Monday, January 26, 2026

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
三章  霊の親族(アフィニティ)


2 双子の霊
一九一八年 二月十五日 金曜日

──前回お話しくださった儀式のことは、あれでおしまいですか。まだお話しくださることがあるのでしたら、私の質問に対する答えはあとまわしにしてくださって結構です。そちらのご都合に合わせます。

 どちらでも結構ですが、(前回のおしまいのところで)お書き留めになった質問の中に今ここでお答えしておいた方がよいものがあるようです。


──〝二人の天使は地上ではどこの民族に属していたか〟──この質問のことでしょうか。

 それです。そのことに関連してまずご承知おき願いたいのは、あの二人の若い天使の誕生は実は太古にまで遡るということです。

あれほどの霊力と権威とを悠久の鍛錬と進化の過程を経ずして獲得し、それをあのような任務に行使するに至るという例はそう滅多にないことです。お二人は双子霊なのです(※)。

地球がまだ現在のような環境となっておらず、人類がまだこれからお二人が霊団を率いて赴く天体上の人種と同じ発達段階にあったころに地上で生活なされました。その段階の期間は随分永く続きました。その間にお二人は知性の黎明期を卒業し、それから霊界入りしました。

その時点から本格的な試練がはじまり、同じ人種の中でも格別に進歩性の高いお二人は、各種の天体を低いものから高いものへと遍歴しながら、最後は再び地上圏へ戻って来て、さらに進化を遂げられました。

そのころは地球も合理的思考の段階、ほぼ今日の人類と同じ発達段階に到達しておりました。(※ Twin souls シルバーバーチはこれを一つの霊の半分ずつが同時に物質界に誕生した場合のことで、典型的なアフィニティであるという──訳者)


──青銅器時代、それとも石器時代、どっちですか。

 同じ人類でも今おっしゃった青銅器時代にある人種もいれば鉄器時代にある人種もおり、石器時代にある人種もいます。人類全体が同じ歩調で進化しているのではありません。そのくらいのことはご存知でしょう。今の質問は少し軽率です。

 地上人類が知性的発達段階にあった時期──こう言えば一ばん正確でしょう。それは歴史的に言えばアトランティスよりもずっと前、あるいはレムリアと呼ばれている文明が登場するより前のことです(※)。

お二人は地上近くの界層まで降りて強力な霊力を身につけ、さらに知識も身につけ、もともと霊性の高いお方でしたから、一気に地球圏を卒業して惑星間の界層へと進まれ、さらには恒星間の界層へと進まれたものと想像されます(第一巻六章参照)。

と言うのも、敢えて断言しますが、それほどの使命を仰せつかる方が、自転・公転の運動と相互作用を続ける星雲の世界を統率する途方もない高級エネルギーに通暁していないはずはないからです。

(※アトランティス大陸もレムリア大陸も共に伝説上のものとする説があるが、実際に存在していたことがこれで知れる──訳者)

 お二人が自分たちがアフニィティであることを悟ったのはそのあと霊界へ戻ってからのことで、霊的親和力によって自然に引き寄せられ、以来ずっと天界の階梯を向上し続けておられるのです。


──地球以外の惑星との接触はどういう形で行ったのでしょうか。再生したのでしょうか。


 再生という用語は前生と同じ性質の身体にもう一度宿るということを意味するものと思われます。もしそうだとすれば、そして貴殿もそう了解してくださるならば、地球以外の天体上の身体や物質に順応させていく操作を〝再生〟と呼ぶのは適切ではありません。

というのは、身体を構成する物質が地上の人間のそれと非常に似通った天体もあるにはありますが、全く同じ素材で出来ている天体は二つとなく、全く異なるものもあります。

 それ故、貴殿が今お考えになっているような操作を再生と呼ぶのは適切でないばかりか、よしんば惑星間宇宙を支配する法則と真っ向から対立するものではないにしても、物的界層の進化の促進のためにこの種の問題を担当している神霊から見れば、そう一概に片づけられる性質ものでないとして否定されることでしょう。

そうではなくて、お二人はこの太陽系だけでなく他の恒星へも地上の場合と同じように、今私が行っている方法で訪れたのです。

 私はこの地上へ私の霊力の強化のために戻ってまいります。そして時には天体の創造と進化についての、より一層の叡智を求めて、同じ方法で他の天体を訪れます。が、物質的身体をまとうことは致しません。そういうことをしたら、かえって障害となるでしょう。

私が求めているのは内的生活、その世界の実相であり、それは内部から、つまり霊界からの方がよく判ります。物的世界のことはそこの物質を身にまとって生まれるよりも、今の霊としての立場から眺めた方がより多く学べるのです。

魂をそっとくるんでくれる霊的身体よりはるかに鈍重な器官を操作しなければならないという制約によって、霊的感覚がマヒしてしまうのです。

 お二人の体験を私自身の体験を通してお答えしてみたのですが、これでお分かりいただけたでしょうか。


──どうも恐縮です。よく分かりました。

 結構です。お気づきでしょうが、創造全体としては一つでも、崇高なる喜悦の境涯にまでも〝多様性〟が存在し、その究極の彼方において成就される〝統一性〟の中において初めて自我についての悟りに到達する。

それまでは神の時計の振子が永遠から永遠へと振り、その調べのリズムがダイナミックな創造の大オーケストラの演奏の中で完全に融合し全体がたった一つの節となってしまう。

その崇高なる境涯へ向けて一日一日を数えながら辿った来(こ)し方を振り返るごとに、それまでの道程が何と短いものであるかを痛感させられるものです。

 私が今置かれているところもやはり学校のようなところです。この界へ上がり聖堂へ入ることでようやく卒業した試練の境涯から、ほんの一段階うえの学校の低学年生というところです。お二人の天使もここを通過されてさらに高い学校へと進級して行かれました。

そしてこのたびのように、かつてのご自分と同じ鍛錬の途上にある者の教師として、あるいは指導者として戻って来られるのです。


──お二人の名前を伺いたいと思っていたのですが・・・・・・

 思ってはいたが前と同じように断られるのではないかと思って躊躇された・・・・・・のですね? さてさて、困りました。やはり(アルファベットで)書き表せる名前ではないのです。こうしましょう。貴殿の思いつくままの名前をおっしゃってみて下さい。それを差し当たってのお名前といたしましょう。


──これまた思いも寄らなかったことです。

 いやいや、今お考えになって書いてくださればよろしい。本当の名前を知っていながらそれが書き表せない私よりも(何もご存知でない)貴殿が適当に付けてくださる方がいいでしょう。本当のお名前はアルファベットでは書こうにも書けないのです。さ、どう呼ばれますか。


──マリアとヨセフではいかがでしょう。

 これはまた謎めいたことをなさいました。その謎は貴殿にはよくお判りにならないでしょうが、ま、その名前で結構です。いけないと言っているのではありません。

結構ですとも。お二人をお呼びするにふさわしい意味をもつ名前を歴史上に求めれば、それしかないでしょうから。その意味については述べないでおきます。〝聞く耳ある者は聞くべし〟(マルコ4・9)です。

ではその名前で話を進めましょう。マリアにヨセフ。貴殿はその順序で述べられました。その順序でまいりましょう。ぜひそうしてください。それにも意味があるのです。


──地上時代の名前や年代はとても伝えにくいようですね。そちらからの通信を受けている者には一様にそう感じられます。どうしてなのでしょう?

 貴殿は少し問題を取り違えてますね。今おっしゃったのはかつての地上での名前と生活した時代のことでしょう。


──そうです。

 そうでしょう。では名前のことからお話ししましょう。これは死後しばらくは記憶しています。しかしそのうち新しい名前をもらってそれをいつも使用するので、地上時代の名前は次第に使わなくなります。

すると記憶が薄れ、おぼろげとなり、ついにほとんど、ないしは完全に記憶が消滅してしまいます。地上に親族がいる間はさほどでもありませんが、全員がこちらへ来てしまうと、その傾向が促進されます。

やがて何世紀もの時の流れの中で他の血族との境界線がぼやけて混り合い、一つの血族だけのつながりも薄れて、最後は完全に消滅します。例外もあるにはあります。

が、それも僅かです。それと同時に少しずつ名前の綴りと発音の形態が変わっていき、そのうちまったく別の形態の名前になります。しかし何といっても進化に伴って地上圏との距離が大きくなるにつれて地上時代への関心が薄れていくことが最大の要因でしょう。

霊界でのその後の無数の体験をへるうちに、すっかり忘れ去られていきます。記録を調べれはいつでも知ることはできます。が、その必要性も滅多に生ずるものではありません。

 地上時代の年代が思い出しにくいのも似たような理由によります。吾々の関心は未来にありますので、この問題はさしあたっての仕事にとっても無意味です。

もう一つの事情として、地上時代のことが刻々と遠ざかり、一方では次々と新しい出来ごとがつながっていくために、今ただちに地上時代のことを拾い出してそれが地上の年代でいつだったかを特定するのはとても困難となります。

もっとも地上の人間からのそうした問い合わせに熱心に応じる霊がいるものでして、そうした霊にとっては簡単に知ることができます。

が吾々のように他に大切な用件があり、今という時間に生きている者にとっては、急に航行先の変更を命じられて回れ右をし、すでに波がおさまってしまった抗行跡を引き返して、その中の一地点を探せと言われても困るのです。

その間も船は大波をけって猛スピードで前進しているのです。その大波の一つ一つが地上の一世紀にも相当すると思って下さい。そうすれば私の言わんとしていることが幾らかでもお分かり頂けるでしょう。

 では今回はこの辺で打ち切って、次の機会に同じ話題を取り上げ、神の名代である二人の天使、マリアとヨセフについて今少し述べることにしましょう。
  アーネル ±

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
三章  霊の親族(アフィニティ)



2 双子の霊
一九一八年 二月十五日 金曜日

──前回お話しくださった儀式のことは、あれでおしまいですか。まだお話しくださることがあるのでしたら、私の質問に対する答えはあとまわしにしてくださって結構です。そちらのご都合に合わせます。

 どちらでも結構ですが、(前回のおしまいのところで)お書き留めになった質問の中に今ここでお答えしておいた方がよいものがあるようです。


──〝二人の天使は地上ではどこの民族に属していたか〟──この質問のことでしょうか。

 それです。そのことに関連してまずご承知おき願いたいのは、あの二人の若い天使の誕生は実は太古にまで遡るということです。

あれほどの霊力と権威とを悠久の鍛錬と進化の過程を経ずして獲得し、それをあのような任務に行使するに至るという例はそう滅多にないことです。お二人は双子霊なのです(※)。

地球がまだ現在のような環境となっておらず、人類がまだこれからお二人が霊団を率いて赴く天体上の人種と同じ発達段階にあったころに地上で生活なされました。その段階の期間は随分永く続きました。その間にお二人は知性の黎明期を卒業し、それから霊界入りしました。

その時点から本格的な試練がはじまり、同じ人種の中でも格別に進歩性の高いお二人は、各種の天体を低いものから高いものへと遍歴しながら、最後は再び地上圏へ戻って来て、さらに進化を遂げられました。

そのころは地球も合理的思考の段階、ほぼ今日の人類と同じ発達段階に到達しておりました。(※ Twin souls シルバーバーチはこれを一つの霊の半分ずつが同時に物質界に誕生した場合のことで、典型的なアフィニティであるという──訳者)


──青銅器時代、それとも石器時代、どっちですか。

 同じ人類でも今おっしゃった青銅器時代にある人種もいれば鉄器時代にある人種もおり、石器時代にある人種もいます。人類全体が同じ歩調で進化しているのではありません。そのくらいのことはご存知でしょう。今の質問は少し軽率です。

 地上人類が知性的発達段階にあった時期──こう言えば一ばん正確でしょう。それは歴史的に言えばアトランティスよりもずっと前、あるいはレムリアと呼ばれている文明が登場するより前のことです(※)。

お二人は地上近くの界層まで降りて強力な霊力を身につけ、さらに知識も身につけ、もともと霊性の高いお方でしたから、一気に地球圏を卒業して惑星間の界層へと進まれ、さらには恒星間の界層へと進まれたものと想像されます(第一巻六章参照)。

と言うのも、敢えて断言しますが、それほどの使命を仰せつかる方が、自転・公転の運動と相互作用を続ける星雲の世界を統率する途方もない高級エネルギーに通暁していないはずはないからです。

(※アトランティス大陸もレムリア大陸も共に伝説上のものとする説があるが、実際に存在していたことがこれで知れる──訳者)

 お二人が自分たちがアフニィティであることを悟ったのはそのあと霊界へ戻ってからのことで、霊的親和力によって自然に引き寄せられ、以来ずっと天界の階梯を向上し続けておられるのです。


──地球以外の惑星との接触はどういう形で行ったのでしょうか。再生したのでしょうか。


 再生という用語は前生と同じ性質の身体にもう一度宿るということを意味するものと思われます。もしそうだとすれば、そして貴殿もそう了解してくださるならば、地球以外の天体上の身体や物質に順応させていく操作を〝再生〟と呼ぶのは適切ではありません。

というのは、身体を構成する物質が地上の人間のそれと非常に似通った天体もあるにはありますが、全く同じ素材で出来ている天体は二つとなく、全く異なるものもあります。

 それ故、貴殿が今お考えになっているような操作を再生と呼ぶのは適切でないばかりか、よしんば惑星間宇宙を支配する法則と真っ向から対立するものではないにしても、物的界層の進化の促進のためにこの種の問題を担当している神霊から見れば、そう一概に片づけられる性質ものでないとして否定されることでしょう。

そうではなくて、お二人はこの太陽系だけでなく他の恒星へも地上の場合と同じように、今私が行っている方法で訪れたのです。

 私はこの地上へ私の霊力の強化のために戻ってまいります。そして時には天体の創造と進化についての、より一層の叡智を求めて、同じ方法で他の天体を訪れます。が、物質的身体をまとうことは致しません。そういうことをしたら、かえって障害となるでしょう。

私が求めているのは内的生活、その世界の実相であり、それは内部から、つまり霊界からの方がよく判ります。物的世界のことはそこの物質を身にまとって生まれるよりも、今の霊としての立場から眺めた方がより多く学べるのです。

魂をそっとくるんでくれる霊的身体よりはるかに鈍重な器官を操作しなければならないという制約によって、霊的感覚がマヒしてしまうのです。

 お二人の体験を私自身の体験を通してお答えしてみたのですが、これでお分かりいただけたでしょうか。


──どうも恐縮です。よく分かりました。

 結構です。お気づきでしょうが、創造全体としては一つでも、崇高なる喜悦の境涯にまでも〝多様性〟が存在し、その究極の彼方において成就される〝統一性〟の中において初めて自我についての悟りに到達する。

それまでは神の時計の振子が永遠から永遠へと振り、その調べのリズムがダイナミックな創造の大オーケストラの演奏の中で完全に融合し全体がたった一つの節となってしまう。

その崇高なる境涯へ向けて一日一日を数えながら辿った来(こ)し方を振り返るごとに、それまでの道程が何と短いものであるかを痛感させられるものです。

 私が今置かれているところもやはり学校のようなところです。この界へ上がり聖堂へ入ることでようやく卒業した試練の境涯から、ほんの一段階うえの学校の低学年生というところです。お二人の天使もここを通過されてさらに高い学校へと進級して行かれました。

そしてこのたびのように、かつてのご自分と同じ鍛錬の途上にある者の教師として、あるいは指導者として戻って来られるのです。


──お二人の名前を伺いたいと思っていたのですが・・・・・・

 思ってはいたが前と同じように断られるのではないかと思って躊躇された・・・・・・のですね? さてさて、困りました。やはり(アルファベットで)書き表せる名前ではないのです。こうしましょう。貴殿の思いつくままの名前をおっしゃってみて下さい。それを差し当たってのお名前といたしましょう。


──これまた思いも寄らなかったことです。

 いやいや、今お考えになって書いてくださればよろしい。本当の名前を知っていながらそれが書き表せない私よりも(何もご存知でない)貴殿が適当に付けてくださる方がいいでしょう。本当のお名前はアルファベットでは書こうにも書けないのです。さ、どう呼ばれますか。


──マリアとヨセフではいかがでしょう。

 これはまた謎めいたことをなさいました。その謎は貴殿にはよくお判りにならないでしょうが、ま、その名前で結構です。いけないと言っているのではありません。

結構ですとも。お二人をお呼びするにふさわしい意味をもつ名前を歴史上に求めれば、それしかないでしょうから。その意味については述べないでおきます。〝聞く耳ある者は聞くべし〟(マルコ4・9)です。

ではその名前で話を進めましょう。マリアにヨセフ。貴殿はその順序で述べられました。その順序でまいりましょう。ぜひそうしてください。それにも意味があるのです。


──地上時代の名前や年代はとても伝えにくいようですね。そちらからの通信を受けている者には一様にそう感じられます。どうしてなのでしょう?

 貴殿は少し問題を取り違えてますね。今おっしゃったのはかつての地上での名前と生活した時代のことでしょう。


──そうです。

 そうでしょう。では名前のことからお話ししましょう。これは死後しばらくは記憶しています。しかしそのうち新しい名前をもらってそれをいつも使用するので、地上時代の名前は次第に使わなくなります。

すると記憶が薄れ、おぼろげとなり、ついにほとんど、ないしは完全に記憶が消滅してしまいます。地上に親族がいる間はさほどでもありませんが、全員がこちらへ来てしまうと、その傾向が促進されます。

やがて何世紀もの時の流れの中で他の血族との境界線がぼやけて混り合い、一つの血族だけのつながりも薄れて、最後は完全に消滅します。例外もあるにはあります。

が、それも僅かです。それと同時に少しずつ名前の綴りと発音の形態が変わっていき、そのうちまったく別の形態の名前になります。しかし何といっても進化に伴って地上圏との距離が大きくなるにつれて地上時代への関心が薄れていくことが最大の要因でしょう。

霊界でのその後の無数の体験をへるうちに、すっかり忘れ去られていきます。記録を調べれはいつでも知ることはできます。が、その必要性も滅多に生ずるものではありません。

 地上時代の年代が思い出しにくいのも似たような理由によります。吾々の関心は未来にありますので、この問題はさしあたっての仕事にとっても無意味です。

もう一つの事情として、地上時代のことが刻々と遠ざかり、一方では次々と新しい出来ごとがつながっていくために、今ただちに地上時代のことを拾い出してそれが地上の年代でいつだったかを特定するのはとても困難となります。

もっとも地上の人間からのそうした問い合わせに熱心に応じる霊がいるものでして、そうした霊にとっては簡単に知ることができます。

が吾々のように他に大切な用件があり、今という時間に生きている者にとっては、急に航行先の変更を命じられて回れ右をし、すでに波がおさまってしまった抗行跡を引き返して、その中の一地点を探せと言われても困るのです。

その間も船は大波をけって猛スピードで前進しているのです。その大波の一つ一つが地上の一世紀にも相当すると思って下さい。そうすれば私の言わんとしていることが幾らかでもお分かり頂けるでしょう。

 では今回はこの辺で打ち切って、次の機会に同じ話題を取り上げ、神の名代である二人の天使、マリアとヨセフについて今少し述べることにしましょう。
  アーネル ±

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen

三章  霊の親族(アフィニティ)


1 二人の天使
一九一八年 二月十一日 月曜日 

 では今夜もまた貴殿の精神をお借りして、前回私が〝歓送の儀〟ならびに〝顕現〟と呼んだところの行事を叙述してみたいと思います。この度の行事にはその両方がいっしょに取り行われたのです。

 今しも中央大ホールには大聖殿の総監からの召集で第十一界の各地から晴れやかな面持ちの群集が列をなして集まっていました。が、面持は晴れやかでも、姿全体にどこか緊張感が漂っています。

というのも、彼らにはこれより厳粛な儀式が行われることが分かっており、この機会に自分の進歩を促進させるものを出来るかぎり摂取しておこうという心構えで来ているのです。

その儀式には神秘的かつサクラメント的な性格があり、吾々はその意味を理解し、意図されている恩恵のすべてを身に受けるべく、上層界より届けられる高き波長に合わせる修行を存分に積んでいるのです。

 全員が集合した時、前回申し上げた天上の雲状のものを見上げたところ、その色彩が変化しつつあるのが分かりました。

私がそのホールへ入ったときは青い筋の入った黄金色をしていました。それが今は次々と入場する群集が携えてくる色調を吸収し融合していき、数が増えるにつれて色彩が変化し、そしてついに全員が集結した時は濃い深紅のビロードの色調となっていました。

地上の色彩の用語で説明すれば以上が精一杯です。実際にはその色彩の表情に上層界からの高度なエネルギーの影響が加わっており、すでに何かの顕現が行われる準備が出来ていることを窺わせておりました。

 そう見ているうちに、その雲状のものからあたかも蒸溜されたエッセンスのようなものが霧状となって降下し、甘美な香気と囁きの音楽とともに個々の列席者にふりそそぎ、心に歓喜と安らぎの高まりを引き起こし、やがて吾々全員が完全なる融和状態へと導かれていきました。

その状態はあたかも細胞のすべてが一体となって一個の人体を構成しているごとくに、出席者全員がもはや個人としてでなく全体として一つの存在となっているのでした。それほどまで愛と目的とが親和性において一つになり切っていたのです。

 やがて謁見の間へ通じる道路の前に一個の雲状の固まりが現われ、凝縮しつつ形体を整えはじめました。

さて私はこれより展開することを精一杯描写するつもりですが、貴殿によくよく留意しておいていただきたいのは、かりに貴殿がその通りを私と同じ界の者に語って聞かせたら、その人は確かにそういう現象があったことは認めても、言い落していること、用語の不適切さ等のために、実際に起きたものとは違うことを指摘するであろうと言うことです。

 その雲状の固まりは表面は緑色で、内側に琥珀色の渦巻状の筋が入っており、それに青色の天蓋がかぶさっておりました。

それが休みなくうごめいており、やがてどっしりとしたパピリオン──濃い青紫色の天井と半透明の緑と琥珀色の柱をした館──の姿を見せました。半円形をした周囲に全部で七本の柱が並び、さらに表面玄関の両わきに二本見えます。

この二本は全体が濃紫色で、白の縁どりのある深紅の渦巻状の帯が巻いています。

パピリオン全体がその創造に携わる神霊の意念によって息づき、その構造から得も言われぬメロディの囁きが伝わってくるのが感じ取れました───聞くというよりは感じ取ったのです。こちらでは貴殿らのように聞くよりも感じ取る方がいっそう実感があるのです。


 やがて天蓋の下、七本の柱のちょうど中央に当たる位置に一台の四輪馬車が出現しました。後部をこちらへ向けております。五頭の美しい馬が頭を上げ、その厳かなドラマに一役買っていることをさも喜ぶかのような仕草をするのが見えます。

肌はほのかな黄金色に輝き、たてがみと尾はそれより濃い黄金色をしております。見るからに美しく、胴を飾る繻子(サテン)の掛けものもパピリオンの色彩を反映してうっすらと輝いております。

 続いてその馬車の中に現れたのは美しい若い女性の姿でした。吾々の方を向いておられ、私の目にはその美しさのすべてを見ることができました。見れば見るほど、ただただ美しいの一語に尽きます。全身が地上に存在しない色合いをしております。

琥珀色といってもよろしいが、同じ琥珀でもパピリオンの柱のそれとは感じが異なります。

もっと光輝が強く、もっと透明ですが、柱には見られない実在感と永続性を具えております。上腕部には紫の金属でできた腕輪(バンド)をつけ、手首のところにルビーの金属の輪が見えます。

頭部には白と黄色の筋の入った真っ赤な小さい帽子をつけておられ、髪はあたかも沈みかかった太陽の光を受けているような、オレンジ色の光沢をした茶褐色をしております。目は濃紫に青の混じった色をしておられます。

 さて、そうしたお姿に見入っているうちに突如として私は天上界からお出ましになられたこの女神が・・・・・・いけません。

その方が吾々にいかなる意味を持つのか、本来の界においていかなるお立場にあるのかをお伝えしたいのですが、それを適確に言い表わす用語が思い当たりません。しばらく間を置かせてください。それからにしましょう。


 では、こう綴ってください。母なる女王。処女性。一民族を懐に抱きつつ、進歩と善へ向けての力として、その民族の存在目的の成就へと導く守護神。

一方において惰眠をむさぼり進歩性を失える民族に啓示をもたらしてカツを入れ、騒乱の危険を冒してでも活動へとかきたて、他において、永遠の時がこのいっときに集約され、すべてが安寧の尊厳の中に融和し吸収され尽くしたかの感覚をすべての者に降り注ぐ。

すべてを曝しても恥じることなく、美への誘惑がことごとく聖(キヨ)さと哀れみと愛へ向かうところの、恐れることを知らぬ心と純粋性。

以上のものをひとまとめにして、これを〝女王〟という一語で表してみてください。その時のお姿から吾々が得たものをお伝えするにはそれが精一杯です。

 さて、その女王が後ろを振り向いて一ばん近い二頭の馬に軽く手を触れられると、馬車はくるりと向きを変えて吾々の方へ向きました。

するとそこへホールの反対側の二階の回廊から一人の若者が降りてきて、中央の通路を通って馬車の近くで歩を止められました。そこで女王がにっこりと笑みを送ると、若者は後部から馬車に乗り、女王のそばに立ちました。

そのお二人が立ち並んでいる時の愛と聖なる憧憬の中の、得も言われぬ睦み合い───互いが己れの美を与え合って互いの麗しさを増しております。


──その若者の様子を述べていただけませんか。

 若者は右に立たれる女王をそのまま男性としたようなものです。両者は互いに補足し合うもの、言わば〝対〟の存在です。ただし一つだけ異なるところがありました。

身にまとわれた衣装がわずかながら女王のそれより赤みがかっていたことです。それ以外にお二人を見分けるものはとくにありませんでした。

性別も身体上ではなく霊性に表われているだけでした。にもかかわらず、一方はあくまで女性であり、他方はあくまで男性でした。ですが、お二人には役割があります。

 お二人は、これより、ある雄大な構想を持つ画期的な計画を推進する大役を仰せつかった一団の指揮者として参られたのです。

その計画の推進には卓越した才能と多大な力とを要するために、一団はそれまでに大聖堂を中心とした聖域において準備を整えてきたのでした。その計画というのはこうです。

 現在ある天体上の生命がようやく〝知性〟が芽生えはじめる進化の階梯に到達していて、その生命を動物的段階からヒトの段階へと引き上げ、人類としての種を確立させるためにその天体へ赴くというものです。

人類といっても、現在の地上人類のタイプと同一のものとはならないでしょうが、大きく異なるものでもなく、本質においては同種です。

一団はその人類のこの画期的段階における進化を指導する仕事を引き受けることになっているわけです。計画のすべてを受け持つのではありません。

また今ただちに引き受けるのではありません。今回は彼らの前任者としてその天体を現在の段階にまで導いてきた〝創造の天使たち〟と初めて面会することになっております。彼らは時おり休息と指示を仰ぎに帰ってきます。

その間、一部の者が残留して仕事を続行し、休息を得た者は再びその天体へ赴いて、残留組と交替し、そうやって徐々に仕事を広げて生きつつありますが、他方では(今回の一団のように)この界または他の界において、次の新たな進化の段階を迎える時に備えて、さらに多くの天使からなる霊団を組織して鍛錬を積んでいるのです。

彼らはその天体が天界の虚空を旅しながら首尾よくモヤの状態から組織体へ、単なる組織体から生ける生命体へ、そして単なる生命体から知性を具えた存在へ──これを地上に擬(なぞら)えて言えば、動物的段階から人間的存在を経て神格を具えた存在へと進化していくのを陰から援助・促進するのです。

 間もなく吾々の見送りを受ける一団は、これから最初の試練を受けることになります。

といって、いきなり創造に携わるのではなく──それはずっと先の話です──創造的大業の末端ともいうべき作業、すなわち、すでに創造された生命を別の形体へと発展させる仕事を割り当てられます。

それも、原理的には創造性を帯びておりますが、まったく新しい根源的な創造ではなく、低級な創造物の分野にかかわる仕事です。

 ここで注目していただきたいのは、お二人が出現なさった時、順序としてまず女性の方が馬車の中に姿をお見せになり、それから男性が姿を見せたことです。

この王国においては女性原理が優位を占めているからです。が、お二人は並んでお立ちになり、肩を並べて歩まれます。

そこに謎が秘められているのです。つまり一方が主であり他方が従であるはずのお二人がなぜ等位の形で一体となることが出来るかということです。現実にそうなっているのです。しかし私からこれ以上話さないことにします。

あなた方ご自身でお考えいただくことにいたしましょう。理屈でなしに、真実性を直感していただけると思うのです。(章末にその謎を解くカギが出てくる──訳者)

 いよいよその厳粛なる使命のために選ばれた霊団──遠く深い暗黒の虚空の最果てへ赴く霊団がやってまいりました。彼らが赴くところは霊質に代って物質が支配する世界です。

ああ、光明の天界より果てしなく濃密な暗黒の世界へ──環境はもとより、吾々と同じ根源を有する生命の火花を宿す身体も物質で出来ている奈落の底へと一気に下がって行くことが吾々にとっていかなることを意味するか、貴殿にはまず推し測ることはできないであろう。

 かつて私も霊団を従えて同じような境涯へ赴いたのです。不思議といえば不思議、その私と霊団が今こうして物的身体に閉じ込められた貴殿に語りかけているとは。

もっとも、吾々の目には貴殿の霊的身体しか映じません。それに向けて語りかけているのです。が、可憐なるカスリーン嬢が彼女特有の不思議な魔力を駆使して吾々よりさらに踏み込み、直接貴殿の物的脳髄と接触してくれております。

 さて今回はこれ以上述べることはありません。質問が幾つかおありのようですね。私にはそれが見て取れます。お書きになってください。次の機会にお答えしましょう。
                           アーネル ±

 訳者註──ここには記載されていないが、実際にはこのあと質問事項が箇条書きにしたことが四日後の次の通信の冒頭から窺われる。

シルバーバーチの教え(新版・上)

Treasury of Spiritual Wisdom
Teachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編) 近藤千雄(訳)


5章 神とはどのような存在か

〔スピリチュアリストの中にも、シルバーバーチが説く神の概念に対して当惑する人がいるが、次の質疑応答は神を正しく理解するための参考になるであろう。〕
質疑応答


――大霊というのは「誰」なのでしょうか。「何」なのでしょうか。あらゆるものに内在する愛、愛の精神ないしは情なのでしょうか。


大霊とは宇宙の自然法則です。物質界と霊界のすべての生命体の背後にある創造的エネルギーです。大霊は完全なる愛であり、完全なる叡智です。大霊は全宇宙のすみずみまで行きわたっています。人間が知り得る極微のものであろうと、まだ物質界には明かされていないものであろうと、そのすべてに遍在しています。

大霊は、あらゆる生命体に充満しています。あらゆるものに内在し、あらゆる法則に内在しています。大霊は生命であり、愛であり、存在するすべてのものなのです。従僕にすぎない私たちが、どうして主人を表現することができるでしょうか。ちっぽけな概念しか抱けない私たちが、どうして広大無辺の存在を表現できるでしょうか。


――一羽のスズメが落ちるのも神はご存じだということですが、この地球上のすべての人間の身に起きることを、神はどのようにして知ることができるのでしょうか。ましてや、すでに他界した数えきれない人たちのことまで、どのようにして知ることができるのでしょうか。


人間が「神」と呼んでいるのは、宇宙の自然法則のことです。大霊(神)は万物に内在しています。すべての存在物が大霊であると言えるのです。魂はそれ自身のことを知っていますから、大霊は魂を知っていることになります。スズメも大霊ですから、大霊はスズメを知っていることになります。大霊は風にそよぐ木の葉の中にも存在していますから、木の葉は大霊であると言えます。

地上界のすべて、霊界のすべて、宇宙のすべて、そしてまだあなた方に知らされていない世界のすべてが、大霊の法則の絶対的な支配の中にあるのです。その法則から離れては何ひとつ生じません。すべてが法則の範囲内で発生していますから、大霊はすべてを知っていることになります。


――あなたは、全存在の根源である大霊はあらゆるものに内在している、愛にも憎しみにも、叡智の中にも愚かさの中にも存在している、とおっしゃっています。そうであるなら、間違ったことをする人間も正しいことをする人間と同様に、大霊の摂理の中で行動していることになります。同じことが、戦争や憎しみを煽動する者と、平和や愛を唱道する者とについても言えることになります。すべては大霊の摂理の一部であるとするなら、神の摂理を犯す者は誰ひとりいないことになりますが、この矛盾をどう説明されますか。


一方に“完全なもの”があり、他方に“不完全なもの”があります。しかし不完全なものも、その内部に完全性の種子を宿しています。なぜなら完全性は、不完全性から生じるものだからです。完全性は完全性から生まれるのではなくて、不完全性から生まれるのです。

生命の旅路は進化であり、進歩です。向上を求めての葛藤です。発達・発展・拡大・拡張です。あなた方が“善”とか“悪”とか言っているのは、その旅路における途中の段階にすぎず、終着点ではありません。あなた方は、その不完全な理解力によって判断しているのであって、ある段階から見て上のものを“善”と言い、それより低いものを“悪”と言っているにすぎません。それはその段階でのあなた方なりの考え方であり、その状況から離れたときには、あなた方は別の判断をするかもしれません。が、いかなる状況にあっても、大霊はすべてのものに内在しているのです。


――すると大霊は地震にも関わっているのでしょうか。


大霊とは摂理(法則)であり、あらゆるものを支配しています。摂理に関わりなく生じるものは、宇宙には何ひとつ存在しません。

地震・雷・嵐――こうしたものについてどのように理解すべきか地上人が頭を悩ませていることは、私もよく承知しています。しかし、それらはすべて摂理の支配下にある宇宙の一部なのです。宇宙は、そこに生を営む者と同じように進化しています。物質界は、まだ完全からはほど遠いものであり、完全に至ることはありません。物質界はどこまでも、より高い世界へと進化していくのです。


――大霊も進化しているということでしょうか。


それは違います。大霊は摂理であり、その摂理は完璧です。ただ、物質界で顕現している部分が顕現の仕方において進化しつつあるということです。その点をよく理解してください。地球も進化していて、地震などの天変地異はその進化の現れであるということです。地球は火焔(かえん)と嵐の中で誕生し、今もなお完成へ向けてゆっくりと進化しているのです。

大霊は、朝日や夕日の美しさ、夜空を埋め尽くす無数の星の輝き、小鳥のさえずりの楽しさとは関わっていても、雷雨や嵐や稲妻とは関わっていないと言うことはできません。すべては大霊の法則の働きによって生じているのです。

その意味では、堕落した人間や同胞に害を及ぼすような人間の存在も大霊の責任であると言っても、必ずしも間違いではありません。しかし忘れないでいただきたいのは、一人ひとりの人間に、霊性の進化の程度に応じた「自由意志」が与えられているということです。霊的段階を高く上れば上るほど、自由意志を行使できる範囲が広くなります。つまり現在のあなたが、あなた自身の限界をつくっているということです。しかし、あなた方は大霊の一部であるがゆえに、地上世界で生じるあらゆる困難や障害を克服することができるのです。

霊は物質に優ります。霊が王様(キング)で物質は従僕(サーバント)です。霊はすべてに優ります。全生命が生み出されるエッセンスです。霊は生命であり、生命は霊なのです。


――大霊はこの宇宙とは別の存在なのでしょうか。


そうではありません。宇宙は大霊の反映にすぎません。大霊が宇宙なのです。ハエに世界が理解できるでしょうか。魚に小鳥の生活が分かるでしょうか。犬に人間のように理性を働かせることができるでしょうか。星に空のことが分かるでしょうか。あなた方に人間の精神をはるかに超えた大霊が理解できるでしょうか。

しかしあなた方は、一言も発することなく魂の静寂の中で霊が大霊と交わることができる段階まで霊性を磨くことは可能です。そのときあなた方は、自分と大霊とが一つであることを理解します。それがどういうものであるかは言葉では説明できませんが、あなた方や被造世界のすべての霊的存在者の魂が静寂の中で、その霊的感性によって実感することができるのです。


――霊が個としての意識を獲得するためには、物質界とつながりを持つことが必要でしょうか。


その通りです。意識を獲得するためには物的身体(肉体)に宿って、物的体験をしなければなりません。霊にとって物的身体との結合が、個としての表現を可能にするという意味です。霊は物質に宿ることによって、その本性を自覚するようになるのです。


訳注――別のところで、創造をつかさどる高級神界では物質界に降誕しなくても意識を所有している霊が普通であると述べている。また、その中から特殊な使命を帯びて物質界へ降誕する者がいるとも述べている。イエスがその代表格であろう。


――そうなると、大霊は私たちを通して体験を得ているということでしょうか。


それは違います。あなた方の進化が、すでに完璧なもの(大霊)に影響を及ぼすことはありません。


――でも、私たちは皆、大霊の一部です。その一部の進化が全体に影響を及ぼすことはないのでしょうか。


あなた方を通して顕現している部分に影響を及ぼすにすぎません。その一部も本来は完全なものですが、あなた方を通しての顕現の仕方が不完全だということです。霊そのものは完全です。霊は宇宙の根源的要素であり、生命の息吹です。ただ、あなた方が不完全であるがゆえに、あなた方を通しての顕現の仕方が不完全になるのです。あなた方が進化するにつれて、より完全なものが顕現するようになります。あなた方は直接、霊を進化させるのではなくて、霊が顕現するための身体(霊体と肉体)を用いた実践を通して霊を進化させるのです。


――霊がそれ自身を発現するための媒体には、いろいろな形態があるということでしょうか。


そうです。大霊の摂理は完璧です。が、あなた方を通して顕現している摂理は、あなた方が不完全であるがゆえに不完全となります。完璧な摂理は、あなた方を通して働くことはできません。しかし、あなた方が完全へ向けて進化するにつれて、摂理はあなた方を通してより大きく働くことができるようになるのです。

鏡と光の譬えで説明しましょう。鏡は光を反射するものですが、鏡が粗悪であれば光のすべてを反射することはできません。鏡を磨いてもっと完全なものにすることによって、より多くの光を反射することができるようになります。

全存在が絶え間なく、よりいっそうの顕現を求めて努力しているのです。すでに申し上げたと思いますが、生命(霊)とは原石のようなものです。つまり金(きん)がその本来の姿を現すためには、原石を砕き、手間をかけて純度を高めなくてはなりません。「原石はいらない、金(きん)だけをくれ」――こんな要求は通りません。


――しかし私たちにも、何が善で何が悪かの概念はあると思いますが……。


地上人の抱く善悪の考えは、霊的成長のプロセスにおけるその時点での想念にすぎません。それは進化の過程で到達した段階を表しています。人間がさらに進化すれば、それまでの善悪の概念は捨て去られます。それは、完全なる摂理が正道から外れた媒体を通してそれ自身を顕現させようとするところから生じた不完全な発想にすぎません。私が善にも悪にも存在意義を認めるわけは、そこにあります。


――ということは、神はその原初においては必ずしも善ではなかったということでしょうか。


私は“原初”については何も知りません。“最終”についても何も知りません。知っているのは、大霊は常に存在しており、これからも常に存在し続けるということだけです。大霊の摂理の働きは完璧です。もし、あなたが完全な光を放っても、十分に磨かれていない鏡ではその光を完璧に反射することはできないということは分かっていただけると思います。それを光が不完全だ、光が悪い、とは言えないでしょう。あなた方は、内部には完全な霊を宿していても、まだそれを完全な形で表現する準備ができていません。人間が“悪”と呼んでいるのは不完全性のことにすぎません。完全な大霊を不完全に表現しているということなのです。


――宇宙には創造力を持つ一個の存在、ないしは一人の絶対的存在がいるだけで、私たちには創造力はないという考えは正しいでしょうか。


大霊は無窮(むきゅう)の過去から存在し、今この時も存在し、そして果てしない未来にも存在し続けます。全生命が大霊であり、大霊が全生命なのです。あなた方にいったい何が創造できるでしょうか。しかしあなた方は、霊性が進化するにつれて、より美しく、より高く上ることができます。進化の程度が低いほど、宇宙におけるあなた方の位置は低くなります。

Sunday, January 25, 2026

シルバーバーチの教え(新版・上)

Treasury of Spiritual Wisdom
Teachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編) 近藤千雄(訳)


4章 スピリチュアリズムが目指す新しい世界

〔人類が霊的法則を学び、その指示に従って生きるようになったときの世界は、どのようなものであろうか。新しい世界は一人の独裁者、一つの政府、あるいは国際連盟のような組織によってコントロールされる性質のものではないことは明らかである。人間一人ひとりによる努力の結果として誕生するものであろう。そのときの喜びがいかなるものであるか、それをシルバーバーチに語ってもらおう。〕


地球人類は今まさに危機の真っ只中にあります。何事につけ誕生には苦しみがともなうものですが、新しい秩序の誕生にも大きな苦しみがともないます。その誕生が近づくにつれて苦痛も増大してきます。

しかし間違いなく言えることは、新しい世界の種子がすでに地上界に根付いているということです。既得権力の座に安住している者たちがいかなる策を弄(ろう)しても、それは功を奏さないでしょう。イエスは、「天に為される如く地にも為されるであろう」と二千年前に述べています。それが実現しようとしているのです。

これから地上には、いくつもの大きな変化が生じます。崩壊や多くの大変動があるでしょう。皆さんには暗黒と苦難の時代の到来のように思えるかもしれません。「たいへんな時代になった」と、おっしゃるかもしれません。しかし、そうした変動の背後には、地上世界を進化させようとしている大きな力が存在しているのです。

地上世界のための仕事に従事している私たちの多くは、より高い界層の霊たちによって、いつの日か地上はこうなるという未来像を見せていただいております。私たちは、その計画を受け入れる能力のある地上の同志に伝え、仕事を行っていくように彼らの心を鼓舞しているのです。私が見せていただいた未来像に比べると、現在の地上世界はとても醜く見えます。が、私には地上世界はこんなにまで立派になり得るのだ、こうでなければならないのだ、ということが分かっています。あとは時間の問題です。

そのうち、政治も宗教も科学も学問も、ある一つのものの側面にすぎないことが理解できる新しい人類が現れることでしょう。そのときは苦悩や嘆きや恐れ、喪の悲しみや不幸が追放され、笑顔と笑い声が満ちあふれる世界となるでしょう。しかし、現段階の地上世界で最も偉大な人間とは、他人の悲しみを取り除き、人生をより良くしてあげられる人のことなのです。

これまで人間は、何か良いものを手に入れると、それを他人のために使用せずに独り占めしようとしてきました。そしてそうした間違ったあり方ゆえに、いずれ崩壊するに違いない社会システムを構築しようとしてきたのです。しかし大霊からいただいた資質を発達させ、それを他人のために役立てる方向で使用するようになれば、永遠なるものを基盤とした社会システムが構築されるでしょう。

私たちが説いている教えは決して新しいものではありません。霊的な視野を持つ人々がずっと説き続けてきた、古くからある真理です。それをほとんどの人間が顧みようとしなかったために、私たちが改めて説き、大霊の教訓を学ぶように導く必要性が生じたのです。人類は自らの間違った考え方による愚行から、地上界を破滅の寸前にまで追いやっています。

今こそ人類は、大霊とその摂理へ回帰しなくてはいけません。いや、すでに回帰しつつあります。私の目には、ゆっくりとではありますが、大霊の摂理が地上界に具現しつつあるのが見えます。

何よりもまず人類が学ばなければならないのは、大霊の恩寵(おんちょう)は皆で分け合わなくてはいけないということです。現在の地上には、今日の食べ物にも事欠く人がいる一方で、度を超した飽食に走っている人がいます。もちろんこれは間違っています。あり余るほど持っている人は、足りない人に分けてあげなくてはいけません。別に難しいことではないと思うのですが……。

あなた方は、既得権を打破しなければなりません。摂理は完璧です。あなた方が自分のことを忘れて他人のために奉仕しようとするとき、あなた方を通して大霊が働くのです。それはあなた方だけでなく、すべての人間に言えることです。そんなことは無理ですとおっしゃるかもしれませんが、私は可能だと申し上げます。それが人間としての唯一の正しい生き方だからです。摂理は完璧であり、ごまかすことはできません。あなた方は摂理を学び、それを実行に移さなくてはいけません。

長いあいだ人類は、本当は取り壊すべきものを構築することに自由意志を行使してきました。しかし今、ゆっくりと地上の闇に大霊の光が射し込み、混乱と無秩序の中から新しい世界が生まれつつあります。そこにはもはや、不平等も不正もなく、持つ者と持たざる者といった差別もなく、大霊からの賜物(たまもの)がすべての子らに平等に分け与えられるようになることでしょう。

そうした新しい世界の夜明けを、どのような言葉で呼んでもかまいません。それは大霊の力によって成就する世界であり、新たな喜び、新たな人生、新たな幸せを地上にもたらそうとする大霊の意思に忠実な人間の努力によって、これ以上、霊界へ“出来損ない”(死後に「地縛霊」となってしまうような人間――訳注)を送り込まなくなる世界です。

時として、その努力が無駄に終わっているように感じられるかもしれません。しかし常に、世界中のあらゆる所でさまざまな人々が、自覚するしないに関わりなく霊界の道具として新しい世界の夜明けのために活用されているのです。大霊は、我が子が破滅の道へ向かうのを黙って見ていることはできません。私があなた方に繰り返し援助をお願いするのは、人類の悲劇に終止符を打つためです。新しい世界を築くための努力を“政治”と呼ぶかどうかは、私には関心はありません。私たちの仕事は、これからも続いていきます。霊界と地上界が協力して進めていく仕事です。もはや、それを阻止することはできません。

そうした私たち(霊界と地上界)の努力によって、物質界の至るところで大きな仕事が成し遂げられていることを誇りに思っています。地上の暗闇に光が射し込み、悲しみに暮れていた心に喜びがもたらされるようになっています。まだわずかではありますが、無知に代わって知識が存在するようになっています。私たちは、生きる気力を失った人々を助け、人生に疲れた人々に勇気を与え、進むべき道を見失った人々を導いています。そして地上の同胞のために働いている人々を鼓舞し、大霊とその子らのための仕事をするすべての人間の背後には、強力な霊の大軍が控えていることを理解させようとしているのです。

私はまた、皆さんが愛し、皆さんを愛している霊界の人々をこのサークルに連れてこられたことを嬉しく思っています。あなた方は、彼らを失ったのではありません。死は、愛と友情で心が一つになっている者たちの間を引き裂くものではなく、両者は変わらず結ばれていることを、これまで以上に実感することでしょう。

私たち霊団の影響力がどれほど拡大しているかを、あなた方にお見せできないのが残念です。私たちは障壁を壊し、障害物を取り除き、知識をもたらすために働いています。地上世界が必要としているものは、人類を霊的に、精神的に、そして物質的にも自由にしてくれる単純な真理です。ご存じのように私たちは、ただ奉仕するためだけに歩んでいます。無償の奉仕、それのみが地上人類を救うことになるからです。

ここで改めて申し上げておきたいのは、私はただの“道具”にすぎないということです。私は、人間は全生命を生み出した大霊の一部であるという単純な霊的真理をあなた方に悟らせたいと願っている多くの霊たちの一人にすぎません。大霊はあなた方の内部に存在しています。あなた方は神聖なる賜物を与えられており、その潜在的神性が宿っているからこそ大霊の恩寵にあずかる資格があるのです。その神性を妨げる障害物や慣習は、一掃しなければなりません。私たちの仕事は魂と精神を自由にするだけでなく、身体的にも自由にすることを目的としているのです。

そうした仕事に私たちは献身してきました。それが私たちが成し遂げようとしてきた奉仕(サービス)なのです。私は大霊の道具として、人類を救うことになる真理を皆さん方に届けるという特権にあずかったことを光栄に思っています。私が皆さんと一緒に奉仕の仕事に携わってきて何年かになりますが、その仕事はこれからもまだまだ続きます。地上界の皆さんと霊界の私たちの協力によって、地上人類がどうしても必要としている救いをお届けしてまいります。あなた方はすでに知識を持っています。霊的真理を手にしています。真理を知った者には、それを実践に移す責任がともないます。その責任を果たしてこそあなた方は、より優れた大霊の道具になれるのです。

あなた方が手にしている真理に疑念が向けられたときは、それには「神から授かった真理」の刻印が押されていることを常に思い出してください。私たちは、あなた方人間の理性だけに訴えています。私たちがお届けするメッセージは、あなた方の品位を落としたり、知性を侮辱(ぶじょく)したり、奉仕精神と善意を持った正直な生き方に背を向けさせるようなことはありません。それどころか、人間に内在する神性に気づかせ、大霊とのつながりを自覚させるものです。そしてあなた方の日常の行為のすべてを律し、全生命の始原である大霊を顕現させることができるように導くものなのです。

霊的真理の重要性を理解している人たちが一致団結して、物質界に立ち込めている無知の霧を晴らすためにその力を使用すれば、どれほど大きな仕事ができることでしょうか。善意と救済と奉仕の勢力(霊界の軍団)は常にあなた方の味方であることを自覚して、自信を持って前進してください。

私たちの前途には奉仕(サービス)の分野がいくらでも広がっています。私たちの行く手には、古い慣習を捨て、過去の信仰に頼らず、懐疑に耐え得る真理を求めながらも、どこへ向かえばよいのか分からずに迷っている多くの人々を救うことができるという喜びが待っているのです。そうした人々にこそ霊的真理と霊的摂理をお届けするのです。内部に宿る霊的資質に気づかせ、自分たち自身も大霊であるということを理解させてあげるのです。それによって彼らは、激怒し復讐心に燃える神の前にひれ伏すような卑屈な信仰を捨て去るようになります。

大霊の子らのために奉仕しようと努力している地上の同志の背後には、協力関係を求める巨大な霊的勢力が控えていることを知っていただきたいのです。そして霊的真理を武器として、あらゆる迷信、あらゆる邪悪と戦い、尊い真理の光で地上界を照らしていただきたいのです。

私たちは地上に霊力をもたらします。地上の同志を鼓舞し、導き、心の支えとなります。飢えた魂にエネルギーを注ぎ、病(やまい)に苦しむ人に癒しを与え、すべての人にインスピレーションと啓示と真理と叡智をもたらします。それが私たちの仕事なのです。

人間の側に理解力と受容力が備わっていれば、それに応じて霊力で満たしてあげることができます。私たちは、教会に属していようといまいと、どこかの宗教に属していようといまいと、科学者であろうと唯物論者であろうと哲学者であろうと、人類の霊的向上のために貢献したいと願うすべての人々との間に協力関係を築きたいと切望しているのです。

シルバーバーチの教え(新版・上)

Treasury of Spiritual Wisdom
Teachings of Silver Birch

A.W.オースチン(編) 近藤千雄(訳)


3章 霊界を挙げての大計画

〔シルバーバーチはここで、霊界通信の背後にある(世界的規模の)計画について語っている。〕


私たちが携わっている仕事には重大な目的があります。絶対不変の摂理の存在を証明すると同時に、地上の人間に慰めを与え、霊的知識を広めるという目的があるのです。物質を超えた法則の存在を示すだけでなく、霊的真理を明らかにすることも私たちの仕事なのです。

その仕事の前途に立ちはだかるのは、誤った宗教的教義によって築かれた巨大な組織です。何世紀にもわたって続いてきたものを元に戻さなくてはなりません。偽りの教義を土台として築かれた上部構造を取り壊さなくてはならないのです。

私たちは物質世界の子供たちがどのようにすれば霊的真理の光に浴し、伸び伸びと生きることができるか、どのようにすれば人間的産物である教義への隷属状態から脱け出せるかをお教えしようとしているところです。もとよりそれは容易な仕事ではありません。なぜなら、いったん宗教的束縛を受けるようになると、迷信の厚い壁を真理の光が突き抜けるには、永い永い時間を要するからです。

私たちは常に霊的真理の宗教的意義を示そうと努めています。なぜなら地上人類がその霊的な重要性を認識すれば、戦争や流血による革命よりも、はるかに大きな革命が生じるからです。それは“魂の革命”と呼ぶべきものです。地上のすべての人間が霊的存在としての本来の権利――霊の自由を享受する権利を手にすることになります。そのときには何世紀にもわたって人々の魂の足かせとなってきたものが、すべて取り払われることでしょう。

私たちが忠誠を尽くすのは、一つの教義ではなく、一冊の書物でもなく、一つの建造物でもなく、生命の大霊とその永遠なる摂理です。

いずれ、強大な霊力が物質界へと流入します。あらゆる国において、その威力を感じ取ることができるようになります。地上世界の利己主義と無知を駆逐するという重大な仕事には多くの苦労がともないますが、いつかは必ず成就します。

あなた方の味方として、数えきれないほどの霊が差し向けられております。その中には、あなた方がよく知っている人々もいます。血縁でつながっている人もいれば、あなた方への愛の念から馳せ参じている人もいます。またそれ以外に、あなた方とは縁もゆかりもない人々で、自分の存在を知ってもらいたいとも功績を認めてもらいたいとも思わず、ただひたすら自分を役立てたいとの願いから参加している霊が無数にいることを忘れないでください。

地上世界は、サウロがダマスカスへ向かう途中で体験したという目が眩(くら)むような閃光(せんこう)で一気に改革されるものではありません。霊的真理に目覚める人の数が増し、大霊の霊力の道具が増えるにつれて、少しずつ霊的な光明が地上界に行きわたるのです。


訳注――サウロ、のちのパウロは、もとはキリスト教徒に対する迫害の急先鋒で、いよいよ聖地エルサレムで教会を徹底的に破壊する目的で旅に出た途中、ダマスカス近くにおいて突然、天から光が降ってきて彼を包み、彼は目が眩んでその場に倒れた。すると「サウロよ、何ゆえにそなたは私をそうまで迫害するのか」というイエスの声が聞こえた。彼の目はそのまま三日間も見えず、飲み食いもできないほどだったという。この体験がもとで、サウロは後にキリスト教初期の最大の伝道者となっていく。

霊に関わることは慎重な配慮による養成と進歩を要します。急激な変心は永続きしません。私たちの仕事は永続性を目指しています。一人また一人と大霊の道具となり、暗闇から光明へ、無知から知識へ、迷信から真理へと這い出ることによって地上界は進歩するのです。その一人ひとりが物質第一主義の棺(ひつぎ)に打ち込む一本のクギなのです。

人間の発達には二種類あることを知らなくてはいけません。精神に関わるものと霊に関わるものです。前者は心霊的(サイキック)能力の発達にすぎませんが、後者は魂そのものの成長です。サイキック能力が発達しても魂の成長がともなわなければ、低いバイブレーションの仕事しかできません。両者がうまく結びついたときには、優れた霊能者であると同時に、偉大な人格を備えた人物となります。

私たちは、素晴らしいメッセージを地上という物質界へお届けしているところです。それは人間を真の意味で自由にし、大霊から授かった資質をありがたいものだと思わせてくれるメッセージです。あらゆる束縛や足かせを捨て去る方法を教え、霊的知識を満喫させてくれるメッセージです。物質界だけでなく死後の世界にも通用する生き方を教えてくれるメッセージであり、美と愛と叡智、理解力と真実と幸せをもたらしてくれるメッセージです。そして「人のため」というサービスの精神を説くメッセージなのです。

それなのに私たちは、大霊の啓示が理解できない人たちによる拒絶に遭っております。彼らは、いつの時代にもそうであったように、霊というものの存在を否定します。

しかし私たちの行っている仕事は、今後ますます必要性を増していきます。地上世界は流血と苦悩の涙と敵意にあふれています。霊的無知の中で地上人は、神の摂理にそって生きるのではなく暗黒と絶望へ向かう道を選択してしまいました。

そこで私たちが、希望と光明、安らぎと調和へと導く叡智をお教えしようとしているのです。それを地上の人間は無知ゆえに軽蔑します。私たちが届けようとするメッセージを拒絶し、霊力の働きかけを否定します。しかし、そうした態度にかまわず、真理は確実に地上に広がっていくことになります。大霊を始原としているからです。

神の摂理に逆らった生き方をする人は、自ら苦い結果を刈り取らなければなりません。摂理に素直に従って生きる人は、物的な面においても霊的な面においても、幸せと豊かさを手にすることになります。

地上界に蔓延している暗黒の中にあっても決して希望を失うことなく、人類の霊的成長のためにあなた方とともに働いている霊たち、物質界を少しでも良くしようと心を砕いている霊たちは、必ずや勝利するとの信念に燃えてください。それは宇宙で最強の力だからです。

価値あるものは苦難と悲哀なくしては成就しません。その教訓を地上人は、体験という唯一の方法によって学ばなければなりません。私たちは物質界の全側面に突破口を開こうと努力しているところです。私たちのメッセージが各分野の人々の心を明るく照らし、霊の光が広がるにつれて唯物主義の暗闇が消滅していきます。

私たちは、神の懲罰という脅(おど)しをちらつかせてあなた方を怖がらせようとしているのではありません。あなた方を、不安におびえて人生を歩むような臆病者にさせようとしているのではありません。私たちは、人間の内部に存在している神性に気づかせてあげることで、あなた方が大霊をもっと顕現させ、さらなる高みへと自らを引き上げ、その心がより高次の真理と知識で満たされるように努めているのです。

これまでに得たもので満足してはいけません。良い意味での不満と向上心が、より大きな知識を呼び込むことになるのです。手にしたものに満足してしまう者は、そこで留まってしまいます。満足できない者が、より大きな自由を求めて苦闘するのです。

「理屈を言ってはいけません。ただ信じればよいのです」――私はそんなことは申しません。反対に「神が与えてくださったもの(知的思考力・理性)を存分に使って私を試してください。しっかり吟味してください。そして、もしも私の言うことに卑劣なこと、酷(ひど)いこと、道徳に反することがあれば、どうぞ拒否してください」と申し上げます。

私たちは常に、崇高な生き方、高い理想を求める献身的な生き方を説いています。私たちの教えには、大霊の刻印が押されています。

もし私たちが、たった一個の魂を引き上げてあげることができたら、喪の悲しみに沈んでいる魂に慰めを与え、意気消沈している魂に希望を与え、人生に疲れきった魂に生きる力を与えてあげることができたら、それだけで十分に価値ある仕事をしたことになるのではないでしょうか。

私たちがお届けするメッセージに困惑する人々、教義に縛られているために逃れようにも逃れられず、それでいて“自由”の呼び声が聞こえて必死にもがいている多くの人々がいることを思い起こしてください。

私たちのメッセージは、そうした人たちを意図したものです。そのメッセージが魂に大きな刺激を与えるのです。すべての真理は(進歩のための)踏み石にすぎません。

今こうして語っている霊媒の口から、皆さんの理性が反発を覚えるようなこと、大霊の愛と矛盾するようなこと、愚かしいこと、皆さんの知性を侮辱(ぶじょく)するようなことが聞かれるようになったら、それは私の失敗を意味します。そして私の時代は終わりを告げることになるでしょう。

何度も申し上げてきたことですが、私自身としては皆さん方の魂の最も崇高な願望に反するようなことは何ひとつ述べたことはないつもりです。私たちは常に、あなた方の内部にある最高のものに訴えるように心がけています。

地上の人間は、自分自身の魂を救済することを学ばなければなりません。そのための既成の方法というものはありません。前もって用意された型通りのシステムというものはないのです。あらゆる生命現象の背後に永遠の実在としての霊が存在していること、人間も物的身体に宿っているという点では物的存在であっても、その身体を通して自我を表現している霊的存在であることを理解しなければなりません。

まず、生命を維持するために必要なすべてのものを大霊の意図している通りに存分に摂取して、肉体を健康にしておくことです。そのうえで、既成宗教のドグマや信条の束縛から精神を解放しなければなりません。無意味なもの、霊的価値のないものに忠誠を尽くすことなく、真実のためにのみ働き、これまで何千年もの永きにわたって地上人類を束縛してきたドグマ(教義)をめぐる戦争や論争や不和をなくさなければなりません。

私たちは、大霊を共通の父として全人類が霊的に同胞であるという福音を説きます。その福音の理解を妨げるのがこの世的な概念であり、間違った土台の上に建てられた教会であり、既得権力の横暴であり、狭量で独裁的な支配者の高慢と強権です。

私たちの教えが地上に広まるということは民族間の離反の終わりを意味します。国家間のバリア(障壁)の消滅を意味します。人種や民族や階級の差別、さらにはチャーチ、チャペル、テンプル、モスク、シナゴーグなどの区別もなくなります。なぜなら、それぞれが大霊の真理を宿しており、他の宗教の教えの中に含まれる真理は、自分の信じる宗教で大切にされているものと矛盾しないことを悟るようになるからです。

見た目には混乱が生じているようであっても、地上に真理が広まることによって神の意図が具現化し、調和と平和が訪れるようになります。こうしたことを申し上げるのは、あなた方に、地上に真理を広めるための壮大な計画の一端を知ってもらい、私たち霊界の者がこうして物質の世界へ戻って来たのは、それを推進するためであることを理解していただきたいからです。そして今回の地上生活を終えるまでに、あなた方一人ひとりに果たさなければならない役割があることを知っていただきたいのです。

私たちが説く教えは、かつての改革者たち、聖者と呼ばれた人たち、予言者たち、あるいは理想主義者たちが、それぞれの時代に天啓を受けて説いた崇高な教えと完全に一致しています。彼らは魂の偉大さゆえに、霊的な視力によって霊的実在を垣間見ることができました。そしてその美しさ、その素晴らしさが、逆境と葛藤の中にあって心の支えとなったのです。

彼らは、いつの日にか実現する神の計画を理解していました。だからこそ物質界の子らを高揚すべく努力し、自分を役立てたのです。

彼らは、手を差し伸べた物質界の子らから貶(けな)されました。反抗され、嘲笑の的にされました。しかし彼らの仕事は生き続けました。今、世界各地で行われている無数の交霊会――この交霊会もその一つですが、そこに参加した人々は忘れ去られても、交霊会は存在し続けます。強烈な霊力が再び物質界に放たれています。地上のいかなる力も、その潮流をせき止めることはできません。

地上の人間は相変わらず流血によって問題が解決するかのように考えていますが、歴史をご覧になればお分かりのように、流血という手段で問題が解決した例(ためし)はありません。流血という行為は、何の益もない無用なものなのです。

人間はなぜ、大霊が与えた理性を使わないのでしょうか。なぜ、唯一の解決法ができるだけ多くの相手を殺すことだと考え、最も多くの敵を殺した者を英雄として称えるのでしょうか。地上というところは不思議な世界です。

あなた方の世界は、私たちからのメッセージ・霊の教えを必要としています。霊的真理についての理解、すなわち霊的摂理の存在と、自分自身の内部(魂)とより高い世界(霊界)からの導きがあることを知る必要があります。そうすれば困難に遭遇したときには慰安と導きと援助をどこに求めるべきかを、学ぶことができるでしょう。

私たちは、何ひとつ見返りを求めてはいません。栄誉を欲しているわけではありません。ただ、皆さん方のお役に立ちたいと思っているだけです。忘れられてしまった霊的摂理を改めて啓示し、それによって地上の人間が物質界にも存在する霊力を再発見し、新たな希望と新たな生命を呼び覚ますことになればと願っているのです。

古い規範が捨て去られ、あらゆる権威が疑念を持って見直され、その威力が衰えつつある今、私たちは大霊を絶対最高の権威として明らかにしようとしています。決して働きを止めず、また誤ることもない摂理として顕現している大霊を啓示しようとしているのです。その大霊の摂理にのっとった生き方さえすれば、地上界に再び平和と調和が訪れます。

それが私たちの使命のすべてというわけではありません。見捨てられた古い信仰の瓦礫(がれき)の中にある人間が、単なる疑念や不信からすべてを拒絶することなく、本物と偽物とを選り分け、真に価値あるものを手にすることができるように働きかけることも私たちの仕事です。あらゆる宗教の内奥(ないおう)に秘められたもの、長いあいだ地上人の想像物の下敷きとなってしまっている霊的真理を我が物とすることができるように仕向けることも使命の一環なのです。

もし、地上の子供たちが摂理の働きの中に霊力を見いだすことを学べば、その昔、人々を鼓舞し、洞察力と勇気、奉仕への熱誠と願望を与えた霊力を今日でも活用することができるのです。

教会・聖典・教義――こうしたものは今や衰微の一途をたどっています。少しずつ廃棄されていきつつあります。しかし、霊的真理の権威だけは永遠に変わることはありません。私が地上界へ戻ってきたとき目にするのは混乱と無秩序ですが、鮮明な霊の光――隙間からもれるわずかな光ではなく、すべてを照らす強力な光が降り注ぐようになれば、それらは立ちどころに消えてしまいます。

その光が得られるというのに、なぜ人間は暗闇を好むのでしょうか。知識が得られるというのに、なぜ無知のままでいたがるのでしょうか。叡智が得られるというのに、なぜ迷信にしがみつこうとするのでしょうか。生きた霊の真理が得られるというのに、なぜ生命のない死人の骨のような教義を好むのでしょうか。霊的叡智の水が得られるというのに、なぜ神学という濁った水を好むのでしょうか。

自ら選んだ暗闇の中で、自由になれるのに鎖につながれ、奴隷のような生き方をしている魂が数多くいます。私が案じているのは、そうした束縛された状態があまりに長く続くと、その束縛から解き放たれるのが怖くなってしまうことです。鳥カゴの中で長いあいだ飼われていた小鳥は、鳥カゴから放たれたときに、もしかしたら飛べないのではないかと心配になるものです。

ですから、束縛から解放してあげるのはよいのですが、自由になったときに歩むべき道も用意してあげないといけません。何の道しるべもない場所へ放り出したままにしておいてはいけません。自由になってもらわなければなりませんが、同時にその自由が導いてくれる道も教えてあげなくてはならないのです。

人間というのは、長いあいだ束縛された状態に置かれたあとで自由になると、誰のアドバイスにも耳を傾けようとしなくなるものです。「いや、もうけっこうです。これまでさんざん懐疑と困惑を味わってきて、今ようやく脱け出たところです。宗教というものには、もうこれ以上関わりたくありません」――そう言って拒否するのです。一種の反動です。

私は、私という一個人、メッセンジャーとしてのシルバーバーチに多大な関心を寄せていただくことを望んではいません。私はただ、皆さんにメッセージを送り届けているだけなのです。

これまで人類は、教えを説く人物に度を越した関心を寄せ、過大評価して途方もない地位に祭り上げ、肝心な教えそのものをなおざりにしてきました。

私たち霊団の使命は、誰かを権威ある地位に祭り上げることではありません。真理と知識と叡智を授けることです。語る言葉が真理であるかぎり、私が歴史的に名高い人物であろうと無名の人物であろうと、それが何の関係があるというのでしょう。私たちは名前や権威をかざすことなく、理性に訴えます。

私たちは、人間の知性が反発を覚えるようなことは何も要求しません。真実とは思えないようなこと、人間としての品位にもとるようなこと、卑劣なこと、人類を侮辱するようなことは説いていないつもりです。人類全体を引き上げ、宇宙の生命機構の中における人間の存在価値についての正しい概念を大霊との結びつきによって啓示し、地球全体としての霊的一体関係についての理解を得させてあげたいと願っているのです。

私たちは、すぐに聖典の文句を持ち出したり、指導者の言葉や権威に頼るようなことはしません。人間が神から授かっている理性を頼りとして、これに訴えます。私たちがお届けする真理は“聖”の文字を冠した書物の言葉を引用することで広められる性質のものではありません。理性に照らして納得がいかなければ、拒否してくださってけっこうです。

しかし、すでに皆さんは、私たちが最高にして最善の人間的本性に訴えていること、古い時代からの間違った概念を払いのけて、これなら人々も大事にしてくれるであろうと思われる真理をお届けしていることを理解してくださっているものと信じます。“宗教”と呼ばれているものは「真理」を土台としなくてはいけません。理性による攻撃を受けて脆(もろ)くも崩れるようなものは、すべて捨て去ってしまうべきです。

私は、人間がせっかく手にしながらいつしか見失うということを繰り返してきた真理を改めて啓示し、それを物質界の最も重要な位置に据えるために努力している、一個の道具にすぎません。

私たちは、今度こそは“唯物主義”と“利己主義”の勢力が絶対にはびこらないように努力しています。そのためには人間みずからが、その勢力に負けないようにならなくてはいけません。日常において発生するさまざまな問題に霊的真理を活用することによってのみ、人類の前に迫りつつある恐ろしい破局を防ぐことができるのです。

地上世界は今や破滅に瀕し、混乱の極(きょく)にあります。絶望と敵意と苦痛に満ちています。理性が敗走して利己主義が支配しています。私たちは人類に理性を取り戻させ、誤った概念に代わって真理を教え、迷信に代わって正しい信仰を説いています。そして暗闇を光明で照らすことによって、人生の闘いに負けそうな人には力を与え、いじけそうな人を健全な精神に立ち戻らせ、生きることに疲れ果てた人には気力を回復させ、不当な扱いに苦しめられている人には正当な報いを得させてあげたいと努めているところです。

私たちがお届けしようと努力している真理は、霊的摂理に関わるものだけではありません。物的法則に関わるものもあります。なぜなら、私たちから見れば物的世界も大霊の宇宙の一部であり、そこで絶望し苦しんでいる人類に無関心であるなら、本当の意味で“宗教的な人間”とは言えないからです。私たちからすれば、人のために役立つことをする人はすべて立派な人間ですが、その「役に立つ」というのは真理を普及することだけに限られるわけではありません。他にもいろいろあります。

病(やまい)に蝕まれた身体で苦しんでいる人々をその痛みから解放してあげること、不正と圧政に戦いを挑むこと、憎み合いをやめさせること、自由を守り悪を排除し、魂の奥にある大霊の資質を発揮させてあげること――こうした仕事は真の意味でのサービス(奉仕)と言えます。

大霊の子供たちが霊的なことからあまりにもかけ離れてしまったことにより、大霊の摂理を教えるためにラップなどの物理的心霊現象を用いなければならなかったことを残念に思います。

あなた方人間は皆、大霊の一部なのです。大霊がこう呼びかけていると思ってください。「ここに私の摂理のすべてがあります。この摂理を使えば素晴らしい世界をつくり上げることができます。すべてを差し上げますから、これを使用して正しいことと間違ったことを選り分け、摂理に適った生き方をしてもよし、摂理に反した生き方をしてもよし、どちらでも試してみられるがよろしい」と。

霊界の指導霊は、地上界が大霊の意図にそって発展するように、大霊のバイブレーションに相応できる者(霊媒・霊能者)を地上へ派遣してきましたが、大霊からかけ離れてしまった人類は霊的に鈍感になり、物的なことしか理解できませんでした。

しかし、嵐が吹き荒れたあとには必ず新しい生命が芽吹く春が訪れます。雪が大地を覆いすべてがわびしく映るときには、はつらつとした春の息吹を感じることはできないでしょう。が、春は必ずめぐってきます。そして太陽が昇るにつれて徐々に、生命力が最高潮に達します。今、地上界には不満の暗雲が立ち込めていますが、いつかは夢にまで見た春が訪れ、そして充実感あふれる夏へと向かっていきます。

それがいつになるか――早いか遅いかは、人間が大霊から授かった“自由意志”をどう使うかによって決まります。が、一人の人間が他の人間に救いの手を差し伸べようとするとき、その背後では数多くの霊が群がって援助し、気高い心を何倍にもふくらませようと努めます。善のための努力が忘れ去られることは絶対にありません。奉仕への願望が無駄に終わることは決してありません。

誰かが先頭に立って藪(やぶ)を切り開き、後に続く者が少しでも楽に通れるようにしてあげなければなりません。やがてそこに道ができ上がり、通るほどに平坦になっていきます。

私は時おり、霊界の高級霊たちが目に涙を浮かべている姿を見かけることがあります。地上の人間が同胞を引き上げる大きなチャンスを捨て去っている姿を見て、いつかその愚かさに気づいてほしいと願い、じっと眺めているのです。そうかと思うと、嬉しさに顔をほころばせているのを見かけることもあります。名もない人が善行を施し、それが暗い地上世界に新しい希望を灯してくれたからです。

私も他の大勢の同志と同じく、すぐそこまできている新しい世界を一日でも早く招来するために、バイブレーションを物質界のレベルに近づけて降りてきました。その目的は、大霊の摂理を教え、その摂理に忠実に生きるなら、あなた方の心は大霊の恵みをふんだんに受けられるようになることを教えてあげることです。

私が地上世界へ降りてきて目にするのは、幸せであるべきところに悲しみがあり、光があるべきところに暗闇があり、豊かであるべきところに飢えがあることです。大霊は、必要なものはすべて用意してくださっています。問題は、その公平な分配を妨げている者がいるということです。取り除かなければならない障害が存在するということです。

その障害を霊界側で取り除いてくれたらいいと思われるかもしれませんが、それは私たちには許されないのです。咎(とが)め立てすることも許されません。私に許されているのは、物的身体に宿っているあなた方に大霊の摂理を説き、どうすればその摂理があなた方を通して正しく運用されるようになるのかを教えてあげることだけです。それができる人が、地上の悪弊(あくへい)を指摘し、摂理による矯正手段を講じて見せなくてはなりません。

要するに、あなた方みずからが毎日の生活の中で、霊的真理を知った者はこれだけ立派な生き方ができるのだということを率先して見せることです。

私としては、あなた方に摂理の存在を説き、それがどのように作用するかを教えることができれば、それで良しとします。その結果として不幸が幸いに転じ、無知が知になれば、少なくともあなた方のお役に立てたことになります。

私たちは、あなた方の人生上の責務を取り除くようなことはしません。大霊の御心(みこころ)があなた方を通して働いていることを、身をもって悟ってもらえる生き方をお教えしようとしているだけです。

私が時おり残念に思うのは、次のような言葉を耳にすることです。「もちろん食べるものに事欠いている人にはパンを施しますよ。しかしその前に大霊に祈っていただかないとね。」なぜ大霊に祈るか祈らないかにまで干渉するのでしょうか。お腹(なか)を空かしている人には、食べるものを施してあげればそれだけでよいのではないのでしょうか。

また、寝る場所もない人に「どうぞウチで寝ていってください」と言ってあげるのはよいことですが、「ちゃんとお祈りをしてくださいよ」などと付け加える人もいます。

スピリチュアリズムの霊的知識の一つに「物心両面の均衡をはかる」というものがありますが、その知識を手にしている皆さんは、自ら均衡をはかったことがあるでしょうか。

スピリチュアリズムを知ったということは、地上では推し量ることができないものを手にしたということです。大霊の真理についての貴重な知識を得たということです。皆さんは、自分の魂が大霊の偉大なる魂とつながっていることを悟られたのです。すなわち、自分が大霊の一部であることを知ったということです。霊界から派遣されているメッセンジャー(高級霊)のバイブレーションに、いかにして反応すべきかを学ばれたのです。

それほどのものに比べれば、物的なものはいかに高価なものであっても、まったく価値はありません。今は物質界にいる皆さん方も、これから霊の世界で計り知れない歳月を生き続けます。そして、この交霊会を通して得た知識や叡智が、地上で物的身体のために一生懸命に求めていたものよりも、はるかに貴重なものであることを実感するようになります。

何事も見かけの結果だけで判断してはいけません。あなた方は物的な目で眺めることしかできないのです。霊的な目で見ることができれば、人間は一人の例外もなく完全に公正な扱いを受けていることが分かるはずです。私は時おり人間の祈りに耳を傾けてみることがあるのですが、もし大霊がその願いを叶えてあげたらかえって不幸になるだろう……と思うことがあります。

また私は、死の関門をくぐり抜けて霊界入りした人々と語り合ってみることがあるのですが、大霊から不当な扱いを受けたと文句を言った人は一人もいません。

地上界には三つの大きな問題があります。一つは“無知”、もう一つは“悲しみ”、そして三つ目は“貧しさ”です。この三つは、政治に霊的知識が生かされ、人々がその知識の指し示す通りに生きるようにならないかぎり、地上からなくなることはないでしょう。

しかし、勝利へ向けてのうねりは止まりません。古い秩序が死滅し、新しい秩序と入れ替わります。新しい世界は着実に到来しつつあります。が、新しい世界になったからといって暗い面が完全に消え去ると思ってはいけません。涙を流すこともあるでしょう。心を痛めることもあるでしょう。犠牲を強いられる局面も生じることでしょう。

大霊に関わる仕事は犠牲なくしては成就されません。涙なくして新しいものを打ち立てることはできません。物質的な惨事に遭遇すると、人間は霊的なものに目覚め始めるようになります。物的な手段がすべて失敗に終わったとき、ワラをも掴む思いでそれまで試みられてきた制度を吟味し、そこに頼れるものがないことを悟ります。

そこに至ってようやく霊的真理の出番となり、新しい世界の構築が始まります。大霊の摂理が正しく運用される世界です。そこへ至るまでには大きな混乱は避けられません。もっとも、いつの時代にも完全な世界は存在しません。なぜなら完全に近づくと、その先にもっと次元の高い完全性が存在することを知るからです。
質疑応答


――霊界側がスピリチュアリズムの普及を望んでおられるのなら、もっと新聞などを使った宣伝をなさるとよいのではないでしょうか。


これは、これは、驚きました。あなたは霊的知識の普及がどういうものか、よくご存じないようですね。知識が普及するのはよいことです。しかし宣伝効果となると、また話は別です。魂が真理に目覚めて感動するには、それぞれに時期というものがあるのです。

私たちは私たちなりの手段を講じています。計画はきちんとでき上がっています。あとは、あなた方の世界からの協力が必要なのです。

あなた方は常に、私たちが魔法の杖で一気に悟らせるようなことはしないことを知っておいてください。魔法の処方箋があるわけではありません。宇宙の自然法則を啓示してあげようとしているだけです。

私たちは、人類のすべてが大霊の一部であり、一人ひとりの人間を通して大霊の摂理が働くことができることを理解してほしいと願っています。そしてあなた方の魂を揺り動かそうと努力しているのです。霊界からの普及活動が休止することはありません。ただ、それは地上界の騒々しい宣伝によって行われるのではなく、あなた方の魂に訴え、霊との一体関係を緊密にすることによって成就されるのです。


――この地球上での体験、すなわち戦争、痛み、物心両面の苦しみ、病気、悲しみ、憎しみ、喜び、幸せといったものはみな人類の進化のために必要不可欠なもので、神の計画の一環なのでしょうか。


いいえ、違います。戦争は大霊がやらせているのではありません。病気は大霊が与えているのではありません。いずれも地上人が自由意志の行使を誤ったために引き起こしているのです。学ぶべき教訓というものがあることは事実です。しかし、それは身の毛もよだつ蛮行や冷酷な行為に訴えなくても学べます。人間の行為と大霊の行為とを取り違えてはいけません。


――共和国となった現代でも英国は「王室」という体制を維持していますが、これは意義のあることでしょうか。


はい、意義のあることです。なぜなら国民を一体化させるものは大切にすべきだからです。国家は拠って立つべき共通の要素によって一体化を求め、国民全体が一丸となるべきです。一体化を妨げ分裂させようとする者たちに私たちが批判的なのは、そのためです。魂が解放されれば、おのずと互いに近づき合いたくなるものです。


――霊的プランがあるということを何度も聞かされているのですが、その影響はどこにも見当らないようですが……。


それはあなたが物的視点からのみ見ているからです。あなた個人の短い人生を尺度として見ているために進展がないように思われるのであって、別の次元から見ている私たちには進展が分かるのです。霊的知識が広まり、霊的なものへの理解が深まり、寛容的精神が高まって善意が増し、無知と迷信と不安と霊的束縛による障壁が崩れていきつつあるのが見て取れます。

突如として革命が起きるかのように想像してはいけません。そういうものは決して起きません。霊的成長は、ゆっくりと段階を追ってなされるものだからです。絶望する必要はありません。拡大する物質主義の勢力を見ていると絶望感を抱いてしまうかもしれませんが、他方では唯物的な利己主義の霧を貫いて霊的真理の光が射し込みつつあります。知識が広がり続けるかぎり霊的真理の勝利は間違いありません。

だからこそ、地上人類にとって霊界からのメッセージが重要なのです。私たちにとって大切なのではありません。あなた方地上人にとって大切なのです。私たちは、利己主義、はなはだしい無知、故意の残虐行為への代償を払わなければならないことをあなた方に気づかせるために努力しています。私たちは人類に奉仕し、手助けをしようと努めていますが、それは皆さん方を愛しているからなのです。

私たちは、人類を破滅に追いやろうと企む邪霊集団ではありません。人間を罪深い存在に陥れたり、残忍なことや摂理に反する行為を唆(そそのか)したりするようなことはいたしません。それどころか、あなた方が自分に潜在している神性と霊力を自覚し、摂理にのっとってサービス(奉仕・利他愛)を実践するように働きかけているのです。そして大霊の計画を推進するための手助けをしていただきたいと思っているのです。

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
二章 聖なる山の大聖堂


2 構 造
一九一八年 二月 八日 金曜日

 〝聖なる山の大聖堂〟の使用目的についてはすでに述べました。今度はその構造そのものについて少しばかり述べてみましょう。と言っても、詳しいことは説明しません。不可能だからです。

 広大な草原に切り立った崖が聳えております。その頂上の台地に聖堂が建っております。草原から目に入る部分は小さな翼廊だけで、本館は見えません。何千何万もの大群集が集結して見上げた時にまず目に入るのは、こちら側に面した翼廊のポーチとその側壁とアーチ型の窓である。

高々と聳えるその位置、雄大な規模、均整のとれた建築様式は、その位置から見上げただけでも実に堂々としていて、且つまた美しいものです。

 そのポーチから入り、それを通り抜けて中へ入ると、吾々は右へ折れ、天蓋はあっても側壁の無い柱廊(コロネード)を通って進みます。

そのコロネードは、通路と交叉する幾つかの箇所を除いては、本館全体をかなりの距離を置いて取り囲むように走っており、吾々の位置から左手へ行くと中央聖堂へ至り、右手へ行くと別の幾つかの翼廊へと至る。

その翼廊の一つひとつにポーチが付いている。しかしそれは全部第十一界の方角へ向いており、吾々が通った翼廊だけが第十界へ向いている。

翼廊は全部で十一個あり、その一つひとつに特殊な使用目的がある。その〝十〟という数字は下界の十の界層とは関係ありません。それから上の十の界層と関連しているのです。


──その〝十〟という数字には第十界の方を向いているポーチも含まれているのですか。

 いえ、あれはあれのみの独立した存在で、関係するのは下界のことのみです。十個の翼廊は第十一界およびその後に続く十の界層と関連しております。それぞれの翼廊に大きなホールがあります。翼廊は一つひとつ形が違っており、二つとして同じものはありません。

貴殿には理解しかねることかも知れませんが、各翼廊はそれと関連した界を構成する要素の特質を帯びており、常にその界と連絡が取れております。上層界の情報はぜんぶそこの翼廊に集められ、第十一界の言語に翻訳された上で、その場で処理されるか、必要とあれば関連した地域へ発信される。

 また、聖堂内の住民が上層界へ赴いている間もこの翼廊と間断なく連絡が維持され、一界また一界と上昇していくのを追いながら絶えず連絡を取っている。

 吾々はコロネードと交叉している通路の一つを左へ折れます。その通路は中庭を通り、庭園を過(よぎ)り、そして森を突き抜けています。

いずれも美しく手入れされ、噴水あり、彫像あり、池あり、色とりどりの玉砂利を敷きつめた小道、あずまや、寺院──その幾つかは上層界の寺院の複製ですが実物ほど雄大ではない──があります。そしてついに(複数の建物から成る)本館へ辿り着きました。

本館にも十個のポーチがついています。ただしここのポーチは通路とは連絡されておらず一つひとつが二本の通路から等間隔の位置にあり、通路はすべて本館と直接つながっております。

つまりポーチは通路にはさまれた地域に立っており、各地域がかなりの広さを持っております。地上ならさしずめ公園(パーク)と呼ぶところでしょう。

何しろ聖堂全体は途方もなく広く、各地域に常時何万を数える住民が住んでいるのです。それほど一つひとつの地域は広く、そこに家屋と庭園が点在しているのです。

 さて吾々は第十二界の翼廊と第十三界の翼廊───こういう呼び方をしているわけではありませんが、貴殿の頭の混乱を避けるために便宜上そう呼ぶまでのことです───の中間に位置するポーチの前まで来て足を止めました。

その一帯に広大なテラスが広がっています。ポーチとつながっていて、美しい土地を次第に上昇しながら、はるか地平線の彼方に見える山々の方へ向けて広がっている。

実はそこから本来の第十一界が始まります。大聖堂は第十一界の一番端に位置していることになります。つまりポーチからいきなりテラスとなり、それがその地域全体に広がっているわけです。

目も眩まんばかりの琥珀色の石段があってそれを登っていくのですが、足元を照らす光が外の光と融合し、それが登りゆく人の霊的性格によって輝きを変えます。

 ここで銘記していただきたいのは、貴殿らが死物ないし無生物と呼んでいるものも、ここでは他の存在に対して反応を示すのです。

石は緑草や木々に影響を及ぼすと同時に、自分も影響を受けます。木々のすぐ側に人間が立つと、お互いの性質によってさまざまな影響を及ぼし合います。家屋や建造物のすべてについて同じことが言えます。

 ポーチそのものがまた実に美しいのです。形はまるくもなく角ばってもおらず、ちょっと人間には想像できない形をしております。私がもしこれを〝形というよりは芸術的情感〟とでも表現したら、貴殿はそれを比喩として受け取ることでしょう。

しかしその情感に地上のいかなる建造物よりもしっかりとした永続性が具わっているのです。その成分を真珠層のようだと言ってもよろしい。液晶ガラスのようであると言ってよろしい。そんなものと思っていただけば結構です。

 さて、中へ入ると大きな楕円状の空間があります。天井は植物と花をあしらった格子細工がほどこしてあり、それらの植物はポーチの外側に根をはっているものと内側に根を下ろしているものとがあります。しかしこんな話はやめて先へ進みましょう。吾々はついに聖堂の大ホールへと入っていくことになります。


──暗黒界からお帰りになってすぐにキリストをご覧になったホールですか。

 同じホールです。地上で屋根と呼んでいるのと同じ意味での屋根は付いておりません。といって青空天井でもありません。屋根のあるべきところに堂々たるアーチ形をした天蓋が高く聳えており、色とりどりの液晶の柱によって支えられております。

しかし天蓋のへりは流動する線状を呈し、光の固まりのようなものとつながっております。と言ってもその固まりは普段そこに参集する者にも貫通できない性質をしております。しかも、いっときとして同じ色を呈しておらず、下のホールで催される儀式の内容によってさまざまな変化をしております。

 そこの祭壇、それとその背後にある〝謁見の間〟については既に述べました。大ホールに隣接して、そうした〝間〟がまわりに幾つもあります。

その一つが〝式服着用の間〟です。いかにも地上的感じがするかも知れませんが、そこで行われるのは単なるコートやマントの着更えだけでなく、実に重大な儀式が行われることを知っていただきたいと思います。それについて述べてみましょう。

 その大ホールにおいて、時おり、はるか上層界から送られてくる電気性を帯びた霊力の充満する中で厳かな儀式が行われることがあります。

その際、その霊力を帯びる第十一界を最低界とする下層界の者は、各々その霊力によって傷つくことなく吾が身にとって益となるように身仕度を整える必要があります。そこで〝式服着用の間〟において着更えの作業が真剣に行われることになります。

その行事は神聖さと霊力とを具えた専門の霊が立ち会い、式服が儀式に要求される色合いと生地と様式を整えるように、こまごまと指導します。

そのすべてに、着用する当人の霊的本性が影響します。つまり当人の内的資質が式服の外観に出てくるわけです。そうなってはじめて大ホールへの入場を許され、やがて行われる儀式に参列することになるのです。

 その儀式はある一団が使命を帯びて他の界層へ赴くに際しての〝歓迎の儀〟であることもありましょう。その場合は参列した者が霊力を一つにまとめて、送られる者へ与えることが目的となります。従ってすべてが完璧な融合・調和の中で行う必要があります。

そこで霊格の劣る者、ないしは新参の者は、その目的で〝着用の間〟において周到な調整をしておかねばなりません。

 さらには、大ホールでの〝顕現〟が近づいていることもありましょう。キリストと同等の神格を具えた方かもしれませんし、大天使のお一人かも知れませんし、もしかしたらキリストご自身かも知れません。そんな時は式服の着用も入念に行われます。

さもないと益を受けるどころか、反対に害をこうむることにもなりかねません。もっとも、私が聞いたかぎりでは、一度もそのような例はありません。しかし理屈の上では十分に有り得ることなのです。

 しかし、この界へ来たばかりの霊が、強烈な霊力を具えた神霊の顕現ないし何らかの強烈な影響力が充満しているホールに近づくと、次第に衰弱を覚えるということは往々にしてあることです。

そこでその人はいったん引き返すことになりますが、それは実は霊力が試されているのです。その体験に基づいて自分にいかなる鍛錬が欠けているかを認識することになります。それはそれで恩恵を受けたことになります。

 この大聖堂を先に述べた山の頂(イタダキ)から眺めれば、おびただしい数の塔とアーチ道とドームと樹木と風致地区(家屋を建ててはいけない土地)を具えた一つの都市のように見えることでしょう。

その中央の宝石からあふれ出る光輝は遠く彼方まで届き、言うに言われぬ美しさです。

宝石と言ったのは、ドームあるいは尖塔の一つひとつが宝石のような造形をしており、それが天上的な光と言葉となって光り輝いているのです。言葉と言ったのは、一個の建物、一個の色彩、または一群の色彩が、そこの住民には一個の意味として読み取れるからです。

また住民が柱廊玄関、バルコニー、屋上、あるいは公園を行き来する姿もまた実に美しいものです。あたりの美観や壮観とほどよく調和し、その輝きと同時に安らぎをも増しています。

と言うのも、住民と聖堂とは完全に一体関係にある──言い換えれば、以前に述べたように一種の呼応関係にありますから、そこには不調和の要素はいささかも存在せず、配置具合もすべて完璧な調和を保っております。

もしこの聖堂都市を一語にして命名するとしたら、私は〝調和の王国〟Kingdom of Harmony とでも呼びたいということです。そこにおいて音と色と形、それに住民の気質とが和合の極致を見せているからです。
                             アーネル ±