Thursday, April 30, 2026

霊媒の書  アラン・カルデック編

The Mediums' Book    Allan Kardec

スピリチュアリズムの真髄

第2部 本論




9章 霊が好む場所・出やすい時刻

昔から霊がよく出没する場所や幽霊屋敷とされているものがあるもので、どこの国でも同じのようである。それに関連した疑問を霊団側に出してみた。


――霊は後に残した者への思いが容易に断ち切れないことがあるようですが、物に対してはどうでしょうか。


「それは霊性の発達程度によって違ってきます。地上的な物件にしつこく執着している霊がいます。例えば守銭奴と呼ばれているような人間は、死後も、ある場所に隠した財産を見張り、気づかれないように守っています。」


――地上には霊が自然に引きつけられる場所というのがあるのでしょうか。


「地縛的な状態から脱した霊は、親和性のある霊の世界へと赴きます。“物”から“霊性”へと関心が変化したからです。それでもなお地上のある場所への執着を残している者もいます。それだけ、まだ霊性の発達が低いことの証拠です。」


――地上の特定の場所への執着が霊性の低さの指標であるとすれば、それは邪霊の類いに属する証拠とみてよいでしょうか。


「とんでもない。それは間違いです。霊性の発達程度は低くても、性格的に悪くない霊がいます。地上でも同じではないでしょうか。」


――霊は廃墟のような場所を好むという言い伝えがありますが、これには何か根拠があるのでしょうか。


「ありません。そういう場所へ行くことはありますが、特にそういう場所を好むからではありません。どこへでも赴きます。そういう言い伝えが生じたのは、廃墟のような場所に漂う哀愁や悲愴感が人間の想像力をかき立てて、霊がさまよっているかに感じるからでしょう。

人間の恐怖心は木の陰を幽霊と思わせ、動物の鳴き声や風の音を幽霊のうめき声と思わせることがよくあるではありませんか。霊はどちらかといえば寂しい場所よりも賑(にぎ)やかな場所の方を好みます。」


――そうはおっしゃっても、霊にもいろいろな性格の者がいますから、中には人間嫌いがいて、人里よりも寂しい場所を好む者もいるのではないでしょうか。


「ですから先程も申し上げたではありませんか――霊は廃墟にも行くが、どこへでも行きますと。孤独の中で暮らしているのはそうしたいからであって、それをもって霊は廃墟を好むとする理由にはなりません。断言できることは、霊は寂しい場所よりも都会のような人間が多く住んでいる場所の方が圧倒的に多いということです。」


――民間の信仰にはおおむね真理の基盤があるものです。幽霊が出没するとされている場所の起原は何なのでしょうか。


「人間の本能的な信仰心――世界のいずこの国、いつの時代にもある信仰心から生まれたものです。が、今も述べた通り、ある場所の無気味さが人間の想像力をかり立て、何か超自然的なものがそこに生息しているかに考えるようになったまでです。それが幼少時代に語り聞かされた他愛ないおとぎ話や空想的な想像力によって、さらにふくらんでいったのです。」


――よく霊が集まることがあるようですが、何日とか何曜日とか何時といった、霊の好む日にちや時間帯がありますか。


「ありません。日にちとか時刻は人間の都合と必要性から生まれた、地上生活特有の取り決めです。霊にはそういうものは必要ありませんし、ほとんど気にも掛けません。」


――霊は夜に出やすいという信仰はどこから来たのでしょうか。


「暗さと静けさから受ける印象が想像力に作用して生まれています。そうした概念はすべて迷信であり、合理性を旗印とするスピリチュアリズムが撲滅していかないといけません。真夜中(丑三つ時)の怖さはお化け話の中にしか存在しません。」


――もしそうだとすると、霊の中に交霊会を真夜中とか特定の曜日を指定する者がいるのはなぜでしょうか。


「それは人間の迷信性を逆手に取って勿体ぶっているだけです。また、オレは魔王であるとか、それらしい仰々しい架空の名を名乗って出てくる霊も、同じく勿体ぶっているだけです。その手は食わんぞという毅然とした態度で臨んでごらんなさい。そんな霊は出なくなります。」


――自分の遺体が埋葬されている場所へは行きたがるものでしょうか。


「身体は言わば衣服にすぎなかったわけで、その身体に宿っていたがゆえに苦しい目に遭わされたのですから、それを脱ぎ捨てた後はもう未練はありません。クサリにつながれていた囚人は、解き放たれた後、そのクサリに未練など持たないのと同じです。心に残るのは自分に愛の心を向けてくれた人々の記憶だけです。」


――埋葬された墓地で祈ってもらうと特別に感じられるものでしょうか。家庭や教会での祈りよりも霊には届きやすいでしょうか。


「ご存じのように、祈りは霊を引き寄せるための魂の行為です。それに熱意がこもり真摯さが強いほど、その影響力は大きくなります。ですから、聖なる葬儀の行われた墓地での祈りは格別の思いを集中しやすいでしょうし、一方、墓石に刻まれた文字を見て故人への情愛を感じやすいという点でも、故人の遺品と同じように、墓地には祈りの気持ちを高めるものがあることは事実です。

ですが、そうした条件下にあっても、霊に祈りを通じさせるのは“思念”であり、物的な遺品ではありません。物的なものは祈る側の人間にとって意念を集中させる上で影響力をもつだけで、霊そのものには大して影響はありません。」


――そうは言っても、幽霊の出没する場所にはまったく根拠がないわけではないと思いますが……。


「すでに述べたように、霊には物的なものへの執着の強い者がいます。そういう霊はある一定の場所へ引きつけられ、引きつける要因が消えるまで、そこに住みついたりすることもあります。」


――“引きつける要因”とは何ですか。


「そこへよく行く人間との親和力の作用もあれば、その者と意思を通じ合いたいという欲求など、いろいろあります。が、いずれにしてもあまり褒めた理由はありません。恨みを抱いて仕返しのチャンスをねらっている低級霊もいます。また、その場所で大きな罪を犯した者が、一種の罰としてそこを徘徊させられている場合もあります。懴悔の念が生まれるまで、その現場を四六時中見せつけられるのです。」


――そこにかつての住居があったというケースも多いのでは?


「多くはありません。仮に前の住人が死後順調に向上していれば、埋葬された遺体に用がないように、何の未練も抱きません。特定の人物との親和力の作用による場合を除いては、大体において低級霊が気まぐれに出没しているにすぎません。」


――人間がそういう場所を恐れるのは理に適っているでしょうか。


「いいえ。そういう場所に出没して何かと話題のタネをまくような霊は、とくに邪悪な意図があるわけではなく、騙されやすい人間や恐がり屋を相手にして面白がっているだけです。

それに、霊はいたる所にいることを忘れてはいけません。どこに居ようと、どんなに静寂な場所であろうと、あなた方の周りには常に霊がいるものと思ってください。霊が出没して騒がれる場所というのは、出現してイタズラをするのに必要な条件が整う場所にかぎられています。」


――そういう霊を追い払う方法がありますか。


「あります。古来その目的で人間がやってきたことは、追い払うより、ますます付け上がらせる結果となっています。

一ばん賢明な方法は、善良な霊に来てもらえるように、人間側が善行に励むことです。そうすれば、そういう低級霊も退散して、二度と来なくなります。善と悪とは相容れないものだからです。心掛けの問題です。善良な心掛けの漂う場所には善良な霊しか来ません。」


――善良な人でも霊に悩まされていることが少なくないようですが……。


「その人が本当の意味で善良な人であれば、そういう悩みは忍耐力を試し、善性をより強固にするための試練かも知れません。」


――いわゆる“悪魔払い(エクソシズム)”の儀式でそういう邪霊は追い払えるでしょうか。


「エクソシズムが成功した話をどれくらいお聞きでしょうか。大ていはますます騒ぎが大きくなってはいませんか。イタズラ霊というのは自分が悪魔扱いにされるのを面白がるものです。

もちろん悪意を持たない霊でも姿を見せたり音を出したりして存在を知らしめようとすることがあります。が、そういう場合の音が人間に迷惑を及ぼすほどになることはありません。死後迷っている霊かも知れません。そうであれば祈りによって救ってあげるべきでしょう。時には親しい間柄の霊が存在を示そうとしている場合もあります。ただのイタズラ霊の場合もあるでしょう。

迷惑を及ぼすような場合は間違いなく低級霊で、することがなくてそうやって遊んでいるだけです。そういう場合は一笑に付して無視することです。何をやっても人間が恐がりもせず大騒ぎもしなくなると、バカバカしくなって止めるでしょう。」

シルバーバーチの霊訓(四)

Silver Birch Anthology 

 Edited by William Naylor


七章  霊媒を励ます

 シルバーバーチの交霊会にはよく霊媒や心霊治療家が招待される。そしてシルバーバーチがその一人ひとりに称賛と激励の言葉を述べる。その中には霊媒現象の裏面に関わることなどが窺われて、同じ仕事に携わる人はもとより、一般の読者にも興味のある話題が豊富である。本章では三人の霊媒と心霊治療家の場合を紹介する。

(本章では前巻の Wisdom of Silver Birchでカットしておいたものを紹介する―訳者)



リリアン・ベイリー女史 Lilian Bailey

シルバーバーチ「あなたは人類の救済のために背後からあなたを使用している素晴らしい霊団が存在している事実を喜ぶべきです。あなたのお蔭でどれほどのことが成し遂げられているか、あなたご自身は(入神しているので)ご存知でありません。

意識が消えて、やがて意識が戻る───あなたにはただそれだけのことのように思えるでしょうけど、実際はその間に誰かの魂が目を覚まし、誰かの心の荷が軽減され、悲しみに暮れる人が慰めを受け、挫折した心が癒され、混乱した精神が安らぎを見出しております。 あなたに感謝の気持ちを抱いている人が長い列をなすほどいらっしゃいます。

私たち霊団としても、神から授かった才能を自分のことを忘れてひたすら人類のために捧げんとする霊媒の存在をどれほど誇りに思っているかを、何とかして言い表わしたいとじれったく思っているところです。 あなたは神の豊かな恩寵を受けられた方です。本当に豊かな恵みを受けておられます。

地上で大物とか大家と言いはやされている人たちより、あなたの方がはるかに立派な仕事をしておられます。残念ながら今のところ一握りの人によってしか活用されていない霊力をあなたは存分に活用しておられます。

それはどしどし活用されるべきものです。 迷信という名の闇を地上から一掃するために、その霊力をできるだけ多くの人間の魂の中で胎動させなければなりません。

それが私たち───あなたと私、そして他のすべての神の道具───が偏見と無知という名の霧とモヤを一掃し、真理という名の光が世界中に射し込むようにするために全身全霊を打ち込んでいる大事な仕事なのです。偉大な仕事です。あなたもその光栄ある仕事の一翼を担っておられるのです。

 私たち神の道具はひたすら前進あるのみです。その道程においてはしばしば落胆させられます。些細ないざこざにうんざりさせられることもしばしばです。歓迎されてよいはずの場でしばしば反撃に会います。

そこで、あなたより少しばかり先の見透しの利く私から申し上げましょう。どうか、そうした邪魔は相手になさらず、かつてあなたに閃いたビジョン(先見の明・理想像・悟り)にすがっていただきたい。そして、あなたの霊的能力を最善に、純粋に、そして最高に活用することのみに専念していただきたい。

それ以外のことは構わないことです。そうしておればきっと愛の恵みが届けられ、ご自分が使用されている能力は神がその発現の通路を求めて間断なく行使しておられる霊力に他ならないことを認識されることでしょう」

 ここでベイリー女史が感謝の言葉を述べかけると、シルバーバーチはそれを制して───

 「私は暗闇に呼ばわる声の一つにすぎません。私を地上へ派遣した高き神霊の仕事を推進せんとしているだけです。私もこれまでに易しい真理を少しばかり学んできて、それを形を変え、言いまわしを変えながら説いておりますが、同じ単純・素朴な真理であることに変わりはありません。 それを地上の方々が受け入れてくだされば、すべての難問が解決されるのですが・・・・・・」と述べてから「このサークルに参加されてどんな感想をお持ちですか」と尋ねた。



ベイリー女史 「素晴らしいと思います。全体にみなぎる力がとても感じが良いです。もっとも、私には少し強すぎるようです。私の意識から離れて作用しているみたいです。この意味お分かりいただければ有難いですが・・・」

 このサークルでも直接談話をはじめ数々の現象が行われており、それぞれに霊媒が揃っている。ベイリー女史は霊視力もあり霊感も鋭いので、その〝舞台裏〟が見えたのである。女史は続けて「このボリューウムあふれるエネルギー、迫りくるパワーは物質化現象に使われるものですね?」と述べた。

シルバーバーチ 「そうです。このサークルにいつも潜在しているものです。今日はそれがあなたの存在によって刺激されております」


ベイリー女史 「何人かのスピリットがそのエネルギーを部屋の中央へ運んで一つの固まりをこしらえているようです。珍しい光景ですね。次の機会にはもっとしっかりと確かめたいものです。どうやら声が出されるみたいです」

シルバーバーチ 「声の準備ですよ。いつも行われているものです。以前はそれを使って発声器官をこしらえていたのですが、戦争の影響で大気が混乱しているためにそれができなくなり、今のところ私の入神談話だけで間に合わせているのです」

ベイリー女史 「私が見たところでは大きな柱のようですね。白い柱です。コチコチに固いものではありません。そこから何本かの紐状のものが伸びてメンバーの一人ひとりとつながろうとしています。各メンバーから何かを摂取しようとしてるみたいです」

 そう述べてからその〝触手〟 を霊界の技師たちが操っている様子を細かく説明した。


シルバーバーチ 「地上の方々はこうした霊界の働きの現実を理解してくださらないのです。いつでも使用できる態勢になってるのです。あなたはその眼でご覧になったのですから、ぜひその事実を伝えて下さらないといけません」


ベイリー女史 「ときどき人間の探求は表面的すぎるという印象を抱くことがあります。ですからその背後に働く単純な現実を理解させるのが難しいのです」

シルバーバーチ 「おっしゃる通りです。しかし私たちの世界には、かつて地上で一見とても勝算はないと思えた逆境の中で、長いこと忠誠心に燃えて戦った古強者が沢山おります。彼らはその仕事が引き継がれ少しずつ成果が実っていくのを見守っております。

 私があなた方にひたすら前進なさいと申し上げるのはそのためです。あなた方はそれだけで(他のことは何も心配しないで)よろしい。霊的知識だけを広めることだけを考えておればよろしい。

理解力を広めるのです。思いやりの心を広めるのです。無知をなくすのです。光明へ向けて進むべき者を引き止めんとする勢力を打ち砕くのです。私たちが掲げる光明は決してささやかなものではありません。

なぜなら、いったん霊の力がいかに働きかけているかを知ったら、いったん死の扉を開くカギを手にしたら、いったん死の向こうに広がる生命躍如たる世界をご覧になったら、その時こそその人は霊的実在を理解し、神の永遠の計画の中における自分の位置を悟ることになるからです。

あなたはひたすらご自分の信じる道を突き進まれることです。後は私が力の限り鼓舞し援助します」


 W・H・リリー氏  W.H. Lilley
 A・リチャーズ氏  Arthur Richards

心霊治療家のリリー氏が同僚のリチャーズ氏を伴って出席したことがある。まずリリー氏が、二人でロンドンに心霊クリニックを設立しようとしているが偏見と無理解から来るさまざまな難問に遭遇している事情を説明してから、面接に出た役人が 〝この連中は一体何者なのか〟といった目つきで二人をじろじろ見つめ回した話をした。

 すると シルバーバーチが───
 
 「この連中はいったい何者か───このセリフは遠い昔にも言われたものです。霊力が一握りの男たちを鼓舞し真理普及のために自分を捨てて邁進させたのは二千年足らず前のことでした。

不変の摂理を啓示し、地上のいかなる力よりも偉大な力───人を導き霊感を注ぐことの出来る力、訓え諭すことの出来る力、病を癒し、傷つき衰弱した身体を回復させる力が存在することを身を持って証明しました。

すると人々は言いました───いったいこの者たちは何者かと。別に耳新しいセリフではありません。これから何度も何度も聞かされることでしょう。

 あなたがこうした光栄ある仕事に携われることになったのは神から才能を授かっておられるからこそです。使用するために授かったのです。私どもの世界から援助せんとする者と全面的に協調する姿勢を持ち続けるかぎり、その才能を行使することを妨げる力は地上にはありません。

問題や障害が立ちはだかっているとおっしゃいましたが、それは克服すべきものとして与えられているのです。ただし、その中にはあなたご自身が自ら招かれた問題もあることを忘れてはなりません。あなた自身が蒔いたタネもあるということです。

と申しますのは、あなたは(操り人形のように)ただ黙って言うなりになる道具ではないからです。(自由意志が尊重されているから過ちも犯しているということー訳者)ですが、背後にはいかなる困難の中をも導きとおす力を具えた霊団、永年の霊界での研鑽によってその能力を立証している霊団が控えております。

これまでも数多くの困難を克服し、数多くの悩みごとを解消してきております。いつか、これまでのあなたの辿って来られた人生を振り返りじっくりと見つめられれば、そこに霊による導きがあったことを明確にお認めになるはずです。

 あなたは心霊治療家です。病を癒す仕事です。それを阻止する力は誰にもありません───あなたご自身が拒否なされば別ですが。ぜひとも使用しなければならない力を授かっておられます。地上の力ではありません。はるか高級界から送られてくる力です。

 それは病に苦しむ数知れぬ人々に恩恵をもたらし祝福を与えることになりましょう。あなたに決意さえあれば、地上にはそれを阻止できる権力はありません。

問題はあなたの心のどこにも心配の念を宿らせないことです。これまで導いてくれた霊団が自分を見放すはずはないという断固たる信念を持たねばなりません。まだまだ越えねばならない険しい道があるからです。

まだまだ献身を必要とする仕事の場がたくさんあるからです。怖じ気づいてはなりません。かつてあなたがもう絶対にダメだと思ったことが霊の力によって克服されてきたように、これから先もきっとその力は凱旋を続け、あとで振り返った時、今のあなたには難問に思えることが他愛ない杞憂にすぎなかったことを知って、にっこりなさることでしょう。

 為さねばならない仕事があるのです。治療の手を必要とする人が大勢いるのです。悩める魂が大勢いるのです。怖(こわ)ごわ生きている人が大勢いるのです。

身体の異状と病に苦しんでいる人が大勢いるのです。あなたはそうした人々を救うことの出来る霊力を授かっている数少ない人間の一人です。いかに祝福された方であり、いかに素晴らしい能力を授かっている方であるか、あなたご自身の想像も及ばないほどです」


 続いてリチャーズ氏が、この交霊会に出席できたことを光栄に思うという挨拶をしたあと次のように述べた。

リチャーズ氏 「私はこれまで、あなたが毎週毎週お説きになっている訓えを忠実に信じておられる患者さんを大ぜい治療しております。そして私自身もあなたのお説きになる思想を細かく読み、それを道しるべとしてまいりました。

私の理解したところを言わせていただけば、あなたは神についての誤った観念を打ち砕き、それに代わって理知的な概念を説き、それを〝無色の大霊〟the Great White Spirit と呼ばれたり〝法則〟と呼ばれたりしております。

私にとって、あなたを始めとする霊団の方々は人間より高等な知的存在であり、したがって個的人格を具えた存在ですが 〝大霊〟 は非人格的存在であるように思えます。この私の理解の仕方はさらに深い理解への中途の段階にすぎないのでしょうか」

シルバーバーチ 「永い間地上を毒し続けてきた無知が私の力によって幾らかでも取り除かれたことを嬉しく思います。しかし、無知を無くしていく仕事はゆっくりとした、時間の要る仕事であることを忘れてはなりません。眼の見えなかった人に視力が戻る時はゆっくりと光に慣れさせていかねばなりません。

真っ暗闇からいきなり真昼の太陽の中に出せば逆に眼をひどく痛めてしまいます。そこで、ある意味で、〝教える〟立場にあるこの私は、教える相手の意識の程度に合わせて、叡智を噛みくだいてあげなければなりません。それは段階を経ながら徐々に行うしかありません。

地上にはこれまで余りにも誤りが多すぎました。間違った神々を信じてきました。あまりに永いあいだ叡智を拒絶してきたために、そのすべての誤りを正すには弛まぬ忍耐を持って臨むしかないのです。

 人格を具えた神の概念は、いつの時代にも個人はもとより民族・人種・国家にもそれを導く霊がいるという信仰にさかのぼります。つまり知識というものが今日ほど広がることのなかった時代にあっては、霊界から時おり姿を見せる指導者を畏怖の心を持って崇めたものです。そしてそれがいつの間にか神の座に祭り上げられていったのです。それだけのことなのです。

地球の歴史において、人類の痕跡のあるところには必ずそうした信仰があるといってよろしい。そして遠くさかのぼればさかのぼるほど、その信仰には神話と寓話がごたまぜになっております。

 さて、神とは法則です。私が思想や観念を述べるにはどうしても地上の言語を使用せざるを得ませんが、実はその言語そのものが障害となり、制約となり、限界となっているのです。

と申しますのは、観念を言語に移しかえる時、言いかえれば大なるものを小なるものに合わせようとする時、必然的に脱落する要素が沢山あるのです。ですから、私が述べたいと思っている思想や考えの符号またはシンボルとして言葉を使用しなければならない───それも往々にしてきわめてぎこちないものです───という事実そのものが、それを聞かれてあなた方が脳裏に画かれるものが必ずしも私が本当に述べたいと思っていることと同じではないことを意味します。お判りでしょうか」

 すると司会者のハンネン・スワッハーが意見を述べた。

スワッハー 「こう解釈してよろしいでしょうか。あなたはアメリカ・イディアンを霊界の霊媒として使用しておられるので、たとえば神のことをインディアンの古い用語である Great White spirit を使用することになる───このほうが国教会で使用されている God よりも自然の摂理の表現として確かに適切です」

シルバーバーチ「それがまさしく私の言わんとしていたことです。どうやらここで詳しく解説しておく必要がありそうですね。このインディアンは私の道具です。ですが、道具とはいえ(さきほど述べたとおり)これを使用している間はその個性によって条件づけられ、したがって私は私の言いたいことを表現する上で役に立つ要素を精一杯活用することになります。

たとえば大自然を支配する法則を私はアメリカ・インディアンの用語である〝大霊〟を使用しますが、それは一つには今なお残っている〝神は人間である───えらく威張った人間である〟とする観念、しかもむろん女性ではなく、自分の言うことを聞く者だけを可愛がりそして特権を与え、気に入らぬ者には腹を立て憎むことすらする男性であるとする、いわゆる神人同形同性説との相違をはっきりさせるためです。

 が、もう一つの理由として、それをどう表現しようと、その用語を超えた観念として私が何とかして明らかにしたい完璧な摂理の働き───あなた方や私の願望にはおかまいなしに働く法則、全宇宙を支配する法則、四季のめぐり潮の満ち引きを調節する法則、地上の生命の生長と活動と運動とリズムを管理している法則の観念があるのです。

その法則は全存在の行為の一つたりとも、言葉の一つたりとも、思念の一つたりとも、観念の一つたりとも見逃すことはありません。表に出る出ないに関わりなく、生活現象の全てを管理しています。その法則こそ私が最高の崇敬を捧げているものです。

それを大霊と呼ぼうと神と呼ぼうと、その他いかなる名称で呼ぼうと、その背後にある意味を理解してくだされば、それはどうでもよいことです。それが全存在をあらしめている力です。

その力なくしては生命は存在しえないのです。いかなる形態を取ろうと、その力なしには存在しえないのです。生命に存在を与えている根源的エネルギーなのです。それを神と呼ぶのも結構でしょう。大霊と呼ぶのも結構でしょう。全知全能の知的存在と呼ぶのも結構でしょう。しかし、いずれも、所詮は言葉にすぎません。

 私がそれを法則として説くのは、人間の意志ではどうしようもない絶対的な理法というものがあることを指摘したいからです。それを正しく認識すれば、そのワク内でお互いが協調的に生きることができ、それに背いて不和と仲違いと利己主義と貪欲と腐敗と戦争を生むことにならなくて済むはずです。

その摂理を理解しさえすれば、人生の図式が分かるようになり、進むべき方向と道しるべと目的が見えるようになります。そして同時にそれに自分を合わせていく方法も分かるようになります。なぜなら、自分も一個の霊、全生命の親である神の一部として、永遠の営みに参加できることを悟るようになるからです」


リリー氏 「病気はすべて治せるのでしょうか」

シルバーバーチ 「病気はすべて治せます。さらに言えば、正しい生き方をしておれば病気にはなりません。病気とは根源からいえば不調和、不協和音、つまり神の摂理に適った生活をしていないことから生じています。が、人類にはさまざまなタイプがあることを考えれば、病気にもさまざまなタイプがあるわけであり、それがさらに細かく変化していきつつあります。

したがって治療に使う霊力もそれぞれのタイプに合わせていく必要があります。あらゆるタイプの病気に効くたった一つのバイブレーションというものはありません。治療が成功するか否かは、それぞれの病気に合ったバイブレーションの霊力を見出せるか否かに掛かっております。

 しかし治療の不成功を単純に霊界側の責任、担当した専門の霊の責任、あるいは治療家の責任と決めつけることは出来ません。数え切れないほどの要素が絡んでいるからです。(訳者注ー別のところで百人の霊視家が見てもすべての要素を見究めることはできないと述べている)。

そこで治療家であるあなたにとって一ばん大切なことはこう考えることです───自分を使用する霊力と完全にそして完璧に一体となるためにはいかなる生き方をすべきか、ということです。言うまでもなくあなたと背後霊団との間にはさまざまな相違点があります。

それを一つでも少なくすることが、治療霊団にとって、一人ひとりの患者に適切なバイブレーションをあなたを通して注ぐことを容易にすることになります。

こちらの世界には莫大な種類の治療エネルギーがあり、かつて地上で病気治療に当たった者や科学者たちが弛まぬ研究を重ねております。しかし無数の治療エネルギーのうちのどれをどれだけ活用できるかは、ひとえに治療家に掛かっているのです。そこにあなたの役割があります。すなわち魂の成長と精神の啓発と身体の管理です」

リチャーズ氏 「心霊治療についての偏見を無くす必要もあると思います」
  
シルバーバーチ 「おっしゃる通りです。だからこそ私たちが援護射撃をしているのではありませんか。数年前でしたらあなた自身も私の言うことなどには耳を貸さなかったでしょう。

それが今はこうして熱心にお聞きになるということは、私たちの働きよって偏見を一つ減らすことができたということです。強烈な体験によって魂が目を覚まし、奉仕的精神を鼓舞された人を一人ずつ私たちの霊力の活動範囲の中に導いていくのです。

あなた方はお一人お一人が私たちの働きかけによる成果の生き証人なのです。そのつど一つの偏見が取り除かれたということです。それだけ私たちの仕事がラクになったということです。

まだまだ取り除くべき偏見が山のように立ちはだかっているという事実に、私どもは別に途方に暮れることはありません。それが私たちの仕事なのです。すなわち神の子がその魂の奥に秘めた霊性を発揮することによって生命の喜びを味わい、当然受けるべき神の遺産を存分に我がものとするように導いてあげることです。

 お二人もその役割を担っておられるのです。ひたすらお仕事に邁進なさることです。数々の困難に遭遇することでしょう。しかし背後に控える霊団がいかなる試練にも荒波にも支えになってくれます。首をうなだれてはなりません。

堂々と背筋を伸ばし、決して自分を見棄てるようなことをしない援助の手によって支えられていること、そして心の奥に芽生えた信念への忠誠心を失わず真摯な気持ちで奉仕し、神に召された今の仕事に良心的に仕えておれば、決して挫折することはないことを確信してください。

あなた方が一心に努力しておれば強力なる霊団が参加し、援助し、偉大な勝利へと導いてくれます。これから為し遂げていく仕事を大いなる期待を持って楽しみにするくらいの気構えが必要です。そしてそのお陰で数知れぬ人々が喜んでくれることを知ってください。

 人のために自分を役立てるということは大いなる特権です。その機会を与えられたことをお二人は誇りに思うべきです。それと同時に、私たちの世界から協力する者にも使命が託されていること、重大な使命、神からの使命が託されていること、そしてあなた方の方から見放さないかぎり決してあなた方を見放すことはないことを信じることです。

これまでも大いなる成果が上がっております。これからもさらに多くの仕事が成就されていくことでしょう」



 パリッシュ夫妻  Mr. and Mrs. Parish

イーストシーン治療所を滅多に離れることのない心霊治療家のパリッシュ氏が夫人を伴って出席した。この交霊会の長老格である。早朝から一六時間もぶっ通しで治療した後なのに、出席者の中でも一番元気そうに見える。シルバーバーチがこう語りかけた。

 「私はあなたとお話できる時はいつも楽しくてなりません。光栄にも私は現在の治療所で微力ながら毎日のように背後よりお手伝いさせていただいておりますが、こうして二人で人間らしく語り合えば、ほかの方々はまた別の意味でよろこばれます。

お二人の献身的なお仕事によって霊の力が着々と広がり、多くの魂が感動して目を覚まし、暗黒の中にいる人々が光を見出していることを私たち霊界の者がどれほどうれしく思い、世界中の人々が(遠隔治療を)どれほど有難く思っているかを知っていただきたいと思います。

 今ではあなた方を通して真理と悟りの光を見出した人が世界のほとんどの国におられます。あなたのこれまでの人生、そして今なお続けておられる毎日の献身的活躍によって巨大な奉仕の金字塔が築かれております。

憶えておいででしょうが、何年か前に初めてお会いした時、私はあなたにこれから後のお仕事の発展ぶり、どういう具合に世界の隅々まで広がり、いかに多くの人々が祝福を受けに来ることになるかを申し上げました。

すべての人が治るとは限りません。それぞれに地上との縁の切れ時(寿命)というものがあります。が、たとえすべての人の病気を治してあげられなくても、わずかな光明、暗闇の中に一条の光を見出させてあげていることを知ってください。

前にも一度申し上げたことがありますが、病気を治してあげることは確かに大切ですが、もっと大切なことは魂を目覚めさせること───真の自分を見出し、自分を見出すことによって生命の大霊であるところの神とのつながりをより緊密にしてあげることです。

 私たち霊界側でも絶え間なく活躍しております。あなた方に協力している高級霊団、あなた方を地上への働きかけの道具としている霊団では常に新しい霊波の研究をしており、また、あなた方が徐々に体験しておられる精神統一における意識の深まりが、治療エネルギーをより多く地上へ注ぎ込む可能性を大きくしてくれております。

治療に入る前にあなた方が背後霊団との完全な連繋態勢と調和を得るために行っておられる心掛けと工夫もその一環となっております。

どういうことかと言えば、精神統一が深まりあなたという個的存在が消滅する直前においての治癒エネルギーとの融合が完全に近づけば近づくほど、そのエネルギーの威力がより多くあなたの身体を通して流れるからです。それは治療所における直接治療の場合でも、世界各地への遠隔治療の場合でも同じです。

(訳者注ー私の師である間部詮敦氏が予言について語ったところによると、精神統一を深めていくと次から次へといろんな情報が飛び込んでくる。が、それにすぐに飛びついてはいけない。どんどん統一が深まっていき、もうすこしで意識が消えるというギリギリのところまで行った時に閃いたものが一番信頼できるということだった。

ある時は地震を何時何分何秒まで正確に当てたことがある。シルバーバーチが別のところで、霊媒の霊格が向上するほど程度の高い叡智を授かるようになると述べているが、これは言いかえれば精神統一の深さの程度のことであり、波長が高くなるということであろう)

 そうは言うものの、時にはうんざりなさることもありましょう。無意味に思えることもあることでしょう。しかしそれも詮ずるところ厳然たる計画と目的を持った仕事の一環です。あなたはそのための道具です。ただ一人で悟りへ向けて、孤独な道、犠牲の道を徐々に手引きされております。

かつても申し上げたことをあるのを覚えておいででしょうが、その道は行くほどに見慣れた景色を一つひとつ後にしていかねばならない寂しい道です。しかしそれしか道がないのです。みずから魂を高揚しなければなりません。高き憧憬を抱き続けねばなりません。

魂の受容性を高めねばなりません。内的意識を拡大していかねばなりません。しかし、それが順調にいくだけ、それだけ多く霊界からの生命力が流れ込むことになるのです。

 あなたとともに大ぜいのスピリットが働いております。地上で医者だった者、病気治療の専門家だった者はもとよりのこと、こちらで永い永い年月にわたって研究を重ね、各種の治癒エネルギーを扱って人間の霊的身体への影響を調べているスピリットもいます。

 ご承知のとおり私たちの世界は決して終局の世界ではありません。すべてのことが分かる世界ではありません。すべてが成就されてしまって、もう何もすることがないという世界ではありません。

私達も実験・研究が必要なのです。が、治療家としてふさわしい身体を持ち、人のためにという願望一つに燃え、大方の人間が追い求めるチャチな物的ぜいたくには目をくれず、ただひたすら魂と精神と身体を完全にマスターするための修行の道に勤む人間がいないことには、私たちとの協力関係も完璧は期しがたいのです。

その修養は一種の霊的浄化の過程です。純金が姿を現わすためには不純物を取り除かねばなりません。あなたも人間である以上、多少の不純物はかならずあります。しかし、あなた方はいま正道を歩んでおられます。そして、それは偉大なことと言うべきです」

 パリッシュ夫人も治療能力を持っておられ、シルバーバーチがその養成についての助言を与えた。夫人も霊の道具として活躍できることのよろこびを語った。

夫妻は霊媒として大望を抱く者にとって一つの模範である。といって、二人の治療がすべて奇跡的な効果を上げているわけではない。シルバーバーチも言っているように〝困難があり、失敗があり、そして心を大いに痛めることもある〟が、それでもお二人は尚も前向きの姿勢を失わない。

 二時間に及んだその日の交霊会の最後に、シルバーバーチはサークル全員にこう励ました。

 「決して弱気になってはいけません。堂々と胸を張り、宇宙の全生命を創造した力、夜空にきらめく星空を支えている力、花に香を添え、太陽を昇らせそして沈ませる力、虹にあの美しい色彩を施し小鳥にあの可憐なさえずりを与えた力、全生命に存在価値を与え、人間に神性を賦与した力、その力がいつもあなた方を支え、守り、そして導いていることを忘れてはなりません」

Wednesday, April 29, 2026

シルバーバーチの霊訓(四)


 Silver Birch Anthology 

 Edited by William Naylor


六章  潜在意識の機能

 入神(トランス)状態における霊媒はどんな役割を演じているのか───ある日の交霊会でそれが問題となったことがある。そのきっかけはシルバーバーチが霊媒のバーバネルが入神状態から睡眠状態へ移りそうなのでコントロールがしにくくなったと述べたことがある。

そして〝私にはそうなるとまずいのです〟と言うと、サークルの一人が〝なぜですか〟と尋ねた。すると〝私はこの霊媒の身体の全体をコントロールしなければならないからです〟と答えた。

℘152
───霊媒が眠ってしまうとコントロールできないのですか。

 「できません。身体を操るには潜在意識を使用しなければなりません。眠ってしまうと潜在意識が活動を停止します」

───でも、どっちにせよ、霊媒はその身体から出るのではないでしょうか。

 「いえ、霊媒自身が身体の中にいるか外にいるかの問題ではありません。潜在意識とその機能の問題であり、それは中でもなく外でもありません」


───私は霊媒はワキへ押しやられてると思ってました。

 「それはそうなのですが、一時的に身体からは離れているというだけのことです。(身体から離れていても意識状態には関係ないということ―訳者)。それは霊媒がみずから進んで身(潜在意識)を任せている状態で、潜在意識まで引っ込めてしまうのではありません。そうなると睡眠状態になってしまいます。

霊媒現象はすべて霊界と地上との間の意識的な協力関係で行われます。無意識のうちに潜在能力が一時的に使用されるケースが無いわけではありませんが、支配霊と霊媒という関係で本格的な霊的交信の仕事をするとなると、その関係は意識的なものでなければなりません。つまり霊媒現象に関係するあらゆる機能に霊媒が進んで参加することが必要となります」


───睡眠中の霊媒が(支配霊以外の霊によって)使用されて通信が届けられたケースがあったように思いますが・・・・・・。

 「そういうこともあったかも知れませんが、それは通常行われるべきプロセスが逆転した状態です」
(訳者注ー冒頭でシルバーバーチが霊媒が眠ってしまいそうなので通信しにくくなったと述べたが、逆に眠っていた潜在意識が引き戻されて通信を送るということ)


───その場合、睡眠中にそういう形で使用されることを霊媒自身も同意していたということが考えられますか。

 「それは考えられます。ただご承知のように、私どもは霊媒の望みはよほど下らぬことでないかぎりは敬意を払い、然るべき処置をとります。しかし、言うまでもなくこの身体は私どもの所有物ではありません。居住者であるバーバネルのものです。

こうして私どもが少しの間お借りすることを許してくれれば結構なことであり有難いことですが、その許可もなしに勝手に使用することは道義に反します。その身体を通じて働くさまざまな霊的エネルギーに対して霊媒と私たちの双方が敬意を払った上で、気持ちよく明け渡すというのが正しいやり方です」


 その潜在意識がどのように使用されるかを聞かれて───
 「そのことに関してずいぶん誤解があるようです。精神(大半が潜在意識)にはさまざまな機能があります。人間というのは自我意識を表現している存在といってよろしい。意識がすべてです。意識そのものが〝個〟としての存在であり、個としての存在は意識のことです。

意識のあるところには必ず個としての霊が存在し、個としての霊が存在するところには必ず意識が存在します。あなた方の物質界においては自我のすべてを意識することは出来ません。

なぜならば───あなた方に分かりやすい言い方をすれば───自我を表現しようとしている肉体(脳)よりも本来の自我の方がはるかに大きいからです。小は大を兼ねることができません。弱小なるものは強大なるものを収容することができないのが道理です。

人間は地上生活を通じて、より大きな自我のホンの一部しか表現しません。大きい自我は死んでこちらへ来てから自覚するようになります。死んですぐに全部を意識するようになるのではありません。やはりこちらの生活でもそれなりの身体を通して、霊的進化とともに少しずつ意識を広げていくことになります。

 意識的生活のディレクターであり個的生活の管理人である精神は、肉体的機能のすべてを意識的に操作しているわけではありません。

日常生活において必要な機能の多くは自動的であり機械的です。筋肉、神経、細胞、繊維等々がいったん意識的指令を受け、さらに連繋的に働くことを覚えたら、その後の繰り返し作業は潜在意識に委託されます。

 たとえば、物を食べるとき皆さんは無意識の内に口を開けています。それは、アゴが動く前にそれに関連した神経やエネルギーの相互作用があったことを意味します。

すなわち精神の媒体である脳から神経的刺激が送られ、それから口を開け、物を入れ、そして噛むという一連の操作が行われます。すべてが自動的に行われます。

一口ごとにその操作を意識的に行っているわけではありません。無意識のうちにやっております。潜在意識がやってくれているのです。赤ん坊の時はその一つひとつを意識的にやりながら記憶していかねばなりませんでした。しかし今はいちいち考えないで純粋に機械的に行っております。

 こうして皆さんの身体上の、そしてかなりの程度まで精神的機能も、大部分が潜在意識に委託されていることがお分かりになるでしょう。潜在意識というのは言わば顕在意識の地下領域に相当します。たとえば皆さんが本を読んでいて途中で、これはどういうことだろう、と自問すると即座に答えがひらめくことがあります。

それは潜在意識がふだんから顕在意識の思考パターンを知っているので、それに沿って答えを生み出すからです。誰かの話を聞いている時でも同じです。〝あなたはどう思いますか〟と不意に聞かれても即座に潜在意識が答えを出してくれます。

 ところが日常的体験のワク外の問題に直面すると、それは潜在意識が体験したことも、あるいは解決したこともないことですので、そこで新たな意識操作が必要となります。

新しい回線を使用することになるからです。しかしそうした例外、つまりオリジナルな思考───という言い方が適切かどうかは別として───を必要とする場合を除いて、人間の日常生活の大部分は潜在意識によって営まれております。言わば潜在意識は倉庫の管理人のようなものです。

あらゆる記憶を管理し、生きるための操作の大半をコントロールしています。その意味で人間のもっとも大切な部分ということができます。

 その原理から霊媒現象を考えれば、そもそも霊媒現象というのはそれまで身体機能を通して表現してきた自分とは別の知的存在が代わって操作する現象ですから、顕在意識の命令に従って機能することに慣れている潜在意識を操作する方がラクであるに決まっています。

命令を受けることに慣れているわけです。仕事を割り当てられ、それをよほどのことがない限り中断することなく実行することに慣れております。

 霊媒現象のほとんど全部に霊媒の潜在意識が使用されています。その中に霊媒の人物の本当の姿があるからです。貯蔵庫ともいうべき潜在意識の中にその人物のあらゆる側面が仕舞い込まれているのです。

こうした入神現象において支配霊が絶対に避けなければならないことは、支配の仕方が一方的すぎて、霊媒が普段の生活で行っている顕在意識と潜在意識の自動的連係関係がいつものパターンどおりに行かなくなってしまうことです。その連係パターンこそがこの種の現象の一番大切な基本となっているからです」


───霊媒の方が潜在意識をおとなしくさせる必要があるということでしょうか。

 「そうではありません。支配霊の個性と霊媒の個性とが完全に調和し、その調和状態の中で支配霊自身の思念を働かせなければなりません。同時に支配霊は、他方において、ちょうどタイプライターのキーを押すと文字が打たれるような具合に、霊媒の潜在意識の連係パターンをマスターして、

他の知的存在の指令にもすぐさま反応するように仕向けなければなりません。それが支配霊として要求される訓練です。先ほど述べたことを絶対に避けるための訓練といってもよろしい」 
 これで皆さんも容易に得心していただけることと思いますが、霊媒現象は霊媒という生きた人間を扱う仕事であり、霊媒には霊媒としての考えがあり偏見があり好き嫌いがありますから、今も述べたように、〝支配する〟といってもある程度はそうした特徴によって影響されることは免れません。

霊媒を完全に抹殺することはできません。どの程度までそうした影響が除去できるかは、支配霊がどの程度まで霊媒との融合に成功するかに掛っています。もし仮に百%融合出来たとしたら霊媒の潜在意識による影響はゼロということになるでしょう。

 霊媒を抹殺するのではありません。それはできません。融合するのです。霊媒現象の発達とはそれを言うのです。サークル(円座 ───シルバーバーチ交霊界ではバーバネルがふだん使っている書斎の椅子に座り、そこから左右にほぼ円形にメンバーが席をとるー訳者)の形を取るのはそのためです。出席した人たち全員から出るエネルギーがその融合を促進する上で利用されるのです。調和が何より大切ですと申し上げるのはそのためです。

出席者の間に不協和音があるとそれが霊媒と支配霊の融合を妨げるのです。交霊会の進行中は絶え間なく精神的エネルギーが作用しているのです。あなた方の目にお見せできませんが、出席者の想念、思念、意志、欲求、願望のすべてが通信に何らかの影響を及ぼしています。

支配霊が熟練しているほど、経験が豊富であるほど、それだけ霊媒との調和の程度が高く、それだけ潜在意識による着色が少なくなります。


───その説からいうと、霊媒はなるべく支配霊と似通った願望や性格の持ち主がよいことになりませんか。

 「一概にそうとも言い切れません。これは異論の多い問題の一つでして、私どもの世界でも意見の相違があります。忘れないでいただきたいのは、私たちスピリットも人間的存在であり、地上との霊的交信の方法について必ずしもすべての点で意見が一致しているわけではありません。

 たとえば無学文盲の霊媒の方が潜在意識による邪魔が少ないので成功率が高いと主張する者がいます。それに対して、いや、その無知であること自体が障害となる───それが一種の壁をこしらえるのでそれを崩さねばならなくなるのだ、と反論する者がいます。

安物の楽器よりも名匠の作になる楽器の方が良い音楽を生むのと同じで、霊媒は教養があるほどよい───よい道具ほど通信を受けやすいのだと主張するのです。私はこの意見の方が正しいと思います」


───なぜ教養の有る無しが問題とされるのでしょう。人格の問題もあるのではないでしょうか。

 「私は今トランス状態での通信の話をしているのです。人間性の問題はまた別の要素の絡んだ問題です。私は今霊言が送られる過程について述べているのです。

通信の機構(メカニズム) と呼ばれても結構です。それを分かりやすい譬えで言いますと、バイオリニストにとっては名器のストラドバリウスの方が安物よりも弾きやすいでしょう。楽器の質の良さが良い演奏を生むからです。安物では本当の腕が発揮できません。

 霊媒の人間性の問題ですが、これは霊言の場合ですと通信内容に、物理現象の場合ですと現象そのものにその影響が出ます。物理霊媒の場合、霊格が低いほど───程度の問題として述べているだけですが───たとえばエクトプラズムの質が落ちます。

物質的にでなく霊的観点からみてです。霊側と霊媒とをつなぐ霊力の質は霊媒の人間性が決定づけるのです。たとえば地上ならさしずめ聖者とでも言われそうな高級霊が人間性の低い霊媒を通じて出ようとしても(※)、その霊格の差のために出られません。接点が得られないからです」

(※ここでいう〝出る〟とはエクトプラズムでこしらえた発声器官(ボイスボックス)でしゃべる場合───直接談話現象───と、同じくエクトプラズムを身にまとって姿を現わす場合───物質化現象───とがある―訳者)


───物理現象においても霊媒の潜在意識が影響を及ぼすように思えるのですが、その点についてご説明ねがえませんか。

 「交霊会のカギを握っているのは霊媒です。霊媒は電話機ではありません。電信柱ではありません。モールス信号のキーではありません。生きた器械です。その生命体の持つ資質のすべてが通信に影響を及ぼします。

 それで良いのです。もしも霊界と地上との交信のための純粋の通信器械が出来たら───そういうものは作れませんが───それによって得られる通信は美しさと崇厳さが失われるでしょう。いかなる交霊会においてもカギを握るのは霊媒です。

霊媒なしでは交霊会はできません。霊媒の全資質が使用されるのです。たとえばメガホン一本が浮揚するのも、物質化像が出現するのも、その源は霊媒にあります。そして霊媒の持つ資質が何らかの形でその成果に現われます」


───霊が憑ってくると霊媒の脈拍が変化するのはなぜでしょうか。その脈拍は霊の脈拍なのでしょうか。
 
 霊が霊媒を支配している時は霊媒の潜在意識を使用しています。すると当然霊媒の基本的な機能つまり心臓、脈拍、体温、血液の循環等々を支配することになります。

入神すると呼吸が変化するのはそのためです。一時的なことです。ですが一時的にせよその間は、支配霊は物質界と接触して自分の個性を物的身体を通して再現しているわけです。

たとえば私は元アメリカ・インディアンの幽体を使用しています。そのインディアンが霊媒の潜在意識を支配していますから、その間の脈拍はその幽体の脈拍です。このような形(※)で行う方が一から始めるよりも手間が省けます。
(※地上の霊媒と霊界の霊媒を使用して通信を送っており、これであの肖像画に見るインディアンがシルバーバーチその人でないことは明白である―訳者)

 「あなた方の住む物質界は活気がなくどんよりとしています。あまりにうっとうしく且つ重苦しいために、私たちがそれに合わせようと波長を下げていく途中で高級界との連絡が切れてしまうことがあります。私の住む光の世界とは対照的に、あなた方の世界は暗くて冷たい、じとじとした世界です。

 あなた方は太陽の本当の姿、目も眩まんばかりの(太陽の霊体の)光輝をご覧になったことがありません。あなた方が見ておられるのはその粗末な模造にすぎません。ちょうど月が太陽の光を反射して輝くように、あなた方の眼に映っている太陽は私たちの太陽の微かな反射ていどに過ぎません。

 譬えてみれば、こうして地上へ降りてきた私は、カゴに入れられた小鳥のようなものです。用事を済ませて地上から去っていく時の私は、鳥カゴから放たれた小鳥のように、果てしない宇宙の彼方へよろこび勇んで飛び去って行きます。死ぬということは鳥カゴという牢獄から解放されることなのです。

 さて私があなた方と縁のあるスピリットからのメッセージを頼まれる時は、それなりのバイブレーションに切り換えてメッセージを待ちます。その時の私は単なるマウスピースにすぎません。

状態がいい時は連絡は容易にできます。が、この部屋の近所で何かコトが起きると混乱が生じます。突如として連絡網が途切れてしまい、私は急いで別のメッセージに代えます。バイブレーションを切り換えなくてはなりません。

 そうした個人的なメッセージの時はスピリットの言っていることが一語一語聞き取れます。それは、こうして私が霊媒を通じてしゃべっている時のバイブレーションと同じバイブレーションでスピリットがしゃべっていることを意味します。

しかし、高級界からのメッセージを伝えるとなると、私は別の意識にスイッチを切り換えなくてはなりません。シンボルとか映像、直感とかの形で印象を受け取り、それを原語で表現しなくてはなりません。

 それは霊媒がスピリットからの通信を受けるのと非常によく似ております。その時の私は、シルバーバーチとして親しんで下さっている意識よりもさらに高い次元の意識を表現しなければならないのです。

 たとえば画家がインスピレーションを受ける時は、ふだん使用しているのとは別のバイブレーションに反応しています。その状態の中で画家はある霊力の作用を受け、それを映像に転換してキャンバスの上に描きます。インスピレーションが去るとそれが出来なくなります。

それと同じで、私が皆さんに霊的真理をお伝えしようとすると、私の意識の中でも高等なバイブレーションに反応できる回線を開き、高級霊がそれを通路として通信を送ってくる。それを私が地上の言語で表現するわけです。

 とは言え、私は所詮この霊媒(バーバネル)の頭にある用語数の制限を受けるだけでなく、この霊媒の霊的発達程度による制約も受けます。霊媒が霊的に成長してくれれば、その分だけ、それまで表現できなかった部分が表現できるようになるのです。

 今ではこの霊媒の脳のどこにどの単語があるということまで分かっていますから、私の思うこと、というよりは、ここにくる前に用意した思想を全部表現することが出来ます。

 この霊媒を使って語り始めた初期のころは、一つの単語を使おうとすると、それとつながった他のいらない単語まで一緒に出て来て困りました。必要な単語だけを取り出すためには脳神経全体に目を配らなくてはなりませんでした。

現在でも霊媒の影響を全く受けていないとは言えません。用語そのものは霊媒のものですから、その意味では少しは着色されていると言わざるを得ないでしょう。が私の言わんとする思想が変えられるようなことは決してありません。

 あなたがた西洋人の精神構造は、私たちインディアンとはだいぶ違います。うまく使いこなせるようになるまでに、かなりの年数がいります。まずその仕組みを勉強した後、霊媒的素質を持った人々の睡眠中をねらって、その霊体を使って試してみます。そうした訓練の末にようやくこうしてしゃべれるようになるのです。

 他人の身体を使ってみると、人間の身体がいかに複雑に出来ているかがよく分かります。一方でいつものように心臓を鼓動させ、血液を循環させ、肺を伸縮させ、脳の全神経を適度に刺激しながら、他方では潜在意識の流れを止めて、こちらの考えを送り込みます。容易なことではありません。

 初めのうちはそうした操作を意識的にやらなくてはならないのです。それが上達の常道というものです。赤ん坊が歩けるようになるには一歩一歩に全意識を集中します。

そのうち意識しなくても自然に足が出るようになります。私がこの霊媒をコントロールするようになるまで、やはり同じ経過を辿りました。一つ一つの操作を意識的にやりました。今では自動的に働きます。

 最近他界したばかりの霊がしゃべる時はそこまでする必要はありません。霊媒の潜在意識に思念を印象づけるだけでよろしい。しかしそれにもかなりの練習がいります。それをこちらの世界の者どうしで行います。そう易々と出来ることではないのです。こうして霊媒の口を使って思うことを伝えるよりは、メガホンを使ってしゃべる方がずっとラクです。

(訳者注ーメガホンの中に発声器官をこしらえてしゃべる。詳しくは「ジャック・ウェーバーの霊現象」国書肝行会を参照されたい)

 人間の潜在意識はそれまでの生活によって働き方に一つの習性が出来ており、一定の方向に一定の考えを一定のパターンで送っています。

その潜在意識を使ってこちらの思想なりアイディアなり単語なりを伝えるためには、その流れをいったん止めて、新しい流れを作らなくてはなりません。もし似たような考えが潜在意識にあれば、その流れに切りかえます。レコードの様なものです。その流れに乗せれば自動的にその考えが出て来ます。新しい考えを述べようと思えば新しいレコードに代えなくてはならないわけです。

 この部屋に入ってくるのに、壁は別に障害になりません。私のバイブレーションにとって壁は物資ではないのです。むしろ霊媒のオーラの方が固い壁のように感じられます。

私のバイブレーションに感応するからです。もっとも、私の方はバイブレーションを下げ、霊媒の方はバイブレーションを高めています。それがうまく行くようになるまで十五年もかかりました。

 霊媒のオーラの中にいる間、私は暗くて何も見えません。この身体によって私の能力が制限を受けています。この霊媒が赤ん坊のころから身につけていくことを私がいかに使用するかを一つひとつ勉強しなければなりませんでした。もっとも足の使い方は知る必要がありませんでした。私は足には用事がないからです。必要なのは脳と手だけです。

 この霊媒を支配している時に別のスピリットからのメッセージを口うつしに伝えることがありますが、その時は霊媒の耳を使うのではなく私自身の霊耳を使います。全ては霊媒のオーラと私のオーラの問題です。私のオーラは霊媒のオーラほど濃密でなく、

霊媒のオーラの中にいる時でも他のスピリットが私のオーラに思念を印象づけることができます。言ってみれば電話で話をしながら同じ部屋の人の話を聞くのと同じです。二つのバイブレーションを利用しているのです。同時には出来ませんが、切り換えることは出来るわけです」


───霊言現象は霊が霊媒の身体の中に入ってしゃべるのですか。

 「必ずしもそうではありません。大ていの場合オーラを通じて操作します」

───霊媒の発声器官を使いますか。

 「使うこともあります。現に今の私はこの霊媒の発声器官を使っています。拵えようと思えば私自身の発声器官を(エクトプラズムで)拵えることも出来ますが、そんなことをするのは私の場合はエネルギーの無駄です。

私の場合はこの霊媒の潜在意識を私自身のものにしてしまいますから、全身の器官をコントロールすることが出来ます。いわば霊媒の意志まで私が代行し───霊媒の同意を得た上での話ですが───しばらく身体を預かるわけです。終わって私が退くと霊媒の意識が戻って、いつもの状態に復します」

───霊媒の霊体を使うこともありますか。

 「ありますが、その霊体も常に肉体につながっています」

───仕事を邪魔しようとするスピリットから守るために列席者にも心の準備がいりますか。

 「いります。一ばん大切なことは身も心も愛のひとつになり切ることです。そうすれば愛の念に満たされたスピリット以外は近づきません」

───霊界側でもそのための配慮をされるのですか。

 「もちろんです。常に邪魔を排除しなくてはいけません。あなたがた出席者との調和も計らなくてはなりません。最高の成果をあげるために全ての要素を考慮しなければなりません。こちらにはそのために組織された素晴らしい霊団がおります」

───霊媒は本をよく読んで勉強し、少しでも多くの知識を持った方がいいでしょうか。それともそんなことをしないで自分の霊媒能力に自信を持って、それ一つで勝負した方がいいでしょうか。

 「それは霊能の種類にもよるでしょうが、霊媒は何も知らない方がいいという考えには賛成できません。知らないよりは知ってる方がいいに決まっています。知識というのは自分より先に歩んだ人の経験の蓄積ですから、勉強してそれを自分のものにするよう努力した方がいいでしょう。私はそう思います」

 
───立派な霊能者となるには生活面でも立派でなくてはいけませんか。

 「生活態度が立派であれば、それだけ神の道具として立派ということです。ということは、生活態度が高度であればあるほど、内部に宿された神性がより多く発揮されていることになるのです。日常生活において発揮されている人間性そのものが霊能者としての程度を決めます」


───ということは、霊格が高まるほど霊能者としても向上すると言っていいのでしょうか。

 「決りきったことです。生活面で立派であればあるほど霊能も立派になります。自分の何かを犠牲にする覚悟の出来ていない人間にはロクな仕事は出来ません。このことは、こうして霊界での生活を犠牲にして地上に戻ってくる私たちが身を持って学ばされてきた教訓と言ってもいいでしょう」


───他界した肉親や先祖霊からの援助を受けるにはどうすればいいでしょうか。

 「あなたが愛し、あなたを愛してくれた人々は、決してあなたを見捨てることはありません。いわば愛情の届く距離を半径とした円の範囲内で常にあなたを見守っています。時には近くもなり、時には遠くもなりましょう。が決して去ってしまうことはありません。

その人たちの念があなたがたを動かしています。必要な時は強く作用することもありますが、反対にあなたがたが恐怖感や悩み、心配等の念で壁をこしらえてしまい、外部から近づけなくしていることがあります。

 悲しみの涙を流せば、その涙が霊まで遠く流してしまいます。穏やかな心、安らかな気持ち、希望と信念と自信に満ちた明るい雰囲気に包まれている時は、そこにきっと多くの霊が寄ってまいります。

 私たち霊界の者は出来るだけ人間との接触を求めて近づこうとするのですが、どれだけ接近できるかは、その人間の雰囲気、成長の度合、進化の程度に掛かっています。霊的なものに一切反応しない人間とは接触できません。

霊的自覚、悟り、ないしは霊的活気のある人とはすぐに接触がとれ、一体関係が保てます。そういう人はスピリチュアリストばかりとは限りません。知識としてスピリチュアリズムのことを知らなくても、霊的なことを理解できる人であればそれでいいのです。

とにかく冷静で受容的な心を保つことです。取越苦労、悩み、心配の念がいちばんいけません。それらがモヤをこしらえて、私たちを近づけなくするのです」


───そういう霊にこちらからの念が通じますか。

 「一概にイエスともノーとも言いかねます。魂の進化の程度が問題になるからです。波長の問題です。もしも双方がほぼ同程度の段階にあれば通じるでしょう。が、あまりに距離がありすぎれば全く波長が反応し合いませんから、通じないでしょう」


───他界した人のことを余り心配すると霊界での向上の妨げになるでしょうか。

 「地上の人間に霊界の人間の進歩を妨げる力はありません。スピリットはスピリット自身の行為によって向上進化します。人間の行為とは関係ありません」(絶対的拘束力はないという意味で述べているー訳者)


───世俗から隔絶した場所で瞑想の生活を送っている人がいますが、あれで良いのでしょうか。

 「〝良い〟という言葉の意味次第です。世俗から離れた生活は心霊能力の発達には好都合で、その意味では良いと言えるでしょう。が私の考えでは、世俗の中で生活しつつ、しかも世俗から超然とした生活の方がはるかに上です。

つまり霊的自覚に基いた努力と忍耐と向上を通じて同胞の為に尽くすことが、人間本来のあるべき姿だと思います」


───世俗から離れた生活は自分のためでしかないということでしょうか。

 「いちばん偉大なことは他人のために己れを忘れることです。自分の能力を発達させること自体は結構なことです。が開発した才能を他人の為に活用することの方がもっと大切です」


───これからホームサークルを作りたいと思っている人たちへのアドバイスを・・・。

 「イヤな思いをすることのない、本当に心の通い合える人々が同じ目的を持って一つのグループをこしらえます。週一回、同じ時刻に同じ部屋に集まり、一時間ばかり、あるいはもう少し長くてもよろしい、祈りから初めて、そのまま瞑想に入ります。目的、動機が一番大切です。面白半分にやってはいけません。

人のために役立たせるために霊能を開発したいという一念で忍耐強く、ねばり強く、コンスタントに会合を重ねていくことです。そのうち同じ一念に燃えたスピリットと感応し、必要な霊能を発揮すべく援助してくれることでしょう。

 言っておきますが、私どもは何かと人眼を引くことばかりしたがる見栄っ張りの連中には用はありません。使われずに居眠りをしている貴重な能力を引き出し、同胞のため人類全体のために有効に使うことを目的とした人の集まりには大いに援助します」


───どうすれば霊媒や霊視能力者になれるでしょうか。

 「神のために自分を役立てようとする人はみな神の霊媒です。いかにして霊を向上させるか───これはもう改めて説く必要はないでしょう。これまで何回となく繰り返し説いてきたことだからです。自分を愛する如く隣人を愛することです。人のために役立つことをすることです。

自分を高めることをすることです。何でもよろしい、内部に宿る神性を発揮させることをすることです。それが最高の霊媒現象なのです。霊視能力者になる方法よりは、神の光が見えるように魂の眼を開く方法をお教えしましょう。それも今述べたのと同じです」

 


Tuesday, April 28, 2026

霊媒の書  アラン・カルデック編

 The Mediums' Book    Allan Kardec

スピリチュアリズムの真髄

第2部 本論




8章 見えざる世界の実験室

霊は、流れるような優美な衣をまとっていることもあれば、ありふれた人間的な服装をしていることもあることはすでに述べた。どうやら前者が一定レベル以上の高級霊の普段の衣装であるように思われる。

いずれにせよ、ではそうした衣装をどこから手に入れるのであろうか。とくに地上時代と同じ衣服をまとって出てくる霊は、それをどこから手に入れるのであろうか。衣服のアクセサリーまでまったく同じなのはなぜなのであろうか。あの世まで持って行ったはずはない。そのことだけは間違いない。なのに、実験会に出現してそれを見せ、時には触らせてくれることもある。一体どうなっているのであろうか。

このテーマは、霊姿を見た者にとって、これまでずっと不可解きわまる謎だった。もちろん単なる好奇心の対象でしかない人も少なくないであろう。

が、これは実はきわめて重大な意義を含んでいて、我々の探求によって、霊界と現界とに等しく当てはまる法則の発見の手掛かりをつかむことができた。それなしにはこの複雑な現象の解明は不可能である。

すでに他界している人間の霊が出現した時に生前そっくりの衣服を着ていても、驚くには当たらない。記憶と想念の作用、つまり霊の創造力の産物とみてよいであろう。が、それをアクセサリーにも当てはめるのには抵抗がある。まして、前章の生者の幽霊現象に出てくる“かぎタバコ入れ”のように、その後ふだんの肉体で訪れた時に持っていたものとそっくりだったという事実は、普通では理解できない。

あの時、すなわち老紳士が病臥の女性の寝室を訪れたのは幽体であったことは理解できるが、かぎタバコ入れはどこから持ってきたのだろうか。杖やパイプ、ランタン、書物などを手にしていることもある。

初めのころ我々はこう考えた――不活性の物体にもエーテル的な流動体があるから、それが凝結して、肉眼には映じない型をこしらえることができる、と。この仮説もまったく真実性が無いわけではないが、これだけでは説明しきれない現象があることが分かってきた。

それまで我々が観察していたのはイメージや容姿ばかりだった。そして流動エネルギーが物質性をそなえることができることも知っていたが、それはあくまでも一時的なものであって、用が済めば消滅してしまうのである。その現象も確かに驚異的であるが、その後それよりさらに驚異的な現象に出会うことになった。いろいろあるが、その中の一つを挙げると“直接書記現象”がある。

これについては改めて章を設けて解説する予定であるが、ここで指摘しておきたい点と深く係わっているので、少しばかり言及しておきたい。

直接書記というのは霊媒の手も鉛筆も使わずに自動的に文章または暗号・符号・図などが書かれる現象である。ということは、用意するのは一枚の用紙だけということで、しかもそれを折り畳んでもいいし、引き出しに入れてもいいし、もちろんテーブルの上に置くだけでもよい。そのあと、ホンのわずかな間を置くだけで、その紙面にメッセージや暗号などが書かれているのである。

そのメッセージなどは鉛筆で書かれていたり、クレヨンで書かれていたり、赤鉛筆だったり普通のインクだったり、時には印刷用のインクだったりする。

用紙といっしょに鉛筆を置いておいたのであれば、霊はその鉛筆で書いたという想像が成り立つが、書くための用具は何一つ置いていないのである。となると霊は霊界でこしらえた何らかの道具で書いたことになる。一体どうやってこしらえるのであろうか。

その点の疑問が、例のかぎタバコ入れの現象に関する聖ルイの回答によって解明された。次がその一問一答である。


――生者の幽霊現象の話の中にかぎタバコが出てきます。そして、あの老紳士は実際にそれをかぐ仕草をしているのですが、あの時、我々がふだん香りをかぐのと同じように嗅覚を使っているのでしょうか。


「香りはありません。」


――あのかぎタバコ入れは老紳士がふだん使っているものとそっくりだったようですが、実物は家に置かれているはずです。手にしていたのは何なのでしょうか。


「外観だけの見せかけです。かぎタバコを見せたのは老紳士であることの状況証拠として印象づけるためと、あの現象が少女の病気による幻覚ではないことを証拠づけるためです。老紳士は自分の存在を少女に確信させたいと思い、リアルに見せるために外観を整えたのです。」


――“見せかけ”とおっしゃいましたが、見せかけには中味がなく、一種の目の錯覚です。我々が知りたいのは、あのかぎタバコ入れは中味のない、ただのイメージだったのかということ、つまり物質性は少しもなかったのかということです。


「もちろん物質性は幾分かはあります。霊が地上時代の衣服と同じものを身につけて霊姿を見せることができるのは、流動エネルギーを使用してダブルに物質性をもたせるからです。」


――ということは、不活性の物体にもダブルがあるということでしょうか。つまり、見えない世界に物質界の物体に形体をもたせる根元的要素があるということですか。言いかえれば、地上の物体にも、我々人間に霊が宿っているように、エーテル質の同じものがあるのでしょうか。


「そうではありません。霊は、宇宙空間および地上界に存在する物的原素に向けて、あなた方には想像もできない性質のエネルギーを放射し、その原素を意念で凝結して、目的に応じて適当な形体をこしらえます。」


――先ほどの聞き方が回りくどかったので、もう一度直截的にお聞きします。霊がまとっている衣服には実体がありますか。


「今の回答で十分その質問の答えになっていると思いますが……流動体そのものが実体のあるものであることはご存じでしょう?」


――霊はエーテル質の物体をどのようにでも変えることができ、かぎタバコの例で言えば、そういうものが霊界にあるのではなく欲しい時に意念の力で瞬間的にこしらえ、用事が終われば分解してしまう。同じことが霊が身につけているもの――衣服・宝石・その他あらゆるもの――について言える、ということでしょうか。


「まさにその通り。」


――問題のかぎタバコ入れは女性の目に見えています。本人は実物だと思ったほど明瞭に見えています。触っても実感があるようにでもできたのでしょうか。


「そのつもりになればできたでしょう。」


――そのタバコ入れを手に持ってみることもできたでしょうか。その場合でも本物と思えたでしょうか。


「そのはずです。」


――そのタバコ入れを彼女が開けたと仮定します。そこにかぎタバコが入っていたと思われますが、それを一つまみ吸ったらクシャミをしたでしょうか。


「したでしょう。」


――すると霊は形体をこしらえるだけでなく、その特殊な性質まで付与することも可能ということでしょうか。


「その気になれば可能です。これまでの質問に肯定的にお答えしたのはその原理に基づいてのことです。霊による物質への強烈な働きかけの証拠なら幾らでもあります。今のところはあなた方の想像力の及ばないようなものばかりですが……」


――仮に霊が有害なものをこしらえて、それを人間が呑み込んだとします。その人間はその毒にやられますか。


「そうした毒物を合成しようと思えばできないことはありません。が、そんなことをする霊はいません。許し難いことだからです。」


――健康に良いもので病気を癒すものも合成できますか。合成したことがありますか。


「ありますとも。しばしば行っております。」


――そうなると身体を扶養するための飲食物も合成できることになりますが、仮に果物か何かをこしらえて、それを人間が食べた場合、空腹が満たされますか。


「当然です。満たされます。ですが、口はばったいようですが、こんな分かりきったことを延々としつこく聞き出そうとするのは、いい加減お止めなさい。

太陽光線一つを取り上げてみても、あなた方のその粗野な肉眼が宇宙空間に充満する物的粒子を捉えることができるのは、その太陽光線のお蔭ではありませんか。空気中に水分が含まれていることはご存じのはずですが、それが凝縮すると元の水に戻ります。ご覧なさい、触ってみることも見ることもできない粒子が液体になるではありませんか。他にももっと驚異的な現象を起こせる物質を、化学者は数多く知っているはずです。

ただ、我々にはそれより遥かに素晴らしい道具があるということです。すなわち意念の力と神のお許しです。」


――そうやって霊によってこしらえられ、意念の力によって感触性を付与された物が、さらに永続性と安定性を得て人間によって使用されることも可能ですか。


「可能かどうかと言えば可能です。が、そんなことは霊は絶対にしません。それは人間界における秩序の摂理を侵害することになるからです。」


――霊はみな等しく感触性のある物体をこしらえる力を持っているのでしょうか。


「霊性が高いほど容易にこしらえるようになります。が、それもその場の条件次第です。低級霊にもそうした力を持った者がいます。」


――出現した霊がまとっている衣装や、我々に差し出して見せる品物が、どうやってこしらえられたのか、その霊自身は知っているのでしょうか。


「そうとは限りません。霊的本能によってこしらえている場合が多いです。十分に霊性が啓発されないと理解できません。」


ブラックウェル脚注――我々の身体の細胞は絶え間なく変化しているが、我々は食したものがどのようなプロセスで血となり肉となり骨となっているのか知らないのと同じであろう。


――霊は、宇宙に遍在する普遍的要素から、あらゆる物体をこしらえる原料を抽出することができ、さらにその一つ一つに一時的な実在性と特殊な性質を持たせることができるという事実から推し量ると、文字や符号を書くための材料もその普遍的要素から抽出できることは明らかですから、直接書記現象のカギもどうやらその辺にある――そう考えてよいでしょうね?


「ああ! やっとその理解に到達しましたね。」


編者注――これまでの質問は全てこの結論に到達することを念頭に置きながら出してきたもので、「ああ!」という感嘆の言葉は、霊側も我々の考えを読み取っていたことを示唆している。


――霊がこしらえるものは一時的なもので永続性がないとおっしゃいましたが、そうなると、直接書記の文字がいつまでも消えずに残っているのはなぜでしょうか。


「あなたは用語にこだわり過ぎます。私は永続性は絶対にないとは言っておりません。私が述べているのは重量のある物体のことです。直接書記の産物は紙面に書かれた文や図形にすぎません。それが保存する必要があればそのような処置を取ります。霊的にこしらえたものは一般の使用には向かないと言っているのです。あなた方の身体のように本来の物質で出来上がったものではないからです。」


訳注①――英文訳者のブラックウェルが最後の脚注で、英国ウェールズ州の“断食少女”を紹介している。が、あまりに簡単で資料としての重みがない。それよりも明治時代に話題をまいた長南年恵(正式にはチョウナントシエであるが、オサナミと呼ばれることが多い)という女性の現象の方が世界的水準からいっても驚異的なので、それを簡潔にまとめて紹介しておきたい。

資料は浅野和三郎氏が実弟の長南雄吉氏に面接して取材したもの。その時には年恵はすでに他界しており、浅野氏は年恵の現象が最高潮だった頃に、自分が「涼しい顔をして英文学なんかをひねくっていた」ことを悔やんでいる。

それにしても、それほどの霊能者がなぜ一時代の不思議話で終わったのか。「御一新(明治維新)の世にそんなバケモノ話があってたまるか!」という言葉に感じられる当時の官憲の悲しいほどの幼稚さが原因なのか、それとも私がいつもモノサシにする高級霊団による計画的援助の無さが原因なのか。どうも私にはその両方だったような気がしてならない。

日本の役人や学者の感性の無さは今も昔も言わずもがなであるが、その後その現象による啓発がどこにも見当たらないことも見逃せない事実である。単なる人騒がせの現象には高級霊団は関与しないからである。が、物理現象としては第一級のものだったことは確かなようで、とくに本章の「霊的にこしらえたもので肉体が養えるか」という疑問に対する絶好の回答であると私は観ている。

年恵は一八五八年、山形県の生まれ。驚異的現象が起き始めたのは三十五歳の時で、その後十五年間続いている。ということは欧米でスピリチュアリズムが最も盛んだった一八九〇年代とほぼ一致することになる。

しかし現象が表面化する前から普通の女性でないことで親を悩ませていたようである。例えば煮たり焼いたりしたものは一切身体が受けつけず、生水とホンの少量の生のサツマイモだけで、トイレに行くことがないばかりか女性の生理も三十五歳になっても一切無く、その顔はまるで十二、三歳の少女のようで、大阪の弟の雄吉の家に同居していた頃は、雄吉の妾ではないかとのうわさが立ったほどである。

雄吉がひそかに湯を沸かして、それを冷ましてから「水だ」と言って飲ませることを何度か試したが、そのたびに吐き出し、ひどい時は血まで吐いたという。

さらに年恵が入神(トランス)状態に入ると家屋全体が振動したり、部屋の中で笛や琴、鈴などによる合奏が聞こえ、そんな時はうわさを耳にした人や警察官などが家を取り巻くように集まって、それに聴き入ったという。

また入神した時は態度も声も変わり、普段は無邪気で無学な少女が凜(りん)とした態度で教えを説き、書画を書き、予言をし、それがことごとく適中したという。

年恵は「人心を惑わす詐欺行為」のかどで二度留置場へ入れられている。が、拘留中も身辺に妙なる音楽が聞こえたり、真夏でも年恵だけは蚊一匹寄りつかず、化粧道具は何一つないのに蝶々髷(まげ)はいつも結い立てのごとく艶(つや)々としていた。本人は「神様が結ってくださいます」と言っていたという。

圧巻は牢内での霊水の実験であろう。普段は自宅の祭壇に栓をした空ビンを十本、二十本、多い時は四十本も供えて、十分間ほど祈祷すると、パッと霊水で満たされる。赤・青・黄、色とりどりで、それぞれの病名に卓効があったという。

面白いのは、病気でもない者が試しに病名を適当に記した空ビンを置いておくと、それだけは何も入っていなかったという。

拘留されたのは二度であるが、法廷に立ったことが一度ある。結局無罪放免になったのであるが、その理由が霊水の実験だった。神戸裁判所でのことだったが、当時は新築中で、弁護士詰め所は電話室ができ上がったばかりで、電話そのものがまだ取り付けられていなくて空っぽだった。それを使って実験をしようということになり、年恵は素っ裸にされて検査をされた後、裁判長みずからが封印をした二合入りの空ビンを一本手にして電話室に入った。そして二分ほどするとコツコツというノックがしたので扉を開けると、茶褐色の水の入った二合ビンが密封されたままの状態で年恵の手に持たれていたのだった。

明治四十年十一月のある日、憑(かか)ってきた霊が「近いうちにあの世へ連れて行く」と予言した通り、間もなくあっさりと他界した。五十歳だった。


訳注②――直接書記現象については「改めて章を設けて解説する予定」とある。確かに「直接書記と霊聴」という見出しで扱われているが、意外に簡単に扱っていて「詳しくは第八章を参照」などと述べている。

確かに本章の説明で十分と思われるのでそこはカットすることにしているが、もう一つの「霊聴」を「直接書記」と並べて扱っているところに面白い視点が見られるので、その核心部分だけを紹介しておく。

私が「霊聴」と訳した用語は原典では“スピリット・サウンド”および“スピリット・ボイス”となっている。カルデックはその原因(声の出どころ)を“内的”と“外的”とに分け、内的なものはまるで“声”を聞いているように思えても聴覚で聞いているのではなく、外的なものは直接談話のようにエクトプラズムでこしらえたボイスボックス(声帯と同じもの)を使ってしゃべっているので聴覚に響く。つまり音声で聞いている。

ブラックウェルも「サークルでは出席者全員に聞こえる」と脚注で述べている。

霊媒の書  アラン・カルデック編

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第2部 本論




7章 生者の幽霊現象と変貌現象

前章では他界した人間の霊がその姿を生身の人間の霊眼に見せる場合と、霊みずからがエクトプラズムという半物質体をまとって肉眼に見せる場合について、そのメカニズムを霊団の通信霊との一問一答によって紹介したが、本章では、今この世に生きている人間、つまり生者の霊が肉体から脱してその容姿を遠距離にいる縁のある人に見せる現象と、生者自身の顔が見る見るうちに変貌して、他界した人間とそっくりになるばかりか、発する声まで同じになるという現象を扱う。


一見すると両者とも奇っ怪な現象のように思えるが、よく調べてみると前章の物質化現象と同じくダブルの特性によるもので、生前と死後とでその反応は変わらないことが分かった。

霊は、肉体をまとっている時も、その肉体を脱ぎ捨てた後も、半物質体でできたダブルという媒体に包まれており、それが条件次第で一時的に可視性と触知性とをそなえることができる。ともかくも実例を挙げてみよう。

さる田舎町に住む女性が重い病気で床に伏していた。ある日の夜の十時頃のことである。寝室に一人の老紳士がいるのに気づいた。同じ町の住人で見覚えはあったが、知り合いではなかった。

その老人はベッドの近くのひじ掛けイスに腰かけ、時おりかぎタバコをつまんでは嗅(か)いでいるが、その目つきはいかにも彼女を見張っているみたいである。

時刻が時刻なので怖くなってきた女性は、一体何しに来たのかと尋ねようとした。すると老人は「物を言ってはいけない」と言わんばかりの仕草をし、さらに「もう寝なさい」と言っているような仕草をする。何度か尋ねようとしたが、そのたびに同じ仕草をくり返す。そのうち彼女は寝入ってしまった。

その後何日かしてその女性がすっかり回復した頃、同じ老紳士が訪ねてきた。こんどは昼間である。衣服は同じで、同じかぎタバコ入れを手にし、態度も同じだった。

間違いないと確信した女性は、病床を見舞ってくれたことについて礼を述べると、老人は驚いた様子で自分は見舞いなんかに来ていないと言う。その夜のことをありありと覚えている女性は間違いないと確信したが、あまり語りたくなかったので「たぶん夢でも見ていたのでしょう」と言いつくろったという。

もう一つの例を紹介しよう。ある町に、なかなか結婚したがらない青年がいて、家族を始め親戚の者は隣の町に住むある女性がちょうど似合いの相手なのだが、と勧めていたが、本人は会ってみる気にもならなかった。

一八三五年のある祝祭日のことだったが、彼の寝室に突然一人の女性が白無垢の装束で現れた。頭には花の冠をのせていて、はっきりとした声で、

「私はあなたの婚約者です」

と言って手を差し出した。彼もとっさに手を差し出してその手を取ると、その指には婚約指輪がはめられていた。が、次の瞬間、その姿は消えていた。

驚いた青年は夢ではないことを確かめてから、家族の者に誰か訪ねてきた人はいないかと聞いてみたが、今日は誰も来客はないという返事だった。

それからちょうど一年後の同じ祝祭日のことである。その青年もついにみんなから盛んに勧められる隣町の女性を一目見てみたいという気持ちになった。

行ってみると折しもお祭り見物から帰ってくる人波の中に、一年前に彼の部屋で見たのとそっくりの女性を見つけて近づいた。装束も同じである。彼が唖然として見つめていると、その女性の方も彼に気がついた。そして真正面から見た瞬間、驚きの声を発すると同時にその場に卒倒してしまった。

意識が戻ってから女性は家族の者に「あの方は私が一年前のこの日に会った人よ」と述べ、かくして始まった二人の不思議な縁は結婚という目出たい結末となった。

一八三五年といえばハイズビル事件の十年余り前のことで、スピリチュアリズムはまだ話題になっておらず、二人ともごく平凡な、そして至って現実的な人間だったという。

次の話に移る前に、きっと出てきそうな疑問に答えておこう。「肉体から霊が脱け出てしまったのに肉体はなぜ死なないのか」という疑問である。

実は、同じく肉体から脱け出るといっても、生者の霊が一時的に肉体から離れる場合、つまり睡眠中とか上の例のような現象は、霊視すると銀色に輝く細い紐(魂(たま)の緒)で結ばれていて、それがいくらでも伸びる。そして、その間に肉体に何らかの刺激が与えられると、瞬時に肉体に戻る。

「死」というのは肉体が老衰・事故・病気などで使用不可能になった時にその銀色の紐(シルバーコード)が切断される現象で、いったん切断されたら二度と生き返れない。

次の例へ進もう。

ローマ・カトリック教会の聖アルフォンソ(一六九六~一七八七)は死後異例の早さで聖者の列に加えられているが、それは他でもない、生前、同時に二つの場所に姿を見せるという“奇跡”を演じて見せることができたからだった。

その聖アルフォンソがかつて無実の罪に沈みかけたことがあった。そしてイタリアのパドヴァで死刑が執行されようとしていた。

その時、スペインへ出張中の息子の聖アントニオが突如その刑場に出現して父親の無実を証言し、真犯人を名指しした。

その事実が明確となって聖アルフォンソは濡れ衣が晴れた。その後、聖アントニオがパドヴァの刑場に姿を現した時は間違いなくその身柄はスペインにあったことが確認されたという。

その聖アルフォンソに我々の交霊会に出ていただくことができた。以下はその時の一問一答である。


――あの生者の遊離現象について説明していただけますか。


「分かりました。霊性の進化の結果として、ある一定の段階の非物質化が可能となった者は、今いるところとは別の場所に自分の姿を見せることができるようになります。その方法は、睡眠状態に入りそうになった時に、ある特定の場所に移動させてくださいと神に祈るのです。その願いが許されると、肉体が睡眠状態に入るとすぐ霊がダブルの一部をともなって、死と境を接する状態にある肉体を離れます。

“死と境を接する状態”と表現したのは、魂が脱けた状態は“死”と同じでも、その肉体には曰(いわ)く言い難い絆(シルバーコード)が残されていて、ダブルと魂とのつながりを保っているからです。そのダブルが魂とともに意図した場所に姿を現すのです。」


――今のお答えでは、なぜ見えるのか、なぜ感触があるかについての説明になっておりませんが……。


「霊が物質による束縛から解き放たれると、物質への特殊な働きかけによって、その霊性の程度に応じて姿を大なり小なり五感に訴えるようにすることができます。」


――それには肉体が睡眠状態に入ることが不可欠なのでしょうか。


「魂は、肉体が置かれている位置とは別の複数の場所に行きたいと思えば、自らを分割してそれぞれの場所に姿を見せることができます。

その時、肉体は必ずしも睡眠状態にならなくてもいいのですが、それは滅多にないことです。仮にごく通常の状態にあるかに見えても、大なり小なりトランス状態にあるものです。」


編者注――魂が自らを分割すると言っても、我々の概念でいう“分割”とは異なる。魂はあくまでも一つなのであるが、鏡を幾つも置けばその数だけ姿があるように映るごとく、複数の方向に映像を放射することができるのである。

次に変貌現象というのを考察してみよう。これは生者の顔が死者とそっくりの顔に変貌する現象である。一八五八年と五九年に起きた、信ずべき証言のある実例から紹介しよう。

話題の主はまだ一五歳の少女で、見る見るうちに顔かたちが変化して、まったく別人の顔になる。女性とは限らない。男性の場合もある。変貌してしまうと完全にその女の子ではなくなり、顔だけでなく声もしゃべり方も、そして背丈も体重もすっかり変わってしまう。

同じ町の医師が何度も目撃して、それが目の錯覚でないことを確認するためにいろいろと実験し、それを全て記録に残している。さらにその子の父親と他の数人の目撃証言も残っている。

いちばん多く出現したのは二十歳で他界したその子の兄で、身長も体重もかなり違っていた。医師は現象が始まる前にその子の体重を計り、兄に変貌した時にも体重計に乗ってもらったところ、ほぼ倍の重さがあったという。

実験は決定的ともいうべき条件が整っており、目の錯覚とする説は完全に退けられている。では一体いかなるメカニズムによって生じているのであろうか。

変貌現象と言われているものの中には明らかに顔の筋肉の収縮にすぎないと思えるものがある。我々の会でも何度となく観察されているが、その場合は“劇的”といえるほどの変貌は見られていない。若い容貌が老(ふ)けて見えたり、老けた容貌が若くみえたり、美貌が平凡な顔になったり、平凡な顔がハンサムになったりする程度で、男性は男性に、女性は女性にというのが普通で、体重が増えたり減ったりすることは、まずなかった。

ところが上の女の子の場合は、そうしたものとは別の次元の要素が加わっている。どうやら物質化現象やアポーツの原理と同じく流動エネルギーにカギがありそうである。

前章までの解説で我々は、霊は自分の流動体に働きかけて、その原子構造を変化させることによって、一時的にではあるが、可視性と触知性を持たせることができる――言いかえれば、透明で存在が認知できないものを人間の目に見え手で触れられるものにすることができるという基本的原理を学んだ。

さらにもう一つの基本的原理として、生者の流動体も肉体から遊離させてエネルギー化できることも分かっている。

そこで、変貌現象について次のように考えてみてはどうだろうか。

変貌する人間の流動体を肉体から遊離させるのではなく、そのままの状態で蒸気のように気化し、さらに半物質の合成体にして肉体を覆わせる。そして、霊が自らのダブルに合わせる。一種の物質化現象で、その背後では目に見えないオペレーターが何人も働いているはずである。

体重の増減の問題であるが、これは実験会での物理現象の原理で説明がつくであろう。つまり本来の体重は変化していないが、見えざる世界からの働きかけによって、少なくともその間だけ、重くなったり軽くなったりしているものと考えられる。


訳注――霊力の凄さはこれまで本書でもいろいろな形で見せつけられているので改めて付言する必要はないと思うが、『ジャック・ウェバーの霊現象』の中に、上の体重の増減の現象の理解に参考になるものがあるので紹介しておきたい。

「霊媒の浮揚現象」という見出しの章の後半に“思いがけない現象”として次のような叙述がある。

《写真No.25には思いがけない現象が写っている。浮揚現象を撮影しようとしていたところ、その“持ち上げる力”が逆の方向に利用されて、椅子が床に降りると同時に、バリバリという何かを破壊するような大きな音がした。ライトをつけてみると、霊媒は無残に砕けた椅子に縛りつけられていた。

霊媒が腰かけていたウィンザー型の椅子は実にどっしりとした造りだった。座の部分は厚さが1.3インチ(三センチ余り)もあったが、それが真ん中で真二つに割れ、四本の脚が支柱もろとも四方に引き裂かれ、肘かけが背もたれからもぎ取られていた。

写真は砕かれかけた一瞬をよく捉えている。霊媒の身体にいささかの緊張感も見られないところに注目していただきたい。

一個の椅子を一瞬のうちにこれほど徹底的に破壊するのに一体どれほどのエネルギーが要るかということも一考の価値がある。力持ちが椅子を持ち上げて思い切り床に叩きつけて、はたして上に述べたような状態に破壊できるか――これは大いに疑問である。》

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第2部 本論




6章 物質化現象

心霊現象の中でも取りわけ興味深いのは、言うまでもなく霊がその姿を見せる現象であろう。が、これも、これから紹介する一問一答による解説によって、少しも超自然的なものではないことが分かる。複数の霊による回答をまず紹介しよう。


――霊は自分の姿を人間に見せることができるものですか。


「できます。とくに睡眠中が多いです。覚醒中でも見ることができる人がいます。睡眠中ほど頻繁ではありませんが……」


編者注――肉体が休息すると霊は物的束縛から解放されて自由の身となり、霊姿を見たり霊と語り合ったりする。夢はその間の記憶の残像にすぎない(章末の訳注参照)。何も思い出さない時は睡眠中に何もなかったかに思うが、実際には霊眼でいろいろなものを見たり聞いたりして自由を楽しんでいる。が、本章では覚醒中のことに限ることにする。


――霊姿を見せるのは特殊な界層の霊に限られているのでしょうか。


「そんなことはありません。低界層から高級界までのありとあらゆる界層の霊が姿を見せることができます。」


――すべての霊が自分の姿を人間の視覚に映じさせる力を有しているということでしょうか。


「その通りです。ただし、そうする許しが得られるかどうかの問題と、そうしたいと思うかどうかの問題があります。」


――姿を見せる場合、その目的は何なのでしょうか。


「それはその霊によって違ってきます。正当な目的の場合と、良からぬ目的の場合とがあります。」


――え? 良からぬ目的の場合でも許されることがあるとおっしゃるのですか。


「その通りです。その場合は“幽霊”に出られた人間にとっての試練として出現が許されています。霊の意図は良くなくても結果として当人にはプラスになります。」


――良からぬ意図とはどんなことでしょう?


「怖がらせてやろうとか、時には復讐の場合もあるでしょう。」


――正当な意図とは?


「他界したことを悲しみ続けている者を慰めてやること、つまり、ちゃんと生き続けていて、いつも自分がそばにいることを知らせてやること。悩みごとの相談にのってやりたいということもあります。時には逆に自分のことで頼みごとをする場合もあります。」


――いつでもどこでも霊の姿が見えるようになったと仮定した場合、人間生活に何か不都合が生じるでしょうか。どんなに疑い深い人間も死後の生命存続の事実を疑わなくなると思うのですが……。


「霊はいつでもどこにでも存在するわけですから、それがもし見えるようになったら何かとやりにくいであろうし、やる気が無くなるであろうし、自由闊達な動きができなくなるでしょう。人間は誰からも見られていない方が思うような行動が取れるのです。

疑い深い人間のことですが、たとえ見ても信じない者は信じません。何かの幻影でも見ていると考えます。あなた方がそういう人間のことで心を痛めるには及びません。大霊が良きに計らってくださいます。」


――霊の姿が見えると不都合が生じるというのなら、なぜ姿を見せることがあるのでしょうか。


「それは、人間が肉体の死とともに無に帰するのでなく、死後も個性をたずさえて存続していることを証明するためです。そうした数少ない目撃者の証言で十分であり、霊に取り囲まれて気の休まることがないという不便も生じません。」


――地球より進化した天体上では霊との関係は頻繁に行われているのでしょうか。


「霊性が高まるほど霊との意識的交信が容易になります。霊的存在との交わりを困難にしているのは、その物的身体です。」


――いわゆる幽霊を見て人間が怖がることをそちらから見てどう思われますか。


「霊がいかなるものであれ、生身の人間より危険性が少ないことは、少し考えれば分かりそうなものです。霊はどこにでもいます。あなたのすぐそばにもいます。見える見えないには関係ないのです。何か悪さをしようと思えば、別に姿を見せなくてもできますし、むしろ見られない方が確実性があるくらいです。

霊だから危険性があるのではありません。危険性があるとすれば、それは人間の考えに働きかけて密かに影響力を行使し、正しい道を踏みはずさせて悪の道に誘い込むことができることです。」


――霊が姿を見せた時、その霊と対話をしてもいいのでしょうか。


「もちろん結構です。と言うより、ぜひとも対話をすべきです。名前は何と言うのか、何の用事なのか、何か役に立つことがあれば言ってみるように、といったことを問いかけてみることです。辛いこと苦しいことがあるのであれば、それを聞き出して、力になってあげることができますし、逆に高級な霊であれば、何かいいアドバイスを授けるために出現したのかも知れません。」


――そういう場合、霊はどういう方法で対話をするのでしょうか。


「生身の人間のようにはっきりとした言葉で語る場合もありますが、以心伝心(テレパシー)で行う場合が多いです。」


――翼の付いた姿で現れることがありますが、実際に付いているのでしょうか。それとも、ただのシンボルなのでしょうか。


「霊に翼はありません。必要ないからです。霊はどこへでも瞬時に移動できます。ただ、霊が姿を見せる場合には何らかの目的があり、それを効果的に演出するために外見にいろいろな装いをすることがあります。目立たない装いをすることもあれば、優雅な掛け布で身を包むこともあり、翼を付けることもあります。それが霊格の象徴である場合もあります。」


――夢の中に出てくる人物はその容貌どおりの人物と見てよろしいでしょうか。


「あなたの霊眼で見た通りの人物と思ってまず間違いないでしょう。」


――低級霊が生前親しかった誰かの容貌を装って、堕落の道へ誘うということは考えられませんか。


「低級霊でも途方もない容貌を装うことができますし、騙して喜ぶ者がいることも事実ですが、彼らのすることにもおのずから限度があり、やろうにもやらせてもらえないことがあるものです。」


――思念が霊を呼び寄せることは理解できますが、ならばなぜ一心に会いたいと思っている人が出現せずに、関心のない人、思ってもいなかった人が出現することが多いのでしょうか。


「そちらでいくら会いたいと念じても、霊によっては姿を見せる力を持ち合わせないことがあります。その霊の意志ではどうにもならない何らかの要因があって、夢にさえ出現できないのです。それが試練である場合もあります。いかに強烈な意念をもってしても免れることのできない試練です。

関心のない人、思ってもいなかった人とおっしゃいますが、そちらで関心はなくてもこちらに関心がある場合があります。さらに、あなた方には霊の世界の事情がお分かりにならないので無理もありませんが、睡眠中に昔の人や最近他界したばかりの人を含めて、実に多くの霊に会っているのです。それが目覚めてから思い出せないだけです。」


――ある種の情景が病気中に見えることが多いのはなぜでしょうか。


「健康な時でも見えることがありますが、病気の状態では物的な束縛が緩(ゆる)み、霊の自由の度合が増すために、霊との交信がしやすくなることは確かです。」


――幽霊が出たという話がよく聞かれる国とそうでない国とがあります。民族によって能力が違うのでしょうか。


「幽霊とか不思議な音といった現象は地球上どこででも同じように生じます。が、現象によってはその民族の特徴が反映するものがあります。例えば識字率の低い国では自動書記霊媒はあまり輩出しません。従ってそういう国では知的な通信よりもハデな現象の方が多く発生することになります。知的で高尚なものを有り難がりませんし、求められることもないからです。」


――幽霊が大てい夜に出現するのはなぜでしょうか。静けさや暗さが何か想像力に影響を及ぼすからでしょうか。


「それは星が夜の方がよく見えて昼間は見えないのと同じです。昼間の太陽の光がうっすらとした霊の姿をかき消してしまうから見えないまでです。“夜”という時間帯に特別の意味があるかに考えるのは間違いです。幽霊を見たという人の話を総合してみられるとよろしい。大半が昼間に見ているはずです。」


――霊の姿が見えるのは普通の状態の時でしょうか、それとも特殊な状態の時でしょうか。


「まったく普通の状態でも見えますが、トランス(入神)状態に近い特殊な状態にある時の方が多いです。霊視力が働くからです。」


――霊を見たと言う人は肉眼で見ているのでしょうか。


「自分ではそう思うでしょう。が、実際は霊視力で見ています。目を閉じても見えるはずです。」


――霊が自分の姿を見せるにはどんなことをするのでしょうか。


「他の物理現象と同じです。自分の意念の作用で流動体の中からある成分を抜き取り、さまざまな工夫を凝らして使用します。」


――霊そのものを見せることはできないのでしょうか。流動体(エクトプラズム)をまとわないと見えないのでしょうか。


「肉体をまとっているあなた方人間に対しては、半物質体の流動エネルギーの助けを借りないと見えません。流動体は物的感覚に訴えるための媒介物です。夢の中にせよ覚醒時にせよ、白昼にせよ暗闇の中にせよ、見えている姿はその流動体で形態を整えたものです。」


――それは流動体を凝縮して使うのですか。


「凝縮という用語はおよその概念を伝える上での類似語ていどのもので、正確ではありません。別に凝縮させるわけではありません。流動体を幾種類か集めて化合させると、特殊な合成物ができます。これが人間の目に映じるようにするのですが、地上にはこれに類するものは存在しません。」


――その霊姿は手で触ることができますか。例えば腕をつかむことができますか。


「通常はできません。影がつかめないのと同じです。が、人間の手に感触が残る程度にすることはできます。さらには、少しの間に限られますが、しっかりとした肉体と同じ程度にすることもできます。そんな時は合成物質(エクトプラズム)と肉体との間に共通したものがあることの証拠と言えます。」


――人間は本来、霊の姿が見えるようにでき上がっているのでしょうか。


「睡眠中(肉体からの離脱中)はそうです。覚醒中は誰でもというわけではありません。睡眠中はさきほど述べた媒介物がなくても見えます。覚醒中は多かれ少なかれ肉体という器官によって制約されています。睡眠中と覚醒中とでは必ずしも同じでないのは、そういう事情によります。」


――覚醒中に霊が見える、そのメカニズムはどうなっているのでしょうか。


「その人間の肉体という有機体の特質、およびその人が有する流動エネルギーが霊の流動エネルギーと合体しやすいか否かに掛かっています。霊が姿を見せてやりたいと思うだけではダメです。見せてやりたい人間にそういう適性があることを見極める必要があるわけです。」


――そういう能力は訓練によって発揮できるようになるものでしょうか。


「他のすべての能力と同じように、訓練しだいで発揮できます。ですが、なるべくなら自然な発達を待つ方がよい部類に属します。発揮しようとする意欲が強すぎると想像力をかき立てて妄想を生む恐れがあります。霊視力を日常的にいつでも使用できるほどの人は例外に属し、人類の通常の状態では霊視力は働きません。」


――人間の側から霊に向かって出現を要請することは可能でしょうか。


「不可能というわけではありませんが、稀です。霊は必ずといってよいほど自分の方から出現します。権威をもって呼び出すには余ほど特殊な霊的資質をそなえていなければなりません。」(ここでいう“霊”とは“高級霊”のことである。日本の霊界通信には神名を名のる霊からのものが多いが、神格をそなえた高級霊が“自分は神である”などと宣(のたま)うわけがない――訳注)


――人間の容姿以外の形態で出現することはできますか。


「人間の容姿が普通です。人間の容姿をいろいろに装うことはできますが、基本的には常に人間的形態をしています。」


――炎の形態で出現できませんか。


「存在を示すために炎や光をこしらえることはできます。どんな形態でも装うことができるのですから。が、それがすなわち霊そのものと思ってはいけません。炎は流動エネルギーの放射体、いわば幻像にすぎないことがよくあります。それも流動体のごく一部です。どのみち、流動体の現象は一時的な映像の域を出ません。」


――“鬼火”とか“キツネ火”とか呼ばれているものが魂または霊の仕業だという説がありますが、いかがでしょうか。


「ただの迷信にすぎません。無知の産物と言ってもよいでしょう。鬼火が発生する原因はすでに明らかになっているはずです。」(燐と水素が化合して発する青白い炎――訳注)


――霊が動物の形態を装うことはできますか。


「それはできないことではありません。が、そんなことをしてどうするのでしょう? それは余ほど低級な霊のすることです。また、たとえ装っても一時的なものです。本物の動物が霊の化身であるかに信じる愚か者はいないでしょう。動物はあくまでも動物で、それ以上のものではありません。」


――見えたものが幻影・幻覚であることがありますか。たとえば夢か何かで悪魔を見た場合、それは想像上の産物ではないでしょうか。


「そういうことは時おり有り得ます。たとえば強烈な印象を与える物語を読んで、それが記憶に残っていて、精神的に興奮している場合です。そういうものは実在しないのだという理解がいくまで、それが幻覚として見えることがあります。

しかし、前にも述べたことですが、霊は半物質の流動体を使用してどんなものでもどんな形態のものでもこしらえることができます。ですから、イタズラ霊が信じやすい人間をからかうために角(つの)を生やしたり巨大な爪を見せたりすることもできます。さきほども述べた、高級霊が翼をつけたり光輝を放つ容貌を見せたりするのと同じです。」


――半睡半夢の状態において、あるいは目を閉じた瞬間などに顔とかイメージが見えることがありますが、あれも幻覚でしょうか。


「感覚が空(うつ)ろになると霊的感覚が働きやすくなって、肉眼では見えないものが、遠近に関係なく見えるようになります。その時に映じるイメージは往々にして幻覚である場合もありますが、かつて見たある対象物が、音がしばらく耳に残るように、脳に残像を印象づけていて、それが見えることがあります。

霊は、肉体の束縛から解放されると、ちょうど写真のネガに写った影像のように脳に印象づけられたものを見ることがあります。その時、断片的でバラバラになっているものを一つのまとまったものに構成しようとします。それは他愛もない空想的なもので、次の瞬間には、もう少しよく見たいと思っても、崩れていきます。病気の時などによく見る、まったく現実味のない、奇っ怪な幻像もみな、そうした原因から生じていると考えて間違いありません。」


訳注――本章の最初の応答のあとのカルデックの“編者注”の中に「夢というのは睡眠中に霊の目で見たものの記憶の残影にすぎない」という一文があるが、この文章だけでは誤解を生じやすい。上の最後の応答の一節が夢そのものの絶好の説明にもなっているように思う。「病気の時などによく見る……」というのを「病気の時や睡眠中によく見る……」と書き換えてもよいほどである。

夢については心理学や精神医学や精神分析学などでもいろいろと説かれているが、こじつけや乱暴な説ばかりで、これまで納得のいくものに出会ったことがなかった。そして上の一節ですっきりとした気持ちになった。私の体験からもその通りだと思う。

自我のことを“統一原理”と呼んでいる通信があるが、上の回答で「断片的でバラバラになっているものを一つのまとまったものに構成しようとします。それは他愛もない空想的なもので、次の瞬間には、もう少しよく見たいと思っても崩れていきます」とあるのは、霊が物的身体から遊離していて、長年にわたる脳を中枢とした感覚に慣れているために、統一原理としての役目が果たせないのである。

結論としては、本章の最初の“編者注”と最後の回答とを併せて一つにすれば“睡眠中は何をしているのか”“夢とは何なのか”といった千古の疑問への完全な回答となるのではなかろうか。

シルバーバーチの霊訓(四)

 Silver Birch Anthology 

 Edited by William Naylor

Photo painting of a painting of a green field with trees and a red umbrella generative ai

  五章 死んだらどうなるか

 ある日の交霊会で死後の世界とそこでの生活の様子が主な話題となった。この中でシルバーバーチは最近他界したばかりの人の現在の状態を説明して、地上に隣接した下層界は何もかも地上とそっくりであると述べた。すると次のような質問が出された。

───幽界がこの世とそっくりであるというのが私には理解できないのですが・・・・・・。

 「地上界の次の生活の場は地上の写しです。もしそうでなかったら、何の予備知識もない幼稚な霊に耐え切れないショックを与えるでしょう。ですから、霊界への導入はやさしい段階をへながら行われることになります。こちらへ来てすぐの生活の場は地上と非常によく似ております。自分の死んだことに気づかない人が大勢いるのはそのためです。

 こちらは本質的には思念の世界、思念が実在である世界です。思念の世界ですから、思念が生活と活動の表現のすべてに形態を与えます。

他界直後の世界は地球のすぐ近くにあり、ものの考え方がきわめて物質的な男女が集まっていますから、思念の表現もきわめて土臭く、考えることが全て物的感覚によって行われます。

 そういう人たちは〝物〟を離れて存在を考えることができません。かつて一度も生命というものが物的なものから離れた形で意識にのぼったことがないのです。霊的な活動を心に思い浮かべることができないのです。精神構造の中に霊的なものを受け入れる余地が無いのです。 

ですが幽界(※)の生活にも段階があり、意識の開発と共に徐々に、着実に、土臭さが取れていきます。そして生命というものが物的な相を超えたものであることが判りはじめます。

そして自覚が芽生えると次第にそこの環境に反応しなくなり、いよいよ本当の霊の世界での生活が始まります。こうして死と誕生(に相当するもの)が何度も繰り返されるのです」

(※ここでは〝物的感覚から脱しきれない世界〟のことを指している。これをシルバーバーチが幽界 astral world と呼んだのは質問者が最初にそう呼んだからで、そこは実質的には〝界〟というよりは〝状態〟という方が当たっている。だから霊的な自覚が出来てから赴く世界をシルバーバーチは〝霊界〟 spirit world とは言わず〝霊の世界〟the world of spirit という言い方をするのである。

仏教で〝成仏した〟というのは自縛的状態から脱して霊的自覚が芽生え、本格的な生活が始まる段階に入ったという意味で、そこから地上で身に付けた霊性に相応しい境涯へ赴くことになる。オーエンの『ベールの彼方の生活』では〝区分けの界〟という呼び方をしているー訳者)


───死後の世界での体験は主観的なのでしょうか客観的なのでしょうか。

 「客観的です。なぜかというと、こちらの世界はそれぞれの界で生活している住民の思念で営まれているからです。意識がその界のレベルを超えて進化すると自然に離れていきます。成長と向上と進化によって霊的資質が身につくと、自然の法則によって次の段階へ移行するのです(※)。

それぞれの界において立派に客観的生活が営まれています」(※ 『ベールの彼方の生活』によると霊性の向上とともに光明の実在へ次第に近づいていく過程は神秘中の神秘で、人間の言語では説明できないし、そもそも人間の理解力を超えているというー訳者)


───ということは夢の世界ではないということですね。

 「そこを通過してしまえば夢の世界だったことになります。そこに生活している間は現実の世界です。それを夢と呼ぶか呼ばないかは観点の違いの問題です。あなた方も夢を見ている間はそれを夢だとは思わないでしょう。夢から覚めて初めて夢だったことを知り〝なんだ、夢だったのか〟と言うわけです。

ですから、夢が夢幻的段階を過ぎてしまうと、その時の体験を思い出して〝夢だった〟と言えるわけです。ですがその夢幻を体験している間は、それがその霊にとっての現実です」


───すべての人間が必ずその低い界層からスタートするのでしょうか。
 
 「いえ、いえ、それはあくまで何の予備知識も持たずに来た者や、幼稚な者にかぎっての話です。つまり霊的実在があることを知らない人、物的なものを超越したことを思い浮かべることの出来ない人の場合です。あなた方が幽界と呼んでいるところは霊の世界の中の小さな区域です。

それは低い境涯から高い境涯へと至る無数の段階の一つに過ぎません。きっちりと周囲が仕切られて存在するのではありません。それを〝界〟と呼んでいるのは、あなた方に理解出来る用語を用いるしかないからです」

(訳者注ー夢の説明で夢を見ている時はそれが現実で覚めれば夢であることを知ると言っているのと同じで、その境涯にいる間は現実に境界があり仕切りがあるように思えるが、霊性が向上してその境涯から脱け出ると、それもやはり夢幻であったことを知る。色即是空は地上だけとは限らない)

 霊界での成長について───

 「一つの界から次の界へよじ登っていくのではありません。自然に成長し、自然に進化していくのです。程度の低い要素が高い要素にその場を譲っていくのです。何度も死に、何度も誕生するのです。幽体は肉体の死と同じ過程で失われていくのではありません。

低級なものが消えるにつれて浄化され精妙になっていくのです。それが幽体の死です。そもそも〝死〟とは変化であり復活であり、低いものから高いものへの上昇です。時間と空間にしばられた地上生活のすべての制約から解放された霊の世界を説明しようとすると、何かと困難に遭遇します。

低いものは高いものを理解できません。有限なるものは無限なるものを包含することはできません。小さい器は大きい器を入れることはできません。奮闘努力の生活の中で理解力を増していくほかありません」


───幽界ではたとえば心臓なども残っていてやはり鼓動するのでしょうか。

 「肉体器官が残っているか否かはその霊の自覚の問題です。もし地上生活のあとにも生活があることを知らず、霊の世界など思いもよらない人であれば、地上で具えていた肉体器官がそっくりそのまま残っていて、肉体的機能を続けています───あらゆる機能です」


───では霊の世界についての理解を持った人の場合はどうなりますか。

 「幽体の精妙化の過程がスムーズに進行します。ある器官が霊の生活に不要となったことを自覚すると、その器官が退化し始め、そのうち消滅してしまいます」


───死の直後からそういう現象が起きるのでしょうか。それとも、ゆっくりとした過程なのでしょうか。

 「それも自覚の程度によります。程度が高ければそれだけ調整期間が短くてすみます。忘れてならないことは、私たちの世界は精神的な世界、霊の世界であり、そこでは自覚というものが最優先されるということです。

精神が最高の権威を持ち支配しています。精神が指示したことが現実となるのです。昔から、高級界からやってきた霊のことを〝光り輝く存在〟というふうに述べていて、姿かたちをはっきり述べていないことにお気づきになったことはありませんか。外形というものが無くなっていくのです。つまり形による表現が少なくなっていくのです」


───最後にはどういう形態になっていくのでしょうか。

 「美はどういう形態をしているのでしょう。愛はどういう形態をしているのでしょう。光はどんな形態をしているのでしょうか」


───形態を超越してしまうと色彩が認識の基本になるのでしょうか。

 「その通りです。ただし地上世界の基本的色彩となっているものが幾つかありますが、私たちの世界にはあなた方の理解力を超えた別の色彩の領域が存在します。私たちは高級界からの霊の姿が発する光輝、そのメッセージとともに届けられる光によって、その方がどなたであるかを認識することができます。

形態というものがまったく無いことがあるのです。ただ思念があるのみで、それに光輝が伴っているのです」

 他界した身内の者や友人・知人は姿こそ見えなくても、地上にいた時より一層身近な存在となっていることを説いて、こう述べる。

 「その方たちは今なお実在の人物であり、地上にいた時と同じようにあなた方のことを気遣ってくれていることを忘れてはなりません。彼らはもはや言葉で話しかけることはできませんし、あなた方もその声を聞くことはできませんが、あなた方のすぐ身の回りにいて何かと援助してくれております。

自覚なさることがあるはずですが、実際はもっともっと密接な関係にあります。彼らはあなた方の心の秘密、口に出さないでいる欲求、願望、希望、そして心配なさっていることまでを全部読み取っております。そしてあなた方の魂の成長にとって必要なものを地上的体験から摂取するように導いてくれております。

けっして薄ぼんやりとした、影のような、モヤのような存在ではありません。今なおあなた方を愛し、以前よりさらに身近となっている、実体のある男性であり女性なのです」(このあと死後の生活についての質問と答えが続くが、その部分は第二巻の九章ですでに出ているー訳者)

 「私たちが住む霊の世界をよく知っていただけば、私たちをして、こうして地上へ降りてくる気にさせるものは、あなた方のためを思う気持ち以外の何ものでもないことが分っていただけるはずです。素晴らしい光の世界から暗く重苦しい地上へ、一体誰れが好き好んで降りてまいりましょう。

 あなた方はまだ霊の世界の喜びを知りません。肉体の牢獄から解放され、痛みも苦しみもない、行きたいと思えばどこへでも行ける、考えたことがすぐ形を持って眼前に現われる、追求したいことにいくらでも専念できる、お金の心配がない、こうした世界は地上の生活の中には譬えるものが見当たらないのです。その楽しさは、あなたがたにはわかっていただけません。

 肉体に閉じ込められた者には美しさの本当の姿を見ることが出来ません。霊の世界の光、色、景色、木々、小鳥、小川、渓流、山、花、こうしたものがいかに美しいか、あなたがたはご存じない。そして、なお、死を恐れる。

 〝死〟というと人間は恐怖心を抱きます。が実は人間は死んで初めて真に生きることになるのです。あなたがたは自分では立派に生きているつもりでしょうが、私から見れば半ば死んでいるのも同然です。霊的な真実については死人も同然です。

なるほど小さな生命の灯が粗末な肉体の中でチラチラと輝いてはいますが、霊的なことには一向に反応を示さない。しかし一方では私たちの仕事が着々と進められています。霊的なエネルギーが物質界に少しずつ勢力を伸ばしつつあります。霊的な光が広がれば当然暗闇が後退していきます。

 霊の世界は人間の言葉では表現のしようがありません。譬えるものが地上に見出せないのです。あなたがたが〝死んだ〟と言って片づけている者の方が実は生命の実相についてはるかに多くを知っております。

  この世界に来て芸術家は地上で求めていた夢をことごとく実現させることが出来ます。画家も詩人も思い通りのことが出来ます。天才を存分に発揮することが出来ます。地上の抑圧からきれいに解放され、天賦の才能が他人のために使用されるようになるのです。地上の言語のようなぎこちない手段を用いなくても、心に思うことがすなわち霊の言語であり、それが電光石火の速さで表現されるのです。

 金銭の心配がありません。生存競争というものが無いのです。弱者がいじめられることもありません。霊界の強者とは弱者に救いの手を差しのべる力があるという意味だからです。失業などというものもありません。スラム街もありません。利己主義もありません。宗派もありません。経典もありません。あるのは神の摂理だけです。それが全てです。

 地球へ近づくにつれて霊は思うことが表現出来なくなります。正直言って私は地上に戻るのはイヤなのです。なのにこうして戻って来るのはそうした約束をしたからであり、地上の啓蒙のために少しでも役立ちたいという気持ちがあるからです。そして、それを支援してくれるあなた方の、私への思慕の念が、せめてもの慰めとなっております。

 死ぬということは決して悲劇ではありません。今その地上で生きていることこそ悲劇です。神の庭が利己主義と強欲という名の雑草で足の踏み場も無くなっている状態こそ悲劇です。

 死ぬということは肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が自由になることです。苦しみから解き放たれて霊本来の姿に戻ることが、果たして悲劇でしょうか。天上の色彩を見、言語で説明のしようのない天上の音楽を聞けるようになることが悲劇でしょうか。痛むということを知らない身体で、一瞬のうちに世界を駆け巡り、霊の世界の美しさを満喫できるようになることを、あなたがたは悲劇と呼ぶのですか。

 地上のいかなる天才画家といえども、霊の世界の美しさの一端たりとも地上の絵具では表現できないでしょう。いかなる音楽の天才といえども、天上の音楽の旋律の一節たりとも表現できないでしょう。いかなる名文家といえども、天上の美を地上の言語で綴ることは出来ないでしょう。

そのうちあなたがたもこちらの世界へ来られます。そしてその素晴しさに驚愕されるでしょう。

 英国は今美しい季節を迎えています。(この交霊会が開かれたのは五月だったー編者)木々は新緑に輝き、花の香が漂い、大自然の恵みがいっぱいです。あなた方は造化の美を見て〝何とすばらしいこと!〟と感嘆します。

 が、その美しさも、霊の世界の美しさに較べれば至ってお粗末な、色褪せた摸作ていどでしかありません。 地上の誰一人見たことのないような花があり色彩があります。その他小鳥もおれば植物もあり、小川もあり、山もありますが、どれ一つとっても、地上のそれとは比較にならないほどきれいです。

その内あなた方もその美しさをじっくりと味わえる日が来ます。その時あなたはいわゆる幽霊となっているわけですが、その幽霊になった時こそ真の意味で生きているのです。

 実は今でもあなた方は毎夜のように霊の世界を訪れているのです。ただ思い出せないだけです。それは、死んでこちらへ来た時のための準備なのです。その準備なしにいきなり来るとショックを受けるからです。来てみると、一度来たことがあるのを思い出します。

肉体の束縛から解放されると、睡眠中に垣間見ていたものを全意識を持って見ることが出来ます。その時全ての記憶がよみがえります」


───死んでから低い界へ行った人はどんな具合でしょうか。今おっしゃったように、やはり睡眠中に訪れたこと───多分低い世界だろうと思いますが、それを思い出すのでしょうか。そしてそれがその人なりに役に立つのでしょうか。

 「低い世界へ引きつけられて行くような人はやはり睡眠中にその低い界を訪れております。が、その時の体験は死後の自覚を得る上では役に立ちません。なぜかというと、その人の目覚める界は地上ときわめてよく似ているからです。

死後の世界は低いところほど地上に似ております。バイブレーションが粗いからです。高くなるほどバイブレーションが細かくなります」


───朝目覚めてから睡眠中の霊界での体験を思い出すことがありますか。

 「睡眠中、あなたは肉体から抜け出ていますから、当然脳から離れています。脳はあなたを物質界に縛りつけるクサリのようなものです。そのクサリから解放されたあなたは、霊格の発達程度に応じたそれぞれの振動の世界で体験を得ます。

その時点ではちゃんと意識して行動しているのですが、朝肉体に戻ってくると、もうその体験は思い出せません。なぜかというと脳があまりに狭いからです。小は大をかねることは出来ません。ムリをすると歪みを生じます。それは譬えば小さな袋の中にムリやりに物を詰め込むようなものです。袋にはおのずから容量というものがあります。

 ムリして詰め込むと、入るに入っても、形が歪んでしまいます。それと同じことが脳の中で生じるのです。ただし、霊格がある段階以上に発達してくると話は別です。霊界の体験を思い出すよう脳を訓練することが可能になります。

実を言うと私はここにおられる皆さんとは、よく睡眠中にお会いしているのです。私は〝地上に戻ったら、かくかくしかじかのことを思い出すんですよ〟と言っておくのですが、どうも思い出して下さらないようです。皆さんお一人お一人にお会いしているのですよ。

そして、あちらこちら霊界を案内して差し上げているんですよ。しかし思い出されなくてもいいのです。決して無駄にはなりませんから。」


───死んでそちらへ行ってから役に立つわけですか。

 「そうです。何一つ無駄にはなりません。神の法則は完璧です。長年霊界で生きてきた私どもは神の法則の完璧さにただただ驚くばかりです。神なんかいるものかといった地上の人間のお粗末なタンカを聞いていると、まったく情けなくなります。知らない人間ほど己の愚かさをさらけ出すのです」


───睡眠中に仕事で霊界へ行くことがありますか。睡眠中に霊界を訪れるのは死後の準備が唯一の目的ですか。
 
 「仕事をしに来る人も中にはおります。それだけの能力を持った人がいるわけです。しかし大ていは死後の準備のためです。物質界で体験を積んだあと霊界でやらなければならない仕事の準備のために、睡眠中にあちこちへ連れて行かれます。そういう準備なしに、いきなりこちらへ来るとショックが大きくて、回復に長い時間がかかります。

地上時代に霊的知識をあらかじめ知っておくと、こちらへ来てからトクをするというのはその辺に理由があるわけです。ずいぶん長い期間眠ったままの人が大勢います。あらかじめ知識があればすぐに自覚が得られます。ちょうどドアを開けて日光の照る屋外へ出るようなものです。

光のまぶしさにまず慣れなければなりません。闇の中にいて光を見ていない人は慣れるのにずいぶん時間がかかります。それは赤ん坊と同じです。はいはいしながら進むような状態です。地上の体験を思い出すことはあっても、大半は夢見るような状態で思い出します。

しかし地上での体験も霊界での体験も、一つとして失われることもありません。そのことを忘れないでください。あらゆる思念、あらゆる行為、あなた方の心から発した善意の願いは、必ずどこかの誰かの役に立ちます。その願いのあるところには必ずそれを支援する霊が引き寄せられるからです」


───霊的知識なしに他界した者でも、こちらからの思いや祈りの念が届くのでしょうか。

 「死後の目覚めは理解力が芽生えた時です。霊的知識があれば目覚めはずっと早くなります。その意味でもわれわれは無知と誤解と迷信と誤った教義と神学を無くすべく闘わねばならないのです。

それが霊界での目覚めの妨げになるからです。そうした障害物が取り除かれない限り、魂は少しずつ死後の世界に慣れていくほかはありません。長い長い休息が必要となるのです。

又、地上に病院があるように、魂に深い傷を負った者をこちらで看護してやらねばなりません。反対に人のためによく尽くした人、他界に際して愛情と祈りを受けるような人は、そうした善意の波長を受けて目覚めが促進されます」


───死後の生命を信じず、死ねばお終いと思っている人はどうなりますか。

 「死のうにも死ねないのですから、結局は目覚めてからその事実に直面するほかないわけです。目覚めるまでにどの程度の時間がかかるかは霊格の程度によって違います。つまりどれだけ進化しているか、どれだけ新しい環境に順応できるかにかかっています」


───そういう人、つまり死んだらそれでお終いと思っている人の死には苦痛が伴いますか。

 「それも霊格の程度次第です。一般的に言って死ぬということに苦痛は伴いません。大ていは無意識だからです。死ぬ時の様子が自分で意識できるのは、よほど霊格の高い人に限られます」


───善人が死後の世界の話を聞いても信じなかった場合、死後そのことで何か咎を受けますか。

 「私にはその善人とか悪人とかの意味が分りませんが、要はその人が生きてきた人生の中身、つまりどれだけ人のために尽くしたか、内部の神性をどれだけ発揮したかにかかっています。大切なのはそれだけです。知識は無いよりは有った方がましです。がその人の真価は毎日をどう生きてきたかに尽きます」


───愛する人とは霊界で再会して若返るのでしょうか。イエスは天国では嫁に行くとか嫁を貰うといったことはないと言っておりますが・・・・・・。

 「地上で愛し合った男女が他界した場合、もしも霊格の程度が同じであれば霊界で再び愛し合うことになりましょう。死は魂にとってはより自由な世界への入口のようなものですから、二人の結びつきは地上より一層強くなります。が二人の男女の結婚が魂の結びつきでなく肉体の結びつきに過ぎず、しかも両者に霊格の差がある時は、死と共に両者は離れていきます。

それぞれの界へ引かれていくからです。若返るかというご質問ですが、霊の世界では若返るとか年を取るといったことでなく、成長、進化、発達という形で現われます。つまり形体ではなく魂の問題になるわけです。

イエスが嫁にやったり取ったりしないと言ったのは、地上のような肉体上の結婚のことを言ったのです。男性といい女性といっても、あくまで男性に対する女性であり、女性に対する男性であって、物質の世界ではこの二元の原理で出来上がっておりますが、霊の世界では界を上がるにつれて男女の差が薄れていきます」

───死後の世界でも罪を犯すことがありますか。もしあるとすれば、どんな罪が一ばん多いですか。

 「もちろん私たちも罪を犯します。それは利己主義の罪です。ただ、こちらの世界ではそれがすぐに表面に出ます。心に思ったことがすぐさま他に知られるのです。因果関係がすぐに知れるのです。従って醜い心を抱くと、それがそのまま全体の容貌に現われて、霊格が下がるのが分ります。

そうした罪を地上の言語で説明するのはとても難しく、先ほど言ったように、利己主義の罪と呼ぶよりほかに良い表現が見当たりません」


───死後の世界が地球に比べて実感があり立派な支配者、君主または神の支配する世界であることは分りましたが、こうしたことは昔から地上の人間に啓示されてきたのでしょうか。

 「霊の世界の組織について啓示を受けた人間は大勢います。ただ誤解しないでいただきたいのは、こちらの世界には地上でいうような支配者はおりません。霊界の支配者は自然法則そのものなのです。また地上のように境界線によってどこかで区切られているのではありません。

低い界から徐々に高い界へとつながっており、その間に断絶はなく、宇宙全体が一つに融合しております。霊格が向上するにつれて上へ上へと上昇してまいります」


───地上で孤独な生活を余儀なくされた者は死後も同じような生活を送るのですか。

 「いえ、いえ、そんなことはありません。そういう生活を余儀なくされるのはそれなりの因果関係があってのことで、こちらへ来ればまた新たな生活があり、愛する者、縁あるものとの再会もあります」


───シェークスピアとかベートーベン、ミケランジェロといった歴史上の人物に会うことが出来るでしょうか。

 「とくに愛着を感じ、慕っている人物には、大抵の場合会うことが出来るでしょう。共感の絆が両者を引き寄せるのです」


───この肉体を棄ててそちらへ行っても、ちゃんと固くて実感があるのでしょうか。

 「地上よりはるかに実感があり、しっかりしています。本当は地上の生活の方が実感がないのです。霊界の方が実在の世界で、地上はその影なのです。こちらへ来られるまでは本当の実体感は味わっておられません」


───ということは地上の環境が五感にとって自然に感じられるように、死後の世界も霊魂には自然に感じられるということですか。

 「だから言ってるでしょう。地上よりもっと実感がある、と。こちらの方が実在なのですから・・・・・。あなたがたはいわば囚人のようなものです。肉体という牢に入れられて、物質という壁で仕切られて、小さな鉄格子の窓から外をのぞいているだけです。地上では本当の自分のホンの一部分しか意識していないのです」


───霊界では意念で通じあうのですか。それとも地上の言語のようなものがあるのですか。

 「意念だけで通じ合えるようになるまでは言語も使われます」


───急死した場合、死後の環境にすぐに慣れるでしょうか。

 「魂の進化の程度によって違います」

───呼吸が止まった直後にどんなことが起きるのですか。

 「魂に意識のある場合(高級霊)は、エーテル体が肉体から抜け出るのがわかります。そして抜け出ると目が開きます。まわりに自分を迎えに来てくれた人たちが見えます。そしてすぐそのまま新しい生活が始まります。魂に意識がない場合は看護に来た霊に助けられて適当な場所───病院なり休息所なり───に連れて行かれ、そこで新しい環境に慣れるまで看護されます」


───愛し合いながら宗教的因習などで一緒になれなかった人も死後は一緒になれますか。

 「愛をいつまでも妨げることは出来ません」

───肉親や親せきの者とも会えますか。

 「愛が存在すれば会えます。愛がなければ会えません」

───死後の生命は永遠ですか。

 「生命は全て永遠です。生命とはすなわち神であり、神は永遠だからです」

───霊界はたった一つだけですか。

 「霊の世界は一つです。しかしその表現形態は無限です。地球以外の天体にもそれぞれに霊の世界があります。物的表現の裏側には必ず霊的表現があるのです」

───その分布状態は地理的なものですか。

 「地理的なものではありません。精神的発達程度に応じて差が生じているのです。もっとも、ある程度は物的表現形態による影響を受けます」

───ということは、私たち人間の観念でいうところの界層というものもあるということですか。

 「その通りです。物質的条件によって影響される段階を超えるまでは人間が考えるような〝地域〟とか〝層〟が存在します(地球に隣接した幽界の下層界のことー訳者」」

───各界層が地球や太陽や惑星を取り巻いているのでしょうか。

 「取り巻いているのではありません。地理的に分けられているのではありません。球体つまり天体のような形で存在しているのでもありません。宇宙という大きな広がりの中の一部としての生活の場を構成しているのです。

宇宙にはあらゆる次元の生活の場があって互いに重なり合い融合し合っています。あなた方はそのうちの幾つかを知られたわけですが、まだまだご存知ない世界がたくさんあります。地上の天文学で知られていない生活が営まれている惑星が他にいくつもあります」


───各界を構成している成分は地球のようにマテリアルなものですか。(material には〝物質的〟〝実質的〟〝実体のある〟等々さまざまな意味があり、それを観念的に理解していただくために敢えて訳さずにおいたー訳者)

 「私という存在はマテリアルでしょうか。男女の愛はマテリアルでしょうか。芸術家のインスピレーションはマテリアルでしょうか。音楽の鑑賞力はマテリアルでしょうか。こうした質問に対する答えはマテリアルという言葉の意味によって違ってきます。

あなたのおっしゃるのが実感があるのか、実体があるのかという意味でしたら答えは〝イエス〟です。なぜなら霊こそ生命の実在そのものであり、あなた方が物質と呼んでいるもの、すなわち物質の世界はその実在を包んでいる殻にすぎません」


───霊界も地球の電磁場あるいは重力場の影響を受けて地球や太陽と運動を共にしているのでしょうか。

 「私たちの世界は地球の回転の影響は受けません。昼と夜の区別がないのです。エネルギーも地球に生命を賦与している太陽から受けているのではありません。引力は物質だけが受けるのであって、霊的なものは影響を受けません。霊的な法則とは関係がありません」


───霊の動く速さに限界がありますか。

 「私たちスピリットの動きに時間・空間による制約はありません。霊界生活に慣れてくるとまったく制約をうけなくなります。この地球のどの地域でも思念の速さで行き着くことができます。思念が私たちにとって現実の存在なのです。ただし、霊的発達段階による制約は受けます。

その段階を超えたことはできません。霊的成長によって到達した段階より速く動くことはできません。それがその霊にとっての限界ということです。ともあれ、霊的生活での霊自身による制約に過ぎません」(地上のように外的条件による制約はないということ―訳者)


───生命の住む天体には必ず霊界もあるのでしょうか。

 「あなた方が霊界と呼んでいるものも宇宙の霊的側面にすぎません。宇宙はあらゆる界層のあらゆる生命を包含します」