかし同時に人間は肉体を携えた〝霊〟であり、霊を宿した肉体ではないということ、肉体はその所有者(オーナー)が自我を発揮するための仮の宿にすぎないという事実を、受け入れる用意のできた人たちに教えてあげることも大切な仕事です。


(20)困ったことに人間は自分に都合のよいことが都合のよいタイミングで生じてくれることを望みます。しかし私たちはそういう期待にはお応えしかねます。私たちには私たちなりのタイミングがあります。

皆さんよりは先見の明が開けておりますから、皆さんにとってその時点でどうなるのが一ばん良いかの判断は、皆さん自身よりは私たちの方が上です。地上の人間の祈りを聞いていると、もしもその通りに叶えさせてあげたら大変なことになりかねないことがたくさんあります。


(21)神も、しょせんは人間という物的な道具を使用するしかないのです。あなた方は霊力が地上へ働きかけるための道具です。ですから心を開き、受身的になり、先入観を取り除くことが大切です。人のために役立ちたいという願望を抱くことが大切です。その願望に感応して、そのために必要な援助が届けられます。


(22)改めて申し上げるまでもないことですが、私たちは皆さん方の献身的奉仕精神に呼応して献身するということに徹しており、その精神が無視されることは絶対にありません。と言って私たちによる援助は必ずしも皆さんが望んでおられる通りのものとはかぎりません。

結果的に皆さんにとって好ましい形になるように、まず霊的理解力を培うことに努力します。皆さんの我がままに負けて程度を下げた形で妥協するよりも、高度なレベルまで皆さんに向上していただく方が良いにきまっています。

ここにお集まりの方だけでなく、世界各地の受け入れる用意のできた人々に、真の自我に目覚めていただこうと私たちが努力しているそもそもの目的は結局はそこにあるのであり、それが私たちが皆さんに求める理想なのです。

   
(23)私たちは命令はしません。皆さん方をロボットや操り人形のように扱うことはしません。協力者であってほしいのです。インスピレーション、コミュニケーション、ヒーリング、その他いかなる形にせよ、霊力を地上へ届ける道具としての受容性を伸ばしていただきたいのです。


(24)皆さんがシルバーバーチとお呼びくださっている私は、霊界の無限の知識のホンの一部を託されているだけです。ですが、皆さんがさらに進化すれば、私よりもっと立派な指導霊が、私を利用して一段と高い次元の知識と叡智を授ける手筈を整えております。


(25)もうこれでおしまいという段階は来ません。完全というものは存在しないのです。皆さんも私も進化の途上にあります。そして私より進化した霊の話によりますと、その上にも更に進化した神霊が働いているということです。


(26)正しい知識を地上に普及させる───これが私たち霊団の使命の一環です。一環とはいえ大変な仕事です。霊的実在に関する地上世界の余りの無知に、このまま放置していては大変なことになるとの認識がこちらの世界で広まりました。その無知による弊害があらゆる面で顕著になってきたからです。地上世界だけではありません。

 霊界側にもそれが反映されはじめたのです。どの宗教も自分のところの教義を信じた者は死後たちまち光輝あふれる霊となって、悩みや労苦から解放されるかに説いておりますが、事実はそうではありません。これほど真実からかけ離れた教えはありません。


(27)地上世界の無知による弊害を見るに忍びず、これは何としても思い切った手段を講じて霊的実在に関する正しい知識を普及させなければとの決断がなされました。私がこうして何十年にもわたってこのサークルで語り続けているのもその一環です。

〝霊的〟というと何か摑みどころのない神秘的なものを想像なさりがちですが、そうではなくて実在そのものなのです。何代にもわたって引き継がれてきた誤解・無知・偏見・虚言・虚偽・迷信───要するに無数の人類を暗黒の抑圧の中に閉じ込めてきた勢力を取り除かねばなりませんでしたし、今なおそれを続けております。



 シルバーバーチの祈り

 ああ、神よ。あなたは無限なる摂理におわします。無限なる叡智におわします。無限なる愛におわします。無限なる知識におわします。無限なるインスピレーションにおわします。

 私たちがあなたへの讃仰の祈りを捧げるのは、あなたが全世界の中心にあらせられるからにほかなりませぬ。生命はあなたと共にあり、あなた無くして何一つ存在できませぬ。なぜなら、あなたは全生命にみなぎり、すべてを支え、すべてを包摂しておられるからでございます。

あなたは私たち人間的生命のすべてに神性の一部を賦与され、それが地上の民族のすべてをあなたと一体ならしめていると理解いたしております。

 大いなる神よ、それ故に私たちはあなたへの祈りにおいて決して原罪を恥じて恐れおののきつつ膝を屈することなどはいたしませぬ。これまでに授かった知識に照らし、私たちもあなたの一部であり、私たちの存在なくしてあなたも存しえぬとの理解のもとに祈ります。

あなたの子たる私たちすべてにあなたの霊性が宿り、それが常により高い顕現を求め、私たちを通して御心の成就を求めているとの理解のもとに、浩然の気概をもってあなたの御前に立ちます。

 ああ、神よ、地上の子等に霊的摂理を教える機会をお与え下さったことに、私たちは深甚なる感謝を捧げます。その摂理を手にした子等の援助を得て私どもは、あなたの壮大な計画を啓示することによってあなたと物質の世界に貢献し、その知識が地上の全民族に地上生活の目的を理解せしめ、すべての無知を駆逐することになるのでございます。

 あなたの力がすべての弱みを補強します。あなたの光がすべての暗闇を照らします。そしてすべての不幸と悲劇が、喜びと幸せによって置き代えられることになるのでございます。

Saturday, June 27, 2026

最後の晩餐シルバーバーチの霊訓(十一)

 More Philosophy of Silver BirchEdited 

by Tony Ortzen


八章 最後の晩餐

 訳者前置き───本章はシルバーバーチの交霊会を録音したカセットテープ Silver Birch Speaks<シルバ-バーチは語る>の全訳である。原書では部分的に1/3程度が紹介されているが、本書では全部を紹介することにした。シルバーバーチの交霊会は初期の頃は速記のみで、その後は速記と録音とによってすべて保存されているが、市販用にカセットテープに収められたのは、これまでのところこれが唯一である。

〝最後の晩餐〟という見出しは、たまたま出席者の数がキリストの最後の晩餐の時と同じ十三人だったので、リーバ女史がそう呼んだのであるが、シルバーバーチの霊訓の最後を飾るものとしてもふさわしいので、そのまま用いた。

訳文の中で(後注1、2、3、4)として章末にまとめたものは原書をお持ちの方への配慮である。

 なおカセットテープと原書をご希望の方は巻末の〝訳者あとがき〟を参照されたい。入神したバーバネルに乗り移っていよいよ話せる用意の整ったシルバーバーチが冒頭に呼びかけているサム・デニス Sam Dennis は司会者で、他のカセットでも司会やインタビュアーの役をしている人である。(この八章の会話行頭の───はすべてサム・デニス氏)

 最初に女性の声でこのカセットの内容についても解説があり、最後に〝それではシルバーバーチ霊に語っていただきましょう〟と結んだあと、シルバーバーチの次のような言葉で会が始まる。(カッコ内はすべて訳者による)


 サム・デニスさん、始めることにいたしましょう。

───よろしくお願いします。(後注1)

 皆様に大霊の祝福のあらんことを。
 本日もいつもの順序で会を進めることとし、悩みごとや厄介なこと、心配ごとや不安はとりあえず脇へ置いていただきましょう。そしてお互いが可能な限り和気あいあいのうちに最高のものを求めんとする願望において一つとなるよう努力いたしましょう。(次第に開会の祈り(インボケーション)にはいる)

 無限なる愛と叡智の根源である大霊を超えるものは誰一人、何一つ存在し得ません。その大霊こそが、私たちの住まうこの果てしなき宇宙の責任者であらせられ、その無限なる知性が、巨大と微細とを問わず、また複雑と単純とを問わず、ありとあらゆる存在を支配し規制する摂理の全てを創案し維持しておられます。

それが、およそ例外というものを知らない不変不動の法則に従って一糸乱れることなく働いているのでございます。

 私たちはその崇高なる力に深甚なる敬意を表するものでございます。その力が驚異的真理を啓示し、それが私たちの精神の領域を広げ、自分とは一体誰なのか、また何者なのかについてのより大きな理解を与え、さらには、われわれのすべてをその懐に抱きかつ支配する崇高なる力について一層明瞭なる心象を抱かせてくれるところとなりました。

その驚異的機構の中にあっては、誰一人、何一つ、見落とされることも忘れ去られることも、あるいは無視されることもございません。いずこにあろうと、ありとあらゆる存在が扶養と供給を受けるよう配慮されているのでございます。

 同時に私どもは、いついかなる時も私たちの背後には強大なる高級霊団が控えていることも認識いたしております。その望むところはただ一つ、私たちのために力を貸し、代わって私たちが恵まれぬ人たちのために力を貸すようになる、ということでございます。

私たちはこれまで多大の援助を受け、慰めを与えられ、導きを得てきたからには、こんどは代わって私たちが、授かった才能のすべてを駆使して、死別の悲しみの中にある人には慰めを、病の苦しみの中にある人には癒しを、悩める人には導きを、人生に疲れた人には力を、

道を見失える人には道しるべを与え、彼らを取り巻く暗闇に光輝溢れる真理の光明をもたらしてあげる心の用意を常に整えさせ給わんことを。

 ここに、常に己れを役立てることをのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを捧げます。


 本日こうして皆さんのもとへ参り、霊の世界からの愛とメッセージをお届けできることを嬉しく思います。今夜の集りの特別な目的(市販の為の録音をすること)はよく存じております。

そこで私は、私の言葉をお聞き下さる方々のために、私の使命ならびに私と同じ願いに動かされている霊団の使命の背後に託された目的をまずご説明するのが適切と考えた次第です。 (それを冒頭の祈りの中で簡単に述べたということ)

 霊的なことはこれが初めてという方々に申し上げたいのは、私は皆さんと同じ一個の人間的存在であるということです。ただ私は、私の言葉をお聞きくださっている方のどなたよりも永い人生を生きてまいりました。

そしてこの地上より遥か彼方の世界における経験のたまものとして私は、あなた方が神と呼んでおられる大霊、ならびにその大霊の意志を究極において是非とも行きわたらせるために案出された大自然の摂理について、いくばくかの知識を手にいたしました。

 その経験の結果学んだものを、私は受け入れて下さる方に喜んでお分けしたいと思います。何かのお役に立つものと考えるからです。私はいかなる意味においても神さまのような存在ではございません。

私はまだまだ人間的要素を残しており、誤りも犯せば弱点もあり、不完全です。皆さん方のどなたとも同じように、まだまだ完全へ向けての長い長い道のりがあります。それは無限に続く道です。

 しかし私は、他の同僚と同じように、これまでに辿ってきた道を後戻りして、その間に得た真理と叡智と知識のいくばくかを披露して、それを皆さん方にもお分けするようにとの要請を受けたのです。

と同時に、私たちに協力してくださる方々の援助を得て、千変万化の生命形態のすべてを支配する崇高なる霊力を利用して、霊媒的能力を持つ人々を通じて恵み深い目的を果たすように手筈を整えることもできます。

 過去においても同じ霊力が流入して、今日の人が奇跡とみなしているところの驚異的な現象を演出いたしました。が、ここで申し上げておきたいのは、いかなる現象にも自然法則というものが働いており、それはいかなる力によっても停止されたり廃止されたりすることはあり得ず、原因に従って結果が生じるという整然たる因果律にのっとって働くほかはないということです。

  
 過去において発生したものも、それがいかに目を見張らせるものであろうと、いかに度肝を抜くようなものであろうと、いかに途方もないものであろうと、いかに驚異的なものであろうと、かならず自然法則の働きによって生じていたのです。

その法則は物質の領域においてだけでなく、霊的領域においても絶え間なく働いており、条件さえ整えば、霊的法則(スピリチュアル)・心霊的法則(サイキック)・半物質的法則(アストラル) (※)・エーテル的法則を総動員して、かつては奇跡と呼ばれ、今日では交霊会において霊媒的能力によって演出される、いわゆる心霊的現象を起こすことができます。

(※ 物的身体と霊的身体とをつなぐ媒体を複体(ダブル)と呼んでいるが、これがエーテル的な半物質体でできている。ここではその生理的法則のことを言っている)

さて、霊媒というのは霊的能力を授けられている人間のことで、それをバイブルの中で使徒パウロがうまく説明しております(コリント①12)。こうした能力は神から授かるものであり、授かった者は、それを開発することによって神の恵みが届けられる通路として使用されることが可能となるわけです。

 霊媒による現象は全て霊力の作用によります。したがってそれを今ご覧になっている皆さんは、かつて〝聖なる地〟と呼ばれた地方において起きていたのとまったく同じ現象を見ていることになるのです。大霊は不変です。自然の摂理も不変です。

それが今も昔と同じく作用していることは、かつて(三千年前に)この地上で生活したことのあるこの私が今こうして霊力を利用することによって霊媒を通じて皆さんに語りかけることができるという事実が証明しております。

 もう一つご説明したいことがあります。それは、私たちは途方もなく大きい霊的組織の一翼を担っており、総合的な基本計画とでも申し上げたいものを推進しているということです。

その基本計画は、霊力が引き続き地上へ流入してますます多くの人々の元に行きわたり、無知と過りと迷信を駆逐して正しい真理と知識の光明のもとへ誘い、かくして地上へ生を受けたその目的に沿って各自が神の意図された通りに生き天命を全うするようにもくろまれているのです。

 霊力は人間の記憶を絶した遠い過去の時代から間断なく地上へ流入しております。ただ、これまではそれが一時的で散発的なものに過ぎませんでした。

驚異的な出来事も、神わざのような現象も、啓示された教えも、その時代その民族に似合ったものが授けられたのでした。が、やがてそれが朽ち始めます。せっかく啓示されたものに政治的、神学的、時には国家的利害のからんだ、意図的な作為がなされたのです。

 しかし今は違います。先ほど申し上げた総合的計画というものがありますから、霊力はすでに地上に立派に根づいております。なぜか。どうしてもそうしなければならない必要性が生じているからです。

 組織的宗教は数多く存在しますが、地上の人間に真の自我を見出させ、生命の根源である神性を発現させるような理想に沿って生きる、その指針を提供することはできませんでした。何よりもまず〝霊性〟が日常生活の中で顕著とならないといけません。

皆さんの住んでおられる地上というところは、とても暗い世界です。騒乱と暴力沙汰が絶えず、貪欲と妬みに満ちております。大霊の代わりに富の神が崇められております。今なお間違った偶像が崇拝の対象とされています。

 すでに地上にもたらされている証拠を理性的に判断なされば、生命は本質が霊的なものであるが故に、肉体に死が訪れても決して滅びることはあり得ないことを得心なさるはずです。

物質はただの殻に過ぎません。霊こそ実在です。物質は霊が活力を与えているから存在しているに過ぎません。その生命源である霊が引っ込めば、物質は瓦壊してチリに戻ります。が、真の自我である霊は滅びません。霊は永遠です。死ぬということはあり得ないのです。

 死は霊の第二の誕生です。第一の誕生は地上へ生を受けて肉体を通して表現し始めた時です。第二の誕生はその肉体に別れを告げて霊界へ赴き、無限の進化へ向けての永遠の道を途切れることなく歩み始めた時です。

 あなたは死のうにも死ねないのです。生命に死はないのです。不滅の個霊としてのあなたはその肉体の死後も生き続け、あなたという個的存在を構成しているものはすべて存続するという事実を立証するだけの証拠は、すでに揃っております。

死後も立派に意識があり、自覚があり、記憶があり、理性を働かせ愛を表現する力が具わっています。愛は神性の一つなのです。愛はその最高の形においては神々しさを帯びたものとなります。そして、生命と同じく、不滅です。

 私たち霊団はなぜこの地上へ戻ってくるのか?数々の心痛と難題と苦悶と災難と逆境の渦巻く地上世界へ永遠に別れを告げることは、いとも簡単なことです。しかし、私たちには地上人類への愛があります。そして又、それに劣らない愛の絆によってあなた方と結ばれている霊(地上的血縁で繋がっている霊や類魂)も存在します。

 教会で行われる婚礼では 〝死が二人を別つまで〟という言い方をしますが、もしも二人が霊的に結ばれていなければ、死が訪れる前から二人は別れております。そこに愛があれば二人を別れさせるものは何もありません。

愛は宇宙における強力なエネルギーの一つです。ひたすら人類のためと思って働いている霊界の高級霊を動かしているのも愛なのです。

 私たちは自分自身のことは何一つ求めません。崇拝していただこうとは思いません。敬っていただこうとも思いません。もしも私たちが何かのお役に立てば、そのことを神に感謝していただき、ご自身が恩恵を受けたそのお返しに同胞へ恩恵を施してあげて下されば、それでいいのです。

 今地上にはびこっている欲望は是非とも愛と置き代えないといけません。なぜならば愛は霊性の表現の一つだからです。愛はいろいろな形をとります。哀れみ、奉仕、友情、協力などです。人間は、誰であろうと、いずこにいようと、お互いがお互いに無くてはならない存在です。肌の色、階級、国家、言語───こうしたものは物質的な相違に過ぎません。

 霊的に言えば皆さんはお互いにつながり合った関係にあります。人類は一大霊的家族を構成しているのです。なぜなら、霊性という共通の要素が、神とのつながりと同じように、切っても切れない絆によってしっかりとお互いを結びつけているからです。

 その力は、とかく離反させるそうした物的相違のいずれよりも強力です。皆さんはその霊力を最大限に発揮させなければいけません。真の自己革新とは何かを知らなくてはいけません。

物的欲望に拘らないという意味で〝我を捨てる〟ことが必要です。(後注2)それは〝霊の宮〟である身体を養うための物的必需品まで捨てなさいという意味ではありません。

  しかし、それと同等に〝永遠のあなた〟である霊の属性も大切にしなくてはいけません。あなたに潜在する神性を最大限に発揮し、あなたの存在の本来のあり方である同胞関係を実践しなくてはいけません。魂は白色でも黄色でも黒色でも赤色でもありません。魂には特殊な色も人種上の差別もありません。

 この事実をよく理解し実践しなくてはなりません。人類の優越性はその内部の神性を開発し、それを愛と哀れみと思いやりの形で他の同胞のみならず、同じ地球上に住む動物に対しても発揮するようになって初めて得られるのです。

地上の至る所で行われている無益な残虐行為と乱獲は止めないといけません。真の平和は人類がその霊的起源と天命に恥じない行為を実践できるようになった時に訪れます。

 私が申し上げることはすべて、皆さんの日常生活に少しでも理解と知識と真理と叡智をもたらしてあげたいという一念から出ているのです。が、それの基本となっている原理の中には、皆さんが子供の時から教えられてきた神学的な教義やドグマや信条と対立するものがあることは十分に考えられます。

 私たちは皆さんの理性に訴えているのです。もしも私たちの言うことと態度にあなた方の知性を侮辱し理性を反発させるようなものがあれば、それはどうぞ受け入れないでください。私たちはあなた方の理性、あなた方の知性による納得を得たいのです。

その上でなら、私たちの仕事の協力者として、神の意志を地上に行きわたらせるための道具となっていただけるでしょう。そしてそれが地上平和の到来を促進することになりましょう。

 かくして霊的資質を十分に発揮するようになれば、その当然の結果として、豊かさと光輝と落着きと決意と自覚と内的安らぎが得られます。なぜならば、それは神が生み出した摂理と調和していることを意味し、さらには、各自がその一部を宿している神性の大源である神そのものと一体となっていることになるからです。
 神の祝福のあらんことを。


 サム、以上で私が用意してきたものは終わりました。聞こえますでしょうか。

───ええ、よく聞こえております。


 それでは、もし何かご質問があれば・・・・・・皆さんご用意はよろしいでしょうか。

───結構です。用意はできております。結構です。


 もしご質問なさりたいことがあれば、精いっぱいお答えいたしましょう。

───これは多くの知人からよく聞かれることで、とても厄介なことになっている問題ですが、つまり人間はいつ死んだと言えるかという問題です。最近の新聞やテレビでも、いつ本当に死んだことになるかについて医師や法律家の間で随分議論されております。

心臓が停止したら死んだことになると言う人もいれば、脳死を持って本当に死だと主張する人もいます。あなたは何を持って〝死んだ〟と判断すべきだとお考えですか───この地球という惑星へ別れを告げる時、つまり物的身体と別れるのは・・・・・。

 分かりました。ご承知の通り人間には霊が宿っています。その身体を生かしめている、神性を帯びた存在です。そして、その霊によって活力を与えられて初めて存在を得ている物的身体を具えています。

 すでに述べましたように、霊が最終的に引っ込んだ時───この〝最終的に〟というところをここで特に強調しておきます。なぜなら一時的ならば毎晩寝入るごとに引っ込み、朝目が覚めると戻っているからです───霊が最終的に引っ込んでしまえば、物的身体は活力源を失うので、死が訪れます。

 さて、いわゆる〝霊視能力〟を持った人が見ると分かりますが、霊体と肉とをつないでいるコード(玉の緒)が霊体から次第に離れるにつれて伸びていき、それがついに切れた時、両者の分離が最終的に完了します。その分離の瞬間が死であり、そうなったら最後、地上のいかなる手段を持ってしても、肉体を生き返らせることはできません。


───そもそもこの問題が生じたのは臓器を摘出する技術が新たに開発されたからです。今日では医師は生きた心臓とか腎臓を頂戴するために人が死ぬのを待っているという状態です。そこで問題となるのが〝この人は本当に死んでいるか〟〝もう臓器を摘出することが許されるか〟ということで、それが医師を悩ませる深刻な問題となっているわけです。

 臓器移植については私もよく存じております。そして又、その動機が立派である場合が多いことも知っております。ですが私は、人間のいかなる臓器も他人に移植することには反対であると申し上げざるを得ません。

 そもそも死というのは少しも怖いものではありません。死は大いなる解放者です。(このあたりから〝大勢いるのです〟というところまで、おかしさを噛み殺した言い方でしゃべっている)

 死は自由をもたらしてくれます。皆さんは赤ん坊が生まれると喜びます。が、私たちの世界ではこれから地上へ生まれていく人を泣いて見送る人が大勢いるのです。同じように、地上では人が死ぬと泣いて悲しみますが、私たちの世界ではその霊を喜んで迎えているのです。

なぜならば、死の訪れは地上生活が果たすべき目的を果たし終えて、次の霊界が提供してくれる莫大な豊かさと美しさを味わう用意がこの霊に具わったことを意味するからです。


───もう一つ、多くの人を悩ませているのは、死後の死体の取り扱いの問題です。人によっては、死体をいじくり回す前は一定の時間そっとしておいてあげる必要があると信じており、そういう人たちは、今日の医学界では人が死ぬとさっさと実験室へ運び込んで医学実験ないしは教材として使用する傾向があるので心配しているわけす。死後すぐに死体をいじくり回すと魂または霊に何らかの害があるでしょうか。

 それはその霊が霊的なことについての知識があるか否かによって違います。何も知らない場合は一時的に障害が及ぶことがあります。なぜかと言えば、例え肉体と霊体とをつないでいるコードが切れても、それまでの永年にわたる一体関係の名残りで、ある程度の相互作用が続いていることがあるからです。

 一般的に言えば、霊的なことにまったく無知だった人の場合は、埋葬ないし火葬を行う前に三日間は合間を置くことをすすめます。それから後はどうなさろうと構いません。死体を何かの役に立てるために提供したいのであれば、それは当事者がそう決断なさればよろしい。

 ただ、次のことも申し添えておきます。人間には生まれるべき時があり、死すべき時があります。もしその死すべき時が来ておれば、たとえ臓器移植をしても、肉体をそれ以上地上に永らえさせることはできません。


───それと関連した問題として〝突発事故〟による死の問題があります。たとえば百二十人の乗客を乗せた飛行機が離陸して十五分後に爆発して全員が即死したとします。この場合は乗客の魂または霊にどういう影響があるでしょうか。

 今申し上げたのとまったく同じことです。霊的実在についての知識がある場合は何の影響もありません。知識のない人はショックによる影響があります。しかし、いずれ時の経過とともに意識と自覚を取り戻します。

───天命を全うしないうちに突発事故で他界した場合、次の再生が早まることになるのでしょうか。

 私はその〝突発事故〟という用語が気に入りません。原因と結果の要素以外には何も働いていないからです。〝たまたま〟と思われるものも因果律の作用に過ぎないものです。再生の問題についてですが、これは大変複雑な問題で、もっと時間を頂かないと十分なお答えが出来ません。


───最後に・・・・・最近私はルドルフ・シュタイナーの本を読んだのですが、その中で彼は 〝死者へ向かって読んで聞かせる〟 という供養の仕方を説いております。この 〝読んで聞かせる〟 ことの効用についてご教示を仰ぎたいのですが。

 〝死者〟というのは何のことでしょうか。


───ですから、物的身体から離れて霊界へ行った人たちです。

 ああ、なるほど ! 私はまた、目の前に横たわっている死体に向かって読んで聞かせるのかと思いました。 (ここでシルバーバーチは独特の含み笑いをする)


───違いますよ!

 そうすることで一体どうなると言っているのでしょうか。(後注3)


───何人かの弟子達が他界した親類縁者へ向けて毎日かなりの時間、ある教えを読んで聞かせるというのです。それを聞くことで、その親類縁者の霊がよい影響を受けると考えているわけです。

 別に害はないでしょうが、たいして益になるとも思えません。こちらの世界には受け入れる用意のできた人なら誰でも知識が得られるように、たくさんの施設が用意してあります。受け入れる素地ができていなければ受け入れることはできません。それをそちらでしようと、こちらでしようと、それは同じことです。

そうでしょう、サム、師は弟子に応じて法を説くほかはないわけでしょう。(訳者注──原則的にはシルバーバーチの言っている通りかもしれないし、事実、霊界ではわれわれの想像を超えた規模で地縛霊の救済が行われているのであるが、それとは別に、愛着を覚える人間に意識的にあるいは無意識のうちに寄り添ってくる霊がいて、

その人間が考えていることや読んでいるものによって感化されるということは実際にあるようである。背後霊がそう仕向けるのである。

その意味からも私は、読経のように形式化するのは感心しないにしても、例えばシルバーバーチの名言を繰り返し読んだり祈りの言葉を声に出して唱えることは、自分の魂の高揚になるだけでなく、聞いてくれているかもしれない霊にとっても勉強になると考えている。

シルバーバーチは〝よくあなた方はご自分で想像しておられる以上に役に立っておられますよ〟と言っているが、それはそういう意味も含まれているのではないかと考えている)


───まったくおっしゃる通りです。では最後に、霊体への心霊治療についてお伺いします。医学では物的身体しか治しませんが、最近エーテル体(※)の治療を熱心に行っているところがあります。それは可能なこと、実際にありうることでしょうか。

(※ 霊的身体にも幾つかあるが、セオソフィ―などではその一つをエーテル体と呼んでいる。一方、英米の心霊家には肉体以外の身体を総合してエーテル体と呼んでいる人が多い。が、ここでは〝複体〟(ダブル)という肉体と幽体との接着剤にあたる半物質体のことを言っている。チャップマン氏の〝霊体手術〟も実際にはこの複体を手術している)

 本当の霊的治療の仕組みは至って単純です。人間は肉体をたずさえた霊であり、霊をたずさえた肉体ではありません。その肉体が健康を損ねる、つまり病的状態となって、その結果苦痛を覚えるようになったら、それは健康を保たせている調和あるいは円満性が崩れているという単純な事実の表われです。

また人間には霊と肉体だけでなく精神もあります。霊が自我を表現し肉体を機能させるための機関です。(別のところでは〝コントロールルーム〟のようなものと言っている)

 さて霊的治療においては大始源から発せられる霊的エネルギーが霊的な治癒能力を持つ治療家に送られ、それが治療家を通して今度は患者の霊へ向けて発射されます。

その仕組みは〝霊から霊を通して霊へ〟というふうに、至って単純に表現することができます。すべての操作が霊的なものなのです。

 霊は生命力ですから、不調和状態───調和を阻害している何か、障害となっている何かがあって精神と霊と肉体という三つの側面が有効に機能していない状態───を改善して調和状態を取り戻させようとします。それが効を奏すると、一体性つまり健康が患者に戻ります。

 それをエーテル体(複体)を通して行うか霊体を通して行うか幽体を通して行うかは、単なる技術上(テクニック)の問題に過ぎません。肝心なことは霊力が患者の霊を再充電して、本来の能力を取り戻させ調和を回復させることです。


───どうも有難うございました。

 ほかに質問はありませんね?(少し間を置いて)よろしい。それでは、これからサークルの皆さんにお一人ずつお話することに致しましょう(これがいつものしきたりで、個人的な相談を受ける。それは当然カセットでは省略されている)
 

───有難うございます。

 いえ、お礼はよろしい。私はお礼は頂戴しません。

 (個人相談が終わって閉会の祈り(ベネディクション)で締めくくる)

 私のすべての同志に対して、私からの愛の気持ちをお届したいと思います。その方たちの多くはまだ一度もお会いしたことがございません。しかし皆さんからお寄せくださる愛と好意の念を私はいつも有難く思い、それがあればこそこうして地上での仕事ができているという事実を知っていただきたく思います。

 これは容易ならざる仕事です。私はこれを一つの素晴らしい挑戦としてお引き受けしたのです。地上は冷ややかな世界です。荒涼として陰うつで暗い世界です。しかし、その中にあって私たちはそこここに愛と好意と友情の炉辺(ロバタ)を見出し、そこで魂を温め、そうした地上の灯台から放たれる光輝を見る楽しさを味わうことができております。

 また新参の方々には〝導きを祈り求めなさい。知識を祈り求めなさい。真理を祈り求めなさい。必ずや授かります〟と申し上げたいと思います。昔から〝求めよ、さらば与えられん。叩けよ、さらば開かれん〟と言われておりますが、これはまさしく至言です。

 それではこれを(カセットで)お聞き下さる方々、ならびに本日ここにおいでの皆様にも、常に大霊の祝福のあらんことを(後注4)。


注1、直訳すれば「私に声をお掛けくださってありがとう」 となるが、ここはデニス氏個人ではなく交霊会の司会者としての挨拶と取るべきところ。

注2、直訳すれば 「欲望が物的であるという意味においての〝我〟を忘れないといけない」 となるが、裏返せば本文のようになる。

注3、この言葉には〝さっきの話ではその点が分からなかった〟というニュアンスが含まれている。

注4、原文では同じ文句のくり返しになっているが、すぐ前の言葉から、訳文のような気持ちで述べていることが推察される。                     



 訳者あとがき

 本書はトニー・オーツセン編の第八巻とパム・リーバ編の第十巻の双方からカットしておいたもので構成した。と言って、残りものの寄せ集めというわけでは決してない。第十二巻の〝名言集〟を除けばこれが実質的に最後となるので、〝最後を飾るにふさわしいもの〟を取っておいたというのが本当のところである。

 シルバーバーチの霊言はどの巻のどの説を読んでも、そこに必ず〝やっぱりシルバーバーチだ〟と思わせる雰囲気が漂っているが、これまで私は日本人としての訳者の立場から、日本人の読者感覚を念頭に置いて、一冊一冊に特徴を持たせるように編集の仕方に工夫を凝らしたつもりである。

 そのために本書のように複数の編者によるものがないまぜになったものが何冊かあるが、元はと言えばすべてハンネン・スワッハー・ホームサークルによって保管されている速記録とテープ録音から各編者が思い通りに抜き出して編纂したものであり、それを私がさらに日本語シリーズ用に再編集したわけで、問題はないであろう。

そうした編集方針については現在のサイキックニューズ社の代表であるトニー・オーツセンと会った時に口頭で諒解を得てある。

 さて、八章の〝最後の晩餐〟は奇しくもキリストの最後の晩餐の時と同じく13人で行われた交霊会のもので、これが Silver Birch Speaks <シルバーバーチは語る>と題するカセットとなって発売されている。

意外なことに、シルバーバーチのカセットはこれまでのところこれ一巻しか出ていない。〝SB1〟という記号が入っているところを見ると〝SB2〟〝SB3〟をこれから出す予定であることが推察される。そう望みたいものである。

 それはともかくとして、リーバ女史は原典でその三分の一程度を、内容に応じて各章に分散して紹介している。が、私はその全部を私自身が筆録して翻訳し、本章で一挙に紹介した。

シルバーバーチの霊訓(十一)

 More Philosophy of Silver Birch

Edited by Tony Ortzen


七章 人類の宿題  ───地上天国の建設     

 科学技術の急速な発達は目を見張るものがあるが、最近の情勢を見ていると、それがうっかりすると今よりさらに恐ろしい戦争と破壊の凶器をこしらえることになりかねない気がする。人間の人間に対する非人間的行為が相変らず後を絶たない。

果たして完全に終止符が打たれる日が来るのだろうか。お互いが霊的に兄弟であり姉妹であるという認識のもとに暮らせる真に平和な時代が本当に来るのだろうか。殺し合いは避けがたい人間の宿命なのだろうか。戦争は正当化されうるものだろうか。霊界はこうした地上世界をどう見ているのだろうか。  

 本章はこうした問題についてのシルバーバーチの知恵に耳を傾けることにしよう。


───今日の世界の風潮、物的利益優先の考え、暴力、そのほか〝文明国〟と呼ばれる国においてますます増加しつつある恐ろしいことを憂慮する人たちへ何かメッセージをいただけないでしょうか。果たして希望はあるのでしょうか。

 大霊の御心は必ずや行きわたります、と申し上げます。人類の霊的革新及び動物問題の改善に関わる仕事にたずさわる者、無駄な苦しみから救い、残虐行為を止めさせ、いつどこにいても人の力になってあげる仕事に献身する者は、絶対に弱気になってはいけません、と申し上げます。


 地上天国はいつの日かきっと成就されますが、それはゆっくりとした段階をへながら、そして時には苦痛を伴いながら成就されてまいります。おっしゃるような暴力・混乱・衝突・戦争・残虐行為が増えつつあるのは、今地上世界がオーバーホール(修理・点検の為の全面的解体作業)の過程にあるからです。

 すでに多くの伝統的思想が葬り去られました。若者は自由を求めて騒ぎたてております。又、あまりに永いあいだ手枷足枷となってきた制度、しかも何の努力もしない一部の階層の特権をこしらえている制度に対する不満がもはや抑制できなくなっております。

 そうしたるつぼの真っ只中にいる人間にとっては、その背後の神の意図を読み取ることは難しいことです、しかし歴史を振り返ってごらんになれば、そこには段階的な進化の跡があることに気づかれるはずです。

 総体的にみて人類はかつてより親切心と寛容心が増え、その一方において偏見と残虐行為と抑圧政策がのさばっております。これは物的宇宙の進化の仕組みの一環なのです。つまり対立する勢力が激突して、そこからより良いものが生まれ、全体として進化していくということです。


 気を落としてはなりません。大切なのは霊的真理と霊力とが世界の多くの土地にしっかりとした足場をつくり、退却させられることがないようにすることです。それが至るところに恵み多い影響力を及ぼし、全体としてパン種の働きをしつづけます。

その影響力が浸透するにつれて暗闇と無知と愚行と蛮行を追い払い、地上世界を汚している醜悪と邪悪を駆逐していくことでしょう。

 明るい希望と楽観の根拠がいつでも十分に揃っているのです。なぜなら大霊の働きの休む時はないからです。


───われわれがスピリチュアリズムと呼んでいる神のメッセージが届けられたのも、その働きの現れだと私は思います。

 それでこのたびの大事業を敢行する決断が下されたのです。それも、これまでに幾度かあったような一時的暴発に終わらせてはならないということになっているのです。ですから、いったん根づいたものは徹底的に地固めが行われ、地上の永続的な要素となっていくことでしょう。


───地上世界は渦巻き状(スパイラル)に進化しているように思います。

 おっしゃる通りです。その渦巻の一ばん底は恐ろしい様相を呈していても上層部は実に明るい展望が開けております。落胆してはいけません。霊的知識を携えた者が絶望感を抱くようなことがあってはなりません。このことはすでに何度も申し上げてまいりました。大霊は宇宙創造の当初からずっと地球を管理しておりますから、次になすべきこともちゃんとご存知です。

 もう一つ別の側面もあります。人間社会のあらゆる分野で古い概念が覆され廃棄されていきつつあります。その多くはあまりに永いあいだ人間を迷わせてきた間違った概念です。これから徐々に愛と善の勢力が欲得づくの勢力と取って代わり、生活状態が改善されていくことでしょう。

 大切なのは取り越し苦労をしないということです。心配の念は私たち霊界から援助する者にとって非常に厄介な障害です。拒否的性質があります。腐食性があります。恐れ・心配・不安、こうしたものはその人を包む物的・精神的・霊的雰囲気を乱し、私たちが近づくのを一段と困難にします。

  真理を知った者は、それがわずかであっても───たとえ多くを知ったとて、無限の真理からすれば多寡が知れています───いついかなる事態に直面しても、穏やかで平静で受容的態度を維持すべきですし、又そう努力すべきです。

全生命に存在を与えている霊力より強力なものはないとの断固たる自信に満ちていなければなりません。

 何度でも繰り返し申し上げられる私からのメッセージがあるとすれば、それは〝心配の念を棄てなさい。そうすれば内部に静穏が得られます。内部が静穏になれば外部も静穏になります〟ということです。


───暴漢やチンピラによる被害が多くて、散歩に出るのにも防具を用意しなければならないのかと本気で考えている始末です。ぶん殴られて金を巻き上げられるのを許すわけにはいきません。そういう時はやり返すべきでしょうか。

 悪を大目に見たり暴力を助長することになってもよいということは絶対にありません。剣を取るものは剣にて滅ぶと申します。あなたの身体は霊が地上で自我を表現する唯一の手段ですから、それを守るのはあなたの義務です。が、そのことに限らず、地上生活に関わることはすべて自分の理性によって判断しなくてはなりません。

 ですから、ご自分で正当だと思う手段によって身を守ってよいことは言うまでもありませんが、同時にそうした愚かな若者、自分のしていることの理非曲直も弁えないほど道を間違えている若者のことを可哀そうに思う心も忘れてはなりません。

それは一種の群集心理、劣等感から生まれるヒステリー症状です。つまり自分たちの存在を認めさせる唯一の手段としてそういう態度に出て関心を引こうとする、幼稚な自己憐憫の情です。

 もとより私たちには暴力への同情心はひとかけらもありません。霊力は暴力という形では表現されません。霊力も常に冷静・平穏・安らぎ・落ち着いた自信の中で表現されるものです。そうした心理状態が調和を醸し出し、物質の世界と霊の世界との間の障害を取り除くのです。

 それとは反対に暴力は調和を乱します。激情を噴出させます。挙げ句にその反動が自分に戻ってきます。本人にとって何一つ良いことはありません。これも物質偏重思想の副産物です。

 暴力的になっているのは若者だけではありません。若者はその元気さゆえに衆目にさらされやすくて非難の的とされているだけです。暴力的傾向は私利私欲の追及に目がくらんで人間としての道を見失っている、病める地上社会の一症状です。

無明の中で、他人の幸福にまったく無とん着に、ますます暴力的になってまいります。しかもそれは人間どうしだけでなくて、可哀そうにも、何の罪のない動物にも向けられています。

それは若者が見せているような破壊的エネルギーがたまたまその方向へ切り換えられているにすぎないという考えは、大変な見当違いです。全体としての調和ということを考えないといけません。

他の存在への慈善(チャリテイ)の心を発揮するには貧乏人の存在が必要だという意見がありますが、そういうものではありません。仁愛の心があってはじめて慈善が施せるのです。哀れな人の姿を見ないと慈悲の心が生まれないというものではありません。

 若者がその持てる強烈なエネルギーを社会のために活用する分野はたくさんあります。不幸なことに、正しい指導を受けていない若者が多すぎるのです。が、正しい指導を受けた場合、そして又、霊的な動機づけから行動した場合は、大人が心を洗われる思いをさせられるようなことをやってのけます。

 若者が若者としてのベストを見せた時は、敬服に値するものを発揮します。道を誤ると手の施しようのないほど惨めなことになります。

 皆さんは暴力やテロ行為の生み出す陰惨さに巻き込まれないようにしないといけません。超然とした態度、俗世にあって俗世に染まらない生き方を心掛け、自分の霊的本性、神から授かった潜在的可能性を自覚して、せめて皆さんだけでも、小さいながらも霊の灯台となって、導きの光を放ってあげて下さい。


─── 戦争はどう理解したらよいのでしょうか。

 無限なる叡智と愛を具えた大霊は地球人類を創造するとともに、ある範囲内での自由意志を授けられました。同時に大霊は、人間が個的存在としていかに生きるべきかについての誤りない指標としての神性が開発されるように、人類全体の霊と精神と身体とに配剤なさっております。

 大霊は人間をただの操り人形───選択する自由も力も持たない、機械仕掛けのような存在にすることもできたのです。が大霊は自由意志を与えて下さいました。しかし自由意志があるということは、同時に自分の行為への責任もあるということになります。

 あなたは〝善いこと〟をしてもいいし〝悪いこと〟をしてもいいのです。善と悪とは一つのコインの表と裏のようなものです。愛と憎しみ、光と闇、嵐と静けさもそうです。これを両極性といいます。そのどちらを選ぶかにあなたの選択権があるということです。

 そこで戦争のことですが、あなたはその動機に立ち帰って、こう自問するのです───〝なぜ戦争をしなくてはならないのか〟〝両者が共通して求めているものはいったい何なのか〟 〝それは互いに相手を支配することなのか〟  

 そうした問いにあなた自身が考えて答えを出さないといけません。所詮はあなた方の世界です。パラダイスとするも地獄とするもあなた方人間次第です。どちらかを選ぶ自由と、どちらにもできる手段を具えているからです。

───私個人にはできません。一人の人間ではどうしようもありません。

 〝個〟が集まって地上人類全体ができ上がっているのです。一人でも多くの〝個〟が貪欲と強欲と残虐と横暴を止めれば、その数だけ平和に貢献するのです。あなたはあなたの生活、あなたの行為、あなたの言葉、あなたの思念に責任を負うのです。

他人のしたことで償いをさせられたり報酬を受けたりすることはありません。それが摂理なのです。

 平和を求めて祈り、霊界の高級霊の道具として協力しようとなさる努力は必ず報われます。人間の協力を得てはじめて霊力を地上へ届け、戦争や暴力行為、その他、地上の文明を混乱させ存在を脅かすものすべてに終止符を打たせることができるのです。


しかし、これより先もまだまだ地上から戦火の消えることはないでしょう。なぜなら、人類全体が一つの巨大な霊的家族であるという、この単純な真理が未だに理解されていないからです。

肉体は撃ち殺せても霊は死ないのです。この事実が世界各国の国政をあずかる人たちによって理解され、その関連分野を通じて実行に移されるようにならないかぎり、戦争の勃発は避けられないでしょう。

 人間が人間に対して行う非人間的行為に対して、私たちは何の責任もありません。これは因果律の働きが片付ける問題です。もちろん人類にとって〝より良き時代〟は到来します。

是非ともそうあらねばなりません。が、失望のドン底から一気に幸福の絶頂へと一夜の内に転換するようなわけにはまいりません。一歩一歩の段階的過程をへるほかはありません。

 霊的真理を理解する人が増えるにつれて、その知識にのっとった生き方をする人が増え、その人たちの生活が依存している各種の制度も、霊と精神と身体がその幸福と成長と成熟にとって必要な体験が得られるように改善されていくことでしょう。

 あなた方がスピリチュアリズムと呼んでおられる霊的思想が前世紀(一八四八年)に勃興したのもそこに目的があります。それはかつてのように突発的ですぐに立ち消えになるようなものではなく、総合的な計画のもとに行われて、すでに霊力は完全に地上に根づいております。
 
これからもその前線基地は誇張しつづけ、ますます多くの人間がその恩恵に浴することになるでしょう。

 ある人は〝黄金時代〟と呼び、ある人は〝地上天国〟と呼んでいるものは、いつかは成就されます。それまでにどれほどの時が掛かるかは、私の口からはあえて予言しないでおきましょう。ただ、物的進化が絶え間なくその目的を果たしつつあるように、それと併行して霊的進化もそれなりの役割も果たしつつあることを申し上げておきます。


───人間はどの程度まで殺すことが許されているのでしょうか。

 〝許されている〟という言い方は感心しません。確かに人類には自由意志が与えられておりますが、それは条件つきであり制約があります。やりたいことは何をやってもよいという意味での、無制約の自由ではありません。

 そもそも自由意志の授与は、人間が大自然の創造の過程に参加し、大自然の摂理と調和して生き、健康と理解と悟りを得て天命を全うするための神の計画の一環なのです。そうでなかったら進化も発展もありません。

 自由意志がなかったら皆さんは成長と進化のチャンスのない、ただの操り人形となってしまいます。せいぜいロボットのような行動しかできません。が、自由意志があるということは、その行使の仕方に責任を持たねばならないということになります。

 殺すという行為は、たとえやむを得ない事情はあるにしても、いけないことであることは明らかです。生命を与える力はないのですから、奪う権利もないはずです。が、酌量すべき情状というものがあることも事実です。

 霊的に進化するにつれて人間は、霊的実在についての知識を基盤とした明確な原理にのっとって生きなければならないことを自覚するようになります。所詮完璧な生き方は望むべくもありませんが、改善の余地は大いにあります。

 地球は生命活動の場の一つに過ぎません。これからもっともっと多くの生活の場を体験することになっております。

それが永遠に続くのです。地上生活なんかいい加減に送ればよいと言っているのではありません。あなたが送るべき全生活のほんのひとかけらに過ぎないことを申し上げているのです。

 その地球をよりよい生活の場とするために努力なさってください。地球は宇宙の惑星の中で最も進化の程度の低い部類に属します。が、それなりの進化の目標があります。

同時に、進化とは永遠の過程でもあります。完全ということは永遠に達成できないのです。なぜなら、完全に近づけば近づくほど、その先にまだ達成すべきものがあることを知るからです。


───(ゲストの一人)われわれスピリチュアリストは形骸化しつつある古い宗教と対決し反抗することに多大な時間とエネルギーを注ぎ込んでいるようですが、もう一つの宗教である───信奉者は宗教と呼ばれることを拒否なさるかも知れませんが───マルキシズムないしはコミュニズム(共産主義)についてはまったく言及しておりません。

今では少なくとも思想上の共鳴者は人類の三分の一にも達しています。既成宗教のいずれよりも遥かに頑強で、その影響力は強烈です。これこそ純粋な唯物観を説いている点で、われわれの本当の敵ではないかと思うのですが・・・・・


 コミュニズムというのは何のことでしょうか。

───マルクスとレーニンとエンゲルスの著作をもとにした政治的、経済的、ならびに社会的思想と言ってよいかと思います。

 もしもコミュニズムが真の協調性を意味し、階級上の差別もなく、住民がお互いに助け合う心をもった社会のことであるとすれば、現在の地上世界で思想的にコミュニズムを標榜している国家には、そういうものは存在しておりません。私の言わんとするところを明確に述べてみましょう。 

 地上社会の問題のそもそもの根源はマテリアリズム(物質偏重・唯物思想)にあります。皆さんはそれと真っ向から対立するスピリチュアリズムを提唱し唱道なさっているわけです。そして霊が実在であることが単なる理論ではなくて事実であることの証拠を提供しております。

私と同じく皆さんは、ナザレのイエスをリーダーとする神庁の霊団によって考案された霊的大計画の一環として、霊力を地上へ送り届けるだけでなく、そこにしっかりと根付かせ、いかなる地上の勢力がたとえ束になってかかっても、それを駆逐できないようにするために、本日もこうして集まっているわけです。

 今まさに世界中にそのための霊的橋頭保が設営され地固めされつつあります。それはさらに多くの橋頭保を築くためです。霊力はすでに地上にしっかりと根付き、その恵み深い影響力を発揮しております。公的には禁じられている国々においてすら働いており、これからも働き続けます。
                       
 皆さんは明日のことを思い煩う必要はどこにもありません。最善を尽くして私たちに協力してくださればよいのです。そのうち徐々にではありますが、地上のガンである物欲が除去されていきつつあることに気づかれるでしょう。


───(もう一人のゲストが息子から依頼された質問として)〝共産主義者(コミュニスト)の指導霊〟というのも存在するのでしょうか。

 そういう質問をされて私がどういう受け取り方をするかを説明しますので、しっかりと理解してください。

 私はラベルというものにはまったく関心がありません。私にとっては何の意味もありません。地上世界ではラベルが大切にされます───共産主義者、社会主義者、保守党、労働党、スピリチュアリスト、セオソフィスト、オカリスト、等々、挙げていったらキリがありません。

しかし、大切なのはラベルではなく、その中身です。コミュニストという用語の起源は、物的財産は共有するのが正しいと信じた遠い昔にさかのぼります。それ自体はとても結構なことです。

 いかがでしょう。有り余るほど持っている人が足りない人に分けてあげるというのは公正なことではないでしょうか。教師というのは持てる知識を持たざる生徒に譲ってあげようとする人のことではないでしょうか。

 分かち合うというのは立派な原理です。私たち霊がこうして地上へ戻ってくるそもそもの目的も、やはりそこにあります。皆さんは私たちから学び、私たちは皆さんから学ぶということです。

 聖書にも〝地球とそこにあるものすべては主のものなり〟(コリント①10・26)とあります。これは人間は地上のものは何一つとして所有できない───自分のものとはなり得ないことを意味します。地上にいる間だけリースで所有しているようなものです。永遠に自分のものではありません。

地上のゴタゴタは皆が自分がいちばんいいと思うものを少しでも多く自分のものとしようとする───いちばん悪いものを欲しがる者はいません───そこから生じております。その結果として強欲、貪欲、私利私欲が王座に祭り上げられ、物欲第一主義が新しい神として崇拝されることになります。

 地上には物欲優先の副産物が、見るも痛ましいほどはびこっております。悲劇・卑劣行為・飢餓・栄養失調・残虐行為・動物実験、こうしたものはすべて物欲を優先させることから生じる恐ろしい産物です。

 みんなで分け合うという理念は結構なことです。共産主義者(コミュニズム)という用語そのものに怯えてはいけません。初期のクリスチャンには全財産を共有し合った時期が、少しの間でしたがありました。ということは彼らのことをコミュニストと呼んでもよいことになります。

 一つの理念をもつことと、それを実現するために拷問や抑圧や迫害や専制的手段を用いることとは別問題です。そこに大事な違いがあります。

 ですから、ご質問に対するお答えは、大霊の恩恵を惜しみなく分かち合うべきであると信じて働いているコミュニストの指導霊はいます、ということになります。そこに何ら問題とすべきものはないと思います。
   
           ※ ※

 別の日の交霊会で戦争がもたらす地上と霊界双方の弊害について語る───

 私たちは霊界が再び傷ついた魂の病院となるのは御免こうむります。こうして地上の皆さんとともに仕事をしている私たちから申し上げたいことは、皆さんは私たちがお教えしていることのすべてを地上生活に摂り入れていくだけの用意ができていなければならないということです。

 私たちが代わりにやってあげるわけにはいかないのです。私たちには人間のしている間違ったことがもたらす結果が分かります。地上でそういうことをしていたら霊界へ来てからこうなりますよ、ということをお教えすることしかできません。

 そのことをわざわざこうして地上へ戻ってきて教えねばならないのは、戦争のもたらす結果が破綻と害悪でしかないからです。霊界へ送り込まれてくるのは霊的に未熟な魂ばかりです。

言ってみれば、熟さないうちにもぎ取られた果実のようなものです。地上で使用していた肉体という表現機関を破壊されて分別を失った魂を一体なぜ私たちが癒やしてあげねばならないのでしょうか。

人間が人間としての義務を果たさないがために霊界へ送られてくる未熟な魂の世話をしに、一体なぜ私たちが巡礼の旅先からこの地上へ後戻りしなければならないのでしょうか。

 もしも私たちに愛の心がなければ、つまりもしも大霊の愛が私たちを通して表現されなかったら、こうして同じ大霊の子である地上の皆さんと交わるようなことはしていないでしょう。

どうか私たちの説く真理を唯一の判断の基準として私たちを裁いて下さい。〝あなたの教えは間違っている───われわれの常識に反するから〟などという幼稚なことを言ってはなりません。 

霊界にとっての迷惑はさておいても、地上での戦争を正当化することが許されるわけがありません。物質的な面にかぎってみても、ただ破壊するのみです。

霊界にとっても正当化の根拠はありません。なぜならば、神の摂理への干渉にほかならないからです。霊はその機が熟した時に肉体から離れるべきであるとの摂理に、よくも平気で逆らえるものだと呆れます。

 皆さんもかくあるべきという原理を何としても擁護しなくてはなりません。分別のない人たちに霊の仕事の邪魔を許してはなりません。ご存知でしょうが、進歩と平和と調和を求めて戦う私たち霊団の向こうを張って、それを阻止せんとする組織的な活動をしている邪霊集団もいるのです。(章末注参照)

 地上世界は人類というものを民族別に考えず、すべてが大霊の子であるという観点から考えないといけません。障壁をこしらえているのは人間自身なのです。大霊ではありません。大霊は人間の一人ひとりに神性を賦与しているのです。したがって人類の全てが大霊の一部なのです。

 地上は建設すべきものが山ほどあるというのに、上に立つ〝お偉方〟はなぜ破壊することばかりしたがるのでしょう。大霊はそうした人間の行為のすべてを規律的に治めるための摂理を用意しております。

それに干渉するようなことをしてはなりません。逆らったことをすれば、その結果は破壊と混乱でしかありません。そのことは(世界大戦で)目のあたりにしたばかりではないでしょうか。

 ここにお集まりの皆さん方の一人ひとりが積極的にその影響力を行使して、大霊の計画の推進のために尽力する人たちを先導していただきたいのです。大霊が流血を望まれると思いますか。

戦争による悲劇、苦痛、失業、飢餓、貧民窟を大霊が望まれると思いますか。子等が味わえるはずの恵みを奪われて喜ばれると思いますか。戦争で親を奪われて、幼な子が路頭に迷う姿を見て大霊が喜ばれると思いますか。

 殺意が芽生えた時、理性が去ります。人間には神性が宿っていると同時に、動物進化の名残りとしての獣性もあります。人間としての向上進化というのは、その獣性を抑制し神性をより多く発揮できるようになることです。獣性が優勢になれば戦争と衝突と殺人が横行します。

神性が発揮され、お互いに援助し合うようになれば、平和と調和と豊かさが得られます。

 地上世界を国別、民族別に考えてはなりません。すべてが大霊の一部であることを教えないといけません。みんな大霊の子なのです。海で隔てられていても大霊の前では兄弟であり姉妹なのです。私たちの教えは単純です。しかし真実です。自然の摂理に基づいているからです。
  
摂理を無視した方法で地上世界を築こうとすると混乱と無秩序が生じます。必ず破綻をきたします。

 忍耐強い努力と犠牲を払わないことには、これからも数々の戦争が起きることでしょう。タネを蒔いてしまった以上は、その産物を刈り取らねばなりません。因果律はごまかせないのです。

流血の争いというタネを蒔いておいて平和という収穫は刈り取れません。他国を物理的に支配せんとする欲望の張り合いをしながら、その必然の苦い結果を逃れるわけにはまいりません。

 愛のタネを蒔けば愛が実ります。平和のタネを蒔けば平和が実ります、互助のタネを地上の至る所に蒔いておけば、やがて互助の花が咲き乱れます。

 単純な真理なのです。あまりに単純すぎるために、かえって地上の“〝お偉方〟を当惑させるのです。


───〝大戦〟(※) で戦死した人たちの犠牲は何一つ良い結果を生み出さなかったのでしょうか。(※英語で〝大戦〟Great War という時は第一次世界大戦のことをさすが、ここでは第二次大戦も含む戦争一般のこととして訳したー訳者)

 何一つありません。今の世界の方が〝偉大なる戦争〟勃発以前よりさらに混とん状態に近づき、破壊が増しております。


───数多く見られた英雄的行為が無駄に終わってしまうこともありうるのでしょうか。霊的に何の報いもないのでしょうか。

 その犠牲的行為をした当事者個人にはあります。動機が正しかったからです。ただ忘れないでいただきたいのは、そうした英雄を後世の人間が裏切っていることです。犠牲を無駄に終わらせています。その原因は相変わらず物的欲望を優先しているからです。


───毎年のように〝終戦記念日〟の催しがありますが、少しは役に立っているのでしょうか。

 たとえわずか二分間であっても、まったく思い出さないよりはましでしょう。が、その日をライフル銃と銃剣と花火という、戦争で使用する軍事力の誇示で祝って、いったいどうなるというのでしょう。何か霊的な行事で祝えないものでしょうか。


───同じ日にスピリチュアリストの集会で行っている記念行事を続けることには賛成なさいますか。

 真実が表現されているところには必ず価値あるものが生まれます。説教も奉仕的精神を生むものであれば結構です。ただ聴くだけで終わる説教では無意味です。聴衆をいかにも平和の味方であるかの気分に浸らせるだけのキザな説教ではいけません。

 私が望むのは実際の活動を生み出すような説教、人のために役立つことをしたいと思わせるような説教、弱者に勇気を与えるような説教、喪の悲しみに暮れる人を慰めてあげるような説教、住む家さえない人たちの心の支えとなるような説教、物質界の汚点である虐待行為のすべてに終止符を打たせるような説教です。

 お互いがお互いのためになることをする以外に平和の道はありません。すべての人間が互助の精神に満たされ、人のためになる行為を実践するようになるまでは、平和は到来しません。これまで続けられてきた終戦記念日も、今日では次の戦争の準備のための小休止でしかありません。


───不戦主義(兵役拒否)の運動に賛成なさいますか。
 
 私はどの〝主義〟にも属しません。私にはラベルはありません。名目に惑わされはいけません。その目的としているものは何か、何を望んでいるのか、そこが大切です。なぜなら、敵と味方の双方に誠実で善意の人がいるからです。

 私たちの教えは至って単純ですが、それを実行に移すには勇気がいります。一つの糸口をつかんだら、つまり霊的真理を知ることによって覚悟を決め、物的生活のあらゆる事柄に奉仕と無私の精神で臨めるようになれば、地上に平和と和合が招来されます。

 それは主義・主張からは生まれません。神の子がそうした精神の真実性を悟り、それを日常生活において、政治活動において、工場において、政府機関において、あるいは国際政策において応用していくことによって初めて実現されるのです。

 私たちにできるのは、これこそ真実に基づいていると確信した原理を説き、それを応用すれば、必ずや地上世界に良い結果がもたらされることを自信をもって申し上げるのみです。

 その地上世界にいるのはあなた方です。最後の責任はあなた方にあります。しかし皆さんが人の道を誤ることさえなければ、私たちも精一杯の愛と厚意をもって導き、万全の協力を惜しまないことだけはお約束します。

訳者注───私が〝英国の三代霊訓〟と呼んでいる 『シルバーバーチの霊訓』 と 『ベールの彼方の生活』 と 『霊訓』のうち、邪霊集団の存在についていちばん強く説き警告しているのは 『霊訓』 である。その中から参考とすべき箇所を部分的に紹介しておきたい。通信は自動書記によるインペレーターからのもの。

≪すでに聞き及んでいようが、今汝を中心として進行中の新たな啓示の仕事と、それを阻止せんとする一味との間に熾烈なる反目がある。われわれ霊団と邪霊集団との反目であり、言い替えれば人類の発達と啓発のための仕事と、それを遅らせんとする働きとの闘いである。それはいつの時代にもある善と悪、進歩派と逆行派との争いである。

 逆行派の軍団には悪意と邪心と欺瞞に満ちた霊が結集する。未熟なる霊の抱く憎しみによって煽られる者もいれば、真の悪意というよりは悪ふざけ程度の気持ちから加担する者もいる。

要するに程度を異にする未熟な霊がすべてこれに含まれる。闇の世界より光明の世界へと導かんとする、われわれをはじめとする他の多くの霊団の仕事に対し、ありとあらゆる理由からこれを阻止せんとする連中である。

 汝にそうした存在が信じられず、地上への影響の甚大さが理解できぬのは、どうやらその現状が汝の肉眼に映らぬからのようである。となれば汝の霊眼が開くまでは、その大きさ、その実在ぶりを如実に理解することは出来ぬであろう。

 その集団に集まるのは必然的に地爆霊、未発達霊の類である。彼らにとって地上生活は何の益ももたらさず、その意念の赴くところは彼らにとっては愉しみの宝庫とも言うべき地上でしかなく、霊界の霊的な喜びには何の反応も示さぬ。

かつて地上で通い慣れた悪徳の巣窟をうろつき回り、同質の地上の人間に憑依し、哀れなる汚らわしき地上生活に浸ることによって、淫乱と情欲の満足を間接的に得んとする。(中略)

 一方、人間の無知の産物たる死刑の手段によって肉体より切り離された殺人者の霊は、憤怒に燃えたまま地上をうろつき回り、決しておとなしく引っ込んではおらぬ。毒々しき激情をたぎらせ、不当な扱いに対する憎しみ───その罪は往々にして文明社会の副産物に過ぎず、彼らはその哀れなる犠牲者なのである───を抱き、

その不当行為への仕返しに出る。地上の人間の激情と生命の破壊行為を煽る。次々と罪悪をそそのかし、自分が犠牲となったその環境の永続を図る。(中略)

 かくの如く地上の誤りの犠牲となって他界し、やがて地上へ舞い戻るこうした邪霊は、当然のことながら進歩と純潔と平和の敵である。われらの敵であり、われらの仕事への攻撃の煽動者となる。至極当然の成り行きであろう。

 久しく放蕩と堕落の地上生活に浸れる霊が、一気に聖純にして善良なる霊に変わりうるであろうか。肉欲の塊りが至純なる霊に、獣の如き人間が進歩を求める真面目な人間にそう易々と変われるであろうか。それがあり得ぬことぐらいは汝にも分かるであろう。

 彼らは人間の進歩を妨げ、真理の普及を阻止せんとする狙いにおいて、他の邪霊の大軍とともに、まさに地上人類とわれらの敵である。真理の普及がしつこき抵抗にあうのは彼らの存在のせいであり、汝にそうした悪への影響力の全貌の認識は無理としても、そうした勢力の存在を無視し、彼らに攻撃のスキを見せることがあってはならぬ≫
                                                   

 

シルバーバーチの霊訓(十一)

 More Philosophy of Silver Birch

Edited by Tony Ortzen



六章 霊界でも祝うクリスマスとイースター     
   その本来の意味
 
 クリスマスもイースターも本来は宗教的祭礼であるが、今では物質的観念に汚染されてその基本的な光彩をすっかり失っている。

 本書で紹介する講演でシルバーバーチはその本来の意義を説明し、それが霊界においてどのように祝われているかを語っている。シルバーバーチらしく最後は、狼と小羊とが一緒に寝そべるような平和、つまり地上天国という理想を説き、そのためには人類が愛と哀れみと慈悲と責任意識を持たねばならないことを力説している───


 私たち地上の霊的啓蒙活動に従事している霊団の指導的立場にある者は、キリスト教でいうクリスマスとイースターに相当する時期に霊界の奥深く帰還する習わしになっております。

 ご承知の通りその二つの祝祭はキリスト教よりさかのぼる太古において、一年を通じての太陽の勢いの変化を神の働きかけの象徴と受け止めたことがその起源です。

 太古において太陽がその輝きを最高度に発揮する時期(夏至、6月下旬、旧暦5月中旬)が〝復活〟(ヨミガエリ)の時、つまり大自然が讃歌を奏で、見事な美しさを披露する時とみなされました。言いかえれば、蒔かれたタネがその頃に華麗なる成長を遂げると考えたのです。

 それに呼応して冬至(12月下旬、旧暦1月中旬)があります。最高の輝きを見せた太陽が衰え始めると、大自然はエネルギーを蓄え、根を肥やしながら季節の一巡の終わりを迎えると考えたのです。来るべき夏至にその成長ぶりを披露するのに備えるというわけです。

 そういうわけでクリスマスは永い一年の巡りの終わりであると同時に、太陽の誕生、新たなる生命が地上へ誕生する、その最初の兆しを見せる時期だと、太古の人は考えました。

 この二つの時期は太古において大切な意味をもっておりました。と申しますのは、〝神のお告げ〟はその二つの時期に授けられると信じられたからです。あなた方現代人は太陽の持つ神秘的な影響力をご存知ありません。

太古の人はその時期に今でいう交霊会を何日にもわたって大々的に催したものでした。その時期にたっぷりと啓示を頂いたのです。

 そこで私たち霊団の指導的役割を担う者は、誕生に相当する人生で最も大切なこの時期(クリスマス)に一堂に会して祝い合うのです。その始まりは太陽の影響力への讃美ということでしたが、それは一種の象徴(シンボル)であり、実質的には生命が他の生命へ及ぼす影響力、物質が他の物質へ及ぼす影響力、惑星が他の惑星へ及ぼす影響力、などが含まれております。

 とくに一年のこの時期が選ばれたのは、私たちに協力してくれている霊たちの地上時代に属していた民族が大自然の摂理を基盤とした宗教をもっていたからです。古い時代の私たちにとっては太陽の誕生の祝いが最大の祝いでした。

それは新しい年の始まりに他ならないからです。四季のめぐりの終わりであると同時に新しいめぐりの始まりでもあるわけです。

 そうした祝いがかつて地上で催されていたことから、これを霊界でも祝うことになりました。もとより、今では霊的な意味をもつようになっております。つまり新しい生命の誕生を祝うのではなく、地上からいったん引き上げて、新しい光を地上へもたらすために霊力の回復を図ることを目的としております。

今この仕事に従事している霊団の者は、地上時代は西洋文明を知らない古い民族に属していましたから、(キリスト教的な祝い方と違ってこの時期を地上から引きげて私たちの本来の所属界へ帰還する機会としております。

 帰還すると評議会のようなものを開き、互いに自分たちの霊団の経過報告をし、どこまで計画通りに行き、どこが計画通りに行っていないかを検討し合います。それとともに新たな計画を討議し合います。私達を地上へ派遣した神庁の方々とお会いするのもその時です。

 その中にかのナザレのイエスの雄姿があるのです。イエスは今なお人類に古来の大真理すなわち〝愛は摂理の成就なり〟を教える大事業に携わっておられます。そのイエスが私たちの業績に逐一通じておられるお言葉を述べられ、新たな力、新たな希望、新たなビジョン、新たな目的をもって邁進するようにと励まして下さる時のそのお姿、そのお声、その偉大なる愛を、願わくば皆さんにも拝し聞きそして感じ取らせてあげられればと思うのですが・・・・・

 もとよりそれはキリスト教によって神の座に祭り上げられているイエスではありません。数知れない道具を通して人類に働きかけておられる、一個の偉大なる霊なのです。

 その本来の界に留まっているのは短い期間ですが、私はその間に改めて生命力溢れる霊力、力強さと美しさに溢れるエネルギーに浸ります。

それに浸ると、生命とは何かがしみじみと感じ取れるのです。私はそのことをあくまで謙虚な気持ちであるがままに申し上げているつもりです。見栄を張る気持ちなどひとかけらもございません。

 仮に世界最高の絵画のすべて、物質界最高のインスピレーションと芸術的手腕、それに大自然の深くかつ壮大な美を全部集めて一つにまとめてみても、私の本来の所属界の荘厳美麗な実在に比べれば、至ってお粗末な反映程度のものでしかありません。


 芸術家がインスピレーションに浸ると、手持ちの絵具ではとても表現できそうにないことを痛感して、魂で感じ取ったその豊かな美しさを表現するための色彩を求めます。が、それは地上のどこにも存在しません。霊的な真理と美しさは物的なものでは表現できないのです。

 そうした界層での私の霊的な高揚状態がどうして言語などで表現できましょう。大霊の光輝を全身から放っている存在となっているのです。(章末注参照)

 叡智と理解力と慈悲と優しさに満ち、人間の側から訴えられる前にすべてを察知し、心の中を読み取り、心の動きに通じ、成功も失敗も知り尽くしております。

 全ての宗教の根幹でありイエスの教えの集約でもある、かの愛の名言(愛とは摂理の成就なり)は、全生命の主、無限の創造者たる大霊の名において私たちもその真実性を宣言するものです。

 かくして私たちは本来の霊的状態へ戻り、本来の環境である光彩と喜びと光輝と笑いと豊かさと崇高さと荘厳さを味わいます。その中に浸り、その喜びを味わい、私たちにとってはごく当たり前の状態である壮観を取り戻します。それが私たちのお祝いです。

 助言を頂き、感激を味わい、気分を一新し、元気百倍し、心身ともにすっかり生き返った私たちは、やおらこの冷ややかで陰うつでじめじめとして味気ない、暗い地上世界へと赴き、厚く包み込むそのモヤと霧を払い、真理の光を輝かせるための仕事を再開します。

 地上のクリスマスシーズンにも愛の精神の発露が見られないわけではありません。それが親切と寛容の形をとり、また施しの精神となって表現されております。旧交を温め、縁を確認し合い、離ればなれになった者が一堂に会するということの中にもそれが見られ、又、かつての恨みはもう忘れようという決意をさせることにもなります。

 しかし残念でならないのは、それに先立って大量の動物が殺害されることです。物言わぬ神の子が無益な犠牲とされていることです。〝平和の君〟キリストの誕生がそうした恐ろしい虐殺によって祝われるということは何と悲しいことでしょう。

なぜ平和を祝うために罪もない動物の血が流されねばならないのでしょう。これはまさに地上世界の磔刑(ハリツケ)です。罪なき動物に流血の犠牲を強いて平和を祝うとは・・・・・・

 いつの日か愛と哀れみと慈悲と責任感とが人間を動かし、助けを求める動物たちへの態度を改めることになるでしょう。そうした資質が発揮されるようになってはじめて、罪もない動物への容赦ない流血と残酷と無益な実験も行われなくなることでしょう。地上に真実の平和が訪れ、狼が小羊と並んで寝そべることになりましょう。

訳者注──シルバーバーチはよく〝光り輝く存在〟shining ones という言い方をする。日本でいう〝八百万の神々〟西洋でいう〝天使〟で、『ベールの彼方の生活』第三巻<天界の政庁>篇ではその存在の様子がアニメ風に語られている。

 ただ注意しなければならないのは、その通信霊のアーネルやシルバーバーチが述べているのはあくまでも地球神界つまり地球の創造界のことで、その上には太陽神界があり、さらにその上には太陽系が属する銀河系神界があり、さらには星雲が幾つか集まった規模の神界があり、最後は(少なくとも理屈の上では)宇宙全体の神界があることになる。

 シルバーバーチはその内奥界を含めた宇宙を Cosmos (コズモス)と呼び、物的宇宙を Universe (ユニバース)と呼んで使い分けている。が、そのコズモスは無限・無辺であるとも言っている。

こうなると人間の粗末な脳味噌などではもはや付いて行けない。アーネル霊でさえ〝茫然自失してしまいそうだから、これ以上想像力を広げるのは止めましょう〟と言っているほどである。

 先ほどシルバーバーチが〝私はあくまで謙虚な気持ちであるがままを申し上げているつもりです。見栄を張る気持などひとかけらもございません〟と述べたことにはそうした背景がある。もはや〝謙虚〟などということを超越した次元の話である。

Friday, June 26, 2026

霊界から見たシルバーバーチの霊訓(十一)

More Philosophy of Silver BirchEdited 
by Tony Ortzen



 
五章 霊界から見た地上の科学  

 ウィリアム・クルックス、オリバー・ロッジ、その他の世界的科学者が心霊現象を調査研究したビクトリア時代(ビクトリア女王が王位にあったのは一八三七~一九〇一年であるからスピリチュアリズム勃興からほぼ半世紀と重なるー訳者)と違って今日では心霊的能力が言わば顕微鏡的精密さをもって厳しく観察されているが、霊界では地上の科学をどう見ているであろうか。まず科学者の質問から始めよう。


───私は人のために役立つことをすることが大切であることはあなたの霊言で読み、かつそう信じておりますが、それと同時に大切なのは知識を集積すること、つまり学問だと思います。

霊界では学問はどういう具合に行われるのでしょうか。この物質界を科学的に研究するには実験ということをしますが、霊界でも実験を行うのでしょうか、それともやはり純粋に精神的なプロセスで行われるのでしょうか。

 知識は大霊と同じく無限に存在します。それには終止符(ピリオド)を打つところがありません。進歩すれば、さらに多くの知識を手にする資格ができます。

頂上を求めて永遠に登り続けるようなもので、ここが頂上だと思ったら、その上に別の頂上が見えるということの連続です。知識・進化・発達・開発・発展───こうしたものはすべて永遠のプロセスです。

 この物質界ではAをBでやってみたらどういう結果が出るかということを知るために実験を行います。霊界でも実験を行いますが、物質界のやり方とはまったく異なります。なぜかと言いますと、私たちの関心は〝霊〟が見せる千変万化の顕現の仕方に向けられているからです。ある意味ではいつも実験をしていると言えます。

 簡単な例をあげてみましょう。霊界には死後もなお、地上の病気で苦しんでいる人を救うことに専心している医師がおります。その医師たちは地上で身に付けた技術があります。人体のメカニズム、その働き具合をさまざまな反応の仕方についての知識も具えております。

 さて一方、こちらの世界には地上にない種類のエネルギー、程度を異にする霊力、つまり生命力があり、それに地上で得た知識を組み合わせて地上の患者を治すことを研究しております。それは患者に応じてさまざまなエネルギーを組み合わせる、絶え間ない実験であるといえます。

 強すぎてもいけないのです。強すぎると、それが通過する治療家に障害が起きます。治療家の受容力が発達し、より高い運動速度、威力、どう呼ばれても結構ですが、それに耐えられるようになると、治療エネルギーの強度を増すことができます。

 ここでもまた言語を超越したものを表現するための用語を見つけるのに苦労しますが、要するにこちらの世界でも常に実験し、休みなく知識を増やす努力をしております。

                ※          ※

 別の日の交霊会でシルバーバーチが〝一世紀前の科学的宇宙像は今日とは雲泥の差があります〟と述べたのに対して───

───それは、これからは科学者も物的次元の研究から高度な次元へと進歩していくことを意味しているのでしょうか。

 (原子の様な)目に見えない世界とその未開発の潜在的エネルギーの研究が進むにつれて、自らの論理でそうならざるを得なくなるでしょう。科学者が霊的に成長すれば、その途方もないエネルギーを善の方向へ使用する方法も分かってくることでしょう。

 そうするうちに自分自身にもそうした無尽蔵の見えざる能力が潜在していることを知って、次第にその開発へ目を向けるようになるでしょう。外部にあるものは内部にあるものが顕現したに過ぎません。

 (驚異としか言いようのない人体も内部にある霊すなわち生命力が顕現したものであることを言っている―訳者)
 その生命力は物質のように切り刻むことはできません。

分割して別々の容器に入れておけるような性質のものではありません。原子の生命も本質的には人間や動物や花や樹木の生命と同じものです。全体が一つの生命体であり、それが無限の形態で顕現しているのです。


───地上の科学者はもうそのレベルまで理解が達しているでしょうか。

 いえ、まだまだですが、理解している人もいます。オリバー・ロッジなどは現象の裏側の実在についての霊的な理解ができた科学者のよい例です。


───今後その理解が科学者一般に行きわたるまでには多くの人間と多くの物を犠牲にすることになるのでしょうか。

 いえ、科学者のすることにも限界があります。どんなに間違ったことをしても地球全体を破壊してしまうまでには至りません。自然の摂理によって、地上でなされる被害は一部の人間が考えているほど恐ろしいものとはならないようになっているのです。

しかも究極的には大霊の意志が地上に行きわたることになっているのです。その計画を挫けさせるほどの力を持った人間は地上にはいません。遅らせることはできます。邪魔することもできます。しかし大霊を支配することはできません。

 大自然の摂理の仕組みと働きについて幾ばくかの見識を得たわれわれは、いかなる事態が起きようと、あるいは人間がいかに愚かしいことをしでかそうと、大霊の意志は必ず行きわたるとの確信をもつことができます。そしてその摂理によってますます多くの愛と哀れみと慈悲と互助とが地上で行使されるようになります。

 科学も絶対に誤りを犯さないわけではありません。科学者とて間違いを犯す可能性をもった、ただの人間にすぎません。私は科学を神のごとく絶対視してはいません。地球には科学者が言っているような終末はありません。永遠に存在し続けます。

 いかがです、あなたも科学者の見解が間違っていた例をいくつかご存知でしょう?


───私は科学者ではないのですが、正直言ってその点を真剣に考えさせられることがありました。

 科学者の見解が間違っていた例をいくつかご存知なのでしょう?


───実にたくさんあります。

 ですから地球の未来について科学者が述べたからといって、それが必ず正しいという保証はどこにもないのです。(訳者注───部分的にしか紹介されていないので、この前にどういう対話があったのかは憶測の域を出ないが、

私の推測では、例えば最近さかんに警告されている、スプレーなどに使用されているフロンガスによる成層圏の破壊の問題が出て、このまま破壊が進めば紫外線が大量に地球に届いて、地球の生命が死滅するという説が出されたのであろう)

                     ※                ※

 ローデシアから訪れた科学者に向かって───

 これまでたどられたあなたの足跡も、背後霊によって暗闇から光明へと導かれてまいりました。これは、低く下がれるだけ高く上がれるという償いの法則によって本当の意味での人間的向上が得られる過程の一環なのです。

光を見出すのは闇の中においてこそです。喜びを見出すのは悲しみの中においてこそです。真実の自我を見出し始めるのは、地上にはもはや頼りになるものは何もないと思えた時です。

 これは人生の両極性という、魂が真の自我を見出すための原理の一つです。果てしない宇宙に展開する生命活動の一つ一つが、規律づけられた何らかの役割をもっております。嵐も、青天と同じく、無くてはならないものなのです。

闇も、光と同じく、無くてはならないものです。人間性が鍛えられるのは苦しい試練の中においてこそです。その両極性を体験してはじめて成長しはじめるのです。

 私は屁理屈を言っているのではありません。大霊がその無限の叡智によって地上の人類のために案出した進化の法則がそうなっているということを申し上げているのです。言い替えれば、必要なものは時が熟せば与えられるということです。

困難・試練・試金石・障害、こうしたものは魂がその潜在的資質を発揮するために欠かせない体験です。一種の触媒を提供してくれるのです。 

 これまでを振り返ってごらんになれば、最大の窮地と思えた時に道が開かれ、真実の自我を発揮する方向へと導かれていることに気づかれるはずです。同じ道をたどった人からあなたがそうして援助していただいたように、今度はあなたが人に手を差し伸べてあげるチャンスが与えられることになるでしょう。

 それが神が意図されている仕組みなのです。すなわち集団ではなく一人ひとりが自我の開発を促す永遠の真理を手にし、さらにそれを縁ある人に授けていくという仕組みなのです。

援助を求める人を絶対に拒否してはなりません。同時に、たとえ援助の手を拒否されても、それは、折角の自己革新のチャンスを目の前にしながら、その人がまだ受け入れる用意ができていなかったためにそれを生かし切れなかったのですから、気の毒に思ってあげることです。

 あなたはそれだけのものを授かることができたことを喜ばないといけません。同時に、それとて、これから先あなたを待ち受けている無限の真理のほんの一かけらに過ぎないことを知ってください。まだまだ掘り起こすべき霊的財産が山ほどあるのです。人のために尽くすチャンスも数多く与えられてまいります。

             ※      ※

 別の日の交霊会で───

 私たちは片時も休むことなく研究に勤しんでおります。特に病気治癒、霊視能力、入神現象(トランス)の質を高めるための新しい方法、アイディアを実験しております。しかし所詮は、そちらから提供してくれる材料次第です。そこには自由意志と個人的義務の問題がからんでおります。

 私たちはそちらから提供していただくものより多くのものをお返ししております。それが私たちの義務なのです。扶助し支援すると同時に、人間としての基本的な必要品に事欠くことのないように計らうことになっております。それから先のことは本人が決めることです。


(あくまで謙虚に神の道具として辛抱するか、金銭欲や虚栄心といった煩悩に負けて堕落していくかは、自由意志と個人的義務の問題であって、そこまで立ち入ることは許されないということ──訳者)

 私たちはあくまでも謙虚に献身してくれる道具が欲しいのです。何度も申し上げていることをここで改めて申し上げますが、献身こそ霊の正貨です。大義のために献身することこそ気高いのです。なぜならその時あなたは内部の神性を発揮していることになるからです。

 私たちからお願いしたいのは、倫理的意識をできるだけ高く持っていただきたいということです。私は常に皆さんを成就というゴールへ向けて、ゆっくりではありますが確実に進歩するように援助しています。申し上げていることは至って単純なことです。

人間として最善を尽くしていて下さればよいのです。そうすれば私たちの協力のもとに、縁あって訪れてくる人の力になってあげることができるのです。