Thursday, April 9, 2026

霊の書(3部) アラン・カルデック(編)

The Spirits' Book
第3部 摂理と法則
アラン・カルデック(編) 近藤千雄(訳)

1章 自然法則

このページの目次
〈自然法則の特性〉

――自然法則とは何でしょうか。


「神の摂理です。人間の幸せを保証する絶対的な摂理です。それが人間の為すべき事と為すべきでない事を示しており、それに逆らう者は苦しむのみです」


――神の摂理は永遠ですか。


「神ご自身と同じく永遠にして不変です」


――神の摂理は人間の倫理・道徳面だけに係わるものでしょうか。


「自然界の法則も全て神の摂理です。神が全存在の創造主だからです。科学の探求者は自然界の理法を研究し、善性の探求者はそれを魂の中に求め、そして実践します」


――人間はその全摂理に通暁できるのでしょうか。


「できます。ただし、たった一度や二度の地上生活では無理です」


――摂理は宇宙の全天体にわたって同一なのでしょうか。


「理性的に考えれば、当然、各天体の特殊性とそこに住む存在の発達程度に応じたものであるに決まっています」
〈自然法則の理解〉


――物的身体に宿る前の霊は、宿った後よりも神の摂理を明確に理解しているのでしょうか。


「到達した霊性の発達レベルに応じた理解をしており、身体に宿った後も直覚的な回想力を保持していますが、低劣な人間的本能がそれを忘れさせます」


――その摂理の理解は霊のどこに刻み込まれているのでしょうか。


「良心(善悪の分別力)です」


――良心に刻み込まれたものを、なぜ改めて啓発する必要があるのでしょうか。


「低劣な本能のせいで忘却したり誤解したりしているからです。人間がそれを思い出してくれるようにというのが神の御意志です」


――神はそうした摂理を外部から啓示する使者を派遣しておられるのでしょうか。


「もちろんです。あらゆる時代にその使命を授かった者がいます。霊性の高い霊で、人類の発達を促進する目的で地上へ降誕しています」


――そうした使者の中で模範とすべき最も完全に近い人物は誰でしょうか。


「ナザレのイエス」


訳注――カルデックの背後霊団がスピリチュアリズム、すなわち地球浄化の大事業の一翼を担っていたことは改めて指摘するまでもないであろう。巻頭の《カルデックへの霊団からのメッセージ》に「イエスの偉大なる愛の原理のもとに集える我々は」云々……とあるのを見ても明らかである。スピリチュアリズム運動の最高責任者がほかならぬあのナザレのイエスであることはシルバーバーチもインペレーターも明言している。

そのイエスは一体どういう風貌をしていたのだろうか。数多いインディアンの指導霊の一人であるホワイト・ホークが叙述しているところを紹介しておくと「体格はすらりとして品があり、髪はコーン色(浅黄)、顔は色白で卵形、わずかに頬が張り、髪よりも黒みがかったクリ色のアゴひげをたくわえていた。腕はほっそりとしていたが強靭で、容貌は優しさの中に憂いをたたえ、いつも紫色のマントをまとっていた。」
〈善と悪〉


――道徳的摂理とはどう定義づけたらよいでしょうか。


「道徳的摂理とは正しい行為を判断するための規準です。言い変えれば、実践において善と悪とを分別するための規準です。神の摂理の遵守が基本です。行為の動機と規準が善を志向するものであれば、その行為は正しいと言えます。神の摂理を遵守したことになるからです」


――善と悪との分別は何を規準にしたらよいのでしょうか。


「善とは神の摂理に適ったものであり、悪とは神の摂理から逸脱したものです。正しい行為とは神の摂理に適ったことをすることであり、過った行為とは神の摂理を侵害することです」


――人間には自ら善悪を弁(わきま)える能力がそなわっているのでしょうか。


「その両者を弁別するための直観的判断力(良心)が授けられています」


――自分では正しいと思っても間違っていることがあります。


「イエスが言っております――“自分がしてもらいたいと思うように他人にもしてあげなさい”と。道徳的摂理の要諦はこの言葉に尽くされております。これを行動の規準にすることです。決して間違えることはありません」


――それは言わば相互依存の関係であり、自分自身に対する個人的な行為には当てはまらないと思うのです。自分自身への行為の善悪にも判断の規準があるのでしょうか。


「食べ過ぎると胃腸の調子がおかしくなります。神はその不快感をもって各自の限度の規準としています。その限界を超えると神が罰するということです。同じことが他の全てのことについて言えます。何事にも摂理によって必要限度というものが設定されており、それを超えると自動的に苦しみが生じて罰せられます。“それで十分”という神の声に人間が耳を傾けるようになれば、天災と思い込んでいる地上の災害の大半が未然に防げるはずです」


――善と悪は全ての人間にとって絶対的なものでしょうか。


「神の摂理は全ての人間に分け隔てなく働きます。が、罪悪はその実行に当たっての魂の欲望の中に潜んでいます。善はあくまでも善であり、悪はあくまでも悪であり、地位や職権には関係ありません。異なるのは責任の度合いです」


訳注――シルバーバーチは「罪は動機によって決まる」と一貫して述べている。ここでは「その実行に当たっての欲望」という難しい表現をしているが、煎じつめれば“動機”という用語に含まれているのではなかろうか。誉れ高き地位や名声を手にすると、善悪の判断に際してそれを失うまいとする欲望が先走り、良心との葛藤が渦巻く。しかし、シルバーバーチ曰く――「良心が命じることは、たとえその方向へ進むと物的には不遇になることが分かっていても、迷わず従いなさい。最後はきっと良いようになります。難しく考えることはないのです。これほど簡単な話はありません。」

とは言え、肉体をまとって地上の人間になってしまうと、それがそう簡単に行かない。“低劣な人間的本能”が邪魔をするのであるが、逆に考えると、だからこそ地上の物的生活の意義もあるのではなかろうか。


――すでに罪悪のタネが蒔かれていて、たまたま置かれた地位や立場上その責任を負わざるを得ないことがあります。この場合、最大の咎めを受けるのは誰でしょうか。


「最初にタネを蒔いた者です。罪悪そのものに対して責任を取らされるだけでなく、図らずもそのトラブルに巻き込まれた者がこうむった苦しみに対しても責任を問われます」


――反対に、自分は直接手を染めなかったけれどもその罪悪によって利益を得た者は、直接参加した場合と同じ罪に問われるのでしょうか。


「その通りです。罪による利益を手にした者は、罪を犯したのと同じです。仮に気が咎めて直接犯罪行為に加わらなかったとしても、実際に犯罪が実行され、その結果として得られた分け前を懐にすれば、直接参加したのと同じです」


――心に罪悪の思念を宿すということは、それを実行した場合と同じ罪に値するのでしょうか。


「それはそのケースによりけりです。犯意を抱きながらも、やはりいけないと必死に抑制した場合、これは立派です。しかし、同じく実行しなかった場合でも、実行するチャンスが無かったというのでは、これは罪を犯したのと同じです」


――置かれた立場上、善行のチャンスがないという人はいないでしょうか。


「善行のチャンスがない人間は一人もいません。もしいるとすれば、それは利己主義者のみです。人間関係が全く無いというのならともかく、毎日のように他人と接するチャンスがある生活環境においては、よほどの利己主義者を除いて、何らかの善行のチャンスはあります。善行というのは人に物を上げることを言っているのではありません。どんな形でもよろしい、他人の役に立つことをすることです」


――試練として悪徳の巷に生をうけた場合、悪への誘惑が抗し切れないものとはならないでしょうか。


「強烈ではあっても抗し切れないことはありません。悪徳の環境の中で徳性の高い行いを実践してみせる人はいます。そういう人は霊格の高い霊の生まれ変わりで、その程度の誘惑に負けないだけの霊力を身につけていますから、試練に打ち克つと同時に、周囲の人々に気高い影響力を行使する使命も果たします」


――徳行の価値の高さは、それを実行する環境の厳しさによって計られるものなのでしょうか。


「有徳の行為の価値は、実行の困難さによって決まります。克己も奮闘努力もなしに簡単に成就できるものは何の価値もありません。神は金持ちによる山ほどの供物よりも貧者による一切れのパンの方を嘉納されます。それをイエスは“寡婦の賽銭”の寓話で語っております」(新約聖書マルコ伝12)

霊の書(2部) アラン・カルデック(編)

  The Spirits' Book

第2部 霊の世界
アラン・カルデック(編) 近藤千雄(訳)



10章 生命の四つの形態

このページの目次

〈鉱物と植物〉

――自然界の生命を鉱物と植物と動物、それに人類の四つに分ける説と、有機的生命と無機的生命の二つに分類する説とがありますが、どちらがよろしいでしょうか。


「どちらでも結構です。どちらにするかは観点の違いでしょう。物質に観点を置けば有機物と無機物の二つだけになります。生命に観点を置けば四つになることは明らかです」


――植物にも存在の意識があるのでしょうか。


「ありません。思考作用はありません。有機的生命活動のみです」


――感覚はあるのでしょうか。むしり取られたら痛みを感じるのでしょうか。


「植物は物的に反応する感覚はありますが、知覚はありません。従って痛みは感じません」


――オジギソウのように素早く反応する草や食虫植物のようにワナを仕掛ける植物には思考力があるのではないでしょうか。この種のものは植物と動物の中間に位置していて、次の段階へ変移しかかっているのではないでしょうか。


「自然界の全てのものが変移しています。種(しゅ)が全て異なり、それでいて全てがつながっているという事実がそれを物語っています。植物には思考力はありません。従って意志もありません。カキやイソギンチャクのような海中動物も意志があるかのような反応を示しますが、思考力はありません。自然の本能だけです」


――植物には自分に役立つものを摂取し害になるものは避けるという本能があるのではないでしょうか。


「それを本能と呼びたければそう呼ばれて結構です。本能という用語をどこまで拡大解釈するかによって違ってきますが、あれは純粋に機械的なものです。ご存じのように化学物質の中には簡単に結合するものがあります。親和性があるからですが、それを本能とお呼びになりますか」


――上層界へ行けば植物も完全に近づくのでしょうか。


「上層界では何もかもが完全に近づくことは事実です。が、動物があくまでも動物であり、人間があくまでも人間であるように、植物はあくまでも植物です」
〈動物と人間〉


――動物は本能だけで行動していると言えるでしょうか。


「大半の動物において本能が圧倒的に支配していることは事実です。ですが、動物が頑とした意志で行動するのを見かけませんか。あれは知性が働いている証拠です。しかし極めて限られています」


――動物にも言語があるのでしょうか。


「“言語”の意味が単語や音節でできたものということでしたら、そういうものはありません。が、仲間どうしでのコミュニケーションという意味でしたら、それはあります。あなた方が想像する以上に言語を発しています。が、その内容は身体上の欲求に限られています」


――動物にはその行為に関して自由意志がありますか。


「あなた方が想像するほど機械的ではなく自由意志の要素もありますが、それは身体的な欲求に限られており、人間の自由意志と比較することはできません」


――ある程度の行動の自由があるということは知性があるということになりますが、そうなると物質から独立した生命素があるのでしょうか。


「その通りです。それが死後に残るわけです」


――その生命素は人間の魂と同じものですか。


「“魂”をどう定義づけるかによって違ってきますが、そう呼ばれても結構です。ただし人間の魂よりは下等です。人間の魂と動物の魂の違いは、人間の魂と神との差ほどの大きな違いがあります」


――動物の魂は死後にも個性と自我意識を維持していますか。


「個性は維持していますが、自我意識はありません。知的生命は潜在の状態にあります」


――動物の魂が死後にも存在するとなると、人間の魂と同じようにさすらいの状態があるのでしょうか。


「身体につながっていないために一種のさすらいの状態にあると言えますが、“さすらいの霊”とは意味が違います。さすらいの霊は自由意志で考え行動します。動物にはその能力はありません。霊の基本的属性は“自我意識”だからです。動物には自我意識はなく、死後その魂はその道の担当の霊によって種ごとに分類され、すぐさま活用されます」


訳注――最後の“活用され”るのは何の目的に活用されるのかが言及されていない。そこが知りたいところであるが、他の霊界通信によると、種ごとの類魂に吸収され、類魂全体としての進化に寄与するという。


――動物にもある程度の知性があるとおっしゃいましたが、それはどこから摂り入れるのでしょうか。


「宇宙の普遍的要素からです」


――すると、人間の知性も動物の知性も同じ始源から発しているのでしょうか。


「もちろんです。ただ違うのは、人間の知性はそれに磨きがかけられて進化しているということです」


――そうなると魂は下等な段階の創造物の知的要素だった時期もあることになりそうですが……。


「自然界は全てがつながっていて一体化へ向かっていると申し上げたことがあったはずですが……あなた方には全てを知ることは不可能ですが、その下等な段階の創造物の知的要素に磨きがかけられ、少しずつ個別化され、発芽現象に似た一種の準備段階をへて形質変換が行われ、ようやく“霊”となったのです。各霊が未来時制の感覚と善悪の判断力、そして自己の行為に対する責任意識をもって生きることを始めたのはその時からです。人間が、誕生後、幼児期から青年期、成人期、そして老成期へと変化するのと同じです」


――人間の身体に宿ったことのある霊が動物の身体に宿ることがありますか。


「ありません。そのような再生は退化を意味します。霊は決して退化しません。川の水が水源に逆戻りすることはありません」(第二部・一章〈霊の進化〉の項参照)

シルバーバーチの霊訓(二)

 Silver Birch Speaks

Edited by Sylvia Barbanel


十二章 病気とカルマ(宿業) ───エドワーズ夫妻を迎えて───

 心霊治療家として世界的に知られているハリー・エドワーズ氏が夫人とともに招かれた。まずエドワーズ氏が次のような謙虚な質問をした。

 「私がいつも関心を抱いているのは私たち治療家に何が治せるかではなくて、どうしても治せずにいる病気のことです。どうすればより多くの病を治し、どうすればそちらの世界の人との協力関係を深めることができるでしょうか」

 「私たちは偉大にして遠大な目的に向かって協力し合っております。その目的とは薄幸の人々、虚弱な人々、苦痛にあえぐ人々、寄るべなき人々、悲嘆に首をうなだれ胸を塞がれる思いをしている人々に少しでも援助の手を差しのべてあげることです。霊の力は人間を媒体として注ぎこむ機を窺っております。

その機を見つけると、病気の場合であれば治癒力を見せつけることによって、人間の協力さえ得られれば見えざる世界の威力と光明とをもたらすことができることを示します。

 霊の力はすなわち生命力です。生命があるのは霊があるからこそです。霊は生命であり、生命は霊です。この荘厳にして途徹もなく広大な宇宙を創造した力も、あなた方を生かしめ、これから後もずっと生かしめていく力と同じものです。

又、あなた方が愛し合い、物を思い、心を遣い、判断し、反省し、決断し、勘案し、熟考し、霊感を受け、人間的情感の絶頂からドン底までの全てを体験させる力、それは霊の力なのです。

 あなた方の一人一人が神であり、神はあなた方一人一人であると言えます。程度の差があるだけで、その本質、実質においては同じです。人間は言わばミクロの神です。

その神の力が病人を癒すのです。その力を分析してお見せすることはできません。何で出来ているかを説明することもできません。私に言えることは、それが無限の形態をとって顕現している───なぜなら生命は無限だから、ということだけです。

 霊媒現象の全てに共通した問題は、その霊的エネルギーのコントロールです。どのエネルギーがどれだけ発現できるかはその時の条件一つに掛かっています。言いかえれば、その霊媒の有する資質と、それをより大きく効果的にするための修行をどこまで心掛けるかに掛っています。

私たちの側においても常に新しいエネルギー、新しい放射線、新しい可能性を徐々に導入しては実験(ため)しております。

 ですが、そうしたものも霊媒の身体的、精神的、霊的適性によって規制を受けます。受容力が大きければ、それだけ多くのものが導入されます。小さければ、それだけ制限されることになります。

 霊力そのものは自然法則によるもの以外には何一つ制約はありません。自然法則の枠組みから離れて働くことだけはできないのです。が、その枠組みというのが途方もなく広範囲に亘っており、これまで地上の霊媒を通じて顕現されてきたものよりはるかに多くのものが、いまだに顕現されずに残されております。

 私が指摘しておきたいのは、多くの真面目で信心深い人々が神の力がバイブルに記録されている古い時代にその全てが顕現され尽くしたと思い込んでいるのは間違いだということです。

啓示もそれ以来ずっと進歩し続けております。現代の霊媒を通して顕現されている霊力の方が過去の時代のものに較べてはるかに偉大です。

 さてあなた(エドワーズ氏)は豊かな恩恵に浴しておられるお一人です。あなたのすぐ身の回りで働いている霊の姿をご覧になる視力があればよいのにと思われてなりません。

背後霊の存在に確信を抱き、あなたを導く霊力に不動の信頼を置いておられますが、その背後霊が誰でありどんな人物であるかをご覧になれたら、もっともっと自信を持たれることでしょう。

(エドワーズ氏の背後霊団の中心的指導霊は十九世紀の英国の外科医で消毒殺菌法の完成者J・リスターとフランスの化学者で狂犬病予防接種法の発見者L・パスツールであると言われる。なおエドワーズは一九七六年に他界している───訳者)

 私のような古い霊が確信をもって言えるのは、あなたの地上生活は今日の絶頂期を迎えるべく、ずっと導かれてきているということです。意図された通りのものを今まさに成就されつつあります。今まさにその目的に辿り着かれました。背後霊団があなたの協力を得て初めて成就できる仕事に携わっていることを喜ぶべきです。

 以上の私の話に納得がいかれましたか」

 「よくわかります。ただ、そうなると二つの疑問が生じます。一つは、背後霊団はもう少し私たち治療家を効果的に改良できないものかということです。例えば両足とも不自由な子供がいるとします。

一方の足は良くなったのに、もう一方の足は良くならないことがあります。どこに問題があるのでしょうか。私は治療家の側に問題があるに違いないと思うのです。なぜなら、一方の足が治せれば当然もう一方も治せなければならないからです」

 「治療家が望む通りの結果、あるいは治療霊団がその時に目標としたとおりの成果が得られるとは限りません。霊媒(治療家)を通して得られる限られた治療エネルギーでもって最大限の治療効果をあげなければなりません。一つの治療に全部のエネルギーを集中すれば一気に効果を上げられるかも知れません。が、次の治療のためのエネルギーを溜めるのに長い時間を要することになります。

 一つ一つが実験だと私は言っているのです。治療霊団も前もってこれはこうなるという保証はできません。効果が出ることはわかっても、どこまで治るかはわかりません。

前もって知ることのできない要素がいくつもあるからです。それは治療活動を制約することになるかも知れません。ですが、それまで少しも治らなかったものに治る兆しが見えるだけでも喜ぶべきことです。

 それは立派な貢献と言えます。それだけでもあなたは堂々と背後霊団に向かって〝さあ、この私を使って下さい。みなさんを信じています。あなた方の言う通りに致します〟と公言する資格があります。もちろんあなたのもとに連れて来られた患者が魔法のように即座に治ればこんなにうれしいことはありません。が、それは有り得ないことです。

 問題がいろいろとあるのです。この仕事も言わば開拓者的(パイオニア)な分野に属します。あなたに協力している霊団は一つ一つの症状の変化を知った上で、さらにテクニックを改良し効果を上げるために他の要素を導入しようと急がしく立ち働いております。治療に当たるたびに症状が改善されているのを観察されているはずです」

 「おっしゃる通りです」

 「協力関係が密接であるほど、多くの霊力が伝達されるのが道理なのですが、それを制約する要素としてもう一つの問題が絡んできます。

論議の多い問題に踏み込むことになるのは百も承知ですが、それが事実であるからには黙って見過ごすわけには行きませんので敢えて申し上げますが、どうしても避けられない要素の一つに患者のカルマ(宿業)の問題があります。当人の霊的成長の度合いによって決められる精神と身体の関係です。お分かりでしょうか」

 「どうぞその先をお話し下さい」

 「そうおっしゃると思っていました。これは実に重大な問題であり、あなたにとっても意外に思われることも含まれております。心霊治療の仕事の大切な要素は身体を治すことではなくて魂の琴線に触れさせることです。魂を目覚めさせ、身体への支配力を大きくさせ、生きる目的を自覚させ、霊的存在としての本来の自我を表現させることに成功すれば、これは治療家として最大の貢献をしたことになります。

 そのことの方が身体を治すことより大切です。それが治療家としてのあなたの努力として、永遠に残る要素です。人間は精神と肉体と魂とが一体となったものです。これに、その三者が互いに絡み合って生じる要素もあります。その影響を無視してはいけません。

 病気というのはその大半は主として精神と肉体と魂との間の連絡が正しく行われていないことに起因しています。正しく行われていれば、つまり完全な一体関係にあれば完全な健康と安定性と落ち着きと機敏性を具えています。もっとも、そういう人物は地上では滅多にお目にかかれません。

 さて、あなたのもとを訪れる患者はその人なりの霊的成長段階にあります。人生という梯子の一つの段の上に立っているわけです。それがどの段であるかが、その人に注がれる治癒力の分量を決します。それが私のいうカルマ的負債です。

 (その負債が余りに大きくて)あなたにも手の施しようのない人がいます。肉体を犠牲にする、つまり死ぬこと以外に返済の方法がない人もいます。もう一度チャンスが与えられる人もいます。そんな人があなたとの縁で完治するということになる場合もあります。精神的要素のために治らない人もいます。そんな場合は一時的に快方に向かっても、また別な症状となってぶり返すでしょう」

 「ということは、カルマ的負債の方がその人に注がれる治癒力より大きいのだと思います」

 「おっしゃる通りです。私はぜひその点を強調したいのです。それが当人に賦課された税金であり、自分で綴っている物語(ストーリー)であり、その筋書きは他の何ものによっても書き変えることはできないということです。初めに私は全ては法則のワクの中に存在すると申し上げました。

何ごともそれを前提として働きます。人間のいう奇跡は生じません。自然法則の停止も変更も廃止もありません。全てが原因と結果から成り立っております。そこに自由への制約があります。

もしも因果関係がキャンセルできるとしたら、神の公正が崩れます。治療家にできることは魂を解放し、精神に自由を与えてあげることです。その結果が自然に身体に現われます」
                   
 「それがカルマ的負債を返済する手助けをしてあげることになるのでしょうか」

 「そのとおりです。私が心霊治療家はその患者の魂の琴線に触れ、自我に目覚めさせ、生きる目的を自覚させることが一ばん重要な役目であると申し上げる理由はそこにあります」

 「私たち治療家が例外なく体験することですが、心の奥底からのよろこび、高揚、崇高な情感、崇高な理念が湧き出るのを感じることがあります。あなたがおっしゃるのはその時のことだと思います」

 「天と地とが融合した極限の瞬間───あっという間の一瞬でありながら全ての障壁が取り除かれたとき、人間は自分本来の霊性を自覚します。全ての束縛を押し破り、霊の本来の感覚であるところの法悦(エクスタシー)の状態に達するのです」


 ここでエドワーズ氏が再びカルマ的負債の問題を持ち出すと、シルバーバーチはスピリチュアリズムの本来の大きな使命にまで敷衍してこう述べた。

 「あなたも私も、そしてこれに携わる人のすべてがそれぞれに役割分担を担っているスピリチュアリズムの全目的は、人類の魂を呼び醒まして一人でも多くの人間に本当の自分に気づかせること、自分とは一体なにか、誰なのかを知ることによって、ふだんの日常生活の中において霊の本性と属性を発揮することができるように導いてあげることです。

 それによって地上生活のすべてが姿を一変し、利己主義という名の雑草の生い繁る荒野から理想の花咲くパラダイスへと変わることでしょう。

われわれは今それを目標として努力しているのであり、まずまずの成功を収めつつあります。光明を見出す人、真の自我に目覚める人、物的な居眠りの生活から目覚める人───こうした人は人間本来の道を見出し、確信と知識とを携えて巡礼の旅に出る魂であると言えましょう」

 この言葉に感動したエドワーズ氏が「これだけお教えいただけば十分です。治るということ自体は重要ではないということですね」と述べると、

 「私たちスピリットが人間の苦しみに無関心であるという意味ではありません。病を抱えた人々の悲劇や苦痛や侘しさに無頓着でいるわけではありません。が、そうした問題の究極の原因に手をつければ、精神と身体と霊との間の不調和に終止符を打つことができ、そうなれば地上生活が必要としている光輝がふんだんに注がれるのです。

神の子が享受すべく意図されている本来のもの───気高かさ、崇高さ、威厳、豊かさ、光輝、美しさを見出すことでしょう。

 こうした生活の末に死を迎えれば、来世に備えるための地上生活の大役を果たした肉体を何の苦痛もなく脱ぎ捨てて、らくに霊界への門を潜り抜けることができます」


 このあとエドワーズ氏の奥さんの方を向いてこう述べた。

 「これまでに成就されたことを奥さんも大いによろこんでください。今この場に集まっている霊界の(エドワーズ氏の)治療霊団の方が、奥さんの果たされた犠牲的な役割に対して抱いている感謝の気持ちをぜひ私の口から伝えて欲しいと頼んでおられますよ」

 これを聞いて奥さんが「自分はこんなことでよいのだろうかと時に迷ったこともありました」と述べると、シルバーバーチはさらにこう述べた。

 「私は、私よりはるかに奥さんを知り尽くしているスピリットから頼まれて申し上げているだけです。霊団の人たちはあなたの心、あなたの精神、あなたの魂を知りつくし、さらにあなたが捧げられた忠誠心と愛の強さもよく知っております。

 その人たちが言っているのです───ご主人の使命達成を可能にした蔭からのあなたの助力に対する感謝の気持ちをぜひ伝えてほしいと。一方が脚光を浴びる立場にあれば他方はその蔭にいなければなりません。蔭の存在なくしては脚光を浴びる人もいないでしょう。

 私たちの目から見れば、人のために為された貢献は、黙って人知れず為されたものであろうと大勢の観衆を前にして華々しく為されたものであろうと、その評価にはいささかの違いもありません

Wednesday, April 8, 2026

霊の書(2部) アラン・カルデック(編)

  The Spirits' Book

第2部 霊の世界
アラン・カルデック(編) 近藤千雄(訳)


9章 霊の仕事と使命

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〈霊にとっての仕事〉

――霊は向上・進化のための体験以外に何か仕事があるのでしょうか。


「神の意思を成就させることによって宇宙に調和をもたらすべく協力し合っております。つまりは神の使徒というわけです。霊の生活は絶え間ない仕事の連続ですが、仕事といっても地上における辛い労務とはまったく異なります。身体的疲労もありませんし、身体の欲求(飲食等)を耐え忍ぶということもありません」


――低級霊や未熟霊にも宇宙における役割があるのでしょうか。


「全ての霊に何らかの仕事があります。偉大な設計者による壮大な殿堂も、名もない大勢の石工(いしく)がいてこそ建てられるのです」


――各霊に特有の属性があるのでしょうか。


「霊は宇宙のすみずみまで統括することによって最終的には全ての地域に住み、全ての事についての知識を獲得しなければなりません。しかし『伝道の書』にもあるように“天が下の全ての事には季節があり”ます。かくして、ある霊は今は地上にあって自分の運命を成就しつつあるのであり、またある霊は別の時節に地球上で、水中で、あるいは空中で、それぞれの運命を成就するであろうし、すでに成就し終えた者もいるわけです」


訳注――『伝道の書』は旧約聖書にある十一章から成る比較的短い書で、エルサレムの王だった伝道者の言葉といわれる。ちなみに右の引用文の続きをもう少し紹介すると――

“天が下の全ての事には季節があり、全ての業には時がある。生まるるに時があり、死するに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり” 云々……。


――霊は絶え間なく仕事に従事しているのでしょうか。


「絶え間なく、ですか? 霊は思念で生活しており、思念は活動を止めることがないことを理解していただけば、そうですと申し上げます。ただし、人間の職業と同じものを想像してもらっては困ります。自分が役に立っているとの意識を通して、活動そのものに喜びを覚えるのです」


――それは善霊に関しては容易に理解できますが、低級霊についても同じなのでしょうか。


「低級霊は低級霊で、その霊性に似合った仕事があります」
〈霊にとっての使命〉


――霊がある使命を言いつけられた場合、それはさすらいの期間中に果たすべきものなのでしょうか、それとも再生して成就することもあるのでしょうか。


「両方のケースがあります。さすらいの状態にある霊でも使命を託されて忙しく活動している場合があります」


――どのような使命でしょうか。


「いろいろとあって一概には言えません。それに、人間に理解できない仕事もあります。霊は神の意思を代行するのであり、人間にはその神の意図の全てに通暁することは不可能です」


――霊は託された神の意図をきちんと理解できているのでしょうか。


「そうとは限りません。わけも分からずに携わっている者もいます。が、その意図されていることをしっかりと理解している者もいます」


――それは強制的に課せられるのでしょうか、それとも自由意志で引き受けるのでしょうか。


「自ら求めます。そして、それが許されれば喜びます」


――同じ使命に何人もの霊が志願することもあるのではないでしょうか。


「あります。一つの使命に数名の志願者がいる場合もあります。が、志願者の全てに同じものが与えられることはありません」


――使命をもって再生する場合の使命とはどのようなものでしょうか。


「人間を教育し、向上・進化を促し、また間違った慣習を改めることに直接携わります。もっとも、こうした使命は高尚で重大なものですが、その配下でコツコツと働く陰の功労者がいることも忘れてはなりません。世の中の全てがどこかでつながっているものです。霊は再生して人間的形体に宿って霊性を磨く一方で、神の計画の推進にも寄与しているのです。一人一人に使命があり、何らかの形で役立つものを秘めているからです」


――怠惰な人生を送っている者がいますが、そういう人間にも使命は授けてあるのでしょうか。


「人間の中には、一生涯、自分のためにだけ生きて、何一つ世の中のために貢献しない者がいることは事実です。実に哀れむべき人間で、その無為の生涯への償いとして大変な苦しい目に遭うことでしょう。しばしば今生(こんじょう)にあるうちにそれが始まります。厭世観と嫌悪感に嘖(さいな)まれます」


――人間が何か有意義な仕事を成し遂げた場合、それは再生前から使命として決まっていたことなのでしょうか。前もって決まったことを再生後に使命として授かることもあるのでしょうか。


「人間のすることが全てあらかじめ使命として命じられていたこととは限りません。人間界のために何か有意義なことをしたいと思っている霊が、適当な人物を利用して成し遂げることがよくあります。

例を挙げますと、あるテーマについて一冊の本を書きたいと思っている霊がいるとします。その霊は適当な人物を物色してそのテーマを吹き込み、構想を授け、そして書かせます。この場合、その書物の出版は使命だったわけではありません。

同じようなことが科学の発明・発見や芸術の分野でもよくあることです。肉体の睡眠中に、再生中の霊とさすらいの状態の霊とが直接会って、そうした構想について語り合うこともあります」


――人類に多くの真理をもたらした天才的霊能者が人間的に大きな過ちを犯したり、貴重な真理と同時にとんでもない間違った思想を説いている人がいます。こういう人たちの場合、使命とは何だったのでしょうか。


「自分で自分を裏切ったということです。引き受けた仕事に耐え切れなかったということです。ただし、そうした先輩を批判する時に考慮しなければならないのは、彼らが置かれた時代的背景です。天才的霊能力はあっても、その時代のレベルに合わせて語らねばならなかったということです。後世の者の目から見れば間違っており幼稚に思えても、その時代としてはそれで十分だったのです」


――親となることも使命であることがありますか。


「ありますとも。しかも重要この上ない義務でもあります。その義務の遂行は人間が想像するより遥かに大きく将来に重大な影響を及ぼします。

そもそも神が両親に子を授けるのは、後見人としてその子がまっとうな人生を送るように指導と監督をさせるためです。子供がか弱くデリケートにできているのは親の関与を多く必要とさせるためで、それだけ子供は親を通して新しいものを得るわけです。ところが現実には多くの親は“我が家”中心に考えて、一人間として立派な性格の子に育てるよりも、金(かね)のなる木になってくれるように腐心します。

その結果としてもしもその子が親のエゴの通りの人間になったとしたら、それは親としての信義に背くものとして罰を受けると同時に、いびつに育ったその子がこうむる苦しみの数々の責任も問われます。親としての本来の義務を遂行しなかったからです」


訳注――このあと細かい質問が幾つか続くが、いずれもこれまでの返答に出たものばかりで、通信霊も「神は公正です」という一言でぶっきら棒に片づけているのもある。霊格の高い親があえて邪悪な霊を我が子に迎えることもあれば、その逆もある。前世あるいは前々世と絡んだ問題であるから、いちいち具体例を挙げていったらキリがない。

シルバーバーチの霊訓(二)

 Silver Birch Speaks

Edited by Sylvia Barbanel


十一章 新しい世界

 「私がしつこいほどみなさんに申し上げていることは、われわれは一人でも多くの人に手を差しのべなければならないということです」───こう述べてシルバーバーチは霊界の計画が世界的規模で推進されていることを指摘する。

 「私たちが携えてきたお土産をよくご覧になって下さい。いつまでも色褪せることのない、目も眩まんばかりの宝ものばかりです。その光輝はいつまでも輝き続けます。われわれのしていることに目を向けはじめる人の数がますます増えつつあります。莫大な規模の計画が用意され、われわれもその一部が割り当てられております。

克服しなければならない困難があることでしょう。取り除くべき障害物もあることでしょう。が、われわれ戦勝軍はひたすらに前進し続けております。

 長いあいだ圧制し続けた勢力も今となってはもうわれわれを圧制できなくなっております。過去幾世紀にもわたってわれわれに抵抗してきた勢力───正直に言わせていただけば唯物主義者と神学に凝り固まった宗教家たちは、全て退却の一途を辿りつつあります。

彼らの内部において混乱が生じ、時代とともに信じる者の数が減少の一途を辿っております。それにひきかえ、われわれはますます勢力を強めていきつつあります。真理、神の真理、永遠の真理が味方だからです。それを武器とした戦いに敗戦は決してありません。

 時に後退のやむなきに至ることがあるかも知れません。が、それも一時のことです。そのうちきっと失地を取り返し、結局は前進の一途を辿ります。この仕事に携わる人に私が決して絶望しないように、決して懐疑の念を抱かぬように、決して恐れないようにと申しあげるのはそのためです。

あなた方の背後に控える霊の力は、あなた方の想像も及ばないほど強力にして威厳に満ちているのです。前途に立ちはだかるものが何であろうと、困難が如何なるものであろうと、いつかは必ず取り除かれ、計画の推進とともに真理普及に必要なものは必ず授かります」



 ここで古くからのメンバーで第二次大戦に出征して無事生還した人がシルバーバーチに礼を述べた。実はこの人が出征する前───Dデー(※)の前から───シルバーバーチはこの方は真理普及のために必ず生きて帰りますと語っていたのである。(※連合軍による北フランス攻略開始日すなわち一九四四年六月六日のこと──訳者)礼を言われたシルバーバーチはこう語った。
 

 「そのことに関連して、私がなぜあなたのように私のもとに導かれてきた方に特別の関心をもつかを説明いたしましょう。(たとえ戦争の最中といえども)ものごとには偶然というものはないということです。特に私たちが携わっているこの仕事に関しては明確にそれが言えます。

途轍もなく大きな仕事がわれわれの双肩にかかっているのです。われわれの一人一人が地上世界の新生のための役割を授かっているのです。

 いつの時代にも地上に霊的真理が途絶えることのないように遠大な計画が推進されております。その計画の基礎はすでに確固たるものが出来あがっております。烈しい抵抗にあっても、悪口雑言の中にあっても、誤解されても、新しい真理の広がることを快く思わぬ者による敵意を受けながらも、霊の力は着々と地上に注がれつつあります」

 「決して新しい真理ではないでしょう」 と兵役から戻ってきたメンバーが言うと、
 「全ての真理と同じく、これも新しく且つ古いものです。まったくオリジナルなものという意味での新しい真理は存在しません。表現の仕方において新しいということはできます。つまり一点の疑問の余地もないまでに立証する証拠を伴っているという意味では新しいと言えます。

 霊的真理に実証的事実を添えたということです。かつては霊的真理は霊的手段によって理解するのみでした。それが今あなた方の時代においては物質の世界に身を置く者による挑戦に同じレベルで対処できるようになった───つまり霊的真理が五感によってその真実性を立証されることになったわけです。その意味で新しいわけです」

 「それもそうですが、イエスは二千年前に今日の霊媒が見せている実際の証拠を数多く見せています」 

「それは二千年前の話です。あなたはそうした現象に対して異常なほど懐疑的な人間の多い時代に生きておられます。その懐疑的な人間の中にはキリスト教界でもきわめて名の知られた方もいます。彼らはひそかに、ときには公然と、バイブルの中の霊的事象を必ずしも信じていないことを認めております」


 「懐疑的になるのも已むを得ないとは思われませんか」

 「思います。私は決して正直に疑う人を非難しているのではありません。もともと神は人間に理性的判断を賦与しております。それは日常生活において行使すべく意図された神からの授かりものです。理性を抑圧して理不尽なものを信じさせようとする者は光明へ逆らって生きていることになります。

理性に従う人間はその過程がいかに苦痛でいかに困難であろうと、そして又その結果、神聖にして侵すべからざるものと教え込まれた聖典に記されているものを放棄せざるを得なくなったとしても、少なくとも自分には正直であると言えます。

 (バイブルの時代においても) 霊的真理を現象によって実証し、見る目を持つ者、聞く耳を持つ者、触れる手を持つ者に一点の疑いもなく霊的真理の実在性を納得させようとの計画があったのです。

現に、交霊会での現象はバイブルの中の現象の多くを確認させております。もっとも全てが一致することは望めません。なぜなら、よくご存知の通り、バイブルは真理に身を捧げるのとは別の魂胆を持つ者の手によって骨抜きにされ、改ざんされてしまっているからです。

 われわれの目的は言わば宗教のリハビリテーションです。宗教を無味乾燥で不毛の神学論争から救い出すことです。

宗派間のいがみ合いから救い出し、教理上の論争を超越して、実証的事実の基盤の上に真の宗教を確立し、霊界からの啓示を今ますます増えつつある霊媒を通して地上に普及させ、あらゆる地域の人類に神が今なお働いていること、その恩寵は決して過去の時代にかぎられたものでなく、今日でも、どこにいようと、誰であろうと、同じ恩寵に浴することができることを知らしめる───そういう計画があるのです」

 「その霊的知識が地上に普及されたあともなお、地上と霊界とのつながりは続くのでしょうか」
 「続きます。水門が開かれればどっと水が流れ込みます。そして同時に、その水門が閉じられないようにしなければなりません。霊媒というチャンネルが増えれば増えるほど霊的真理という活力あふれる水が地上へ流れ込みます。霊力にはかぎりがありません。

霊は無限の可能性を秘めているからです。霊的真理を渇望する者が増え、必死に近づかんとすれば、それに呼応してより多くの霊力が注がれ、それまで恩恵に与(あずか)っていない知識と叡知とが視界に入るようになることでしょう。

 その霊的知識────目新しいものもあり革命的といえるものもありますが───人生をその霊的知識に忠実に送れば、世の中は次第に改善されてまいります。無用の長物や目ざわりなものが取り除かれ、精神と霊と身体とがより大きな自由を享受できる世の中となります。

不平等が減り、生活に豊かさが増し、人間の存在に尊厳と威信と気高さが増します。自己の霊性を自覚したことによる結果にほかなりません。

 これが未来像なのです。その目的に向かって、人間の難問を解決し悪の要素を取り除くために援助せんとする崇高なる霊が大ぜい待機しているのです」


 このあと出された質問に答えて、右と同じ主題をさらに敷衍してこう述べた。
 「人間にとって最も大切なことに関して革命的要素をもつ知識が次第に受け入れられ、欠乏、飢餓といった問題の解決に大きな援助を与え、より多くの人々により多くの恩恵がもたらされるようになることでしょう。
   
 私たちが施すものには二重の目的があります。基本的にはその中身は霊的であるということです。それが最も大切だからです。人生において各自の霊に関わることが他の全てのものに優先します。霊こそが永遠の実在だからです。ですが一方、地上の物的生活において生じることが霊性に深刻な影響を及ぼすこともあります。

それゆえ私たちの努力は、地上的環境を改善し改革し修正し、ありとあらゆる不公平を是正し、不公正を取り除き、病気を駆逐し、害悪を及ぼす汚点を払拭することにも向けなくてはならないのです。

私ども霊界の者は地上の落伍者、備えなき者、未熟者が次から次へと送り込まれて来るのをいつまでも許しておくわけにはいかないのです。魂の準備は本来そちらですべきものであり、こちらではないのです。地上は霊が修行のために送り込まれるところです。

霊界の生活への適応性を身につけないまま霊界入りする者が多すぎます。こちらへ来てからでは教育がしにくくなります。地上の方がやり易いのです。
 
 そういう次第ですから、霊的に、精神的に、あるいは物質的に人間の運命の改善という重大な仕事に身を捧げるわれわれは意志を強く持ち、努力は決して無駄に終わらないことを確信いたしましょう。

古い秩序が崩れ、新しい秩序が取って代りつつあります。遠い過去の時代に灯された思想が今や大きな炎となって燃えさかっております。それは決して消されることはありません」


 これまでもシルバーバーチはたびたびメンバーに向かって、混乱の世界から新しい世界が生まれつつあることを述べて来た。悲劇の数々も新しい知識の時代、霊的知識の時代の〝産みの痛み〟であると述べている。そして最近の交霊会でも次のように述べている。

 「夜明けの光が見えつつあります。あなた方が物的状況から予想するよりはるかに急速な足取りで近づきつつあります。今まさに地上世界は運命の岐路に立っております。私が心を込め最大級の確信をもって申し上げたいことは、その新しい世界はすでに根付いているということです。

これからの問題ではなく、すでに誕生しております。産みの痛みとうめきの中から生まれて、すでに地上各地に広がりつつあります。世界中に一様にというわけにはいきません。

それは有り得ないことです。が、確かに根づいております。これから建設に取りかからねばならないとか、創造していかねばならないとかの問題ではありません。

すでに新しい世界となっております。無秩序、暗黒、混乱がいかに支配しても、あるいは真面目な学徒による思想上の対立がいかに喧(かまびす)しくても、あるいは圧力と権力と豪華さを振りかざして既得権を死守せんとしても、すでに大勢は決しております。新しい世界は始まっているのです」 

Tuesday, April 7, 2026

霊の書(2部) アラン・カルデック(編)

The Spirits' Book

第2部 霊の世界
アラン・カルデック(編) 近藤千雄(訳)




8章 霊の物質界への関与

このページの目次

〈霊界から覗いた人間の生活〉
〈人間の思念・行動に及ぼす霊的影響〉
〈憑依〉
〈守護霊・指導霊〉
〈人間生活への霊力の行使〉
〈自然界における霊の働き〉
〈戦争と霊〉
〈魔よけ・呪術〉


〈霊界から覗いた人間の生活〉

――霊には人間のすることが全部見えますか。


「その気になれば見ることができます。絶えず人間の身の周りにいるのですから。ですが、実際問題として、関心のないことには注意を払いませんから、受け持ちの範囲のことにしか注意を向けていません」


――完ぺきに秘密にしていることでも分かりますか。


「あなた方が隠そうとしていることをよく見かけます。行為も思念も霊には隠せません」


――そんな時、霊の方ではどんな気持ちで見ているのでしょうか。


「それはその霊自身の質によります。低級ないたずら霊だったら人間がイライラするような事態を生じさせ、カッカするのを見て面白がるでしょう。高級霊であればその愚行を憐れんで、その欠点を改めさせる方向で指導するでしょう」
〈人間の思念・行動に及ぼす霊的影響〉


――人間の思念や行動は霊の影響を受けているのでしょうか。


「あなた方が想像する以上に影響を受けています。と言うのも、そもそも人間は霊の指示で動いているのですから」


――我々自身から出た思念と、霊によって吹き込まれた思念があるのでしょうか。


「人間も思考力をもった霊です。従って当然、自分から出た思いもありますが、次から次へと考えが湧き、しかも同じ問題に関してしばしば対立する考えが入り込んでくることも経験しているはずです。そうした場合、どちらかが自分のもので、どちらかが霊に吹き込まれたものです。二つが相反するものですから決心が揺れるのです」


――そんな時はどのようにして区別したら良いのでしょうか。


「強いて言えば霊からの示唆は、あたかも語りかけられたような感じで、自分自身が考えたことは大抵最初に思い浮かんだものと言えますが、実際問題としてはその区別はどうでも良いことです。区別できない方が良い場合もあります。それだけ自分一人による自由な判断の範囲が広がるわけで、結果的に正しい選択であれば、自分の判断力に自信がつきますし、間違っていれば自分自身の間違いとして責任を一身に背負えることにもなるからです」


――科学者や天才による発明・発見は自分で生み出すのでしょうか。


「自分の霊的産物であることもありますが、大抵は背後霊が教える価値があると判断し、正しく受け入れてくれると確信した上で示唆しています。その程度の科学者や天才になると、自分自身では生み出せないと自覚すると、無意識のうちにインスピレーションを求めるものです。一種のエボケーション(招霊)で、本人はそうとは気づいていません」


――示唆されたアイディアが善霊からのものか邪霊からのものかは何によって判断すれば良いのでしょうか。


「内容をよく検討することです。善悪を見分けるのは人間自身です」


――悪の道に誘い込もうとする邪霊の影響を排除することは可能でしょうか。


「可能です。と言うのは、邪霊が付きまとうのはその人間自身の思念や欲望が邪だからです」


――人間側が悪の誘惑を拒絶した場合、邪霊は誘惑をあきらめますか。


「あきらめるしかないではないですか。もくろみ通りに行かないと分かれば、彼らは誘惑を止めます。ですが、ネコが常にネズミを狙っているように、その後もずっとスキを狙っているものと思ってください」


――邪霊が人間を悪の道に誘う時、その人間の置かれた境遇につけ入るのでしょうか、それとも彼らの思うツボにはまるような事情をつくり出すことまでするのでしょうか。


「都合の良い条件が発生すればどんなことでも利用しますが、人間が良からぬ願望を抱くと、その目的の成就に向けて欲望を煽ります。人間はそれに気づきません。

例を挙げましょう。どこかの通りに大金の札束が落ちているとします。そこへその人間が通りかかりました。まさか霊が札束をそこへ置くはずはありません。そこを通りかかるように仕向けたのです。その札束を見つけてその人間はどういう態度に出るか――邪霊はそれを我がものとするように吹き込み、一方善霊は然るべきところへ届け出る考えを吹き込みます。どちらを選ぶか、それは当人の道義心の問題です。すべての誘惑は大体こんな風にして行われるのです」
〈憑依〉


――霊は人間の肉体に取り憑いて、その人間に代わって肉体を使用することができるのでしょうか。


「霊が憑依するといっても、部屋の中に入るような調子で人体に入り込むわけではありません。同じ欠点、同じ性癖をもつ人間と波動上でつながることはありますが、主体性を持つのはあくまでも肉体に宿っている霊です。霊と肉体とは一体不離の関係で結ばれており、神が定めた寿命が尽きるまで切り離されることはありません」


――俗に言う“取り憑く”ことはなくても、肉体に宿っている魂が低級霊によって支配され、思うように操られ、ついには自我意識がマヒしてしまうに至ることはないでしょうか。


「それは有り得ます。それが本来の意味での憑依の実態です。ですが、忘れないでいただきたいのは、そういう憑依現象は憑依される側の“弱み”または“自由意志”によってそういう事態になることを許しているということで、それがないかぎり発生しません。人間は永い間そういう現象をてんかんのような脳障害による症状と同じに考えて、霊的治療家よりも医者による治療にまかせてまいりました」(『霊媒の書』十三章参照


ブラックウェル注――霊的憑依現象を発生させる“弱み”とは、現世または前世における悪行への罰であり罪滅ぼしのことである。


――憑依された状態から自力で脱することは可能でしょうか。


「可能です。本気でその気になれば、いかなる束縛状態でも解くことができます」


――邪霊によって完全に憑依され、本人の自我意識が奪われたとします。そんな場合に第三者がその呪縛状態を解くことができるでしょうか。


「高潔な人格者が存在すれば、その意志の力で救済のための善霊の協力を引き寄せることが出来るかも知れません。人格が高潔であるほど霊力が強いですから、邪霊を追い払い、善霊(霊医)を呼び寄せることが出来るという理屈になります。ですが、そういう事態にまで至った場合、いかに優れた人物がいても、憑依されている本人が意識的に自由を取り戻そうとする意志を見せないかぎり、まったく無力です。

と言うのは、そういう人間は得てして依頼心が強く、堕落した好みや願望につけ入られても、それをむしろ快く思うものなのです。霊性の低い霊は高級霊から軽蔑されているというひがみ根性から救済に協力しようとしませんし、仮に協力しても邪霊集団の相手ではありません」


――悪魔払(エクソシズム)いの儀式は邪霊集団を追い払うのに役立ちますか。


「役には立ちません。真面目くさってそういう儀式をやっているのを見て、邪霊たちは小ばかにします。そして、ますます憑依状態を続けます」


――祈りはどうでしょうか。


「祈りが援助を呼び寄せることは事実です。ですが、その祈りがただ文句を唱えるだけのものでは何の効果もありません。天は自ら助くる者を助くとは至言です。自らは何も努力せずに、ただ願いごとを並べるだけの者には援助の手は差し延べません。ですから、憑依されている人間が、そもそも邪霊につけ入られることになった(依頼心が強いという)弱点・欠点を正すということがまず肝要です」
〈守護霊・指導霊〉


――人間各自には守ったり援助したりする目的で付いている霊がいるそうですが……。


「います。霊的同志です。あなた方が指導霊(ガイド)と呼んでいるものです」


――守護霊(ガーディアン)というのはどういう存在でしょうか。


「霊格の高い指導霊のことです」


――守護霊の使命は何でしょうか。


「父と子供との関係と同じです。ある目的をもって、その成就のための道から外れないように、時には忠告を与え、悲しみの中で慰めを与え、苦難の中にあっては生き抜く勇気を与えたりします」


――誕生の時から付いているのでしょうか。


「誕生から死に至るまでです。しばしば死後霊界でも、あるいはその後の幾つかの再生生活でも守護霊として付くことがあります。霊的観点から見れば、物的生活を幾つ重ねても、ごく短いものです」


――守護霊という役目は自発的なものでしょうか、強制的なものでしょうか。


「あなた(カルデック)の守護霊の場合は要請されて引き受けていますから、義務としてあなたを見守っています。が、一般的に言えば守護霊は自分で親和性の強い人間を選ぶことを許されております。楽しみとして進んで引き受ける場合もありますし、使命ないしは義務として引き受ける場合もあります」


訳注――私が“英国の三大霊訓”と呼んでいるモーゼスの『霊訓』、オーエンの『ベールの彼方の生活』、そして『シルバーバーチの霊訓』のうち、守護霊が出てくるのは『ベールの彼方の生活』の第三巻のザブディエルと名のる霊だけで、他は守護霊以外の者が携わっている。

インペレーターもモーゼスの守護霊ではない。その上にもう一人プリセプターと名のる最高級霊が控えていたというが、多分それが守護霊であろう。シルバーバーチもバーバネルの守護霊ではない。六十年間についに一度も出現していない。

このカルデックの守護霊も誰であるかは分からない。聖ルイは守護霊ではないはずである。そう判断する理由は、大きな仕事においては守護霊は総監督として見守るだけで、直接的には携わらないというのが、私の知るかぎり、通例だからである。


――一人の人間の守護霊となった以上は他の人間の面倒は見ないのでしょうか。


「そうとは限りません。が、控え目にはなるでしょう」


――守護霊が人間を見捨てるということが有り得ますか。


「いくら忠告を発しても聞く耳を持たず、低級霊の誘いに完全にはまってしまったと見た場合は、手を引くことがあります。と言っても見捨てるわけではありません。わずかなチャンスを狙って善の道に引き戻そうとします。守護霊が人間を見捨てるのではなく、人間の方が守護霊の言うことに耳を貸さなくなるということです。霊性が目覚めて善性を求めるようになれば、喜んで受け入れます。

それほど労が多く、報われることが少なく、忍耐のいる仕事に高級霊が携わるのが信じられないと思われる方には、こうお答えしましょう。まず第一は、我々は高遠の世界からわざわざ地上まで下降してくるわけではありません。計り知れないほどの距離も我々には何の障害にもならず、次元を異にする世界にいても交信は可能だということです。

もう一つは、我々には人間には想像もできない資質があるということです。神は我々の手に負えないほどの仕事は決して課しませんし、人間を、友も援助者(背後霊団)も付けずに地球という孤島に島流しにしたわけではありません。一人一人に必ず守護霊が付いており、父が我が子を見守るように、一瞬の休みもなく見守っています。言うことを聞いてくれれば喜び、無視されると残念がっております」


――人間が悪の道に入って行くのを守護霊も許すことがあるとおっしゃいましたが、それは邪霊集団に太刀打ちできないからでしょうか。


「そうではありません。太刀打ちする、つまり邪霊集団と張り合うよりも、思い切ってその道に入らせても本人は必ずや間違いを悟って大きく成長するという確信があるからです。

守護霊は常に賢明な助言の思念を送っていますが、必ずしも聞き入れてもらえません。邪霊がつけ入るのはそうした弱点、スキ、慢心などを通してです。それに負けるのは、抵抗するだけの霊性が身についていないことを意味します」


――守護霊を必要としなくなる段階があるのでしょうか。


「あります。生徒が十分に学んで先生を必要としなくなる時期があるように、守護霊がいなくても一人で十分にやって行ける段階が来ます。しかし、地上界に関するかぎり、そういうことは有り得ません」


――歴史上の有名人の名を名のっている守護霊は間違いなくその人物でしょうか。


「そうとは限りません。同じ霊系に属する、ほぼ霊格の同じ霊である場合があり、多くの場合、当人から依頼を受けて出ています。(偽っているわけではなく)人間の方が名前にこだわるものですから、それで安心させる意味でその名を使用するのです。あなた方だって使いの用事を言いつけられて、どうしても都合がつかない時は代理の者を行かせることがあるでしょう。それと同じです」


――霊界へ行って守護霊に会えばそれと分かりますか。


「分かります。と言うのは、多くの場合、再生する前まで顔見知りの間柄だからです」


――未開人や文明人で道徳的意識の低い人にでも守護霊がついているのでしょうか。


「守護霊の付いていない人間はいません。ただ、割り当てられる責務によって守護霊の霊格も違ってきます。読み書きを習い始めたばかりの子供に大学教授を家庭教師に付けますか。神は常に一人一人の人間の本性とそれまでに到達した霊性に応じて守護霊を付けます」


――守護霊とは別に、善悪の判断力を試す目的で邪霊も一人一人に付けられているのでしょうか。


「“付けられている”という言い方は正しくありません。確かに、悪の道へ誘い込もうとしてスキを伺っている複数の低級霊が必ずいるものです。が、仮にその邪霊の一人が実際に人間に付きまとうようになったら、それはその邪霊が何らかの意図をもってやっていることです。その場合は言わば善と悪との闘いとなるわけで、どっちに軍配が上がるかは当人の判断力にかかっております」


――守護霊のほかにも面倒をみてくれている霊がいるのでしょうか。


「今述べたように悪の道に誘惑しようとする邪霊が何人もいるように、守護霊(ガイド)の指示のもとで面倒をみてくれている指導霊が何人かいます。霊格の高さはまちまちですが、親和性があり、情愛で結ばれております」


――そうしたガイドは使命があって付くのでしょうか。


「霊によっては一時的な使命を仰せ付かっている場合がないでもありませんが、一般的には、良きにつけ悪しきにつけ、情緒的に共通する霊が付くものです」


――今のお言葉ですと親和力で結ばれている霊でも善霊と悪霊とがいることになりますが……


「その通りです。性格のいかんにかかわらず、相通じ合う霊に取り囲まれていると思うがよろしい」


――“親しい霊”は“親和力で結ばれている霊”および“守護してくれる霊”と同じでしょうか。


「“守護に当たる”とか“親和性に富む”という表現にもいろいろと意味合いがあります。どう呼んでも構いませんが、“親しい霊”という場合は“身内の霊”といった家族的な意味合いが強いです」


――社会、一都市、一国家にも特別の霊団が付いているのでしょうか。


「付いています。そういう集団には共通した目的があり、その目的によって指示を与える霊格の高い霊団が付いています」


――その種の霊団は一般個人の霊団よりも霊格が高いのでしょうか。


「個人の場合でも集団の場合でも人間側の霊性の発達程度に応じた霊団が組織されます」
〈人間生活への霊力の行使〉


――霊団は道徳上の忠告や指導をするだけでなく、日常生活のことも気遣ってくれているのでしょうか。


「その人間に関わるあらゆる側面に気を配っています。責務としてやらねばならないことに関連して、いろいろと忠告を発しています。問題は人間側がそれに耳を傾けてくれないことで、結局は自分の判断の誤りで問題を大きくしているのです」


――思念で忠告する以外に、直接的に霊力で働きかけることはないのでしょうか。


「あります。ですが、それにも許される自然法則の範囲があり、それを超えることはありません」


――例えばある人が梯子をのぼっていて、途中で梯子の段が折れて落下して死亡したとします。このような場合、そういう宿命を果たすために霊力でその梯子を折るようなことをするのでしょうか。


「霊が物質に働きかける力を持っていることは明らかですが、それはあくまでも自然法則の運用のためであって、ある予期せぬ出来事を起こすために法則に逆らって演出するようなことは許されません。

今おっしゃった事故の場合は梯子の材木が腐っていたか、その人間の体重が重すぎたかの、いずれかの原因で折れたのでしょう。つまり自然法則の結果です。そのことと、その人間の死との関連は、そういう梯子を使用するような事態に至るというところに運命的な働きがあったと見るべきであって、殺すために超自然現象で梯子を折るということをするわけではありません」


――もう一つ例を挙げますと、急に嵐になって近くの大木の下に雨宿りをしていたら、その木に雷が落ちて死亡したとします。この場合、霊がその木を目がけて雷を落としたのでしょうか。


「これも先ほどの例と同じです。雷は自然法則に従ってその木に落ちたのであって、その人を殺す目的でその木に命中させたわけではありません。その人がその木の下にいようがいまいが雷は落ちたでしょう。肝心な点はその木に雨宿りしようという考えを抱いたことです」


――地上時代に他人に危害を与えた者が霊界へ戻ると、その時に抱いた敵意は消えるものでしょうか。


「自分の行為の間違いに気づき後悔の念を抱く者が多いのですが、相変わらず敵意を抱き続けているケースも少なくありません。そういう関係は試練の延長として神が認めているのです」


――我々第三者がその種の迫害に終止符を打たせる方法はないものでしょうか。


「多くの場合、祈ることによって終止符を打たせることができます。憎しみの念に対して愛の念を送り返すことによって、邪念に燃える霊に徐々に反省の気持ちを芽生えさせます。そして忍耐強く続けることによって愛は邪悪な企みに優ることを知らしめ、憎しみの空しさを抱かせ、かくして攻撃することを止めさせることになります」
〈自然界における霊の働き〉


――自然界の大変動は偶発的なものでしょうか、全てに神の意図があるのでしょうか。


「何事にも理由があります。神の許しなしに生じることは何一つありません」


――そうしたものは全て人間との関連性があるのでしょうか。


「人間に関連したものも時にはありますが、大部分は大自然が均衡と調和を取り戻そうとする働きに過ぎません」


――全ての現象の根源には神の意図があるに違いないことは認めますが、霊が物質に働きかけることが出来るからには、霊が神の意志の行使者として自然界の構成要素に働きかけて自然現象を起こしているのではないかと思うのですが……


「その通りですし、それ以外には考えられません。神が直接物質に働きかけることはありません。無限の階梯の一つ一つの界層に神の意志の行使者が控えています」


――例えば嵐を起こす場合、一人の霊の仕業でしょうか、それとも大勢の霊の仕業でしょうか。


「大勢の霊です。数え切れないほどの大群と言った方がいいでしょう」


――その場合、自由意志によって、知識と意図をもって現象を起こすのでしょうか、それとも理性のない本能的衝動から発しているのでしょうか。


「知識と意図をもって携わっている者もいれば、本能だけで働いている者もいます。譬え話で説明しましょう。

今大海のどまん中に一群の島ができつつあるとします。その島の生成について神が認知していないはずはありませんし、その群島の出現が大海という地球の表面の調和に影響を及ぼさないはずはありません。ところが、その生成に携わるのは最下等の極微動物であり、神の道具として使用されているという認識などみじんもありません。ただ動物の本能で働いているだけです。

同じことが最下等の霊的存在についても言えます。自由意志もなく、何の目的なのかについての自覚もないまま大自然のさまざまな側面での現象の演出に携わっております。指令を発する存在がいて、それに反応して働く存在(精霊)がいます。それが知的進化を遂げて指令を発する立場にまわり、造化の仕事から倫理・道徳の摂理の管理へと進みます。

このように大自然は根本の原子から始まって大天使に至るまでの雄大なスケールの存在の調和によって進化しており、その全体像は地上の人間の理解力では遠く及びません」
〈戦争と霊〉


――戦争が行われている時は霊界でも敵と味方がいるのでしょうか。


「当然います。そして戦闘意欲をかき立てています」


――戦争はどちらかの側に非があると思うのですが、なぜ非のある側に味方する霊がいるのでしょうか。


「改めて申すまでもないことですが、霊の中には混乱と破壊だけを楽しみにしている邪霊集団がいます。そういう連中にとっては戦争のための戦争であって、正当とか不当とかはどうでも良いことなのです」


――司令官が作戦を練るに当たって霊団から指示が与えられるでしょうか。


「当然です。他の生活面と同様に、作戦にも参加します」


――敵方の霊がまずい作戦を吹き込むことも有り得ますか。


「有り得ます。しかし司令官にも自由意志があります。守護霊団が吹き込む作戦と敵方の霊団が吹き込む作戦のどちらに決断するかに迷い、結果的に作戦に失敗した時は、その責任は自分が負わねばなりません」


――司令官の中には予知能力のある人がいて作戦の行方を予見することがあるそうですが……


「天才的な軍人によくあることです。いわゆるインスピレーションを的確に受け取れる人で、それを受けた時は自信をもって命令を発します。霊団から送られてくるもので、それを天賦の霊能で受け取ります」


――戦闘中に戦死した霊はどうなるのでしょうか。霊界でも戦い続けるのでしょうか。


「戦い続ける者もいますし、撤退する者もいます」


――戦場の爆音や鬨(とき)の声などは相変わらず聞こえるのですか。


「聞こえます、そっくりそのまま」


訳注――シルバーバーチの霊言に次のような一節がある。

「これが戦時下となると、いろいろと問題が厄介となります。何しろ何の準備もできていない、何の用意もしていない人間が大挙して霊界へ送り込まれてくるのですから……みんな自分が死んだことすら知りません。(中略)死んだことにも気づかずに死んだ時と同じ行為を続けております。地上戦で死んだ者は地上戦を、海上戦で死んだ者は海上戦を、空中戦で死んだ者は空中戦を戦い続けております。そのうち、期間は各自まちまちですが、少し様子が違うことに気づき始めます。

全体としては以前と変わらないのに気をつけて見るとどうも辻褄が合わない。奇妙な、あるいは無気味なことがくり返されていることに気づきます。殺したはずの相手が死んでいない。銃を撃ったはずなのに弾丸が飛んで行かない。敵兵に体当たりしても少しも動かない。触っても気がつかない。大声で話しかけても知らん顔をしている。そしてその光景全体に霧のような、靄のような、水蒸気のようなものが立ち込めていて、薄ぼんやりとしている。自分の方がおかしいのか相手の方がおかしいのか、それも分からない。時には自分が幻影に惑わされているのだと思い、時には相手の方が幻影の犠牲者だと考えたりします。

が、そのうち――霊的意識の発達程度によってそれが何分であったり何時間であったり何日であったり何か月であったり何年であったり何世紀であったりもしますが――いつかは自覚が芽生えます。その時やっと援助の手が差しのべられるのです。」


――仮に霊が傍観者として冷静に戦場の様子を見つめていれば、斃(たお)れた人間から霊が次々と離脱して行く様子が見えますか。


「全ての戦死者の死が一瞬の間に成就されるわけではありません。大抵は、肉体的には即死の状態でも、霊はそのことに気づきません。精神的に落ち着きを取り戻すと自分の死体がそばに横たわっていることに気づきます。が、その過程が実に自然なので動揺することはありません」
〈魔よけ・呪術〉


――邪悪な人間が邪霊の助けを借りて怨みの相手に危害を加えることはできますか。


「できません。そういうことは神が許しません」


――でも、呪術をかける力を持った人間がいるという信仰がありますが……


「強力な生体磁気を持っている人間がいます。その人間の心が邪悪であればそれを悪用することは考えられます。その場合に似たような邪悪な霊が加担することも有り得ることです。しかし、それを超自然的な魔力のせいにしてはいけません。それは自然法則に無知な迷信的人間の想像力の中にのみ存在するものです。魔力が存在する証拠とされているものは自然な原因の働きによるものを間違って観察し、さらに間違った解釈をした結果です」


――霊の意念を操ることが出来るとされる呪文や秘法の効果は実際にあるのでしょうか。


「本当にそういうものを信じているとしたら、その効果はその人が嘲笑の的になることだけです。もしも信じていないのにそういうことをしているとしたら、それは詐欺師であり、処罰に値します。その種の儀式は全てペテンです。霊を操るような秘密の言葉やしるし、魔よけなどは存在しません。なぜなら、霊は思念で感応するのであって、物的なものではないからです」


――でも、そういう儀式の中には霊が伝授してくれたものがあるのではないでしょうか。


「おっしゃる通りです。霊の中には摩訶不思議な加持や呪文を教える者がおり、それをもとに、いわゆる“おまじない”をする人がいますが、そういう人たちは低級霊の良い遊び相手にされており、摩訶不思議をすぐに信じたがる性格をもてあそばれています」


――良い悪いは別として、魔よけの威力を信じることが実際に霊の力を呼び寄せることにならないでしょうか。魔よけが精神を集中する媒体となって、その人の思念を活発にすると思うのです。


「そういう働きは一応考えられます。しかし呼び寄せる霊の程度を決めるのは、霊を呼び寄せる動機とその人間の心証の純粋性です。魔よけなどの効果を信じるほど単純な人間が高尚な動機で行うということはまず考えられません。

つまるところ、この種の儀式や行事にこだわるのは、人間を騙すことばかり考えている未熟な霊に取り憑かれやすい低俗な精神構造の人間であることを証明していると考えてよろしい」


――では“魔法使い”はどう理解したらよいのでしょうか。


「そう呼ばれている人間がもし性格的に真面目であれば、予知能力に類する超常能力でもそなえている人と考えられます。普通の人間に理解できないことをやってみせるために超能力の持ち主とされているだけです。学者だって無学な人間から見れば超人的に見えるのではないでしょうか」

シルバーバーチの霊訓(二)

Silver Birch Speaks

Edited by Sylvia Barbanel


十章 霊訓を必要とする時代
 
 「大きな変動期にあっては霊媒を通じそのメッセージ、霊的知識を広めることを目的とした霊力の演出がよりいっそう要請されます。

 地上の至るところに悩みを抱えた人々が無数にいます。従来の信仰は瓦解(がかい)してしまいました。が、その人たちの心の奥に、自分にも気付かずにいるある種の願望があります。それは永遠の実在の証を求める心です。

 人間は本来が霊的な魂を宿した存在です。そして魂はその存在を支えてくれるところのものを求めて、じっとしておれないものです。魂も養育してやらねばなりません。

扶助してやる必要があります。活動の場を与えてやらねばなりません。魂は表現を求めてやまないのです。たとえ意識的には自分を理解していなくても、つまりそうした霊性を自覚していなくても、内部の霊的部分、真の個性の欲求を無視することは出来ません。

 教会による月並みなお説教では、特殊な一部の人を除いて、満足を与えることはできなくなりました。絶え間なく進歩する世界、常に変化し生長していく世界にあっては、何世紀もの昔のおきまりの宗教的教説を今日に当てはめることは不可能なのです。

となれば当然、人間が勝手にこしらえた神学をもとに同じことを繰り返し訴えても、耳を傾ける人が次第に少なくなっていくに決まっています。
  
 この点に関する限り、歴史は繰り返しません。なぜなら、キリスト教の信条と教義に背を向ける者が次第に増えていっても、ではその人たちの考えが唯物的になっていくかというと、そうではないのです。というのは、確かに無味乾燥な福音が魅力を失いつつありますが、この度はその原因に別の要素があるのです。

それは、宇宙の謎と取り組んでいる科学者によって、唯物主義の思想が不毛で無意味で到底受け入れられないものであることが明らかにされてしまったことです。

(訳者注──物理学の進歩によって物質の究極の姿が従来の〝もの〟の観念を超えてバイブレーションの状態であるということが明らかになったが、それでもなおそのバイブレーションを構成する究極の要素は突きとめられていない。

かつては〝これが一ばんの素〟という意味で素粒子論が行われたが、今ではそれも途中の段階であって、その奥にまだ何かがあるらしいことが理論物理学で言われており、その確認が実験物理学で行われつつある。ともかくも物質の本性は人間が五感で感じ取っているものとは全く異なることが明らかとなった。シルバーバーチはその点を指摘している)

 こうした時期、すなわち多くの者が視野の変化に気づき、何もかもが改造のためにるつぼの中へ放り込まれている時こそ、霊的真理を普及すべき絶好機なのです。

 かつて私は、人間が絶体絶命の窮地にある時こそ神を知る絶好機であると述べたことがあります。
 
今、再びその必要性が大なる時となり、霊力が奔流となって流れ込んでおります。愛は死の淵を超えて届けられます。愛するものを導き、悲しみに暮れる心に慰めの芳香をもたらし、病に苦しむ人には治癒力を注ぎ、道に迷える人には手引きを与え、霊力の実在の証の全てを提供せんとして心を砕いております。

 そうした証を伴った真理こそ永遠なるものです。不変なのです。地上で何が起きようと霊界でどういう異変があろうと、そのために取り消されたり書き変えられたりすることは決してありません。永遠の実在なのです。

一度それを把握したら、一度自分のものにしたら、一度理解してその有難さを知ったら、その時からその人の生活に光沢と美しさと豊かさと輝きと自信と確信が具わり、二度と寂しい心を抱いて歩むようなことはなくなります。

 かくして真理を広めるということは大切な仕事であり、大勢の人に与えられる絶好機、人のために自分を役立てる貴重な手段であることが分かります。

煩悶の叫び声をあげている数知れぬ人々は、私たちが奮闘すべき場を提供してくれているのであり、一人が光を見出すごとに、一人が無知の闇から抜け出て知識を手にするごとに、一人が悲しみの涙をよろこびの笑みに変えるごとに、魂の勝利、永遠の闘いの中における勝利を克ち得たことになります。

 ですから、どこでもよろしい、誰でもよろしい、力を引き締め、鎧でしっかりと身を固め、神の大軍が背後に控えてくれているとの信念のもとに、この人類にとって掛けがいのない重大な闘いを引き続き闘い抜こうではありませんか」

 
 このあと質疑応答となった。最初は読者からの手紙による質問で〝百人の霊媒のうち九十九人まではデタラメをしゃべっている〟というショー・デスモンド(※) の言い分を引用してシルバーバーチの意見を求めた。

(※Shaw Desmond 英国の著名な作家でスピリチュアリズムに理解があり、その作品に心霊的要素が多く取り入れられている── 訳者)

 「本物の支配霊───支配霊としての仕事を完う出来る才能を具えた霊にはその批判は当てはまりません。霊媒の背後霊は慎重な検討をへて選ばれ、またその適性は実際に霊媒との仕事を始める前に実証済みだからです。

 そうした本物の支配霊に関する限り今の批判は当たりませんが、残念なことに、本物の霊力を発揮するには今一つの修行を要する未熟な霊媒が多いことは事実です。

 そういう霊媒つまり開発途上にある霊媒による交霊会では、何とか良からぬ評判がささやかれ、それがみな支配霊のせいにされてしまいます。

実際には支配霊がいけないのではなく、その支配霊を補佐する指導霊や通信霊が未熟なためであることがあり、時には霊媒そのものが未熟であるために、その霊媒自身の潜在意識の中の考えだけが出ているにすぎないことがあります。

 ですから支配霊はデタラメばかりと言うというのは言い過ぎです。少なくとも私が連絡を取り合っている幾つかの霊団の支配霊に関する限り、そういう言いがかりは不当であると思います。最も、デスモンドは一般論として言っているのでしょう。どこのどの霊媒というふうに特定しているわけではありませんから」


 次に読み上げられた質問は、祈りや願いごとは誰に向けて発すべきかという、とかく意見の衝突する問題で、こう述べてあった。

 「情愛によって結ばれている人の精神的健康、肉体的健康、及び物的事情の問題でお役に立ってあげたいと思う時、私たちはどういう心掛けが大切かについてお教えねがえませんか。つまりその人へ私たちの思念を直接送ってあげればよいのでしょうか。それとも祈りの形で神へ向けて送るべきでしょうか」


 「とても良い質問です。人のために何とかしてあげたいと思われるのは真摯な魂の表われです。全ての祈り、全ての憧憬は神へ向けるべきです。ということは、いつも嘆願を並べ立てなさいという意味ではありません。

 たびたび申し上げているように、祈りとは波長を合わせることです。すなわち私たちの意志を神の意志と調和させることであり、神との繋がりをより緊密にすることです。

そうすることが結果的に私たちの生活を高めることになるとの認識に基づいてのことです。意識を高めるということは、それだけ価値判断の水準を高めることになり、かくして自動的にその結果があなた方の生活に表われます。

 何とかして宇宙の心、宇宙の大中心、宇宙をこしらえた神にまず自分が一歩でも近づくように、真剣に祈ることです。それから、何とかしてあげたいと思っている人がいれば、その方を善意と、ぜひ自分をお役立て下さいという祈りの気持ちで包んであげることです。

 ですが、それを自分が愛着を覚える人のみに限ることは感心しません。たとえ崇高な動機に発するものであっても、一種の利己主義の色あいを帯びているものだからです。それよりはむしろ全人類のためになる方法で自分の精神が活用されることを求めることです。ということは、日常生活において自分と交わる人に分け隔てなく何らかの役に立つということです」


 この後シルバーバーチは霊的真理の普及という一般的な問題に移り、こう述べた。

 「皆さんに自覚していただきたいことは、前途にはまだまだ問題が山積していること、取り除かねばならない問題があるということです。それを取り除くには図太い神経、断固とした精神、堅固さ、不動の忠誠心、証を見せつけられた霊的真実への節操が要請されます。

 さきほど霊媒の言うことの信頼性が問題となりましたが、皆さんにすでにそうした場合に私が要求している判断の基準をご存知です。すなわち自分の理性に照らし、自分の判断力と常識とで決断なさることです。私はかつて一度たりともあなた方を盲目的信仰へ誘導したことはありませんし、知性が反撥するような行為を要求したことはありません。

 自慢することはおよそ私には縁のないことです。宇宙を知れば知るほど謙虚な気持ちで満たされるものです。ですが、それでもなお私はあなた方を導く霊の力の偉大さを公言して憚りません。それが私のような者にも与えられているのです。

私が偉いからではありません。私が為さんとするその意欲に免じて授けられているのです。これまでの私と皆さんとの交わりの長い年月を通じて、その霊力は存分に与えられ、それ以後も皆さんが望まれる限り続くことでしょう。

 私はもし皆さんが日常生活の自然な成り行きの中において霊的にそして身体的にみずからを御して行くことができるのであれば、敢えてこうした交霊会の継続を望むものではありません。

霊的な知識を獲得しながら身体に関わる面をおろそかにするのは感心しません。それは、身体ばかりを構って霊的側面をおろそかにするのと同じように愚かしいことです。

 神の顕現であるところの大自然が与えてくれる活力と能力を存分に活用して人生を謳歌なさるがよろしい。ふんだんに与えられる大自然の恵みを遠慮なく享受し、完成へ向けて進化し続ける永遠の壮観(ページェント)の中にその造化の神が顕し給う美を満喫なさるがよろしい。

 と同時に、その背後にあって私たちを道具として使用せんとする崇高なる霊の働きに常に思いを馳せましょう。その神の恩寵を存分に享受するために心を広く持ちましょう。なるほど私たちが神のメッセンジャーであることを認めてもらえるように、日々の生活における言動に愛と善意を反映させるように心がけましょう」


 別の日の交霊界で現在のスピリチュアリズムの進展ぶりを尋ねられてこう答えた。

 「地上はまだまだ混乱が続いております。喧騒と怒号の鳴りやむ時がありません。霊的真理の普及はまだまだ必要です。

それに対する手段が十分に整ったことは一度もありませんが、常に何らかの試みが為され、幾ばくかの成功が収められていることは事実です。地球全土に手を伸ばすことは出来ません。届く範囲で努力いたしましょう。

 今なお世界大戦の余波が残っております。(※)全ての価値観がひっくり返され、混乱が支配し、無秩序がはびこり、道徳的価値観が定まらず、未来像と洞察力の透徹度が消え失せ、かつての美徳が後退し、基本的には正しいものまでが混乱の渦中で完全に姿を失ってしまいました。

その変転きわまりない地上世界にあって常に変わることのない霊的真理を私たちの手で広げようではありませんか。決して色あせることも曇ることも朽ちることもない、永遠の霊的実在 ─── 一度理解したら人生の全図式を一望のもとに見渡すことを可能にしてくれる真理に目を向けましょう。

(※この日の交霊会が何年何月に開かれたかは不明であるが、この原書が発行されたのが一九四九年、つまり終戦から五年後のことであることを思えば、戦後間もない頃であったことは察しがつく──訳者)

 皆さんがスピリチュアリズムと呼んでおられるものは自然法則の一部にすぎません。宇宙の大霊すなわち神は宇宙を法則によって経綸し法則に則って顕現していくように定めたのです。その法則が宇宙の全活動を統御しております。

宇宙のいずこにも ───人間の知り得た範囲に留まらず人間の能力をはるかに超えた範囲においても───法則の行き届かないところはありません。

 その法則の中に神の意志が託されているのです。およそ人間のこしらえる法律というものには変化と改訂が付きものです。完全でなく、すべての条件を満たすものではないからです。

 が、神の摂理は考え得るかぎりのあらゆる事態に備えてあります。宇宙間に発生するもので不測の事態、偶然の出来ごとというものは一つもありません。全てが規制され、全てが統御され、全てに神の配慮が行き届いているのです。

 科学者の手によって物質界の原理の多くが発見されました。が、その探究の手はまだまだ霊的な分野にまでは及んでおりません。人生を物的尺度でもって判断し理解し考察しようとするのは愚かです。小さな一部分にのみ関心を集中し、肝心な大きなものを見落しているからです。

 私たちの仕事は、その大きな世界、霊の宝庫へ目を向けさせ、暗闇と無知の中で道を見失っている数知れない人々に、霊的真理を知ることによって得られる導きと慰めと確信をもたらしてあげることです。

それとても実は私の望んでいるところの一部に過ぎません。肉親を失った人を慰めてあげること、悲しみに暮れる人の涙を拭ってあげること、こうしたことは実に大切なことです。確かにこれも私たちの使命の一部ではあります。

しかしもっと大切なことは、そうした体験を通じて自分とは何か、本当の自分とは何なのか、何のためにこの地球という惑星に生を享けたのか、より一層の向上のためには何を為すべきか───こうしたことについての正しい認識を得させてあげることです。それが一番大切なことです。

 これから先にも大きな仕事が私たちを待ちうけております。再構築の仕事です。心に傷を負い、精神的に打ちのめされた人、人生に疲れ果てた人、生きる意欲を失った人、不幸のために心を取り乱している人、暗闇の中に光を求めている人─── 私たちはこうした人々を快く歓迎してあげなくてはいけません。

 今や大勢の人が、これが本当に人類にとっての鎮痛剤なのかと、期待の目をもってわれわれの方へ関心を向けつつあります。この真理、そしてそれに伴って得られる霊的な力は、たとえその数が何千何万となろうと援助し、導き、慰めてあげることができます。霊力の貯蔵庫は無限です。いかなる問題、いかなる必要性、いかなる悩み、いかなる心配事にも対処できます。

 世界は今まさに全面的な再構築を迫られています。全ての価値観が再検討を迫られております。その大渦巻きの中にあって〝これこそ基盤とすべき原理である〟と自信を持って断言できる人はきわめて稀れです。

 再構築にはそれに先だっての破壊が必要です。基盤は何度も言ってきたとおりすでに敷かれております。計画(プラン)はできあがっているのです。今ゆっくりと、そして苦痛を伴いながらそれが姿を現わし、やがて、人間の運命がいかにして改善され神から授かった能力がいかにしてその発達のチャンスを与えられていくかが、徐々に明確になることでしょう。

そこには不安や失望のタネは何一つありません。為すべき仕事があります。手を取り合えばきっと成就し、他の人にも参加させてあげることができます。
 
 私たちに与えられた光栄あるその奉仕の仕事のチャンスを楽しみに待ちましょう。そしてあなた方自身に精神的改革をもたらした同じ知識を同胞に授けてあげることができることの特権に感謝し、それがその人たちにも革命をもたらし、自分が愛と叡知にあふれた神の一部であること、その神は人間が人生から美とよろこびと輝きとを引き出すことをひたすらに望んでおられることを悟ってくれるよう祈ろうではありませんか」