Friday, August 7, 2026

シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ

 A Voice in the Wilderness

トニー・オーツセン(編)近藤千雄(訳)




6章 摂理は完全であり、自動的に作用します


シルバーバーチの交霊会はおよそ五十年間に及んだ。その間に招待されたゲストもまた大変な数にのぼる。となると当然シルバーバーチが受けた質問はそのゲストの数だけ多種多様であった。その中から興味ぶかいものを幾つか拾って紹介しよう。

ある日の交霊会で菜食主義の是非について問われて――


「こんなことを言うとまたわたしは不評を買うことになるでしょうが、真実は真実として申し上げねばなりますまい。理想的な霊媒のあり方としては、アルコールや肉類、タバコ、その他、人体の質を低下させるものは極力控える方が霊媒の進化にとって良いに決まっています。

地上にあっては霊は肉体を通して自我を表現するしかありません。となれば、その肉体の質が高ければ高いほど霊媒の表現力も大きくなる道理です。したがってその肉体を汚すもの、間違った刺激を与えるものは、いかなるものであっても霊にとっては障害であり良いものではありません。肉体は霊の宿なのですから。

これでもうわたしの答えはお判りでしょう。動物の肉、タバコやアルコールによる刺激があなたの心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル)(※)な能力(パワー)の開発に益があるでしょうか。もちろんないに決まっています。適度に摂取するのであれば害は少ないというのは当り前の理屈ですが、理想を言うならば、霊媒は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます」


※――“サイキックパワー”というのは五感の延長としての霊能、いわゆる超能力のことで、これは人間よりもむしろ動物や生物の方が発達している。これに背後霊の援助が加わって高次元の世界とのつながりに発展したものをシルバーバーチは“スピリチュアルパワー”と呼んでいる。

「動物を人間の食料や衣服にするために殺すのは間違ったことでしょうか。動物自身は自然界の原理で互いに殺し合っているのですが……」


「こうしたことはすべて程度問題であり、進化の一過程として捉えるべきです。自然界は弱肉強食であるとよく言われていますが、それは大自然の進化の部分的現象にすぎません。大自然がすでに完成されていると述べている霊界通信はないはずです。自然界も進化の途上にあるからです。

理想を言えば――わたしの答えはどうしても理想を述べることになってしまいますが――動物を人間の食料として、衣類として、また(遊牧民の)住まいとするために殺すのは間違いです。しかし、未熟な世界においては完全な理想が実現されることは期待できません。しかし、だからといって、理想へ向けての努力をしないでよいということにはなりません。

どうしても殺す必要がある時は、なるべく苦痛を与えない方法を取らないといけません。残酷な殺し方は止めてください。食料を得るために殺すのは間違いであることを人類が悟る段階まで一足跳びに到達することはできない以上、殺し方をできるだけ苦痛を与えないように工夫してください。

皆さんは変化しつつある世界に生きており、わたしたちも、どうせ今すぐには実現できないと知りつつ、理想を説いております。もしもわたしたちが努力目標としての理想を説かずにいたら、与えられた使命を全うしていないことになります。目標の水準は高めないといけません。低くしてはいけないのです」

次に出された催眠術についての質問で、「これは研究に値するものでしょうか」と聞かれて――


「施術者が善意の目的をもち、その能力を人のために役立たせたいという願望から行うのであれば、もちろん結構なことです。催眠術者も魂の潜在力を使用している点は同じです」

「催眠術者が接触するのは何なのでしょうか」


「大我、すなわち内部の大霊です。何度も申し上げていることですが、人間の各自に内在するその力を自覚すれば、そしてそれを使用することができれば、人間にとって克服できない困難はありません。

その力と接触する方法は霊性を発達させること、波長を高めること、人のためになる生活を心がけること、要するに霊格を高めるようなことです。この世的なものに心を奪われるほど波長は低下し、私利私欲を捨てるほど波長は高まり、接触する波長も高くなり、内部の大霊がより多く発揮されることになります」

「その内部の大霊というのは独立した存在でしょうか。意識的自我とは別個に理性を働かせ、思考し、行動することができるのでしょうか」


「いいえ、その肉体を通して顕現している意識的自我によって条件づけられます。物的世界で生活している間は脳の意識中枢によって程度が左右されます。催眠術によって左右されることはありません。なぜなら施術者は牢の番人のようなもので、牢の扉を開けて自由にしてあげるだけです。

施術者が善意の意図のもとに働けば被術者の内部の神性を刺激するという立派な仕事ができます。しかし同時に、動物性を刺激してしまうこともあるのです。が、どっちにしたところで、今あなたが表現しておられる意識は、いつの日か発揮するであろう大我のホンのひとかけらに過ぎません」

「いささか不満を覚えますね」


「でしょうね。でも、不満を覚えるということは結構なことです。ケチくさい満足は成長の足しにはなりません」

そう述べてから、どんな質問でもなさってくださいと言って、こう続けた。


「知識というのは自分のものとして取っておくためではなく、他人に分けてあげるために与えられるのです。他人に分けてあげることによって、さらに知識の泉に近づくのです。知識は他人にあげることによって減るものではありません。反対に増えるのです。霊的知識を分け与えれば、それだけ霊性が豊かになるのです」

そこで新しい質問が出された。キリスト教をはじめとする伝統的信仰は人間の精神にどのような影響を及ぼすかという質問だった。

それに答えて――


「教義による束縛は地上世界の苦痛のタネの一つです。伝染病や不健康より厄介です。病気による身体上の苦痛よりはるかにタチが悪いものです。なぜなら、それは魂の病気だからです。霊に目隠しをしてしまうのです。

にもかかわらず、大霊の息のかかった叡智が無限にあるというのに人間の浅知恵がこしらえた教義にしがみつこうとする人がいます。牢の中にいた方がラクだと思う人がいるものなのです。自由とは、その有り難さがわかった者のみが手にするものです。

その教義の足枷から逃れることのできたあなたは感謝すべきです。そして、その喜びをもって、こんどは、一人でも多くの人を自由にしてあげるように努力なさるべきです」

続いて“苦の効用”について問われて――


「体験の一つ一つがあなたの人生を織りなしております。皆さんは永遠というものを目先の出来事で裁こうとなさいます。表面上の矛盾撞着に捉われて、人生全体を大霊の叡智の糸が通っていることが理解できないのです。

調和を基調とするこの大宇宙の中で、あなた方一人ひとりが大霊の計画の推進に貢献しておられます。人生の出来事――時には辛く絶望的であり、時には苦しく悲劇的であったりしますが――その一つ一つが、これからたどり行く道に備えて、魂を鍛える役割を果たしているのです。

光と闇、日向と陰、こうしたものは一つの全体像の反映にすぎません。陰なくしては光もなく、光なくしては陰も存在しません。人生の苦難は魂が向上していくための階段です。

困難・障害・不利な条件――これらは魂の試練なのです。それらを克服していくことによって魂がいっそう充実し、向上し、一段と強くそして純粋になってまいります。

あなたは、無限の可能性を秘めた魂の潜在力が、困難も苦痛もなく、陰もなく悲しみもなく、人生の浮き沈みを何一つ体験せずして発揮されると思われますか? もちろんそうは思われないでしょう。

人生の喜び、愉快な笑いの時は、人生の辛酸をなめつくして初めて解るのです。なぜなら、深く沈んだだけ、それだけ高く上がれるからです。地上生活の陰を体験しただけ、それだけ日向の喜びを味わうことができるのです。

体験のすべてがあなたの進化の肥やしです。そのうちあなたにも、肉体の束縛から解放されて物的な曇りのない目で地上生活を振り返る時がまいります。そうすれば、紆余曲折した一見とりとめもない出来事の絡み合いの中で、一つ一つがちゃんとした意味をもち、あなたの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出させる上で意義があったことを、つぶさに理解なさるはずです。

こちら側にいるわたしたちにとって耐え忍ばねばならない最大の試練は、愛情の絆で結ばれている地上の人間が苦難と闘っているのを目のあたりにしながら、それがその人の魂にとって是非とも必要であるとの認識のもとに手をこまねいて見ていなければならない時です。

地上のいかなる体験も、それに正しく対処し正しく理解すれば、必ずや人間にとってプラスになるものを有しております。いったい何の困難も、何の試練も、何のトラブルも、何の苦痛も、何の悩みもない世界が想像できるでしょうか。そこにはもはや進化向上の可能性がないことになります。克服すべきものが何もないことになります。ただ朽ち果てるのみです」

「魂の成長にとって苦しみが不可欠ならば、なぜ心霊治療のようにそれを軽減する仕事があるのでしょうか」


「その治療を通じて魂を真の自我に目覚めさせることができるからです。病気を治すということは確かに立派な仕事ですが、心霊治療家にはそれ以上に大きな仕事があるのです。すなわち病気が縁で訪れた人に真の自我を見出させてあげることです」

「それに較べれば身体の病気が治るということは大して重要ではないというお考えでしょうか」


「その通りです。物的身体に宿っている皆さんはどうしても地上生活のことだけを念頭におかれます。わたしたち地上を去った者は皆さんの永遠の生命を念頭に置いて、それをホンの一時期のものとして位置づけます。

病に苦しむ人を見て気の毒に思い胸に同情心が湧いてくるのは無理もないことであり、わたしもそれを咎めるつもりは毛頭ありません。しかし、その時のあなたは苦しみの一面のみを見ておられ、その人が苦しみの中で過ごす時間は、その代償として得られる喜びに較べれば実に些細(ささい)なものであるということまでは理解が及びません。

人間にとっては陰の中で過ごす時間の方が日向で過ごす時間よりも長く感じられるようですが、実際はそうではありません。

もう一つ理解しなくてはならないのは、病人のすべてが心霊治療で治るとはかぎらないということです。そこには法則というものが働いており、治療家にも治せない病気というのが出てきます。

病気は治るべき機が熟して治るもので、たまたま治っているのではありません。それは魂が地上的体験を卒業して新しい体験を必要とする機が熟すると死の関門を通過していくのと同じです。不意に死期が訪れるのではありません。すべては法則の働きで決まることなのです。が、その法則の働きの中にはあなたの役割も入っています。あなたも大霊の一部だからです」

「もしも病気治療が借金(カルマ)を支払ってしまうことによって魂にその資格ができた時にはじめて生じるものであるとすれば、その時は治療家のところへ行かなくても治ることになりませんか」


「かりに借金のすべてが支払い済みとなったら――実際にはそういうことにはならないのですが――もはや“苦”によって悩まされることがなくなるはずです。身体が完全な健康状態となるはずだからです。しかし人間は地上にいてもこちらへ来てからでも、常に借金を重ねております」

「病気の治癒が法則によって行われているとなると、治療家にはどんな役割があるのでしょうか」


「病気の人が治るべき段階にくると、治療家がその人のもとを訪れます。あるいは、その人の方から治療家のもとへ赴きます。あなたは永い間ここへ通っておられて人の出会いの不思議さを感じたことはありませんか。到達した進化の段階によってその人を治すべき治療家が決まるのです。

大霊は物忘れをなさいません。摂理は完全であり、自動的に作用します。誰一人として摂理を避けて通ることはできません。自由意志でさえ摂理の一環なのです。そしてその作用は、それがわかる段階まで進化した人にはまる見えなのです」

ここで列席者の一人が自由意志の存在は法則の存在と矛盾するのではないかと反論した。その理由として、もしもすべてが法則によって支配されているとなると、選択まで法則によって決められてしまうことになるので、そこには自由はないことになるはずだと述べた。するとシルバーバーチが――


「あなたが自由意志を行使できる範囲はあなたがこれまでに到達した進化の程度によって決まるということです。言いかえれば、あなたが選択した行為以外のことをしたかも知れないという可能性はない――魂の進化の程度によって決まることだから、ということです」

「それは精神状態が正常でない人の場合にも言えることでしょうか」


「精神が異常をきたすということは、そうなるような何かをしでかしているということです。それも法則の範囲内のことです。異常な精神状態は結果にすぎません」

「選択も法則によって決まるとなると、人生体験が進化に影響を及ぼす余地はないのではないでしょうか。進化までも自動的なものになってしまわないでしょうか」


「そういうことにはなりません。その論理には、あなたも大霊の一部であり無限の神性を秘めているという認識が欠けています。その神性が発揮されるにつれて、あなたはより高い次元の法則の支配を受けるようになるのです。その法則は他の次元の法則と矛盾するものではありません。あなたの霊格が高まったためにその法則との係わり合いが生じたということです。あくまでも“霊格の程度”の問題です。

無限ということは究極がないということです。美の極致にも、音楽の壮厳さにも究極がないのです。その無限の階梯の中にあって個々の魂は、霊格が高まるにつれて、より大きな美と調和の世界へ近づいていくのです。向上するにつれて、より大きな調和の世界が待ちうけているということです。

低い階梯にある間はそれより高い階梯のことは意識できません。が、高い階梯にいて低い階梯のことを意識することはできます。こうした生命の実相を支配している法則の働きは自動的ですから、より高い法則の支配を受けるにはその段階まで霊性を高めるほかはありません」

「でも未来の魂の成長は過去の魂の成長度によって決まるのではないでしょうか」


「そうではありません。過去の成長度があなたを、未来の成長を選択する階梯に位置づけるということです。でも、選択を強要されるのではありません。先に延ばすことはできます」

「ということは、自由意志の行使は自動的でないということでしょうか」


「いえ、自動的です。その時点であなたが取る行動は、さまざまな法則の相互作用によって決まります。その一つ一つの法則は自動的に働きます。その際のあなたの選択は、その段階での魂の成長度における意識の反応によって決められます。霊的自我に目覚めている魂は進化をさらに促進する方向を(たとえ過酷なコースであっても)選択するものです」

「魂が自らの成長を遅らせることができるのでしょうか」


「できます。しかしそれは、物的な脳を通して顕現している物的意識にかかわるものだけです」

別のメンバーが、治してもらえる段階まで来ていない患者は心霊治療で治せないという先の話を持ち出して、そうなるとその患者は実に痛ましいことになりそうだと述べた。するとシルバーバーチが――


「その患者さんはどうなると思われるのでしょうか」

「たぶん死んでしまうと思います」


「それが果たして痛ましいことなのでしょうか。このわたしも“死んでいる”のですよ。少しも痛ましくはありません。あなたは物的な面ばかりを考えていらっしゃいます。

地上というところは実にこっけいな世界です。生命にとって最も重大な体験である“死”をみんな怖がります。牢から解き放されることを怖がります。自由の身となることを怖がります。小鳥はカゴから出るのを怖がるでしょうか。なぜ人間はその肉体というカゴから出るのを怖がるのでしょうか」

「でも、たとえば母親が子供を置き去りにしたくないのは自然の情ではないでしょうか」


「あなたは生命を五、七十年の地上人生のみで考えていらっしゃいます。永遠の生命をこの世的なことだけで判断できるのでしょうか。大霊の叡智をいま生活しておられるチリほどの物質の世界だけで裁いてはいけません。地上には比較の尺度がないのです。生命活動の世界の中でも最低の界層の一つしか見ていない人間に、どうして最高界のことが理解できましょう」

代わって他のメンバーが――

「治してもらえる段階まで来ないまま他界すれば、霊界の自由な生活がエンジョイできます。一方、治るべき段階に来ていた人が治ってしまえば、そのまま地上生活を続けることになりますが、これでは進化していない方が進化した人より幸せということになりそうですが……」


「治るべき段階に来ていたため全治して死を免れたとすれば、それはまだ死ぬべき時機が来ていなかったということと、魂にとって必要だった身体の苦痛が一応そこで終了したことを意味します。しかし、魂が地上を去って新しい世界へ進む前に体験しなければならないことなら、ほかにも沢山あります。肉体の苦痛が人間的体験の究極ではありません!」

キリスト教の悪影響についての先のシルバーバーチの説がまだしっくりこないメンバーが「クリスチャンの中にも立派な方が沢山いると思うのですが」と言うと――


「そういう人はクリスチャンにならなくても立派だった人です」とシルバーバーチが答える。

「でも、イエスの教えに忠実であろうと努力したからこそ立派になった人もいるのではないでしょうか」


「地上の人間が本当にイエスの生きざまを模範とするようになれば、人類史上に新しいページが始まります。しかし、まだそこまでは至っておりません。わたしにはその徴候が見えないのです。忠誠を表明しているはずのイエスを欺(あざむ)きつづけている人のことを、わたしの前でクリスチャンと呼ぶのは止めてください。そのイエス自身が言っているではありませんか――“私に向かって主よ、主よ、と言う者のすべてが天国へ入れるのではない。天にまします父の意志を実践する者のみが入れるのである”と」

「でも、キリスト教の教義には深くかかわらずに立派な無私の生活を心がけているクリスチャンも大勢います」と言って、一例として有名な牧師の名前をあげた。

するとシルバーバーチは――


「あの方は立派なクリスチャンではありません。クリスチャンとしては立派な人ではありません。が、人間としては立派な方です。

いいですか、教義というものは例外なく魂にとって足枷となるのです。人間は教義のお蔭で立派になるのではありません。教義を無視しても立派になれるのです。教義の名のもとに同胞を殺し、教義の名のもとに同胞を焼き殺した歴史があります。魂を縛るもの、魂を閉じ込めるもの、その自由な発想を妨げるものはすべて一掃しなくてはいけません」

なおも納得しないその質問者は、ハンセン病患者の施設を見舞う牧師の話を持ち出した。するとシルバーバーチが――


「その人たちは教義に動かされて行くのではありません。魂がそうしてあげたいと望むから行くのです。宗教とは教義を超えたものです。教義は宗教ではありません」

つづいて信仰の問題がメンバーの間で論議されたあと、シルバーバーチがこう締めくくった。


「ただそう信じるというだけの信仰では、厳しい体験の嵐が吹き荒れるとあっさりと崩されてしまいます。が、霊的事実を土台として生まれた信仰はいかなる嵐が吹いてもビクともしません。

目で確かめずして信じることのできる人は幸いです。しかし、確かめた上で信じ、なおかつ、宇宙が愛と叡智の摂理によって支配されているとの認識のもとに、まだ啓示されていないものまで信じることのできる人は、その何倍も幸せです。

わたしたちがお教えしていることは、至って簡単なことばかりです。にもかかわらず、わたしたちのことを悪魔の手先であると決めつけたがる人がいます。わたしたちは、自然の摂理の働きをお教えしようとしているのです。それによって皆さんが生活を正しく規制し、生命の大霊と調和することによって内部から湧き出る幸福感を味わっていただくためです」

祈り


ああ、真白き大霊よ。

全生命の裁定者にあらせられるあなた。“死”の存在しない御国の主にあらせられるあなた。わたしたちは、全てを包摂して慈しまれ、大自然の法則の一大パノラマの中に顕現しておられるあなたを啓示せんと務めている者たちでございます。

わたしたちはあなたを完全なる公正と叡智の大霊、全生命に潜在し、生きとし生けるもの全てに表現されている存在として啓示いたします。

ああ、大霊よ。あなたは無窮にして無限、子等の理解力を超えた存在にあらせられます。しかし、それでもなおあなたを知ることは可能でございます。なぜならあなたは、物質の次元と霊の次元の区別なく、あらゆる生命の相に顕現しておられるからでございます。

あなたは小鳥のさえずりの中に存在します。夜空の星のまたたきの中に、雨滴のきらめきの中にあなたを見ることができます。小川のせせらぎの中に、ミツバチの羽音の中に、風に揺れる木々の枝の中にいらっしゃいます。轟く雷鳴の中にも大海の怒濤の中にもあなたがいらっしゃいます。またあなたは昇りゆく太陽の中にも淡い月の光の中にもいらっしゃいます。

あなたは生命のすべての相の中におられます。しかし、人間の霊性があなたの愛と善性とを奉仕と自己犠牲と理想主義の行為の中に顕現せんとして躍動する時、最もあなたに近い形でその存在をお示しになられます。

霊の世界から派遣されたあなたの使者であるわたしどもは、かつて限られた少数の人間のみに啓示され、今は物的領域を超えてあなたの計画を垣間(かいま)見ることのできる者すべてに啓示されつつある摂理の働きを、あなたの働きそのものとして啓示せんとしているところでございます。

物質の束縛を解かれ、今はより大きな世界において生命活動を営んでいるわたしどもは、あなたの法則にのっとって地上へ舞い戻り、愛は消えることなくいつまでも相手を捜し求めるものであることを教え、慰めと確信、導きと希望、知識と霊感、叡智と真理を地上の同胞にもたらさんとしているところでございます。

かくして離別の悲しみと愛による再会という体験の中で、あなたの子等は内在するあなたの霊性を認識するようになり、霊界からの鼓舞を受けてあなたの道具として献身し、苦しむ者を救い、あなたの霊性を日常生活の中で発揮し、すべての者にあなたの御心をもって接するようになることでございましょう。

わたしたちもその御心を体(たい)して地上へ戻り、いずこにおいても手助けすることを心がけ、地上の全人類を結びつけている霊的な絆(きずな)を強化し、全生命の背後の一体性を認識せしめんとしているところでございます。

願わくばあなたの御力が地上におけるあなたの神殿たらんと志す全ての通路(ひと)を通して顕現し給わんことを。

ここにあなたの僕インディアンの祈りを捧げます。

Thursday, August 6, 2026

シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ

 A Voice in the Wilderness

トニー・オーツセン(編)近藤千雄(訳)




5章 あなたが大霊なのです


「霊的真理の威力が皆さん方を一堂に集めたのです。その場で各国の代表と協議を交わして、新たな力と新たな勇気を見出されました。これより新たな理解と新たな希望を胸に秘めて、それぞれのお国へ帰られるわけです」

これは九月のある日曜日の夜、ロンドンでの国際スピリチュアリスト連盟(※)の総会に出席した世界各国の代表の中から特別に招待された人々を前にして述べたシルバーバーチのメッセージの冒頭の言葉である。


※――ISFの略称で呼ばれている国際組織で、二、三年に一度の割で不定期に開催されている。ちなみに第一回は一九二三年にベルギーで、第二回は一九二五年にパリで、第三回は一九二八年にロンドンで、といったぐあいに開かれ、これまでに十四回開催されている。第三回総会には日本から浅野和三郎が出席して演説し注目を集めた。ここで紹介されている総会が何年のことであるかは定かではないが、多分、ロンドンにおける二度目の総会のことであろう。

シルバーバーチは続けてこう語った。


「この物質の世界は、もうこれ以上、霊の声に知らんふりをし続けることはできません。今まさに大きな岐路に立っており、どっちの道を選ぶかの選択を迫られております。

キリスト教は失敗に終わりました。完全に行き詰まっております。科学者も裏切りました。建設するどころか、破壊する方向を選びました。思想家も頼りになりませんでした。何の意味もない空虚な思索にばかり耽っております。政治家も国民を裏切り、自分を犠牲にする覚悟なしには平和は訪れないという崇高な教訓を未だに学んでいません。絶望の果てに、大霊の子等は導きを叫び求めます。

わたしはここで、皆さんにはとてつもなく大きな信任が委託されているという認識を新たにしていただきたいのです。言いかえればそれは担わされた大きな責任でもあります。それを委託なさったのは、絶対に裏切ることのない、全生命の始源である大霊にほかならないのです。皆さんがその大霊の力によって動かされ、その叡智によって導かれ、その愛によって支えられてさえいれば、いかなる困難が生じても必ず解決策を見出すことができます。なぜなら、大霊の援護のもとで皆さんは、真の自我、本当の自分――おのれ一個の栄光を求めるに留まらず、人のために役立ちたいという願望をもつ、より大きな自我に目覚めていくものだからです。

地上世界は争いごとや恨み合い――いわゆる不協和音に満ちております。悲哀と悲劇と流血にあふれております。それでいてお互いが“我らに平和を!”と叫びます。

わたしは皆さんにぜひとも、内部に潜在する可能性を改めて認識していただきたいと思います。あなた方お一人お一人が大霊なのです。大霊の無限の力が皆さんの内部に潜在しているという意味です。それを呼び覚まし表に出せば、人間であるがゆえの束縛(しがらみ)を打ち破ることができるのです。

隠れた霊的資質を存分に発揮なさってください。ほかならぬ自分が無限の力を駆使できる大霊であることを自覚してください。そうすれば、今ゆっくりと暗い世界を照らしはじめた新しい時代の道具として活躍することができます。

物的世界のものでしかないものを頼りにしてはなりません。いかに高い地位の人であろうと、地上に住む人間を当てにしてはなりません。その向こうへ目をやりなさい。人類への愛のもとに、皆さんの人生を啓発するために届けられているインスピレーションをキャッチしてください。

勇気をもって前進してください。もとより、これからも多くの困難と多くの失敗は免れません。が、そういう時でもわたしたちが背後に控えていて、苦しい時には不屈の情熱を吹き込み、疲れた時には希望と力とを与え、意気消沈している時には精神を高揚してあげるための努力をします。決して一人ぼっちでいることはありません。大霊が使者を遣わして援助します。

皆さんはこれよりそれぞれに遠い土地へ赴かれるわけですが、大霊の力は決して分散されて弱まるわけではありません。同じ力がお一人お一人について行き、人のためになる仕事にたずさわっておられるかぎり、その威力を発揮いたします。

お一人お一人に大霊の祝福のあらんことを。そして皆さんを包み込んでいるその愛がいかに限りないものであるかを自覚なさらんことを。神々しい愛のマントに包まれていることを自覚されんことを。物質界の困難や試練やトラブルには超然とした態度で、常にその目を大霊のシンボルである太陽へ向けられんことを。

心には愛を、精神には知識を、霊には断固たる奉仕の覚悟を満たしてください。そうすれば大霊の意志が皆さんを通して顕現し、心が大霊の心と同じリズムで鼓動するようになります。すなわち大霊と一体となられるのです」

別の日の交霊会でシルバーバーチはスピリチュアリズムの真実性を確信した者の義務についてこう述べた。


「皆さんもわたしも、そしてわれわれに協力してくれる人はみな大霊の使者として、大霊の意志を行使せんとしているのです。われわれはよく誤解されます。往々にして最大の味方であるべき人が最大の敵にまわることがあります。が、そういうことにはお構いなく仕事を遂行します。そして大霊の目から見て正しいことをしているかぎり、物質の世界の何よりも強力な霊の勢力を呼び寄せることができるのです。

かくして、徐々にではありますが善が悪を征服し、正義が不正を征服し、正しいことが間違ったことを征服してまいります。地上の勢力の方が優位に立つことが時にはありますが、それも一時的なことであり、永久的なものではありません。

わたしたちは必ず成功します。何となれば、わたしたちの目的としているのは人類を現在の間違った状態から救い出し、人生を人のために役立てる方法を教えてあげ、そうすることで魂と精神の豊かさ、地上的なものではなく、より高い霊的なものにかかわる安らぎと幸せが得られることを意図しているからです」

「スピリチュアリズムの真理を地上世界に行きわたらせるにはどうしたらよいのでしょうか」


「サウロがダマスカスへ向かう途中で改心したような調子で(使徒行伝)地上世界を目が眩むような一瞬の閃光のもとに改心させるわけにはまいりません。霊的知識に目覚める者が増え、大霊の力が利用できる道具(霊媒・霊覚者)が増えるにつれて、真理の光が少しずつ浸透していくのです。

霊にかかわるものはキメの細かい熟成と進歩とを要することを忘れてはなりません。突然の改心は長続きしません。わたしたちの仕事は永続性を意図したものなのです。

大霊の道具となる人が一人増えるごとに、暗黒から光明へ、無知から知識へ、迷信から真理へと進む者が一人増えるごとに、地上世界は進化するのです。なぜなら、その一人ひとりが物質第一主義の棺(ひつぎ)に打ちこまれるクギだからです。

進歩にも二つの種類があることを知ってください。一つは精神的能力にかかわるものであり、もう一つは霊的資質にかかわるものです。前者は心霊的能力の発達であり、後者は魂の発達、霊性の進化です。霊性の進化を伴わずに心霊的能力だけが発達しても、低いバイブレーションの仕事しかできません。両者がうまく連動した時には、すぐれた霊能者であると同時にすぐれた人格者となります」

別の日の交霊会でもスピリチュアリズムの重大性を強調してこう述べた。


「こうした交霊会で行っている仕事がますます必要性を増しております。地上人類はその無明(むみょう)ゆえに大霊の摂理にのっとった生き方をしておりません。暗黒と絶望への道を選んでまいりました。

そこでわたしたちは、希望と光明と平和と調和をもたらす霊的知識をお届けするのです。無知な人たちからは軽蔑されます。せっかくお届けしたメッセージが拒絶されます。わたしたちに伴って降りてくる霊力の働きが無視されます。しかし、わたしたちの説いている真理は必ず地上世界に広まります。大霊の息がかかっているからです。

摂理に逆らった生き方をする人は、その当然の報いとして、辛い収穫を刈り取らねばなりません。摂理にのっとった生き方をしている人は、その当然の報いとして、物的側面だけでなく霊的側面においても幸せで豊かな収穫を刈り取ることができます。

暗い空気が支配している現実の中にあっても、決して希望を捨てることなく、人類の高揚のために皆さんとともに働いている霊界の同志たち、物質界を少しでも住みよいところにするために活動している勢力は、必ずや勝利を手にするとの確信をもってください。皆さんの味方は宇宙で最強の力なのですから。

ただし、価値あるものを手に入れるには必ず苦しみと悲しみとが伴うものです。物質の世界で得られる教訓にはそれなりの宿命的な入手条件というものがあることを知らないといけません。

わたしたちの勢力が今や物質界全体に浸透しつつあります。わたしたちのメッセージが地上各地の心ある人たちを啓発しております。そして、霊的光明が浸透していくにつれてその光が物質万能主義の暗闇を消滅させてまいります」

スピリチュアリズムの発展と普及にとっては、霊媒すなわち地上界と霊界のかけ橋となる通信回線のような存在は不可欠である。それでシルバーバーチは訴える――


「もっともっと多くの霊媒がほしいのです。いくらいても多すぎるということはありません。今のところ、すべての面で順調に事が進行しております。われわれの勢力は勝利へ向けて前進しております。

そして、ここで銘記していただきたいのは、それはただ単に霊的真理の勝利というに留まらず、霊的真理の普及に伴って自然発生的に生じるもの――自由・刷新・改革・改善・公正・進歩といった面での運動にとっての勝利でもあるということです。

わたしたちは霊的勢力である以上、その浸透はまず宗教界に影響を及ぼしますが、それがさらに人間生活のあらゆる分野に波及してまいります。それが地上各地で活躍している各分野の開拓者(パイオニア)に新たな霊感、新たな衝動、新たな情熱、新たな熱誠、新たなやる気を起こさせ、心機一転、ますます意欲を燃やして仕事に専念し闘いに挑みます。

かくして霊力が全身にみなぎり、かつ周囲を包むようになれば、反抗する暗黒の勢力は退却せざるを得ません。そこに進歩が生まれ、人類の歴史に新たなページが記されることになります。人のために一心で奮闘する人はみな、そうしたページを炎の文字で綴っていることになるのです。

これまで堅固に身を守ってきた既得権力も今や根底から崩れつつあることに自ら気づいております。その基盤は砂上に築かれていたのであり、執拗な真理の攻撃に耐えられるものではないからです。

これまで“正統派”といわれてきた伝統的慣行があらゆる分野において消滅しつつあり、代わって新しい“異端派”が勢力を伸ばしつつあります。と言うのも、“異端”と呼ばれていたものも実は、それまでに親しまれていなかったから物珍しく思われたというにすぎず、それもやはり真理であることに人々が気づきはじめたからです」

そう述べたあとシルバーバーチは、こうしたことは実はずっと以前、すなわち自分がこの霊媒を通じて霊言を送りはじめた当初から述べていたことで、一八四八年の米国でのハイズビル現象をきっかけとして、霊界からの大々的な働きかけがあったことに改めて言及してから、さらに――


「しかし忘れないでいただきたいのは、皆さん方のような地上での道具がなくては、わたしたちも何も為し得ないということです。皆さんはわたしたちに闘いのための武具を供給してくださっているようなものなのです。皆さんの力をお借りする以外に地上には頼りにすべき手だてが何もないのです。喜んでわたしたちに身をゆだねてくださる人以外に、道具とすべきものがないのです。

その道具が多すぎて困るということは決してありません。こちらの世界では、使用に耐えられる人物の出現を今か今かと待ちうけている霊がいくらでもいるのです。

わたしたちの方から皆さんを待ち望んでいるのです。皆さんがわたしたちを待ち望んでいるのではありません。地上への降下を待ち望んでいる霊力には、その表現形式が無数にあります。種類も様式もおびただしい数があり、さらには、用意された通路に合わせて形態を変えます。

もっともっと多くの人材――これがわたしたちの大きな叫びです。いつでも自我を滅却する用意のできた、勇気と誠意と率直さにあふれた男女――霊力がふんだんに地上世界へ降下して人生を大霊の意図された通りに豊かさと美しさと光輝にあふれたものにするためならいかなる犠牲をも厭わない人材がほしいのです。

わたしたちの仕事は、人生意気に感ず、の気概なくしてはできない仕事です。その仕事の尊厳に誇りを覚えて全身全霊を打ち込むようでなくては成就できません。かつては軽蔑されるのを恐れて霊的なことを口にするのを憚(はばか)った時代がありました。目立たないように一握りの人間が奥の部屋でこっそりと会を催したものでした。

が、今は違います。自分たちの信じたことが真理であったことを確信して、堂々とそれを説くことができます。なぜなら、その真実性を立証してみせたからです。もはや恥じ入ることなく自分の存在を主張し、霊的実在の福音を誇りをもって説くことができます。

霊の話を口にしたからといって軽蔑されることは、もうなくなりました。それは過去の無知な時代の話となりました。今日では皆さんが敬意を払われるようになりました」

次にカンタベリ大主教(※)がラジオ放送で組織としての宗教活動の重大性を訴えたニュースが話題となり、シルバーバーチがこう説いた。


※――英国国教会はカンタベリとヨークの二大教区に区分されていて、双方に大主教が置かれているが、支配力としてはカンタベリ大主教の方が上。


「真の宗教は大霊の子に奉仕することによって大霊に奉仕することです。それには教会も司祭も牧師も聖なる書も――それによって奉仕の精神が植えつけられ同胞への愛を一段と強くすることにならないかぎり――必要ではありません。いつどこにいても人のために役立つことを心がけることです。同胞の荷を分かち合うのです。それが宗教です。

何度聞かれても、わたしは皆さんの多くが直観的に、ないしは理性と論理を通して理解しておられる、こうした単純な真理を繰り返すしかありません。わたしは(三千年前に地上を去って以来)これまでに霊界の高い界層で学んできた真理をお届けしているのです。すべての住民が実在を目(ま)のあたりにし、原因と結果の関係が瞬時にしてわかり、他の存在のために自分を役立てることが多い人ほど高級とされる、そういう世界からお届けしているのです。

そこでは地上で通用した仮面や偽装のすべてが剥(は)ぎ取られ、魂の正体が素っ裸にされ、長所と短所とがすべての人に知れてしまうのです。真価が知れてしまい、虚偽が存在せず、不公平が見当らない世界、そういう世界からわたしは来ているのです。貧乏人もいません。金持ちもいません。いるのは霊的に貧しい人と、霊的に豊かな人だけです。強者も弱者もいません。いるのは魂が強靭な人と、魂が虚弱な人だけです。

地上世界で有り難がられ崇められていたものすべてが過去のチリとなり果てたあとは、永遠の霊的実在のみが残り続けるのです」

そう述べてからシルバーバーチは、自分も宗教へ帰れという呼びかけはするが、それは萎びはてた教義や仰々しい儀式の宗教のことではなく、“人のため”の宗教へ帰れということだと説いてから、さらに――


「皆さんへのメッセージとしてわたしが何よりも強調したいのは、この新しい幕開けの時代に生きておられる皆さんには、大いなる貢献のチャンスがあるということです。地上界を見渡してごらんなさい。悲劇と絶望、悲哀と苦悩、涙にぬれた顔、顔、顔が見えるはずです。何とかしなければならない分野がいくらでもあることに気づかれるはずです。まだまだ無知がはびこっています。まだまだ権力の悪用が跡を絶ちません。改めなければならない偏見がいたるところに見受けられます。

飢餓に苦しむ人、飢え死にしていく人、食べすぎて病気になっている人、栄養失調で苦しむ人、こうした人が大勢いることに気づかれるでしょう。痛みに苦しめられて、内部の大霊の力を発揮できずにいる人が大勢いるのです。クリスチャンと名のる人のすべてが恥を知るべき(※)貧困と苦悩、人間の住居とは思えないあばら家が目に入りませんか。

また、地上世界も地上天国とすることができる――平和と豊かさに満ちた楽園となるための可能性を十分に秘めていながら、そこが利己主義の雑草で足の踏み場もなくなっているのです。

わたしたちは皆さんに奉仕への参加を呼びかけます。自分の利得損失を忘れ、霊的なものをこの世的な打算に優先させ、お一人お一人が生命の大霊の使者となっていただきたいのです。

お一人お一人が改善の仕事を引き継ぎ、快活さと楽しさとを忘れてしまった人たちにそれを取りもどさせ、涙を拭いてあげてその顔に笑みをもどしてあげ、無知と迷信と闘って正しい知識と置きかえ、暗黒を駆逐して霊的真理の光で照らし、心配・悲嘆・病気のすべてをなくして愛がすべてを支配する世の中にすべく、それぞれに努力していただきたいのです」


※――ここは、キリスト教では大聖堂のような豪華な建造物をこしらえ、それが近所の住民の日照を奪っているのに、その内部では聖職者が労働もせずに食うに事欠かない生活をしていることを念頭に置いて述べていることが、別の日の交霊会での霊言から察せられる。

最後に、こうした霊界通信の受け止め方について言及して――


「わたしたちは脅し文句で信じさせるような方法は採りません。あとの仕打ちが怖いから信じるというような、情けない臆病者にはしたくありません。反対に、各自の自我の内奥に神性が宿されている事実を自覚させ、それを少しでも多く発揮するように、言いかえれば霊的により高く向上して、より高度な真理と叡智とを身につけていただきたいと願っているのです。

今までに身につけたものでは物足りなく思うようであってほしいという言い方もできます。不満を抱くことからより高い知識を得たいという願望が生まれるからです。現状に満足する者はそこで進歩が止まります。満足しきれない者はより大きな自由を求めて葛藤するものです。

ですから、わたしは“理屈を言わずにただ信じなさい”とは申しません。“大霊から授かった理性を存分に使ってわたしを試しなさい。大いに吟味しなさい。そして万一わたしの言うことに下品なこと、酷(ひど)いこと、道徳に反するようなところがあったら、どうぞ拒否してください”と申し上げています。

またこうも申し上げています。“わたしたち霊団は皆さんが気高い生活、より立派な自己犠牲と理想主義に基づく生活をしていただきたいとの願望からメッセージを送っている以上、その教えには必ずや大霊による〈正真正銘〉の折り紙がつけられているはずです”と。

この大事業に直接たずさわっているわれわれが気をつけなければならないのは、かつては大変な啓示に思えたものが次第にごく当り前のことに思えてきて、そこに感動を覚えなくなることです。しかし、永いあいだ暗闇の中に閉じ込められていた者にとっては、ホンのわずかな真理の言葉でも目が眩むほどの感動的な光に思えることがあるのです。

そういう人をたった一人でも向上させ、喪の悲しみの中にいるたった一つの魂に慰めを与え、気落ちしているたった一人の人間に希望を与え、人生に疲れた孤独な人に生きる力を与えてあげることができたら、それだけで十分に価値ある仕事をしたことになるのではないでしょうか。

大言壮語をして俗受けを狙うのも結構です。が、その一方には、古い教義に縛られて身動きが取れなくなっていながら、魂の奥では自由を叫び求めている人がおり、そういう人たちにとっては大言壮語がかえって混乱と当惑と動揺を呼ぶことになることを忘れてはなりません。

わたしたちのメッセージはそういう人たちを意図したものなのです。それまでに到達できなかったものを得んとして努力する、その励みを与えてあげたいのです。しょせん真理とは次のより高い真理への踏み台にすぎないのです」

「本当にそうだと思います」と列席者の一人が述べると――


「わたしには確信があるからそう申し上げるのです。確信がなかったら申し上げません。しかしなおわたしは、謙虚な気持ちで改めてこう申し上げます――もしも幸いにしてこの霊媒の口を借りて語りかけることを許されているこのわたしの述べることの中に、皆さんの理性を反発させること、大霊の愛の概念と矛盾すること、愚かしいこと、知性を侮辱するようなことが出るようになったら、それはもう、このわたしの時代が終わったこと、つまりわたしの仕事が挫折したことを意味します、と。

とは言え、これまで何度となく申し上げてきましたように、わたしはこれまでにただの一度も、人間の魂が求める最高のものと矛盾するようなことは口にしていないと確信します。ひたすら皆さんの内奥の最高のものに訴えんとしてきているからです」

別の日の交霊会で霊団の仕事を次のように説いている。


「わたしたち霊団の仕事は、れっきとした目標をもったもの、意義のあるものを地上へもたらすことです。それは、一方においては厳然たる摂理の存在を証明することであると同時に、他方においては慰めを与え霊的知識を広めることでもあります。物理的法則を超えた霊的法則というものが存在することを明らかにすることであると同時に、宇宙の大源である“霊”の真理を明かすことでもあります。

そうした仕事の前に立ちはだかるものとして、途方途轍もない“誤った概念”があります。何世紀にもわたって引き継がれてきたものを解体しなければなりません。“教義”を土台として築き上げられた間違いだらけの上部構造を破壊しなければなりません。

わたしたちは物質の子等がいかにして魂の自由を獲得し、いかにして霊的真理の光に浴し、いかにして教義の足枷を解きほどくかをお教えしたいと思っているのです。もとよりそれは容易な仕事ではありません。なぜなら、いったん宗教の虚飾に目を奪われたら最後、霊的真理の光がその厚い迷信の壁を突き通すまでには大変な時間を要するものだからです。

そこでわたしたちは霊的真理の宗教的意義を解き明かすことに努力します。地上世界にその霊的意義の理解が行きわたれば、戦争や流血による革命よりはるかに強大な革命が生まれます。

それは魂の革命となるでしょう。そして世界中の人間が霊的存在としての当然の権利、すなわち霊としての自由を満喫する権利を主張するようになることでしょう。それまで足枷となっていた無用の制約が取り払われることでしょう。

あなた方はその先駆者(パイオニア)なのです。道を切り開き、障害を取り払い、後から来る人たちが楽に通れるようにしてあげるのです。本来ならそれを援助すべき立場にある者(既成宗教の聖職者)が霊的無明ゆえに敵にまわっております。が、それは自らを破滅へ追いやる行為です。

わたしたちが忠誠を尽すのは一個の教義でもなく、一冊の書物でもなく、一つの教会でもなく、生命の大霊とその永遠の摂理なのです」

祈り


ああ、真白き大霊よ。

あなたの無窮性、あなたの叡智、あなたの愛の豊かさ、あなたのインスピレーションの無上性をいかなる言葉に託すればよろしいのでしょうか。限りある物質の身体に包まれている地上の子等に、果てを知らず窮まることを知らない存在であるあなたを、いかに説き聞かせればよろしいのでしょうか。

これまで(キリスト教によって)嫉み深くて残虐性を好み、復讐すらしかねない神(ゴッド)として“啓示された”と説かれてきたあなたを、わたしたちはどう啓示すればあなたの真実の姿を伝えることができるのでしょうか。

あなたは全生命の大霊にあらせられ、大自然のあらゆる現象を通して息づき、宇宙間の一つ一つの生命の中に顕現しておられます。

わたしたちは、これまでに賜ったあなたについての知識、物的波長を超越し物的ベールを突き通す目をもって霊的真理を見ることのできる者に授けられた叡智を有り難く思います。より次元の高い波長を捉えることのできる耳によって、あなたから届けられる啓示を聞き、かつまた、愛と叡智と公正の権化としてのあなたを説くことができますことを、うれしく存じます。

ああ、神よ。

幾世紀にもわたって、いつの時代にもあなたの使者をよろこんで迎え入れる者を地上に用意してくださってきたこと、そしてまた、地上にいてその暗黒の土地にあなたの真理を広め、無知と迷信のはびこる場所にあなたの光と知識とをもたらすための道具として、あなたのインスピレーションを的確に捉えることのできる者を用意してくださったことを有り難く存じます。

あなたの霊力の数少ない証言者として、あなたの子等を高揚し改革し感化し、地上世界の子等にとって適切な住処(すみか)とするために尽力してきた人々の存在を有り難く思います。

またわたしたちは、この度あなたが再び悲劇と苦悩と悲哀に満ちた地上世界に、あなたの真理をもたらすための仕事をわたしどもに託してくださったこと、そして、あらゆる混乱と錯乱の中にあって、子等を自らこしらえた泥沼から引き上げてあげる用意のできた者があなたの霊力によって満たされ、あなたの使者に守られてその霊力を行使できることを、うれしく存じます。

すべての宗教の本来の遺産であるべき霊的摂理に関する知識を地上へもたらさんと努力しているわたしたちは、二つの世界の間であなたの力が存分に往き来することを妨げるものすべてが排除され、迷信と無知と偏見と狭量と頑迷のベールが剥ぎ取られ、子等があなたの霊的真理の光の中に立つことができますよう祈ります。

願わくば子等が今あなたによってこの地上に置かれている目的、あなたから託されている仕事を認識し、その理解のもとに、お互いがお互いのために役立つことをするという形での生活に徹し、戦争のすべて、戦争のうわさ(予言)のすべて、恐怖心のすべて、敵意のすべて、暗黒のすべてを駆逐し、平和と豊かさに満ちた御国を招来することができますように。

ここに、子等に仕えることによってあなたに奉仕せんことを願う、あなたの僕インディアンの祈りを捧げます。


Wednesday, August 5, 2026

ベールの彼方の生活(二)

第二巻は、著者オーエンの守護霊であるザブディエルからの通信です。彼がいる十界、その先の十一界や下層界である五界や六界の情景について書かれています。


七章  天界の高地

1 信念と創造力

 一九一三年十二月十九日  金曜日

 「神はあなた方の信念に応じてお授けになる」──このイエスの言葉は当時と同じく今もなお生きている。絶対的保証をもってそう断言できる。まず必要なのは信念なのである。信念があれば事は必ず成就される。成就の方法はさまざまであろう。が、寸分の狂いもない因果律の結果であることに変わりはない。

 さて、これは地上世界にかぎられたことではない。死後の向上した界層、そしてこれ以後も果てしなく向上していく界層においても同じである。吾々が成就すべく鋭意努力しているのは、実際の行為の中において確信を得ることである。

確信を得れば他を援助するだけの霊力を身につけ、その霊力の行使を自ら愉しむこともできる。イエスも述べたように、施されることは喜びであるが、施すことの方がより大きな喜びであり愉しみだからである。

 が、信念を行使するに当たり、その信念なるものの本質の理解を誤ってはならない。地上においては大方の人間はそれを至って曖昧に──真実についての正しい認識と信頼心の中間に位置する、何やら得体のしれないものと受け止めているようである。が、何事につけ本質を探る吾々の界層においては、信念とはそれ以上のものであると理解している。

すなわち信念も科学的分析の可能な実質あるエネルギーであり、各自の進化の程度に応じた尺度によって測られる。

 その意味をより一層明確にするために、こちらでの私の体験を述べてみよう。

 あるとき私は命を受けて幾つかに施設(ホーム)を訪ね、各施設での生活の様子を調べ、必要な時は助言を与え、その結果を報告することになった。さて一つ一つ訪ねて行くうちに、森の外れの小じんまりとしたホームに来た。そこには二人の保護者のもとで大勢の子供が生活をしている。

お二人は地上で夫婦だった者で、死後もなお手を取りあって向上の道を歩みつつある。彼らが預かっているのは死産児、つまり生まれた時すでに死亡していたか、あるいは生後間もなく死亡した子供たちである。こうした子供たちは原則として下層界にある〝子供の園〟には行かず、彼ら特有の成長条件を考慮して、この高い界層へ連れて来られる。

これは彼らの本性に地臭が無いからであるが、同時に、少しでも地上体験を得た者、あるいは苦難を味わった子供に比べて体質が脆弱であるために、特殊な看護を必要とするからでもある。

 お二人の挨拶があり、さらにお二人の合図で子供たちが集まって来て、歓迎の挨拶をした。が、子供たちは一様に恥ずかしがり屋で、初めのうちは容易に私の語りかけに応じてくれなかった。

それというのも、ここの子供たちは今述べた事情のもとでそこへ連れて来られているだけに性格がデリケートであり、私もそうした神の子羊に対して同情を禁じ得なかった。そこであれこれと誘いをかけているうちに、ようやくその態度に気さくさが見られるようになってきた。

 そのうち可愛らしい男の子が近づいてきて腰のベルトに手を触れた。その輝きが珍しかったのであろう。もの珍しげに、しげしげと見入っている。そこで私は芝生に腰を下ろし、その子を膝に抱き、そのベルトから何か出して見せようかと言ってみた。すると初めその意味がよく分からない様子であった。そして次に、ほんとにそんなことが出来るのだろうかという表情を見せた。

 が、私がさらに何か欲しいかと尋ねると、「もしよろしかったらハトをお願いします」と言う。なかなか丁寧な言い方をしたので私はまずそのことを褒めてやり、さらに、子供が素直に信じてお願いすれば、神様が良いことだとお許しになったことはかならず思いどおりになるものであることを話して聞かせた。

 そう話してからその子を前に立たせておき、私は一羽のハトを念じた。やがて腰のベルトを留めている金属のプレートの中にハトの姿が見えはじめた。それが次第に姿を整え、ついにプレートからはみ出るほどになった。それを私が取り出した。

それは生きたハトで、私の手のひらでクークーと鳴きながら私の方へ目をやり、次のその子の方へ目をやり、どちらが自分の親であろうかと言わんばかりの表情を見せた。その子に手渡してやると、それを胸のところに抱いて、他の子供たちのところへ見せに走って行った。

 それは実は子供たちをおびき寄せるための一計に過ぎなかった。案の定それを見て一人二人と近づいて来て、やがて私の前に一団の子供たちが集まった。そして何かお願いしたいがその勇気が出せずにいる表情で、私の顔に見入っていた。が、

私はわざと黙って子供たちから言い出すのを待ち、ただニコニコとしていた。と言うのは、私は今その子たちに信念の力を教えようとしているのであり、そのためには子供の方から要求してくることが絶対必要だったのである。

 最初に勇気を出してみんなの望みを述べたのは女の子であった。私の前へ進み出ると、その可愛らしいくぼみのある手で私のチュニックの縁を手に取り、私の顔を見上げて少し臆しながら「あの、できたら・・・・・・」と言いかけて、そこで当惑して言いそびれた。そこで私はその子を肩のところまで抱きあげ、さあ言ってごらん、と促した。

 その子が望んだのは子羊であった。

 私は言った。今お願いしてあるからそのうち届けられるであろう。何しろ子羊はハトに較べてとても大きいので手間が掛かる。ところで、本当にこの私に子羊が作れると信じてくれるであろうか、と。

 彼女の返事は至ってあどけなかった。こう答えたのである。「あのー、皆んなで信じてます。」私は思わず声を出して笑った。そして皆んなを呼び寄せた。すると、翼のついたハトが作れたのだから毛の生えた子羊も作れると思う、と口々に言うのである。(もっとも子供たちは毛のことを毛皮といっていたが)

 それから私は腰を下ろして子供たちに話しかけた。まず〝吾らが父〟なる神を愛しているかと尋ねた。すると皆んな、もちろん大好きです。この美しい国をこしらえ、それを大切にすることを教えてくださったのは父だからです。と答えた。

そこで私はこう述べた。父を愛する者こそ真の父の子である。子供たちが父の生命力と力とを信じ、賢くそして善いものを要求すれば、父はその望みどおりのものを得るための意念の使い方を教えてくださる。動物もみんなで作れるであろうから私がこしらえてあげる必要はない。ただし初めてにしては子羊は大きすぎるから今回はお手伝いしてあげよう、と。

 そう述べてから、子供たちに心の中で子羊のことを思い浮かべ、それが自分たちのところへやってくるように念じるように言った。ところが見たところ何も現れそうにない。実は私は故意に力を控えめにしておいたのである。しばらく試みたあと一息入れさせた。

 そしてこう説明した。どうやら皆さんの力はまだ十分ではないようであるが、大きくなればこれくらいのことは出来るようになる。ただし祈りと愛をもって一心に信念を発達させ続ければのことである、と。そしてこう続けた。

 「あなたたちも力はちゃんとあるのです。ただ、まだまだ十分でなく、小さいものしか作れないということです。では私がこれから実際にやってみせてあげましょう。あとはあなた方の先生から教わりなさい。あなたたちにはまだ生きた動物をこしらえる力はありませんが、生きている動物を呼び寄せる力はあります。このあたりに子羊はおりますか?」

 この問いに皆んな、このあたりにはいないけど、ずっと遠くへ行けば何頭かいる。つい先ごろそこへ行ってきたばかりだという。

 そこで私は言った。「おや、あなたたちの信念と力によって、もうそのうちの一頭が呼び寄せられましたよ。」

 そう言って彼らの背後を指さした。振り向くと、少し離れた林の中の小道で一頭の子羊が草を食んでいるのが目に入った。

 その時の子供たちの驚きようはひと通りではなかった。唖然として見つめるのみであった。が、そのうち年長の何人かが我に帰って、歓喜の声を上げながら一目散に子羊めがけて走って行った。子羊も子供たちを見て、あたかも遊び友達ができたのを喜ぶかのように、ピョンピョンと飛び跳ねながら、これ又走り寄ってきた。

 「わぁ、生きてるぞ!」先に走り寄った子供たちはそう叫んで、あとからやってくる者に早く早くという合図をした。そして間もなくその子羊はまるで子供たちがこしらえたもののようにもみくしゃにされたのであった。自分たちがこしらえたものだ、だから自分たちのものだ、と言う気持ちをよほど強く感じたものと察せられる。

 さて以上の話は読む者の見方次第で大して意味はないように思えるかもしれない。が、重要なのはその核心である。私は自信をもって言うが、こうして得られる子供たちのささやかな教訓は、これから幾星霜を重ねたのちには、どこかの宇宙の創造にまで発展するその源泉となるものである。今宇宙を支配している大天使も小天使も、その原初はこうした形で巨大な創造への鍛錬を始めたのである。

私が子供たちに見せたのが実に〝創造〟の一つの行為であった。そして私の援助のもとに彼らが自ら行ったことはその創造行為の端緒であり、それがやがて私がやってみせたのと同じ創造的行為へと発展し、かくして信念の増加と共に、一歩一歩、吾々と同じくより威力あるエネルギーの行使へ向けて向上進化して行くのである。

 そこに信念の核心がある。人間の目に見えず、また判然と理解できなくても、その信念こそが祈りと正しい動機に裏打ちされて、みずからの成就を確実なものとするのである。

貴殿も信念に生きよ。ただし要心と用意周到さと大いなる崇敬の念も身につけねばならない。信念こそ主イエスが人間に委ねられた、そして吾々には更に大規模に委ねられた、大いなる信託の一つだからであり、それこそ並々ならぬイエスの愛のしるしだからである。

 そのイエスの名に祝福あれ。アーメン ♰



  2 家族的情愛の弊害   

一九一三年十二月二二日  月曜日

 子供のための施設と教育についてはこの程度にして、引き続きその見学旅行での別の話題に移るとしよう。

 そのあと私は数少ない家がそれなりの小さな敷地をもって集落を作っている村に来た。

そうした集落が幾つかあり、それぞれに異なった仕事を持っているが、全体としてはほぼ同程度の発達段階にある者が住んでいる。その領土の長が橋のたもとで私を迎えてくれた。その橋の架かった川は村を一周してから、すでに話の出た例の川と合流している。

挨拶が終わると橋を渡って村に入ったが、その途中に見える庭と家屋がみな小じんまりしていることに気づいた。私はすぐその方にその印象を述べた。


──その方のお名前を教えてください。

 Bepel(べぺル)とでも綴っておくがよい。先を続けよう。

 ところがそのうち雰囲気に豊かさの欠ける一軒が目にとまった。私はすぐにその印象を述べ、その理由(わけ)を訪ねた。と申すのも、この界層においてなお進歩を妨げられるには如何なる原因(わけ)があるのか判らなかったからである。

 ベペル様は笑顔でこう話された。「この家には実は兄と妹が住まっておられる。二人はかなり前に八界と九界から時を同じくしてこの界へ来られたのですが、それ以来、何かというと四界へ戻っている。

そこに愛する人たち、特に両親がおられ、何とか向上させようという考えからそうしているのですが、最近どうも情愛ばかりが先行して、やってあげたいことが環境のせいもあって思うに任せなくなって来ています。

両親の進歩が余りに遅く、あの調子ではこの界へ来るのは遠い先のことになりそうです。

そこで二人は近頃はいっそのこと両親のいる界へ降り、いっしょに暮らすことを許す権限を持つ人の到来を待ち望んでいるほどです。常時そばに居てあげる方が両親の進歩のために何でもしてあげられると考えているようです。」

 「お二人に会ってみましょう」──私はそう言って二人で庭に入って行った。

 こうしたケースがどのような扱いを受けるか、貴殿も興味のあるところであろう。ともかくその後のことを述べてみよう。

 兄は家のすぐ側の雑木林の中にいた。私が声を掛け、妹さんはと尋ねると、家の中にいるという。そこで中へ入らせてもらったが、彼女はしきりに精神統一をしている最中であった。第四界の両親との交信を試みていたのである。

と申すよりは、正確に言えば援助の念を送っていたと言うべきであろう。なぜなら、〝交信〟は互いの働きかけを意味するもので、両親には思念を〝返す〟ことは出来なかったからである。

 それから私は二人と話を交わし、結論としてこう述べた。「様子を拝見していると、あなた方がこの界で進化するために使用すべき力がその下層界の人達によって引き留められているようです。

つまり進歩の遅い両親の愛情によってあなた方の進歩が遅らされている。もしもあなた方がその四界へ戻られ、そこに定住すれば、少しは力になってあげられても、あなた方が思うほど自由にはならない。

なぜかと言えば、いつでもあなた方が身近にいてくれるとなれば尚のこと、今の界を超えて向上しようなどと思うわけがないからです。

ですから、そういう形で降りて行かれるのは感心しません。しかし愛は何より偉大な力です。その愛がお二人とご両親の双方にある以上、これまで妨げになってきた障害を取り除けば大変な威力を発揮することでしょう。そこで私から助言したいのは、あなた方は断じてこの界を去ってはならない。

それよりも、これから私と共に領主のところへ行って、現在のあなた方の進歩を確保しつつ、しかもご両親の進歩の妨げにならない方法を考えていただくことです。」

 二人は私に付いて領主のところまで行った。まず私が面会してご相談申し上げたところ、有難いことに大体において私の考えに賛同して下さった。そして二人をお呼びになり、二人の愛情は大変結構なことであるから、これからは時折この界より派遣される使節団に加わらせてあげよう。

その時は(派遣される界の環境条件に身体を合わせて)伝達すべき要件を伝える。その際は特別に両親にもお二人の姿が見え声が聞こえるように配慮していただこう。

こうすれば両親も二人の吾が子のいる高い界へ向上したいとの気持ちを抱いてくれることにもなろう、ということであった。

 これに加えて領主は、それには大変な忍耐力が要ることも諭された。なぜならば、こうしたことは決して無理な進め方をすべきではなく、自然な発展によって進めるべきだからである。二人はこうした配慮を喜びと感謝を込めて同意した。

そこで領主はイエスの名において二人を祝福し、二人は満足して帰っていった。

 このことから察しがつくことと思うが、上層界においても、地上界に近い界層特有の事情を反映する問題が生じることがあるのである。又、向上の意欲に欠ける地上の人間がむやみに他界した縁故者との交信を求めるために、その愛の絆が足枷となり、いつまでも地上的界層から向上できずにいる者も少なくないのである。

 これとは逆に、同じく地上にありながら、旺盛な向上心をもって謙虚に、しかも聖なる憧れを抱いて背後霊と共に向上の道を歩み、いささかも足手まといとならぬどころか、掛けがえのない援助(ちから)となる者もいる。

 これまでに学んだことに加えて、この事実を篤と銘記するがよい。すなわち地上の人間が他界した霊の向上を促進することもあれば足手まといとなることもあり得る、否、それが必然的宿命ともいうべきものであるということである。

 この事実に照らして、イエスがヨハネの手を通して綴らせた七つの教会の天使のこと(黙示録)を考えてみよ。彼ら七人の天使はそれぞれが受け持つ教会の徳性により、あるいは罪悪性により、自らが責任を問われた。イエスが正確にその評価を下し、各天使に賞罰を与えたのである。

それは人の子イエスが人類全体を同じ人の子として同一視し、その救済をご自分の責任として一身に引き受けられているように、各教会の守護天使はその監督を委ねられた地域の徳も罪も全て吾が徳、吾が罪として一身に責任を負うのである。

共に喜び共に苦しむ。わが事のように喜び、わが事のように悲しむのである。イエスの次の言葉を思い出すがよい。曰く「地上に罪を悔い改める者がいる時、天界には神の御前にて喜びに浸る天使がいる」と。

私は一度ならず二度も三度も、否、しばしばその現実の姿を見ているのである。そこで、それに私からこう付け加えておこう───明るき天使も常にお笑いになっているのではない。高らかにお笑いになるし、よくお笑いになる。

が、天使もまた涙を流されることがある。下界にて悪との闘いに傷つき、あるいは罪に陥る者を見て涙を流し苦しまれることがある、と。

 こうしたことを不審に思う者も多いことであろう。が、構わぬ。書き留めるがよい。吾々がもし悲しむことが無いとすれば、一体何をもって喜びとすべきであろうか。 ♰


 
 3 霊界の情報処理センター     

一九一三年十二月二三日 火曜日

 神に仕える仕事において人間と天使とが協力し合っている事実は聖書に明確に記されているにも拘らず、人間はその真実性が容易に信じられない。その原因は人間が地上的なものに心を奪われ、その由って来たる起原に心を向けようとしないからである。

物質に直接作用している物理的エネルギーのことを言っているのではない。

ベールの彼方においてあたかも陶芸家が粘土を用いて陶器を拵えるように、そのエネルギーを操って造化に携わっている存在のことである。それについては貴殿もすでにある程度の知識を授かっているが、今夜はベールのこちら側から見たその実際を伝えてみようと思う。

 こちらのどの界においても、全ての者が一様に足並みそろえて向上するとはかぎらない。ある者は速く、ある者は遅い。前回の兄弟などはこの十界においては最も遅い部類に入る。ではこれより、それとは対照的に格別の進化を遂げた例を紹介しよう。

 その兄と妹の住む村を離れてさらに旅を続ける途中で、私は他の居住地を数多く訪ねてまわった。その一つに次の第十一界が始まる区域へ連なる山の中に位置しているのがあった。私が守護霊と対面した場所とは異なる。高さは同じであるが、距離的にかなり離れた位置にある。

連山の中に開けた台地へ向けて曲がりくねった小道を行ったのであるが、登り始めた頃から緑色の草の鮮やかさと花々の大きさと豊富さとか目についた。

紫色の花は影に包まれた森の中を通るビロードのような道のまわりには小鳥のさえずりも聞こえる。また多くの妖精たちが明るい笑顔で、あるいは戯れあるいは仕事に勤しんでおり、私の挨拶に気持ちよく応えてくれた。

 そのうち景色が変わり始めた。樹木が彫刻のようなどっしりとした姿になり、数も少なく葉の繁りも薄くなっていった。花と緑の木陰に囲まれた空地に代わって今度は円柱とアーチで飾られた堂々たる聖堂が姿を現わした。

光と影の織りなす美は相変わらず素晴らしかったが、その雰囲気がただの木蔭とは異なり聖域のそれであった。通る道の両側の大部分は並木である。

その並木にも下層界のそれとは異なり、瞑想の雰囲気と遥かに強力な霊力が感じられる。

そして又、登りがけに見かけた妖精とは威厳と聖純さにおいて勝る妖精たちの姿を見かけた。さらに頂上へ近づくと景色が一段と畏敬の念を誘うものへと変わっていった。

それまでの田園風の景色が消え、白と黄金と赤の光に輝く頂上が見えてきた。それは上層界から降下してきた神霊がその台地でそれぞれの使命に勤しんでいることを物語っていた。

 かくて目的地に辿り着いた。そこの様子を可能な限り叙述してみよう。目の前に平坦な土地が開けている。一マイルの四方もあろうかと思われる広大な土地で、一面に大理石(アラバスター)が敷かれ、それが炎の色に輝いている。

その様子はあたかも炎の土地にガラスの床が敷かれ、その上で炎の輝きが遊び戯れ、さらにガラスを通して何百ヤードも上空を炎の色に染めている感じである。むろん炎そのものが存在しているのではない。私の目にそのように映じるのである。

 その中に高く聳える一個の楼閣がある。側面が十個あり、その各々が他と異なる色彩と構造をしている。数多くの階があり、その光輝を発する先端は周囲の山頂──遠いのもあれば近いのもある──の上空へ届けられる光を捉えることができる。

それほど高く、まさに天界の山脈に譬える望楼の如き存在である。その建物が平坦地の八割ほどを占め、各々の側面に玄関(ポーチ)がある。

と言うことは十個の入口が付いているということである。まさに第十界の中で最も高い地域の物見の塔である。が、ただ遠くを望むためのものではない。

 実は十個の側面はその界に至るまでの十個の界と連絡し、係の者が各界の領主と絶え間なく交信を交えているのである。莫大な量の用件が各領主との間で絶え間なく往き来している。資料の全てがその建物に集められ統一的に整理される。

強いて地上の名称を求めれば〝情報処理センター〟とでも呼べばよかろうか。地上圏と接する第一界に始まり、第二界、第三界と広がり、ついには第十界まで至る途方もなく広大な領域内の事情が細大漏らさず集められるのである。

 当然のことながらその仕事に携わる霊は極めて高い霊格と叡智を具える必要があり、事実その通りであった。この界の一般の住民とは異なっていた。常に愛と親切心に溢れる洗練された身のこなしをもって接し、同胞を援助し、喜ばせることだけを望んでいる。が、

その態度には堂々とした絶対的な冷静さが窺われ、接触している界から届けられる如何なる情報に対しても、いささかの動揺も見せない。すべての報告、情報、問題解決の要請、あるいは援助の要請も完璧な冷静さをもって受け止める。

普段とは桁外れの大問題が生じても全く動じることなく、それに対処するだけの力と誤ることのない叡智に自信を持ってその処理に当たる。

 私は第六界と接触している側面の玄関内に腰かけ、その界の過去の出来ごとと、その出来ごとの処理の記録を調べていた。

すると肩越しに静かな声で「ザブディエル殿、もしその記録書で満足できなければどうぞ中へお入りになって吾々のすることをご覧になられたら如何ですか」という囁(ささや)きが聞こえた。振り向くと、物静かな美しいお顔をされた方が見つめておられた。私は肯(うなず)いてその案内に応えた。

 中へ入ると室内は三角形をしており、天井が高い。それが次の界の床(フロア)である。壁のところまで行ってみると床と壁とは直角になっている。

案内の方が私にそこで立ったまま耳を傾けているようにと言う。すると間もなく色々な声が聞こえてきたが、その言葉が逐一聞き分けられるほどであった。

説明によると、今の声は五つ上の階の部屋で処理されたものが次々と階下へ向けて伝達され、吾々のいる部屋を通過して地下まで届けられたものであるという。その地下にも幾つかの部屋がある。私がその原因を聞くとこう説明された。

その建物の屋上に全情報を受信する係の者がいて、彼らがまず自分たちに必要なものだけを取り出して残りをすぐ下の階へ送る。そこでまた同じようにその階で必要なものだけを取って残りを下の階へ送る。

この過程が次々と下の階へ向けて続けられ、私のいる地上の第一階に至る。そこで同じ処理をして最後に地下へ送られる。各階には夥しい数の従業員が休みなく、しかも慌てることなく、手際よく作業に当たっている。

 さて貴殿はこれをさぞかし奇妙に思うことであろう。が実際はもっともっと不思議なものであった。例えば私が言葉を聞いたという時、それは事実の半分しか述べていない。実際はその言葉が目に見えるように聞こえたのである。

地上の言語でどう説明したものであろうか。こうでも述べておこう。例の壁(各種の貴金属と宝石をあしらっており、その一つ一つが地上でいう電気に相当するものによって活性化されている)を見つめていると、どこか遠くで発せられた言葉が目に見えるように私の脳に感応し、それを重要と感じた時は聴覚を通じて聞こえてくる。

この要領でその言葉を発した者の声の音質を内的意識で感得し、さらにその人の表情、姿、態度、霊格の程度、携わる仕事、その他、伝えられたメッセージの意味を正確に理解する上で助けとなるこまごましたものを感識する。

 霊界におけるこうした情報の伝達と受信の正確度は極めて高く、特にこの建物においては私の知る限り最高に完璧である。そこで私が見たものや聞いたことを言語で伝えるのはとても無理である。

なぜなら、全ての情報は地上からこの十界に至るまでの途中の全界層の環境条件の中を通過して到達しており、従って一段と複雑さを増しており、とても私には解析できないのである。そこで案内の方が次の如く簡略に説明して下さった。

 例えば、あるとき第三界で進行中の建造の仕事を完成させるために第六界から援助の一行が派遣された。

と言うのは、その設計を担当したのが霊格の高い人たちであったために、建造すべき装置にその界の要素ではうまく作れないものが含まれていたのである。

これを判り易く説明すれば、例えばもし地上の人間が霊界のエーテル質を物質へ転換する装置を建造するとなったら、一体どうするかを考えてみるとよい。

地上にはエーテル質を保管するほど精妙な物質は見当たらないであろう。エーテル質はいわゆる物質と呼ぶ要素の中に含有されている如何なるエネルギーにも勝る強力かつ驚異的エネルギーだからである。

 第三界においても幾分これと似通った問題が生じ、如何にすればその装置の機能を最大限に発揮させるかについての助言を必要としたのであった。これなどは比較的解決の容易な部類に入る。

 さて、これ以上のことは又の機会に述べるとしよう。貴殿はエネルギーを使い果たしたようである。私の思う通りを表現する用語が見当たらぬようになってきた。

 貴殿の生活と仕事に祝福を。確信と勇気をもって邁進されよ。  ♰



 4 宇宙の深奥を覗く    

 一九一三年クリスマス・イブ

 以上、私は天界の高地における科学について語ってみたが、この話題をこれ以上続けても貴殿にとりてはさして益はあるまい。何となればそこで駆使される叡智も作業も貴殿には殆ど理解できぬ性質のものだからである。

無理をして語り聞かせてもいたずらに困惑させるのみで、賢明とは思えない。そこで私はもう少し簡単に付け加えた後別の話題へ進もうと思う。

 あのあと私は次の階へ上がってみたが、そこでは又ひきも切らぬ作業の連続で、夥しい数の人が作業に当たっていた。各ホールを仕切っている壁はすべて情報を選別するため、ないしはそれに類似した仕事に役立てられている。地上の建物に見る壁のように、ただのっぺりとしているのではない。

様々な色彩に輝き、各種の装置が取り付けられ、浮彫り細工が施されている。すべてが科学的用途を持ち、常に監視され、操作の一つ一つが綿密に記録され検討を加えられた上で所期の目標へ送り届けられる。その建物の中の他の部門だけに限らない。必要とあれば上の界へも下の界へも届けられる。

 案内の方が屋上へも案内して下さった。そこからは遠くまでが一望のもとに見渡せる。下へ目をやれば私が登ってきた森が見える。その向こうには高い峰が連なり、それらが神々しい光に包まれて、あたかも色とりどりの宝石の如くキラキラと輝いて見える。

その峰の幾つかは辺りに第十一界から届く幽玄な美しさが漂い、私のような第十界の者の視力に映じないほど霊妙化された霊的存在に生き生きと反応を示しているようであった。

 そうした霊は第十一界から渡来し、第十界のための愛の仕事に携わっていることが判った。それを思うと、吾が身を包む愛と力に感激を禁じ得ず、ただ黙するのみであった。それが百万言を弄するより遥かに雄弁に私の感激を物語っていたのである。

 こうして言うに言われぬ美を暫し満喫していると、案内の方がそっと私の肩に手を置いてこう言われた。

 「あれに見えるのが〝天界の高地〟です。あの幽玄な静寂にはあなたの魂を敬虔と畏敬と聖なる憧憬で満たしてくれるものがあるでしょう。あなたは今あなたの現時点で到達しうるぎりぎりの限界に立っておられます。ここへ来られて、今のあなたの力では透徹し得ない境涯を発見されたはずです。

しかし私たちは聖なる信託として、そして又、思慮分別をもって大切に使用すべきものとして、ベールで被われた秘密を明かす力を授かっており、尋常な視力には映じないものを見通すことが出来ます。如何ですか。あなたもしばしの間その力の恩恵に浴し、これまで見ることを得なかった秘密を覗いてみたいと思われませんか。」

 私は一瞬返事に窮した。そして怖れに似たものさえ感じた。なぜなら、すでにここまで見聞きしたものですら私にとってはやっと耐え得るほどの驚異だったからである。

しかし、しばらく考えた挙句に私は、すべてが神の愛と叡智によって配剤されているからには案ずることは絶対に有るまいとの確信に到達し、〝全てお任せいたします〟と申し上げた。その方も〝そうなさるがよい〟と仰せられた。

 そう言うなり、その方は私を置き去りにして屋上に設けられた至聖所の中へ入られた。そしてしばし(私の推察では)祈りを捧げられた。

 やがて出て来られた時にすっかり変身しておられた。衣装はなく、眉のあたりに宝石を散りばめた飾り輪を着けておられるほかは何一つ身につけておられない。あたりを包む躍動する柔らかい光の中に立っておられる姿の美しいこと。

光輝はますます明るさを増し、ついには液体のガラスと黄金で出来ているような様相を呈してきた。私はその眩しさに思わず下を向き、光を遮ったほどであった。

 その方が私に、すぐ近くまで来るようにと仰せられた。言われるまま前に立つとすぐ私の後ろへ回られ、眩しくないようにと配慮しつつ私の両肩に手を置いて霊力を放射しはじめた。

その光はまず私の身体を包み、さらに左右が平行に延びて、それが遠方の峰から出ている光と合流した。つまり私の前に光の道ができ、その両側も光の壁で仕切られたのである。その空間は暗くはなかったが、両側の光に較べれば光度は薄かった。

 その光の壁は言うなれば私のすぐ後ろを支点として扇状に広がり、谷を横切り、山頂を越えて突き進み、私の眼前に広大な光の空間が広がっていた。その炎の如き光の壁は私の視力では突き通すことは出来なかった。

 そこで背後から声がして〝空間をよく見ているように〟と言われた。見ていると、これまで数々の美と驚異とを見てきた、そのいずれにも増して驚異的な現象が展開し始めた。

 その二本の光の壁の最先端が、針の如くそそり立った左右の山頂に当たった。するとまずその左手の山頂に巨大な神殿が出現し、その周りに、光の衣をまとった無数の天使が群がり、忙しく動き回っている。さらに神殿の高いポーチの上に大天使が出現し、手に十字架を携え、それをあたかも遠くの界の者に見せるように高々と持ち上げている。

その十字架の横棒の両端に一人ずつ童子が立っており、一人はバラ色の衣装をまとい、もう一人は緑と茶の衣装をまとっている。その二人の童子が何やら私に理解できない歌を合唱し、歌い終わると二人とも胸に両手を当て、頭を垂れて祈った。

 次に右方向を見るように促されて目をやると、今度は全く別の光景が展開した。遥か彼方の山腹に〝玉座〟が見えたのである。光と炎とが混じりあった赫々(カクカク)たる光輝の中に女性の天使が坐し、微動だにせぬ姿で遥か彼方へ目をやっておられる。

薄地の布を身にまとい、それを通して輝く光は銀色に見える。が頭上にはスミレ色に輝くものが浮いており、それが肩と背中のあたりまで垂れ下がり、あたかもビロードのカーテンを背景にした真珠のように、その天使を美しく浮き上がらせていた。

 そのまわりと玉座のたもとにも無数の男女の霊の姿が見える。静かに待機している。いずれ劣らぬ高級霊で、その光輝は私よりも明るいが、優雅な落ち着きの中に座しておられる女性天使の輝きには劣る。

お顔に目をやってみた。それはまさに愛と哀れみから生じる緻密な心遣いが漂い、その目は高き叡智と偉力の奥深さを物語っていた。両の手を玉座の肘掛けに置いておられ、その両腕と両脚にも力強さが漂っていたが、そこにはおのずから母性的優しさが程よく混じっていた。

 その天使が突如として動きを発せられた。そこを指さし、あそこを指さし、慌てず、しかし機敏に、てきぱきと命令を下された。

 それに呼応して従者の群れが一斉に動き始めた。ある一団は電光石火の勢いで遥か遠くへ飛び、別の一団は別の彼方へ飛ぶ。馬に跨って虚空へ飛翔する一団もいる。流れるような衣装をまとった者もいれば、鎧の如きもので身を固めた者もいる。

男性のみの一団もあれば女性のみの一団もあり、男女が入り混じった一団もある。

それら各霊団が一斉に天空を翔けて行く時の様子は、あたかも一瞬のうちに天空にダイヤモンドとルビーとエメラルドを散りばめたようで、その全体を支配する色彩が、唖然として立ちすくむ私に照り返ってくるのであった。

 こうして私の前に扇形に伸びる光が地平線上を一周して照らし出して行くと、いずれの方角にも必ず私にとって新しい光景が展開された。

その一つ一つが性格を異にしていたが、美しさは何れ劣らぬ美事なものであった。こうして私は、曽て見てきた神の仕事に携わる如何なる霊にも勝る高き神霊の働く姿を見せていただいた。

そのうち、その光が変化するのを見て背後にいた案内の方が再び至聖所へ入られたことを悟った時、私はあまりの歓喜に思わず溜め息を洩らし、神の栄光に圧倒されて、その場にしゃがみ込んでしまった。

吾々が下層界のために働くのと同じように、高き神霊もまた常に吾々を監視し吾々の需要のために心を砕いて下さっている様を目のあたりにしたのであった。

 かくして私が悟ったことは、下界の全界層は上層界に包含され、一界一界は決して截然と区別されておらず、どれ一つとして遠く隔離されていないということである。私の十界には下層界の全てが包含され、同時にその第十界も下層界と共に上層界に包含されているということである。

この事実は吾々の界まで瞭然と理解できる。が、さらに一界又一界と進むにつれて複雑さと驚異とを増して行き、その中には、僅かずつ、ほんの僅かずつしか明かされない秘密もあると聞く。私は今やそのことに得心がゆき、秘密を明かしていただける段階へ向けての一層の精進に真一文字に邁進したいものと思う。

 ああ、吾らが神の驚異と美と叡智! 私がこれまでに知り得たものをもって神の摂理の一欠けらに過ぎぬと言うのであれば、その全摂理は果たしていかばかりのものであろうか。そして如何に途方もないものであろうか。

 天界の低い栄光さえも人間の目にはベールによって被われている。人間にとっては、それを見出すことは至難のわざである。が、それでよいのである。秘宝はゆっくりと明かされて行くことで満足するがよい。なぜなら、神の摂理は愛と慈悲の配慮をもって秘密にされているからである。

万が一それが一挙に明かされようものなら、人間はその真理の光に圧倒され、それを逆に不吉なものと受け取り、それより幾世紀にも亘って先へ進むことを恐れるようになるであろう。私はこの度の体験によってそのことを曽てなかったほど身に沁みて得心したのである。

佳きに計らわれているということである。万事が賢明にそして適切に配剤されているということである。げに神は愛そのものなのである。 ♰



 5 霊格と才能の調和

一九一三年一二月二七日 土曜日

さて、こうして私の界を遥かに超えた上層界の驚異を目の当たりにすることを許されたことは、実に有難き幸せであった。私はその後いろいろと思いをめぐらせた。

そして私にその体験をさせた意図と動機とをある程度まで理解することができた。が、目の当たりにした現象の中にはどうしても私一人の力では理解できないものが数多くあった。その一つが次のような現象である。

 二つの光の壁によって仕切られた扇形の視界の中に展開したのは深紅の火焔の大渦であった。限りなく深い底から巨大な深紅の炎の波が次から次へと噴出し、その大きなうねりが互いに激突し合い、重なり合い、左右に揺れ動き、光の壁に激突しては炎のしぶきを上げる。

世紀末的大惨事はかくもあろうかと思われるような、光と炎の大変動である。その深紅の大渦のあまりの大きさに私の魂は恐怖におののいた。

 「どうか目を逸らせてください。お願いです。もう少し穏やかなものにして下さい。私にはあまりに恐ろしくて、これ以上耐え切れません。」

 私がそうお願いすると、背後からこういう返答が聞こえた。

 「今しばらく我慢するがよい。そのうち恐ろしさが消えます。あなたが今見ておられるのはこの先の上層界です。その最初が第十一界となります。この光が第何界のものであるかは、後で記録を調べてみないことには、私にも判りかねます。

その記録はこの施設にはなく、もう一つ、ここからかなり遠く離れたところにある別の施設にあります。今あなたが恐怖をもって眺めておられるこの光は第十三界かも知れないし第十五界かも知れない。それは私にも判りません。

ただ一つだけ確かなことは、主イエス・キリストが在(ましま)すのは実にあの光の中であり、あなたの目に映じている深紅の光彩は主と、主に召された者との交わりの栄光の反映であるということです。

しっかりと見つめられよ。これほど見事に見られることは滅多にありません。では私がそのさらに奥の深いところを見させてあげましょう。」

そう言い終わるなり、背後からのエネルギーが強化されるのが感じられ、私もその厚意に応えるべく必死に努力をした。が、空しい努力に終わった。やはり私の力の及ぶところではないことを悟った。

すでに叙述したもの以外に見えたものと言えば、その深紅の光の奥に何やら美しい影が動めくのが見えただけであった。炎の人影である。ただそれだけであった。私は目を逸らせてほしいと再度お願いした。もう哀願に近いものになっていた。

そこでようやく聞き入れて下さった(光が変化したと述べたのはその時である)。それ以後、何も見えなくなった。見たいという気持ちも起きなかった。あたりはそれまでとは対照的に、くすんだ静けさに一変している。

それを見て私は心ひそかに、あの世界へ行かれぬ自分、さぞかし美と生の喜びに満ちあふれていることであろう世界に生きる神霊の仲間入りができない自分を情けなく思ったことであった。それから次第に普段の意識を回復した。

そして案内の方が至聖所から普段のお姿で出てこられた時には、私のような者にこれほどの光栄を給わったことに厚く礼を述べられるほどになっていた。

 さて、その高い楼閣での仕事について述べられるものとして、他に一体何があるであろうか。と言うのは、貴殿もよく心得てほしいことであるが、吾々の生活と出来ごとで人間に理解できることは極めて僅かしかないのである。

それ故、貴殿に明かすものについて私は細心の注意を払わねばならない。つまり貴殿の精神の中において何とか再現し、地上の言語で表現できるものに限らねばならないのである。

 その驚異的現象が終わったあとも二人は暫し屋上に留まり、下方の景色へ目をやった。遥か遠く、第九界の方角に大きな湖が見える。樹木の生い茂った土地に囲まれ、そこここに島々が点在し、木蔭に佇む家もあれば高く聳え立つ楼閣もある。

岸に沿った林の中のそこここに小塔が聳えている。私は案内の方にそこがいかなる居住地(コロニー)であるかを尋ねた。その配置の様子が見事で、いかにも一つのコロニーに見えたからである。

 するとこういう返答であった。実はかなり昔のことであるが、この界へ到来する者の処遇にちょっとした問題が生じたことがあった。

それは、皆が皆、必ずしも全ての分野で平均的に進化しているとは限らない──例えば宇宙の科学においては無知な部門もある・・・・・・いや、どうもこういう説明の仕方ではすっきりしない。もう少し分かり易く説明しよう。

 魂に宿された才能を全てまんべんなく発達させている者も居れば、そうでない者もいる。もとより、いずれ劣らぬ高級霊である点においては異存はない。

だからこそこの第十界まで上昇して来たのである。が中には、もし持てる才能をまんべんなく発達させておれば、もっと速やかにこの界へ到達していたであろう者がいるということである。

 更に、そうした事情のもとでようやく到達したこの界には、それまでの才能では用を為さない環境が待ち受けている。それ故、何れは是が非でも才能をまんべんなく発達させ、より円満にする必要性が生じてくるのである。

 さきのコロニーの設立の必要性を生ぜしめた問題はそこにあった。あそこにおいて他人への援助と同時に自己の修養に励むのである。貴殿にはそれがなぜ問題であるのか不審に思えるかも知れないが、そう思うのは、この界を支配する諸条件が地上とは比較にならぬほど複雑さを持った完全性を具えているからに他ならない。

 あのコロニーの住民の霊格はある面ではこの十界の程度でありながら、他の面ではすでに十一界あるいは十二界の程度まで進化していることもある。そこで次のような厄介な問題が生じる。すなわち霊力と霊格においてはすでに今の界では大きすぎるものを具えていながら、さりとて次の界へは行かれない。

無理して行けば発達の遅れた面が災いして大失策を演じ、それが原因で何界も下層へ後戻りせざるを得なくなるかもしれない。そこはそこで又、居づらいことであろう。

 以上の説明で理解してもらえるであろうか。例えば魚が水から出されて陸(おか)に置かれたら大変である。反対に哺乳動物が森から水中へ入れられたら、これ又死ぬに決まっている。両生類は水と陸の両方があって初めて生きて行ける。陸地だけでは生理に異常を来すし、水の中だけでもやはり異常を来す。

 無論あのコロニーの生活者がこれと全く同じ状態であるというわけではない。が、こうした譬えによって彼らの置かれた特殊な境遇について大よその理解がいくであろう。彼らにとって第十界にいることは、あたかもカゴに入れられた小鳥同然であり、さりとて上層界へ行くことは炎の中へ飛び込む蛾も同然なのである。


──結局どういう取り扱いを受けるのでしょうか。

 自分で自らを律していくのである。私の信じるところによれば、彼らは今まさにその問題点に関する最高の解決策を見出しつつあるところであろう。

首尾よく解決した暁には、彼らはこの十界に対しても貢献したことになり、その功績はこののちのために大切に記録されることであろう。こうしたことが各種の分野において行われており、思うに、彼らは今では自分の得意とする能力に応じて組分けされ、一種の相互補完のシステムによって働くことが可能となっているであろう。

つまり各クラスの者が自分たちの所有している徳と霊力とを、それを欠く他のクラスの者に育ませるように努力するということである。全クラスがそれぞれにそう努力し、そこに極めて複雑な協調的教育が生まれる。

極めて入り組んだ教育組織となっているため、高地に住む者さえ分析不可能なほどである。いずれそこから何ものかが生み出され、機が熟せば、この界の霊力と影響力とを増すことであろう。それも多分、極めて大規模な形で寄与することになるものと私には思えるのである。

 かくして相互的な寄与が行われる。進化の真の喜びは自らの向上の道において同胞を向上の道に誘(いざな)うことの中にこそ味わえるものである。そうではなかろうか。 ♰

 では祝福とお寝みを申上げよう。

ベールの彼方の生活(二)

第二巻は、著者オーエンの守護霊であるザブディエルからの通信です。彼がいる十界、その先の十一界や下層界である五界や六界の情景について書かれています。


五章 天界の科学

 1 エネルギーの転換       

 一九一三年十二月二日  火曜日


 今夜はエネルギーの転換に関連した幾つかの問題を取り上げてみよう。ここでいうエネルギーとは上層界の意念の作用を人間の心へ反映させていくための媒体と理解していただきたい。

吾々が意図することを意念の作用を利用して、いわゆるバイブレーションによって中間界を通過させて地上界へと送り届けるよう鍛錬しているのである。私がエネルギーと呼ぶのはこのバイブレーションの作用のことである。

 さて、こうして地上の用語を使用する以上は、天界の科学を正確に、あるいは十分に表現するには不適当な手段を用いていることになることを理解していただかねばならない。

それ故、当然、その用語の意味を限定する必要が生じる。私がバイブレーションという用語を用いる時は、単なる往復振動のことではなく、時には楕円運動、時には螺旋運動、更にはこれらが絡み合い、それに他の要素が加わったものを意味するものと思われたい。

 この観点からすれば、最近ようやく人間界の科学でも明らかにされ始めたバイブレーションの原子的構造は、太陽系の組織、更には遥か彼方の天体の組織と同一なのである。

太陽をめぐる地球の動きも原子内の素粒子の動きもともにバイブレーションである。

その規模は問わぬ。つまり運動の半径が極微であろうが極大であろうが、本質的には同じものであり、規模において異なるのみである。

 が、エネルギーの転換はいかなる組織にも運動の変化をもたらし、運動の性質が変われば当然その結果にも変化が生じる。かくて吾々は常に吾々より更に高級にして叡智に富む神霊によって定められた法則に沿いつつ、意念をバイブレーションの動きに集中的に作用させて質の異なるバイブレーションに転換し、そこに変化を生じさせる。

 これを吾々は大体において段階的にゆっくりと行う。計算どおりの質的転換、大きすぎもせず小さすぎもしない正確な変化をもたらすためである。

 吾々が人間の行為ならびに自然界の営みを扱うのも実はこの方法によるのである。それを受持つ集団は鉱物・植物・動物・人間・地球・太陽・惑星の各分野において段階的に幾層にも別れている。更にその上に星辰の世界全体を経綸する神庁が控えている。

 混沌たる物質が次第に形を整え、天体となり、更にその表面に植物や動物の生命が誕生するに至るのも、全てこのエネルギーの転換による。が、これで判っていただけると思うが、いかなる生命も、いかなる発達も、すべて霊的存在の意志に沿った霊的エネルギーの作用の結果なのである。

この事実を掌握すれば、宇宙に無目的の作用は存在せず、作用には必ず意図がある───一定範囲の自由は許されつつも、規定された法則に従って働く各段階の知的にして強力な霊的存在の意図があることに理解がゆくであろう。

 更に、物質自体が実は霊的バイブレーションを鈍重なものに転換された状態なのである。それが今、地上の科学者によって分析されつつあり、物質とはバイブレーションの状態にあり、いかなる分子も静止しているものは無く、絶え間なく振動しているとの結論に到達している。

これは正解である。が、最終結論とは言えない。まだ物質を究極まで追跡しきってはいないからである。より正確に表現すれば、物質がバイブレーションの状態にあるのではなく、物質そのものが一種のバイブレーションであり、より精妙なバイブレーションの転換されたものである。その源は物質の現象界ではなく、その本性に相応しい霊界にある。

 これで貴殿も、いよいよその肉体を棄てる時が到来したとき、何の不都合もなく肉体なき存在となれることが理解できるであろう。地上の肉体は各種のバイブレーションの固まりに過ぎず、それ以上のものではないのである。

有難いことに今の貴殿にも肉体より一層実体のある、そして耐久性のある別のバイブレーションで出来た身体が具わっている。肉体より一段と精妙で、それを創造し維持している造化の根源により近い存在だからである。

その身体は、死後、下層界を旅するのに使用され、霊的に向上するにつれて、更に恒久性のある崇高な性質を帯びた身体へと転換される。この過程は延々と限りなく繰り返され、無限の向上の道を栄光よりさらに高き栄光へと進化してゆくのである。

 そのことは又、死後の下層界が地上の人間に見えないのと同じく、下層界の者には通常は上層界が見えないことも意味する。かくて吾々は一界また一界と栄光への道を歩むのである。

 まさしくそうである。貴殿もいつの日かこちらへ来れば、このことをより一層明確に理解するであろう。と申すのも、今述べたバイブレーションの原理も貴殿は日常生活において常時使用しており、他の全ての人間も同じく使用しているにも拘わらず、その実相については皆目理解していないからである。

吾らは持てる力を神の栄光と崇拝のために使用すべく、鋭意努力している。願わくば人間がその努力に一体となって協力してくれることが望ましい。

一丸となれば、善用も悪用も出来るその力が現在の人間の知識を遥かに超えたものであることを知るであろう。蠅や蟻の知能を凌ぐほどに。

 吾々は、有難いことに、知識と崇高さにおける進歩が常に対等であるように調整することが出来る。完璧とは言えないが、ある範囲内───広範囲ではあるが確固とした範囲内において可能である。もしも可能でないとしたら地上は今日見るが如きものでは有り得ず、また今ほどの秩序ある活動は見られないであろう。

 もっとも、これも人類に対する吾々の仕事の一側面に過ぎない。そして人類の未来に何が待ち受けているかは私にも何とも言えない。霊的真理の世界へこれより人類がどこまで踏み込むかを推測するほどには、私は先が見えない。まだその世界への門をくぐり抜けたばかりだからである。

が、大いなる叡智をもって油断なく見守る天使によっても、こののちも万事よきに計らわれるであろう。天使の支配のある限り、万事うまく行くことであろう。 ♰



 2 〝光は闇を照らす。されど闇はこれを悟らず〟 

  一九一三年十二月三日  水曜日
  
 昨日取りあげた話題をもう少し進めて、私の言わんとするところを一層明確にしておきたい。改めて言うが、エネルギーの転換についてこれまで述べたことは用語の定義であり本質の説明ではないことをまず知ってほしい。

 貴殿の身の周りにある神的生命の顕現の様子をつぶさに見れば、幾つか興味深いものが観察されるであろう。

 まず、人間にも視覚が具わっているが、これも外部に存在する光が地球へ向けて注がれなければ使用することは出来まい。が、その光もただのバイブレーションに過ぎず、しかも発生源から地上に至るまで決して同じ性質を保っているのではない。

と言うのも、人間は太陽を目に見えるものとしてのみ観察し、各種のエネルギーの根源とみている。が、光が太陽を取り巻く大気の外側へ出ると、そこに存在する異質の環境のために変質し、いったん人間が〝光〟と呼ぶものでなくなる。

その変質したバイブレーションが暗黒層を通過し、更に別の大気層、例えば地球の大気圏に突入すると、そこでまたエネルギーの転換が生じて、再び〝光〟に戻る。

太陽から地球へ送られて来たのは同一物であって、それが広大な暗黒層を通過する際に変質し、惑星に衝突した時に再び元の性質に戻るということである。

 「光は闇を照らす。されど闇はこれを悟らず」(ヨハネ福1・5)この言葉を憶えているであろう。これは単なる比喩にはあらず、物質と霊のこの宇宙における神のはたらきの様子を述べているのである。しかも神は一つであり、神の王国も又一つなのである。

 光が人間の目に事物を見せる作用をするには或る種の条件が必要であることが、これで明らかであろう。その条件とは光が通過する環境であり、同時にそれが反射する事物である。

 これと同じことが霊的環境についても言える。吾ら霊的指導者が人間界に働きかけることが出来るのは、それなりの環境条件が整ったときのみである。

ある者には多くの真理を、それも難なく明かすことができるのに、環境条件の馴染まぬ者にはあまり多くを授けることが出来ないことがあるのはそのためである。かくて物的であろうと霊的であろうと、物事を明らかにするのは〝光〟であることになる。

 この比喩をさらに応用してお見せしよう。中間の暗黒層を通過して遥か遠方の地上へと届くように、高き神霊界に発した光明が中間の階層を経て地上へと送り届けられ、それを太陽光線を浴びるのと同じ要領で浴びているのである。

 が、さらに目を別の方角に向けてほしい。地球から見ることのできる限りの、最も遠い恒星のさらに向こうに、人間が観察する銀河より遥かに完成に近づいた美事な組織が存在する。そこにおいては光の強さは熱の強さに反比例している。

と言うことは、永い年月に亘る進化の過程において、熱が光を構成するバイブレーションに転換されていることを暗示している。

月は地球より冷たく、しかもその容積に比例して計算すれば、地球より多くの光を反射している。天体が成長するほど冷たくなり、一方、光線の力は強くなってゆく。吾々の界層から見るかぎりそうであり、これまでこの結論に反する例証を一つとして観察したことはない。

 曽てそのエネルギーの転換の実例を私の界において観察したことがある。

 ある時、私の界へ他の界から一団の訪問者が訪れ、それが使命を終えてそろそろ帰国しようとしているところであった。吾々の界の一団──私もその一員であった──が近くの大きな湖まで同行した。訪れた時もその湖から上陸したのである。

いよいよ全員がボートに乗り移り、別れの挨拶を交わしていた時のことである。

吾々の国の指導者格の天使の一人がお付の者を従えて後方の空より近づき、頭上で旋回し始めた。私はこの国の慣習を心得てはいるものの、その時は彼ら──というよりはその天使──の意図を測りかねて、何をお見せになるつもりであろうかと見守っていた。

この界においては来客に際して互いに身に付けた霊力を行使して、その効果をさまざまな形で見せ合うのが慣習なのである。

 見ていると遥か上空で天使のまわりを従者たちがゆっくりと旋回し、その天使から従者へ向けて質の異なる、従って色彩も異なるバイブレーションの糸が放たれた。天使の意念によって放射されたのである。それを従者が珍しい、そして実に美しい網状のものに編み上げた。

二本の糸が交叉する箇所は宝石のような強力な光に輝いている。またその結び目は質の異なる糸の組み合わせによって数多くの色彩に輝いている。

 網状の形体が完成すると、まわりの従者は更に広がって遠くへ離れ、中央に天使一人残った。そして、出来上がった色彩豊かなクモの巣状の網の中心部を片手で持ち上げた。それがふわふわと頭上で浮いている光景は、それはそれは〝美しい〟の一語に尽きた。

 さて、その綱は数多くの性質を持つバイブレーションの組織そのものであった。やがて天使が手を離すとそれがゆっくりと天使を突き抜けて降下し、足もとまで来た。そこで天使はその上に乗り、両手を上げ、網目を通して方向を見定めながら両手をゆっくりと動かして所定の位置へ向けて降下し続けた。

 湖の上ではそれに合わせて自然発生的に動きが起こり、ボートに乗ったまま全員が円形に集合した。そこへ網が降りてきて、全員がすっぽりとその範囲内におさまる形でおおい被さり、更に突き抜けて網が水面に落ち着いた。

そこでその中央に立っている天使が手を振って一団に挨拶を送った。するとボートもろとも網がゆっくりと浮上し、天高く上昇して行った。

 かくて一団は湖上高く舞い上がった。吾らの一団もそのまわりに集まり、歌声と共に道中の無事を祈った。彼らはやがて地平線の彼方へと消えて行った。

 こうした持てなしは、他の界からの訪問者に対して吾々が示すささやかな愛のしるしの一例に過ぎないもので、それ以上の深い意味はない。私がこれを紹介したのは──実際には以上の叙述より遥かに美しいものであったが──強烈な霊力を有する天使の意念がいかにエネルギーを操り質を転換させるかを、実例によって示すためであった。

 目を愉しませるのは美しさのみとは限らない。美しさは天界に欠かせぬ特質の一つにすぎない。例えば効用にも常に美が伴う。人間が存在価値を増せば増すほど人格も美しさを増す。聖は美なりとは文字どおりであり真実である。願わくば全ての人間がこの真理を理解して欲しいものである。 ♰



  3 光と旋律による饗宴        

 一九一三年十二月四日  木曜日

 いささか簡略に過ぎた嫌いはあるが、天界においてより精妙な形で働いている原理が地上においても見られることを、ひと通り説明した。そこで次は少しばかり趣きを変えて話を進めようと思う。

本格的な形では吾々の世界にしか存在しない事柄を幾ら語ったところで、貴殿には理解できないであろうし、役にも立たないであろうが、旅する人間は常に先へ目をやらねばならない。これより訪れる国についての理解が深ければ深いほど足どりも着実となるであろうし、到着した時の迷いも少ないことであろう。

 然らばここを出発点として──物質のベールを超えて全てが一段と明るい霊的界層に至り、まず吾々自らがこの世界の真相を学ぶべく努力し、そしてそれを成就した以上──その知識をこののちの者に語り継ぐことが吾々の第一の責務の一つなのである。

 他界後、多くの人間を当惑させ不審に思わせることの一つは、そこに見るもの全てが実在であることである。そのことについては貴殿はすでに聞かされているが、それが余りにも不思議に思え予期に反するものである様子なので、今少し説明を加えたいと思う。

と申すのも、そこに現実に見るものが決して人間がよく言うところの〝夢まぼろし〟ではなく、より充実した生活の場であり、地上生活はそのための準備であり出発点に過ぎないことを理解することが何よりも大切だからである。

何故に人間は生長しきった樫の木より苗木を本物と思いたがり、小さな湧き水を本流より真実で強力と思いたがるのであろうか。地上生活は苗木であり湧き水に過ぎない。死後の世界こそ樫の木であり本流なのである。

 実は人間が今まとっている肉体、これこそ実在と思い込んでいる樹木や川、その他の物的存在は霊界にあるものに比して耐久性がなく実在性に乏しい。なぜなら、人間界を構成するエネルギーの源はすべて吾々の世界にあるのであり、その量と強烈さの差は、譬えてみれば発電機と一個の電灯ほどにも相当しよう。

 それ故人間が吾々のことを漂う煙の如く想像し、環境をその影の如く想像するのであれば、一体そう思う根拠はどこにあるのかを胸に手を当てて反省してみよと言いたい。否、根拠などあろうはずがないのである。あるのは幼稚なる愚かさであり、他愛なき想像のみなのである。

 ここで私はこちらの世界における一光景、ある出来ごとを叙述し、遠からぬ将来にいずれ貴殿も仲間入りする生活の場を紹介することによって、それをより自然に感じ取るようになって貰いたいと思う。

この光あふれる世界へ来て地上を振り返れば、地上の出来ごとの一つ一つが明快にそして生々しく観察でき、部分的にしか理解し得なかったことにもそれなりの因果関係があり、それでよかったことに気づくことであろう。

が、それ以上に、こうして次から次へと無限なるものを見せつけられ、一日一日を生きている生活も永遠の一部であることを悟れば、地上生活が如何に短いものであるかが判るであろう。

 さて、スミレ色を帯びたベールの如き光が遠く地平線の彼方に見え、それが前方の視界をさえぎるように上昇しつつある。その地平線と今私が立っている高い岩場との間には広い平野がある。その平野の私のすぐ足もとの遥か下手(しもて)に大聖堂が見える。これが又、山の麓に広がる都の中でも際立って高く聳えている。 

 ドームあり、ホールあり、大邸宅あり、ことごとくまわりがエメラルドの芝生と宝石のように輝く色とりどりの花に囲まれている。広場あり、彫像あり、噴水あり、そこを、花壇を欺(あざむ)くほどの美しさに輝き、色彩の数も花の色を凌ぐほどの人の群れが行き交っている。

その中に、他を圧するようにひときわ強く輝く色彩が見える。黄金色である。それがこの都の領主なのである。

 その都の外郭に高い城壁が三か月状に伸び、あたかも二本の角(つの)で都を抱きかかえるような観を呈している。その城壁の上に見張りの姿が見える。敵を見張っているのではない。広い平地の出来ごとをいち速く捉え、あるいは遠い地域から訪れる者を歓迎するためである。

 その城壁には地上ならば海か大洋にも相当する広大な湖の波が打ち寄せている。が、見張りの者にはその広大な湖の対岸まで見届ける能力がある。そう訓練されているのである。その対岸に先に述べたベールのような光が輝いており、穏やかなうねりを見せる湖の表面を水しぶきを上げて往き交う舟を照らし出している。

 さて私もその城壁に降り立ち、これより繰り広げられる光景を見ることにした。やがて私の耳に遠雷のような響きがそのスミレ色の光の方角から聞こえてきた。音とリズムが次第に大きくなり、音色に快さが増し、ついに持続的な一大和音(コード)となった。

 すると高く聳える大聖堂から一群の天使が出て来るのが見えた。全員が白く輝く長服をまとい、腰を黄金色の帯で締め、額に黄金の環帯を付けている。やがて聖堂の前の岩の平台に集結すると、全員が手を取り合い、上方を向いて祈願しているかに見える。

実は今まさにこの都へ近づきつつある地平線上の一団を迎えるため、エネルギーを集結しているのであった。

 そこへもう一人の天使が現われ、その一団の前に立ち、スミレ色の光の方へ目をやっている。他に較べて身体の造りが一回り大きく、身につけているものは同じく白と黄金色であるが、他に比して一段と美しく、顔から放たれる光輝も一段と強く、その目は揺らぐ炎のようであった。

 そう見ていた時のことである。その一団の周りに黄金色の雲が湧き出て、次第に密度を増し、やがて回転し始め一個の球体となった。全体は黄金色に輝いていたが、それが無数の色彩の光から成っていた。それが徐々に大きくなり、ついには大聖堂をも見えなくした。それから吾々の目を見張らせる光景が展開したのである。

 その球体が回転しつつ黄金、深紅、紫、青、緑、等々の閃光を次々と発しながら上昇し、ついには背後の山の頂上の高さ、大聖堂の上にまで至り、更に上昇を続けて都の位置する平野を明るく照らし出した。気がついてみると、さきほど一団が集合した平台には誰れ一人姿が見当たらない。

その光と炎の球体に包まれて上昇したのである。これはエネルギーを創造するほどの霊力の強烈さに耐えうるまでに進化した者にしかできぬ業(わざ)である。球体はなおも上昇してから中空の一点に静止し、そこで閃光が一段と輝きを増した。

 それから球体の中から影のようなものが抜け出てきて、その球面の半分を被うのが見えた。が、地平線上の例のスミレ色の光の方を向いた半球はそのままの位置にあり、それが私に正視できぬほどに光輝を増した。見ることを得たのは、スミレ色の光から送られるメッセージに応答して発せられ平地の上空へ放たれたものだけであった。

 そのとき蜜蜂の羽音のようなハミングが聞こえてきた。そしてスミレ色の光の方角から届く大オーケストラの和音(コード)と同じように次第に響きを増し、ついに天空も平野も湖も、光と旋律とで溢れた。天界では、しばしば、光と旋律とは状況に応じてさまざまな形で融合して効果をあげてゆくのである。

 すでにこの時点において、出迎えの一団と訪問の一団とは互いに目と耳とで認識し合っている。二つの光の集団は次第に近づき、二つの旋律も相接近して美事な美しさの中に融合している。両者の界は決して近くはない。天界での距離を地上に当てはめれば莫大なものになる。

両者は何十億マイル、あるいは何百億マイルも遠く離れた二つの恒星ほども離れており、それが今その係留(けいりゅう)を解(ほど)いて猛烈なスピードで相接近しつつ、光と旋律とによって挨拶を交わしているのに似ている。

これと同じことが霊的宇宙の二つの界層の間で行われていると想像されたい。そうすれば、その美しさと途方もなく大きな活動は貴殿の想像を絶することが判るであろう。

 そこまで見て私はいつもの仕事に携わった。が、光はその後もいやが上にも増し、都の住民はその話でもちきりであった。この度はどこのどなたが来られたのであろうか。前回は誰それが見えられ、かくかくしかじかの栄光を授けて下さった。等々と語り合うのであった。

 かくて住民はこうした機会にもたらされる栄光を期待しつつ各々の仕事に勤しむ。天界では他界からの訪問者は必ずや何かをもたらし、また彼らも何かを戴いて帰り住民に分け与えるのである。

 それにしても、その二つの光の集団の面会の様子を何とかうまく説明したく思うのであるが、それはとても不可能である。地上の言語では到底表現できない性質のものだからである。実はこれまでの叙述とて、私にはおよそ満足できるものではない。

壮麗な光景のここを切り取りあそこを間引きし、言わば骨と皮ばかりにして何とか伝えることを得たにすぎない。かりにその断片の寄せ集めを十倍壮麗にしたところで、なお二つの光の集団が相接近して会合した時の壮観には、とても及びもつかぬであろう。

天空は赫々(カクカク)たる光の海と化し、炎の中を各種の動物に引かれたさまざまな形態の馬車に乗った無数の霊(スピリット)が、旗をなびかせつつ光と色のさまざまな閃光を放ちつつ往き交い、その発する声はあたかも楽器の奏でる如き音色となり、それが更にスミレ色の花とダイヤモンドの入り混じった黄金の雨となって吾々の上に降りそそぐ。

 なに、狂想詩? そうかも知れない。単調きわまる地上の行列──けばけばしい安ピカの装飾を施され、それが又、吾々の陽光に比すればモヤの如き大気の中にて取り行われる地上の世界から見れば、なるほどそう思われても致し方あるまい。

が、心するがよい。そうした地球及び地上生活の生ぬるい鬱陶(ウットウ)しさのさ中においてすら、貴殿は実質的には本来の霊性ゆえに地上の者にはあらずして、吾々と同じ天界に所属する者であることを。故に永続性の無い地上的栄光を嗅ぎ求めて這いずり回るような、浅ましい真似だけは慎んでほしい。

授かったものだけで満足し、世の中は万事うまく取り計らわれ、今あるがままにて素晴らしいものであることを喜ぶがよい。ただ私が言っているのは、この低い地上に置いて正常と思うことを規準にして霊界を推し量ってはならないということである。

 常に上方を見よ。そこが貴殿の本来の世界だからである。その美しさ、その喜びは全て貴殿のために取ってある。信じて手を差しのべるがよい。私がその天界の宝の中から一つずつ授けて参ろう。心を開くがよい。来たるべき住処の音楽と愛の一部を吾々が吹き込んでさしあげよう。

 差し当たっては有るがままにて満足し、すぐ目の前の仕事に勤しむがよい。授かるべきものは貴殿の到来に備えて確実に、そして安全に保持してある。故にこの仕事を忠実にそして精一杯尽くすがよい。

それを全うした暁には、貴殿ならびに貴殿と同じく真理のために献身する者は、イエスのおん血(ヘブル書9)を受け継ぐ王として或いは王子として天界に迎えられるであろう。

聖なるものと愛する者にとってはイエスのおん血はすなわちイエスの生命なのである。なぜならイエスは聖なるものの美を愛され〝父〟の聖なる意志の成就へ向けて怯(ひる)むことなく邁進されたからである。人間がそれを侮辱し、それ故に十字架にかけたのであった。

主の道を歩むがよい。その道こそ主を玉座につかしめたのである。貴殿もそこへ誘(いざな)われるであろう──貴殿と共に堂々と、そして愛をもって邁進する者もろともに。

 主イエスはその者たちの王なのである。 ♰

シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ

 A Voice in the Wilderness

トニー・オーツセン(編)近藤千雄(訳)


 

4章 真理はすべて素晴らしいのです


“ハンネン・スワッファー・ホームサークル”の名称のもとに発足したシルバーバーチの交霊会は、当初は毎週一回の割で開かれていたが、霊媒のバーバネルの体力の衰えを考慮して、後半は月一回となり、晩年は不定期となった。

いずれにしてもバーバネルは心霊週刊紙《サイキックニューズ》の編集主幹として時間ギリギリまで仕事をしたあと愛車で自宅へ帰り、そのまま交霊会が行われる応接室へ駆け込むのが常だった。そこにはすでに当日の出席者が集まって談笑している。レギュラーのほかに必ず二、三人の招待客がいるので、その人たちと簡単な挨拶を交わしたあと、バーバネルはいつもと同じ長椅子に腰かけ、用意されている水を一杯飲みほしてから瞑目する。やがていびきのような息づかいになるとともに形相が変わってきて、ようやくシルバーバーチが語りはじめる。

こうした形での催し――厳かさもなければ派手さもない、平凡なアパートの一室での集いがほぼ五十年も続いたのである。すぐ近くの通りでは仕事を終えた人たちが車やバスやタクシーで帰りを急いでいる。その人たちにとっては、まさかすぐ近くのアパートの一室で霊界と地上界とが人類史上まれにみる生々しい現実味をもって交わっているとは、想像も及ばないことだった。そうした背景を念頭においてシルバーバーチが語る。


「皆さんから見れば確かにここは小さな一室にすぎません。しかし、わたしたちにとっては壮大な神殿なのです。壁という壁はぜんぶ取り払われております。あるのはただ眩(まばゆ)いばかりの光輝です。イルミネーションです。その中で何千もの霊が、それぞれに果たすべき使命をもって集結しております(※)。教える者もいれば教わる者もいます」


※――ハンネン・スワッファー・ホームサークルでは常時十人前後のメンバーしかいなかったが、それは人間界だけの話であって見えざる世界ではいつも数千人の霊が列席していて、シルバーバーチの話を聞いていた。その中には地縛の状態からやっと抜け出たばかりの霊の集団が高級霊に引率されて来ていたり、他の霊団の者が交霊会というものを勉強するために見学に来ていることもあった。そうしたことを念頭においてお読みいただきたい。

さらに言う。


「その内訳はあらゆる民族、あらゆる国家にまたがり、しかも現代の人も過去の時代の人もいます。東洋ならびに西洋の予言者、霊覚者、聖人・賢人、地位の高かった人・低かった人、ギリシャ・ローマ・シリア・カルデア・ペルシャ・バビロニアの思想家たち、それに比較的近世のイタリア・フランス・ドイツの思想家も混じっております。みんなで意見を出し合い、それを総合して皆さんにとって最も有益なものに仕上げるのです。

それとて霊界の舞台裏で行われていることのホンの一部にすぎません。皆さんのお一人お一人に霊団がついております。その中には顔見知りの者もいますし、地上的意識では感知できなくても、何かの時にふと意識する霊的意識でもって存在を感知している者も控えているのです」

さて、その日の交霊会の開会直後に心霊治療が話題となり、シルバーバーチがその本質について語ったところ、列席者の一人が「素晴らしい真理ですね」と述べた。するとシルバーバーチが――


「真理はすべて素晴らしいのです。つまらないのは間違った知識です。なのに間違っていると知りながら、その方が慣れ親しんでいるからという理由でそれに固執し、素晴らしい真理の方は馴染めないという理由で求めようとしない人がとても多いのです。

そういう人たちは、強くなれるはずなのに弱いままでいたいのです。新しい光を求めるよりも暗いところで、間違った知識の上に築いた信仰を揺さぶられないでいた方がいいのです。

求道者の道は容易ではありません。真理というものは簡単に手に入るものではないからです。価値あるもの、高い評価を受けるものほど軽々しくは手に入らず、迷いと懐疑心の中をくぐり抜け、しかも誠実・崇敬・飽くなき真理探求心をモットーとして努力した末に、ようやく手にすることができるものなのです。

魂の受け入れ準備がすべてに優先するということです。魂がその真理を理解できる段階まで成長した時にはじめて、その真理の方からやってくるのであり、それまでは得たいと思っても得られないということです。受け入れるだけの態勢ができ上がっていないからです。豚に真珠とはそのことを言っているのです」

このあと列席者の一人が、最近バイブルを修正しようとする試みがなされている話を持ち出したところ――


「何ごともやってみることです。既得権力に対抗する側のすることであれば、何であれ激励してあげることです。その新しい改革の精神をいたるところに浸透させるのです。

何ごとも目の眩(くら)むような一瞬の閃光の中で達成されることを期待してはなりません。あの手この手と試みていくほかはありません。まさに“点滴、石をも穿(うが)つ”ようにです。

わたしたちの仕事の大きさは次元が違うのです。無知な人が口をあんぐりと開けて驚き、目をまんまるにして感心するような現象を起こそうとしているのではありません。大観衆を集めて一気に信じさせようともしません。

利己主義、私利私欲といった人生の暗部に属する勢力との絶え間ない闘いこそ、わたしたちの仕事です。偏見・迷信・間違い・嫉妬・貪欲・強欲――わたしたちはこうしたものと闘っているのです。

そこで、地上にあってそうした目的を推進してくれる人――受容力に富む心の持ち主、受容力に富む精神の持ち主、受容力に富む魂の持ち主を通して働きかけているのです。当初は困難の連続でした。反抗勢力は途方もなく大きく、障害はとても克服困難かに思えました。が、背後に控える大霊の力と、数こそ少なくても忠実にして勇気ある協力者の活躍をもってすれば絶対に挫折はないとの信念でひたすら頑張り通しました。

今日の皆さんには、これまでの百年近い艱難辛苦の実りをご覧になることができます。しかし、それとても、これから成就されていくものに較べれば、物の数ではありません。もはや形勢が逆転しているからです。わたしたちは勝利へ向けて進撃しており、その勢いを止めることのできる者は地上には存在しません。

一見したところ穏やかではあっても、しかしあくまでも力強く、わたしたちは勝利へ向けて前進しているところです。光が闇を征服し、知識が無知を負かし、喜びが悲しみと取って代わり、そして真理が勝利者となるのです」

さらに、明らかに世界中のスピリチュアリストを念頭に置いてこう述べた。


「この真理普及の仕事にたずさわっておられる方に常に忘れないでいただきたいのは、背後に控える勢力は、皆さんが人のためと思って努力なさるのと同じように皆さんのためを思って働いているということです。

皆さんの目から目隠しを取り除いてその勢力を目のあたりにさせてあげることができたらと、どれほどわたしは願っていることでしょう。わたしが見ている通りにみなさんがご覧になれたらと、どれほど願っていることでしょう。そうすれば、絶望など絶対になくなることでしょう。暗い陰など、皆さんの存在のどこにも居座る場所はなくなるはずです。辺りを包んでくれている勢力の強大さを認識されるからです」

続いて霊界におけるインスピレーションの伝達方法に触れて「こちらの組織ははしご状に上へ上へと伸びているのです」と述べてから、こう続けた。


「一つ一つの段がみな連なっているのです。ですから、物質界のいちばん低い段階にいる者でも霊界の最高界とつながっているのです。

旧約聖書に出てくる“ヤコブのはしご”は空想の作り話ではなく、永遠の実在の象徴なのです。いかなる魂でもそのはしごを一段一段と上がって行くことができるのです。地上から天界へとつながっており、大霊の力で支えられているのです」

この日の交霊会ではシルバーバーチは珍しく個人的な悩みごとを取り上げて語り合うことが多かった。その中で次のような勇気づけの言葉を述べた。


「前途を影がよぎった時は、それはあくまでも影であって実在ではないことを思い起こしてください。雲が太陽を遮った時は、それはあくまでも雲にすぎないことを思い起こすのです。試練と困難に取り囲まれた時は、それは通りすがりの小鳥がホンの少しのあいだ立ち寄っただけで、そのうち飛び去って行くものと思えばよろしい。

皆さんが手にした霊的知識は物質界のいかなる宝にも勝る貴重なものです。わたしたちは金や銀、ダイヤモンドや貴金属はお持ちしません。それよりも霊の貴重品、この世で最高の宝をお持ちします。それを大切にしなさい。(象眼細工にたとえれば)愛をはめ込み台として、その上に霊的真理という宝石を散りばめるのです。そしてそれは大霊が細心の心づかいと神々しい情愛をもって授けてくださった賜物であることを認識してください。

常に上を向いて生きなさい。俯いてはいけません。皆さんに存在を与え自らの霊性のエッセンスを吹き込まれた、巨大にして壮厳な大霊の力が日々あなた方を鼓舞し支援してくれます。

迷いがちな心を大霊の心に合わせ、荒れがちな魂を鎮めて大霊の魂に合わせ、精神を無尽蔵の大霊の貯蔵庫から出る叡智で満たしなさい。そして弱き者、挫折せる者、窮状にあえぐ者のために刻苦する人は必ずや大霊の愛のマントに包まれていることを実感なさることです。

迷わず進みなさい。身につけられた知識の中で確信をもって着実に歩みなさい。せっかくの霊的知識を賢明に、そして上手にお使いなさい。そして大霊の道具としての義務を忘れないようにしてください。“忠良なる僕よ、よくぞ任務を果たされた!”(マタイ伝)との祝福の言葉を賜るよう、お互い、それぞれの道で励みましょう。皆さんに大霊の祝福のあらんことを!」

そのあとシルバーバーチは出席者全員に向かってこう述べた。


「皆さんは死んだあともずっと生き続けるのです。その時までは、本当の意味での“生きる”とはどういうことなのか、何ものにも拘束されずに生命の実感を味わうというのはどういうことなのか、肉体に閉じ込められた今の魂では理解できない“自由”の味を満喫するというのはどういうことかはお解りにならないでしょう。

一度もカゴの外に出たことのない鳥に、囲いのない広々した森の中で、枝から枝へと飛び渡れるということがどういうものかが解るでしょうか」

「ではなぜ、魂は肉体に閉じ込められたのでしょうか」と列席者の一人が尋ねた。


「種子が暗い土の中に埋められ、そこから勢いよく成長するための養分を摂取するのと同じです。人間の生命の種子も霊的生命を勢いよく成長させるための体験を得るために、肉体という暗い身体に閉じ込められるのです。

人生体験も大きな生命機構の中の一環なのです。およそ有り難いとは思えない体験――悲しみ、辛い思い、嘆き、失望、苦しみ、痛み――こうしたものは魂にとっては貴重なのです。

しかし、それを体験している最中(さなか)にはそうは思えません。こちらに来て地上生活を振り返り、部分的にではなく全体として眺めた時にはじめて、人生の価値が鮮明に理解できるのです。逆境の中にあってこそ性格が鍛えられるのです。悲哀を体験してこそ魂が強化されるのです。

わたしたちは人生を物質の目ではなく霊的生命の知識に照らして眺めます。その次元では完全な公正が行われるようになっているからです。ですから、賢明な人とは、すべての体験を魂の成長にとって有益となるように受け止める人、試練にしりごみせず、誘惑に負けることなく、困難に正面から立ち向かう人です。そういう心構えの中においてこそ人格が成長し強化されるからです。何でもない簡単な真理なのです。あまりに単純すぎるために地上の“知識人”から小バカにされてしまうのです」

話題が変わって、サークルのメンバーが比較的若い人たちによって構成されている事実について、シルバーバーチがこう説明した。


「前途にまだまだ永い物的生活が残っているうちに霊的真理の素晴らしさを知ることができていらっしゃることを、わたしは大変結構なことと喜んでいる次第です」

「大変な光栄と受け止めております」とメンバーの一人が言うと、


「大変な責任として受け止めないといけませんよ。知識には必ず責任という代価が伴うのです。つまり皆さんは物質界で最大の光栄――霊的知識を人のために役立てることができるという光栄に浴していらっしゃるのです。物質界で大事にされているもの全てが無に帰したあと、お互いのために尽くし合った行為のみが永遠に消えることのない進化をもたらしてくれるのです。

わたしたちはあくまでも“人のため”という宗教を説きます。教義や儀式やドグマは、人のために何かしなくてはという思いを育(はぐく)むものでないかぎり、価値は認めません。祭礼や行事は大切ではありません。大切なのは霊性、すなわち内部に存在する大霊を発揮する行為です」

「宗教をどう定義されますか」と別のメンバーが尋ねる。


「わたしにとってはたった一つしかありません。大霊の子に奉仕することによって大霊に奉仕することです」

話題が心霊現象の話になり、その中でシルバーバーチが心霊実験会における物質化現象では霊媒と列席者からだけでなく、実験室内に置かれているあらゆるものが材料として使用されていることを述べると、メンバーの一人が――

「それは、それらの材料から必要な成分を抽出するということでしょうか」


「そうです。カーペット、カーテン、書物、あるいは家具でも利用します。わたしたちは物的身体をもっておりませんから、まわりにある物質を利用せざるを得ないわけです。その成分は(主として霊媒と出席者とから取りますが)ある程度はその部屋にあるものから少しずつ取ります。取りすぎるとバラバラに分解してしまいます」

「物質化現象が行われた部屋のカーテンがすぐに朽ちてしまうことがあるのは、そのためでしょうか」


「そうです。それが原因です。十分用心はしているつもりですが……」

物質化霊の衣装に色をつけるために部屋中の素材から色素だけを抽き取ることもあるという話をしてから――


「わたしたちが行っていることをもっとお知りになれば、世の中には無用のものは一つもないことに気づかれるはずです。ですが、最大のエネルギー源は皆さん方お一人お一人です。皆さんが最大の素材です」

キリスト教を信じている人の中には、霊が交霊会に出てきてしゃべるということは“霊を無理やりひっぱり出して嫌々ながらしゃべらせる”ことだから“霊にとって迷惑”であると考えている人が多いという話が持ち出されると――


「わたしにとって、この霊媒の身体を借りて皆さんと話を交わすことがどれほど楽しいことであるか――それは皆さんにはとても理解していただけないほどです。皆さんと共にいるということは、わたしにとって格別のことではありませんが、こうして面と向かって皆さんとお話ができるというのは、大変楽しいことなのです。

どうぞ、このわたしが常にお側にいて皆さんのお役に立つ用意をしていることを忘れないでください。わたしは皆さんのお友だちなのです。多分わたしの姿はご覧になれないでしょうけど、むしろわたしの方から力になってあげたいと願っている側用人(サーバント)くらいにお考えください。何かご用がありましたら、いつでもお呼びください。どうぞ、この死者に迷惑をお掛けください!」

女性メンバーの一人が最近親戚の人に起きた出来事について話し、そういうことを起こす霊は善霊でしょうか邪霊でしょうかと尋ねた。すると――


「あなたの頭の中から低級な影響――あなたは邪悪な影響とおっしゃりたいのでしょうけど――そういうものが自分につきまとうという観念を拭い去ってください。あなたは大霊とその摂理の保護のもとに生活しそして行動していらっしゃるのです。

あなたの心の中に邪(よこしま)なものがなければ、あなたには善なるものしか近づきません。善のバイブレーションが支配するところには善なるものしか住めないのです。大霊の使者以外のものがあなたの存在の中へ入り込むことはありません。あなたは何一つ恐れを抱く必要はありません。あなたを包み込んでいる力、あなたを支え、導き、そして鼓舞せんとしている力は、ほかならぬ宇宙の大霊から発せられているのです。

その力はあらゆる試練と困難の中にあってあなたの支えとなってくれます。嵐を晴天に変え、絶望の暗黒から叡智の光明へと導いてくれます。あなたは着実に進歩の正道を歩んでおられます。恐れを抱く必要はどこにもありません。

地上世界で大切と思われているものの中には使い捨てのような価値しかないものが沢山あります。真に大切なのは魂の成長にかかわることです。霊的資質が発達して内奥の神性が開発されるごとに、魂の悟りが深まるのです。単なる知識の収集では大して価値はありません。もしもそれを他人のために使わないでいると、一種の利己主義ともなりかねません。

うわべだけで物事の価値判断をしてはなりません。わたしたちと皆さんとの根本的な違いは、皆さんが外面から判断なさるのに対して、わたしたちは霊の目でもって動機と目的を見抜いてしまう点です。その方が結果そのものよりも大切だからです。変転きわまりないうわべの現象の背後にある、永遠の実在を見抜くように努めないといけません。

階級・肩書き・職業・肌の色――こんなものが大霊を前にして何の意味がありましょう。真に誇れるもの、真の気高さは魂にかかわるもの、霊にかかわるもの、精神にかかわるものです。それこそが永遠の実在なのです。

イエスも同じことを説いています。“神の王国は自分の中にある”(ルカ伝)“地上の宝を貯えてはいけない――虫に食われず錆びつかず盗人も盗み出せない宝を貯えよ”(マタイ伝)。

わたしたちも同じ真理を説いているのです。真理は真理であり、永遠の原理は決して変わることはないからです。

物質の中に閉じ込められている皆さんにとって霊的実在を原理とした物の考え方をするのが難しいものであることは、わたしもよく知っております。しかし、そういう考え方をお教えするのが、わたしたちがこうして地上へもどってきたそもそもの目的なのです。皆さんが人生を正しい視野、正しい焦点でとらえてくださるように導くことです。

忘れないでいただきたいのは、地上生活は永遠の生命活動の中のホンの一かけらにすぎないということです。ただの影を実在と思い違いをなさらないようにしてください」

それから最後の忠告として、こうして霊界から届けられる教訓はサークルのメンバーにとってはすでに当り前のことのようになっていても、他の人々――人生に疲れた人、心を病んでいる人、迷いと疑念に嘖(さいな)まれている人たちにとっては「心地よい、さわやかな新風であり、まとわりついたクモの糸を吹き払い、精神を鼓舞される思いがするものです」と述べて、こう締めくくった。


「魂が霊的真理の光の有り難さを味わえるようになるまでには、時として大きな迷いと疑念、悲哀と倦怠と幻滅を体験しなければならないことがあるのです。

わたしたちの仕事は順調に広がりつつあります。そのことだけは確信をもって断言できます。わたしがいつも楽観的な態度を強調し勝利は間違いないことを申し上げるのはそのためです」

祈り


ああ、真白き大霊よ。

あなたの無限性を物質に閉じ込められている子等にどう説明すればよろしいのでしょうか。言語を超越しておられるあなた、いかなる尺度をもってしても計ることのできないあなた、その叡智は地上のいかなる智者の叡智をも超越し、その愛はかつて地上で示されたすべての愛をも凌ぐ無限なる存在にあらせられるあなたを、わたしはどう説き明かせばよろしいのでしょうか。

全生命の大源におわしますあなた、あらゆる存在を通してその霊性を顕現しておられるあなた、物質の世界と霊の世界の区別なく、生きとし生けるものすべてに見出すことのできるあなたを、わたしはいかに表現すればよろしいのでしょうか。

わたしは全大宇宙とそこに顕現せるものすべて――あらゆる活動の中に顕現している生命の律動(リズム)に目を向けさせます。昇っては沈みゆく太陽、夜空にきらめく星座、心地よく屋根をうつ雨音、ささやくような小川のせせらぎ、のどかな蜜蜂の羽音、風に揺れる可憐な花々、そして轟く雷鳴と闇を切り裂く稲妻に目を向けさせます。

かくして生命のあらゆる現象に向けさせたあと、わたしはそれがあなたとあなたの摂理の表現であることを確信をもって明言いたします。何となれば、あなたは摂理そのものにあらせられる――永遠にして不変の摂理として顕現されているからでございます。

その顕現の中でも、物質の世界よりも高度な次元に属するわたしたちは、その次元すなわち霊の世界において知れわたっている不変の因果律を教えるべく、こうして地上へもどってまいります。わたしたちはあなたを有るがままの存在として啓示し、物質に対する霊の優位性を立証し、あなたとわたしたち子等との霊的な絆を教え、物質の子等もあなたの一部であり、あなたの霊性がすべての子等に宿り常に表現を求めている事実を理解させたいと願っております。

ああ、真白き大霊よ。

わたしたちはあなたの叡智のお蔭をもって、内奥のより高き自我を呼び覚まして生命の大源たるあなたとの調和をもとめることをお許しくだされたことに感謝の意を表します。神性を帯びたあなたの遺産を求めそして我がものとし、魂の内奥に潜む実在を見出しているところでございます。

願わくばこの光の神殿(交霊会)において、これまで久しく忘れ去られながらも、あなたを求めた数少ない霊覚者にのみ明かされてきた霊的摂理のいくつかを立証することができますように。

ここに、人の役に立ち愛の摂理を立証することをのみ求める、あなたの僕インディアンの祈りを捧げます。

Tuesday, August 4, 2026

シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ

 A Voice in the Wilderness

トニー・オーツセン(編)近藤千雄(訳)


 

3章 わたしたちは決して見捨てません

英国陸軍の従軍牧師がハンネン・スワッファーの招きで出席し、シルバーバーチとの対話で真実の霊的真理を悟って辞職を決意するまでに至った。ところが、それから二、三カ月後にあっさりと他界した。そして今度は奥さん一人が招待されて、シルバーバーチからその間の事情の説明を聞くという珍しいケースがあった。まず夫妻が揃って出席した最初の交霊会の様子から紹介しよう。シルバーバーチから語りかけた。


「わたしが申し上げることを全部受け入れる必要はないのですよ。あなたの理性を使って、わたしの言うこと、あなたがお聞きになっていることを吟味なさって、わたしに挑戦してください。もしも理性が納得しないものがあれば、どうぞ拒否してください。わたしたち霊団の者は絶対に間違ったことは言わないとは申しておりません。わたしたちは過去の聖人や霊覚者が説きながら神学や教義の瓦礫(がれき)の下に埋もれて忘れられてしまった真理と同じものを改めて説いているだけなのです。人間の霊的新生、霊的自主独立、経済的ならびに社会的自由への道を教えてくれる、古くからある永遠不滅の真理を瓦礫の下から救い出そうと努力しているのです。“二師に仕うること能(あた)わず”(マタイ伝)といいます。もちろんご存知ですね。自分自身、自分の心、自分の存在を見つめ直してごらんなさい。そこには多くの、いえ、すべての問題に対する回答が秘められるものです。これまで大切にされてきた信仰の中の真実のものは、これから先も生き永らえます。何ものもそれを揺るがすことはできません。が、間違っていたものは捨て去らないといけません。カビの生えた古い誤りは、霊的啓示を前にしたら潔(いさぎよ)くその場を譲らないといけません。

永いあいだ地上世界を束縛してきたものとの闘いにおいて、わたしたちは一歩も後へは退きません。宗教の名のもとに築かれてきた教義とドグマと戒律の組織に対して闘いを挑んでおります。間違っているものは廃棄しなければならないのです。真実のものだけが生き永らえるのです。永いあいだ人間が崇めてきた大言壮語――霊感や啓示ではなく、ただの政策、とくに政治的政策からこしらえられたドグマは、どうあっても許すわけにはまいりません。

あなたも永いことご自分のことを忘れてひたすら人のためを思って軍の中でのお仕事に専念してこられました。しかし最近、そうした体制下での善行にホトホト嫌気がさしてきた……あなたはそんなことはないとおっしゃることでしょうが、奥様はわたしと同意見だと思うのですが……」

「おっしゃる通りです」と同伴してきた奥さんが述べた。


「あなたのお仕事は人前でのハデなものばかりではありませんでした。そういうことも一、二度はありましたが、大抵は人目につかないところでの地味なものでした。そして今ついに真実の霊的真理に目を開かれました。あなたご自身は遅きに失した、もう少し早く知っていたら、と残念に思い、これから先どういう形での奉仕ができるだろうかと迷っておられますね?」

「その通りです」


「いいですか、真理というものは受け皿が用意されて初めて受け入れることができるのであって、それ以前は知らん顔をしているものです。精神が受け入れる気になった時に真理の方からやってくるのです。せっかく訪れてノックをしても冷たくあしらわれることがわかっている時は、真理は近づこうとはしないものです。そろそろドアが開いて入れてもらえると思うまでは、少し離れたところで待機しているのです」

ここでシルバーバーチが「何かお聞きになりたいことがありますか」と言うと、

「何からお聞きしてよいかわかりません。よく解らないことが山ほどあり、とても面倒な問題もありまして……」と牧師が言う。


「どうぞ、その中でも一ばん面倒な問題をおっしゃってみてください。わたしにお力添えできることでしたら、せいぜい努力いたしましょう」

「実はこれまで務めてきた従軍牧師としての仕事をこれを機に辞職することが果たして賢明であるかどうかで迷っております。辞めたあと、これとはまったく分野の違う仕事で私に合ったものを見つけるのを背後霊はちゃんと援助してくれるものでしょうか」


「“求めよ、さらば見出さん。尋ねよ、さらば授からん。叩けよ、さらば、開かれん”――この言葉をあなたは何度説いてこられましたか」

「ずいぶん説いてまいりました」


「今このわたしが同じことをあなたに向かって説くことにしましょう。ただし、わたしの場合はただの信仰ではなく、知識による確信をもって申し上げます。わたしの世界には大霊の使者の大軍が控え、いつでも地上世界のために手助けをする用意を整え、あなたのような“道具”が“私はいつでも用意ができております。どうぞお使いください”と言ってくださるのをお待ちしている事実を、この目で見て知っているのです。

わたしたちは決して見捨てません。しかし最初にしかけるのはそちらです。真理が手引きするところならどこへでも迷わずついて行く用意があるという意志表示をしてくださらないといけません。今あなたは古い土台を取り払おうとなさっておられるところです。しかし、向かわれる先は砂漠ではありません。荒野へ迷い込んで行かれるのではありません。半信半疑の世界から抜け出て、霊的実在へと向かっておられるのです。

ここまであなたを導いた力こそ霊の力なのです。あなたはそのことについて信者の方にずいぶん説いてこられましたが、まだ理解はしておられませんでした。これが実はキリスト教でいう“聖霊の降臨”なのです。大霊がその知識、その叡智、その啓示、その真理、その愛を地上へ届けられる手段なのです。わたしたちはそのための道具にすぎません。永い年月にわたる奉仕と進化と成長と経験の末に、そういう仕事にたずさわる資格を身につけたのです。わたしたちは自分のことは何一つ求めていません。わたしたちが持っているもの全てを地上人類のために使用できる、その栄誉を保ち続けたいと思っているだけなのです」

「どうも有り難うございました」


「わたしへの礼は無用です。大霊に感謝してください。わたしたちは大霊のために奉仕しているのですから……。わたしたちはただの道具にすぎません。代理として働いているその大中心の存在に感謝なさるべきです。

わたしたちは永いあいだ荒野に呼ばわり、叫び続け、真理普及の地ならしをしてまいりました。地上人類が耳を傾けてくれるように工夫を凝らしてまいりました。しかし一向に耳を傾けてくれませんでした。霊の声を聞こうとしませんでした。サムエルを見つけるまで、わたしたちも、三度も四度も呼び続けました」(*旧約聖書“サムエルの書”上、第三章参照)。

「あなたがご存知のイエスについてお聞かせください」


「わたしは何度となくお会いしております。イエスは“父”の右に座っておられるのではありません。その“父”も黄金の玉座に座っておられるのではありません。イエスは進化せる高級霊の一人です。地上人類の手の届かないほど誇張され神格化された、縁遠い存在ではありません。すぐに手の届くところで、あなた方がスピリチュアリズムと呼んでおられるこの真理――わたしたちにとってはただの自然法則の働きにすぎませんが――その普及の指揮をなさっておられるのです。

交霊会をはじめとするさまざまな仕事を指示しておられるのが、ほかならぬイエスその人なのです。病める者を癒し、悲しむ者を慰め、無知なる者に真理の光をもたらし、いずこへ向かうべきかもわからずに迷っている者に道を教え、家もなくさ迷える者に宿りの場を与え、人生に身も心も疲れ果てた者に生きる勇気をあたえるために世界中で献身している人たちを鼓舞しておられるのです。

わたしたちが実際にお会いし、そして激励の言葉をいただいているのが、実在の高級霊、かつて地上で“ナザレ人イエス”と呼ばれていた方なのです。あなたはこれまでイエスはどこにいらっしゃると思っておりましたか」

「以前ならイエスさまは“父”の右側に座していらっしゃると答えたと思います」と正直に答えてから「でも今はもう全く異なる神の概念を抱いております」


「そうです。神は右でも左でもないのです。法則なのですから……。その働きは完璧であり、しくじるということがなく、間違うということがなく、始まりもなく終わりもなく、無窮に働き続けているのです。一個の人間としての神の概念をお捨てになり、全生命の背後に存在する法則としての大霊とお考えになってください。

そしてイエスをあなたと同じ存在とお考えになることです。はるかに進化はしていても、決して手の届かない無縁の存在ではありません。なぜなら、イエスがたどった道をあなたも今たどりつつあるのであり、イエスが発揮したのと同じ霊的能力をあなたも発揮できるのですから……。

イエスが行ったことはすべてあなたにもできるのです。“あなたたちもこれ以上のことをする時が来るであろう……”“見よ、私は救い主、すなわち真理の霊を送り届けるであろう……”――こうした言葉が今あなたにとって真実となっているのです。このわたしが“救い主”だと言っているのではありません。わたしが“真理の霊”だという意味ではありません。地上人類に文明の汚点である信仰上の誤りを理解させそれを取り除かせるために、大霊に源を発する霊力の一部として、わたしもイエスの指揮のもとに参加しているということです」

話題が変わって、霊界とのつながりについてこう語った。


「いったん霊界との磁気的なつながりができ上がると、それは二度と切れることはありません。霊力というのに接し、その影響力によって感銘を受ける段階に達していれば、その段階ででき上がったつながりは二度と解消されることはなく、いつでも霊的なものを認識できる状態が保たれます。

そうしたつながりができ上がる最初のきっかけは往々にして悲哀の体験――死別の悲哀、苦痛の悲哀、病気の悲哀ないしは悲嘆となるものです。そこに地上生活における“苦”が果たす役割があるのです」

さらに話題が発展して霊の得手不得手の話になり、シルバーバーチは地上の霊媒が単なる好みではなく能力に合った分野を選ばねばならないように、霊界においてもどれにするかで迷うことがあり、自分の場合は結局は“教えを説く”という手段を選んだことを説明した。そしてこう続けた。


「皆さんと同じように、わたしたちも一ばん伸ばしやすい能力を選ばねばなりません。表面近くにあるものが一ばん伸ばしやすいことになります。しかし時には二つないし三つの能力が同じ程度に発達している場合があり、そのうちのどれにするかの選択を迫られることもあります」

ここで出された質問に答えて――


「わたしは霊的真理に基づいた原理を説いております。いかなる問題もこれを適用すれば遠からず解決します。わたしは人間の苦痛の叫び声に無神経なわけではありません。できることなら重荷のすべてをわたしが背負ってあげたいくらいの気持ちです。ですが、地上世界のことは地上世界で片づけないといけないのです。そこには“公正”というものが行きわたるようになっているのです。と言って、ただ単に苦しい体験を積むばかりでは無意味です。その中から教訓を学び取らないといけません。そこで霊的摂理についての知識が大切となります。それを広めないといけません。

人類は霊的知識を身につけて初めて、待ちうけている喜びを味わうことができるのです。あらゆる苦しみから教訓を学び取り、地上世界がたとえ絶望だらけに思われても神の意志は必ず成就されること、その遠大な目的を挫折させるほどの力をもったものは地上には存在しないことを確信してください。達成の時期を遅らせることはできます。また少しの間だけ視界を曇らせることはできます。しかし新しい世界はすでに生まれております。古い世界が崩壊しつつある徴候がそこここに見られます。あなた方も変革の証拠をその目でご覧になっておられます。

自分たちが支配しているつもりでいた者が独裁と圧制の時代は終わったことに気がつくのも、そう遠い先のことではありません。しかし忘れてならないのは、そうした独裁者は大霊が用意なさったのではありません。あなた方人間がその出現を許したのです。憎しみと無知と時の事情によって生み出されたのです。

大霊は地上人類のために用意される恩寵についてはきわめて寛大です。すべての者に十分に用意しておられます。領土問題で争う必要はないのです。そもそも誰のものでも、どの国のものでもないのです。大霊のものなのです。人間はその大霊の借地人(テナント)にすぎません。ホンの短い期間だけ地上に逗留するためにお借りしているだけなのです。

霊的知識さえあれば、一滴も血を流さずに、一人の命も失わずに、すべての問題が解決できるはずです。ところが無知と既得権力が障害をこしらえてきたのです。あなたのような方が物質万能主義と闘う軍隊に一人加わるごとに、暗黒の勢力を一歩押し返すことになるのです。

わたしたちには奇跡は起こせません。霊的な“呪術師”ではありません。摂理というものの存在を説いているのです。その働きを知っているからです。困難につぐ困難の末に今やっとその努力が実りつつあります。絶望感など一かけらもありません。自信にあふれております。

このわたしも、わたしの全存在の息吹きをもってあなたを支援します。迷わず進みなさい。あらゆる不安の念を振り切って、自分には愛の援護がある――血縁のあった霊の愛、物質のベールで仕切られてはいても霊的には親しく通じ合い身近にいて常に導いてくれている霊の愛、それからまた、あなたはご存知なくてもあなたをよく知っていて、誕生の時からずっと待ってくれている、大勢の霊的家族の愛があることを知ってください。

そうした大勢の霊がこれまでずっとあなたを鼓舞し、保護し、導き、目にこそ見えなくても現実的影響力を行使してきたのです。喜びをともに喜び、悲しみをともに悲しんできました。まさしく笑いも涙も分け合ってきたのです。そうした霊とあなたとは文字どおり一体であり、決して見捨ててはおきません。あなたの方から一歩近づけば、彼らはさらにもう一歩近づくように援助します」

そして最後を次の言葉で力強く締めくくった。


「躊躇してはいけません。思い切りよく突き進みなさい。あなたの差し出す手が拒絶されることがあっても失望することはありません。あなたのことを気狂い呼ばわりしても悩むことはありません。ご存知でしょうか。かつてイエスの弟子たちは酔っぱらい扱いをされたのです。お二人に大霊の祝福のあらんことを!」

それから四カ月もたたないうちに、その牧師の奥さんが一人で出席した。実際にはご主人もいっしょなのだが、その時はすでにご主人はベールの向う側の人となっていた。シルバーバーチがその奥さんにこう挨拶した。


「再びあなたをこの場にお迎えして、この度の不幸を毅然たる態度で力強く耐え抜かれたお姿を拝見して、とてもうれしく存じます。あなたにとって実に厳しい試練でしたね。しかし、霊的知識が支えとなって、いささかも揺らぐことがありませんでした。ご主人は偉大な霊です。今でもあなたとともにいて、何とかしてあなたに存在を知らせたいと工夫していらっしゃいますよ」

「おっしゃる通りだろうと思います。私もそのことに気づいております」


「何度も姿を見せようとなさったそうですよ。でも時おりそのことが却ってあなたに少しばかり精神的な混乱を引き起こして、申し訳ないとおっしゃってますよ」

「存じております」

すでに自宅で家族交霊会(ホームサークル)を開いている奥さんは、ご主人からのメッセージを受け取っていたのである。シルバーバーチが言う――


「目には見えなくても、今なおご主人が陰で糸を引いておられるのがお分かりでしょう。あなたの喜びも幸せも今なおご主人がカギを握っているからです」

そう述べてから、牧師の妻としていろいろと処理すべき問題が残されていることを念頭において、こう助言する。


「ご主人の地上での仕事はまだ終わっていないのです。あなたの仕事もまだまだ終わりません。前途には問題が山積しております。ですが、辛抱なさることです。ご主人は死後の環境に慣れるのに時間が掛かりましたが、その後は長足の進歩を遂げておられます。お家(うち)での交霊会はぜひとも続けてほしいと希望していらっしゃいますよ」

「はい、続けるつもりでおります」


「あなたが受身の心になって静かに落着いている時には姿を見せることもできるとおっしゃっていますよ。ご覧になられたことがありますか」

「はい、あります」


「でも、おぼろげだったでしょう? 見えたような気がして見つめなおすと、もう見えない……でも、確かにそこにいらしたのです」

「わたしはこう言ってあげたことがあるのですよ――“今のはあまりあなたに似てませんでしたよ”って」


「なるほど。でも、何ごとも練習ですよ。悲しむことだけはお止めなさい――たとえ心の奥であっても。ご主人はその後霊格が向上しておられます。自らの努力で必然的にそうなられたのです。永年の奉仕への報酬として向上を得られたのです。と言って、あなたから遠ざかったわけではありませんよ。これからも常にあなたとともにいらっしゃると思ってください。今のご主人にとっては、あなた以上に大切な人はいないのですから。その辺のことはあなたもご存知のはずです。

お二人には宇宙最大の力があります――愛の力です。それが地上でお二人を巡り合わせ、これからも永遠にお二人に“別れ”はありません。

あなたには霊的知識があります。たとえ視界のすべてが見通せない時でも、その知識を手にしておられることを有り難いと思わないといけません。単なる期待や推測や思惑からではなく、いかに烈しい環境の嵐の中にあっても揺るぐことのない、“事実”を土台とした確信を抱くことができるからです」

ここでシルバーバーチから「何かお聞きになりたいことがありますか」と言われて奥さんは、夫のあまりに急な他界で少し戸惑いを感じたことを述べ、「死期というものは何によって決められるのでしょうか」と尋ねた。


「霊に用意が整った時に肉体から去るのです」

とシルバーバーチは述べて、それをこう説明した。


「リンゴが熟すると木から落ちますね。時として木が揺すられて熟さないうちに落下することもありますが、それは不味(まず)くて食べられませんね。同じように霊も時として時が熟さないうちに肉体から離されることがあります。この場合には霊に死後の生活への準備が整っていません。

しかしご主人の場合は霊に十分な用意が整い、肉体も十分にその目的を果たして、その上で朽ち果てたわけです。あなたがどう介抱されてもその時期を延ばすことはできなかったでしょうし、ご主人にもそれはできなかったでしょう。そのうち、ここにおいでの皆さん方にも同じことが起きるわけです。少しも恐れることはありません」

このあと奥さんが、主人が予告したことが未だに実現していない話を持ち出すとシルバーバーチが――


「いつというのは霊にはなかなか判断しにくいものなのです。そのわけは、わたしたちにはこうなるという結果の方が先にわかってしまい、ではそれが地上の時間にしていつになるかとなると、その計算ができないことがあるのです。霊によって、その計算が得意な霊とさほど得意でない霊とがいるものです。

いずれにせよ、あなたはそのことで気を揉まれる必要はありません。これからも何度も何度も姿を見せるようになり、助言を与え、あなたのことを大事にしてくださいます。ですからあなたも、こうした知識を積極的に広める活動をなさらないといけません。あなたにとってはご主人こそが霊的知識へ導いてくれた恩人であるごとく、あなたが広める知識が救いとなる人もいらっしゃるのですから……」

「それがわたしの大きな願いでございます」――夫を失ってまだ数週間しかたっていないというのに、早くもこの未亡人は他人の慰めとなる仕事のことを考えて、そう述べるのだった。このことばを聞いてシルバーバーチが力強く言う。


「おできになりますとも。人の荷を軽くしておあげなさい。道を教えてあげなさい。暗闇を明るくしてあげなさい。地上には無用の悲しみ、無用の不幸、無用の悲劇が多すぎます。わたしたちの世界からの愛は、進むべき道をすっかり見失っている人類が平和と悟りへの正道を見出し、地上世界の汚点である不公正と残虐を絶滅する、そのお手伝いをするために、霊の力を地上へもたらすことのできる道具を通して、少しでも多くの発現を求めているのです。

エデンの園は存在するのです。地上天国は目の前にあるのです。ただ人間の強欲と愚かさと利己主義と残忍性が道に立ちはだかっているのです。理屈の上では一日のうちにでも実現できるのです。しかし現実には、為さねばならないことが山ほどあります。全生命を創造なさり、生きる道を示さんとしておられる大霊の道具として、進んで志願する者を必要としているのです。

大霊の祝福のあらんことを祈ります。あなたがお帰りになられる時はご主人もいっしょにお帰りになられます。愛は本来あるべき所へ帰るものなのです」

祈り


ああ、真白き大霊よ。

わたしたちに生命を賦与してくださったことに深く感謝いたします。なぜなら、それはわたしたちの霊をあなたの霊の中へ融合させることによってわたしたちにもあなたの無窮の目的に参加することを可能ならしめ、あなたのご意志を顕現し、あなたの愛と叡智と真理と知識とを啓示する大事業のお手伝いをさせていただくことになるからでございます。

ああ、大いなる神よ。

わたしたちは宇宙に顕現せるあらゆる生命現象を通して啓示されているあなたの無限の相に対して感謝の言葉を捧げるものです。またわたしたちは“愛の橋”を通って“死の淵”を越える機会をお与えくださったことにも感謝の念を捧げます。

物的身体に宿る者であろうと霊の界層に生を営む者であろうと、あなたとあなたの子等のために進んで我が身を役立たせんとして励む者に対する感謝の気持ちを、わたしたちは御前に捧げるものです。

またあなたの神性を生活の中で体現している人たち、また彼らの理想とするところ、彼らの気高さ、彼らの犠牲的献身が、彼らより低き進化の階梯にある者への霊的感化となっている人たちへの感謝の気持ちを御前に捧げます。

人類の歴史のあらゆる時代において子等に明かされた、あなたご自身ならびにあなたの無窮の目的についての啓示に対しても、わたしたちは御前に深甚なる感謝を捧げます。そのために捧げられた殉教と英雄的行為のすべて、先駆者ならびに改革者のすべて、同時代の同胞を高揚せんとして腐心した人たちのすべてに対する感謝の気持ちを御前に捧げます。

あなたからのインスピレーションを啓示し人類に霊的摂理を理解せしめんと努力した人たち、また、同じ地上に身を置くがゆえにこそ同胞に恩恵をもたらすことができた人たちのすべてに対する感謝の気持ちを御前に捧げます。

物的世界と霊の世界との通路となっている人々――たとえその多くは無意識であっても――永遠の生命の大目的についての理解を深めさせる上で力となっている人々のすべてに対する感謝の心を御前に捧げます。

あるいは教会、あるいは寺院と、その場所を異にし、さらには宗教と名のつくものを標榜することなく、ただひたすら己の内部の最高のものを発揮せんとしてあなたを求めている謙虚にして潔き人たちへの感謝を御前に捧げます。

ああ、真白き大霊よ。

地上の愛する者たち――あなたの子等に知識と真理とを授け自らを霊的束縛から解放する方法を教えようとするわたしたちの仕事の忠実なる助力者たち――その人たちのために尽力することによってあなたに奉仕するこの機会をお与えくださったことに、わたしたちは感謝の意を捧げるものです。

願わくばこの交霊会ならびに他の交霊の場において行われることが人類により多くの知識を与え、それが友好と親善と平和の中での暮らしを生み、その暮らしの中で永遠の大霊たるあなたの無限の愛を発揮するようになる日の到来を一日でも早めることになりますように。

ここに、あなたの僕インディアンの祈りを捧げます。そしてこの祈りが一日も早く現実のものとならんことを。

Monday, August 3, 2026

シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ

 A Voice in the Wilderness

トニー・オーツセン(編)近藤千雄(訳)


2章 神はときには荒れ狂う嵐のごとく

数年前に愛する妻に先立たれ、その妻が死後も生き続けている証拠を求めてきた英国の下院議員が、ある日の交霊会に招かれてシルバーバーチと長時間にわたる意義ある対話をもつことができた。

その議員は動物への虐待行為を中止させる運動に大きな貢献をしている人で、シルバーバーチから引き続き頑張るようにとの励ましを受けて、魂の高まりを覚えながら会場をあとにしたのだった。

まずシルバーバーチから語りかけた。


「地上世界は、洞察力に富む一部の人を除けば、大きな悲しみの体験をさせられる前に霊的真理の必要性を知る人がほとんどいませんね」

「でも、その洞察力はどうすれば得られるのでしょうか」


「もとより容易なことではありません。たとえば、こうした霊言や自動書記などの手段によって通信霊が自分はかくかくしかじかの霊であると述べた場合、それだけで直観的にその通りか否かを得心できるようでなければいけません。あなたもそう努力なさって来られました。もちろん、わたしたちとしては物質界の人間が要求する証拠性の基準に合わせる必要があることは認めます。が、それにも限界がありますから、これまであなたがなさってきたように、与えられたものを真剣な批判的態度で判断し検討しなければいけません。偏見を混じえずに心の扉を開き、理不尽な懐疑的態度さえ取らなければ、わたしたちとの連絡はラクになります」

「私が欲しくてならないのは、この地上を去った人たちが今も間違いなく生き続けていて、地上の人間とつながりをもち、現実に影響を及ぼしていることを立証してくれるものです。それを得るにはどうしたらいいのでしょうか」


「そのためには、わたしが使用しているこの霊媒よりも立派で、あなたの求めているような万全の証拠が提供できる波長に感応する霊媒を見出すしかないでしょう。ただし、そういう証拠を求めているのはあなたの魂ではありません。頭の中でそう思ってあがいていらっしゃるだけです」(※)


※――この一節には大切なことが含まれている。人間側からすれば、その霊が地上で誰であったかを立証する具体的な証拠くらい簡単に出せそうに思えるが、実際には具体的なことになるほど地上臭が強くなり、それだけ波長が低くなるので、それが受けられる霊媒は程度が低いことになる。ということは低級霊が感応しやすいという危険性があり、うまくハメられやすいことにもなる。“感激の対面”をして親子が抱き合って涙を流すその裏側では、イタズラ霊がしてやったりと、ほくそえんでいることが多い。シルバーバーチはそのことを露骨に言わず、いかにもシルバーバーチらしく、ちょっぴり皮肉も込めて述べている。

最後の一文はさらに大切なことを教えている。人間は大ざっぱに言えば肉体と精神と霊とで構成されているが、成長するにつれて意識の中枢が肉体から精神へ、そして霊へと移っていく。理屈ばかりこねている人間は精神的段階に留まっている証拠であり、まだ真の自我には目覚めていない。その段階を抜け出ると直観(直感ではない)で理解するようになる。理屈や証拠を超えて真相を洞察してしまう――わかるのである。霊的能力というとすぐに霊視や霊聴を思いうかべる人が多いが、最高の霊的能力はその直観力である。

「では、その魂がもっと意識できるようになるにはどうしたらよいのでしょうか」


「それは霊的開発の問題です。より精妙な波長が意識できるように、霊的次元にチャンネルを合わせる方法を会得することです」

「チャンネルを合わせるにはどうしたらよろしいのでしょうか」


「地上世界が活気にあふれている時にこちらの世界は静まり返っていることがあり、そちらが静まり返っている時にこちらでは活気にあふれていることがあるものです。ですから、精神活動を止めて静寂の世界へ入り、受身になってみられることです。じっと待っていると魂が活動を開始するのがわかるようになります」

「特殊な考えが浮かんだ時、それが自分の考えなのか霊界から送られてきたものかを見分けるにはどうしたらよいでしょうか」


「そうしたことはすべて、精神をいかにコントロールするかに係わる問題です。精神があてどもなくフラフラしている状態から、意識的にきちんと支配下において、完全な静寂の中で高度な波長がキャッチできるようになることです。直観がひらめくのはそういう時です。波長が高く、速く、そして微妙だからです。地上的な思念はのろくて、不活発で、重々しく感じられます」

「地上で最高といえるほどの魂にも同じことが言えるのでしょうか」


「言えます。すべての魂に当てはまります。よくお考えください。人間は本質的に二重の要素をそなえているのです。動物時代の本能の名残りと神の分霊とがあって、それがあなたの存在の中で常に葛藤しており、そして、そのいずれかを選ぶ自由意志を持つあなたがいるわけです。そこに進化の要素があるのです。あなたとしてはなるべく動物性を抑え、潜在する神性を発揮する方向で努力しないといけません。

神、わたしのいう大霊は、人間をはじめとしてあらゆる生命形態に内在しております。すべてが神であり、神がすべてなのです。ある人にとって神は優しいそよ風のごとく感じられ、またある人にとっては、ときに荒れ狂う嵐のごとく感じられるものです。すべては各自の発達程度の問題です。

あなたの場合も魂の内奥の神性がうごめき、奥さんの死という悲しみの体験が触媒となって一段とその顕現の度合を増しつつあります。他界後の奥さんのことを求め続けられているのもそのためです。今夜こうしてこの交霊会に出席されたのもそのためです。これからのちも真理を求め続けられることでしょう。なぜなら、今やあなたは霊的真理への正道を歩んでいらっしゃるからです」

「ということは、発達の第一歩は願望を抱くことから始まるとおっしゃるのでしょうか」


「そうです。まず謙虚に、真摯に、そして敬虔な気持ちで知ろうとすることから始まり、今度は、そうして得た知識を自分の信念の確立のためだけでなく、他人のために役立てようという決意が出てこないといけません。

あなたはその願望をお持ちであり、これまでそう努力なさってこられました。そして、あなたが気力を無くしかけ、闘う意欲を失いかけ、いっそのこと第一線から引退して美術でも楽しむ生活を始めようかと思われた時などに、背後霊が懸命にあなたを鼓舞してまいりました。が、結局はあなたの魂の奥の神性がじっとしておれず、霊界からのインスピレーションにも鼓舞されて、恵まれない人たちのための闘いを続ける決意を新たにしてこられたのです」

このあとシルバーバーチはその下院議員の背後霊団について述べてから、さらに言葉を継いで――


「背後霊団のことを申し上げたのは、あなたもこちらの世界からの愛の保護下にあることを知っていただきたかったからです。人のためと思って努力している人々はみな霊界からの愛とエネルギーに取り囲まれていることを自覚し、仕事においてどれほど励まされ、勇気づけられ、感動させられ、そして支援されているかを知れば、いっそうの熱誠と情熱と集中力とをもって闘いに挑んでくださることと思うのです。人のために為された努力が無駄に終わったことは一度もありません。たとえ本来味方であるべきだった者から誤解され曲解され嘲笑され、あるいはこの人だけはと思って信頼していた人から裏切られることがあっても、あなたの奉仕の仕事は生き続けます」

「そのためのアドバイスをいただけたらと思うのですが……」


「あなたには細かいアドバイスはいりません。あなたはご自分で自覚しておられる以上に大きな仕事をなさっておられます。すでに立派に人のために役立つことをなさっている方から“私に何かお役に立つことがあるでしょうか”と聞かれると、わたしの心はうれしさでいっぱいになります。なぜなら、それは立派に人のためになることをしていながら、さらに大きな貢献をしたいと思っておられることの証拠だからです。

これまで同様に弱き者、無力なものを助け、力が不足している人に力を貸し、暗闇にいる人に光明をもたらし、足の不自由な人、あるいは何かの苦しみを抱えている人に救いの手を差しのべてあげてください。残虐行為――とくに魂が怯(おび)えるような残酷な行為、つまり人類の最大の友であるべき動物への虐待行為を止めさせるために闘ってください」

そう述べたあとシルバーバーチは、指導霊として霊界から地上での人間活動に影響力を行使することの難しさを次のように説明した。


「指導霊は自分の意図するところを物質界に感応させねばなりません。それが容易なことではないのです。なぜかと言いますと、ご存知のとおり物質界から放散されている波長は、およそ感心できる性質のものではないからです。現在の地上界は、光のあるべきところに闇があり、知識のあるべきところに無知があり、叡智のあるべきところに無分別があり、豊かさのあるべきところに欠乏があり、幸福のあるべきところに悲劇があり、優しさのあるべきところに残酷があり、愛があるべきところに憎しみがあります。霊がその威力を届けるための通路である霊的能力者はいたって少数です。しかし、その数は着実に増えつつあり、潮流はわれわれに有利な方向へ進みつつあります。

ところで、あなたの魂が目を覚ましたのは悲しい体験のお蔭だったのですよ」

「あの悲劇もある目的のためにもたらされたとおっしゃるのでしょうか」


「大きな悟りは大きな悲しみから生まれるものです。人生は“埋め合わせ”の原理によって営まれています。日陰のあとには日向があり、嵐になれば避難所が用意されます。光と闇、嵐と晴天、風と静寂――こうしたものはすべて大霊の配剤なのです。大霊は生命活動の全側面に宿っております。闇があるから光の有り難さがわかるのです。争いがあるから平和の有り難さがわかるのです。人生は比較対照の中で営まれています。魂は辛い体験、試練、苦難のるつぼの中で真の自我に目覚め、純化され、強化されて、より大きな人生の目的と意義を理解する素地が培われるのです」

「では、苦難は霊性の開発に必要なことを気づかせるために意図的にもたらされることがあるということでしょうか」


「そうです。魂がその深奥にあるもの、最高のものを発揮するには、さまざまな体験を必要とするからです。魂は永遠の存在であり、それまでの思念の一つ一つの結果、口にした言葉の一つ一つの結果、行為一つ一つの結果をたずさえており、結局今のあなたはあなた自身がこしらえた――一秒ごとに、一分ごとに、一時間ごとに、一日ごとに、一週間ごとに、一カ月ごとに、一年ごとに築いてきたことになるのです。自我の成長は自分で達成するのです。そして、行う行為の総決算があなたの現在の進化の程度を決めるのです。自分以外の誰にもそれはできないのです」

「意図的行為と無意識の反射的行為とは別のものでしょうか」


「反射的に行われたからといって、そこに因果律が働く余裕がなかったということはありません。その行為そのものが、因果律の存在を厳然と示しています。あなたの行為は現在のあなたという人格全体から生み出されるのです」

「その現在の人格は各自がこの地上で行ってきた行為の総決算だとおっしゃるのでしょうか」


「その通りです。これまでに行ってきたことの結果が今のあなたであり、今のあなたが行うことが未来のあなたをこしらえるのです。因果律は一瞬の途切れもなく、しかも完璧に働いています。完全にでき上がっていますから誤るということがありません。人間界では国家が定めた法律をごまかすことができますが、大自然の摂理をごまかすことはできません。なぜなら、魂にはそれまでの行為の結果が永久的に刻み込まれており、その有りのままの姿があなたであり、それと違うものに見せかけようとしても通用しません」

「間違ったことをした時は必ずそれに気づくものでしょうか」


「そうとは限りません。良心の声が聞こえない人がいますし、心が頑(かたくな)になっている人がいますし、魂が悪想念に取り巻かれて大霊の生命力の通路が塞がれている人がいます。人間は必ずしも自分の間違いに気づいているとはかぎりません。もし気づいているのなら、地上に戦争は起きないでしょうし、残酷な行為も見られないでしょうし、飢餓に苦しむ人もいないはずです。これほど多くの病気はないでしょうし、一方に飢えている人がいるというのに食べ放題のぜいたくをするということもしないはずです」

「それを改めるにはどうすればよいのでしょうか」


「あなたやわたし、ここに集える者と霊団の者全員が利己的な物質中心思想が生み出す不平等を撃破して、代わって大霊の恩寵をすべての子等に行きわたらせ、病気やスラム街、不健全なものや貧困、そのほか人間の魂と身体とを拘束するものすべてを何としてもこの地上から駆逐しようと固く決意することです。それらはみな間違ったことだからです。各自に内在する神性を自覚させ、人間として為すべきことは何であるかを、この地上を去る前に自覚させてあげないといけないのです」

ゲストの下院議員は多くのスピリチュアリストと同じように、動物愛護運動に深く係わっていた人である。そこで本章の締めくくりとして、かつてシルバーバーチが改革運動に係わった人々への霊界からの働きかけについて語ったものを紹介しておこう。


「わたしが説いていることは、過去のあらゆる時代に人類のために精励したすべての改革者、すべての聖人、すべての予言者、理想主義に燃えたすべての人々の先見の明がとらえた気高い崇高な考えと、まったく同じものです。

彼らはその霊格の高さゆえに霊眼をもって地上生活のあるべき本来の姿を垣間みることができ、その美しい未来像が、逆境と闘争の中にあって心の支えとなってきたのでした。彼らには、いつの日かきっと実現される霊的計画がわかっていたのです。そこで同胞である物質界の子等にとって、今のうちに少しでも霊性を高めることになる仕事に貢献したのです。奉仕です。

彼らは、皮肉にも、その奉仕的精神から正しい人の道を説いてあげた当の相手から貶(けな)され、抵抗にあい、嘲笑の的とされましたが、彼らの仕事は立派に生き続けました。それは今日世界中の無数の国において、この交霊会のようなささやかな集いの場において行われていることが引き継がれていくのと同じです。それにたずさわった人々は次々と忘れ去られていくでしょうけど……。

大霊の強大な勢力が今ふたたび地球という物質の世界へ向けられているのです。地上のいかなる勢力をもってしても、その強大な潮流を遮ることはできません。

地上の人間は流血によって問題が解決するかに考えるようですが、かつて流血によって問題が解決された例(ためし)はありません。無益であり、何の解決にもなっていません。

人間はなぜ神から授かった理性が使えないのでしょうか。なぜ唯一の解決法が一人でも多くの敵を殺すことだと考えるのでしょうか。いちばん多くの敵を殺した者が英雄とされる――地上というところは不思議な世界です」

祈り


ああ、真白き大霊よ。

わたしたちはあなたを永遠の生命のあらゆる現象の背後に働く無限の法則として説き明かさんとしております。古き時代にはあなたは歪められた眼鏡を通して見られておりました。嫉妬に狂う神、腹を立てる神、好戦的な神と思われたこともございました。

しかし、わたしたちは無限なる霊、あらゆる生命現象を通じて息づき、あらゆる自然法則の働きとしてご自身をお示しになっている存在として説き明かさんとしております。無限の叡智と理解力、愛と真理の大霊――弱き者、悩める者、挫折せる者を鼓舞することに精励する人々の生きざまを通じて顕現している大いなる霊として説くのでございます。

ああ、大霊よ。

あなたはたった一冊の書物の中にいらっしゃるのではありません。たった一つの教会(チャーチ)、たった一つの寺院(モスク)、たった一つの神殿(テンプル)、たった一つの礼拝堂(シナゴーグ)の中にいらっしゃるのでもありません。物質界の子等の有限なる理解力によって規定することも制約することも圧縮することもできない、広大無辺の霊でいらっしゃいます。

とは申せ、あなたは断じて子等とは無縁の遠き存在ではございません。まさに子等の内奥にましますのです。あなたの分霊(わけみたま)としてでございます。その分霊を通じてあなたはご自身を顕現なさらんとしておられるのでございます。子等の奉仕的生活を通じてあなたのご意志が発揮され、あなたの摂理が理解され、かくしてあなたの造化の大業の目的と同胞とのつながり、そしてあなたとのつながりについて子等が理解を深めるのでございます。

その理解の深まりとともに地上世界に新たなる光明、新たなる希望がもたらされます。平和が行きわたり、闘争がなくなります。利己主義が消え、悲しみが喜びに置き換えられ、生きるための必需品に事欠いていた人たちが真実の地上天国に生きることになるのでございます。

それがわたしたちが説き明かさんとしている大霊でございます。そのあなたの摂理を子等に教えんとしているのでございます。それを理解することによってこそ子等は俯仰(ふぎょう)天地に愧(は)じない生き方ができるのでございます。自らの力で束縛を解き放すことができるのでこざいます。奴隷のごとき卑屈な生き方を止め、膝を折ってあなたに媚びへつらうことなく、あなたからの生得の遺産を主張する――すなわちあなたのご意志を日常生活の中で発揮していく権利を堂々と主張できるのでございます。